ととととととっ。
軽やかな音を立て、白玉楼の廊下を妖夢が雑巾がけしている。
別にこういった雑用自体は辛くない、これも修行の一環だと妖夢は思っている。
(足腰の鍛錬、足腰の鍛錬……)
妖夢の敏捷性はこういうところからも養われるのだ。
「妖夢ー! 妖夢ぅぅーっ!!」
妖夢は足を止めてため息を吐く。
これだけが不満である、雑用中に呼ぶ主、幽々子の声。
妖夢は手先が器用だが要領は良くないので、集中力を途切れさせられるのが苦手だった。
「今雑巾がけ中で手が離せないので後で承りますーっ!!」
珍しく幽々子はそれで大人しくなった、いつもなら行くまで呼び続けられるというのに。
妖夢は少しホッとしながらも、やはり一度切れた集中力を取り戻すのが大変であった。
歩調が上手く揃わない、雑巾を置いていってしまう。大変不愉快だった。
(呼べば呼んだで「やっぱり妖夢は頼りにならないわねぇ」って言うくせに……)
日頃の不満が次々に頭に浮かんできて、妖夢は更に集中力を失っていく。
「いやぁぁぁぁーっ!! 妖っ!! 妖夢ぅーっ!! 助けぇーっ!!」
「ど、どうなさいましたか!?」
それでも、こういう事態では反射的に幽々子を守りに行ってしまうのが悲しい性分だろう。
やはり妖夢は幽々子から離れられないのだ。
急いで居間に向かう、一体幽々子に何があったのだろうか。
「幽々子様!! いかがなされましたかっ!! 曲者ですか!?」
「助けて妖夢ーっ!!」
「……」
妖夢が居間に着くと幽々子はうつぶせで、床に両手をついて体を上下させている。
いわゆる腕立て伏せである。
「……なんのつもりですか?」
「妖夢ーっ!! お茶がほしいのっ!! お茶を飲まないと腕立てが止まらないぃぃっ!!」
回りくどすぎる、お茶ならお茶と言えば良いのに。
しかし、雑巾がけをやめてまで妖夢がお茶を運ぶことは少なかった、意外と忠誠心が足りない。
だから幽々子はこんな腹の立つ手段に訴えたのだろう、まことに不愉快な主である。
「はやくっ!! お茶が……はぁっ!! お茶が無いとっ! ふぅっ……筋肉もりもりになってしまうわ!!」
「なれば?」
「妖夢ぅーっ!! 筋肉もりもりの私の方が良いと言うのーっ!? はぁ、はぁ……」
「……はいはい、わかりましたよ……」
もう嫌だ、なんでこんな奇人に仕えているんだろう。別に良いよ筋肉もりもりでも。
とは思うもののやっぱり離れられないのである、呪われているのではなかろうか。
実際にそういうことができてしまう人物なので想像すると恐ろしい。
あとやっぱり、筋肉もりもりの幽々子様はかなり嫌だと思った。
こぽぽぽぽ……。
柔らかな音を立てて湯飲みにお茶が注がれる。
余談だが、幽々子の湯飲みは空色で、三角巾に付いているあのマークがでかでかと描かれている。
妖夢のは緑色で口をつける部分だけが灰色、妖夢の作業服の胸に付いたあの人魂マークが描かれている。
悪趣味だ。
「ただでさえ人手が足りないんだから、配慮してほしいものね……」
人手もクソもない、妖夢だけでこの広い白玉楼を管理している。
以前奇跡的に家出をしたとき、幽々子は魔理沙を拉致して妖夢の代わりに働かせていた。
自分でやるより人一人さらった方が早いと思っているような極悪人である。
「さて……天罰!!」
雑巾がけの途中だったためそのまま持ってきてしまった雑巾……妖夢はそれを手に取ると、
幽々子の湯飲みの上で思い切り絞った、腕の血管が浮き上がるぐらいに。
ぼちゃぼちゃぼちゃ……。
「ふぅ……」
妖夢の顔が少し和らいだ。
「はい幽々子様、お茶ですよ」
「遅いわよ妖夢、んもう」
幽々子は少し不機嫌そうに湯飲みを受け取ると、早速とばかりにそれに口を付けた。
「むっ!? この味……」
(しまった!! 入れすぎてばれたのか!?)
睨みつけられて妖夢は硬直する。幽々子は怒らせると怖いのだ。
「まろい……」
「……?」
「まろいわ妖夢、あ、まろいというのは『まろやか』という意味よ、勉強になったでしょう?」
「は、はぁ……美味しいってことで良いですか?」
「そう、美味しいわ、いつものお茶は雑巾の絞り汁みたいな味がするけど、これは美味しいわ」
逆である、味覚バカらしい。
しかし形容の仕方が容赦なさすぎる、妖夢が可哀想だ。
「素晴らしいわこのお茶、歴史深い建物の気品溢れる香りのような……そう、まさにここ白玉楼のような味ね」
(『ような』というか白玉楼拭いた雑巾の味だからまぁ……いいや、疲れるこの人)
「おめでとう、これで『妖夢1級』から『妖夢初段』に昇格ね、黒帯の着用を許可するわよ」
「ありがとうございます、要りませんけどそんなの」
もういい、キリが無い。
雑巾がけをしなくてはいけないのだ、妖夢は。
なので幽々子に一礼してとっとと仕事に戻った。
ととととととっ。
「妖夢ぅうぅぅぅぅぅ!!」
「ウザッッ!!」
足を止めて、床をドンドンと殴る。
ああでも幽々子様から離れられないんです、何故なんですか? 家出したくてしょうがないのに。
本当に呪ってますか? 博麗神社でお祓いしたら家出できますか?
「くぅぅっ!!」
キラキラと涙を撒き散らしながら、妖夢は再び幽々子の元へと駆けて行った。
「よっ!! ようっ!! 妖々夢ーっ!!」
「『よう』が1回多いですよ!! 何ですか幽々子様!?」
今度の幽々子は両手を頭の後ろに当てて、しゃがんだり立ち上がったりしている。
いわゆるスクワットだ。
「ようっ!! お茶っがっ!! お茶っが無いと……っ!!」
「筋肉もりもりになる前に持ってくれば良いんでしょう!?」
「ちょっ!? 最後まで言わせてよ!!」
「……」
「無視したわね!? くぅぅっ!!」
こぽぽぽぽ……ペッ! ペッ!
「はい幽々子様、お茶ですよ」
何をした妖夢。
「妖夢、泡が浮いているんだけどこれは何かしら?」
「ああ、以前咲夜さんに教えてもらったちょっと変わったお茶のいれ方なのですよ」
「ほうほう?」
「ソーセージコーヒーとかいう名前だったと思いますけど、その泡だけを日本茶に応用してみました」
ウインナーコーヒーである。
もっとも、間違えたって幽々子はコーヒーに造詣が浅いので知ってるはずもないのだが。
「で、これはどういう意味があるのかしら? 泡に味があるの?」
「先ほど幽々子様がおっしゃったままですね。『まろく』なりますよ」
「ほうほう、さっきのは雑巾の絞り汁みたいな香りでおいし……
じゃなくて、白玉楼のような素敵な香りがしたものね、今度も期待しているわよ」
幽々子はペロリと舌を出して微笑むと、人差し指と親指だけを立てて妖夢を指差し、ウインクをした。
幽々子は機嫌が良いことを表したかったようだが、妖夢はそれを見て気分が悪くなった。
「どれどれ、んぐんぐ」
わざとらしい音だ。
「いかがでしょうか幽々子様?」
妖夢は怒られる覚悟もあったが、きっとこの人味覚バカだから気付かないだろうという勝算もあった。
「むぅ……これは……」
緊張の一瞬、沈黙の中、妖夢が唾を飲み込む音が聞こえる。
妖夢「の」唾を飲み込む音ではない。妖夢の唾だが。
「まろいわ」
(やっぱりバカだ……)
「まろすぎよ妖夢、これは何なの? 味の暴力!?」
「え? え?」
「この美味しさは危険だわ!! 妖夢、これをお客さんに出してはだめよ!!」
(出すわけないじゃないの……)
「こんなお茶を紫辺りに出したら、確実に妖夢が連れて行かれてしまうわ!! このお茶の為に!!」
「は、はぁ……そんなに美味しかったですか?」
「この味はそう……まるで、うら若き乙女のエキスを抽出して入れたような華やかさ……
それでいて心地よく喉に絡みつくこの泡は……」
「あ、あーもういいです……」
聞いている妖夢の方が気分が悪くなってきた。
『うら若き乙女のエキスを抽出』
なんとエグい表現をするのだろうこの人は。
そのエキスを飲んだことがあるのかと考えると怖くて夜も眠れない。本当に飲んでそうで。
『心地よく喉に絡みつくこの泡……』
「オエッ!!」
「どうしたの妖夢!?」
「な、なんでもないです……雑巾がけしすぎて酔ったのかもしれません」
自滅だ、完全に。
自分が加害者のはずだったのに、あの幽々子の禍々しい味コメントによって、
まるで幽々子とディープキスを交わしたかのような不快感を覚える、妖夢にそんな趣味は無い。
(汚された……)
妖夢はとぼとぼと仕事に戻って行った。
やはり幽々子は偉大だ、妖夢ごときが小手先の嫌がらせで参らせられるような相手ではなかった。
「ふふっ! 良い写真が撮れました」
妖夢が幽々子の湯飲みに向かって雑巾をしぼる写真。
そして妖夢が幽々子の湯飲みにペッペッしている写真。
射命丸文は、その2枚の写真をぴらぴらとかざしてご満悦だった。
「タイトルはどうしようかな~『半霊庭師、お茶に秘密のスパイス』なんてどうでしょう?」
それは憎しみという名のスパイス。
「しかし冥界は辛気臭くていけませんね、早く帰ろうっと」
文は大切そうに2枚の写真を懐へとしまい込み、超高速で飛行し始めた。
元々あまり人前に出ない性分なので知られていないが、文の飛行速度は魔理沙よりも妖夢よりも速い。
戦闘能力だってかなり高い……が、それを鼻にかけないのが天狗という種族。
私は奥ゆかしいんですよ。などと文は思っているとかいないとか。
ここは冥界と顕界の結界の側。
「もう夏が終わるのね、夏の断末魔が聞こえるわ、ギャー」
ルナサ・プリズムリバーが無表情でぼそぼそと独り言を呟いている。
「この夏の終わりを歌にしてみよう、テーマは夏の断末魔」
勘だけでヴァイオリンを奏で始めるルナサ、その技術は大した物なのだが、
テーマがテーマだけに元気の無くなるような曲調であった。
「ギャーギャー、うふふ……」
秋への季節の変化に伴い、力を失っていく「夏」が触れるものに爪を立て、往生際悪く……。
最後の悪あがきにともんどりうっているような……。
誰が聞いても間違いなくそういうイメージを抱く歌だった。
ある意味名曲なのかもしれないが、テンションが下がることは間違いない。
演奏技術は確かなのに、方向性が若干歪んでいるような気がする。
「ギャーギャー……ギャーッ!?」
「あーっ!! すーいーまーせー……」
白黒の超高速物体がルナサを弾き飛ばす、もちろん文である。
ルナサは不自然な姿勢にひしゃげて吹き飛んで行った。
冥界から脱出した文が山の中で写真の品定めをしている。
「うーん、しかし枚数が足りないですねぇ、もっと頑張らないと……」
「カーラースー、何故鳴くのー、カラスの勝手でしょー、ウェーッ! オエーッ!」
「だ、誰!?」
文が声のする方を向くと、そこには2本のねじれた角が生えた少女がいた。
右手を木につき、左手を膝に当て、嘔吐するふりをしていた。
「何してるんですか……伊吹萃香さん?」
「うぃーっ、すいかの勝手でしょーっ」
既に千鳥足になっているにも関わらず、萃香はひょうたんの酒をガバガバと呷っている。
「今、編集とか今後の方針について考えてるんですよ、邪魔しないでください」
「イィーッキシ!!」
文のことなど構わずに、萃香はうそ臭いくしゃみをした。
「うわ、お酒臭いっ!!」
「ひぇひぇひぇ」
「たちの悪い酔っ払いさんです……」
「ウィーック!! ゴヴォゴヴォゴヴォ」
「まだ飲むんですかぁ!?」
文は困った様子で眉をしかめる、これから楽しい作業だというのに、鬱陶しいことこの上ない。
「うぇへへー、あんたのことはよく知ってるよ~」
「私も、萃香さんのことはたまにネタにしているので知っていますよ」
妙なところに対抗意識を燃やす文、そこは自称敏腕新聞記者として負けられないと思ったらしい。
「いつもいつも他人の写真を撮って、秘密を握る……
それはねー、ウィッ、自分の秘密は知られたくないから~。
先んじて秘密を握って、読者の目はそちらに向けさせてねー、うぃぃ~。
天狗なんて大体そんなヤツばっかりだけど、あんたはとりわけそういう傾向が強いら~。
周囲を煙に巻いて、颯爽と他の連中の秘密を暴露してぇ~。
強いくせに内心臆病なんだよねー、ウェー!! オェーッ!! イィーッキシ!!」
「うわ~鬱陶しいです」
偽嘔吐、偽嘔吐、偽クシャミを余すことなく3連射した萃香。
普通に発言するだけでうんざりするぐらい酒臭いのに、クシャミが特に酒臭い。
それはまるで霧吹きにアルコールを入れて噴霧しているかのようだった。
「あんたのことはいっつもよく見てるよぉ~」
「うわぁ、やめてください」
萃香がふらふらと歩み寄ってきて文の肩を乱暴に抱く。
至近距離で酒吐息をかけられた文は、嫌そうに顔を背ける。
「何の用なんですか?」
「忠告しにきたのよ~」
「なんですか? 閻魔様に怒られてもうお腹一杯ですよ」
「閻魔に怒られたのにやめないなんて、豪胆なのねはぁ~」
「臭っ!! わざとやってるでしょう!」
「ねはぁ~」は明らかにおかしかった、萃香はわざと息をかけている。
「お酒弱い人は私の息をかけただけで酔っ払って吐くよはぁ~」
「よはぁ~っておかしいですよ!!」
文は振りほどきたいのだが萃香の腕力が半端でない、鬼というだけのことはある。
「このままだと、あんた自身がいつスッパ抜かれるかわかんなはぁ~」
「いい加減にしてくれないと、下駄で殴りますよ?」
「いっつも思ってたんだけどその下駄、足挫きそうよねはぁ~」
「う、うるさいなぁっ、臭っ」
ちゃんと話せば真面目な忠告なのだろうが、これではただの絡み酒の酔っ払いである。
「ちょっと貸してみなさはぁ~」
「うぅっ!! お酒臭すぎるっ!!」
そんなに酒に弱いわけではない文だったが、萃香の酒臭さの異常さゆえか尻餅をついてしまった。
そこに無理矢理文の下駄を脱がす萃香、もう片方の足から嵐のような下駄蹴りを食らい、鼻血が垂れる。
しかし酔っ払っているためか、萃香はゲラゲラ笑いながら両足の下駄を剥ぎ取った。
「うわはーっ! 歩きにくそーこれぇー」
「か、返してくださいよぉ!!」
「おっと忘れてた、モッハァー!!」
「うわぁぁっ!!」
萃香は息をかけるのを忘れていたのでいちいち吐きかけにきた。
文も本格的に酔いが回り始め、目眩を起こして地面に転がる。
「ガソリン注入だー。ガヴァヴァゴヴォッ」
「ザルれすかあなたはぁーっ」
萃香は両足に下駄を装着し、大地に立つ。
「萃まる夢、幻、そして百鬼夜行……」
「なにかっこつけてるんれすかぁー」
「発進だー」
そして萃香は大地を蹴った。
グギッ!!
「うぎゃあーっ!! あ、足が折れたぁーっ!!」
「そ、そんな千鳥足でその下駄は無理れすよ!!」
「あは、あはははっ!! 痛っ! 痛っ! 痛ぁっ!!」
「なんでそんなに楽しそうなんれすか!?」
酔っ払いなんてそんなものである。
千鳥足の全力疾走、萃香の足は変幻自在に前後左右へと折れ曲がった、それなのに笑っている。
ひとしきり走り回って満足すると、萃香は再び文の下へ駆け寄ってきた。
「楽しかったはぁー!!」
「ひぃぃぃ!!」
文はそのまま酔って意識を失った。
「う、うーん……」
文が目を覚ますと既に夕方であった。
そう考えると、萃香は朝っぱらからあれだけ酒をかっ食らっていたことになる。
「写真は……っ!?」
懐を探り、胸を撫で下ろす。
ちゃんと懐に収まっていた、萃香はそれを狙ってきたわけではないらしい。
「んがごーっ!!」
「ひっ!?」
文の横で、萃香が文の下駄をはいたまま大いびきをかいている。
「今のうちに逃げましょう……」
立ち上がると、左腕が妙に重い。
「ひ、ひぃぃっ!?」
「んごがーっ!!」
なんと萃香は寝たまま文の左手首をしっかりと握り締めていた。
立ち上がった文にぶら下がった状態のまま寝ている。
「く、くぅっ……とれない……!!」
「ん、んぅーぁー? あぁ?」
(しまった!!)
萃香が起きてしまった、目をごしごしこすっている。
「お、おはようございます……」
「おひゃぁ~、はふーっ」
「うっ、まだお酒臭い……」
文を捕まえていた右手を話すと、萃香は立ち上がって足を挫いた。
グギッ!!
「いぎぃっ!?」
正気だとかなり痛いらしい、萃香はそのまま倒れこんで足首を押さえる。
「ぐぅぅ、忘れてた……返すわこれ」
「あ、はい……」
自分の靴にはきかえると、萃香は改めて立ち上がって体についた泥を払った。
それを見た文も、すぐに下駄をはいて同じように泥を叩き落とす。
「考えてくれた? 昨日言ったこと」
「え?」
「新聞のことよ、このまま続けてるといつかしっぺ返しがあるよ、あんた」
「……やめませんよ、生甲斐ですから」
「そう言うと思った」
やけにあっさりと納得すると、萃香は少し考え込む。
「それじゃーさー」
「なんですか?」
「私と勝負しない? 負けたら今後は新聞から足を洗うこと!」
「ん、んーっ……争いごとはあまり好みではないのですけどねぇ……」
だが自信が無いと言うわけではないらしく、文の態度には余裕がある。
「弾幕戦じゃないよ?」
「へ?」
「あんたの好きな新聞で勝負しよう」
文はそれならば尚更負けるわけが無いと思った。
これでも常日頃から新聞のことばかり考えているのだ、勝負形式はよくわからないが、
新聞に関してならば絶対の自信を持っている。
「私も新聞を作るから、それを第三者に投票してもらうの」
「負けませんよ? 私」
「それはどうかな~?」
「むっ……」
生甲斐とまで言った新聞は、文にとって神聖なるものである。
文はこの萃香の提案を新聞に対する冒涜と受け取った。
「目に物見せてあげますよ」
「それは楽しみ」
だが萃香も譲らない。萃香はよく霧散して幻想郷中を眺めている。
新聞に関しては確かに知識が浅いが、読者の目を引くようなとびきりのネタを仕入れることには自信があった。
もちろん、冒頭の幽々子と妖夢のやり取りだって萃香はちゃんと見ていたのだ。
そんな萃香に対して知り合いである紫は、
「覗きとストーキングに関しては私も萃香には敵わないの」
と失礼なことを言うが、萃香はそんな浅ましい考えで幻想郷を眺めているわけではない。
文の新聞は争いの火種となる恐れがある、萃香はそれを危惧しているのだ。
「あんたの新聞で色んな人が痛い目を見ているんだよ、いつ復讐されるかわからないから言ってるの」
「それも新聞記者の宿命だと思っていますから」
両者がにらみ合い、眼光が火花を散らす。
ここに、萃香と文の「よりすごい新聞対決」の火蓋が切って落とされた。
文が超高速で飛行している。その胸元には小さくなった萃香がもぐりこんでいた。
向かっているのは天狗達の溜まり場、萃香がカメラを持っていないからだ。
天狗達の間で新聞は大流行なので、誰からかカメラを借りられないものかという目的である。
萃香が自分で飛ばないのは、単純に文より飛ぶのが遅いからだ。
「うひゃあー、速い速い、流石風神少女の異名をとるだけあるねーっ」
「な、なんで天狗達の間での通り名を知ってるんですか……?」
「言ったでしょー、いつも見ているって~、あはーっ! 速い~っ!」
文は狼狽した、これは意外と強敵かもしれない。
天狗達は同族とは良く会うが、それ以外とはあまり交流を持たない種族だ。
その上、天狗同士でもお互いあまり詮索はしないという暗黙のルールがある。
なのに文自身の情報が萃香に筒抜けているのは不気味なことだ。
文も萃香の能力は知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
(侮りました……これは厳しい戦いになるかもしれません)
だが、文は少し嬉しくもあった。
鬼と同様天狗もかなり強力な妖怪である。普段あまり脅威にさらされることはない。
要するに敵は強い方が燃えるということだ。
「見えてきました、あそこですよ」
「知ってる~、でもほんと速いなー」
他の妖怪が寄り付かないような高い山の深い森。
そこにそびえ立つ巨大な樹……その辺りに天狗達は集まる。
何も住処がそこだというわけではないのにそこを溜まり場にするのは、目立つ上に他の妖怪が来ないからだ。
別に他の妖怪が来られないというわけではない、ただ、他の場所に行く際にいちいち遠いのだ。
風のように高速で移動できる天狗だからこそ、こういうところは居心地が良いのである。
「じゃ、そろそろ隠れてくださいよ」
「ほい」
萃香は文の懐に潜り込み、不要な体積を霧散させて更に小さくなった。
別に全身を霧散させてしまえば良いようなものなのだが、それだと文が萃香の位置を把握できない。
文は溜まり場へ着陸する。
そこには既に見知った天狗達が居て、あれこれと会話を交わしていた。
「お、文じゃねーか、丁度お前の話してたんだぜ」
「え? なんですか?」
「カン太がお前にカメラ取られたって言ってえらい剣幕だったぜ、謝ってきた方がいいんじゃねえか?」
「カン太ですか? しばらく会ってないですけど……変だなぁ」
カン太というのは言うまでもなく天狗仲間である。
文に限らず多数の天狗達が新聞を作っているが、カン太もその1人だ。
それも、天狗達の間ではかなり評判が高く「ぴったんこカンカン新聞」は大人気である。
カン太もまた、文がライバルとして対抗心を燃やしている相手であった。
「お、噂をすればなんとやらだ、カン太が来たぜ」
「うーん……」
向こうから体格の良い天狗が歩いてくる。カン太である。
背が高くて筋骨隆々、そして長い鼻の下にはカイゼル髭を生やしている。
カン太は文に気付いているようで、不機嫌そうな表情でズンズンと近づいてきた。
「文ちゃん!! なんであんなことをしたんだ!!」
「えーと……何のことだかわからないのですよ、本当に……人違いじゃないんですか?」
「すっとぼけたって無駄だよ文ちゃん!! あれは文ちゃん以外の何者でもないよ!!」
文だって誇り高き新聞記者のはしくれだ、ライバルのカメラを奪うなんて姑息な真似はしない。
なんでこんな言いがかりを付けられなければいけないのだろう。
「だって私しばらくこの界隈には来てませんでしたよ? カン太どころか他の仲間にも会ってないですし」
長いこと取材をしていたので本当だ。
カン太はこの辺に住んでいるので、溜まり場に来なければ会うことはあまり無いし。
「でもカン太、取られたという割にはちゃんとカメラ持ってるじゃないですか」
「これは予備のキャメラだよ!! お気に入りを文ちゃんが持って行っちゃったんじゃないか!!」
胸元にぶら下がっているカメラは予備らしい。カン太はカイゼル髭を指に巻きつけながら怒鳴る。
文とカン太の言い合いを周りの天狗達が面白そうに眺めていた。
「うーん……本当に身に覚えが無いのですけど」
「いくら文ちゃんと言えど、許されることじゃないよ!!」
「困ったなぁ……」
「こうなったら、文ちゃんボクの彼女になって……ぐぉうっ!?」
気持ち悪いことを言い出したので、文はカン太のみぞおちに鉄拳を見舞った。
「もういいですよ、私がやったってことで」
目が怖い、開き直った文は白目を剥いて泡を吹いているカン太から、予備のカメラをむしり取った。
文は天狗達の間でも最も腕っ節が強い。
面白がっていた周りの天狗達も、文の豹変ぶりを見て怯えている。
「それじゃ皆、また」
「た、達者でな!」
文はその場を飛び立った。どうせ逆らう者もいるまい、多少乱暴な手段だがこれでいい。
もう夜だったが、2人は昼間に居たの森の中で向かい合っている。
萃香の首には、文がカン太から奪い取ったカメラがぶら下がっていた。
「わーい、カメラだー」
「一応使い終わったらちゃんと返してくださいよ」
「わかってるってば、それじゃ期限は5日後、投票は永遠亭の住民にしてもらうって事で良いのね?」
「はい、天狗仲間に配ったのではフェアじゃないですし」
紅魔館あたりでやったら咲夜に注意されそうだし、永遠亭の奔放な環境なら問題ないだろうということだった。
読者の人数的にも信頼のできる結果になりそうだ。
「それじゃ、お互い頑張りましょう、負けませんよ」
「首洗って待ってなよ~」
「その台詞、そっくりそのままお返ししますよ」
そう言って2人はそれぞれ飛び立った。
翌日……。
暗い夜中では写真写りに悪影響が出ることや、フラッシュを焚くと見つかる、
などの不都合があるので、2人は1日待って活動を開始した。
さし当たって、文は昨日に引き続き白玉楼、萃香は紅魔館をメインネタとして絞り込んだ。
「うーん、地味ですねぇ」
文がずっと観察していても白玉楼に変わった様子は無い。
またお茶を頼まれた妖夢が復讐をするのかと思いきや、そういうことはなかった。
それもそうである、妖夢は昨日返り討ちにされたのだから。
たまに、
「茶柱がおっきしてないじゃないの!!」
「おっきしてないなら、おっきさせれば良いじゃないですか!!」
などと言い争うことはあるが、写真としては微妙なものだ。
ちなみに「おっき」とは立つということである。起っき。
「ま、もうしばらく様子を見ますか」
こそこそと隠れながら、文は長期戦をする覚悟を決めた。
期日まではまだ4日あるのだ、そこまで焦ることも無いだろう。
一方の萃香は、紅魔館の廊下にバナナの皮を仕掛けて待ち構えていた。
「十六夜咲夜は意外とドジなのよね……きっと踏んで転ぶわ」
いくらなんでもそんなバカなことはあるまい。
「そして転んだら……実は咲夜がくまさんパンツをはいているという衝撃事実が……」
これは直接確認したわけではないが、紅魔館ではまことしやかに囁かれている噂であった。
それを実証できればかなりの高得点になるだろう。
「む、来たわ!」
萃香はカメラもろとも粒子となって身を消した。こういうことができるのは大きな強みだ。
向こうから咲夜が姿勢良く歩いてくる。
それにしても、咲夜がバナナの皮で転ぶとは考えにくい。
メイド長を務めるぐらい几帳面な咲夜である、赤い廊下に黄色いバナナの皮が落ちていれば、
すぐに気付いて拾って捨てることだろう。
「きゃあっ!?」
だが咲夜は本当に転んだ。
パシャッ!!
「な、何よコレ……バナナの皮!? 誰よこんなところに捨てたのは!!」
「プフッ!! 咲夜さんバナナの皮で転んでやんの!!」
「貴女が置いたの!?」
「違いますよ……これぞ、そんなバナナッ!? ブフッ!!」
「面白くないわよ!!」
挑発する部下に激昂する咲夜、写真を撮られたことには一切気付いてないようだ。
(あれ……くまさんパンツじゃない……)
どうやら噂は嘘だったらしい。
これはこれで、噂の真相を解明するという意味でのスクープなのかもしれないが。
もしくは、あの咲夜にこのようなドジな一面があるというのもそれはそれで面白い。
(でも少しパンチに欠けるなぁ……よし次はあのネタよ、夜まで待とう)
次の作戦は準備済みである。萃香はすぐに気を取り直して、一旦紅魔館を去った。
「ううーむ」
文も何枚かの写真を撮影してはいた。
それは暇を持て余して居間で不可解な行動をする幽々子と、可哀想なぐらい真面目に働く妖夢の写真。
ブリッジをしては「首がもりもりになる前にお茶」だの、
地面に尻だけを付いて、身体を「く」の字に曲げ「腹筋が6つに割れる前にお茶」だの、
幽々子がいちいちくだらない行動で妖夢にお茶をいれさせる程度であった。
「これに昨日のお茶の写真も合わせて使えば……」
前フリとして、今日取った写真は有効だろう。
それだけ妖夢がストレスの溜まる環境にいるという事実を強調することができる。
「でももうちょっと欲しいですねぇ……白玉楼はここまでにして、他所に行ってみますか」
昨日以上の珍事は起こるまいと見切りをつけた文は、白玉楼を飛び去った。
「博麗の巫女も1人でいることが多いから、変なことをしてるかもしれませんね」
人の集まるところというのは、面白いことが起きそうで案外そうでもないことを文は知っていた。
1人でいるときこそ、被写体が誰にも見せない一面を垣間見ることができる。
そしてそういうネタの方が読者にうけるのだ。
「縁側でお茶、ですか……いつも通りですね」
だがきっとこの巫女にも何かしら秘密があるはずだ。
まして霊夢は幻想郷の有名人である、天狗の中にも実はファンが多い。
そう思った文は、少し長めに博麗神社に張り込むことを決意した。
「願わくば一撃必殺の大ネタを……」
断続的な緊張感でカメラから手が離せない、これだから新聞はやめられないのだ。
萃香は一度紅魔館を去り、八雲邸へ足を運んでいた。
(あれ? 紫が居ない)
この時間なら普通は寝ているはずなのだが、何故か紫が居なかった。
まだ昼前なので、藍だけが忙しそうに家事をしている。橙も出かけているらしい。
「愛を~口~移しに教えてあげた~い~♪」
藍は鼻歌交じりである、割烹着をふりふりとはためかせながら軽やかに洗濯物を干している。
八雲邸は極めて平和なようだ。
(紫なら良いネタになっただろうになぁ……)
残念そうに眉をしかめると、萃香は八雲邸を後にした。
「やっぱりこうなれば、意地でもレミリアの……」
レミリアに関するネタと言うのが何なのかはまだ不明だが、
萃香はそのネタに勝負をかけているようである。
そして夕方になり、萃香はまたも霧散して紅魔館に潜伏していた。
(運が大きく絡むわ、このネタは……)
別にこれに限らずスクープなんてそんなものだ。
萃香は普段から何か不規則にレミリアが事件を起こすのを知っているのだろう。
ただ、それはレミリアの寝起き前後にしか起こり得ない事で、
尚且つ、確実性に大きく欠けるということが窺える。
(変に近づくとバレそうだから、慎重にいかないとね……)
異常に発達している吸血鬼の感覚神経は侮れない。
萃香がその力を使って宴会を頻発させたときも、レミリアはかなり早い段階で気付いていた。
単純な力比べでは勝利できたものの、今回は特殊な勝負である。
(咲夜が来たわね……)
毎日決まった時間にレミリアを起こすのは咲夜の役目だ。
咲夜はさっきのバナナの皮のことがあってか、注意深く床を見ながら歩いている。
(ここからが勝負……!)
咲夜がレミリアの部屋の前に立ち、そのドアを軽くノックする。
この後のレミリアから咲夜への第一声が運命を分ける。
「入りますよ、お嬢様」
「さ、咲夜ぁ~……」
(来た!!)
萃香はなんとついているのだろう、それは望みどおりの状況であった。
あのレミリアの情けない涙声、咲夜が入る前に目が覚めていたという状況。
咲夜もそのレミリアの声を聞いて少し苦そうな表情をしたが、すぐに気を取り直してレミリアの部屋へ入った。
「お嬢様、またやってしまわれましたか」
「さ、咲夜……他の連中が気付く前に早く処理なさい!!」
「仰せのままに」
レミリアのベッドのシーツに世界地図。
パシャッ!!
(いただきよ!!)
なんとかレミリアや咲夜に気付かれることなく、萃香はシャッターを切ることに成功した。
あの高飛車なレミリアの情けない一面……オネショは子供にしか許されないこと。
この記事を読んだ者はレミリアを子供扱いするもよし、大人として扱ってバカにするもよし。
味わい深いネタである。
「情けないと思ってるんでしょ!! 咲夜っ!!」
「仕方の無いことですわ、お嬢様のお体は成長が緩やかなのですから、恥ずかしがることではございません」
「私が子供だって言いたいのねっ!!」
「体については、の話ですよ……私なんてお嬢様の10分の1も生きてないのですし」
おもらしシーツを手早く片付けながら、咲夜は無難な答えを返す。
その脇では股の部分が湿った寝巻きを着たまま、レミリアが腕を振り上げ、ぴょんぴょん飛び跳ねて怒っている。
「さぁお嬢様それもお脱ぎください。誰にもバレないよう時間を止めて洗濯して参りますわ」
レミリアは真っ赤な顔で頬を膨らませ、咲夜を睨み付けている。
(これは良い顔ね!!)
萃香はさらにシャッターを切った。今日のレミリアのテンションはとても良い。
ここまで咲夜に食い下がっているのは割と珍しい光景だ。
「情けないと思っ……思っているんでしょ……!!」
「お嬢様……」
咲夜が困ったように髪をかきむしる。
「情けないとか情けなくないとかは関係無いのです、そのようなお召し物ではご気分が悪いでしょう?
だから咲夜にお任せくださいませ、安心なさって良いのです」
「うーっ……!!」
なだめられたレミリアはしぶしぶ着替える様子を見せるが、咲夜が目の前にいるので着替えにくいらしい。
(まぁ、こんなところかしらね……)
流石にこれ以上危険なシーンの撮影をしては新聞にできない。
脱衣シーンまで納めてしまってはリスクショットどころではないのだ。
ネタとしては十分なものが撮影できたと思い、萃香はその霧の身体でゆっくりと退出する。
「血を吸う鬼、レミリア・スカーレット……その痴態、しっかりと収めたわ!!」
紅魔館時計塔頂上にて、萃香の笑いがこだました。
(おぉっ!? おぉぉっ!? おぉぉぉぉっ!?)
一方の文も勝利を確信していた。
あの霊夢がお祓い棒片手にあんな激しいことをしているなんて。
(これは勝ちました!!)
パシャッ! パシャッ!
やはり博麗神社に張り込んだのは正解だった。
シャッターを切る指が止まらない。
パシャッ! パシャッ! パシャッ!
(あれ……? 私のじゃないシャッターの音がします)
文の後ろ……? いや、横からシャッターを切る音が聞こえる。
萃香もこのネタに目を付けていたのだろうか……2人が同じネタを使うのでは勝負にならない。
「むー、萃香さん……残念ですがこのネタは無しに……えっ?」
そこには、文の服を着た……。
「あぁぁっ!! 良いわ霊夢、最高なの!! もっと、もっと激しく!!」
八雲紫がいた。
「ちょっと!! 何で人の服着てるんですか!?」
「霊夢のこんな一心不乱な姿が見られるだなんてっ!! 射命丸冥利に尽きるわっ!!」
「なんか家のタンスの中がスカスカだと思ったら……!!」
結論から言うと、紫には文の服が似合っていなかった。
というよりも、サイズがまったく合っていないのがそもそも致命的である。むちむちだ。
文がはいててもそれほど丈の長くないスカートは、足の長い紫がはくとミニだった、きわどすぎる。
「人の話を聞いてくださいよ!!」
「ん? 何ようるさい鴉天狗ねぇ、しっしっ!!」
「あれ、そのカメラ……カン太の……」
そうか、こいつが犯人だったのか。
しかしなんで文の服を着ているというだけで、似ても似つかないこの偽者の文を本物と信じ込んだのだろう。
皆バカすぎる、文は目眩を覚えた。
パシャッ!
「何をしているの? 私を激写してただで済むと思っているの?」
「いや……ネタになりそうだったので」
「この完璧な変装をした私を激写したところで、己の恥になるだけだとわからないの?」
「どこが完璧なんですか!!」
「……私は貴女の全てをコピーした……ッ!!」
「いい加減なことを言わないでください!!」
「そうよ!! 私は貴女のドッペルゲンガー!! 幻想郷に射命丸は2人も要らないのよ!!」
「その程度の変装では偽者を名乗ることさえおこがましいっ!! 天狗の力見せてあげます!!」
文は構えた、紫もそれに応じて構えをとる。この狂人はここで始末しなければならない。
それは1000年以上に渡り幻想郷を眺め続けてきた文の義務であると感じた。
これではもはや萃香との対決どころではない、文自身の名誉にも関わる。
両雄並び立つ。
この勝負の行方は、そして萃香と文の勝負の行方は……。
それから4日後……対決の期日。
結論から言うと、萃香との勝負は文の勝利であった。
霊夢がお祓い棒片手に一人チャンバラを演じている写真は、永遠亭のウサギ達に大ウケだった。
永遠亭は霊夢の襲撃で幾度か酷い目に遭っているので、そういう恨みもまた高得点へとつながったのだろう。
期せずして、文は読者の好みにしっかりと合致するネタを選んでいたのだ。
インパクトそのものはレミリアのオネショの方が強そうなものなのだが。
「あの吸血鬼、またオネショしたんだってー」
「新聞にするほどのことかなぁ? 結構知られてることだよね?」
写真としての実際の状況には興味を持たれていたが、しっかり広まっていた噂だったのだ。
萃香は幻想郷中を見回してると言うくせに、それは名だたる妖怪や霊夢などのような目立つ人間だけで、
永遠亭の名も無きイナバ達のような連中には目を向けていなかった。
もちろん紅魔館のメイド達だってレミリアがオネショしていることなどとっくに知っている。
「こんなに浸透している話だったなんて誤算だったわ……私の完全敗北……」
「ふふふ、その程度のネタで私に勝とうなんて、1000年早いの」
しかし、八雲紫が射命丸文になりすましていた。
萃香は文ではなく、文の偽者に敗北したのだ。
「く……風神少女の名は伊達じゃないのね……」
萃香は悔しそうにうつむいた。
気付け、これは八雲紫だ。
「ということで、これからの私の撮影の邪魔をしたら、その角をへし折るの」
「わかったわよ、もう邪魔しないわ……」
萃香は、まるでその心情を表すかのように力なく霧散して消えて行った。
気付け。
萃香の狙いは文のブン屋魂の前に打ち砕かれた。
偽者だけど。
文(偽者)の新聞は天狗達にも大好評であった。
「あの博麗霊夢がっ!!」
「すげえ、すげえよ文!! カン太を超えたな!!」
「ふふふ、そんなに誉められると照れるの」
ご満悦な様子の文(偽者)にカン太が歩み寄ってくる。
「ははっ、まさかボクのキャメラであんな素晴らしいネタを仕入れてくるなんて……こっちまで鼻が高いよ」
「本当に長い鼻ね、禍々しい」
そう言いながら、文(偽者)はカン太にカメラを返す。
もう必要ないのだ、本物の文から奪ったカメラがあるから。
だがカン太はそれを付き返した。
「もういいのさ、そのキャメラは文ちゃんが持った方が良いモノを撮れる」
「別にもう要らないわよ、こんな鼻毛臭いカメラ」
「そのかわり、ボクと付き合ってくれないかい文ちゃん、いつの間にかそんな魅力的な身体に……ウゲッ!!」
文は……もういいめんどくさい。
紫はカン太の頭を掴んで自分の膝に叩き付けた。
カン太の長い鼻が変な方向に曲がっている。
「い、痛いっ!! でもそんな文ちゃんがステキ……いぎゃっ!!」
「何この髭、趣味悪いの」
カン太自慢のカイゼル髭をむしり取る紫。
カン太は鼻血を噴き出したまま地面に倒れこんだ。
「ああ気持ち悪い、射命丸文も良いことばかりではないわね」
ひとつ身震いをして、紫は天狗達の溜まり場を飛び去った。
ところ変わって八雲邸では。
「どうしたんですか紫様、最近規則正しい生活ですね?」
「そうですか……?」
「でも、紫様がこうやって起きておられると、私は孤独を感じなくて嬉しいですよ」
少し照れながらそう呟く藍。
(なんでこんなことに……)
紫のだぼだぼな服を着せられた文は、仕方なく藍のいれてくれたお茶を啜った。
あの後紫に敗北した文は、身ぐるみを剥がされて、
「貴女が今日から私の影武者をやるの、その間私は自由という名の大海を楽しむわ」
というわけのわからない命令をされた。
もちろん拒否はしたのだが、徐々に強くなっていく紫の威圧感の前に心が折れた。
そういうわけで、しぶしぶこのように紫の影武者をやっているのだ。
(暇すぎます……待遇は良いですが、好みではありません……)
しかし紫のことと言い、何故こんなあからさまな変装に誰も気付かないのだろうか。
もしかしたら紫が何かしら境界をいじったのかもしれないが、文には確認のしようが無かった。
「八雲紫と射命丸文の境界」でもいじったのだろうか、どんな境界だろうかそれは。
「寝ますね……」
「えっ……」
ほんの一瞬、藍が寂しそうな表情を浮かべた。
「うぅ……わかりました、起きてます……」
それを聞いた藍の表情が明るくなる。
(なんだかなぁ……)
文はぐったりとちゃぶ台に突っ伏した。
こんな形でしっぺ返しが来るとは予想外だった。
その後しばらく、紫は盗撮を楽しんだ。
「飽きてきたの」
と言ったときに紫と文の交換生活は終了したが、その間に文はすっかり腑抜けてしまったという。
元の生活に戻れてからもしばらくは新聞を作らなかった。
萃香は悔しげに飲んだくれているという。
しかし酒の相手がいないのでもっぱら手酌だそうだ。
「すーいーかー、何故泣くのー、すいかの勝手でしょー……うぅっ」
萃香は「鬼ってほんとにすごいのかな……」と、自らのアイデンティティに疑問を投げかけた。
しかしそれに答えてくれるものはいない、彼女は友達が少なかった。
とっくに忘れ去られているであろうルナサは、腰痛にさいなまれて寝込んでいた。
「う、うぅ……メルラン……リリカ……」
「姉さん、辛そうね」
気分良く演奏しているときに超高速でルナサの腰にめり込んだ文の超絶石頭。
それはルナサに致命傷を与えていた。妹2人がルナサを心配そうに見守っている。
「私はもうきっとダメだ……」
「姉さぁん!?」
うつろな目で右腕のみを天井へ伸ばして、ルナサはぶるぶると震えていた。
「次に生まれ変わるときも、桜咲く白玉楼の庭園で……ッ!!」
「姉さんっ!?」
「姉さぁぁぁん!!」
ルナサの右腕が布団の上にぽとりと落ちた。
「うぅっ、姉さん、なんで……」
躁病の気があるメルランも、流石にこの一大事にそのニヤけた笑顔が消えている。
「なんでこんなことになっちゃったのー!! うぇぇぇぇん!!」
リリカがルナサの身体をゆする。
「痛っ!! 腰に響くから触るなっ!!」
「姉さんっ!?」
「あ、あれ!?」
「ポルターガイストなのに死ぬも何もないでしょ、くっつくなよ痛いから」
「……」
ルナサが何をしたかったのかよくわからない。意味不明な姉である。
騙されて頭に来た2人の妹は、協力して姉にサソリ固めをかけた。
「ギャーッ!!」
茶番だった。
萃香の言い分には確かに一理ある。
閻魔に怒られたぐらいだ、文の新聞が幻想郷を混乱させることも無いわけではない。
ネタにされて迷惑な思いをする者も少なくない。
しかし迷惑をかける方法というのは何も新聞だけに限ったものでないのも事実。
ネタとなる騒動を起こす者がいるからこそ、天狗が喜ぶというのを忘れてはいけないのだ。
その騒動自体が他人の迷惑になることは、実にありふれた流れである。
「妖夢ぅぅーっ!!」
「なんですかエビ反りになって……ああ、今度は背筋ですか?」
「そうよっ!! お茶が無いとっ!! 背中が筋肉もりもりになって……鬼の顔のようになってしまうわ!!」
「はいはい……」
だがそういう者達は、ネタにしてみても新鮮味が無いものだ。
「いつかまた家出してやる……」
台所で呟く妖夢。
こうしてまた一騒動?
軽やかな音を立て、白玉楼の廊下を妖夢が雑巾がけしている。
別にこういった雑用自体は辛くない、これも修行の一環だと妖夢は思っている。
(足腰の鍛錬、足腰の鍛錬……)
妖夢の敏捷性はこういうところからも養われるのだ。
「妖夢ー! 妖夢ぅぅーっ!!」
妖夢は足を止めてため息を吐く。
これだけが不満である、雑用中に呼ぶ主、幽々子の声。
妖夢は手先が器用だが要領は良くないので、集中力を途切れさせられるのが苦手だった。
「今雑巾がけ中で手が離せないので後で承りますーっ!!」
珍しく幽々子はそれで大人しくなった、いつもなら行くまで呼び続けられるというのに。
妖夢は少しホッとしながらも、やはり一度切れた集中力を取り戻すのが大変であった。
歩調が上手く揃わない、雑巾を置いていってしまう。大変不愉快だった。
(呼べば呼んだで「やっぱり妖夢は頼りにならないわねぇ」って言うくせに……)
日頃の不満が次々に頭に浮かんできて、妖夢は更に集中力を失っていく。
「いやぁぁぁぁーっ!! 妖っ!! 妖夢ぅーっ!! 助けぇーっ!!」
「ど、どうなさいましたか!?」
それでも、こういう事態では反射的に幽々子を守りに行ってしまうのが悲しい性分だろう。
やはり妖夢は幽々子から離れられないのだ。
急いで居間に向かう、一体幽々子に何があったのだろうか。
「幽々子様!! いかがなされましたかっ!! 曲者ですか!?」
「助けて妖夢ーっ!!」
「……」
妖夢が居間に着くと幽々子はうつぶせで、床に両手をついて体を上下させている。
いわゆる腕立て伏せである。
「……なんのつもりですか?」
「妖夢ーっ!! お茶がほしいのっ!! お茶を飲まないと腕立てが止まらないぃぃっ!!」
回りくどすぎる、お茶ならお茶と言えば良いのに。
しかし、雑巾がけをやめてまで妖夢がお茶を運ぶことは少なかった、意外と忠誠心が足りない。
だから幽々子はこんな腹の立つ手段に訴えたのだろう、まことに不愉快な主である。
「はやくっ!! お茶が……はぁっ!! お茶が無いとっ! ふぅっ……筋肉もりもりになってしまうわ!!」
「なれば?」
「妖夢ぅーっ!! 筋肉もりもりの私の方が良いと言うのーっ!? はぁ、はぁ……」
「……はいはい、わかりましたよ……」
もう嫌だ、なんでこんな奇人に仕えているんだろう。別に良いよ筋肉もりもりでも。
とは思うもののやっぱり離れられないのである、呪われているのではなかろうか。
実際にそういうことができてしまう人物なので想像すると恐ろしい。
あとやっぱり、筋肉もりもりの幽々子様はかなり嫌だと思った。
こぽぽぽぽ……。
柔らかな音を立てて湯飲みにお茶が注がれる。
余談だが、幽々子の湯飲みは空色で、三角巾に付いているあのマークがでかでかと描かれている。
妖夢のは緑色で口をつける部分だけが灰色、妖夢の作業服の胸に付いたあの人魂マークが描かれている。
悪趣味だ。
「ただでさえ人手が足りないんだから、配慮してほしいものね……」
人手もクソもない、妖夢だけでこの広い白玉楼を管理している。
以前奇跡的に家出をしたとき、幽々子は魔理沙を拉致して妖夢の代わりに働かせていた。
自分でやるより人一人さらった方が早いと思っているような極悪人である。
「さて……天罰!!」
雑巾がけの途中だったためそのまま持ってきてしまった雑巾……妖夢はそれを手に取ると、
幽々子の湯飲みの上で思い切り絞った、腕の血管が浮き上がるぐらいに。
ぼちゃぼちゃぼちゃ……。
「ふぅ……」
妖夢の顔が少し和らいだ。
「はい幽々子様、お茶ですよ」
「遅いわよ妖夢、んもう」
幽々子は少し不機嫌そうに湯飲みを受け取ると、早速とばかりにそれに口を付けた。
「むっ!? この味……」
(しまった!! 入れすぎてばれたのか!?)
睨みつけられて妖夢は硬直する。幽々子は怒らせると怖いのだ。
「まろい……」
「……?」
「まろいわ妖夢、あ、まろいというのは『まろやか』という意味よ、勉強になったでしょう?」
「は、はぁ……美味しいってことで良いですか?」
「そう、美味しいわ、いつものお茶は雑巾の絞り汁みたいな味がするけど、これは美味しいわ」
逆である、味覚バカらしい。
しかし形容の仕方が容赦なさすぎる、妖夢が可哀想だ。
「素晴らしいわこのお茶、歴史深い建物の気品溢れる香りのような……そう、まさにここ白玉楼のような味ね」
(『ような』というか白玉楼拭いた雑巾の味だからまぁ……いいや、疲れるこの人)
「おめでとう、これで『妖夢1級』から『妖夢初段』に昇格ね、黒帯の着用を許可するわよ」
「ありがとうございます、要りませんけどそんなの」
もういい、キリが無い。
雑巾がけをしなくてはいけないのだ、妖夢は。
なので幽々子に一礼してとっとと仕事に戻った。
ととととととっ。
「妖夢ぅうぅぅぅぅぅ!!」
「ウザッッ!!」
足を止めて、床をドンドンと殴る。
ああでも幽々子様から離れられないんです、何故なんですか? 家出したくてしょうがないのに。
本当に呪ってますか? 博麗神社でお祓いしたら家出できますか?
「くぅぅっ!!」
キラキラと涙を撒き散らしながら、妖夢は再び幽々子の元へと駆けて行った。
「よっ!! ようっ!! 妖々夢ーっ!!」
「『よう』が1回多いですよ!! 何ですか幽々子様!?」
今度の幽々子は両手を頭の後ろに当てて、しゃがんだり立ち上がったりしている。
いわゆるスクワットだ。
「ようっ!! お茶っがっ!! お茶っが無いと……っ!!」
「筋肉もりもりになる前に持ってくれば良いんでしょう!?」
「ちょっ!? 最後まで言わせてよ!!」
「……」
「無視したわね!? くぅぅっ!!」
こぽぽぽぽ……ペッ! ペッ!
「はい幽々子様、お茶ですよ」
何をした妖夢。
「妖夢、泡が浮いているんだけどこれは何かしら?」
「ああ、以前咲夜さんに教えてもらったちょっと変わったお茶のいれ方なのですよ」
「ほうほう?」
「ソーセージコーヒーとかいう名前だったと思いますけど、その泡だけを日本茶に応用してみました」
ウインナーコーヒーである。
もっとも、間違えたって幽々子はコーヒーに造詣が浅いので知ってるはずもないのだが。
「で、これはどういう意味があるのかしら? 泡に味があるの?」
「先ほど幽々子様がおっしゃったままですね。『まろく』なりますよ」
「ほうほう、さっきのは雑巾の絞り汁みたいな香りでおいし……
じゃなくて、白玉楼のような素敵な香りがしたものね、今度も期待しているわよ」
幽々子はペロリと舌を出して微笑むと、人差し指と親指だけを立てて妖夢を指差し、ウインクをした。
幽々子は機嫌が良いことを表したかったようだが、妖夢はそれを見て気分が悪くなった。
「どれどれ、んぐんぐ」
わざとらしい音だ。
「いかがでしょうか幽々子様?」
妖夢は怒られる覚悟もあったが、きっとこの人味覚バカだから気付かないだろうという勝算もあった。
「むぅ……これは……」
緊張の一瞬、沈黙の中、妖夢が唾を飲み込む音が聞こえる。
妖夢「の」唾を飲み込む音ではない。妖夢の唾だが。
「まろいわ」
(やっぱりバカだ……)
「まろすぎよ妖夢、これは何なの? 味の暴力!?」
「え? え?」
「この美味しさは危険だわ!! 妖夢、これをお客さんに出してはだめよ!!」
(出すわけないじゃないの……)
「こんなお茶を紫辺りに出したら、確実に妖夢が連れて行かれてしまうわ!! このお茶の為に!!」
「は、はぁ……そんなに美味しかったですか?」
「この味はそう……まるで、うら若き乙女のエキスを抽出して入れたような華やかさ……
それでいて心地よく喉に絡みつくこの泡は……」
「あ、あーもういいです……」
聞いている妖夢の方が気分が悪くなってきた。
『うら若き乙女のエキスを抽出』
なんとエグい表現をするのだろうこの人は。
そのエキスを飲んだことがあるのかと考えると怖くて夜も眠れない。本当に飲んでそうで。
『心地よく喉に絡みつくこの泡……』
「オエッ!!」
「どうしたの妖夢!?」
「な、なんでもないです……雑巾がけしすぎて酔ったのかもしれません」
自滅だ、完全に。
自分が加害者のはずだったのに、あの幽々子の禍々しい味コメントによって、
まるで幽々子とディープキスを交わしたかのような不快感を覚える、妖夢にそんな趣味は無い。
(汚された……)
妖夢はとぼとぼと仕事に戻って行った。
やはり幽々子は偉大だ、妖夢ごときが小手先の嫌がらせで参らせられるような相手ではなかった。
「ふふっ! 良い写真が撮れました」
妖夢が幽々子の湯飲みに向かって雑巾をしぼる写真。
そして妖夢が幽々子の湯飲みにペッペッしている写真。
射命丸文は、その2枚の写真をぴらぴらとかざしてご満悦だった。
「タイトルはどうしようかな~『半霊庭師、お茶に秘密のスパイス』なんてどうでしょう?」
それは憎しみという名のスパイス。
「しかし冥界は辛気臭くていけませんね、早く帰ろうっと」
文は大切そうに2枚の写真を懐へとしまい込み、超高速で飛行し始めた。
元々あまり人前に出ない性分なので知られていないが、文の飛行速度は魔理沙よりも妖夢よりも速い。
戦闘能力だってかなり高い……が、それを鼻にかけないのが天狗という種族。
私は奥ゆかしいんですよ。などと文は思っているとかいないとか。
ここは冥界と顕界の結界の側。
「もう夏が終わるのね、夏の断末魔が聞こえるわ、ギャー」
ルナサ・プリズムリバーが無表情でぼそぼそと独り言を呟いている。
「この夏の終わりを歌にしてみよう、テーマは夏の断末魔」
勘だけでヴァイオリンを奏で始めるルナサ、その技術は大した物なのだが、
テーマがテーマだけに元気の無くなるような曲調であった。
「ギャーギャー、うふふ……」
秋への季節の変化に伴い、力を失っていく「夏」が触れるものに爪を立て、往生際悪く……。
最後の悪あがきにともんどりうっているような……。
誰が聞いても間違いなくそういうイメージを抱く歌だった。
ある意味名曲なのかもしれないが、テンションが下がることは間違いない。
演奏技術は確かなのに、方向性が若干歪んでいるような気がする。
「ギャーギャー……ギャーッ!?」
「あーっ!! すーいーまーせー……」
白黒の超高速物体がルナサを弾き飛ばす、もちろん文である。
ルナサは不自然な姿勢にひしゃげて吹き飛んで行った。
冥界から脱出した文が山の中で写真の品定めをしている。
「うーん、しかし枚数が足りないですねぇ、もっと頑張らないと……」
「カーラースー、何故鳴くのー、カラスの勝手でしょー、ウェーッ! オエーッ!」
「だ、誰!?」
文が声のする方を向くと、そこには2本のねじれた角が生えた少女がいた。
右手を木につき、左手を膝に当て、嘔吐するふりをしていた。
「何してるんですか……伊吹萃香さん?」
「うぃーっ、すいかの勝手でしょーっ」
既に千鳥足になっているにも関わらず、萃香はひょうたんの酒をガバガバと呷っている。
「今、編集とか今後の方針について考えてるんですよ、邪魔しないでください」
「イィーッキシ!!」
文のことなど構わずに、萃香はうそ臭いくしゃみをした。
「うわ、お酒臭いっ!!」
「ひぇひぇひぇ」
「たちの悪い酔っ払いさんです……」
「ウィーック!! ゴヴォゴヴォゴヴォ」
「まだ飲むんですかぁ!?」
文は困った様子で眉をしかめる、これから楽しい作業だというのに、鬱陶しいことこの上ない。
「うぇへへー、あんたのことはよく知ってるよ~」
「私も、萃香さんのことはたまにネタにしているので知っていますよ」
妙なところに対抗意識を燃やす文、そこは自称敏腕新聞記者として負けられないと思ったらしい。
「いつもいつも他人の写真を撮って、秘密を握る……
それはねー、ウィッ、自分の秘密は知られたくないから~。
先んじて秘密を握って、読者の目はそちらに向けさせてねー、うぃぃ~。
天狗なんて大体そんなヤツばっかりだけど、あんたはとりわけそういう傾向が強いら~。
周囲を煙に巻いて、颯爽と他の連中の秘密を暴露してぇ~。
強いくせに内心臆病なんだよねー、ウェー!! オェーッ!! イィーッキシ!!」
「うわ~鬱陶しいです」
偽嘔吐、偽嘔吐、偽クシャミを余すことなく3連射した萃香。
普通に発言するだけでうんざりするぐらい酒臭いのに、クシャミが特に酒臭い。
それはまるで霧吹きにアルコールを入れて噴霧しているかのようだった。
「あんたのことはいっつもよく見てるよぉ~」
「うわぁ、やめてください」
萃香がふらふらと歩み寄ってきて文の肩を乱暴に抱く。
至近距離で酒吐息をかけられた文は、嫌そうに顔を背ける。
「何の用なんですか?」
「忠告しにきたのよ~」
「なんですか? 閻魔様に怒られてもうお腹一杯ですよ」
「閻魔に怒られたのにやめないなんて、豪胆なのねはぁ~」
「臭っ!! わざとやってるでしょう!」
「ねはぁ~」は明らかにおかしかった、萃香はわざと息をかけている。
「お酒弱い人は私の息をかけただけで酔っ払って吐くよはぁ~」
「よはぁ~っておかしいですよ!!」
文は振りほどきたいのだが萃香の腕力が半端でない、鬼というだけのことはある。
「このままだと、あんた自身がいつスッパ抜かれるかわかんなはぁ~」
「いい加減にしてくれないと、下駄で殴りますよ?」
「いっつも思ってたんだけどその下駄、足挫きそうよねはぁ~」
「う、うるさいなぁっ、臭っ」
ちゃんと話せば真面目な忠告なのだろうが、これではただの絡み酒の酔っ払いである。
「ちょっと貸してみなさはぁ~」
「うぅっ!! お酒臭すぎるっ!!」
そんなに酒に弱いわけではない文だったが、萃香の酒臭さの異常さゆえか尻餅をついてしまった。
そこに無理矢理文の下駄を脱がす萃香、もう片方の足から嵐のような下駄蹴りを食らい、鼻血が垂れる。
しかし酔っ払っているためか、萃香はゲラゲラ笑いながら両足の下駄を剥ぎ取った。
「うわはーっ! 歩きにくそーこれぇー」
「か、返してくださいよぉ!!」
「おっと忘れてた、モッハァー!!」
「うわぁぁっ!!」
萃香は息をかけるのを忘れていたのでいちいち吐きかけにきた。
文も本格的に酔いが回り始め、目眩を起こして地面に転がる。
「ガソリン注入だー。ガヴァヴァゴヴォッ」
「ザルれすかあなたはぁーっ」
萃香は両足に下駄を装着し、大地に立つ。
「萃まる夢、幻、そして百鬼夜行……」
「なにかっこつけてるんれすかぁー」
「発進だー」
そして萃香は大地を蹴った。
グギッ!!
「うぎゃあーっ!! あ、足が折れたぁーっ!!」
「そ、そんな千鳥足でその下駄は無理れすよ!!」
「あは、あはははっ!! 痛っ! 痛っ! 痛ぁっ!!」
「なんでそんなに楽しそうなんれすか!?」
酔っ払いなんてそんなものである。
千鳥足の全力疾走、萃香の足は変幻自在に前後左右へと折れ曲がった、それなのに笑っている。
ひとしきり走り回って満足すると、萃香は再び文の下へ駆け寄ってきた。
「楽しかったはぁー!!」
「ひぃぃぃ!!」
文はそのまま酔って意識を失った。
「う、うーん……」
文が目を覚ますと既に夕方であった。
そう考えると、萃香は朝っぱらからあれだけ酒をかっ食らっていたことになる。
「写真は……っ!?」
懐を探り、胸を撫で下ろす。
ちゃんと懐に収まっていた、萃香はそれを狙ってきたわけではないらしい。
「んがごーっ!!」
「ひっ!?」
文の横で、萃香が文の下駄をはいたまま大いびきをかいている。
「今のうちに逃げましょう……」
立ち上がると、左腕が妙に重い。
「ひ、ひぃぃっ!?」
「んごがーっ!!」
なんと萃香は寝たまま文の左手首をしっかりと握り締めていた。
立ち上がった文にぶら下がった状態のまま寝ている。
「く、くぅっ……とれない……!!」
「ん、んぅーぁー? あぁ?」
(しまった!!)
萃香が起きてしまった、目をごしごしこすっている。
「お、おはようございます……」
「おひゃぁ~、はふーっ」
「うっ、まだお酒臭い……」
文を捕まえていた右手を話すと、萃香は立ち上がって足を挫いた。
グギッ!!
「いぎぃっ!?」
正気だとかなり痛いらしい、萃香はそのまま倒れこんで足首を押さえる。
「ぐぅぅ、忘れてた……返すわこれ」
「あ、はい……」
自分の靴にはきかえると、萃香は改めて立ち上がって体についた泥を払った。
それを見た文も、すぐに下駄をはいて同じように泥を叩き落とす。
「考えてくれた? 昨日言ったこと」
「え?」
「新聞のことよ、このまま続けてるといつかしっぺ返しがあるよ、あんた」
「……やめませんよ、生甲斐ですから」
「そう言うと思った」
やけにあっさりと納得すると、萃香は少し考え込む。
「それじゃーさー」
「なんですか?」
「私と勝負しない? 負けたら今後は新聞から足を洗うこと!」
「ん、んーっ……争いごとはあまり好みではないのですけどねぇ……」
だが自信が無いと言うわけではないらしく、文の態度には余裕がある。
「弾幕戦じゃないよ?」
「へ?」
「あんたの好きな新聞で勝負しよう」
文はそれならば尚更負けるわけが無いと思った。
これでも常日頃から新聞のことばかり考えているのだ、勝負形式はよくわからないが、
新聞に関してならば絶対の自信を持っている。
「私も新聞を作るから、それを第三者に投票してもらうの」
「負けませんよ? 私」
「それはどうかな~?」
「むっ……」
生甲斐とまで言った新聞は、文にとって神聖なるものである。
文はこの萃香の提案を新聞に対する冒涜と受け取った。
「目に物見せてあげますよ」
「それは楽しみ」
だが萃香も譲らない。萃香はよく霧散して幻想郷中を眺めている。
新聞に関しては確かに知識が浅いが、読者の目を引くようなとびきりのネタを仕入れることには自信があった。
もちろん、冒頭の幽々子と妖夢のやり取りだって萃香はちゃんと見ていたのだ。
そんな萃香に対して知り合いである紫は、
「覗きとストーキングに関しては私も萃香には敵わないの」
と失礼なことを言うが、萃香はそんな浅ましい考えで幻想郷を眺めているわけではない。
文の新聞は争いの火種となる恐れがある、萃香はそれを危惧しているのだ。
「あんたの新聞で色んな人が痛い目を見ているんだよ、いつ復讐されるかわからないから言ってるの」
「それも新聞記者の宿命だと思っていますから」
両者がにらみ合い、眼光が火花を散らす。
ここに、萃香と文の「よりすごい新聞対決」の火蓋が切って落とされた。
文が超高速で飛行している。その胸元には小さくなった萃香がもぐりこんでいた。
向かっているのは天狗達の溜まり場、萃香がカメラを持っていないからだ。
天狗達の間で新聞は大流行なので、誰からかカメラを借りられないものかという目的である。
萃香が自分で飛ばないのは、単純に文より飛ぶのが遅いからだ。
「うひゃあー、速い速い、流石風神少女の異名をとるだけあるねーっ」
「な、なんで天狗達の間での通り名を知ってるんですか……?」
「言ったでしょー、いつも見ているって~、あはーっ! 速い~っ!」
文は狼狽した、これは意外と強敵かもしれない。
天狗達は同族とは良く会うが、それ以外とはあまり交流を持たない種族だ。
その上、天狗同士でもお互いあまり詮索はしないという暗黙のルールがある。
なのに文自身の情報が萃香に筒抜けているのは不気味なことだ。
文も萃香の能力は知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
(侮りました……これは厳しい戦いになるかもしれません)
だが、文は少し嬉しくもあった。
鬼と同様天狗もかなり強力な妖怪である。普段あまり脅威にさらされることはない。
要するに敵は強い方が燃えるということだ。
「見えてきました、あそこですよ」
「知ってる~、でもほんと速いなー」
他の妖怪が寄り付かないような高い山の深い森。
そこにそびえ立つ巨大な樹……その辺りに天狗達は集まる。
何も住処がそこだというわけではないのにそこを溜まり場にするのは、目立つ上に他の妖怪が来ないからだ。
別に他の妖怪が来られないというわけではない、ただ、他の場所に行く際にいちいち遠いのだ。
風のように高速で移動できる天狗だからこそ、こういうところは居心地が良いのである。
「じゃ、そろそろ隠れてくださいよ」
「ほい」
萃香は文の懐に潜り込み、不要な体積を霧散させて更に小さくなった。
別に全身を霧散させてしまえば良いようなものなのだが、それだと文が萃香の位置を把握できない。
文は溜まり場へ着陸する。
そこには既に見知った天狗達が居て、あれこれと会話を交わしていた。
「お、文じゃねーか、丁度お前の話してたんだぜ」
「え? なんですか?」
「カン太がお前にカメラ取られたって言ってえらい剣幕だったぜ、謝ってきた方がいいんじゃねえか?」
「カン太ですか? しばらく会ってないですけど……変だなぁ」
カン太というのは言うまでもなく天狗仲間である。
文に限らず多数の天狗達が新聞を作っているが、カン太もその1人だ。
それも、天狗達の間ではかなり評判が高く「ぴったんこカンカン新聞」は大人気である。
カン太もまた、文がライバルとして対抗心を燃やしている相手であった。
「お、噂をすればなんとやらだ、カン太が来たぜ」
「うーん……」
向こうから体格の良い天狗が歩いてくる。カン太である。
背が高くて筋骨隆々、そして長い鼻の下にはカイゼル髭を生やしている。
カン太は文に気付いているようで、不機嫌そうな表情でズンズンと近づいてきた。
「文ちゃん!! なんであんなことをしたんだ!!」
「えーと……何のことだかわからないのですよ、本当に……人違いじゃないんですか?」
「すっとぼけたって無駄だよ文ちゃん!! あれは文ちゃん以外の何者でもないよ!!」
文だって誇り高き新聞記者のはしくれだ、ライバルのカメラを奪うなんて姑息な真似はしない。
なんでこんな言いがかりを付けられなければいけないのだろう。
「だって私しばらくこの界隈には来てませんでしたよ? カン太どころか他の仲間にも会ってないですし」
長いこと取材をしていたので本当だ。
カン太はこの辺に住んでいるので、溜まり場に来なければ会うことはあまり無いし。
「でもカン太、取られたという割にはちゃんとカメラ持ってるじゃないですか」
「これは予備のキャメラだよ!! お気に入りを文ちゃんが持って行っちゃったんじゃないか!!」
胸元にぶら下がっているカメラは予備らしい。カン太はカイゼル髭を指に巻きつけながら怒鳴る。
文とカン太の言い合いを周りの天狗達が面白そうに眺めていた。
「うーん……本当に身に覚えが無いのですけど」
「いくら文ちゃんと言えど、許されることじゃないよ!!」
「困ったなぁ……」
「こうなったら、文ちゃんボクの彼女になって……ぐぉうっ!?」
気持ち悪いことを言い出したので、文はカン太のみぞおちに鉄拳を見舞った。
「もういいですよ、私がやったってことで」
目が怖い、開き直った文は白目を剥いて泡を吹いているカン太から、予備のカメラをむしり取った。
文は天狗達の間でも最も腕っ節が強い。
面白がっていた周りの天狗達も、文の豹変ぶりを見て怯えている。
「それじゃ皆、また」
「た、達者でな!」
文はその場を飛び立った。どうせ逆らう者もいるまい、多少乱暴な手段だがこれでいい。
もう夜だったが、2人は昼間に居たの森の中で向かい合っている。
萃香の首には、文がカン太から奪い取ったカメラがぶら下がっていた。
「わーい、カメラだー」
「一応使い終わったらちゃんと返してくださいよ」
「わかってるってば、それじゃ期限は5日後、投票は永遠亭の住民にしてもらうって事で良いのね?」
「はい、天狗仲間に配ったのではフェアじゃないですし」
紅魔館あたりでやったら咲夜に注意されそうだし、永遠亭の奔放な環境なら問題ないだろうということだった。
読者の人数的にも信頼のできる結果になりそうだ。
「それじゃ、お互い頑張りましょう、負けませんよ」
「首洗って待ってなよ~」
「その台詞、そっくりそのままお返ししますよ」
そう言って2人はそれぞれ飛び立った。
翌日……。
暗い夜中では写真写りに悪影響が出ることや、フラッシュを焚くと見つかる、
などの不都合があるので、2人は1日待って活動を開始した。
さし当たって、文は昨日に引き続き白玉楼、萃香は紅魔館をメインネタとして絞り込んだ。
「うーん、地味ですねぇ」
文がずっと観察していても白玉楼に変わった様子は無い。
またお茶を頼まれた妖夢が復讐をするのかと思いきや、そういうことはなかった。
それもそうである、妖夢は昨日返り討ちにされたのだから。
たまに、
「茶柱がおっきしてないじゃないの!!」
「おっきしてないなら、おっきさせれば良いじゃないですか!!」
などと言い争うことはあるが、写真としては微妙なものだ。
ちなみに「おっき」とは立つということである。起っき。
「ま、もうしばらく様子を見ますか」
こそこそと隠れながら、文は長期戦をする覚悟を決めた。
期日まではまだ4日あるのだ、そこまで焦ることも無いだろう。
一方の萃香は、紅魔館の廊下にバナナの皮を仕掛けて待ち構えていた。
「十六夜咲夜は意外とドジなのよね……きっと踏んで転ぶわ」
いくらなんでもそんなバカなことはあるまい。
「そして転んだら……実は咲夜がくまさんパンツをはいているという衝撃事実が……」
これは直接確認したわけではないが、紅魔館ではまことしやかに囁かれている噂であった。
それを実証できればかなりの高得点になるだろう。
「む、来たわ!」
萃香はカメラもろとも粒子となって身を消した。こういうことができるのは大きな強みだ。
向こうから咲夜が姿勢良く歩いてくる。
それにしても、咲夜がバナナの皮で転ぶとは考えにくい。
メイド長を務めるぐらい几帳面な咲夜である、赤い廊下に黄色いバナナの皮が落ちていれば、
すぐに気付いて拾って捨てることだろう。
「きゃあっ!?」
だが咲夜は本当に転んだ。
パシャッ!!
「な、何よコレ……バナナの皮!? 誰よこんなところに捨てたのは!!」
「プフッ!! 咲夜さんバナナの皮で転んでやんの!!」
「貴女が置いたの!?」
「違いますよ……これぞ、そんなバナナッ!? ブフッ!!」
「面白くないわよ!!」
挑発する部下に激昂する咲夜、写真を撮られたことには一切気付いてないようだ。
(あれ……くまさんパンツじゃない……)
どうやら噂は嘘だったらしい。
これはこれで、噂の真相を解明するという意味でのスクープなのかもしれないが。
もしくは、あの咲夜にこのようなドジな一面があるというのもそれはそれで面白い。
(でも少しパンチに欠けるなぁ……よし次はあのネタよ、夜まで待とう)
次の作戦は準備済みである。萃香はすぐに気を取り直して、一旦紅魔館を去った。
「ううーむ」
文も何枚かの写真を撮影してはいた。
それは暇を持て余して居間で不可解な行動をする幽々子と、可哀想なぐらい真面目に働く妖夢の写真。
ブリッジをしては「首がもりもりになる前にお茶」だの、
地面に尻だけを付いて、身体を「く」の字に曲げ「腹筋が6つに割れる前にお茶」だの、
幽々子がいちいちくだらない行動で妖夢にお茶をいれさせる程度であった。
「これに昨日のお茶の写真も合わせて使えば……」
前フリとして、今日取った写真は有効だろう。
それだけ妖夢がストレスの溜まる環境にいるという事実を強調することができる。
「でももうちょっと欲しいですねぇ……白玉楼はここまでにして、他所に行ってみますか」
昨日以上の珍事は起こるまいと見切りをつけた文は、白玉楼を飛び去った。
「博麗の巫女も1人でいることが多いから、変なことをしてるかもしれませんね」
人の集まるところというのは、面白いことが起きそうで案外そうでもないことを文は知っていた。
1人でいるときこそ、被写体が誰にも見せない一面を垣間見ることができる。
そしてそういうネタの方が読者にうけるのだ。
「縁側でお茶、ですか……いつも通りですね」
だがきっとこの巫女にも何かしら秘密があるはずだ。
まして霊夢は幻想郷の有名人である、天狗の中にも実はファンが多い。
そう思った文は、少し長めに博麗神社に張り込むことを決意した。
「願わくば一撃必殺の大ネタを……」
断続的な緊張感でカメラから手が離せない、これだから新聞はやめられないのだ。
萃香は一度紅魔館を去り、八雲邸へ足を運んでいた。
(あれ? 紫が居ない)
この時間なら普通は寝ているはずなのだが、何故か紫が居なかった。
まだ昼前なので、藍だけが忙しそうに家事をしている。橙も出かけているらしい。
「愛を~口~移しに教えてあげた~い~♪」
藍は鼻歌交じりである、割烹着をふりふりとはためかせながら軽やかに洗濯物を干している。
八雲邸は極めて平和なようだ。
(紫なら良いネタになっただろうになぁ……)
残念そうに眉をしかめると、萃香は八雲邸を後にした。
「やっぱりこうなれば、意地でもレミリアの……」
レミリアに関するネタと言うのが何なのかはまだ不明だが、
萃香はそのネタに勝負をかけているようである。
そして夕方になり、萃香はまたも霧散して紅魔館に潜伏していた。
(運が大きく絡むわ、このネタは……)
別にこれに限らずスクープなんてそんなものだ。
萃香は普段から何か不規則にレミリアが事件を起こすのを知っているのだろう。
ただ、それはレミリアの寝起き前後にしか起こり得ない事で、
尚且つ、確実性に大きく欠けるということが窺える。
(変に近づくとバレそうだから、慎重にいかないとね……)
異常に発達している吸血鬼の感覚神経は侮れない。
萃香がその力を使って宴会を頻発させたときも、レミリアはかなり早い段階で気付いていた。
単純な力比べでは勝利できたものの、今回は特殊な勝負である。
(咲夜が来たわね……)
毎日決まった時間にレミリアを起こすのは咲夜の役目だ。
咲夜はさっきのバナナの皮のことがあってか、注意深く床を見ながら歩いている。
(ここからが勝負……!)
咲夜がレミリアの部屋の前に立ち、そのドアを軽くノックする。
この後のレミリアから咲夜への第一声が運命を分ける。
「入りますよ、お嬢様」
「さ、咲夜ぁ~……」
(来た!!)
萃香はなんとついているのだろう、それは望みどおりの状況であった。
あのレミリアの情けない涙声、咲夜が入る前に目が覚めていたという状況。
咲夜もそのレミリアの声を聞いて少し苦そうな表情をしたが、すぐに気を取り直してレミリアの部屋へ入った。
「お嬢様、またやってしまわれましたか」
「さ、咲夜……他の連中が気付く前に早く処理なさい!!」
「仰せのままに」
レミリアのベッドのシーツに世界地図。
パシャッ!!
(いただきよ!!)
なんとかレミリアや咲夜に気付かれることなく、萃香はシャッターを切ることに成功した。
あの高飛車なレミリアの情けない一面……オネショは子供にしか許されないこと。
この記事を読んだ者はレミリアを子供扱いするもよし、大人として扱ってバカにするもよし。
味わい深いネタである。
「情けないと思ってるんでしょ!! 咲夜っ!!」
「仕方の無いことですわ、お嬢様のお体は成長が緩やかなのですから、恥ずかしがることではございません」
「私が子供だって言いたいのねっ!!」
「体については、の話ですよ……私なんてお嬢様の10分の1も生きてないのですし」
おもらしシーツを手早く片付けながら、咲夜は無難な答えを返す。
その脇では股の部分が湿った寝巻きを着たまま、レミリアが腕を振り上げ、ぴょんぴょん飛び跳ねて怒っている。
「さぁお嬢様それもお脱ぎください。誰にもバレないよう時間を止めて洗濯して参りますわ」
レミリアは真っ赤な顔で頬を膨らませ、咲夜を睨み付けている。
(これは良い顔ね!!)
萃香はさらにシャッターを切った。今日のレミリアのテンションはとても良い。
ここまで咲夜に食い下がっているのは割と珍しい光景だ。
「情けないと思っ……思っているんでしょ……!!」
「お嬢様……」
咲夜が困ったように髪をかきむしる。
「情けないとか情けなくないとかは関係無いのです、そのようなお召し物ではご気分が悪いでしょう?
だから咲夜にお任せくださいませ、安心なさって良いのです」
「うーっ……!!」
なだめられたレミリアはしぶしぶ着替える様子を見せるが、咲夜が目の前にいるので着替えにくいらしい。
(まぁ、こんなところかしらね……)
流石にこれ以上危険なシーンの撮影をしては新聞にできない。
脱衣シーンまで納めてしまってはリスクショットどころではないのだ。
ネタとしては十分なものが撮影できたと思い、萃香はその霧の身体でゆっくりと退出する。
「血を吸う鬼、レミリア・スカーレット……その痴態、しっかりと収めたわ!!」
紅魔館時計塔頂上にて、萃香の笑いがこだました。
(おぉっ!? おぉぉっ!? おぉぉぉぉっ!?)
一方の文も勝利を確信していた。
あの霊夢がお祓い棒片手にあんな激しいことをしているなんて。
(これは勝ちました!!)
パシャッ! パシャッ!
やはり博麗神社に張り込んだのは正解だった。
シャッターを切る指が止まらない。
パシャッ! パシャッ! パシャッ!
(あれ……? 私のじゃないシャッターの音がします)
文の後ろ……? いや、横からシャッターを切る音が聞こえる。
萃香もこのネタに目を付けていたのだろうか……2人が同じネタを使うのでは勝負にならない。
「むー、萃香さん……残念ですがこのネタは無しに……えっ?」
そこには、文の服を着た……。
「あぁぁっ!! 良いわ霊夢、最高なの!! もっと、もっと激しく!!」
八雲紫がいた。
「ちょっと!! 何で人の服着てるんですか!?」
「霊夢のこんな一心不乱な姿が見られるだなんてっ!! 射命丸冥利に尽きるわっ!!」
「なんか家のタンスの中がスカスカだと思ったら……!!」
結論から言うと、紫には文の服が似合っていなかった。
というよりも、サイズがまったく合っていないのがそもそも致命的である。むちむちだ。
文がはいててもそれほど丈の長くないスカートは、足の長い紫がはくとミニだった、きわどすぎる。
「人の話を聞いてくださいよ!!」
「ん? 何ようるさい鴉天狗ねぇ、しっしっ!!」
「あれ、そのカメラ……カン太の……」
そうか、こいつが犯人だったのか。
しかしなんで文の服を着ているというだけで、似ても似つかないこの偽者の文を本物と信じ込んだのだろう。
皆バカすぎる、文は目眩を覚えた。
パシャッ!
「何をしているの? 私を激写してただで済むと思っているの?」
「いや……ネタになりそうだったので」
「この完璧な変装をした私を激写したところで、己の恥になるだけだとわからないの?」
「どこが完璧なんですか!!」
「……私は貴女の全てをコピーした……ッ!!」
「いい加減なことを言わないでください!!」
「そうよ!! 私は貴女のドッペルゲンガー!! 幻想郷に射命丸は2人も要らないのよ!!」
「その程度の変装では偽者を名乗ることさえおこがましいっ!! 天狗の力見せてあげます!!」
文は構えた、紫もそれに応じて構えをとる。この狂人はここで始末しなければならない。
それは1000年以上に渡り幻想郷を眺め続けてきた文の義務であると感じた。
これではもはや萃香との対決どころではない、文自身の名誉にも関わる。
両雄並び立つ。
この勝負の行方は、そして萃香と文の勝負の行方は……。
それから4日後……対決の期日。
結論から言うと、萃香との勝負は文の勝利であった。
霊夢がお祓い棒片手に一人チャンバラを演じている写真は、永遠亭のウサギ達に大ウケだった。
永遠亭は霊夢の襲撃で幾度か酷い目に遭っているので、そういう恨みもまた高得点へとつながったのだろう。
期せずして、文は読者の好みにしっかりと合致するネタを選んでいたのだ。
インパクトそのものはレミリアのオネショの方が強そうなものなのだが。
「あの吸血鬼、またオネショしたんだってー」
「新聞にするほどのことかなぁ? 結構知られてることだよね?」
写真としての実際の状況には興味を持たれていたが、しっかり広まっていた噂だったのだ。
萃香は幻想郷中を見回してると言うくせに、それは名だたる妖怪や霊夢などのような目立つ人間だけで、
永遠亭の名も無きイナバ達のような連中には目を向けていなかった。
もちろん紅魔館のメイド達だってレミリアがオネショしていることなどとっくに知っている。
「こんなに浸透している話だったなんて誤算だったわ……私の完全敗北……」
「ふふふ、その程度のネタで私に勝とうなんて、1000年早いの」
しかし、八雲紫が射命丸文になりすましていた。
萃香は文ではなく、文の偽者に敗北したのだ。
「く……風神少女の名は伊達じゃないのね……」
萃香は悔しそうにうつむいた。
気付け、これは八雲紫だ。
「ということで、これからの私の撮影の邪魔をしたら、その角をへし折るの」
「わかったわよ、もう邪魔しないわ……」
萃香は、まるでその心情を表すかのように力なく霧散して消えて行った。
気付け。
萃香の狙いは文のブン屋魂の前に打ち砕かれた。
偽者だけど。
文(偽者)の新聞は天狗達にも大好評であった。
「あの博麗霊夢がっ!!」
「すげえ、すげえよ文!! カン太を超えたな!!」
「ふふふ、そんなに誉められると照れるの」
ご満悦な様子の文(偽者)にカン太が歩み寄ってくる。
「ははっ、まさかボクのキャメラであんな素晴らしいネタを仕入れてくるなんて……こっちまで鼻が高いよ」
「本当に長い鼻ね、禍々しい」
そう言いながら、文(偽者)はカン太にカメラを返す。
もう必要ないのだ、本物の文から奪ったカメラがあるから。
だがカン太はそれを付き返した。
「もういいのさ、そのキャメラは文ちゃんが持った方が良いモノを撮れる」
「別にもう要らないわよ、こんな鼻毛臭いカメラ」
「そのかわり、ボクと付き合ってくれないかい文ちゃん、いつの間にかそんな魅力的な身体に……ウゲッ!!」
文は……もういいめんどくさい。
紫はカン太の頭を掴んで自分の膝に叩き付けた。
カン太の長い鼻が変な方向に曲がっている。
「い、痛いっ!! でもそんな文ちゃんがステキ……いぎゃっ!!」
「何この髭、趣味悪いの」
カン太自慢のカイゼル髭をむしり取る紫。
カン太は鼻血を噴き出したまま地面に倒れこんだ。
「ああ気持ち悪い、射命丸文も良いことばかりではないわね」
ひとつ身震いをして、紫は天狗達の溜まり場を飛び去った。
ところ変わって八雲邸では。
「どうしたんですか紫様、最近規則正しい生活ですね?」
「そうですか……?」
「でも、紫様がこうやって起きておられると、私は孤独を感じなくて嬉しいですよ」
少し照れながらそう呟く藍。
(なんでこんなことに……)
紫のだぼだぼな服を着せられた文は、仕方なく藍のいれてくれたお茶を啜った。
あの後紫に敗北した文は、身ぐるみを剥がされて、
「貴女が今日から私の影武者をやるの、その間私は自由という名の大海を楽しむわ」
というわけのわからない命令をされた。
もちろん拒否はしたのだが、徐々に強くなっていく紫の威圧感の前に心が折れた。
そういうわけで、しぶしぶこのように紫の影武者をやっているのだ。
(暇すぎます……待遇は良いですが、好みではありません……)
しかし紫のことと言い、何故こんなあからさまな変装に誰も気付かないのだろうか。
もしかしたら紫が何かしら境界をいじったのかもしれないが、文には確認のしようが無かった。
「八雲紫と射命丸文の境界」でもいじったのだろうか、どんな境界だろうかそれは。
「寝ますね……」
「えっ……」
ほんの一瞬、藍が寂しそうな表情を浮かべた。
「うぅ……わかりました、起きてます……」
それを聞いた藍の表情が明るくなる。
(なんだかなぁ……)
文はぐったりとちゃぶ台に突っ伏した。
こんな形でしっぺ返しが来るとは予想外だった。
その後しばらく、紫は盗撮を楽しんだ。
「飽きてきたの」
と言ったときに紫と文の交換生活は終了したが、その間に文はすっかり腑抜けてしまったという。
元の生活に戻れてからもしばらくは新聞を作らなかった。
萃香は悔しげに飲んだくれているという。
しかし酒の相手がいないのでもっぱら手酌だそうだ。
「すーいーかー、何故泣くのー、すいかの勝手でしょー……うぅっ」
萃香は「鬼ってほんとにすごいのかな……」と、自らのアイデンティティに疑問を投げかけた。
しかしそれに答えてくれるものはいない、彼女は友達が少なかった。
とっくに忘れ去られているであろうルナサは、腰痛にさいなまれて寝込んでいた。
「う、うぅ……メルラン……リリカ……」
「姉さん、辛そうね」
気分良く演奏しているときに超高速でルナサの腰にめり込んだ文の超絶石頭。
それはルナサに致命傷を与えていた。妹2人がルナサを心配そうに見守っている。
「私はもうきっとダメだ……」
「姉さぁん!?」
うつろな目で右腕のみを天井へ伸ばして、ルナサはぶるぶると震えていた。
「次に生まれ変わるときも、桜咲く白玉楼の庭園で……ッ!!」
「姉さんっ!?」
「姉さぁぁぁん!!」
ルナサの右腕が布団の上にぽとりと落ちた。
「うぅっ、姉さん、なんで……」
躁病の気があるメルランも、流石にこの一大事にそのニヤけた笑顔が消えている。
「なんでこんなことになっちゃったのー!! うぇぇぇぇん!!」
リリカがルナサの身体をゆする。
「痛っ!! 腰に響くから触るなっ!!」
「姉さんっ!?」
「あ、あれ!?」
「ポルターガイストなのに死ぬも何もないでしょ、くっつくなよ痛いから」
「……」
ルナサが何をしたかったのかよくわからない。意味不明な姉である。
騙されて頭に来た2人の妹は、協力して姉にサソリ固めをかけた。
「ギャーッ!!」
茶番だった。
萃香の言い分には確かに一理ある。
閻魔に怒られたぐらいだ、文の新聞が幻想郷を混乱させることも無いわけではない。
ネタにされて迷惑な思いをする者も少なくない。
しかし迷惑をかける方法というのは何も新聞だけに限ったものでないのも事実。
ネタとなる騒動を起こす者がいるからこそ、天狗が喜ぶというのを忘れてはいけないのだ。
その騒動自体が他人の迷惑になることは、実にありふれた流れである。
「妖夢ぅぅーっ!!」
「なんですかエビ反りになって……ああ、今度は背筋ですか?」
「そうよっ!! お茶が無いとっ!! 背中が筋肉もりもりになって……鬼の顔のようになってしまうわ!!」
「はいはい……」
だがそういう者達は、ネタにしてみても新鮮味が無いものだ。
「いつかまた家出してやる……」
台所で呟く妖夢。
こうしてまた一騒動?
てな訳で今回は妖夢が微妙でした、あと変装した文に良い笑み見せてる藍に和みました(w
……ここまで書いて気付きましたがメイン以外のキャラの感想ばかりですいませんOTZ
鬼ゆえの豪快さで相手の痛いとこも気にせず突いちゃいますからねえ。
出演作と絡むキャラの少なさも相まって、やや敬遠されがちだと思うんですがしかし、
この萃香はいい萃香でしたー。次もつっぱしってください!
よーきが居なくなったのは、妖夢を成長させる為ではなく、
逃げただけじゃなかろーか
原作では、萃香のは相手の為の説教と言うより、相手に取っての鏡みたいになってますからねぇ。
閻魔みたいに相手に目標を与えるのは鬼らしくないし、仕方のない事ですが。
なので作中の萃香は一寸ステキ。