前回のあらすじ
お嬢様はワガママ大好き。幻想郷に厄介をばら撒く紅魔館のハロウィンが始まった。
Stage 1
〝マシュマリアン・キャピタリズム〟
「すいませーん」
こつこつとドアをノックした。
「いらっしゃいませんかー?」
叩く音を静かに吸い込む重い扉は、質素ではあるが品の良い装いだった。
「慧音さーん?」
訪れたのは上白沢家。お嬢様直々に指定された運命のファーストステージである。
「分かった分かった、そう急かすな。今出る……ん、お前は確か魔法図書館にいた悪魔だったな」
ドアを叩いて数秒後、慧音はアッサリ現れた。夜も深いというのに寝巻きではなくいつもの姿。遅くまで書き物をしている姿が目に浮かぶ。
「夜分失礼します。上白沢慧音さん。突然ですが、今日が何の日かご存知ですか?」
「悪魔が一体何の用――む、今日か? 今日は……」
ぺらりぺらりと書を捲る音が虚空より洩れる。なるほど。これが歴史の検索法か。
「今日は十月の晦日。宗教改革記念日だな。マルティン・ルターが95ヶ条の論題を教会の扉に掲げ、基督教会改革に立ち上がったことに由来する」
「そうですね。ですが今日には別の意味もある筈です」
流石は幻想郷が誇る文系賢者。真顔で面白みのないボケを飛ばしてくれる。
「ふむ。ガス記念日か」
「それも違います」
何ゆえそんなものを記念して遠路遥々やってこなければならないのか。
「ああ。インディラ・ガンディー暗殺の日か。悲しい日だ。間違った手段は間違った未来しか呼ぶことは出来ない。そう思うだろう?」
「そうかもしれませんね」
駄目だこの人。頭は良いのだが思考が一般常識から乖離している。
私の知る限り、この手の孤高の奇人は幻想郷に三名存在する。文系の慧音、理系の永琳、そして我ら紅魔館が誇る粘着系のパチュリー様である。紹介が後になるほど対処が厄介になっていくことは言うまでもないだろう。
「そうだろうとも。……そうか、分かったぞ図書館の悪魔よ。この悲しい事件を戒めとして真っ当な生き様を啓蒙しようと家々を廻っているのだな」
「……ええ、そうなんですよ」
もうそれでいいや。なんだか嬉しそうだし、修正するのも面倒になってきた。
「うん、えらいぞ。私も昨今の人心の乱れは気になっていたところだ」
顔をほころばせる慧音。食虫植物みたいな帽子をかぶっている割に笑うと可愛かった。
「ええ。仰るとおりです。そこで悪魔である私が率先して人の道を歩むことで、皆さんに過ちを知ってもらおうと思いまして」
「うむうむ」
もとより正攻法だけでは上手くいくまいとは思っていたのだ。別にこの流れでも問題ないかもしれない。
折角の上機嫌に水をさすこともないだろう。
「今日はその記念すべき第一歩なんです。私、不肖小悪魔、人類が到達すべき理想郷の実現を期しまして、お菓子を頂きに参りました」
パリッと一礼する。
「なんだそれは」
一瞬でクールダウンする慧音。マズイ。流石に空気に流される女ではなかったか。チルノあたりならこれでコロッといけるのだが。
「マシュマロは世界の共通通貨なんですよ」
「嘘をつけ。……本当に啓蒙に来たのか?」
そして一度疑いを持つと実に鋭い。
「貴方もコンクリートミキサー車で幸せを回してみませんか?」
「おい大丈夫か? 疲れているなら家で休んでいくといい」
だがいい人だった。
「いえ、お気持ちだけで。それより冗談はこの辺にして、そろそろ本題に入らせて頂きます」
マシュマロを軸に形成された回転式アルカディアを冗談の一言で蹴り飛ばし、強引に話を逸らしにかかる。
「なんだ遊びに来たのか? 仕方のない奴だな。私だって暇ではないのだぞ」
もとはといえばガスだの暗殺だのと話を左右に振った慧音に責任があるような気もしないではないが、その辺の気持ちはグッと堪える。
「トリックオアトリートです。慧音さん。悪戯かお菓子か、お好きな方を選んで欲しいんです」
「なんだハロウィンごっこか。それを早く言え。頭でも打ったのかと心配したぞ」
「申し訳ありません」
ぺこりと頭を下げると慧音の顔に笑みが戻る。
「いや謝るほどのことでもない。……しかし困ったな。菓子の類は昼間、ハロウィンということで里の子供達に配ってしまったんだ」
認識してるじゃないか、ハロウィン。とすると私は遊ばれていたのだろうか。その上で『遊びに来たのか』なんて侮れない女だ。
「はあ。一つ残らずですか」
「ああ。一つ残らずだ」
これは困った。一軒目から袖の無い家なのだろうか。
もう少し探りを入れてみるか。
「実は私お菓子を食べないと死んでしまいそうで」
「何? どういうことだ」
「恥ずかしながらここ三日ほど何も食べていなくて」
「悪魔なら三日くらいなんでもないだろう」
「貴方はパンのない生活をしたことがないからそう言えるのです」
「パンがないなら歴史を食べればいいじゃないか」
無茶を言う。アントワネットだってもう少し民衆寄りの発言をするだろう。
「あの重箱、菓子折りではないのですか?」
「あれはスペアの帽子だ」
くう。
駄目だ。流石は噂に高い上白沢慧音。歴史を司るハクタクの末裔。のらりくらりとディフェンスが厚い。これ以上粘っても意味はなさそうだ。
「……分かりました。それではこの辺りで失礼させていただきます」
弾幕で強引に挑みかかっても意味は無いだろう。パチュリー様にスペルカードを何枚か頂いているが、私の弾幕構成力で使ったところで高が知れている。それにお嬢様や美鈴さんのように、弾幕や格闘戦に美学を見出せるでもない私が武力行使に出ても、それは無粋に尽きる。
ハロウィンはお祭りなのだ。粋を忘れてしまっては元も子もない。
「ん、そうか? すまないな。それじゃまた今度……おい、聞いているのか?」
「……」
「なんだ拗ねてしまったのか?」
「……」
「まったく……本当に仕方のない奴だな」
「……え?」
別に拗ねていたわけではない。踊るように愉しげに弾幕を掻い潜るお嬢様達の姿を思い起こして、僅かの間ぼんやりしていただけだった。
だが、
「ほら。これをもっていけ」
「……あ……え?」
ぽん、と何かを手渡され、わしわしと頭を撫でられた。
「わ……ちょっと……」
「お前はもう少し素直になれ。『今日は何の日だかご存知ですか』なんて、そんな子供がいるか」
強く撫でる慧音の下で薄目を開けると、手の平には七色の金平糖が小山を作っていた。
「わ……」
「妹紅には内緒だぞ。お菓子などいらない、なんて言いながら自分の分が無いと剥れるんだあいつは」
「あ……でもそれじゃこれは……」
口にしかけた言葉を、一際強く頭を撫でられ止められた。
「ほらもう行くんだろう。早く行って、紅魔館の連中にも分けてやれ。割と紅茶にも合うんだぞ、金平糖は」
「……」
「ほら」
「は、はい……ありがとうございます」
ふわふわと後ずさり慧音に背を向ける。
「けど……」
羽を広げる間際、崩れた前提を訊ねる為に立ち止まった。
「私人間じゃないですよ? どうして?」
「今夜はハロウィンじゃないか。主役は悪魔の子供だよ」
私よりよっぽど子供みたいに手を振る慧音は、姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
敵わない。慧音は悪魔である私よりもハロウィンを愉しんでいた気がする。それは彼女も半分妖怪だからだろうか。それとも彼女が大人だからか。
残り五軒を廻り、館に帰ったらパチュリー様に聴いてみようか。
「――ふふ」
さりさりと流れるポケットの中の金平糖がなんだかくすぐったい。
「それじゃ次にいきましょうか」
正攻法も悪くない。
さしあたり、とりあえずは――もう少し素直にハロウィンを楽しむとしよう。
〇戦利品(小悪魔一軒目通過時)
金平糖
◇
Stage 2
〝氷結河川の彼岸で〟
「それじゃ少し待っていてね」
「お手数お掛けしますわ」
静かに立ち上がり永琳が部屋を出て行った。
「悪いわね。彼女を顎で使っちゃって」
「構わないわよ。永琳も悪い気はしていないようだし」
湯飲みの縁を指先でなぞりながら輝夜が笑った。
「けど面白い風習ね。他所を廻って悪戯かお菓子か、なんて。月では考えられないわ」
「幻想郷ではそれほどメジャーではないのだけどね。お嬢様が好きなのよ。ハロウィン」
「ああ、確かに彼女はその手のイベントが好きそうだわ」
別にトリートはお菓子に限ったわけではないのだが黙っておく。態々波風立てる必要も無いだろう。
「館の他の子たちも廻ってるわけ?」
「ええ。各自思うままに夜を愉しんでいますわ」
「ふうん。そういえばさっきイナバ達の部屋から煙が上がっていたわね。お身内かしら?」
「さあ。それは分かりかねますわ」
間違いなくファーストインベーダーたるパチュリー様の仕業であろう。そうじゃないかとは思っていたが、やはり彼女は一軒目からハジけた交渉を開始したらしい。何を要求し、結果何を持ち去ったのかは知らないが、接客対応したのがウサギ達で良かった。もしパチュリー様の相手を輝夜や永琳がしていたのならば、今この場の穏やかな空気は実現していなかったであろう。
パチュリー様は手土産のチューリップで家主の頬を打つ大物だ。そんな規格外の来訪者を追い返した直後となれば、いかにこちらが瀟洒に振舞おうとも塩を撒かれるに決まっている。
ネゴは瀟洒にスマートに。出会い頭のルドビレも悪くは無いが、紅魔館の侍従長としてそれは少々はしたない。この身は常にお嬢様の名を背負っているのだ。夜を謳歌するにも相応しいやり方がある。
その意味では先の霧雨家でのやり取りは非常に満足のいくものだった。完全で瀟洒な口車により乙女心をくすぐられた魔理沙は、気分良くキノコとターキッシュディライトを差し出してくれた。人間とはいえ魔法を扱う者の手によるディライトだ。きっと極上の甘みと陰惨な呪いを兼ね備えているのだろう。とりあえず誰かで毒見と解呪をしてから味を見て、悪くなければ茶請けのレパートリーに加えてみようか。
「ま、いいわ。イナバの事はイナバに任せてあるし」
あれもイナバ。これもイナバ。同居人の名くらい覚えておいても損は無いと思うのだが、このナヨタケのお姫様はその気をサッパリ見せないらしい。一人二人ならまだいいが、会話の中に三名以上のウサギが登場した際の輝夜の台詞はある意味感動的だ。
『ねえイナバ。あのイナバとそのイナバが言っていた例のイナバによるイナバの為のハバナ産バナナをそこのイナバに岩場に運ばせるようイナバ達に言いつけておいて』
リンカーンかこいつは。
そんな早口言葉みたいな気紛れに付き合わされる永遠亭住人の気苦労は如何程か。少しはウチのお嬢様を見習うと良いのだ。
『咲夜。バナナ』
見ろこの簡潔さ。
必要最低限の言葉で足りるであろうという全幅の信頼がなければ、とても口には出来ないものぐさっぷりだ。
咲夜とバナナ。この何の因果もない二つの名詞を並べただけの呟きは、運命の糸で結ばれた最愛の従者にのみ伝わる最もコンパクトな絆の確認。後は滴る鼻血を拭いて、お嬢様のお口に優しくバナナをねじ込んでやればいい。
まあ、輝夜にとっては永琳こそがそんな存在なのだろう。お嬢様と私との間にある以心伝心。輝夜の場合相手は永琳であり、それ以外のウサギ達は興味の埒外ということか。それでは輝夜の為にと奔走するウサギ達が余りに哀れな気もするが、それは外から断じる事が出来るものではないだろう。幸せの形は十人十色だ。
それでも最近の輝夜はてゐと鈴仙の名前は覚えたらしい。世界を閉じる事を止めたのか、或いは純粋に数年かけないと顔と名前が一致しないプチアムネジアなのか。
「どちらでもいいけれどね」
「ん?」
「なんでもありませんわ」
「そう……。けど本当、珍しいわね」
くるりくるりと黒髪に指を絡ませながら、楽しげに輝夜は此方を見る。
「珍しいとは?」
「永琳よ。私が言うのもなんだけど、彼女は気に入った相手以外にはトコトン容赦ないわ。新聞の勧誘は笑顔で追い返すし、月からの使者なんて挨拶代わりに天文密葬法をブッ放されていたわ。そんな永琳が私以外の者の為に態々菓子を取りに行くなんて、貴方よっぽど気に入られたのね」
「そう……。気に入られているかどうかは分からないけれど、彼女が容赦ないという噂は本当なのね」
「そうね。人様の愛妻弁当に桜デンブで三行半を書く人を、私は永琳以外に見た事はないわ」
新妻に想いを馳せる歓喜のランチが二秒で最後の晩餐に。恐ろしい女である。
「嫌われていないようで助かりましたわ」
お嬢様以外からの好悪など欠片も気にはならないが、円滑な人間関係はスムーズな日常を齎してくれる。好かれるに越した事はないだろう。
しかし、そう言われてみると確かに永琳の親切には思い当たる節がある。
お嬢様に旬のタケノコをと、永遠亭の竹林をインスクライブドレッドソウルで刈り回っていた時も永琳は庭先で微笑んでいたし、お嬢様のニンジン嫌いを何とかしようと、永遠亭の家庭菜園でソウルスカルプチュアをフル回転させていたのを見つかった時も、彼女は『言ってくれればこのくらい』と、甘くてほこほこした沢山のニンジンをお土産にくれた。
夜を止めたあの日以来そんな彼女しか見ていなかったので、噂に聞く永琳の容赦のなさはどうしてもピンとこなかったのだ。
「そういえば永夜の時からどこかいつもと違ったわね、永琳の様子。以前何処かで?」
「いいえ。あれが初対面よ」
茶請けの水羊羹を竹の楊枝で二つに割った。あの日の偽りの満月も永琳が術を解くことによって、こんな風にあっさり真っ二つになって霧散したのだ。
「詮索など、はしたないですよ姫」
そこに永琳が戻ってきた。
「あら永琳。詮索じゃないわ。貴方を想って純粋な疑問をぶつけただけよ」
「そういうことにしておきましょう。それよりも……はい、咲夜。モンブランを焼いてきたわ。どう、大きな栗でしょう? 丁度昼頃ウドンゲに栗拾いに行って貰っていたの。たくさん焼いてきたけれど、あまり食べ過ぎては駄目よ」
はい、と柔らかな香りのする重箱を渡される。ケーキに重箱とはミスマッチではあるが、それは普段作ったりはしない洋菓子を態々焼いてくれたということだろう。
少々子ども扱いされているような気もするが、折角スムーズにトリートが手に入ったのだ。細かいところをつつく事もない。
「それとついでにキャラメルも作ってみたの。帰り道でお食べなさいね。お屋敷に帰ったらちゃんと歯を磨くのよ」
前言撤回。完全にお子様扱いだった。
「ありがたいけど……そこまでは」
「あら、恥ずかしいのかしら? ふふっ。いいのよ、たまにはお菓子を食べながら歩いたって」
いい子ねー、と頭を撫でられる。
「烈火の如く訳が分からないのだけど」
何だその聞き分けのいい娘を見る目は。
「あらまあ永琳。随分な猫可愛がりね。いつもの屠殺場のマリアみたいな冷たい微笑は何処へ行ったのかしら」
「姫。人聞きが悪いですよ」
「イターッ!?」
輝夜の足をグリグリ踏み付けながら右肘の間接をキメる永琳。更に余計な事を言わないようにと、もがく輝夜の口に次々と水羊羹を流し込んでいく。
「うふふ。姫はちょっと老年性認知症の気があってね。他人の行動を正確に認識できないところがあるのよ」
サラリとそういう永琳はとてもいい笑顔だった。
「……それじゃまあ、頂けるものは有難く頂こうかしら」
良く分からんがくれると言うなら貰っておくか。紅魔館には毒見のプロフェッショナルもいることだし、特に貰って害があるということもなかろう。
何よりそろそろ輝夜の顔色がヤバい。大人しく話を進めて彼女を解放してやるとしよう。アムール川の水底みたいな色を放ち始めた輝夜の瞳を見る限り、死なないからといって彼岸と全くの無縁のボディという訳でもなさそうだ。
「そうそう。姫もこのくらい素直だといいんだけどね」
輝夜の肘からキャラメル入りの折箱へと移る永琳の両手。解放され、ごとりと畳に打ち捨てられた輝夜の体が青白く光りだす。
『――リザレクション!』
神々しい演出と共に彼岸より舞い戻ってきた輝夜。まさか蓬莱人から命の儚さを学ぶとは思わなかった。
「はいどうぞ。お砂糖たっぷりだから甘くておいしいわよ」
効率の良い口封じを終えた永琳は、ふんわりと頬に手を当て、たおやかに微笑み、その足元で繰り広げられる奇跡の生還劇に何らの興味も示さない。
「ケーキはちゃんとお家に帰ってから食べるのよ」
救いを求め差し出された輝夜の右手をぱちんと弾いた永琳は、バニラのいい匂いのする手で私の髪を撫で、持ち運びやすいようにと重箱を綺麗に包み、
「姫。いつもいつも寝転がってばかりいないで、たまには外でテニスでもしてきたらどうです?」
優しい声でそう言った。
「何なのかしらね。あの主従は」
夜は短い。貰うものを貰った私はソツのない言葉で別れを告げ、折角だから一緒に食事でも、という永琳の誘いを柔らかく謝絶すると、お菓子の詰まった重箱を手に永遠亭を辞去したのだった。
「月の民ってのは皆ああなのかしら」
今日の永琳の行動も謎だったが、それよりも驚いたのは輝夜の反応だ。文字通り黄泉の淵から還ってきた輝夜は、永琳に対し怒るどころか文句の一つも言うことなく、寧ろ嬉しげに笑っていたのだ。
『そう――。良かったわね、永琳』
そう言って組んだ手に顎を乗せくすくすとこちらを見ていた輝夜は、どうかすると永琳よりも幸せそうだった。
ひょっとすると、十数年を生きただけの小娘には理解できないだけで、あれはあれで完成された主従関係なのかもしれない。
「……ま、何にせよ、目的は果たしたのだからいいけれど」
甘いお菓子をゲット。そして何より一風変わった主従愛は大変に興味深いものだった。
「お嬢様にもお話してさしあげましょう」
珍しいものが見れた。やはり祭りは良い。普段と違う行動は思いがけない美味を齎してくれる。
「けどその前に次の狩場ね」
夜は短く、だが宴はこれからが本番だ。そろそろ時間的にどの家も二、三人の客を迎えた頃だろう。これより後の訪問、先客の如何によっては修羅場を訪れる事になるかもしれない。
「そろそろ出番かしらね」
スカートの内側に折り畳んだ空間に眠る、ナイフの群れをそっと撫でる。
出来るならば瀟洒にハロウィンを進めていきたいところだが、それも相手の出方による。灰は灰に、塵は塵に。声高にそう叫ぶ者にこそ山査子の棘は刺さるべきだ。実際、そんな分水嶺も嫌いではない。
「スペカの補充も十分だし」
けどまあ全ては成り行き次第だ。私は私で思うままに行動し、瀟洒には瀟洒で、棘には棘で応えれば良い。
簒奪者が何を勝手な、とも思う。が、それで良い。今宵はハロウィン。そして私は悪魔の狗なのだから。
「次は慧音の家にでもいってみようかしら」
あのハクタクの住処はここからそう遠くない。
冷たさがきつくなってきた十月晦日の夜風を受けて、水を切る小石のように竹薮を飛び抜ける。その弾みか、ひょいとキャラメルを口に放り込んでしまった。
「……莫迦ね。甘すぎよ」
うきうきと鍋に砂糖をブチ込む永琳と、一瞬毒見など完全に忘れていた自分にくすりと笑い、先ほどよりも僅かに軽く夜を駆け出した。
〇戦利品 (十六夜咲夜二軒目通過時)
ターキッシュディライト
キノコ
焼きたてモンブラン
お手製キャラメル
◇
Stage 3
〝ペレストロイカゲーム〟
「レディ……」
祈るように頭を垂れる。地につけた片膝から周辺大地の気脈を探る。ぐっと腰を突き上げ前を見やる私の姿は、何処から見てもスプリンター。
「レッツムーヴ!」
振脚の要領で大地を踏み抜き、足首と膝で二段加速。爆発と爆縮を繰り返す心臓は酸素と使命を全身に伝え、応える腿の筋肉はダブルウィッシュボーンの四川風。空気抵抗を抑える地面スレスレのスタートダッシュは中国四千年の祝福を纏い、脳裏に響くラ・マルセイエーズがフィードバック機能を失った右脳にGOサインを叩き込む。
「トリッッッ……クォアトリィィトォォ!」
クロスした両腕で顔面をカバーし、ハリウッドスター真っ青のオーバーアクションで窓ガラスをブチ破る。勢いは殺さず、接地と同時にゴロゴロ縦回転して立ち上がった。
「ウワッ。な、なんだね君は!」
秋の夜長を静かな読書で楽しんでいたメガネの男が弾かれたように椅子を立った。
「いたずらとお菓子、好きな地獄を選べコノヤロウ」
片足を上げ鶴のように構える。
「何だその理不尽な二択は……」
男、霖之助はガラス片の散乱する室内で呆然と立ち尽くしている。
「ニブいわね。ハロウィンよハロウィン。妹様とか来たでしょ?」
この香霖堂は私にとって三軒目。咲夜さんやお嬢様などのスピードジャンキーは既に四、五軒廻っていてもおかしくはない。
「妹様……? ああ、紅いお嬢さんの妹さんか。確かに来たが……それより君はよく咲夜さんの荷物持ちで店に来る……」
「紅美鈴よ」
「そうか……困るな紅(ホン)さん。その窓は入り口じゃないんだ」
何を言っているのだこのメガネは。そんな事は見れば分かる。
淑女は窓から現れない。そんな常識を鼻で笑うのがハロウィンの醍醐味だ。如何に愉快に財産を巻き上げるかが問われるこの夜において、玄関をノックする日常こそが忌むべき異端。折角ワイヤーのないワイヤーアクションをナマで見せ付けてやったのだ。感謝こそされ、不満げに眉を顰められる覚えはない。
「全く、新聞だのチャイニーズだの、どうして皆窓から飛び込んでくるんだ。僕の平穏を侵すのが流行っているのかい?」
闖入者が一応の知人であった事に落ち着きを取り戻した霖之助は、何やらブツブツ文句を言い出した。まったく、ちっぽけな男である。
「貴方の無価値な平穏などに興味はないわ。そんな事より早く選びなさい。トリックオアトリート、いたずらかお菓子か、彩雨か土地権利書か」
掌に拳を叩きつける。
「ちょっと待ってくれ紅さん。なんなんだその物騒なハロウィンは。先に来た紅い妹さんは普通にお菓子をねだって帰っていったぞ」
「ハロウィンは十人十色。妹様には妹様の夜があるのよ」
「馬鹿な。個性の安売りが招いた外界の悲劇を知らないのかい? 君も新聞を読むといい。あの天狗の新聞はゴシップだらけだが稀に深い考察も紛れ込んでいる。どういう訳か時折外の情報まで混入しているのだが」
博麗大結界は風まで遮る事はない。彼女ならば流れる風から外の空気を読み取る事が出来るのかもしれない。
「彼女の新聞なら購読済みよ。いいから早く選んで欲しいわね」
拳を鳴らして一歩近づく。
「分かった。分かったよ。トリートを選ぶ。それでいいんだろう? ほら、これを持っていきたまえ」
ぽい、とショーケースの中から饅頭を一つ放られた。
「む……」
チキンは話が早くていいが、ネゴの愉しみがないのはいただけない要素だ。別に戦利品は饅頭でも何でも構わないのだが、もう少しゴネてみるか。
「これじゃ足りないわ。もっと出しなさい」
「な、何? 約束が違うじゃないか。トリートが選ばれれば菓子を受け取って退散する。それがハロウィンのルールだろう」
「辺境のローカルルールなんて聞きたくないわね。紅魔館のハロウィンはエンジョイ&エキサイティングがモットーなのよ」
「そんな我が侭な……。あの紅いお嬢さんや妹さんならまだ可愛げもあるが、君みたいないい年した大人の女性がそんな理不尽を振り回しても苦笑いしか生まないだろうに」
「なんですって? というか、あんたまさか妹様に饅頭一つ放り投げて追い帰したんじゃないでしょうね」
戦利品に貴賎はないが、初めてのハロウィンに胸ときめかせてやってきた妹様をぞんざいに追い払ったというならば、それは捨て置けない狼藉だ。
「そんなことはしないよ。こんな僕だって幼女を愛でる風流くらいは持っている。キャンディーやチョコレートを帽子いっぱいに入れてやったさ」
ふむ。芸のない眼鏡をかけているわりに最低限のモラルは残っていたか。
「ならいいわ。それじゃ老後の積立金でも回収して帰るから金庫のナンバーを教えて頂戴」
「ちっとも良くないよ……。やれやれ困った人だな紅さん。オーケー、分かった。分かったよなんとなく。要するに君は僕を困らせたいんだね」
「ちょっと違うわ。私はハロウィンを愉しみたいの。そして私の愉悦と貴方の悲哀が固く手を握り合って離さないのよ」
陳列棚の卑猥なフィギュアの腕をグッと握る。
「やめて装甲へこんじゃう!」
霖之助が悲痛に叫ぶ。
「何処に装甲があるのよ」
水着しか着てないだろうこの人形。しかも良く見ると魔理沙に似ている。
「そ、それじゃこうしようじゃないか紅さん。一つ僕とゲームをしよう。それに君が勝ったら何でも好きなものを持っていくといい。僕が勝ったら君は割れた窓の修理をして大人しく帰る。ど、どうだい?」
握られたフィギュアの腕を食い入るように見つめながら霖之助が妥協案を出した。どうやら余程大切な商品らしい。高値がつくのか純粋に趣味なのか。後者ならば気持ちは分かる。私も密かに所有する咲夜さん人形の腕を折られたりしたら、下手人の肋骨くらいで溜飲が下がる事はないだろう。
「いいわ。その条件飲みましょう」
ゲームは夜を盛り上げる。願ってもない展開だった。
「それでゲームは何を?」
人形から手を離すと霖之助はホッと息をつき、続いてニヤリと笑った。
「ダウトさ」
――愚かな。
何のつもりでダウトを選んだのかは知らないが、霖之助は完全に墓穴を掘った。
私は常日頃から紅魔式ダウトで勝利を収めるべく、鍛錬に鍛錬を重ねるダウトの鬼だ。紅魔館の住人以外が相手ならば万が一にも負けはない。
紅魔式ダウトとは本家ダウトの流れを正確に継承しつつ、お嬢様や咲夜さんの気分によって70%程度の確率で、手札に坊主捲りの蝉丸が混入するオリエンタルな八百長試合だ。
無論蝉丸の裏面は唐草模様が渋い厚紙であり、蝙蝠羽とハートマークが描かれたポップなプラスチックカードである他の54枚のトランプとは似ても似つかない。そもそもカードのサイズが違う。ダウトという、伏せられたカードと自己申告から連番の虚偽を暴く知的ゲームにおいて、枯淡の笑みを絶やさぬ僧衣の異容は所有者の枷にこそなれ、勝利をもぎ取る必勝の符とはどう足掻いてもなり得ない。というか、IQが5以上あれば分かる。1から13までの間に蝉丸はいない。
そしてどういうわけか、このカードゲームに私が参加する時、蝉丸は必ず私の手元で微笑んでいる。それでもなお勝利を諦めない私は愚者か勇者か。蝉丸を手に裂帛の気合と共に⑨と叫ぶ私は例えようもなく美しい。
世の中に不可能などはない。どんな逆境からでも努力と閃きがあれば必ず光が見えてくる。そんな淡い希望を胸に抱いてはや数年。未だ勝利の女神は愛想笑いすら見せないが、私は決して諦めない。あらゆる手段、偶然、可能性を駆使し、必ずや一勝を手にしてみせる。
そんな無駄な研鑽を積む私にダウトで挑むとは笑止千万。私はダウトと脚線美だけは誰にも引けを取らない自負がある。
「いいわ。それじゃルールはオーソドックスでジョーカーはナシ。カードを場に出す制限時間は初手が2秒、二枚目以降0.2秒ずつ短くなっていく。OK?」
「ああ。それでいいとも」
お互い不適に笑みを浮かべる。
霖之助も自信はあるのだろう。
二人でのダウトとなれば当然ブラフは筒抜けとなる。カマしたハッタリは100%相手の手札に眠っている。故にダウトのタイマンは自札の完璧な暗記と数字を読み取る速度、無駄のないカード捌きが全てを決める。どちらかというと『スピード』に近いゲームとなるのだ。
アクの濃い品揃えにより客は少ないとはいえ霖之助も商人(あきんど)の端くれだ。薄っぺらな帳簿管理により数字の認識や暗記にはそれなりの覚えがあるとみた。数字の勝負で商人がガテン系の門番に負けることなどないと高を括っているのだろう。
甘すぎる。
ダウトに関して、もはや私は修羅の域だ。一人だけ和を装った品の良いハンデプレイでの勝利を目指す私にとって、真っ当なダウトなど児戯にも等しい。認識、反射速度による逆境打開など三年かけて極め尽くしている。
それでもなお掴めぬ一勝の為に血道を上げるこの私に挑んだのだ。霖之助はその蛮勇を悔やみながら次なる来訪者を迎える事になるだろう。
「トランプはある? ……準備がいいわね。それじゃ私が切るから貴方が配って」
制限時間は初手が2秒。以降0.2秒ずつ減少していく。この条件を飲んだ事からも霖之助の自信は窺える。ジョーカー抜きのトランプは全部で52枚、タイマンならば一人あたり26枚だ。同じ数字を重ねて捨てる事により、最短でのゲーム終了は両者合わせて13手×2回。11手目には制限時間ゼロ秒を迎えるこのゲーム、ストレートに持ち札を全て捨てる為にはマイナス領域の手捌きが必要となり、咲夜さん以外にこの方法で勝ち抜けるものはいない。6手目辺りで無様に舌を噛んだ相手に一度場のカードを全て押し付け、その後ゆっくり仕留めるのが常識人の勝ち方である。
1秒を切った刹那の勝負に自信があるからこそ、霖之助はダウトを選んだのであろう。
「それじゃ始めましょう。そちらから捨てていいわよ」
配られた26枚を扇状に構える。数字の順に並べ替えるなど無粋の極み。紳士淑女は配られたままのナマの手札に命を懸ける。
「お言葉に甘えよう」
その心意気は霖之助も忘れてはいないらしい。手元の山をがっしと掴んだメガネは間髪いれず――
「神よォ、いざ尋常に! A…………3………5……7…9・ジュウィッ……ポァァァァァァ」
「手並み拝見といきますか、2…………4………6……8…10はいあんたの負け」
――裂帛の気合とコミカルな悲鳴を上げて、酷くあっさり膝を折った。
「遅すぎるわよ。これじゃ残りをやるまでもないわ」
「くぅっ……」
不満げではあるが、それは霖之助自身も良く分かっているはずだ。
霖之助のダウトっぷりも悪くはない。視点、認識、指捌き、全て及第点を超えている。だが彼には圧倒的にスピードが足りていない。滞りなくゲームを組み立てる滑らかさを手に入れた後は、それを廻す速度が勝負の鍵となる。シロウトにしては悪くない速度ではあるがこの私に挑むとなると話は別だ。
「勝負アリね」
大体折角ディーラーを譲ってやったというのに、イカサマの一つも仕込んでいないとは、人が良いのか愚かなのか。
紅魔館では、劣勢になると手札に混ぜたスペルカードをブッ放すお嬢様や、最初の捨て札が13枚重ねのエースという謎の天和をブチかます咲夜さんなど、エレガントに裏技を駆使する変則プレイヤーばかりを相手していたので、こんなクリーンな試合はなんだか新鮮だった。
「確か勝てば何を持っていっても構わないんだったわよね」
新鮮な勝負は清清しい感動すら与えてくれたが、それはそれ。鬼と商人は嘘をついたらお仕舞いだ。約束どおり、好きな物を持っていくのがこちらのマナーでもあるだろう。
「……ああ。僕の負けだ。何でも持っていくといいさ」
潔く負けを認め着物を脱ぎだす霖之助。はて、脱虎(脱衣トランプ。紅魔館内で昨年大流行)だったっけ?
「そう。それじゃ何にしようかしらね」
きれいに服を畳む霖之助から一歩離れて店内を見回す。
「宝石もよし、骨董品もよし……」
「くっ……」
「このリストによるとこの店で一番高いのはこの人形ね」
先ほどの水着の人形に手をかける。
「くぅっ……ああ、そのとおりだ。持っていくがいいっ」
割腹せんばかりの勢いで霖之助が叫ぶ。潔し。
「それじゃこの人形……の隣のマトリョーシカを貰っていくわ」
「すまないアリスさん! 僕がこんな勝負を仕掛けたばかりに……は? マトリョーシカ?」
予想外だったのか目を点にする霖之助。
「ええ、マトリョーシカ。久々にクリーンな勝負が楽しめたし、その記念にこれを貰っていくわ」
業の深そうな渋面が描かれた入れ子状の人形を手の平に乗せる。
「ほ、紅さん……」
別にトリートは何でも良いのだ。態々真っ当な勝負を挑んできた正直者を消沈させる事もあるまい。
水着フィギュア片手に残り三軒訪問する勇気が無かったのも事実ではあるが。
「それじゃ行くわ。暫くしたら完全で瀟洒なガラス職人がやってくるから修理は彼女にお願いして」
窓の時間を戻せば文字通り一瞬で修復できるだろう。尤も、咲夜さんに尻拭いをさせるということは、明日の朝食がウズラ達に与えられている等の陰湿な報復を覚悟せねばならない諸刃の剣を振り上げたということであり、大変に胃の痛い選択ではあるのだが。
「そうか……そこまで考えていたのか。……いや失礼、先ほど窓から飛び込んできた時には、無難な賞品選びや後始末の手配が出来るような常識は欠片も感じられなかったのでね。そういうことならまあいいさ。暫くの間、すきま風を耐え忍びつつガラス屋を待つとしよう」
大きく息をついて椅子にもたれ掛かる霖之助。
「年に一度の悪魔の夜といえど、そこまでの無茶はしないわよ。窓、悪かったわね」
「紅さん……」
それじゃあ、と手を上げ――
「……なんて殊勝な筈も無く」
――あらん限りの力を込めて、握った拳をキャビネットに振り下ろす。
「うああ、な、何をするんだ紅さん!」
「ハロウィンの夜は戦争よ。喰うか喰われるかの瀬戸際でなんて生ヌルい」
二つに割れたキャビネの残骸から小型の金庫を取り上げる。最初にガラスをブチ破った瞬間に、素早く隠された金庫を見逃すほど私のチェックは甘くない。
「ま、待ってくれ紅さん、それには今日の売り上げがっ」
「それじゃホントにさようなら。机もガラス屋に直してもらいなさい」
残骸を踏み台に、来た時の倍の速度で店を飛び出す。
「再見」
台詞だけを残し、闇の中へと二秒で消えた。
「ふう」
十分な距離を駆け、森の中で立ち止まった。
「まったく甘いわね」
今日のテーマは正直者の死だ。ハロウィンの夜に正直など何の美徳にもなり得ない。相手の良心に期待した時点で既に命運尽きている。霖之助はダウトに負けてはいけなかったのだ。真っ正直な勝負など挑むことなく、智謀の限りを尽くし、イカサマを用いてでも勝利をもぎ取らねばならなかったのだ。
「ま、勝ったところでどうなっていたかは分からないけど」
ハロウィンは騙し合いだ。その基本を忘れた者から順に脱落していく人生の縮図だ。
「さてさて、今日のメガネの売り上げは、っと」
握力のみで金庫をねじ開ける。
『くるっぽー』
「は?」
途端、舞い上がるハトの群れ。
『くっくどぅーるどぅー』
舞い散る羽毛。見るからに柔らかいそれが雪のように降り注ぐ。
「……っ騙されたーー!?」
混入していたニワトリが哀愁を乗せて喉を鳴らした。
〇戦利品 (紅美鈴三軒目通過時)
千歳飴
カニチャーハン
ゴボウ(洗い立て)
饅頭
アクの濃いマトリョーシカ
羽毛
◇
Stage 4
〝寒天とゼリーの境界〟
「こーんばーんわーっ」
質素な玄関。元気な挨拶。
「とりっくおあとりーぃと!」
古びた木造家屋の狭苦しい廊下を歩く。景気づけに振り回すレーヴァテインの火の粉が柱を焦がすが気にしない。
「あれ、誰もいないのかな?」
しんと静まり返った家。だがそんな事はない、と思う。
人気のない廊下に広がる優しい匂いは〝千本の針の山〟の残り香だし、玄関の隅に転がっている一輪のチューリップはパチェの小粋な小道具だ。弾幕やチューリップの相手は確かに存在していた筈なのだ。
何よりここマヨヒガはお姉さまが示したお菓子の家々の一角だ。お姉さまに間違いはない。お姉さまが行けと言ったのならば、そこには必ずお菓子をくれる優しい獲物がいる筈なのだ。
ここまでの道程でそれは証明されている。一軒目にいた、カバーと中身の違う本を読んでいた眼鏡の男は、帽子いっぱいにお菓子を入れてくれたし、二軒目の魔理沙は手作りのガナッシュで歓迎してくれた上にたくさんのお土産をくれた。霊夢はなんだか不機嫌そうだったけれど、私の顔を見たら『仕方ないわね』と干し柿を包んでくれた。
「うーん」
無人の筈はない。それじゃあどうして誰も出てきてくれないのだろうか。
「……」
……私だから?
お姉さまみたいに可愛くなくって、パチェみたいに賢くない。咲夜みたいに綺麗じゃなくて、美鈴みたいに強くない。そんな私だからこの家の人達はいじわるをして出てきてくれないの?
「……ぐすっ」
どうして? お姉さまは言ったのに。皆優しくしてくれるって。おねだりすれば甘いお菓子をくれるって。
なのにどうして、誰もいないの?
「ひぐっ……うぇ……」
折角お外に出られたのに。
「うぅ……」
やっぱりここでも一人なの?
「……」
あの夏の日から、お姉さま達は優しくなったのに。
「……そっか」
かくん、と天井を見上げる。握った柄に力を込めて魔杖の火力を跳ね上げる。
「そうだね」
お姉さまが優しくなるのにかかった月日は495年。お外の人がそうなるまでにも、きっとそれくらいかかるんだ。
「でも大丈夫」
待てるよ。皆が優しくなってくれるのなら何百年でも待てる。
「……うん」
それじゃあそれまで、
〝禁忌〟
暗い地下での日々のように、一人ぼっちで遊んでいよう――
「レーヴァ……」
「ストップストップ! マテマテマテマテぇ」
「……ていん?」
――としたところでキツネ色のキツネが障子の向こうからスベリ込んできた。
「……キツネがいた」
「いるわい」
「どうして?」
「こっちの台詞だお嬢さん。どうしてメラメラ燃える大剣握った幼女が、廊下でメソメソ泣きながら家屋破壊の決意を固めているんだ」
「誰もいないんだもん」
「障子を開けるんだ。廊下の真ん中で結論を急がれては、茶の間の家人はどうしていいか分からない」
「ん、うん……」
良かった。無人じゃなかった。やっぱりお姉さまの言うとおりだったのだ。
「寧ろ普通は玄関で大人しくしているものだが……まあいい。ほらこっちへ来い。よく分からんが用があって来たのだろう。コタツに入って剣を仕舞ってくれ」
ちんまりコタツに入れられた。
「お前がフランドールか」
「うん……」
四角いコタツの右面にキツネが座った。左面ではネコが一匹丸くなって眠っており、その真ん中、対面では何だか胡散臭い女がミカンを転がして遊んでいた。
「マヨヒガへようこそ。居心地はどう、泣き虫さん?」
ミカン女に言われ、ぐるりと部屋を見回す。
「とげとげしい」
「刺々しいのは内装だけだ。そしてこの部屋の惨状はお前の姉の仕業だ」
そういうキツネの周り一面には、一本が美鈴の腕ほどもある赤黒い針が山ほど突き刺さっていた。
「お姉さま?」
「ええ、そうよ。貴方の大好きなレミリアお姉さま。彼女、貴方には甘いのね。後で来る貴方をもてなせ、と獄符と傲慢をばら撒いて行ったわ」
「わあ……」
やっぱりお姉さまは優しい。
「わあ、じゃないわあ、じゃ。今夜お前達がどんなメルヘンをブチかましているのかは知らないが、付き合わされる此方の身にもなれ。どうするんだこの針の山。完全で瀟洒な回収業者でもやって来るのか」
キツネは何だかぷりぷりしている。発情期だろうか。
「まだ来てないなら咲夜が来るよ」
「何、あのメイドインファイアーが? ふむ……ならまあそれを待つか」
咲夜の名を出すとキツネは大人しくなった。やっぱり咲夜は優秀なメイドだ。きっとこのキツネも寝ている姉にスクール水着を着せようとしてバレたところを、咲夜にかばってもらったことがあるのだろう。
「ないわ、そんなこと」
「え、ないの?」
「身内を基準にしてはいけない。お前の家は指折りの桃源郷だ。実は紅魔館ではなく桃魔館なのではないかと常々思っている程に」
なんだかドキドキする館だった。
「藍、子供にそんな事言うものじゃないわ」
「はあ……いや、分かってはいるのですが」
キツネはミカンに頭が上がらないらしい。やんわり窘められてキツネの険がとれていく。
それはともかく、紅魔館が特殊なのは当たり前だ。お姉さまはいつも言っている。我らは時を喰らうノーブルクラスなのだと。我が城は世界を内包する紅い揺籃なのだと。
「それを世間では穀潰しと言うのだけれど、まあ私も人のことは言えないわね」
「まったくですよ。自覚があるなら改善してください」
「改善の必要がないからノーブルクラスなのよ」
「紫様は貴族ではないでしょう」
「……ゆかりさま」
ミカンの名前だろうか。
「ええそうよ。八雲紫。私の名前よ」
「ゆかり……」
「なあに、フランドール?」
ゆかりは眠るネコの尻尾を撫でながらにこにこしている。
「ゆかりはお菓子をくれる人?」
「お菓子? そうね……どうしようかしら」
「……くれないの?」
「貴方のお姉さまにはね、言われているのよ。『妹の分のトリートを用意しておけ』ってね」
「じゃあくれるんだ!」
羽と両手が自然広がる。お姉さまは全ての頂点だ。永遠に紅くてちっこいお姉さまが用意しろと言ったのならば、どうあっても用意されていなければおかしいのだ。お姉さまは運命の執行者。お姉さまに逆らう事は天への唾棄と同義なのだから。
「そのつもりだったのだけどねえ」
「え?」
扇子で口元を隠すゆかりは、にこにこ、とは言えない顔になっていた。横を見れば、キツネはキツネでやれやれと肩を竦めている。
「用意はしていたのよ。藍と橙に果実のゼリーを作らせて貴方を待っていたの。……けど半時ほど前のことよ。あの魔女……パチュリー・ノーレッジがやってきてね……」
「パチェが?」
「ええ。用件は貴方達姉妹と同じ。トリックオアトリートだったかしら? 甘味か弾幕か、好きな方を選べとブーケを抱えて風呂場の窓から飛び込んできたの」
「かっこいい」
流石パチェだ。凡人には出来ない事を平然とやってのける。そこにシビれる、憧れる。
「格好いいものか。石鹸を踏んでスッ転ぶわ、お湯をかぶってオタオタするわ。挙句土足を咎めたらチューリップで頬を打たれたぞ。どんな本を読めばあんな無軌道な知識人が出来上がるんだ」
かっこいいなあ。パチェ。
「私たちも言ったのよ。これは妹さんの為のお菓子なのよ、って。でもあの魔女は聞かなくてねえ」
「え……もしかして」
「そうよ。全部持っていっちゃったわ。ゼリーはまだ貴方には早い、って」
「そんな……」
嘘だ。パチェがそんな事言うはずない。
「本当よ。寒天でも食べてろ、って言っていたわ」
「嘘……」
出鱈目だ。パチェはジト目でグータラだけど本当はとても優しいのだ。あの夏の霧だってパチェが出してくれたものだ。
「嘘じゃないわ。思い出して御覧なさい。パチュリー・ノーレッジが優しいのは貴方にではなく、貴方のお姉さまにではなくて?」
「え……」
パチェが優しいのはお姉さまにだけ……?
そんなことない。確かにあの霧はお姉さまの為のものだったけど、それは当然私の為でもあって。
「本当に?」
本当……よ。あの霧のおかげで私は外に……出て……ない……? お外に出ようとしたら雨で……あの雨は、そう……パチェが……。
「嘘」
『……嘘』
[嘘?]
【嘘じゃない?】
びくんと震えた。鳳蝶の羽化のように、私じゃない私達が背中を透かして問いかける。
「まさか」
『でも』
[そんな]
【やっぱり】
背中の波紋から三本の左手が這い出してくる。分かたれた私の心が。イドへと還らぬ元型が。
「パチェは……」
『パチェが……』
[パチェも……]
【パチェを……】
四重の矛盾が顔を覗かせる。喰い破るように笑っているのは果たして何番目の私だったろう――
「はい、そこまで」
「あいたっ」
【[『「……え?」』]】
四色の無謬性をバラ撒こうと羽を撓めたところで、呆れ顔のキツネがゆかりの後頭部にチューリップを叩き込んだ。びたん、という水気の多い打撃音が、花弁の盛りと手首のスナップを雄弁に物語る。
「ちょっと! 何するのよ藍!」
涙目で頭を抑え、キツネをにらむゆかり。謝罪を求める彼女の鼻に二打目が炸裂する悲劇を前に、発動間際のスペルカードが音も立てずに霧散した。
「ぉぉぉ……」
「やりすぎです紫様。二度も同じようなブレーキをかけさせないで下さいよ。茶の間で弾幕ごっことシャレ込まれたら寝ている橙が可哀想でしょう」
鼻を押さえてスキマに転げ込むゆかりを尻目に、キツネはやれやれと私を見た。
「いや悪かった。ウチのスキマの悪癖だ。今のは嘘っぱちだから気にしないでくれ」
「……嘘ついたの?」
「ああ。パチュリーはお前を蔑ろになどしていないし、ゼリーは氷室にたくさんある。霧の話は知らないが、寒天イーターは寧ろ夏場の紫様だ」
おいちいおいちいと寒天をむさぼるゆかりの奇態が目に浮かぶ。違和感はなかった。
「……どうして? 嘘をついてはいけないってお姉さまは言っていたわ」
「珍しく正論だ。……きっとスカーレット姉妹のお子様特有の卵肌が妬ましかったのだろう」
「タマゴ?」
ぺろりとスカートを捲る。
「うむ。年食うと難しいんだ。色々と。若い肌に刺激されると我を忘れる事もある。どうか許してやってくれ。紫様は睡眠時間と肌年齢にはひどく敏感なんだ」
「うー……」
「このとおりだ。後でスキマを一発殴ってもいい」
そっとチューリップを握らされる。
「むー……うん」
「そうか。すまない。フランドールは大人だな」
「うん。立派なレディになりなさい、ってお姉さまはいつも言うの」
「……幼女緊急発進(バッドペディスクランブル)がよく言うわ」
「ん、何か言った?」
「いや何も。さあゼリーはここだ。好きなだけ持っていくといい」
「わーい」
ゆかりが逃げ去ったスキマに手を突っ込んでアイスボックスを取り出すキツネ。
「やっぱりパチェは私の分とっておいてくれたんだ」
そうだ。パチェが私に酷いことする筈がないのだ。
「いや……あいつはサテライトヒマワリで牽制しながら紫様のマッサージ椅子を担いで走り去っていったよ。ゼリーの話など出る幕もなかった。……ホントに病弱なのかあいつは? 半ば千鳥足の癖にエライ勢いだったぞ」
「かっこいい」
やっぱりパチェだ。常識人には出来ない事を平然とやってのける。そこにトキめく。グッとくる。
「……ああ。あそこまでいけば恐れるものは何もない。格好いいと言えなくもないだろう」
「うん!」
やっとキツネもパチェの偉大さを理解したようだ。パチェはお姉さまのともだちだ。凄くないはずがないのだ。
「お前の一家は化け物ぞろいだ」
「うんっ!」
褒め言葉に相違あるまい。
ネコを撫で、キツネに手を振り、チューリップをスキマに投げ込んで、戦利品片手にマヨヒガを後にしたのだった。
×××
「……もういいですよ紫様」
「そう。あの子は帰ったのね」
「ええ……けれどもやりすぎですよ紫様。無垢をいいことに心の隙間を突付くなんて、それこそ子供にする事じゃないでしょう」
「いいのよあのくらい。可愛い顔してやってきたけど、あの子はレミリア、小悪魔、パチュリーに続く四人目の甘味簒奪者なのよ。貴方もそろそろ我慢の限界ではなくて?」
「まあ……奴らの緩急ある独善に食料や健康器具を提供するのは、これが最後であって欲しいものですが」
「聞けば咲夜も来るらしいじゃない」
「おそらくは美鈴も。紅魔館といえば、幼女の笑顔でゴハン三杯はいける末期患者の集うホスピス。レミリアの意思とあらば、持てる富と力の一切合財を用いて、迷惑と厄介をばら撒く事でしょう」
「だから子供は困るのよね」
「より厄介な年増もいますがね」
「……ちょっとそれ誰の事?」
「さて。ともかく次に誰かが来たら」
「ええ。遠慮はいらないわ。韮樽の洗礼で歓迎なさい」
〇戦利品 (フランドール・スカーレット四軒目通過時)
お菓子の詰め合わせ(チョコレート、ヌガー、マシュマロ、キャンディー)
飴の詰まった玩具のステッキ
マンゴープリン
粉ミルク
ウキワ
コーンフレーク(16箱)
ボディシャンプー(子供用)
干し柿
手作りライチゼリー
◇
Stage 5
〝西部開拓期に於ける勝負下着と人間性の考察〟
ざしりと砂利を踏み鳴らす。鬱蒼とした森に茂る下草は数知れず、さらす地肌はごく僅かにも係わらずその音は闇に木霊した。
「ここが、あの女のハウスね……」
問題は絶対量ではないのだろう。静まり返った黒い森に響く人為的な音は、その異質さを以って自らを最大限に主張するのだ。
「ちょっと、開けてよ」
低く押し殺した声で来訪を告げる。異質を迎える扉は木造の矩形。人によるものでありながら森と同質の拒絶を備えている。
「ねえ、魔理沙、いるんでしょ」
それを叩く。割と遠慮なくがんがんと。
「開けてよ」
森の静謐など知った事かと声を張り上げる。
森との同調など初歩の初歩だ。闇を侍らせ、浸るも乱すも胸三寸。そうでなくては魔女としての器が知れる。
「開けなさいよ」
遅い。これ以上は時間の無駄と土符の封を切ろうとしたところで、
「なんだよ煩いな。……パチュリー? お前まで来たのか……」
顰め面の魔理沙が扉の隙間から顔を出した。まったく、スピードが身上だったのではないのか。
「さっきから紅魔館の連中ばかりが菓子だの金だの集(たか)りに来るが……何だよパチュリー、お前も同じ用件か?」
窺えるのは最大限の警戒心。どうやら霧雨邸攻略の先駆者達は相当な無茶を慣行したらしい。
「似たようなものね。けどまったく同じというわけでもない」
「なんだよそれは……」
警戒は解けない。が、それがなんだというのだろう。今宵はハロウィン。魔を帯びる者を阻むことは何者にも不可能だ。
「本当は皆違うのよ。ただ気が合うというだけのこと」
「訳が分からないぜ」
分からないうちは半人前だ。少なくとも魔法の上達を願う者ならば。
「そう」
まあ、それはそれで良い。彼女の我流に口を挟むつもりはない。それよりも五回目のトリックアンドトリートを開始しようか。丑三つ時もとうに過ぎている。
「それじゃ魔理沙。ハッピーハロウィーン。……良い夜ね」
冴え渡る月を見上げ微笑んだ。胸元からチューリップを差し出し、小さく揺らして香りを捧げる。月と私を怪訝に見遣る魔理沙に向かい、聖母のように頷きかける。
「アモーレ!」
先手必勝。紅い大輪が唸りを上げる。静かな湖畔の森の陰から、ユリ科の球根植物が牙を剥く。
疑惑の中心で愛を叫んだ私は奇襲に怯む魔理沙の横をすり抜けて、弾丸のように薄暗い室内に駆け込んでいく。
「くっ……チョット待てぇ!」
あわてて魔理沙が追ってくる。が、もう遅い。ハンターは狩場に到着したのだ。
「さてと、アブレーザーはどこかしら……ん?」
早速めぼしい健康器具でも、と部屋を見回し固まった。
「あのネズミ……」
ウチの財産ばっかりじゃないか、この部屋の蔵書。
「おいこらパチュリー!」
そこへ魔理沙が駆け込んでくる。大きく息を吐き、積み上がる本の山の前に立ち塞がった。
「……虚を突いて侵入とはやってくれるじゃないか。鼠の称号は返上するぜ」
「それには及ばないわ。見なさいこの盗品の山。並みのネズミじゃ築けない前科よ」
魔理沙の庇う数十のグリモワールはどれもこれもが見覚えのある品。ついと見れば、先日小悪魔に探させたもののどうしても見つからなかった稀覯本が、コーヒーカップの下でコースター代わりになっていた。
「ふん。これでも随分減ったんだ。最初に来た咲夜やフランは兎も角、レミリアも小悪魔も際限なく菓子だの本だの温泉収益権だの要求しやがって。おかげで我が家の財産は激減だ。……正月の餅どころか温泉成金の夢まで潰えた今日この頃。この落とし前、どうつけてくれるんだ」
そういえば森は随分と削られていた。おそらくレミィに抵抗する魔理沙の恋の魔法だろう。
無駄な事を。
運命を統べるレミィは無知を以って全知を兼ねる。それはもはや仙人の域だ。求道飽くなき賢者の理想形と言える。知れば知るほど全知が遠のく絶望、知を蓄えるにつれ薄れる希望。そんな賢者の宿命とは、レミィは完全に無縁の存在だ。
だが、いや、だからこそ彼女は因果を嫌う。幾千のレールの何処かを走る、彼女にしか見えない最善の運命。あらゆる知者賢者が血眼になって求めるそれを、退屈だからと彼女は蹴り飛ばす。そして目を瞑ってグルグル回転し、適当に手を伸ばして掴んだ運命を美鈴の胸の谷間に挟み込む。イレギュラーが大好きなのだ。予想のつかない不確定な世界が堪らなく楽しいのだ、彼女は。
運命を手にしながらその行使に消極的なレミィ。猫に小判と人は哂うだろうか。……哂えまい。彼女は王なのだ。
生来の財を、民からの貢を有効活用しようと悩む王があるだろうか。あるとすればそれは治者だ。自らの、或いは民の為に財を使う者は王ではなく治める者だ。王とは、生まれついての王とは所有物の有効活用など考えもしないものだ。なぜなら己は王なのだから。王こそ全て。即ち我こそ全て。
傲慢であろう。愚かであろう。だがそれでこそ王なのだ。打算や損得勘定などのせせこましい追い風など微塵も必要としない幸運。ただあるがままで他を平伏させる威容。それが王の才なのだ。
砕こう。レミィは不確定要素をばら撒くことを好む。更に砕けば、彼女は適当に嫌がらせを繰り返して迷惑を撒き散らすのが大好きなファニーガールだということであり、そんな最愛のシチュエーションでイキイキと槍をブン回すレミィを止められる者などこの世の何処にも存在しないということである。
……そんな分かりきった結論の為に理屈を捏ね回す長い長い独白、迂遠に過ぎるとの意見もあろう。だが私にも賢者として譲れないものがある。或いはだらりと続くこのハロウィンの旅路において、知識人らしくスパイスの効いたモノローグを提供する事こそが、我が責務であるという自認があるのだ。
知識と日陰の秘蔵っ子、パチュリー・ノーレッジ102歳。他の五人の独白よりは多少なりとも酸味が欲しいお年頃である。
まあそんな矜持も今はいい。閑話休題、そして会話続行だ。
「盗んだ物まで財産にカウントするなんて、その時点でどうかしていると思わなくて?」
見つからない見つからないと、べそをかきながら本を探し続ける小悪魔の姿など、魔理沙には想像も出来ないのだろう。
「煩いな。死んだら返すぜ。お前はあと数百年はその姿のままだろ」
「ええそうね。後数千年は本を読んで暮らすわ。それに比べて今日の貴方の余裕のないこと。いつものにこやかフェイスは何処へ行ったのかしら」
「今日はお前を含めて五回の襲撃を受けてるんでな。残機も余裕も底をついてる。……知ってるか? 窮鼠は猫を噛むんだぜ」
ぐっと帽子のつばを引き八卦炉を取り出す魔理沙。
「窮鼠臍(ほぞ)を噛む、でしょう」
尤も窮してから悔いても遅いのだが。その意味では魔理沙の臨戦態勢もアフターフェスティバルの如しではある。
「けど、そうね。それでもこれだけの魔導書が残っているのだもの。防衛戦に意味はあるか。……罪を糊塗する隠蔽手段としてね」
「そっちこそ似たようなもんだろう。しおらしく菓子をねだりに来るうちはともかく、権利書やマジックアイテムを狙うに至ればそれはもう子供の遊びじゃないぜ」
「心外ね。貴方の幼年期は知らないけれど、悪魔の子とはそういうものよ。一時の娯楽の為には他者の明日など省みない。それが正しき魔の姿であり、ハロウィンが許可する童心の再現なのよ」
魔を学ぶ者が何を今更。やはり独学は色々と歪む。機会があれば少しそのあたりを教授してやるか。無論代価は色々と盛りだくさんではあるが。
「傍迷惑極まりないな」
「傲慢ゆえ悪魔は他の妖怪からも疎まれる。今日はその悪魔の夜。レミィはその悪魔の王よ。寧ろ今のところ温泉程度の被害で済んでいるのが奇跡と言えるわね」
ちっこい体で最大限の迷惑をバラ撒くレミィ。傍で見ていてそのワガママっぷりが堪らなくカワイイのだが、このあたりの感覚は人間には理解できないかもしれない。
「ちっ……やっぱりレミリアの指示か」
「指示? ……本当に分かっていないのね」
「分かりたくもないぜ」
魔理沙は箒を構え腰を落とす。恋符系のモーションだ。撃てるはずもないのに。ここはガラクタと宝物がごったがえす、彼女の部屋の真ん中なのだ。
「企画立案は確かにレミィ。それらしい命令口調も当然のように出てきたわ。けどそれぞれの脚を動かすのは個人の意思なの。行動するのはレミィのゴキゲンな発案に心から同調した者のみ。……皆やりたいからやるのよ。忘れたの? 紅魔館は悪魔の城よ」
「その上で全員参加か……輪をかけて迷惑な連中だな」
「言ったでしょう。気が合うのよ」
稚気と邪気をたっぷり含んだゴーイングアワウェイ。周りからすれば迷惑この上ないだろう。だがそれでこそ紅き魔だ。何の遠慮がいるものか。辺境の昼寝妖怪も言っているではないか。幻想郷は全てを受け入れる。それはとても残酷な事なのだと。
「……やれやれ」
大きく嘆息し首を振る魔理沙。彼女には見えないはずの八卦炉に宿る火精がちろちろと舌をだす。
「あらいいの? 家ごと消し飛ぶわよ。その火力じゃあ」
「撃たなきゃプライドが消し飛びそうなんでな。……おしゃれラットで名を馳せたこの魔理沙さんが一晩で五回も強奪を許した、そんな噂が広まってみろ。明日からどんな顔して本を盗みに行けばいいんだ」
「盗みに来なければ良いじゃないの」
「馬鹿言うな。既に生き甲斐だぜ」
気焔万丈、いっそ晴れやかな声で人間失格を宣言する魔理沙。
なるほど。やはり彼女も魔法に傾倒する者だ。心の底を流れるものに我らと通ずるところがある。……要するに我が侭である。
「そこまでの覚悟なら仕方ないわ。力ある魔導書は弾幕程度で破損はしないし、貴方が望むのなら応えましょう」
嚇怒露な魔理沙に目を瞑って対峙する。
「そうしてくれパチュリー。全財産を投げ打つマスタースパークだ。気を抜くとむきゅーじゃ済まないぜ。……ひしゃくを持った幽々子が、小町と腕を組んでにじり寄ってきてからじゃあ遅いんだからな」
「……幽々子は船幽霊じゃないわよ」
いずれにしろ大変に失礼な死のイメージである。
「幽々子はいいんだ。今は私とお前、二人の勝負だぜ」
紫電迸る八卦炉の向こうでニヤリと笑い、世界を盛り上げる魔理沙。自分から持ってきた白玉楼の主を二秒で無かった事にするこの傲慢。前言の非礼を詫びよう。彼女も一級の『魔』である。
「けどまあ間違ってはいないわね」
口の端を歪め、前戯は収束に向かっていく。詠唱準備も八割方完了。前方150度を焼き尽くす恋の魔砲に対するは、深淵を抉る静謐なるセレナ。散らす火花が互いの制空権を侵しあう中、微かな物音によってすら容易く発火する一触即発の刹那、そこで魔理沙が粋を見せつける。
「西部劇だぜ、パチュリー。後ろを向いて五歩歩く。『抜きな、どっちが早いか勝負だぜ』」
「……」
正確に一秒の間を置いて、
「……ふふ」
「……へへ」
不適に笑いあう。
言葉は要らない。シューティングの貴賎を解する者だけが共有する、愛すべきルナティックが瞳に宿る。
ゆっくりと魔理沙に背を向ける。背後から撃たれることなど考えもしない。これは舞台だ。ハロウィンの宴だ。斯様な愚考掠めるだけでも無粋だろう。
こつ、と踵が響いた。背中合わせの魔理沙が脚を揃えたのだろう。次いで腰と腰が接触に至り、互いの肩甲骨がぶつかり合う。
「肉の薄い尻だなパチュリー」
「貴方こそ足りない胸の膨らみが背中を圧迫しているんじゃないの」
「……ははっ」
それが合図。
ただの一瞬のズレもなく、一歩を踏み出した二人は昼の日常を思い出し、二歩目と同時にそれを捨て、三歩で友に想いを馳せて、四で笑って別れを告げた。
「――じゃあなパチュリー! お前の夜は私で終わりだ!」
「――さようなら魔理沙。安心して。貴方が倒れても夜は続くわ」
そして運命の第5ステップ。
四歩で大悟に至った二人は涼やかに身を翻し、幸いなる桎梏から解き放たれた意思は四肢に漲る魔力を伝い、微かに微笑む互いの真中、恋色の稲妻と鋭利な月光を背負い窓をブチ破って闖入してきた愛すべき中国人を力いっぱいブン殴った。
「いい夜ですね! ハッピーハロウィーニャアァァァァ!?」
四千年の歴史が夜に木霊する。
爆散する窓枠と共に気さくな挨拶で転がり込んできた美鈴が、そのままの勢いで鋭角に軌道を変えて、コントさながらの微笑ましいモーションで寝室のドアに突き刺さった。
「なんだそりゃ……おい、今度はお前か美鈴……。揃いも揃って何考えてるんだ紅魔館の連中は。ガラスだの常識だの次々と粉砕して……楽しいか? 楽しいんだろうな……」
ガラスと共に粉々になった二人の世界が、魔理沙の気勢を削いでいく。
「……腹立たしいような気の毒なような、この微妙な門番をどうしろというんだ……なあ、パチュリー。……パチュリー?」
扉の穴から尻を出して昏倒する美鈴の壮絶な有様に呆然とする魔理沙が私を呼ぶ。……が、それは致命的な隙だ。
「パチュリー? おい、返事くらい……って……いない? あいつ何処に……あ? ああ? な、無い!? そ、そんな……魔導書が……ない……?」
ついでに加えると彼女の勝負下着もなくなっているのだが、この状況でそれに気づけというのは酷な話であろう。
「莫迦な……美鈴を殴るパチュリーは本気だった……。この素晴らしい馬鹿が飛び込んできたのは作戦などではなくハプニングの筈……。判断力の差だというのか……」
ここで胸を張ることを許して頂きたい。
これこそが格の違いなのである。高々十年余り生きただけの生娘には無い、深みある余裕が私を支えている。
尤も魔理沙の目端も悪くはなかった。緊張感をブチ壊してくれた美鈴に、まさか私と同じ速度で右フックを入れられるとは思っていなかった。しかしその後が宜しくない。ピンボールみたいに景気良く飛んでいく美鈴に気をとられて、本来の相手である私をノーマークにするなど愚の骨頂。司法的に言えば『惜しい。三十点』である。
アゲインスト窮鼠臍を噛む。彼女が悔恨に暮れ果てているであろう今この時、私は戦果を手に霧雨邸から数百メートルの森をフラつく足取りで爆走している。グリモワール良し、ドロワーズ良し、邪魔が入ったものの西部劇ごっこも中々に楽しめた。完璧だ。完封勝利と言えるだろう。
「それじゃあね魔理沙。魔導書は返してもらうわよ」
黒い森の彼方に消えゆく霧雨邸の灯りに告げる。
「健闘を称えて助言をあげる。美鈴の処置は看病ではなくフィニッシュブローをオススメするわ。彼女の回復力と不屈の精神は幻想郷一よ。あの程度の恋と日陰のツープラトンじゃ二分でラウンド2が始まるわ」
粘りに粘り、体力勝負になったところで自慢の美脚が飛んでくるのが彼女の弾幕だ。取りを飾る来訪者としては最もタチの悪い部類に入るだろう。
一人月に呟いた。
「頑張りなさい。二人とも」
彼女ら二人のハロウィンは、間違いなくこれからが一番アツいのだから。
○戦利品 (パチュリー・ノーレッジ五軒目通過時)
小麦粉
液晶テレビ
ドナーカード
快眠まくら
ピーナッツ
芝刈り機(新品)
印鑑証明書
マッサージ椅子
キウイフルーツ
グリモワール(『多元複写法』『世界の実相』『サセックス草稿』他十数点)
ドロワーズ(黒、シースルー、ジッパー付)
◇
Stage 6
〝魔力を含む腋の下〟
月の映える夜だった。
鳥居をくぐりゆっくりと石段を上る。夜露を纏って沈殿した空気が重い。山鳩が鳴いた。朝が近いのだ。
最後の一段を踏みもう一つ鳥居をくぐった。神社には二つの鳥居がある。石段を挟み、上と下。
鳥居は異界の門である。日常と非日常、世界と聖域を隔てる紅い門。それが二つとはどういうことか。石段をクッションに、神社は異界から日常へと回帰するのか。それとも巫女の住まう神の家は、もはや人には想像も許さぬ魔境であるのか。
後者であろう。日がな一日縁側で茶をすする怠惰な巫女が、幻想郷の法を施行し且つ自らはその制限より浮遊する現実。賽銭収入どころか生産活動の片鱗すら窺えないクライシスエリアの域内にあって尚、嬉々として冥府や竹薮に殴りこんでいく理不尽な活力の怪。魔境としか表現し得ない異界中の異界がここ、博麗神社である。
「……やっと来たわね。レミリア・スカーレット」
社殿へと繋がる石畳の上、紅白の巫女が待っていた。
「あら出迎え? 感心ね」
ぱたぱたと羽と手の平を振って笑いかけるも、霊夢は目を伏せたまま微動だにしなかった。
霊夢は呟くように語りだす。
「……初めはね、美鈴が来たわ」
「……」
感情を殺した声。喜怒哀楽の一切を排除した無機質な声音は、その意思のみを明確に伝達する。即ち、重圧をかける。
無論効果の程は相手によるが。
「暇だったしね。二年前押入れの奥で見つけた千歳飴を茶請けに話し相手になってやったわ」
客になんてモノ振舞うんだこの巫女は。そんなオーパーツがまろび出てくる押入れとやらは即刻封印の必要があるだろう。
「暫く世間話をした後、残りの千歳飴を抱えて美鈴は去っていった。……それから十五分程たった頃かしらね、フランドールが来たわ。やってくるなり、お菓子をくれお菓子をくれってね。まあ私も子供は嫌いじゃないし、秘蔵の干し柿を食べさせてやったわ」
バナナがオヤツに含まれるか否かが盛んに論じられる昨今、果たして干し柿は有資格者といえるであろうか。
「初めて食べる干し柿にフランドールは喜んでいたわ。子供の笑顔は見る者を幸せにする。私も悪い気はしなかったわ……」
干し柿の資格は兎も角フランが喜んでいたのならそれでよい。ともあれこの巫女もやっとフランの魅力に気付いたか。幼女を愛する者に悪人はいない。霊夢もようやく巫女らしい慈愛を手に入れたのだ。
「……けどね、そんな気分もそこまでよ。続いて玄関を叩いた小悪魔がガスだの暗殺だの訳の分からない説法を始めたかと思ったら、そのスキに縁側から侵入したパチュリーが虎の子のキウイフルーツを簒奪していきやがりました」
落ち着いた声に不穏な敬語が混じる。ふと見れば瞼も震えていた。どうやらキウイフルーツは相当な期待を受けたビタミン源だったらしい。
責任者を呼べ。そんな空気だった。
「……そんな中でも流石は咲夜。彼女は両手一杯のお土産を抱えてやってきたわ」
ほう。懐柔しようという腹だろうか。些か咲夜らしくない気もするが。
「告白すれば、私は咲夜を歓迎したわ。心の底から喝采をあげて。だってチキンよ? 骨付きよ? そんな六十年に一度のご馳走を前に、首を横に振れる巫女がいたら見てみたいものだわ」
そうじゃないかとは思っていたが、どうやら霊夢は己が特殊をイマイチ理解していないらしい。鶏肉に魂を売る巫女はそうそういないだろう。
「……けど――けれど――ッ」
開眼――咆哮。
「チキンは囮だった! 頬が痺れるほどに甘い肉汁は悪魔の狗の罠だった! ……一口目で鶏肉の極上を看破した私の意識は、咲夜の手元のバスケットに縫いとめられていたわ。勿論そこにそっと差し入れられた彼女の細い手にも。……咲夜はチキンの一つを取り出した。そしてあろうことか庭先に放った――!」
真っ直ぐに私を射抜く両眼の縁から引かれた赤茶けた筋。後に彼女は否定するが――血の涙の跡だった。
「――走ったわ。チキン目指して形振り構わず巫女まっしぐら。あの時の私は輝いていた。身代わりとなった友の為に走るエロスの気持ちだった」
拳を震わせ誠実なリビドーに思いを馳せる霊夢。一文字惜しい。その程度のシンクロ度であった。
「駆けた。跳んだ。舞った。咥えた。――迸る肉汁に勝ち鬨を上げたわ。犬と呼ばれても構わない、一瞬とはいえそう思わせるだけの豊かな味だった。けれども――その時咲夜はいなかった――! 冬の備蓄も消えていた!」
なるほど。流石は咲夜だ。ナイスミスディレクション。狗と犬の違いを見せ付けてくれる。
米や味噌の簒奪だけならば時を止めれば十分に可能だ。だが咲夜はあえてそれをせず、鶏肉に弱い霊夢を弄んだ上でコッソリ備蓄を持ち去った。
素晴らしい。ハロウィンの何たるかを良く分かっている。
「……限りある資源を狙う限りない襲撃者達。彼女らに共通するは紅魔館の住人である事……。レミリア、裏にあんたがいる事は分かっていたわ。……待った。そしてあんたは現れた――!」
轟、と神社に風が吹く。いや風なんて生ぬるいものじゃない。怒髪天を突く霊夢が呼んだ、破魔の嵐の予兆である。
「舶来吸血鬼のあんたは知らないかもしれないけどね……仏の顔も日に三度。菩提樹の下で輪廻と慈愛を説く釈迦ですら、三度の狼藉は許さなかった。菩提樹の陰で無礼者の鼻に独鈷杵をねじ込んで、阿頼耶識に直接喝を入れたというわ」
そんなとこから繋がってるんだ。阿頼耶識。
「釈迦すらキレる三度の無礼。……今夜のあんた達はそれを遥かに上回る犯行を重ねている。巫女として、人として、見過ごすわけにはいかないわね」
指先に符を構える霊夢。予め陣を張っていたのか、蒼銀に輝く幾つもの神気の柱が、私たちを囲んでゆっくりと旋回する。
逃がさない、という訳か。
「巫女として? 別に幻想郷の危機じゃないでしょ」
「巫女だって腹は減るのよ!」
ごもっともである。咆哮と共に鳴り響く霊夢の腹の虫が、彼女の怒りを大気に乗せる。
「レミリア、あんたも強奪に来たんでしょう。ちょっとキツイお灸が必要なようね」
神が降りたかの如き霊圧を眼光に乗せる霊夢。彼女は本気だ。兵糧を求める修羅の目だ。
「ふふ……ははっ……」
それを見て嬉しくなる。そう、そうだ。こんな霊夢に会いたかった。あの夏の霧の夜から久しく顔を見せなかった『その気』の霊夢に。
咲夜に感謝しよう。パチェに、小悪魔に、フランに美鈴に。霊夢にこんな顔をさせた五人の珠玉の童心に。
「そうよ。そうでなくっちゃ」
あの日の霊夢が見たかった。だから神社を最後にまわした。霊夢の理性が忍耐を手放す瞬間を待ちわびた。五軒を廻り終えた時点でまだ早いと悟り、暇潰しに寄り道もした。百を操る人形遣いを千の蝙蝠で蹂躙し、秒に二十の餅を喰らう冥府の主のおやつをパクついた。幽香の自宅の下着を全部隠して、天狗の新聞に捜索依頼を代出しておいた。
それだけ時間を潰してようやくめぐり合えた霊夢だ。運命が用意した最終ステージ、そうでなくては報われない。
「お互いに準備運動は十分ね」
「調伏の準備は運動ではなく瞑想よ。……けどまあ十分には違いないわね。あんたを待った1994秒、鬼縛の陣は既に成った――!」
目の高さに大幣を切る霊夢。しゃん、という神さびた風きりに合わせて、緋色の神気が立ち上る。いや、最早神気とは呼べまい。触れる悉くを昇華する絶対の霊圧は既に刃だ。
「へえ。あの時より大きいわね」
不浄を焼き切る刃は八つ。それぞれが神社の屋根を越える巨躯を備え、境内をうねるように縫っていた。その動きに規則性はない。二人を囲み旋回する蒼い霊気の内側を気紛れに切り刻んでいる。
「レミリア、幻想郷にはルールがあるのよ。何人も犯せぬ世界の理が。一つは閉じた安定。一つは巫女の満腹。……食糧事情で冬を越せないガーディアンに意味はないわ。私は結界の守人として、誰よりも滋養を摂る必要があるのよ――!」
水平に切った大幣を、今度は垂直に振り下ろす。同時に現れた無数の陰陽球が蒼陣の内を乱舞する。
面白い。八方鬼縛陣内限定の行雲流水か。
「花札で巻き上げた白い米、それは輝く真珠のようで!」
追い討ちをかけるように札符が奔る。隙間なく敷き詰められた符は幾重もの壁のように寄り集い、壁は全てを押し潰さんとその質量を以って牙を剥く。
二重大結界か。単体では対処の容易なこの弾幕も、布石の一なら凶悪に尽きる。
「屋台を襲って手にした砂糖、ミスティアあんたを忘れない!」
蒼く切り取られた世界の中で、三つのスペルが荒れ狂う。その様、さながら地獄絵図。
「誰かの畑の誰かの野菜、お前のものは巫女のもの!」
ゆっくりと忍び寄る鬼縛陣。高速で乱れ飛ぶ陰陽弾。その中間速度で空間を制圧する二重結界。緩急ある弾幕の群れは、限られたフィールドにおいて最速よりも脅威となる。
「奥さん醤油が切れちゃって、あらそう無いなら買ってきて!」
暴風域と化した境内は今や巨大な挽肉製造機。放り込まれたが最後、獲物は瞬時に解体される。
「神社の夕餉は米肉魚……、あの素晴らしい鍋をもう一度――!」
「あの時の鍋の具は皆が持ち寄ったものでしょう。霊夢が用意したのは部屋とコタツとニラだけじゃないの」
だがそれが何だというのか。我が名はレミリア・スカーレット。夜すらひれ伏す紅魔の王だ。この程度の三枚刃、翼の端にもかすりはしない。
最小限の動きで弾幕をかわす。霊気を退け符を薙ぎ払う。
千切れ飛んだ札符が再生し、弾幕の列に舞い戻っていく。咲夜の真似事だろうか。便利な陣だ。
「ニラの素晴らしさが分からないようじゃまだまだ子供ねレミリア。あのツヤあの香り、鍋の主役は彼しかいないわ」
とはいえそれも付け焼刃。所詮真似は真似に過ぎず、咲夜のような永久機関は霊夢には向かない。そもそも現状が私にとって何らの脅威にもなり得ない。霊力と気合の無駄遣いだ。
「嘘おっしゃい。ニラなんて目もくれずに肉ばかり食べてたじゃないの」
……だが
「――だって美味しいんですもの!」
怒号は大気を伝って弾け、血涙と共にマインドアミュレットがブチ撒けられる。
狭い境内の中、背丈の数倍を誇る弾幕の壁をかわし、迷走する鬼縛陣を避け、見えない壁により乱反射する陰陽弾を掻い潜りながら、次に迫るは追尾弾。
素敵だ。素敵に容赦ない。
「動物性タンパク質のありがたみを知らない奴に鍋を語る資格はない。レミリア、私は常々そう思っていたわ」
三枚刃の間を縫って蜂のようにアミュレットが追ってくる。その持続性は『毎週土曜は添い寝の日』と枕を持ってやってくる咲夜のようで、らしくなってきた戦場に、私はふと笑みを洩らした。
「まったく、大きくなっても咲夜は子供のままね」
それでも終わらない。霊夢のスタイルは放散と必中だ。逃げ場を奪う広域制圧を布石に、針の穴を通す必中の一矢を以って完成、完遂するのが霊夢の弾幕。
ならばこの場はいまだ未完成だ。
「犬肉も好きよ!?」
一撃だ。ただの一撃を以って霊夢の弾幕は完成する。四重五重の布陣の死角を突く必中の針。それこそが弾幕の核であり、それだけが霊夢の弾幕だった。
「肉食シャーマンね。今度極上のテリーヌをご馳走するわ」
一本の針。それこそが霊夢の弾幕。初撃を以って最終を兼ねる、正真正銘のラストスペル。そこで終わる。この嵐は布石に過ぎない。核たる稲妻を放った後は、符に鎧われた暴風域は霧散するが道理である。
「愛してるわ、レミリア!」
当たると外れるとに関わらず、ただの一発で終わる弾幕。だがそれは必ず当たるのだ。その為の陣であり、長く執拗な前戯なのだから。
「節操の無い恋心ね。貴方も巫女なら絞りなさい。神とニワトリ、どちらの犬か」
陣を見切った。壁をブチ貫いた。符を五指で弾きアミュレットを蹴り飛ばした。咲夜も見惚れる完璧なハイキックだ。軸足の安定、腰のキレ、見えそうで見えない絶対領域。ジャポネが誇る伝統美学〝チラリズム〟の真髄である。
「莫迦ねレミリア。神が腹を満たしてくれる? ニワトリが世界を守ってくれる? ……全ては下位事象よ。彼らを止揚した高位の奇跡、それこそが縁側で茶をすするあの素晴らしい日々なのよ!」
掲げた符を石畳に叩きつける霊夢。解放された二色の神罰がX,Y軸に沿って陣内全域を焼き尽くす。
奔る十字の完全掃射。回避不能の面制圧。一発逆転の封魔陣を必要とあらば攪乱に用いる。やはり霊夢、これぞ霊夢だ。
「それでこそよ。従属する巫女なんて幻想郷には必要ない。霊夢、咲夜に感謝なさい。鶏肉の奴隷は今夜で卒業よ」
Y軸掃射を右手で止めた。X軸は左手で。気化する掌の運命はミリ秒単位で投棄した。スペルと私の力比べだ。
足を止めれば先行の弾幕が群がってくる。鬼縛陣を翼で弾く。アミュレットは歯で止める。石畳に突き刺したグングニルが大結界を相殺し、蹴り飛ばした陰陽弾が周囲の弾を砕いて廻る。かわしようの無い衝撃波は鼻で笑って受け止めた。
「咲夜……そうだったの……ありがとう……」
そして放たれる。幾重にも連なる弾幕の果てに、必中必至の銀の魔弾が静かに厳かに撃ち出される。
「……ありがとうなワケあるかあぁぁぁ!」
霊夢の咆哮と共に魔弾が凶悪に加速する。久方ぶりに台詞と行為が一致する、拍手万雷の奇跡だった。
速い。これまでのどんな弾より速い。流石に霊夢も理解している。十重二十重の搦め手の締めは最速最強が相応しい事を。
周囲の大気を焼き切る程に加速した針は緋色に染まり、風を切るその音すら追随を許さない。秒にも満たぬ零以下の刹那、ただ一発の本命が文字通り音もなく迫り来る。
「ダメよ霊夢。咲夜には感謝しないと。偶然を装ってフトモモを触っても咲夜は怒ったりしないのよ?」
「知らないわよそんなこと!」
更に加速。封魔陣を両手で受け止め身動きのとれない私に喰らいつかんと、ごもっともな一撃が唸りをあげる。
「それじゃフィナーレね」
前述を一部訂正しよう。身動きがとれないとは誤りだ。動けないのではなく動かない。何故なら霊夢の一発は動いてかわせるものではなく、回避の為の得物ならば既にこの手にあるからだ。
「惜しいわね。月の無い夜ならまた違ったかもしれないわ」
握り潰さん勢いで封魔陣に爪を立てる。穿った穴に五指を通し破魔(れいむ)の霊圧(スペル)を振り回す。非常識? 知った事か。出来ない運命を呪うがいい。
見る者が見れば、それは馬鹿でかい二刀流だった。境内をブッた切る極厚の包丁は持ち手すら灼く諸刃の剣。それを振るう。易々と。長さにして百尺あまりの霊剣を腕力だけで叩きつける。封魔陣本来の姿の如く、十字に斬りつける両刀は周囲の悉くを薙ぎ払っていく。符も陣も、全ての弾幕を飲み込んでいく。
そして相見える魔弾と霊刀。細く鋭い霊夢の針だが境内ごと切り伏せてしまえば逃す事は無い。ただ一つの問題は速度だ。霊夢にして最速の一撃は最早光の域に達している。どれほど強烈な剣閃も間に合わなければ意味がない。
「また館にいらっしゃい。馴染みの顔もきっとあるわ」
だからこの勝負、私の勝利は決まっていた。最速最強なんて私を飾る言葉の一つに過ぎない。宴の終わりのあの晩に、それは証明されているではないか。ましてや今夜は月の夜。振り下ろす刃が遅れる事など可能性すら存在せず、魔弾がこの胸を貫く事など万が一にもあり得なかった。
「待ってるわ。霊夢」
Spell Break――!
「あらあらまあまあ。こんなところに」
「ま、待ってレミリア! それは、それだけはぁぁァァッ――!」
問題なく弾幕を捻じ伏せた私は、神棚の裏の隠し扉に秘匿された秘蔵中の秘蔵の甘納豆を手に、意気揚々と神社を後にしたのだった。
○戦利品 (レミリア・スカーレット6ボス撃破時)
水饅頭
除湿機
蝶ネクタイ
チーズケーキ
製氷皿
オカリナ
聴診器
マカダミアナッツ
魔導書(『記号概論』『幻秘術』『ドール賛歌』他数十点)
温泉収益権
アメジスト(水脈召喚用)
土地権利書(日当たり良好)
ウキワ(フランとお揃い)
シシャモ(2尾)
掛け軸
ニガウリ
ストッキング
桃
松坂牛
夏の思い出
甘納豆(賞味期限切れ)
☆スペルブレイクボーナス
オマール海老
ラー油
リップクリーム
☆クリアボーナス
ホットミルク
洗面器
◇
「ふふ、皆それぞれ瀬戸際外交を楽しんできたようね」
血と紅茶の香る紅魔館。夜を駆け再びホールに集ったメイド達は、手に手にチョコや株券を持ちそれぞれの夜を語り合っていた。
「ええ。思い返しても胸の躍る、メルヘンチックな夜でしたわ」
最高の笑顔で返り血を拭う咲夜。
「ああ、ご心配なく。これは鼻血ですから」
咲夜の気遣いが寧ろ不安を煽る。
「あるところにはあるものですわね」
うっとりと頬を染める咲夜。一体どんな旅をしてきたのか。その手に握られた見覚えのあるドロワーズは何だ。
だがまあいい。ハロウィンを謳歌してきたのならなによりだ。
「それにしても、また大漁ね」
パチェがクスリと笑う。ホールの隅に積み上げられた戦利品の山は数メートルの高さを誇り、お菓子や貴金属で構成されたその山は今にも崩れそうな程であった。
「ええ。メイド達は良くやったわ。……さ、それじゃ貴方達の方は……なんて聞くまでもないわね」
夜明けの近い窓辺を歩く。メイド達の喧騒から離れた薄闇のテラス。我ら6人の収穫が頭を垂れる稲穂のように、中庭に整然と並べられていた。
「見てくださいよお嬢様。ホラ、あのサバラン。ラム酒たっぷりなんですよ」
笑いながら戦果を誇る美鈴。些かはしたないがそれは正当な行為だ。各々が勝ち戦を語る事が、ハロウィンにおいて何よりの供物となるのだから。
「あの一角はあなたの戦果? 今度は満点ね美鈴」
バルコニーの側の宝の山を見遣る。お菓子に混じり、いくつかワケの分からんものも散見されるが概ね良い略奪品であった。
「ね、お姉さま。お姉さまの言うとおりだったわ。茶の間に陣取って上目遣いでレーヴァテインを突きつけたら、皆快くお菓子をくれたの」
ぶら下がるようにフランが肩に飛びついてくる。その頭を優しく撫でた。
「そうでしょうフラン。皆幼女が大好きなのよ。ちゃんとお礼を言ってきた?」
「うん? うーん……二回くらい……」
「ダメよお行儀良くしなくちゃ。今度一緒に行ってあげるから、きちんとお礼をするのよ」
「うん!」
フランの唇についたゼリーのカケラを指で掬い取ってやる。そういや紫はちゃんとフランにお菓子を用意しただろうか。まあ、正座して藍に叱られる様をカメラに収めてあるので、心配は無用であろうが。
「それにしてもレミィ、随分はしゃいだみたいじゃない。皆口々に貴方の名を出したわよ」
「それはこっちの台詞よパチェ。チューリップだの千鳥足だの、行く先々で貴方の武勇伝を聞いたわ」
咳き込みながら金庫を漁ったり、覚えのない相手にまで『本を返して』と迫った挙句、帰りの交通費まで要求したり、話を聞く限り今夜のパチェは絶好調だ。あるいはこの私よりもハロウィンを楽しんでいるかもしれない。
「そうなんですよお嬢様。折角私が巫女の耳に念仏を唱えていたのに、パチュリー様ったら果実片手に賢者の石で巫女の後頭部をハタくんです。まったく、どうしてそういうことをするのですパチュリー様。態々用意したクロロアセトフェノンの立場が無いじゃないですか」
百年来の謎が一つ氷解した。そうやって使うんだ。賢者の石。
「それじゃ小悪魔はパチェに邪魔されて、神社からの収穫はゼロだったのかしら」
「まさか。パチュリー様に気が向いている隙にコタツの天板を頂いてきました」
「あら素敵」
単品では実用性ゼロの、まさに嫌がらせオンリーの簒奪品だ。こういう無駄の積み重ねが人生を豊かにする事を、小悪魔は実に良く理解している。
「それであのコタツは布団が剥き出しだったのですね。尤もその布団も、冬の備蓄を包む為に持ってきてしまいましたが」
咲夜の合理性が霊夢に追い討ちをかける。ということは今神社のコタツは足しか残っていないわけだ。部屋の中央に陣取るコタツの足。なんて物悲しいオブジェだ。
「……五人ともよくやったわ。このバランスの良い簒奪品の山を見れば、皆がハロウィンを謳歌した事は良く分かる。甲乙つけ難いわね。ペナルティなんて些事は忘れてしまおうかしら」
ふふん、と当初の予定を告げる。罰などという無粋はハロウィンには相応しくないのだ。
「――魔女の釜をここに。……流石、早いわね咲夜。ええ、それでいいわ」
「お嬢様、この釜で何を?」
「闇鍋よ。今夜の戦利品、一つ残らず釜に入れなさい」
「ぜ、全部ですかお嬢様?」
「美鈴、二度言わせる気?」
「い、いえ……けど相当な割合で無機物が混入しますが……」
「何か問題でも?」
「ウニィ……」
美鈴はがっくりと、咲夜は淡々と、そしてパチェは嬉々として釜に収穫をブチ込んでいく。
ケーキにゴボウに芝刈り機。盛り沢山の具がゲル状の鍋を豊かに彩る。
「けどお嬢様こんなにたくさん食べ切れますか? 人間の咲夜さんは口に出来ないでしょうし、メイドの皆さんも小食揃いですよ」
「安心なさい小悪魔。食い扶持は増えるわ」
「え? ……ああ、なるほど。そういうことですか」
中々に理解が早い。これならば自機昇格も夢物語ではないかもしれない。
「お嬢様、一つ宜しいですか?」
「何、咲夜? ……ああ、いいわよ。意味あるものならとっておきなさい。それは簒奪品ではなく贈り物なのだから」
「……ありがとうございます」
咲夜の抱える重箱からは運命の糸が伸びていた。おそらくは彼女を想った誰かによる品なのだろう。ならば十把一絡げに鍋にブチ込む必要はない。それは聖なるハロウィンとはまた別の、咲夜に宛てられた何かのカタチなのだから。
「ほら美鈴急ぎなさい。まだそこに残ってるわよ」
「ま、待ってくださいよ咲夜さん……うぅ、何で肉や魚に混じってゴルバチョフが……」
「自分で獲って来たんでしょう。そのマトリョーシカ」
「くぅ、せめてもう少し食欲をそそる人形にすればよかった……!」
ラー油で真っ赤に染まった鍋に点々と浮かぶ不穏な食材の群れ。煮え滾るその様はまさに地獄のブラッドプール。熱に揺れるストッキングや羽毛が生々しいことこの上ない。
「それで最後かしら。それじゃパチェ、そのデッカイスプーンでかき混ぜて頂戴」
力仕事は向かないパチェだが、大釜を前にほくそ笑むのはやはり魔女の役目だろう。
「そうそう。良いわね。だんだん鍋らしくなってきたじゃない」
無機物が沈んで見えなくなっただけとも言うが。
「お、お嬢様……やっぱりコレ食べるんですか? スゴい色してますよ?」
「私は食べないわよ。フランにも食べさせないわ。咲夜も無理ね。パチェと小悪魔も食べないんじゃないかしら」
「そ、それは死刑宣告では……」
美鈴の額に冷や汗が流れる。
「大丈夫。死にはしないわ。シャンプーだのイルメナイトだのの劇物系は咲夜が抜いていたようだし、そもそもコレは客に振舞う宴の肴よ」
「客ですか? ……ああ、客、ですね」
「ええ。そろそろじゃない? あれだけ種を蒔いたのだから……ほら、おいでなすったわ」
幽かに白みがかった空を見上げた。1、2、3……いや数えるまでもないだろう。全員だ。彼女ら誰一人として、ハロウィンという紙一重のメルヘンを見せ付けられて、大人しくしているようなタマじゃない。奪われたトリートを取り戻さんと、そしてあわよくばその数倍の土産をせしめようと、食欲や家族の絆を錦の御旗にこの紅魔館に攻め入ってくる事は容易に想像できた。
「東西南北、囲まれましたわね」
今や紅魔館の空は弾幕ユーザーどもで一杯だ。見渡す限りのヴェンデッタ。どいつもこいつも良い目をしている。復讐と満腹を誓う修羅の目だ。
一人だけ空を飛べない半裸の男が地平線の彼方から走って来るが、アレは間に合わないだろう。それで良い。これより此処は戦場だ。スペルすら持たない非武装店主を巻き込んでも後味が悪いだけである。
「紫に輝夜に幽々子に霊夢。……あり得ない顔がいくつかあるわね、レミィ」
「あら、私にだって覚えのない奴がいるわ。小町や映姫にチョッカイだしたのはパチェじゃないの?」
「小町のサラシは頂いたけど、あの閻魔は知らないわ。レミィでもないの?」
「ああ、閻魔様なら私でしょう。デスクの二段目にあったお菓子の山を残らず頂戴して参りました」
「それでさっきから真っ赤な顔で咲夜を睨んでいるのね」
「真っ赤といえば幽香なんて耳まで赤くしてお嬢様を見てますよ。一体何をすればあそこまで怒らせる事が出来るのですか」
「あれは怒りじゃなくて羞恥の赤よ」
風呂上りにでも気付いたのならば、今の幽香は穿いていないのだ。そしてそれは僅かに太ももをすり寄せる彼女の仕草が証明してくれている。
「さ、それじゃ準備はいいわね」
「はい。メイド達はいつも通りで宜しいですか?」
「それでいいわ。料理と掃除とベッドメイク。通常業務に戻しなさい。外勤は休憩でいいわ。何をしてても構わないから館の外には出ない事」
「徹底させますわ」
瞳を閉じて薄く微笑んだまま微動だにしない咲夜。これで既に全メイドが動いているのだから流石である。
「宴のシメよ。ハロウィンはここからが本番。この為に一晩かけて種を蒔いたのだから」
咲夜が頷く。パチェが笑う。弾幕好きのフランとお祭り好きの美鈴が小悪魔の手をとって気勢を上げる。
「さあ、いらっしゃい。月夜の理を教えてあげるわ」
高く鋭く翼を解放する。空気を叩く乾いた音が宴の開始のベルとなる。
上空全方位から弾幕の驟雨が降り注ぐ。地平の彼方で一人の漢が吼えた。力なくとも心は同じ、そういうことだろう。その意気や良し。それは天にある彼女らにも伝わったのか、驟雨はそのまま雷雨と化した。魔弾蝶弾永谷園。一つ一つが致死の弾幕。館を囲み、360度から放たれるそれは圧倒的な物量を以って一つの意思を告げる。
即ち、問答無用。
「そう、それが正解。やっとハロウィンを理解したようね。けれど一言、当主からの挨拶よ。――ようこそ紅魔館へ。年に一度の収穫祭、ゆるりと愉しんで頂戴」
人は畑から収穫し、悪魔は他者から収穫する。その歓びに差異はなく、祝福に言葉など必要なかった。
Extra Stage
〝闇鍋に愛を込めて〟
霊夢の符が、魔理沙の星が、妖夢の剣が、鈴仙の弾が、幽々子の死が輝夜の難題が永琳の矢が小町の鎌が幽香の花が紫の式が藍の式が、毒が氷が歴史が闇が火が人形が断罪が、天を覆う一切合切が紅いテラスに殺到する。好きな被弾を選べ。そんな自由すら無いユーニラタルコンタクト。
「これよこれ。この光景が在りし日のハロウィン。いいわ。惚れ惚れするわね」
壮観でない訳がない。幻想郷が誇る無法者どもが揃い踏みなのだ。
だが臆する事などありはしない。対するこちらの手札は七曜、時空、破壊に運命。主張するほど気の利かない門番もいるし、にっこり笑って本のカドでド突く容赦のない司書もいる。これだけのカードが揃っているのだ。無様を晒せば即ち主の無能を証明するだろう。
「さあメインイベント。各自夜を盛り上げなさい。夜明けは近い。ノリ遅れると損するわよ」
号令は美鈴の震脚。
ばらばらとナイフを纏った咲夜が消える。
パチェの唱える火だの水だのが螺旋を描いて天を穿つ。
四方に散ったフランが思い思いに遊びだし、小悪魔がテラスのガーデンテーブルに六法全書を次々と並べていく。
素晴らしい。今宵はなんと素晴らしい夜だ。
ノリの良い面子に祝福を。ポッキーゲームも悪くはないが、ハロウィンとはかくあるべきだ。
容赦ない彼女らに喝采を。弾幕ごっこは幻想郷の華だ。宴のシメは壮大に弾けようではないか。
「それじゃ私も遊びましょうか」
とりあえず吸血鬼幻想でも謳い上げて、いくらか弾幕を相殺しよう。しかる後、神槍をグルグル回転させて残りの弾幕を弾けるか試してみよう。見た目はアホらしいが、フランの部屋にあったコミックでオールを回していたオッサンは非常に楽しそうだった。あんな笑顔が飛び出すほどの愉悦ならば、一度は体験しておきたいものである。
「今夜のお相手は選り取り見取りね」
ハロウィンの夜に当家へようこそ。見ればそれぞれ遣る方無い思いを抱えて来訪された御様子。されど心配御無用。その勢いこそが宴を盛り上げるのです。
ま、腹ペコどもには闇鍋を振舞った上で戦利品によるビンゴゲームでも開いてやれば、勝手にホクホク顔で帰っていくだろう。勿論私が満足するまで弾幕ごっこに付き合ってもらった上での話になるが。
最後に最大の感謝を幻想郷の愛すべき隣人達に。
彼女らの財産と煮え滾る思いがなければハロウィンは成功しなかったのだから。
そして――ハロウィンは毎年やってくるのだから。
ちょっと冷静に考えれば紅魔館の人等すげー傍若無人なことしてて、被害者も復讐する気まんまんのラストがえっらいかっこいいじゃないですかっ! ふつふつと盛り上がってきましたよ! ちくしょう!(嬉
かっこよかったり最低だったり最高だったり燃えたり萌えたり笑ったり、最高の闇鍋でした。ごちそうさまです!
衰えるどころか切れ味増して帰ってこられたことを、心から嬉しく思います。GJ。
どいつもこいつもやりたい放題だなwwwwww
あと穿いてない
このテンションには敵いません!感服ですw
ツッコミどころをあげればキリがなく、変態のくせしやがってカッコいい台詞を吐く連中、何よりパチュリーのわけのわからないほどのカッコ良さが兎に角最高!
さらに読んでて気持ちの良い文章。
ご馳走様でした!
至高の駄目人間共が織り成す痛快な一夜、堪能させていただきました。
それぞれの手練手管を繰り出しての収奪シーンもさることながら、
最後に全員がそろって馬鹿騒ぎ、という流れがとても素敵です。
いいSSでした。ありがとうございます。
なんという混沌
正統邪道、ガチに壊れにカリスマ降臨。正に闇鍋…魔女の大釜の名に恥じぬ極上のカオスっぷりでした。
だけど何といっても一番最高だったのは霊夢かもしんない(笑)
悪魔とゆかいな仲間達の素敵なハロウィーンパーティー、堪能させて頂きました。深く考える必要なし、笑えば勝ちですこの話。無論読者が。
素敵な話をありがとうございます、さーもう一回読もう~♪
>穿いてない
魅惑のワードですね(何)
実に素晴らしい
負けた。もう負けた。麗しき紅い館の素晴らしき住人達に百の呪詛と億の祝福を
相変わらず冷静に外道ですね。
その文才少しは分けて欲しいものです
氏の作品がさらに鋭くなってかえってきましたね。ずっと待ってましたよ!
勿論満点の面白さでしたぜ!!!!11
霊夢とレミリアの戦闘も、話を落とすための山場という印象が強くて…勝つ方が判ってる戦闘描写は長ければ長いほどダレちゃいますし、ネタの見せ方にしても弱かったように感じてしまいました。
相変わらず鋭く畳み込むようなギャグが素敵だったので、エピソードの流れでも もう少し翻弄して欲しかったのですよ><
てーか、えーりんお母さんの心づくしを闇鍋にしちまっていいのかと小一時間。
大好きだコンチクショウ!
ひとつひとつの小ネタでも充分SSを一本書けるだけのヴォリュームがあるのに
このまとめ具合なので、ただただ感服するしかありません。
やっぱり知識や経験なんだろうなーと思います。パスタの名前とかBGMとか
慣用句とか魔道書の名前とか。そういう積み重ねがより現実感と幻想感を
私達に提供してくれるのかと。もう、本当に楽しいひとときでした。
あと穿いてない。
てか、魔理沙の勝負下着ってドロワーズなのかよ!w
あとえーりんお母さんのは鍋に入ってないですよん
面白かったです。
何が良い悪いじゃない、笑えました。
更に上を目指して、読者を笑わせてください。
「なんだと!?穿いてない・・・だと・・・よろしい天狗を呼べ」
あと穿いてない
吸血鬼は蝙蝠、鼠、狼、霧などに化けるという伝説からだと思われます。
この話のフランが異変の犯人を教わっていないというだけで、作者さんはご存知なのかもしれませんが…
重箱を鍋に入れなかったので、重箱の隅の話はまあいいか…
霊夢戦とラストの部分が僅かに冗長となっていたので、個人的には同じ展開でももっと締められるかなぁと思いましたが、それでも面白かったのには変わりなく。その異次元的な発想と言語センスを分けてくだs(ry
これからも突っ走って下さいませw
だがパチェのはっちゃけぶりに爆笑し、咲夜と永琳の話とかに癒されたのでこの点数をば。
細部の感想に異論があるのは承知で。しかしそれでも全てが上手く綺麗にまとまっているのはお見事です。並みの文才ではその手綱、御し得ないことでしょう。
大胆な描写とさりげなくも深い薀蓄、引き締まった話の構成に充実したひと時を過ごせました。
更に発展した次回作に期待をさせていただきます。
こんなに長い文章をたくさんの方に読んでいただき、感謝の言葉もありません。〝ありがとう〟と〝お疲れ様〟の気持ちを軽くミキサーにかけて進呈させて下さい。
>らくがん屋様
恐れ多いお言葉です。が、やはりそう言われると嬉しいものです。こちらこそ貴方様の比類なきSSを楽しませていただいておりますので尚更に。
>名前が無い程度の能力様(2006-08-25 20:55:58)
くわ。そうでした。霧はレミリア産でした。何でこんな基礎を頭から抜いてしまったのだろう。パチェの霧が紅かったらホントに吐血ですよ……。非常に悔しく、申し訳ないです。ともあれご指摘ありがとうございました。
>床間たろひ様
>名前が無い程度の能力様(2006-08-25 02:46:02)
全く以って貴見のとおりです。ここをもっと綺麗にもっていけたら全体が締まった気がします。まだまだ修練が足りないですね。貴重なアドバイスをありがとうございました。
各騒動も紅魔館方があまりに好き放題やっちゃってて
騒動というより、展開が一方的すぎる所にくどい文だったので
よけいそう感じたのでしょうか。
結果が決まってるならもう少しスマートにするか
さもなければ紅魔館方にもっと苦労してる描写があればと思いました。
楽しい時間をありがとうございます。
後編の各人の視点からの語り口っがまた良いんだな。
地味に場を盛り上げる小悪魔の使い方がうまいなぁと思いました。
とにかくあら捜しなんて野暮なこと(失礼)は考えずに笑わせてもらいます。
そして次なる幻想の変態空間が何時の日か拝ませていただきたいな、と。
つか、「魔力を含む腋の下」でマジで死ぬかと…。
あとこんなパチュ見たこと無い!こんなに狂ってるのにカッコよすぎ!!
闇鍋ごちそうさまでした。
もうどこが狂ってるのか判らないくらい全部狂ってるwwwwww
さりげなくフランの「…ていん?」に萌えた…が!
なによりアクティブかつ絢爛舞踏なパチュがカッコ良すぎて
胸キュンが止まらないですよwwwwww
色々なめんなよーな事があってもこういう終わり方になるオチが大好きです。
ちょっと全日本ナイトメアされてきます。
この楽しい愉しい可笑しい狂おしい宴を覗いた私を、幸せと言わず何と言おう。
極上の闇鍋、ご馳走様でした。
穿いてない方々は大丈夫だろうか?
どう見ても坊主です、本当に(ry
非常に細かいのですが、前編で一つだけ気になった点を。
>三分の一拍子のヴィニーズワルツが~
音楽における拍子の分母には基準になる音符(2分/4分/8分etc…)が入りますので、この場合四分の三拍子が正しいと思われます。
素敵な闇鍋、ありがとうございました。
全編通して一番のツッコミ所だと思った。
ご指摘ありがとうございます。……私は小学校の音楽で何を学んでいたんだろう。先生は確かに貴方と同じ事を仰っていたというのに、私の記憶に残っているのは埃っぽい音楽室の匂いと、ミルクプリンみたいで美味しそうだったオルガンの鍵盤の光沢のみ。ちょっとひとっ走り修正してきます。
>薄様
某掲示板のとあるスレでも語られていましたが、腋って月+夜なんですよね。魔力やロマンスがギッシリ詰まっていても、そりゃあ無理もないってものです。
>ムク様
覚えていてくださったとは。あの日奇行の果てに炎上したネコじゃらしも、草葉の陰で喜んでいる事でしょう。貴方様の記憶に根を張ることが出来たのですから。
あとパチュリーwww
しかしハロウィンというかもはやサバトですなぁ。
紅魔館恐るべしですわ。
兎にも角にも素敵な悪魔の宴、堪能させて頂きました(礼
でもって全く違和感がないのか。
脱帽。平伏。私は神を見た。
個人的にハイパーなぱちぇがMVP
割と楽しんでる慧音さんに顔をほころばせたり、お母さんなえーりんにほわほわしたり・・・
・・・という流れの全てを盛大に、粉微塵に、完膚なきまでにぶち壊して回る色々と暴走しまくりなパチュリー様がなんともまた・・・
笑死寸前まで爆笑しまくらせていただきました。あらゆる意味でとてつもない闇鍋、ご馳走様です。
作品そのものが良質な闇鍋のように思えます。
特にダウト中の蝉丸混入には大爆笑しました。
こんなに長時間笑いが止まらなかったのは久方ぶりです。
ご馳走様でした!
まさか、お嬢様のハイキックの時か?
みんな、なんて生き生きとしてるんだろう。
紅魔メンバーが思う存分ハロウィンを満喫している様が素敵すぎます
カリスマレミリア様サイコォー!
巧みで楽しいエンターテイメントでした♪
パチェ&魔理沙の西部劇、レミリアお嬢様の悪巫山戯などなど、傍若無人で最高の魔宴に乾杯!
吹きました。www
ていうか暴れすぎ。だがそれがいい
実にいい!
>やっぱりパチェだ。常識人には出来ない事を平然とやってのける。そこにトキめく。グッとくる。
そしてこのセリフがめちゃ気に入ったw
前振りから〆まで見事でした。
時間を忘れて読んじゃいましたよ!
投げられるのもド突かれるのも読まされるのも嫌ああああああ
決戦直前のこーりんがかっこよく思えた
すごいぞ冬扇さん!常識人には出来ない事を平然とやってのける。そこにトキめく!!グッとくる!!!
幻想郷の住人を巻き込んだ最悪かつ最高なハロウィンの夜に乾杯。
最高すぎるあんたらwww
サイッコーッに楽しんでたなwww
何度も笑わせて頂きました。ごちそうさま。
小悪魔や咲夜さんの戦利品完全版が見れなかったことだけが心残り。
エンジョイ&エキサイティング、堪能させていただきました。
紅い闇鍋魔の宴!!
最高に愉快&痛快でした!!
貴方は、天才です。
蝉丸に爆笑したwwww
なんだろう、口では言い表せないとかそんな言葉じゃ無礼になるような
感動、感激、衝撃、ぴったり当てはまる言葉が見つからない・・・・
うまく言い表せない自分が憎いです
心にZUNッとくる闇鍋でした、ありがとう!
みんな生を謳歌してやがるぜ!!最高!!
穿いてない人の所へwww
>「パンがないなら歴史を食べればいいじゃないか」
>『ねえイナバ。あのイナバとそのイナバが言っていた例のイナバによるイナバの為のハバナ産バナナをそこのイナバに岩場に運ばせるようイナバ達に言いつけておいて』
>IQが5以上あれば分かる。1から13までの間に蝉丸はいない。
蝉丸のインパクトがでかすぎて後半のギャグは切れが悪く感じてしまった
ここで腹筋がブレイクしたw
腹痛ェwwwwww
いいオブジェだwww
そしてパチュリーが覚醒すぎるwwww
こんな紅魔式ハロウィンいいなあ
あとがきの賑やかなほのぼの感もとても素敵です。
気づけば地味に永×咲…?
こたつの天板をしっかりパクッてくる小悪魔のえげつなさと
ここまで生き生きとしているパッチェさん初めて見ました。
とても面白かったです100点!
堪能させていただきました。
上海アリス盗賊団だろ?w
存分に笑わさせてもらいましたwwえーりんの咲夜に対する優しさにニヤニヤしてしまったw
腹筋が酷い事になりました
あ、メルランさんはなんか言ったw
プレゼントはひまわり妖精にw
たのしかった、ありがとうございます