Anywhere but here(魔法使いには魔術書を)
【魔女の帰還】
[あるいはエピローグⅠ]
けたたましい、なんて言葉では不十分だった。
万雷が一落と言わんばかりの轟音を響かせ、紅魔館の一室が破壊された。
そこは紅魔館でもっとも上質で、個人での部屋としてはもっとも大きい。
それで説明は十分だろう。レミリア・スカーレットの自室だった。
「な…」
さすがのレミリアも、この惨状には大口を開けた。時間によっては自分は消滅するほど部屋は原形を留めていなかったし、『それ』が直撃していたら重傷だった。
「……ちょっと失敗したかしら?」
「どこがちょっとよ!」
怒鳴った。当たり前だった。
「まったくもう。慎みって言葉を向こうに置いてきたのかしら」
「青春とは若さではなく、大胆さと知ったのよ」
いけしゃあしゃあとパチュリー・ノーレッジが返すから、レミリア・スカーレットは溜め息をつく。目の前の親友は、何かを悟ってきてしまったらしい。
「まぁいいさ」
せっかくの目出度い夜だから、その溜め息一つで終わらせることにする。
「魔女の友達になるってことは、そういうことなんだってことにしとく」
夜明けが近いことは知っていたけれど、レミリアは壊れたベットへの未練を捨てて、変わりに笑顔を浮かべた。
「おかえり、パチェ」
「ただいま、レミィ」
消失からきっかり二十時間後に、パチュリー・ノーレッジは帰還した。
左手を、アリス・マーガトロイドと繋いだまま。
「気絶してるの?」
「多分ね。魔力がからからみたいだから」
「魔理沙、待ってるみたいよ」
「今は図書館に?」
「さあね。それで、伝えられたの?」
「その答えはイエスでもあり、ノーでもあるわ」
わかっていたけどと、パチュリーはかぶりを振った。
崩壊の中で会話をした。
その言葉の全てが、パチュリーの耳には残っている。
――――――――あなたは目が覚めたら、あなたが私に言ったことも、私があなたに言ったことも全て忘れる
頭を抱いていたから、彼女の泣きそうな声だけがした。
――――――――せっかく友達になれる気がしたのに
――――――――残念だけど、それは無理ね
――――――――え?
意地悪く言った私の言葉に、素直に反応するのが心地よかった。思わず笑ってしまう。
――――――――だって私は、ただの友達で終わるつもりがないもの
――――――――どういうこと?
あまりに無邪気に問われたから、籠もりそうな熱をなだめすかして、私は答えた。嘘ではないつもりだから、まあいいかと思いながら。
――――――――特別の友達になるのよ、私たちは
「って、それは伝わってないわよ、どう考えても」
話を聞いたレミリアは、率直に言った。問答無用の断言だった。
「わざわざそんな事を言いに行ったわけじゃ」
「ないわよ、勿論」
パチュリーは不機嫌そうに頷く。
「連れて帰りに行ったのよ」
つまり。
「長期戦ってこと?」
魔女が視線を逸らして肯定したので、吸血鬼はやれやれという風に肩を竦めた。
何にせよ、これで残る問題はあと一つだ。
「しばらくどこで寝よう」
何気に重大な問題ではないかとレミリアは思った。
【魔法使いの娘達】
悔しいから、パチュリーもとは、言ってやらない。
今は、まだ。
[あるいはエピローグⅡ]
ヒンヤリとした感触に目を覚ます。
「…目、覚めたか?」
二度と聞くことがないだろうと、覚悟したはずの声がした。
「……魔理沙?」
「そういうお前は、アリスか?」
声は緊張しているようだった。だからアリスは、それが夢でないことがわかった。
「どうして?」
確かに陣は発動したはずなのに。
「っというか、ここどこ?」
廃墟みたいな部屋だ。見たことがない気もしなくもないけれど。
「レミリアの部屋…だった」
「だった?」
「まぁ、後で謝っておけよ、一応」
それでアリスは理解した。同時に背筋が寒くなった。
「こ、殺される?」
「大丈夫じゃないか、たぶん」
普通の魔法使いは軽く請け負った。
「殺される前に、貴族ならこれくらいは笑って許せるはずとか言えば」
「そんなこと言われたら、私だったらもっと腹立つわよ」
「そうか?アリスは心が狭いな」
「私のどこが」
心が狭いのかと言い切るより前に、魔理沙は帽子でアリスの頭を覆うようにかぶせた。
「魔理沙?」
暗くて何も見えない。そのアリスの左手を魔理沙は握った。たぶん、魔理沙は右手で。
「…つめたい」
「お前がなかなか帰ってこないからだ、馬鹿」
ずっと外にいたのだと人間の魔法使いは言った。
「何してたの?」
「月を見てた。今日は満月だからな」
「アリス」
「なに?」
ぎゅっと、握る手の力が強くなる。この前の時みたいだと、アリスは思った。
「さみしいか?私といると」
――――――――あなたは誰かと一緒にいるときの方が、さみしそうな顔をするんですね
「気づいてたの?」
「気づいたんだ、やっと」
――――――――あなたは愛される為だけの存在だったのに、それで満足しないから傷つくのですよ
「私といない方が楽か?」
――――――――あなたは、きっと。幻想郷(ここ)じゃないどこかのほうが、幸せになれますよ
魔理沙の言葉は、いつかのあの声と似ている気がした。だからアリスは、その通りだと認めた。うん。本当にその通りだと思った。
「ええ。すごくね」
また一つ、手の力が強まる。それが今度は弛まるより早く、アリスは言葉を重ねた。
「でも」
きっとこの先、何度もこんな思いをするんだろうけれど。
けれどあたたかいはずの手がつめたくなるほど、彼女が此処で待っていてくれたのなら、アリスはもういい気がした。
それに、もうきっと手遅れだ。
「でも、もう離れている方が苦しい」
「…え?」
アリスは魔理沙の手を握り返す。負けないくらい強く。何故かそれは、左手でしか許されない行為な気がした。
「さ、帰りましょうか」
――――――――Where?(どこへ?)
もう聞こえないはずの声が、聞こえた気がするから、アリスは心の中だけで答えた。
――――――――帰るって言ったら、家に決まってるじゃない
「送る」
「いいの?」
「いいも何も。お前、今は飛べないだろう?」
「そう言えばそうだわ」
魔理沙も大分疲れているようだけれど、今日ぐらいは甘えることにした。アリスの左手を、魔理沙は右手で掴むように握っている。
「手を繋いでもあたたかいけどな。思い出せる人が心にいるなら、心もあったかくなれるんだぜ?」
不意に魔理沙がそんなことを言った。自分が先にいってしまうことを、だれよりもわかっているから。無駄に自信ありそうな口調はいつもの魔理沙だけれど、言っていることは魔理沙じゃないみたい。らしいようならしくない言葉だから、アリスもらしいようならしくない言葉を返す。
「それは難しいわね」
「へえ?」
帰って早々これだから少し呆れてしまう。
「だって、忘れてもないことなんて、思い出せるはずないもの」
勝ったかなと、アリスは思った。
「なんだよ、言うじゃないか」
「受け売りだけどね」
そうして、二人して笑った。
朝が近いから、月はもう見えなかった。
それでも世界はまだ眠っているようで、やっとお互いが見える中を、アリスは魔理沙と箒で飛んでゆく。
「…ねえ、魔理沙」
「ん?」
「パチュリーと友達になって欲しくて、私に図書館に行けって言ったの?」
言葉にしてから、そういう呼び方をしたのは初めてだなと思った。なのに自然と出てきた。
「さあな」
「魔理沙」
「気紛れだった。でも、ちょっと後悔してる」
それはきっと、例の陣の話をしているのだろう。確かに、自分一人の力では為しえなかった。でもそんなことよりも。
「パチュリーもね。あたたかかった。一人よりずっと」
「なんだよ。いやに素直だな」
気持ち悪いぜ、と普通の魔法使いは笑う。
「抱きついたまま落とすわよ?」
「はは。それでこそアリスだ」
笑い声に答えるように。回した手に、ぎゅっと心持ち力を込めた。それでも、二人の間にはまだまだ隙間がある。けれど、信じられないくらいすぐ傍に温もりがあって、アリスは不意に泣きそうになった。この温かさが、すぐに燃え尽きてしまうものだと、わかっている。それでも。今だけ、今だけは。
いつまでもいつまでも家に着かなければいい。半ば本気で、そう思った。
「なんだよ」
普通の魔法使いは心の中だけで笑った。やっぱり後悔しそうじゃないか。
「馬鹿だなぁ、アリスは。こうやってお互い暖かいってことはさ。多分そうしていいからそうなんだ」
「…うん。そうかもね」
疲れていたから、心が子どものようだ。
「見ろよアリス。東の空が燃えてるぞ。西はまだ星が残っているのに、東はもう朝だ」
魔理沙が笑うと、その振動が直接アリスにも伝わった。
「世界でもっとも大きなグラデーションね。今日が始まるって気がするわ」
「なんだか、今が朝なのか夜なのかわからなくなるな、こういうのって」
「そうね。星があるところはまだ夜ってのはどう?」
「いやいや。雲が緋いところからが朝だろ」
「曖昧ね」
「曖昧だな」
二人一緒だと、振動はどっちのものだかわからなかった。
「空って、どっからが空なのかしらね」
「さあな」
「空がどこにあるのか誰にもわからないのに、誰が見てもそこは空なのね」
「本当だ。ちょっと面白いな」
飛んでいるから、風なんてずっと吹いている。魔理沙の肩に額を押しつけて、アリスは震えそうな声で訊いた。
「魔理沙は?」
「ん?」
「魔理沙はどっからが自分なのかとか、考えたこと、ある?」
アリスの声はすぐ耳元だ。やっぱり茉莉花の香りがした。アリスの匂いだと、魔理沙は思った。
「あくまでも、私にとってだぜ?」
「それでも聞きたい」
「多分、この世界に私がいるんじゃなくて」
「うん」
「だから、【今】や【ここ】に私がいるわけでもなくて」
「うん」
「だから、どこからとか、昨日も今日もなくてさ」
「うん」
「誰かが私の名前を呼ぶんだ。そいつは霧雨魔理沙を知っていて、憎んでいるのか好きなのか知らないけど、とにかくそいつの中には霧雨魔理沙っていう言葉があって、それで私を呼ぶんだよ。で、私はそれに返事するわけだ」
「うん」
「その返事に、誰もが納得できるなら、呼んだ方も呼ばれた方も、納得できるなら」
「…うん」
「私は間違いなく、私だと思う」
だから。
「アリスの名前は、私が呼んでやるよ」
今度の涙は、我慢できなかった。
【魔法使いには魔術書を】
それでも私は、大切なものは断然傍に置く方なの
[あるいはエピローグⅢ]
きっと今日も断られるだろう。そう思っても小悪魔は丁寧に紅茶をいれていく。
別段、自分としては彼女にそこまでしたい訳ではないのだが、万が一に彼女が気まぐれを起こしたとき、主人に恥をかかせるようなものは出せなかった。それに起こさなかったとしても主人は確実に飲むわけだから、美味しいにこしたことはない。
この薄くも繊細な技巧を尽くしたティーカップは、主人がある日突然用意させたものだが、可哀相にその役目を果たしたことは一度もない。おそらく今日も使われないだろうたった一人の為のティーカップを見つめて、小悪魔はそっとため息をついた。
埃っぽい匂いに、重々しくも知的な空気に、紅茶の気品ある香りは漂い広がってゆく。
白い陶磁器のティーポットが満たされたなら、主人は本を閉じてあの一角に向かうだろう。
そうして数分後には、一人では多すぎる量の紅茶を、不機嫌を取り繕って消費するのだ。
「で、今日も断られたんですか?」
「小悪魔うるさい」
知識の魔女は不機嫌そうだった。今日は取り繕ってもいなかった。日に日に感情表現が激しくなっていくなぁと、しみじみしてしまいそうだった。
「あのですねぇ、パチュリー様。こう言ってはなんですが、パチュリー様のやり方もよくないと思うのですよ」
「あの誘い方のどこに問題があるというのよ」
「誘う以前に、解いておかなければならない誤解があるじゃないですか」
そうなのだ。どういうわけか、『声をかけられたら即帰るルール』もとい、『声をかけられたら、それ即ちそろそろ帰れの合図ルール』は未だ健在で、おまけにアリスは大量の貴重な本の価値を、著しく損ねてしまった為、そのことをパチュリーがひどく怒っていると思っているらしかった。
「もちろん、怒っていないわけじゃないけど」
「でもとっくに許しているんですよね?」
魔術書としての価値は下がったが、読む分には何の問題もない。知識を得ることに喜びを見いだすパチュリーにとっては、さして価値は変わらないのだ。
「なのにパチュリー様ったら、何年かかってもいいから本をなるだけ元に戻せとか言っちゃうし」
「それは」
言葉を詰まらせたパチュリーに、小悪魔はわかっています、わかっていますともと大げさな仕草で頷く。
「口実、ですよね」
「…戻して欲しいのは、本当なのよ?」
「じゃあ建前ね」
「ですよねぇ…ってレミリア様、いつの間に?」
ばさりと、羽の動く音。
「そうね。あなたがアリス用のカップに向かって溜め息をついていた辺りからじゃないかしら」
「最初からじゃないですか」
「なんでもっと早く出てこないのよ」
もっともな話だ。
「だって、そうしたらパチェはアリスをお茶に誘わないでしょ?小悪魔が淹れたのは二人分なんだから」
「レミィ…」
友情だなぁと小悪魔は思った。今日も世界は平和だ。主に、自分の周りが。
【魔女の帰還】
[あるいはエピローグⅠ]
けたたましい、なんて言葉では不十分だった。
万雷が一落と言わんばかりの轟音を響かせ、紅魔館の一室が破壊された。
そこは紅魔館でもっとも上質で、個人での部屋としてはもっとも大きい。
それで説明は十分だろう。レミリア・スカーレットの自室だった。
「な…」
さすがのレミリアも、この惨状には大口を開けた。時間によっては自分は消滅するほど部屋は原形を留めていなかったし、『それ』が直撃していたら重傷だった。
「……ちょっと失敗したかしら?」
「どこがちょっとよ!」
怒鳴った。当たり前だった。
「まったくもう。慎みって言葉を向こうに置いてきたのかしら」
「青春とは若さではなく、大胆さと知ったのよ」
いけしゃあしゃあとパチュリー・ノーレッジが返すから、レミリア・スカーレットは溜め息をつく。目の前の親友は、何かを悟ってきてしまったらしい。
「まぁいいさ」
せっかくの目出度い夜だから、その溜め息一つで終わらせることにする。
「魔女の友達になるってことは、そういうことなんだってことにしとく」
夜明けが近いことは知っていたけれど、レミリアは壊れたベットへの未練を捨てて、変わりに笑顔を浮かべた。
「おかえり、パチェ」
「ただいま、レミィ」
消失からきっかり二十時間後に、パチュリー・ノーレッジは帰還した。
左手を、アリス・マーガトロイドと繋いだまま。
「気絶してるの?」
「多分ね。魔力がからからみたいだから」
「魔理沙、待ってるみたいよ」
「今は図書館に?」
「さあね。それで、伝えられたの?」
「その答えはイエスでもあり、ノーでもあるわ」
わかっていたけどと、パチュリーはかぶりを振った。
崩壊の中で会話をした。
その言葉の全てが、パチュリーの耳には残っている。
――――――――あなたは目が覚めたら、あなたが私に言ったことも、私があなたに言ったことも全て忘れる
頭を抱いていたから、彼女の泣きそうな声だけがした。
――――――――せっかく友達になれる気がしたのに
――――――――残念だけど、それは無理ね
――――――――え?
意地悪く言った私の言葉に、素直に反応するのが心地よかった。思わず笑ってしまう。
――――――――だって私は、ただの友達で終わるつもりがないもの
――――――――どういうこと?
あまりに無邪気に問われたから、籠もりそうな熱をなだめすかして、私は答えた。嘘ではないつもりだから、まあいいかと思いながら。
――――――――特別の友達になるのよ、私たちは
「って、それは伝わってないわよ、どう考えても」
話を聞いたレミリアは、率直に言った。問答無用の断言だった。
「わざわざそんな事を言いに行ったわけじゃ」
「ないわよ、勿論」
パチュリーは不機嫌そうに頷く。
「連れて帰りに行ったのよ」
つまり。
「長期戦ってこと?」
魔女が視線を逸らして肯定したので、吸血鬼はやれやれという風に肩を竦めた。
何にせよ、これで残る問題はあと一つだ。
「しばらくどこで寝よう」
何気に重大な問題ではないかとレミリアは思った。
【魔法使いの娘達】
悔しいから、パチュリーもとは、言ってやらない。
今は、まだ。
[あるいはエピローグⅡ]
ヒンヤリとした感触に目を覚ます。
「…目、覚めたか?」
二度と聞くことがないだろうと、覚悟したはずの声がした。
「……魔理沙?」
「そういうお前は、アリスか?」
声は緊張しているようだった。だからアリスは、それが夢でないことがわかった。
「どうして?」
確かに陣は発動したはずなのに。
「っというか、ここどこ?」
廃墟みたいな部屋だ。見たことがない気もしなくもないけれど。
「レミリアの部屋…だった」
「だった?」
「まぁ、後で謝っておけよ、一応」
それでアリスは理解した。同時に背筋が寒くなった。
「こ、殺される?」
「大丈夫じゃないか、たぶん」
普通の魔法使いは軽く請け負った。
「殺される前に、貴族ならこれくらいは笑って許せるはずとか言えば」
「そんなこと言われたら、私だったらもっと腹立つわよ」
「そうか?アリスは心が狭いな」
「私のどこが」
心が狭いのかと言い切るより前に、魔理沙は帽子でアリスの頭を覆うようにかぶせた。
「魔理沙?」
暗くて何も見えない。そのアリスの左手を魔理沙は握った。たぶん、魔理沙は右手で。
「…つめたい」
「お前がなかなか帰ってこないからだ、馬鹿」
ずっと外にいたのだと人間の魔法使いは言った。
「何してたの?」
「月を見てた。今日は満月だからな」
「アリス」
「なに?」
ぎゅっと、握る手の力が強くなる。この前の時みたいだと、アリスは思った。
「さみしいか?私といると」
――――――――あなたは誰かと一緒にいるときの方が、さみしそうな顔をするんですね
「気づいてたの?」
「気づいたんだ、やっと」
――――――――あなたは愛される為だけの存在だったのに、それで満足しないから傷つくのですよ
「私といない方が楽か?」
――――――――あなたは、きっと。幻想郷(ここ)じゃないどこかのほうが、幸せになれますよ
魔理沙の言葉は、いつかのあの声と似ている気がした。だからアリスは、その通りだと認めた。うん。本当にその通りだと思った。
「ええ。すごくね」
また一つ、手の力が強まる。それが今度は弛まるより早く、アリスは言葉を重ねた。
「でも」
きっとこの先、何度もこんな思いをするんだろうけれど。
けれどあたたかいはずの手がつめたくなるほど、彼女が此処で待っていてくれたのなら、アリスはもういい気がした。
それに、もうきっと手遅れだ。
「でも、もう離れている方が苦しい」
「…え?」
アリスは魔理沙の手を握り返す。負けないくらい強く。何故かそれは、左手でしか許されない行為な気がした。
「さ、帰りましょうか」
――――――――Where?(どこへ?)
もう聞こえないはずの声が、聞こえた気がするから、アリスは心の中だけで答えた。
――――――――帰るって言ったら、家に決まってるじゃない
「送る」
「いいの?」
「いいも何も。お前、今は飛べないだろう?」
「そう言えばそうだわ」
魔理沙も大分疲れているようだけれど、今日ぐらいは甘えることにした。アリスの左手を、魔理沙は右手で掴むように握っている。
「手を繋いでもあたたかいけどな。思い出せる人が心にいるなら、心もあったかくなれるんだぜ?」
不意に魔理沙がそんなことを言った。自分が先にいってしまうことを、だれよりもわかっているから。無駄に自信ありそうな口調はいつもの魔理沙だけれど、言っていることは魔理沙じゃないみたい。らしいようならしくない言葉だから、アリスもらしいようならしくない言葉を返す。
「それは難しいわね」
「へえ?」
帰って早々これだから少し呆れてしまう。
「だって、忘れてもないことなんて、思い出せるはずないもの」
勝ったかなと、アリスは思った。
「なんだよ、言うじゃないか」
「受け売りだけどね」
そうして、二人して笑った。
朝が近いから、月はもう見えなかった。
それでも世界はまだ眠っているようで、やっとお互いが見える中を、アリスは魔理沙と箒で飛んでゆく。
「…ねえ、魔理沙」
「ん?」
「パチュリーと友達になって欲しくて、私に図書館に行けって言ったの?」
言葉にしてから、そういう呼び方をしたのは初めてだなと思った。なのに自然と出てきた。
「さあな」
「魔理沙」
「気紛れだった。でも、ちょっと後悔してる」
それはきっと、例の陣の話をしているのだろう。確かに、自分一人の力では為しえなかった。でもそんなことよりも。
「パチュリーもね。あたたかかった。一人よりずっと」
「なんだよ。いやに素直だな」
気持ち悪いぜ、と普通の魔法使いは笑う。
「抱きついたまま落とすわよ?」
「はは。それでこそアリスだ」
笑い声に答えるように。回した手に、ぎゅっと心持ち力を込めた。それでも、二人の間にはまだまだ隙間がある。けれど、信じられないくらいすぐ傍に温もりがあって、アリスは不意に泣きそうになった。この温かさが、すぐに燃え尽きてしまうものだと、わかっている。それでも。今だけ、今だけは。
いつまでもいつまでも家に着かなければいい。半ば本気で、そう思った。
「なんだよ」
普通の魔法使いは心の中だけで笑った。やっぱり後悔しそうじゃないか。
「馬鹿だなぁ、アリスは。こうやってお互い暖かいってことはさ。多分そうしていいからそうなんだ」
「…うん。そうかもね」
疲れていたから、心が子どものようだ。
「見ろよアリス。東の空が燃えてるぞ。西はまだ星が残っているのに、東はもう朝だ」
魔理沙が笑うと、その振動が直接アリスにも伝わった。
「世界でもっとも大きなグラデーションね。今日が始まるって気がするわ」
「なんだか、今が朝なのか夜なのかわからなくなるな、こういうのって」
「そうね。星があるところはまだ夜ってのはどう?」
「いやいや。雲が緋いところからが朝だろ」
「曖昧ね」
「曖昧だな」
二人一緒だと、振動はどっちのものだかわからなかった。
「空って、どっからが空なのかしらね」
「さあな」
「空がどこにあるのか誰にもわからないのに、誰が見てもそこは空なのね」
「本当だ。ちょっと面白いな」
飛んでいるから、風なんてずっと吹いている。魔理沙の肩に額を押しつけて、アリスは震えそうな声で訊いた。
「魔理沙は?」
「ん?」
「魔理沙はどっからが自分なのかとか、考えたこと、ある?」
アリスの声はすぐ耳元だ。やっぱり茉莉花の香りがした。アリスの匂いだと、魔理沙は思った。
「あくまでも、私にとってだぜ?」
「それでも聞きたい」
「多分、この世界に私がいるんじゃなくて」
「うん」
「だから、【今】や【ここ】に私がいるわけでもなくて」
「うん」
「だから、どこからとか、昨日も今日もなくてさ」
「うん」
「誰かが私の名前を呼ぶんだ。そいつは霧雨魔理沙を知っていて、憎んでいるのか好きなのか知らないけど、とにかくそいつの中には霧雨魔理沙っていう言葉があって、それで私を呼ぶんだよ。で、私はそれに返事するわけだ」
「うん」
「その返事に、誰もが納得できるなら、呼んだ方も呼ばれた方も、納得できるなら」
「…うん」
「私は間違いなく、私だと思う」
だから。
「アリスの名前は、私が呼んでやるよ」
今度の涙は、我慢できなかった。
【魔法使いには魔術書を】
それでも私は、大切なものは断然傍に置く方なの
[あるいはエピローグⅢ]
きっと今日も断られるだろう。そう思っても小悪魔は丁寧に紅茶をいれていく。
別段、自分としては彼女にそこまでしたい訳ではないのだが、万が一に彼女が気まぐれを起こしたとき、主人に恥をかかせるようなものは出せなかった。それに起こさなかったとしても主人は確実に飲むわけだから、美味しいにこしたことはない。
この薄くも繊細な技巧を尽くしたティーカップは、主人がある日突然用意させたものだが、可哀相にその役目を果たしたことは一度もない。おそらく今日も使われないだろうたった一人の為のティーカップを見つめて、小悪魔はそっとため息をついた。
埃っぽい匂いに、重々しくも知的な空気に、紅茶の気品ある香りは漂い広がってゆく。
白い陶磁器のティーポットが満たされたなら、主人は本を閉じてあの一角に向かうだろう。
そうして数分後には、一人では多すぎる量の紅茶を、不機嫌を取り繕って消費するのだ。
「で、今日も断られたんですか?」
「小悪魔うるさい」
知識の魔女は不機嫌そうだった。今日は取り繕ってもいなかった。日に日に感情表現が激しくなっていくなぁと、しみじみしてしまいそうだった。
「あのですねぇ、パチュリー様。こう言ってはなんですが、パチュリー様のやり方もよくないと思うのですよ」
「あの誘い方のどこに問題があるというのよ」
「誘う以前に、解いておかなければならない誤解があるじゃないですか」
そうなのだ。どういうわけか、『声をかけられたら即帰るルール』もとい、『声をかけられたら、それ即ちそろそろ帰れの合図ルール』は未だ健在で、おまけにアリスは大量の貴重な本の価値を、著しく損ねてしまった為、そのことをパチュリーがひどく怒っていると思っているらしかった。
「もちろん、怒っていないわけじゃないけど」
「でもとっくに許しているんですよね?」
魔術書としての価値は下がったが、読む分には何の問題もない。知識を得ることに喜びを見いだすパチュリーにとっては、さして価値は変わらないのだ。
「なのにパチュリー様ったら、何年かかってもいいから本をなるだけ元に戻せとか言っちゃうし」
「それは」
言葉を詰まらせたパチュリーに、小悪魔はわかっています、わかっていますともと大げさな仕草で頷く。
「口実、ですよね」
「…戻して欲しいのは、本当なのよ?」
「じゃあ建前ね」
「ですよねぇ…ってレミリア様、いつの間に?」
ばさりと、羽の動く音。
「そうね。あなたがアリス用のカップに向かって溜め息をついていた辺りからじゃないかしら」
「最初からじゃないですか」
「なんでもっと早く出てこないのよ」
もっともな話だ。
「だって、そうしたらパチェはアリスをお茶に誘わないでしょ?小悪魔が淹れたのは二人分なんだから」
「レミィ…」
友情だなぁと小悪魔は思った。今日も世界は平和だ。主に、自分の周りが。
自分のことを認めるのは、とても難しい。
ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。
読んだ瞬間感動のあまり涙腺が…
魔法使い組の理想的な話でした。感動した。
もう疑問符浮いたら前回、前々回読み直すなんてザラでした。
面白かったです。
本当にお疲れ様でした。
魔女達に幸多からんことを願って……ノシ
ありがとう。
パチュリーだけは「実にらしくない」。こんな積極的なパチュリー見たことねぇ。
まぁ今まさに青春であるならば、この「らしくない」大胆さも無理からぬ事か。
前作では大きすぎて、ざっと見ただけでは認識さえできなかった謎…今作でそのディテールは見えたようなそうでないような。
今回もカスりもしてない(ように思える)次回作に関わるのか、或いは全く関係ないのか…いずれにせよ、楽しみにしてます。
ほんのり夢気分に楽しませていただきました。
私が『私』で、貴女は『貴女』。
それではお茶の時間にしましょう。
貴女が『ここ』に居て、私が『そこ』に居て。
相も変わらず変な言葉ばかり残して申し訳ない。
どうも氏の作品を読むと変な思考回路が動くようで。
これだから私はぱちぇとアリスがすきなんだ。
まだ少し語られてない物語があるようで、そちらの方も期待してます。
特にレミリア視点が気になる…。
前作エピローグの魔理沙の台詞でハッピーエンドである事だけは分かっていたのですが、改めてほっとした自分がいます。
次回作、後日談、楽しみに待たせてもらいます。
こんな結末を待っていたんです。
素敵なお話をありがとう。
それから、魔理沙ができることが無くてずーっとおあずけされているのが可哀想で、最後にようやく報われた時本当に嬉しかった。
>え~と、これは次回作が後日談という意味なんでしょうか?それとも全く別なものとしてでしょうか?
変な書き方で混乱させてしまった様ですみません。
別なもののつもりで書きました。訂正するなら「次回作、もしくは後日談」
。次回作だけだと後日談を望まない様にとられる気がしたのでこの書き方になりました。
レス汚しすみません。
堪能しました。これも伏線なのか、と唸りながら読んでました。
誤字が多いので、それだけは気を付けていただけたらと。
謎は謎のまま受け入れてしまう私としては、これはこれで良いんじゃないかなあと思います。楽しかったし。(続編書き始められた後に言っても意味無いか)
たった今ここまで全部読ませていただきました。
東方に関してはいつも楽天的で能天気なおはなしばかりを求めてきましたが、
こういった重みのある物語がこんなにも良いものだとは。
この作品に偶然出会えたこと、及び作者様に感謝。
でも、まだまだ絵は大きくなるかも知れないし、手をつけたからには全貌を拝んでみたいのが正直な気持ち。
まったくもって今更ですが、続きの話に期待しています。
ありがとうございました。
早くパチュリーとアリスが一緒にお茶を飲める日が来ますよう。魔理沙含め、三人で仲良くすればいいよ!
魔法使い三人組は素敵だな。
太陽の位置が変わっていることにも気がつかず、読みふけっていました。
真冬の寒い日に心を温める物語を、ありがとうございました。