Coolier - 新生・東方創想話

Anywhere but here【6】

2006/09/07 11:26:28
最終更新
サイズ
21.08KB
ページ数
1
閲覧数
1102
評価数
8/68
POINT
3550
Rate
10.36

どこへゆこうという
あてもありませんでしたし
どこでなにをしようという
つもりもなく
ただ
どこかへゆけば
なにかがあるだろう とおもって
ぼくはいつも
たびをつづけてきたのです






Anywhere but here(魔法使いには魔術書を)





【それはさながら】


[金糸雀]


歌声がした。

懐かしい歌だ。

空っぽで、底抜けで、ただきれいに震えるだけの。

そんな歌い方しか知らない声は青く遠く透き通っていて。

そんな惨めでも哀れっぽくはならないくらいただ無邪気で。

歌というより、やわらかな叫びのようだった。

けれど。


初めて耳にしたその瞬間。




私の為だけに紡ぎ出されたその音に、ほんの一瞬全てが白く遠ざかった。






[上弦の月]


美鈴に別れを告げ、ふわふわと力なく飛行するアリス・マーガトロイドを、音もなく近づいた影がさらう。
それは一瞬のことだった。

[Side:Remilia]

「ちょっと簡単にやられすぎじゃない?」
ばさりと。羽は広がり、月を背負う。
「…霊夢のところに行ったって聞いたけど?」
「もちろんこれから行くわよ。でもその前にね。私に話があるんでしょう?」
「聞くつもりがあるなら、こんな回りくどいことをしなくてもいいじゃない」
人形遣いは溜め息をつく。呆れたのではない。影の正体がレミリアだとわかって、安堵したのだ。レミリアにはわかっていた。今の彼女は、こうして宙に浮くだけでもやっとだということに。彼女はそれくらい危ういことに。
「咲夜に感づかれたくなかったのよ」
「どうして咲夜なの?あなたの腹心なんでしょう?」
「もちろん信用はしているわ。ただ今回は美鈴が絡んでる上に、近頃のあの子は上の空。今はどんな精神的負荷も与えたくないの」
「あの門番と咲夜がなにか?」
「…美鈴は咲夜の養育係でね」
アリス・マーガトロイドはかすかに動揺したようだった。その反応をどうとらえるべきか。レミリアはすっと近くの大木を指した。
「とりあえずあなたは座った方がいいわ。そんなんじゃ、ろくに話も出来ないでしょうから」
「さすが、誤魔化しがきかないわね」
「ちょっと注意してみればすぐわかるわ。パチェが気がつかないのは、あの子が平静を失っているせいよ」
アリス・マーガトロイドはよくわからないというように首を傾げた。レミリアは己の親友の前途を思い、少し気の毒な気分になる。

「それで、美鈴はこの後どうなるの?」
「放っておけば現身をとれなくなるわ」
「消えるってこと?」
「いいえ。見えなくなるだけよ。ああ大丈夫。“館が崩れる”までは、そのあと百年は先よ…それが訊きたかったのよね?」
アリス・マーガトロイドは、いきなり核心を突いてきた。レミリアは眉をひそめる。
「心外ね。あの門番には、私だってそれなりに思い入れがあるのよ」
「毎日のように苛めてるって聞いたけど」
「コミュニケーションよ。どうでもいい奴に時間を割いたりなんてしないわ」
その言葉に、何故かアリス・マーガトロイドは笑った。酷く、優しいような眼で。どうしてそんな笑い方をするのか、レミリアにはわからない。彼女がそんな笑い方をするなんて思いもしなかったし、そもそもここで笑うことすら予想していなかった。
「…そう。それを聞けて良かったわ」
「何がよかったのよ」
人形遣いは答えなかった。ただすっと空を仰いだ。その先には上弦の月。秋の空に、揺れるように浮いている。普段ならこんな無礼は許しはしない。けれどその時、何故だかそこに答えがある気がして、レミリアもつられるように月を見上げてしまったのだ。

風が凪いで、虫の声も途絶える。その一瞬を待っていたように、アリス・マーガトロイドは口を開いた。
「今は応急処置が精一杯。本格的にするなら、結い直すのでは足らない。全く新しくしなければ」
透明な声だった。一切の濁りもない、故に聞く者を不安にする声。だからレミリアは、先ほどまでの彼女は、彼女が彼女らしく振る舞っていた結果だと、ようやく気づいた。
「…あなた」
「聞いて、そうして約束して欲しいの、レミリア・スカーレット。あなたが咲夜も美鈴も失いたくないというのなら、決して彼女たちを見くびらないと」
「…何を言っているの?」
己の従者のことを、他者にとやかく言われる謂われはない。とくに、あの二人に限っては。
「あなたはとても強いから、頼ることが得意ではないはずよ。ただ他者を信じ任せることは、却ってあなたには難しい」
永遠に紅い幼き月は眼を細めた。レミリアの知っている七色の人形遣いは、こんなこと言うような少女ではなかったはずだから。もっと率直な物言いで、話をはぐらかしたりはしない妖怪だったから。それは強烈な違和感だった。思わずその肩を掴んだ。
「お前は、だれ?」
言葉が乱れて、レミリアの手に力がこもる。爪が伸び、そのうちの一本の先がアリス・マーガトロイドの背中の、心臓の上辺りに触れていた。弾幕なんてお上品なものではない。相手の命を、奪うためだけの攻撃。故にすぐには行動に移さない。ただ殺気を孕んだ空気に、彼女は落ち着かせるように静かな調子で言葉を重ねた。
「私がアリス・マーガトロイドだということは、あなたにもわかるでしょ?よしんば違うとしても、今の私はここから突き落とされるだけでも死ぬわよ」
自分はレミリアのなんの脅威にもならないのだと、彼女は言う。それは真実のように思えた。ふと、レミリアは掴んだ肩が、小さく震えていることに気づいた。けれど向けられる眼はどこまでもまっすぐで、彼女がどれほどの決意で言葉を口にしているのかが、痛いほど伝わってくる。それでもまだ手の力は緩めない。試すようにレミリアは冷たく笑った。
「そんなになるくらいなら、首を突っ込まなければいいものを。無理ならせめて、もっとうまく誤魔化せばいい」
「ええでも。勇気とは、恐怖の有無ではないと思うから」
そうして無理矢理でも笑ってみせる彼女は、まるで――――――――。
「そういうところ、本当に人間みたいだよ。お前の血を啜れば、人の味がするのかな?」
もちろんそんなことをすれば、黙っていないのが数人いるだろう。
「霊夢や魔理沙よりも、お前の方がよっぽど人間らしい。痛みや苦しみを否定せず、恐怖を尊び、けれど時に本能に反する。だいたい、お前は妖怪なのに人に近づきすぎだね」
それは物理的距離でも、行動を共にする時間の長さを指しているわけでもない。
「妖怪は妖怪らしく、己の性質に依って自己完結してればいいものを」
その言葉は、半分は自分に向けたものだった。
「アリス・マーガトロイド。お前は人間に合わせすぎだよ。私たちはたとえ共に時間を過ごすことはあっても、決して一つにはならない。そういう存在だったろう」
そうしてそのことに、さみしいなんて思わないものだったはずだ。
「…そうね」
人形遣いは絞り出すような声で言った。
「だから私は、きっとこんなにも…」
こんなにも、なんだというのだろう。彼女はそこでレミリアから視線を逃して、その後ろの空を見た。酷く透明度の高い瞳に、上弦の月が映り込む。その月があまりにも綺麗に見えたから、レミリアは不意に落ち着かなくなった。彼女の眼は、まるで水面のように静かで。それに掴んでいるこの肩は…。
すっと。そのことに気づいた途端、手の力が抜けた。解放されたアリス・マーガトロイドは、大きく一呼吸した。レミリアも心の中で深い息を吐きだす。
とにかく落ち着かなくてならない。彼女がいつもどおり振る舞う以上、レミリアが自らの役を外れる訳にはいかなかった。そうだ。もしも彼女が弱音を吐いたとしても、それを聞くのはきっと自分ではない。脳裏を過ぎるのは唯一にして無二の親友。あるいはパチュリー・ノーレッジの為を思えば、もう一度アリス・マーガトロイドの肩を掴み、揺さぶってでも問い糾すべきなのだろうか。ぐるぐると、思考は一つにまとまらなかった。そんなレミリアの心中を見透かした訳でもないだろうに、アリス・マーガトロイドはいっそ悲しいほど静かに言うのだった。
「聞いて、そうして約束して欲しいの、レミリア・スカーレット」
それは先ほどの言葉を繰り返したものだった。仕切る直すつもりなのだ。話し合うにはすでに遅すぎた会話を、無かったことにする為に。私は聞かなかったことにするから、あなたも言わなかったことにしろと。そう、彼女は言っているのだ。
一瞬迷って、迷う振りをして、レミリアはそれに乗ることにした。そんなにも彼女が必死になっているのだから、自分は知らなくていいことなのだと。そう、思わなければ、もう目の前の彼女はきっと。
息苦しさを無理矢理にやり過ごす。自分は、レミリア・スカーレットはレミリア・スカーレットなのだ。紅魔館の現館主。ならば、それに相応しいことにのみ心を重くし、悩み、そして力を尽くせばいい。
それ以外は、今は無用だ。
「何を、約束しろって?」
冷静になれと、己を窘める。ようやっと再開した会話に、人形遣いであるはずの少女は心持ち頬を弛めたようだった。そうして、彼女は彼女らしく言葉を返す。
「あなたの力、『運命を操る程度の能力』。あれで事を修めようなんて、そんな乱暴なことをしないで欲しいの」
「それで、信じろ、か」
「ええ。約束してくれると嬉しいわ」
ばさりと。翼を一度大きく動かすと、レミリアも倣って枝に腰掛ける。すぐに返事を返さないことに、アリス・マーガトロイドは不満を示さないようだった。だからレミリアは目を閉じて、初めてこの館に来た夜を思い出した。今とは反対の季節。あれは春の夜だった。



朽ち果てた館に、壊れて瓦礫と化した門。人が住まなくなってから、そうとうな年月を経ただろうその場所は、何故だか花が咲き乱れていた。野草だけではないから、そこには手が入れられていることがすぐにわかった。なのに人の気配もなく、妖怪の影も無かった。
「けれど花に埋もれるようにね、それは居たの」
突然の言葉に、彼女は黙って頷いただけだった。それが続けて欲しいという意味に思えて、レミリアはあの夜を回顧する。
「近づいて、それが眠っているらしいということに気がついた。長い髪が広がって、それが月明かりにも紅いことがわかった。紅は私の好きな色よ。だから私は攻撃しようとした手を止めて、その顔を覗き込んだ。割と整った造形だけれど、少し青ざめて見えたのが気になった。人なのか妖怪なのかはまったくわからなかった。息もしてないように見えたもの。それでも生きていると思ったのは、かすかだけれど鼓動を感じたから」
そこで一息つく。そうだあの晩。私はその時を待っていた。
「しばらくして、急にふっと空気の流れが変わるのを感じた。春の宵風に混じって、一筋だけが違うなにかを孕んでいる、そんな気がした。私は何かに呼ばれた気がして空を仰いだ。その晩は小望月。満月でなかったのは、さすがに出来すぎだと思ったんでしょうね。何もなかったから、すぐに視線を戻したの。その次の瞬間だったわ。唐突にそれは目を覚ました。そうして私をみて笑ったのよ」


それは、声というよりは。


「それが、私があれと出会った夜よ。目覚めたばかりのそれは、何が嬉しいのかことあるごとによく笑ったわ。まともな言葉は何一つ発しなかった。けれどこちらの言ってることはわかるようで、私の質問に頷いたり首を振ったりした」
名前は、と訊いた。彼女は困ったように首を傾げた。
文字は書けるかと問うと、うなづき、
「指をね、こう、宙をなぞるように。それで」
書かれたそれを、レミリアは読むことが出来なかった。アルファベットに直され、ようやく音にすると、ひどく嬉しそうな笑みが返ってきた。笑えるのに言葉を発せないとはどういうことなのか。レミリアは自分の名前くらいは言えないものかと、丁寧に音を区切って言った。

――――――――私はレミリアよ。レミリア・スカーレット。言ってご覧なさい

一応は言おうとしたのだろう。けれど吸った息は音にならず、どれほど必死になろうと、彼女は笑い声しか許されないようだった。不思議と苛立ちはなかった。なんとなくそれは自然なことのような気がしたのだ。

そうして――――――――。

五百年というレミリアの生涯の中でも、指折りに鮮やかな記憶。それを言葉にしようとして、けれどきっと言いたいことの千分の一も伝えられない気がして口を鉗む。そんなレミリアを横目に、それまでずっと黙っていたアリス・マーガトロイドは言った。
「あなたは“認められた”のね。レミリア・スカーレット」
「なんだか癪だけれど、そういう言い方になるのかしら」
「そういう言い方しか出来ないわ」
確信に満ちた声だった。だからレミリアは悟った。人形遣いが、その光景を知っていることに。そうしてあの記憶を無理に言葉にしなくて良かったと、心の底から思ったのだった。
だから。
「私だって、むやみにあの力を遣うのは好きではないのよ?」
「そうだったの?」
永遠に紅い幼き月ことレミリア・スカーレットは、今こそ夜の王に相応しい笑みを浮かべる。





「だって私にとって素晴らしいものは、いつも前触れ無く現れるもの」





そうして出会いのその瞬間に、幸福な予感だけでレミリアの心を震わせるのだ。
「運命は、心までは縛れない」
もはやレミリアの心は決まっていた。
「約束を、いいえ誓いましょうか。アリス・マーガトロイド」
「私には誓わなくていいわ」
「では何に誓えと?」
とっさに浮かんだのは今宵の月、あるいは自分自身。そうして彼女たち。けれど人形遣いは緩やかに首を振り、立ち上がって両手を広げた。芝居がかることで、彼女はその肩にかかった重みを、笑おうとしているようだった。
彼女は歌うように告げた。




「訪れるだろう、幸せな終末に」




大切な者すべてが、笑い合えるような結末に。






ざぁっと秋の夜風が、一斉に辺りの木々を乱暴に撫でてゆく。
虫の声が耳に痛いほど響いた。


その夜、レミリアは初めて目の前の、この不器用な生き方をする存在を認めてもいい気がした。



――――――――大切な者すべてが、笑い合えるような結末に



それが七色の人形遣いが、あえて貧乏くじを引いた理由なのだと、ようやく納得できたから。



レミリアは。



頷くことで彼女の背を、最後の一押しをしてあげたのだった。











【ゴースト憑き】


[Re:The Minds of Sakuya]


咲夜の中では、たくさんの彼女たちが泣いたり怒ったり笑ったりしている。そうして一人だけ浮いた彼女は、そんな彼女たちをただ眺めているようだった。
たくさんの彼女たちが騒ぐのは、どうやら咲夜が一人でいる時が多いことに最近気づいた。
一番大人しいのは美鈴といるとき。その時は存在を忘れるほどだ。
お嬢様といるときは、静かな時もあれば通常より騒がしいときもある。

たくさんの彼女たちは今日も煩い。最近、とみに騒がしくなってきている気がする。何かに心が揺れる度に、声達はますます存在を主張し、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。なのに、見た目は変わらない、変われない。
いつも通り笑顔を貼り付けて、その日その日の仕事をこなしてゆく。

ああ、狂っているな、と思った。




[多重連携同盟]

   [Side:Patchouli]


数年前のこともあって、咲夜のことが気になった私は、思い切って訪ねてみることにした。それにいい加減、彼女が今回のことをどれほど感づいているのかが、わかっていた方がよいだろう。
時刻は夕刻。レミィは今日も神社に行ったそうだ。本当にどういうわけなのか。何も知らないならともかく、知っていて放っておくとは。ああそう言えば、咲夜が最近元気がないようなことを、小悪魔は言っていなかっただろうか。もしやその事に気を取られている?けれどそれなら、なおさら神社に行ったりはしないだろう。やはりわからない。大したことではないということだろうか。あの仮説が本当なら、充分すぎるほど大事だと思うが。だいたい自分は関わらないくせに、私には任せるとはいかがなものか。もちろん私だって親友の手助けをするのはやぶさかではないし、美鈴とだってそれなりに付き合いが長い。だから面倒という気持ちもあるが、こうして調査すること自体は嫌ではないのだ。けれど、そもそも重要な立場にいる二人が(美鈴はある程度仕方がないが)、この調子では、士気も下がるというのものだ。ちょっと休憩し、好きな本を好きなだけ読んでいたくもなる。
けれど。
「アリス・マーガトロイド…」
隠し部屋で見た彼女の必死な眼が、その選択を何度も私の手から奪ってしまう。 それに、今回のことは彼女にも関係があるかもしれないのだ。あの晩が、彼女を見た最後だった。声を聞いたのはその次の晩が最後。あれから彼女は来ていない。別段毎日来る必要はないし、これまでだって三日か四日に一回のペースだった。けれど、レミィと彼女は行き違い、しかも最後にこの館に来た時、彼女は来てすぐに帰ったのだ。小悪魔に確認をとらせたのだから間違いない。つまり彼女は未だレミィに話を伝えられてないままだ。もしもそれがレミィを楽観視させているのだとしたら、これは問題だ。思えばあの時、やはり起きればよかったのだ。さらに失敗をしたのは、彼女がレミィと行き違ったことを、小悪魔に教えなかったことだろう。のうのうと眠っていた自分が今さらながら憎い。そうして彼女の声にすぐに起きられなかったことにひたすら腹がたった。そうだ。近づかれたくらいで動揺している場合ではなかったのだ。なかったのだけれど。
神経の通っていないはずの髪に、いまだ彼女の指が触れた、あの感触が残っている気がして。


ハーブと、鬼灯をもらった。


丁寧に細かく書かれた注意書きは、彼女が私の体調を気遣ってくれたことがよくわかる。薬は毒になりやすい。ハーブといえど、何かを和らげる換わりに、何かを引き起こすこともある。必要以上摂取すれば、胃に負担がかかることもあるのだ。そういった可能性をきちんと書いてくれた。本にはいい効き目しか書かれないことも多いから、経験に依った情報は貴重だ。それに、料理に使えるようにと同封されていたレシピは、何故か私の好きなものばかりだった。私はそんな話をしたことはないから、おそらく誰かに訊いたのだろう。あるいは私が食事をとっている時、たまたま見たものを覚えていてくれたのかもしれない。どちらにせよ、多分それは。
「喜ぶべきところ、なんでしょうね」
言ってから、いったい自分は何を考えているのだろうと我に返った。今はそんなことを考えている場合ではないのに。
なんだろう。またあの小悪魔が笑いが甦った。上機嫌な時に、ひゅんっと一回空を切るあの尻尾の音まで聞こえた気がする。どれも錯覚なんだけれど、付き合いが長いせいか、嫌に生々しかった。これは近いうちに、主従関係の再確認をした方がいいかもしれない。そう、むこう百年は寝ても覚めても忘れないくらい徹底的に。

そんなどこか不穏な事を考えながら、私は館内を移動していた。小悪魔が適当な噂を流してくれた所為か、今回はすれ違うメイド達もとくに反応はしない。ただ私が近づけば会釈をし、自分の仕事を全うしている。 何事にも下準備が大切という生きた見本だった。
そうして、私は咲夜が寝起きを繰り返している部屋のある階に辿り着いた。最後から二番目の廊下を曲がろうとしたちょうどその時、私はその姿を見つけたのだった。
「…カーサ?」
何故彼女がここに?
「そろそろいらっしゃると思ってましたので。隊長のことでしたらご心配なく。あの方はもう自室です」
カッサンドラ・グノーシスという、甚だ不吉な名前を持つ彼女は、ちょっと困ったように微笑んでいた。



「それで?わざわざあそこで待っていたということは、咲夜絡みの話なんでしょう?」
私は再びカーサの自室にいた。お茶を淹れようとした彼女を制し、話を円滑に進めるべく切り込む。実は人の話を聞いていないじゃないかとか、言ってることが解りづらいと言われていたのも今は遠い昔。私は魔理沙を筆頭に多くの妖怪や人間と関わるようになってから、会話には勿体振っていい時と悪い時があることを身にしみて理解した。
「パチュリー様はご存じないかもしれませんが、私もけっこうメイド長、咲夜様の遊び相手をしたのですよ」
言い直すその口調は、彼女にとって『メイド長』よりもそちらの方がしっくりくるのがよくわかるものだった。そういえば、彼女は副隊長になってからかなり経つという話だ。
「いえ、小悪魔から聞いたことがあるわ」
なるほど。カーサは美鈴だけを見ていたわけではないということなんだろう。私は数年前の、あの時の咲夜の眼を思い出す。たしかあの場所には、カーサもいたのではなかっただろうか。
「これは推測なのですが」
カーサは言った。
「咲夜様は、過去に何らかのトラウマがあるようなのです」
突然、予想外の言葉を聞いた気がした。
「トラウマ?」
「もう大分慣れたようですが、どうも火が苦手なようなのです」
「火?でもお茶を淹れるには」
「はい。ですから慣れたと。ただ未だに、咲夜様の部屋には火を起こせるものは、一切おかれていません。冬はそれで寒い思いをされているようですが、それでも頑なによしとしないのです」
聞けばそのことで美鈴と喧嘩をしたこともあるそうだ。
「メイドの一人から聞いたとき、嫌な予感はしていたのですが」
「なにを?」
「咲夜様が安静を言い渡される前のことです。朝頃に不機嫌なことが連続したことがありまして」
カーサは慎重に言葉を選んでいるようだった。直接の上司でないとはいえ、相手はあのメイド長。彼女のマイナスな話は御法度。小さい頃から近くで見てきたからなんとかカーサは口に出せているのだろう。やがて彼女は思いきるように言った。
「早朝は、夢をみます。人はほとんど毎日と言っていいほど夢をみるのです。それで私は数日間、咲夜様をよく見ました。観察と言っていいほどに。それで断言させていただきますが、メイド長には今回の話を絶対に知られるわけにはいきません。故に力になって貰うことは不可能です。それどころか場合によっては、今回の件の妨げになることもあるでしょう」
カッサンドラ・グノーシスという、甚だ不吉な名前を持つ彼女は、その名の通り厄災の訪れを告げたのだった。


「あれは、館に来たばかりの頃の咲夜様です。十六夜咲夜という名前が、まだ彼女の中で浮いていた頃の。遠い遠い響き方をしていた頃の、笑わない少女の頃の咲夜様です」





思わず天井を仰いだ。
いったい、これはどこの誰の陰謀なんだろう。









【もう少しだけ、足掻いてみたいⅡ】

[Side:Marisa]

――――――――あのね魔理沙。あなた女の子でしょ。弾幕もいいけど、生傷ばっかつくってると、嫁入りの先がなくなるわよ

――――――――いい?身を美しくと書いて、躾と読む、ってこれは関係ないわね

――――――――でもよほど酷い傷でもない限りは、あまり魔法に頼っちゃ駄目よ

――――――――なんでだ?乙女の肌に痕が残ったらどうしてくれる

――――――――魔理沙。私たち以上に、あなたには痛みが大切よ、きっと


それはいつか交わした会話。多分、あの永い夜だった気がする。
そうして治療を終えた彼女は、そっとガーゼの上に触れて、目を閉じた。願うように、祈るように。

――――――――早く良くなりますようにって。はい、魔理沙もやる

――――――――なによその顔。これは由緒正しき治療法なのよ。私もよくやられたもの、間違いないわ



そうして笑った。懐かしそうに。それがあんまりにも幸福そうだったから、魔理沙は真っ直ぐ見ていられなかった。ただ、愛されてるんだなと、ほんの少しだけ羨ましい気がした。すぐに忘れるような、そんな淡い羨望だったけれど。



あの晩に見上げた月が、今でも目から離れない。



左腕の傷は、もうどこにもないというのに。








【龍の卵Ⅱ】


   Über den Bergen, weit zu wandern,      
   sagen die Leute, wohnt das Glück.      
   Ach, und ich ging im Schwarme der andern, 
   kam mit verweinten Augen zurück.
   Über den Bergen, weit weit drüben,
   sagen die Leute, wohnt das Glück.





「君の心は水面のようだね。そんなにも僕らを映して、君は何色のつもりなんだい?」

買った紙の代金を払おうと、鞄を覗き込んだ瞬間の言葉だった。
アリスはぴたりと動きを止める。
「や、ごめん。気に障ったかな」
失言だったというように店主はかぶりをふった。
「どういう意味かしら?」
「いや、本当に何でもないんだ。ふと思ったというか。君の眼が、あんまりにも透明だから、ガラスみたいだと思って」
実際、店主自身も何故そんなことを言ってしまったのかよくわからなかった。だから弁解も弁解にならない。見ていて気の毒なほど必死になって謝罪の言葉を重ねようとするものだから、アリスは許さないわけにはいかなかった。


彼の言葉は、そうあながち見当外れでもなかったのだけれど。





[Side:Alice]


ずきりずきりと、左の肩が痛む。
見なくてもわかっている。あれがまた広がっているのだ。首の方に伸びなかったのは不幸中の幸いだろう。そうでなければ、とっくに気づかれている。 一つ痛む度に、また力を失っていく。それは、生命を削られているのと、ほとんど同義だ。
「まったく、容赦のない」
龍の卵もとい空卵を握る。途端、申し訳なさそうにその声が浮かんだ。

――――――――苦しいでしょうが、あと一冊分なんです。だから

「わかっているわ」
そう、わかっている。だから心を強く持とう。強くなれないと言うならば、強がるだけでもいい。鬼が出ようと蛇が出ようと、一だろうと八だろうと、すべてはもう少しで終わるのだから。



Anywhere but here

ここではないどこか




幸せは、いつも遠くにあるものだ。










意味深な言葉を言ったからって、その人がなんでも知っているとは限らない。

こちら、歪な夜の星空観察倶楽部です。

おそらく、これで伏線は張り終わったはずです。後はみんな転がっていくだけですね。なにか重大な見落としがない限りは。咲夜さんを出さなくても話が進んでしまったのは自分でも予想外でしたが。
それにしてもレミリアとアリスの会話を書いている間中、ずっと首を捻ってました。この二人のツーショットって、なんだか違和感があります。キーを打ちながら、これはありなんだろうかとさんざん悩んでました。他の方の作品でも、見たことないんですよね、この組み合わせ。捜せばあるんでしょうが、私は見たことがありません。
そんなアリスですが、察しの良い方は、彼女がところどころ誤魔化したり嘘を吐いたり隠したりしていることに気づくと思います。ピースを拾っている方は、彼女の言葉だけは疑ってください。最大のピースは、実はこの『作者からのメッセージ』なんじゃないかと思いますが。

それでは彼女たちの精一杯に、もう暫くお付き合いください。



この話は、前作『Childhood's end』
       九年目の魔法
       複数の死語
       からくりからくさ
       ほしのたびびと
       山のあなた
       数え切れないほどの何か
        
       忘れちゃいけない東方ワールドと皆さまの励ましで出来ています。
歪な夜の星空観察倶楽部
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2840簡易評価
13.70名前が無い程度の能力削除
アリスが好き。大好き。
17.無評価おやつ削除
レミリアと話しましたかアリス……
外堀が埋まってきた感があってわくわくします。
23.90名前が無い程度の能力削除
( ・∀・)
24.90名前が無い程度の能力削除
(=´ω`=)
37.90空之 翼翔削除
いつも楽しみにしております
39.80名前が無い程度の能力削除
幸せな結末を待っています。
44.90煌庫削除
ふと気付くとそこにある。
ふと気付くとそばにある。
ふと気が付くといてくれた。
誰かが言った。
幸よあれと。
52.100名前が無い程度の能力削除
他人の幸福の為に自分を犠牲にする様をみると
どうにも涙腺が緩んでしょうがない
64.100名前が無い程度の能力削除
ふと思い返す。先日の僕は美鈴と咲夜の物語を読み漁っていたと思う。
そんな中でたまたま前作を見て、一応の終わりを見て、それで満足したはずだったのだが…
今読んでいるこの作品の(まだ完成していない)満足は前作のそれを超えている。
話が繋がっているのだから当たり前なのだけれど、気がつけばあっさりと陥落された僕が居るということに軽く驚いている。
67.無評価名前が無い程度の能力削除
基本物語は嘘はつかないという認識で読んでるせいかアリスの嘘とか全然気づいてません。
それにしてもカッサンドラが優秀だ。能力は予言があたる程度の能力でしょうか?元ネタみたいに信じられなくて悲劇にならないのは救いか。
誤字報告
重みを、笑おうとしている→払おうとしている では?笑うことと払うことでかけているなら申し訳ない。