*普通に長いです
夏も本番。いよいよ無意味に暑くなる時期である。どこかの巫女などは暑い事をいいことに一日中家でダラダラして、どこかの日陰者は蒸し暑い図書館の中でユデダコになるのは毎年恒例である。その他にも様々な現象が毎年幻想郷に生じるのだが、一言で言える事は、素麺が美味しく食べれる季節になったという事である。
さて、夏といえば花火や海水浴などが風物詩であるが、肝試しも伝統的な風物詩である。肝試しと言えば、互いの度胸を試す為に面と向かってド突き合う、手に汗握る漢の行事である。最後に勝ち残った者は、漢オブザ漢として世界に覇を唱える事ができるのだ。
それはさておき、ここ幻想郷でも肝試しが開かれる事になった。暇を持て余したスキマ妖怪が悪巧みを考えたとか、どこかの月の姫様がしょうこにもなく再び某ライバルを抹殺する事を画策したとか、どこかのお嬢様が某巫女をドサクサ紛れで襲おうと計画したとか様々な憶測が飛びかった事もあったが、事は数日前の宴会にさかのぼる。
宴会が始まった当初は普段の宴会とさほど変わりは無かった。巫女が浮かれ、黒白魔法使いが余興で神社の一部を吹き飛ばし、天狗が常にシャッターチャンスを手ぐすね引いて窺ってた。そんないつもの宴会の風景であった。
しかし、何時ごろだったか肝試しをやらないかという話になった。何故、どうして、なんのためにこのようなタイミングで肝試しの話になったかは定かではないが、悪巧み大好きなスキマ妖怪やお祭り騒ぎ上等の黒白魔法使いの巧みな誘導があった事は言うまでもない。
そんなこんなで肝試しをやる事になった。だが、乗り気な問題児軍団の姿は、なんとも不穏な気配を感じさせるものがあった。
そして、肝試し当日の日となる。
今日何度目かになる溜息をつきながら、魂魄 妖夢は運命の瞬間を待っていた。彼女としては毛頭にも参加する意欲は持っていなかったのだが、彼女の主が参加するといって聞かないので、主を一人で行かせるわけには行かず(色んな意味で)、誠に不本意ながら泣く泣く参加する羽目になってしまったのだ。
今回の肝試しの会場は魔法の森ということだけあって、異様に湿気を含む空気が雰囲気を良い感じに出している。鬱蒼と重なって生えている木々の葉が月明かりを遮り、さらに良い感じの暗さを演出している。しかし、妖夢にとってはこんな、いかにもという感じの雰囲気は堪ったものではなかった。
妖夢にとって、肝試しはまさに鬼門であった。半分が幽霊である彼女が肝試しを苦手とするのは少し情けない話だが、嫌いなものは嫌いなのでどうしようもなかった。しかし、じっと何かを期待する主の眼差しには遂に勝てなかったのだ。
「あらあら妖夢、今からそんなに緊張していたら疲れるわよ?」
主の緊張感の欠片も無い言葉を聞いて、余計に疲れが増した。そもそも何故このように緊張しなければならないのか等、思うところが山ほどあるが今は考えないように勤めた。
妖夢としては、誰にも何も出くわしたくなかった。しかし、この幽々子の期待に満ちた目はどうであろうか。まさに今から思う存分相手が嫌がるまで肝試しを堪能しようという目である。もはや無事に明日を迎えられる可能性は、勇気で補っても限りなくゼロに近かった。
「さあ、そろそろよ。今夜はどんな珍味が現れるのかしらね?」
「肝試しに一体何を期待しているんですか!!駄目ですよ、肝試しの最中に殺人事件なんて。きっと末代まで呪われて、毎晩寝所の横に立たれますよ!?」
もはや幽々子は遠足が待ちきれない子供状態である。これから起きる怖い事と、これから予想される苦労を考えると、妖夢の気持ちは一段と滅入ってしまった。
(あああ、どうか無事に何も起きませんように。どうか無事に肝試しが終われますように。どうか無事に……)
無駄と知っていても祈らずにはいられない。これが今の妖夢の心境であった。
さて、今回の肝試しは前にあったようなパチものではない。竹林に虎刈りに行くのではなく、正真正銘の肝試しである。この時点で妖夢の気力はかなり萎えていた。
ルールは無用、楽しんだものが勝ち。脅かすのも自由、恐怖を堪能するのも自由、失神するのも自由。あるのは死人が出ない程度にという話だけで後はとことん楽しもうという、やる(殺)気全開のお祭りのみ。この時点で妖夢は色々と絶望していた。
開始時間は深夜の日付が変わった瞬間。開催期間は日の出まで。その間はルール無用のデスマッチで、早々とお暇する腰抜けのチキンには死の制裁を。もはや数日前から意気揚々と準備する幻想郷でたくましく育った少女達を止められるものは誰もいなかった。この時点で妖夢は全てのやる気を失い、馬鹿らしくなって幽々子の食事を作るのを止めた。
そんな訳で、妖夢は非常に気分が落ち込んでいた。浮かれながら森をガンガン突き進んでいる幽々子と並びながら、何故この世に肝試しなどというイベントが存在しているのかと、意味も無く考えていた。もはや悪い方向に気持ちが落ちているのは明白である。
そんな他愛も無い事(本人はいたって真面目に)を考えていると、幽々子が歩みを止めた事に気がつく。妖夢が急いで周囲に気を配ってみると、何者かの気配を感じた。
「……幽々子様!!」
「あらあら、さっそく来たわね。食べられるものだと良いわね。美味しい物ならなおさら嬉しいわ。」
幽々子の前に出て姿勢を低くし、刀の柄に手をやっている妖夢とは逆に、暢気な事をのたまう亡霊お嬢様。緊張感の欠片も無いその様子は、あるのはどうやら食欲だけのようだ。
(ど、どこだ、どこにいる、どこから仕掛けてくる、どこから私の意識を刈り取ろうとしてくる!?)
妖夢は焦っていた。相手の位置を掴もうとしても上手くいかず、ただただ焦りと恐怖が時間と共に蓄積していった。そして背後から勢い良く音がしたとき、妖夢は自分の敗北を悟った。
「ばあ~!!」
「お化けだぞ~!!」
振り向くと、思い思いの白い衣装と化粧をしたチルノと橙がいた。その姿は怖いというよりも可愛らしく、必死に驚かそうとしているところが更に愛らしさを引き立てていた。
(あ……やば、滅茶苦茶なごむ……)
肝試しという得体の知れない恐怖に震え、今か今かと神経を尖らせていた妖夢にとって、この光景は癒し以外何ものでもなかった。
「さあさあ、食べちゃうぞ~」
橙が驚かしてきた。妖夢は癒された!
「悪さしちゃうぞ~」
チルノが驚かしてきた。妖夢は癒された!!
「人魂だぞ~」
橙は人魂を模した玩具を取り出した。妖夢は非常に癒された。
「悪戯しちゃうぞ~。お菓子くれないと悪戯しちゃうぞ~」
チルノは間違えた知識を使った。しかし、妖夢は物凄く癒された。
(く、こ、このような事に心を奪われるなんて、不覚……。)
「ちぇ、つまんないの。せっかくお菓子が貰えると思ったのに。やっぱりポーズが不味かったかな?」
チルノは思い思いのポーズをとりだした。しかし、その微笑ましさが妖夢に特大のダメージを与えた。
「むー、全然驚いてくれない……」
橙は頬を膨らまして拗ねだした。妖夢に致死量のダメージを与えた。
(あああ、可愛すぎる。頬っぺたをスリスリしてみたい……って、駄目だダメだ駄目だダメだ駄目だダメだ駄目だダメだ駄目だダメだ!!)
妖夢は別次元の戦いに葛藤していた。硬派で堅物として通ってきた彼女でも、極限の緊張からのギャップとあいまってか、この何ともいえない癒し空間には絶えられなかったのだ。それでも最後の一線を越えようとしないのは、日頃の鍛錬の賜物であろうか。
「まあ妖夢、どうしましょう。猫がカキ氷を背負ってやって来たわ♪」
「何故そういう感想になるんですか!?」
妖夢は自分の主の神経を疑った。割と頻繁に疑っているものの、こんな可愛い猫を鍋にして、デザートにカキ氷を食べようとは。そろそろショック療法が必要なのだなと妖夢は静かに悟った。
「ひっ……!!」
「う、うわ……!!」
幽々子の少し異常な視線に身の危険を感じたのか、二人が引いた。少し涙目になっているところがかなり心苦しい光景に見える。
「幽々子様、子供を泣かしてどうするんですか!!」
「なによ、ちょっとした冗談じゃない。それよりも、私よりも脅かしに来たあの二人の方を持つなんて酷いわ、妖夢……」
なにやら訳の分からない事を言って嘘泣きを始める幽々子を見て、妖夢は頭を抱えたくなった。
「もうちょっと大人の対応をしてあげてくださいよ。嘘でも驚いて見せるとか。少なくとも、泣かせる事は無いじゃないですか。」
「私は妖夢の為にと思ってしたのに。酷い、酷いわ妖夢……」
「でしたら、何故私の目を見て話さないんですかって、誰だ!!」
脅える二人をそっちのけで妖夢が幽々子に詰め寄っていると、新たな気配を感じた。急ぎ迎撃体勢を整える妖夢。そして、
「悪ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅい子はぁぁぁぁぁぁぁ、いねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「え!?」
変なのが乱入してきた。
「でぃぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
妖夢と幽々子に向けて、鎌が振り下ろされる。突然の出来事で混乱する妖夢だが、日頃の鍛錬のお陰か、体が反応する。瞬時に楼観剣を抜き放ち、鎌を打ち払う。魔法の森の一角に、重い金属音が鳴り響いた。
「ぐ、幽々子様、お下がりください。こやつめは私が追い払います。」
「あら、どうしましょう。季節外れの個性的なナマハゲだわ。あまり美味しく無さそうね……」
残念そうに嘆く幽々子言葉を呆れながら聞きながらも、妖夢は相手をよく観察してみた。
赤毛の頭にナマハゲのお面をかぶり、青と白の服を着て、手には死神のような鎌を持っている、ナマハゲのお洒落さん。やはりチャームポイントは血に餓えていそうな鎌か。
「……ナマハゲって、あんなんでしたっけ?」
「さあ。でも、食ても不味そうなナマハゲはただのナマハゲよ。妖夢、やっておしまい!」
ビシッとナマハゲ(もどき)を指差す幽々子。もとよりそのつもりであった妖夢は、ナマハゲ(ぽいもの)と睨み合う。
「何故いきなり襲い掛かってくる。あんなものをまともに受けたらタダじゃ済まなかったぞ!」
「子供を泣かす奴は、即ち悪。悪い子を成敗するのがあたいの仕事なんでねぇ。悪いけど、お仕置きさせてもらうよ!!」
気合の雄たけびと共に、踏み込んでくるナマハゲ。妖夢も負けじと踏み込み、楼観剣を振るう。鈍い金属音が響き渡り、こう着状態にもつれ込んだ。
「どうした、どうした。腰が入ってないよぉ。そんなことじゃあたいの鎌は止められないねぇ。それとも、あんたの実力はそんなものなのかい?」
「く、くそ……!!」
鍔迫り合い状態(鎌には鍔は無いが)から一転、激しい斬撃の応酬を繰り広げだした二人だが、妖夢はナマハゲの力に押されていた。一撃一撃が重く、それを受け止める妖夢の腕は次第に感覚が無くなっていく。
(く、どうにかしてチャンスを見つけないと。このままだと押し切られる……!)
焦りに駆られる妖夢。しかし、いくら相手を凝視しても隙らしい隙は見つからなかった。その間にも斬撃を打ち込まれ、焦りが更に積もっていく。
「ファイトー、妖夢~。そんな美味しく無さそうなナマハゲなんか早く倒して、次に行きましょうよ~」
のんびりと持ってきたお握りを頬張りながら、暢気に応援をする幽々子。頬についているご飯粒が異様に眩しかった。
「あああ、もう!!少しは緊張感を持ったらどうなんですか!?」
「ほらほら、余所見とは関心しないねぇ!」
妖夢がつい脇見をしてしまった隙に、鋭い一撃を見舞うナマハゲ(素敵に勘違いされた)。だが、その一撃は空を斬るだけだった。
「そこだ!!」
しゃがんだ状態から、一気に切り上げる妖夢。鎌を振り切っていたナマハゲ(ひょっとして地域限定だったらこれでもOK?)はギリギリのところで鎌の柄で受け止める。
「ち、いきなり動きが良くなるなんて……。いよいよ面白くなってきたねぇ!!」
風を斬り、襲い掛かる鎌。それを時には身を捻って避け、時には大地を転がってやり過し、時にはフェイントで翻弄する妖夢。幽々子のノホホンとした表情を見て事が、押されて焦りだしていた妖夢を本来の自分に引き戻したのだ。
(力は悔しいけど相手の方が上。でも、素早さだったら私の方が上。なら、翻弄し続けてチャンスを見つけるまで!)
力に勝る相手と同じ土俵で戦わない事で、なんとか相手のペースから脱却できた妖夢。しかし、持ち前の脚力で相手を翻弄させれてるからといって、優位に立てた訳ではない。相変らずの力ある一撃は危険であり、またナマハゲ(あれ、もしかすると前世で見たことがあるかも!?)もなかなかなもので妖夢の戦い方を早くも掴んでおり、妖夢は深く踏み込めずにいた。
「はあはあ、流石に強い。でも、何故こんな事を?」
「そりゃナマハゲってのは悪い子をとっちめるのが仕事だからねぇ。あの子達を泣かしておいて言い逃れはできないよ。」
「あら、それはどうかしら?」
束の間睨み合った瞬間に言葉を交わす二人。その間に、今までノンビリと傍観していた幽々子が割って入った。
「へえ、そいっつぁどういう意味だい?」
「あの子達を泣かした言う事なら、あなたも同罪だって言っているのよ。ほら、見なさい。ここで涙目になって震え上がっている二人を。」
幽々子の後ろには、幽々子にしがみ付きながら震えている橙とチルノの姿があった。幽々子がそっと頭を撫でている脅える二人の瞳の先には、確かに恐怖の対象としてナマハゲ(勘違いもいいところ)の姿があった。
「な……!?」
「……まあ、いきなり奇声を上げながら登場して、いきなり鎌を振り回して暴れたら、誰だって泣きたくなりますよね。」
「そう。だから、ナマハゲな貴方も悪い子って事よ。」
明らかに動揺を隠せない様子で後ずさるナマハゲ(本当のナマハゲに謝れ)。橙とチルノを泣かしていたなどと、夢にも思っていなかったのだろう。
「で、どうするの。もちろん子供を泣かすような自分に対して、自分で罰を下すのよね。まさか、今更言を変えるなんて言わないわよね?」
「う、そ、それは……」
「さあさあ、どうするの?」
ここぞと言わんばかりに詰め寄る幽々子。ついでに身を寄せ合って震えている二人を示して、更に追い詰める。その表情は何故か満面の笑みであった。
「さあ、どうするの?」
「う、うう、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
幽々子の執拗な追い討ちに耐え切れず、逃げ出すナマハゲ(偽者だと信じたい)。その姿は余りにも哀れであった。
「さあ、妖夢。私の食事を妨げる悪は滅んだわ。早く次に行きましょう♪」
「……色々と言いたい事がありますが、もういいです。肝試しを何かと勘違いして、ナマハゲになりきっていた哀れな人が帰ってくる前に、ここから離れましょう。」
先程までの戦闘がまるで無かったかのごとくふるまう幽々子を見て、妖夢は深く考える事を諦めた。むしろ、考えたら負けだと思った。
魔法の森の端に位置する、夜になると予想通りに不気味に見える店。そんな肝試しの時に限って近寄りたくない香霖堂に妖夢は不本意ながらやって来た。
「幽々子様、本当にこんな所に行くんですか?絶対に嫌な予感しまくりですよ?」
「駄目ね、妖夢。こういういかにも怪しそうな場所だからこそ、美味しそうな珍味に出会えるというものよ。さあ、今日はどんな外の世界の食べ物に出会えるのかしら♪」
「いえ、でも営業時間を過ぎているのに入り口が閉まっていないって事は、絶対に誘っていますよ。きっと中で色々と脅されて高い買い物をさせられるに違いありませんよ。」
妖夢の必死の説得も虚しく、幽々子は香霖堂の入り口を潜った。溜息をついて後に続いた妖夢が見た光景は、予想に違わず月明かりが殆ど差し込まない薄暗い店内であった。
「ゆ、ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆ幽々子様……」
「大丈夫よ、まったく妖夢は怖がりさんなんだから。せいぜいこんな所にあるものなんて、人が予想できもしないような曰く付きの道具とか、何万単位の人の怨念が篭った呪いの道具ぐらいなものよ。ほら、大した事無いでしょう?」
「ふう、これは手厳しい発言だね。お客様のご要望とあらば、更に際どい曰く付きのアイテムを仕入れてきますよ。もちろん、僕の趣味に合えばの話ですが。」
妖夢が涙目になりながら何かを言おうとする前に、バタンと入り口の戸が閉まる音と共に第三者の声が店内に響いた。いきなり何者かに話しかけられるなどと露にも思っていなかった妖夢は、店内の光景から受けていたプレッシャーと相まって幽々子の腕を強く掴んだ。
「今晩は。深夜だというのにお仕事ご苦労様。」
「いえいえ、今夜は特別営業を決めていましてね。どうぞ、ゆるりと堪能していってください。」
何故であろうか、ただカウンターに座って腕を組んでいるだけなのに。それなのに、何故このような背筋の凍るような感情に襲われるのか。何故、この店主のいつもの不敵な表情が気になるのか。何故勝手に扉が閉まったのか。何故、入り口の扉が開こうにも開きそうに無いように思えるのだろうか。凍りつく思考の中で、妖夢はそう考え続けた。
「それでは、今日は一体何を見せてもらえるのかしら。せっかくの深夜特別営業ですもの、なにか特別なものを見せてもらえるのでしょう?美味しい珍味だったら大歓迎よ。」
「まあまあ、そう言わずに。今日お二人にお見せしようと思っているものは、あちらです。」
香霖が示す方向を促されるように見る妖夢。暗闇でその棚に何が置いてあるのかが初めは分からなかったが、目を凝らし、目が暗闇に慣れてくるうちにそれが何なのかが分かった。
「……人、形?」
「そうです。しかし、それはただの人形ではありませんよ。少し特別製でしてね。」
ケラケラケラ
妖夢はぎょっとした。人形が、笑ったように見えたのだ。
「このように、暗闇の中で笑うのですよ……」
ケラケラケラ
間違いなかった。これは妖夢の見間違いではなく、確かに人形は笑っていた。口を開閉し、首を左右に振り、目はしっかりと妖夢達を捉えながら……
「ひっ……!?」
ケラケラケラ
堪らずに後ろに下がる妖夢。しかし反対側の棚に阻まれてしまう。
「どうです、なかなか良くできた物でしょう。それとも、そちらの人形の方がおきにめしますかな?」
ケラケラケラ
香霖が妖夢を示した。否、正確には妖夢が背にしている棚を示していた。
「う、うあ、うわぁ……!?」
ケラケラケラ
妖夢が背にしていた棚を見ると、そこには人形が、わらっていた。
ケラケラケラ
否、よく見てみると、その棚にはぎっしりと人形が置かれていた。そして、そのどれもが妖夢を見て、笑っていた。
ケラケラケラ ケラケラケラ
妖夢が慌てて周囲を見回してみると、どの棚にも人形が大量に置かれていて、笑っていた。
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ
「う、あ、あああ、あああああ、ゆ、幽々子、様……!?」
「さあ、この中から好きな物を選んでくれ。どの人形も君たちを歓迎しているよ?」
ケラケラケラ
ケラケラケラ ケラケラケラ
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケ
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「あ、ああ、ああああ……」
「よ、妖夢、しっかりなさい!」
殆ど放心状態の妖夢を揺さぶり、叱咤する幽々子。しかし、どこかその様子は余裕がないようにも見える。
「さあ、選ぶんだ。人形達は君たちを歓迎している。選ばれた人形はさぞ嬉しいだろうね。」
ケラケラケラ ケラケラケラ
「でも、選ばれなかった人形はさぞ怨むだろうね。何故私を選んでくれなかったのか、と。」
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「さあ、どうする?」
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「残念ね。せっかくだけど、私は食べられるものにしか興味が無いの。だから、ここらでお暇させてもらうわ。」
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「妖夢、斬り開きなさい。私達の道を!!」
「は、はい!人符「現世斬」!!」
「あ、こ、こら、店を壊すんじゃない!!」
幽々子について歩く妖夢の表情は、憔悴しきっていた。香霖堂で体験した事は冗談抜きで怖かったのだ。あの後香霖堂を脱出した二人はしばらくの間逃げるように魔法の森を走り抜けた。しかし、それで安心できないのか、妖夢はしきりに後ろを振り向き、手は幽々子の袖を握っていた。
「幽々子様、もう大丈夫ですよね?あの人形が追ってくる事はありませんよね?」
「大丈夫よ、妖夢。ここまで来ればきっと安全よ。私が見たところ、あれは備え付け形式のネタっぽいし。」
脅えてしがみ付いて来る妖夢をしきりに励ます幽々子。しかし、その表情には以前のような余裕は感じられなかった。少なくとも、先ほどのあれは幽々子にも少なからず動揺を与えていたのだ。
幽々子にとっては、それが少し納得のいく事ではなかった。冥界の主であるこの私が、という至極薄っぺらいプライドに触ったのだ。だから幽々子にとっては引くに引けぬ肝試しになってしまったのである。
「もう帰りましょうよ、幽々子様。もうお屋敷に帰って、布団を被って全部夢だったって思い込んで、寝る前に少しだけ甘酒でも飲みましょうよ。」
「妖夢お手製の甘酒にすごく惹かれるものがあるけど、まだ肝試しは始まったばかりよ。もう少し堪能していきましょう。」
そうやって幽々子はしがみついている妖夢の頭をなでた。最近は誰に似たのかめっきり頑固者になってきて、事あるごとに諌められた。ちょっと強引に事を運ぶと、決まって後で適当な理由をつけた手痛い報復(主に食事関係、~を命じられていたので作る暇がありませんでした等など)までまっていた。
しかし、今の妖夢は主の横柄に鍛えられた百戦錬磨の従者ではなく、得体の知れない怖さに脅えてしがみ付いて来る年相応(?)の娘に戻っていた。最近寂しさをひしひしと感じていた幽々子にとって、この肝試しはあの頃の純粋な妖夢(幽々子ビジョンで)と戯れられる良い機会なのだ。むしろ、こっちが本音で、紙よりも遥かに薄っぺらいプライドなどどこかへ飛んで行ってしまっているのかもしれない。
「ゆ、幽々子様、気をつけてください。霧が出てきました。」
「あらあら、さっきまで何とも無かったのに。流石は不思議いっぱい、不快な湿度いっぱいな魔法の森ね。よくこんな所に住もうと思うわ、私には信じられないわね。」
徐々に立ち込めてきた霧の事は別段気にした様子も無く、変わらぬ足取りで幽々子は先へ先へと向かった。
霧が次第に濃くなってきた。唯でさえ月の光が差し込まないのでかなり暗いのに、霧のせいで一段と視界が悪くなっていた。ついでに言えば、霧が濃くなるに連れて妖夢が幽々子の腕を抱く力も強くなっていった。更に言えば、妖夢の腕を抱く力が強くなるに従って、幽々子の表情はある種の悦に入っていった。緊張感の欠片もあったものではない。
「幽々子様、ここらで引き返した方が良いのではありませんか?この深く立ち込める霧、なんだか嫌な感じがします。」
「心配性ね、何でもかんでも怖いと思うから、何でも無いものでも良くない様に思えてくるのよ。もっと気楽に構えなさい。」
しかし、幽々子は内心では引き返すべきかもしれないと思っていた。霧が非常に濃くなり、視界がまるで利かないのだ。それに先ほどから方向感覚がおかしくなっていた。伊達に数百年生きていないので、星や月などを見なくても大体の方向を掴める自信は幽々子にはあった。だが、この霧の中では思うように方向を掴むことができない。
この霧の中では、もし妖夢とはぐれでもしたら合流することが難しいかもしれない。そんな事になってしまったら、この闇と霧の中で妖夢はどうするのだろうか。下手に空へと脱出を図り、霧の中で木の枝にでもぶつかってしまうのだろうか。それとも、私を求めて私の名を涙交じりの声で叫びながらこの霧の中をさ迷い歩くのだろうか。それとも、私を信じて震えながらどこかの木にもたれて私を待っているのだろうか。それとも……
そんなどうでもいい事を悶々と考えながら歩いている時だった。妖夢の歩みが止まり、腕を掴まれている幽々子も止まらざるをえなかった。
「ここ、さっきも通った気がする……」
「何馬鹿な事を言っているの。私達は一方方向にしか歩いていないのよ、そんなことある訳が無いわ。」
きっと妖夢はこの雰囲気に呑まれたのだろう。そう決め付けて幽々子は歩みを再開した。しかし、しばらくしてまた妖夢は立ち止まってしまった。
「や、やっぱりそうです、幽々子様。私達、さっきもここを通りました。だって、私あの木に見覚えがあります。」
「気のせいよ。そんな事がある訳無いじゃない。」
幽々子は湧き上がる一抹の不安を振り切るように、前進を再開した。しかし、またしてもその歩みは止まった。今度は幽々子自身から。
やはり、あの木には見覚えがある。あの大きさ、あの曲がり具合、あの見ているだけでへし折りたくなるような形。いくらこの霧の中とは言え、私がこのぐらいを見間違えるはずが無い……
「ゆ、幽々子様……」
「落ち着きなさい、妖夢。この方角が駄目なら、別の方角を行くまでよ。」
しかし、結果は変わらなかった。歩けど歩けど、元いた場所に戻ってくる。どれだけ方向を変えようとも、どれだけ知恵を振り絞ったとしても。
「何か、何かあるはずよ。ここを抜け出す方法が、絶対に何かあるはずよ。」
柄にも無く真剣に考え込む幽々子。危険を承知で上空に退避しようかと考までした。もはや楽観できる事態ではないと彼女も悟ったようだ。
「幽々子様……」
「安心しなさい、絶対にここから抜け出して見せるから。」
「いえ、そうじゃなくて、幽々子様には聞こえませんか、足音の様なものを。」
何を馬鹿な事をと思って幽々子は周囲を見回したが、この霧と闇の中では何者も見つける事は出来なかった。
溜息をついて再び歩き出す幽々子だが、ふと何かの音が聞こえた。
ヒタヒタ
これは何の音であろうか?
ヒタヒタ ヒタヒタ
これはひょっとして、妖夢のいう足音であろうか?
ヒタヒタ ヒタヒタ
しかし私も妖夢も歩いている。その音が神経質になった耳に届いているだけに違いない。
ヒタヒタ ヒタヒタ
そもそもここら辺には私と妖夢しか居ないはずだ。あれだけ歩き回ったんだから、もし別の誰かが居たとするならとっくの昔に出会っているはず。
ヒタヒタ ヒタヒタ
やはり神経質になりすぎているのだろう。それもそのはず、こんな所に長く居れば誰だって神経質になる。妖夢なんて今にも泣き出しそうだ。
ヒタヒタ ヒタヒタ ヒタ
なら、
何故、今、
足音が、一つ、余分に、
聞こえた……?
「そこ!!」
足音が聞こえてきたと思わしき場所に、弾幕を放つ。しかし、手ごたえは皆無であった。
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆ幽々子様!?」
「く、走るわよ、妖夢!誰だか知らないけど人様の後ろを粘着ストーカーする悪趣味な奴、一気に突き放すわよ!!」
妖夢の手を掴み、宣言通りに走り出す幽々子。霧の中で顔に枝が当たろうが、体が幹にカスろうがお構い無しに森の中を駆け抜けた。
そして、見覚えの無い場所、即ち通った事の無い場所に出た。しかし、抜けだ出せれた事に安堵する暇も無く幽々子は走り続けた。まだ追ってきているかもしれない、その一念が彼女の足を動かし続けたのだ。
だが、遂に幽々子は足を止めた。否、止めざるを得なかったのだ。正面に何者かの後姿を確認したからだ。
「あら、随分お早い事。私達の後ろを付回すのに飽きて、今度は逆に追い回して欲しいのかしら?」
「おや、何か勘違いされていますね。私は今までずっとここに居ましたよ?」
どこか見覚えのある紅い髪を揺らし、霧の中で首を捻る人影。しかし、何故この者は後ろを向いたままなのであろうか?
「貴方、何者?ここで何をしているのかしら?」
「いえ、私は唯の妖怪ですよ。」
自称妖怪が、振り向きだす。その時、幽々子にも妖夢にも嫌な予感が過った。
「皆さんをここでずっとお待ちしていましたけどね。」
振り向いた妖怪は、顔が無かった。
目も、口も、鼻も、何もかも無かった。何故口が無いのに喋れるのか知らないが、とりあえず顔には有るべきものが何も無かった。
「う、うわぁぁぁぁぁー!!でたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「あ、こら、妖夢、待ちなさい!!」
防衛本能剥き出しで脱兎のごとく走り出す妖夢と、それを慌てて追う幽々子。そしてこの場には妖怪のっぺらぼうだけが取り残された。
「もういいですよ、お嬢様、咲夜さん。目標はすごい勢いで逃げていきましたよ。」
霧が急速に収まり、そして木々の間からレミリア・スカーレットと十六夜 咲夜が姿を現した。
「意外と簡単なものね。それにしても、妖夢のあの驚きようは痛快だったわ。」
「私としては、痛快を通り越して少し可哀想に思えてしまいましたけどね。でも、お手柄だったわね、美鈴。よくあそこまで驚かせられたわ。」
「いえいえ、あの手この手で不安がらせた後は、意外と単純な事の方が効果的なんですよ。辺に凝るとかえって見破られたりして逆効果な場合だってありますし。」
そう言いながらのっぺらボウのお面を外す紅 美鈴。要するに、これは彼女達の仕組んだ事であったのだ。
レミリアが霧を発生させて迷わせたり不安がらせ、咲夜が時を操って時間感覚を狂わせたり、紅魔館のように空間を捻じ曲げてループを作り、方向感覚を狂わせたりする。そして、十分混乱に陥れた後に美鈴が止めをさす。こういう仕掛けだったのだ。
よく目を凝らして見ればきっと霧が紅い色だという事に気がついたかもしれないし、ちゃんと気配を配らせれば霧や無限ループに何らかの気配を感じたかもしれない。しかし、この暗闇の中では霧の色に気がつくのは困難な事であろうし、この雰囲気に十二分に煽られている神経では感じ取るのは無理があるというものだ。それに加え、完全で瀟洒な咲夜のやる事にぬかりは無い。気取られないような配慮は完璧であった。
「ふふふ、それにしても痛快痛快。あのボケボケ幽霊の焦った顔を見られただけでも私は満足よ。」
「でも、少し気になりますね。あのお二人が言っていた後ろを付回すって何でしょう?」
「さあ、私達の計画ではそんな事まで入っていないわ。たぶん幻聴でも聞いたんだと思うけど?」
三者三様に首を捻り、悩みだす。あの二人は一体何に追われていたのだろうか?
「へーそーなのかー」
突如誰かの声が聞こえてきた。慌てて声がする方をむく三人。そこには、
「でも、それってきっと私の事だよ。」
暗闇の中に、首だけが浮いていた。
魔法の森の中に、もう何度めかになる悲鳴が響き渡った。
夏も本番。いよいよ無意味に暑くなる時期である。どこかの巫女などは暑い事をいいことに一日中家でダラダラして、どこかの日陰者は蒸し暑い図書館の中でユデダコになるのは毎年恒例である。その他にも様々な現象が毎年幻想郷に生じるのだが、一言で言える事は、素麺が美味しく食べれる季節になったという事である。
さて、夏といえば花火や海水浴などが風物詩であるが、肝試しも伝統的な風物詩である。肝試しと言えば、互いの度胸を試す為に面と向かってド突き合う、手に汗握る漢の行事である。最後に勝ち残った者は、漢オブザ漢として世界に覇を唱える事ができるのだ。
それはさておき、ここ幻想郷でも肝試しが開かれる事になった。暇を持て余したスキマ妖怪が悪巧みを考えたとか、どこかの月の姫様がしょうこにもなく再び某ライバルを抹殺する事を画策したとか、どこかのお嬢様が某巫女をドサクサ紛れで襲おうと計画したとか様々な憶測が飛びかった事もあったが、事は数日前の宴会にさかのぼる。
宴会が始まった当初は普段の宴会とさほど変わりは無かった。巫女が浮かれ、黒白魔法使いが余興で神社の一部を吹き飛ばし、天狗が常にシャッターチャンスを手ぐすね引いて窺ってた。そんないつもの宴会の風景であった。
しかし、何時ごろだったか肝試しをやらないかという話になった。何故、どうして、なんのためにこのようなタイミングで肝試しの話になったかは定かではないが、悪巧み大好きなスキマ妖怪やお祭り騒ぎ上等の黒白魔法使いの巧みな誘導があった事は言うまでもない。
そんなこんなで肝試しをやる事になった。だが、乗り気な問題児軍団の姿は、なんとも不穏な気配を感じさせるものがあった。
そして、肝試し当日の日となる。
今日何度目かになる溜息をつきながら、魂魄 妖夢は運命の瞬間を待っていた。彼女としては毛頭にも参加する意欲は持っていなかったのだが、彼女の主が参加するといって聞かないので、主を一人で行かせるわけには行かず(色んな意味で)、誠に不本意ながら泣く泣く参加する羽目になってしまったのだ。
今回の肝試しの会場は魔法の森ということだけあって、異様に湿気を含む空気が雰囲気を良い感じに出している。鬱蒼と重なって生えている木々の葉が月明かりを遮り、さらに良い感じの暗さを演出している。しかし、妖夢にとってはこんな、いかにもという感じの雰囲気は堪ったものではなかった。
妖夢にとって、肝試しはまさに鬼門であった。半分が幽霊である彼女が肝試しを苦手とするのは少し情けない話だが、嫌いなものは嫌いなのでどうしようもなかった。しかし、じっと何かを期待する主の眼差しには遂に勝てなかったのだ。
「あらあら妖夢、今からそんなに緊張していたら疲れるわよ?」
主の緊張感の欠片も無い言葉を聞いて、余計に疲れが増した。そもそも何故このように緊張しなければならないのか等、思うところが山ほどあるが今は考えないように勤めた。
妖夢としては、誰にも何も出くわしたくなかった。しかし、この幽々子の期待に満ちた目はどうであろうか。まさに今から思う存分相手が嫌がるまで肝試しを堪能しようという目である。もはや無事に明日を迎えられる可能性は、勇気で補っても限りなくゼロに近かった。
「さあ、そろそろよ。今夜はどんな珍味が現れるのかしらね?」
「肝試しに一体何を期待しているんですか!!駄目ですよ、肝試しの最中に殺人事件なんて。きっと末代まで呪われて、毎晩寝所の横に立たれますよ!?」
もはや幽々子は遠足が待ちきれない子供状態である。これから起きる怖い事と、これから予想される苦労を考えると、妖夢の気持ちは一段と滅入ってしまった。
(あああ、どうか無事に何も起きませんように。どうか無事に肝試しが終われますように。どうか無事に……)
無駄と知っていても祈らずにはいられない。これが今の妖夢の心境であった。
さて、今回の肝試しは前にあったようなパチものではない。竹林に虎刈りに行くのではなく、正真正銘の肝試しである。この時点で妖夢の気力はかなり萎えていた。
ルールは無用、楽しんだものが勝ち。脅かすのも自由、恐怖を堪能するのも自由、失神するのも自由。あるのは死人が出ない程度にという話だけで後はとことん楽しもうという、やる(殺)気全開のお祭りのみ。この時点で妖夢は色々と絶望していた。
開始時間は深夜の日付が変わった瞬間。開催期間は日の出まで。その間はルール無用のデスマッチで、早々とお暇する腰抜けのチキンには死の制裁を。もはや数日前から意気揚々と準備する幻想郷でたくましく育った少女達を止められるものは誰もいなかった。この時点で妖夢は全てのやる気を失い、馬鹿らしくなって幽々子の食事を作るのを止めた。
そんな訳で、妖夢は非常に気分が落ち込んでいた。浮かれながら森をガンガン突き進んでいる幽々子と並びながら、何故この世に肝試しなどというイベントが存在しているのかと、意味も無く考えていた。もはや悪い方向に気持ちが落ちているのは明白である。
そんな他愛も無い事(本人はいたって真面目に)を考えていると、幽々子が歩みを止めた事に気がつく。妖夢が急いで周囲に気を配ってみると、何者かの気配を感じた。
「……幽々子様!!」
「あらあら、さっそく来たわね。食べられるものだと良いわね。美味しい物ならなおさら嬉しいわ。」
幽々子の前に出て姿勢を低くし、刀の柄に手をやっている妖夢とは逆に、暢気な事をのたまう亡霊お嬢様。緊張感の欠片も無いその様子は、あるのはどうやら食欲だけのようだ。
(ど、どこだ、どこにいる、どこから仕掛けてくる、どこから私の意識を刈り取ろうとしてくる!?)
妖夢は焦っていた。相手の位置を掴もうとしても上手くいかず、ただただ焦りと恐怖が時間と共に蓄積していった。そして背後から勢い良く音がしたとき、妖夢は自分の敗北を悟った。
「ばあ~!!」
「お化けだぞ~!!」
振り向くと、思い思いの白い衣装と化粧をしたチルノと橙がいた。その姿は怖いというよりも可愛らしく、必死に驚かそうとしているところが更に愛らしさを引き立てていた。
(あ……やば、滅茶苦茶なごむ……)
肝試しという得体の知れない恐怖に震え、今か今かと神経を尖らせていた妖夢にとって、この光景は癒し以外何ものでもなかった。
「さあさあ、食べちゃうぞ~」
橙が驚かしてきた。妖夢は癒された!
「悪さしちゃうぞ~」
チルノが驚かしてきた。妖夢は癒された!!
「人魂だぞ~」
橙は人魂を模した玩具を取り出した。妖夢は非常に癒された。
「悪戯しちゃうぞ~。お菓子くれないと悪戯しちゃうぞ~」
チルノは間違えた知識を使った。しかし、妖夢は物凄く癒された。
(く、こ、このような事に心を奪われるなんて、不覚……。)
「ちぇ、つまんないの。せっかくお菓子が貰えると思ったのに。やっぱりポーズが不味かったかな?」
チルノは思い思いのポーズをとりだした。しかし、その微笑ましさが妖夢に特大のダメージを与えた。
「むー、全然驚いてくれない……」
橙は頬を膨らまして拗ねだした。妖夢に致死量のダメージを与えた。
(あああ、可愛すぎる。頬っぺたをスリスリしてみたい……って、駄目だダメだ駄目だダメだ駄目だダメだ駄目だダメだ駄目だダメだ!!)
妖夢は別次元の戦いに葛藤していた。硬派で堅物として通ってきた彼女でも、極限の緊張からのギャップとあいまってか、この何ともいえない癒し空間には絶えられなかったのだ。それでも最後の一線を越えようとしないのは、日頃の鍛錬の賜物であろうか。
「まあ妖夢、どうしましょう。猫がカキ氷を背負ってやって来たわ♪」
「何故そういう感想になるんですか!?」
妖夢は自分の主の神経を疑った。割と頻繁に疑っているものの、こんな可愛い猫を鍋にして、デザートにカキ氷を食べようとは。そろそろショック療法が必要なのだなと妖夢は静かに悟った。
「ひっ……!!」
「う、うわ……!!」
幽々子の少し異常な視線に身の危険を感じたのか、二人が引いた。少し涙目になっているところがかなり心苦しい光景に見える。
「幽々子様、子供を泣かしてどうするんですか!!」
「なによ、ちょっとした冗談じゃない。それよりも、私よりも脅かしに来たあの二人の方を持つなんて酷いわ、妖夢……」
なにやら訳の分からない事を言って嘘泣きを始める幽々子を見て、妖夢は頭を抱えたくなった。
「もうちょっと大人の対応をしてあげてくださいよ。嘘でも驚いて見せるとか。少なくとも、泣かせる事は無いじゃないですか。」
「私は妖夢の為にと思ってしたのに。酷い、酷いわ妖夢……」
「でしたら、何故私の目を見て話さないんですかって、誰だ!!」
脅える二人をそっちのけで妖夢が幽々子に詰め寄っていると、新たな気配を感じた。急ぎ迎撃体勢を整える妖夢。そして、
「悪ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅい子はぁぁぁぁぁぁぁ、いねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「え!?」
変なのが乱入してきた。
「でぃぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
妖夢と幽々子に向けて、鎌が振り下ろされる。突然の出来事で混乱する妖夢だが、日頃の鍛錬のお陰か、体が反応する。瞬時に楼観剣を抜き放ち、鎌を打ち払う。魔法の森の一角に、重い金属音が鳴り響いた。
「ぐ、幽々子様、お下がりください。こやつめは私が追い払います。」
「あら、どうしましょう。季節外れの個性的なナマハゲだわ。あまり美味しく無さそうね……」
残念そうに嘆く幽々子言葉を呆れながら聞きながらも、妖夢は相手をよく観察してみた。
赤毛の頭にナマハゲのお面をかぶり、青と白の服を着て、手には死神のような鎌を持っている、ナマハゲのお洒落さん。やはりチャームポイントは血に餓えていそうな鎌か。
「……ナマハゲって、あんなんでしたっけ?」
「さあ。でも、食ても不味そうなナマハゲはただのナマハゲよ。妖夢、やっておしまい!」
ビシッとナマハゲ(もどき)を指差す幽々子。もとよりそのつもりであった妖夢は、ナマハゲ(ぽいもの)と睨み合う。
「何故いきなり襲い掛かってくる。あんなものをまともに受けたらタダじゃ済まなかったぞ!」
「子供を泣かす奴は、即ち悪。悪い子を成敗するのがあたいの仕事なんでねぇ。悪いけど、お仕置きさせてもらうよ!!」
気合の雄たけびと共に、踏み込んでくるナマハゲ。妖夢も負けじと踏み込み、楼観剣を振るう。鈍い金属音が響き渡り、こう着状態にもつれ込んだ。
「どうした、どうした。腰が入ってないよぉ。そんなことじゃあたいの鎌は止められないねぇ。それとも、あんたの実力はそんなものなのかい?」
「く、くそ……!!」
鍔迫り合い状態(鎌には鍔は無いが)から一転、激しい斬撃の応酬を繰り広げだした二人だが、妖夢はナマハゲの力に押されていた。一撃一撃が重く、それを受け止める妖夢の腕は次第に感覚が無くなっていく。
(く、どうにかしてチャンスを見つけないと。このままだと押し切られる……!)
焦りに駆られる妖夢。しかし、いくら相手を凝視しても隙らしい隙は見つからなかった。その間にも斬撃を打ち込まれ、焦りが更に積もっていく。
「ファイトー、妖夢~。そんな美味しく無さそうなナマハゲなんか早く倒して、次に行きましょうよ~」
のんびりと持ってきたお握りを頬張りながら、暢気に応援をする幽々子。頬についているご飯粒が異様に眩しかった。
「あああ、もう!!少しは緊張感を持ったらどうなんですか!?」
「ほらほら、余所見とは関心しないねぇ!」
妖夢がつい脇見をしてしまった隙に、鋭い一撃を見舞うナマハゲ(素敵に勘違いされた)。だが、その一撃は空を斬るだけだった。
「そこだ!!」
しゃがんだ状態から、一気に切り上げる妖夢。鎌を振り切っていたナマハゲ(ひょっとして地域限定だったらこれでもOK?)はギリギリのところで鎌の柄で受け止める。
「ち、いきなり動きが良くなるなんて……。いよいよ面白くなってきたねぇ!!」
風を斬り、襲い掛かる鎌。それを時には身を捻って避け、時には大地を転がってやり過し、時にはフェイントで翻弄する妖夢。幽々子のノホホンとした表情を見て事が、押されて焦りだしていた妖夢を本来の自分に引き戻したのだ。
(力は悔しいけど相手の方が上。でも、素早さだったら私の方が上。なら、翻弄し続けてチャンスを見つけるまで!)
力に勝る相手と同じ土俵で戦わない事で、なんとか相手のペースから脱却できた妖夢。しかし、持ち前の脚力で相手を翻弄させれてるからといって、優位に立てた訳ではない。相変らずの力ある一撃は危険であり、またナマハゲ(あれ、もしかすると前世で見たことがあるかも!?)もなかなかなもので妖夢の戦い方を早くも掴んでおり、妖夢は深く踏み込めずにいた。
「はあはあ、流石に強い。でも、何故こんな事を?」
「そりゃナマハゲってのは悪い子をとっちめるのが仕事だからねぇ。あの子達を泣かしておいて言い逃れはできないよ。」
「あら、それはどうかしら?」
束の間睨み合った瞬間に言葉を交わす二人。その間に、今までノンビリと傍観していた幽々子が割って入った。
「へえ、そいっつぁどういう意味だい?」
「あの子達を泣かした言う事なら、あなたも同罪だって言っているのよ。ほら、見なさい。ここで涙目になって震え上がっている二人を。」
幽々子の後ろには、幽々子にしがみ付きながら震えている橙とチルノの姿があった。幽々子がそっと頭を撫でている脅える二人の瞳の先には、確かに恐怖の対象としてナマハゲ(勘違いもいいところ)の姿があった。
「な……!?」
「……まあ、いきなり奇声を上げながら登場して、いきなり鎌を振り回して暴れたら、誰だって泣きたくなりますよね。」
「そう。だから、ナマハゲな貴方も悪い子って事よ。」
明らかに動揺を隠せない様子で後ずさるナマハゲ(本当のナマハゲに謝れ)。橙とチルノを泣かしていたなどと、夢にも思っていなかったのだろう。
「で、どうするの。もちろん子供を泣かすような自分に対して、自分で罰を下すのよね。まさか、今更言を変えるなんて言わないわよね?」
「う、そ、それは……」
「さあさあ、どうするの?」
ここぞと言わんばかりに詰め寄る幽々子。ついでに身を寄せ合って震えている二人を示して、更に追い詰める。その表情は何故か満面の笑みであった。
「さあ、どうするの?」
「う、うう、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
幽々子の執拗な追い討ちに耐え切れず、逃げ出すナマハゲ(偽者だと信じたい)。その姿は余りにも哀れであった。
「さあ、妖夢。私の食事を妨げる悪は滅んだわ。早く次に行きましょう♪」
「……色々と言いたい事がありますが、もういいです。肝試しを何かと勘違いして、ナマハゲになりきっていた哀れな人が帰ってくる前に、ここから離れましょう。」
先程までの戦闘がまるで無かったかのごとくふるまう幽々子を見て、妖夢は深く考える事を諦めた。むしろ、考えたら負けだと思った。
魔法の森の端に位置する、夜になると予想通りに不気味に見える店。そんな肝試しの時に限って近寄りたくない香霖堂に妖夢は不本意ながらやって来た。
「幽々子様、本当にこんな所に行くんですか?絶対に嫌な予感しまくりですよ?」
「駄目ね、妖夢。こういういかにも怪しそうな場所だからこそ、美味しそうな珍味に出会えるというものよ。さあ、今日はどんな外の世界の食べ物に出会えるのかしら♪」
「いえ、でも営業時間を過ぎているのに入り口が閉まっていないって事は、絶対に誘っていますよ。きっと中で色々と脅されて高い買い物をさせられるに違いありませんよ。」
妖夢の必死の説得も虚しく、幽々子は香霖堂の入り口を潜った。溜息をついて後に続いた妖夢が見た光景は、予想に違わず月明かりが殆ど差し込まない薄暗い店内であった。
「ゆ、ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆ幽々子様……」
「大丈夫よ、まったく妖夢は怖がりさんなんだから。せいぜいこんな所にあるものなんて、人が予想できもしないような曰く付きの道具とか、何万単位の人の怨念が篭った呪いの道具ぐらいなものよ。ほら、大した事無いでしょう?」
「ふう、これは手厳しい発言だね。お客様のご要望とあらば、更に際どい曰く付きのアイテムを仕入れてきますよ。もちろん、僕の趣味に合えばの話ですが。」
妖夢が涙目になりながら何かを言おうとする前に、バタンと入り口の戸が閉まる音と共に第三者の声が店内に響いた。いきなり何者かに話しかけられるなどと露にも思っていなかった妖夢は、店内の光景から受けていたプレッシャーと相まって幽々子の腕を強く掴んだ。
「今晩は。深夜だというのにお仕事ご苦労様。」
「いえいえ、今夜は特別営業を決めていましてね。どうぞ、ゆるりと堪能していってください。」
何故であろうか、ただカウンターに座って腕を組んでいるだけなのに。それなのに、何故このような背筋の凍るような感情に襲われるのか。何故、この店主のいつもの不敵な表情が気になるのか。何故勝手に扉が閉まったのか。何故、入り口の扉が開こうにも開きそうに無いように思えるのだろうか。凍りつく思考の中で、妖夢はそう考え続けた。
「それでは、今日は一体何を見せてもらえるのかしら。せっかくの深夜特別営業ですもの、なにか特別なものを見せてもらえるのでしょう?美味しい珍味だったら大歓迎よ。」
「まあまあ、そう言わずに。今日お二人にお見せしようと思っているものは、あちらです。」
香霖が示す方向を促されるように見る妖夢。暗闇でその棚に何が置いてあるのかが初めは分からなかったが、目を凝らし、目が暗闇に慣れてくるうちにそれが何なのかが分かった。
「……人、形?」
「そうです。しかし、それはただの人形ではありませんよ。少し特別製でしてね。」
ケラケラケラ
妖夢はぎょっとした。人形が、笑ったように見えたのだ。
「このように、暗闇の中で笑うのですよ……」
ケラケラケラ
間違いなかった。これは妖夢の見間違いではなく、確かに人形は笑っていた。口を開閉し、首を左右に振り、目はしっかりと妖夢達を捉えながら……
「ひっ……!?」
ケラケラケラ
堪らずに後ろに下がる妖夢。しかし反対側の棚に阻まれてしまう。
「どうです、なかなか良くできた物でしょう。それとも、そちらの人形の方がおきにめしますかな?」
ケラケラケラ
香霖が妖夢を示した。否、正確には妖夢が背にしている棚を示していた。
「う、うあ、うわぁ……!?」
ケラケラケラ
妖夢が背にしていた棚を見ると、そこには人形が、わらっていた。
ケラケラケラ
否、よく見てみると、その棚にはぎっしりと人形が置かれていた。そして、そのどれもが妖夢を見て、笑っていた。
ケラケラケラ ケラケラケラ
妖夢が慌てて周囲を見回してみると、どの棚にも人形が大量に置かれていて、笑っていた。
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ
「う、あ、あああ、あああああ、ゆ、幽々子、様……!?」
「さあ、この中から好きな物を選んでくれ。どの人形も君たちを歓迎しているよ?」
ケラケラケラ
ケラケラケラ ケラケラケラ
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケ
ラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ
「あ、ああ、ああああ……」
「よ、妖夢、しっかりなさい!」
殆ど放心状態の妖夢を揺さぶり、叱咤する幽々子。しかし、どこかその様子は余裕がないようにも見える。
「さあ、選ぶんだ。人形達は君たちを歓迎している。選ばれた人形はさぞ嬉しいだろうね。」
ケラケラケラ ケラケラケラ
「でも、選ばれなかった人形はさぞ怨むだろうね。何故私を選んでくれなかったのか、と。」
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ
「さあ、どうする?」
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ
「残念ね。せっかくだけど、私は食べられるものにしか興味が無いの。だから、ここらでお暇させてもらうわ。」
ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ ケラケラケラ
「妖夢、斬り開きなさい。私達の道を!!」
「は、はい!人符「現世斬」!!」
「あ、こ、こら、店を壊すんじゃない!!」
幽々子について歩く妖夢の表情は、憔悴しきっていた。香霖堂で体験した事は冗談抜きで怖かったのだ。あの後香霖堂を脱出した二人はしばらくの間逃げるように魔法の森を走り抜けた。しかし、それで安心できないのか、妖夢はしきりに後ろを振り向き、手は幽々子の袖を握っていた。
「幽々子様、もう大丈夫ですよね?あの人形が追ってくる事はありませんよね?」
「大丈夫よ、妖夢。ここまで来ればきっと安全よ。私が見たところ、あれは備え付け形式のネタっぽいし。」
脅えてしがみ付いて来る妖夢をしきりに励ます幽々子。しかし、その表情には以前のような余裕は感じられなかった。少なくとも、先ほどのあれは幽々子にも少なからず動揺を与えていたのだ。
幽々子にとっては、それが少し納得のいく事ではなかった。冥界の主であるこの私が、という至極薄っぺらいプライドに触ったのだ。だから幽々子にとっては引くに引けぬ肝試しになってしまったのである。
「もう帰りましょうよ、幽々子様。もうお屋敷に帰って、布団を被って全部夢だったって思い込んで、寝る前に少しだけ甘酒でも飲みましょうよ。」
「妖夢お手製の甘酒にすごく惹かれるものがあるけど、まだ肝試しは始まったばかりよ。もう少し堪能していきましょう。」
そうやって幽々子はしがみついている妖夢の頭をなでた。最近は誰に似たのかめっきり頑固者になってきて、事あるごとに諌められた。ちょっと強引に事を運ぶと、決まって後で適当な理由をつけた手痛い報復(主に食事関係、~を命じられていたので作る暇がありませんでした等など)までまっていた。
しかし、今の妖夢は主の横柄に鍛えられた百戦錬磨の従者ではなく、得体の知れない怖さに脅えてしがみ付いて来る年相応(?)の娘に戻っていた。最近寂しさをひしひしと感じていた幽々子にとって、この肝試しはあの頃の純粋な妖夢(幽々子ビジョンで)と戯れられる良い機会なのだ。むしろ、こっちが本音で、紙よりも遥かに薄っぺらいプライドなどどこかへ飛んで行ってしまっているのかもしれない。
「ゆ、幽々子様、気をつけてください。霧が出てきました。」
「あらあら、さっきまで何とも無かったのに。流石は不思議いっぱい、不快な湿度いっぱいな魔法の森ね。よくこんな所に住もうと思うわ、私には信じられないわね。」
徐々に立ち込めてきた霧の事は別段気にした様子も無く、変わらぬ足取りで幽々子は先へ先へと向かった。
霧が次第に濃くなってきた。唯でさえ月の光が差し込まないのでかなり暗いのに、霧のせいで一段と視界が悪くなっていた。ついでに言えば、霧が濃くなるに連れて妖夢が幽々子の腕を抱く力も強くなっていった。更に言えば、妖夢の腕を抱く力が強くなるに従って、幽々子の表情はある種の悦に入っていった。緊張感の欠片もあったものではない。
「幽々子様、ここらで引き返した方が良いのではありませんか?この深く立ち込める霧、なんだか嫌な感じがします。」
「心配性ね、何でもかんでも怖いと思うから、何でも無いものでも良くない様に思えてくるのよ。もっと気楽に構えなさい。」
しかし、幽々子は内心では引き返すべきかもしれないと思っていた。霧が非常に濃くなり、視界がまるで利かないのだ。それに先ほどから方向感覚がおかしくなっていた。伊達に数百年生きていないので、星や月などを見なくても大体の方向を掴める自信は幽々子にはあった。だが、この霧の中では思うように方向を掴むことができない。
この霧の中では、もし妖夢とはぐれでもしたら合流することが難しいかもしれない。そんな事になってしまったら、この闇と霧の中で妖夢はどうするのだろうか。下手に空へと脱出を図り、霧の中で木の枝にでもぶつかってしまうのだろうか。それとも、私を求めて私の名を涙交じりの声で叫びながらこの霧の中をさ迷い歩くのだろうか。それとも、私を信じて震えながらどこかの木にもたれて私を待っているのだろうか。それとも……
そんなどうでもいい事を悶々と考えながら歩いている時だった。妖夢の歩みが止まり、腕を掴まれている幽々子も止まらざるをえなかった。
「ここ、さっきも通った気がする……」
「何馬鹿な事を言っているの。私達は一方方向にしか歩いていないのよ、そんなことある訳が無いわ。」
きっと妖夢はこの雰囲気に呑まれたのだろう。そう決め付けて幽々子は歩みを再開した。しかし、しばらくしてまた妖夢は立ち止まってしまった。
「や、やっぱりそうです、幽々子様。私達、さっきもここを通りました。だって、私あの木に見覚えがあります。」
「気のせいよ。そんな事がある訳無いじゃない。」
幽々子は湧き上がる一抹の不安を振り切るように、前進を再開した。しかし、またしてもその歩みは止まった。今度は幽々子自身から。
やはり、あの木には見覚えがある。あの大きさ、あの曲がり具合、あの見ているだけでへし折りたくなるような形。いくらこの霧の中とは言え、私がこのぐらいを見間違えるはずが無い……
「ゆ、幽々子様……」
「落ち着きなさい、妖夢。この方角が駄目なら、別の方角を行くまでよ。」
しかし、結果は変わらなかった。歩けど歩けど、元いた場所に戻ってくる。どれだけ方向を変えようとも、どれだけ知恵を振り絞ったとしても。
「何か、何かあるはずよ。ここを抜け出す方法が、絶対に何かあるはずよ。」
柄にも無く真剣に考え込む幽々子。危険を承知で上空に退避しようかと考までした。もはや楽観できる事態ではないと彼女も悟ったようだ。
「幽々子様……」
「安心しなさい、絶対にここから抜け出して見せるから。」
「いえ、そうじゃなくて、幽々子様には聞こえませんか、足音の様なものを。」
何を馬鹿な事をと思って幽々子は周囲を見回したが、この霧と闇の中では何者も見つける事は出来なかった。
溜息をついて再び歩き出す幽々子だが、ふと何かの音が聞こえた。
ヒタヒタ
これは何の音であろうか?
ヒタヒタ ヒタヒタ
これはひょっとして、妖夢のいう足音であろうか?
ヒタヒタ ヒタヒタ
しかし私も妖夢も歩いている。その音が神経質になった耳に届いているだけに違いない。
ヒタヒタ ヒタヒタ
そもそもここら辺には私と妖夢しか居ないはずだ。あれだけ歩き回ったんだから、もし別の誰かが居たとするならとっくの昔に出会っているはず。
ヒタヒタ ヒタヒタ
やはり神経質になりすぎているのだろう。それもそのはず、こんな所に長く居れば誰だって神経質になる。妖夢なんて今にも泣き出しそうだ。
ヒタヒタ ヒタヒタ ヒタ
なら、
何故、今、
足音が、一つ、余分に、
聞こえた……?
「そこ!!」
足音が聞こえてきたと思わしき場所に、弾幕を放つ。しかし、手ごたえは皆無であった。
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆ幽々子様!?」
「く、走るわよ、妖夢!誰だか知らないけど人様の後ろを粘着ストーカーする悪趣味な奴、一気に突き放すわよ!!」
妖夢の手を掴み、宣言通りに走り出す幽々子。霧の中で顔に枝が当たろうが、体が幹にカスろうがお構い無しに森の中を駆け抜けた。
そして、見覚えの無い場所、即ち通った事の無い場所に出た。しかし、抜けだ出せれた事に安堵する暇も無く幽々子は走り続けた。まだ追ってきているかもしれない、その一念が彼女の足を動かし続けたのだ。
だが、遂に幽々子は足を止めた。否、止めざるを得なかったのだ。正面に何者かの後姿を確認したからだ。
「あら、随分お早い事。私達の後ろを付回すのに飽きて、今度は逆に追い回して欲しいのかしら?」
「おや、何か勘違いされていますね。私は今までずっとここに居ましたよ?」
どこか見覚えのある紅い髪を揺らし、霧の中で首を捻る人影。しかし、何故この者は後ろを向いたままなのであろうか?
「貴方、何者?ここで何をしているのかしら?」
「いえ、私は唯の妖怪ですよ。」
自称妖怪が、振り向きだす。その時、幽々子にも妖夢にも嫌な予感が過った。
「皆さんをここでずっとお待ちしていましたけどね。」
振り向いた妖怪は、顔が無かった。
目も、口も、鼻も、何もかも無かった。何故口が無いのに喋れるのか知らないが、とりあえず顔には有るべきものが何も無かった。
「う、うわぁぁぁぁぁー!!でたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「あ、こら、妖夢、待ちなさい!!」
防衛本能剥き出しで脱兎のごとく走り出す妖夢と、それを慌てて追う幽々子。そしてこの場には妖怪のっぺらぼうだけが取り残された。
「もういいですよ、お嬢様、咲夜さん。目標はすごい勢いで逃げていきましたよ。」
霧が急速に収まり、そして木々の間からレミリア・スカーレットと十六夜 咲夜が姿を現した。
「意外と簡単なものね。それにしても、妖夢のあの驚きようは痛快だったわ。」
「私としては、痛快を通り越して少し可哀想に思えてしまいましたけどね。でも、お手柄だったわね、美鈴。よくあそこまで驚かせられたわ。」
「いえいえ、あの手この手で不安がらせた後は、意外と単純な事の方が効果的なんですよ。辺に凝るとかえって見破られたりして逆効果な場合だってありますし。」
そう言いながらのっぺらボウのお面を外す紅 美鈴。要するに、これは彼女達の仕組んだ事であったのだ。
レミリアが霧を発生させて迷わせたり不安がらせ、咲夜が時を操って時間感覚を狂わせたり、紅魔館のように空間を捻じ曲げてループを作り、方向感覚を狂わせたりする。そして、十分混乱に陥れた後に美鈴が止めをさす。こういう仕掛けだったのだ。
よく目を凝らして見ればきっと霧が紅い色だという事に気がついたかもしれないし、ちゃんと気配を配らせれば霧や無限ループに何らかの気配を感じたかもしれない。しかし、この暗闇の中では霧の色に気がつくのは困難な事であろうし、この雰囲気に十二分に煽られている神経では感じ取るのは無理があるというものだ。それに加え、完全で瀟洒な咲夜のやる事にぬかりは無い。気取られないような配慮は完璧であった。
「ふふふ、それにしても痛快痛快。あのボケボケ幽霊の焦った顔を見られただけでも私は満足よ。」
「でも、少し気になりますね。あのお二人が言っていた後ろを付回すって何でしょう?」
「さあ、私達の計画ではそんな事まで入っていないわ。たぶん幻聴でも聞いたんだと思うけど?」
三者三様に首を捻り、悩みだす。あの二人は一体何に追われていたのだろうか?
「へーそーなのかー」
突如誰かの声が聞こえてきた。慌てて声がする方をむく三人。そこには、
「でも、それってきっと私の事だよ。」
暗闇の中に、首だけが浮いていた。
魔法の森の中に、もう何度めかになる悲鳴が響き渡った。
>しょうこにもなく 性懲りもなく
>見て事が 見た事が
>抜けれ出せた 抜け出せた