幻想郷に異変はつきものだ。
大きくは春がこなかったり、夜が明けなかったりといったモノから、湖の蛙が氷漬けになるといったモノまで様々である。
それらの多くは怠け者の巫女や暇を持て余した魔法使いによって解決されるが、稀に彼女達が全く関わらずに事なきを得る異変もある。今回はそんなお話。
その異変は突然だった。それは晴天のうららかな午後を一瞬にして闇に染め上げ、幻想郷の全てを覆った。
異変の起点は紅魔館の外周を囲む湖を更に囲む昏き森。この森は妖精達の棲み家だったが、他にも妖怪やそれに準ずるモノが多く棲みついていた。故にまずその異変に気が付いたのは森の住人達だった。
「チルノちゃん、早く逃げなきゃ!」
大妖精が叱咤する。森の中で起きた異様な力の暴発をチルノと大妖精の二人は間近で視認していた。
「おかしいな~、何であの子にこんな力が?」
「もう!今はそんなこと言っている場合じゃないでしょ!」
首を傾げるチルノの腕を強引に引っ張って、大妖精はその場を逃れる。必死で脱出を試みる大妖精に左手を引かれながら、チルノは相変わらず考え込んでいた。その右手には何故か一条のリボンが握られていた。
その異変は紅魔館に於いても即時確認されていた。位置関係を考えれば至極当然で、昏き森は湖の周囲を囲んでいるのだ。そしてそれを最も早く関知したのは館の外周警備を専任する門番隊、その長たる紅美鈴であった。
「門番長! あの力は一体何でしょう! それにこの闇……」
次いで気が付いた門番隊の部下に奏上され、美鈴はそれでも動じない。
「理解っているわ。貴女はこのことをメイド長に伝えて。他の者は所定位置で待機。私は原因の確認に行くわ。二人ばかり付いてきて」
美鈴はてきぱきと部下に指示を出す。対外的にはヘタレなイメージのある美鈴だが、館内での評価は高く、仕事も出来るので総じて部下の信頼は篤い。
ちなみに美鈴率いる門番隊は館の外苑の仕事を全て取り仕切っている。有事の守りは当然だが、その他にも庭の整備清掃、花壇の世話、菜園の管理等は全て門番隊が請け負っている。これに対し、館内の雑事は咲夜率いるメイド隊の仕事だ。紅魔館は外の門番隊、内のメイド隊の二部隊による完全分業制なのだ。
美鈴はそんな外苑の仕事全てに於いて水準を遙かに超えた技術を持つ。又、若い紅魔館の使用人達には知らない者も多いが(特に咲夜が紅魔館に来て、メイドとして働くようになってから入った者は)、炊事、清掃、洗濯も得意でメイド長不在の場合は臨時のメイド長の権限も持っていたりする。美鈴に心酔する部下はこの頃からの古い使用人が多い。美鈴がどんな人物か知っているのだ。
「諒解です、門番長」
門番隊の娘達は指示された通りに動く。日頃の訓練の賜物で、部下の間に混乱は見られない。
「じゃあ、行くわよ」
颯爽と飛び立つ美鈴。力の波動の伝わってくる、その中心に目標を定める。が、程なくして美鈴の視界に人影(?)が見えた。目を凝らさなくても判る。この湖周辺を根城にしている氷精、チルノとそのお目付役の大妖精だ。
「あ、美鈴さん」
「よぅ中国、元気か?」
「中国っていうな⑨」
どうやら力の波動の強い方から逃げて来たように思える。チルノの表情はいつも通りだが、大妖精の方は青ざめていた。
「何があったの?」
美鈴は事の詳細を大妖精に訊く。とりあえず「なんでアタイに訊かないのよ」と喚き立てるチルノは放っておく。
「それが……」
と、大妖精がそこまで言おうとした時──闇が降りた。
「これは一体何事よ」
咲夜への報告を指示された門番隊の少女は、常に館内を忙しく動き回っているメイド長を比較的早くに見つけることが出来たことにちょっとした幸運を感じていた。
なにせこの紅魔館、外見からは考えられないくらい広い。他ならぬメイド長が空間を弄った結果なのだが、人を捜すとなるとこれが無駄に疲れる程広い。空間を弄った本人である咲夜や、気の流れで人を見分ける力を持つ彼女の上司ならば全く問題ないらしいのだが、普通の一般妖怪である彼女には少々、いや多々問題がある。
「はい、先程湖外周の森林地帯に於いて未確認の力の暴発を確認。門番長、紅美鈴様のご指示により館外周の守護の強化とメイド長様への報告を。また、現在美鈴様は原因の確認のため該当位置へ二人ほど伴って急行しております」
「そう、では詳細が判り次第再度報告を──」
「いえ、それには及ばないわ。咲夜」
咲夜の言葉を自らの言葉で遮る。この紅魔館に於いてそれが出来るのは三人しかいない。図書館の主と妹様、そして彼女の主たるデモンロード、レミリア・スカーレットだけである。
「お嬢様、お目覚めでしたか」
「まぁね。私を差し置いて幻想郷を闇で閉ざすなんてことする奴が気になってね。目が覚めちゃったのよ」
レミリアは心底楽しそうな声でくつくつと笑う。
「見に行くわよ。どんな奴か気になるじゃない」
「はい、お嬢様がそう仰るなら」
と、その時である。館全体に轟音が鳴り響いた。地響きが伝わってくる。
門番隊の娘が「それでは、私も持ち場に戻ります」と二人の前を辞してあとには主従だけが残される。
「それではお嬢様、参りましょうか」
「ええ、咲夜」
二人は悠々と館内を歩いていく。
紅魔館の正門は混乱の極みにあった。門番長不在の今、館の顔ともいえる正門に襲撃が加えられた為だ。正門は閉められていたためモロに衝撃を受けてひしゃげていた。
「いつつ……」
ひしゃげた正門の中に門番隊の見知った姿があった。それは彼女たちの尊敬すべき長、美鈴の姿だった。つまり彼女は壮絶な力で吹き飛ばされ、そのまま門に激突したワケである。
「美鈴様!」「門番長!」
口々に隊員達が美鈴を呼ぶ。よく見ると美鈴の他にもう二つ人影がみえる。
「痛った~……くない?」
「怪我もしていないよ?」
チルノと大妖精である。三人同時に吹き飛ばされたハズだが、何故か彼女たちには怪我どころか衝撃すら感じられなかった。
「大丈夫? 貴女達」
美鈴が二人を心配して声を掛ける。聡い門番隊の隊員たちはすぐに理解していた。彼女らの敬愛する門番長は飛ばされる際に二人を守り、自らのことは省みなかったのだ。みると美鈴の額から一筋の血が流れていた。
「あははは、何よ門番。あんた怪我してるじゃない。だらしないわね~」
チルノが自分が守って貰ったことに気が付かず美鈴を非難するが、彼女は全く意に介さない。
「美鈴様、ご無事で?」
一人の門番が声を掛ける。美鈴は手をひらひら動かして「大丈夫、なんともないよ」と部下達に声を掛けた。
「さて、問題はこれからよね」
見上げる美鈴の視線の先には、闇の中心が、いた。
彼女は自分が生まれた理由を知らない。
そもそも妖怪というものは生まれに理由を持たない。
何故自分があるのか? を考えるよりいかにこれからを生きていくか? を考えるのが妖怪であり彼女もその範疇を超えたことは無かった。少なくとも、今日までは。
妖怪の名をルーミアという。
闇の中から生まれ出で、「闇を操る程度の能力」を持って人を惑わし、喰らう。
外見は幼い少女の様で、普段は邪気の欠片もない。しかし彼女には自分すら知らない秘密があった。
「ルーミア……随分と成長したわね」
美鈴の視線の先、闇の中に浮かぶ見知ったハズの少女は彼女の記憶とは違っていた。少なくとも幼女と呼べる外見ではない。すらりと伸びた脚、豊かな双丘のふくらみ、なによりその顔立ちには妖艶さが漂っている。
身長も美鈴ほどでは無いにしろ咲夜ほどはある。余談だが、幻想郷に於いて美鈴はかなりの長身だ。恐らく紅魔館、白玉楼、永遠亭、はては彼岸やマヨヒガを含めても一番背が高い。彼女の下といえば咲夜の他に永遠亭の薬師、マヨヒガの狐といったところでその下はダンゴだ。故に美鈴は目の前のルーミアには正直驚いていた。
「そーなのかー。あたしは別にわかんないけどねー」
ルーミアはけたけた笑いながら、けれど不穏な笑顔で続ける。
「そんなことどーでもいいから、あそぼーよ」
「……いいわよ。ただし私と遊んだら帰ってくれない?」
「えー、もっといろんな人と遊びたいなー」
ルーミアはあくまで笑顔で言う。
「チルノちゃーん。大ちゃんも一緒にあそぼーよ」
ルーミアは二人に視線をずらす。その瞳に宿る狂気を、流石のチルノも感じ取っていた。
「やだ……怖いよ、ルーミア」
「こわい?」
「今のルーミア、変だよ。いつものルーミアじゃないよ……」
「……そーなのかー?」
言葉と同時にルーミアは右手から力を放出する。不可視の凶弾がチルノを襲う──直前はじかれる。美鈴だった。
「ルーミア、今のは弾幕ごっこの範疇を超えていたわよ?」
そう、中ったら死んでいた、と美鈴は言う。事ここに至って漸くチルノは事の重大さを悟る。
「チルノ、大妖精、私が許可します。館内に避難しなさい」
「え……、でも中国はどうすんの?」
「私は紅魔館の門番です。悪意のある者を門を通すわけにはいきません」
「大丈夫なんですか?」と大妖精。
「貴女達よりははるかに目があるでしょ」とチルノ達に言ってから、「他の門番隊は所定位置で待機、有事の際は各脅威を排除。あの子の相手は私がします」と冷静に指示を出す。
そしてルーミアに向き直すと背中越しに一言云う。
「それとチルノ」
「なによ」
「私を中国って呼ぶな」
館内に案内されたチルノと大妖精を待っていたのは紅魔館の主だった。傍らにはメイド長も立っている。
この突然の来訪者をレミリアは無言で見下ろしていた。身長はほとんど変わらないのに間違いなく見下ろされている。チルノは耐えきれず口を開いた。
「な、なによ。あたいたちはあんたたちの門番に許しを得て館に入ったんだから、どうこう言われる筋合いないわよ」
レミリアはあくまで冷ややかにチルノを見下ろす。チルノに答えたのはレミリアではなく咲夜だった。
「美鈴が許可したのなら、貴女は紅魔館の客人です。ですが、その前に我が主が一つ、問いただしたい事があるそうです。宜しいですか?」
「な、なによ」
チルノは正に蛇に睨まれた蛙のように(実に皮肉な表現だ)小さくなっていた。彼女にしては珍しく神妙にレミリアの言葉を待つ。
「貴女、その手に持っているリボンは何?」
見ると、ずっと握っていたのだろう。チルノの右手に赤い布きれがしわくちゃになりながらも握られていた。
「ああ、これ? ルーミアのリボ……」
「「お前の所為か!」」
チルノが言い終わる前に二人の鉄拳が飛んできたのは言うまでもない。
戦いはどちらが有利か誰の目にも明らかだった。
成長を遂げたルーミアの力は確実に門番のそれを超えていた。そもそも力の出所が違う。美鈴はあくまで自分の力以外では戦えない。ところがルーミアは自ら展開した闇を再度取り込み、ブースト燃料として使用している。闇さえあれば彼女は際限なく力を行使できるのだ。
しかも弾幕の一発一発が重い。先程のチルノ達へ向けられた力といい、まともに中れば生命も危うい。もはや“ごっこ”とは呼べない力を彼女は放っている。
「ルーミアにこんな力が眠っていたなんて……やっぱり封印されていた力か……」
美鈴は既にルーミアの変貌についての理由にアタリを付けていた。近くで対峙すれば判るが、彼女の髪に施されたハズの封印布──つまりリボンが無い。
「そういや⑨がなんか持ってたっけ。アレで再封印するのが一番有効的かな」
ルーミアの本来の力が封印されているというのは幻想郷では比較的有名な話だ。ただ、真偽の程は定かではなかったし、仮に本当だったとしてもここまで封印中と解放後で力に差があるとは思っていなかった。美鈴曰わく「6ボスかエクストラ級じゃない!」だそうである。
「ホラホラ、余所見しているヒマなんか無いよ~」
ルーミアが一発必死の弾幕を撃ってくる。尤も密度はそれ程でもなく、最盛期とスピードだけは変わらない美鈴にとってこのくらいの弾幕は目を瞑ってでも避けられる。
しかし、中れば墜とされる。それは美鈴の心に確実に負荷を重ねていく。
『虹符「彩虹の風鈴」』
美鈴は自分も弾幕で応戦する。だが美鈴にとって弾幕そのものは囮、あるいは布石に過ぎない。彼女の本領は至近距離からの白兵戦にある。
実際近づいてしまえば美鈴に敵う者はこの幻想郷でもそう多くはない。幻想郷の住人達は弾幕に特化している者が多く、近づかれると脆い者が多い。数えれば白玉楼の庭師や彼岸の死神、彼女の上司のナイフ使いなんかは接近戦も得意だろうが、他の連中相手なら美鈴は同等以上の戦いが出来るのではないだろうか? あくまで接近戦でという条件付きではあるが。
だから、美鈴がその行動に出たのは至極当然だった。
だから、ルーミアがその行動に出たのも至極当然だった。
「結界──ですって?」
ゼロ距離を取ったと思った刹那、美鈴ははじき飛ばされていた。ルーミアを囲む暗闇、それが結界となって美鈴の接近を防いだのである。
「美鈴!」
叫んだのは咲夜だ。彼女はレミリアと共に美鈴の戦いを観戦していた。その手には赤い布が握られている。
「あの闇の結界はちょっと厄介ね。今のルーミアの力も相まってかなり頑丈に出来てるわ。ちょっとやそっとの力じゃ破れないかも」
レミリアが冷静に分析する。見ると、咲夜が今にも飛び出しそうな勢いで、それをぐっと堪えているのが判る。傍目にはあくまでも瀟洒に佇んではいるが。
「咲夜、理解っているわね」
従者からの返答は無かったが、それが肯定の意だとレミリアは知っている。この戦いはあくまで外警を受け持つ門番隊の仕事であり、メイド隊を束ねる咲夜の出番は無い。門番隊の協力要請があればその限りではないが、その権限を持つ門番長は戦闘の真っ最中であり、その余裕も無いだろう。
咲夜は今すぐにでも美鈴を助けに行きたかった。しかし彼女は紅魔館のメイド長。長自らが決まり事を破るなど、あってはならない。
そんな部下の葛藤を横目に主の吸血鬼は口の中で呟いていた。
「……妬けるわね」
「つまんないなー。美鈴と遊ぶのも飽きちゃった」
ルーミアは無邪気に笑いながら、一枚のスペルカードを取り出す。
「どうせならもっと強い人と遊びたいから、もう消えちゃってくれないかなー」
と、さらりと言う。
『闇喰「ブラックホール」』
「な、なに?」
展開された闇の穴が徐々に広がり美鈴の身体にまとわりつく。美鈴は必死に振りほどこうとするが、相手は形無き闇。
「ちょ、ま、マジで~」
妙に緊張感の無い叫び声が昏い空に響き渡った。そして──飲み込んだ。
「お嬢様、申し訳ございません」
咲夜はそれだけ言い残すと、刹那の内に消えていた。残されたレミリアは一つだけ溜息を吐いて、
「美鈴ったら愛されてるわねぇ。やっぱり妬けちゃうわ」
と、肩を竦めて独りごちた。
「次はメイドが遊んでくれるのー?」
突如目の前に現れた咲夜に驚く様子もなく、ルーミアは狂気を湛えた笑顔で言う。
「ルーミア、ひとつだけ答えなさい」
「なに?」
身体を十字に広げ、お馴染みのポーズで首を傾げるルーミア。
「美鈴を、何処へ、やったの?」
怒気を孕んだ、それでいて瀟洒な物言いに臆する風もなくルーミアはたっぷり三十秒考え込んで言った。
「わかんない」
にっこりと最上の笑顔で答える。
「コ・ロ・ス」
最早メイド長を止められる者はいない。
「ここは……闇?」
美鈴は闇の中で目が覚めた。といっても自分が目を開けているのかさえ曖昧な闇の中では自己の持つ感覚だけが頼りだった。
その意味では「気を扱う程度の能力」を持つ美鈴にとって問題はない。彼女は自己の存在を自分の気の流れによって認識することで、自我を保っている。これが他の者ならば完全なる闇の中で自我を保てず、廃人になることもあるだろう。
「さてと……どうやってここから出ようか」
自分がルーミアの闇に飲まれてしまったのは理解出来る。どうやらあの闇の結界の内側らしく、現状を打開できる策も物品も無い。
──……け……
だからといって、いつまでもここにいるわけにはいかない。紅魔館の門番として、あのルーミアを館に入れるわけにはいかない。
──……けて
仮に侵入されてもお嬢様ならどうにかしそうだけど……と、そこまで思考した所で初めてその声に気が付く。
──たすけて
その声は、美鈴の知るものだった。ルーミアの声である。
美鈴は声の方への向かう。実際には上下も、左右も、距離すら判らないので動いているのかどうかさえ怪しかったが、程なくしてそれを見つけた。
「ルーミア……」
「たすけて……」
それは確かにルーミアだった。美鈴の知る、幼女然としたルーミアである。
「ルーミア」
そう、声を掛ける。ルーミアは泣いていた。目を腫らして、うずくまって泣いていた。
「誰……?」
「私よ、美鈴よ」
「めーりん……?」
ルーミアは最初誰だか理解ってない風だったが、はっと目の前の美鈴に気が付くと、身体を預けて泣きじゃくる。
「めーりん、めーりん。たすけて」
「どうしたのルーミア。あんたがここにいるってことは外のあの子はなんなの?」
美鈴は至極まともな疑問を投げる。尤も泣いているルーミアにまともに話が訊けるとも思ってなかったので、一応形式みたいなものだ。が、意外にも答えは返ってきた。ただしそれは目の前の泣きじゃくるルーミアからでは無かった。
「それはあたしの主人格よ。一応ね」
別の場所から降ってきた言葉に美鈴はその方向を向く。そこには例の大人びたルーミアがいた。
「貴女……」
「大したものね、美鈴。普通の妖怪ならこの世界に送った時点で精神に異常をきたすっていうのに」
「おかげさまでね。さて、貴女もルーミアでいいのかしら?」
「間違いなくルーミアよ。ただし抑圧された副人格。あたしは本来成長を遂げるはずだった封印されし闇」
大人ルーミアの口調、そぶりは芝居掛かっていてちょっと勘に触る。美鈴はそう思った。
「で、ここから出るにはどうすればいいのかしら?」
「それを教えると思う?」
「貴女に教えて貰わなくても、この子なら教えてくれそうだけど?」
もう一人の自分を見て怯えるルーミアの主人格を美鈴は副人格から遠ざける様に隠す。
「そうね。でも貴女が向こうに戻るとちょっと面倒なのよ。折角メイドと遊んでる最中なんだからさ、リタイアした人は出てこないで欲しいわけ」
「悪いけど、まだリタイアしたつもりは無いの。どうあってもここから出させて貰うわ」
美鈴はスペルカードを取り出すと、その発動を試みる。が、発動できない。
「悪いけど、ここはあたしの空間。あたしそのものといっても良い。ここでスペルカードは使えないよ」
「なるほど……でも固有の能力は使えるみたいね」
「え?」
大人ルーミアにとって、それは意外中の意外だった様だ。スペルカードではない、美鈴の気の籠もった一撃は油断していた大人ルーミアのガードをあっさりと貫く。
「きゃああっ!」
大人ルーミアは闇の中にかき消えるように消える。残されたのは主人格たるルーミアと美鈴のみ。
「「大丈夫?」」
不意に二人の言葉が重なる。
美鈴はルーミアの姿を見る。自分の中の世界とはいえ、別の人格に身も心も支配され、意識の深層に封じられていたのだ。消耗していないワケがない。
対するルーミアは純粋に自分を助けてくれた美鈴への感謝の言葉だった。更にこれで、一時的にではあるにせよ闇の力への干渉力も戻ってきている。まだあの大人ルーミアの人格の方が強いので表層に出ることは出来ないが。
「美鈴、お願いがあるの」
「何?」
「外に出て、私を再封印してほしいの」
「再封印?」
問う様に訊いてみたものの見当は付いている。ルーミアのいつも付けていたリボン、あれは相当に強力な封印の様だ。いままでその力を持ってルーミア本来の力を封じていたのだろう。幻想郷を席巻する闇すら生み出すあの強大な力を封印するほどの強力な封印。
「いまならわたしの力でもこの闇から出してあげられそう。あっちのわたしの力が戻る前にこの闇の結界を抜けて。あとは……」
「例の封印布で、あなたの力を再度封じればいいのね?」
「上手くいくかわかんないけど、あっちのわたしを封じるにはこれしかないと思うの」
「了解。じゃあ、ここから出してくれる?」
「うん、行くよ!」
ルーミアは意識を集中する。途端に周囲の闇が美鈴の身体を包み始める。
「うー、慣れないな、これ」
「我慢してね」
刹那、闇は美鈴を飲み込み、周囲の闇と同化し、そして完全に消えた。
「頼んだよ……、虹色のおねえちゃん……」
「はぁ……、はぁ……」
咲夜は苛立っていた。正直、あのルーミアの力は反則に過ぎる。こちらの攻撃は闇の結界に阻まれシャットアウト。向こうの攻撃は周囲の闇全方位から断続的に飛んでくる。
時を止めて事に当たっても闇の結界を抜くことは出来ないし、消えたままの美鈴のことも気に掛かる。
「どうしたのメイドさん。もう終わりなのかな?」
ルーミアの表情は格下を蔑む嘲りの表情がありありと見て取れる。いつもならそれを良しとしないメイド長だが、事ここに至っては認めざるを得ない。
あの宵闇娘の力は、敬愛するお嬢様に匹敵する。ということに。
「つまんないなー。もうメイドと遊ぶのも飽きちゃった」
ルーミアはさらりと言うと、館の方を向く。その視線の先に居る者は……
「お嬢様!」
「ふん……」
レミリアは鼻で笑う。
「やっぱり部下の不始末は上司が責任を取るべきだよね。ね、レミリアちゃん、わたしと遊んでよ」
ルーミアは冷ややかに咲夜を無視する。それはレミリアに対する挑発だ。だが同時に咲夜の心の火に油を注ぐ結果となる。
「わぁたしをっ!」
刹那、ルーミアの視界がナイフで埋め尽くされた。
「なぁめるなあっ!」
『空虚「インフレーションスクウェア」』
逃げ場のない全方位攻撃がルーミアを襲う。だが、それすらも今のルーミアには意味の無い行為だった。
「邪魔だよ」
ルーミアは美鈴を捕らえた闇の塊を咲夜に対しても発動させる。
『闇喰「ブラックホール」』
その闇は、空間そのものを喰らう闇の穴だ。どんなに空間を弄っても、それごと吸い込むその穴は咲夜にとっては天敵の様なモノだ。
だが、そのスペルカードが発動することは無かった。いや、正しく言うなら発動はした。ただし、本来の方向ではなく、逆の方向に。
開いた闇の穴から大きな力が感じられる。それは咲夜にとって、ある意味主人であるレミリアよりも大切な人のもの。
「咲夜さん!」
闇の穴から大きな爆発音を伴って、虹色の弾幕が爆ぜる。同時に穴は消え失せ、闇の中に煌めく光が姿を現した。光は徐々に収束していき、人の形を成す。
「咲夜さん、紅美鈴、ただいま帰還致しました!」
「遅い!」
「済みません咲夜さん。闇の中にいたいつものルーミアに手伝ってもらって、何とか帰ってこれました」
「まったく……、心配ばっかりかけて。貴女に何かあったら、私は……」
咲夜は顔を隠すように俯く。肩を震わせ、今にも泣き出しそうな程だった。
「ごめんなさい、咲夜さん……」
一方美鈴はというと、既に涙ぐんでいた。想っている人に心配されていたという事実に感無量、といったところか。
「…………」
その一部始終を見ていたレミリアは一言。
「好きにしてよ、もう」
と、言ったとか。
「よく戻ってこれたわね、美鈴」
ルーミアはさほどショックを受けた風もなく、二人を見下ろしていた。彼女にとって今更門番が帰ってきたところで、自分の優位は動かないと考えているし、それは事実上正しい。そもルーミアの意識は既にレミリアに動いており、二人は眼中にないといっていい。
「帰ってきてくれて早々なんだけど、ピンチなのよ。どうにかあの子に近づければいいんだけど」
咲夜はエプロンドレスのポケットから、赤い布きれを取り出す。
「そのリボン……」
「ええ、あの子の封印布。チルノから返して貰ったはいいんだけど、あの子に近づくことすら出来ない現状ではね」
咲夜はその手に握られた赤いリボンとルーミアを交互に見やる。
「せめて一瞬でもあの結界が消えれば、時間を止めて再封印することも出来るんだけど、残念だけど私の力や能力ではあの結界を抜くことは出来ない。お嬢様クラスの力じゃ無いと……」
「一瞬でいいんですか?」
「ええ、一瞬あれば私に取っては永遠も同じ……って、美鈴?」
咲夜は傍らの美鈴を見る。そこには今まで見たことのない、凛々しい表情をした紅魔館の門番長がいた。
「咲夜さん、今からあの子の結界が消えます。恐らく本当に刹那ほどしか間は無いでしょうが、確実に消えます。後のこと、宜しくお願いします」
「美鈴、貴女私の話を聞いていたの? お嬢様クラスの力がないとアレは破れないって……」
「ですから、私も覚悟を決めたんです」
咲夜は思い出した。かつでパチュリーから聞いた話を。それは美鈴の本来の力のこと。だがそれは彼女の肉体をも滅ぼす諸刃の剣だったはずだ。
「美鈴止めなさい! もうお嬢様にお願いするから!」
「いいえ、出来ません」
「美鈴?」
「私は栄光ある紅魔館の門番です。例え私の身がどうなろうとも、敵意のある者を館に入れる訳にはいきません。ましてお嬢様の手を煩わせるなど、門番たる私の矜持が許しません」
「美鈴、貴女……」
美鈴にはそれこそが生きる証。あの数十年前にレミリアと交わした約束。初めて自分を認めてくれた主人に対する、断固たる信念。
「よく言ったわ、美鈴。それでこそ、私の門番」
レミリアは外を眺めながら、彼女を己の臣としたことに誇りを感じていた。
「いきます! 咲夜さん!」
突如美鈴の身体が虹色の輝きに包まれる。それは徐々に彼女の背後に移動し、終には二対の煌めく翼へと変化した。
「これは……」
咲夜も、レミリアも、そして対峙するルーミアも目を見張る。それ程までにその翼は神々しく、力に満ちていた。
「あれは……虹の翼?」
レミリアは我が誇れる門番の背に煌めくそれを、ただ呆然と眺めていた。
「なるほど、考えたわね。美鈴」
そこに別の声が投げかけられる。ゆったりとした衣装を身に纏い、常に書物を手放さない紅魔館の知識人、パチュリー・ノーレッジがそこにいた。
「あらパチェ。図書館から出てくるなんて珍しいじゃない」
「こう五月蠅くちゃ、おちおち読書も出来ないわ」
パチュリーは気怠そうに話ながらレミリアの隣に列ぶ。一緒に空を見上げると、虹の翼を生やした美鈴を見て、満足そうに微笑んだ。
「それで、考えた、とは?」
レミリアは当然の疑問を投げかける。
「あの子の力が、あの子自身の肉体を遙かに凌駕するものだということは憶えているわよね?」
「当然よ。だから私はあの子の深層意識にリミッターをかけて、力を意識下で封印しておいたんだから。尤もあの子が本気で力を解放したいと願ったなら直ぐに解けてしまう程度の封印だったんだけどね」
「あの子はね、この数年間どうやったら身体の負担を少なく自分本来の力を出せるか考えていたみたい」
「で、あれがその答えってワケ?」
「そう。あの虹色に煌めく光の翼はあの子の力の顕現よ」
美鈴は自らの有り余る力を体内ではなく外部に放出、固定することによって、常に強力な力を安定して供給出来るように工夫したのだ。つまりその形状は何でも良かったのであるが、翼の形で固定したのは外見的な見栄えも考えたからだろう。
「成る程、確かに考えたわね」
レミリアも心底感心する。
「あれなら必要以上に体内に力を蓄積しないで済むし、暴発の危険性も少なくて済む。なにより格好いいわ、アレ。私も真似しようかな」
「レミィには立派な翅があるじゃない」
「だって格好悪いじゃない。蝙蝠の翅よ、コレ」
などと言い、自分の翅をパタパタと動かす。
「あら、私は可愛いと思うけど」
最早二人にとってルーミアの事などどうでもいいらしい。そも美鈴が本来の力を出せること、その支援に咲夜が控えていること、この二点で紅魔館に敵は存在しない。
ルーミアは、そこにある脅威に無頓着だった。脅威と感じていないのか、それともその力を感じて尚、自らを上とみているのか。
ただ一つだけ。
「きれいだなー」
そう、感じていた。
『極光「華厳明星」』
本来は前面に撃ち出すスペルカードを全身に纏って突撃する。その速度は今この瞬間のみに於いて最速。
それはさながら宵の時間、辺りが闇に染まってきた時に輝く明星の様に。
一条の光となって。
闇を打ち砕く。
『時符「プライベートスクウェア」』
それは全てが凍り付いた世界。その中で咲夜は丁寧にルーミアの髪にリボンを結ぶ。これがこの騒動の最終章、と言わんばかりに、しっかりと。
「で、結局最後はどうなったワケよ」
ある晴れた日の昼下がり。博麗神社に入り浸る白黒の魔法使いが、紅い吸血鬼に問う。
「どうにも。それで終わりよ。まぁ、ちょっとした変化はあったけどね」
「変化?」
昨日、幻想郷を闇が覆うという、非常に判りやすい異変が起きた。犯人はルーミアだが、張本人は⑨。状況を鑑みればルーミアには罪は無く、お仕置きはチルノひとりが受ける事になった。そのことについてはチルノ一人が反論をしていたが、当然黙殺されている。いまごろは紅魔館でパチュリーの魔法の実験台にでもなっている頃だ。
「まず、ルーミアが成長したまま戻らなくなった。意識は主人格にあるが、たまに副人格が出てくるみたいで、なかなか面白いことになっているぞ」
ルーミアはひとしきり反省していたようだが、生来のお気楽さもあって元気を取り戻すのも早かった。力そのものは完全解放時より抑えられてはいるものの、一度解かれた封印では完全に封印し直すことは出来ないとのパチュリーの言。仕方ないので今後は紅魔館でその力を監視、事あらば抑えることになった。
「それとウチのメイド長と門番長がいままでよりもっと仲良くなってしまった。正直妬ける」
「それはいままでもそうだったでしょ?」
そこに神社の主であり、本来異変を糺すハズの紅白の巫女が口を挟む。お茶とお茶菓子を持って、レミリアと魔理沙の間に座る。
「まぁ、そうなんだけどね。今までよりあからさまになったっていうか」
「仲良きことは美しきかな、だぜ」
「節度と限度が欲しいわね」
美鈴はともかく、咲夜は昨日の疲労が抜けてないので、本日はお休みだ。美鈴もレミリア直々に休みを賜っているが、それを咲夜の世話に当てている。
レミリアといえば、コレ幸いと神社に一人で遊びに来ていたりする。
「ま、神は常に天にありき、世は全て事も無し。よ。わたし達が出張ろうが、サボろうが天道を曲げることは出来やしないのよ」
「幻想郷に神様は居ないぜ」
「その意見には賛成ね」
三人は思い思いに笑う。今日も幻想郷は平和だった。
大きくは春がこなかったり、夜が明けなかったりといったモノから、湖の蛙が氷漬けになるといったモノまで様々である。
それらの多くは怠け者の巫女や暇を持て余した魔法使いによって解決されるが、稀に彼女達が全く関わらずに事なきを得る異変もある。今回はそんなお話。
その異変は突然だった。それは晴天のうららかな午後を一瞬にして闇に染め上げ、幻想郷の全てを覆った。
異変の起点は紅魔館の外周を囲む湖を更に囲む昏き森。この森は妖精達の棲み家だったが、他にも妖怪やそれに準ずるモノが多く棲みついていた。故にまずその異変に気が付いたのは森の住人達だった。
「チルノちゃん、早く逃げなきゃ!」
大妖精が叱咤する。森の中で起きた異様な力の暴発をチルノと大妖精の二人は間近で視認していた。
「おかしいな~、何であの子にこんな力が?」
「もう!今はそんなこと言っている場合じゃないでしょ!」
首を傾げるチルノの腕を強引に引っ張って、大妖精はその場を逃れる。必死で脱出を試みる大妖精に左手を引かれながら、チルノは相変わらず考え込んでいた。その右手には何故か一条のリボンが握られていた。
その異変は紅魔館に於いても即時確認されていた。位置関係を考えれば至極当然で、昏き森は湖の周囲を囲んでいるのだ。そしてそれを最も早く関知したのは館の外周警備を専任する門番隊、その長たる紅美鈴であった。
「門番長! あの力は一体何でしょう! それにこの闇……」
次いで気が付いた門番隊の部下に奏上され、美鈴はそれでも動じない。
「理解っているわ。貴女はこのことをメイド長に伝えて。他の者は所定位置で待機。私は原因の確認に行くわ。二人ばかり付いてきて」
美鈴はてきぱきと部下に指示を出す。対外的にはヘタレなイメージのある美鈴だが、館内での評価は高く、仕事も出来るので総じて部下の信頼は篤い。
ちなみに美鈴率いる門番隊は館の外苑の仕事を全て取り仕切っている。有事の守りは当然だが、その他にも庭の整備清掃、花壇の世話、菜園の管理等は全て門番隊が請け負っている。これに対し、館内の雑事は咲夜率いるメイド隊の仕事だ。紅魔館は外の門番隊、内のメイド隊の二部隊による完全分業制なのだ。
美鈴はそんな外苑の仕事全てに於いて水準を遙かに超えた技術を持つ。又、若い紅魔館の使用人達には知らない者も多いが(特に咲夜が紅魔館に来て、メイドとして働くようになってから入った者は)、炊事、清掃、洗濯も得意でメイド長不在の場合は臨時のメイド長の権限も持っていたりする。美鈴に心酔する部下はこの頃からの古い使用人が多い。美鈴がどんな人物か知っているのだ。
「諒解です、門番長」
門番隊の娘達は指示された通りに動く。日頃の訓練の賜物で、部下の間に混乱は見られない。
「じゃあ、行くわよ」
颯爽と飛び立つ美鈴。力の波動の伝わってくる、その中心に目標を定める。が、程なくして美鈴の視界に人影(?)が見えた。目を凝らさなくても判る。この湖周辺を根城にしている氷精、チルノとそのお目付役の大妖精だ。
「あ、美鈴さん」
「よぅ中国、元気か?」
「中国っていうな⑨」
どうやら力の波動の強い方から逃げて来たように思える。チルノの表情はいつも通りだが、大妖精の方は青ざめていた。
「何があったの?」
美鈴は事の詳細を大妖精に訊く。とりあえず「なんでアタイに訊かないのよ」と喚き立てるチルノは放っておく。
「それが……」
と、大妖精がそこまで言おうとした時──闇が降りた。
「これは一体何事よ」
咲夜への報告を指示された門番隊の少女は、常に館内を忙しく動き回っているメイド長を比較的早くに見つけることが出来たことにちょっとした幸運を感じていた。
なにせこの紅魔館、外見からは考えられないくらい広い。他ならぬメイド長が空間を弄った結果なのだが、人を捜すとなるとこれが無駄に疲れる程広い。空間を弄った本人である咲夜や、気の流れで人を見分ける力を持つ彼女の上司ならば全く問題ないらしいのだが、普通の一般妖怪である彼女には少々、いや多々問題がある。
「はい、先程湖外周の森林地帯に於いて未確認の力の暴発を確認。門番長、紅美鈴様のご指示により館外周の守護の強化とメイド長様への報告を。また、現在美鈴様は原因の確認のため該当位置へ二人ほど伴って急行しております」
「そう、では詳細が判り次第再度報告を──」
「いえ、それには及ばないわ。咲夜」
咲夜の言葉を自らの言葉で遮る。この紅魔館に於いてそれが出来るのは三人しかいない。図書館の主と妹様、そして彼女の主たるデモンロード、レミリア・スカーレットだけである。
「お嬢様、お目覚めでしたか」
「まぁね。私を差し置いて幻想郷を闇で閉ざすなんてことする奴が気になってね。目が覚めちゃったのよ」
レミリアは心底楽しそうな声でくつくつと笑う。
「見に行くわよ。どんな奴か気になるじゃない」
「はい、お嬢様がそう仰るなら」
と、その時である。館全体に轟音が鳴り響いた。地響きが伝わってくる。
門番隊の娘が「それでは、私も持ち場に戻ります」と二人の前を辞してあとには主従だけが残される。
「それではお嬢様、参りましょうか」
「ええ、咲夜」
二人は悠々と館内を歩いていく。
紅魔館の正門は混乱の極みにあった。門番長不在の今、館の顔ともいえる正門に襲撃が加えられた為だ。正門は閉められていたためモロに衝撃を受けてひしゃげていた。
「いつつ……」
ひしゃげた正門の中に門番隊の見知った姿があった。それは彼女たちの尊敬すべき長、美鈴の姿だった。つまり彼女は壮絶な力で吹き飛ばされ、そのまま門に激突したワケである。
「美鈴様!」「門番長!」
口々に隊員達が美鈴を呼ぶ。よく見ると美鈴の他にもう二つ人影がみえる。
「痛った~……くない?」
「怪我もしていないよ?」
チルノと大妖精である。三人同時に吹き飛ばされたハズだが、何故か彼女たちには怪我どころか衝撃すら感じられなかった。
「大丈夫? 貴女達」
美鈴が二人を心配して声を掛ける。聡い門番隊の隊員たちはすぐに理解していた。彼女らの敬愛する門番長は飛ばされる際に二人を守り、自らのことは省みなかったのだ。みると美鈴の額から一筋の血が流れていた。
「あははは、何よ門番。あんた怪我してるじゃない。だらしないわね~」
チルノが自分が守って貰ったことに気が付かず美鈴を非難するが、彼女は全く意に介さない。
「美鈴様、ご無事で?」
一人の門番が声を掛ける。美鈴は手をひらひら動かして「大丈夫、なんともないよ」と部下達に声を掛けた。
「さて、問題はこれからよね」
見上げる美鈴の視線の先には、闇の中心が、いた。
彼女は自分が生まれた理由を知らない。
そもそも妖怪というものは生まれに理由を持たない。
何故自分があるのか? を考えるよりいかにこれからを生きていくか? を考えるのが妖怪であり彼女もその範疇を超えたことは無かった。少なくとも、今日までは。
妖怪の名をルーミアという。
闇の中から生まれ出で、「闇を操る程度の能力」を持って人を惑わし、喰らう。
外見は幼い少女の様で、普段は邪気の欠片もない。しかし彼女には自分すら知らない秘密があった。
「ルーミア……随分と成長したわね」
美鈴の視線の先、闇の中に浮かぶ見知ったハズの少女は彼女の記憶とは違っていた。少なくとも幼女と呼べる外見ではない。すらりと伸びた脚、豊かな双丘のふくらみ、なによりその顔立ちには妖艶さが漂っている。
身長も美鈴ほどでは無いにしろ咲夜ほどはある。余談だが、幻想郷に於いて美鈴はかなりの長身だ。恐らく紅魔館、白玉楼、永遠亭、はては彼岸やマヨヒガを含めても一番背が高い。彼女の下といえば咲夜の他に永遠亭の薬師、マヨヒガの狐といったところでその下はダンゴだ。故に美鈴は目の前のルーミアには正直驚いていた。
「そーなのかー。あたしは別にわかんないけどねー」
ルーミアはけたけた笑いながら、けれど不穏な笑顔で続ける。
「そんなことどーでもいいから、あそぼーよ」
「……いいわよ。ただし私と遊んだら帰ってくれない?」
「えー、もっといろんな人と遊びたいなー」
ルーミアはあくまで笑顔で言う。
「チルノちゃーん。大ちゃんも一緒にあそぼーよ」
ルーミアは二人に視線をずらす。その瞳に宿る狂気を、流石のチルノも感じ取っていた。
「やだ……怖いよ、ルーミア」
「こわい?」
「今のルーミア、変だよ。いつものルーミアじゃないよ……」
「……そーなのかー?」
言葉と同時にルーミアは右手から力を放出する。不可視の凶弾がチルノを襲う──直前はじかれる。美鈴だった。
「ルーミア、今のは弾幕ごっこの範疇を超えていたわよ?」
そう、中ったら死んでいた、と美鈴は言う。事ここに至って漸くチルノは事の重大さを悟る。
「チルノ、大妖精、私が許可します。館内に避難しなさい」
「え……、でも中国はどうすんの?」
「私は紅魔館の門番です。悪意のある者を門を通すわけにはいきません」
「大丈夫なんですか?」と大妖精。
「貴女達よりははるかに目があるでしょ」とチルノ達に言ってから、「他の門番隊は所定位置で待機、有事の際は各脅威を排除。あの子の相手は私がします」と冷静に指示を出す。
そしてルーミアに向き直すと背中越しに一言云う。
「それとチルノ」
「なによ」
「私を中国って呼ぶな」
館内に案内されたチルノと大妖精を待っていたのは紅魔館の主だった。傍らにはメイド長も立っている。
この突然の来訪者をレミリアは無言で見下ろしていた。身長はほとんど変わらないのに間違いなく見下ろされている。チルノは耐えきれず口を開いた。
「な、なによ。あたいたちはあんたたちの門番に許しを得て館に入ったんだから、どうこう言われる筋合いないわよ」
レミリアはあくまで冷ややかにチルノを見下ろす。チルノに答えたのはレミリアではなく咲夜だった。
「美鈴が許可したのなら、貴女は紅魔館の客人です。ですが、その前に我が主が一つ、問いただしたい事があるそうです。宜しいですか?」
「な、なによ」
チルノは正に蛇に睨まれた蛙のように(実に皮肉な表現だ)小さくなっていた。彼女にしては珍しく神妙にレミリアの言葉を待つ。
「貴女、その手に持っているリボンは何?」
見ると、ずっと握っていたのだろう。チルノの右手に赤い布きれがしわくちゃになりながらも握られていた。
「ああ、これ? ルーミアのリボ……」
「「お前の所為か!」」
チルノが言い終わる前に二人の鉄拳が飛んできたのは言うまでもない。
戦いはどちらが有利か誰の目にも明らかだった。
成長を遂げたルーミアの力は確実に門番のそれを超えていた。そもそも力の出所が違う。美鈴はあくまで自分の力以外では戦えない。ところがルーミアは自ら展開した闇を再度取り込み、ブースト燃料として使用している。闇さえあれば彼女は際限なく力を行使できるのだ。
しかも弾幕の一発一発が重い。先程のチルノ達へ向けられた力といい、まともに中れば生命も危うい。もはや“ごっこ”とは呼べない力を彼女は放っている。
「ルーミアにこんな力が眠っていたなんて……やっぱり封印されていた力か……」
美鈴は既にルーミアの変貌についての理由にアタリを付けていた。近くで対峙すれば判るが、彼女の髪に施されたハズの封印布──つまりリボンが無い。
「そういや⑨がなんか持ってたっけ。アレで再封印するのが一番有効的かな」
ルーミアの本来の力が封印されているというのは幻想郷では比較的有名な話だ。ただ、真偽の程は定かではなかったし、仮に本当だったとしてもここまで封印中と解放後で力に差があるとは思っていなかった。美鈴曰わく「6ボスかエクストラ級じゃない!」だそうである。
「ホラホラ、余所見しているヒマなんか無いよ~」
ルーミアが一発必死の弾幕を撃ってくる。尤も密度はそれ程でもなく、最盛期とスピードだけは変わらない美鈴にとってこのくらいの弾幕は目を瞑ってでも避けられる。
しかし、中れば墜とされる。それは美鈴の心に確実に負荷を重ねていく。
『虹符「彩虹の風鈴」』
美鈴は自分も弾幕で応戦する。だが美鈴にとって弾幕そのものは囮、あるいは布石に過ぎない。彼女の本領は至近距離からの白兵戦にある。
実際近づいてしまえば美鈴に敵う者はこの幻想郷でもそう多くはない。幻想郷の住人達は弾幕に特化している者が多く、近づかれると脆い者が多い。数えれば白玉楼の庭師や彼岸の死神、彼女の上司のナイフ使いなんかは接近戦も得意だろうが、他の連中相手なら美鈴は同等以上の戦いが出来るのではないだろうか? あくまで接近戦でという条件付きではあるが。
だから、美鈴がその行動に出たのは至極当然だった。
だから、ルーミアがその行動に出たのも至極当然だった。
「結界──ですって?」
ゼロ距離を取ったと思った刹那、美鈴ははじき飛ばされていた。ルーミアを囲む暗闇、それが結界となって美鈴の接近を防いだのである。
「美鈴!」
叫んだのは咲夜だ。彼女はレミリアと共に美鈴の戦いを観戦していた。その手には赤い布が握られている。
「あの闇の結界はちょっと厄介ね。今のルーミアの力も相まってかなり頑丈に出来てるわ。ちょっとやそっとの力じゃ破れないかも」
レミリアが冷静に分析する。見ると、咲夜が今にも飛び出しそうな勢いで、それをぐっと堪えているのが判る。傍目にはあくまでも瀟洒に佇んではいるが。
「咲夜、理解っているわね」
従者からの返答は無かったが、それが肯定の意だとレミリアは知っている。この戦いはあくまで外警を受け持つ門番隊の仕事であり、メイド隊を束ねる咲夜の出番は無い。門番隊の協力要請があればその限りではないが、その権限を持つ門番長は戦闘の真っ最中であり、その余裕も無いだろう。
咲夜は今すぐにでも美鈴を助けに行きたかった。しかし彼女は紅魔館のメイド長。長自らが決まり事を破るなど、あってはならない。
そんな部下の葛藤を横目に主の吸血鬼は口の中で呟いていた。
「……妬けるわね」
「つまんないなー。美鈴と遊ぶのも飽きちゃった」
ルーミアは無邪気に笑いながら、一枚のスペルカードを取り出す。
「どうせならもっと強い人と遊びたいから、もう消えちゃってくれないかなー」
と、さらりと言う。
『闇喰「ブラックホール」』
「な、なに?」
展開された闇の穴が徐々に広がり美鈴の身体にまとわりつく。美鈴は必死に振りほどこうとするが、相手は形無き闇。
「ちょ、ま、マジで~」
妙に緊張感の無い叫び声が昏い空に響き渡った。そして──飲み込んだ。
「お嬢様、申し訳ございません」
咲夜はそれだけ言い残すと、刹那の内に消えていた。残されたレミリアは一つだけ溜息を吐いて、
「美鈴ったら愛されてるわねぇ。やっぱり妬けちゃうわ」
と、肩を竦めて独りごちた。
「次はメイドが遊んでくれるのー?」
突如目の前に現れた咲夜に驚く様子もなく、ルーミアは狂気を湛えた笑顔で言う。
「ルーミア、ひとつだけ答えなさい」
「なに?」
身体を十字に広げ、お馴染みのポーズで首を傾げるルーミア。
「美鈴を、何処へ、やったの?」
怒気を孕んだ、それでいて瀟洒な物言いに臆する風もなくルーミアはたっぷり三十秒考え込んで言った。
「わかんない」
にっこりと最上の笑顔で答える。
「コ・ロ・ス」
最早メイド長を止められる者はいない。
「ここは……闇?」
美鈴は闇の中で目が覚めた。といっても自分が目を開けているのかさえ曖昧な闇の中では自己の持つ感覚だけが頼りだった。
その意味では「気を扱う程度の能力」を持つ美鈴にとって問題はない。彼女は自己の存在を自分の気の流れによって認識することで、自我を保っている。これが他の者ならば完全なる闇の中で自我を保てず、廃人になることもあるだろう。
「さてと……どうやってここから出ようか」
自分がルーミアの闇に飲まれてしまったのは理解出来る。どうやらあの闇の結界の内側らしく、現状を打開できる策も物品も無い。
──……け……
だからといって、いつまでもここにいるわけにはいかない。紅魔館の門番として、あのルーミアを館に入れるわけにはいかない。
──……けて
仮に侵入されてもお嬢様ならどうにかしそうだけど……と、そこまで思考した所で初めてその声に気が付く。
──たすけて
その声は、美鈴の知るものだった。ルーミアの声である。
美鈴は声の方への向かう。実際には上下も、左右も、距離すら判らないので動いているのかどうかさえ怪しかったが、程なくしてそれを見つけた。
「ルーミア……」
「たすけて……」
それは確かにルーミアだった。美鈴の知る、幼女然としたルーミアである。
「ルーミア」
そう、声を掛ける。ルーミアは泣いていた。目を腫らして、うずくまって泣いていた。
「誰……?」
「私よ、美鈴よ」
「めーりん……?」
ルーミアは最初誰だか理解ってない風だったが、はっと目の前の美鈴に気が付くと、身体を預けて泣きじゃくる。
「めーりん、めーりん。たすけて」
「どうしたのルーミア。あんたがここにいるってことは外のあの子はなんなの?」
美鈴は至極まともな疑問を投げる。尤も泣いているルーミアにまともに話が訊けるとも思ってなかったので、一応形式みたいなものだ。が、意外にも答えは返ってきた。ただしそれは目の前の泣きじゃくるルーミアからでは無かった。
「それはあたしの主人格よ。一応ね」
別の場所から降ってきた言葉に美鈴はその方向を向く。そこには例の大人びたルーミアがいた。
「貴女……」
「大したものね、美鈴。普通の妖怪ならこの世界に送った時点で精神に異常をきたすっていうのに」
「おかげさまでね。さて、貴女もルーミアでいいのかしら?」
「間違いなくルーミアよ。ただし抑圧された副人格。あたしは本来成長を遂げるはずだった封印されし闇」
大人ルーミアの口調、そぶりは芝居掛かっていてちょっと勘に触る。美鈴はそう思った。
「で、ここから出るにはどうすればいいのかしら?」
「それを教えると思う?」
「貴女に教えて貰わなくても、この子なら教えてくれそうだけど?」
もう一人の自分を見て怯えるルーミアの主人格を美鈴は副人格から遠ざける様に隠す。
「そうね。でも貴女が向こうに戻るとちょっと面倒なのよ。折角メイドと遊んでる最中なんだからさ、リタイアした人は出てこないで欲しいわけ」
「悪いけど、まだリタイアしたつもりは無いの。どうあってもここから出させて貰うわ」
美鈴はスペルカードを取り出すと、その発動を試みる。が、発動できない。
「悪いけど、ここはあたしの空間。あたしそのものといっても良い。ここでスペルカードは使えないよ」
「なるほど……でも固有の能力は使えるみたいね」
「え?」
大人ルーミアにとって、それは意外中の意外だった様だ。スペルカードではない、美鈴の気の籠もった一撃は油断していた大人ルーミアのガードをあっさりと貫く。
「きゃああっ!」
大人ルーミアは闇の中にかき消えるように消える。残されたのは主人格たるルーミアと美鈴のみ。
「「大丈夫?」」
不意に二人の言葉が重なる。
美鈴はルーミアの姿を見る。自分の中の世界とはいえ、別の人格に身も心も支配され、意識の深層に封じられていたのだ。消耗していないワケがない。
対するルーミアは純粋に自分を助けてくれた美鈴への感謝の言葉だった。更にこれで、一時的にではあるにせよ闇の力への干渉力も戻ってきている。まだあの大人ルーミアの人格の方が強いので表層に出ることは出来ないが。
「美鈴、お願いがあるの」
「何?」
「外に出て、私を再封印してほしいの」
「再封印?」
問う様に訊いてみたものの見当は付いている。ルーミアのいつも付けていたリボン、あれは相当に強力な封印の様だ。いままでその力を持ってルーミア本来の力を封じていたのだろう。幻想郷を席巻する闇すら生み出すあの強大な力を封印するほどの強力な封印。
「いまならわたしの力でもこの闇から出してあげられそう。あっちのわたしの力が戻る前にこの闇の結界を抜けて。あとは……」
「例の封印布で、あなたの力を再度封じればいいのね?」
「上手くいくかわかんないけど、あっちのわたしを封じるにはこれしかないと思うの」
「了解。じゃあ、ここから出してくれる?」
「うん、行くよ!」
ルーミアは意識を集中する。途端に周囲の闇が美鈴の身体を包み始める。
「うー、慣れないな、これ」
「我慢してね」
刹那、闇は美鈴を飲み込み、周囲の闇と同化し、そして完全に消えた。
「頼んだよ……、虹色のおねえちゃん……」
「はぁ……、はぁ……」
咲夜は苛立っていた。正直、あのルーミアの力は反則に過ぎる。こちらの攻撃は闇の結界に阻まれシャットアウト。向こうの攻撃は周囲の闇全方位から断続的に飛んでくる。
時を止めて事に当たっても闇の結界を抜くことは出来ないし、消えたままの美鈴のことも気に掛かる。
「どうしたのメイドさん。もう終わりなのかな?」
ルーミアの表情は格下を蔑む嘲りの表情がありありと見て取れる。いつもならそれを良しとしないメイド長だが、事ここに至っては認めざるを得ない。
あの宵闇娘の力は、敬愛するお嬢様に匹敵する。ということに。
「つまんないなー。もうメイドと遊ぶのも飽きちゃった」
ルーミアはさらりと言うと、館の方を向く。その視線の先に居る者は……
「お嬢様!」
「ふん……」
レミリアは鼻で笑う。
「やっぱり部下の不始末は上司が責任を取るべきだよね。ね、レミリアちゃん、わたしと遊んでよ」
ルーミアは冷ややかに咲夜を無視する。それはレミリアに対する挑発だ。だが同時に咲夜の心の火に油を注ぐ結果となる。
「わぁたしをっ!」
刹那、ルーミアの視界がナイフで埋め尽くされた。
「なぁめるなあっ!」
『空虚「インフレーションスクウェア」』
逃げ場のない全方位攻撃がルーミアを襲う。だが、それすらも今のルーミアには意味の無い行為だった。
「邪魔だよ」
ルーミアは美鈴を捕らえた闇の塊を咲夜に対しても発動させる。
『闇喰「ブラックホール」』
その闇は、空間そのものを喰らう闇の穴だ。どんなに空間を弄っても、それごと吸い込むその穴は咲夜にとっては天敵の様なモノだ。
だが、そのスペルカードが発動することは無かった。いや、正しく言うなら発動はした。ただし、本来の方向ではなく、逆の方向に。
開いた闇の穴から大きな力が感じられる。それは咲夜にとって、ある意味主人であるレミリアよりも大切な人のもの。
「咲夜さん!」
闇の穴から大きな爆発音を伴って、虹色の弾幕が爆ぜる。同時に穴は消え失せ、闇の中に煌めく光が姿を現した。光は徐々に収束していき、人の形を成す。
「咲夜さん、紅美鈴、ただいま帰還致しました!」
「遅い!」
「済みません咲夜さん。闇の中にいたいつものルーミアに手伝ってもらって、何とか帰ってこれました」
「まったく……、心配ばっかりかけて。貴女に何かあったら、私は……」
咲夜は顔を隠すように俯く。肩を震わせ、今にも泣き出しそうな程だった。
「ごめんなさい、咲夜さん……」
一方美鈴はというと、既に涙ぐんでいた。想っている人に心配されていたという事実に感無量、といったところか。
「…………」
その一部始終を見ていたレミリアは一言。
「好きにしてよ、もう」
と、言ったとか。
「よく戻ってこれたわね、美鈴」
ルーミアはさほどショックを受けた風もなく、二人を見下ろしていた。彼女にとって今更門番が帰ってきたところで、自分の優位は動かないと考えているし、それは事実上正しい。そもルーミアの意識は既にレミリアに動いており、二人は眼中にないといっていい。
「帰ってきてくれて早々なんだけど、ピンチなのよ。どうにかあの子に近づければいいんだけど」
咲夜はエプロンドレスのポケットから、赤い布きれを取り出す。
「そのリボン……」
「ええ、あの子の封印布。チルノから返して貰ったはいいんだけど、あの子に近づくことすら出来ない現状ではね」
咲夜はその手に握られた赤いリボンとルーミアを交互に見やる。
「せめて一瞬でもあの結界が消えれば、時間を止めて再封印することも出来るんだけど、残念だけど私の力や能力ではあの結界を抜くことは出来ない。お嬢様クラスの力じゃ無いと……」
「一瞬でいいんですか?」
「ええ、一瞬あれば私に取っては永遠も同じ……って、美鈴?」
咲夜は傍らの美鈴を見る。そこには今まで見たことのない、凛々しい表情をした紅魔館の門番長がいた。
「咲夜さん、今からあの子の結界が消えます。恐らく本当に刹那ほどしか間は無いでしょうが、確実に消えます。後のこと、宜しくお願いします」
「美鈴、貴女私の話を聞いていたの? お嬢様クラスの力がないとアレは破れないって……」
「ですから、私も覚悟を決めたんです」
咲夜は思い出した。かつでパチュリーから聞いた話を。それは美鈴の本来の力のこと。だがそれは彼女の肉体をも滅ぼす諸刃の剣だったはずだ。
「美鈴止めなさい! もうお嬢様にお願いするから!」
「いいえ、出来ません」
「美鈴?」
「私は栄光ある紅魔館の門番です。例え私の身がどうなろうとも、敵意のある者を館に入れる訳にはいきません。ましてお嬢様の手を煩わせるなど、門番たる私の矜持が許しません」
「美鈴、貴女……」
美鈴にはそれこそが生きる証。あの数十年前にレミリアと交わした約束。初めて自分を認めてくれた主人に対する、断固たる信念。
「よく言ったわ、美鈴。それでこそ、私の門番」
レミリアは外を眺めながら、彼女を己の臣としたことに誇りを感じていた。
「いきます! 咲夜さん!」
突如美鈴の身体が虹色の輝きに包まれる。それは徐々に彼女の背後に移動し、終には二対の煌めく翼へと変化した。
「これは……」
咲夜も、レミリアも、そして対峙するルーミアも目を見張る。それ程までにその翼は神々しく、力に満ちていた。
「あれは……虹の翼?」
レミリアは我が誇れる門番の背に煌めくそれを、ただ呆然と眺めていた。
「なるほど、考えたわね。美鈴」
そこに別の声が投げかけられる。ゆったりとした衣装を身に纏い、常に書物を手放さない紅魔館の知識人、パチュリー・ノーレッジがそこにいた。
「あらパチェ。図書館から出てくるなんて珍しいじゃない」
「こう五月蠅くちゃ、おちおち読書も出来ないわ」
パチュリーは気怠そうに話ながらレミリアの隣に列ぶ。一緒に空を見上げると、虹の翼を生やした美鈴を見て、満足そうに微笑んだ。
「それで、考えた、とは?」
レミリアは当然の疑問を投げかける。
「あの子の力が、あの子自身の肉体を遙かに凌駕するものだということは憶えているわよね?」
「当然よ。だから私はあの子の深層意識にリミッターをかけて、力を意識下で封印しておいたんだから。尤もあの子が本気で力を解放したいと願ったなら直ぐに解けてしまう程度の封印だったんだけどね」
「あの子はね、この数年間どうやったら身体の負担を少なく自分本来の力を出せるか考えていたみたい」
「で、あれがその答えってワケ?」
「そう。あの虹色に煌めく光の翼はあの子の力の顕現よ」
美鈴は自らの有り余る力を体内ではなく外部に放出、固定することによって、常に強力な力を安定して供給出来るように工夫したのだ。つまりその形状は何でも良かったのであるが、翼の形で固定したのは外見的な見栄えも考えたからだろう。
「成る程、確かに考えたわね」
レミリアも心底感心する。
「あれなら必要以上に体内に力を蓄積しないで済むし、暴発の危険性も少なくて済む。なにより格好いいわ、アレ。私も真似しようかな」
「レミィには立派な翅があるじゃない」
「だって格好悪いじゃない。蝙蝠の翅よ、コレ」
などと言い、自分の翅をパタパタと動かす。
「あら、私は可愛いと思うけど」
最早二人にとってルーミアの事などどうでもいいらしい。そも美鈴が本来の力を出せること、その支援に咲夜が控えていること、この二点で紅魔館に敵は存在しない。
ルーミアは、そこにある脅威に無頓着だった。脅威と感じていないのか、それともその力を感じて尚、自らを上とみているのか。
ただ一つだけ。
「きれいだなー」
そう、感じていた。
『極光「華厳明星」』
本来は前面に撃ち出すスペルカードを全身に纏って突撃する。その速度は今この瞬間のみに於いて最速。
それはさながら宵の時間、辺りが闇に染まってきた時に輝く明星の様に。
一条の光となって。
闇を打ち砕く。
『時符「プライベートスクウェア」』
それは全てが凍り付いた世界。その中で咲夜は丁寧にルーミアの髪にリボンを結ぶ。これがこの騒動の最終章、と言わんばかりに、しっかりと。
「で、結局最後はどうなったワケよ」
ある晴れた日の昼下がり。博麗神社に入り浸る白黒の魔法使いが、紅い吸血鬼に問う。
「どうにも。それで終わりよ。まぁ、ちょっとした変化はあったけどね」
「変化?」
昨日、幻想郷を闇が覆うという、非常に判りやすい異変が起きた。犯人はルーミアだが、張本人は⑨。状況を鑑みればルーミアには罪は無く、お仕置きはチルノひとりが受ける事になった。そのことについてはチルノ一人が反論をしていたが、当然黙殺されている。いまごろは紅魔館でパチュリーの魔法の実験台にでもなっている頃だ。
「まず、ルーミアが成長したまま戻らなくなった。意識は主人格にあるが、たまに副人格が出てくるみたいで、なかなか面白いことになっているぞ」
ルーミアはひとしきり反省していたようだが、生来のお気楽さもあって元気を取り戻すのも早かった。力そのものは完全解放時より抑えられてはいるものの、一度解かれた封印では完全に封印し直すことは出来ないとのパチュリーの言。仕方ないので今後は紅魔館でその力を監視、事あらば抑えることになった。
「それとウチのメイド長と門番長がいままでよりもっと仲良くなってしまった。正直妬ける」
「それはいままでもそうだったでしょ?」
そこに神社の主であり、本来異変を糺すハズの紅白の巫女が口を挟む。お茶とお茶菓子を持って、レミリアと魔理沙の間に座る。
「まぁ、そうなんだけどね。今までよりあからさまになったっていうか」
「仲良きことは美しきかな、だぜ」
「節度と限度が欲しいわね」
美鈴はともかく、咲夜は昨日の疲労が抜けてないので、本日はお休みだ。美鈴もレミリア直々に休みを賜っているが、それを咲夜の世話に当てている。
レミリアといえば、コレ幸いと神社に一人で遊びに来ていたりする。
「ま、神は常に天にありき、世は全て事も無し。よ。わたし達が出張ろうが、サボろうが天道を曲げることは出来やしないのよ」
「幻想郷に神様は居ないぜ」
「その意見には賛成ね」
三人は思い思いに笑う。今日も幻想郷は平和だった。
そして誤字報告です Sir! 美鈴が登場した後の門番隊の説明のところ。
『臨時のメイド長の顕現も~』
権限ではないかと。現れてどうするw
入れ忘れてましたごめんなさい。