夏の終わりの夜は、まだまだ暑い残暑とは打って変わって、空気はひどく冷たくて。
移り行く季節の残り香は舞う風の中にほのかに香る。
縁側で一人、藍は酒を食んでいた。片足を折り曲げて縁側に乗せ、もう片方の足はゆったりと
庭に伸びて。
整ったその顔は、形のいいあごがつんと正面を向いて、空を見上げていた。
穏やかな月明かりは綺麗なその髪と、毛並みの良い立派な九尾を照らし、反射して煌いていた。
「こんなところで一人で飲んでるなんて、ずるいわ。私をのけ者にするなんて」
少しすねた調子で、その空間へと入っていく影。
藍と同じ金色の髪の毛は波打つウェーブヘアー、一歩歩くたびにふわりとゆれる。藍の主人、
紫の艶やかな髪。
「たまにいろいろと放ってしまいたいこともあるんですよ」
「そんなことしたら我が家はめちゃくちゃになってしまうわよ。何より、貴女は主人を
ほったらかすような悪い子だったのね?」
「大事だからいじわるしたくなるんですよ」
いつになく強気な藍は、ツンとそっぽを向いた紫におどけて微笑む。
まるで貴公子のようなその微笑に、紫は少女のようにはにかんでみせる。
「今宵は貴女のためだけに、ともに同じ瞬間(とき)をすごしましょう。それで許して
いただけますか、紫様」
「何でも言うことを聞いてくれたら、許してあげる」
お返しとばかりにいたずらっぽい笑みを浮かべて言う紫だけれど、藍はといえば、優雅な笑みを
微塵も崩すことなくその口を開く。
「ははは、何なりと。この身になしえぬことなど、貴女のためならばありません」
酒の所以か、普段まるで出てこないような言葉がすらすらと出てくる。思わず、聞いていた
紫も目を丸くして、きょとんとしてしまうような。
「貴女、少し酔ってるわね。お酒と、多分自分にも」
「どんな美酒も貴女に比べれば酔いしれることなどできません」
「……いいわ、私にもお酒頂戴」
崩れることのない気障な態度にため息をついて、懐からお猪口を取り出して差し出す。
傾けられた徳利から零れ出る酒は、月の雫のようでもある。
両の手をそっと添えて、紫はくいっ、と口の中に注ぎ込む。こくっ、とかわいらしい音とともに、
そののどを潤していく。
そして零れ落ちるのは、ほぅ、という濡れた吐息。
「良い飲みっぷりです。さ、もう一杯いかがですか?」
「今日は随分と勧めてくれるのね」
「ははは、それはもう」
お猪口を片手に、藍は一度紫から顔を背けて月を見上げる。
くいっ、と酒を口に含んでから、もう一度紫へと顔を向ける。
その顔に浮かんでいたのは。
妖艶な、とも言うべき笑み。
それでいて真摯な、真っ直ぐな想いを向けていて。
「酒は女を綺麗にしてくれる、って言うでしょう?」
「――え?」
一瞬、そんな言葉に心を奪われてしまったのは、月明かりが彩る藍の姿が、凛々しくて綺麗で、
幻想的な姿に見えたからだろうか。
だから、次に瞬間に藍の姿がすぐ目の前にあった。それに気付かないほど、呆けてしまうほどに。
そして、紫の目が大きく見開かれる。
交わされる強引な口付け。
ん、とくぐもった声は苦しげなようで、しかし快楽を感じていて。
むさぼるように紫の咥内をえぐりまわす藍の舌は、その奥まで余すことなく侵す。否、犯す。
くちゅり……と卑猥な水音を立てる様は、触手がのたうち回るかのように。
反射的に抵抗してしまう紫だけれど、背に回された手に優しくなでられて、だんだんとその
体から力は抜けていって。
絡み合う舌。接合部から零れ落ちる雫。
セックスにも似たキスは一瞬の中の永遠のようで。
だけれど始まりがあって終わらないものはないから。
移り行く季節の名残を惜しむように、見詰め合って二人は離れる。
「酒に濡れた貴女も、綺麗だ」
「――――ぁ」
ささやかれる甘い言葉に、紫はぽぅっと魅入ってしまって。
口移しされた酒が、口元からだらしなく零れ落ちて、月影に輝く。
ふぅ、と大きく息を吸い込んで、ため息をつく。この風のように優しい流れに流されまいと
しながら。
それでも艶やかな髪は、ふわりと揺れる。
「今日は、もう、飲めそうにない、わ」
「そうですか。それではお休みになります?」
「そうするわ――あっ」
立ち上がろうとして、その体がふらついてしまう。
倒れかけたところを、さっと藍が支える。
「お部屋までお送りしますよ、紫様」
「お願……ひゃっ!?」
藍の体に身をゆだねた紫は、突拍子もなく大きな声を上げた。
その体が、藍の両腕の中に納まっていたから。右の腕に肩を抱かれ、左の腕に太ももを抱かれ。
「たまには、いいでしょう?」
「…………」
藍の言葉に紫はうつむいてしまう。
顔に影が差して、その口が開く。ぽそぽそとしゃべる声は、藍の耳にも聞こえなかったけれど。
『うん』と言ったのだと、藍はそう思うことにした。
・
・
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「暖かくしてお休みください。季節の変わり目、風邪など召したら大変ですから」
「そうするわ……」
手際よく寝床を準備して、紫の体を寝かしつける。
最後に掛け布団をかけようとしたところで、藍の手に紫の手が添えられる。
「――――紫様?」
「藍」
薄暗い部屋の中でも、藍の金色の目ははっきりと捉えていた。
濡れた瞳は潤み、真っ直ぐに藍のことを見つめている。
気付けば衣服は乱れ、はだけて綺麗な鎖骨が見え、豊かにふくらんだの胸元を覗かせていた。
「暑いわ……」
か細くささやかれる言葉は甘く濡れていて。
引き寄せられていくかのように顔を近づけていく藍。
もう、あと少しで触れ合う。そこで一度止まって見つめ合う二人。
紫はそっと目を閉じる。そのまぶたは、ほのかに震えていた。
ゆっくりと、ゆっくりと、藍はその顔を近づけていって、近づけていって――――
ちゅっ…………
口付けの音は一瞬。すぐに離れたそのぬくもりに、紫は閉じた目を開く。
藍は困った笑顔をしながら、見守るようにして紫のことを見つめていた。
「それではお休みなさいませ、紫様」
すっと衣擦れの音とともに立ち上がり、藍は部屋を辞する。
甘い雰囲気の残り香は、移り変わる季節のそれと似ていた。
後に残された紫は、しんと静まり返った部屋の天井を見上げて、ぽつりと言った。
「おでこにキス、か――――」
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・
・
「ダメだな、どうにも……」
再び縁側で、藍は一人酒を食んでいた。
自嘲する様に笑いながら、ぐっとお猪口の酒を飲み干した。
「どうにも……誘われて、仕組まれて……式の中から抜け出していないような気がしてならない。
まあ、私は式だから当然なのかもしれないが……」
徳利を傾けて、なみなみと酒を注ぐ。
口元まで近づけて、とめた。
「貴女の式を乗り越えて……貴女の心の結界を破って。私は私として、貴女を愛してみせる。
この長い長い生を、連綿と続く永遠の時の流れを、ともに歩んでいくと決めた貴女のことを……」
爽やかな風が吹き抜けて、熱く焼けどした藍をなでていく。
穏やかな月の光を酒に注いで、藍はぐっと一気に飲み干した――――。
おしまい。
だがそれがいい
銀
エ
な
ははは、こやつめ!
こっちまでドキドキしてきたぞい!!