吾輩は猫である。名前はまだ無い。
何処で生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめしたところでニャーニャー泣いて居た事だけは記憶している。
吾輩は此処で初めて人間というものを見た。然もあとで聞くとそれは“巫女”という人間中で一番猛悪かつ貪欲な種族であったそうだ。
この“巫女”というのは時々我々を捕まえて煮て食うという話である。
然しその当時は何という考えもなかったから別段恐ろしいとも思わなかった。
ただ、彼女の手からぶら下げられた時なんだか背筋が凍る様な感じがあったきりである。
少し落ち着いて巫女の姿を見たのが所謂人間というものの見始であろう。
此時妙なものだと思った感じが今でも残っている。
第一袖でもって隠されている筈の腋が丸出しだ。其の後他の人間にも大分逢ったが、こんな腋丸出しの者には一度も出くわした事がない。
のみならず胸にあるべき膨らみが余りに平たい。フカフカするどころか洗濯板の様にごりごりとする。
そうして時折自らの胸に手を当てて『はぁ』と溜息をつく。どうにも辛気臭くて実に弱った。
是が世に言う“貧乳”というものであることは漸く此の頃知った。
「…この猫なんでさっきから私の腋と胸を凝視しているんだろ?…ま、いっか。それより三ヶ月ぶりの動物性タンパク質♪今夜は猫鍋ね!」
この巫女の手の中でしばらくなんともいえない悪寒を感じていると、突然非常な速力で運転し始めた。
「こんにちは、お邪魔するよ。」
「あら?藍じゃない。紫のお使い?」
「ああ、最近西方の結界に綻びが出来てきたようなんでその修繕を…ん?その猫はどうした?」
「この猫?床下に紛れ込んでいたのよ。あんたも食べてく?」
「……な ん だ と ?」
「猫鍋よ~♪これだけ小さいと食いでは無いけど…この際贅沢は…っ!」
しゅっ!たたたたたたん!
目をやれば壁一面が妖気を帯びた弾で埋め尽くされていた。
これも此の頃知った事なのだが“弾幕”というもので、我々猫の爪や牙の代わりに人や妖怪が使うものであるそうだ。
「き さ ま…言うに事欠いて猫鍋だと?そんな愛らしい子猫を喰らうだとぉっ!」
「…邪魔をする気?」
「必然!橙の為、猫の為、飢巫女の野望を打ち砕くスッパテンコ-3!!この尻尾の静電気を恐れぬのなら…かかってこい!」
「上等…博麗の巫女の食事を妨げる…それがどれ程の禁忌か身をもって知りなさい!」
“式神「憑依茶吉尼天」!”
“神技「八方龍殺陣」!!”
「テンコーーー!」
「おーにーくーー!」
ばりばりばり
巫女が動くのか自分だけが動くのか分からないが無闇に目が廻る。胸が悪くなる。
到底助からないと思っていると、ぴちゅ~んと音がして目から火が出た。
ここまでは記憶して居るがあとは何のことやらいくら考え出そうとしても分からない。
ふと気が付いてみると巫女は居ない。鍋も見えない。先程巫女と撃ち合っていた狐も姿を隠してしまった。
その上今までの所とは違って無闇に明るい。目を開けて居られぬ位だ。
果て?なんでも様子が可笑しいと、のそのそ這い出してみると非常に痛い。
吾輩は鍋の中から急に笹原の中に放り出されたのである。
漸くの思いで笹原を這い出すと向こうに大きな湖がある。
吾輩は湖の畔に座ってどうしたらよかろうと考えてみた。
別に是という分別も出ない。
暫くして泣いたら巫女か狐がまた迎えに来てくれるかと考え付いた。
ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。
今思えばなんと無謀な試みであったことか。
狐亡き今、巫女なりリボン妖怪なりに見つかれば吾輩の矮躯は彼女等の小さな胃袋にすっぽりとおさまっていた事疑いようも無い。
そのうち湖の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減ってきた。泣きたくても声が出ない。
仕方が無い、なんでもよいから食物のある所まで歩こうと決心してそろりそろりと湖沿いに歩き始めた。どうも非常に苦しい。
そこを我慢して無理矢理に這っていくと漸くの事で何と無く人間臭くは無いが食物の臭いと何かが焦げる臭いが充満する所へ出た。
ここへ入ったらどうにかなると思って門扉の崩れ落ちた隙間から、とある邸内にもぐり込んだ。
縁は不思議なもので、もしこの門と門番が吹き飛ばされていなかったなら、吾輩は遂に路傍に餓死したかも知れんのである。
この門は今日に至るまで吾輩が屋敷の外に散歩する時の通路になっている。
さて屋敷へは忍び込んだものの是から先どうして善いか分からない。
その内に暗くなる。腹は減る、寒さは寒し、時折流れ弾が降ってくるという始末でもう一刻も猶予ができなくなった。
仕方が無いから兎に角明るくて暖かそうな方へ方へと歩いていく。
今から考えると其の時は既に館の内に入っていたのだ。
ここで吾輩は彼の巫女以外の人間及び人妖を再び見るべき機会に遭遇したのである。
「あ~、子猫~♪」
「かわいー!」
「あら本当、どこから入り込んだのかしら?」
第一に逢ったのがメイドである。
「全く、猫の子一匹の進入を阻止する事もできないなんて…職務怠慢の極みと言うべきかしら。」
幾人かのメイドは前の巫女より丁寧な扱いをしてくれたのだが、
一人のメイド。先程の巫女と同じように胸部のボリュームが他のメイド達に比べ著しく足りないメイドは、
吾輩を見るや否やいきなりナイフと一緒に表へ抛り出した。
「さ、咲夜さん!黒白の魔砲を食らった直後だったんですよ!?不可抗力d!!!」
“メイド秘技「操りドール」”
さく、さく、さくさくさくざくざくざくざくぞぶぞぶぞぶ…
いや是は駄目だと思ったから目をつむって運を天に任せていた。
然しひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。
吾輩は再びメイドの隙を見て台所へ這い上がった。
ぺい
すると間髪おかずに再び投げ出された。
ざくざくざく
そばにあった針山のような物体を足場にして吾輩はまた這い上がった
ととととっ
ぺい
ざくざくざくざく
とととととっ
ぺい
ぶすぶすぶすぶすっ
投げ出されては這い上がり、這い上がっては投げ出され、何でも同じことを四五遍繰り返したのを記憶している。
其の時に貧乳というものはつくづく嫌になった。
この前貧乳メイドのパッドを盗んで此返報をしてやってから、やっと胸の痞えが取れた。
いや吾輩が盗ったのは胸の支え…否、メイドのプライドだったらしいのだが…
「メイド長~、この猫ここで飼っちゃ駄目なんですか~?」
「ほら、こんなに可愛いのに…にくきゅ~ぷにぷに~♪」
「無駄口を叩いている暇があるなら業務に戻りなさい。もうすぐお嬢様の朝食のお時間よ。」
「ぶ~、メイド長おーぼー!」
「悪魔の狗だっているんですから猫だっていいじゃないですか~!」
「駄目といったら駄目よ!だいたいこれ以上ごく潰しを増やしてどうするつもり!?益体もない居候はパチュリー様ぐらいで…」
「あら、私がどうかしたの?」
「騒々しいわね、一体何事?」
「「「お、お嬢様、パチュリー様!」」」
吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この館の主人と居候が出てきた。
メイドは我輩をぶら下げ、主人の方に向けて
「この猫がいくら追い出しても厨房に入ってきてしまうんです。」
と言う。
「いいじゃないの、猫の一匹や二匹。頼りにならないネコイラズ達に猫度を補充する良い機会だわ。」
「…流石はパチュリーさま。三杯めにもグッと出す居候は仰る事が一味違いますわねぇ。」
「ふっふふふふふふふ…」
「ほほほほほほほほほ」
他のメイド達はおろおろとするばかりで手を出しかねて居る。
主人は胸の前で手を合わせながら吾輩達の顔を暫く眺めていたが…
「うちに置いてあげれば?」
「おじょうさま?」
「レミィ?」
「たかが迷い込んできた猫の子一匹、養えない様では貴族の名が廃るというものよ。
それにパチェの言い分にも興味があるわ。フランの情操教育にもなるし…」
「お嬢様!?」
「確認しないと分からないのかしら?これは命令よ、この猫を紅魔館で飼いなさい。」
「…承知致しました。お嬢様の仰せとあらば。」
メイドは口惜しそうに我輩を台所へと抛り出した。
主人はそのままくるりと廻って奥へ入って行った。
主人は貴族としての対面を重んじる人と見える。
ずるべしゃがつん
「へぐぅ!」
扉の敷居に足を引っ掛け転んで柱に強打した頭を抱えている姿からは貴族の二文字は出てこないのだが…
かくして吾輩は遂にこの家、紅魔館を自分の住家と極める事にしたのである。
●
吾輩の主人=紅魔館の主人=レミリア・スカーレットは、滅多に我輩と顔を合わせることが無い。
種族は“吸血鬼”だそうだ。
目を覚まして紅茶を一杯飲むと、貧乳メイドを伴って件の巫女の棲み処である“神社”という所に飛んでいくか、部屋に閉じこもってなにか善からぬ事をやっておる。
館の者は
「ねえねえ、やっぱりお嬢様って素敵な方よねー!」
「そうそう、あの溢れる気品!圧倒的な実力!比類する者の無い威厳!“カリスマ”っていうのは、正にお嬢様の為にある言葉よね!!」
などと言って、彼女を神の如く崇め奉っている。
当人も自らをカリスマであるかの如く見せている。
然し実際は館のものが言うようなカリスマではない。
吾輩は時々忍び足に彼女の寝室を覗いてみるが、彼女はよく枕を抱えてクネクネと悶えている。
「あぁっ!霊夢、私の霊夢!貴女はどうして私の愛を受け止めてくれないの!貴女がそんなにもつれないから、今日も私のリビドーがバットレディスクランブルよ!」
鏡を見るのが宜しかろう。
折角の等身大巫女抱き枕カバー(18禁仕様)がよだれやらナニやらでぐしょぐしょである。
彼女は“吸血鬼”なので、皮膚の色は病的な程に白く不活発な兆候をあらわしている。
その癖に日傘一つでまだ日の高い日中にも出かけていく。針やら札塗れになって帰ってきた後で紅茶を飲む。
飲んだ後で枕を抱えて悶える。涎やらナニやらを枕に垂らす。
是が彼女の毎日繰り返す日課である
吾輩は猫ながら時々考える事がある。“吸血鬼”というものは実に楽なものだ。妖怪となったら吸血鬼となるに限る。
こんな(自主規制)でも勤まるものなら猫にでも出来ぬことはないと。
もっとも主人に言わせると“吸血鬼”程つらいものは無いそうで、彼女は友人が部屋に来るたびに何とかかんとか不平を鳴らしている。
「ねぇパチェ、聞いてくれる?」
「なあに、レミィ?」
「このネックレスなんだけど…霊夢が私につけて欲しいって。何時もの差し入れのお礼、手作りだって言ってたわ。」
「惚気?」
「…このネックレス、にんにくと炒り大豆で作ってあるのよ。」
「まぁ素敵。」
「茨の冠どころの騒ぎじゃないわよこれは。」
「それが霊夢の愛なんでしょう?」
「ええ……愛が痛いわ。とても」
吾輩がこの屋敷に住み込んだ当時から、貧乳メイド以外のものには甚だ人望があったように思う。
何処へいっても撫で回され抱き上げられ、胸の谷間に挟み込んでくれる。
いささか残念であったのは、とうとう名前をつけてもらえなかった事だ。
このあたりはWin第一作目の呪いという奴らしいのだが、吾輩にはついに理解できなんだ。
愛されるのは嬉しい事ではあるのだが、それも過ぎれば苦痛となる。
この辺りは吾輩も主人と感慨を同じくする。愛とは苦しく痛いものなのだ。
吾輩は仕方が無いから出来得る限り吾輩を迎え入れてくれた主人やその友人の傍に居る事をつとめた。
メイド達とて、仕えるべき主の面前で猫なで声を出すわけにはいかないのである。
主人が紅茶を飲む時は必ず彼女の膝の上に乗る。彼女が居眠りをしていれば、必ずその腕を枕にする。
是はあながち主人が好きと言う訳ではないが(なにせ主人も貧乳である)他には構い手が多すぎたので止むを得んのである。
だが、嫉妬に燃える貧乳メイドの視線が心地よいものであった事は白状しておこう。
其の後色々経験の上、朝は図書館の書斎、夜は主人の寝台の上、天気の良い昼は門柱の上で寝る事とした。
本来であれば一番心持が好いのは就寝中の主人の寝床へ入り込んで一緒に寝ることなのだろう。
だがここの主人の寝台の上での狂態は先に記した通りであって、とても臥所を共にする気にはなれぬ。
一度だけ誘われて断りきれずに添い寝をする破目になったのだが、吾輩自慢の毛並みをグショグショにされた挙句布団の外に蹴り飛ばされてしまった。
流浪の身を拾ってもらった恩は何物にも変えがたいものなのだが、如何せん物事には限界というものが存在する。
この世の誰が吾輩を恩知らずと責められようか?
さて紅魔館の朝である。世の飼猫諸君の中には“朝は朝食を貰いに台所に行くものだ”との認識を得ている者も多く居る。
しかしながら此処紅魔館ではいささか事情が異なる。
「A定食五十人前、上がりました!」
「野菜が足りない!菜園までひとっ走り行ってきて!」
「左鍋、味付け薄いぞ!何やってるの!」
「門番隊来襲!各自各個に迎撃せよ!」
とまあこの様な具合である。怒号飛び交う食事時の厨房は正に戦場。
吾輩のような子猫風情が迷い込んだ日には、吾輩自身が食卓を彩る役目を仰せ付からないとも限らぬ。
危険な事に好き好んで首を突っ込むのは賢者の仕業では無い。世間で言われている様に、好奇心は猫を殺すのだ。
では図書館ではどうであろう。此処とても本来危険な場所である事に変わりは無い。
どこからともなく湧いて出る毛玉の群れ、設置した史書すらもはや把握しきれぬ無数の罠。
年に幾度かの大掃除の際には必ず行方不明者を出すという話であるから、十分に魔境の類である。だが…
「あ、今日も来たんですか?よしよーし、いいこですね~♪」
今吾輩の頭をなでているのは、この図書館で司書長を勤めておられる赤髪の小悪魔殿である。
彼女も吾輩と同じく名無しなのであるが、皆からは「小悪魔」もしくは「司書長」と呼ばれ慕われている。
吾輩も後述する理由からこの小悪魔殿には並々ならぬ敬意を抱いており、親しみと畏怖を込めて「こぁ女史」の名で脳裏に刻んでいる。
「さ、じゃあ今日もパチュリー様と一緒にお食事にしましょう。」
こぁ女史が差し伸べてくれた手を伝い、彼女の肩の上にちょこんと座る。
普段であれば女史の中々に豊かな胸に抱きかかえていただく所なのだが、今彼女は大きな岡持ちを両手にぶら下げているのでそれは叶わない。
「それじゃあいきますよー。しっかり摑まっていてくださいよー」
ばさり
こぁ女史は、背中の羽を一打ちして本棚の間を滑る様に飛んでいく。
結構な速度を出している筈なのだが、館内の空気がかき乱された様子は無い。
図書館の主は喘息持ちだそうで、埃が舞う空気を殊の外嫌うのだそうだ。
飛ぶ事しばし。吾輩達は図書館の主、パチュリー・ノーレッジの書斎の前に降り立った。
パチュリー・ノーレッジ。今更吾輩が説明する必要も無い程の、高名な引き篭もり魔女である。
その見識の高さと方向性を間違った知識の豊富さは、猫である我輩から見ても尋常のものとは言いがたい。
故に吾輩は畏敬の念をもって「パチュリー先生」と呼称させていただいて居る。
こんこん ガチャリ
「失礼いたします」
こぁ女史はいつもノックはするのだが、その返答を待った例は無い。
吾輩も最初の頃などは、他人事ながら主に対して無礼なのではなかろうかと疑念を抱いていたのだが、昨今ではその疑問も氷解して居る。
「お早う御座います、パチュリー様」
返答は無い。部屋の主は中央の巨大な机のそばで安楽椅子にもたれたまま目を閉じておられる。
一見すると読書中にそのまま眠ってしまった様子なのだが、よくよく見るとその口元からは赤い物が零れ落ち、彼女の薄紫色の衣服はどす黒い色に染まってしまっている。
血の気が完全に失せた顔色とあいまって、十人に聞けば十人全員が殺害事件の現場と答えるような凄惨な光景であるのだが、生憎こぁ女史のみならず吾輩ですらこの部屋では見慣れた光景であった。
こぁ女史は手練の早業…なにせ毎朝必ず同じ作業をせねばならぬのだ…でパチュリー先生の服を着替えさせ、床の血痕をふき取ってゆく。
そして、魔導書や怪しげな実験器具が混沌の様相を呈した机の上を瞬く間に片付け、朝食の用意を整えるのだ。
此処まで述べただけでも吾輩がこぁ女史に敬意を払う理由をご理解いただける事と思うのだが、こぁ女史がおこす魔法はまだ終わった訳ではない。
全ての準備を整えたこぁ女史は、儀式の仕上げに腕にはめた時計を確認する。
「現在時刻0729+30秒…作業開始から9分43秒。まずまずですねー」
こぁ女史がカウントを開始する。
「37・38・39・40・・」
右腕が振り上げられ…
「47・48・49・こぁ!」
こぁ女史の手刀が正確に斜め38度の角度でパチュリー先生のテンプルに吸い込まれる。
「むきゅぁっ!」
珍妙な悲鳴を上げた先生だが、急速に生気を取り戻していき…
「お早う御座いますパチュリー様」
「…午前7時30分ジャスト、お早う小悪魔。今日も時間通りの見事な仕事ぶりね」
このように毎朝7時30分丁度に蘇生するのである。
こぁ女史が言うには、もう50年程続く朝の恒例行事なのだそうだ。
「あら今日も来ていたの、お早う子猫ちゃん」
パチュリー先生は吾輩の様な子猫にも礼を忘れない。
なんでも実験の失敗で猫になってしまった事があったそうで、親近感を持っているとの事だ。
無論、吾輩もニャアと一声鳴いて礼を返す。
「さあ、ご飯にしましょうか」
●
こぁ女史謹製のねこまんまを頂いた後、パチュリー先生の膝の上でごろごろしている(先生は密かに胸が豊かな上、猫の扱いが実に巧みでいらっしゃる)と、主人が尋ねてきた。
「お早うレミィ、こんな時間に珍しいわね」
「お早うパチェ、実は頼みたい事があるのだけれど…」
主人が言うには、最近主人の妹君であらせられるフランドール嬢がクレヨン画を気に入っているとの事。
主人としては姉の威厳を示すためにも、上手なお手本とやらを示したいそうなのだが…
「うわぁ…すごく…個性的な絵ですねー」
主人の絵を見せられたこぁ女史の感想である。
吾輩の視点から見ても何を描いたものやら鑑定がつかぬ。
「レミィは音楽だの絵画だのには向いていないものね。」
「ふん、貴族に必要なのは有能な芸術家を見抜く審美眼と財力だけよ。で、なにか良い方法は無いかしら?」
行儀悪く肘をついて頬を膨らます主人。
元来主人は何にでもよく手を出したがるのだが、わがままお嬢様の異名に相応しくどれも長続きしたためしが無い。
その癖やりだすといやに熱心で強引だ。
ある時などパチュリー先生に吹き込まれた「魔法少女」とやらをプロデュースするべく、嫌がる貧乳メイド長に無理矢理少女趣味全開の服を着せ、見ているこちらが居た堪れなくなるような台詞をポーズ付きで言わせて悦にいって居た。
そこで止めておけば良いものの、調子にのって自分がやりだした所を巫女と妹に見つかり、どん引きされた挙句
「「…馬鹿?」」
と、ユニゾンで止めの杭をうたれ、三日ばかり自室に引きこもって居た。
また、この一部始終は館内に潜伏していた烏天狗に盗撮されていたのだが、メイド長決死の追撃により外部に流出する事は無く紅魔館内部でも厳重な緘口令が敷かれた結果、ハクタクも裸足で逃げ出す黒歴史となったのである。
話がそれた、兎に角クレヨン画である。
「そうね、それならちょうど今読んでいるこの本に…」
「載っているのね!」
吾輩同様居候である所の先生の足にすがりつく主人、外見程には余裕が無かった様だ。
早速とばかりに本を奪い取って駆け出しておられる。
「ありがとうパチェ!やはり持つべきものは頼もしい友人ね!!」
「どういたしましてレミィ、グッドラック」
ドップラー効果付きの謝辞を引きずって去っていく主人を、本から目を離しもせずにサムズアップサインで見送るパチュリー先生。
いつもの事ながらどちらが館の主人なのか判断に苦しむ光景である。それに…
「あのぅ…パチュリー様?あの本ってたしか…」
「いいのよ、人の話を最後まで聞かないレミィが悪いのだから。運がよければプラシーボ効果ぐらいあるでしょう」
困惑顔のこぁ女史に、平然と主人を切って捨てるパチュリー先生。
これとてもこの紅魔館ではありふれた日常の一コマである。
吾輩は肩を竦めるかわりに欠伸を一つして魔法図書館を後にした。
何処で生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめしたところでニャーニャー泣いて居た事だけは記憶している。
吾輩は此処で初めて人間というものを見た。然もあとで聞くとそれは“巫女”という人間中で一番猛悪かつ貪欲な種族であったそうだ。
この“巫女”というのは時々我々を捕まえて煮て食うという話である。
然しその当時は何という考えもなかったから別段恐ろしいとも思わなかった。
ただ、彼女の手からぶら下げられた時なんだか背筋が凍る様な感じがあったきりである。
少し落ち着いて巫女の姿を見たのが所謂人間というものの見始であろう。
此時妙なものだと思った感じが今でも残っている。
第一袖でもって隠されている筈の腋が丸出しだ。其の後他の人間にも大分逢ったが、こんな腋丸出しの者には一度も出くわした事がない。
のみならず胸にあるべき膨らみが余りに平たい。フカフカするどころか洗濯板の様にごりごりとする。
そうして時折自らの胸に手を当てて『はぁ』と溜息をつく。どうにも辛気臭くて実に弱った。
是が世に言う“貧乳”というものであることは漸く此の頃知った。
「…この猫なんでさっきから私の腋と胸を凝視しているんだろ?…ま、いっか。それより三ヶ月ぶりの動物性タンパク質♪今夜は猫鍋ね!」
この巫女の手の中でしばらくなんともいえない悪寒を感じていると、突然非常な速力で運転し始めた。
「こんにちは、お邪魔するよ。」
「あら?藍じゃない。紫のお使い?」
「ああ、最近西方の結界に綻びが出来てきたようなんでその修繕を…ん?その猫はどうした?」
「この猫?床下に紛れ込んでいたのよ。あんたも食べてく?」
「……な ん だ と ?」
「猫鍋よ~♪これだけ小さいと食いでは無いけど…この際贅沢は…っ!」
しゅっ!たたたたたたん!
目をやれば壁一面が妖気を帯びた弾で埋め尽くされていた。
これも此の頃知った事なのだが“弾幕”というもので、我々猫の爪や牙の代わりに人や妖怪が使うものであるそうだ。
「き さ ま…言うに事欠いて猫鍋だと?そんな愛らしい子猫を喰らうだとぉっ!」
「…邪魔をする気?」
「必然!橙の為、猫の為、飢巫女の野望を打ち砕くスッパテンコ-3!!この尻尾の静電気を恐れぬのなら…かかってこい!」
「上等…博麗の巫女の食事を妨げる…それがどれ程の禁忌か身をもって知りなさい!」
“式神「憑依茶吉尼天」!”
“神技「八方龍殺陣」!!”
「テンコーーー!」
「おーにーくーー!」
ばりばりばり
巫女が動くのか自分だけが動くのか分からないが無闇に目が廻る。胸が悪くなる。
到底助からないと思っていると、ぴちゅ~んと音がして目から火が出た。
ここまでは記憶して居るがあとは何のことやらいくら考え出そうとしても分からない。
ふと気が付いてみると巫女は居ない。鍋も見えない。先程巫女と撃ち合っていた狐も姿を隠してしまった。
その上今までの所とは違って無闇に明るい。目を開けて居られぬ位だ。
果て?なんでも様子が可笑しいと、のそのそ這い出してみると非常に痛い。
吾輩は鍋の中から急に笹原の中に放り出されたのである。
漸くの思いで笹原を這い出すと向こうに大きな湖がある。
吾輩は湖の畔に座ってどうしたらよかろうと考えてみた。
別に是という分別も出ない。
暫くして泣いたら巫女か狐がまた迎えに来てくれるかと考え付いた。
ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。
今思えばなんと無謀な試みであったことか。
狐亡き今、巫女なりリボン妖怪なりに見つかれば吾輩の矮躯は彼女等の小さな胃袋にすっぽりとおさまっていた事疑いようも無い。
そのうち湖の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減ってきた。泣きたくても声が出ない。
仕方が無い、なんでもよいから食物のある所まで歩こうと決心してそろりそろりと湖沿いに歩き始めた。どうも非常に苦しい。
そこを我慢して無理矢理に這っていくと漸くの事で何と無く人間臭くは無いが食物の臭いと何かが焦げる臭いが充満する所へ出た。
ここへ入ったらどうにかなると思って門扉の崩れ落ちた隙間から、とある邸内にもぐり込んだ。
縁は不思議なもので、もしこの門と門番が吹き飛ばされていなかったなら、吾輩は遂に路傍に餓死したかも知れんのである。
この門は今日に至るまで吾輩が屋敷の外に散歩する時の通路になっている。
さて屋敷へは忍び込んだものの是から先どうして善いか分からない。
その内に暗くなる。腹は減る、寒さは寒し、時折流れ弾が降ってくるという始末でもう一刻も猶予ができなくなった。
仕方が無いから兎に角明るくて暖かそうな方へ方へと歩いていく。
今から考えると其の時は既に館の内に入っていたのだ。
ここで吾輩は彼の巫女以外の人間及び人妖を再び見るべき機会に遭遇したのである。
「あ~、子猫~♪」
「かわいー!」
「あら本当、どこから入り込んだのかしら?」
第一に逢ったのがメイドである。
「全く、猫の子一匹の進入を阻止する事もできないなんて…職務怠慢の極みと言うべきかしら。」
幾人かのメイドは前の巫女より丁寧な扱いをしてくれたのだが、
一人のメイド。先程の巫女と同じように胸部のボリュームが他のメイド達に比べ著しく足りないメイドは、
吾輩を見るや否やいきなりナイフと一緒に表へ抛り出した。
「さ、咲夜さん!黒白の魔砲を食らった直後だったんですよ!?不可抗力d!!!」
“メイド秘技「操りドール」”
さく、さく、さくさくさくざくざくざくざくぞぶぞぶぞぶ…
いや是は駄目だと思ったから目をつむって運を天に任せていた。
然しひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。
吾輩は再びメイドの隙を見て台所へ這い上がった。
ぺい
すると間髪おかずに再び投げ出された。
ざくざくざく
そばにあった針山のような物体を足場にして吾輩はまた這い上がった
ととととっ
ぺい
ざくざくざくざく
とととととっ
ぺい
ぶすぶすぶすぶすっ
投げ出されては這い上がり、這い上がっては投げ出され、何でも同じことを四五遍繰り返したのを記憶している。
其の時に貧乳というものはつくづく嫌になった。
この前貧乳メイドのパッドを盗んで此返報をしてやってから、やっと胸の痞えが取れた。
いや吾輩が盗ったのは胸の支え…否、メイドのプライドだったらしいのだが…
「メイド長~、この猫ここで飼っちゃ駄目なんですか~?」
「ほら、こんなに可愛いのに…にくきゅ~ぷにぷに~♪」
「無駄口を叩いている暇があるなら業務に戻りなさい。もうすぐお嬢様の朝食のお時間よ。」
「ぶ~、メイド長おーぼー!」
「悪魔の狗だっているんですから猫だっていいじゃないですか~!」
「駄目といったら駄目よ!だいたいこれ以上ごく潰しを増やしてどうするつもり!?益体もない居候はパチュリー様ぐらいで…」
「あら、私がどうかしたの?」
「騒々しいわね、一体何事?」
「「「お、お嬢様、パチュリー様!」」」
吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この館の主人と居候が出てきた。
メイドは我輩をぶら下げ、主人の方に向けて
「この猫がいくら追い出しても厨房に入ってきてしまうんです。」
と言う。
「いいじゃないの、猫の一匹や二匹。頼りにならないネコイラズ達に猫度を補充する良い機会だわ。」
「…流石はパチュリーさま。三杯めにもグッと出す居候は仰る事が一味違いますわねぇ。」
「ふっふふふふふふふ…」
「ほほほほほほほほほ」
他のメイド達はおろおろとするばかりで手を出しかねて居る。
主人は胸の前で手を合わせながら吾輩達の顔を暫く眺めていたが…
「うちに置いてあげれば?」
「おじょうさま?」
「レミィ?」
「たかが迷い込んできた猫の子一匹、養えない様では貴族の名が廃るというものよ。
それにパチェの言い分にも興味があるわ。フランの情操教育にもなるし…」
「お嬢様!?」
「確認しないと分からないのかしら?これは命令よ、この猫を紅魔館で飼いなさい。」
「…承知致しました。お嬢様の仰せとあらば。」
メイドは口惜しそうに我輩を台所へと抛り出した。
主人はそのままくるりと廻って奥へ入って行った。
主人は貴族としての対面を重んじる人と見える。
ずるべしゃがつん
「へぐぅ!」
扉の敷居に足を引っ掛け転んで柱に強打した頭を抱えている姿からは貴族の二文字は出てこないのだが…
かくして吾輩は遂にこの家、紅魔館を自分の住家と極める事にしたのである。
●
吾輩の主人=紅魔館の主人=レミリア・スカーレットは、滅多に我輩と顔を合わせることが無い。
種族は“吸血鬼”だそうだ。
目を覚まして紅茶を一杯飲むと、貧乳メイドを伴って件の巫女の棲み処である“神社”という所に飛んでいくか、部屋に閉じこもってなにか善からぬ事をやっておる。
館の者は
「ねえねえ、やっぱりお嬢様って素敵な方よねー!」
「そうそう、あの溢れる気品!圧倒的な実力!比類する者の無い威厳!“カリスマ”っていうのは、正にお嬢様の為にある言葉よね!!」
などと言って、彼女を神の如く崇め奉っている。
当人も自らをカリスマであるかの如く見せている。
然し実際は館のものが言うようなカリスマではない。
吾輩は時々忍び足に彼女の寝室を覗いてみるが、彼女はよく枕を抱えてクネクネと悶えている。
「あぁっ!霊夢、私の霊夢!貴女はどうして私の愛を受け止めてくれないの!貴女がそんなにもつれないから、今日も私のリビドーがバットレディスクランブルよ!」
鏡を見るのが宜しかろう。
折角の等身大巫女抱き枕カバー(18禁仕様)がよだれやらナニやらでぐしょぐしょである。
彼女は“吸血鬼”なので、皮膚の色は病的な程に白く不活発な兆候をあらわしている。
その癖に日傘一つでまだ日の高い日中にも出かけていく。針やら札塗れになって帰ってきた後で紅茶を飲む。
飲んだ後で枕を抱えて悶える。涎やらナニやらを枕に垂らす。
是が彼女の毎日繰り返す日課である
吾輩は猫ながら時々考える事がある。“吸血鬼”というものは実に楽なものだ。妖怪となったら吸血鬼となるに限る。
こんな(自主規制)でも勤まるものなら猫にでも出来ぬことはないと。
もっとも主人に言わせると“吸血鬼”程つらいものは無いそうで、彼女は友人が部屋に来るたびに何とかかんとか不平を鳴らしている。
「ねぇパチェ、聞いてくれる?」
「なあに、レミィ?」
「このネックレスなんだけど…霊夢が私につけて欲しいって。何時もの差し入れのお礼、手作りだって言ってたわ。」
「惚気?」
「…このネックレス、にんにくと炒り大豆で作ってあるのよ。」
「まぁ素敵。」
「茨の冠どころの騒ぎじゃないわよこれは。」
「それが霊夢の愛なんでしょう?」
「ええ……愛が痛いわ。とても」
吾輩がこの屋敷に住み込んだ当時から、貧乳メイド以外のものには甚だ人望があったように思う。
何処へいっても撫で回され抱き上げられ、胸の谷間に挟み込んでくれる。
いささか残念であったのは、とうとう名前をつけてもらえなかった事だ。
このあたりはWin第一作目の呪いという奴らしいのだが、吾輩にはついに理解できなんだ。
愛されるのは嬉しい事ではあるのだが、それも過ぎれば苦痛となる。
この辺りは吾輩も主人と感慨を同じくする。愛とは苦しく痛いものなのだ。
吾輩は仕方が無いから出来得る限り吾輩を迎え入れてくれた主人やその友人の傍に居る事をつとめた。
メイド達とて、仕えるべき主の面前で猫なで声を出すわけにはいかないのである。
主人が紅茶を飲む時は必ず彼女の膝の上に乗る。彼女が居眠りをしていれば、必ずその腕を枕にする。
是はあながち主人が好きと言う訳ではないが(なにせ主人も貧乳である)他には構い手が多すぎたので止むを得んのである。
だが、嫉妬に燃える貧乳メイドの視線が心地よいものであった事は白状しておこう。
其の後色々経験の上、朝は図書館の書斎、夜は主人の寝台の上、天気の良い昼は門柱の上で寝る事とした。
本来であれば一番心持が好いのは就寝中の主人の寝床へ入り込んで一緒に寝ることなのだろう。
だがここの主人の寝台の上での狂態は先に記した通りであって、とても臥所を共にする気にはなれぬ。
一度だけ誘われて断りきれずに添い寝をする破目になったのだが、吾輩自慢の毛並みをグショグショにされた挙句布団の外に蹴り飛ばされてしまった。
流浪の身を拾ってもらった恩は何物にも変えがたいものなのだが、如何せん物事には限界というものが存在する。
この世の誰が吾輩を恩知らずと責められようか?
さて紅魔館の朝である。世の飼猫諸君の中には“朝は朝食を貰いに台所に行くものだ”との認識を得ている者も多く居る。
しかしながら此処紅魔館ではいささか事情が異なる。
「A定食五十人前、上がりました!」
「野菜が足りない!菜園までひとっ走り行ってきて!」
「左鍋、味付け薄いぞ!何やってるの!」
「門番隊来襲!各自各個に迎撃せよ!」
とまあこの様な具合である。怒号飛び交う食事時の厨房は正に戦場。
吾輩のような子猫風情が迷い込んだ日には、吾輩自身が食卓を彩る役目を仰せ付からないとも限らぬ。
危険な事に好き好んで首を突っ込むのは賢者の仕業では無い。世間で言われている様に、好奇心は猫を殺すのだ。
では図書館ではどうであろう。此処とても本来危険な場所である事に変わりは無い。
どこからともなく湧いて出る毛玉の群れ、設置した史書すらもはや把握しきれぬ無数の罠。
年に幾度かの大掃除の際には必ず行方不明者を出すという話であるから、十分に魔境の類である。だが…
「あ、今日も来たんですか?よしよーし、いいこですね~♪」
今吾輩の頭をなでているのは、この図書館で司書長を勤めておられる赤髪の小悪魔殿である。
彼女も吾輩と同じく名無しなのであるが、皆からは「小悪魔」もしくは「司書長」と呼ばれ慕われている。
吾輩も後述する理由からこの小悪魔殿には並々ならぬ敬意を抱いており、親しみと畏怖を込めて「こぁ女史」の名で脳裏に刻んでいる。
「さ、じゃあ今日もパチュリー様と一緒にお食事にしましょう。」
こぁ女史が差し伸べてくれた手を伝い、彼女の肩の上にちょこんと座る。
普段であれば女史の中々に豊かな胸に抱きかかえていただく所なのだが、今彼女は大きな岡持ちを両手にぶら下げているのでそれは叶わない。
「それじゃあいきますよー。しっかり摑まっていてくださいよー」
ばさり
こぁ女史は、背中の羽を一打ちして本棚の間を滑る様に飛んでいく。
結構な速度を出している筈なのだが、館内の空気がかき乱された様子は無い。
図書館の主は喘息持ちだそうで、埃が舞う空気を殊の外嫌うのだそうだ。
飛ぶ事しばし。吾輩達は図書館の主、パチュリー・ノーレッジの書斎の前に降り立った。
パチュリー・ノーレッジ。今更吾輩が説明する必要も無い程の、高名な引き篭もり魔女である。
その見識の高さと方向性を間違った知識の豊富さは、猫である我輩から見ても尋常のものとは言いがたい。
故に吾輩は畏敬の念をもって「パチュリー先生」と呼称させていただいて居る。
こんこん ガチャリ
「失礼いたします」
こぁ女史はいつもノックはするのだが、その返答を待った例は無い。
吾輩も最初の頃などは、他人事ながら主に対して無礼なのではなかろうかと疑念を抱いていたのだが、昨今ではその疑問も氷解して居る。
「お早う御座います、パチュリー様」
返答は無い。部屋の主は中央の巨大な机のそばで安楽椅子にもたれたまま目を閉じておられる。
一見すると読書中にそのまま眠ってしまった様子なのだが、よくよく見るとその口元からは赤い物が零れ落ち、彼女の薄紫色の衣服はどす黒い色に染まってしまっている。
血の気が完全に失せた顔色とあいまって、十人に聞けば十人全員が殺害事件の現場と答えるような凄惨な光景であるのだが、生憎こぁ女史のみならず吾輩ですらこの部屋では見慣れた光景であった。
こぁ女史は手練の早業…なにせ毎朝必ず同じ作業をせねばならぬのだ…でパチュリー先生の服を着替えさせ、床の血痕をふき取ってゆく。
そして、魔導書や怪しげな実験器具が混沌の様相を呈した机の上を瞬く間に片付け、朝食の用意を整えるのだ。
此処まで述べただけでも吾輩がこぁ女史に敬意を払う理由をご理解いただける事と思うのだが、こぁ女史がおこす魔法はまだ終わった訳ではない。
全ての準備を整えたこぁ女史は、儀式の仕上げに腕にはめた時計を確認する。
「現在時刻0729+30秒…作業開始から9分43秒。まずまずですねー」
こぁ女史がカウントを開始する。
「37・38・39・40・・」
右腕が振り上げられ…
「47・48・49・こぁ!」
こぁ女史の手刀が正確に斜め38度の角度でパチュリー先生のテンプルに吸い込まれる。
「むきゅぁっ!」
珍妙な悲鳴を上げた先生だが、急速に生気を取り戻していき…
「お早う御座いますパチュリー様」
「…午前7時30分ジャスト、お早う小悪魔。今日も時間通りの見事な仕事ぶりね」
このように毎朝7時30分丁度に蘇生するのである。
こぁ女史が言うには、もう50年程続く朝の恒例行事なのだそうだ。
「あら今日も来ていたの、お早う子猫ちゃん」
パチュリー先生は吾輩の様な子猫にも礼を忘れない。
なんでも実験の失敗で猫になってしまった事があったそうで、親近感を持っているとの事だ。
無論、吾輩もニャアと一声鳴いて礼を返す。
「さあ、ご飯にしましょうか」
●
こぁ女史謹製のねこまんまを頂いた後、パチュリー先生の膝の上でごろごろしている(先生は密かに胸が豊かな上、猫の扱いが実に巧みでいらっしゃる)と、主人が尋ねてきた。
「お早うレミィ、こんな時間に珍しいわね」
「お早うパチェ、実は頼みたい事があるのだけれど…」
主人が言うには、最近主人の妹君であらせられるフランドール嬢がクレヨン画を気に入っているとの事。
主人としては姉の威厳を示すためにも、上手なお手本とやらを示したいそうなのだが…
「うわぁ…すごく…個性的な絵ですねー」
主人の絵を見せられたこぁ女史の感想である。
吾輩の視点から見ても何を描いたものやら鑑定がつかぬ。
「レミィは音楽だの絵画だのには向いていないものね。」
「ふん、貴族に必要なのは有能な芸術家を見抜く審美眼と財力だけよ。で、なにか良い方法は無いかしら?」
行儀悪く肘をついて頬を膨らます主人。
元来主人は何にでもよく手を出したがるのだが、わがままお嬢様の異名に相応しくどれも長続きしたためしが無い。
その癖やりだすといやに熱心で強引だ。
ある時などパチュリー先生に吹き込まれた「魔法少女」とやらをプロデュースするべく、嫌がる貧乳メイド長に無理矢理少女趣味全開の服を着せ、見ているこちらが居た堪れなくなるような台詞をポーズ付きで言わせて悦にいって居た。
そこで止めておけば良いものの、調子にのって自分がやりだした所を巫女と妹に見つかり、どん引きされた挙句
「「…馬鹿?」」
と、ユニゾンで止めの杭をうたれ、三日ばかり自室に引きこもって居た。
また、この一部始終は館内に潜伏していた烏天狗に盗撮されていたのだが、メイド長決死の追撃により外部に流出する事は無く紅魔館内部でも厳重な緘口令が敷かれた結果、ハクタクも裸足で逃げ出す黒歴史となったのである。
話がそれた、兎に角クレヨン画である。
「そうね、それならちょうど今読んでいるこの本に…」
「載っているのね!」
吾輩同様居候である所の先生の足にすがりつく主人、外見程には余裕が無かった様だ。
早速とばかりに本を奪い取って駆け出しておられる。
「ありがとうパチェ!やはり持つべきものは頼もしい友人ね!!」
「どういたしましてレミィ、グッドラック」
ドップラー効果付きの謝辞を引きずって去っていく主人を、本から目を離しもせずにサムズアップサインで見送るパチュリー先生。
いつもの事ながらどちらが館の主人なのか判断に苦しむ光景である。それに…
「あのぅ…パチュリー様?あの本ってたしか…」
「いいのよ、人の話を最後まで聞かないレミィが悪いのだから。運がよければプラシーボ効果ぐらいあるでしょう」
困惑顔のこぁ女史に、平然と主人を切って捨てるパチュリー先生。
これとてもこの紅魔館ではありふれた日常の一コマである。
吾輩は肩を竦めるかわりに欠伸を一つして魔法図書館を後にした。
続きを期待してます
あと史書は司書では?
一瞬某爺が乗り移ってるのかと思った自分はどうかしてる
設定を上手くいかせていると思います。
ところでスッパテンコー3じゃないんですか?
・・・そして猫の視点で語られる、どこまでもアレな紅魔館の面々が何とも・・・
続きもたっぷりと期待させていただきますよ先生♪
あと、パチェはたゆんが大正解だと思うのです。素薔薇しい。
後、2箇所ほど子悪魔と記述されているところがありましたよ。
そしてパチェはジャスティス。
そして今更ですが鈴置洋考氏のご冥福をお祈りします。
次回も子猫の活躍(主に乳関連)を期待してます……美鈴出てきそう(w
何はともあれ、目の付け所といい内容と言いお見事です。