Anywhere but here(魔法使いには魔術書を)
【あの日あの時彼女の方は】
[Side:Alice]
【出会い】
「その本は私のよ。そしてここは私の図書館」
おそらくそれが精一杯の大きさなんだろうけど、やはり迫力不足と言わざるをえない。そんなきついけれど細い声が、見た目は本を読み耽っているアリスにかけられた。近くにいるのはずっと前から気づいていたし、アリスは無視をすることなく相手を見る。その際なるだけ感情は出さないようにした。向こうはどうやらおかんむりのようだが、一応これが初対面であるし、そう敵意を出すこともないだろうとアリスは考えたのだ。だからといっていきなり好意的な態度もおかしい。そもそも、自分は黙ってここに居座っているのだから。
「知っているわ。だから侵入したんだもの。正面からだけど」
言ったあと、しまったかなとアリスは思った。ここ最近魔理沙や霊夢としか話していなかった所為か、意識せずとも憎まれ口を叩いてしまう。霊夢はともかく魔理沙とはそれが正しいコミュニケーションなのだが、目の前の彼女はそういうタイプではないだろう。案の定、空気はさらに剣呑なものになった。
「その正面には何かいなかったかしら」
おそらくあの門番のことを言っているのだろう。魔理沙が大丈夫だと言っていただけあって、名乗ったとたん通らせてくれた。そんなんで大丈夫なのかと思ったのが顔に出たのだろう。彼女は声を潜めて、「今回だけは特別なんです」と笑った。ちなみに魔理沙は絶対に素通りはさせないらしい。そうそうとアリスは思い出した。通してもらったことは、この魔女には秘密にしておくよう念押しされたのだった。
「いたけど、私が見えなかったみたいね。まぁ、それを期待して高く飛んだわけだけど」
「通せんぼは入ってくるなの意思表示よ」
「違うわ。扉が有る限り、そこは出ても入ってもいいのよ」
思わず屁理屈を言ってしまう。ああまたやってしまった。これというのも全て魔理沙の性格と口がいけないのだと華麗に責任転換をする。別段いい子ぶりたいわけでは決してないが、生まれてこの方、どちらかというと『良い子』で通ってきた身としては少々複雑だった。とは言え今さらどう取り繕えばいいのかわからないし、ここは潔く身を引いておくべきだろう。アリスは帰ることにした。
――――――――おいで、上海。
心の中で呼びかけると、可愛い人形は素直に従う。
ここまで来たら、もう多少の無礼は気にしない。扉をくぐる前に、アリスはからかうように音を弾ませた。
「それじゃあ、また」
もちろん、話に聞いたとおりここは素晴らしいところだし、是非また来たかったのは本音だ。
「二度と来ないでちょうだい」
返された声は聞かなかったふりをして、アリスは迅速かつ慎重かつ静かに図書館を出て、館の中を移動する。話を通してあるのはあの門番だけで、十六夜咲夜というメイド長だけには見つかるなと言われたからだ。もっともこれには自信があった。必要以上に魔力を消費しないように、ふだんから魔界人は気配が薄い。魔界の神は省エネ思考だった。誰とも出会わずに門へと至る。
「楽しめましたか?」
門番は訊いた。
「ええ。でも図書館の魔女を怒らしてしまったみたい」
「あはは…あとで絞られそうだな」
「えっと、ごめんなさい?」
「いいですよ、多少のことは覚悟の上ですし」
「今さらだけれど、どうして私を入れてくれたの?」
「あの魔理沙が誰かの為に動くのが珍しかったので、つい。ああでも、直前まで悩んでたんですよ」
「あら、そうだったの」
「はい。でも顔を見て、貴女ならと」
「そ、そう」
何だか凄く恥ずかしいことを言われた気がして、アリスは照れてしまう。そんなアリスを見て彼女は、後に紅美鈴という名だと知る彼女は、眩しいように目を細めた。
「はい。なんだか、とても懐かしい人に逢った気がしたので」
え?
「――――――――なんて。まぁ、こうして実際に、アリスさんは本を盗ってはいないですし」
「魔理沙はそんなことしてたの?」
「ええ、まあ」
困ったように彼女は笑った。
適当に挨拶を交わして、アリスは帰途についた。
「あ、読んだ本片づけるべきだったかな」
そのことだけが、ちょっと心残りだった。
先ほどの会話のこともあり、次に魔女と出会った時は、もう少し穏やかに接しようと思った。
結局、それは叶わないどころか、戦闘になってしまったのだけれど。
【三回目の会話】
連日宴会騒ぎという、平和なのか大事なのかよくわからない怪異から数日が経った。
「そういえば、まだ名前も訊いていなかったわ」
見つけた瞬間に攻撃されなかったのは、行幸だったかもしれない。
「アリスよ。アリス・マーガトロイド。あなたの名前は知っているわ。ナイフを投げるのが趣味なメイドが教えてくれた」
他にも『動かない図書館』とかも言っていた。彼女はどうも出不精らしい。
「あの役立たずの猫のことね。おかげでネズミがのさばりすぎる。本棚の隙間がまた増えるわ」
猫もとい十六夜咲夜は、私が前回も前々回も本を持ち帰らなかったのが幸いし、そもそも排除しようという気が無いようだった。それどころか何を魔理沙に吹き込まれたか知らないが、今日私が訪れたのを喜んだ節さえあった気がした。
「大丈夫。全部無くなるってことはないわ。魔理沙の家はそんなに大きくないもの」
ほとんど反射でそうかえしていた。もう彼女との友好的な会話を望むのは、間違いなのかもしれないと思い始める。
「アリス・マーガトロイド。今すぐここから出て行きなさい」
「名乗った相手は丁重に扱わないといけないの。具体的には笑顔で対応」
「館そのものはともかく、ここにお客は必要ない。聞き分けのない部外者には、弾幕でもてなすことにしているの」
言葉通り、すでにその手にはスペルカードを握られていた。脅しではないようだった。
「そんな物騒なものは出さないで頂戴。心配しなくても帰るわ。門前と廊下で、今日はもう充分動いたもの。これ以上は、健康に悪い」
見つかった時点で帰るつもりだった。会話の間にも、上海が本をどんどん片づけていく。彼女はまだ何か言っているが、刺激しないように適当に相づちを打つことだけにとどめた。
「ありがとう上海」
残った数冊は自分で棚に戻すと、一仕事終えた上海を労ってやる。
「出口はあっち。人形遊びは家でやってちょうだい」
何となく、彼女の声がまた尖った気がした。早く出て行けということだろう。これ以上刺激するのはよくないのだろうが、なんとなくもうちょっとだけ話していたい気もする。
「あなたはどこかに出かけた方がいいんじゃない。健康的に」
「余計なお世話」
けれど、本当に弾幕り合いが始まる前に、私は大人しく引き下がる。
「それじゃあ、また」
それでもきっちり、再び見えることを宣言しておく。
「二度と来ないでちょうだい」
もちろん、その言葉は聞こえないふりをした。
そんな具合に、幾日が過ぎた。
「ロイヤルフ」
「せっかちね。それとも、それがあなたの寝起きの運動?」
朝は弱いのだろうか。今日は一段と不機嫌そうだった。
「人間でもないくせに早起きね。朝型を通りこして朝方だわ」
「人間はそれを早起きは三文の得と言って尊ぶらしいわ。大変な美徳だと、前に霊夢が言っていたわ。それから、もう朝食にも遅い時間よ」
つい口うるさく言ってしまう。蝶よ花よと育てられた私だが、それでも神綺様は躾にはそれなりに五月蠅い人、もとい神だったから。とはいえ他所は他所、家は家。彼女は不満そうに眉を寄せた。私は密やかに溜め息を吐くと、読んでいた、というより読もうとしていた本を棚に戻した。
「あら、引き際のいい」
「それが私の強みなの」
「そう…」
ちょっとした沈黙。
「私の朝食はこれからだけれど」
帰ろうとしたところに、声をかけられる。
「たまにはお茶でもどうかしら、アリス・マーガトロイド」
驚いた。いったいどういう風の吹き回しなのか。けれどちょうど喉も渇いていたし、私は素直に誘いにのろうとして、ふとあることが頭を過ぎり思いとどまった。
「結構よ。基本的に、口に入る物は貰わないことにしているの」
「別に一服もったりなんてしないけれど」
そんなことは考えもしなかったが、傷つけてしまっただろうか。
「気に障ったのなら謝るわ。幻想郷にはいろんな種族がいるから、貴女にとってなんでもないものでも、私には毒かもしれないと思っただけよ」
「ただの紅茶よ。人間用の」
宴会時でもそうだが、基本的に人間に合わせておけば、みんな食べられることになっている。だから彼女の出すというお茶は、私も飲めるものということなのだが……
「やっぱり、遠慮しておくわ」
「そう?」
考えてみれば私は招かるざる客。彼女も社交辞令で言っただけだろうし、私は自分の図々しさを窘める。本当に、魔理沙といると顔の面が厚くなっていけない。
「それじゃあ、また」
さよならの代わりに、私は毎度そう言い残す。
「二度と来ないでちょうだい」
だからさようならの代わりに、彼女もいつもそう返す。
私はそれを聞かなかったふりをして、その日も帰って行った。
【知らない知らない知らない】
その鬱蒼とした草の中に、ふと見慣れないものをアリスは見つけた。膝丈ほどの石で、その形から見るに、人の手が入っているだろう。自然にはないなめらかな曲線を描いている。
「唐草模様?」
彼女は何の構いもなく、蔓が生み出す曲線の中心、世界を抱き込む渦へと手を伸ばした。
――――――――かちりからり。最初の鍵が手の中に。
――――――――溺れるように眠りについて、夢から覚める夢をみる。
いつの間にか眠っていたらしく、頬に紙が触れる感触がある。まだ意識の定まらない頭をゆっくりと二回振って、アリスは椅子から立ち上がった。もう日の暮れる刻限なんだろう、窓の外は薄闇だった。本格的に夏が始まった今は、むしろこうなってからが長いのだが。風はなかった。その所為か少し暑い。眠っている間に体温が下がるのは人間だけではないが、今は夏だ。服は何ともないが、下着が汗で張り付いているのが気持ち悪かった。あるいは、うなされでもしたのかもしれない。眠る前より疲れている気さえした。
「うん」
気分転換に水を浴びることにした。七色の人形遣いことアリス・マーガトロイドには、悩みがないことになっている。
水を浴びながら、アリスは左の肩に触れた。考えるのは先ほどの夢のこと。かすかに残る欠片の記憶。思い出そうと意識の糸を手繰ると、ふっと何かの光景が浮かびかける。
夢の中で、その箇所を、……………切られた、そんな気がした。
けれど。
痛いとか、怖いとか、あるいは憎しみとか。
何故かそういったものは、無かった気がする。
ぴちゃんと。
一回に流れる水は終わったらしく、あとはただアリス自身から墜ちていく水が波紋を作る。煩わしい全てを振り払うように大きく深呼吸をする。乾いたタオルで身体を拭きながら、気分転換が失敗したことを悟った。
夕飯を作ろう。生きるために必要なことを思い出し、アリスはテーブルを片付けようと、先ほど広げていた資料を仕舞い込む。思いついたことを手当たり次第書いたメモ用紙をまとめ、次に図書館へ行くとき持っていく鞄に入れようとしたとき、その一部がひらりひらりと堕ちた。
そして。
拾おうと身をかがめたアリスの目に、それは飛び込んできたのだった。
「え…?」
その紙は先日買ってきた物で、書かれたことは全てアリスが先ほど考えていたことのはずだった。けれど。
「なに、これ?」
こんなの、知らない。
酷く古そうな時代の文字。
今となっては使われない単語。
見覚え無い文法に。
「わたしの字じゃ、ない」
それは寝ぼけて書いたものでは決してないほどしっかりとした筆力で。
どう見てもアリス・マーガトロイドが書いたものではない筆跡が。
何行も。
何行も。
ずらずらと、淀みなく。
何枚も。
語りかけるように。
続いていた。
――――――――かちりからり。最初の鍵が手の中に。
ずきりと。
左の肩が痛んだ。
夢の中と、同じように熱い。
アリスは震える手で、鏡の前で上着を脱ぐ。
さっきまでそこには、確かに何もなかったはずだと。
――――――――かちりからり。二番目の鍵が手の中に。
さっきまでそこには、確かに何もなかったはずだと。
信じて。信じていた。信じていたけれど。
「…なに、これ?」
それは蛇のようでもあって。
それは蔓のようでもあって。
絡み合う曲線の美しさは、どこか葉脈の、ようでもあった。
【からくさ】
魔理沙が近づいてくる。
私は気怠い身体を何とか起こし、服の乱れを確かめて、先ほどからさして時間がたってないことを安堵し、そして何でもないように出迎えた。その所有時間は七秒ほど。
「開いているわ」
「邪魔するぜ」
上機嫌な、彼女が笑う。
「ごきげんよう、魔理沙」
返すように、冷たすぎないけれど喜んでいるわけでもない笑みを浮かべ、私は魔理沙を招き入れる。そうしながら、これはどちらの意志なのだろうと考える。魔理沙をもてなすのは、ちょっと考えるだけなら私の意志のよう思える。けれど、もめ事を極端に避けたいと思っているのは『 』の方だ。それでも魔理沙と一緒にいたら楽しいという気持ちも、なんの無理もなく私の中にはあった。だからこれは、どちらの意志というのはもはやないのかもしれなかった。どちらにせよ傍からは、それは『アリス・マーガトロイド』の意志としか見えないのだから。
最初のうちは足下からぐらつくほど怖かったそれに、今は違和感すら沸かなかった。消え失せるようにか細い声に、絆されてしまったというのも勿論あるけれど。けれどきっと、私はわかっていた。もうすでに、事態は手遅れに近いことに。その頃私は、夜眠り朝目覚める度に、自分がどんどん覚束無い存在へとなっていくことに、ゆっくりと絶望していたのだ。そしてその日ようやっと事態が、私以外が、動きだしてくれたのだった。
「アリス」
心なし、聞き慣れたものより硬い声で魔理沙が私の言葉を遮る。
「え、なに?」
けれどからっとした軽い笑みを浮かべて、彼女は言った。
「今から、ちょっといいか?」
「外に出るってこと?夕飯の準備に間に合うならいいけど」
窓を見ると、木々の合間を縫って西日が差している。とはいえ夏はこの時間帯こそが長い。
「大丈夫だ。そんなにかからないし」
行こうぜ、と相手の都合など気にしないかのように。私の腕を掴み、笑顔の彼女は有無は言わせないというように。
応える声は、果たしてどちらの心のものだったのだろう。
「いいわ。ちょうど暇を持て余していたところよ」
森の東のはずれ。崖が続くその場所に、件の洞窟はあった。
「ここに何かあるの?キノコなら私は使わないわよ」
「それぐらい知ってるさ。まぁいいから、ついて来いよ」
薄暗い中を歩いていく。ぴちゃん、ぴちゃんと。水のしたたる音が断続的に響いている。
「涼しいわね」
「だから、氷を探しに来たとき見つけたんだ。よし、ここだな」
特殊な紋で付けた印を灯りで確認すると、魔理沙は手元の火を消した。辺りは一瞬で何も見えなく――――ならなかった。
それは、暗くなって初めて現れる。
「何これ!光る石の道?」
現れたのはあおく淡く発光する通路だった。珍しく目を輝かせてはしゃぐ私に、魔理沙は満足そうに笑顔を浮かべた。宝物を自慢するように、私の腕をぐいぐい引いて先を急かす。前はそういう強引なところが好きになれなかったが、今はもう気にならない。それに魔理沙がそうしなければ、私が魔理沙を押してでも先を急がせたに違いない。それくらい、私はひさびさに興奮していたのだ。
「で、この道をずっと歩いて行くとだな」
先ほどより狭くなった道を、頭上に注意を払いながら進んでいくと、すぐに大きな扉が見えてきた。それは金属のような見るからに重たそうな素材で出来ており、唐草のような文様が緻密に描かれている。そのアールヌーボー調の曲線の合間を縫うように埋め込まれた宝石が、再び点した灯りを受けて、色とりどりに輝いた。
この向こうがただの空間であるとはとうてい思えない。そんな期待感を持たずにはいられない姿をしていた。
「が、開け方がわからないんだよな」
こんこん、と。悔しそうに扉を叩いて魔理沙は言う。ちらりと隣にいる私を見ながら。そこで意を得た。大胆不敵に笑ってやる。
「OK、手伝うわ」
にやり、と魔理沙も笑い返す。
「さすがアリスだ。そうこなくっちゃな」
魔法使い魂に、火のついた瞬間だった。
そう、これは間違いなく魔術の領域だ。こんな手の込んだ仕掛けを前にして、熱くならなきゃ魔法使いじゃない。加えて、厳重な封印をする必要があるお宝が、あるかもしれないというこの状況。魔法使いであり蒐集家でもある二人は、最高に良い笑みを浮かべ互いを見た。
「言っておくが、私が七でアリスが三な」
「今回だけは、そういうことにしといたあげる」
握ったこぶし同士を軽くあわせて、契約終了。こう言ったからには魔理沙は約束を破らないし、私も当然そんなことはしない。
終わりかけの夏だというのに、私たち二人の周りだけは熱かった。
魔理沙が笑い、
私も笑った。
そうせずにはいられなかった。
だって『私』はようやっと、ソレに出会うことができたのだから。
――――――――かちりからり。三番目の鍵が手の中に。
【マーガトロイド】
溺れるように眠りについて、夢から覚める夢をみる。
ここではないどこか。
誰でもない私。
夢のような記憶。
それは始まりにして終わりの歌。
血の匂い。
誰かの悲鳴。
とても大切な何かをなくした記憶。
もう誰も語れなくなってしまった物語。
血のにおい。血の匂い。
とても大切な何かをなくした記憶。
『 』
あれは、誰の言葉だったのか。
溺れるように眠りについて、夢から覚める夢をみる。
“アリス・マーガトロイド”
「起きなさいアリス・マーガトロイド」
何だか優しい声を聞いて、私の意識は浮上する。
今回は随分深く潜っていたようで、いつもはすぐ戻る現実感が、未だ遠いあちらに握られたままだ。
「…ここは?」
目の前の彼女は、何故だかひどく柔らかい目をしていた。それがいつもの彼女とはあんまりにもかけ離れていたものだから。
意識ははっきりとしていくと同時に、すぅっと生あたたかいような冷たいようなものが、背を撫でていった。
「おはよう…とこの場合も言うべきかしら。ここは吸血鬼の館だものね」
いつになく楽しそうに彼女は、パチュリー・ノーレッジは言った。言ってくれた。
「……油断したわ」
だいたい何でよりによって、ここ(図書館)で始まってしまったのだろう。…ああ。
「昨日は、徹夜明けだったから」
唇が、勝手に応えた気がした。
けれど彼女は気にした風もなく、肩を竦めた。それはいつも私がよくやる癖で、ようは私をからかっているのだろう。それが少し面白くない。
――――――――でもそれは、貴女を見てくれてるってことでもありますね
不意に声が割り込んでくる。耳にではなく、私の意識の中に。もう慣れたもので、それがどれほど唐突でも私は驚かない。何故ならそれは、もはや自然なことだったから。それに『 』はまだ自分が何者であるか完全にはわかっていない所為で、私の心にほとんど埋没している。言ってみれば、『 』は突然出来た、第二の私と言えなくもないほど曖昧な存在。自分の声に驚く存在などいるだろうか。いたとしても少なくとも私はそうではなかった。私は声に返さないことにして、立ち上がった。潜ったあとはいつも気怠い感じがするけれど、それを悟らせてはいろいろ面倒だ。努めて何でもないふりをする。
「それじゃあ、また」
彼女の返事が無かったことに、少しだけさみしい気がした。
すぐに忘れて、しまったけれど。
【彼女だけが気づいている】
――――――――かちりからり。四番目の鍵が手の中に。
「あの門番だけどね」
「門番?美鈴のことかしら」
「ああ。そんな名前だったのね」
――――――――そうでした。そう名付けました
内なる声が、音にならない相づちを打つ。
「正しくは紅美鈴。くれないに、美しい鈴と書いて紅美鈴」
「漢字表記なのね。とても綺麗な名前だわ」
――――――――あらゆる言語の中で、それが一番似合うと思ったので
「もう少し気をつけて見てあげなさい。だいぶ揺らいでいるわよ」
――――――――見たところすでに時間の問題ですね
少し声が煩いな。そう私が強く思うと、『 』は静かになった。
「面倒そうな顔をして、冷たいのね」
「あれはレミィのだもの」
「レミィ?ああ、レミリア・スカーレットのことね。そう呼ぶと、とたん可愛く聞こえるから不思議だわ」
私は彼女が苦手だが。
――――――――かちりからり。四番目の鍵が手の中に。
予感がする。兆しを感じる。紅美鈴。この名前を覚えていよう。だってもう少しだから。『 』が揃いきるまであと少し。それはつまり、どういうことだろう。
それはね、と『 』が答えようとする。けれど『 』はまだ足りていないから、『 』も答えることが出来ない。今は返らない答えを聞くのが怖い私は、その声を振り払うように彼女に言った。なんとなく、これ以上この場にいることが、よくない気もしていた。
それは、誰の意志なのだろう。
「それじゃ」
「待って」
けれど引き留められる。
「たまにはお茶でもどうかしら、アリス・マーガトロイド」
いつかの言葉を、彼女はなぞるように言う。だから私もいつかの返事を、なぞろうとしたのだけれど。彼女のどこか傷ついたような眼に、首を振るのが精一杯だった。
「『基本的に、口に入る物は貰わないことにしているの』だったかしら?」
前回とは、まるで重みが違う誘い。
「ええそうよ。それに、夕飯の準備もあるし」
それを私は断った。
「そう」
彼女は視線を落とした。
傷つけたことに傷ついたから、私はそこでようやく自分が、その誘いを受けたかった事に気がついた。
それは、初めて『 』が、私の気持ちに逆らった瞬間だったのだ。
全て揃ったら前作から読み直したいですね。
残りはあと少し?楽しみにしています。
ああ完成形が楽しみどんな絵柄になるかしら
じりじりした緊張感を持ちながらも、優しかったり寂しかったりさわやかだったりで、適度に緊張が緩むのが読み疲れなくて良いですね。
しかし今回は「魔界の神は省エネ思考だった。」でおもいっきり吹いてしまいました。
二つでもない。
三つでもない。
四つでもない。
だが一つだけ。
始まりはそこ。
単純に捻くれ者で申し訳ない。
それでいて目新しく読めるのだから素晴らしい。
誤字報告 行幸→僥倖
別に粗探ししてるわけでもないけど見つけてしまう。