妹紅は後悔していた。
酔った勢いとは言え、友人である慧音にあんなことを言ってしまうとは。
あれ以来慧音には会っていない、やはり機嫌を損ねてしまったんだろうか。
元々それほど頻繁に会うわけでもなく、気が向いたときに酒を酌み交わし、ついでに夕飯を共にする。
その頻度は二~三週間に一回と言った程度で、状況や気分によってはもっと間を空ける事もあった。
あれからおよそ三週間が過ぎた。
普段なら別段気にもかけずに「あぁ、そろそろ飯でもたかりに行こうかな」もしくは「家に呼んで夕飯作ってもらおうかな」
なんて考えるだけで、家から出る気がしなければやはり行かないし、気が向けば行くし……慧音の方から顔を出したりもする。
しかし今回は少々事情が異なる。それゆえ妹紅は気が気ではない。
赴こうにも勇気が湧かないが、ほっといたらこれ以降一生慧音と会うことはないのではないかと、心配になってしまう。
それほどの罪悪感が、妹紅の胸の中にどっしりとのしかかっていた。
およそ三週間前、半月が出ていた頃のことだ。慧音の角は生えていない時期。
慧音は満月が出ていると妙に興奮気味で、酔って勢いが付くと「輝夜に文句を言いに行く」などと騒いだりするので、
妹紅はなるべく満月の時期を避けて慧音と会うようにしていた。
その日は慧音の方から妹紅の家に遊びに来たので、自宅の食材を料理してもらって、それを少し胃に収めた後他愛ない話をしていた。
「幻想郷に来るまでは大変だったよ~ほんとに」
「それはそうだ、衣食住が安定しないのでは大変だろう」
「一応家柄はそれなりに良かったからねえ。初めて野宿したときは、いくら不老不死でも怖かったなぁ」
慧音は妹紅の歴史を知っているので、それほど驚きも無く相槌を打つ。
しかしそれでも、妹紅の口から直接聞くのは少し違った味わいがあるらしく、うっすら笑顔を浮かべて嬉しそうに聞くのだ。
「ん……? そういえば、妹紅が幻想郷に来たのはいつ頃だった?」
「えーっと、いつだったかな」
慧音が物忘れをするというのも珍しい。あまりの知識量の膨大さゆえに目的の記憶を見失ったのだろうか。
それにしても少し考えれば思い出すのだろうが、酔っているのもあってすぐに出てこないらしい。
どんな歴史も知っているからと言って、何から何まで「知ってる」と言われるのも面白味が無い。
そう思った妹紅は顎に手を当て、虚空に視線を泳がせながら少し考えてみた。
「むぅー……何せ人里から離れてたから、時間の感覚もよくわかんなかったんだよなぁ……
ここが幻想郷だってわかったのだって、迷い込んですぐってわけでもなかったし……」
改めて考えてみると、幻想郷の外に居た期間は相当長いのではないだろうか。
妹紅はあの苦しかった日々をしみじみと思い出していた。一方慧音は脇でちびちびやりながらそんな妹紅を見つめている。
妹紅は人里離れて山の中に住んだりしていたわけだが、それでもたまに人恋しくなって人里に降りることがあった。
蓬莱人だって外見は普通の人間と変わらないのだから、少し見物に出るぐらいなら問題は無かった。
人里に降りた後は、決まってそれ以上の人恋しさに苦しめられるものなのだが、やはりやめられなかった。
山で行き倒れた旅人から拝借した金銭で、甘いものを食べたり、可愛い服を買ってみたり……。
大半の所持金が食料他、生活必需品に消える中、そうした僅かな娯楽は貴重だった。
しかし時代が移り変わるにつれて妹紅の常識はズレていく、支配者が変われば大きく変わる世の中だった。
ひょんなことから蓬莱人だとバレてしまうこともあって、結局逃げ回らざるを得ず、いつからか完全な山篭りになったのだが。
「あ、そういえば……」
「ん? どうした」
慧音は自分で作った料理が無くなったので、勝手に妹紅の保存食である干し肉をかじりながら不思議そうに首を傾げた。
先ほどから妹紅は考え事ばかりしていて全く相手をしてくれない、特に苛立ちはしないが退屈だった。
慧音にしてみればつまみと酒ばかりが進んで少しもどかしい。
妹紅は街の見物の他にもう一つ好きなことがあった、慧音とも気の合いそうな趣味である。
それが何かと言うと寺院の見物だ。遠目に見ることがほとんどだったが、忍び込んで細かく観察したりもした。
寺院そのものの形なども好きだったが、特にその成り立ちと言うのが面白い。
それは目で見てわかるというものでもなかったが、調べてみると様々な理由があるもので、滅ぶときにも面白い理由があったりする。
永遠を生きる妹紅にしてみれば、そういった有限の命しか持たない人間達の儚さは羨ましくもあり、美しく見えたものだ。
「妹紅? どうした、眠くなったか?」
「いや、あんたのこと見てたら思い出したことが一つあってさぁ」
そんな記憶を思い返しているからって、妹紅は特に感慨に耽っている様子でもない。
逆に口の端を歪めて、何やら笑いを堪えているような様子であった。
自分を不思議そうに見つめる慧音の目を見ようと思うのだが、どうしても直視し辛かった。
前から変だと思っていたあの帽子、どこかで見たことがあると思ったが……。
「慧音の帽子って、銀閣寺っぽいよね……クッ!!」
「銀閣!?」
こうなるともう、慧音の頭に乗っているのが銀閣にしか見えない。
チラッと見ただけで腹の底から笑いがこみ上げてくる、妹紅は服の袖で口元を押さえて必死に笑いを堪えた。
慧音は外の歴史も知っている、もちろん銀閣についても。
その手から杯を落としてしまったが、それすら気にかけず慧音は立ち上がって妹紅を怒鳴りつけた。
「妹紅! それはどういう意味なんだ!? 格好悪いと言うのか!?」
「あ、頭の上に銀閣……ブフッ!!」
「答えろ!! 格好悪いと言うのか!?」
「格好悪いというか……変……クッ!!」
慧音はワナワナと震えている。家に上がっても脱がないほどお気に入りの帽子である。
銀閣が格好良いか格好悪いかはこの際関係ないが、妹紅はその帽子を見て笑っているし「変」とも言った。
真面目に怒っている様子さえ妹紅には面白くて仕方がないらしい。目に涙を浮かべて笑っている。
「お前がそんなに酷い奴だとは思わなかった!!」
「あっ……!? 慧音!?」
慧音は肩を怒らせ、床をドスドスと踏み鳴らして玄関から出て行った。
妹紅は呆気にとられて引き止めることも出来ず、呆然と慧音の背中を見送るだけだった。
薄汚れた自宅の床に仰向けになりながら、妹紅は一つ溜息をつく。
窓から差し込む夕日がまた、妹紅の倦怠感を増長させた。
(あぁ~、言わなきゃ良かったなぁ)
しかしその顔は思い出し笑いを浮かべている。やはりあの帽子が面白い。それは言うなれば妹紅の弱点だった。
(狙ってやってると思ったのに……)
そこのところは確認のしようがない。案外あそこで格好良いと答えていたら、慧音は大喜びで、
「これは外の世界にある寺院『銀閣寺』を模したものでな、銀閣寺とは云々~~」
なんて話題を生き生きと語ったりしていたのかもしれない。
まぁ銀閣と言った直後に酷く驚いていたので、恐らくは違うのだろうけれど。
(こんなこと考えてても仕方ないなぁ……お酒でも持って謝りに行こうか……)
妹紅は輝夜意外に対してはそれなりに温厚であった。慧音と喧嘩をすることがあっても大抵は妹紅が先に折れる。
ただ単に慧音が頑固すぎるからそういう展開になることが多いのかもしれないが。
とにかく行動を起こさなくては何も始まるまい、と思った妹紅は、まだ開けていない新品の一升瓶を手に取った。
なかなか高級な酒だし、きっと慧音もこの誠意を受け取ってくれるのではなかろうか。
家の戸を開けると近くに妖気を感じた。これは慧音の気配だ。
何者か……と言っても慧音以外に考えられないのだが、その何者かがサッと茂みの中に隠れるのが見えた。
「慧音?」
声をかけるも返事は無い。しかし、慧音らしきものが隠れた茂みの方に目をやると、妹紅の全身が凍りついた。
(……金閣になってる……)
頭隠して帽子隠さず。
茂みの中から、金箔で塗り固められてギラギラと輝く三階建ての帽子がニョッキリとはみ出していた。
どうやら慧音が三週間悩みに悩んだ成果は、銀閣から金閣への変更だったらしい。
突然その茂みがガサガサと音を立てて蠢き、葉っぱまみれになった慧音が出てきた。
妹紅は驚きのあまり少し身構えてしまう。
「妹紅……あのときは突然あんなに怒ってすまなかった」
「あ、ああ、こっちこそごめん……」
「結構いろんな奴に言われていたんだ『変』って……」
(あーやっぱり)
「それでも一途にかぶり続けていたんだが……あ、それで替えてみたんだ帽子、今度はどうだ?」
妹紅は言葉に詰まった。下唇を思いっきり噛んで笑いを堪えている。
慧音の努力の方向性が間違っている、銀閣帽子がダメだから金閣帽子にすれば良いというものではないだろうに。
そして、それに気付かずに目を輝かせている慧音の自信たっぷりの態度がまたいけなかった。
面白すぎる、慧音は随分な知識を持っているはずなのに、こういうところが見事に『抜けて』いた。
妹紅は慧音のそんなところも面白くて好きなのだが、どうも帽子のファッションは慧音の聖域らしい。
変にからかってまた怒り出したらたまったものではない。
「ど、どうしたんだ妹紅?」
「はぎギぎギギ……」
「血が出ているぞ!?」
顔を真っ赤にして笑いを堪える妹紅。己の歯で下唇を食いちぎらんばかりである。ダラダラと血が垂れている。
だが笑うわけにはいかない、妹紅はここを堪えるのが真の友情だと思った。
自分は慧音を傷付けてしまったのだ、また同じ過ちを繰り返すわけには行かない。
下唇が痛くて涙が出てきた、握り絞めた拳からも血が滴っている。
「フーッ!! フーッ!!」
「妹紅、何だと言うんだ!? 輝夜の妖術か!? 妹紅!!」
『バカを言うな、輝夜のスペルカードなんかより余程辛い』妹紅はそう思った。
妹紅を苦しめるのは何よりもその慧音の純粋さだった。慧音はファッションの歴史もちゃんと垣間見るべきだ。
いや、服は特におかしなことは無い。なのに何故帽子だけがああも奇抜な形状なのか、謎は深まる。
そういえばと妹紅は、輝夜が肝試しでよこした奴の中にも妙な帽子をかぶったのがいたのを思い出す。
帽子というより、帽子にくっついていた三角巾にグルグルとした螺旋模様が太い線で描かれていたっけ。
だが問題はそこではない、ただ帽子が変なだけならそこまで致命的ではないのだ。
まず問題になるのは、慧音の帽子が銀閣を連想させることだった、これはいけない。
一度そう思ってからはもはや銀閣にしか見えなくなり、そして更に慧音自身の真面目な性格とのミスマッチが強烈。
そしてそれにトドメを刺したのが金閣へのパワーアップである。
『変さ』のみが比べ物にならないほどパワーアップした、妹紅がそうなるまでの経緯を知っているのも辛い。
しかも金箔が貼られているので嫌でも目立つ、嫌でも目を向けざるを得ない。
「フッ!! フッ!! ウブッ……!!」
「妹紅!! 妹紅!!」
無理矢理せき止めていた吐息が徐々にこぼれ出し、口内に溜まった血と共に真っ赤な泡となって漏れる。
バリンッ!
「うわっ!?」
妹紅が慧音と一緒に飲むつもりだった酒……握り締めた妹紅の指が、その瓶を圧殺した。
地面に落ちたそれは高い音を立てて割れ、その芳醇な中身を地球に飲ませる結果になってしまった。
だが妹紅はもちろんそれどころではない。友情を貫かねばならない。
「妹紅!! どうしたというんだ本当に……苦しいなら言ってくれ! どうしたんだ!?」
だが、ここにきて慧音は勘付いた。
妹紅の口の端が時折上向きに釣り上がっては、その直後無理矢理引き締められていることに。
「そ、そうか……この帽子も変だったんだな……」
「……ッ!?」
妹紅が自分のことを思って必死に堪えているのを知ったからか、慧音は怒るでもなく、しゅんと肩を落とす。
目が少し潤んでいるように見えた、やはり帽子は聖域だったか。
(くっ……もう遅いかもしれないけど……一度仕切りなおす他に無い!!)
妹紅は決意した。最後の手段を敢行する決意を。
勝負は一瞬だ、それには一度、口元の筋肉を緩める必要がある。だが今、口の力を抜けば笑いが飛び出してしまう。
なんということか、あの帽子をかぶっていると半泣きの慧音さえ面白くて仕方がないのだ、不謹慎だとはわかっている。
視覚とはかくも残酷なものだったのか。
とにかく笑いが飛び出す前に速攻で決着をつけなければならない。
(輝夜、永琳……こんなときばかりは、私を不老不死にした蓬莱の薬に感謝するよ……)
「アハッ……ブッ!!」
「妹紅!?」
妹紅は舌を噛んで力尽きた。それはまさに一瞬の出来事であった。
「妹紅!! 妹紅ーーっ!!」
笑いそうになっているのを悟られないようにするためだけに、自らの命を絶った妹紅。
慧音はそこまでして自分を傷付けまいとした妹紅を見て涙を流さずにはいられなかった。
慧音の美しい涙の粒が夕日を反射して、キラキラと妹紅の頬を濡らす。
その眩さは頭上にそびえ立つ金閣と同様に……。
妹紅が蘇り意識を取り戻すと、まずシミだらけの天井が見えた。この見慣れたボロ家はもちろん妹紅の自宅である。
どうやら慧音が運んで寝かせてくれたらしい。
「妹紅……」
「あ、慧音……いたの」
妹紅は身を起こし慧音の方を見るが、やはり気まずい。
せめてもの救いは慧音があの帽子を脱いでいるということか、部屋を見回すと金閣はちゃぶ台の上で眩く輝いていた。
せっかく一時凌ぎしたというのに、生き返った直後にまたあれをかぶっていたら辛いものがある。
妹紅はエンドレスで舌を噛み続けなければならなくなっていたかもしれない。
「あ、あー、慧音……」
「妹紅、私は怒っていない……無理をさせてすまなかった」
怒っているのももちろん困るが、こう沈まれては扱いにくいという点において変わり無い。
妹紅は居たたまれない様子で視線をそらし、ぼりぼりと頭をかいた。
「いいじゃん……かっこいいと思うよ、その帽子」
「気休めは良いんだ……」
苦し紛れに言った嘘など通用するはずも無く、やはり慧音は沈み込んだままである。
姿勢良く正座をして、両手を膝の上で揃えて握り、うつむいている。
妹紅は困り果ててしまった、なんとか元気付ける方法は無いものだろうかと思案する。
しかしやはり打開策は見出せなかった、妹紅は眉をしかめ口をつぐんだまま金閣へと手を伸ばす。
「いいじゃん……かっこいいよ、うん」
「だから気休めなんて……」
同じ虚言を繰り返す妹紅を、少しムッとした様子で睨みつけた慧音だったが……妹紅の頭上を見て動きが止まった。
「ほらかっこいいでしょ? あー私もほしいなーこれ」
それは苦肉の策だった。
妹紅がお札を模したリボンを解き、満面の笑みを浮かべて金閣をかぶっている。
だがその目は死んだ魚のように濁っていた。衝撃的な事態に戸惑った慧音はそれに気付いていなかったが。
「この帽子最高だね」
「すまん妹紅、あの……なんというか……」
「ん?」
自棄気味な妹紅をよそに、慧音はまたもうつむき肩を震わせていた。
妹紅はそれを見て感動のあまりに泣いているのかと思ったが、そうでないことはその後の慧音の言葉で明らかになる。
「それ……他人がかぶっているのを見ると……結構厳しいな……ブフッ」
「……でしょ……?」
その後二人は肩を並べ……窓から見える夕日を沈むまで眺め続けた。
ひたすら無言で。
翌日から慧音は帽子を銀閣に戻した。
だからと言って金閣を捨てたりはせず……大切な友人との思い出として、やたら目立つインテリアという形で生かした。
だが、妹紅が遊びに来るたびにその金箔を剥ぎ取って酒に浮かべるため、徐々に地味になっていった。
気付けばよくわからない三階建ての帽子になっていた。当然慧音は二度とそれを身につけることはなかった。
酔った勢いとは言え、友人である慧音にあんなことを言ってしまうとは。
あれ以来慧音には会っていない、やはり機嫌を損ねてしまったんだろうか。
元々それほど頻繁に会うわけでもなく、気が向いたときに酒を酌み交わし、ついでに夕飯を共にする。
その頻度は二~三週間に一回と言った程度で、状況や気分によってはもっと間を空ける事もあった。
あれからおよそ三週間が過ぎた。
普段なら別段気にもかけずに「あぁ、そろそろ飯でもたかりに行こうかな」もしくは「家に呼んで夕飯作ってもらおうかな」
なんて考えるだけで、家から出る気がしなければやはり行かないし、気が向けば行くし……慧音の方から顔を出したりもする。
しかし今回は少々事情が異なる。それゆえ妹紅は気が気ではない。
赴こうにも勇気が湧かないが、ほっといたらこれ以降一生慧音と会うことはないのではないかと、心配になってしまう。
それほどの罪悪感が、妹紅の胸の中にどっしりとのしかかっていた。
およそ三週間前、半月が出ていた頃のことだ。慧音の角は生えていない時期。
慧音は満月が出ていると妙に興奮気味で、酔って勢いが付くと「輝夜に文句を言いに行く」などと騒いだりするので、
妹紅はなるべく満月の時期を避けて慧音と会うようにしていた。
その日は慧音の方から妹紅の家に遊びに来たので、自宅の食材を料理してもらって、それを少し胃に収めた後他愛ない話をしていた。
「幻想郷に来るまでは大変だったよ~ほんとに」
「それはそうだ、衣食住が安定しないのでは大変だろう」
「一応家柄はそれなりに良かったからねえ。初めて野宿したときは、いくら不老不死でも怖かったなぁ」
慧音は妹紅の歴史を知っているので、それほど驚きも無く相槌を打つ。
しかしそれでも、妹紅の口から直接聞くのは少し違った味わいがあるらしく、うっすら笑顔を浮かべて嬉しそうに聞くのだ。
「ん……? そういえば、妹紅が幻想郷に来たのはいつ頃だった?」
「えーっと、いつだったかな」
慧音が物忘れをするというのも珍しい。あまりの知識量の膨大さゆえに目的の記憶を見失ったのだろうか。
それにしても少し考えれば思い出すのだろうが、酔っているのもあってすぐに出てこないらしい。
どんな歴史も知っているからと言って、何から何まで「知ってる」と言われるのも面白味が無い。
そう思った妹紅は顎に手を当て、虚空に視線を泳がせながら少し考えてみた。
「むぅー……何せ人里から離れてたから、時間の感覚もよくわかんなかったんだよなぁ……
ここが幻想郷だってわかったのだって、迷い込んですぐってわけでもなかったし……」
改めて考えてみると、幻想郷の外に居た期間は相当長いのではないだろうか。
妹紅はあの苦しかった日々をしみじみと思い出していた。一方慧音は脇でちびちびやりながらそんな妹紅を見つめている。
妹紅は人里離れて山の中に住んだりしていたわけだが、それでもたまに人恋しくなって人里に降りることがあった。
蓬莱人だって外見は普通の人間と変わらないのだから、少し見物に出るぐらいなら問題は無かった。
人里に降りた後は、決まってそれ以上の人恋しさに苦しめられるものなのだが、やはりやめられなかった。
山で行き倒れた旅人から拝借した金銭で、甘いものを食べたり、可愛い服を買ってみたり……。
大半の所持金が食料他、生活必需品に消える中、そうした僅かな娯楽は貴重だった。
しかし時代が移り変わるにつれて妹紅の常識はズレていく、支配者が変われば大きく変わる世の中だった。
ひょんなことから蓬莱人だとバレてしまうこともあって、結局逃げ回らざるを得ず、いつからか完全な山篭りになったのだが。
「あ、そういえば……」
「ん? どうした」
慧音は自分で作った料理が無くなったので、勝手に妹紅の保存食である干し肉をかじりながら不思議そうに首を傾げた。
先ほどから妹紅は考え事ばかりしていて全く相手をしてくれない、特に苛立ちはしないが退屈だった。
慧音にしてみればつまみと酒ばかりが進んで少しもどかしい。
妹紅は街の見物の他にもう一つ好きなことがあった、慧音とも気の合いそうな趣味である。
それが何かと言うと寺院の見物だ。遠目に見ることがほとんどだったが、忍び込んで細かく観察したりもした。
寺院そのものの形なども好きだったが、特にその成り立ちと言うのが面白い。
それは目で見てわかるというものでもなかったが、調べてみると様々な理由があるもので、滅ぶときにも面白い理由があったりする。
永遠を生きる妹紅にしてみれば、そういった有限の命しか持たない人間達の儚さは羨ましくもあり、美しく見えたものだ。
「妹紅? どうした、眠くなったか?」
「いや、あんたのこと見てたら思い出したことが一つあってさぁ」
そんな記憶を思い返しているからって、妹紅は特に感慨に耽っている様子でもない。
逆に口の端を歪めて、何やら笑いを堪えているような様子であった。
自分を不思議そうに見つめる慧音の目を見ようと思うのだが、どうしても直視し辛かった。
前から変だと思っていたあの帽子、どこかで見たことがあると思ったが……。
「慧音の帽子って、銀閣寺っぽいよね……クッ!!」
「銀閣!?」
こうなるともう、慧音の頭に乗っているのが銀閣にしか見えない。
チラッと見ただけで腹の底から笑いがこみ上げてくる、妹紅は服の袖で口元を押さえて必死に笑いを堪えた。
慧音は外の歴史も知っている、もちろん銀閣についても。
その手から杯を落としてしまったが、それすら気にかけず慧音は立ち上がって妹紅を怒鳴りつけた。
「妹紅! それはどういう意味なんだ!? 格好悪いと言うのか!?」
「あ、頭の上に銀閣……ブフッ!!」
「答えろ!! 格好悪いと言うのか!?」
「格好悪いというか……変……クッ!!」
慧音はワナワナと震えている。家に上がっても脱がないほどお気に入りの帽子である。
銀閣が格好良いか格好悪いかはこの際関係ないが、妹紅はその帽子を見て笑っているし「変」とも言った。
真面目に怒っている様子さえ妹紅には面白くて仕方がないらしい。目に涙を浮かべて笑っている。
「お前がそんなに酷い奴だとは思わなかった!!」
「あっ……!? 慧音!?」
慧音は肩を怒らせ、床をドスドスと踏み鳴らして玄関から出て行った。
妹紅は呆気にとられて引き止めることも出来ず、呆然と慧音の背中を見送るだけだった。
薄汚れた自宅の床に仰向けになりながら、妹紅は一つ溜息をつく。
窓から差し込む夕日がまた、妹紅の倦怠感を増長させた。
(あぁ~、言わなきゃ良かったなぁ)
しかしその顔は思い出し笑いを浮かべている。やはりあの帽子が面白い。それは言うなれば妹紅の弱点だった。
(狙ってやってると思ったのに……)
そこのところは確認のしようがない。案外あそこで格好良いと答えていたら、慧音は大喜びで、
「これは外の世界にある寺院『銀閣寺』を模したものでな、銀閣寺とは云々~~」
なんて話題を生き生きと語ったりしていたのかもしれない。
まぁ銀閣と言った直後に酷く驚いていたので、恐らくは違うのだろうけれど。
(こんなこと考えてても仕方ないなぁ……お酒でも持って謝りに行こうか……)
妹紅は輝夜意外に対してはそれなりに温厚であった。慧音と喧嘩をすることがあっても大抵は妹紅が先に折れる。
ただ単に慧音が頑固すぎるからそういう展開になることが多いのかもしれないが。
とにかく行動を起こさなくては何も始まるまい、と思った妹紅は、まだ開けていない新品の一升瓶を手に取った。
なかなか高級な酒だし、きっと慧音もこの誠意を受け取ってくれるのではなかろうか。
家の戸を開けると近くに妖気を感じた。これは慧音の気配だ。
何者か……と言っても慧音以外に考えられないのだが、その何者かがサッと茂みの中に隠れるのが見えた。
「慧音?」
声をかけるも返事は無い。しかし、慧音らしきものが隠れた茂みの方に目をやると、妹紅の全身が凍りついた。
(……金閣になってる……)
頭隠して帽子隠さず。
茂みの中から、金箔で塗り固められてギラギラと輝く三階建ての帽子がニョッキリとはみ出していた。
どうやら慧音が三週間悩みに悩んだ成果は、銀閣から金閣への変更だったらしい。
突然その茂みがガサガサと音を立てて蠢き、葉っぱまみれになった慧音が出てきた。
妹紅は驚きのあまり少し身構えてしまう。
「妹紅……あのときは突然あんなに怒ってすまなかった」
「あ、ああ、こっちこそごめん……」
「結構いろんな奴に言われていたんだ『変』って……」
(あーやっぱり)
「それでも一途にかぶり続けていたんだが……あ、それで替えてみたんだ帽子、今度はどうだ?」
妹紅は言葉に詰まった。下唇を思いっきり噛んで笑いを堪えている。
慧音の努力の方向性が間違っている、銀閣帽子がダメだから金閣帽子にすれば良いというものではないだろうに。
そして、それに気付かずに目を輝かせている慧音の自信たっぷりの態度がまたいけなかった。
面白すぎる、慧音は随分な知識を持っているはずなのに、こういうところが見事に『抜けて』いた。
妹紅は慧音のそんなところも面白くて好きなのだが、どうも帽子のファッションは慧音の聖域らしい。
変にからかってまた怒り出したらたまったものではない。
「ど、どうしたんだ妹紅?」
「はぎギぎギギ……」
「血が出ているぞ!?」
顔を真っ赤にして笑いを堪える妹紅。己の歯で下唇を食いちぎらんばかりである。ダラダラと血が垂れている。
だが笑うわけにはいかない、妹紅はここを堪えるのが真の友情だと思った。
自分は慧音を傷付けてしまったのだ、また同じ過ちを繰り返すわけには行かない。
下唇が痛くて涙が出てきた、握り絞めた拳からも血が滴っている。
「フーッ!! フーッ!!」
「妹紅、何だと言うんだ!? 輝夜の妖術か!? 妹紅!!」
『バカを言うな、輝夜のスペルカードなんかより余程辛い』妹紅はそう思った。
妹紅を苦しめるのは何よりもその慧音の純粋さだった。慧音はファッションの歴史もちゃんと垣間見るべきだ。
いや、服は特におかしなことは無い。なのに何故帽子だけがああも奇抜な形状なのか、謎は深まる。
そういえばと妹紅は、輝夜が肝試しでよこした奴の中にも妙な帽子をかぶったのがいたのを思い出す。
帽子というより、帽子にくっついていた三角巾にグルグルとした螺旋模様が太い線で描かれていたっけ。
だが問題はそこではない、ただ帽子が変なだけならそこまで致命的ではないのだ。
まず問題になるのは、慧音の帽子が銀閣を連想させることだった、これはいけない。
一度そう思ってからはもはや銀閣にしか見えなくなり、そして更に慧音自身の真面目な性格とのミスマッチが強烈。
そしてそれにトドメを刺したのが金閣へのパワーアップである。
『変さ』のみが比べ物にならないほどパワーアップした、妹紅がそうなるまでの経緯を知っているのも辛い。
しかも金箔が貼られているので嫌でも目立つ、嫌でも目を向けざるを得ない。
「フッ!! フッ!! ウブッ……!!」
「妹紅!! 妹紅!!」
無理矢理せき止めていた吐息が徐々にこぼれ出し、口内に溜まった血と共に真っ赤な泡となって漏れる。
バリンッ!
「うわっ!?」
妹紅が慧音と一緒に飲むつもりだった酒……握り締めた妹紅の指が、その瓶を圧殺した。
地面に落ちたそれは高い音を立てて割れ、その芳醇な中身を地球に飲ませる結果になってしまった。
だが妹紅はもちろんそれどころではない。友情を貫かねばならない。
「妹紅!! どうしたというんだ本当に……苦しいなら言ってくれ! どうしたんだ!?」
だが、ここにきて慧音は勘付いた。
妹紅の口の端が時折上向きに釣り上がっては、その直後無理矢理引き締められていることに。
「そ、そうか……この帽子も変だったんだな……」
「……ッ!?」
妹紅が自分のことを思って必死に堪えているのを知ったからか、慧音は怒るでもなく、しゅんと肩を落とす。
目が少し潤んでいるように見えた、やはり帽子は聖域だったか。
(くっ……もう遅いかもしれないけど……一度仕切りなおす他に無い!!)
妹紅は決意した。最後の手段を敢行する決意を。
勝負は一瞬だ、それには一度、口元の筋肉を緩める必要がある。だが今、口の力を抜けば笑いが飛び出してしまう。
なんということか、あの帽子をかぶっていると半泣きの慧音さえ面白くて仕方がないのだ、不謹慎だとはわかっている。
視覚とはかくも残酷なものだったのか。
とにかく笑いが飛び出す前に速攻で決着をつけなければならない。
(輝夜、永琳……こんなときばかりは、私を不老不死にした蓬莱の薬に感謝するよ……)
「アハッ……ブッ!!」
「妹紅!?」
妹紅は舌を噛んで力尽きた。それはまさに一瞬の出来事であった。
「妹紅!! 妹紅ーーっ!!」
笑いそうになっているのを悟られないようにするためだけに、自らの命を絶った妹紅。
慧音はそこまでして自分を傷付けまいとした妹紅を見て涙を流さずにはいられなかった。
慧音の美しい涙の粒が夕日を反射して、キラキラと妹紅の頬を濡らす。
その眩さは頭上にそびえ立つ金閣と同様に……。
妹紅が蘇り意識を取り戻すと、まずシミだらけの天井が見えた。この見慣れたボロ家はもちろん妹紅の自宅である。
どうやら慧音が運んで寝かせてくれたらしい。
「妹紅……」
「あ、慧音……いたの」
妹紅は身を起こし慧音の方を見るが、やはり気まずい。
せめてもの救いは慧音があの帽子を脱いでいるということか、部屋を見回すと金閣はちゃぶ台の上で眩く輝いていた。
せっかく一時凌ぎしたというのに、生き返った直後にまたあれをかぶっていたら辛いものがある。
妹紅はエンドレスで舌を噛み続けなければならなくなっていたかもしれない。
「あ、あー、慧音……」
「妹紅、私は怒っていない……無理をさせてすまなかった」
怒っているのももちろん困るが、こう沈まれては扱いにくいという点において変わり無い。
妹紅は居たたまれない様子で視線をそらし、ぼりぼりと頭をかいた。
「いいじゃん……かっこいいと思うよ、その帽子」
「気休めは良いんだ……」
苦し紛れに言った嘘など通用するはずも無く、やはり慧音は沈み込んだままである。
姿勢良く正座をして、両手を膝の上で揃えて握り、うつむいている。
妹紅は困り果ててしまった、なんとか元気付ける方法は無いものだろうかと思案する。
しかしやはり打開策は見出せなかった、妹紅は眉をしかめ口をつぐんだまま金閣へと手を伸ばす。
「いいじゃん……かっこいいよ、うん」
「だから気休めなんて……」
同じ虚言を繰り返す妹紅を、少しムッとした様子で睨みつけた慧音だったが……妹紅の頭上を見て動きが止まった。
「ほらかっこいいでしょ? あー私もほしいなーこれ」
それは苦肉の策だった。
妹紅がお札を模したリボンを解き、満面の笑みを浮かべて金閣をかぶっている。
だがその目は死んだ魚のように濁っていた。衝撃的な事態に戸惑った慧音はそれに気付いていなかったが。
「この帽子最高だね」
「すまん妹紅、あの……なんというか……」
「ん?」
自棄気味な妹紅をよそに、慧音はまたもうつむき肩を震わせていた。
妹紅はそれを見て感動のあまりに泣いているのかと思ったが、そうでないことはその後の慧音の言葉で明らかになる。
「それ……他人がかぶっているのを見ると……結構厳しいな……ブフッ」
「……でしょ……?」
その後二人は肩を並べ……窓から見える夕日を沈むまで眺め続けた。
ひたすら無言で。
翌日から慧音は帽子を銀閣に戻した。
だからと言って金閣を捨てたりはせず……大切な友人との思い出として、やたら目立つインテリアという形で生かした。
だが、妹紅が遊びに来るたびにその金箔を剥ぎ取って酒に浮かべるため、徐々に地味になっていった。
気付けばよくわからない三階建ての帽子になっていた。当然慧音は二度とそれを身につけることはなかった。
永夜抄に確認に行ったら、爆笑している間に墜とされました。
マジ笑いましたw
妹紅おもしろすぎ
そうくるんですか!?
笑いすぎてお腹が痛いですよ
…………ブフッ
もこの文字通り決死の覚悟は見事としか……金閣寺…ブフッ!
やばかったw
>(……金閣になってる……)
飲んでたビシソワーズ噴いたw
大・爆・笑!!
止めに金閣寺・・・
発想好し!!
ブフゥー!!!
声を上げて笑えました。とても気分が良いです。ありがとうございましたw
ダメだ、想像しただけで破壊力が強すぎるw
>輝夜が肝試しでよこした奴の中にも妙な帽子をかぶったのがいたのを思い出す。
レミリアも充分妙だった感は否めないですね