今日も今日とて宴が終わる。
「あー、頭痛いぜ……」
朝焼けを背に浴びながら、私こと霧雨魔理沙はグラグラする頭を片手で支えた。
完全に二日酔いだ。呑み過ぎた。毎度の事ながら、この気持ち悪さは慣れやしない。だが、こうなる事を分かってて呑み過ぎるんだから、自業自得だな。
キョロキョロと周囲を見渡してみる。いやはや、自分にとって馴染み深い神社の境内は、見るも無残な地獄絵図と化していた。
ゴミだらけという表現が相応しい光景だが、特に目立つのは、やけに多い空の一升瓶と、酔い潰れて地べたに雑魚寝している魑魅魍魎たち。夜通し呑みまくってたんだから、まぁこんな光景もありだ。て言うか見飽きたな。さすがに三日に一度のペースで、こんな大宴会はやりすぎだぜ、ホント。
……少し寝すぎたか。もう大半の参加者が退散している様子だった。
しかし、この光景はなかなかに楽しいものだ。油断も隙もない連中だが、こんな時くらいは綻びが見える。
妖夢の半妖をかじってる幽々子と、そのせいでか知らんが悪夢にうなされる庭師。お手製の人形を大事に抱えて幸せそうに眠るアリス。あーあー、レミリアに到っては朝日に焼かれて煙出してるぜ、いや灰になってんのか、ハハハ。……シャレにならん、従者は何処行ったんだよ? …………おいおい、何で桜の枝にぶら下がって寝てんだ!? トンでもないな、完全で瀟洒なメイド長もこれじゃ形無しだ。とりあえずお嬢様は日陰に転がしておこう。ほっといたら赤い目をした狂人にナイフの雨をリボン付きでプレゼントされかねん。
さて、帰るとするか。メイド長がああなった経緯とかが非常に気になるが、どうせ言及は無理だし。うーむ、私が寝てる間に起こった事件なのか、はたまた覚えていないだけか。いずれにしても惜しいぜ。
「おや、おはよう幹事さん。ようやくお目覚め?」
背後から、突然声が聞こえてきた。あまり聞き慣れないので一瞬誰の声だか分からなかったが、聞き慣れない声なんてどうせ一つだから、声の主は瞬時に分かった。
「あー、ようやくお目覚めだぜ」
振り返って挨拶して、私は思わず顔を顰めた。
縁側で胡坐をかいていたそいつは、未だ顔を赤くして頭をフラフラさせていた。
「まだ呑んでるのか?」
「呑み足りないよ。と言うより、年がら年中呑んでないと調子でないんだよね」
なんて言うのは鬼っ子の萃香だ。酒が無限に溢れ湧いてくるという不思議アイテム『伊吹瓢』を口に付けてガブ呑みしてる。見てるほうが気分悪くなるぜ……。こっちは呑みすぎて苦しんでるのに……。
「みんな弱いねー。まあ、鬼と満足に飲み明かせる生き物なんて、天狗くらいしかいないんだけどね」
「いや実際大したモンだぜ。そんだけ酒が呑めりゃ、人生楽しいだろうなぁ」
「人間じゃないから人生じゃないわよ。それにあまり呑めてもねぇ……。呑むのが当たり前だから、あんまり楽しいって感じた事ないし。宴会は楽しいけど。むしろ酔い潰れるって事ができるあんた達の方が楽しそうよ。適度にしか呑めないからこそ楽しいんじゃない、お酒って?」
「そんなモンかね……」
私としては、やっぱりもっと呑めた方が楽しいと思うけどなぁ。現に酔い潰れなかったら、メイド長の無様なお姿を拝見できたと思うんだが……。…………今も充分に無様で愉快だけどな。
ま、鬼と人間じゃ呑める量が次元違いすぎるからな、酒に対する価値観が違いすぎるか。
さすがは鬼だな。なんて考えると、もう幻想郷にすら居なくなった鬼が、当たり前のように神社に棲みついている事実が凄いなぁと、改めて感心してしまった。
尤も、それを当たり前のように現実にしてしまうのが、ここの家主なのだが。
萃香は私に興味をなくしたのか、境内全体を観察するようにキョロキョロしながら呑み始めた。宴のあとの余韻を、この光景で楽しんでるんだろう。邪魔しない内に帰るかなー。
「っと、そういや霊夢は?」
箒に跨ったところで、この神社の主の姿を見ていない事に、ようやく気がついた。
「奥にいるわよ」
萃香が、どこかぼんやりとした口調で答えてくれた。
起きてるのか。挨拶くらいして帰るかな。ついでに、次回の宴会の日取りをパパッと決めるくらいはするか。
私は箒から降りて、縁側から屋内へと入った。
「うっ」
踏み入った瞬間、身が硬直した。
全身の血管が、血液の代わりに氷水を巡らせているような錯覚を覚える。霊夢の居場所は、その悪寒の元を辿って行けばすぐにわかった。
……ヤバイぜ。割と本気でキレ気味だ。
それは背中を見ればよくわかった。霊夢は台所で、目に見えかねない程の不機嫌オーラを、背中から発していた。いや、アレはむしろ殺気に近い。というより、あの背中が殺気そのものだ。おそらくは視界に入った生命を八つ当たりでぶちのめしてから、初めて霊夢になるのだろう。
何してんだ? 思ったが、洗い物をしてるんだろうとすぐに思い至った。
怖くて近寄れん。声を掛けれんじゃないか。なんであんなに機嫌悪いんだ?
なんて考えて、これもすぐに答えに行き着いた。あんだけ食えや呑めやで騒いでおいて、後片付けがあいつ一人じゃ、温厚で寛大で愛らしい私でもキレる。そりゃ、誰も片付けなきゃ片付くわけないしなぁ。毎度毎度、片付けは此処に住んでるあいつがやらなきゃいけないわけだ。
我ながら酷い話だ。今までまったく気づかなかった。
「霊夢」
私は意を決して声をかけた。だが近寄れない。あの不機嫌な気は結界と同意だった。
「なによ、起きたの?」
不機嫌は不機嫌なまま、包み隠すつもりはさらさらないぜと言わんばかりの目付きで私を睨み付ける霊夢。
私は気圧された。
正直に怖いと思ったさ。私と霊夢は割と付き合いが長いから、霊夢の怖さをよく知っている。運命を操る吸血鬼より、死を手中にしている亡霊よりも、私は本気の霊夢が怖い。
無意識に身を退いていた。
何が怖いって、その不機嫌の原因は、私たち全員だって事だ。
「か、帰ろうかと思ってな。その前に、次の宴会いつにするかって話し合おうかと思いまして……」
最後が何故か敬語になった。
「勝手にすれば? どうせいつも勝手にしてるんだし」
「ん。そうか……」
思わず言葉に詰まった私を意にも介さず、霊夢は再び手を動かした。どうも相手にする気がないらしい。
だが、まったくもって霊夢の言う通りさ。意思に反する宴会騒ぎ、あの妖霧の件は、霊夢が鬼退治をする事で決着がついた。にも関わらず、私たちは霊夢の都合お構いなしで、勝手気ままに宴会騒ぎ。結局のところ、萃香の能力関係なしに、私たちは霊夢に負担をかけていたわけだ。
霊夢の奴は、既に私が傍にいる事を忘れてしまっているかのようだった。
誰も霊夢に手を貸さず、ただ一人黙々と、延々と、他人が散らかした境内を片付けている。
誰もこの事実に気づかなかったのか? 誰一人として手伝わなかったのか? 私一人だけ抜けてた可能性も捨てきれないが、現に今、片付けをしてるのはあいつ一人で、参加者の大半は既に帰ってしまってるわけで……。
今もまた、私を拒絶するかのように一人。私を当てにもせず、一人で他人の尻拭いみたいな事をやっている。
――――その背中に、私はあいつの本質を見た気がした。
「……」
とても声を掛けられる雰囲気じゃなかったので、私は諦めて外へと戻った。
萃香はさっきから呑みっぱなしで、境内の風景は何一つ変わっていなかった。
みんな、アホのように無防備に眠っている。
改めて、ここにはいろんな奴がいるなと思う。
吸血鬼だの幽霊だの魔女だの妖怪だの、挙句幻想郷から消え去った鬼ですら、みんな霊夢に惹かれて此処に来る。
それが博麗霊夢の本質だ。どんな枠にもはまらない無重力少女。だからこそみんなを惹きつける。種族を問わず、相容れない者同士ですら、こうやって酒の席を共にする間柄にしちまってる。これはとんでもない事だと思う。
けどこれもまた本質。誰一人としてあいつを手伝わないという現実。誰彼構わず平等に接するアイツは、もしかしたら、誰の事も仲間とか、友人だとか、そういう風に見ていないんじゃないか? 誰にも、そういう風に見られていないんじゃないか?
あいつにとって、誰が傍にいても一人であるのと変わらないんじゃないか?
そういえば、と。私は今更ながらに、あいつが一人で暮らしている事実を実感した。
宴会に集まったメンツでは、私が一番付き合いが長い。けれどそれでもあまり昔のことを知らない。あいつは、いつから一人で此処に住んで、あの縁側で茶を啜ってたんだろうか?
「……」
「帰るか」
「……帰る……か」
数刻後。
「アンタ、自分がどれほど信じられない事してるかわかってる?」
恐怖の表情すら浮かべて、霊夢はゴミ袋を片手に持つ私を見ていた。
「失礼な奴だな。自分が散らかしたゴミを拾って何が悪い?」
私でも、たまには気まぐれにこんな事をする事だってあるって事だ。
が、こいつは全然信じられないらしい。
「……頭打ったんじゃないの?」
「熱を測るな」
「……夢?」
「いててててててて! つねんな! 自分の頬つねれ!!」
「アンタ偽者ね!?」
魔砲ぶちかましたろうか?
まったく、珍しく気が変わってこんな事をした仕打ちがコレか。二度と手伝わないと固く誓おう。
「ま、良いけど」
不審の眼差しを向けていた霊夢は、あっけなく私に背を向けて、別の場所の掃除を始めた。
二人がかりでも、片付く頃には日が完全に昇りきり、みんなもとうに帰っていった。
霊夢はとりあえず、いまだ呑んだくれてる鬼を睨みつける。
「アンタ、手伝うって言ってなかったっけ?」
「宴会が終わった後の片付けでしょ? 私の宴会はまだ続いてるわ」
「殺すわよ」
アホな理屈をこねる萃香はおいといて。
ホントに誰も手伝わなかったなあ。メイド長は手伝ってくれそうな態度だったが、レミリアが早々に帰るっつーもんだから一緒に帰ったし。
みんな、こいつに惹かれてここに集まってるんじゃないのかねぇ……。
実はみんな上辺だけなのか、霊夢の態度が何処かでみんなを拒絶しているのか。
……なんだか、妙に気分が悪くなってしまった。
§
あれから割と考えた。
色んな奴を集める霊夢。けれど誰も寄せ付けない霊夢。
霊夢にとって、私はなんだ? 私にとって、霊夢はなんなんだ?
答えはまったく出なかった。危うく知恵熱出してぶっ倒れるくらい考えても、答えは出なかった。
数日後、場所は香霖堂。なんとなく神社に行き辛くなってしまった私は、他の場所へ行ったり来たりしていた。
だんだんと回数の減ってきた宴会は、次回は今日から三日後だ。勿論私が幹事。場所は言うまでもなく博麗神社。それまでに、私はとりあえずでも納得のいく答えを見つけ出し、とりあえず霊夢と顔を合わせても平気でいられるようにしなくちゃいけなかった。
「なあ香霖」
で、とりあえず聞いてみる事にした。
「なんだい?」
店の品物を整理している香霖は、作業を続けたまま返事をした。
私はというと、勝手に店の奥に上がって、勝手に煎餅をいただいている。
「香霖にとって、霊夢ってなんだ?」
この位置から香霖の姿は見えないが、なんとなく目を丸くしているだろうと予感した。
「また、穿った問いだね。どうしたんだい?」
「別に。どうなんだよ?」
「さて……。考えてみると難しい問いのような気もするし、別に改めて考えるまでもない問いのような気もする」
無駄にもったいぶる奴だ。頼むから難解な返答は勘弁してほしい。いい加減知恵熱出しすぎて、今でも顔が火照ってるんだから。
「僕は知ってのとおり、古道具屋を営んでいる営業者だ。大抵の来訪者はお客様だね。勿論君は例外だ。だが彼女も、客と呼べるかは謎だね」
確かに。店の品物持ってくけど、金払ってないからな、アイツ。
「突然押し入ってきて、たまに品物壊して、お茶や茶菓子を喰らって、面倒事を押し付けてくる娘を、一言で表現するにはどうしたらいいと思う?」
「非常に難しい問題だな」
「だろう? けど、僕にとって彼女の存在は至極単純なものだ。赤の他人にしては親しいし、客でもないのなら、多分『友人』と答えるのが正解だろう」
遠まわしでありながら、本当に簡単な答えだった。
「だよなぁ……」
私だって、今回の事がなければ、特に深くも考えずにそう答えただろうし。
「じゃあ、霊夢にとって、自分はなんなんだと思う?」
そう問うと、今度は大きな唸り声を発してきた。
「それこそ難解な問いだね。彼女に友人と思われているかというと、正直なところ疑わしい。彼女にとって僕はただの古道具屋の店主か、便利な知人か……。まぁ、僕が考えても分かるはずがない。その答えを知りたければ、僕じゃなくて霊夢本人に聞くべきだ」
そりゃまたこの上なく単純な回答だ。しかも非の打ち所のない正論。こりゃ愚問だったかな。
「けれど、それは霊夢に限った事じゃないね。魔理沙にとって僕がどういう人物なのかは、僕には知りようもないし、紅い館の従者さんも、冥界の庭師さんも、僕をどう思っているかなんてわかる筈がない」
「まぁ、そうだよな……」
「結局、それは人間に限らず、すべての生き物にとっての永遠の疑問だろう。他人がどう思っているかなどわからない。所詮は、自分に対する態度で、こっちが勝手に解釈するだけなんだから」
まさにその通りだ。で、だからこそ私は悩んでいる。
一人で片付ける事に憤慨しながら、それでも手伝えとすら言わなかった博麗霊夢。
じゃあ私はあいつにとってなんだってんだよ? ホントに友人なのか、私たちは?
それが一番引っかかってるんだ。台所で見た背中とか、最初の会話以外、私なんていないかのような振る舞いでゴミを片す姿とか。
いつも通りのあいつなのに、なんであんなに寂しく見えちまうんだよ。
簡単だ。それはあいつが寂しがってるんじゃなくて、一人でも平気なあいつに、私が苛立ってるからだ。
……畜生、難しいなぁ。
こう考えてみると、あいつは規格外の存在なクセして『人間そのもの』を具現した者のようにも思えてしまう。誰も知らない、誰にも分からない。誰もが持ちうる個の本質にして他者にとっての永遠の謎。そして本当の意味での孤独。
……アタマ痛い……。あー、もう勘弁してくれぇ……!
「珍しく悩んでいるね」
頭を抱えていると、すぐそばまで香霖が来ていた。
私の向かい側に座って、いつの間にか淹れていた自分のお茶を啜り、私の目の前においてあった煎餅を奪って食べ始める。
「失礼な奴だな。私だって考え事くらいするぜ、年頃の女の子なんだし」
それとは関係のない悩みな気もするがな。
「アレだね。自覚はしてるんだろう、ガラにもなく考えすぎているって」
無言で頷く。煎餅をボリボリ食べる。
「さっきの話の続きだが……」
「ん」
「僕にとって、彼女が僕をどう思っているかなどどうでも良いと思ってる」
「なんでだ?」
「僕にとっては友人だからさ。それで充分だし、もし仮にあっちがそれを迷惑に思って拒絶したとしたら、僕の中でも友人ではなくなるだろうし」
要するに、大事な事は自分の気持ちの方だろうと、香霖がそう言いたいことくらい、私にもわかる。
「霊夢と何があったかはしらないがね。普段の君なら気にもするまい。他人がどうだろうと知ったことか、自分は自分の気持ちに素直であればいい。と言うのが君だろう。気持ち良いほどに自己中心的だね」
「それが信条だからな」
「すばらしい」
ささやかな拍手を送ってくれる香霖を無視。
分かってはいる。考えるまでもない事だって事くらいは。特に私にとってはな。
「もっと単純に考えてみれば、おのずと答えは見えるかもしれないね」
「単純に、か」
まぁ、考え込んでいるのを含めて、すべてがらしくない。
「気分転換してくる」
「行ってらっしゃい」
言うや否や、私は香霖堂から飛び出した。
頭空っぽにするなら、クタクタになるまで動き回るのが一番だと思ったんだ。
「あー、頭痛いぜ……」
朝焼けを背に浴びながら、私こと霧雨魔理沙はグラグラする頭を片手で支えた。
完全に二日酔いだ。呑み過ぎた。毎度の事ながら、この気持ち悪さは慣れやしない。だが、こうなる事を分かってて呑み過ぎるんだから、自業自得だな。
キョロキョロと周囲を見渡してみる。いやはや、自分にとって馴染み深い神社の境内は、見るも無残な地獄絵図と化していた。
ゴミだらけという表現が相応しい光景だが、特に目立つのは、やけに多い空の一升瓶と、酔い潰れて地べたに雑魚寝している魑魅魍魎たち。夜通し呑みまくってたんだから、まぁこんな光景もありだ。て言うか見飽きたな。さすがに三日に一度のペースで、こんな大宴会はやりすぎだぜ、ホント。
……少し寝すぎたか。もう大半の参加者が退散している様子だった。
しかし、この光景はなかなかに楽しいものだ。油断も隙もない連中だが、こんな時くらいは綻びが見える。
妖夢の半妖をかじってる幽々子と、そのせいでか知らんが悪夢にうなされる庭師。お手製の人形を大事に抱えて幸せそうに眠るアリス。あーあー、レミリアに到っては朝日に焼かれて煙出してるぜ、いや灰になってんのか、ハハハ。……シャレにならん、従者は何処行ったんだよ? …………おいおい、何で桜の枝にぶら下がって寝てんだ!? トンでもないな、完全で瀟洒なメイド長もこれじゃ形無しだ。とりあえずお嬢様は日陰に転がしておこう。ほっといたら赤い目をした狂人にナイフの雨をリボン付きでプレゼントされかねん。
さて、帰るとするか。メイド長がああなった経緯とかが非常に気になるが、どうせ言及は無理だし。うーむ、私が寝てる間に起こった事件なのか、はたまた覚えていないだけか。いずれにしても惜しいぜ。
「おや、おはよう幹事さん。ようやくお目覚め?」
背後から、突然声が聞こえてきた。あまり聞き慣れないので一瞬誰の声だか分からなかったが、聞き慣れない声なんてどうせ一つだから、声の主は瞬時に分かった。
「あー、ようやくお目覚めだぜ」
振り返って挨拶して、私は思わず顔を顰めた。
縁側で胡坐をかいていたそいつは、未だ顔を赤くして頭をフラフラさせていた。
「まだ呑んでるのか?」
「呑み足りないよ。と言うより、年がら年中呑んでないと調子でないんだよね」
なんて言うのは鬼っ子の萃香だ。酒が無限に溢れ湧いてくるという不思議アイテム『伊吹瓢』を口に付けてガブ呑みしてる。見てるほうが気分悪くなるぜ……。こっちは呑みすぎて苦しんでるのに……。
「みんな弱いねー。まあ、鬼と満足に飲み明かせる生き物なんて、天狗くらいしかいないんだけどね」
「いや実際大したモンだぜ。そんだけ酒が呑めりゃ、人生楽しいだろうなぁ」
「人間じゃないから人生じゃないわよ。それにあまり呑めてもねぇ……。呑むのが当たり前だから、あんまり楽しいって感じた事ないし。宴会は楽しいけど。むしろ酔い潰れるって事ができるあんた達の方が楽しそうよ。適度にしか呑めないからこそ楽しいんじゃない、お酒って?」
「そんなモンかね……」
私としては、やっぱりもっと呑めた方が楽しいと思うけどなぁ。現に酔い潰れなかったら、メイド長の無様なお姿を拝見できたと思うんだが……。…………今も充分に無様で愉快だけどな。
ま、鬼と人間じゃ呑める量が次元違いすぎるからな、酒に対する価値観が違いすぎるか。
さすがは鬼だな。なんて考えると、もう幻想郷にすら居なくなった鬼が、当たり前のように神社に棲みついている事実が凄いなぁと、改めて感心してしまった。
尤も、それを当たり前のように現実にしてしまうのが、ここの家主なのだが。
萃香は私に興味をなくしたのか、境内全体を観察するようにキョロキョロしながら呑み始めた。宴のあとの余韻を、この光景で楽しんでるんだろう。邪魔しない内に帰るかなー。
「っと、そういや霊夢は?」
箒に跨ったところで、この神社の主の姿を見ていない事に、ようやく気がついた。
「奥にいるわよ」
萃香が、どこかぼんやりとした口調で答えてくれた。
起きてるのか。挨拶くらいして帰るかな。ついでに、次回の宴会の日取りをパパッと決めるくらいはするか。
私は箒から降りて、縁側から屋内へと入った。
「うっ」
踏み入った瞬間、身が硬直した。
全身の血管が、血液の代わりに氷水を巡らせているような錯覚を覚える。霊夢の居場所は、その悪寒の元を辿って行けばすぐにわかった。
……ヤバイぜ。割と本気でキレ気味だ。
それは背中を見ればよくわかった。霊夢は台所で、目に見えかねない程の不機嫌オーラを、背中から発していた。いや、アレはむしろ殺気に近い。というより、あの背中が殺気そのものだ。おそらくは視界に入った生命を八つ当たりでぶちのめしてから、初めて霊夢になるのだろう。
何してんだ? 思ったが、洗い物をしてるんだろうとすぐに思い至った。
怖くて近寄れん。声を掛けれんじゃないか。なんであんなに機嫌悪いんだ?
なんて考えて、これもすぐに答えに行き着いた。あんだけ食えや呑めやで騒いでおいて、後片付けがあいつ一人じゃ、温厚で寛大で愛らしい私でもキレる。そりゃ、誰も片付けなきゃ片付くわけないしなぁ。毎度毎度、片付けは此処に住んでるあいつがやらなきゃいけないわけだ。
我ながら酷い話だ。今までまったく気づかなかった。
「霊夢」
私は意を決して声をかけた。だが近寄れない。あの不機嫌な気は結界と同意だった。
「なによ、起きたの?」
不機嫌は不機嫌なまま、包み隠すつもりはさらさらないぜと言わんばかりの目付きで私を睨み付ける霊夢。
私は気圧された。
正直に怖いと思ったさ。私と霊夢は割と付き合いが長いから、霊夢の怖さをよく知っている。運命を操る吸血鬼より、死を手中にしている亡霊よりも、私は本気の霊夢が怖い。
無意識に身を退いていた。
何が怖いって、その不機嫌の原因は、私たち全員だって事だ。
「か、帰ろうかと思ってな。その前に、次の宴会いつにするかって話し合おうかと思いまして……」
最後が何故か敬語になった。
「勝手にすれば? どうせいつも勝手にしてるんだし」
「ん。そうか……」
思わず言葉に詰まった私を意にも介さず、霊夢は再び手を動かした。どうも相手にする気がないらしい。
だが、まったくもって霊夢の言う通りさ。意思に反する宴会騒ぎ、あの妖霧の件は、霊夢が鬼退治をする事で決着がついた。にも関わらず、私たちは霊夢の都合お構いなしで、勝手気ままに宴会騒ぎ。結局のところ、萃香の能力関係なしに、私たちは霊夢に負担をかけていたわけだ。
霊夢の奴は、既に私が傍にいる事を忘れてしまっているかのようだった。
誰も霊夢に手を貸さず、ただ一人黙々と、延々と、他人が散らかした境内を片付けている。
誰もこの事実に気づかなかったのか? 誰一人として手伝わなかったのか? 私一人だけ抜けてた可能性も捨てきれないが、現に今、片付けをしてるのはあいつ一人で、参加者の大半は既に帰ってしまってるわけで……。
今もまた、私を拒絶するかのように一人。私を当てにもせず、一人で他人の尻拭いみたいな事をやっている。
――――その背中に、私はあいつの本質を見た気がした。
「……」
とても声を掛けられる雰囲気じゃなかったので、私は諦めて外へと戻った。
萃香はさっきから呑みっぱなしで、境内の風景は何一つ変わっていなかった。
みんな、アホのように無防備に眠っている。
改めて、ここにはいろんな奴がいるなと思う。
吸血鬼だの幽霊だの魔女だの妖怪だの、挙句幻想郷から消え去った鬼ですら、みんな霊夢に惹かれて此処に来る。
それが博麗霊夢の本質だ。どんな枠にもはまらない無重力少女。だからこそみんなを惹きつける。種族を問わず、相容れない者同士ですら、こうやって酒の席を共にする間柄にしちまってる。これはとんでもない事だと思う。
けどこれもまた本質。誰一人としてあいつを手伝わないという現実。誰彼構わず平等に接するアイツは、もしかしたら、誰の事も仲間とか、友人だとか、そういう風に見ていないんじゃないか? 誰にも、そういう風に見られていないんじゃないか?
あいつにとって、誰が傍にいても一人であるのと変わらないんじゃないか?
そういえば、と。私は今更ながらに、あいつが一人で暮らしている事実を実感した。
宴会に集まったメンツでは、私が一番付き合いが長い。けれどそれでもあまり昔のことを知らない。あいつは、いつから一人で此処に住んで、あの縁側で茶を啜ってたんだろうか?
「……」
「帰るか」
「……帰る……か」
数刻後。
「アンタ、自分がどれほど信じられない事してるかわかってる?」
恐怖の表情すら浮かべて、霊夢はゴミ袋を片手に持つ私を見ていた。
「失礼な奴だな。自分が散らかしたゴミを拾って何が悪い?」
私でも、たまには気まぐれにこんな事をする事だってあるって事だ。
が、こいつは全然信じられないらしい。
「……頭打ったんじゃないの?」
「熱を測るな」
「……夢?」
「いててててててて! つねんな! 自分の頬つねれ!!」
「アンタ偽者ね!?」
魔砲ぶちかましたろうか?
まったく、珍しく気が変わってこんな事をした仕打ちがコレか。二度と手伝わないと固く誓おう。
「ま、良いけど」
不審の眼差しを向けていた霊夢は、あっけなく私に背を向けて、別の場所の掃除を始めた。
二人がかりでも、片付く頃には日が完全に昇りきり、みんなもとうに帰っていった。
霊夢はとりあえず、いまだ呑んだくれてる鬼を睨みつける。
「アンタ、手伝うって言ってなかったっけ?」
「宴会が終わった後の片付けでしょ? 私の宴会はまだ続いてるわ」
「殺すわよ」
アホな理屈をこねる萃香はおいといて。
ホントに誰も手伝わなかったなあ。メイド長は手伝ってくれそうな態度だったが、レミリアが早々に帰るっつーもんだから一緒に帰ったし。
みんな、こいつに惹かれてここに集まってるんじゃないのかねぇ……。
実はみんな上辺だけなのか、霊夢の態度が何処かでみんなを拒絶しているのか。
……なんだか、妙に気分が悪くなってしまった。
§
あれから割と考えた。
色んな奴を集める霊夢。けれど誰も寄せ付けない霊夢。
霊夢にとって、私はなんだ? 私にとって、霊夢はなんなんだ?
答えはまったく出なかった。危うく知恵熱出してぶっ倒れるくらい考えても、答えは出なかった。
数日後、場所は香霖堂。なんとなく神社に行き辛くなってしまった私は、他の場所へ行ったり来たりしていた。
だんだんと回数の減ってきた宴会は、次回は今日から三日後だ。勿論私が幹事。場所は言うまでもなく博麗神社。それまでに、私はとりあえずでも納得のいく答えを見つけ出し、とりあえず霊夢と顔を合わせても平気でいられるようにしなくちゃいけなかった。
「なあ香霖」
で、とりあえず聞いてみる事にした。
「なんだい?」
店の品物を整理している香霖は、作業を続けたまま返事をした。
私はというと、勝手に店の奥に上がって、勝手に煎餅をいただいている。
「香霖にとって、霊夢ってなんだ?」
この位置から香霖の姿は見えないが、なんとなく目を丸くしているだろうと予感した。
「また、穿った問いだね。どうしたんだい?」
「別に。どうなんだよ?」
「さて……。考えてみると難しい問いのような気もするし、別に改めて考えるまでもない問いのような気もする」
無駄にもったいぶる奴だ。頼むから難解な返答は勘弁してほしい。いい加減知恵熱出しすぎて、今でも顔が火照ってるんだから。
「僕は知ってのとおり、古道具屋を営んでいる営業者だ。大抵の来訪者はお客様だね。勿論君は例外だ。だが彼女も、客と呼べるかは謎だね」
確かに。店の品物持ってくけど、金払ってないからな、アイツ。
「突然押し入ってきて、たまに品物壊して、お茶や茶菓子を喰らって、面倒事を押し付けてくる娘を、一言で表現するにはどうしたらいいと思う?」
「非常に難しい問題だな」
「だろう? けど、僕にとって彼女の存在は至極単純なものだ。赤の他人にしては親しいし、客でもないのなら、多分『友人』と答えるのが正解だろう」
遠まわしでありながら、本当に簡単な答えだった。
「だよなぁ……」
私だって、今回の事がなければ、特に深くも考えずにそう答えただろうし。
「じゃあ、霊夢にとって、自分はなんなんだと思う?」
そう問うと、今度は大きな唸り声を発してきた。
「それこそ難解な問いだね。彼女に友人と思われているかというと、正直なところ疑わしい。彼女にとって僕はただの古道具屋の店主か、便利な知人か……。まぁ、僕が考えても分かるはずがない。その答えを知りたければ、僕じゃなくて霊夢本人に聞くべきだ」
そりゃまたこの上なく単純な回答だ。しかも非の打ち所のない正論。こりゃ愚問だったかな。
「けれど、それは霊夢に限った事じゃないね。魔理沙にとって僕がどういう人物なのかは、僕には知りようもないし、紅い館の従者さんも、冥界の庭師さんも、僕をどう思っているかなんてわかる筈がない」
「まぁ、そうだよな……」
「結局、それは人間に限らず、すべての生き物にとっての永遠の疑問だろう。他人がどう思っているかなどわからない。所詮は、自分に対する態度で、こっちが勝手に解釈するだけなんだから」
まさにその通りだ。で、だからこそ私は悩んでいる。
一人で片付ける事に憤慨しながら、それでも手伝えとすら言わなかった博麗霊夢。
じゃあ私はあいつにとってなんだってんだよ? ホントに友人なのか、私たちは?
それが一番引っかかってるんだ。台所で見た背中とか、最初の会話以外、私なんていないかのような振る舞いでゴミを片す姿とか。
いつも通りのあいつなのに、なんであんなに寂しく見えちまうんだよ。
簡単だ。それはあいつが寂しがってるんじゃなくて、一人でも平気なあいつに、私が苛立ってるからだ。
……畜生、難しいなぁ。
こう考えてみると、あいつは規格外の存在なクセして『人間そのもの』を具現した者のようにも思えてしまう。誰も知らない、誰にも分からない。誰もが持ちうる個の本質にして他者にとっての永遠の謎。そして本当の意味での孤独。
……アタマ痛い……。あー、もう勘弁してくれぇ……!
「珍しく悩んでいるね」
頭を抱えていると、すぐそばまで香霖が来ていた。
私の向かい側に座って、いつの間にか淹れていた自分のお茶を啜り、私の目の前においてあった煎餅を奪って食べ始める。
「失礼な奴だな。私だって考え事くらいするぜ、年頃の女の子なんだし」
それとは関係のない悩みな気もするがな。
「アレだね。自覚はしてるんだろう、ガラにもなく考えすぎているって」
無言で頷く。煎餅をボリボリ食べる。
「さっきの話の続きだが……」
「ん」
「僕にとって、彼女が僕をどう思っているかなどどうでも良いと思ってる」
「なんでだ?」
「僕にとっては友人だからさ。それで充分だし、もし仮にあっちがそれを迷惑に思って拒絶したとしたら、僕の中でも友人ではなくなるだろうし」
要するに、大事な事は自分の気持ちの方だろうと、香霖がそう言いたいことくらい、私にもわかる。
「霊夢と何があったかはしらないがね。普段の君なら気にもするまい。他人がどうだろうと知ったことか、自分は自分の気持ちに素直であればいい。と言うのが君だろう。気持ち良いほどに自己中心的だね」
「それが信条だからな」
「すばらしい」
ささやかな拍手を送ってくれる香霖を無視。
分かってはいる。考えるまでもない事だって事くらいは。特に私にとってはな。
「もっと単純に考えてみれば、おのずと答えは見えるかもしれないね」
「単純に、か」
まぁ、考え込んでいるのを含めて、すべてがらしくない。
「気分転換してくる」
「行ってらっしゃい」
言うや否や、私は香霖堂から飛び出した。
頭空っぽにするなら、クタクタになるまで動き回るのが一番だと思ったんだ。