Anywhere but here(魔法使いには魔術書を)
【情報は足で稼げ】
[Side:Patchouli]
満月の晩まで一週間。
私たちは、外へと続く廊下を歩いていた。
「ねえ」
「なにかしら」
長く長く伸びている廊下と、そこを必死になって掃除しているメイド達を見て、アリス・マーガトロイドは言った。
「そもそも、メイドを減らしてその分空間も縮めれば、こんなにいらないんじゃないの?」
館内なのに、秋風が吹いた。運悪く彼女の言葉を聞いてしまったメイドの何名かが、突然の失業の危機に、恐れるような目を向けてくる。私にそんな眼をしても無駄なのだが。さっきのようなのも願い下げだが、だからといってこういう眼も好きになれないと思った。
「図書館のこと以外は、私の管轄ではないから」
「そう?」
「ええ」
実は、このことは以前にも考えなかったことは無いのだが、何故かレミィに話そうとする度に、その事を忘れてしまうのだ。以来面倒なので、その指摘はしないことにした。
「まあそれはそれとして」
深入りしないのは、彼女の美点かもしれなかった。
「私たちはどこに向かっているのかしら」
「門番隊の詰め処よ」
「まさか本人に直接きくの?」
「そんなことしないわ。館の調査の前に、どうしても話を聞きたい相手がいるの」
「美鈴様の噂、ですか?」
「ええ。美鈴のことならあなたにと小悪魔から聞いてね」
「…そうですか」
カーサは苦笑したようだった。それは一瞬だったけれど。なるほど。確かに聞いたとおり、美鈴とは正反対のタイプのようだ。これで同じ門番とは興味深い話。
詰め処では目立つからと、私たちはカーサの自室にいる。やはり私の後ろにいる彼女のことが気になるようだったが、門番副隊長は涼やかな笑みを浮かべた。
「そのような事実は」
「先に言っておくけれど、すぐにレミィに話そうなんて思っていないわ。だからこうして私が直々にあなたに聞きに来たのだし」
気紛れで美鈴をクビなんて事にしかねない。それがこの館で働く者達のレミィ像だろう。下手すればレミィよりも美鈴に忠実だというこの副隊長は、そのことを危惧して話をはぐらかすに違いないとふんでの一言だった。案の定、カーサは僅かに悩むような素振りを見せた。あの噂が本当なら、彼女の手にだって余ることの筈だ。そこに、一歩ひいたところで様子を見ていた人形遣いが追い打ちをかける。
「というより、それは噂でもなんでもないわ。一目でわかることよ。あの門番はだいぶ綻んでいる。このことは、あなたの方がよくわかっているんじゃないかしら。だからこそ、一刻も早く門前に戻りたい。違うかしら?」
「それは」
「どういうこと?」
私は彼女の言葉の意味がわからなかった。共に調査をすることにしたのはいいが、初っぱなからそのコンビネーションは最悪だった。というか、なぜ彼女は私にまで情報を隠蔽したがるのだろう。いつかの怪異の仕返しなのだろうか。
「ほら、やっぱりあなたには散歩が必要だわ。あそこに引きこもってばかりいるから気づけないのよ」
余計なお世話だと思った。
「本の傍にいるのが私なの。そんなことは今はどうでもいいわ。揺らぐとか綻びとか、それはどういう事なのか教えなさい」
つまりね、と七色の人形遣いは言った。
「紅魔館門番隊長こと紅美鈴は妖怪。そうして彼女は、母親がいるタイプの妖怪ではないの。彼女はおそらく意図的に生まれさせられた妖怪よ」
私は彼女が言わんとしていることを悟った。
「おそらくだけれどね、彼女は本来、無生物の物の妖怪よ。そうしてその本体は、この館のどこかにある可能性が高い。おそらく、家鳴りもそれが関係しているはず」
「…参りましたね」
「何度も言うけど、私たちは美鈴をクビにさせたくて来たわけじゃないの。そこをわかって頂戴」
私の言葉に、カーサは立ち上がると丁寧に腰を折り、頭を下げた。
「事実をはぐらかすなどというご無礼、お許しください」
「別に良いわ。あなたの主はレミィなのだし」
本当は全然良くないが、ここは話を進めることに専念する。
「美鈴さまがどのような類の妖怪なのかは、うすうす感づいておりましたから、このような事態はある程度予測していたのです。あの方はもともと、あまりはっきりとしてはいなかったのですが、半年前から急にそれが酷くなりました。原因はまったくわかりません。それでも依代にしろ本体にしろを見つけられれば、事は収まると思ったのですが」
「肝心のそれが、見つからないというわけね」
はい、と本当に手だてがないというように頷く。
「困ったことに、美鈴様は自分が何の妖怪かがわかっていないのです。知らないのか覚えていないのかわかりませんが、そのことがあの方の存在を揺るがしている一因であることは確かです」
「そう」
「……」
「ですから、本当に……あの、アリス・マーガトロイド様。いかがなさいました?顔色の方がすぐれないように見えますが」
「え?」
振り返ると、彼女は辛そうに額をおさえていた。頭痛だろうか。先ほどまで何ともなさそうだったというのに。不審に思い立ち上がりかけた私を、彼女はなんでもないというように、手を突き出して押しとどめる。それから大きく息を吸い込むと、深く長く吐きだすことを二度。やがて顔をあげ、笑ってみせた。
「大丈夫。ちょっとくらっときただけだから」
「また徹夜?」
こっちはひやっときた。
「そんなようなものね。もう何ともないから話を続けてもらえるかしら?えっと…」
彼女が言葉を濁らすと、カーサは意を得たように微笑んだ。
「これは失礼しました、アリス・マーガトロイド様。紅魔館門番副隊長をやらせていただいております、カッサンドラ・グノーシスです。ここではただカーサと呼ばれていますので、よろしければそのように」
「そう。ではカーサ。あなたも家鳴りと美鈴の綻びが関係あると思うのね」
「思うと言うよりはほぼ確信しております。家鳴りがするのは、あの方が眠りにつく頃に重なっているのです。その証拠に、一階に部屋があるにも関わらず、美鈴様は一度もそれを聞いたことがないと仰っておりました」
「ああ。彼女は昼番だから、夜は眠る時間というわけね」
「音は地下からではないかというのは?」
「家鳴りといっても、壁に耳を付けて聞くと、その震動はどうやら下の方からくるものらしいとわかりました。それで何人か地下に向かったのですが、地下の方は逆に天井から聞こえるという話でした。それで“らしい”と」
もしやと思い咲夜に空間操作についてそれとなく聞いてみたが、どうも今回に関しては無関係らしい反応だったということだ。
「なるほどね。ますます妙な話だわ」
私は相づちをうった。
「なら考えられる理由はただ一つよ」
人形遣いは、どこか興奮したように意気込んだ。先ほどの不調は、本当に一過性のものだったようだ。
「それは何かしら」
決まってるじゃないとアリス・マーガトロイドは言った。なんだろう。その楽しさを隠さない様子は、少しだけ誰かに似ていた。
「秘密の部屋があるのよ、そこに」
「秘密の部屋、ですか?」
そんな話は初耳だった。
「それは秘密の部屋だからよ」
そういうわけで、私たちはただいま館内捜索調査員会を二人だけで結成していた。カーサに描きおこしてもらった咲夜が来る前の館の見取り図を片手に、アリス・マーガトロイドは現在との相違を見比べ、歩いては止まり、止まっては歩き。果ては壁を叩いたりつま先で床の音を確かめたりしている。はっきり言って先ほどより目立つことこの上ない。私はというとその三歩くらい後ろから彼女いわく『調査』を見ているだけだ。身体が弱く無理というものをしてこなかった所為だろうか。私はこういった根気と高い集中力がいる作業が得意ではない。本ならいくらでも読んでいられるが、それとこれはまた別なのだろう。あるいは目の前の彼女は、読んだ本の筆跡も記憶しているのかもしれない。とまあ、今の私の役目は、不審者にしか見えない彼女の傍にいることで、メイド達から排除の対称にならないようにすることぐらいだ。言い換えれば本当にただ居るだけ。事が事なので最後まで付き合うつもりだが、どうにも手持ちぶさただ。ちなみに、繋いでいた手はとっくに解かれている。当然だ。
「うん。次は地下に行きましょう」
「メイドの目があるのだけれど?」
「そうね」
彼女は少し考えたあとに、不自然の半歩手前くらい声を張り上げた。
「そう言えば。館に入ってすぐの正面に、大きな絵があるでしょう」
「ええ。レミィのお気に入りよ。あれがどうかした?」
「この前魔理沙が、特殊のインクで落書きしたって。書いてから一週間後の晩に、全く別の絵が現れるらしいわ。それも、月光を浴びたときだけ」
なんだそれは。と考え込んだのはほんの数秒だった。彼女の言葉の意図に気づいた頃には、もう辺りにいたメイド全てが消えていた。咲夜の時間を止めたとき並に一瞬の出来事だった。なんであんな嘘に引っ掛かるのだろう。私は館の行く末が本気で心配になり始めた。
「で、地下にはこっちの階段からでいいのかしら?」
「…そうよ」
用意周到にも、彼女は階段の付近に紙を貼り付け、そこに『倉庫整備中につき、通常のシフトより除外。他の持ち回りを終えてからの清掃とする』と書き記した。
「人間も時には良いことを言うわ。備えあれば憂いなし、と」
絶対に、この手口は魔理沙の受け入りだ。確信だった。
今度は天井を叩きながら進む彼女を見て、やっぱり似てるところもあるかもしれないと思った。出来れば一生気づきたくなかったが。
こんなやり方で見つかるのだろうか。そう思った矢先に、彼女は立ち止まった。天井を見上げ、満足そうな溜め息をつく。
「何か見つけたの?」
「ええ。何も見つけられないことが見つかったわ」
言葉だけを聞くと何の成果もあがっていないということになるが、彼女の目を見る限り、どうもそれは違うようだった。
「咲夜の空間操作は、操作する物体そのものの性質を変えるわけではない。つまり、音の響き方にはどうしても違和感がでてしまうはず。けれどこの音がもっとも激しかったというこの場所は、あらゆる意味で全く普通の音の伝わり方をしている。ということは、物質的ではない方法で、部屋はしまい込まれているはずよ。ねえ、これは明らかに私たちの領域だわ」
「私たち?」
「魔法使いのってこと。正確にはあなたは魔女だけれど、魔法に生きる存在ってことには相違ないわ」
私にはよくわからない感覚だが、どうやら彼女は楽しんでいるようだった。同じく魔法に生きる存在が仕掛けただろう、この『しまい込まれた部屋』を解くということが、彼女の目を輝かせているらしかった。私は想像してみる。暗号化された貴重な書物を、もし目の前に置かれたとしたら。そうまでして読む価値のある魔術書を、もしも手に入ったとしたら。それは当然解くことが可能である問いであり、努力次第で私はそれを手に入れられる。なによりも、他の誰かではなくその本が私の手元にあるという、その素晴らしさを。
私は想像した。そうして、先ほどの彼女と同じように天井を眺め、私は満足の吐息をもらした。そうせずにいられなかった。
その様子を見た彼女は、軽く私の肩に手を乗せ、笑った。
「頼りにするわよ?知識の守護者」
私が頷くと、彼女は懐から取り出した瓶の蓋を開け、その中身を頭上に向かってぶちまけた。透明だった液体は天井にぶつかり、四方へと広がると、瞬く間にそれらは黄金色に輝く図形を浮かび上がらせた。発見されるのが前提の陣とは言え、なるほどなかなか良い目をしている。だがそれよりも。
「あなた、いつもそんなものを持ち歩いているの?」
「最近はね。近いうちにきっと必要になると思って作ったのよ。実際に使ったのは初めてだけど、我ながらなかなか良い出来だわ。それはそれとして、やっぱり私の知識にはない系統の陣ね。今すぐに解読となるとお手上げだわ」
と、彼女はここで私を見た。よくわからないが、彼女に頼られるというのは結構悪くない。
「…まんまを見たことは、さすがにないわ」
「そこまでは都合良いとは思っていない」
「けれど、これはおそらく二千年ほど前に多用された文字。それから、大きさの違う二つの円と、円と円の間に置かれた絵図が、輪廻転生を表すものだとしたら、だいぶ絞れる。少なくとも、これは純西洋のものでも、東洋のものでもない。となると…」
それから先は試行錯誤の連続だった。記憶している陣の解読パターンを何度か試してみては、今度は系統の違う解除方法で勝負をし、それでも駄目なら軽い攻撃を仕掛けてみる。もしも番人を破るタイプだとしたら反応するはずだが、効果は無しだった。適合者にのみ反応するのかもしれないと合わせ印を結んでみたが、やはりそれも違うらしい。なら今度は、というようなことを繰り返すこと百回近く。ばちりと。何かが噛み合う音がして、ようやくそれは開いた。実に一時間はある格闘の末の勝利だった。信じられない。何で癒しの讃歌なんかで開くのだ。敵意を持つ者はお断りということだろうか。
「疲れた…」
今なら小悪魔にも負けるかもしれないくらい疲れた。やはり私にはこういった現場作業は向いていない。早く図書館に戻って、いくらでも本が読めて紅茶もお代わりできる環境に、
「すごいわ。私一人だったら、調べることに七日は費やすとこだった」
戻ろうと思ったし、今も思っていることには変わりないが、そうは言っても私もまだ若い。もうあと一時間くらいなら、いける気がする。残機だって充分だ。
「感じるわ。幽かだけれど波打ってる。どうしてこんな面倒な仕掛けをする必要があるのか。その答えが向こうにあるのね」
天井は、見た目こそ先ほどと変わりないが、少し気をつけて見ればわかる。そう、きっと向こうに通じているのだろう。私たちは浮き上がり、そのまま天井に『入り』込んだ。
白い闇のような中を飛んでいく。どこに向かっているのかはわからない。ただ、力の流れる方へと飛行する。念のためと、彼女はまた私の手をとった。白い霧のようなもの以外は何も見えない。それでもそれが霧ではないことはわかっていた。何故なら私は自分の姿すら見えないのだから。これは、白い闇なのだ。光が無いから何も見ることが出来ない。それでも、何も感じないわけではない。こういう時、手を繋ぐという単純な行為に、それを出来る相手がいるということに、心のどこかが淡く揺れる気がする。それがどうという、わけではないけれど。
白い世界を抜けた場所。そこは、確かに部屋だった。しかし、そこには何も無かった。たった一つのものを除いては。
「ここが本命ってわけではなさそうね。なんか扉があるし」
厳重なことだ。これも開けなければならないのだろうかと、私たちはその扉の前に立った。それは金属のような見るからに重たそうな素材で出来ており、唐草のような文様が緻密に描かれていた。そのアールヌーボーを連想させる曲線の合間を縫うように、何かのマークが印されていた。どう見ても、先ほど以上に一筋縄ではいかなさそうな、手強い相手であることは間違いなかった。
「日を改めて」
日を改めて、今日はもう引き返しましょう、そう言おうと私は彼女の方を見たのだが。
「これは…」
扉に描かれた優美な曲線に、驚いたように彼女は目を見開いていた。
「…して、…れ…こに?」
うつむき、しきりに何事かを呟いている。
「アリス・マーガトロイド。あなた、何か知っているの?」
彼女はそれに答えず、アールヌーヴォーのような図の中央に配置された緑玉に、おそるおそるといったように触れた。その瞬間、私は彼女の指先と埋め込まれた石の間に、なにか青い電流のようなものが走るのを見た気がした。
ばんっと、力強く。
倒れかけた身体を、彼女は壁に手を叩きつけるようについてやり過ごした。ぜえぜえと、荒く肩で息をする。何かに耐えるようにきつく眉を寄せた額には、玉のような汗を浮かべていた。とても、苦しそうだった。そこで思い出したが、彼女は今日調子が悪かったのだ。慌てて傍に駆け寄る。
「ちょっと」
けれど。
「お願いがあるわ。パチュリー・ノーレッジ」
意外なほどしっかりとした声で、彼女は私の言葉を遮った。すきとおる瞳が、真っ直ぐに私を見る。
そういえば、彼女に名前を呼ばれたのは初めてだ。
「レミリア・スカーレットに会わせて。今すぐに」
「レミィに?」
なぜ今その名前が出るかわからなかった。私は彼女の眼を見つめ返した。気のせいだろうか、いつもよりずっと澄んでいるように見えてならない。思えば、合うたびごとに彼女は、彼女の眼は。怖いくらいに、澄んでいくような気がしていた。
けれど。
「理由は聞かないで。あなたが彼女の親友だというなら、彼女が自分から話すわ、絶対に。でも私にはその権利がない」
けれど。でも。
「レミィに話す権利はあるの?」
けれど。でも。その作り物のような眼が。
「それは権利ではないわ、義務なの。知ったからには、私は伝えなければならない」
すぐ目の前の彼女は必死の形相だった。初めて見る顔だ。それをじっと見て、気づいた。あまり人をじっくり見ないから自信ないが。
「ひょっとして、あなた少し痩せた?」
「巫山戯ないで」
「巫山戯てないわ。図書館は薄暗かったから気づかなかったけど、顔色も悪いような」
「私は真剣に」
その作り物のような眼が、確かに縋るように見るものだから。
「レミィは、貧血の相手には若干ヤサシイの。でもあと半刻は待って。吸血鬼の眠りを妨げることは、古来より何人にも許されないと決まっているのよ」
その作り物ような眼が、確かに縋るように見るものだから。
私は、叶えてあげないわけにはいかなくなってしまう。
堪え切れないといった小悪魔の笑い声が、すぐ耳元で甦った気がした。
アリス・マーガトロイドは面食らったように瞬きをしたあと、いつもの彼女のようにただ肩を竦めた。
「…呆れた」
「そう?でも私たちはそうやって、半世紀以上仲良くやってきたの」
なるほどね。彼女は困ったように笑った。それはとても珍しい顔なのだと、後になって私は魔理沙から聞いたのだが。
そんな彼女にしては珍しい笑いを浮かべ、七色の人形遣いは、自嘲するように声を漏らした。
――――――――なるほどね。確かに、私はどっちでもないわね
【窃盗犯とその被害者の密談】
[Side:Marisa]
昨日はアリスも来た現地調査だったが、結局はめぼしい資料も見つからなかったこともあり、進展は無いままだった。別のアプローチの可能性も考える必要があるのかもしれない。そう言ったのはアリスだ。それを模索するのと、一つのことに掛かり切りの現状を見直す意味もかねて、扉と石塔に関しての共同作業は一時中断となった。
というわけで、魔理沙は暑さを逃れる為、今日は図書館に来ていた。
「古代文字について書かれた本ですか」
「ああ。どこにあるか知らないか?」
「知ってますけど、教えたら持っていきますよね?」
「借りていくだけだ」
「そう言って返してもらったことないんですけどねぇ」
小悪魔は肩をすくめ、まぁいいかと溜め息をついた。
「パチュリー様がその本を要りようになることは、あと数年は無いでしょうし」
今まで盗られた本も全て、この人間が死んだら回収すればいい。最近、小悪魔はそう割り切ることにしている。
「そう言えば、パチュリーの姿が見えないな」
「まだお眠りになっていると思いますけど。何か用でも?」
「あ~用っていうほどじゃないが、昔この辺りに住んでた魔法使いで、なかなかの腕の奴を知らないかと思ってな」
「昔ってどれくらい昔?幻想郷の伝記や歴史書ならその辺りよ」
この場では三つ目の声に、二人は振り返った。
「あ、パチュリー様。おはようございます」
「おはよう小悪魔。もう昼だけれどね」
「以前はもっと遅くてもそう言っていなかったか、お前」
「そうだったかしら」
魔女は肩を竦めた。魔理沙はそれに、ほんの少し眉を寄せた。それは、誰かの癖だったはずだが。
「本もいいですが、幻想郷に限っては、歴史の半妖に聞けばいいのでは?」
「ん。あいつはなぁ。どうだろう。人間好きとか言ってる割に、私には全然優しくないからな」
「どうせ、怒らせるようなことをしたんでしょう」
「酷いぜ。そいつは言い掛かりだ。単に出会いが悪かっただけだ」
「あなたに出会いの良かった相手なんているの?」
悪くない切り返しだと小悪魔は思った。さすが知識と日陰の少女。魔理沙と話すようになってから、パチュリーは会話の進みが格段に速くなった。引喩と暗喩に満ちた話し方も改善されたし、魔理沙の屁理屈にも流されることも減った。つまり、どんどん性格が悪くなっているということだが。もともと人格者ってわけでもないし。小悪魔は気にしなかった。
パリュリーはいつものように起きがけだというのに本を手に取り、それから紅茶を用意して頂戴、と指示を出した。
「あ、それなら魔理沙さんに出そうと思っていたので、すぐ出せます」
「じゃあそれをもらうわ」
「はい」
図書館の小悪魔はぱたぱたと飛んでいく。その主はというとすでに椅子に腰掛け、本をめくっていた。
「それにしても、あなたらしくないリクエストね」
古代文字の辞書に、幻想郷の魔術師の歴史。確かに、技術的に使える知識が好きな魔理沙は、あまり手を出さないジャンルだ。
「まぁいいじゃないか。ちょっと興味を持ったんだ」
「興味、ね。どちらかと言えば、こういうのはまだあの人形遣いの方が持ちそうだけど」
そのアリスとの共同研究だと言ったらどんな顔するかなと、一瞬だけ悪戯心が沸いた。二人が一緒にいるところは宴会の席でしか見たことないが、魔理沙は普段の様子から、この魔女があの人形遣いをなかなか好意的に見ていることにかんづいていた。
まあ、まだ興味があるっていう程度なんだろうけど。
それでも話題で一番反応が大きいのはアリスについてだ。もっとも魔界というものに興味を示しているのかも、という可能性も捨てきれないが。
「どちらかというと、お前向きなんじゃないのか」
「私はどんな本でも一応読んでみるわ」
「そうかい」
確かに、それはその通りだった。
小悪魔はきちんと魔理沙にも紅茶を出してくれた。それをすすりながら、何だかんだ言いつつすっかりこういったことにも随分馴染んでしまったと、その場にいる三人は思った。こういったことを積み重ねていって、そうしてそれはいつか思い出と呼ばれるようになる。彼女たちの種族を思えば、霧雨魔理沙という人間そのものが、まるまる一つの思い出として仕舞われるんだろう。人間から見れば眩暈がするほど長い時間の中の、ほんの一時騒がしかった毎日として。
あいつにとっても私はそうなのかな。魔理沙は同じく魔法の森に住む、同じく魔法使いであり、また人形遣いでもある少女を思った。霊夢よりも、ずっと人間みたいなあの妖怪は、それでもこれから長い時間を生きていくのだ。
別段、そのことに不満とか、そういったものはない。確かに長く生きられた方がやれることも増える。それを羨ましく思うこともある。それでも霧雨魔理沙は人間だ。たとえこの先どれほど長生きしたとしても、それは人間としての長寿でなければならない。普通の魔法使いとして、ただ生きていくのだ。魔理沙は博麗の巫女を思った。あれほど規格外れの霊夢でも人間なのだ。霧雨魔理沙と同じ時間に生きる人間。その彼女の周りには、その何倍も生きる命が集う。ここは幻想郷だ。人と妖怪が共に生きる場所。それでも、これから先ずっと、どれほどその二つがすぐ隣に在ったとしても、その間には深い深い溝があり続けるんだろう。何故なら共に生きるとは、決して同じ存在にならないということだからだ。
仕事に勤しむ小悪魔と、本を読んでいるその主を見ながら、魔理沙はだいぶぬるくなってしまった最後の一口を胃に流し込んだ。
妖怪の何倍の速さで駆け抜けるように生きていく人間と、その人間が死んだ後もずっと先へと生きていく妖怪と。
いったい、置いて行かれるのはどっちなのだろうと思いながら。
「あ、魔理沙さん。その辺の本は出来れば遠慮してくれませんか」
分厚く古そうな背表紙に触れた途端、小悪魔の声が飛んできた。
「なんだ?そんなに貴重な本なのか?」
もしそうならますます遠慮するわけにはいかないんだが。
「確かに貴重ですけど。そうじゃなくて、そこからここまでの古代書。どうもアリスさんのお気に入りみたいなんですよ。何度かここで見つけたことありますし」
見かけた、ではなく見つけたと言われるところが、彼女の彼女たるところだ。魔理沙は思わず苦笑する。
「アリスの?ふうん。こんなのに興味あるのか」
そんな話は聞いたことがないが。ああでも、と魔理沙は思った。パチュリーが知識の少女だとしたら、アリスは勉強家だ。思い立って調べることもあるのかもしれない。この前の遺跡の時だって、魔理沙の知らない文字を読めたのはその所為なのだろう。
「だからといって、私が遠慮する理由なんてないけどな」
「いや、それだけじゃなくて、やっかいなんですよ」
「やっかい?」
「ここらの本から魔力を感じませんか?例えば先ほど魔理沙さんが触れた本、開けた途端呪いがかかります」
「うげ」
なんて危ない物を置いているんだ。魔理沙は一歩本から距離を取った。
「全部そんなやつなのか?これ全部?」
「まぁ、大半が脅かし程度のものですが、中にはかなり面倒な仕掛けもありまして。ここで読んでいる限りは、パチュリー様が何とかしてくれるとは思いますが」
「いや、あいつのことだから、ちょうどいいから暫く放っておこうとか言いかねない気がする」
「そんなことないですよ、多分。とにかく、物によっては一瞬で手遅れになりかねないこともありますから、扱いには注意がいるんです。持ち出すなんてとんでもありません。特に魔理沙さんみたいに、片付けられないタイプにはオススメできませんね。ってゆうか絶対持って帰らないでください」
「う~ん。その危険さも惹かれなくもないが…まぁ、命は惜しい。勘弁しといてやるか」
「魔理沙さんの為を思って言ってるんですけどねぇ」
そうは言っても小悪魔は満足そうだった。
「っというか、アリスはそんな危険な本がお気に入りなのか」
まさか自分に使おうとしてるんじゃないよな。
「アリスさんは多分大丈夫ですよ。とても慎重な方ですから。絶対に持って帰らないし、ここの本だけは一冊ずつしか読まないぐらい徹底してます」
「ふうん。確かに、危険はなるだけ回避するなアリスは」
無理はしない。引き際が良く、決して深追いしない。敵との弾幕でも、蒐集のいざこざも、限界のずっと手前で諦める。本気という言葉から、遠い存在。
冷たいわけでもないのに、どうしてだろう。アリスといると、ときどき温度差を感じる。そういうことは霊夢からも感じるけれど、その二つは根本的に違っているんだろう。後者は無関心からくるものだが、前者は関心があるのに距離をおいている。だからこそいつも、魔理沙はどことなくもどかしい気がしていた。
確かな予感がしてるんだ。宴会みたいなお祭り騒ぎじゃなくて、少人数でも馬鹿みたいにハイテンションにやっていける、そんな予感。
例えば、あの永い夜のように。
「パチュリーにも、機動性があればなぁ」
「は?」
「いや、ただの独り言だ、気にするな」
そうすれば、あの遺跡の謎もすぐに解ける気がするのに。
話している途中、小悪魔が急に何かに気づいたように振り向くと、何も言わずに飛び去った。突然のことに、魔理沙は慌てて追いかける。
「どうした?」
「パチュリー様が」
それで合点がいった。また発作が起きたんだ。ずらずらと立ち並ぶ棚を避け、目的の場所はすぐ見つかった。
「パチュリー様!」
「…大丈夫だから、もう少し静かにしなさい」
一番辛いのはすでに越えた後だったらしく、意外なほどしっかりとした声が返ってきた。
「いや、もう少しやわらかい言い方ができるだろ」
「…私はあと56秒速く来て欲しかったの。その期待を裏切られた気持ちが、あなたにわかるかしら霧雨魔理沙」
「心の底から悪かった」
「申し訳ありませんパチュリー様」
二人とも、暫くは顔を上げられない気がした。小悪魔はともかく、魔理沙までが珍しくも殊勝に頭を下げたのが幸いしたのか、深い溜め息の後、溜飲を下げた魔女は鷹揚に言った。
「もういいわ。大したことにはならなかったし。薬を飲み忘れたのは私の落ち度でもあるもの」
「次はすぐに駆けつけます」
「あ~そもそもこいつの気を散らせたのは私だからな、その点は謝罪する」
「だから、もういいの。もう一度同じ事をしたら燃やすけど」
肝に銘じよう。魔理沙は特に思った。
「えっと、薬を取ってきますね」
「水を忘れないでね」
「畏まりました」
さっきの言葉を思い出してか、小悪魔は静かに飛んでいった。
「まぁ、薬といっても気休め程度の効力しかないのだけれど」
「そうなのか?」
「私の作る薬は、病状を抑えることは出来ても、根本的な治療は出来ないもの」
「ああ。それは確かにそうだが」
「身体に良いハーブティーでも飲もうかしら」
「基本は身体だからな、結局のところ」
魔理沙は、深く頷いて同意を示した。
「それじゃあ、私はそろそろ帰るとするか」
なんとなく居づらくなったので、魔理沙は帰ることにした。日の入りも早くなり始めたことだし、家に戻って夕飯の準備でもしよう。本を強奪する雰囲気でもないので、今日は大人しく出て行くことにする。騒いで埃をたたせてもあれだしな。
「ああ、そうだ」
ふと思いついて、パチュリーを振り返る。相変わらず、知識の魔女は本から顔をあげないが。
「ハーブが欲しいならアリスに頼んでみたらどうだ。持っているものならくれるはずだ」
ぴくりと、かすかな反応を見せた。
「…気前がいいのね」
「投資だって、あいつは言うだろうけどな」
その彼女を真似て、魔理沙は肩を竦めた。
「親切じゃないが意地悪はしない奴だぜ」
と人間の魔法使いは言い、
「あなたと正反対ね」
と人外の魔女は言った。
【情報整理と戦略決定】
[Side:Patchouli]
「私の口からでは言えないけれど。あなたが調べる分にはかまわないと思うの」
レミィの部屋へと続く廊下に立った彼女は、別れ際にそう言った。彼女は私が一緒に行くことを、頑なに認めようとしなかった。
「でも約束してちょうだい。何をしているのか、決して誰にも気づかれないようにすると。この情報は、知る人が少なければ少ないほどいいものだから」
「…約束するわ」
それは、調べることは止めないという意味でもあった。
「さて。これで言いたいことは終りね」
残念そうに言う。アリス・マーガトロイドは、どうもレミィのことが苦手のようだった。そんなに嫌なら手紙でもしたためて私に頼めばいいのに、危険性を少しでも下げるためだろう。その案はすでに却下されていた。本当に慎重な性格をしていると思う。加えて義理堅くて頑固だ。けれど、誠実なのは嫌いじゃない。私には真似できない美点だろうから。
「それじゃあ、また」
彼女はいつもように、振り返ることなく歩いて行った。その背中を長く見送れることが、妙に新鮮な気がして可笑しかった。
「さてと」
もう一度さっきの場所に戻ってもいいが、入り口は再封印をしてしまったし、何よりレミィが起きたということは、これからがこの館の最も騒がしい時間が始まるということ。倉庫ばかりの地下とはいえ、どんどん人目も増えてくる。誠実な彼女の願いを聞き入れるためには、今夜はもう目立つ行動は出来ない。というより、調査そのものを控えるべきだろう。かといって、何日にもわたって行動してもいけない。まずはわかっていること全てを使い、仮説を建てることが最適だろう。私はその考えをすぐに実行するため、自室に戻ると、特殊な紙とインクを使い、わかっていることを全て書き出した。
『 一つ。美鈴が消えるという噂は本当である。
一つ。館が夜に家鳴りするという噂も本当である。
一つ。上記の二つは関係がある。
一つ。美鈴は存在が揺らいでいる。
一つ。美鈴は本来無生物のものが妖怪化した可能性が高い。
一つ。それは人為的なものである可能性が高い。
一つ。美鈴はこの館そのものに関係がある。 』
そこで一旦手を止め、備考として書き加える。
『以上のことを考えると、美鈴の存在には、魔術的な技法を持つ魔法使いの関与が必要不可欠である。魔法使いの仕業だとしたら、彼女の誕生には何か目的があったと思われる。飛躍的というより連想ゲーム的思考だが、彼女の「館を護ること」への執着の高さから、レミィの命令に依らず、もともと館の守護的な存在なのではないだろうか。』
そうして、また判明していることを書き出す。
『 一つ。館には隠し部屋がある。
一つ。それは魔術的な技法が用いられている。
一つ。それは美鈴に関係がある可能性が高い。
一つ。ただし、この仕掛けを作った者と、美鈴を誕生させた者が同一人物かは不明。
一つ。隠された部屋には扉があり、それを開く必要性がある可能性が高い。
一つ。アリス・マーガトロイドは、この扉に触れ、何かを知った模様。
一つ。その情報は、館の主が知るべきものである。
一つ。それ以外の存在は、むしろ知るべきではない。
一つ。この情報は、いつでも引き出せるものではない。 )注Ⅰ
一つ。アリス・マーガトロイドは、扉そのものを何か知っている模様。
注Ⅰ。私、パチュリー・ノーレッジが同様のことをしても、何も起こらなかった。
人を選ぶのか、一度しか発動しないのかは不明。 』
こんなところだろうか。次は、これからすることを考えなければならない。確かなことは、目立ってはいけないということ。そうして、二つの噂をこれ以上広がらせるわけにはいかないということだ。私は一つ目から八つ目の情報を丸で囲み、この情報を掴んでいる人物を書き足す。一人目は私。続いてアリス・マーガトロイド。そうして……。
「カッサンドラ・グノーシス…」
彼女への対応を、まず第一に考えなければならない。幸運なことに、あの副隊長は美鈴の立場を悪くするような行動は恐らくだがとらない。それどころか、情報操作に一役買ってくれるかもしれない。情報操作というなら、私の小悪魔の領分でもある。しかし、このことを二人にどこまで話していいものだろうか。
考えることは得意だと思っていたが、どうも私はこういった方面には向いていないらしい。ことがことだけに慎重に動かなければならないし、アリス・マーガトロイドの焦り具合からいって、与えられた時間は無限というわけではなさそうだ。それとも、レミィに話が伝わった時点で、それは解決されるのだろうか。少し考え、私はすぐにその可能性を否定する。もしそうなら、彼女は私に、事実解明をそれとなく促すような発言はしないだろう。彼女はあの別れ際の会話で確かに言っていた。「これで言いたいことは終り」と。この言葉は伝えたいことだと。レミィは私以上に慎重さや細かい気配りとは無縁だ。館主というもっともその行動が注目され、もっとも影響力がある親友が動くより前に、私が動かなければならないのだ。
ふとそこで、私は影響力という言葉に引っ掛かった。この館には、もう一人厄介な存在がいたことを思い出したのだ。ある意味、彼女は私より発言力があるではないか。己の迂闊さに頭がくる。そういえば、彼女がそれほど今回について情報を掴んでいるのか、皆目検討がついていない。ましてこれは美鈴に関わること。知ったからには、あのメイド長が動かないはずがないではないか。
「だからと言って、下手に藪をつつく真似はしたくないわね」
そう、美鈴が関係するからこそ、妙な噂はあえて咲夜には隠す傾向があることも確かだ。今回は、果たしてどちらなのだろう。
「情報が、足らない」
かといって、動きすぎるわけにもいかない。悩んだ末、私は小悪魔を呼びつけた。
カッサンドラ・グノーシスを、なるだけ目立たずに図書館まで連れてくるように、と。
「それで、わたくしはどうすればよいのでしょうか」
挨拶を済ませてすぐに、カッサンドラ・グノーシスはことカーサはそう切り出した。何故自分が呼び出されたのかも、自分が何か役を負わされるだろうことも、すでに心得ているようだった。こういう頭の速さは嫌いではない。とくに、それが打算ではなく、献身的な何かによって支えられているものだとした場合は。小悪魔の方もさすがは私の従者。だいたいの話の流れは察しているようだった。
「わかっているようだから率直に言わせて貰うわ。美鈴の今ある噂を、何とかして誤魔化しなさい。特に、咲夜に対しては」
「実は、それについてはすでに一計を案じております」
小悪魔が私の言葉に頷くのと、カーサがそう口を開いたのはほとんど同時だった。
「…教えなさい」
どうして彼女は、門番なんて役に就いているのだろうか。
「はい。美鈴様は一日の大半を門番の仕事に当てています。日の昇っている間中は正門にいるわけですから、当然どの門番より目を惹いていますし、代わりを置いても記憶に残ってしまいます。ですから、何か正当な理由があって、それも身体の不調などとは違う理由で役を外せればいい、私はそう考えたのです」
それは私も考えたことだ。しかし、どのような理由なら誰も不審に思わないのか、それをどうしても思いつけなかった。それをカーサが解決出来るというなら、これだけでも話した甲斐がある。三人寄れば文殊の知恵とは人間の諺らしいが、なかなかいい言葉かもしれない。この場合は知恵と言うよりは、得手不得手なのかもしれないが。
「続けて」
「誰も不審に思わない。つまり、他の誰もでもなく、美鈴様でなければならない理由です。そこで私はあの方の特技を活かせないかと考えました。多芸でなかなか器用な方ですが、中でも館の全ての従者、あのメイド長ですら敵わないだろう特技の一つに、造酒というものがございます。折しも先日門番隊の中で、何か派手なことは出来ないか、出来れば館のみんなで騒げるようなことはないかという話が持ち上がりました。それならと私は思ったのです。美鈴様に新しい酒を造らせ、その仕込みに手がかかりきりということにすればいいのではないかと。と言ってもただの酒では動機に薄いとも悩んでいたのですが」
そこで彼女は私を見て、ぱっと光の散ったような笑みを浮かべた。
「今思いつきました。本当の意味での百薬長というのはいかがでしょうか」
「――――――――面白そうね。とても」
大げさではなく、本当に面白い発想だと思った。これなら美鈴が仕事にいないことを、門番隊は他の役職の者達に言わないだろうし、恐らく自分たち全員が祭りの主催側にいると思えば、番を代わることにも不満を持たないだろう。そうして秘密と言ったところで、いつの世も口には戸をたてられない。今ある噂に、美鈴が秘密裏に酒を造っているという噂が取って代わるという寸法だ。
本当に、彼女はどうして門番職についているのだろう。横でしきりに頷いている小悪魔。こういうのは本来あなたの仕事だとわかっているだろうか。奸計めぐらし、誘惑で人を惑わせ、言葉巧みに策を弄し堕落させる。破滅と邪心を司る悪魔の名が泣くというものだ。まぁ、今回はどちらかというと善行な訳だが。
「わかりました。不承この小悪魔。同じ屋根の下で眠り同じ釜の飯を食う仲間にして、週に一度のやけ酒の相手でもある美鈴さんの為です。全力をもって噂の流れは私が抑えましょう」
だから小悪魔だというのだ小悪魔。こういう場合も育て方を間違ったというのだろうか。
可愛いから許すけど。むしろ歓迎だけれど。
「でしたら、私は美鈴様の動向を抑えます。あの方のことですから、そのままの話では役を離れるとは思えません。出来れば極力普段通りに仕事をしていただいた方が、メイド長の目も誤魔化せますし」
美鈴は、良い部下を持ったものだ。ああでも。確かにいろいろと心配になってしまうのもわかる気がする。
「なら私は綻びの元を探るわ。場合によっては紅魔館そのものに関係があるみたいだし」
そうね。差し当たっては。
「夜明けの前に、レミィに話をつけてくるわ」
この際遠慮は抜きに、わかっていることを全て吐かせて、余計なことはしないよう釘をさしに行こう。出来れば穏便に行きたいが、どうだろう。ここは幻想郷であり、彼女は人に指図されるのが何より嫌いだから。まぁ、半世紀ほどの友情を信じてみよう。
こうして、その夜は更けていった。
この早く続きを読みたい感は久し振りです。
問わず語らず。
『彼女』は知ってる。
『彼女』は知らない。
秘密はなに?
×受け入り→○受け売り だと思います