Coolier - 新生・東方創想話

京都エイQ案内

2006/08/29 00:48:17
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                            「京都ぉ、大原、三千人~~」




































                             「ちょっとそれは間違いね」



                                “京都エイQ案内”



 突如かけられた声に驚いたのか。大学構内中心の時計台、其の近くに在る池の辺に腰掛けていた黒い帽子の少女。彼女の手から、数枚の紙切れがこぼれた。「新入生の皆様へ、新茶道への誘い」「剣道で青春の汗を流そう!」「ようこそ現代霊視研究会“現視研”へ」等といった謳い文句が書かれた色とりどりのちらしが地に落ちる。

「ご免なさい。驚かせちゃったかしら?」

 申し訳なさそうな声を出しつつ、紫の服を着た金髪の少女が屈み込み、そうして地面の上に散らばった落し物へと手を伸ばす。

「確かに。ちょっと驚きました」

 言いながら帽子の少女は立ち上がり、目の前の人物と同じ様にしゃがみ込んだ。

「まぁでも、三千人って住人の数としては少ない気もするし、なんて、自分でも思ってましたしね」

 自身の落としたちらしを掻き集めながら口を動かす。ふと池の方を見遣れば、視点が低くなって水面に近づいた御蔭で、水の中で戯れる鯉と亀の姿がよく見えた。

「三千里ですよね、やっぱり」

 落し物を回収し終え、ゆっくりと立ち上がる。そんな彼女に。

「それも違うけどね。て言うか、三千里って何処と何処の距離? 京都から一万二千キロも在ったら、それはもう日本国内ではないわ」

 金髪の少女が少し呆れた様な笑顔を見せながら、自身の拾った紙を手渡してきた。

「有難うございます」

 帽子の少女が、自分へと向けられている視線に、日本人離れした髪と同じ色の綺麗な瞳に、軽く礼をした。

「どういたしまして。ところで……。
 ――貴女、一回の子よね」

 一回。その言葉の意味が判らず、頭上の帽子に指を当てて暫し固まる。やがて。

「あ、そっか。こっちじゃ一年二年じゃなくて、一回二回って言うんだっけ」

 帽子から手を離し、得心した様子で手を打った。それを聞いて金髪の少女は、へぇ、と、小さく声を漏らした。

「と言う事は若しかして、関東から来たの?」
「東京からです」
「東京、かぁ。東京ねぇ。東京……」

 頬に人差し指を当てながら、東京、東京と繰り返す。その様子が少々奇妙に思えて声を掛けた。

「あの、何か――」
「ねぇ貴女、うちのサークルに入らない?」

 言い終わる前に言葉を遮られる。

「えっと、何のサークルですか」
「まぁ、色々」
「色々、って」
「部室で色々お喋りしたりとか、色々と何処かに出掛けたりとか、とにかく色々」

 困った顔で頭に手を当てている、そんな話し相手の仕草を他所に金髪の少女は続けた。

「私はまだ、他の新入生の子に声を掛けて回りたいし……。
 そうね、三十分後に体育館前のカフェテリアで待ち合わせ、ていうのはどうかしら。場所は判る?」
「あぁ、はい、多分。体育館って入学式をやった――」
「そうそう。其処の前に在る建物の二階。室内は人が多いから、テラスの方で待っててね。それじゃ」

 相手の意思確認なぞ全く無しに、一気に話を進めてそのまま背を向ける。

「あの、ちょっと」
「ん?……ああ」

 背中からの声に応えて、回れ右をする金髪の少女。

「そう言えばまだ名前、言ってなかったわね」

 そうじゃなくて、という言葉を飲み込んで、代わりに溜め息を一つ吐く帽子の少女。



「私の名前はマエリベリー・ハーン、文学部の二回。友達にはメリーって呼ばれる事が多いけど。貴女は?」



「理学部一年……ぇっと、一回生。宇佐見蓮子です」



                           ◆



 何で東京の人間が、わざわざ京都の大学に行かねばならないのか。そう言って蓮子の父は、娘の京都行きに反対した。それに対して蓮子は、何を古臭い事を、と、言葉を返した。
 父親が若かった昔には、確かにそうだったのかも知れない。首都であった東京には各種の教育機関が揃っており、その後の進路となるであろう就職先、有名な企業もその多くが本社を置いていた。東京に居を構える人間が、別の地方で暮らす必要は基本的に無かったのである。
 だがそれも今は昔。
 神亀の遷都が行われ、首都の座は京都へと還った。かつて東の京を首都たらしめていた施設の殆ど全ては、西へと移って行ってしまった。今の東京は、只の地方都市に過ぎない。他の都市に比べ大きい事に変わりは無いが、それでも日本じゃ二番目だ。
 地方都市の人間が、大学進学の為に首都へ行く。そこに何のおかしな話があると言うのか。蓮子はそう反論した。

 ならせめて、東京の家から通学してはどうか。そう母は娘に訴えた。
 親が心配しているのは、年頃の娘が知らない町で一人暮らしをするのが心配だ、と、要はそういう事なのである。別に京都よりも東京の方が上だとか下だとか、そんな事を言いたい訳ではない。卯酉新幹線を使えばどうにか通学は可能な筈だ、と、そう母は言った。

 けれども蓮子は、うんとは言わなかった。
 彼女が京都の大学を選んだ理由の一つは、親元を離れて一人暮らしの自由を満喫する、と、そういう事であった。実家から通学なんて話になっては堪ったものではない。
 卯東京駅と酉京都駅間自体の所要時間は53分とは言え、乗り換え等を含め家から学校迄はもっとかかる。定期代も馬鹿にならない。それに京都は、派手な格好の若者達が闊歩している様な東京と違って、洗練されているし治安も良い。
 蓮子は言を尽くして両親を説得した。
 頭の出来が良い娘とその両親。議論は長引いたが、結局、日に一度は一言メールでも良いので連絡をする事、学校の長期休みにはなるたけ東京に帰って来る事、そうした事を条件に両親は娘の要求に折れたのだった。

 こうして蓮子は、自由を勝ち取った。自身の趣味を存分に楽しむ為の最高の環境を、手に入れる事に成功した。
 そう、最高の環境である。早く帰って来いと口うるさい両親へ気兼ねをせずに、夜遅くまで街を歩き回る事が出来る。それに京都は、千年以上の歴史を持つ、東京以上の――……。



                           ◆



「…… You know? Rumor that Miss.Okazaki is plotting something again.」
「Huh. It’s hard for Tiyuri and ……」

 カフェテリアのレジ。蓮子の前に並んでいる金髪碧眼の少女二人が何かを話している。店内は人が多く騒がしい為、彼女等が何を言っているのか迄は聞き取れなかったのだが。
 見た目は自分と大体同じ位か。先程の日本語が上手かった先輩もそうだが、留学生、という事なのだろう。そんな事を考える蓮子。周囲を見回せば、他にも数人、日本人離れした顔を見付ける事が出来た。
 流石、都会は違うなぁ。口に出せば田舎者丸出しな言葉を口に出さず心で呟きながら、学生カードを取り出す。

「はい、どうぞ」

 すぐに順番が回って来た。大学構内の店は、全て現金ではなく学生カードで精算が出来る。小銭を取り出したり釣銭を受け取る手間が省ける上、代金は学費と一緒に親へと回されるのだから、学生にとってこれ程ありがたい事も無い。便利過ぎて財布の紐が緩みがちになるのだから、大学生協にとっても良い仕組なのだろう。学生の親にとってはどうなのか、それは判らないが。

「流石、大学は違うなぁ」

 新入生丸出しな科白を――これは別に隠す必要も無いから、と――口に出しながら、精算済みのパフェを載せたトレーを持ってテラスに向けて歩く。留学生の多さやカード精算のシステムもそうだが、今いる建物の一階には大きな書店や旅行代理店、PCショップ等が在るし、他のキャンパスにはコンビニエンスストアや、学外の人間も入れる博物館、他にも様々な施設が在る。入学したばかりの蓮子にとっては、広い構内の何処に何が在るのか、未だに把握しきれていない程であった。古から続く都の大学らしく、遺跡の類も結構あるらしい。
 そんなこんなを考えている内に、テラスへと出られるガラス戸の前に辿り着いた。
 室内は人が多い上に広いが、見た所テラス部はさほど大きくはない。確かに、待ち合わせをするのならこちらの方が適当だろう。ただ問題なのは、食べ物が載ったトレーを持った少女一人では、扉を開けるのが少々辛いという事だ。
 ここで格好良い先輩が、さりげ無く手を貸してくれたなら素敵かも。そして始まる二人の物語。
 そんな事を考えていると。

「大丈夫?」

 夢想が現実となった。手を差し延べてくれる先輩の姿。

「……有難うございます、先輩」

 女の、ではあったのだが。

「早かったですね」
「うん、まぁ」

 少々歯切れの悪い言葉を返しながら、メリーは扉を開いて外へ出る。蓮子も後に続く。

「あの後、結局誰も捕まらなくて。それで早めに切り上げたの」
「若しかして先輩、私にやったのと同じ様な勧誘を、他の人にもしてたんですか」
「ええ」

 それじゃ駄目に決まっている。手近な空きテーブルにトレーを乗せ、小さな溜め息と共に蓮子は腰を下ろす。サークルの内容をはっきり示さず、びらの一枚も渡さずに「色々」だけで済ませる。警戒されるのが当然だ。今時、サークルを装った新興宗教の勧誘だって、もう少し怪しまれない為の工夫をするだろう。

「まぁ、そんなのにホイホイ付いて来ている私も私だけどねぇ」

 再び溜め息を一つ。

「ん。宇佐見さん、何か言った?」
「いえ別に」

 何も判っていない。そんな様子が窺える顔と、その中に二つある丸く大きな瞳。

 強いて言えば、この瞳だった。蓮子がこの怪しげな先輩に付いて行ってみる気になった理由。
 強引に話を進められたから、という事も一応あるのだが、別に「はい」の二文字を返した訳でもなし、そのまま何事も無かったかの様に、と、そうしてしまっても問題は無かった筈だ。それなのに、素直に、わざわざ約束の場所まで来てしまっている。その理由が、メリーの目だった。
 最初は金色と思ったが、よく見ると青みがかっている気がする。そう思って見返してみると、僅かな赤色が混じっている様にも見えてくる。それでもよくよく見れば、やっぱり金色、だと思われる。
 光の当たり方によって違って見えているのだろうか。綺麗な、そしてそれ以上に、不思議で魅力的な瞳。

「これ、白玉パフェね」

 メリーの声に、蓮子の思考が途切れた。

「ええ、そうです。此処って面白いですね。色んなパフェがあって」
「ふわふわとか、カクテルとかね」
「最初はモンキーパフェにしようかと思ったんですけど、やっぱり白玉にしました」
「あら、何で?」
「よく見たら、モンキーに猿が入ってなかったので」
「それはまぁ。ひよ子饅頭にだって鳥は入っていない訳だし」
「うなぎパイには入ってますよ」

 それからこれにも。言いながら、自分のパフェに乗っている白玉をスプーンに取り口へと運ぶ。
 科学の進歩により、日本狼のステーキや鴇の味噌汁だって口にする事が出来るこのご時世、それでも猿の料理が滅多に見られないのは、やはり猿が人と似ているからなのか。ある意味、ヴァーチャルなカニバリズム。都会の大学でなら其れが体験できるかも、と、そんな蓮子のささやかな希望は残念ながら実現しなかった。
 京都なら色々な店が在るだろうし、今度ネットで探してみるか。そんな事を考えながら、手早くパフェを掻き込んでいく。急がなくて良いのに、とメリーは言ったが、蓮子としても自分一人が物を食べている状況で、目の前の先輩を余り待たせる様な真似はしたくなかった。
 其れとあとは、江戸っ子としてのちょっとした意地。質は兎も角、食の量と食べる速さに関しては、東京は今も昔も他の街に負けてはいない。

「あー、美味しかった」

 満足そうな笑顔を目にしてメリーは、釣られた様に自分も小さな微笑みを見せて、それからゆっくりと席を立った。

「それじゃ、行きましょうか」



                           ◆



「あの、先輩。何処まで行くんですか」

 先程まで居たカフェは、その直ぐ近くにサークル棟が在った。
 てっきり其処に行くものだと思い込んでいた蓮子。だが、そんな彼女を連れてメリーは、サークル棟の在るキャンパスを出て、二人が出会った、時計台の在る所とはまた別の、少し離れたキャンパスへと足を踏み入れた。
 それから暫く歩を進め、蓮子が流石に少々不安になってきた所で、ようやく二人は目的の建物へと着いた。

「此処って」

 物理学。入り口前の案内板に書かれている文字を見て、蓮子が声を漏らした。文学部の先輩にサークル勧誘をされ、付いて来たなら其処は理学部の施設。怪訝な顔をしている後輩を他所に、メリーはさっさと建物へ入って行く。

「あ、ちょっと」

 慌てて後を追う。
 施設の奥深く、余り綺麗とは言えない小さな扉の前でメリーは立ち止まった。少し遅れて、蓮子も辿り着く。

「ようこそ、秘封倶楽部へ」

 そう言って、メリーは軋んだ音をたてる戸を開いた。

「秘、封?」
「初代の人が考えた名前だそうだけどね。意味は私もよく判らないけど」
「はぁ……って、え?」

 戻ろうとする扉を身体で支え、手招きをするメリー。そんな先輩を前に蓮子は、入り口の脇に目を遣ったまま動かない。

「どうしたの、宇佐見さん?」
「あ、いえ」

 先輩の声に反応して、慌てて部屋へと入る。
 中は余り広いとは言えず、奥には窓を背にした、様々な書類で散らかっているデスクが、入り口近くには、小さなテーブルを挟んで向かい合わせに配されている二人掛けのソファが二組、そしてあとは、ぎっしりと本の詰まった棚が幾つか。

「『時間順序保護仮説』に、あ、これは時空の本質の――って、あの教授がこの手の本を持ってるていうのも面白いなぁ。
敵を知り、っていう事なのかしら。いや、敵って言うのも違う気がするけど」

 興味深そうに棚の本を眺める蓮子。そんな彼女に、ソファの一つへと腰を下ろしたメリーが声を掛ける。

「知ってる本が在ったの?」
「ええまあ。一応私、物理が専門ですし。読んだ事のあるやつも幾つか」
「凄い。私も先生に言って見せてもらった事はあったけど、さっぱり理解できなかったわ」

 感嘆の声を聞きながら、それにしても、と、蓮子は改めて部屋の中を見渡す。
 どうもこれは、サークルの部屋といった風情ではない。と言うより、これはむしろ。

「顧問の先生の部屋をね、使わせてもらっているの。それよりも宇佐見さん、どうぞ座って」
「あ、どうも」

 言いながら、メリーの向かいのソファに座る。

「ところで、その、顧問の先生って……。
 やっぱりあの、入り口のネームプレートの――」
「ええ、そうだけど」
「う、わぁ……あの、伝説の……」

 おかしな声を上げる後輩を、不思議そうな顔で見るメリー。

「宇佐見さん、先生を知ってるの?」
「そりゃ知ってますよ。有名じゃないですか」
「へぇ、そうなんだ」
「……あれ? 知らないんですか?」

 今度は蓮子が、不思議そうな顔をして先輩を見詰め返す。

「あ、でもそうか。先輩は理系の人じゃないし、あの教授の伝説を知らない、っていうのもあり得るのか……なぁ?」
「いやまぁ、有名だっていうのは、先生が自分の口でよく言ってるから一応知ってたんだけどね。ただ、宇佐見さんが言う様に私、物理の話には疎いから、先生の話を聞いても、余りよく判らなくって。
 先生、本当に有名な人だったんだ」
「それはもう、近年の若手学者の中では断トツで有名ですよ。或る意味の伝説になる位。私がこの学校に入った理由の一つだって、あの人の書いた本を読んで、是非講義を受けてみたいって、そういう事だったんだし」
「伝説になる位って、また凄いわね。どんな伝説なの?」
「どんなって……ええと、その」

 先輩の質問に対し、視線を逸らして少し困った様な顔を蓮子は見せた。

「正直に言うと、余り良い意味での伝説では無いと言いますか」
「それじゃあ、どういう意味?」
「いやでも、まぁ。重力すらも他の力と完全に統一されたこのご時世に、将来を有望視された新進気鋭の若手が、あんなトンデモ学説を大声で発表しちゃあねぇ。そりゃ、夢や幻ばかりを追い掛けているって、学会で伝説扱いもされるか」
「どうも話が見えないわね。私にも判り易い様に説明してもらえないかしら」
「そうですね。一言で言えば、ま――」

 突如、扉を強く叩く音が鳴り響き、蓮子の話を遮った。

「あ、ちょっとご免なさい」

 そう言ってメリーは席を立ち、扉へと向かう。

「そんなに大きな音を出さないでもちゃんと聞こえてますよ」

 言いながら戸を開けるメリー。

「ああ、悪い悪い」

 外に居たのは、女子学生のそれよりも元となった水兵の格好を彷彿とさせる、そんなセーラー服を着た少女だった。

「はい、これ」

 そう言って、セーラー服の少女が手にしていたプリントの束をメリーに手渡した。

「あ。これ、先生からの――」
「そ。メリーには迷惑を掛けるけど……」
「いえ、それはまぁ、別に構いませんけど。ところで、先生は?」
「ああ。用が有るって言って、それでもう帰っちゃった。わたし達にばかり面倒を押し付けて、本当、あの人は……。
 って、ん? あれ――」

 セーラー服の少女の視線が、室内の蓮子に向けられた。蓮子も、座ったまま軽く礼をしてそれに応じる。

「メリー。彼処で座ってる子って、若しかして」
「ああ、はい、まぁ」
「ふーん」

 そう言ってセーラー服の少女が、どこかはっきりしない笑顔の様な表情で蓮子を見た。

「それじゃ、ま、わたしはお先に」
「え、帰っちゃうんですか?」
「わたしにも予定が有るからな。じゃっ!」

 爽やかな挨拶を残して廊下の向こうへと去って行く。そんな背中を見送ってからメリーは、扉を閉めて蓮子の前に戻って来た。

「ねぇ先輩。今の人って若しかして、助手の後白河さんですか?」
「知ってるの?」
「読んだ本に、助手の事も在りましたから」
「そうなんだ。でもその割には、最初の一文字からして致命的に間違っている気がするけど」

 手にした書類に目を通しながらメリーが応える。
 対して蓮子は、そんな事はありませんと、小さな胸を大きく張った。

「後の二文字を二条に変えれば、ほら、あっと言う間に大正解へと早変わりです」
「随分と回りくどいわねぇ。まあ、確かに正解だけど」

 そんな言葉に嬉しそうな笑顔を見せて、蓮子は話を続ける。

「そう言えばあの二人って、やっぱりこの近くの出身なんですか?」
「あの二人って」
「教授と助手さんです。いやほら、二人揃ってあんな苗字ですから、やっぱりこの辺りの人なのかなぁ、って」
「それを言ったら、貴女だって静岡の人になっちゃうんじゃない?」
「私はまぁ、確かに美しいかも知れませんけれど、残念ながら見るの方の家なので」
「あ、そう。
 ところで、ねぇ、宇佐見さん?」

 視線を手元の書類から前に座って居る後輩に移し、メリーが問い掛けた。

「宇佐見さんって、東京の出身よねぇ? 今迄に何回くらい、京都に来た事ある?」
「はぃ?」

 突然の話題転換に、何の事かと間の抜けた表情を見せる蓮子。
 けれどそれも一瞬の事、直ぐに頭を切り替え、質問への答を口にした。

「去年に学校見学で一度来ただけ、です」
「……へ?」

 今度は、メリーが間の抜けた声を出す。

「修学旅行は? 東京の学校って、修学旅行では大体がこっちに来るものだって、そう思っていたんだけれど」

 確かにその通りだった。
 今も昔も、東京発の修学旅行と言えば、その多くが京都行きと相場が決まっていた。実際、蓮子の通っていた学校も、彼女の学年が修学旅行に行く前の年までは、普通に京都へと行っていた。
 ところが誰の気紛れか或いは意地悪なのか、蓮子たちの年には、旅行先は東北となってしまった。
 ヒロシゲと比べて余りにものんびりとした新幹線に揺られ、着いた先では農業体験をさせられたり、伝統芸能の踊りを教えられたり実際踊らされたり。
 学校行事の旅行としては或る意味では正解な内容だったのかも知れない。けれども、残念ながら生徒達からの評判は芳しいものとは言えず、結局、次の年からは再び京都行きへと変更された。蓮子自身は、東北の旅もそれはそれで、色々と貴重な体験が出来て楽しかったのだが。

「金閣寺とか、平等院とか、大学生活に慣れたらあちこちと訪ね歩いてみようかなぁ、なんて考えてはいるんですけど」

 学校見学の時は勿論、入学してからこれ迄も、時間の余裕が無いし、それ以前に土地勘が無いし、と、京都探検は後回しにされていた。

「そっかぁ。
 それじゃあさ、明日にでも、私が京都を案内してあげようか?」

 思ってもいなかった申し出に、蓮子は目を丸くする。

「本当ですか?」
「サークル活動の一環と言う事で、ね。行き先は、私の方で決めさせてもらうけど」
「金閣寺ですか? 平等院? あ、それとも清水寺?
 CGで再現された一枚天井とか、鳳凰堂極楽鳥の舞とか、舞台からの擬似飛び降り体験とかあるんですよね?」
「金閣寺や平等院はちょっと遠いし、清水は、まぁ、近いけど……。
 そういう有名な所じゃなくて、そうした京都の代表みたいな所よりは少しマイナーだけど、でもお奨めの場所があるの」
「何処ですか?」
「それは秘密。行ってみてのお楽しみ。
 大丈夫。実際に京都に住んでいる人間によるA級の案内だから、安心して」

 期待に目を輝かせている後輩に向かって、メリーは大きく胸を叩いた。



                           ◆



 蓮子は、道に迷っていた。

「流石にちょっと、これはまずいかなぁ?」

 手元の地図に目を落としてみるが、そも現在位置が判らないのだから意味が無い。せめて方角くらい、とも思うが、運の悪い事に時計も携帯電話も部屋に忘れて来てしまっていた。尤も、今居る場所は鬱蒼と木が生い茂った山の中。太陽も見えないし、電波だって届くかどうかはっきりしない。
 今の時間も、今居る場所も判らない。それもたった一人で。これほど不安な状況も、そうそうは体験できはしないだろう。

「だから、修学旅行は京都の方が良かったのよ」

 ただ突っ立っていても仕方が無い。西も東も判らぬまま、それでも兎に角、と、蓮子は歩き出した。歩きながら、此処には居ない教師達に向かって文句を垂れる。

「こんな山里で班行動をさせるなんて、絶対に何かが間違っているわ。迷子が出たって、そんなの当然よ」

 数人の班に分かれての名所巡り。其れがこの日の予定であった。事前に立てた計画に沿って、友達と一緒にあっちじゃないこっちじゃないと歩き回る。そんな一日になる筈だった。それが、気付けば一人ぼっちで道に迷っている。

 そう。其れ迄は何事も無かったのが、何故だか、いつの間にか、気付けば一人になっていた。

 お昼にわんこそばを食べて其の直ぐ後、皆と一緒に道を歩いていた蓮子は、靴紐がほどけていたのに気が付いて、結び直そうとしゃがみ込んだ。紐を直して立ち上がる。其の間はほんの数秒といったところ。

 その数秒の内に、他の班員達は影も形も見えなくなっていた。

 先に行ってしまったのか。焦って走り出したが、行けども行けども皆の背中は見当たらない。
 それどころか、自分達以外の、其の町の住人達の姿までもが消えてしまっていた。
 何だか少し恐くなってきて、どうにかして皆に追い付こうと必死になって走った。
 そうして気が付くと、足元のアスファルトは柔らかい土に、周りに在った民家は背の高い木々に姿を変えていた。
 後を振り返っても、右を向いても左を向いても、其処に在るのは同じ風景。

「皆、何処に行っちゃったんだろう」

 と言うよりも、自分が何処に来てしまったのか。途方に暮れたまま山の中を彷徨う。

 十分歩いたのか、三十分歩いたのか、一時間以上も歩いたのか。

「あっ」

 どれだけの時間を歩いたのか、其れは判らなかったが、蓮子の視界に突如、立派な門を持った大きな家が現れた。如何にも昔の日本の家屋だなと、そんな風情の感じられる造り。
 助かった。そう思いながら、蓮子は門へと走った。

「すみませーん」

 呼び鈴は見当たらなかったので、門の前で大きな声を上げる。

「すみませーん、どなたかいらっしゃいませんかー」

 返事が無い。仕方が無いので試しに、と、木で出来た戸を押してみる。

「……無用心だなぁ」

 簡単に開いた。お邪魔しますと大声で言ってから、蓮子は門を潜った。
 門を抜けた其処は、よく手入れのなされた綺麗な庭だった。鬱蒼と茂った木々も此処には無く、気持ちの良い陽光が降り注いでいる。其のせいか、門を通った瞬間蓮子は、空気の色が変わった、と感じた。

「これは下手をすると、廃屋とかそういうオチかな?」

 家の敷地内に足を踏み入れても、誰も出てくる気配が無い。そもそも、こんな山奥にこれ程の大きな家が在るという事自体がおかしい気もする。大昔の長者の屋敷跡だとか、そういった類の物なのかも知れない。
 ただ、それにしては余りにも綺麗過ぎる。建物にしろ庭にしろ、素人目で見てもよく手入れがなされている事が感じられる程だった。
 鍵を閉め忘れたまま、家の者が皆出掛けてしまったのか。そんな事を考えながら蓮子は、ゆっくりと庭を歩いてみる。

「うわ」

 暫く歩くいていると、鶏が数羽、元気良く走り回っている光景に出くわした。
 そういえば先日、農業体験をさせてもらった農家で、鶏を庭先で放し飼いにしている家も在ると、そんな話を聞いていた。と言う事は、今は元気な目の前の彼等も、やがては食卓に並ぶ運命なのだろう。合成の食材ばかりが溢れる昨今、こうして食になる前の命が見られるという事は、其れなりに貴重で重要な事なのかも知れない。少し神妙な面持ちで、蓮子は鶏達を見詰める。

 そうして後、今度は家屋の方へと目を向けた。鶏達が走り回っている場所に面している部分は縁側となっていて、其処から家の中が見て取れた。

「……やっぱり人、居るんじゃない」

 縁側から覗く事の出来る部屋は真ん中に火の入れられた囲炉裏が在り、その周囲には三人分の食事の用意がなされていた。

「あのー、すみませーん」

 声を上げて、もう一度人を呼んでみる。だが、今度も返事が無い。

「仕方無いなぁ。ちょっと失礼しますよー」

 大きな声を出しながら、靴を脱いで縁側から家屋へと入り込む。
 用意されているのは、お揚げの入った味噌汁に山菜の白和え、焼き魚、そして白い御飯。空の湯呑みも置いてある。囲炉裏の上では鉤に掛けられた鉄瓶が湯気を吹いているので、湯呑みはこれに使うのだろう。
 豪勢とは言えない、あくまで質素な内容ながらも、立ち上る湯気と良い匂いが食欲を刺激する。
 日の高さから見て昼食からさほどの時間は経っていない筈なのに、蓮子のお腹が音を立てた。見知らぬ山道を歩き続けた肉体的・心理的疲労のせいだ、別に大食いな訳じゃない、と、誰も居ない部屋の中で一人呟いた。



「――誰も居ない……?」

 奇妙な悪寒が背筋を走った。
 辺りを見回す。誰か居ませんかと、声を張り上げて叫ぶ。
 けれども、何の反応も無い。

「誰も、居ない……」

 一人きりの部屋の中で、もう一度同じ言葉を繰り返す。

 目の前に用意されている食事。これを見る迄は、鍵を閉め忘れたまま家の者が出払っているか、或いは、声も届かぬ程の深い眠りに就いているか、そう考える事も出来た。
 だが、目前の光景がそうした可能性を打ち消した。
 食事の準備が整った直後に、急な用が出来て出掛けたのか。いや、其れはあり得ない。どんな火急の用向きがあったとしても、囲炉裏に火を入れたままにして家を離れる者など居る筈が無い。皆寝ている、なんて言うのも論外だ。最低でも一人は起きていなければそもそも食事の支度が出来ない。そう、最低一人は、動いている人間が家に居る筈なのだ。それなのに、人の気配が全く感じられない。部外者が勝手に入り込んで大声を出しているというのに、何の反応も無い。
 不可解な空気に包まれたまま、蓮子は無人の部屋で立ち尽くす。奇妙な感覚が、じわじわと彼女の全身に広がっていく。



「あ――あもうっ! 京都よ京都! だから京都が良いって言ったのよっ!」

 堪らずに大きな声を出す。

「京都に行ってさえいれば、道に迷ったとしても山の中にまで入り込んだりはしなかっただろうし! 山の中に入らなかったら、こんな変な所に来る事も無かっただろうし! 今頃は清水寺で木刀とか変なTシャツを買ってただろうしっ!」

 声を出す行為そのものによって、蓮子は自身を奮い立たせようとした。

「それなのに何が哀しくて、こんな変な家で一人佇んでなきゃいけないのよ! これぞ本当の女ひとりってやつ?
 あーもう! 京都でだったらこんな状況だって歌になったのにぃっ!」

 言っている内容については、自分でも余り理解できていない。
 事態は既に、京都だからだとか東北だからだとか、そんな話で説明できる範囲を大きく超えてしまっている。そんな事は蓮子にだって判っている。
 ただただ今は、大きな声を出して気分を紛らわせたい。それだけの事だった。

「そう! 歌よ歌! 京都ぉー! 大原三千里ぃっ!」

 黙っていては、この異常な空気に押し潰されてしまう。
 半ば錯乱気味になってとうとう歌まで唄いだした。
























「ちょっとそれは間違いね」



 突如、背後から声がした。

 声がするという事は、人が居るという事。
 待っていた筈、望んでいた筈。人が出て来る事を。

 それなのに蓮子は、直ぐに振り向く事が出来なかった。

 聞こえてきたのは若い女性の声。恐らくはこの家の人だろう。何も警戒する必要は無い。さっさと振り返って非礼を侘びて、そうして町への道を教えてもらおう。
 そう自分に言い聞かせるが、頭の中の論理的思考をする所とは別の部分が、意味不明の叫び声を上げ動きを妨げる。
 けれども、だからと言って、いつまでもこのままで居る訳にもいかない。

「えーいっ!」

 意を決して、勢い良く振り返った。
 其処には。



「――ん、な……――」



 何も言えず、蓮子の身体は再び固まった。

 其処には、誰も居なかった。
 何も無かった。「物体」と言える様な物は、何も無かった。

 何も無い空間に、古臭い特撮技術で貼り付けられたかの様な、そんな歪な「裂け目」が見えた。その内側には、これまた昔の特撮で使われていそうな光景が、無造作に放り込まれかき混ぜられた幾つものどろどろした絵の具が、ゆっくりと蠢き回る様な、そんな異様な闇が覗く。
 そして、そんな中に於いて怪しい光を放つ「目」が二つ。それが、声の主だった。

「あら、あなた……」

 闇に光る目が、蓮子の全身を観察する様な、そんな不気味な動きを見せた。
 蓮子は身動き一つ出来なかった。声一つ上げられなかった。蛇に睨まれた蛙、と、そんな言葉が頭をよぎる。光る目が蛇。蓮子が蛙。蛇と蛙、その関係は、わざわざあれやこれやと考えるまでも無く明白なもの。 



「――気が変わったわ。
 今日はお魚もある事だし、あなたはあなたが在るべき時と空のもとへお帰りなさい」

 想像もしなかった光る目の言葉。それを聞いて蓮子は、まるで空気の抜けた風船の様になってその場へとへたり込んだ。

「でも、その前に」

 そう言って闇が蠢く。一度は全ての力が抜けた蓮子の身体が、再び緊張によって固められる。

「あなたの持っている其れ、今は使えないみたいだけど、使える様に弄っておいてあげましょう……」

 裂け目から、二本の真白い腕が伸びてきた。
 逃げろ。蓮子の頭がそう叫ぶ。けれど、身体は頑として動いてはくれない。
 白い手は、蓮子の両目の前で動きを止めた。
 目を瞑れ、と頭で念じる。だが、身体の方はまばたき一つすらしてくれない。大声を上げようとするが、それすらも叶わない。只々、喉の奥でヒッ、ヒッと嫌な音がするのみ。

 そうしている内に、蓮子の視界は白い指で一杯になり――……。
























「ああああ――――――――ッッ!!!!」
「うひゃあ――――――――っっ!?!?」

 蓮子の目の前で、仲良しの友達である少女が腰を抜かしていた。

「ちょっとちょっと蓮子、こんな往来でいきなり大声出して。一体なんなのよ、恥ずかしい」

 班長を務めている少し背の高い少女が、地面にへたり込んでいる被害者の方の友人に手を貸しながら、同じくへたり込んでいる、加害者の方の友人を睨んで言った。

「――え――は……あれ?」

 未だ地面に座ったまま、呆然とした顔で辺りを見回す。そんな様子の蓮子を心配して、立ち上がったばかりの少女が手を差し延べてきた。

「蓮子ちゃん、大丈夫?」
「え? ああ……うん」

 友人の手を掴んで、何とか立ち上がる蓮子。そうしてからまた、周囲の景色を、友人達の顔を、口を半開きにした間の抜けた表情のまま眺める。

「ちょっと蓮子。あんた、本当に平気?」

 班長の少女が、流石に少々心配になって声を掛けた。

「ああ、うん。大丈夫……」
「あんまりそういう風には見えないけどねぇ」
「……ほんと、大丈夫。
 ……それより、ねぇ、今何時?」

 本当に大丈夫なのか。そんな事を考えながらも、班長の少女は鞄から携帯電話を取り出す。

「只今一時五分。大丈夫、今の所は予定通りでいけてるわよ」

 一時五分。その言葉を聞いて蓮子の頭が回り始める。昼食を終えて店を出る直前、店内のテレビで国営放送が、一時丁度を伝えていた事を思い出した。

「それじゃあ、まだ、御飯を食べたばっかり……?」

 誰へとも無く呟いた言葉。其れを聞いて。

「ぶっ……」
「くっ……」
「はっ……」

 班の皆が固まる。次の瞬間。

「あっはははははは!」
「ちょ、蓮子、ナイス、ナイス! 今のギャグかなり笑える!」
「さ、さっき御飯食べたばかりでしょーお婆ちゃんっ!」

 大声で笑い始めた。
 其れを見て蓮子は、少し恥ずかしそうに笑いながら頭を掻いた。

「ああ、ご免。ちょっと、白昼夢って言うか、そんなのを見てたみたい」

「あひゃひゃひゃひゃー!」
「やめて蓮子! 本気でお腹痛いし!」
「農業体験の次は看護体験? 勘弁してよもーっ!」

 涙目で顔を崩す級友達を前に、流石に少々腹が立ってきた蓮子。

「ねぇ、蓮子ちゃん。本当に大丈夫?」

 先ほど手を貸してくれた友人が、心配そうに顔を覗き込んできた。

「ダイジョブ大丈夫。ご免ね、心配かけて」
「うん、良いの。蓮子ちゃんが大丈夫ならそれで」
「ああ、其れとさっき、手、貸してくれて有難うね」
「……どういたしまして」

 蓮子の言葉に、少女は柔らかな微笑みで応えた。

「ほらほら! 出来の悪いお笑い劇場はこの辺でお開き! いつ迄も馬鹿やってないでさっさと次の目的地へ行くわよ!」

 班長の少女が手を鳴らす。其れを聞いて、馬鹿笑いをしていた面々も涙を拭きながら歩き出した。
 蓮子も、大きく伸びを一つ、頭を切り替えて歩き始めようとする。
 そんな彼女を見て。

「あれ?」

 班長の少女が小さく声を上げた。












「あんた、靴どこにやったのよ?」



                           ◆



「お待たせしました、ハーン先輩」

 大学から最も近く、川沿いに在る鉄道の駅。其の構内のファーストフード店でコーヒーを飲んでいたメリーの背中に、元気の良い後輩の声が掛けられた

「五時半。ぴったり丁度ね」

 地元の友達と待ち合わせをする時は、毎度毎度文句を言われていた。そんな蓮子も、流石に出会って間も無い、それも大学の先輩を待たせる様な真似は出来なかった。

「今日行く所って、若しかして比叡山ですか?」

 店内のガラスから見える、一両編成の小さな電車を指差して蓮子が訊ねる。

「残念。今から乗るのはあれじゃないから」

 空になった紙カップをゴミ箱の中へ落とし、そして出口へ向けて歩き出した。

「今日乗るのは、こっち」

 店を出て直ぐ、地下へと続く階段をメリーは下りて行く。

「なんだ、地下鉄ですか」

 少々不満そうな声を出しつつ、蓮子もメリーに続いて地下へと下りる。

「地下鉄は嫌い?」
「風景を楽しめませんからね。ヒロシゲと違ってカレイドスクリーンは無いでしょうし」
「まぁ、確かに。でも安心して。暫く行ったら、此処の電車、地面の上に出るから」

 言いながらメリーは切符を二枚買う。

「はい」
「あ、どうも、有難うございます」

 二人は改札を通り、更に地下への階段を下りてホームへと向かう。

「あ。面白い、二階建て」

 ホームは二つ、その両方に列車が停まっていた。その内の茶色をした方を見て、蓮子が声を上げた。

「そっちじゃないわよ、宇佐見さん」

 もう片方、緑色の列車へと歩いていたメリーが、蓮子に向かって手招きをする。

「そっちのは特急だから。今日行く所には停まらないし、それに下手に乗って万が一乗り過ごしたりしたら、最悪の場合大阪まで連れて行かれる恐れもあるから」
「そうなったらそうなったで、百舌鳥耳原中陵にでも案内して下さいよ」

 冗談を言いつつ、蓮子も緑の列車へと乗り込む。

「うわぁ。外もそうだけど、中まで見事に抹茶色。流石は京都ね」
「京都だからって訳でもないと思うわ」

 二人は、空いている車内の椅子に腰を下ろす。

「いや、もしかしたらあるのかも」

 メリーがそう言ったのと同時に、列車の扉が音を立てて閉まった。






『次は、丸太町』

「そう言えば先輩、さっきの特急って、『出町柳から電車は走る』っていうやつですか?」
「よく知っているわね。そんな、古い上に地元の人間でも知っているかどうか怪しいマイナーな歌」
「昨日、出町柳駅の事をネットで調べていたら、たまたま見付けたんですよ」
「ネットで調べて、って」
「私、学校すぐ近くにアパートを借りてますから。こっちの電車って、一人で乗った事はまだ殆ど無いんですよ。
 京都駅から大学迄はバスで来ましたし」
「そうなの。
 それにしてもあれよねぇ。あの歌、『2人を乗せて愛の2階だて』って、なんだか意味深」
「え!……あの、それって……」
「わざわざ『2階だて』だなんて謳ってるって事は、2人が1階と2階に分かれて座って、て、そんな感じにもとれない?
余り先行きが良くなさそうな2人よねぇ」
「あ……あ、はい。あぁ、そういう意味ですか」
「どうしたの宇佐見さん? ちょっと顔が紅いけど、熱でも?」

『丸太町、丸太町です。扉右側開きます。ご注意下さい』



『つ……さ……で……』

「東京もそうですけど、何で電車の車掌さんって、こうボソボソとした声で喋りますかね?
 特に地下鉄なんかだと、外の音が五月蝿いから何を言っているのかさっぱり」
「次は三条って、そう言ったのよ。因みに、さっきの駅からは京都御苑が近かったりするわ」
「皇居ですか」
「正確に言うと、皇居はまぁ、最初の駅の方が近かったりするんだけど」
「へぇー。今度、行ってみたいなぁ」
「御苑の一部は一般開放されてるしね」
「と言いますか、御所の方」
「無理でしょ、どう考えても」

『三条、三条です』



『次は、四条です』

「次の四条からだと、京都で一番賑やかな町、河原町が近いわね。あの辺りも、昔と違って随分と洗練されているし。
 あとは祇園、そして八坂神社も近いわね」
「祇園か。良いなぁ。舞妓さんに会ってみたい」
「京都へ観光に来る人の多くがそう言うわね。でも舞妓って本来どういうものか、どれ位の人が知っているのかしら」
「よく判りませんけど、まぁ、雛妓さんみたいな人達、ですか?」
「流石は江戸の出身。よく知ってるわねぇ。
 観光客の中には、芸妓さん舞妓さんの区別がついってないって人、結構いるんだけどね」
「ま、はっきり言ってしまえば、芸妓さんより舞妓さんの方が有名になっていますしね」
「いや、まあ」

『四条、四条です』



『次は、五条です』

「五条からは六波羅蜜寺と、あと、近いと言うほど近い訳でもないけど、まぁ歩いて行ける距離に清水寺が在るわ」
「京都と言ったら清水ですよね、やっぱり。また今度、機会があったら案内して下さいよ」
「清水寺はちょっと……何ていうかその、苦手なのよね」
「高所恐怖症とか」
「いや、そうじゃなくて。舞台の上よりも下が、ね」
「地主神社は」
「彼処は苦手ではないけれど、用が有る訳でもないし」
「先輩って正直なんですねぇ」

『五条、五条です』



『次は、七条です』

「あれ? 三、四、五ときて、次は七なんですか」
「そうね」
「何で?」
「何ででしょうねぇ? 五条と七条の間隔が短い、とか、そういう事だと思うけど。
 でもそれ以前に、六条通それ自体がちょっと地味な気がするわね。橋も無いし。六条大橋」
「地味なんですか」
「派手ではないわね。
 ああそれと、通し矢で有名な三十三間堂は次で降りると近いわ」
「其処が今日の目的地ですか」
「残念」
「まだなんですかー」
「あともうちょっとだから」
「はぁ。
 あ、そう言えば。昔江戸にも三十三間堂が在ったっていうのは知っていますか?」
「あら、パクリ? インスパイア?」

『七条、七条です。扉左側です。ご注意下さい』

「ところでこの電車、一体いつになったら地上に出るんですか。流石にちょっとうんざりしてきました」
「もうすぐよ。次の駅から地上だから」
「ああ、やっと日の目が見られる」
「京都は今も昔も景観に関して厳しいから。市内中心を通る線路は、地面の上を走らせてもらえなかったそうなの。路面電車なんかは在るんだけどね。
 ああそれから、次で降りるわよ」
「まるで蝉ですね。或いは薄馬鹿下郎」
「どくとるマンボウ? て言うか、蟻地獄は普通に地面に顔を出していると思うけど」






 夕暮れ迫る駅のホームに二人は降り立った。小さな駅舎を出てほんの少し歩くと、道幅の狭い商店街へと続く。
 部活の帰りなのだろうか。制服を着た数人の少年達が、じゃれ合いながら歩いていた。

「狭いから自動車に気を付けてね」

 そう言ってメリーは進んで行く。
 暫く歩いて行くと、小さな交番が在った。その手前でメリーは左へと曲がる。蓮子も、その後を付いて行く。

「あ」

 彼女の目に立派な門が映った。その脇に在る立て看板には、先ほど降りた駅の名前と同じものが書かれているのが見えた。

「此処が目的地ですか」
「そう。
 五山の一つで、京都ではかなり有名なお寺。実際、紅葉の季節は凄い混雑するんだけどね。
 ただ京都って、他にもっと有名な場所が沢山あるから、相対的に見るとちょっと知名度は下がっちゃうし、関東だとか遠くの地方から来る人達は、意外と此処には来なかったりするの」

 説明しつつ門を潜るメリーに、頷きながら蓮子も続く。

「あれ?」

 門を抜ければ直ぐ目の前に伽藍が在る。そう踏んでいた蓮子だったが、目の前に在るのは先程迄と同じ、アスファルトで固められた普通の道路。違うのは、道の両側に在るのが住宅や商店ではなく、白い色をした背の高い塀だという事。

「塔頭が幾つもある様な大寺院だから。実際の目的地はもうちょっと先なの」

 そう言ってメリーは歩を進める。

「まだ着かないんですか」

 小さく息を吐く蓮子。そんな彼女の方へ。

「そうだ、宇佐見さん」

 歩きながらメリーが振り向いた。

「時計か携帯電話、持っていないかしら」
「はぁ、一応、どっちも持ってますけど」

 そう答えて鞄の中に手を入れる。そこで蓮子は、あっ、と、小さく声を上げた。

「しまった。つい癖で……」
「どうしたの?」
「あ、いえ。携帯は無いけど、時計なら有ります」

 修学旅行から帰って後、蓮子には新しい趣味が一つ、増えていた。
 東京に居た頃、其の趣味である夜の散歩に出掛ける時彼女は、携帯電話は余り持って行かない様にしていた。夜を彷徨う自分の時間へ、不粋な邪魔者に介入して欲しくなかったからである。電源を切ったまま持って行く、という手もあるにはあるのだが、夜の散歩では基本的に地図機能も時計機能も必要なかったし、それなら手ぶらで、と、そういう事だった。
 今日部屋を出る際も、日が出ている内には帰れないかなと、そんな事を考えていたら、どうも癖で携帯を置いてきてしまっていたらしい。

「時計は有るの? そうしたら、ちょっと貸してくれない?」

 そう言って、笑顔で手を差し出してくるメリー。

「え? あ、はい。良いですけど」

 時間を知りたいなら訊いてくれれば良いのに。わざわざ渡さなくても。
 そうは思う蓮子だったが、先輩が貸してくれと頼んでいるのだ。一度貸したが最後、もう2度ともどらない、こわれるまで、とか、そういう事でも無いだろうし、と、腕に巻いていた時計を外し、メリーに渡した。

「有難う。時計忘れて来ちゃってて……って……あれ?」

 時計を手にしたメリーが、おかしな声を出した。

「この時計、針が止まらないわ」
「止まってたら時計としての意味がありませんからね」
「いや、そうじゃなくて」

 時計の秒針とは普通、一秒毎にステップを踏む様に動く。だがこの時計の針は、一時も止まらずに流れる様に動き続けていた。

「それ、機械式ですから。手巻きの」

 白い塀の続く狭い道を歩きながら、少女二人は話を続ける。

「機械式? 水晶時計だって最近じゃ随分と少なくなったのに、それ以前のだなんて」
「確かに。今じゃ殆どが太陽電池の電波時計ですからね」
「止まらず、狂わず」
「機械式だって、ネジを巻くのを忘れなければ壊れるまで止まりませんよ。普通の電池式よりも便利です。
 時間は、まぁ、手巻きだと一日に一分くらいはズレますけど」
「まぁ、そんなに」

 JST(日本標準時)を乗せた電波を受信し、自動で時間合わせをする電波時計は、基本的には狂う事は無い。水晶振動を利用し、かつて世界の時計業界に衝撃を与えたクォーツは、電波時計には劣るもののそれでも一月に十数秒程度の誤差。日に一秒はズレない。
 そうした物に比べ、精度という点を見ればまるで勝負にもならない様な、そんな時計ではあるのだが。

「ま、あんまりきっちりかっちり、時間にがんじがらめにされるっていうのも、好みじゃないですしね」

 そう言って蓮子は笑う。

「これのネジってやっぱり、竜頭で巻くのかしら。あ、でもそうしたら、針を動かすのは?」
「時間の合わせ方は普通の時計と同じですよ。ネジは、竜頭を入れたままの状態で回せば巻けます」
「面白そう。ネジ、巻いてみても良い?」
「どうぞ」

 話しながら歩いている二人の横を、自転車に乗った小さな男の子が追い抜いて行く。

「面白い。回すとカチカチ音がするわ。何ともレトロね」

 道の角を曲がって消えて行く男の子の背中を見ながら、境内と言うよりは寺町みたい、と、蓮子は思った。

「先輩。そろそろ時計、良いですか?」
「あ、もうちょっと待って。
 あらあら、竜頭を逆に回しても音はしないのねぇ」

 楽しそうに時計を弄っているメリー。そんな先輩の姿をみて蓮子は、まぁ良いか、と、小さく呟く。
 塀に挟まれた細い道。時折、山内の小寺院が構える立派な門が見える。

 そうして暫く歩いていると。

「あ。宇佐見さん」

 メリーが前方を指差した。

「あれが目的地よ。
 それとこれ、有難う」

 ようやく還って来た時計を腕に巻き直しながら、先輩が指を差した方を見遣る。
 白い塀の続く細い道の行き止まりに、木で出来た小さな建物が見えた。
 蓮子は目を細める。其れは門の様にも見えたが、道中に幾つか在った脇寺の其れに比べると、どうにも小さいし余り綺麗でもない。東屋か何かの様にも思える。遠目で見た感じ、見栄えは良いとは言えなかった。
 こんな所が最終目的地なのか。少々の落胆の色を顔に浮かべる蓮子。

 そんな後輩の手を掴んで。

「さ、行くわよ」

 メリーは走り出した。そうして少女二人は、木で出来た其の小さな建物へと入って行く。

 次の瞬間。



「……あっ……れ?」



 思わず蓮子は、小さな声を漏らしてしまった。
 二人の周りの景色は、白い塀に囲まれた寺町の細道から、一瞬にして、緑の木々が生い茂る山中の小さな渓谷へと変わっていた。

 建物は、屋根の付いた小さな橋だった。

「ちょっと驚いたでしょ?」

 呆然とした様子の蓮子の隣で、嬉しそうにメリーが笑う。

「私達が今来た道って、最初は商店街の狭い道路、それから次は塀の続く細い道。視界が大きく制限されて、周囲の様子が、自分達が何処を歩いて何処まで来たかが、判り難かった。
 それが、この橋に入った途端に視界が開けて、突然に渓谷の緑が目に飛び込んで来る。
 町中からいきなり山の中に迷い込んでしまった、そんな感じがするでしょう?」

 蓮子は答えない。ただ欄干に両手を乗せて、一言も発さず食い入る様に夕暮れの渓谷美を見詰めている。

「これと同じ様な橋があと二つ、このお寺の境内に在るんだけど、私は此処が一番好き。
 此処は、この辺りに住んでる人達にとっては、極端な話、只の通り道の一つだとさえ言えてしまう。誰でも、いつでも通る事が出来る、日常の延長である只の道。
 そんな場所に、こんな素敵な風景が在る。だから好きなのよ」

 そこまで話してメリーは、蓮子と反対側の欄干にもたれる。蓮子は、未だに動かない。

 そんな二人の間を、制服を来た少女と少年が、自転車を押しながらゆっくりと通り過ぎて行った。
 今日のテレビがどうだとか、来週の試合がこうだとか、そんな他愛も無い話で笑い合いながら。

 宵闇迫る橋の上を風が走った。木々のざわめく音に混じって遠くに鳥の声が聞こえる。

「そろそろ行きましょうか?」

 メリーの声に促され、蓮子はゆっくりと欄干から身を離す。そうして先輩へと振り返り、黒い帽子を脱いで言った。

「――今日は、有難うございます」



                           ◆



「あら?」

 頬に人差し指を当ててメリーが首を傾げる。そんな先輩の隣で、帽子の鍔を摘んで小さく息を吐く後輩。
 二人の目の前には先ほど後にした筈の小さな橋。空は夕暮れのオレンジから、完全に闇の色へと変わってしまっていた。

「先輩ー?」
「あー、えっと」

 蓮子の声に対し、メリーはばつが悪そうに背を向ける。

「……変な気を起こさずに、普通に来た道を戻れば良かったかしら……」

 小さな声でボソッと言う。

 だんだんと暗くなっていく知らない町の道を先輩に連れられ、右に曲がって左に曲がってまた右に曲がってと見せ掛けてやっぱり左に曲がって、と、そんな事を繰り返して後のオチが今の科白。
 やれやれと心の中で呟きながら、蓮子は暗くなった空を見上げた。

「まぁまだ、そんなに遅い時間でもないし」

 そう言って、腕に巻いてある時計に目を落す。

「あれっ?」

 蓮子は声を上げた。

「これって――」
「ご免っ、宇佐見さん!」

 言いかけた言葉を遮って、回れ右をしたメリーが蓮子の手を握った。

「大丈夫、別に迷った訳じゃないから」

 そうして手を繋いだまま、橋へと入って行く。

「あの、先輩……」

 先程は夕暮れのほおずきみたいな紅に包まれていた橋の上も、今は月と星の僅かな光が照らす夜の闇の中。
 空気の色は、まるで違うものになっていた。



                           ◆



「流石にちょっと、これはまずいんじゃないですか?」
「うーん」

 少女二人は立ち尽くす。目の前には、本日三度目の小さな橋。

「同じ様な橋が三つ、とか言ってましたっけ」
「同じ様な、と、同じ、は違うのよね。残念ながら」

 確かに、橋の外見も其の周りの風景も、空気の色を除けば三回とも全く同じだった。

「真っ直ぐ、歩いていたのにねぇ」
「真っ直ぐ、歩いていたんですけどねぇ」

 二人は、真っ直ぐ歩いていた。
 二度目に橋を通り抜けた後、その前の過ちを繰り返さない様に、と、下手に道を曲がったりせずに真っ直ぐ道を進んだ。
 と言うより、真っ直ぐ進む以外に道が無かった。
 右への曲がり角も、左への曲がり角も無い。枝道の一つも見当たらない。ただただ、白く背の高い塀がずうっと続くのみ。脇寺の門にも全く遭遇しない。

「それで何で、さっき居た場所に戻るんでしょうね?」

 蓮子は腕を組む。このままでは、先へ進んでも来た道を戻っても、どちらに行っても着く先は同じだろう。この真っ直ぐの道を、永久に歩き続ける破目にもなりかねない。

「大丈夫よ、宇佐見さん。大丈夫」

 そんな事を言いながらメリーは、橋の入り口迄おもむき、其処から蓮子に手招きをする。

「落ち着いてますね、先輩」

 自身もそれほど慌てていない、そんな様子で蓮子はゆっくりと空を見上げる。
 さて、どうしたものか。今いる場所がどこであろうと、戻れる道が判らなければどうしようも無い。
 溜め息を一つ、蓮子は視線を空から下ろす。

「……へ」

 そのまま彼女の身体は固まった。

「?どうしたの、宇佐見さん」

 大きく口を開けたままの後輩を見て、不思議そうな声を出すメリー。

「あ……か、か……」

 蓮子はメリーを指差して、意味不明な事を言いながら小さく震えている。

「蚊?」
「や……せ、先輩っ、先輩……うっ、うしろ、うしろっ!」
「後ろ?」

 言われて、何事か、と、後ろを振り向く。

 次の瞬間。



「きゃああ――――っ!?」
「わわわわ――――ッ!!」

 橋に背を向けて二人は全力で走り出した。

「なななな何ですかアレ――――ッ!?」
「しししし知らない! 知らない! あんなの聞いてないっ!」

 どこ迄も同じ景色が続く道を、後ろも振り返らずに二人は走る。

「髭っ! ひげっ? ヒゲッ!?」
「空っ! そらっ? ソラッ!?」

 背の高い塀に挟まれた道を、只ひたすらに真っ直ぐに走る。



「はっ……はふぅ……はっ……」
「ぇはっ、はっ……はぁ――……」

 どれだけの距離を走ったのか。景色が全く変わらない為それは判らない。肩で息をしながら、二人は足を止めて座り込んだ。

「付いて来ては……」
「――いないみたい、ですね」

 後ろを確認し、揃って安堵の息を漏らす。
 二人は押し黙り、そうして自分達の見たものが一体何だったのか、思考を巡らした。

「あの……先輩」

 遠慮がちに蓮子が口を開く。

「私、田舎者なんでよく判らないんですけど……上方の亀って、大体があんな感じなんですか?」
「そんな訳ないでしょ」

 未だに小さく肩を上下させながら、メリーが応える。

「学校の池にだって居たでしょう? 普通はあんなのよ。今のみたいに大きな、ううん、大きさ以前に……。
 ――ねぇ宇佐見さん。私、精神学が専門だからよく知らないのだけど……亀って、顎から髭が生えている種類もあるのかしら」
「私の専門は物理学ですから詳しくは知りませんけど、多分いないと思います。爬虫類だし」
「でも、一部の恐竜には羽毛が生えてたそうじゃない?」
「羽毛と顎髭は大分違うと思います」
「そう言えば鳥類って、恐竜の一部から進化したのよね。つまり、鳥は爬虫類の中に含まれるとも言えるわ。
 と言う事は、同じ爬虫類である亀が空を――」
「――飛んだらおかしいと思います。やっぱり」

 白い塀に背中を預け、蓮子は目を瞑る。そうして思い返す。
 橋の上に居たアレは、確かに宙に浮いていた。こちらの目線と同じ高さに、髭の生えた亀の顔が確かに見えていた。

「ああでも、愛情を込めて育ててあげれば、若しかしたら」
「育てよ!カメ、って、どんな愛情を込めれば亀が空を飛べる様になるんです?」

 少々錯乱気味な先輩の言葉に、律儀にツッコミを入れる蓮子。

「それにしても困ったわ。橋から随分離れちゃったみたい……」

 言いながらメリーは、道の真ん中で、地面を背にして大の字に寝転がる。そして。

「ぃは!?」

 次の瞬間には飛び起きた。

「何ですか、面白い声を出して」

 顔面蒼白の先輩に向かって声を掛ける。
 メリーは応えずに固まったまま、そうして暫くしてポツリと一言、呟いた。



「鳥を見た」

 今度は古代の怪鳥でも出て来たのだろうか。蓮子の身体も緊張で強張る。

「あ。う、ん、違う。今のは鳥なんかじゃない……」

 身体を小刻みに震わせ、メリーは言葉を続ける。

「人……そう、羽の生えた人……」
「……天使とか、神様とか、そういう?」
「天使? 神様? 違う、そんなのじゃない! もっと、もっと邪な感じのする……」

 そう言ってメリーは、自分の身体を抱き締める様にしてガタガタと震え出した。

「邪な、って……」

 先輩は一体、何を見たと言うのか。恐る恐る蓮子は空を見上げる。



「!っ先輩!!」

 突然、蓮子がメリーを押し倒した。

「なっ!?」

 道の真ん中で倒れている先輩の上に、後輩が覆い被さる形。

「何を!?」

 顔を真っ赤にして叫ぶメリー。そんな彼女の目に。

「!?」

 空から急降下してきた何かが、自分達の直ぐ上を掠めるのが見えた。
 Vの字を描く様にして、急降下からそのまま夜の空へと向けて急上昇するソレ。

「お、んなの……?」

 擦れ違った瞬間、メリーの目に今度ははっきりと、ソレの姿が映った。
 自分達と同じ位の年頃に見える、長く綺麗な金色の髪をした少女。そしてその背中には、まるで蝙蝠の様な形をした、大きな二対の羽。

「大丈夫ですか、先輩!?」

 言って、蓮子はメリーの上から退いて立ち上がり、そして手を伸ばす。

「有難う……」

 その手に捕まってメリーも立ち上がる。

「! 来るっ!」

 安堵したのも束の間。蓮子が叫ぶ。
 再び急降下をして迫る金髪の少女。先程よりも増しているスピード。
 避けられない。メリーは目を閉じる。蓮子は先輩の身体を護る様にして抱き付く。



 音がした。

 光が弾けた。



「……か、め?」

 ゆっくりと目を開いたメリーが、不思議な光景を見て呟いた。

 先ほど見たものだろうか。大きな亀が、金髪の少女を押し止めていた。しかもその上には、後姿しか見えないが人間の、それも髪型からして恐らくは女が一人、乗っていた。

「乙……姫?」
「亀に乗るのは太郎……ですよ」

 メリーも蓮子も、目の前の状況が飲み込めなかった。
 人を乗せた亀と、羽を生やした少女が対峙している。そんな不可思議な光景。

「!?」

 再び音と光が弾けた。火薬でも投げたのか火でも噴いたのか、亀と少女の周りで小規模な爆発が連続して巻き起こった。

「あ!」

 メリーが声を上げる。

「在った! こんな所に! 今のショックで? 兎に角やったわ!」

 何も無い塀を見ながら、嬉しそうに捲くし立てる。

「ど、どうしたんで――」
「宇佐見さん、脱出するわよ!」

 蓮子の言葉を遮って其の手を握り、メリーは壁に向かって走り出した。

「ちょ! 先輩たんまたんま!」

 ぶつかる! 思わず蓮子は目を閉じた。

 そして――……。
























 目の前には、七条ステンショと書かれた石碑を背にした、赤煉瓦の洋風な建物が在った。

「京都……駅?」

 其処は間違い無く、蓮子が初めてこの街へ来た日に見た、京都駅の駅舎だった。

 建設時には、古都の景観を損ねると反発を受けた四代目京都駅。まるで巨大なモノリスを横倒しにした、そんな威容を誇っていた四代目はしかし、京都が首都へと復帰したのを切っ掛けに、そして、卯酉新幹線の建設に伴って駅施設の多くが地下化し、地上の駅舎にさほどの大きさが必要とされなくなったという事もあって、市内に在った他のビルの多くと同様、取り壊されて「京都の景観に合った」物へと建て替えられていた。
 五代目京都駅は、四代目の巨大な姿から、明治の初期に建てられた初代を模した、「モダン」な洋風建築へと回帰していた。

「何が……一体……」

 呆然として夜空を見上げる。日付は、既に次の日へと変わっていた。

「……家への連絡メール、一日サボっちゃったわね」

 何が起きてどうなったのか。蓮子にはまるで理解できていなかったが、兎も角、自分達が在るべき時と空のもとへと戻って来られた、其の事だけは間違いが無かった。
 結局、あの永久に続く道は何だったのか。あの亀と、羽の少女は何者だったのか。何も判らぬまま蓮子は呟いた。

「そう言えば昔の京都駅って、空飛ぶ大きな亀と羽が生えた怪物によって壊されたんでしたっけ」



「解体業者だったと思うわ。生まれる前だから知らないけど」



                           ◆



「いらっしゃいませ。ご予約は?」

 静かなクラシック音楽の流れる店内で、黒と白で清潔に纏められた洋装の給仕が、うやうやしく礼をする。

「あ、いえ」

 メリーは首を横に振る。

「一名様ですか?」
「いえ、その、先に――」

 言い掛けた言葉を、元気の良い声が遮った。

「あー、先輩先輩! こっちです!」

 少し離れた場所のテーブルに就いている蓮子が、嬉しそうな顔で大きく手を振っていた。
 レースのカーテンで閉じられた窓から、真昼の陽光が店内を明るく照らす。そんな中を、メリーは給仕の女性に連れられて歩く。

「どうしたの、宇佐見さん。こんな所に呼び出して」

 引き出された椅子に、静かに腰を下ろすメリー。

「こちら本日のお料理となります」
「あ、ランチコースのB、二つで」
「メインディッシュは――」
「肉と魚、一つずつで」

 メリーの問い掛けを無視して、蓮子は給仕から手渡されたメニューを見てさっさと注文を済ませていく。

「ちょっと、宇佐見さん!」
「あ。先輩は珈琲と紅茶、どっちが良いですか」
「……珈琲」
「それじゃ珈琲二つ、お願いね」

 そう言って蓮子は、手にしていたメニューを給仕の女性へと返した。

「流石は大学ですね。構内にこんなお洒落なフランス料理の店が在るなんて」
「大学だったら何処にでも在る訳ではないと思うけど」

 後輩の言葉に少し不機嫌そうな声で応えてから、メリーはグラスに注がれた水を一口飲んだ。

 日を跨いで行われた京都案内の翌日、と言うよりも当日の朝、メリーは蓮子から、昼に時計台下のフランス料理店で待っていると、そうメールを受け取った。
 この店は、大学生協ではなく外部の業者が運営している店であり、学生や教職員は勿論、一般の人間も入る事が出来る。店内を見回すと、明らかに学校関係者ではない身なりの良い老夫婦が、テーブルを挟んで談笑しているのが目に入った。

「勝手に注文して。Bコースって、ここのお昼じゃ一番高いやつじゃない」
「ホテルのランチに比べれば、そんなでもないと思いますよ」

 一応は学内の施設なので、此処も学生カードで精算できる。だからなのか、蓮子は悪びれた様子も無く笑って言う。

「話が有るんだったら、別に此処でなくても、部室で充分だと思うけど」
「部室って言うか、研究室ですけどね」

 楽しそうな笑顔を見せる蓮子と、少々の不機嫌を顔に出しているメリーと。
 二人の間に、前菜の載った皿が二枚、静かに置かれた。

「こちら奥の方が白レバーのムース・トースト添え、右手が梶木鮪と赤パプリカのプレッセ、左手が貝柱のムースリーヌになります」

 材料名と実際の見た目がまるで一致しない、そんな料理が二人の前に並ぶ。

「レバーをムースって、その発想が面白いですよねぇ。本当にこれはレバ肉なのかしら」

 皿の上、小さなガラスの器に入れられた白いムースを見て、楽しそうに蓮子が笑う。

「ほらこれも。どう見ても鮪には思えないわ」
「日本の蒲鉾だって、見た目から元を想像するのは難しいと思うけど? 特に蟹蒲鉾とか」

 そう言って、メリーはナイフとフォークを手に取る。合成ものの食材が溢れる昨今、そもそも元が何なのかを考える事に意味は殆ど無い。味と栄養と、それさえが整っていれば何も問題は無い。

「あ、そうそう。先輩に此処まで来てもらったのはですね」

 小さなスプーンで白いムースを掬いそれを一口、そうして蓮子が言葉を続ける。

「理由はまぁ、二つ在るんですけど。
 一つは、ちょっと長めの話がしたいって、そういう事なんですが。コース料理の途中に席を立つなんて失礼な真似、まさか先輩はしないでしょう?」

 蓮子は笑って言う。

「失礼します」

 二人の目の前の小さな空き皿に、給仕の青年がフランスパンを二切れ乗せ、そうして礼をして場を離れた。

「そんなに長くなるの? 途中で私が逃げたくなる位」

 ナイフとフォークを皿に置き、ナプキンで口を拭いて、そうしてメリーはグラスに口を付ける。

「それほど長くはないですよ。まぁ、逃げたくはなるかも知れませんが。内容的に」

 レバーで出来ているらしい白い物体を食べ終え、今度は貝柱で出来ているらしい白い物体に手を出す蓮子。

「あら、怪談でもしてくれるのかしら」
「先輩、好きそうですよね、そういう話。名前からして」

 話しながら手と口を動かす二人。

「あー、美味しかった」

 二人の皿の上から料理が消える。
 暫くして、下げさせていただきます、と、給仕の青年が食器を片付けていった。

「そろそろ本題に入ってくれないかしら」

 冷たいメリーの視線が蓮子に突き刺さる。

「あら、まだ前菜を終えたばかりじゃないですか」

 相変わらず蓮子は笑顔のまま。

「カボチャの冷製ポタージュです。どうぞ」

 二人の前に、スープの入れられた皿が並べられた。



「……あのですね、先輩」

 スプーンを手にして蓮子が言う。

「先輩は昨日、時計を忘れて来てたんですよね」
「正確には携帯電話もね」

 メリーもスプーンを手に取る。

「本当は、持っていたんじゃないですか?」
「あら、どうして?」

 掬ったスープを静かに口へ含む。メリーの表情は動かない。

「昨日待ち合わせの時に、時間丁度だ、って言いました」

 蓮子も冷たいスープを口にする。カボチャの甘味がゆっくりと口内に広がった。



「あのお店の中に、時計が在ったじゃない」

 にっこり笑ってメリーは答えた。

「そうでしたか? 記憶に無いんですけど」
「それはまぁ、初めて行ったファーストフードショップで、そんな細かい所まで覚えてたら、其の方がむしろ不思議だわ。
 なんだったら、今度行った時に確認してみたら?」

 蓮子は黙ってスプーンを動かす。

「これで終わり? 確かに長くはないお話ね。
 何て言うか、推理小説の真似をしようとして、見事に滑っちゃったって、そんな感じ?」

 蓮子は応えない。仕方が無いので、メリーも黙ってスープを飲む。
 暫くして。

「お下げさして戴いて宜しいでしょうか」

 ナプキンを口に当てたまま、メリーは小さく頷いた。

「失礼致します」

 二人の目の前から、空になった容器とスプーンが消えた。そうして。

「失礼致します。お魚料理はどちらに――」

 メインディッシュが遣って来た。

「先輩は魚と肉、どっちが良いですか?」

 やっと、蓮子が口を開いた。

「それじゃ、私はお肉で」

 その言葉を受けて、給仕の女性が手にした皿の一つを蓮子の前に置く。

「こちらアンコウのムニエル・グルノーブル風になります」

 続けて、メリーの前にも。

「こちら若鶏のモモ肉と仏蘭西産小麦のパロティーヌになります」

 有難う、と、軽く頭を下げて、メリーはナイフとフォークを手にする。そんな彼女に。

「ねぇ、先輩」

 同じくナイフとフォークを手に握った蓮子が声を掛ける。



「何で私の時計、時間を弄ったんですか?」



 メリーの動きが止まった。口を開かずに、ただ目前の、オレンジのソースがかけられた肉の塊を見詰めている。

「部屋を出る時には私の時計、二十一秒程ズレていたんですけどね」

 手を動かし、視線は料理に落としたまま、蓮子は続ける。

「二度目に橋に入る直前、確認したら、五分十九秒もズレてたんですよ」

 メリーの身体は未だ停止したまま。

「先輩、食べないんですか? だったら其れも私が」
「あっ……いえ、うん」

 曖昧な返事をして、メリーはどこかぎこちない動きで鶏肉を切り始める。

「ねぇ、宇佐見さん?」

 後輩の問いに答えを示せぬまま、少し小さな声でメリーは訊ねた。

「あの時、近くに時計は無かったし、宇佐見さん携帯電話は持っていなかったんだし、時間を確認したって、どうやって?」

 先輩の問いに、にぃっ、と、嬉しそうな笑顔を作って蓮子は応える。

「星をね、見たんですよ」
「星?」

 蓮子が何を言っているのか。メリーには理解できなかった。星の位置を見て時間を読んだ、そういう事なのだろうか。だが、それにしては余りに正確過ぎる。

「ああ別に、昔の航海士みたいに月と星の位置を見て、とか、そういう事じゃありませんから」

 メリーの心を見透かした様な科白を蓮子は言った。

「ちょっと特殊なんですよ、私の目」

 特殊な目。その言葉に反応し、メリーの肩がぴくっと動いた。

「星の光を見ると、JSTが判るんですよ、私。何で判るか、って言われても答えられないけど、何故だか判るんです。
 ついでに、月を見ると現在地も判ります。便利でしょう?」

 修学旅行でのあの出来事の後、突如蓮子に備わった不思議な力。夜の散歩に出掛ける時、地図も時計も要らない便利な力。

「で。何で時計を弄ったりなんかしたんですか?」

 さっさとメインディッシュを平らげて蓮子は、脇のフランスパン一枚を手に取り、其れを千切って、一欠片を皿に乗せた。

「……ネジを巻こうとしてたら、間違えて針を動かしてしまった、じゃあ駄目?」

 肉に巻かれていた小麦に少々苦戦しながら、メリーが答える。

「竜頭を引っ張るの、かなり固くて結構難儀する位なんですけどね。
 それに、間違って動かしたのなら、元に戻すなり私に言うなりすれば良いんだし。
 それとも先輩は、間違えて弄った時計を、何も言わずに其のままで返す様な悪い子なんですか?」

 言いいながら蓮子は、皿の上のパンの切れ端にフォークを刺し、それを動かして残ったソースを拭っていく。
 対するメリーは、何も言わずに料理を口に運んでいく。
 そうして暫くして、自分の皿も綺麗になって後。



「あー、参ったわ。本当、参った」

 天井を見上げ大きく息を吐きながらメリーは言った。
 その様子を見て、給仕の青年が二人の居るテーブルへと歩み寄って来た。

「お下げさしていただいて――」
「ああ、お願い」

 蓮子が軽く片手を挙げて言う。

「デザートをご用意させて――」
「ええ、頼むわ」

 小さく溜め息を吐きながらメリーが言う。
 給仕は表情を変えずに、空いた皿二枚を持って去って行った。

「万全を期した心算が、逆に墓穴を掘ってしまっていたみたいね」

 自嘲気味な笑みをメリーが見せる。

「やっぱり。先輩は知ってて『彼処』に足を踏み入れたんですね?」
「あら。時計を弄ったっていうだけで、そこまで判るものなのかしら」
「時計とは、また違う部分で、ですけどね」

 膝上のナプキンを手に取って口周りを綺麗にし、蓮子は続ける。

「私の目の話、何で先輩にしたか、判ります?」
「私の行動の矛盾点を突く為、でしょ?」
「其れもありますけど……。
 ……先輩も私と同じ、面白い目をしてるからですよ」

 失礼します、と、小さな声がして、二人の目の前にデザート用の小さなフォークとスプーンが並べられる。

「先輩には見えていたんでしょう? 『彼処』からの出口が。そうでなきゃ、あんな迷わずに壁に突進するなんてあり得ないし。
 そして、出口が見えていたという事は、入り口も見えていた、という事。ですよね?」

 蓮子の言葉に曖昧な笑顔の様なものを返しつつ、メリーは口を開いた。

「……私の目にはね、結界、つまり、この世界と別の世界の境目が見えてしまうの。
 うちの家系は昔から霊感はある方だったみたいだけど、こんな目を持っているのは私だけね」
「それはまた。気持ち悪い目ですね」

 そう言って、蓮子は笑った。
 それを見てメリーの身体は、一瞬動きを止めて、けれども直ぐに。

「貴女程じゃないけれどね」

 嬉しそうな笑顔で応えた。



「失礼致します」

 二人のテーブルにデザートが遣って来た。

「さて、これから私はどうしましょう。慣例にのっとるのなら、暗い過去も交えながらの動機披露かしら」
「そして其の次ですね。今日は良い天気だし、死ぬにはいい日だと思いますよ? 残念ながら近くに嵐の断崖絶壁は在りませんが、都合の良い事に此処には時計台が在りますし」
「地面の上に飛び降りるのは、後を考えると余り綺麗ではないわね」
「何を言ってるんですか。時計台での正しい死に方は、時針と分針に挟まれる、今も昔もこれで決まりです。これなら、後には綺麗なものを見る事が出来ますし」
「この大学にそんな素敵な仕掛けは無いわ。多分」

 心から残念そうな表情でメリーは息を吐く。そんな先輩に蓮子は訊ねる。

「時計を弄ったのは、正確な時間を読ませない様にする為。時計を手にしてから返すまで時間をかけたのは、針をズラした事を判らなくさせる為。で、そもそも時間を誤魔化した理由は?」

 金属製の小さなフォークを手の上で弄びながら、メリーは答えた。

「どうやら宇佐見さんは知らなかったみたいだけど……あの場所に境目が在るっていう情報は、実はネットで手に入れる事が出来る様な話なの。で、その境界を通る事の出来る時間、ていうのがあって、それもネットで調べられる。
 だからね、宇佐見さんがその事を知っている可能性を考慮して、それで時計を弄らせてもらったの」
「て言うか、若し私がそんな情報を知っていたなら、初めからそんな所に近付かなかったんじゃないですかねぇ?」
「そうでもないわよ。結界が開く時間が決まっているという事は、言い換えれば、それ以外の時間は安全、て事だから。むしろ、時間さえ判っているなら、と、警戒心が緩む位よ。
 あの場所が私のお奨めの場所だって、その事は本当だったし、実際、気に入ってもらえたみたいだし。宇佐見さんが其の気持ち悪い目を持っていなかったら、例え事前に情報を得ていたとしても引っ掛ける自信は有ったわ。後でばれる事も無かったと思う」

 そんなものかなぁ。そう思いながら、蓮子は白いムースをスプーンで掬って口に入れる。
 途端、口内に広がるアルコールの香り。そう言えばさっき、給仕が白ワインのムースと言ってたな、と、思い出す。

「若し私が携帯を持っていたなら?」
「私のアドレスを入れておくからって言って、借りて弄る心算だった」

 思っていたより頭の悪い計画だな、と、そんな事を心の中で思う蓮子。

「あっ、でも。
 今思い付いたんですけど。私のこの目が無くても、どの道、部屋に戻って他の時計を見たら、時間がズラされていたって気付くんじゃないですか?」
「あぁほら。大概の電波時計って、深夜に電波を受信して時間調整をするじゃない。だから、こっちに戻って来た時には
自動的に針が元へ戻って――」
「私の時計、機械式ですけどね」
「……あっ」

 思っていたより、どころか、かなり頭の悪い計画だったらしい。そもそも、例え電波時計だったとして、受信時間帯に上手くこちらへ戻って来られなかったらどうする心算だったのか。真逆あちらの世界で、こちらの電波を受信出来はしないだろう。
 色々とツッコミたい所のある蓮子だったが、何だか少し可哀想になってきたので、時間関連の話はここ迄にする事とした。ただとりあえず、深夜の電波受信を計算に入れていたという事は、その時間になるまで帰さない事は織りこみ済みだったらしい、という事実は判明した。

「失礼します」

 二人のテーブルに、暖かいコーヒーと、ミルクの入った容器と角砂糖で一杯の小皿と、そして裏返しにされた伝票とが乗せられた。ごゆっくりどうぞ、と、丁寧に頭を垂れる給仕の青年。

「まぁ、時計の話はこれ位にしておくとして。
 私をあの世界に連れ込んだ、そもそもの理由は何です? お互いピンチを乗り越えるたび強く近くなるとか、そういう事ですか?」

 冗談で言ったその言葉に対し。

「いや、まあ、その。近からずと言うか、遠からずと言うか」

 メリーははっきりとした否定を示さなかった。

「……吊り橋効果とか、私、そういう趣味ありませんから」

 視線を逸らして、椅子を後ろに引く蓮子。

「そうじゃなくって!
 ……その、サークル勧誘の一環と言うか……」
「……はい?」

 言っている意味が判らずに蓮子は首を傾げる。

「多分、もう気付いていると思うけど、うちって一応、霊能サークルなの」
「みたいですね、どうやら。でも、だったら何で、それを最初に言わなかったんです?」
「此処の大学って、他にも大きくて有名な霊能サークルが沢山あって、霊能系に興味の有る子は皆そっちに行っちゃうから。それに、うちのサークルって、その、まぁ……」
「まぁ?」
「ちょっとした違法活動と言うか、世間的に余り大っぴらには出来ない事をやっていると言うか……」
「何ですか、それ?」

 事情を知らない東京出身の後輩に、メリーはこの街の説明をする。
 平安の昔からの都であるこの街では、今に至るまで千年以上も霊的研究が続けられてきた。
 異界へと繋がる結界はその多くが役所によって管理され、それらを暴く事は均衡を崩す恐れがあるとして禁じられている。そして、その禁じられた行為こそが、表には出せない秘封倶楽部の真の活動内容なのであった。

「まぁ実際、私達は結界を通ったせいで、あんなバランスの崩れた世界に行ってしまった訳なんだけど」

 結界に関しての事は、この街に住んでいる者なら誰でも知っている。オカルトサークルの類も、結界に手を出す様な真似はしない。だから秘封倶楽部は、其の本当の顔を知らない者からは、何も霊能活動をしていない不良サークルとして、其の裏の活動を知っている者からは、禁じられた遊びをする危険サークルとして認識されていた。

「でも、違法活動って、そんな事してて捕まったりしないんですか?」
「結界っていうのは、其の在る場所に行ったところで、普通は何も見えないし、何も起きないのよ。だから役所の方も、特に危険な場所は公表して人が近付かない様にしてたりするけれど、其れ以外の場所は意外と管理が甘かったりするの」

 ちょっとした除霊や降霊、念写程度の事なら兎も角、メリー程の特異で稀有な力を持つ者はこの街にもそうそう存在しない。そうした特殊で少数な個人に対処するというのは、役所が最も苦手とする事の一つなのである。

「公式には発表されていないマイナーな結界を、独自の研究で探したりなんだり。やっているのはそういう事。
 だから、つまりはまぁ、違法サークルと言うよりは違法すれすれサークルね」

 そう言って、どこか困った様な顔で力なく笑うメリー。

「なるほど、事情は大体判りました。
 オカルトに興味の有る新入生は他のサークルに流れるし、それ以前に、秘封倶楽部の事を知っている地元の人間からは警戒されるので、それで地方出身の何も知らない学生を見つけて、サークル内容を伏せたまま勧誘したと、そういう事ですか」

 蓮子の言葉に、答えないという行為を以てYesと代えるメリー。

「で、昨日の探検は結局?」
「うちの活動を知らないで入ってきた子に、偶然を装ってそれとなくちょっとした怪奇現象を体験してもらい、そうして本格的に興味を持ってもらおうという――」
「逆に、怖がって逃げると思いますけど」
「そういう子は、まぁ、うちとは縁が無かった、という事で」
「まぁ、確かに。でも――」

 ちょっとした怪奇体験で怖がって逃げ出す。そうした人間がオカルトサークルに向かないというのは、確かに道理である。だが。

「昨日のあれ。あれが『ちょっとした』怪奇現象なんですか?」

 蓮子の言葉に、其れは違うの、と、メリーは声を大きくして反論した。

「昨日のあの、空を飛ぶ亀と羽の生えた女の子は、こっちにとっても予想外だったのよ」

 二人が昨日訪ねた橋に在った結界は、小さい上に通れる時間は限られ、メリーの様な能力者が居ない限りは偶然に迷い込むのも不可能で、地元でも怪奇な噂の一つも立たない、そんなごくマイナーな結界であった。

「危険度も低い筈だったのよ。て言うか、実際以前に、先生達と一緒に何回か入った事もあって、でも何事も無く出られて。危険度で言ったら、高台寺の結界なんか百鬼夜行に巻き込まれる危険性があるって言うし、清水近くの六道珍皇寺の入り口なんかに至っては、下手をすれば生きたまま閻魔様の前まで出る破目になるらしいし。
 それに比べて昨日の所は、ただ同じ道が永久に続くだけで何も無いし、出口である結界も同じ橋の上に在って判り易いから、危険なんて無い筈だったのよ。
 同じ無限回廊で言ったら、伏見稲荷の千本鳥居の方が、お狐様の気分如何によっては完全にあっちの世界へ連れて行かれる可能性がある分、よっぽど恐いわ」
「だったら昨日は何で」
「それは……」

 メリーにも判らなかった。先生にも訊いてみたが、何かしらの影響で結界に異変が起き、変なものを呼び寄せてしまったか、或いは結界自体が変な所に通じてしまったか、と、そんな曖昧な答しか聞けなかった。
 若しかしたら、メリーと蓮子、二人の能力者が同時に入ったせいで、結界に異変が起きたのかも知れない。あくまでも推測の域を出ない話ではあるのだが。

「あぁそれにしても、昨日は本当に大変だったわ。
 変なものに襲われるし、偶然見付けた裂け目なんかに入ったせいで、何故だか京都駅なんかに出ちゃったし……」

 尤も、それはまだ運が良かった方なのだろう。若しあの出口が、エベレストの頂上や絶海の孤島にでも繋がっていたとしたら。
 両手で頭を抱え、溜め息混じりにメリーは言う。

「もうあんな目に遭うのは懲り懲りよ」

 そんな彼女の耳に。

「私は、スリリングで楽しかったですけどね」

 後輩の声が聞こえた。

「――えっと、宇佐見さん。今なんて?」
「ねぇ先輩。今回の計画、先輩一人で立てたんですか?」
「……質問文に対し質問文で答えるとテスト0点なの知ってたかしら?」
「今はテスト期間中じゃないので問題ないです」

 先輩の不満をあっさり受け流しながら、蓮子は思考を巡らす。
 話の内容は、よく理解できた。聞けば聞く程、馬鹿らしく思えてくる様な内容だった。目の前のこの人が、本当にこんな馬鹿げた計画を考えたりするものなのだろうか。出会って間も無いながらも、蓮子にはメリーがその様な人間だとはどうにも思う事が出来なかった。それに。

「一昨日部室に行った時、助手さんと先輩が話していた内容。あれって今から考えると――」
「あれ。聞こえてたの?」
「わざと聞かせる様に話していたと思ってたんですけど、違うんですか」
「……あの人、声大きいから」

 あーあと言った感じで、額に手を当てるメリー。

「そうね。もう何も隠す必要も無いし。
 確かに、今回の計画の大筋は、私じゃなくて先生が考えたものよ」
「先生って、あの」
「そう。秘封倶楽部初代部長」
「え」

 蓮子の目が丸くなった。

「じゃあ若しかして、二代目はあの助手の」
「そう。そして私が三代目。因みにこの三人が、発足から現在に至る迄の、秘封倶楽部全メンバーであったりもするわ」
「へ」

 再び蓮子の目が丸くなった。そうして今更ながらに思い出す。勧誘の時も、部室に連れ込まれた時も、昨日の「サークル活動」の時も、メリー以外のメンバーが何処にも居なかった事を。

「先生ってほら、オカルト方面で有名でしょ? だから私、去年入学した時に、この目の事で話をしたいと思って会いに行って――」
「そして捕まったと」
「そう。それで今年は、私のこの目を新入生勧誘に利用しよう、って先生が言い出して……」

 額に手を当てたまま、肩が上下する程の大きな溜め息を吐く。

「あ。それじゃ若しかして、部室で先輩が受け取ってた紙の束。あれも」
「先生が調べ出したマイナー結界スポット一覧」
「そっか。ネットで調べられる様なものなんでしたっけ」
「違うわよ。昨日の彼処も含め、全部先生が独自で調べ上げたやつ」
「あれ、でも、さっきはネット上で出回っている話だって」
「そう。先生がネットに流したのよ」

 そこまで話してまた、大きな息を吐くメリー。

「一昨日の夜、先生のホームページを見て驚いたわよ。昼間に渡された場所が全部、UPされていたんだから」
「でも、昨日のあの場所なんかは、以前にも教授達と行った事があるって言ってましたよね」
「情報が纏まったから、それで昨日更新したらしいんだけど……。
 信じられる? 自分であんな計画を立てておきながら、それを破綻させかねない情報をわざわざ前日の夜にネットで公開するのよ? 宇佐見さんの言った通り、以前から手にしてた情報もあったのに、一日でもズラせば何の問題も無かったのに――!
 付き合って一年になるけれど、未だにあの人のこういう性格が、わざとなのか天然なのか判らないわ」

 時計に関する仕掛けが余りに稚拙だった理由を、蓮子は理解した。前日に突然、予定外の事態が舞い込んで来て、其れを修正しようとアドリブで頑張った結果がアレだったのだ。
 だが、実際には蓮子はネット上の情報を見ておらず、メリーのアドリブは不発に終わったどころか、そこから行動の不自然さが露呈する結果となってしまった。教授の立てた計画は、教授の迂闊な行動が引き金となって破綻したのである。
 尤も、例え成功したところで、だからどうした、と、その程度の計画なのであったが。言ってしまえば、新入メンバーを驚かせる為の、教授のちょっとした悪だくみ、只それだけの話だったのだから。

「何はともあれ、本当に御免なさい、宇佐見さん!」

 そう言って勢い良く頭を下げるメリー。

「そうですね。
 昨日の夜、先輩の行動の不自然さに気が付いてから今日此処で話をする迄、一体どんな陰謀が隠されているのか、若しかしてバックには巨大な秘密犯罪組織が絡んでたりするんじゃないかって、ずっとわくわくしていたのに。
 見事に期待外れです」

 蓮子は、自分の珈琲の上で、左手でミルクの容器を傾け、右手で角砂糖を一個、二個と入れながら話をする。

「其れは怒る部分が違う気が……」

 ミルクも砂糖も入れぬままのカップを手に、メリーが困った顔で笑う。

「あ、それに。一応うちって、非公認だし違法スレスレの活動もしているから、或る意味秘密犯罪組織と言えなくもないかも……」
「歴代メンバー全員そろって四人じゃ、巨大には程遠いですけどね」

 角砂糖が八個入り、九個入り、カップから中身が溢れそうになる寸前で、ようやく蓮子は珈琲を飲み始めた。

「この先に、何か大どんでん返しでも用意してくれてはいないんですか?」
「いや、その……。
 あ、でも。ほら、宇佐見さんの、何かがあるかも知れない、っていう予想の裏をかいた、って事で」
「裏切られたのは期待です。
 こういうオチも、一応は予測していましたし。最悪から二番目に悪いパターンとして」
「……ぇえと、因みに最悪は?」
「人類滅亡」

 掛けるべき言葉が見付からずに、ただ力の無い笑いを返すだけのメリー。
 そんな彼女の前で、一足先に珈琲を飲み終えた蓮子が、鞄から地図を取り出して机の上に置いた。

「さて。次のサークル活動は何処にしますか、先輩?」

 目を丸くして、口は半開き。見事に間の抜けた表情でメリーが固まる。

「次って……え、え?」
「しっかりして下さいよ。次は何処の結界を見に行くかって、そういう」
「それじゃ……若しかして宇佐見さん、うちに――」
「入りますよ、勿論。て言うか昨日の時点で私、既に入っていたんじゃないんですか?」

 何を判りきった事を。そんな顔で蓮子は言った。

「でも私、宇佐見さんに悪い事しちゃって……」
「あー、まぁ。何と言いますかねぇ」

 空になったカップの中でスプーンを回しながら、蓮子は続ける。

「そもそも私がこの街に来た理由の一つが、異界探しをする為、だったりするんですが」
「えっ」

 修学旅行に行った東北で、偶然に迷い込んだ異界。
 若しかしたら命が危なかったのかも知れない。それなのに蓮子は、其の時の体験が忘れられず、再びあんな世界を見てみたいと、東京に帰って後は、折を見て夜の街を彷徨う様になった。
 しかし、一向に異界への扉は見付からない。そこで彼女は、東京以上の霊都である京都を目指した。

「だから、結界を見る事が出来るハーン先輩、先輩と一緒に居られる秘封倶楽部は、私にとって最高の環境なんですよ。
 実際、入って一日であんな素敵な体験ができましたしね」

 メリーは未だに固まったままだった。
 一体、自分のやった事は何だったのだろう。これなら初めから、全部を話して、そうすれば其れで良かったという事ではないか。あれやこれやと悩んで、大変な目に遭って。そんな全てが、まるで無駄な行為だったのだ。
 世話になっている恩師の命令とは言え、人を騙す様な真似をした事に天罰が下ったのか。心の中で神様やご先祖様や、その他の色々に向かってメリーは平謝りをする。

「ああでも確かに。騙されて危険な目に遭って、っていうのは事実ですからね。先輩には罰を与えなきゃ」

 真っ白になったメリーに、蓮子は容赦無く追い討ちを掛ける。

「罰は二つ。
 一つ。今日のランチは先輩の奢りとする事」

 初めからこうする心算で、わざわざ高い店に入って高いコースを注文したのか。後輩の計算高さに歯噛みするメリー。

「そしてもう一つ。



 先輩は今から、私の事を蓮子と呼ぶ事」



「……へ?」

 メリーの口から、思わず間の抜けた声が漏れてしまった。

「判ったかしら、メリー?」

 呆然とした顔を、悪戯っぽい蓮子の笑顔が覗き込む。

「判った?」
「え!……あ、う、うさ――」
「れーんーこー」
「あ、う、うん……。
 れ、蓮子……」

 メリーの声に満足そうに頷き、そうして蓮子は再び地図に目を落す。

「さてとメリー。実は私、もう次の目的地は決めてあるのよ」

 言いながら蓮子の指は、清水寺の上を指し示す。瞬間、メリーの顔が青くなった。

「えーと、清水寺が此処だから……」

 蓮子の指が清水寺を離れて動き出した。ほっ、と安堵の息を漏らすメリー。
 細い指は西へと向かい、区役所を過ぎた辺りで北へと進路を変える。そうして少し進んで、其処で動きを止めた。

「此処って……」

 メリーの顔が、先ほど以上の青さを見せた。

「昨日のは、まぁ、お試し期間みたいなものだったんだし。三代目秘封倶楽部の本格的な初仕事としては、これ位でないと」

 人の話を聞いていたのか。そんな顔でメリーは蓮子を睨み付ける。
 もちろん聞いていたわよ。そんな顔で蓮子はメリーに笑い掛ける。

 どうもこれは、とんでもない人間と知り会ってしまったのかも知れない。後悔は先に立たず、後になって悔やむから後悔だという、そんな当たり前の事を今更ながらに思い出すメリー。

 新たに出来た相棒の、そうした思いなどまるで知らぬといった、そんな晴れ晴れしい笑顔で蓮子は言った。



「メリー、六道珍皇寺にある入り口を見に行かない?」
 夜の闇に包まれた研究所から、二人の少女が出て来る。先導する金髪の少女が、帽子の少女の手を取って言う。

「早く早く!」

 二人はオープンカーに乗り込む。

「行って」

 助手席に座った金髪の少女が言った。

「あぁ、教授が――」
「いいから行ってよおぅ」

 運転席に座った帽子の少女の言葉を、金髪の少女が遮った。

「うっ、ふっふっ」

 小さく笑って、帽子の少女が車を走らせる。
 その後ろで、研究所から両手一杯の荷物を持った赤い服の少女が出て来た。
 車が走り出している事に気付き、走りながら何かを叫ぶ。だが車は止まらない。



                     “まるで関係の無いお話”



「残酷なお嬢さんだ」

 帽子の少女が言った。金髪の少女が応える。

「二人っきりのドライブって素敵」「帰ったら教授にいびられるわよ」
「帰らないもの」「ええ?」
「帰らないわよ、私」「永久に?」
「そ。貴女と私だけの世界へ」「結構ですね」

 からかう様な口振りで、帽子の少女は隣を見た。金髪の少女は微笑を返して、そして続ける。

「電話の無い所、試験の無い所、交通地獄の無い所」「借金取りの居ない所」
「それならバーの無い所ね?」「ごちゃごちゃ人間なんか全然居ない所」
「要するに。この息の詰まりそうな世の中よ、さようなら! だわ」
「よおし。こうなったら月だろうが星だろうが突っ走るわよぉ」

 帽子の少女の言葉に、金髪の少女が小さく頷く。そうして二人は――……。



                           ◆



 週末は、京都へ行こう。いつもより、もっと遠くへ。
 そんなお話を書こうと思っていた筈が、はてさてふむう。
 ガイキン……元い、大空魔術とは無関係な内容です。期待していた方が居ましたら、御免なさい。
 題名からミステリーを期待していた方にも御免なさい。“京都買います”にすれば良かったでしょうか。其れは其れで意味不明でしょうか? Qですし。
 まだまだ暑い日が続きますが、こんな時期に栄養ドリンクはとても素晴らしい物だと思います。TVCMでもサラリーマンが元気一杯です。でも、薬で元気を出してまで働かねばならないというのも、それはそれで辛そうです。まるで働き蟻並の扱い。ああ、人が蟻並。ん?

 タケダタケダタケダー、タケダタケダタケダー、タケダターケーダ――――ァ♪

 こんな意味不明のお話に最後まで付き合って下さった方、本当に有難う御座います。大根大蛇でした。



8/28(月):おかしかった改行を修正

 自分はおかしな改行の仕方で文を書く癖が有るのですが、今まで投稿の際、只「面倒臭い」というだけの理由で其の改行を修正していませんでした。おかしいと判っていながら、「誰もツッコまないし良いか」と放置してしまっていました。
 ですが、下から三番目の名前が無い程度の能力様の言葉のお蔭で目が覚めました!
 おかしい所をはっきりとおかしいと言ってくれる。とても有難い事です。
 下から三番目の名前が無い程度の能力様、本当に有難うございましたっ!
大根大蛇
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コメント



0.2220簡易評価
4.80ぐい井戸・御簾田削除
「れーんーこー」がなんかかわいい。
これは新解釈な秘封倶楽部の出会いですね。何気に最後のほうで見事に受け攻めが逆転する様子が萌え。そして実現する秘封VSザナたん…(何 
イリスとか教授と助手とかマヨヒガ怖いよとか幻想大戦記の続きマダー?とか色々言いたいことがありますが、とりあえず一つ。


あ あ … マ ウ ン テ ン ・ テ ィ ム …

5.90名前が無い程度の能力削除
育てよカメと鳥を見た吹いた。親父が好きだったので私も子供の時分に幾度となく観たものです。懐かしいなぁ…
蓮子たちの世界の京都が生き生きと目の前に浮かんでくるみたいでした。素敵。
8.無評価名前が無い程度の能力削除
改行がおかしいよ。修正したほうがいい
修正後読むのでフリー
9.70沙門削除
「お婆ちゃんは言っていた、楽しい事はすぐ目の前に転がっているのに、それに人は気付かないと」
 久しぶりに新鮮な大根大蛇分を吸収させていただきました。京都魔界案内みたいで面白かったです。出戻りしようかと考えていたところに、良い薬を貰いました。感謝感謝。
19.90翔菜削除
先輩後輩に思わず、 そ う き た か ! と。
他の設定の作り込みも、いや、これは実にお見事。

住んでいる場所柄、京都へは遠足やらなんやで行く事が多かったのですけど、いかに表面上しか見て回っていなかったのかも確認。
まー、学校行事なんてそんなもんでしょうけど(笑)
そう言えば紅楼夢は京都ですけども、さてはて、何かあるんじゃないかと期待してしまう(笑)
25.90名前が無い程度の能力削除
この二人、普通に同期と解釈してたのに、良い意味で覆された。
オチも納得。
26.100名前が無い程度の能力削除
やったっ!!さすが大根大蛇!!
俺たちの思いもよらない設定を簡単に書いてのける!!
そこに痺れるッ!!あこがれるぅ!!(AA略)

……といいたくなるような新解釈でした。
蓮子が異界探しに興味持つようになった理由も納得いきますし、
親元離れて自由にやりたい趣味が夜の散歩っていうのも
キッチリ伏線になってて読んでて感心しました!

にしても蓮子……時代設定的に考えてなんでガ○ラなんか知ってんだw
33.80二見 見二削除
何の疑問も無く信じていた前提をひっくり返された!
そこが読んでいてとても楽しかったです。
次のお話をwktkして待っておりますね。
34.100SETH削除
育てよカメってwwww

確かにウルトラなQって感じではありますね この活動w
35.80変身D削除
斬新ながらなんとも納得してしまいそうなメリ蓮の新解釈、お見事でした。
思わず京都へ行きたくなってしまいそうです、多謝(礼
40.20SETH削除
よく読んだら 鳥を見た までwwwww

合計100点!
41.70aki削除
ははぁなるほど。
蓮子とメリーの役が逆転していたので、初めはてっきり結界の向こう側の『別の世界』での話だと思ってました。
何気に旧キャラが絡んでいるが…ありそうな気もしますねぇ。
42.100名前が無い程度の能力削除
なんか面白かった。
良く判らない面白さと言うかなんと言うか…
とりあえずまぁ、面白かった
43.無評価名前が無い程度の能力削除
因みに文学部の精神学専攻?
44.無評価大根大蛇削除
>ぐい井戸・御簾田さま
 『判る読者は喜ばせる』『判らない読者も普通に読める』
 「両方」やらなくっちゃあならないってのが「パロネタ」のつらいところですね。

>育てよカメと鳥を見た吹いた。
 自分は小さい頃に見た事は無いのですが、あのOP曲とか子供からしたらかなりの恐怖の様な気が……。
 でも大好きです。大きくなった今なら普通に見られますし。やっぱり恐いですけど。

>改行がおかしいよ。修正したほうがいい
 上のコメントにも書きましたが、改めてお礼を言わせてもらいます。ご指摘、有難うございました。

>沙門さま
 「じいやが言っていた。日曜朝八な言葉には日曜朝八な言葉で返せ」
 冗談は兎も角として、お久し振りです。是非、復帰して下さい。楽しみに待っています!

>翔菜さま
 京都へ行った事があるならご存知かも知れませんが、今回のお話でモデルにした大学はみやこめっせの近くだったりします。某助手で某教授な名前の神社も近いですね。

>この二人、普通に同期と解釈してたのに、良い意味で覆された。
 自分としては、大学というのは高校迄と比べて先輩後輩の関係がフランク、というイメージがあるので、こういうのもアリかなぁ、と。読んだ人を少しでも驚かす事が出来たのならば、書き手として本望です。

>時代設定的に考えてなんでガ○ラなんか知ってんだw
 今時の若い人間でも四十年前の白黒特撮ドラマを簡単に見られますからね。DVDとかのお蔭で。
 こりゃ便利でラッキーイイじゃの~~ぉ~。

>二見 見二さま
 メリーは聞き上手で何だかお姉さんっぽい、と、そういうイメージが自分の中に有るものでして。
 それでこんなお話になりました。楽しかったと言ってもらえて、とても嬉しいです!

>SETHさま
 後書きの前半に書いた物なんて、もう殆ど完全に元ネタのままだったり。
 題名も、卯酉東海道の帰りの話だったらそのまんま「地底超特急西へ」でいけましたね。私はカモメ。

>変身Dさま
 紅楼夢の折に是非とも……。会場からは六道珍皇寺なんか結構近いですよ。二駅ちょっと程の距離。
 「入り口」も見る事が出来ますし。壁越しに、ですが。

>akiさま
 『別の世界』と言えば、原作での教授は「外の世界」ではなくて「別の可能性世界」から来たんですよね。
 と言う事でこの話の助手は教授の事を「御主人様」ではなく「あんた」呼ばわりするのかも知れません??

>良く判らない面白さと言うかなんと言うか…
 ある程度意図的に「よく判らない」お話にしたので、こうした言葉を貰えるのは幸いです。
 因みに文学部精神学専攻です。このお話のメリーは。

 今回は判り難いネタが多い上に長く、正直「読み難く」なってしまったかなぁ、と思っていました。
 なのに思っていたよりも多くの方に読んで戴いて、本当、嬉しいです。有難うございました!
47.70名前が無い程度の能力削除
ちょw 自分大学一緒ww
色々詳細な記述に吹いたw

メリーは文ですか。文って心理学あったっけ?
なんとなく総人のイメージでしたが。
夢時空の二人との関係とか、かなり私の考えていたのと一致していて楽しく読ませていただきました。
先輩後輩ってのも面白いアイデアだと思います。

ところで好奇心でお聞きしますが時計台下のフランス料理店って入られたんですか?w
48.無評価大根大蛇削除
>ちょw 自分大学一緒ww
 心理は文ですね、行動環境文化の。総人のは、どちらかと言うと社会学や認知系って感じでしょうか?
 そして件の仏料理店には実際入っています。体験はリアリティーを生むという事でw
64.100名前が無い程度の能力削除
京都の地名が細かく出てくるのが好き。
地上に出るって山科の方かと思った