人の血みたいに真っ赤なワインが空っぽに近づいていく。
紅魔館のメイドたちが代金代わりに置いていったという13本も残りは一本だけ。
「のめ~のめ~のむぅ~ならぁ~ばぁ~♪」
店舗運営を放棄したミスティアは酔っ払いながら料理を作り、いつも通りの歌声を響かせる。
「みんなぁのんでるぅぅぅぅぅ」
ワインより赤い顔をして、頭の触覚をメトロノームのように落ち着き無く揺らしながら宴会の主催であるリグルは、当の昔に出来上がっていた。
どこからミスティアの屋台を貸切に出来るほどの財が出てきたのか聞いてみたら、最近始めた蜂蜜の販売が紅魔館との取引で莫大な利益を挙げたらしい。儲けの半分以上は商売のやり方を教えてくれた兎と蜜たっぷりの花を咲かせてくれる妖怪に持っていかれるらしいが、それでも少人数で集まって宴会を開くには十分な収入のようだ。
商売自体が『蟲の地位向上』が目的のせいか、こういうことに関してリグルの気前はいい。
「ぎゃははっははっ、あたいったら最強ねっ」
「……あうー」
意外と酒豪なチルノは酔って暴れだした大妖精を早々に鎮圧すると、そのまま膝に寝かせて店のアルコール全てを飲みつくす勢いでご機嫌にラッパ飲みしている。青い顔で潰れている大妖精は対照的に苦しそうだが、普段してばかりの膝枕にそこはかとなく幸せそうにも見える。
とても賑やかな幻想郷の妖怪らしい小さくとも騒がしい宴会。
赤提灯に照らされた闇の無い世界が心地よくて、焼きあがった八目鰻を口一杯に頬張る。
「おいしー」
とても美味しいので、笑顔になれた。
「るーみぁー食べてるぅ?」
「ミスティアの料理はおいしいね……はむっ」
「アンタ、コップが空いてるわよー」
口に料理を詰め込まれながら、注いでもらったお酒を飲む。
口の中がしっちゃかめっちゃかで、味もよく分からないけど嬉しかった。
楽しいごはんが、とても嬉しい。
「ごはんが~ごはぁんが~すすむぅ♪」
ミスティアの騒がしい歌声、酔って食べさせ魔になったリグルの歓声。
チルノの上げる嬌声、横になったまま料理と酒を詰め込まれた大妖精のうめき声。
色んな音が交響曲を造り上げ、それに混じって自分の心底楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「いい加減にし…やりやが……くださいぃ」
「うあぁ!? 大…ぁん……切……た」
「せっか……なしく………のに……」
酔いすぎて耳が変になってきた。
瞼が錘を付けられたようで、体に馴染んだ闇が視界を覆い隠そうとしている。
意識が閉じて穏やかな眠りの世界に落ちていこうとしていた。
まだもう少し楽しい時間を過ごしていたくて、髪を留めるリボンに手を這わせる。
「貴…の弱……―…ここっ…!」
「ひ……~し…触覚はだ…ぇ」
「あた…にもさわ……なさ…っ!」
「やめ………あんっ……」
ぴりぴりとした感触が落ちかけた意識をほんの少し持ち上げる。
「ひゃぁあ、ルーミア助けてっ」
酔いも冷めてしまったのか、半泣きで逃げてきたリグルが覆いかぶさってくる。
酔っ払った体は軽いはずの体を受け止めることもできず、地面にひっくり返ってしまう。
リグルの肩越しに据わった目をした大妖精とツボに入って笑い転げるチルノが見えた。
「覚悟はいいですかぁ」
「ひぇぇえぇ」
「荷馬車はゆぅくぅよ~♪」
逃げようと必死なリグルと怖い顔を作ったままの大妖精の組み合わせがおかしくて、自分も混ぜて欲しくてリボンに触れていた手を伸ばした。
大妖精の腕が伸びてくる。
リグルの触角を掠めて。
目の前に。
「――ぁ」
「あ、ごめんね。リボン、とれちゃった」
――いつも以上に静かな闇の中に落ちきった。
闇の中で夢を見る。
繰り返し見続ける恐ろしい夢を。
とても悲しい現実を、夢に見る。
あのころは。
あの頃の自分は――
とても。
とても。
おなかが空いてたから。
食べた。
首筋に噛み付いて。
中身を引きずり出して。
血に塗れながら。
食べた。
筋張った肉を押し込みながら。
固い骨を噛み砕いて。
血の苦さを味わいながら。
食べた。
残してはいけないと思いながら。
美味しいなんて思えないのに。
血より多くの涙を流しながら。
食べた。
さっきまで一緒にいた。
久しぶりに会った同族を。
さっきまで笑いあった存在を。
――妖怪を食べた。
生まれたときから月だけはそのことが義務であるかのように姿を変えない。
欠けては満ちて、満ちては欠ける。
永遠にも似た定められた再生と崩壊。
ずっとずっと正義も悪も善行も――罪――だって見つめ続けているに違いない。
星空が眩しすぎて地面に、目を逸らし続けた地面に視線を落す。
赤黒い血と肉片が月明かりに照らされて今犯した罪を暴いていた。
「――」
謝罪の言葉すら口に出来ない。
自分を支配していた強迫観念はすでに消え、磨耗した罪悪感がいつもの後悔を繰り返すだけ。
妖怪なのに、妖怪を食べてしまった寂しい現実。
長い間ガマンしていたのに、運悪く訪れた妖怪と出くわしてしまった。
人里を襲った帰りでまだ暖かい血にまみれた羨ましい妖怪には、もう一つ別の匂いが混じっていた。
人間に反撃された際に付けられた傷から流れる出る、血。
久しぶりの同族に、はしゃぐ妖怪のおしゃべりにかろうじて相槌を打ちながら、心が飢餓に染まっていくのを実感していたから、早く立ち去って欲しかった。
立ち去るまで耐えようと笑顔を作り、思考を逸らそうと数を数える。二進法で。
結局。
全て無駄だったけど。
『どの部分の肉が好き?』
無邪気な質問に、数えた数も全て食い尽くされた。
最近は妖怪自体が減ってしまったおかげで、食べなくてすんでいたのに。
心痛む残骸から離れて血を浴びなかった水たまりの泥水をすする。口内に残る苦味は何度水で洗っても消えてくれなかった。
水面に映る顔はいつからか笑顔を作ることをやめている。
「私はまた……」
罪はここに。全てを背負い、磔られてくれる聖者はいない。
また独りになった世界で影を起こし、闇を纏う。
月の光も通さない冷たい闇に抱かれて目を閉じる。
飢餓感は無くなって、心は平穏を取り戻しているのに、この感情だけは消えることなく、哀しいと叫び続ける。
生きるために『生きた者』を喰うのは正しいと知っているけど。
それでも同族を――さっきまで同じ目線で生きていられた者を食べなくてはいけないのは。
とても、罪深く思える。
今度こそ悪夢のような日々から逃げられるように願いながら夢を見る。
もしくは、妖怪がいない世界にでも行ければいいのだろうか。
飢えて死ぬのか、渇望に心壊されて死ぬのかどちらかだろうが、そんな終わりも罪深い自分にはふさわしい気がする。
今日も願いながら夢に落ちる。
そのうち、寂しい現実に浮上する夢に落ちていく。
「~~~♪」
落ちていく夢の中で、誰かの歌声が耳に届く。
上手くは無い騒々しいだけの――音を楽しむだけの歌声。
それは。
ごはんを食べ損ねておなかを空かせていると、いつも料理を振舞いながらこんな歌を聞かせてくれる
とても素敵な友達の歌声。
落下する心が静かに留まり始める。
何も見えない闇の中に、歌声は確かに響いてくる。
耳を澄ますうち、見えないはずの闇に小さな光が浮かび上がっていた。
小腹が空いて蟲を捕まえていたら容赦なく蹴ってくるけど、気前よくお菓子や蜂蜜をわけてくれる甘くて優しいリグルの光。
柔らかい光が嬉しくて、捕まえようと手を伸ばす。
――伸ばした手が冷たい手に触れた。
握ると強く握り返してくる冷たい――暖かい手。
深い闇の中、柔らかいリグルの光が手の主を照らして教えてくれる。
「―――――!!」
チルノがいつもの快活な笑顔で何かを叫んだけど、ミスティアの歌に紛れてよく聞こえない。
聞き返そうと思ったら、視界に入った赤い線が気になって止めてしまう。
線を辿っていくと、その方向から光に囲まれて大妖精が落ちてくる。
赤い線――リボンはいつも間にか体に巻きついていて、動けなくなってしまった。
降りてきた大妖精がリボンの端を掴んで、穏やかな笑顔を浮かべる。
チルノの髪を洗うときみたいに、丁寧な手つきで優しく。
――リボンを結んだ。
そうして。
また夢に落ちていく。
騒々しい子守唄を聞きながら。
嫌いじゃない光を浴びながら。
冷たい手に温められながら。
穏やかな風に髪を撫でられながら。
優しい夢に落ちながら、寂しくない現実へ浮かび上がった。
夢から目を覚ます。
「……」
寝起きで視界は曇っていて、意識はぼんやりしている。
いつものように、いつの間にか――いやずっと昔から付けている外せないリボンに手を這わせる。
パチパチと痛痒い感触が指に走って、寝ぼけた頭に刺激を与える。
赤提灯の明るさが重い瞼を刺して、少し痛い。
「しあわせぇなら~てをたたこっ~♪」
調子の外れた歌声と火にあぶられた魚のにおい。
さっきまでいたミスティアの屋台の見慣れた風景。
……の、はずなのにいたるところが壊れていて無事な赤提灯が不似合いなぐらい。
寝ている間に何があったのか不思議に思いながら他のみんなを探してみると、屋台のそばに生えた木を背にして、寝転がっていた。
服装は何故かぼろぼろで、疲れきった顔で眠り込んでいた。
けど、とても満足そうだった。
「みんな寝ちゃったんだ」
「あーまぁね」
あまり作らない、困ったような笑顔を浮かべながら八目鰻を焼いているミスティア。
よく見ると、彼女の服も所々破けて、頬には泥が付いていた。
寝ている間によっぽど騒々しいことが起きたようだ。
参加できなくて、ちょっと寂しい。
「はい、今日のおしまい」
「ありがと、もらうね」
タレの焦げた香りが空いたおなかを刺激する。
口にすると美味しくて笑顔が浮かぶ。
「やっぱり、ルーミアはそうじゃないと」
「んー?」
口の中が一杯で声が出せない。
ミスティアは笑顔のまま大きなあくびをした。
「わたしも寝るから、後始末おねがいねぇ~」
「後始末って?」
とがった爪が差したのは、カウンターに放置された料理の数々。
大きく大きく頷いて、ついでに、ぺこぺこのお腹が嬉しそうに音を出す。
聞きつけた音にケラケラ笑って、
「やっぱり、ルーミアはそうじゃないと」
さっきと同じことをもう一回言って、おやすみと歌いながら眠りこけるみんなの横に、羽を痛めないようにうつ伏せで寝転がった。
友達たちの寝息が静かに重なる。
眠ったリグルのために蛍たちは光るのをやめ、鳴いていた蟲たちも声を潜めている。
チルノは大妖精を枕にして満足そうに大の字で寝ていた。
枕にされた大妖精は寝苦しい態勢なのに、穏やかに安心したような寝息を立てている。
みんなの寝顔を見ながら、残っていた料理を食べる。
早く一緒に眠りたいと思いながら、ミスティアの料理を口に入れていく。
残してはいけないと思いながら。
美味しいって思いながら。
優しい幸せを感じながら。
笑顔で食べた。
『腹が膨れれば、悩みの八割は解決する』
体重計?そんなもん今は知らない…(何
何と言うか、ほのぼのします。