時刻はすでに深夜を回っていた。
半分に欠けた月はあわく柔らかな月光を放ち、ゆっくりと流れ行く雲にさえぎられながらも幻想郷を照らす。
そう強くない風が時々ふいては木々を揺らし、多くの虫たちが詠うように鳴く。
しかし、そのコーラスは彼女たちに届くことはあまり無い。
そう、いつもの平和な宴会、いつもの場所での平和な馬鹿騒ぎ。
酒の席と無礼講を楽しむ彼女らにとっては、虫たちの詠などどうでもいいのである。
ここは博麗神社。
この幻想郷と外の世界を仕切る結界を守る、由緒正しき神社である。
由緒正しい神社であるはずなのだが、
「幽々子さま、そろそろお酒をお控えになった方が…」
「にゃいじょ~ぶよぉ妖夢~。コエくらいにょんだうちに入らにゃいわよぉ。早くついでちゅいで」
心配する妖夢をよそに、次々とお酒を飲み干していく幽々子。その顔はいつもの2.3倍増しでふやけ顔だ。
威厳のかけらも無い。
「しょ~よ!いくら飲んでも酔わにゃいあひゃいったらしゃいきょーね!」
「チ、チルノちゃんもそれくらいにしないと、明日に響くよ?」
「あに言っひぇんのよ!この日ににょまずにいつにょむの!」
「そーよそーよ!ねえ、お姉さま!」
「⑨もたまにはいいこと言うじゃない?」
「お嬢様、いくらなんでもそのペースで飲み続けるのはいかがなものかと。もうすでに4つも封を開けていますわ。妹様も、久々の外出とはいえハメをはずし過ぎです」
「あらあら妹紅、その程度で打ち止めなんて不死人の風上にも置けないわよ」
「阿呆抜かせ、まだいけるに決まってるだろ!」
とまあ、多種多様な妖怪や人外たちが夜な夜な集まり、宴会を開いていくというあんまりといえばあんまりな神社と化してしまった。
この神社の現神主である巫女、博麗霊夢は毎回のように開かれる宴会に―――というよりその後の後片付け―――に頭を悩ませつつも、半ばあきらめ気味で妖怪と人外たちと共に酒をあおる。
いつもの平和な光景。いつもの平和な宴会。
その中に一人、珍しい客人がいた。
白銀の髪が、風のいたずらでゆらゆらと揺れる。
右手の中指で眼鏡を押し上げ、くいっと一気に酒を飲み干したあと、男は空を見上げた。
男の名は森近霖之助。
魔法の森で骨董店『香霖堂』を構える青年である。
ただ、大概の商品は魔理沙によって只同然で持っていかれており、ほとんど赤字経営ではあるが。
「君たちの宴会っていうのは、毎回こんな騒ぎなのかい?」
「ええ、こんな感じよ。こっちの迷惑なんて全く考えずに好き放題やってくれるわ」
そんな貧乏店主の質問に答えるのは、この神社の現神主、博麗霊夢である。
「まあ、あいつらが持ってくるおつまみでこっちが食いつなげられてるってのが現実だから、そう強くはいえないけどね」
そう言ってお酒をあおる彼女の顔にはどこか哀愁が漂っていた。
博麗神社のステキな賽銭箱は、毎年のようにその役割を全く果たすことがない。ゆえに彼女の財政難は常にレッドゾーン。
米が切れたら雑草を主食にしているという話を聞いたときは腰が引けると同時に涙がでてきそうであった。
「ま、そんなことより例のやつは持ってきてくれた?」
「ああ、蔵の方においてある。明日から好きなだけ味わうといいさ」
「そう、助かったわ」
パァと菩薩のような笑顔で答える霊夢。
例のやつというのは米俵。
以前、珍しく訪れた客人がお金の代わりにと米俵をくれたのだ。
しかしお金は無いが、ほとんどが自給自足で事足りてしまう霖之助の生活では、その米俵は処理に困るほどの量であった。そのためちょうど居合わせた霊夢にその米俵を分けてやるという約束をしたのである。
そのときの霊夢の顔を、霖之助は忘れないだろう。
「あら、お二人で秘密のお話かしら?」
なんとも言えない、あの霊夢の顔を思い出していると、とつぜん上から声がかかった。
めきりと、硬い何かがこじ開けられるような音と共に空間が割れ、その裂け目から、美しくもどこか胡散臭い女性が姿を現した。
「も・し・か・し・て、逢引?」
面白そうに目を細め、口元を手で隠して笑う女性。
八雲紫。通称「スキマ妖怪」。
「厄介なのが出たわね」
「そりゃ出るわよ。こんなに楽しそうなのに」
くすくすと、あくまで上品に笑うがやはりどこか胡散臭さはぬぐえない。
「残念ながら、僕と彼女はそういう関係ではない」
興味もなさそうに言葉を返す霖之助。
今日の宴会に彼がいるのも、ただ霊夢に米俵を届けるために訪れた時、居合わせた魔理沙に無理やり参加させられただけなのだ。
あら残念と、紫は隙間から体を出し、霖之助の隣に音も無く座った。
「君は飲まないのかい?」
そいういって酒を注いだお猪口を彼女の前に差し出す。
いただくわと、紫はお猪口を取り、酒をゆっくりと喉に通した。
「ふふ、やはりお酒はいいわね。どうしようもなく浮かれた気分になるわ」
「浮かれすぎて今日の記憶が無いなんて事になるのは御免だけどね」
「まあ、それもお酒の醍醐味ね。あとは寝ゲロ」
「いやな醍醐味だ」
冗談とも本気ともつかない言い草に、霖之助は呆れ、ため息をついた。
そのあと特に会話は無かった。
宴会場では、いつの間にか出来上がっていた藍がスッパでテンコーを踊りだしたり、それを機にどんどんストリップ・ショーが展開されていき、それを必死で止めようとする妖夢や大妖精、そして慧音などの常識組が奔走していた。
「紫、君の式神が織り成すやましいストリップ・ショーを止めなくていいのかい?」
そこの光景をどこか呆れ果てた目で見つめながら、その式神の主である妖怪に尋ねるが、
「いいのよ、いつものことだし」
「そうね、いつものことだわ」
二人してそう返されてしまえばあとはもう何も言えない。
「まったく、式神も式神ならその主も主だな」
「子は親に似るものよ。式神と主もまた同じような関係ともいえるわ。まあ、さすがに私はあそこまで開放的にはなれないわ」
「そりゃ四六時中、昼寝をぶっこいてる主人の代わりに働いてる彼女からしてみれば、ああしたくもなるんじゃない?」
「あら失礼ね霊夢。私もこうみえてちゃんと働いてるわよ」
「たとえば?」
「……人を神隠しにしたり?」
「それは働いているというより悪戯をしていると言うのよ」
「まったく、君の生みの親というのを見たくなってきたよ」
霖之助のその言葉に、一瞬あっけに取られた紫は、次の瞬間にはケラケラと笑った。
本当に、おかしそうに笑った。
「それは無理な話よ」
だって、もう殺して食べちゃったもの。
「ねえ、あなたたち、昔話に興味はある?」
突然、紫がそう問いかけてきた。
あまりの突然な申し出に、二人も目を丸くするだけだったが
「へぇ、どんな話だ」
と、厠にでも行っていたのだろう魔理沙が割り込んできた。
その顔はほんのり朱色に染まり、はきだした吐息は酒臭かった。
「魔理沙、飲みすぎだ」
「何いってんだよ香霖。今日はめでたくてありがたい宴会の日だぜ?」
「3日越しに宴会やれたらありがたみがなくなるわよ」
はははと気前よく笑う魔理沙にギロリと釘をさす霊夢。
「まあいいだろ?で、何の話だ」
そんな抗議の目も意に介さず、興味の目を紫に向けた。
その顔は母に絵本を読ませ、わくわくしながら続きをねだる子供の目だった。
その目を、似つかわしくないやわらかい笑顔で紫が受け止め、そして語りだした。
「昔々の、お話よ」
場所は、なんの変哲も無い山道。
そこに一人の妖怪が棲みだした。
元々この妖怪、一つの場所に留まる事なく、いつもふらふらしては眠り、適度に人をさらい、適度に食べる妖怪だったため、多くの人に恐れられていた。
その山道は、集落と集落をつなぐ大事な、一本しか通っていない道であり、そこにそんな妖怪が棲みついたものだから通る人の数は次第に減り、二つの集落は次第に廃れていった。
そして、数ヶ月の時が経った。
そろそろここから離れようかと検討していた妖怪の前を、一人の男が通っていった。
そのあまりにも堂々とした風情に、少々あっけにとられた妖怪だったが、すぐに獲物がかかったと笑い、男に襲い掛かった。
しかし、男は強かった。
妖怪の奇襲をあっさりとかわし、あろう事か反撃してきたのだった。
戦いは半時ほど続いた。
どちらとも不毛な戦いに疲れ果て、同時に膝をつく。
「あなた、結構やるじゃない。人間のくせに生意気よ?」
「なになに、まだ修行中の身だ。それにマジックアイテムが無ければ、最初の一撃で首が飛んでいただろうしな」
「ご謙遜を」
「そちらこそ」
一時、相手をにらみ合ったあと、二人は同時に吹き出して笑った。
どこか、気が合ったのだろう。
二人は話をした。
本当に他愛の無い話だった。
この光景を他の人や妖怪が見たら、なんと奇妙かと思うだろう。
妖怪が人の生き様を聞いて、何が楽しいと。
人が妖怪の生き様を聞かされ、なにが可笑しいと。
だが、二人は笑った。
とても楽しそうに。
この出会いは、必然であったのかもしれなかった。
妖怪として生きた彼女にとっても。
退魔師として生きた彼にとっても。
そして、当然のように二人は結ばれた。
多くの地を、二人で歩き、旅した。
笑いあい、時に争う。
それら全てが幸せと感じられた。
妖怪の能力があれば、歩く必要性など全く無かったが、あえて妖怪はそれをしなかった。
人と、妖怪の寿命など図ることが愚かであろう。
ならばせめて足並みだけでも、妖怪はそろえたかった。
数年の時は流れ、この奇妙な二人組みは偏狭の森に家を立て隠居した。
全てが妖怪にとって、はじめての連続だった。
初めての料理。焦げ臭い魚を、彼はおいしいと笑って食べた。
初めての狩り。人と違い、細かく逃げ惑う動物を捕らえることができず、彼に八つ当たりをしてしまった。
初めての洗濯。繊細な作業になれずに何度、服を破いたことか。
初めての夜。彼の細く、しかしそれでも力強い腕に抱かれ妖怪は、いや、一人の女として、とてもとても、幸せな時間だった。
そして、初めての子。
いとしい自分の子を見たときには、生まれてこの方出ることの無かった涙を流した。
ずっと、こんな時間が続くのだと疑わなかった。
いつしか、彼女らの存在が公に出た。
襲いくる退魔師たちを二人で必死に追い払った。
今の居住を捨て、遠くに逃げた。
今の生活を、今の幸せを。
何より我が子を守るために。
しかし、絶えることない刺客に、いつしか二人の神経はすり減らされてしまった。
そしてその限界を超えた矢先、子を奪われた。
子を奪い返そうと走った夫は、幾多の御札に束縛され、槍に貫かれた。
彼女は狂った。
ただ脳髄から溢れ出る狂気に身を預け、ただ、ひたすら狂った。
気づけば、わが子を腕に抱き、肉の大地に膝をついていた。
目の前には彼女をかばうように立ち、絶命している夫がいた。
生まれた赤子のように、彼女は泣いた。
その姿を、半分にかけた月が哀れむように照らしていた。
しばらく、泣き続けた彼女は、一つの決心を瞳に秘めて立ち上がった。
数日後、彼女はある人間にわが子をあずけ姿を消した。
人間にわが子をあずけたときの、彼女の顔は、とても優しく、悲しく、美しかったという。
その後、その妖怪の姿を見たものはいない。
「めでたしめでたし」
と、満足そうに彼女は語り終えた。
その話に、静かに耳を傾けていた魔理沙は酒を一口飲んだ後、
「どこがめでたしなんだ?」
疑問を口にした。
当然だろう。
この手のお涙頂戴の話には、どこか救いがある。
しかし聞いてみる限りではまったくそれが無かった。
ただ幸せを壊され、失った哀れな妖怪の話である。
「あら、面白いじゃない。全く救いようがないこんなお話なんてめったに無いわよ?」
逆に清々しいんじゃないかしらと、のほほんとお茶を飲む霊夢。
「その台詞は仮にも神に仕えている者の言うことじゃないな、霊夢」
「別に神様に仕えているわけじゃないわよ。どんなに祈ったってご飯を分けてくれるわけでもないもの」
「手厳しいわね」
はははと笑う4人。
「でも本当にこれで終わりなのか?やけにあっさりだな」
「あら、やっぱり救いが欲しいかったかしら?」
「まあ、欲しいと言えば欲しいかもしれないぜ。こういうのは救ってナンボだと私は思うぜ」
「じゃあ~、救ってあげましょ~か?」
と、ここでどこか間の抜けた声が聞こえた。
声のしたほうに振り返ると、そこには酔いつぶれてストリップ・ショーをしていたはずの幽々子の姿があった。
「なんだ、酔いつぶれたんじゃないの?」
「いい女っていうのはぁ、酒に飲んでも飲まれないものなのよぉ」
カンラカンラと笑うおとぼけ亡霊。
宴会場のほうは、すでに半分が酔いつぶれており、その中で、なぜか苦労人組(主に妖夢、大妖精、慧音など)が肩を寄せ合い、日ごろの愚痴を垂れ流していた。
「で、どんな救いがまってるんだ?」
待ちきれないのか、魔理沙が話を急かす。
苦労人組の哀愁が漂う背中をいつまでも見てるのも味気ないので、霖之助と霊夢は幽々子の話に耳を傾けた。
「え~っとねぇ、その人間にあずけた子供なんだけど、ちゃんと成長してるわよぉ。ただ、やっぱり妖怪の血が混ざっちゃってるから、数百年た経ってる今でも、あなたたちと同じくらいの年齢にしか見えないわねぇ。それが災いして、そのあずかってた人間の村から追い出されちゃったの」
どう?とこちらも満足そうに話してたのだが、周りの反応はイマイチであった。
「あれ?面白くない?」
「どこが救っているんだい」
霖之助の冷静な突込みが入る。
魔理沙も霊夢もうんうんとうなずき賛同した。
その反応にえ~と不満そうな顔の幽々子はさらに話を続ける。
「まあ、その子のお母さんがぁ、ちゃんと見守ってくれるわよ」
そういって、話は終わった。
「ま、酔い覚ましにはちょうど良かったぜ」
う~と屈伸運動で体をほぐす魔理沙。
気がつけば辺りはすこし明るくなっていた。
「あら、もう夜明け?そんなに話してないと思ったんだけど」
「ずいぶん引き込まれたわ。楽しかったけど、あとの作業を考えるとマイナスね」
苦労人組もいつのまにか肩を寄せ合って眠っていた。
「母、か…」
顔を伏せ、思い出せない母と父の姿に思いをはせる霖之助。
幼いころ、別れた母と父。
いや、実際に自分に親という存在がいたのかどうかも定かではない。
それほどにも、昔のことだ。
「霖之助」
突然、誰かに呼ばれた。
顔を上げれば女性の姿。
金色のウェーブのかかった髪が、風にゆらゆらと揺れる。
影のかかったその表情はどこかしら懐かしく、そして暖かい。
「霖之助」
やさしく、自分の名を呼ぶ彼女に、思い出せないはずの母の面影が重なった。
「母…さん」
無意識に、そうつぶやいた自分に驚きを隠せなかった。
もう一度よく彼女の顔を見ようと目を凝らすと、そこにはいつもの胡散臭い女が一人立っているだけであった。
「どうしたの、幻でも見ました?」
フフフと妖しく笑う紫。
先ほどの自分がどんな表情なのかを考えると、霖之助は耳まで熱くなるのが分かった。
「べ、別になんでもないさ。ただ、そう、酒に酔ってるだけだ」
そう言ってサッと立ち上がった霖之助は、片づけをしている霊夢たちに向かって歩き出した。
サアッと風が木々を揺らす。
その音にあわせて詠う虫の声は、もう聞こえない。
十分楽しんだと、隙間にもぐりこもうとする紫に幽々子が問いかけた。
「いいの?」
無表情に、ただそれだけ。
だが、その言葉に多くの意味が隠れていることを、隙間の妖怪は気づいている。
「いいわ。もうわたしはただの隙間の妖怪よ。一人の人が、いえ、男の子がゆっくりと我が道を歩いているのを邪魔するわけにはいかないわ」
「あんまり儲かってはないでしょうけど」
フフフと二人は笑った。
それは、二人だけしか知らない事。
そして、これからも二人だけしか知らない事。
紫は、振り返った。
視界に捉えたのは、銀髪を揺らし、博麗の巫女とともに後片付けをする一人の男の姿。
「大きくなったわね。愛しい、私の子」
その言葉と流れる一筋の涙は、誰にも悟られること無く、流れる風に乗せられて掻き消えた。
楽しませてもらいました~♪
GJ!!
まさかこう来るとは思わなかったですw
いやとても面白かったです
>本当に他愛の無いだった。
G・J!
話的にも
いつもの宴会の席で
気紛れに言ってみただけよって感じの、
さらっとした読了感も好みでした。
ごちそうさまです
>本当に他愛の無いだった。
修正しました。
ご指摘どうもありがとうございます。
しっくりくる。
次回も期待してます!
胡散臭いだけに見えて実は母性ぶかいゆかりんを見せて頂きました(礼
無理のない解釈……お見事です
見事に意表を突かれました。
蛇足ながら漢字について……
>私はあそこまで解放的に→開放的
>主人の変わりに働いてる→代わりに だと思います
>主人の変わりに働いてる→代わりに だと思います
修正完了いたしました。
ご指摘どうもありがとうございます。
…納得してしまった。
すっごく納得できる設定、ご馳走様でした。
しっとポイントで-50点の修正だっ
チルノはあのあと飲酒運転で家に帰ったのでしょうか?
>やっぱり妖怪の血が混ざっちゃってるから
なるほどねと思いました。
あなたの発想能力の高さに100点を送ります。
胡散臭いからこそあり得ると思える話なのかも…?
意外なお話でしたが
とても良かったです。
すごい良作でした!とても面白かったです.