[Soul]
「急に意識が遠くなって目が覚めたと思ったらこれだぜ? 虐待だよなー。俺がこんな目にあわされる理由なんて全くないよなー。ったくそんなだから魔法使いってヤツは嫌われるんだぜ? 自分勝手だわ人の話は聞かないわ暴力的だわもう最悪極まりない。人に迷惑かけないような生き方を勉強するためにまずは接客業を1年間くらい経験してみることをお勧めする」
「……」
自分に危害が及ぶことがないとわかった途端それから飛び出してくる暴言の数々に、アリスは頭を抱え込む。
確かにアリスの側に一方的に非があるとはいえ、初対面の相手に生き方まで否定される言われはない。いや、正確には、対面すらしていないのに。
ある程度自分で動くだけではなく、言葉も話せる人形を求めて実験をしていたはずだった。確かに目の前のこの可愛らしいフランス人形は、今こうしてちゃんと言葉を話している。ただ、見た目と言葉のあまりのギャップが気持ち悪いという問題点があるだけで。
要するに、実験の失敗だった。どこかの人間の魂をそのまま引き抜いてきてしまったらしい。死人ではなく、現在進行形で生きている人間の。
「あーあー今頃俺が急に倒れて起きなくなってるから騒ぎになってるんだろうなー。俺が働いていないぶんの損害賠償は誰がしてくれるのかなー」
「だからっ! ごめんなさいって何度も言ってるでしょう!? すぐに送り返すって言ってるのにあなたが拒んでるんじゃないのっ」
「だってせっかくだからこの貴重な体験をもっと楽しんでみたいし」
「楽しんでるんじゃないの!」
「それはそれだ。俺はこの状況を頼んだ覚えはないからお前は偉そうなことは言えないだろ。せいぜい楽しませてもらうのは僅かばかりの対価ってところだな」
「くっ……」
ただの人間相手にここまでなめられるとは。
なんて屈辱。
だが、人形を殴り飛ばしたり、引き裂いたりしたとしても、人形が壊れるというだけで、人間にはなんらダメージを与えることができない。……不覚にも、そんな説明をしてしまったことが、この人間をここまで付け上がらせる結果になってしまった。
「ったく、こんな少女趣味丸出しの人形ばっかり集めてるんじゃねーって。気持ち悪い。ほんと魔法使いってヤツは――」
「あなたの魂を永久にどこにも返さないなんてことはできるのよ」
ぴた。
止まる事なく悪態を吐き続ける人形の言葉が、瞬時に止まった。
人形なので表情は変わらないが、なんとなくオーラが変わったような気がする。
「……何の罪もない、ただ巻き込まれただけの可哀想な人間に、そこまでの仕打ちはしない、よな?」
「あら。魔法使いが、たかが人間一人の命を惜しむと思う? 力のないただの人間が命を捧げるだけで魔法の研究に貢献できるということを、あなたは光栄に思うべきだわ」
しん、と静まり返る、広いアリスの家の居間。
久しぶりに訪れた静寂だった。静寂は実に心地いい――そう思いながら、アリスはくすくすと小さく笑ってみせた。
人形は、アリスの顔を見上げて、何度かの躊躇の後、口を開いた。
「一つ、言わせてくれ」
「何かしら?」
「調子に乗ってすみませんでした」
「よろしい」
早いうちに上下関係をはっきりさせること。ペットを飼うときの原則だ。
たかが人間一人の命を――というのは、アリスの本心ではない。アリスは、自分と同じ姿をしたこの生き物の生活を奪う権利は自分にはないと思っている。だが、アリスが口にしたような考え方をする魔法使いもいないわけではなく、むしろ、魔法使いとしてはアリスのほうが少数派だと言ってまず間違いはない。大きな研究を遂行するために何十人もの人間を平然と虐殺するような魔法使いだって、史実として存在する。
魔法使いが嫌われるのは当然のことであって、何の前触れもなくいきなり魔法の実験に巻き込まれたこの人間が、アリスに悪態をつくのは無理もないことだ。普通の人間はそうする度胸がないというだけで、この人間でなかったとしても気持ちとしては同じだっただろう。
実際のところ、ここまで脅さなければいけないほど怒っていたわけではない。ただ、今後この人間がどこかの別の魔法使いに相対したときに間違って同じような態度を取ってしまわないように教育した、という意味合いが強い。半分は、ごめんなさいと言わせてすっきりしたかったということももちろんあるが。
ともあれ、第一波は過ぎ去った。思い切り可愛らしく作った人形が男の声で喋るというのはかなり嫌なものがあったが、結局それもすぐに慣れてしまうのだった。
さて、人形は喋ることはできるが、それ以外は何もできないようだ。
普通の人間の魂だ。いきなり人形の体に乗り移ったからといって自由自在に体を動かすなんて芸当は無理だろう。
「ええと、もしご迷惑でなければ魔法使いの家というものを見学してみたいです」
「……ごめん。いまさらそんな口調で喋られても逆に気持ち悪いから、普通でいいわ。あんまり余計なこと言わない限りは私も別に怒らないから」
「……本当に?」
「うん」
「よしきた。というわけで魔法使いの生態を研究したいから余すところなく見せてくれたまえ」
「やっぱムカつくわねあんた」
「地だ」
「ま、いいけど。別に見て面白いものなんてないわよ」
「面白いかどうかは俺が決める! っつーかさ」
「ん?」
ひょい、と人形を持ち上げて、とりあえず前で片手で抱えてみる。どんな持ち方をしようと人間が痛みを感じることはないが、あまり変だと不快感があるだろうし、人形の体を傷めるわけにもいかない。結局普段どおりの持ち方を選ぶ。
「本当にいいのか? ただの人間に魔法使いの家を見せたりして。とても人様には見せられないような機密が満載なんじゃねー? あれ、俺もしかして最後に『楽しんだかしら。冥土の土産には十分でしょ。ぐさっ』てなるパターンにハマってる?」
「ないない。機密はもちろんあるけど、さすがにそんなとこを見せるつもりはないわよ。それに言っておくけど、私は暗い怖いだけの魔法なんて興味はないわ。魔法は美しくないとね」
「ふーん。ま、いいや。ささっと案内するがいい」
「あなた人の神経を逆なでする天才だとか言われたことない?」
「ある!」
「威張るな!」
別に、本当に見ず知らずの人間のために部屋を案内する義理はないわけだが、そこは一応、アリスなりの罪滅ぼしのつもりだった。
「はい、キッチン」
「……」
普段滅多に客など来ないから、自分が全力を込めてデザインしたインテリアをこうして自慢できることが嬉しい、というのも本音。
「何よいきなり黙って」
「……普通だ」
「普通よ?」
「馬鹿な! 魔法使いの食事といったらまず爬虫類だろ!? どこにもトカゲの干し物がないとかどういうことだ! あと薬草! そしておでん!」
「おでん?」
「ぽいもの。ほら、あれだ、あれ。百年以上前から煮込んでます、みたいな謎の液体が壷の中にあってさ」
「どーも。だいたいあなたの魔法使いのイメージはわかってきたわ。教科書でそうやって教えてるの?」
「うむ。誰でもそう習う。俺が保証するから間違いない」
「世界で一番あてにならない保証のような気がするわ」
アリスは、こっそりとため息をつく。
人間が魔法使いというものをどう思っているか。だいたいは知ってはいたが、やはりなかなかに酷いもののようだ。必ずしも完全に間違いとは言えないわけだが。彼の言う光景は、食事ではなく実験のものだろう。
「ん。そういや、あなたの名前も聞いてなかったわね。いまさらだけど」
「魔法使いに名乗る名前などない! なんか呪われそうで怖いし」
「私はアリスよ。よろしく、名無しさん」
「……早くも俺のペースに順応しつつあるお前が憎い。くそう」
本当に悔しそうな声音で言う、人形。
魔法使いをずいぶんと嫌っている割には、ずいぶんと豪胆だ。アリスが彼の命を握っている状況は変わらないというのに、普通に友達のような感覚で話しかけてきている。
呪われそうだから魔法使いに本名は教えない、というのも、正しい。本名というのはそれだけ重いものだということを、彼は認識しているようだ。世の中には、危険を避けるため、ごく一部の親族以外には誰にも本名を教えないままずっと生きている者もいる。
「俺は、そうだな。祐だ。祐様と呼んでくれて構わないぜ」
「祐ね。呼びやすくていいわね」
「祐様だ」
「そうそう、やろうと思えば寿命を少しずつ削っていく、なんてこともできるのよね。私そういうの得意だから」
「ごめんなさい」
つくづく、懲りない男だった。
さて、キッチンにずっと閉じこもっていても仕方ないだろう。次はどこにするか。
「ああ。ちなみに、食事もごく普通だから。今朝はフレンチトーストにサラダね」
「なるほど、魔法使いはやはり洋食派か」
「いやそういうわけでも。私の知ってるもう一人の魔法使いは普通に和食だし」
「ん? 魔法使い同士で交流があるのか? 魔法使いってのは自分以外の同類はみんな敵で常に牽制しあったり呪いあったりしてるって聞いてるが」
「なんかあなた、中途半端に魔法使いに詳しいわね……いいけど。別に、普通に友達よ。そりゃ、資源の取り合いになったり、たまに敵対することになったりもするけど」
「そか……マジで、普通だな」
少し、声のボリュームが落ちる。
想像していた魔法使い像とのギャップが大きくて戸惑っているのだろう。あるいは、面白くないと思っているだけかもしれない。
「魔法使いにも色々いるからね。仕事が多少異質なくらいで、普通の人間と何も変わらない魔法使いだっているわ」
「魔法使いといえど人間、てことか」
「――」
何気なく言った一言だったのだろう。
アリスは一瞬戸惑うが、わざわざその言葉を否定する必要はないと気づいて、あえて何も言わないでおくことにした。普通の人間にとってみれば、魔法使いである時点で、種族として人間であるかどうかなど大して意味はないだろうから。
「さて。どこか見てみたいところはある?」
「実験とかしてるところ」
「却下」
普通の人間が見たところで何か理解できるわけでもないだろうが、それならば見せても大丈夫かといえばもちろんそんなことはない。機密はしっかりと保持しなければならないのだ。どんな状況であろうと。
「や、やっぱり、骸骨とか転がってたりするのか? ピアノが勝手に鳴り出すのか? 階段が上りと下りで段数が違うのか!?」
「……まあ、やろうと思えばできるけど」
「そういうのが見てみたい」
「駄目。そんな遊びのために無闇に魔法は使えないわ。――ああ、魔理沙なら喜んでやりそうだけど」
「マリサ?」
「あー。ま。いっか。派手に色々やってる子だし、今更一人の人間に勝手に名前出しちゃったことくらい、気にしないでしょ」
「何言ってるんだ」
「ひとりごと。魔理沙は私の……友達。うん、友達。どうせならあなた、あっちのほうに現れればよかったのにね。あいつなら面白いものいっぱい見せてくれるんじゃないかしら」
「変な名前だな。そいつも魔法使いなのか? それに、やっぱりお前みたいな……まあ、可愛い部類に入るような女の子なのか?」
「……今、恥ずかしいこと言ったわねえ」
「ぐ」
ぽん、と人形の頭を叩く。
まあ、気分は悪くはない。アリスはこっそりと微笑んで、言葉を続ける。
「やっぱり魔法使いでも可愛ければよし?」
「……」
ちょっと意地悪のつもりで聞いてみた。
即座に慌てた否定の言葉がかえってくるだろうと予想していたのだが、結果は、予想外の沈黙が返ってきた。
表情が分からないのが寂しいところだ。何を考えているのか、わからない。
「……魔法使いでも、やっぱり人並みに誰かと愛し合って、結婚もして、子供ができたりもするんだよな。普通に」
「え」
ようやくそこから出てきた言葉は、数段先まで進んだ内容だった。
何のつもりだ、と思ったが、声が意外に真剣なので、アリスも反射的な言葉は返さず、少し考えてから口を開く。
「ま、そうね。歴史的にはまともな恋愛結婚といえるものはあんまりないかもしれないけど……最近だと、本当に普通なのも珍しくはないんじゃないかしら」
「そうか」
そんな相槌で、また、言葉が消える。
いったい何を思っているのか。
アリスにしてみれば、それこそ魔法を使えばこの人間の心を読むこともできる。何故だか今の祐の言葉が妙に気になる。
気になるのは、祐の、魔法使いに対するこだわりだ。ただ学校で魔法使いは怖い存在だと習ってきたというだけではない。決して。間違いなく彼は、個人的に魔法使いというものを調べたことがある。偏見が多いとはいえ、必ずしも間違いばかりの知識でもない。
「あなた――」
『おーーーーい。アリスいるかー!』
アリスが口を開いたと同時に、遠慮のない大声が遠くから部屋まで響き渡った。
見事にタイミングをずらされて、がくりと頭を落とす。
「客か?」
「そうね。噂の彼女よ。ちょうどよかったじゃない、可愛いかどうかは自分の目で確かめてみたら?」
「ち。突っついてくるなあ、くそう。なんだ、でも、あれだな。魔法使いなんだから瞬間移動でいきなり部屋の中に現れるとかじゃないのか。がっかりだぜ」
「それができたらもう魔法の領域じゃないわね。擬似的に同じようなことはできなくもないけど――」
『いないのかー? とりあえずいてもいなくても物資調達は強行ー』
「はいはい、いるわよー! 大人しくしてなさい!」
会話を中断して、玄関からの声に叫び返す。
用件ははっきりと伝わった。また何か奪いに来たようだ。ふう、とため息をつく。
「じゃ、迎えに行くから。せっかくだからあなたも連れて行くわ。なんか、結構気があいそうだし」
「安心していい相手か?」
「わ。怖がってる? ま、大丈夫よ。私よりは確実に凶暴だけど、あんまり酷いことはしない子だから」
「ふん」
アリスは人形を抱えて玄関に小走りで向かう。あまり遅くなるとドアを破って入ってくることも考えなければならない。
玄関のドアを開けると、いつもの格好をした魔理沙が、よ、と軽く手を挙げた。
「りっ……!?」
人間が、叫んだ。何かを叫びかけて、止めた。
「?」
「ん?」
アリスと魔理沙の視線が、同時に人形に向かう。視線の意味はそれぞれに異なっていたが。
「今、その人形が喋った……よな? 姿に見合わず太い声で」
魔理沙の疑問はそのままストレートなものだった。
「ええ。ちょっと実験のミスでね。どこかの人間の魂が入っちゃった。ちょっと面白いからしばらくこのままにして遊んでるの。害はないから心配しなくていいわ」
「面白いって……悪趣味だなあ。すぐ返してやれよ」
「本人がしばらく遊びたいって言ってるのよ。ねえ?」
人形に確認するように問いかける。
人形に、反応はない。
「……おーい。無視? ゆうー。ゆうゆうー?」
「人見知りなんじゃないか?」
「さっきまで初対面の私に暴言を浴びせまくってた子なんだけど」
ぺちぺち。人形を叩いてみる。反応はない。
もともと喋るというだけで体の動きはなかったから、どうにも状況がわかりにくい。魂はまだそこにあることは確認できる。ただ、黙っているだけだ。
「何よ。さっきまであんなに喋ってたくせに。魔理沙が可愛い子かどうか期待してたくせに」
「何の話してたんだ、おまえら……」
「色々とね。魔法使いについて言いたいことがいっぱいあるみたいだから、魔理沙と話させてみるのも面白いかなあって思ったんだけど」
「全部アリスの妄想だったんじゃないか?」
「違うわよ! ……んもう、なんで黙ってるのかしら」
「ま、いいや。それよりさくっと貰うもんだけ貰ってくぜ」
「具体的に何よ」
「魔力結晶の粉、リン酸緩衝液、アルコール、紙、肉、野菜、現金」
「後半は自分でなんとかしなさい!」
どこまでが本気かわからないが、一応しっかりとツッコミは入れておく。
その間、ぐりぐりと人形の頭を弄り続けて反応を待つ。何の効果もないことは承知だが、どうにもいきなり黙られると気持ちよくないのだ。
結局、魔理沙が適当にモノを物色して、アリスが一応何をどれだけ渡したかの書類を書いてサインさせて、魔理沙がいちいち面倒だと文句を言いつつもちゃんとサインはして、いっぱいになった鞄を持って帰っていくまでの間、人間は一言も喋らなかった。
「結局魔理沙とは全然話してないじゃない。……ちょっと祐、いいかげん何か」
「マリサってのは、そういうあだ名なのか?」
「わ。な、なによ、やっぱり普通に喋るんじゃないの」
魔理沙が帰った途端に、長い沈黙を破って、人間は口を開いた。
しかも、よくわからないことを言い出した。
「あだ名って……いえ、本名かどうかは知らないけど、みんな普通に魔理沙って呼ぶわよ?」
「あいつも、魔法使いなのか?」
「最初からそう言ってるでしょ。……なによ、ほんと。さっきからおかしいわね。何、まさか、魔理沙に一目惚れでもした?」
「……そんなんじゃねーよ」
静かに否定する祐。
表情が読めなくても、声の色からだけでも、何か裏で考え事をしながら話しているのがわかる。
アリスは一度ため息を吐いて、人形をテーブルの上においてから、ソファに腰掛ける。
「訳ありね。声を聞かれたくなかったということは、知り合いかしら?」
適当に、思いついたことを言ってみる。
返事はない。返事がないということは、肯定だ。どうやら読みは当たっていたようだ、とアリスは落ち着いて分析する。
「ここは、どこなんだ。あいつも近くに住んでいるのか」
「ちょっとくらい景色は見えたでしょ。見ての通り、森の中。場所を知ったところで、普通の人間には絶対にたどり着けない場所よ」
「それでもいい。できるなら、簡単にでも地図を書いてくれると助かる」
「お断りね。あなたに家の場所まで教える義理は何もないわ」
アリスの当然の言葉の後、また、しばらくの沈黙。
ここはじっくりと次の言葉を待つ。事情は飲み込めないが、興味がないといえば嘘になる。
「……あいつと、話がしたいんだ」
「だったら、さっき話せばよかったじゃない。黙っていたのはあなたでしょ」
「違う! こんな姿じゃなくて、ちゃんと会って話がしたいんだ」
「その言葉は、あなたが魔理沙に直接言わなければ意味がないわ。私に対面を許可する権利はないもの」
「くそっ……だったら、俺の体をここまで連れてきてくれ。途中は目隠しでもなんでもすればいい。一度話ができればいいんだ。そしたらまた……もとの場所に戻してくれれば、俺は二度とここにくることはできない」
「あのね。あなたが魔理沙の命を狙ってる暗殺者じゃないって保証はどこにもないのよ。誰だかわからないのにわざわざ会わせるわけがないじゃない」
「馬鹿な! 俺は絶対にあいつを傷つけたりはしない……つもりだ。頼む。この機会が巡ってきたのは奇跡なんだ。逃したくはない」
声は、だんだん必死になってきている。話がしたいというのはかなり強い本心なのだろう。よく、魔理沙本人の前では黙っていられたものだと思う。
「信じてくれ」
表情は見えなくても、心から懇願していることがわかる声。
ただごとではない。一体、ただの人間と魔理沙の間に何があるというのか。
「嫌よ」
「……なんで……!」
「事情も話してくれないのに、何を信じろっていうの? 私はあなたが魔理沙の何なのかも知らないのに」
「く……何、ってほどでもない。俺はあいつを知っているし、あいつは俺を知っている……覚えている、はずだ。俺は、ただ、謝りたいだけなんだ」
「その話が聞きたいわね」
「……あまり、話したくはないんだ」
「じゃ、勝手に聞かせてもらうぶんには問題ないかしら?」
「え――」
[Past Days....]
女の子が泣いているのを見過ごすわけにはいかない。
俺じゃなくても、普通は誰だってそうだろう。
泣きじゃくっているというほどではなく、俯いて立ち尽くしている、という様子だった。泣いているのは、時折ぽたりと地面に落ちる雫からわかった。このあたりでは非常に珍しい金色の長い髪をした、まだ小さな小さな女の子だった。俺より一回りは下、というところだと思った。
正義感のようなものでもあり、そして、その子を慰めてかっこいいところを見せたいという欲でもあったが、とにかく俺はその女の子に声をかけた。
「どうしたんだ?」
俺の声に、女の子は顔を上げた。
……とんでもなく、可愛かった。びっくりした。本気で心臓が止まりそうになった。
その可愛い顔が、何故か、俺を睨みつけていた。
「な、なんだよ……」
いきなり睨みつけられたことよりも、ただ、一瞬にして自分の顔が熱くなっていくのを感じて戸惑った。
「……ここ、どこ」
「え?」
女の子の第一声は、単刀直入な質問だった。
泣いている割には、しっかりした声だった。耳までまっすぐに届くようだった。
「どこ?」
「あ、ああ。二番商店街だけど――ああ、迷子、か?」
「……」
女の子は目を閉じる。涙がこぼれだしてくる。
肯定、なのだろう。なんとなく、そう感じた。
「お父さんが、いなくなっちゃった」
「はぐれたんだな?」
「猫さんも、いなくなっちゃった」
「……あん?」
「お父さんの足が遅いのが悪い」
「……えー……ご、ごめん。よくわからない」
「ばか」
「な……なんだとう!?」
叫ぶと、女の子はびくっと震えて小さくなる。ぎゅっと目を閉じて固まる。
ぽろり、また涙が落ちる。
「……お、おい、これくらいで泣くなって……お俺が悪いみたい、じゃん……」
人通りもあるのに。あんまりこの状態が長く続くとよろしくなさそうだと判断して、俺はとりあえず近くの店の陰に引っ張りこんだ。
女の子の話はその後もしばらく何がなんだかの状態だったが、要するにお父さんと一緒にいたところ、猫が通りかかったのを見つけて、人通りをかきわけて追いかけて来たが結局猫は見つからず、ついでにお父さんの姿も見えなくなった、ということ、らしい。ということを理解するまで10分くらいかかった。
とりあえず、別れた場所まで戻るのが一番無難なのではないだろうかと考えた。
「その、猫を見つけた場所は、どんなところだったか覚えてるか?」
「人が多かった。邪魔だった」
「……他に」
「わからない」
「じゃ、じゃあさ。何か買ったとか、ないか?」
「んぅー……」
女の子は目を閉じて、思い出そうとする。5秒ほど。
そして、ずい、と右腕を突き出した。
腕には木を編んで作った腕輪がはめられていた。俺はそれを見て、驚いた。
「それ……うちのだ! 間違いないよ、これ、俺が編んだ奴! 売れたのかー……!」
じーん。
思わず感動でしばらく天使の幻影を見てしまった。
「うちの店にくればいいんだな! ということだな!」
「店……?」
「とりあえず行こうぜ。ずっとこんなところにいるよりは見つかりやすい、と、思う」
「ん」
「はぐれるなよ」
ぐい、と腕を掴んで歩き出す。
女の子は、特に抵抗することもなく、俺について歩き始めた。
「俺、祐ってんだ。おまえの名前は?」
「理沙」
「りさ? 可愛い名前だなあ」
「……」
……少し、赤くなった。
悶絶するくらい可愛かった。
「あ、名字もいいかな? そのほうが親も探しやすいし」
「霧雨」
「きりさめ、と。……聞いたことないなあ。このへんの家じゃないのかな?」
「うん」
「だろうなあ。そんな髪、ここらじゃ見たことないし」
俺の店は、そこからそんなに遠いところではなかった。
本来の用事、食料品の買出しだけは忘れずにすぐに済ませて、帰路に着く。
「ほらここだ。ここで買ったんだろ?」
「あ! うん。ここ」
少し、表情が明るくなった。見覚えがある場所に戻ってきたというだけでも安心できるのだろう。
「よし、じゃ、ちょっと待ってろ。適当にそのへんのものを見て回っててくれ。店から出るなよ?」
「うん」
俺は買い物したものだけ片付けてくるため、奥に入る。誰もいない店番場所を抜けて、のれんの向こうへ。
「ただいまー!」
「おう、お疲れ。さっそくで悪いが、ここの不良品の――」
「ごめん! 今ちょっと迷子の子を連れてるんだ。親を見つけてあげないと」
「おう?」
次の仕事が渡されそうになるのを制して、作業を続ける親父に向かって言う。何か突発の仕事が入ると店番よりも裏方仕事を優先する親父なので、よく店は空になっている。今もそうだった。
「迷子だって? お前でなんとかなるのか」
「なんとかする! あ、親父、霧雨って名字は知ってるか?」
「霧雨? このへんじゃ聞かないが……いやどこかで聞いたような……?」
「そか。ま、なんとかしてくる!」
「うい。頑張って来い」
許可も下りたところで、再び店内へ。
理沙は、店内をうろうろと歩いていた。色んなものをぼーっと眺めているという感じだ。
「お待たせ! どうだ、なんか面白いもの見つけたか?」
「全部、面白い」
「おお。そうかそうか。嬉しいぜ。ついでに何か買ってってくれるとなお嬉しいけどな!」
「無理」
「……あ、ああ、うん、お金がないって意味、だよな……うん」
俺の顔を見るそぶりもなく、きょろきょろと店内のものを見て回っている。
いったい何に興味があるのか、これではわからない。本当に言葉どおり何でも面白いと思っているのか、実はどれにもあまり興味がないのか。
読めない。読めないが、ともあれもう泣いてたときのような辛そうな表情は見せていないのが安心できる。
理沙の後姿を、じっと眺める。小さい体が、ちょこちょこと動き回る。
「……綺麗な髪だなあ……」
「ん」
「あっ……い、いや、なんでもない。独り言だ」
思ったことがそのまま口に出ていた。
振り向いた理沙が、俺の目を少し見つめたあと、ふいっとまた後ろを向いた。
「……ありがと」
「え?」
「……」
微妙に、お礼が聞こえたような気がした。が、棚の向こう側に行ってしまったのでもう確認できない。
とりあえず、俺もあとに続いて向こう側へ。
理沙は今度は髪飾りのコーナーを見ていた。……さっき、髪の話題を出したから……というわけではない、だろう。たぶん。偶然だろう。
「あ」
俺は唐突に思いつく。
理沙のいる棚の隣から、一番大きな白いリボンを取り出す。
「りさ」
「?」
名前を呼ぶと、理沙は俺を見上げた。
「ちょっと、後ろ向いてくれるか?」
「ん……」
理沙が背中を向ける。長い美しい金色の髪が、宙を舞う。
その髪を傷つけないように柔らかく捕まえて、素早く、白いリボンを巻く。頭の上で結ぶ。
上手く出来た。いつかこんな機会がやってこないかと、密かに練習していたのだ。実際に女の子にするのは初めてだったが、ごく自然に、いかにもこんなことくらい慣れてます、というように出来た、はずだ。
「こっち向いて」
くるり。理沙が、速い動作で振り向く。
また髪がふわりと舞う。見上げる顔の上に、白い大きなリボン。
「……うっわ……」
思わず反射的に、顔を手で覆ってしまった。
視線を横にずらす。
理沙は、俺の反応を見て、むっと眉を顰めた。
「嫌な反応」
「……い、いや、違うんだ……やばい。似合いすぎる。すっげ……すげ、可愛い……危険だ……」
「へ……」
「ああああくそう、落ち着け俺」
まともに直視していると、心臓が骨も皮膚も突き破って飛び出してしまいそうだった。
音がはっきり聞こえるほどの脈動が激しくなっていく。このまま、倒れてしまいそうなくらいに。生まれてきて初めての衝撃だったかもしれない。
「可愛い……?」
「ああそうだよ! めちゃくちゃ可愛いんだよ! 似合ってそうだなと思ったからやったけど……これは、く……」
俺の言葉もよくわからなくなっていく。
理沙はしばらく目を丸くしていたが、俺のこの病気が伝染したかのように、急激に赤くなっていった。
「ぅ」
目を伏せる。
その仕草がますます……こう。危険だった。
「そ、そいつはサービスだ。もうそのリボンは他の誰にもつけられないからな! りさだけのものだ!」
「……いいの?」
「気にすんなっ……そ、それよりそろそろ、ほら、あれだ、親、捜さないとな! 店の中にいたら見つかるものも見つからなくなっちまうぜ!」
「ぁ……うん」
言うと、俺より先に理沙が店を飛び出した。
俺は後姿を眺めながら、とにかく落ち着けと、深呼吸を繰り返す。
結局全然落ち着かなくて、店を出るまで1分以上かかってしまったが、理沙は俺のことを振り向くことはなかった。
その後、店の前で理沙のお父さんと無事出会うことができた。
理沙の風貌からして、西洋貴族みたいな人なんだろうかと勝手に想像していたが、大はずれだった。一言で言うなら、修行僧みたいな人だった。それも、かなり武術寄りの。腕の筋肉や傷などを見る限り、ごく平和な暮らしをしている人間には見えなかった。
でも声は優しくて、理沙を預かってくれてありがとう、と思い切り感謝された。リボンの件も、最初はこの代金はちゃんと払うと言ってくれたが、俺はそれだけはできないと断固として断った。そうしたら、本当にありがとうとこっちが恐縮してしまうほど頭を下げられた。
そこで理沙とも別れた。
理沙がいなくなってから、俺は、泣いた。
ここまでが出会い。
二回目は、一週間後だった。
「おうい、祐! 可愛い女の子がお前をご指名だぞ! 出てやれ!」
「は……?」
内職中にいきなり親父の大声で呼び出された。
なんだご指名って、と思ったがとりあえず呼ばれているということだけはわかった。
可愛い女の子。すぐに浮かんだのは理沙の顔だった。まさかという思いと、期待。ドキドキした。
この一週間ずっと、あの日のお礼とかいってもう一度理沙が訪ねてくる……そんなことを妄想していたのだから。
このすぐあと俺は、妄想が現実になったことを目にした。
「祐」
「りさ! やっぱり!」
長い髪に白いリボンをくくりつけて、小さな理沙が俺を待っていた。
しかも密かにこのとき初めて、名前を呼ばれた。どう見ても俺のほうが年上なのに、いきなり呼び捨てだった。気にもしなかったが。
「こんにちは」
「こんにちは! や……その、リボン、気に入ってくれた、みたいだな?」
「……ぅん。ありがとう」
「あれ? あのお父さんはいないのか? またはぐれたわけじゃないよな……?」
「外で、待ってもらってる。……恥ずかしい、から」
「……」
この子は俺を悶え殺そうとしているのかもしれない。
なんて思ってしまう瞬間だった。
この会話は店番をしている親父にも聞こえているだろうと思うとものすごく気になるが、そう言われてしまうと店の外に出るわけにもいかない。
「もらったら、ちゃんとお返ししないとだめだって、お母さんに言われた」
「そ、そうか……って、お返しなんていらないって。あれは俺が勝手に押し付けたようなもんだしっ」
「うれしかったから」
「でも、お返しなんて貰ってしまうと、俺の中であの行為の価値が下がってしまうというか」
「祐は男らしくない」
「んが!?」
「……受け取って」
理沙は目を伏せながら、後ろにまわしていた手を前に出した。
両手の中に、リボンがくるりと一周巻かれた、四角形のものがあった。
「本?」
こく、と理沙は小さく頷く。
俺は目の前に差し出されたそれを受け取った。少しだけ指先が触れ合った。理沙は一瞬びくっと震えた。俺は嫌がられたかと思ってごめんというと、理沙はうつむいたままふるふると首を横に振った。
「あ、開けてみて、いいか?」
「うん」
リボンを慎重に解く。
本の表紙には、天体観測図鑑、と書かれていた。
ばらばらとページをめくってみると、惑星の図解や星座の解説などが載っていた。
「……祐が、こういうの好きか、わからないけど」
「りさは星が好きなのか?」
「好き」
「なるほど。……しかし、凄いな。何回も読んだあとがあるけど、こんなのが普通に読めるのか。俺がりさと同じくらいの頃だと、こんな難しいものとても読もうとは思わなかったと思うぜ……ていうか、今でも結構難しい気が」
学校で使っている教科書よりは確かに読みやすそうではあるが、それは俺と同学年の基準で考えた場合だ。
頭もかなりいいのかもしれない。少なくとも、俺のレベルで考えられる相手ではなさそうだ。
「って、こんなの貰っていいのか? リボンなんかよりはるかに高いものじゃないか」
「本は、いっぱいあるから」
「凄いなあ。な、りさの家って何やってるんだ? もしかしてかなりのお嬢様?」
その質問に、何故か、理沙は一瞬辛そうな表情を見せた。
聞いてはいけないことだったかと慌てて今の言葉を取り消そうとすると、逆に俺を制するように、理沙が口を開いた。
「学者。学者さんやってる」
「え……そうなのか。なるほど、そりゃあ本なんていくらでもあるよな……」
「……」
感心する。なるほど、頭がいいのは当然だった。
なんだか一気に遠い相手のような気がしてしまう。脳裏にあのお父さんの姿が蘇ってくる。学者、というイメージで表される外見ではないように見えたが、学問というのはものによってはとても危険なものだということも聞いたことがある。あの体は自衛のために必然に鍛えられていただけなのかもしれない。
「なあ一体どんな学者さんなんだ? やっぱり星の――」
「お返し、ちゃんと渡したからっ」
「え……」
理沙は、ばっと後ろに一歩下がった。
「あ……ありがとう、リボン、ほんとに、嬉しかったっ」
「あ、うん。こちらこそ。本は大切にするぜ」
「それじゃ」
「……うん。また、遊びに来いよ」
「来る!」
元気な返事が返ってきた。
あからさまに一方的に話を打ち切られて、何か嫌われるようなことをしてしまったかと不安になったが、理沙の表情を見て安心する。忙しくてあまり長くはいられないということなのだろう。
まともに話ができなくて少し寂しかったが、これでまた次も会えるという約束ができた。貰った本もある。前のときみたいに辛い日々を過ごすことはなさそうだ。
店を出る理沙を見送る。
しばらくぼーっとしてから、ため息をついて店の奥に戻ろうとすると、複雑な顔をしている親父が俺を出迎えた。
どうからかわれることか、と思ったが、親父は真剣な顔で俺に言った。
「あの子が、この前の迷子の子だって?」
「……あ、ああ」
「この前、霧雨とか言ったな」
「言ってた。知ってるのか?」
「――いや。気のせいかもしれん。調べておく」
「……?」
このとき、理沙の家のことなんてどうでもいいじゃないか、と一言でも言っておけば、もしかしたらまったく違った展開になっていたのかもしれない。
歴史は、だけど、俺に真実を教えることを選んでしまった。
せめてあと何年か経って、俺が十分に大人になってからだったら良かったのに――
理沙は、俺が店番をしているときにやってきた。
「祐――」
「来るな!」
びくっ。
店に入ってきた理沙を、言葉で制する。理沙は、びっくりして固まっている。
「……どうしたの、祐」
「俺の名前を呼ぶな! 俺まで呪うつもりなのか……魔法使いが!」
「……!」
「親父から聞いた。霧雨の家は魔法使いだって。娘が一人いるって。俺を騙しやがって――」
「祐、それは」
「名前を呼ぶな……!! それ以上一歩でも店に足を踏み入れるな! お母さんは魔法使いにものを売ってしまったせいで……巻き込まれて、酷い目にあって、病気になって倒れたんだ! 今でもまだ遠い場所で苦しんでいる……!」
「……っ」
「隠していたんだろうが、残念だったな。親父はあのとき以降、近くに住んでる魔法使いについて調べているんだ。もう同じことを起こさないように!」
俺は肩の上から、思い切り、本を投げつける。
天体観測の本は、ばさりと音を立てて、理沙の目の前に落ちた。
「帰れ。それも持っていけ。魔法使いのものなんて、もう二度とこの家に近づけさせない」
「……」
理沙は、俯いている。
初めて出会ったあのときと、同じように。
「魔法使いを敵に回す覚悟はできている。俺も親父も。これは俺たちの戦いだ! 潰しに来るなら来るがいい。俺たちの心は絶対にお前らなんかには屈しない……!」
「……ごめん、なさい」
理沙は俯いたまま頭に手を回す。
何か魔法でも使うのかと構える俺に構わず、理沙はしゅるりと頭のリボンを外した。
「……返す」
「っ……そんなもの! 触りたくもない! どこかに勝手に捨てて来い!」
「できない。これはゆ……あなたの、ものだから……」
ぼた、ぼた……
本の上に、雫が零れ落ちる。
涙。
理沙はしゃがんで、本の上にリボンをそっと置いた。
どんな攻撃をされても絶対に目は閉じないでおこうと構え続ける俺を他所に、理沙はくるっとその場で反転し、店を出て行った。
店の外にはあのお父さんがいるはずだ。親父は、霧雨は本物の魔法使い一族だと言っていた。
完全に魔法使いに喧嘩を売ってしまった。だけど、これで構わない。
例え店が壊されても、俺が殺されても、俺たちの精神は生き続ける。魔法使いに抵抗したという誇りは、永遠に残る。
たまたま親父が外出中で、すぐにこの状況を伝えることができないのは残念だった。親父が帰ってくる頃には店がなくなっているかもしれない。
だけど、それからいくら経っても、静かなままだった。
何事もなかった。
あの時俺は本当に、ただの子供だった。
長い時間の後、俺は自分の過ちに気づいた。
理沙は何も悪いことをしていないのに。ただ本当に遊びに来てくれていただけなのに。
俺は謝りたかった。霧雨の家の場所を、なんとかして調べた。そして何日もかけて歩いた。
思い切って家の門を叩いた俺を迎えた言葉は、理沙はもうこの家にはいないという、絶望的な一言だった。
[MARISA]
「――なるほどね」
「うっ……ぐ、ぁ……なんだよ、なんでこんな、リアルに思い出させるんだよ……っ」
「記憶の奥のほうまで掘り返させてもらったからね。ちょっと痛かったかもしれないわね」
人形が苦しそうな声を絞り出している。
後遺症が残るほどではないはずだ。記憶自体が痛いものであれば、精神的なダメージはあるかもしれないが。
「ま、よくわかったわ。あなたと魔理沙の関係はね。名前は違うけど、確かに間違いなく魔理沙だわ」
「く……ああ、間違いない……俺は……俺は酷いことをした……」
「仕方ないんじゃない。魔法使いなんてやってるなら、あれくらいのことは覚悟しないといけないことだしね。子供には残酷なことだけど」
「……お前、理沙の友達なんじゃないのか?」
「過去は過去よ。どうこう言うつもりはないわ。で、あなたはどうしたいの、祐」
「言っただろ……! 会って謝りたいだけだ」
「謝ったらどうなるっていうの?」
「……あ?」
「魔理沙はせっかく忘れていた辛い過去を思い出してしまうなんてことになるかもしれないのよ」
「……忘れちゃいないだろ。いくらなんでも」
「そうかもね」
アリスは人形の髪を弄びながら、さてどうしたものかと悩む。
祐の必死な気持ちは、わからないでもない。昔傷つけてしまった相手と再会できる機会だというのだ。少しでも自分の中の重荷を軽くするためにも、ごめんなさいくらいは言いたいのだろう。
危害を加えるつもりもないというのも、本当だろう。その理由が何もない。
「頼む」
ただ、結果的に、祐と顔をあわせることになった魔理沙が、どんな反応を見せるか――
逆に、祐の身も心配だった。
「……はあ。仕方ないわね。いいとしますか」
「……! よしきた!」
「ただし、あなたが提案したとおり、魔理沙の家までは目隠しをさせてもらうわ。そして、魔理沙と話をするときも私は同席させてもらう。いいわね」
「ああ、構わない。……ありがとう。本当に」
「二番商店街の店に住んでるのよね。それじゃ、ちょっと外れたところの大きな木のことはわかる?」
「ああ。あそこだな」
「そこで待ち合わせしましょ。ここからだと片道30分くらいね。それくらいのつもりで、だいたいいつくらいがいいかしら?」
「……今日は、ごたごたするだろうからな。明日がいい」
「了解。明日の朝9時、どうかしら」
「わかった。待ってる」
「じゃ、魂をもとの体に返すわよ。長い間引き止めて悪かったわね」
ぽん。人形の頭に手を乗せる。
少し念を込めると、人形から気配が消えた。これでもう、向こう側で人間は目を覚ましたはずだ。
明日はどうなることか。魔理沙がどんな反応をするのか、やや読みづらいところがある。祐の記憶の中の魔理沙は、アリスの知っている魔理沙とはほとんど別人だった。人間とは不思議なものだ……と思ってから、アリスはすぐに昔の自分を思い出して、人のことは言えないかと気づいて、それ以上考えるのをやめた。
「――もっとやんちゃ坊主かと思ってたけど、意外に好青年じゃない。見た目は」
「うっさい」
約束の時間、木の下で彼を迎える。
そこから、いつも着地に使っている場所まで向かう。
「じゃ、目隠しするわよ。荷物あるみたいだけど、持とうか?」
「いや、いい」
「そう。落とさないよう気をつけてね」
「ああ」
手を繋いで、彼と一緒に宙に浮く。
繋がなくても彼だけ自分とは独立に浮かせることもできるが、いきなりそれでは不安だろうということで手はしっかりと握っておく。
「わっ……」
「落ち着いて、そのままでいれば大丈夫よ。コントロールは私がするから」
「お、おう」
ゆっくりと、前に進み始める。あまり暴れられるとコントロールが難しくなるから、最初はかなり速度を控えめにしておく。
高度が上がるにつれて祐の体が緊張で固くなっていくのがわかる。話していた感じからすれば祐はかなり豪胆な精神の持ち主だが、普通の人間は体験しないこの状況にすぐに順応しろというのは無理だろう。祐の命をアリスが握っているという状況は前回と変わらないが、今回はより現実的な恐怖が襲い掛かってくるのだから。
目隠しをしたというのは、この恐怖を和らげる意味もある。見えないほうが幸せということもあるのだ。何も見えないでいれば、いずれは浮遊感も麻痺してくる。そうすれば落ち着いてくる。
予想通り、進むうちに少しずつ祐の体から緊張が解れていった。少しずつ速度を上げているのだが、もう怖くはなさそうだ。
「……魔法使いってのは、やっぱり、凄いな」
「空くらいは飛べないと生きていけない世界だからね」
「なあ。魔法使いって、実際、どれくらいいるんだ」
「そんなに多くはないわよ。私も把握してるわけじゃないけど。あなたの言うとおり、魔法使い同士の横の繋がりなんてほとんどないから」
「……じゃ、俺のお母さんを……殺した、魔法使いのことも、知らないか?」
「知らないわね。言っておくけど、同じ魔法使いだからってどこかの馬鹿がやらかしたことの責任を私が引き受けるつもりはないわよ」
「わかってるさ……」
魔法の森に入る。空から、魔理沙の家に向かってゆっくりと降下する。
先にアリスが地面に足を下ろして、安定した状態で祐の着地を支える。
「……んぐっ」
30分ほども宙に浮いていて、再び地面に降り立ると、感覚のずれで足が驚いてしまう。
体を少し支えてから、目隠しを外す。
「着いたわ。魔理沙の家よ。今はここに一人で暮らしてるの」
「ぅ……」
まぶしさに目を細めながら、祐は家を見上げる。
一人暮らしにしては、とても広い家。祐は、一度ごくりと唾を飲み込む。
「覚悟はできている?」
「ああ。行こう」
玄関に向かって歩く。
アリスは、そういえば誰かと一緒にここに来るなんて経験は初めてだと思いながら、少しいつもと違う気持ちで呼び鈴を鳴らした。
「魔理沙。私よ。いいかしら?」
――数十秒。
いつもより長く感じる数十秒の後、足音が聞こえてきて、やがて玄関のドアが内側から開けられた。
「なんだ。昨日のなら返すつもりは――ん。誰?」
魔理沙の視線は、当然のようにアリスの後ろの祐に向かう。
祐は、魔理沙の姿を見て、口を開きかけて――辛そうに顔を歪めて、止まる。
最初の一言、何を言わなければいけないのか、迷ってしまったのだろう。あるいは実際に魔理沙を目の前にして頭が真っ白になってしまったのか。
アリスは祐の様子を確認して、代わりに口を開く。
「この子がね。魔理沙に用事なのよ。普通の人間だから扱いには気をつけて」
「あん?」
「祐。黙ってたら話が進まないでしょ」
「あ――」
魔理沙と祐の視線が交錯する。
魔理沙の不審げな顔を見て、祐は一度下を向く。
数秒間溜めたあと、先に祐が口を開いた。
「……会いたかった。会いたかったから、アリスに頼んでつれてきて貰った。久しぶりだ……理沙」
祐が名前を呼んだ瞬間、魔理沙の顔から表情が消えた。
明らかに空気が変わった。アリスも祐もそう感じる変化だった。
「人違いだろ。私は魔理沙だ」
「ずっと謝りたかったんだ。あのときのこと。……その、やっぱり、大きなリボンがよく似合うんだな。昨日は人形の姿で見たが、すぐに理沙だとわかった」
魔理沙は……目を閉じた。
沈黙がずっと続いた。1分、2分、続いた。
「アリス、悪い。先に帰っててくれ。この人間は私が責任を持って送り返す」
「――ま、そういう展開になるかなとは思っていたわ」
アリスは、魔理沙の提言をあっさりと受け入れて、祐の後ろに下がる。
祐の耳元に、声をかける。
「というわけで、ここでお別れね。頑張ってね」
「……ありがとう」
「無事に帰れたなら、またどこかで会いましょう、祐」
頭をそっと撫でる。
祐は、大真面目に、こくんと頷いた。
アリスは最後に魔理沙に軽く手を振って、飛び去っていった。
「さて」
魔理沙は玄関の中にまで祐を招きいれて、改めて仕切りなおす。ドアは開けたまま。
真正面から向かい合う。身長差は二十センチ以上あって、大人と子供という感じだ。年齢を考えれば、まさしくそのとおりかもしれない。
「謝りたかった、とか? とりあえず、最後まで聞かせてもらうか」
「理沙は何も悪くなかった。何も悪いことをしたわけじゃない。なのに俺は酷く傷つけてしまった。……ごめん。あの後反省して、いつか会うことが出来たらこうして謝りたいと、ずっと思っていた」
「へえ」
「魔法使いが憎かったんだ。……いや、今でも、好きになったわけじゃない。だけどそれと理沙本人とは関係のないことだった」
「なるほど」
「ごめん。ごめんなさい。今更謝っても理沙の傷は治ることはないとは思う。俺の自己満足だってわかってる。だけど……絶対に言わなければいけない。ごめん」
「――ふーん。ま、だいたいそんなところ、か」
魔理沙は軽い口調で、あっさりと祐の言葉を受け流す。
「それがお前が十年くらいかけて出した答えなんだな」
「そうだ」
「わかった。確かに受け取った。じゃ、私の番だ。……うーん、そうだな。もうちょっと、左だな」
「……?」
首を傾げる祐に、魔理沙は指で左に寄れと指し示す。
祐は黙ってそれに従う。半歩、左に位置をずらす。
「おし、いい感じだ。ベストポジション」
「はあ」
「目を閉じろ」
「え……」
「目を閉じろ」
突然の命令に一度戸惑う祐だったが、繰り返しの言葉には素直に従った。
目を閉じる。
直後、魔理沙の平手が、祐の頬を激しく打った。
ばしいいぃん、という、まるで森全体に響いたのではないかという激しい破裂音とともに、祐の体は浮き、ドアの位置を越えて、玄関までの通路を飛んだ後、体は地面に叩きつけられ、そのままごろごろと何メートルも転がっていった。
痛みというより、まるで何が起こったか理解できないという混乱で、祐は呆然と空を見上げる。
祐の視界の外から、魔理沙の笑い声が聞こえた。
「は……はははは。やった。やってやった」
祐は、むくりと体を起こす。腕の中に抱えた荷物は、奇跡的に手放してはいなかった。しっかりと抱えている。
魔理沙の顔を、目を丸くして眺める。
「私の考えたことも、だいたいお前と同じだ。最初は魔法使いであることに罪の意識を感じたこともあったが――結局のところ私は関係ないじゃないか、と気づくと、それはもう怒りがこみ上げてきてな。もし次に会うことがあったら、全力で殴ってやろうと思っていた。爽快だったぜ。ま、それくらいの痛みは――」
「よかった……」
「……あん?」
祐は、魔理沙の言葉に割り込んで、ぽそりと呟いた。
そして、少しだけ、微笑む。
「理沙が笑っているところ、初めて見た。あのときよりも生き生きしてる」
「何を言ってるんだお前は」
「親父に本気で殴られたときよりも吹っ飛んだ。最高記録だ」
「……なんだ。痛くなかったみたいだな。もう一発するか」
「いやそれは勘弁してくれ。マジ痛い」
そう言って、祐は腹を抱えて笑い出す。
先ほどまで深刻な顔をしていたのが嘘みたいに、それはもう、全力で笑っていた。
「ありがとう。いい一発だったぜ」
「変な奴だ」
「おう、俺は変な奴だ。魔法使いが嫌いなくせに魔法使いに頼んで別の魔法使いに会いに来る変な奴だ」
「……まったくだ」
「だけど、誇れることもある。いきなり殴られたのに、ちゃんとこれは守ったぜ?」
祐は自慢げに、魔理沙の前に一冊の本を差し出す。
タイトルは、天体観測図鑑。
「――」
魔理沙の表情が一瞬固くなる。が、すぐに微妙な笑みに戻る。
「てっきりすぐに焼き払ったもんだと思ってたがな」
「焼いた。間違いない。……だから、返すために、必死で探して、同じ本を見つけて買ったんだ」
「わざわざご苦労なこった。それくらいの本、こっちはいくらでも手に入るってのに。もう用事もないけどな」
「受け取ってくれ。これも俺の自己満足だ」
「一応な」
魔理沙は、祐からその本を受け取る。
それを、両手で少し高いところに持ち上げてみせる。
「これ、今手を離して床に落としたら、お前泣いてくれるか?」
「……は……はは。そりゃ、きつい、かもな」
「そうか。じゃ、やる」
ぱ。
躊躇なく、手を離す。
あ、という驚きの声とともに祐が慌てて手を伸ばそうとするが、本が落ちる速度のほうが速い。
本は地面に容赦なく叩きつけられ――
――ることなく、ぴたりと、地面の直前で、止まった。
そしてふわふわと浮き上がり、再び魔理沙の手の中に納まる。
「ほら、お前の大嫌いな魔法だ。気分は?」
「……いや、俺、さっき空飛んできたし」
「……」
魔理沙は祐の顔を見上げて、目を一度右方向に逸らして、本を振りかぶって、祐の頭を本の角で殴った。
「空気読め」
「……あー、ごめん」
やれやれ、といかにも祐が悪いといわんばかりのため息をついてみせて、魔理沙は本を下駄箱の上に置いた。
祐は、今度はじっと魔理沙の顔を見つめている。
正確には、その頭の上に乗っている帽子。
「いかにも、誰が見ても魔法使いですという感じなんだな」
「わかりやすくていいだろ?」
「でも、リボンが明らかに浮いてる。イメージ的に」
「お前はわざわざダメ出しに来たのか?」
「いや。ただ……その、さ、もし俺が、大きなリボンが似合ってるって言ったこと、覚えていてくれて、それで、だったら」
「ただの私の趣味だ」
「あ……そ、か」
少し落ち込みかけるが、それでも祐はすぐに、笑って見せた。
魔理沙の帽子の端を軽く持ち上げて、言う。
「やっぱり、可愛い。俺の記憶よりも、今の理沙のほうが、もっと綺麗に見える」
「……」
「いやそんな目で見るなって。本当なんだ。なあ、あのとき俺は、本気で理沙のこと……好きだった。もし、あのときの俺が、今くらいちゃんと割り切った考え方をできるようになっていればって」
「もし、に意味はないぜ」
「そうだな。だけど、奇跡的にもう一度会うことができた。俺はあれから成長して、昔より元気になって、もっと綺麗になった理沙を見ることができた。俺にとっては、ただの昔話でも、意味のない仮定でもない。理沙――」
「やめろ」
少し冷たい声が、祐を制する。
手を前に伸ばして、それだけの距離をあける。
「……あのときの私は、ほんの一瞬の、珍しい幸せを体験していた。お前に会いに行くのは本当に楽しみで、ドキドキして、苦しいくらいだった」
「理沙」
「でもさ、昔話だろ。お前は私にとって過去の通過点だ。今後、私に影響を及ぼすことは、ない」
「――」
はっきりとした拒絶宣言。
魔理沙の顔には、一切の未練もなかった。
「今の私は、魔法使いの魔理沙だ。次に会うことがあるかどうかはわからないが、今後はちゃんと魔理沙と呼んでくれ」
「……その、名前は、どうして?」
「こっちのほうが強そうでかっこいいだろ?」
にかっ、と魔理沙は笑った。
これでその話は打ち切りとばかりに、魔理沙は下駄箱に立てかけてある箒を手に取る。
「もう話すべきことはない。送り返してやるぜ。住んでる場所は変わってないな?」
「……ああ」
箒に二人腰掛けて、空に飛び立つ。
今度は目隠しもない。地面は丸見えだ。しかも、箒という不安定な乗り物に乗っている分、アリスのときよりももともと怖い飛行。
祐は、箒を強く握り締めて、目を閉じる。魔理沙の体にはしがみつかないようにする。
魔理沙の速度は、アリスのときより速い。祐にはもちろん、それでも本来の魔理沙の飛行速度の2割程度だということなど知る由もない。
「あ、あのさ」
「んー?」
ある程度空に慣れてきたところで、祐が魔理沙に声をかける。
「思ったんだ。名前変えたのも、やっぱり俺のせいなんじゃないかって」
「何言い出すんだ」
「理沙が話を強引に打ち切るときは、嘘をついてるときなんだ」
「……」
祐は言葉を選びながら、ゆっくりと、話を続ける。
飛行速度は、若干ながら、落ちる。
「俺さ、魔法使いだって隠してたことを責めただろ。騙したな、って。だから名前からして魔法使いっぽくして、わざわざ自分が魔法使いだって主張するようにしたんじゃないかって」
「……ふん。なかなか面白い説だ」
「帽子だってそういうことなんじゃないのか?」
話しているうちに確信を持ってきたのか、話しながら、祐の言葉は強くなっていく。
……また、飛行速度が上がる。
「確かに私は、魔法使いであることを出来る限り隠すという実家の方針には納得がいかなかった。堂々とすればいい。魔法使いだからって理由だけで攻撃してくる相手がいても、気にしなければいい」
「だから家出?」
「プライベートを平気で突っついてくる奴だな、お前は。言っておくが家出じゃないぜ。追い出されたんだ。ま、似たようなもんだが。理由については簡単に人に話すようなことじゃない」
「……だな」
「さて、お前の名推理についてだが。とりあえずお前は、相当な自意識過剰だと言わせてもらおう。……ったく、自分がそこまで人に影響を与えたと思いたいのかね」
「む」
「勘違いするな。名前は、ま、あれだ。師匠から名前を一文字もらっただけだ。魔法使いらしく、てのは確かにあったけどな」
森の上空を抜ける。
まもなく普通の人間の世界に接近する。
「なあ」
「まだ何かあるのか」
「ある。いや、ちゃんとはっきりさせたいことがあるんだ」
「それが多いんだお前は」
「かもな。えーと……理沙は本当に、もっと可愛くなった。二回目の一目惚れをしてしまったくらいだ。それは……本当の気持ちなんだ」
「……まだ口説く気か?」
「そんなつもりはない。言いたかっただけだ」
「なら、いい」
「俺の家、まだあの店やってるんだ。もし何か機会があったら寄ってくれ。普通に客として迎えるから」
「魔法使いは入れないんだろ?」
「理沙は例外だ!」
「やれやれ。ま、行くことはないと思うけどな」
高度を落とし始める。
向かう先は、一本の木。
そこは、今日、アリスと祐が待ち合わせした木と同じ場所だった。
「……幸せになってくれよ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、祐が呟いた。
それに対する返事は、なかった。
木の下で二人は別れた。
別れるのはこれで4回目。今までで、一番あっさりとした別れ方だった。
空を見上げて、魔理沙は、薄く笑った。
[Epilogue]
「いらっしゃー……あ……?」
「なっるほどねえ。そんな気はしてたのよ」
今日の店番をしていた祐が、客の姿を見て、あんぐりと口を半開きにして固まる。
そんな祐の前で、アリスは軽く一礼をしてみせた。
「この店、前に一回来たことがあったのよ。そうそう、リボンだけは結構気に入ってね、一回買ってみたのよね。その、白いリボン」
「あ……アリス?」
「久しぶりね、祐。元気してた?」
「あ……ああ、まあ」
「ま……一応ね。ごめんなさいははっきりと言っておかないといけないと思ってね、私も。もう想像はついてると思うけど……買ったリボン、あのフランス人形に使ってたのよ」
「はあ」
ぽかんとしたままの祐に向かって、くすくすとアリスは笑いかける。
髪飾りのコーナーを見て、さて次は何がいいかしらと物色し始める。
――しばらく経って、祐は、がたっと席を立った。
「って結局やっぱり魔法使いに物売ったせいで巻き込まれたんじゃないか俺! ……くそ、やっぱり魔法使いなんて大嫌いだ」
「ごめんなさい」
「まったくだ。俺の過去のことは知ってるんだろ。泣いて詫びろ」
「でも、おかげで魔理沙に会えたでしょ」
「……そんな正当化は認めない」
「で、さ。このリボン二つなんだけど」
もう話は終わりとばかりにアリスはひょいっと棚から二つのリボンを取り出して、祐の目の前に突きつける。
白いリボンと、赤いリボン。大きさは同じくらい。
「どっちが魔理沙に似合うと思う?」
「はあ? なんで俺に聞くんだよ。……だいたい、魔法使いにもう物は売らないって言ってるだろ」
「魔理沙の魔法になら巻き込まれてもいいとか思ったりしないの?」
「……」
祐は、頭を一度抱えて、深く深く、ため息をついた。
ごめんなさい、と誰かに何かを謝っていた。
「やっぱり、白」
[FIN]
「急に意識が遠くなって目が覚めたと思ったらこれだぜ? 虐待だよなー。俺がこんな目にあわされる理由なんて全くないよなー。ったくそんなだから魔法使いってヤツは嫌われるんだぜ? 自分勝手だわ人の話は聞かないわ暴力的だわもう最悪極まりない。人に迷惑かけないような生き方を勉強するためにまずは接客業を1年間くらい経験してみることをお勧めする」
「……」
自分に危害が及ぶことがないとわかった途端それから飛び出してくる暴言の数々に、アリスは頭を抱え込む。
確かにアリスの側に一方的に非があるとはいえ、初対面の相手に生き方まで否定される言われはない。いや、正確には、対面すらしていないのに。
ある程度自分で動くだけではなく、言葉も話せる人形を求めて実験をしていたはずだった。確かに目の前のこの可愛らしいフランス人形は、今こうしてちゃんと言葉を話している。ただ、見た目と言葉のあまりのギャップが気持ち悪いという問題点があるだけで。
要するに、実験の失敗だった。どこかの人間の魂をそのまま引き抜いてきてしまったらしい。死人ではなく、現在進行形で生きている人間の。
「あーあー今頃俺が急に倒れて起きなくなってるから騒ぎになってるんだろうなー。俺が働いていないぶんの損害賠償は誰がしてくれるのかなー」
「だからっ! ごめんなさいって何度も言ってるでしょう!? すぐに送り返すって言ってるのにあなたが拒んでるんじゃないのっ」
「だってせっかくだからこの貴重な体験をもっと楽しんでみたいし」
「楽しんでるんじゃないの!」
「それはそれだ。俺はこの状況を頼んだ覚えはないからお前は偉そうなことは言えないだろ。せいぜい楽しませてもらうのは僅かばかりの対価ってところだな」
「くっ……」
ただの人間相手にここまでなめられるとは。
なんて屈辱。
だが、人形を殴り飛ばしたり、引き裂いたりしたとしても、人形が壊れるというだけで、人間にはなんらダメージを与えることができない。……不覚にも、そんな説明をしてしまったことが、この人間をここまで付け上がらせる結果になってしまった。
「ったく、こんな少女趣味丸出しの人形ばっかり集めてるんじゃねーって。気持ち悪い。ほんと魔法使いってヤツは――」
「あなたの魂を永久にどこにも返さないなんてことはできるのよ」
ぴた。
止まる事なく悪態を吐き続ける人形の言葉が、瞬時に止まった。
人形なので表情は変わらないが、なんとなくオーラが変わったような気がする。
「……何の罪もない、ただ巻き込まれただけの可哀想な人間に、そこまでの仕打ちはしない、よな?」
「あら。魔法使いが、たかが人間一人の命を惜しむと思う? 力のないただの人間が命を捧げるだけで魔法の研究に貢献できるということを、あなたは光栄に思うべきだわ」
しん、と静まり返る、広いアリスの家の居間。
久しぶりに訪れた静寂だった。静寂は実に心地いい――そう思いながら、アリスはくすくすと小さく笑ってみせた。
人形は、アリスの顔を見上げて、何度かの躊躇の後、口を開いた。
「一つ、言わせてくれ」
「何かしら?」
「調子に乗ってすみませんでした」
「よろしい」
早いうちに上下関係をはっきりさせること。ペットを飼うときの原則だ。
たかが人間一人の命を――というのは、アリスの本心ではない。アリスは、自分と同じ姿をしたこの生き物の生活を奪う権利は自分にはないと思っている。だが、アリスが口にしたような考え方をする魔法使いもいないわけではなく、むしろ、魔法使いとしてはアリスのほうが少数派だと言ってまず間違いはない。大きな研究を遂行するために何十人もの人間を平然と虐殺するような魔法使いだって、史実として存在する。
魔法使いが嫌われるのは当然のことであって、何の前触れもなくいきなり魔法の実験に巻き込まれたこの人間が、アリスに悪態をつくのは無理もないことだ。普通の人間はそうする度胸がないというだけで、この人間でなかったとしても気持ちとしては同じだっただろう。
実際のところ、ここまで脅さなければいけないほど怒っていたわけではない。ただ、今後この人間がどこかの別の魔法使いに相対したときに間違って同じような態度を取ってしまわないように教育した、という意味合いが強い。半分は、ごめんなさいと言わせてすっきりしたかったということももちろんあるが。
ともあれ、第一波は過ぎ去った。思い切り可愛らしく作った人形が男の声で喋るというのはかなり嫌なものがあったが、結局それもすぐに慣れてしまうのだった。
さて、人形は喋ることはできるが、それ以外は何もできないようだ。
普通の人間の魂だ。いきなり人形の体に乗り移ったからといって自由自在に体を動かすなんて芸当は無理だろう。
「ええと、もしご迷惑でなければ魔法使いの家というものを見学してみたいです」
「……ごめん。いまさらそんな口調で喋られても逆に気持ち悪いから、普通でいいわ。あんまり余計なこと言わない限りは私も別に怒らないから」
「……本当に?」
「うん」
「よしきた。というわけで魔法使いの生態を研究したいから余すところなく見せてくれたまえ」
「やっぱムカつくわねあんた」
「地だ」
「ま、いいけど。別に見て面白いものなんてないわよ」
「面白いかどうかは俺が決める! っつーかさ」
「ん?」
ひょい、と人形を持ち上げて、とりあえず前で片手で抱えてみる。どんな持ち方をしようと人間が痛みを感じることはないが、あまり変だと不快感があるだろうし、人形の体を傷めるわけにもいかない。結局普段どおりの持ち方を選ぶ。
「本当にいいのか? ただの人間に魔法使いの家を見せたりして。とても人様には見せられないような機密が満載なんじゃねー? あれ、俺もしかして最後に『楽しんだかしら。冥土の土産には十分でしょ。ぐさっ』てなるパターンにハマってる?」
「ないない。機密はもちろんあるけど、さすがにそんなとこを見せるつもりはないわよ。それに言っておくけど、私は暗い怖いだけの魔法なんて興味はないわ。魔法は美しくないとね」
「ふーん。ま、いいや。ささっと案内するがいい」
「あなた人の神経を逆なでする天才だとか言われたことない?」
「ある!」
「威張るな!」
別に、本当に見ず知らずの人間のために部屋を案内する義理はないわけだが、そこは一応、アリスなりの罪滅ぼしのつもりだった。
「はい、キッチン」
「……」
普段滅多に客など来ないから、自分が全力を込めてデザインしたインテリアをこうして自慢できることが嬉しい、というのも本音。
「何よいきなり黙って」
「……普通だ」
「普通よ?」
「馬鹿な! 魔法使いの食事といったらまず爬虫類だろ!? どこにもトカゲの干し物がないとかどういうことだ! あと薬草! そしておでん!」
「おでん?」
「ぽいもの。ほら、あれだ、あれ。百年以上前から煮込んでます、みたいな謎の液体が壷の中にあってさ」
「どーも。だいたいあなたの魔法使いのイメージはわかってきたわ。教科書でそうやって教えてるの?」
「うむ。誰でもそう習う。俺が保証するから間違いない」
「世界で一番あてにならない保証のような気がするわ」
アリスは、こっそりとため息をつく。
人間が魔法使いというものをどう思っているか。だいたいは知ってはいたが、やはりなかなかに酷いもののようだ。必ずしも完全に間違いとは言えないわけだが。彼の言う光景は、食事ではなく実験のものだろう。
「ん。そういや、あなたの名前も聞いてなかったわね。いまさらだけど」
「魔法使いに名乗る名前などない! なんか呪われそうで怖いし」
「私はアリスよ。よろしく、名無しさん」
「……早くも俺のペースに順応しつつあるお前が憎い。くそう」
本当に悔しそうな声音で言う、人形。
魔法使いをずいぶんと嫌っている割には、ずいぶんと豪胆だ。アリスが彼の命を握っている状況は変わらないというのに、普通に友達のような感覚で話しかけてきている。
呪われそうだから魔法使いに本名は教えない、というのも、正しい。本名というのはそれだけ重いものだということを、彼は認識しているようだ。世の中には、危険を避けるため、ごく一部の親族以外には誰にも本名を教えないままずっと生きている者もいる。
「俺は、そうだな。祐だ。祐様と呼んでくれて構わないぜ」
「祐ね。呼びやすくていいわね」
「祐様だ」
「そうそう、やろうと思えば寿命を少しずつ削っていく、なんてこともできるのよね。私そういうの得意だから」
「ごめんなさい」
つくづく、懲りない男だった。
さて、キッチンにずっと閉じこもっていても仕方ないだろう。次はどこにするか。
「ああ。ちなみに、食事もごく普通だから。今朝はフレンチトーストにサラダね」
「なるほど、魔法使いはやはり洋食派か」
「いやそういうわけでも。私の知ってるもう一人の魔法使いは普通に和食だし」
「ん? 魔法使い同士で交流があるのか? 魔法使いってのは自分以外の同類はみんな敵で常に牽制しあったり呪いあったりしてるって聞いてるが」
「なんかあなた、中途半端に魔法使いに詳しいわね……いいけど。別に、普通に友達よ。そりゃ、資源の取り合いになったり、たまに敵対することになったりもするけど」
「そか……マジで、普通だな」
少し、声のボリュームが落ちる。
想像していた魔法使い像とのギャップが大きくて戸惑っているのだろう。あるいは、面白くないと思っているだけかもしれない。
「魔法使いにも色々いるからね。仕事が多少異質なくらいで、普通の人間と何も変わらない魔法使いだっているわ」
「魔法使いといえど人間、てことか」
「――」
何気なく言った一言だったのだろう。
アリスは一瞬戸惑うが、わざわざその言葉を否定する必要はないと気づいて、あえて何も言わないでおくことにした。普通の人間にとってみれば、魔法使いである時点で、種族として人間であるかどうかなど大して意味はないだろうから。
「さて。どこか見てみたいところはある?」
「実験とかしてるところ」
「却下」
普通の人間が見たところで何か理解できるわけでもないだろうが、それならば見せても大丈夫かといえばもちろんそんなことはない。機密はしっかりと保持しなければならないのだ。どんな状況であろうと。
「や、やっぱり、骸骨とか転がってたりするのか? ピアノが勝手に鳴り出すのか? 階段が上りと下りで段数が違うのか!?」
「……まあ、やろうと思えばできるけど」
「そういうのが見てみたい」
「駄目。そんな遊びのために無闇に魔法は使えないわ。――ああ、魔理沙なら喜んでやりそうだけど」
「マリサ?」
「あー。ま。いっか。派手に色々やってる子だし、今更一人の人間に勝手に名前出しちゃったことくらい、気にしないでしょ」
「何言ってるんだ」
「ひとりごと。魔理沙は私の……友達。うん、友達。どうせならあなた、あっちのほうに現れればよかったのにね。あいつなら面白いものいっぱい見せてくれるんじゃないかしら」
「変な名前だな。そいつも魔法使いなのか? それに、やっぱりお前みたいな……まあ、可愛い部類に入るような女の子なのか?」
「……今、恥ずかしいこと言ったわねえ」
「ぐ」
ぽん、と人形の頭を叩く。
まあ、気分は悪くはない。アリスはこっそりと微笑んで、言葉を続ける。
「やっぱり魔法使いでも可愛ければよし?」
「……」
ちょっと意地悪のつもりで聞いてみた。
即座に慌てた否定の言葉がかえってくるだろうと予想していたのだが、結果は、予想外の沈黙が返ってきた。
表情が分からないのが寂しいところだ。何を考えているのか、わからない。
「……魔法使いでも、やっぱり人並みに誰かと愛し合って、結婚もして、子供ができたりもするんだよな。普通に」
「え」
ようやくそこから出てきた言葉は、数段先まで進んだ内容だった。
何のつもりだ、と思ったが、声が意外に真剣なので、アリスも反射的な言葉は返さず、少し考えてから口を開く。
「ま、そうね。歴史的にはまともな恋愛結婚といえるものはあんまりないかもしれないけど……最近だと、本当に普通なのも珍しくはないんじゃないかしら」
「そうか」
そんな相槌で、また、言葉が消える。
いったい何を思っているのか。
アリスにしてみれば、それこそ魔法を使えばこの人間の心を読むこともできる。何故だか今の祐の言葉が妙に気になる。
気になるのは、祐の、魔法使いに対するこだわりだ。ただ学校で魔法使いは怖い存在だと習ってきたというだけではない。決して。間違いなく彼は、個人的に魔法使いというものを調べたことがある。偏見が多いとはいえ、必ずしも間違いばかりの知識でもない。
「あなた――」
『おーーーーい。アリスいるかー!』
アリスが口を開いたと同時に、遠慮のない大声が遠くから部屋まで響き渡った。
見事にタイミングをずらされて、がくりと頭を落とす。
「客か?」
「そうね。噂の彼女よ。ちょうどよかったじゃない、可愛いかどうかは自分の目で確かめてみたら?」
「ち。突っついてくるなあ、くそう。なんだ、でも、あれだな。魔法使いなんだから瞬間移動でいきなり部屋の中に現れるとかじゃないのか。がっかりだぜ」
「それができたらもう魔法の領域じゃないわね。擬似的に同じようなことはできなくもないけど――」
『いないのかー? とりあえずいてもいなくても物資調達は強行ー』
「はいはい、いるわよー! 大人しくしてなさい!」
会話を中断して、玄関からの声に叫び返す。
用件ははっきりと伝わった。また何か奪いに来たようだ。ふう、とため息をつく。
「じゃ、迎えに行くから。せっかくだからあなたも連れて行くわ。なんか、結構気があいそうだし」
「安心していい相手か?」
「わ。怖がってる? ま、大丈夫よ。私よりは確実に凶暴だけど、あんまり酷いことはしない子だから」
「ふん」
アリスは人形を抱えて玄関に小走りで向かう。あまり遅くなるとドアを破って入ってくることも考えなければならない。
玄関のドアを開けると、いつもの格好をした魔理沙が、よ、と軽く手を挙げた。
「りっ……!?」
人間が、叫んだ。何かを叫びかけて、止めた。
「?」
「ん?」
アリスと魔理沙の視線が、同時に人形に向かう。視線の意味はそれぞれに異なっていたが。
「今、その人形が喋った……よな? 姿に見合わず太い声で」
魔理沙の疑問はそのままストレートなものだった。
「ええ。ちょっと実験のミスでね。どこかの人間の魂が入っちゃった。ちょっと面白いからしばらくこのままにして遊んでるの。害はないから心配しなくていいわ」
「面白いって……悪趣味だなあ。すぐ返してやれよ」
「本人がしばらく遊びたいって言ってるのよ。ねえ?」
人形に確認するように問いかける。
人形に、反応はない。
「……おーい。無視? ゆうー。ゆうゆうー?」
「人見知りなんじゃないか?」
「さっきまで初対面の私に暴言を浴びせまくってた子なんだけど」
ぺちぺち。人形を叩いてみる。反応はない。
もともと喋るというだけで体の動きはなかったから、どうにも状況がわかりにくい。魂はまだそこにあることは確認できる。ただ、黙っているだけだ。
「何よ。さっきまであんなに喋ってたくせに。魔理沙が可愛い子かどうか期待してたくせに」
「何の話してたんだ、おまえら……」
「色々とね。魔法使いについて言いたいことがいっぱいあるみたいだから、魔理沙と話させてみるのも面白いかなあって思ったんだけど」
「全部アリスの妄想だったんじゃないか?」
「違うわよ! ……んもう、なんで黙ってるのかしら」
「ま、いいや。それよりさくっと貰うもんだけ貰ってくぜ」
「具体的に何よ」
「魔力結晶の粉、リン酸緩衝液、アルコール、紙、肉、野菜、現金」
「後半は自分でなんとかしなさい!」
どこまでが本気かわからないが、一応しっかりとツッコミは入れておく。
その間、ぐりぐりと人形の頭を弄り続けて反応を待つ。何の効果もないことは承知だが、どうにもいきなり黙られると気持ちよくないのだ。
結局、魔理沙が適当にモノを物色して、アリスが一応何をどれだけ渡したかの書類を書いてサインさせて、魔理沙がいちいち面倒だと文句を言いつつもちゃんとサインはして、いっぱいになった鞄を持って帰っていくまでの間、人間は一言も喋らなかった。
「結局魔理沙とは全然話してないじゃない。……ちょっと祐、いいかげん何か」
「マリサってのは、そういうあだ名なのか?」
「わ。な、なによ、やっぱり普通に喋るんじゃないの」
魔理沙が帰った途端に、長い沈黙を破って、人間は口を開いた。
しかも、よくわからないことを言い出した。
「あだ名って……いえ、本名かどうかは知らないけど、みんな普通に魔理沙って呼ぶわよ?」
「あいつも、魔法使いなのか?」
「最初からそう言ってるでしょ。……なによ、ほんと。さっきからおかしいわね。何、まさか、魔理沙に一目惚れでもした?」
「……そんなんじゃねーよ」
静かに否定する祐。
表情が読めなくても、声の色からだけでも、何か裏で考え事をしながら話しているのがわかる。
アリスは一度ため息を吐いて、人形をテーブルの上においてから、ソファに腰掛ける。
「訳ありね。声を聞かれたくなかったということは、知り合いかしら?」
適当に、思いついたことを言ってみる。
返事はない。返事がないということは、肯定だ。どうやら読みは当たっていたようだ、とアリスは落ち着いて分析する。
「ここは、どこなんだ。あいつも近くに住んでいるのか」
「ちょっとくらい景色は見えたでしょ。見ての通り、森の中。場所を知ったところで、普通の人間には絶対にたどり着けない場所よ」
「それでもいい。できるなら、簡単にでも地図を書いてくれると助かる」
「お断りね。あなたに家の場所まで教える義理は何もないわ」
アリスの当然の言葉の後、また、しばらくの沈黙。
ここはじっくりと次の言葉を待つ。事情は飲み込めないが、興味がないといえば嘘になる。
「……あいつと、話がしたいんだ」
「だったら、さっき話せばよかったじゃない。黙っていたのはあなたでしょ」
「違う! こんな姿じゃなくて、ちゃんと会って話がしたいんだ」
「その言葉は、あなたが魔理沙に直接言わなければ意味がないわ。私に対面を許可する権利はないもの」
「くそっ……だったら、俺の体をここまで連れてきてくれ。途中は目隠しでもなんでもすればいい。一度話ができればいいんだ。そしたらまた……もとの場所に戻してくれれば、俺は二度とここにくることはできない」
「あのね。あなたが魔理沙の命を狙ってる暗殺者じゃないって保証はどこにもないのよ。誰だかわからないのにわざわざ会わせるわけがないじゃない」
「馬鹿な! 俺は絶対にあいつを傷つけたりはしない……つもりだ。頼む。この機会が巡ってきたのは奇跡なんだ。逃したくはない」
声は、だんだん必死になってきている。話がしたいというのはかなり強い本心なのだろう。よく、魔理沙本人の前では黙っていられたものだと思う。
「信じてくれ」
表情は見えなくても、心から懇願していることがわかる声。
ただごとではない。一体、ただの人間と魔理沙の間に何があるというのか。
「嫌よ」
「……なんで……!」
「事情も話してくれないのに、何を信じろっていうの? 私はあなたが魔理沙の何なのかも知らないのに」
「く……何、ってほどでもない。俺はあいつを知っているし、あいつは俺を知っている……覚えている、はずだ。俺は、ただ、謝りたいだけなんだ」
「その話が聞きたいわね」
「……あまり、話したくはないんだ」
「じゃ、勝手に聞かせてもらうぶんには問題ないかしら?」
「え――」
[Past Days....]
女の子が泣いているのを見過ごすわけにはいかない。
俺じゃなくても、普通は誰だってそうだろう。
泣きじゃくっているというほどではなく、俯いて立ち尽くしている、という様子だった。泣いているのは、時折ぽたりと地面に落ちる雫からわかった。このあたりでは非常に珍しい金色の長い髪をした、まだ小さな小さな女の子だった。俺より一回りは下、というところだと思った。
正義感のようなものでもあり、そして、その子を慰めてかっこいいところを見せたいという欲でもあったが、とにかく俺はその女の子に声をかけた。
「どうしたんだ?」
俺の声に、女の子は顔を上げた。
……とんでもなく、可愛かった。びっくりした。本気で心臓が止まりそうになった。
その可愛い顔が、何故か、俺を睨みつけていた。
「な、なんだよ……」
いきなり睨みつけられたことよりも、ただ、一瞬にして自分の顔が熱くなっていくのを感じて戸惑った。
「……ここ、どこ」
「え?」
女の子の第一声は、単刀直入な質問だった。
泣いている割には、しっかりした声だった。耳までまっすぐに届くようだった。
「どこ?」
「あ、ああ。二番商店街だけど――ああ、迷子、か?」
「……」
女の子は目を閉じる。涙がこぼれだしてくる。
肯定、なのだろう。なんとなく、そう感じた。
「お父さんが、いなくなっちゃった」
「はぐれたんだな?」
「猫さんも、いなくなっちゃった」
「……あん?」
「お父さんの足が遅いのが悪い」
「……えー……ご、ごめん。よくわからない」
「ばか」
「な……なんだとう!?」
叫ぶと、女の子はびくっと震えて小さくなる。ぎゅっと目を閉じて固まる。
ぽろり、また涙が落ちる。
「……お、おい、これくらいで泣くなって……お俺が悪いみたい、じゃん……」
人通りもあるのに。あんまりこの状態が長く続くとよろしくなさそうだと判断して、俺はとりあえず近くの店の陰に引っ張りこんだ。
女の子の話はその後もしばらく何がなんだかの状態だったが、要するにお父さんと一緒にいたところ、猫が通りかかったのを見つけて、人通りをかきわけて追いかけて来たが結局猫は見つからず、ついでにお父さんの姿も見えなくなった、ということ、らしい。ということを理解するまで10分くらいかかった。
とりあえず、別れた場所まで戻るのが一番無難なのではないだろうかと考えた。
「その、猫を見つけた場所は、どんなところだったか覚えてるか?」
「人が多かった。邪魔だった」
「……他に」
「わからない」
「じゃ、じゃあさ。何か買ったとか、ないか?」
「んぅー……」
女の子は目を閉じて、思い出そうとする。5秒ほど。
そして、ずい、と右腕を突き出した。
腕には木を編んで作った腕輪がはめられていた。俺はそれを見て、驚いた。
「それ……うちのだ! 間違いないよ、これ、俺が編んだ奴! 売れたのかー……!」
じーん。
思わず感動でしばらく天使の幻影を見てしまった。
「うちの店にくればいいんだな! ということだな!」
「店……?」
「とりあえず行こうぜ。ずっとこんなところにいるよりは見つかりやすい、と、思う」
「ん」
「はぐれるなよ」
ぐい、と腕を掴んで歩き出す。
女の子は、特に抵抗することもなく、俺について歩き始めた。
「俺、祐ってんだ。おまえの名前は?」
「理沙」
「りさ? 可愛い名前だなあ」
「……」
……少し、赤くなった。
悶絶するくらい可愛かった。
「あ、名字もいいかな? そのほうが親も探しやすいし」
「霧雨」
「きりさめ、と。……聞いたことないなあ。このへんの家じゃないのかな?」
「うん」
「だろうなあ。そんな髪、ここらじゃ見たことないし」
俺の店は、そこからそんなに遠いところではなかった。
本来の用事、食料品の買出しだけは忘れずにすぐに済ませて、帰路に着く。
「ほらここだ。ここで買ったんだろ?」
「あ! うん。ここ」
少し、表情が明るくなった。見覚えがある場所に戻ってきたというだけでも安心できるのだろう。
「よし、じゃ、ちょっと待ってろ。適当にそのへんのものを見て回っててくれ。店から出るなよ?」
「うん」
俺は買い物したものだけ片付けてくるため、奥に入る。誰もいない店番場所を抜けて、のれんの向こうへ。
「ただいまー!」
「おう、お疲れ。さっそくで悪いが、ここの不良品の――」
「ごめん! 今ちょっと迷子の子を連れてるんだ。親を見つけてあげないと」
「おう?」
次の仕事が渡されそうになるのを制して、作業を続ける親父に向かって言う。何か突発の仕事が入ると店番よりも裏方仕事を優先する親父なので、よく店は空になっている。今もそうだった。
「迷子だって? お前でなんとかなるのか」
「なんとかする! あ、親父、霧雨って名字は知ってるか?」
「霧雨? このへんじゃ聞かないが……いやどこかで聞いたような……?」
「そか。ま、なんとかしてくる!」
「うい。頑張って来い」
許可も下りたところで、再び店内へ。
理沙は、店内をうろうろと歩いていた。色んなものをぼーっと眺めているという感じだ。
「お待たせ! どうだ、なんか面白いもの見つけたか?」
「全部、面白い」
「おお。そうかそうか。嬉しいぜ。ついでに何か買ってってくれるとなお嬉しいけどな!」
「無理」
「……あ、ああ、うん、お金がないって意味、だよな……うん」
俺の顔を見るそぶりもなく、きょろきょろと店内のものを見て回っている。
いったい何に興味があるのか、これではわからない。本当に言葉どおり何でも面白いと思っているのか、実はどれにもあまり興味がないのか。
読めない。読めないが、ともあれもう泣いてたときのような辛そうな表情は見せていないのが安心できる。
理沙の後姿を、じっと眺める。小さい体が、ちょこちょこと動き回る。
「……綺麗な髪だなあ……」
「ん」
「あっ……い、いや、なんでもない。独り言だ」
思ったことがそのまま口に出ていた。
振り向いた理沙が、俺の目を少し見つめたあと、ふいっとまた後ろを向いた。
「……ありがと」
「え?」
「……」
微妙に、お礼が聞こえたような気がした。が、棚の向こう側に行ってしまったのでもう確認できない。
とりあえず、俺もあとに続いて向こう側へ。
理沙は今度は髪飾りのコーナーを見ていた。……さっき、髪の話題を出したから……というわけではない、だろう。たぶん。偶然だろう。
「あ」
俺は唐突に思いつく。
理沙のいる棚の隣から、一番大きな白いリボンを取り出す。
「りさ」
「?」
名前を呼ぶと、理沙は俺を見上げた。
「ちょっと、後ろ向いてくれるか?」
「ん……」
理沙が背中を向ける。長い美しい金色の髪が、宙を舞う。
その髪を傷つけないように柔らかく捕まえて、素早く、白いリボンを巻く。頭の上で結ぶ。
上手く出来た。いつかこんな機会がやってこないかと、密かに練習していたのだ。実際に女の子にするのは初めてだったが、ごく自然に、いかにもこんなことくらい慣れてます、というように出来た、はずだ。
「こっち向いて」
くるり。理沙が、速い動作で振り向く。
また髪がふわりと舞う。見上げる顔の上に、白い大きなリボン。
「……うっわ……」
思わず反射的に、顔を手で覆ってしまった。
視線を横にずらす。
理沙は、俺の反応を見て、むっと眉を顰めた。
「嫌な反応」
「……い、いや、違うんだ……やばい。似合いすぎる。すっげ……すげ、可愛い……危険だ……」
「へ……」
「ああああくそう、落ち着け俺」
まともに直視していると、心臓が骨も皮膚も突き破って飛び出してしまいそうだった。
音がはっきり聞こえるほどの脈動が激しくなっていく。このまま、倒れてしまいそうなくらいに。生まれてきて初めての衝撃だったかもしれない。
「可愛い……?」
「ああそうだよ! めちゃくちゃ可愛いんだよ! 似合ってそうだなと思ったからやったけど……これは、く……」
俺の言葉もよくわからなくなっていく。
理沙はしばらく目を丸くしていたが、俺のこの病気が伝染したかのように、急激に赤くなっていった。
「ぅ」
目を伏せる。
その仕草がますます……こう。危険だった。
「そ、そいつはサービスだ。もうそのリボンは他の誰にもつけられないからな! りさだけのものだ!」
「……いいの?」
「気にすんなっ……そ、それよりそろそろ、ほら、あれだ、親、捜さないとな! 店の中にいたら見つかるものも見つからなくなっちまうぜ!」
「ぁ……うん」
言うと、俺より先に理沙が店を飛び出した。
俺は後姿を眺めながら、とにかく落ち着けと、深呼吸を繰り返す。
結局全然落ち着かなくて、店を出るまで1分以上かかってしまったが、理沙は俺のことを振り向くことはなかった。
その後、店の前で理沙のお父さんと無事出会うことができた。
理沙の風貌からして、西洋貴族みたいな人なんだろうかと勝手に想像していたが、大はずれだった。一言で言うなら、修行僧みたいな人だった。それも、かなり武術寄りの。腕の筋肉や傷などを見る限り、ごく平和な暮らしをしている人間には見えなかった。
でも声は優しくて、理沙を預かってくれてありがとう、と思い切り感謝された。リボンの件も、最初はこの代金はちゃんと払うと言ってくれたが、俺はそれだけはできないと断固として断った。そうしたら、本当にありがとうとこっちが恐縮してしまうほど頭を下げられた。
そこで理沙とも別れた。
理沙がいなくなってから、俺は、泣いた。
ここまでが出会い。
二回目は、一週間後だった。
「おうい、祐! 可愛い女の子がお前をご指名だぞ! 出てやれ!」
「は……?」
内職中にいきなり親父の大声で呼び出された。
なんだご指名って、と思ったがとりあえず呼ばれているということだけはわかった。
可愛い女の子。すぐに浮かんだのは理沙の顔だった。まさかという思いと、期待。ドキドキした。
この一週間ずっと、あの日のお礼とかいってもう一度理沙が訪ねてくる……そんなことを妄想していたのだから。
このすぐあと俺は、妄想が現実になったことを目にした。
「祐」
「りさ! やっぱり!」
長い髪に白いリボンをくくりつけて、小さな理沙が俺を待っていた。
しかも密かにこのとき初めて、名前を呼ばれた。どう見ても俺のほうが年上なのに、いきなり呼び捨てだった。気にもしなかったが。
「こんにちは」
「こんにちは! や……その、リボン、気に入ってくれた、みたいだな?」
「……ぅん。ありがとう」
「あれ? あのお父さんはいないのか? またはぐれたわけじゃないよな……?」
「外で、待ってもらってる。……恥ずかしい、から」
「……」
この子は俺を悶え殺そうとしているのかもしれない。
なんて思ってしまう瞬間だった。
この会話は店番をしている親父にも聞こえているだろうと思うとものすごく気になるが、そう言われてしまうと店の外に出るわけにもいかない。
「もらったら、ちゃんとお返ししないとだめだって、お母さんに言われた」
「そ、そうか……って、お返しなんていらないって。あれは俺が勝手に押し付けたようなもんだしっ」
「うれしかったから」
「でも、お返しなんて貰ってしまうと、俺の中であの行為の価値が下がってしまうというか」
「祐は男らしくない」
「んが!?」
「……受け取って」
理沙は目を伏せながら、後ろにまわしていた手を前に出した。
両手の中に、リボンがくるりと一周巻かれた、四角形のものがあった。
「本?」
こく、と理沙は小さく頷く。
俺は目の前に差し出されたそれを受け取った。少しだけ指先が触れ合った。理沙は一瞬びくっと震えた。俺は嫌がられたかと思ってごめんというと、理沙はうつむいたままふるふると首を横に振った。
「あ、開けてみて、いいか?」
「うん」
リボンを慎重に解く。
本の表紙には、天体観測図鑑、と書かれていた。
ばらばらとページをめくってみると、惑星の図解や星座の解説などが載っていた。
「……祐が、こういうの好きか、わからないけど」
「りさは星が好きなのか?」
「好き」
「なるほど。……しかし、凄いな。何回も読んだあとがあるけど、こんなのが普通に読めるのか。俺がりさと同じくらいの頃だと、こんな難しいものとても読もうとは思わなかったと思うぜ……ていうか、今でも結構難しい気が」
学校で使っている教科書よりは確かに読みやすそうではあるが、それは俺と同学年の基準で考えた場合だ。
頭もかなりいいのかもしれない。少なくとも、俺のレベルで考えられる相手ではなさそうだ。
「って、こんなの貰っていいのか? リボンなんかよりはるかに高いものじゃないか」
「本は、いっぱいあるから」
「凄いなあ。な、りさの家って何やってるんだ? もしかしてかなりのお嬢様?」
その質問に、何故か、理沙は一瞬辛そうな表情を見せた。
聞いてはいけないことだったかと慌てて今の言葉を取り消そうとすると、逆に俺を制するように、理沙が口を開いた。
「学者。学者さんやってる」
「え……そうなのか。なるほど、そりゃあ本なんていくらでもあるよな……」
「……」
感心する。なるほど、頭がいいのは当然だった。
なんだか一気に遠い相手のような気がしてしまう。脳裏にあのお父さんの姿が蘇ってくる。学者、というイメージで表される外見ではないように見えたが、学問というのはものによってはとても危険なものだということも聞いたことがある。あの体は自衛のために必然に鍛えられていただけなのかもしれない。
「なあ一体どんな学者さんなんだ? やっぱり星の――」
「お返し、ちゃんと渡したからっ」
「え……」
理沙は、ばっと後ろに一歩下がった。
「あ……ありがとう、リボン、ほんとに、嬉しかったっ」
「あ、うん。こちらこそ。本は大切にするぜ」
「それじゃ」
「……うん。また、遊びに来いよ」
「来る!」
元気な返事が返ってきた。
あからさまに一方的に話を打ち切られて、何か嫌われるようなことをしてしまったかと不安になったが、理沙の表情を見て安心する。忙しくてあまり長くはいられないということなのだろう。
まともに話ができなくて少し寂しかったが、これでまた次も会えるという約束ができた。貰った本もある。前のときみたいに辛い日々を過ごすことはなさそうだ。
店を出る理沙を見送る。
しばらくぼーっとしてから、ため息をついて店の奥に戻ろうとすると、複雑な顔をしている親父が俺を出迎えた。
どうからかわれることか、と思ったが、親父は真剣な顔で俺に言った。
「あの子が、この前の迷子の子だって?」
「……あ、ああ」
「この前、霧雨とか言ったな」
「言ってた。知ってるのか?」
「――いや。気のせいかもしれん。調べておく」
「……?」
このとき、理沙の家のことなんてどうでもいいじゃないか、と一言でも言っておけば、もしかしたらまったく違った展開になっていたのかもしれない。
歴史は、だけど、俺に真実を教えることを選んでしまった。
せめてあと何年か経って、俺が十分に大人になってからだったら良かったのに――
理沙は、俺が店番をしているときにやってきた。
「祐――」
「来るな!」
びくっ。
店に入ってきた理沙を、言葉で制する。理沙は、びっくりして固まっている。
「……どうしたの、祐」
「俺の名前を呼ぶな! 俺まで呪うつもりなのか……魔法使いが!」
「……!」
「親父から聞いた。霧雨の家は魔法使いだって。娘が一人いるって。俺を騙しやがって――」
「祐、それは」
「名前を呼ぶな……!! それ以上一歩でも店に足を踏み入れるな! お母さんは魔法使いにものを売ってしまったせいで……巻き込まれて、酷い目にあって、病気になって倒れたんだ! 今でもまだ遠い場所で苦しんでいる……!」
「……っ」
「隠していたんだろうが、残念だったな。親父はあのとき以降、近くに住んでる魔法使いについて調べているんだ。もう同じことを起こさないように!」
俺は肩の上から、思い切り、本を投げつける。
天体観測の本は、ばさりと音を立てて、理沙の目の前に落ちた。
「帰れ。それも持っていけ。魔法使いのものなんて、もう二度とこの家に近づけさせない」
「……」
理沙は、俯いている。
初めて出会ったあのときと、同じように。
「魔法使いを敵に回す覚悟はできている。俺も親父も。これは俺たちの戦いだ! 潰しに来るなら来るがいい。俺たちの心は絶対にお前らなんかには屈しない……!」
「……ごめん、なさい」
理沙は俯いたまま頭に手を回す。
何か魔法でも使うのかと構える俺に構わず、理沙はしゅるりと頭のリボンを外した。
「……返す」
「っ……そんなもの! 触りたくもない! どこかに勝手に捨てて来い!」
「できない。これはゆ……あなたの、ものだから……」
ぼた、ぼた……
本の上に、雫が零れ落ちる。
涙。
理沙はしゃがんで、本の上にリボンをそっと置いた。
どんな攻撃をされても絶対に目は閉じないでおこうと構え続ける俺を他所に、理沙はくるっとその場で反転し、店を出て行った。
店の外にはあのお父さんがいるはずだ。親父は、霧雨は本物の魔法使い一族だと言っていた。
完全に魔法使いに喧嘩を売ってしまった。だけど、これで構わない。
例え店が壊されても、俺が殺されても、俺たちの精神は生き続ける。魔法使いに抵抗したという誇りは、永遠に残る。
たまたま親父が外出中で、すぐにこの状況を伝えることができないのは残念だった。親父が帰ってくる頃には店がなくなっているかもしれない。
だけど、それからいくら経っても、静かなままだった。
何事もなかった。
あの時俺は本当に、ただの子供だった。
長い時間の後、俺は自分の過ちに気づいた。
理沙は何も悪いことをしていないのに。ただ本当に遊びに来てくれていただけなのに。
俺は謝りたかった。霧雨の家の場所を、なんとかして調べた。そして何日もかけて歩いた。
思い切って家の門を叩いた俺を迎えた言葉は、理沙はもうこの家にはいないという、絶望的な一言だった。
[MARISA]
「――なるほどね」
「うっ……ぐ、ぁ……なんだよ、なんでこんな、リアルに思い出させるんだよ……っ」
「記憶の奥のほうまで掘り返させてもらったからね。ちょっと痛かったかもしれないわね」
人形が苦しそうな声を絞り出している。
後遺症が残るほどではないはずだ。記憶自体が痛いものであれば、精神的なダメージはあるかもしれないが。
「ま、よくわかったわ。あなたと魔理沙の関係はね。名前は違うけど、確かに間違いなく魔理沙だわ」
「く……ああ、間違いない……俺は……俺は酷いことをした……」
「仕方ないんじゃない。魔法使いなんてやってるなら、あれくらいのことは覚悟しないといけないことだしね。子供には残酷なことだけど」
「……お前、理沙の友達なんじゃないのか?」
「過去は過去よ。どうこう言うつもりはないわ。で、あなたはどうしたいの、祐」
「言っただろ……! 会って謝りたいだけだ」
「謝ったらどうなるっていうの?」
「……あ?」
「魔理沙はせっかく忘れていた辛い過去を思い出してしまうなんてことになるかもしれないのよ」
「……忘れちゃいないだろ。いくらなんでも」
「そうかもね」
アリスは人形の髪を弄びながら、さてどうしたものかと悩む。
祐の必死な気持ちは、わからないでもない。昔傷つけてしまった相手と再会できる機会だというのだ。少しでも自分の中の重荷を軽くするためにも、ごめんなさいくらいは言いたいのだろう。
危害を加えるつもりもないというのも、本当だろう。その理由が何もない。
「頼む」
ただ、結果的に、祐と顔をあわせることになった魔理沙が、どんな反応を見せるか――
逆に、祐の身も心配だった。
「……はあ。仕方ないわね。いいとしますか」
「……! よしきた!」
「ただし、あなたが提案したとおり、魔理沙の家までは目隠しをさせてもらうわ。そして、魔理沙と話をするときも私は同席させてもらう。いいわね」
「ああ、構わない。……ありがとう。本当に」
「二番商店街の店に住んでるのよね。それじゃ、ちょっと外れたところの大きな木のことはわかる?」
「ああ。あそこだな」
「そこで待ち合わせしましょ。ここからだと片道30分くらいね。それくらいのつもりで、だいたいいつくらいがいいかしら?」
「……今日は、ごたごたするだろうからな。明日がいい」
「了解。明日の朝9時、どうかしら」
「わかった。待ってる」
「じゃ、魂をもとの体に返すわよ。長い間引き止めて悪かったわね」
ぽん。人形の頭に手を乗せる。
少し念を込めると、人形から気配が消えた。これでもう、向こう側で人間は目を覚ましたはずだ。
明日はどうなることか。魔理沙がどんな反応をするのか、やや読みづらいところがある。祐の記憶の中の魔理沙は、アリスの知っている魔理沙とはほとんど別人だった。人間とは不思議なものだ……と思ってから、アリスはすぐに昔の自分を思い出して、人のことは言えないかと気づいて、それ以上考えるのをやめた。
「――もっとやんちゃ坊主かと思ってたけど、意外に好青年じゃない。見た目は」
「うっさい」
約束の時間、木の下で彼を迎える。
そこから、いつも着地に使っている場所まで向かう。
「じゃ、目隠しするわよ。荷物あるみたいだけど、持とうか?」
「いや、いい」
「そう。落とさないよう気をつけてね」
「ああ」
手を繋いで、彼と一緒に宙に浮く。
繋がなくても彼だけ自分とは独立に浮かせることもできるが、いきなりそれでは不安だろうということで手はしっかりと握っておく。
「わっ……」
「落ち着いて、そのままでいれば大丈夫よ。コントロールは私がするから」
「お、おう」
ゆっくりと、前に進み始める。あまり暴れられるとコントロールが難しくなるから、最初はかなり速度を控えめにしておく。
高度が上がるにつれて祐の体が緊張で固くなっていくのがわかる。話していた感じからすれば祐はかなり豪胆な精神の持ち主だが、普通の人間は体験しないこの状況にすぐに順応しろというのは無理だろう。祐の命をアリスが握っているという状況は前回と変わらないが、今回はより現実的な恐怖が襲い掛かってくるのだから。
目隠しをしたというのは、この恐怖を和らげる意味もある。見えないほうが幸せということもあるのだ。何も見えないでいれば、いずれは浮遊感も麻痺してくる。そうすれば落ち着いてくる。
予想通り、進むうちに少しずつ祐の体から緊張が解れていった。少しずつ速度を上げているのだが、もう怖くはなさそうだ。
「……魔法使いってのは、やっぱり、凄いな」
「空くらいは飛べないと生きていけない世界だからね」
「なあ。魔法使いって、実際、どれくらいいるんだ」
「そんなに多くはないわよ。私も把握してるわけじゃないけど。あなたの言うとおり、魔法使い同士の横の繋がりなんてほとんどないから」
「……じゃ、俺のお母さんを……殺した、魔法使いのことも、知らないか?」
「知らないわね。言っておくけど、同じ魔法使いだからってどこかの馬鹿がやらかしたことの責任を私が引き受けるつもりはないわよ」
「わかってるさ……」
魔法の森に入る。空から、魔理沙の家に向かってゆっくりと降下する。
先にアリスが地面に足を下ろして、安定した状態で祐の着地を支える。
「……んぐっ」
30分ほども宙に浮いていて、再び地面に降り立ると、感覚のずれで足が驚いてしまう。
体を少し支えてから、目隠しを外す。
「着いたわ。魔理沙の家よ。今はここに一人で暮らしてるの」
「ぅ……」
まぶしさに目を細めながら、祐は家を見上げる。
一人暮らしにしては、とても広い家。祐は、一度ごくりと唾を飲み込む。
「覚悟はできている?」
「ああ。行こう」
玄関に向かって歩く。
アリスは、そういえば誰かと一緒にここに来るなんて経験は初めてだと思いながら、少しいつもと違う気持ちで呼び鈴を鳴らした。
「魔理沙。私よ。いいかしら?」
――数十秒。
いつもより長く感じる数十秒の後、足音が聞こえてきて、やがて玄関のドアが内側から開けられた。
「なんだ。昨日のなら返すつもりは――ん。誰?」
魔理沙の視線は、当然のようにアリスの後ろの祐に向かう。
祐は、魔理沙の姿を見て、口を開きかけて――辛そうに顔を歪めて、止まる。
最初の一言、何を言わなければいけないのか、迷ってしまったのだろう。あるいは実際に魔理沙を目の前にして頭が真っ白になってしまったのか。
アリスは祐の様子を確認して、代わりに口を開く。
「この子がね。魔理沙に用事なのよ。普通の人間だから扱いには気をつけて」
「あん?」
「祐。黙ってたら話が進まないでしょ」
「あ――」
魔理沙と祐の視線が交錯する。
魔理沙の不審げな顔を見て、祐は一度下を向く。
数秒間溜めたあと、先に祐が口を開いた。
「……会いたかった。会いたかったから、アリスに頼んでつれてきて貰った。久しぶりだ……理沙」
祐が名前を呼んだ瞬間、魔理沙の顔から表情が消えた。
明らかに空気が変わった。アリスも祐もそう感じる変化だった。
「人違いだろ。私は魔理沙だ」
「ずっと謝りたかったんだ。あのときのこと。……その、やっぱり、大きなリボンがよく似合うんだな。昨日は人形の姿で見たが、すぐに理沙だとわかった」
魔理沙は……目を閉じた。
沈黙がずっと続いた。1分、2分、続いた。
「アリス、悪い。先に帰っててくれ。この人間は私が責任を持って送り返す」
「――ま、そういう展開になるかなとは思っていたわ」
アリスは、魔理沙の提言をあっさりと受け入れて、祐の後ろに下がる。
祐の耳元に、声をかける。
「というわけで、ここでお別れね。頑張ってね」
「……ありがとう」
「無事に帰れたなら、またどこかで会いましょう、祐」
頭をそっと撫でる。
祐は、大真面目に、こくんと頷いた。
アリスは最後に魔理沙に軽く手を振って、飛び去っていった。
「さて」
魔理沙は玄関の中にまで祐を招きいれて、改めて仕切りなおす。ドアは開けたまま。
真正面から向かい合う。身長差は二十センチ以上あって、大人と子供という感じだ。年齢を考えれば、まさしくそのとおりかもしれない。
「謝りたかった、とか? とりあえず、最後まで聞かせてもらうか」
「理沙は何も悪くなかった。何も悪いことをしたわけじゃない。なのに俺は酷く傷つけてしまった。……ごめん。あの後反省して、いつか会うことが出来たらこうして謝りたいと、ずっと思っていた」
「へえ」
「魔法使いが憎かったんだ。……いや、今でも、好きになったわけじゃない。だけどそれと理沙本人とは関係のないことだった」
「なるほど」
「ごめん。ごめんなさい。今更謝っても理沙の傷は治ることはないとは思う。俺の自己満足だってわかってる。だけど……絶対に言わなければいけない。ごめん」
「――ふーん。ま、だいたいそんなところ、か」
魔理沙は軽い口調で、あっさりと祐の言葉を受け流す。
「それがお前が十年くらいかけて出した答えなんだな」
「そうだ」
「わかった。確かに受け取った。じゃ、私の番だ。……うーん、そうだな。もうちょっと、左だな」
「……?」
首を傾げる祐に、魔理沙は指で左に寄れと指し示す。
祐は黙ってそれに従う。半歩、左に位置をずらす。
「おし、いい感じだ。ベストポジション」
「はあ」
「目を閉じろ」
「え……」
「目を閉じろ」
突然の命令に一度戸惑う祐だったが、繰り返しの言葉には素直に従った。
目を閉じる。
直後、魔理沙の平手が、祐の頬を激しく打った。
ばしいいぃん、という、まるで森全体に響いたのではないかという激しい破裂音とともに、祐の体は浮き、ドアの位置を越えて、玄関までの通路を飛んだ後、体は地面に叩きつけられ、そのままごろごろと何メートルも転がっていった。
痛みというより、まるで何が起こったか理解できないという混乱で、祐は呆然と空を見上げる。
祐の視界の外から、魔理沙の笑い声が聞こえた。
「は……はははは。やった。やってやった」
祐は、むくりと体を起こす。腕の中に抱えた荷物は、奇跡的に手放してはいなかった。しっかりと抱えている。
魔理沙の顔を、目を丸くして眺める。
「私の考えたことも、だいたいお前と同じだ。最初は魔法使いであることに罪の意識を感じたこともあったが――結局のところ私は関係ないじゃないか、と気づくと、それはもう怒りがこみ上げてきてな。もし次に会うことがあったら、全力で殴ってやろうと思っていた。爽快だったぜ。ま、それくらいの痛みは――」
「よかった……」
「……あん?」
祐は、魔理沙の言葉に割り込んで、ぽそりと呟いた。
そして、少しだけ、微笑む。
「理沙が笑っているところ、初めて見た。あのときよりも生き生きしてる」
「何を言ってるんだお前は」
「親父に本気で殴られたときよりも吹っ飛んだ。最高記録だ」
「……なんだ。痛くなかったみたいだな。もう一発するか」
「いやそれは勘弁してくれ。マジ痛い」
そう言って、祐は腹を抱えて笑い出す。
先ほどまで深刻な顔をしていたのが嘘みたいに、それはもう、全力で笑っていた。
「ありがとう。いい一発だったぜ」
「変な奴だ」
「おう、俺は変な奴だ。魔法使いが嫌いなくせに魔法使いに頼んで別の魔法使いに会いに来る変な奴だ」
「……まったくだ」
「だけど、誇れることもある。いきなり殴られたのに、ちゃんとこれは守ったぜ?」
祐は自慢げに、魔理沙の前に一冊の本を差し出す。
タイトルは、天体観測図鑑。
「――」
魔理沙の表情が一瞬固くなる。が、すぐに微妙な笑みに戻る。
「てっきりすぐに焼き払ったもんだと思ってたがな」
「焼いた。間違いない。……だから、返すために、必死で探して、同じ本を見つけて買ったんだ」
「わざわざご苦労なこった。それくらいの本、こっちはいくらでも手に入るってのに。もう用事もないけどな」
「受け取ってくれ。これも俺の自己満足だ」
「一応な」
魔理沙は、祐からその本を受け取る。
それを、両手で少し高いところに持ち上げてみせる。
「これ、今手を離して床に落としたら、お前泣いてくれるか?」
「……は……はは。そりゃ、きつい、かもな」
「そうか。じゃ、やる」
ぱ。
躊躇なく、手を離す。
あ、という驚きの声とともに祐が慌てて手を伸ばそうとするが、本が落ちる速度のほうが速い。
本は地面に容赦なく叩きつけられ――
――ることなく、ぴたりと、地面の直前で、止まった。
そしてふわふわと浮き上がり、再び魔理沙の手の中に納まる。
「ほら、お前の大嫌いな魔法だ。気分は?」
「……いや、俺、さっき空飛んできたし」
「……」
魔理沙は祐の顔を見上げて、目を一度右方向に逸らして、本を振りかぶって、祐の頭を本の角で殴った。
「空気読め」
「……あー、ごめん」
やれやれ、といかにも祐が悪いといわんばかりのため息をついてみせて、魔理沙は本を下駄箱の上に置いた。
祐は、今度はじっと魔理沙の顔を見つめている。
正確には、その頭の上に乗っている帽子。
「いかにも、誰が見ても魔法使いですという感じなんだな」
「わかりやすくていいだろ?」
「でも、リボンが明らかに浮いてる。イメージ的に」
「お前はわざわざダメ出しに来たのか?」
「いや。ただ……その、さ、もし俺が、大きなリボンが似合ってるって言ったこと、覚えていてくれて、それで、だったら」
「ただの私の趣味だ」
「あ……そ、か」
少し落ち込みかけるが、それでも祐はすぐに、笑って見せた。
魔理沙の帽子の端を軽く持ち上げて、言う。
「やっぱり、可愛い。俺の記憶よりも、今の理沙のほうが、もっと綺麗に見える」
「……」
「いやそんな目で見るなって。本当なんだ。なあ、あのとき俺は、本気で理沙のこと……好きだった。もし、あのときの俺が、今くらいちゃんと割り切った考え方をできるようになっていればって」
「もし、に意味はないぜ」
「そうだな。だけど、奇跡的にもう一度会うことができた。俺はあれから成長して、昔より元気になって、もっと綺麗になった理沙を見ることができた。俺にとっては、ただの昔話でも、意味のない仮定でもない。理沙――」
「やめろ」
少し冷たい声が、祐を制する。
手を前に伸ばして、それだけの距離をあける。
「……あのときの私は、ほんの一瞬の、珍しい幸せを体験していた。お前に会いに行くのは本当に楽しみで、ドキドキして、苦しいくらいだった」
「理沙」
「でもさ、昔話だろ。お前は私にとって過去の通過点だ。今後、私に影響を及ぼすことは、ない」
「――」
はっきりとした拒絶宣言。
魔理沙の顔には、一切の未練もなかった。
「今の私は、魔法使いの魔理沙だ。次に会うことがあるかどうかはわからないが、今後はちゃんと魔理沙と呼んでくれ」
「……その、名前は、どうして?」
「こっちのほうが強そうでかっこいいだろ?」
にかっ、と魔理沙は笑った。
これでその話は打ち切りとばかりに、魔理沙は下駄箱に立てかけてある箒を手に取る。
「もう話すべきことはない。送り返してやるぜ。住んでる場所は変わってないな?」
「……ああ」
箒に二人腰掛けて、空に飛び立つ。
今度は目隠しもない。地面は丸見えだ。しかも、箒という不安定な乗り物に乗っている分、アリスのときよりももともと怖い飛行。
祐は、箒を強く握り締めて、目を閉じる。魔理沙の体にはしがみつかないようにする。
魔理沙の速度は、アリスのときより速い。祐にはもちろん、それでも本来の魔理沙の飛行速度の2割程度だということなど知る由もない。
「あ、あのさ」
「んー?」
ある程度空に慣れてきたところで、祐が魔理沙に声をかける。
「思ったんだ。名前変えたのも、やっぱり俺のせいなんじゃないかって」
「何言い出すんだ」
「理沙が話を強引に打ち切るときは、嘘をついてるときなんだ」
「……」
祐は言葉を選びながら、ゆっくりと、話を続ける。
飛行速度は、若干ながら、落ちる。
「俺さ、魔法使いだって隠してたことを責めただろ。騙したな、って。だから名前からして魔法使いっぽくして、わざわざ自分が魔法使いだって主張するようにしたんじゃないかって」
「……ふん。なかなか面白い説だ」
「帽子だってそういうことなんじゃないのか?」
話しているうちに確信を持ってきたのか、話しながら、祐の言葉は強くなっていく。
……また、飛行速度が上がる。
「確かに私は、魔法使いであることを出来る限り隠すという実家の方針には納得がいかなかった。堂々とすればいい。魔法使いだからって理由だけで攻撃してくる相手がいても、気にしなければいい」
「だから家出?」
「プライベートを平気で突っついてくる奴だな、お前は。言っておくが家出じゃないぜ。追い出されたんだ。ま、似たようなもんだが。理由については簡単に人に話すようなことじゃない」
「……だな」
「さて、お前の名推理についてだが。とりあえずお前は、相当な自意識過剰だと言わせてもらおう。……ったく、自分がそこまで人に影響を与えたと思いたいのかね」
「む」
「勘違いするな。名前は、ま、あれだ。師匠から名前を一文字もらっただけだ。魔法使いらしく、てのは確かにあったけどな」
森の上空を抜ける。
まもなく普通の人間の世界に接近する。
「なあ」
「まだ何かあるのか」
「ある。いや、ちゃんとはっきりさせたいことがあるんだ」
「それが多いんだお前は」
「かもな。えーと……理沙は本当に、もっと可愛くなった。二回目の一目惚れをしてしまったくらいだ。それは……本当の気持ちなんだ」
「……まだ口説く気か?」
「そんなつもりはない。言いたかっただけだ」
「なら、いい」
「俺の家、まだあの店やってるんだ。もし何か機会があったら寄ってくれ。普通に客として迎えるから」
「魔法使いは入れないんだろ?」
「理沙は例外だ!」
「やれやれ。ま、行くことはないと思うけどな」
高度を落とし始める。
向かう先は、一本の木。
そこは、今日、アリスと祐が待ち合わせした木と同じ場所だった。
「……幸せになってくれよ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、祐が呟いた。
それに対する返事は、なかった。
木の下で二人は別れた。
別れるのはこれで4回目。今までで、一番あっさりとした別れ方だった。
空を見上げて、魔理沙は、薄く笑った。
[Epilogue]
「いらっしゃー……あ……?」
「なっるほどねえ。そんな気はしてたのよ」
今日の店番をしていた祐が、客の姿を見て、あんぐりと口を半開きにして固まる。
そんな祐の前で、アリスは軽く一礼をしてみせた。
「この店、前に一回来たことがあったのよ。そうそう、リボンだけは結構気に入ってね、一回買ってみたのよね。その、白いリボン」
「あ……アリス?」
「久しぶりね、祐。元気してた?」
「あ……ああ、まあ」
「ま……一応ね。ごめんなさいははっきりと言っておかないといけないと思ってね、私も。もう想像はついてると思うけど……買ったリボン、あのフランス人形に使ってたのよ」
「はあ」
ぽかんとしたままの祐に向かって、くすくすとアリスは笑いかける。
髪飾りのコーナーを見て、さて次は何がいいかしらと物色し始める。
――しばらく経って、祐は、がたっと席を立った。
「って結局やっぱり魔法使いに物売ったせいで巻き込まれたんじゃないか俺! ……くそ、やっぱり魔法使いなんて大嫌いだ」
「ごめんなさい」
「まったくだ。俺の過去のことは知ってるんだろ。泣いて詫びろ」
「でも、おかげで魔理沙に会えたでしょ」
「……そんな正当化は認めない」
「で、さ。このリボン二つなんだけど」
もう話は終わりとばかりにアリスはひょいっと棚から二つのリボンを取り出して、祐の目の前に突きつける。
白いリボンと、赤いリボン。大きさは同じくらい。
「どっちが魔理沙に似合うと思う?」
「はあ? なんで俺に聞くんだよ。……だいたい、魔法使いにもう物は売らないって言ってるだろ」
「魔理沙の魔法になら巻き込まれてもいいとか思ったりしないの?」
「……」
祐は、頭を一度抱えて、深く深く、ため息をついた。
ごめんなさい、と誰かに何かを謝っていた。
「やっぱり、白」
[FIN]
祐君未練がましいぞ。
あと、村人。さんにしてはアリスが大人しめ。
メインが魔理沙だから仕方ないのでしょうが。
祐君は……色々と頑張れと言いたい、私と一部同じ名前だし(w
>パチュリ―と優しい触手
詳細が知りたいです(w
ああ村人。先生のお話は実に素敵だ。
後書きで落としてくれるところまで素敵だw
女の子って強いですよねぇ。その強さが、魔理沙の言葉や態度、行動に良く現れていると思います。
ところであえて氏にお聞きしたい。
女の子は、白ですか? 何のことだか良くわかりませんが。