永遠とは刻の流れの中にありながら、その流れと共に流れない存在。
そこに時は流れず、ただ存在するのみ。
それが永遠。
☆
幻想郷に今年も秋がやってきた。
このままだと溶けてしまうのではないかと思えるほどの暑さもなりを潜め始め、
あれだけ煩く鳴いていた蝉の声もだいぶ聞こえなくなってきた。
稲穂は風に揺れその金色を波のように揺らす。
いずれは収穫の時期がやってきて、人々はその恵みに感謝することだろう。
もちろん秋の恵みがもたらされるのは人の郷だけではない。
森の中には木の実や茸が実り、森に住む動物達の命の糧となる。
そんな秋の幻想郷で起こった、ちょっぴり季節外れな物語。
☆
「永琳様、朝餉の支度が調いましたよ」
「ありがとう、すぐに行くわ。姫様にも伝えた?」
「はい。他の子が呼びに行ってます」
いつも通りの朝がやってきた。
いつも通りの朝日、いつも通りの香り、いつも通りの景色。
ここはいつになっても変わらない。
幾年月が流れたかなど最早今となっては定かではないが、
ここから見える景色は殆ど変わらず自分の前に広がっている。
「永琳様?」
立ち止まって外を眺める永琳に、少し後ろを付いてきている兎の子が控えめに声を掛けた。
永琳はすぐに我に返り、心配させまいと微笑みを返しながら答える。
「ごめん、ちょっとぼーっとしていたわ。徹夜明けはやっぱりダメね」
「大丈夫ですか? なんでしたらお部屋にお食事をお持ちしますけど」
「あら、私はそんなにヤワじゃないわよ」
少し冗談ぽく片目を閉じながら笑うと、兎の子もホッとした様子で笑顔を浮かべた。
うん、良い子だ。
地上の兎を住まわせるようになってから屋敷の中は変わった。
新しい子がやってきたり、ここで生を終える子もいる。
変わることなく生き続けるのは自分と輝夜だけ。
時々忘れそうになるが、死と向き合えばすぐに思い出す。
けして忘れることを許されない永遠の命。
周りは絶えず流れ変わり続けていく中、蓬莱人はそれを許されない。
歳月を忘れても、この宿命だけは忘れずに自分は生き続けている。
そして今日も永遠を生き続け――――
「きゃああああああっ!?」
☆
蓬莱山輝夜は、ずっとそうしてきたように一日を自室で過ごしていた。
食事はイナバが運んできてくれるし、ここには退屈を紛らわす物もたくさんある。
時々は永遠の好敵手との死闘を楽しんでいるので運動不足でもないから、
屋敷にいるときは動く必要がない。
(さて、今日は何をして過ごそうか……)
思いながら輝夜は近くの書物に手を伸ばす。
この部屋にあるのはもう何度読み直したか分からないものばかり。
それでも読んでいれば自然と時間はつぶれていく。
何度も読んだ冒頭文はすっ飛ばして、適当に開いたページから読んでいく。
しかしその手はすぐに止まり、パタンと表紙の閉じる音が後に続いた。
側面は手垢で汚れ、一部分だけが黄色く変色している。
光による侵蝕ではなく、何度もそれを手に取り読んだ事による傷みである。
蓬莱人である自分にとって時間なんてただ過ぎ去っていくものでしかない。
暇だ、なんて言ってもしょうがない。言ってしまえば暇しかないのだか――
「暇だわ」
言ってもしょうがないが、言わずにはいられない。
振り向けば平積みされた本の束。
知恵の輪、ルービックキューブなど使い古された玩具。
少なくとも高貴な姫の自室とはかけ離れた印象を受ける。
もうずっとこんな暮らしを続けていれば、自分が姫であることすら忘れがちになる。
というか月との関係を断ち切った時点で、もはや姫という肩書きは無いに等しい。
従者の永琳がそう呼んでくれる、要するに呼称の一つに成り下がってしまっているのだ。
ともあれ、この部屋を見ただけで自身のステータスが落ちているのが目に見えてわかってしまうのはいただけない。
「そろそろイナバ達に片付けてもらおうかしら」
ガサガサ。
自分以外には誰もいない部屋。
屋敷の周囲は静謐な竹林が囲んでいるため、喧騒などまっく無縁の世界。
だから自身が黙るだけで部屋はあっという間に静寂に包まれる。
先程の音は自身の声と重なって聞こえた。
空耳である可能性も高い。
だから輝夜は確認のために、口を紡ぎ目を閉じて耳を澄ませた。
これでしばらくして何も聞こえなければ気のせいだったと安堵できる。
断じて怖いわけではない。
もし侵入者を許していたのなら、イナバ達にお仕置きをする必要があるからだ。
(そうよ……永遠と須臾を操るこの私が、たかだか物音程度で動じるなんてこと)
ガサガサガサ……。
やはり音はしていた。
どうやら本の束の辺りに何かいるらしい。
見てはいけないと本能が警鐘を鳴らす。
しかし反面、怖い物見たさで見ようとする好奇心が鎌首をもたげる。
(違う違うっ。私は怖くなんてないんだから、単なる好奇心よっ)
輝夜はぶんぶんと頭を振って勝手に結論づける。
結局勝ったのは本能ではなく、好奇心であった。
しかし輝夜は後にこの安易な判断を後悔することとなる。
先人曰く「好奇心猫を殺す」と。
ゆっくりと本をどかし、そこに隠れているであろう“何か”の正体を見ようとする。
否が応でも緊張が高まっていく。
ごくりと唾を飲み込んだのと、“それ”が飛び出してきたのは同時だった。
6本の足を高速で動かし、畳の上を疾走する小さな影。
小さいと言っても、その漆黒の体躯は目立つ。
頭部から生えた長い2本の触覚を蠢かし、止まったり動いたりを繰り返している。
「――っぁ、ぅ」
口をぱくぱくとさせるが、そこから発せられるのは声にならない声。
その姿を見た瞬間に硬直した輝夜の体。
この様子だと精神の方も硬直してしまっていそうだ。
しかし悪夢はこれで終わらない。
ガサガサガサガサガサガサガサ…………
途端聞こえ始めた多くの音。
ギ、ギギ、とかなりぎこちない動作で首を動かす輝夜。
その視線の先、崩れた本の山のあちこちから触覚の蠢きがかいま見える。
もはや数える余裕などあろうはずがない。
いやいやと首をふる輝夜。
ぺたんと尻餅をつき、後退りに出口へと移動する。
だが思うように体が動かず、その間にも触覚の主達は光の下にその姿を現そうとしていた。
そして――――
そいつ等は、現れた。
☆
その悲鳴を聞いた瞬間に永琳の足は、輝夜の部屋へと赴いていた。
あの姫が悲鳴を上げるなど、よほどのことがあったに違いない。
何百年何千年と生きてきて、今更ながらに恐れるものなどあるとは思いにくいが。
「姫、姫!」
襖を叩くが中からは何も反応がない。
気絶しているのか、外へ移動したのか。どちらにしてもまずは確認が先だ。
「入りますよ」
一言断りを入れてから、襖の取っ手に指をかける。
もしかするとまた部屋の中に姫を恐怖に陥れた“何か”がいるかもしれない。
一呼吸置いた後、永琳は一気に襖を開け放った。
「姫っ」
開けてすぐに室内を見回す永琳。
確認できたのは何者かが暴れ回った跡だけ。
それ以外には何もない。輝夜の姿も、その何者かの姿もだ。
(いや、誰もいないわけじゃない……部屋中に気配を感じる)
シンと静まりかえった部屋だからこそ、余計に感覚は敏感に研ぎ澄まされる。
目には見えなくても、耳が微かな音をも捉えていた。
それを捉えて永琳はあることを思い出す。
その刹那永琳の足下を黒い“それ”が走り抜けた。
「きゃ」
小さく悲鳴を漏らすが輝夜ほど取り乱すことはしない。
足下を駆け抜けたそれを見て、推測は確信へと変わった。
同時に対処を怠ってしまっていた事に後悔の念を抱き歯がみする。
しかしそこで悔やんでいても仕方がない。
このままでは輝夜が戻ってきても部屋には入れられないだろう。
まずはそこをどうにかしなければ。輝夜を探すのはその後でも大丈夫だ。
そこへ永琳と同じく輝夜の声を聞きつけた鈴仙達がやってきた。
「師匠、何があったんですか!」
「奴が出たのよ」
「奴って……あの奴ですか?」
鈴仙の喉が小さく上下する。
彼女もあまり平気ではないのだろう。
「油断していたわ。夏の間は何もなかったから」
いや奴らにとって季節はあまり関係ない。
ただ夏場は奴らに適した環境らしく、発生しやすいというだけだ。
「でもよもや姫の部屋に現れるとはね」
「姫の部屋だから出たんじゃないですか?」
てゐが事も無げに告げる。
確かに輝夜の部屋は、片付けてもすぐに物で一杯になるし食べ物もある。
その上日がな一日部屋で過ごすのが大半だから、掃除も簡単に済ませざるをえない。
そのような環境下では奴らが発生しても何らおかしくないのだ。
しかしそれを認めてしまってはその下で仕える自分たちの立場がない。
永琳はこほんと一つ咳払いをすると、何も聞かなかったように話を切り出した。
「ひとまず私達は姫が帰ってくるまでにこの部屋から奴らを駆逐しないといけないわ」
「「「はいっ」」」
「みんな良いわね。こういうのは手際が肝心よ。そして何ものにも恐れることのない勇気を持ちなさい」
「「「うさっ」」」
「てゐ。あなたが先頭に立ってみんなの指揮を取るのよ。鈴仙は私の手伝いをしてちょうだい」
「はいっ……って、えぇっ!?」
「わかりました」
でも、と永琳はくるりと振り向く。
「その前に朝ご飯にしましょ」
☆
部屋を飛び出した輝夜はあてもなく空を飛んでいた。
今戻っても奴らが残っているなら入りたくはない。
「まったく……なんでどこにでも現れるのよ」
奴らはずっと昔から自分を脅かし続けてきた存在だ。
地上で暮らし始めてから奴らとは出会ったが、それ以来ずっと嫌いなまま。
「あーぁ。勢い余って飛び出してきたのは良いけどこれからどうしようかしら」
戻るに戻れないが、同時に何処に行くわけでもない。
暇つぶしはいつもしていることだが、それは自室でのもの――つまりインドア。
アウトドアでの暇つぶしについては素人なのだ。
誰かの家に転がり込むという手もあるが、これまで外部との接触を
極力断ってきた輝夜には遊びに行ける間柄の友達はいない。
いや、一カ所だけ思い当たる場所がある。
「こういう時の為の神社よね」
神社は暇つぶしの為にあるわけではないのだが、そう思われても仕方ないかもしれない。
そもそもの役割もよく理解されてないし、巫女自身理解しているかどうかも怪しい。
集まるのは暇を持て余している人間や妖怪ばかり。
そして今ここには暇を持て余している自分がいる。
行くあてもないからしょうがない。行ってみるとしようか。
「あら?」
いざ神社へ向かわんとしていた輝夜だったが、その目に偶然あるものが映った。
☆
「姫もアレだけは嫌いなんですね」
「そうね。まあ好きって人もいないでしょうけど」
朝食を終えた永遠亭のメンバーは各々の仕事を始めていた。
てゐも永琳の命とあっては逆らうことなどできず、しぶしぶながらも他の兎たちの先頭で指揮をしている。
どうせ上手いこと皆をやり込めて自分の手は汚さないようにするだろうが。
そして永琳と鈴仙の二人は永琳の研究室にいた。
「それで師匠、私は何をすれば良いんですか? というか何を作るんです?」
ガチャガチャと試験管やらビーカーやらを用意している永琳に尋ねる鈴仙。
研究室に呼ばれたということは、今から何かの調合をするのだろう。
「防虫剤」
「……普通のですか?」
「何でそんな変なことを聞くのよ」
変なことを聞いているのは鈴仙自身も分かっているつもりだ。
防虫剤に普通も何もないだろう。
しかしそれを作るのが永琳というだけで、どこか普通でないのではないかという予感がしてしまうのも確かである。
「べ、別になんでもないですよ」
「その引きつった笑い方が白々しいんだけど」
「そんなことないですって」
「まぁいいわ。さっさとしないと姫が帰ってきてしまうから」
「は、はいっ。手伝いますぅっ」
☆
「みんな、頑張ったね」
森の中、しゃがみ込んでいる小さな背中。
哀しそうなそれでいて慈愛に満ちた声で呟いているのは妖蟲のリグルだ。
彼女は木の根元に小さな穴を掘っている。
適度な深さになったところで手を止めると、そこにあるものを入れ今度は埋め始めた。
埋め終わると次はなにやらそっと拾い上げ、そしてまた穴を掘り始める。
「何をしているの?」
「ひえぇっ」
「ひぁっ」
突然声を掛けられたリグルは飛び上がって驚いた。
その反応があまりにも大袈裟だったので、話しかけた輝夜も思わず吃驚してしまう。
「もぅ、いきなり話しかけないでよ」
「それにしても驚きすぎだわ」
「いや、だからいきなり話しかけないでって言ってるんだけど」
「あら、あくまでも私が悪いって言い張るの?」
「悪いというか……別にそこまでは言ってないけど」
なんだか妙な人間と出会ってしまったとリグルは溜息をついた。
人間のくせに凄く偉そうに話すし妖怪である自分を恐がりもしない。
それに人間というには妙な感じがする。巫女や魔法使いとはまた違う感じだ。
「ねぇ、あんた人間だよね?」
「そうよ。蓬莱山輝夜というの。あなたの名前は?」
「リグル・ナイトバグ」
別に名前までは聞いていなかったのだが、聞かれたなら答えておこうと返答する。
なんだかあっち側に主導権が握られている感じがして、リグルは微妙な感じだった。
変な感じがするにしても相手は人間なのだ。
「それでリグルは何をしていたの。穴を掘っていたみたいだけど」
「この子達をね……」
言いながらリグルはそっと手の中にあるものを輝夜に見せた。
しかしそれをのぞき込んだ瞬間に、輝夜はずざざざと後ずさる。
「どうしたのよ」
「どうしたのって……いったい何なのよ、それは」
「蝉の亡骸だけど」
リグルが大事そうに持っていたのは、夏の間鳴き続けていた蝉の死骸だった。
役目を終えた蝉達は命を落とし、一匹また一匹と地に落ちていく。
リグルはその一つ一つを埋葬していたのだ。
「そんなに驚くものかなぁ」
この季節は至る所に彼等の亡骸が横たわっている。
森の中を歩けばすぐに目に付くことだろう。
「そうじゃなくて。今一番見たくないのが虫なのよ」
虫を見るとどうしても自分を屋敷から追い出した奴らのことを思い出してしまうのだ。
あの姿は一度目に焼き付くとしばらくは忘れられない。
忘れようとしても、このようにすぐに思い出されてしまうのだ。
「はぁ、どの虫も蛍みたいに風流なら良いのに」
ぽつりと呟かれた一言。
しかしリグルはそこに敏感に反応した。
「蛍みたいに、か」
「何よ。なんか含みのある言い方ね」
「ううん別に。ねぇ、蛍の何処が風流なの?」
そうね、と輝夜は夏を思い返す。
水場に集まる小さな光の群れ。闇夜に浮かぶ緑黄色の粒子。
「やっぱりなんと言ってもあの儚い光かしら」
「そっか……」
「何よさっきから。蛍が風流だといけないの?」
ふるふるとリグルは首を横に振る。
そういうことではない、ということらしい。
「輝夜は蛍を見たことがある?」
「いや、見たことがあるからそう言ってるのに」
「じゃあ……」
リグルはついと指を動かす。
天へと向かって人差し指を伸ばしてじっと動かない。
何をしているのかと輝夜が尋ねようとしたとき、その指に一匹の小さな虫が留まった。
その黒い体躯。
輝夜の脳裏に否が応でも奴らの姿が思い浮かぶ。
「ちょっ、いきなり何をするのよっ」
輝夜はハッと顔を上げる。
意識しないうちに、その虫をたたき落とそうとしていたらしい。
間一髪リグルが避けて悲惨な事態は免れた。
「あ、えと……」
「そりゃあ人間にとっては虫は弱い存在かもしれないけど」
それでも生きているのよ、と一段と強くリグルは言った。
自分よりも遙かに力はないはずのリグル相手に、輝夜は何も言い返せない。
それまでの会話は輝夜に主導権があったのだが、その一言で立場は逆転してしまったらしい。
「もう一度見せるけど、今度はいきなり殺そうとしないでよ」
「え、ええ」
リグルは再び同じ動作で、先程と同じ虫を呼ぶ。
輝夜は意を決してその指先を見た。
「これはなんて言う虫なの?」
「これが蛍よ。ゲンジボタルっていう種類」
「それが蛍なの?」
イメージしていたものとはまったく異なる姿をしている蛍に輝夜は目を丸くする。
あの虫と見間違えるような姿をしているなどと考えたこともない。
「やっぱり近くで見たことがなかったんだね」
指を微かに動かすと、蛍はリグルの指から離れていった。
「多分もうすぐあの子は死ぬわ」
その後ろ姿を見つめながらリグルは突然呟いた。
「そうなの?」
輝夜の目ではよくわからなかったが、妖蟲であるリグルにははっきりとわかるようだ。
ゲンジボタルは夏の蛍。
成虫は6月から7月にかけて、繁殖のために活動する。
そしてその寿命は一週間前後が良いところだ。
つまり9月も半ばに入ったこの時期に、生き残っている方が稀少なのである。
「そんなに短い命だったのね」
「蝉も同じよ」
リグルは片手に持っていた蝉の亡骸を、先程掘っていた穴へと埋めた。
丁寧な手つきで埋葬し終わると再び輝夜の方へと向き直る。
「蝉も蛍も、大人になってからは長く生きられない。代わりに自由は得られる」
けど、とリグルはまた蝉の亡骸を拾い上げる。
「命を繋ぐためにその自由を使っているの」
「命を繋ぐ……」
「人間に比べれば蟲の一生なんて短いもの。でも短いからこそ、その一生にしがみついてる」
蝉は鳴き続け、蛍は光る。
その声はその光は、まぎれもなく彼等が生きていることの証。
(人間に比べれば……か)
永遠の命を持った自分にとってはその人間の一生すら短く感じられる。
ましてや蟲の一生など須臾にも満たないかもしれない。
「ねぇ、あなたはずっとそうやって埋葬し続けるの?」
「そんなの無理よ」
当然だ。
幻想郷中の蟲を埋葬し続けていたら、いくら時間があっても終わることはない。
死があれば生があり、そして死はまた巡ってくる。
この作業に終わりが来るとき、それはその種が滅びるときしかないのだ。
「でも目に付いてしまったら放っておけないから」
そう言ってリグルはまた穴を掘る。
それを輝夜はただじっと眺めていた。
生と死からは離反した存在である自分には縁のないこと。
死を弔うことも生を喜ぶことも最早無縁。
だがリグルのその姿を見ていて感じるこの疼きは何だというのか。
☆
「はぁ、はぁっ……駆除完了しましたぁ」
「ご苦労様。こっちももうすぐ調合完了よ」
永遠亭ではようやく収拾の目処が立つまでに済んでいた。
輝夜の部屋を占拠していた奴らもなんとか駆除しきったらしい。
息も絶え絶えといった様子のてゐだが、きっと演技だなと鈴仙は見ていた。
しかしそれを言ったところでどうにもならないことは分かっているため、
永琳に陰口するような真似はしない。
てゐがサボっていようと、仕事がきちんと済んでいれば問題ないのだから。
「それにしても殺虫剤は禁止だなんてどうしてですかぁ」
てゐ達に任せる際、永琳は決して殺虫剤は使ってはいけないと念押していた。
あれの有る無しでは効率が全然異なってくる。
無論ある方が効率が良いに決まっている。
「姫の部屋を薬だらけにするつもり?」
「うぅ……それは」
「それにね。殺虫剤を使えば奴らはさらに強くなって戻ってくるわ」
防虫剤は使っても、殺虫剤は使えないのだと永琳は言う。
その意味がよく分からず、てゐと鈴仙は互いの顔を見合わせて首を捻った。
☆
「死ぬ事ってやっぱり怖いものなのかしら」
「いきなり何さ」
「なんとなく聞いてみただけよ。それであなたの答えは?」
リグルと輝夜は並んでしゃがみ、揃って穴を掘っていた。
気になってしょうがなく、いつの間にか手伝っていたのだ。
その時ふとそんなことが脳裏をよぎり、輝夜はそれを尋ねた。
「わかんないよ。死んだことなんてないし」
それもそうだ。
しかし輝夜が聞きたいのはそう言うことではない。
「あなたって蟲の妖怪よね。仲間は死ぬことに対してどう思っているのかわかるの?」
「死ぬことについて何か考えてるとは思わないわ」
「そうなの?」
「生きてるだけで精一杯だしね。死ぬことについて思うところがあるのって
生きてる時に余裕がある奴らだけなんじゃない?」
「そういうものなのかしら」
「さぁ?」
リグルも適当に話しただけらしく深い意味はないようだ。
そう言えば今の話をしていて思い出したんだけど、とリグルは穴を掘りながら話し始めた。
「生きることにしぶといって言ったらあの子達に敵う蟲はいないわね」
そんな蟲がいるのかと輝夜は興味本位で尋ねてみた。
「へぇ、どんな虫?」
「体は平たくって、頭から長い触覚が生えてるの」
「うんうん」
「茶色とか黒い色で、走るのがとっても早い。あと下手だけど飛ぶわよ」
「うん、うーん?」
「なんでも食べて、餌のあるところならどこにで住み着いて一気に仲間を増やす」
「…………」
「特に人間の家、中でも不衛生な環境だとすぐに住処にしてしまうわね」
「ねぇその蟲って、もしかして」
「うん、○○○○(自主規制)だけど?」
森中に輝夜の絶叫が木霊したのは言うまでもない。
「落ち着いた?」
リグルが露を集めて持ってきてくれた。
なんだか頭がぼやぼやしていながらも、輝夜はそれを一気に飲み干すと大きく息を吐き出した。
その名前を聞いただけであの悪夢がとてもリアルに思い出されてしまったのだ。
「人間はあの子達を嫌ってる奴らが多いけど、あんたもその一人だったんだね」
「そうよ、悪い?」
「いや悪くはないけど。なんで嫌いなの?」
同じ蟲族であるリグルからすれば別に他の蟲と何ら変わらぬ存在なのだろう。
別に他の蟲を取って食うような肉食蟲でもないのだし。
輝夜のようにそこまで毛嫌いする方が理解しがたいのは当然だろう。
「なんでって、あの見た目も動きも性質も……何もかもが大っ嫌いよ!」
「ふうん。まぁ蟲の中にはあの子達を『しぶとい』とか『いやしんぼ』とかいう子もいるけどね」
でもそれがあの子達の特徴というか武器なのよ、とリグルは言う。
だがそんなことは輝夜にとっては関係のないことだ。
なんであんな蟲が存在しているのか、そもそものそこにまで憤慨してしまうほどの嫌いっぷり。
「そういえばさっき敵う蟲はいないとかなんとか言ってたけど、そんなに……
その、アレは強いというの?」
「強いというか。まあ強いとは思うよ。力が強いとか言うわけじゃなくて」
あの姿をずっとずっと大昔から残し続けているくらいだから。
☆
「いい? あの蟲は薬で殺し続けていくうちにその薬に対して耐性を持つようになるの」
フラスコの中身をバーナーで沸騰させながら、永琳は説明をしていた。
勿論その中身はずっと話題に上っている奴らについてである。
「耐性ですか」
鈴仙はすでに使い終わった器具を洗浄しながら相づちを打っている。
あまり聞きたくはない話なのだが、永琳の手伝いとしてここにいる以上どうしようもない。
「他の蟲よりも環境適応能力が高いんでしょうね」
「……そうでなきゃどこにでも湧いたりはしませんよねぇ」
はぁ、と溜息をつく鈴仙。
彼女も奴らに対してはあまり良い思い出を持っていないのだ。
どんな思い出かなのは個々の経験と照らし合わせて想像して欲しい。
鈴仙本人は思い出すことを頑なに拒んでいる。
そんな鈴仙の気を知ってか知らずか、永琳は談義を続けていく。
「面白いのはあの姿をずっと変えずにいるという点ね」
「ずっと……」
「どれだけ時が経っても、姿形は変わっていない。変わることがない」
「それって……」
鈴仙はそこまで言って口を噤んだ。
永琳の言わんとしていることに気がついたからだ。
だがどうしてそんなことを言うのだろう。
あまりいい話ではないではないか。
というか自分がその立場だったら、絶対に考えたくない想像である。
だが永琳は極自然にその想像を口にした。
「まるで蓬莱人みたいよね」
☆
リグルからその蟲たちのことを聞いた輝夜も、また同じ事を想像してしまっていた。
死を恐れることすらなくなった自分が怯えさせられる奴らと、
実は自分がよく似た存在であるというなんとも嫌な想像に行き着いてしまったのだ。
正確に言えば同じではない。
奴らには死があるし生もある。
変わらない形をしていても、それぞれの中身は異なっているのだ。
「それでも姿形は永遠に変わってないよ」
「……どうしてなのかしら」
「わからないよ。今のあの子達は殆ど考えてないしね」
生物は周囲の環境の変化に合わせて、その種を残すために自らを変化させていく。
人間が失敗を生かして成功へと至るように。
しかし人間以外の生物にはそこまでの知恵はない。
だから彼等は子々孫々を通して変化してくのだ。
それが自然の極々ありふれた姿である。
そんな中にいながら、奴らのように姿形を変えずにその体質のみを変えて生き続ける種もある。
肉体を変化する必要がないからなのか、それとももっと別の理由があるのか。
それを知る術は神のみぞ知る、といったところか。
「でもどんなに姿形は変わらなくても変化はしてるよ」
「そりゃそうでしょ。周りが変わっているのに」
「それもそうか」
当然のことだと輝夜は言った。
当然だとリグルは笑った。
(なんで気付かなかったんだろうか)
☆
それから数日後。
「姫、入りますよ」
所用で輝夜の部屋へとやってきた永琳。
襖の前で許可を願う。
「どうぞ」
今回はちゃんと返事が返ってきた。
しかし返事と共になにやら物音がしている。
「いったい何をしているんで――」
襖を開けた瞬間、永琳は我が目を疑った。
輝夜の頭には三角巾。
どこから持ってきたのかピンクのフリルエプロン。
手には手袋をはめ、ハタキを装備している。
「……姫、何をしてるんですか?」
「見て分からない?」
「掃除ですよね」
「その通りよ」
どうやら正解したらしい。
だが永琳はその天才的な頭脳をもってしても、今の状況を納得することができずにいた。
あの惨事の後。
夕刻になって自分から帰ってきた輝夜は別段変わった様子もなく、お腹が空いたと言った。
奴らの駆除は完了したことを報告すると、ありがとうと一言言って笑ってくれた。
そこから数日の間も別に何も変わった素振りは見せなかったはずだ。
1日の大半を自室で過ごし、たまに気まぐれで妹紅にちょっかいを出しに行っては服をぼろぼろにして戻ってくる。
ご飯は欠かさず三食食べるし、体調を崩すことはまずありえない。
なのにいきなり自らの部屋をすすんで掃除しようなど。
どういう風の吹き回しか、いやいやどんな方向に風が吹いてもそんな思考に行き着くとは思えない。
「なんだかとても失礼な視線を感じるんだけど」
「いえそんなことはないですよ。ただ珍しいなぁと」
すると輝夜は、それもそうねとあっさりと自身の奇行を肯定した。
「奴らに大変な目に遭わされて殺しに掛かるよりも、はなから寄せ付けないようにしていればいいと思っただけよ」
「そうでしたか……」
理由は何であれ、だったら大勢のイナバがいるから言いつければいい。
いつもだったらそうしているはずなのに、あえてそれを自身でやっている。
やはり何かおかしい。
「ねぇ永琳」
「は、はい」
「私達ってどれくらいこの姿で生きている?」
突然の質問に永琳は柄にもなく内心焦ってしまっていた。
しかしそこは天才。焦りながらも答えをすぐに考え始めていた。
「……はっきりとは分かりませんがざっと千年以上は」
正確な歳月の経過など数えていられるはずがない。
だが大体のことを考えるとその辺りが妥当だろうという数字を永琳は提示した。
「千年か。その間いろんなことがあったわよね」
「そうですね。覚えきれないほどいろんな事があったと思いますよ」
歳月もまともに覚えていないのに、逐一何があったかなど覚えてはいられない。
だがそれだけの歳月を過ごしてきたのは事実だ。
その時間の流れの中に、確かに自分達はいたのだと断言できる。
「私達は変わったかしら」
「姫……」
「姿は変わらず、変わることはできず。長い長い時を私達は生きてきたわ」
「はい」
「変わることのできない命に、絶望したこともあったかしら」
「きっと最初の頃は」
「そう考えたら、今の私達は変わったわよね」
「……そうかもしれません」
「かもしれないじゃなくて、きっと変わってるわ。それに気付かなかっただけよ」
永遠とは刻の流れの中にありながら、その流れと共に流れない存在。
そこに時は流れず、ただ存在するのみ。
しかし存在は変わらなくとも、そこに付随する意志は常に変化する。
意志は時の流れを感じているのだから当然のことだ。
そう――当然なのだ。
それに気付いていなかった。
それだけのこと。
それだけの話。
《終幕》
リグルのこの台詞が妙にツボ。
なるほど、確かにそうかも知れない。
良い輝夜とGでした(ぁ
確かに不死身暦500年目の人と1000年目の人とでは
色々と違ってくるんでしょうね、きっと
確かに、最強の虫は?と聞かれるとあれが浮かびますねw
二人の姫の立場の対比が見事でした。
と思ったら予想通りてるよとリグルが出てきた
取り合えず一言
GJ!
>リグルのこの台詞が妙にツボ。なるほど、確かにそうかも知れない。
暇とか余裕がなければ死について考えるなんてできません。
偉い作家の中にも「ぼんやりとした不安」で死んじゃった人もいますね。
でもそんな余裕がない暮らしも如何なものかと。難しいところです。
>確かに不死身暦500年目の人と1000年目の人とでは~
個々で歴史が異なるのならば、そこに違いは生じて当然。
妹紅と輝夜も、同じ不老不死ですが考え方はそれぞれ違うのでしょう。
>タイトルが挑戦的ですねーw
大した意味は無いですよw あんまりない組み合わせであることを
単純に伝えてみただけですので。
>二人の姫の立場の対比が
永遠と、そこに相反する虫という短命。
その象徴である輝夜とリグル。
割とない組み合わせで永遠を語ってみました。
>タイトルを見てきっとこれはブラフに違いない
>と思ったら予想通りてるよとリグルが出てきた
タイトルは作品の顔。私はすっぴんで勝負ですw
あんまり懲りすぎても理解しにくいこともありますしね。
読んだ後に成る程と言わせられるタイトルは別格ですが。
少し作品間に間が開きつつありますが、
まだまだ書き続けていくのでよろしくお願いします。
「肉体を変化ざる」は、なんかの誤字ですか?
他の作品と比べてということでしょうか。
それとも私の他の作品と比べてということでしょうか。
どちらにしてもこの評価と点数は大変励みになります。
……前者だとかなり自信過剰ですねw ここで自重しておきます。
>イイ感じでした。私はこういう雰囲気のものは大好きです。
気に入っていただけて幸いでした。
自分の性に合っている作品が気に入ってもらえるととても嬉しいですね。
>「肉体を変化ざる」は、なんかの誤字ですか?
……はい、その通りですorz
訂正しておきました。ご指摘ありがとうございます。
コメント、評価ありがとうございました。
言われてみれば確かにある意味同類ですよね。
氏は相変わらず目の付け所が面白い。
正確には作中にもあるとおり異なる点はありますが
表面的に見ると、ということでそうなります。
Gと同類と言われても喜ぶ者は誰もいないでしょうけどねw
そうそう、最近の我が家にはGが出てきません。喜ばしい限りです。
コメント、評価ありがとうございました。
Gは死なない蓬莱人より私達死ぬ人間の方が同類のような気がしたり。
二足歩行をして道具を使う様になってから何万年と姿を変えず、
赤道直下から氷点下の世界までどのような環境下でも適応できる様になった人間。
そして私達も見た目は変わらないけど中身は変わっていくのでしょうね。
>二足歩行をして道具を使う様になってから何万年と姿を変えず、
人間には知恵があり、そのおかげで文明という武器を手に入れました。
それで姿を変えずとも環境に適応する力を得、結果姿も変わらなくなった。
ということは奴らには私達にはない文明に匹敵する何かが
あるのかもしれませんね。単なる適応能力の高さかも知れませんがw
輝夜の成長物語はみんな好きです。
>輝夜の成長物語はみんな好きです。
お褒めの言葉ありがとうございます。
永遠というとやはり“変化しないもの”というイメージがありますが
やはりそれでも変化するべきものはあるのではと思います。
Gと蓬莱人か、発想がいい!