Coolier - 新生・東方創想話

幻想の夏 日本の夏

2006/09/08 05:28:20
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 その日もじりじりと焼け付くような日差しだった。
 夏の盛りの昼間だ。
 空は雲ひとつない抜けるような青空で、雨が降る様子は微塵もない。夕方になればまた違ってくるのだろうが、少なくとも今すぐ雨が降って気温が下がることはなさそうだ。流石に普段は野良仕事に出ている人里のものたちもほとんど居らず、誰も彼もがうんざりと太陽を見上げる時間だった。
 そんな時間であるというのに、普段は閑古鳥が鳴く香霖堂には来客者があった。
「香霖」
「なんだ、魔理沙」
「暑い」
 霧雨魔理沙が香霖堂で店主を相手にくだを巻いていた。
「暑い暑いあーつーいー!!
 香霖、何とかしろ」
「せめてしてくれとは言えんかね」
 店主である霖之助はぺいっと自分が使っていたうちわを投げつけてやった。
 魔理沙はしばらくそれでしばらく扇いでいたが、同じように投げ返して。
「扇げ」
「どこの暴君さまなんだ君は……」
 そうぼやきつつも霖之助がうちわでゆるゆると扇いでやると、魔理沙は満足げに頷いて店先から売り物の椅子を引きずってくると店番をしている霖之助の横で本を開いた。
 霖之助はため息一つで椅子の販売をあきらめると店の戸口に目を向ける。
 開けっ放しの戸口には風鈴がついていた。風があれば涼しげな音を聞かせてくれるだろうそれも、風がなければ意味がない。垂れ下がった短冊がますます暑さを感じさせて霖之助がうんざりとしていると、戸口に影が射した。
「おや、いらっしゃい」
 影は人里の守護者である上白沢慧音だった。
 彼女が香霖堂を訪ねることは珍しくない。人里と縁の深い彼女は何かと物入りだ。一般的なものなら人里で手に入るのだが、守護者としての彼女が必要とするものは人里では入手できないものも多い。
「頼んでおいたものはできているだろうか」
「ああ、できているよ。
 それにしても、こんな暑い時間に訪ねてこなくても良いだろうに」
「いや、少し日が傾いて涼しくなれば里の者たちが野良仕事に出るので、
 今のうちに受け取っておこうと思ったんだ」
 少々暑くとも凛とした印象を崩さない彼女も普段と随分と印象が違う。流石に暑かったのか髪を結い上げ、常にない薄着である。そのためかほっそりとしたうなじやうっすらと汗の浮いた胸元が妙に艶かしい。無意識だろうが風を少しでも送り込もうと胸元をぱたぱたとやるので、会話を続けつつも霖之助の視線が不自然に泳ぐ。
「なるほど、頭が下がる思いだね」
「好きでやっていることだから、物好きめと鼻で笑い飛ばしてもらえればいいさ」
「心の底からそう言えるあたりが貴方の強さなんだろうね。
 ああ、魔理沙、その棚の下の……なんだなんでそんなに機嫌が悪ぐげっふ!?」
 魔理沙は霖之助の顎に制裁の一撃を入れておいて、指示された棚の下を覗き込んで首をかしげた。
「ちょうちん?」
「盆提灯なんだ。
 私は里で盆踊りの警備をしないといけないので迎え火や送り火は中々できなくてな」
 悶絶している霖之助に変わって買い手である慧音が魔理沙の質問に答える。
「ああ、今日は13日だったか」
「お前も迎え火や送り火をするのか?」
「すると思うか?」
「そんなわけないな」
 おう、と返事をしてからふと訝しげな表情になった魔理沙を不思議に思いながら、慧音は代金を置いた。
「店主、貰っていくぞ?」
「あ、ああ、ありがとう。
 いたた……何をするんだ魔理沙」
 魔理沙は霖之助の抗議を無視してなにやら考え込んでしまっている。
 それなりに真剣な様子に霖之助が口をつぐむと、俯いて考え込んでいた魔理沙が顔を上げた。
「なあ」
 なんとなく魔理沙の物言いたげな雰囲気を感じ取っていた慧音は提灯を持ったまま、外に出ずにいた。
「なんだ?」
「迎え火は、先祖の霊があの世から帰ってくる目印にしてるものだよな?」
「そうだな」
「じゃあ、あの世から送り出してやってるのは誰なんだ?
 この世から帰ってきた霊を迎えてやってるのは誰なんだ?」
 慧音の脳裏に博麗神社で知り合った閻魔と死神の姿が浮かんだ。
 魔理沙も慧音が思い浮かべたのと同じ人物を思い浮かべていたのだろう。
「あいつらか?」
「いや、私も気にしたことがなかったので調べたことはないが……そうじゃないか?」
 慧音はそう返事をしてから、そういえばと思い出したことを付け加える。
「つい最近の夏祭りじみた博麗神社の宴会には
 あの二人は参加していなかったようだし、
 やはり盆の準備などに追われているんじゃないか?」
「けど、こっち側での盆の準備はわかるんだが、
 あっち側の盆の準備ってなんなんだ?」
 慧音が言葉に詰まると魔理沙は横にいた霖之助にも視線を向けるが、生憎と三途の向こうに行ったことのない霖之助にもそんなことはわからない。黙って首を横に振る霖之助を見た魔理沙は唸り声を上げて腕を組む。
 それを見ていた慧音は極当たり前の助け舟を出した。
「それなら本人たちに聞けばいいじゃないか。
 知り合いなんだろう?」
「あー、そうだな。
 ちょっと行ってみるか」
 放り出してあった帽子をひょいと被り、店先に立てかけてあった箒を手に取る。
「なんだ、君もわざわざこんな時間から行くのか?」
 霖之助の声に魔理沙はにやりと笑うと、
「知りたいことができたときに立ち止まれる人間だと思ってたのか?」
 店を出て箒にまたがる。もう日差しも暑さも気にならない。
 魔理沙は霖之助の苦笑と一緒に投げかけられた日射病には気をつけろ、という言葉に手を振って空へ舞い上がった。


 魔理沙が幻想郷の空を行く。
 その速度は幻想郷の中でも一、二を争うほど早い。ただでさえ他の連中と差のある自分がそいつらと同じ速度で飛んでいたら追いつけないじゃないか、という主張そのままに恐ろしいほどの速度で自由気ままに空を翔る。
 当然ながらそれだけの速度が出ていれば身体に感じる風も尋常ではない。腕力的には普通の魔法使いである彼女が箒に掴まっていられるような程度ではすまないのだが、そこは魔法使いである彼女のこと。小さいものではあるが周囲に結界を敷いて風を遮断しているのだ。
 だからこそ多少何を轢いても気がつかないのだがそれはそれ。
 魔理沙は無縁塚に向かって飛ぶ途中、慧音が守る人里も経由してみた。
 まだ日が出ている時間だからか迎え火の煙が昇っていることはなかったが、野火の準備はされているところはいくつも見受けられる。恐らく夕闇が迫るころには火がつけられて、戻ってくる祖霊の目印になるのだろう。
 くるりと人里を一周して、魔理沙は無縁塚に箒を向けた。


 無縁塚に着くころになると、太陽は山にその身を隠して紫色をした夜の帳が下りてくる時間になっていた。逢う魔が時といえばいいだろうか。死神に会うにはおあつらえの時間とも言える。
 魔理沙はいつぞやの花の季節に訪ねた川原に、ひょいと箒から飛び降りた。
 しかし、花の季節には昼寝をしていても生者の気配を感じて現れた死神は姿を見せなかった。
「ふん。やっぱりそうなのか?」
 一人ごちてあたりを見回す。
 以前は季節が外れているというのに寒気すら覚えるほどに彼岸花が咲いていたが、今は花どころか葉すらない。花が咲くころには葉がなく、葉が開くころには花がないという彼岸花のサイクルの、ちょうど入れ替わりの時期にあたったのだろう。真っ赤に染まった川原しか知らない魔理沙からすれば、死神もいない川原は妙に殺風景に感じられた。
 静かなせせらぎの音を奏でる川面からは涼気を含んだ風が吹き上がってきている。それが茎しかない彼岸花を揺らせて音を立たせる。風の涼しさもあるが、それ以上に自然の風鈴ともいえるそのざわめきが昼間の熱気を奪ってくれるようで、魔理沙は心地よさに目を細めた。
 どれくらいそうしていただろうか。
 暗さを増していく此岸で帽子を脱いだ魔理沙が目を閉じて風に髪を弄らせていると、風の声に混じって何かが軋むような音が聞こえてきた。その音に耳を傾けてみるとそれはどんどんと近づいてくる。
 ぎぃ。
 ぎぃ。ぎぃ。ぎぃ。
 片目を開けて音に目を向ければ、予想通りの人物が暗闇の奥からゆっくりと船で近づいてきていた。
「よう、死神」
「……あん?」
 捩じれた鎌を船に寝かせ、櫂を漕いで舟を進めて来る。
 小野塚小町だった。
「なんだ、あんたか」
「なんだとはご挨拶だぜ」
「あんたがいると宴会だろうがなんだろうがロクなことにならない気がするからねぇ」
 いいながら小町は船を此岸につける。
 船には何も乗っていない。がらんとした船底に小町の鎌がひとつ転がっているだけだ。しかし、小町が船を此岸につけると同時に、ひやりと涼気とはいえないなにかが通り過ぎた。
 魔理沙は風に弄らせてぼさぼさになっていた髪に手櫛を入れる。さりげなく触れた首筋には鳥肌が浮いていた。
 小町は魔理沙に構うことなく船から岸に飛び移ると、舳先に蹴りを入れて船の向きを変えている。
「随分と勤勉だな?」
「うるさいよ」
 魔理沙は箒を片手に小町が向きを変えようとしている船に飛び乗った。小町はちらりと視線を向けただけで特に何も言わず、舳先の方向が完全に変わると魔理沙を乗せたまま岸を離れた。
 小町の動かす櫂の音を聞きながら、魔理沙は船底に転がっていた小さなカンテラを手に取ると、一緒に転がっていた火打石は使わず小さく呪を唱えて火を灯し、それを舳先に置いた。
 カンテラの灯りがゆらゆらと揺れながら川を行く。
 赤い火が小船の周りだけを照らしている。此岸はすぐに見えなくなった。
「なあ」
「なんだい」
「さっきのあれ。あっちから運んできたよな?」
「そうだよ」
「おかしくないか?
 死んだ魂を運ぶなら此岸から彼岸への一方通行だと思ってたんだが」
「盆だからね。
 地獄の亡者たちも息抜きの季節さ」
「そうなのか」
「そうさ。まあ、あたいや四季さまにとっちゃ大変な季節なんだけどね」
 小町の疲れを含んだため息に、魔理沙は首をかしげた。
「なんでだ?
 おまえが魂を運ぶのが忙しくなるのはわかるんだが、
 裁きの終わった魂ばっかりだろ?
 閻魔まで忙しいってのはどういうことだ?」
「あー」
 視線が泳ぐが、余計なことを言って後悔しているような風ではない。何かに迷っているらしい。
 魔理沙が黙って次の言葉を待っていると、泳いでいた小町の視線が魔理沙のそれに重ねられた。
「あんた。
 手伝ってくれないか」
「待て待て。流石に私も死神の真似事は御免だぜ」
「いや、あたいじゃなくて四季さまを」
「おいおい、それこそお門違いじゃないか。
 おまえの上司もいつから人が人を裁けるようになったのかしらとか言ってなかったか?」
「あんたに三途の渡しや裁きの手伝いをしろとは言ってないさ。
 ちょいと書類整理なんかを手伝って欲しいんだよ」


「四季さまー。
 此岸への送り出し、終わりましたよ」
「ご苦労様でした。
 名簿の書き込みは大丈夫でしたか?」
「この通り、此岸へ送った連中の名前は印を入れてあります」
「ありがとうございます。
 では、今日は早めにお休みなさい。
 名簿作りは私が始めておきます」
「ああ、その名簿作りなんですが。
 飛んで火に入る夏の虫が現れたんで手伝わせようと思うんですが、構いませんか?」
「……小町」
「この仕事も死後のための善行になると思うんですが」
 映姫は小町の言葉に視線を険しくして黙り込んだ。その視線を小町は柳に風と言わんばかりの表情で受け止めている。
 まったく何の説明もされないまま小町に連れられて映姫が普段書類仕事をしているのであろう執務室につれてこられた魔理沙は、居心地の悪さを感じて視線を二人から外した。
 窓をのぞけば壁の面がまったく見えないほどに本棚が並んでいた。そこに収められたものが魔法に関する蔵書なら魔理沙にとっては宝の山なのだが、収められているものは紐で閉じられた帳面のようなものだ。
 それらは棚に収めきれずに、部屋中に散乱していた。
 映姫の机の上も例外ではなく、小柄な映姫が埋もれてしまうほどに積み上げられている。
「映姫さま、所詮これはあたいたちの我侭なんですよ。
 閻魔の仕事でも死神の仕事でもない。
 なら、誰かに手伝ってもらってもいいんじゃないですか?」
 小町の映姫に対する呼びかけ方が変わったことに気がついた魔理沙が、おやっと思ったのと映姫がため息をついたのは同時だった。
「貴方にそれを言われてしまえば私に否も応もありませんね。
 彼女に手伝ってもらうことにしましょうか」
 映姫がそう呟いたのを聞いた魔理沙は慌てて、
「いや、私はまだ手伝うとも言ってないんだぜ?」
「そうなのですか?」
 映姫が驚く横で小町がにやりと笑ってみせた。
「あんた、彼岸のお盆について知りたいんだろ?
 なら実際にそれを体験するのが一番の早道じゃないか」
「……確かに」
「なら決まりだね。
 いやー、毎年二人だったら大変だったんだけど、
 手伝いがいると少しは楽になるかねー」
 腕を組んで頷いた魔理沙に、小町は晴れやかに笑いかける。
 その様子を見た魔理沙は早まったかと考えたが、結局は肩を一つすくめただけで受け入れた。
 魔理沙はフィールドワークと実験の魔法使いだ。パチュリーのような知識の魔法使いを否定するつもりはまったくないが、何事も体験してなんぼだろうというのが魔理沙の考えである。
 そういう意味では小町に乗せられたにしても、この形に落ち着いたのは魔理沙としても都合がいい。
「で、結局私は何をすりゃいいんだ?
 閻魔帳の書き換えから、地獄の沙汰の金勘定までなんでもござれだ」
「何を初っ端から危ない話をしてんだい。
 書類整理って言ってたろ?」
「おう。んじゃ、閻魔帳の書き換えだな。
 私の名前の載っている閻魔帳はどこだ?」
 ひょいひょいと部屋に散らばる帳面を避けて本棚に取り付く魔理沙。
 映姫が大きくため息をついた。
「小町。
 人選ミスではありませんか?」
「……あたいもそんな気がしてきました」


 魔理沙が手伝うことになったのは、映姫と小町の会話の中で何度も出てきた名簿作りだった。
「こちらが小町が此岸へ送った霊の名簿です。
 これを元に閻魔帳から家族構成や住所を付け加えて、
 この帳面に書き加えていってください」
「おう」
 映姫の指示の内容は難しいものではない。説明を受けた魔理沙は小町が用意した椅子に座り、映姫の机の一部を使って作業を始めた。
 映姫と共用で使う硯で墨汁を含ませ、名簿と閻魔帳を照らし合わせながら新しい名簿に名前などを書き付けていく。作業の途中でふと見れば、映姫が同じ作業を始めていた。
「なあ、生乾きはどうすればいい?」
「適当に放り出して乾かしておいてください。
 どうせ後で五十音順に並べ替えます」
 不思議と墨の匂いは気が落ち着く。
 そんなことに思考の一部を向けながら作業を進めていた魔理沙は、墨以外の匂いを感じてふと顔を上げた。同じように顔を上げていた映姫と目を合わせる。
 執務室のドアがノックされた。
「二人ともお疲れさまですー。
 ちょっと休憩にして食事しませんかー」


 乾かしている途中の名簿や閻魔帳が散らばっている執務室で食事を取ることはできないので、無縁塚に御座を敷いて食事をとることになった。魔理沙はあまり時間が流れたような気はしていなかったのだが、窓の外を見てみれば月が高く上っていた。
「ああ、そりゃ腹も減るな」
 小町が用意した食事の匂いを感じて、ぐぅと腹が鳴る。
「さ、しっかり食ってくんな。
 四季さまもどうぞ」
 小町は四段重ねの重箱を用意していた。
 一番したの段とその一つ上の段にはおむすびが詰まっていた。三段目にはだし巻きと焼いた川えびと湯がいたそら豆に塩を振ったもの。四段目は茄子の煮物と胡瓜の浅漬け、それに枇杷がそのまま3つ入っていた。
「むぅ」
 まずはやっぱり定番からとだし巻きを摘んで口に入れた魔理沙は思わず唸った。
「旨いじゃないか」
「なんだい、その意外そうな声は」
「いや、なんていうか絶望的にヘタそうな気がしてたもんで」
 映姫は無言でおむすびを頬張っている。
「それを言うなら、あんただって料理しなさそうじゃないか」
「なにぉう!?
 そういうことは私の沢庵を食ってから言ってもらおうか!」
「それなら博麗神社の宴会に食えるもの持ってきなよ。
 いつも酒ばっかりじゃないか」
 映姫は黙って茄子の煮物に箸を出している。
「むぐ……いや、あそこでの宴会なら私がわざわざ用意しなくたって、
 旨いものは山ほどあるじゃないか?」
「まーそりゃそうだね。
 あのメイドや庭師が作る料理は旨いねぇ」
「だろ?」
 映姫は沈黙したまま胡瓜の浅漬けを摘んでいる。
「で、そっちのひたすら食ってる閻魔様はどうなんだ?」
「あー」
「小町! 勝手に喋ったりしたら急所四十八箇所地獄巡りですよ!?
 ……あ」
「……あー。こ、ここは涼しくていいなー」
「あたいも晩御飯食べた後でよくここで夕涼みしてるんだよ。
 川から吹き上がってくる風が気持ちいいからね」
「だなー。
 うちは温泉があるから冬場はいいんだが、夏がなー」
「温泉!? ちょっとあんた、初耳だよ!
 そんないいものがあるんだったら呼んでおくれよ!」
「ん? 知らなかったのか?」
 映姫は膝を抱えて地面にのの字を書いていた。
 食事を終えて、魔理沙は映姫と一緒に執務室に戻り名簿作りの続きを始めた。
「私だって時間があればお料理勉強できるもん。
 美味しいお料理作れるようになれるもん……」
 最初のうちはそんな呟きも聞こえていたのだが、映姫も作業に集中しだしたのかすぐに聞こえなくなった。
 フィールドワークと実験の魔法使いである魔理沙も文献調査や資料探索をしないわけではない。あまり自分で本に纏めたりはしないが、それでも魔法書と格闘するのも嫌いではない。がさつと思われがちだがこの手の作業も得意だったりする。
 そうして仮眠や食事を挟みつつ名簿作りを続け、15日深夜にそれが完成した。


 名簿作りを終えた三人がぐっすりと眠り、目を覚ましたのは16日の昼だった。
「で? 今日はいったい何があるんだ?」
 小町の家で寝泊りしている間にすっかり舌に馴染んだ小町の漬物を齧りながら、朝食兼昼食の席で魔理沙が問いかけた。
 魔理沙は手伝いを始めてから一度も自宅に戻っていなかった。食事は全て小町が用意していたし、着替えに関しても同様だ。それなりに体格にあった浴衣やらを着付けてくれたので、結構楽しんで生活していた。
 とは言え、流石に借り物の服で遠出をする心算はない。小町が洗濯してくれていたので、最終日の今日は久々に普段の白黒に戻っていた。
「ああ、そうですね。
 食事をしっかりといただいた後に説明しましょう」
 芋茎とオクラの煮物を取り分けていた映姫が言うのと、小町が台所から泥鰌の柳川鍋を持ってきたのは同時だった。卵と出汁が混ざり合った匂いが鼻腔をくすぐる。魔理沙は喜んで頷いた。
「それにしても、すごい料理だな。
 精がつきそうだ」
「つけてもらわないと困るよ。
 今日は昨日までとは違って肉体労働だからね」
 小町にご飯てんこ盛りの茶碗を渡されて、魔理沙は笑った。
「なら、しっかり食べないとな!」
 三人で全ての皿と茶碗を空けて、食休みの茶を啜る。風通しの良い小町の家は、三途の川の近くにある。涼気を含んだ風が家を通り抜けるせいか、かなり涼しい。熱い柳川鍋で汗をかいたが、冷たい茶を飲めばそれはすぐに引いた。
 魔理沙は縁側で空を見上げていた。今日も暑くなりそうだなどと思っていると、その横に映姫が現れた。いつの間にやら普段着から法衣に着替えていた映姫は魔理沙の横に正座すると、両手をつく。
「まず、お礼を。
 今年も小町に苦労をかけてしまっているけど、例年とは比べ物にならない。
 本当にありがとう」
 そんな映姫の横に洗い物を終わらせた小町がどかりと腰を落とした。
「あたいからもお礼を言わせてもらうよ。
 強引に巻き込んじまったけど、本当に助かったよ。
 毎年毎年、お盆が始まってからずっと徹夜だったからね。
 今年は休んでいただける時間が作れてほっとしてる。
 ホントにありがとね」
 頭を下げられて照れた魔理沙は視線を空に向けたまま「おう」とだけ返事を返す。二人はそれに気にした様子もなく、顔を見合わせてくすりと笑った。
「いいからそろそろ説明してくれよ。
 今日は何があるんだ?」
 見透かされたような気がした魔理沙が照れ隠しにばしばしと床を叩く。
 笑みを浮かべていた映姫もそれを聞いて表情を整えて頷いた。
「貴方が知りたがっていた、彼岸側のお盆。
 本当は特別なことは何もありません。
 ただ霊が此岸に行き、時期が終われば彼岸に帰ってくる。
 それだけのものなのです」
「おい、ちょっと待て。
 それじゃ」
「はい、貴方に手伝ってもらって作った名簿。
 あれも絶対に必要なものではないのです」
 必要なものではないと聞いて、むっとした魔理沙だったが一緒に名簿を作っているときの映姫や小町の表情を思い出すとそれは自然に萎んでいった。
「必要じゃないものをあんなに必死になって作ってたんだ。
 何か理由があるんだよな?」
「ええ。まず最初に、彼岸から此岸に行く霊がすべて、
 此岸で帰ってくるのを望まれた霊であることを理解してください」
「ふん?」
「迎え火してもらわないと、此岸へ帰れないんだよ」
「ああ、なるほど」
「昨日まで作っていた名簿は、その迎え火をしてもらえた霊たちの名簿です。
 どうしてそんなものが必要になるのかというと、霊たちが帰ってこないからなのです」
「……まあ、気持ちはわからなくもないな」
「ええ。久しぶりに遺してきた家族の顔を見れば里心も出るでしょう。
 送り火をしてもらっても彼岸に帰りたくないのは理解できます。
 ですが、連れ戻さなければいけません」
「なんでだ? 家にいるだけなら別に害のある霊じゃないだろ?」
「確かに、周りに害を与えることはないでしょう。
 ですが、死者が現世に留まり続けることは、定められた摂理に反すること。
 その霊の罪が重くなって、地獄での責め苦が苛烈さを増してしまいます」
「……」
「もうわかったのではありませんか?
 彼岸のお盆……というよりも、私達のお盆。
 それは迎え火によって此岸へ帰った霊たちを彼岸に連れ戻すものなのです」
 語らなければいけないことは全部語ったと言いたげに映姫は口を閉ざした。魔理沙は腕を組み眉を寄せて考えを纏めていたが、ややあって顔を上げると口を開く。
「なんでこんなことやってるんだ?」
 普通に考えれば馬鹿にしているとしか思えないその言葉に、映姫と小町は困ったように曖昧な笑みを浮かべた。
「なんで、と聞かれると」
「困りますね。やらなければいけない仕事というわけでもありませんし」
「ですねぇ」
 そんな会話を続ける映姫と小町を見ていた魔理沙は、何かに納得したように鼻をならすとからりと笑った。
「それじゃあ、私もそのお盆を体験させてもらうか!」


 魔理沙と映姫が慧音の守る人里の空までたどり着いたときには、太陽の赤い光が沈もうとしていた。眩しさに目を細めながら目を向けたその夕日は、早くも魔理沙に夏の名残を感じさせる。日中はまだまだ暑いだろうが、太陽が完全に沈んでしまえば涼しくなるだろう。
 なんとなく感傷的な気分になりつつあった魔理沙だったが、自分の横で器用に空中で名簿をめくる映姫の存在を思い出して気を取り直した。
「で、どうすりゃいいんだ?」
「日が沈んでしばらくすれば送り火が始まるでしょう。
 そのときに煙に乗ろうとしない霊がいたら、適当に煙に乗せてください」
「ん……でも、
 迎え火の日に小町の船に乗ってた霊は見えなかったんだがな」
「自然な存在である霊は見えにくいのです。
 送り火に乗らず不自然な存在になれば、貴方なら見えるようになりますよ。
 花が異常に咲いたときには見えていたのでしょう?」
「おう。
 あー、白玉楼の幽霊も見えるし、あんまり心配することはないのかー?」
 そんな会話をしている間にも太陽が沈んでいく。
 同時に、太鼓の音が聞こえ始めた。
「お?」
「盆踊りが始まるようですね」
 見下ろした里の広場には櫓が組まれており、魔理沙の耳に聞こえた太鼓の音はそこから響いていたようだ。法被に捻り鉢巻の太鼓方が音を確かめるように叩いているのが見えた。
 音頭とりや他の囃し方が集まってくると、太鼓方が大きく太鼓を叩き始めた。他の囃し方がそれに笛を合わせる。音頭とりが村の音頭を歌い始ると、踊り子たちが輪になって踊り始めた。
 囃子に誘われて広場に人が集まってくる。
 浴衣に団扇の人たちが、踊り子たちの輪に混じって踊り始める。小さい子供たちも今日だけは夜の外出を許されているのか、大人に手を引かれて広場までくると笑顔でその輪に加わっていった。
 祭り好きの魔理沙は足元の光景をうずうずしながら見ていたが、流石に今日は参加するわけにもいかない。気晴らしに囃子にあわせて曲芸飛行をしていると、ふと映姫の顔が目に入った。
 嬉しそうな、哀しそうな笑顔だった。
 思わず曲芸飛行を止めた魔理沙の視線に気がついたのか、映姫がふと振り返る。魔理沙と視線が合った映姫は少しだけ驚いた顔をしたものの、もう一度笑って見せた。
「どうかしたのか?」
 映姫はまた視線を足元の広場に向けた。
「盆踊りは、地獄の責め苦から開放された死者たちが喜んで踊っている様を表したものなのです」
 魔理沙もそれを聞いて視線を広場に落とす。
 誰もが嬉しそうに笑っていた。
「何故、送り火の日に行うのでしょうね……」
 力ない映姫の声に、魔理沙は咄嗟に言葉を返すことができなかった。
 これから二人は遺してきた家族たちと騒いで、笑って、喜んでいる霊たちを、彼らのためにもそこから引き剥がして彼岸に送らなければいけない。まだ魔理沙の目には見えないが、映姫の目にはもう霊たちが映っているのだろう。
「毎年こうして待っていると思うのです。
 無理に連れて行くことはないのではないかと」
 魔理沙は広場の光景を見続けることができなくなって、視線を空に向ける。
 気付けば、空には丸い月が浮かんでいた。
 送り火は毎年必ず満月の夜、もしくは満月の前後一日に当たる。盆踊りが送り火の日に行われるのは、その月明かりの中で踊り明かすことができるからだ。
 映姫もそれは重々承知の上なのだろう。
ですが、と続けられた声には力が戻っていた。
「今世で得たものは、きっと来世でも得ることができます。
 私は、輪廻の中で忘れてしまう今世の幸せに拘泥することで
 来世の幸せを捨てるようなことはして欲しくない」
 その言葉を聞いた魔理沙は口元に笑みを浮かべた。
「閻魔さまは我侭だな?」
「そうかもしれませんね」
 嬉しそうに言う映姫にほっとしながら広場に視線を戻した魔理沙の目に、白く仄かな輝きを放つものが映った。盆踊りの輪の中で囃子にあわせて楽しげに明滅するそれを見て、魔理沙は自分の顔が歪むのを自覚した。なるほど、あれを彼岸に連れて行くのは忍びない。
 魔理沙の表情に気がついているはずの映姫は、しかし視線を向けることなく広場に目を向けている。魔理沙はそれに感謝しつつ、先に聞いた映姫の言葉を思い出してどうにか気持ちの整理をつけた。
「すまない、待たせた」
「いえ。
 ……すみませんね、滅入る仕事を手伝わせて」
「私がやりたいと言い出したんだ。
 気にしないでくれ」
「ありがとう。
 それでは、行きましょうか」
「おう!」


 小町は無縁塚に残っていた。彼女には三途の川の畔まで来た霊を、順に彼岸へ送る仕事があるので霊を集める仕事を手伝えない。映姫と魔理沙に水筒と名簿を持たせて送り出した小町は漠然とした焦りを抱えて二人を見送った。
 日が落ちていく無縁塚に船をつけた小町は、その縁に腰掛けた。
 意味もなく走り出したくなるような焦燥感の理由はわかっている。見送った二人が仕事を始めているのに、自分の仕事がまだ始まっていないからだ。ふとスペルカードの一枚を握り締めていた自分に気がついて、小町は苦笑しながらそれを懐にしまった。
「何をするつもりなんだか」
 呟いて小町は二人を見送った空を見上げた。
 次々に見えるようになっていく星を数えながら、時が来るのを待つ。そわそわとする気分はまるで祭りの前のようだ。ここしばらくは忙しさでご無沙汰になっている酒が、無性に飲みたくなってきた。
 魔理沙は祭り好きの酒好きだから言うまでもないし、映姫も打ち上げだと言えば苦笑しながら頷いてくれるだろう。そもそも普段は口うるさい映姫も酒は嫌いではないのだし。
 勝手に仕事が終わった後の明るい見通しを立てた小町は、船の縁から飛び降りた。
 空を見上げる目に、こちらに向かって飛んでくる霊たちが映っていた。映姫や魔理沙に説得されるまでもなく煙に乗った、第一陣の霊たちだろう。
「さぁ、張り切っていくかー!」


 魔理沙は最初から居残ろうとする霊たちを説得するつもりはなかった。これ自体が映姫や小町の我侭が発端になっている以上、家族と一緒にいたいと望む霊を納得させるだけの説得力のある言葉が、魔理沙にない。
 映姫が一通り来世の話を元に説得を試みて駄目だった場合は、蹴り飛ばして煙に乗せてやった。時間の制約もあって、それ以上一人の霊に対して手間を取られるわけにいかなかったこともある。霊たちが固まって抵抗しようとしたときには弾幕を張って「穏便に」彼岸へお帰りいただいた。
 さすがにそれだけ大騒ぎすれば盆踊りの警備をしているだろう慧音の目に留まるかとも思ったが、慧音は慧音で忙しいらしく姿を見せることはなかった。送り火は自宅の玄関前で行われる。村の広場からは少々離れているので気付かなかったのかもしれない。更に、映姫は何故か村人に姿を見られないように立ち回る。
 そのため映姫の行動は誰にも知られなかった。
「……?」
「何か言いましたか?」
「いや……
 それより、次は何処だ?」
「少し待ってください。
 ここから近いのは……あ、村はずれを先に回ってしまいましょう。
 後から回ろうとすると距離が遠くなってしまいます」
「おう。んじゃ、後ろに乗れ。
 二人乗りしても私のほうが早いだろう」
「……では失礼して」
 映姫が魔理沙を真似て箒に跨ると、魔理沙は結界を展開した。
「これは?」
「風除けだ。さ、それじゃ行くぞ。
 しっかり私にしがみついててくれよ?」
「ええ。
 まずは月に向かって飛んでください。後は適時指示を出します」
「おっしゃ、行くぜ!」
 言うが早いか、恐ろしい加速を感じて映姫は慌てて魔理沙の腰にしがみついた。
 目を閉じて必死に加速に耐えていた映姫が、加速が緩んだのを感じて目を開けたときには二人はすでに高く舞い上がっていた。驚きの声を上げる映姫に魔理沙はにやりと笑う。
「まだ月に向かって飛び続けたほうがいいのか?」
「えー、ここからですと……村の広場に背を向けて飛んでください」
「了解だぜ」
 返事をした魔理沙が箒の向きを変えると、しばらくして小さな灯りが見えてきた。
「あれか?」
「はい……ああ、ちょうど送り火をはじめるところのようですね」
 村はずれの半ば竹林に入り込んだような土地に、小さな家が建っていた。
 その家から火種を手に小さな少女が飛び出してきた。なんとなく魔理沙を思わせるような勢いの良さと明るさを感じさせる少女だが、ツギの当たった服を身に着けているのが夜目にも気になった。
「屋根につけてください」
 なんか、あんまり裕福じゃなさそうだな。
 そんな感想を抱いた魔理沙は映姫の言葉に従ってその家の屋根に着陸する。
 そんなことは知らない少女が家の中に呼びかけると、母親らしい女性が出てきた。少女に対して笑みを浮かべているが、隠しきれない疲れが女に翳りを見せている。
 二人は一緒に送り火のための藁に火をつけると、その前で静かに手を合わせた。
「貴方は最近になって亡くなったのですね」
 屋根の片隅に向かって映姫が言葉をかける。魔理沙も黙ってそのあたりに視線を向けた。
 程なくしてその亡くなった当人が魔理沙の目にも映るようになった。他の霊たちと同じく白い輝きだが、ゆらゆらと迷うようにその明るさが変わるのが他の霊たちと違った。
「遺した家族に久しぶりに会って、後ろ髪を引かれるのはわかりますが……
 わかっていますね? 貴方が現世に残り続けることはよくないことなのです」
 映姫の存在の意味がわかっているのか、霊は自分から近づいてきた。そんな彼に対する映姫の言葉を聞き流しながら、魔理沙は密かに奥歯をかみ締めた。
 自分が遺してきた苦労している妻と娘。一度それを目にした夫が、素直に彼岸に帰ってくれるだろうか。もし、彼が本気で彼岸へ帰るのを嫌がったら。
 だが、魔理沙の心配は杞憂に終わった。
 霊はふわりと屋根を離れると、母子が行う送り火の煙に身を滑り込ませた。
 昇っていく。
 ゆらゆらと、それでも迷うように明滅しながら、空へ。
 魔理沙がその霊をじっと見送っていると、映姫に袖を引かれた。
「行きましょう。彼が生を全うして彼岸へ行ったように、
 私たちには私たちの役目があります」
「ああ……」


 小町は忙しかった。
「ああ、もう!
 順番に名前を言って……だから順番にって言ってるだろ!
 いっぺんに言われてもわかるもんかい!」
 魔理沙と映姫が送る霊たちを名簿に印を入れながら彼岸へ送るのだが、一人で両方やっていると途中から混じってくるのである。
「え? あんた印してあるじゃないか!
 何、日がずれて死んだ弟だ?
 あー、わかったわかった、印入れたからさっさと船に乗んな!」
 まだまだ次から次へと空から霊たちが降りてくる。
 小町はげんなりしながらも船に飛び乗って櫓を手に取った。
「さぁ……ええと、第何便だか忘れたけど、船を出すよー!
 印をつけられたヤツは全員乗ったねー!?」
 返事の声が此岸の草むらを揺らすことはなかったが、小町は満足して頷いた。
「よし、そんじゃ彼岸へ向けて出航!」
 岸を離れて川へと漕ぎ出す。
 霊には重みはない。いや、厳密には少しだけ重みはあるが、船の浮力からすればないも同然の重みだ。誰の目にも見えないが、小町の船には物凄い数の霊が乗っている。それでも船は沈み込むこともなく川の上をすべるように彼岸へと往き始めた。
 小町は櫓を操りながら、もう一度此岸へ目を向けた。
 まだ渡河待ちの霊たちがうようよしている。小町は後何回で渡し終えられるか考えながら、気配を感じて空に目を向けた。
「うげ」
 更に霊が川原を目指して飛んできていた。今度も中々に数が多い。
 小町はため息をついてがっくりとうなだれた。
 そんな中、里から飛んできたなかの迷うように明滅していた霊が里の方向へ引き返して行ったのだが、うなだれて下を向いていた小町が気付くことはなかった。


 丸い月が、高く上ってきていた。
 全ての家を回り終えた魔理沙と映姫は無縁塚への帰路についていた。
「終わったなー」
「ええ、終わりました」
「疲れたなー」
「ええ、疲れました」
 笑いあって何度もそんなやりとりをしながら、二人は帰路を急いでいた。急いでいるのは手が空いたので一人で彼岸への渡しをやっている小町を手伝ってやろうと思ってのことなのだが、二人とも達成感でどうしても顔がにやける。
「なあ、毎年こんなことやってるのか?」
 そんな帰り道の途中、魔理沙はふと思いついて箒の後ろに乗っている映姫に声をかけた。
「ええ、そうですよ」
 機嫌よくそう答えた映姫は魔理沙の腰を掴んでいた腕を、首に移動させた。風は結界で防いでいるが、魔理沙が前を向いたまま話すので声が聞き取りにくいのだ。魔理沙に背負われるようにして耳元に口を寄せた映姫が答える。
「毎年行われる行事ですからね。
 それがどうかしましたか?」
「いや、こんなこと二人でホントにできてたのかと思ってな」
「実のところ名簿の家を回りきって霊たちを全て煙に乗せることができたのは
 今回が初めてなのです」
「ああ、やっぱりな。
 不眠不休でもどう考えたって手が足りないよな」
「ええ。
 ですから、本当に感謝しているのですよ?」
 笑みを含んだ映姫の声は、凛と透き通る響きの中に柔らかさが感じられて耳に心地よかったが、その声が急に陰鬱に沈む。
「毎年毎年、時間内に回りきれなかった家の屋根で消えた送り火を見下ろしながら、
 現世に留まり続けることは罪だから、とその家の霊を裁くのです。
 自分が声をかけてやることができなかったことを棚上げして」
 自嘲に痛みを隠した声に、魔理沙は黙った。
「でも、今年はそんなことはありませんから」
 だが次に耳に入ってきた声音に、魔理沙はほっと息を吐いた。
「さて、お礼はどうしましょうか。
 閻魔帳の書き換え以外で私ができることなら何でも構いませんよ」
「そーだな。何してもらうかなー」
「私と、小町も考慮にいれてくださいね。
 二人合わせてのお礼にしますから」
「んー。そう言われてもなー。
 白黒つけるのと、距離を操るのだろ?
 どう組み合わせろと」
 妙にうかれて言う映姫の言葉に苦笑しながら飛び続けていた魔理沙の目に、無縁塚が見えてきた。まだ渡河待ちの霊たちがうろうろしているのが、真っ暗な川原の中で浮き上がって見える。小町がその霊たちを怒鳴りながら船に押し込んでいくのも見えた。
「おー。流石に今日は頑張ってるなー」
「お盆の小町は優秀ですよ」
「お盆の小町「は」って辺りがアレだな」
 映姫が苦笑するのを感じながら魔理沙は降下を始めた。近づいてくると川原の渡河待ちの霊の数が少ないこともわかってくる。苦笑していた映姫がそれを気付いて後ろから身を乗り出して妙に誇らしげに顔をのぞきこんでくるのに、今度は魔理沙が苦笑を返した。
 二人が川原に足をつけると、船の上にいた小町がそれに気付いてひらりと手を振って、そのまま彼岸へ出て行った。まだ何度か往復しなければならないのだろう。
「んじゃ、こっちは名簿に印をいれていくか」
「そうですね」
 二人は全ての家に印が入った名簿を放り出して、小町が印を入れていた名簿を手に取った。川原に集まった霊を確認しながら印を入れていく。程なくしてその名簿も全ての名前が印で埋まった。名簿の人数と霊の人数は合致していた。
「まあ、当然だよな」
「ええ、すべての家を回ってきましたからね」
 どかりと魔理沙が川原にあった岩に腰を下ろす。映姫も手ごろな岩を見つけて腰を下ろした。
「あー。私の魔力も空っぽだぜ。
 弾幕やってならともかく、飛んでるだけでこんなに消耗するとは思わなかったなー」
「距離が長いですし、短い時間で随分飛ばしてもらいましたからね」
「といっても、私は集落と集落の間だけだっただろ。
 そっちも家から家の間は自前で飛んでたじゃないか。
 それにしちゃ随分と元気だな」
「いえ、私も正直なところくたくたです。
 早くお風呂に入って寝てしまいたいですね」
「そうだなー。私も今日はさっさと寝たいなー。
 打ち上げは明日にでもやるか」
 そんな益体もない会話をしていると、櫓を漕ぐ音が聞こえてきた。
「おー、此岸へようこそだぜー」
「何言ってんだい。
 お疲れ様です、四季さま。里周りはもう終わりですか?」
 此岸に船をつけて降りてきた小町が名簿のチェックを始める。
「ええ、名簿に全て印が入りましたから」
「そうですか……ああ、あたいの分の名簿も印入れてくれてたんですね」
 魔理沙と映姫が名簿に印を入れていた霊たちが続々と船に乗り込んでいく。
「これが最後になりそうだなー」
 岩の上に寝転んでさかさまになった魔理沙が船を見ながら言うと、映姫も頷いた。
「そうですね。これが終わったら家に帰れますし、一緒に彼岸へ渡ってしまいましょうか」
「ああ、そうします?
 もう少しまってくださいねー。
 これが最後になりますんで」
 小町はそう言って船底から名簿を一つ取り出した。
 それを見た魔理沙と映姫が凍りつく。
「え……?」
「ああ、これですか?
 ちょっと印つけるのが間に合わなかったんで、
 こっちに戻ってくる途中に印を入れようと思って持っていったんですよ」
 ぺらりぺらりと名簿を捲って印のない名前を見つけた小町は名簿から顔を上げて困惑する。
「あれ、なんで霊の数が足りないんだ……?」
 呟く小町からひったくるようにして名簿を手に取った映姫は印のついていない名前を確認して、思わず呻き声を上げた。
「誰だ?」
 岩から転げ落ちるように一回転して着地した魔理沙が言うと、映姫は黙って名簿を差し出した。名簿を目にした魔理沙も呻き声を上げる。
 村はずれの家の男だった。
「まさか、引き返してしまう霊がいるなんて……」
 良き父、良き夫だからこそ引き返してしまったのだろう。
 映姫は崩れるようにその場に座り込んだ。
 そういう霊こそを正しく彼岸に送ってあげたいと願っていたのに。
 状況がぼんやりと理解できてきた小町はうなだれた映姫に言葉をかけようとしたが、何も口にできず俯いた。
「行くぞ!
 箒に乗れ!」
 二人が弾かれたように顔を上げると、その目に箒を手に立ち上がった魔理沙が映る。
 魔理沙も疲れている。膝は笑っているし、腕や肩も長い時間箒に掴まって飛んでいたせいで凝りを通り越して痛みを覚えるほどだ。魔力も底をついている。一日飛んでいたせいで服や髪だってボサボサだ。
 それでも魔理沙は二人の視線に笑って見せ、人差し指を空に向けた。
「月はまだ、登りきっちゃいないぜ?」
 まだできることをやりつくしていない。
 まだ、終わっちゃいない。
 魔理沙の全身がそう叫んでいる。
 二人は呆然と魔理沙の指先からそのまま空へと目を向けた。
 大きな丸い月は、まだ僅かに傾いている。
 それを確認した二人の視線がまた魔理沙に戻ってくると、月をそこで縫いとめようとするかように伸ばされていた指先に、一枚のスペルカードが現れていた。
「小町。
 貴方は最後の一人以外の全ての霊を彼岸に送って待っていなさい」
「は、はい!」
 言い置いて映姫は膝に手をついて立ち上がる。
 身体は魔理沙同様ぼろぼろだ。
 だが、心に火は入った。
「……世話をかけます」
 箒に跨って準備していた魔理沙の腰に手を回しながらぼそりと言った映姫に、魔理沙はまた笑った。
「まったくだぜ」


 夜空を切り裂くように一条のほうき星が天を駆ける。
 ブレイジングスター。
 魔理沙の切り札だ。それを発動させた後の速度には、魔理沙と最速を争う天狗でさえも舌を巻く。その暴力的ともいえる速さで星くずを撒き散らしながら夜空を急ぐ。
 しかしそれだけの速度を出すとなれば、魔理沙の消耗も尋常ではない。ただでさえ疲れきっていた魔理沙はすぐにスペルカードの維持ができなくなり始めた。
「スペルカードを解除しなさい!」
 魔理沙の後ろで映姫が叫ぶ。
「もう十分です! 後は自分で飛んでいきます!
 スペルカードを解除しなさい!」
 ほとんど悲鳴に近い映姫の声に、青白い顔で額に脂汗を浮かせた魔理沙は面倒くさそうに言葉を返した。
「うるさいなぁ。
 黙って乗ってろよ」
 呼吸をするたびにひゅうひゅうとおかしな音を立てる喉が鬱陶しい。
「貴方が元気なら黙って乗っています!
 いいから解除しなさい! 死ぬつもりですか!?」
「ああ、これで死んだらちっとは良い方に裁いてもらえるか?」
「そんなわけないでしょう。
 自殺に近いじゃありませんか!」
 軽口を叩いて誤魔化そうとしたら真剣に受け止められて思いっきり怒られてしまった。そんな映姫に苦笑を返したつもりだったが、残りかすのような魔力を無理やり搾り出しているせいか、頭痛が酷い。ちゃんと笑顔になっているか自信はなかった。
「なんだ、そうなのか?
 まあ、もうそろそろ着きそうだし、もうちょっと我慢してろ」
「我慢しているのは貴方でしょう!?」
 首に腕を回して耳元できゃんきゃんと喚く映姫を無視して下を見下ろせば、慧音の守る人里の広場に差し掛かったところだった。
 広場に建てられたやぐらが、色を失って見えた。
 ああ、やばいな。
 一瞬で広場を通り過ぎて見えなくなったが、明かりの中に見えたやぐらは盆踊りが始まったときには赤の装飾がしてあった。盆踊りはまだやっているというのに、まさかその装飾を外したりはしていないだろう。
 まあいいか。治るだろ。
 魔理沙は他人事のようにそう思った。
 頭以外にも耳の付け根の部分や関節が酷く痛む。寒い日に走り回ったときに凍傷とは違う痛みを感じたことがあったが、あれに近い。内側に針でもあるんじゃないのかと思う。
 そんな目の異常や痛みを無視して、魔理沙は飛び続けている。
 優しいやつは嫌いじゃない。
 優しいせいで損をするやつは、助けてやりたい。
 毎年ふらふらになって仕事をしているだろう小町を助けてやりたかった。
 肩を掴んでゆすってみたり、箒から飛び降りるタイミングを計ってみたりと暴れに暴れる映姫を、助けてやりたかった。
 何よりも、家族思いだから不幸になるなんて、納得できなかった。
 魔理沙のかすむ視界に灯りが見えた。
 少しだけ、ほっとする。

 あっと思った時にはもう遅かった。

 まったくと言っていいほど残っていない魔力を、無理やり搾り出していたのが気が緩んだ瞬間に途切れてしまった。
 スペルカードが解除され、風除けの結界が解ける。
 だが、勢いのついた速度がいきなり止まってしまうわけではない。
 暴力的なまでの速度がそのまま風になって襲い掛かってくる。
 魔理沙にはもうそれに抵抗するだけの力は何も残っていなかった。
 箒から投げ出され、落ちていく。
 落ちていきながら、魔理沙は映姫が咄嗟に箒を蹴って身を翻したのを見て満足した。
 少なくとも映姫を村はずれの家に送り届けることはできた。
 だが、映姫が落ちていく自分を追って飛び始めたのを見て仰天した。
 そして頭にきた。
「馬鹿!」
「お互い様です!」
 短い言葉と絡んだ視線に込められた意味を理解しきる前に映姫の手が魔理沙を掴み、そして二人はもつれ合って地面に叩きつけられた。


 娘を寝かしつけて繕い物をしていた女は、玄関を叩く音に顔を上げた。
 夜遅く、日付が変わろうという時間に訪ねてくるものに心当たりのない女は気のせいかと思って、また手元に目を落とした。
 また音がする。
 今度はしっかりとした音だった。
 女は仕方なしに立ち上がる。
 危険かとも思ったが、妖怪などならこんな風に訪ねてはこないだろう。
 返事をしておいて土間に降り、玄関の心張り棒を外す。
 訪ねてきたのは二人の少女だった。
 二人ともずいぶんと酷い有様だった。
 金髪の少女は病気でもしているのかというような顔色をして、荒い呼吸を繰り返している。隣の緑の髪の少女に肩を駆りて立っているが、今にも倒れてしまいそうだ。その肩を貸している緑の髪の少女も顔色が随分と悪い。金髪の少女に肩を貸しているが、その反対側の腕が骨でも折れているのか不自然な角度でぶら下がっている。
 二人とも服はぼろぼろで、手足も顔も傷だらけだった。
「夜分、恐れ入ります」
 驚きながらも手当てをしてやろうと家に招き入れようとした女に、緑の髪の少女が丁寧に頭を下げる。
「もう一度、送り火をしていただけませんか」
 訳がわからずきょとんとした女に、緑の髪の少女が言葉を重ねる。
「お願いします。もう、時間がないのです。後で説明します。
 故人のために、もう一度送り火を!
 どうかお願いします!」
 少女の必死さと、何よりも故人のためにという言葉に押されて送り火のための藁と火打石を取りに女が土間に戻る。それを見送った緑の髪の少女……映姫は力尽きたように膝をついた。実際、映姫は疲れ切っていた。それは肩を借りていた金髪の少女……魔理沙にしても同様で、膝を着こうとする映姫を支えてやることもできず一緒に倒れこんだ。
 うずくまった二人の周りに霊が漂う。
 引き返してしまった男の霊だ。申し訳なさそうに明滅するのに、魔理沙と映姫は首を横に振った。
二人は空を振り仰ぐ。

 もう、月は昇りきろうとしていた。

 魔理沙は全力で飛ばしてここまで来たが、それよりも速い速度でなければ日付が変わる前に無縁塚には着かないだろう。
 送り火の煙に乗ったところで霊が自分で飛ぶ速度は知れている。
 そして、魔理沙と映姫にもはもう本当に何も残っていない。
「……あの?」
 藁と火打石を用意してきた女が不思議そうに声をかけてくる。
 魔理沙は映姫が村人から姿を隠して飛び回っているのを不思議に感じていたが、今になってその理由を痛感する。
 貴方の夫は里心がついたせいで長く現世にいたために更に長い間地獄で責められることになりました。
 誰がそんなことを説明できる?
 魔理沙は言葉を返せず俯く。
 女は魔理沙から、視線を映姫に移した。
 説明します、と言ってしまった以上、閻魔である映姫が嘘をつくわけにはいかない。
 女と顔を上げた魔理沙の視線の先で、映姫の顔にいくつもの感情が閃いた。
 悲嘆、後悔、嘆き、自嘲。
 最後に残ったのは能面のような無表情だった。
 何もかもを押し殺したような顔に目を伏せた魔理沙の前で、映姫が口を開く。
「きぃりさめまりさぁぁぁぁ!!」
映姫の声を掻き消すように、怒号が響き渡った。
びりびりと全てを震わせる声に驚いて魔理沙は顔を上げる。
 声が聞こえた方向を見上げれば、満月を背に降りてくる人影があった。
 普段は怒って声を荒げる姿など見せたことがなかったのだろう。女が驚きを含んだ声でその名を呼んだ。
「慧音さま」
 緑の髪と普段の知的な印象に似合わぬ髪から突き出す角。
 上白沢慧音だった。
 女に軽く頷いておいてから、慧音は魔理沙に詰め寄る。
「盆踊りをしている広場の上をブレイジングスターで横切るなんて、
いったい何のつもりなんだ!」
 ここに来るときに慧音が盆踊りの警備をしている広場をブレイジングスターで通り過ぎた。嘘でも弾幕ごっこ用スペルカードであるブレイジングスターは星くずの弾を派手にばら撒く。危うく広場を直撃しそうになったのも少なくなく、慧音は手伝いを頼んでいた妹紅に警備を任せ、二人を追ってきたのだ。
「悪い、凄く急いでいたんだ」
「急いでいるからといっても無闇に弾幕をぶちまけるな。
 人里で人死にがあったら、人間だからこそお前も裁かれることになるんだぞ!」
 そのまま説教を始めようとした慧音は、魔理沙の様子を見て首をかしげた。
「なんだ、どうしてそんなにボロボロなんだ?」
 魔理沙は黙って首を横に振ると、映姫に視線を向けた。その視線を追って映姫に目を向けた慧音は映姫の姿を見て驚いた。
「どうして貴方がここに?
 いや、それよりもその姿は……」
「理由は、今日の私たちの歴史を見てください。
 貴方ならそちらのほうが早いでしょう」
 説明する気にもなれないのだろう。映姫はそう言葉を返して魔理沙と同じようにその場に座り込んだ。
首をかしげた慧音が力を使って歴史を確認している間に、すっかり傍観者になってしまっていた女が火打石を打ち合わせる音が響いた。
 程なく藁が煙を上げ始める。
「……なるほど。
 彼岸のお盆はそういうことになっていたのか」
 同時に、納得したらしい慧音のしみじみとした声も上がった。
 慧音が視線を空に向ける。
 煙に乗った霊が、無縁塚に向かおうとしていた。
映姫が暗い瞳で無縁塚に向かう霊を見送っている。魔理沙も地面に座り込んだまま、黙って見送っていた。
慧音はそのまま月に目を向ける。
かろうじて傾いているが、もう四半刻もしないうちに日付は変わるだろう。
 暗い顔をしている二人に、慧音は笑みを向けた。
「……なんだよ」
 拗ねたように言う魔理沙に、慧音は更に笑みを深くする。
「お前はいいやつだなぁ」
 それを聞いた魔理沙は自嘲の笑みを浮かべた。
「結果がともわなわけりゃ意味ないぜ」
 慧音は首を横に振る。
「方向性はともかくとして、お前が全力を出し尽くしたからこそ、私がここにいるんだぞ?」
「……けど、もうどうしようもないだろ」
「そうでもないさ」
 慧音は笑って無縁塚に向かって飛ぶ霊に手をかざした。
「今宵は満月。
 私は歴史の創り手だ」
 かざしたその手から、光が溢れる。
 弾幕を形成するときとは違い、その光に猛々しさはない。色を失った魔理沙の目にも、その光は優しく感じられた。
 光がゆらゆらと飛ぶ霊を捉える。
 見る間に、霊の姿が消えていく。
 慧音の力が霊の歴史を創り替えていっているのだろう。
 「この場所にいる」という歴史を「無縁塚に着いた」という歴史に。
「なーんか、美味しいとこを持っていかれたなぁ」
 安心してごろりと地面に横になった魔理沙に、慧音はまた笑った。
「歴史は勝者が紡ぐものさ」


 何日か経って、慧音は魔理沙の家に招かれた。
 招いたのは家主である魔理沙ではなく映姫と小町で、盆踊りの日の礼がしたいとのことだった。
 慧音は村の警備を妹紅に頼み、その妹紅の不倶戴天の敵である輝夜には永琳に頼んで首輪をつけてもらっておいた。
「いや、首輪は比喩表現のつもりで……いえ、なんでもありません」
「師匠、その鎖とかは頼まれていないんじゃ……いえ、なんでもありません」
 輝夜からスペルカードを没収して首輪をねじ込む永琳の笑顔は、同席していた鈴仙と思わず目をそらしてしまうほど楽しげだった。
 慧音は盆を過ぎて急に涼しくなった風を楽しみながら、いつも通りの服装で風呂敷一つを手に魔法の森にある魔理沙の家を訪ねることにした。
「ん?」
 慧音が霧雨亭を訪ねると、陰気な森の中でひときわ自己主張の強い霧雨亭の横に、すさまじい数のガラクタが摘みあがっていた。近づいてみるとどれもこれも弱いものながら魔力を感じる。
「大掃除でもしていたのか?」
 呟きながらドアをノックする。
 返事が聞こえてほどなく内側からドアが開けられた。
「いらっしゃーい」
 出てきたのは小町だった。
「招きに預かり光栄だ。
 だが、あまり礼をしてもらえるようなことをしたつもりはなかったんだが」
「ま、あんたの認識はそんなモンかもしれないけどね。
 いいじゃないか、酒は人数が多いほうが楽しいだろ?」
「違いない」
 小町の案内で霧雨亭の居間に入ると、すでにできあがっている魔理沙がちゃぶ台の前で酒瓶を片手に胡坐をかいていた。
「おー、来たな」
 ひらひらと手を振る魔理沙に、慧音は持っていた風呂敷を押し付けた。
「手土産の野菜だ。
 お前も栄養が偏っていそうだからな。しっかり食べろ」
「んー。そうでもないんだがな。
 まあ、ありがたくいただいておくぜ」
 慧音が頷いてちゃぶ台の前に座ると、冷酒の入った茶碗が置かれた。
「ああ、ありがとう」
 礼の言葉に軽く笑って、小町も座った。
「んじゃ、何度目だか忘れたが、かんぱーい」
 おざなりな魔理沙の声で茶碗をぶつけ合って、酒を喉に流し込む。
 一息に茶碗を乾して視線をちゃぶ台に戻すと、いつの間にやら目の前に塩焼きの鮎と胡瓜の酢の物が置いてあった。
「鮎はちょっと時期を外しちゃったけどね」
 調理したらしい小町はそう言うが、齧ってみれば中々油が乗っていて旨かった。
 魔理沙はちゃぶ台の真ん中に置いてある笊から枝豆を取って口の中へ実を押し出しながら、
「いや、ホントに料理上手いよな、お前。
 片付けも結構丁寧だし、ウチに嫁に来ないか?」
「御免だよ。毎日あんな大方付けやらされるんだろ?
 三食昼寝付きなら考えてやってもいいけどね」
「ああ、じゃあダメだな」
 言いながらもごもごと口を動かす魔理沙。
 どうやらガラクタを整理して表に押し出したのは小町らしい。
 多分、小町のお礼は肉体労働だったんだろうな、などとと考えながら慧音も枝豆を一つ口に入れたところで、ふと一人足りないことに気がついた。
「閻魔さまはどうした?」
「今はお料理中だぜ」
 妙に楽しげに魔理沙が答える。
「映姫には料理、小町には整理を頼んだんだ。
 小町が先に酒の肴だけ作ってくれたんだけどな」
 魔理沙の言葉を聞いて耳を澄ませてみれば、厨房と思われる方向から物音が聞こえる。
「なるほど」
 慧音が頷くのと、皿を手にした映姫が姿を見せたのは同時だった。
 映姫は何故か魔理沙の黒い服とエプロンを身に着けている。
「おお、似合っているじゃないか」
 慧音の感想を耳にした映姫の顔に、朱が散った。
 慧音に小町が耳打ちする。
「ホントは紅魔館のメイド服が良かったんだけどねー。
 魔理沙の服もそれっぽいだろ?」
「ああ、確かに」
 どうも二人がかりの企てだったらしい。味方のはずの部下にまで裏切られた映姫の心境はいかばかりか。
 無言の映姫が皿を置く。
 皿の上に乗っていたのは少々いびつな玉子焼きだった。
「妙なものは入れてないよな?」
「私の裁判官としての誇りに誓って」
 うむ、と頷いて玉子焼きに箸を入れ、一切れ口に放り込んだ魔理沙が沈んだ。
 悲鳴を上げることすらなかった。
「……え?」
 流石にこの歴史は食えんなぁなどと考えながら、慧音は黙って茶碗の酒を啜る。
「復讐するは我にあり……」
 小町はぴくんぴくんと危険な痙攣をしている魔理沙に呆然としていたが、映姫の低い呟きを耳にして食ってかかる。
「え、映姫さま!
 閻魔が嘘をついてもいいんですか!?」
「私が法です、裁きです」
「横暴だー!!」
「冗談ですよ。卵、塩、油、しょうゆ。それだけしか使っていません。
 別に妙なものは入っていないでしょう?」
「なんでその材料で一撃必殺の玉子焼きができるんですか!?」
「人は常に新たな可能性を……」
「そんな物騒な可能性はいらなーい!」
「いいから食エ。食って記憶を失エ」
「むぐーっ!?」
 どさり、と人が倒れる音が霧雨亭の居間に再び響いた。
 被害者たちは陸地に打ち上げられたマグロのようにひくひくと痙攣を繰り返し、加害者はそれを見て口元に薄い笑みを浮かべる。
 我関せずと酒を口にしていた慧音はその笑みに恐怖を覚えた。
「わ、私は何も見なかった!
 何も知らなかった!!」
「ええ、そうかもしれません。
 ……ですが、言うでしょう?」
 映姫がスペルカードを取り出す。
 天知る地知る我知る人知る。
 審判、ラストジャッジメント。
「貴方なら、意味の説明は必要ありませんね?」
 映姫がじりじりとスペルカードと玉子焼きを手に近づいてくる。
 どう考えても巻き添えじゃないか。
 慧音は魔理沙と小町に対する復讐を心に誓い、諦めと共に口を開いたのだった。

 どさり。











 動くもののなくなったその部屋で、映姫が床に両手をついてそっと頭を下げたことは天と地だけが知っていた。


えーき様は仕事に打ち込むあまり自分のことが疎かになる人なんだよ!
お読みいただきありがとうございました。

時期が外れてしまいましたがお盆のお話です。
送り火・迎え火に関してはできるだけ本来のものを尊重した上で捏造設定を死ぬほど作っています。
そんな方はいらっしゃらないと思いますが、
間違ってもこの話の通りに受け取らないようお願いします。

えーき様とこまっちゃんのお礼で3(ピー)を考えた方。
恥じることはありません。私たちは同志です。
「当ててんのよ」ができない大きさのえーき様と、
「何当ててんだコラー!」と魔理沙に逆切れされる大きさのこまっちゃんという、
両極端のニーズに対応できる最強のコンビがいけないのです。
しかし、善からぬことを考えた罪です。
映姫さまの急所四十八箇所地獄廻りは覚悟しなければなりません。
悦んで受けましょう。


~う・ん・ち・く~

急所四十八箇所地獄廻り

梵網経にある比較的軽い罪を戒めた48の戒と同じ数だけ卒塔婆が急所を抉る映姫の奥義。
食らうのは主に三途の川の渡し、死神、サボタージュの泰斗である。
食らえば悶絶必至。いろいろと悔い改めることになる。

ちなみに裏奥義として急所四十八箇所極楽廻りがあり、こちらも悶絶必至の奥義である。
もちろん、性的な意味で。

9/25
 ようやく修正
 ご指摘いただいた誤字、不自然表現と山場から慧音先生の扱いを少しだけ変更
 ……話の筋をまったく変えずに修正するって難しいなぁ
FELE
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1.100CODEX削除
じわっと感慨、ぶはっと爆笑。
山田!なにやってんの山田!!
なにその素敵奥義、下さい♪
5.60与作削除
いい感じな山田さんとこまっちゃん。確かにお盆の時期は忙しそうですねぇ。
なんとなく、慧音さんの登場で一発解決ってな所とか、山場から落ちにかけて落ちきってない感じとか、微妙に気になった点もありましたが、全体通して雰囲気のいい良作でした。
9.80変身D削除
ある意味これが本当の裏盆ですね。
人の為霊の為、裏で頑張った三人がとても素敵でした。そして……
>えーき様とこまっちゃんのお礼で3(ピー)
伏字になってねえ(w そして私も混じりたi(ジャッジメント
18.100名前が無い程度の能力削除
くそ、泣かせやがって・・・

って台無しだコラー!!
27.90名前が無い程度の能力削除
これは素晴らしい
33.100名前が無い程度の能力削除
納得できなきゃ命がけでも道を切り開いてしまう男前な魔理沙に惚れた
がんばりすぎのえーき様が心配なこまっちゃんに
霊達の為にできることは全部してやりたいえーき様。
二人も最高でした

>私だって時間があればお料理勉強できるもん。
美味しいお料理作れるようになれるもん……

あれですか、萌え殺す気ですか
えーき様カワイイヨ
37.90名前が無い程度の能力削除
えがった
うるりと来たヨ
42.90偽皇帝削除
一撃必殺の玉子焼き、分量が気になりますw

最後の台無しなアレの前まではいいお話でした。
43.100ハッピー削除
エロス。
っていうか最後の最後でなんだあれわ(笑

後書きのせいで箒の上でいちょいちょしている山田さんと黒白が脳裏に浮かびましたってw
46.100hiyoshi削除
え~き様カワイイよw
殺人卵焼きどうやったら作れるんだr(卒塔婆スマッシュ
59.80てきさすまっく参拾弐型削除
よかったですが一部無理がある描写があった気が。
慧音先生がデウス・エキス・マキナだし。それでも楽しめましたが。
というか最後エロス。
62.90名前が無い程度の能力削除
ほろりときました。

>慧音は危うく広場を直撃しそうになったのも少なくなく、手伝いを頼んでいた妹紅に警備を任せ、二人を追ってきたのだ。
ここは、
危うく広場を直撃しそうになったのも少なくなく、慧音は手伝いを頼んでいた妹紅に警備を任せ、二人を追ってきたのだ。
のほうが良いかと。慧音が広場に直撃したわけではないのですから。

63.90bernerd削除
この染み入る雰囲気の良さは素晴らしいです。そして今回は裏のほうでも楽しませていただきました。やっぱ3(ry
66.90名前が無い程度の能力削除
「私だって時間があればお料理勉強できるもん。
 美味しいお料理作れるようになれるもん……」
萌え殺す気ですか


しかし、“暑さ寒さも彼岸まで”ってお盆は関係ないんじゃないっすか?
67.70名前が無い程度の能力削除
小町が家庭的って発想はなかったなあ
これは非常に新鮮でグッと来た
72.70Zucken削除
>輝夜の首に首輪をつけてもらってから
めちゃニコニコしている師匠と
「私が主なのに」
と鳴く姫を幻視しました.
73.100黒ニーソ削除
ウホ えーき様最高ww
「できるもん」てwww
74.無評価FELE削除
コメントありがとうございます。

ご指摘いただいた
慧音先生の扱い、山場からオチにかけての構成、
不自然表現と誤字について、期限を区切って修正してみようと思います。

元々最後の慧音先生の登場は予定されていたものではなく、
(実はバッドエンド前提でした)
広場をブレイジングスターで通過→あ、慧音先生怒るじゃん!から
ストーリーが捻じ曲がった部分だったため、
ご指摘いただいた通り話に甘い部分があったのは否めません。

本当にありがとうございます!
80.100キリカ削除
>私が法です、裁きです
そんなあなたが大好きです!
81.100ぐい井戸・御簾田削除
いい話だ!面白かった!そしてなんつー後書きだw
82.90煌庫削除
拗ねてるえーき様に萌えたが逆襲チックなえーき様にも萌えた。どうしてくれやがりますか?
83.90油揚げ削除
とばっちりですよ慧音様。山田様ひでぇ。
93.無評価FELE削除
前のコメントの言い訳がアレなので消そうと思ったら、
コメントは修正きかないんですね……注意しよう。

せっかくだから俺はこのコメントを返すぜ!


>CODEX氏
地獄バージョンをプレゼントしましょう
極楽バージョンは私がいただきまs(地獄廻り

>与作氏
お盆の管理者は誰だろう、から考えてみたお話でした。
俺サマ設定を受け入れていただけて嬉しいです。
ご指摘、ありがとうございました!

>変身D氏
しまった、題名そっちにすりゃよかったか!<裏盆
混ざったが最後、きっと干物ですぜ。

>名前が無い程度の能力氏(2006-09-07 22:54:29)
あとがきで台無し。
一度やってみたかったのですヨ(カクカク

>名前が無い程度の能力氏(2006-09-08 00:47:36)
ありがとうございます~。
次は妖忌とこーりんで素薔薇しいのも狙ってみるか……?(いや、冗談ですよ?

>名前が無い程度の能力氏(2006-09-08 09:26:34)
きっと盆明けから幻想テレビ番組「ひとりでできるもん」で
お料理の練習を始めることでしょう<えーき様

>名前が無い程度の能力氏(2006-09-08 14:19:17)
ありがとうございます。
お人好しで手の抜けないえーき様が受け入れていただけて嬉しいです。

>偽皇帝氏
本人もどうしてそうなるのかわからないたまご焼き。
お手軽な材料で永琳の薬並みのバッドトリップできますぜ。

>ハッピー氏
ふ。
後で思い返すと箒の上はすっかり二人の世界だったことに気付けるのですよ。

>hiyoshi氏
新たな可能性を求めてたまご焼きを作れば新たな世界が開けます。
さあ! 貴方もあのドドメ色の未来に向かってLet's たまご焼k(卒塔婆クラッシュ

>てきさすまっく参拾弐型氏
ご指摘ありがとうございました。
慧音先生は扱いが難しいなぁ……って読み返したら何か抜けた文章でした。
抜いたつもりはないのですが、終盤に抜けてしまうクセを注意しないと……。

>名前が無い程度の能力氏(2006-09-09 19:23:21)
ありがとうございましたー。
修正かけました……何やってたんだ私はorz

>bernerd氏
3(ry
貴方の好みはドッチ!?

>名前が無い程度の能力氏(2006-09-09 23:24:38)
うへぁ。彼岸彼岸と書いていたのでどっかで狂ってしまったか。
ご指摘ありがとうございました。

>名前が無い程度の能力氏(2006-09-10 02:34:54)
騙されてはいけません!
確かに片付けはやっていましたが、
作った料理はほとんどが酒のアテばっかりなのです!

>Zucken氏
鳴くのですね! 鳴かされるのですね! むしろ鳴かしてy(蓬莱の珠の枝
そしてえーりんとかぐやの部分を微修正。

>黒ニーソ氏
えーき様って、拗ねる姿が似合うと思うのですよ。
ドジっ娘優等生っぽいから失敗して自己嫌悪でいじける姿とか。

>キリカ氏
横暴閻魔様。
白黒はっきりな人なので、
灰色部分を白にして突いてくるかもしれません。

>ぐい井戸・御簾田氏
台無し。
うんちく部分はどこぞの不定期連載漫画ちっくにしようかと思ったのですが、
むちゃくちゃ長くなりそうなのでやめました。

>煌庫氏
そんな貴方にプレゼント
つ【地獄廻り回数券】

>油揚げ氏
あ、そっちのほうが言葉が的確ですね……もっかい修正しよう<とばっちり
あれです。山田様は自分のことをかわいくないと勘違いしているタイプだと思うのですよ。
だから可愛い服を着て褒められると照れてこういう態度に出てしまうのです。
96.90名前を忘れる程度の能力削除
序盤から最後まで無茶でまっすぐな魔理沙いいですね
実に彼女らしい。
それにえーき様可愛い…反則だ…最高。

でも皆さんも言っている「慧音さんが…」な点で少々点引
110.100名前が無い程度の能力削除
キャラのらしさが素敵に表現されていて、没頭したりニヤニヤしたり。
読みごたえのある作品でした。
頑なな想いが伝わってきます。
120.90名前が無い程度の能力削除
良い人、良い半獣、良い死神、良い閻魔様だな~
140.60名前が無い程度の能力削除
極楽廻りを受ける小町の小話はまだか!