まず目に入ったのは、分厚い本を読み耽る華奢な少女だった。美しくもシンプルなデザインの椅子は、彼女よりも一回り大きい。
「お邪魔しまーす」
「帰れ」
その少女、パチュリーは珍しい客人に対して、本に目を落としたまま、開口一番、告げた。
それには一瞬苛立ちを覚えたが、彼女の愛想が悪いのは今に始まったことではないと割り切ることで、すぐに平静を取り戻した。
「客人に対して、それはないんじゃない?」
だから、まるで人形のように無表情のまま、そう言ってやる程度で済むのだ。
「招かれざる客には優しすぎるくらいよ」
パチュリーもパチュリーで、口以外の一切の動作もなく。
彼女の細くしなやかな足は、ヴワルの広い床に届くことはなかった。
「そうね、それもそうか」
「……何を企んでいるのかしら? 『魔理沙のお友達?』」
あっさりと引き下がり、自嘲にも似た含み笑いを漏らすアリス。それを怪訝に思ったのだろう、初めて目を上げたパチュリーは得意のジト目でアリスを睨みつけた。目つきが悪い気がするのは、ただ目が悪いだけなのだろうが。
「何も企んでいないわよ、本を借りに来ただけ」
本当のことだ。
しかし、そんな言葉だけでアリスを信じ切る気もさらさらない。
だから、つまらないジョークとちょっとの皮肉を混ぜて、こう言ってやるのだ。
「ふぅん、爆弾でも仕掛けられなきゃいいけど」
以前から、パチュリーとアリスの仲は良くなかった。
魔法使いという孤高の種族のくせに、人一倍寂しがり屋のアリスが、パチュリーは嫌いだった。
それをなんとなく感じたアリスは、彼女の無愛想さも相まって、パチュリーが嫌いだった。
お互い、プライドが高いためだろう。相手に嫌われるほど、意固地になって自分も相手を避けようとする。
――人に嫌われることが、好きなわけじゃないのに。
故にアリスは、魔理沙の図書館奇襲を手伝うこともあった。
それを知ったパチュリーは、さらにアリスから遠ざかる。
ショックだったのだ。
「私は無意味に爆発物なんて置いてかないわよ」
「置いてかないでー」
「置いてかないってば」
けれど、アリスにとっては、それはそれ。パチュリーはともかく、アリスはパチュリーに直接的な恨みはない。
今回だって、内心は、できることなら少しでも仲直りできたら、と思ってやってきたのだ。内心は。
もちろん、第一の理由は知識の習得だが。
ついでに記すと、その第二の理由は、パチュリーの第一声を聞いた途端に忘れてしまったが。
「んじゃ、ちょいと見せてもらうわねー」
いくらかどうでもいいやり取りをした二人だが、それをぶった切ってアリスは告げ、左手を軽く上げて見せてから一歩踏み出した。
ご機嫌になりつつあった彼女だが、はっと気がついて思い直す。私はあいつのことが嫌いなんだっけ。
アリスがパチュリーを嫌っている理由なんて、喧嘩をしているときに張り合った意地くらいのものなのだ。
「ちなみに、ここの本は貸し出し禁止よ」
「じゃあここで読むー」
「私の邪魔もしないでね」
「じゃああっちで読むー」
言いながらアリスは奥へと歩いてゆく。ここのメイドほどではないが、綺麗な歩き方だ――とパチュリーは思った。
陰でこっそり見ていた赤髪の司書は、今日は楽しくなりそうだ、と終始薄ら笑いを浮かべていた。
聞いてしまってよかったのだろうか。
アリスが自立して動く人形についての本を読み漁っている場所と、パチュリーと司書の話している場所は、本棚を二、三挟んでいるものの、距離はそれほど離れていなかった。
広く静かな魔法図書館は、音をよく通す。それらが災いし(――考え方によっては、幸いかもしれない)、アリスにとってみれば嬉しいやら残念やら、意外な内容の会話が自然と聞き取れてしまったのだ。
「――好きなんでしょう、あの人のこと」
「くだらない、下心の話なんて」
司書の声と、その後にパチュリーの声。アリスと違って、パチュリーはあまり機嫌がよくないようで、多少荒げたような声だった。
恋の話。それは少女たちにとって魅惑の秘話。パチュリーも恋をするのか、なんて、アリスは失礼なことを考えていた。
「真心ですよ。パチュリーさまって、意外にも世話好きですしー」
「前後の文が繋がってるようで繋がっていないわ」
「悪魔のトリックです」
「見破られてるじゃない」
二人の仲は良さそうだ。館長と司書というよりも、むしろ友達同士のような。
アリスはいけないと思いつつ、それでも最初の――好きなんでしょう、あの人のこと――、その言葉が耳に焼き付いて離れず――気付けば本そっちのけで会話に意識を向けていた。
「それもトリックのうちです」
「ばらしてどうするのよ」
「で、結局どーなんですか、好きなんですか嫌いなんですか?」
「強引に話を戻すな」
「パチュリーさまが逸らしたんじゃないですか」
話が本題に戻っていく。
アリスの意識は、もうその会話にしか向かなくなった。
「嫌いよ」
「誰のことがです?」
「……」
例えば、「す、好きなわけないでしょ、マリサ(仮)のことなんて」「マリサ(仮)のこととは言ってないけどー」という会話の流れは、どう見ても王道のカマの掛け方であるが、故に小悪魔らしい手口だった。
「あんたよ、小悪魔」
「ひどいですー」
並大抵の乙女ならそこでうろたえるものだが、パチュリーはいつも冷静だ。多少の動揺は見せたものの。
「じゃー質問を変えましょう、アリスさんのことは好きですか?」
「っ!」
「っ!」
アリスとパチュリーは、お互いの表情こそ見られないが、きっと同じリアクションをしていたことと思われる。
見てもいないのに、小悪魔のやらしーい笑顔がアリスの脳裏をよぎる。
冷静なパチュリーも、的確に心中を悟られると脆くなるようだ、こと「こーゆー話」に関しては特に。
アリスは、言わずもがな。弱点は恋の魔法です。
「……なんで、アリス?」
「それはパチュリーさまが一番わかってることじゃありませんかー」
楽しそうな小悪魔の声が響く。
ああ、この子は腐っても悪魔なのだな、とアリスは気付いた。腐ってないけど。
きっと小悪魔は、アリスが盗み聞きしていることに気付いている。あまり話したことはないが、彼女のやりそうなことだと思った。
彼女の冠した名前のとおりの意地悪な問いかけは続く。
「前……だいぶ前ですけど、アリスさんが来たとき嬉しそうに言ってましたよね、『ここまで世話のかからない客はうちでは珍しい』って」
「言ったけど……」
……変な理由だ。
「その後しばらく、何となくぼーっとしてたりして」
「それは……関係ないわよ」
「恋わずらいでしょうに」
「違うわよ!」
ついにパチュリーが声を荒げて怒り出した。その様子(見てないけど)は、まさに恋する乙女のもの。
パチュリーの意外な一面を見た気がした。
「わー、パチュリーさまが怒ったぁー」
小悪魔がそう言うと会話は途切れた、そこでアリスは、自分が完全に会話に聞き入って身を乗り出していたことに気付いた。
あぶないあぶない、姿勢を整えて本に目を落とす、その何秒か後にはアリスの目の前に小悪魔が立っていた。
「なにか用?」
顔を上げず、あくまで白を切る。
「聞いてたでしょう」
が、やはりお見通しだった。
「動揺したときに漏れた声、多少距離があっても聞こえちゃうんですよ私。デビルイヤーですから」
訳のわからない解説を終えた小悪魔を見上げると、彼女の頭の上に生えた用途不明の黒羽がぱたぱたしていた。
……デビルイヤー?
いや、長い髪に隠れてアリスからは見えないが、たぶん人間と同じ場所に耳があるはずだ。その羽じゃない。たぶん。
「悪魔が恋のキューピッドだなんて、ロマンティックじゃないですか」
「どこがよ」
「魅了は悪魔の専売特許です、天使になんてやらせはしません」
彼女には彼女なりの信念があるらしい。が、よくわからん、もう相手にしたくないのでアリスは早く本を読み上げて帰ることにした。
が、そんなことはお構いなしに赤髪の司書は続ける。
「そういうわけで、私がお手伝いできるのはここまでですよ、あとはアリスさんが一歩踏み出してください」
はぁ!?
アリスは思わず立ち上がった、椅子がひっくり返ってヴワルに大音響を轟かせた。パチュリーの「うるさいわよ」って声が聞こえた。
「はーい、すみませんー」
小悪魔は別に悪くないだろうが、アリスをかばってか、それともひょっとすると職業柄か、すぐに謝罪の声を上げ、
「パチュリーさま、『こーゆー話』にはとんと疎いですから。どうすればいいかわからないから、いつも待ってる側になっちゃうんですよ」
アリスの倒した椅子を直しながら、何事もなかったかのように元の話を続けていた。なんだかばつが悪い。
司書が「どうぞ」と椅子を差し出すので(それも腹が立つが)、仕方なくもう一度掛けさせてもらった。
「というわけでアリスさん、ちょっくらパチュリーさまに首筋キスのひとつでも」
「まてい」
アリスの心臓が跳ねた。
なぜキス、なぜ首筋、なぜ今すぐ。
「喜びますよ、パチュリーさま」
「で、でもさあ……」
待ってくれなかった。のはともかく。
仮に喜ばれるとしても(さっきの会話を聞く限り、ありえない話じゃないのかも、なんてのは自惚れかな)、そんなことするのは恥ずかしい、何より恥ずかしい。
アリスだって乙女なんです。
「本当なら私がする役だったんですよ、それを泣く泣く譲ってやるっつってんだからちょっとは感謝しやがってくださいね」
「そ、そうなの?」
その後も何度か言い争いを繰り返した後、出てきたのが小悪魔の、日本語の怪しい自白だった。
「そうですよ、一緒に暮らしてれば意外と相手に順応しちゃうものなんですよ」
「好きになっちゃうってことか」
「まー、平たく言っちゃうとその通りです、えへへ」
照れくさそうに小悪魔は言った。
好き、なんて言葉を平気で唇に乗せることなんて、自分にはできないだろう。アリスはそう考えるとなぜか負けたような気になった。
表向き本に目を落とし、頭は別の思考を巡らす。
この子はパチュリーが好き、パチュリーは私?が好き……私は。
「ま、そういうわけなのでお願いしますよアリスさん」
悪戯っ子の笑顔で言う司書を尻目に、アリスはぼそりと告げる。
「……あなた、ひとつ忘れてるわよ」
私はどうだろうか。
ありすは。
「と、言いますと?」
「……私の答えが決まっているみたいに言わないで」
こんなふうにしか言えない自分がもどかしい。
私がパチュリーを好きだなどと、小悪魔の前でどうして言えよう。
彼女の誘うに首を縦に振るなど。
アリスのプライドは高い。
「……そうですか。すみません」
言えるはずがないじゃないか。
小悪魔はどこか寂しそうに、アリスから目を背けた。
長い沈黙が辺りを覆った。小悪魔は何度か何かを言いたげに口をぱくぱくしていたが、何も言い出せないようだった。
司書は悲しんでいた。
私はパチュリーさまに喜んでいただきたかった。
だが、私はただ彼女の恋路を邪魔してしまっただけなのではないか。
――私の答えが決まっているみたいに言わないで。
小悪魔に確信はあった、二人のキューピッドになれる自信があったのだ。
だから奥手な二人に触れた。触れて、引き寄せようとした。
自分の恋心を押し殺して。
それでパチュリーさま幸せになれるのなら、と。
自らの不甲斐なさが、悔しかった。
「では、私は仕事がありますので、これで」
「――っ」
小悪魔は、震える声でそう言うと足早に立ち去っていった。
目を合わせていなかったから、どんな表情をしているか、アリスにはわからなかった。
けれど、感情は表情だけに出るものじゃない。
(悪いこと言っちゃったかなあ……)
強くものを言い過ぎたのかもしれない。
アリスは深く反省した。元来、人に嫌われるのは苦手なのだ。さらに泣きなどされたら。
「帰ろ……」
誰にともなく言う、デビルイヤーが聞いているかはわからないが。
パチュリーには会わず帰ろう。
何となく、会いたくない。
読みかけの本を閉じて立ち上がる。
ため息が出た。司書には謝ったほうがいいだろうか、やっぱりパチュリーには挨拶ぐらいしておくべきか、一度に色々な思考が頭をよぎる。
――好きになっちゃうってことか。
――まー、平たく言っちゃうとその通りです、えへへ。
なぜか胸が痛んだ。
でも、行動する勇気がない。
紅魔館の主が運命操作でもしているんじゃなかろうか。そんな錯覚に陥りそうだった。
魔法人形、とカテゴリ分けされた本棚の前、アリスは本を元の場所に戻すためここへ来ていた。
だがなぜだろう、あろうことか、会いたくないと願ったその人とばったり出会ってしまったのだ。
二人は会話をすることもなく、ただ黙ってお互いを確認していた。
さて、どう声をかけるべきか……。まさか、このまま素通りというわけにもいかないだろう。
パチュリーがそわそわし始める、照れているのだろうか。だとしたら……。
だとしたら?
「……どうしてここに?」
先に沈黙に耐えられなくなったのはアリスだった。
「どうしてって、どうして?」
照れたような上目遣いで、パチュリーはなかなか難しい日本語を放った。
「あんたが魔法人形に興味があるとは思えないから」
この一角にいることが不自然。
パチュリーはうつむいて何も言わない。
再び始まった沈黙に耐え切れず、アリスは動かなくなったパチュリーを横目に、本を棚に差し込んで言った。
「まさか、私に会いに来たの?」
「なっ……!」
しまった、と思ったときには遅かった。顔を真っ赤にし、声にならない声を出しながら、両手を振って否定した。
なんだかますます彼女を意識してしまう。アリスは複雑な気分になった。
できるなら、下手に何か起こったりする前に帰りたい。
私には、勇気がなさすぎるから。
――恋わずらいでしょうに。
――本当なら私がする役だったんですよ。
頭の中に、繰り返し襲ってくる小悪魔の声。
――私の答えが決まっているみたいに言わないで。
なんだかもう、私まで泣きそうだ。アリスは心の中で嘆く。
どうしたらいいのだろう、どうすれば……。
迷うことしかできない。
何をするにも勇気がない。
ここにはもう、アリスとパチュリーと、長い沈黙しかない。
大好きな相手は、目の前にいる。
「あ、あの、アリス……」
その相手は、緊張のなか、決心したようにゆっくりアリスのすぐ近くまで歩いてきて。
不安げな表情で見上げて。
彼女の透き通る瞳が潤み。
柔らかそうな頬は真紅に染まり。
言葉とともに、アリスにやさしく息が吹きかかる。
「私……」
アリスの心臓の鼓動を早める。
頭の中が真っ白になる。
何とか考え出していった言葉も、頭の中から一気に吹き飛んでいく。
「……パチュリー」
「あ、あっ…!」
私の声のせいか、不意にパチュリーははっとして、勢い余って数歩下がった。それに驚いたアリスもたじろいでしまう。
「いや、えと、その……」
少しだけ冷静になった二人は、それでもなお胸に残る気持ちを抑えつつ。
アリスはなぜだかその瞬間、今まで否定してきた自分の気持ちに、まっすぐ向き合えた気がした。
小悪魔が陰から見守っていた、まったくもどかしいカップルですねえ、などと泣きながら笑っていたそうだ。
ちなみに、「私…」の後に何が続こうとしていたのかは。
皆さんのお察しの通りだろう。
「――それじゃ、もう帰るわね」
去り際に一言置いて、アリスは踵を返し歩み始めた。
パチュリーの慌てるような声が聞こえたが、もう振り向くことはしないだろう。むしろしたくない、緊張で心臓が破裂しそうだからだ。
「待って!」
だが、珍しいパチュリーの大声に、思わず立ち止まってしまった。
まったく、自分はどこまで意志の弱い女なのだろう、アリスは自嘲した。
アリスが振り向くのを待たず、パチュリーは何も意識せずも「恋の魔法」を唱える。
「また、来てくれる?」
甘えるような声は、アリスの頭の中で何度も反復し唱えられ。
瞬く間に誘惑してしまう。
振り向く余裕さえ、もうない。
「また明日来るわ。本が読みかけなの」
ろくに考えられない頭で精一杯考えて出た言葉は、そんな感じだった。
あと前半は面白かった。
後半はちょっとまとまってないかな。
でもアリパチェ大好き。よく書いた。
この二人なら気が合いそうなんだけどなぁ。
あと、仲人(違)の小悪魔が名前に恥じない小悪魔っぷりで好感度大でした(礼
自分的には珍しいアリパチェ、大変おいしゅうございました。
でも、彼女の恋心を思うと切ない
やや展開のさせ方が強引だったかも、感情の大きく変わるところは丁寧に描いてもらえたら最高。