(注) 作品集29『ふぶきのよるに』及び『あらしのよあけ』の続編です。
もっとも、ゆかれいむ。の五文字をインプットして頂くだけで何とかなる気がします。
むしろ、100kbある事のほうが問題です。
ごきげんよう、博麗霊夢です。
本日は、皆さんと一緒に、日本語の勉強をしたいと思います。
唐突な上に敬語だけど、キレてないですよ? 全然キレてないっスよ?
……おほん。
三度目の正直という諺がある。
一回、二回と失敗しても、三回目には上手く行くさ。という意味だ。
また、二度ある事は三度あるという言葉も存在する。
これは読んで字の如く、二度続起きた事は続けてもう一度起きるとの格言。
私としては、前者であって欲しかった。
しかし、それは儚き願望に過ぎないという、ある種の直感のようなものも覚えていた。
良い悪いに関わらず、私の勘は非常に良く当たる。
いや、それはもう勘なんてものじゃない、言わば神託だ。
どんなお告げかと言うと……ええい、まだるっこしいわね。
ぶっちゃけ、今の私の置かれた状況を解説するのに、多くの言葉は必要ない。
ただの一言だけで十分だ。
「熱い!!」
言っておくけど、これは誤字じゃない。
暑いという領域を通り越して、文字通り熱いのだ。
それこそ、昼食に用意した冷やしたぬきそばが、お茶を入れている間に普通のたぬきそばになってしまったくらい……。
あやまれ!
志半ばにして倒れたわさびにあやまれ!
勿体無いから無理やり混ぜたは良いものの、結局は果てしない後悔を覚えた私にもあやまれ!
誰だか知らないけど、とにかくあやまれ!
……ふう。
何だって毎回毎回、私ばかりがこんな悲惨な目に遭わないといけないんだろう。
春先には、季節感をまるで無視した猛吹雪のせいで、危うく餓死と凍死と同時に体験するところだったし、
また、その舌の根も乾かぬ内に、およそ三日間に渡って停滞するという常識を覆した台風によって、
事実上の監禁という憂き目に遭ったりもした。
そして、ようやく過ごしやすい季節になったかと思った途端に、この有様。
冬は外より寒く、夏は外より暑いという、素敵すぎる博麗神社の構造には感嘆を禁じ得ない。
いっそ倒壊してしまえば身も心もさっぱりするような気もするけど、
あれだけ立て続けに自然の猛威を受けてもビクともしなかった耐久力を考えると、それも望み薄だろうか。
……駄目だ、この神社。
早く何とかしないと……。
「……うー……」
益体も無い事を考えている間にも、気温はぐんぐんと上昇の一途。
それに正比例するように、私の苛立ちの度合いもレッドゾーンに突入する。
ああ、この清清しいまでに強烈な夏の陽射しが憎い。
いや、むしろ、寒暖の差が激しすぎる幻想郷の四季が憎い。
四季が憎い………四季が憎い……四季が憎いっ!
『私の方こそ、残り三十秒を切ってからの貴方が憎くて堪らないのですが』
何か悲しげな声が聞こえた気がしたけど、それは間違いなく幻聴。
どうせ平仮名七文字シリーズだから、私と紫しか登場しないんだろうし。
……って、シリーズって何よ。
どうやら私は、暑さの余り本格的にアホの子になって来たらしい。
「……あづー……」
口にするだけ無駄、と分かっていても、もはや止める事が出来ない。
時間を経るにつれて、脳内が『暑い』という二文字のウイルスに侵食されているのだ。
随分と前に入れた癖に一向に冷める気配の無いお茶にも、手を伸ばす気が起きない。暑いから。
掃除も洗濯も何もしてないから、仕事は溜まる一方だけど、実行に移すという結論が出ない。暑いから。
いっそ涼を求めて旅立つという気力すら沸かない。大体にして、外も暑いから。
ああ、暑い。
暑い、暑い、暑い、暑い、暑い。
暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い署い暑い暑い暑い暑い暑い……。
「……!? そうか、見えたわ!」
ぴこーん、と頭の上に豆電球が輝いた……ような気がした。
そう、私は全てを悟ったのだ。
先々日の吹雪も、先日の嵐も、今日の猛暑も、全てはこの神社が穢れているのが原因に違いない。
ウチだけじゃなくて、幻想郷全土が異常気象に見舞われてる気がしたけど、そんな些細な事はどうでも良いのであった。
私は巫女だ。
巫女ならば当然、穢れは払わねばならない。
その儀式に必要なものと言えば当然、水だ。
それも、大量に。
「はぁー……ふぅー……はぁー……ふぅー」
数分後。
私は勢いのみをもって、大量に水の詰まった樽を、居間へと運び込む事に成功していた。
この大仕事のせいで、暑さがより一層増した感もあったけど、
これから始まる一大イベントの前では些細なものだ。
最後の一花。とかいう不吉な一文が浮かんだのも、多分気のせい。
博麗の血族代々に伝えられたような気がする伝説の避暑奥義、『アルティメット打ち水』が全てを救ってくれる筈なのよ。
……にしても、どうしてご先祖様は、奥義の名前に英語なんて混ぜたんだろう。
某吸血鬼みたいな絶望的なネーミングセンスの持ち主でもいたのかしら。
ま、どうでもいいわ。
「悪霊退散っ!!」
桶の縁ぎりぎりまで満たされた水を、柄杓で掬い取っては砲丸投げの要領でぶちまける。
そう、アルティメット打ち水とは即ち、清らかなる水の力によって、熱気という穢れを払うシンプルな技なのだ。
どこら辺がアルティメットなのかと言うと……多分、室内でもお構いなしだから?
……って、自分でやっててどうして疑問系なんだろうか。
まあ、熱気さえ払われれば、こんなアホの子な思考からも脱出でき……。
「……え……」
私の考えを嘲笑うかのように、神の雫は一瞬の内に蒸発してしまった。
勝負にも何もなってない。
むしろ、気化した水が、更なる熱気を帯びた蒸気となり、事態は更に悪化した。
もし、私が眼鏡を着用していたならば、この瞬間に戦いは敗北で終わっていたに違いない。
「……」
しかし、いくらなんでも、これはひどい。
私は今の今まで寝起きしていた場所は、火の入った竈の中のようなものだったのだから。
お約束の神の力というものを改めて思い知らされた瞬間だった。
ウェルダンに焼きあがらなかっただけでも僥倖だろう。
……が、神には謝っておかねばならない。
生憎として私は、この程度で行動をストップするほど、諦めの良い性格ではない。
というか、こうなったらヤケにならざるを得ないわ。
「たいさーーん! たいさーーーん!」
ノンストップで散水を繰り返す。
汲んでは撒いて、撒いては汲んで、汲んではぶちまける。
もはや打ち水というよりは火災現場に近い有様になっているだろうが、気にしない。
無断で住居を竈に改造されたとあっては、博麗の巫女の名折れなのだ。
いや、まあ、巫女は関係無いんだけど。
「たいさーーーーーーん!! タイ産ーーーーーーーー!! うひゃっほーーーーーーーぅ!!」
亜光速で水を撒いている内に、段々気持ち良くなって来た。
もはや、居間の中は完全に蒸気に包まれ、天然蒸し風呂状態。
でも、そんな環境ですら、今の私には心地よく感じられる。
これが俗に言う、ランナーズハイというものだろうか。
違うか。違うわね。
でも、どうでもいいわ。
「えめらるどすぷらぁぁぁぁぁっしゅ!!!」
我ながら意味不明な叫びだと自覚しつつ、私は最後の散水の敢行を決意する。
フィニッシュに相応しく、樽ごとまとめてだ。
自分にそんな力が残っていたのは不思議だったけど、出来てしまったものは仕方が無い。
さあ、標的は我が家の大黒柱……。
「麗しき隙間からこんにちはー」
「のわっ!」
ちょうど樽を頭上まで抱え上げた瞬間、腋の下から見覚えのありすぎる御尊影が、にょっきりと飛び出した。
あらかじめ言っておくけど、私は悪くない。
サッカー選手だって急にボールが来れば驚くご時世、突然ありえない空間から顔を突き出されれば、驚くのは当然。
そして驚けば手の力くらい抜けるし、そうなれば当然、抱え上げていた樽は重力に従って落下する。
その落下先に誰かさんの顔面が存在するかどうかなんて、私が関与できる類のものじゃない。
だから、私は悪くない。
「ポウッ!?」
いい声……まるで心が洗われるようね。
「……」
「……」
数分後。
座布団に正座しては半目で見下ろしてくる紫と、それを項垂れて受け止める私という、
もはや定番となった構図が誕生していた。
言うまでもなく紫は水と出血で全身が大変な事になっており、
おまけに砕け散った樽の木片が身体のあちこちにへばりついていた。
あ、一本刺さってる。
「霊夢、ちょいとそこに座りなさい」
「最初から座ってるわよ」
「この間は突き落とし、その前はとったり、で、今日は叩き込み……毎度趣向を凝らしたお出迎えご苦労様ね。
貴方、相撲でも極めるつもり?」
「……うっさいわね。私だって好きでやってるんじゃないわよ」
「好きでやってたなら、それこそ首を括りたくなるわ……。
ともかく、相撲ならアフガン航空相撲にしておきなさい。あれは間違いなく霊夢向きよ」
「どんな相撲なの……」
幸運にも、現在の室内は、左程暑くはない。
実のところ半信半疑だったアルティメット打ち水だけど、意外にも奥義の名に相応しい効果を挙げたらしい。
もっとも、根本的な解決にはなっていないから、直ぐにまた窯状態に戻る気がするけど。
「……で、何か私に言う事があるんじゃないの?」
紫の表情は真剣そのもの……なんだけど、頭から伸びる木片のせいで台無しだった。
とは言え、ここで指さして嘲笑しようものなら、改行無しの説教地獄が待ち受けているに違いない。
そんなもの受けたって、私も読者も楽しくないから却下。
しかし、私が言うべき事って何だろう。
愛の告白?
違うわね、もうとっくの昔に通過した道だし。
すると……。
「ゆかえもーん、涼しくなる道具を出してよー」
「……霊夢くん。あなたはじつにばかね」
だそうだ。
どうやら私は、またしても空気の読めていない発言をしてしまったらしい。
「むー、馬鹿とは何よ。しかも平仮名で」
「分かるの!? ……じゃなくて、遠路遙々尋ねてきたラヴァーに、殺人兵器を叩きつけておいて、
謝罪の言葉の一つも無いのはどうか。って言ってるのよ」
「ああ、はいはい、ごめんなさい」
「気持ちがこもってないわね」
「……だって、別に悪いだなんて思ってないもん」
「なら、私に問題があるって言うの?」
「そりゃどう考えたって、前触れも何も無しに腋の下から現れるあんたが一番の問題でしょ」
「……む」
およ。
ちょっと苦し紛れっぽい返しだったけど、意外と効果的だったようだ。
これはもしや、反撃の好機?
「言葉に詰まるってことは、あんたにも自覚があるのね」
「まあ、その……」
「そりゃそうよね。普通、遠路遙々尋ねてきたラヴァーだかウボァーだかは、
幾らかの高揚と緊張を抱きつつ、玄関の戸を叩くものだもの。
それが、セクハラ的要素を含んだ不法侵入をした挙句、逆切れして説教を始めるなんて……」
そう、よくよく考えてみれば、私にはまったく……とは言わないけど、説教される程の落ち度はない。
それなのに、当たり前のようにこの構図を受け入れてしまったのは、やはり日頃の積み重ねというものだろうか。
……何て好ましくない積み重ねだろう。
「……うー……」
紫のほうも思い至ったのか、平日比75%ほどに縮こまっては、情けない呻き声を上げている。
比喩じゃなくて、本当に小さくなってるんだけど、こいつの異常さは存分に知ってるから、別に驚かない。
ともかく、これは絶好の機会だ。
一方的に優位に立たれっぱなしのゆかれいむシリーズは本日をもって終了。
新シリーズはれいむゆかりんで決定!
……ちと語呂が悪いわね。
「ええい、さり気なく少女臭を醸し出すんじゃないの。悪い事をしたと思ったなら、すべきことがあるでしょ?」
「……ごめんなさい?」
ミニ紫が恐る恐るといった様子で見上げてくる。
正直、かなりマイハートを刺激する仕草だったけど、ここは心を鬼にして更に追求を重ねる。
今の私に必要なのは、肉体の一時的接触じゃないのよ。
「ノゥ! ふかーく傷つけられた乙女の心は、謝罪の言葉なんかじゃ癒されないわ。
私が求めるものはただ一つ……」
そして、存分に溜めた後に、言い放つ。
「暑い。なんとかして」
切実なる願いの前に、新シリーズは無期限の延期と相成った。
というか、私の日常生活がほぼ紫頼みである以上、しばらく力関係は覆せそうにない気がする。
そりゃ幽々子くらい図太かったら楽なんだろうけど、あいつを見習うのだけは御免だ。
残念だけど、これが現実なのよ。
「……確かにこの暑さは異常ね。余程、日頃の行いが悪いのかしら」
何時の間にか元のサイズに戻っていた紫が、卓袱台の上に置いたままの丼に視線を送りつつ呟く。
多分、それだけで私の置かれた状況を察したんだろう。
むしろ、察してくれないと困る。
このままでは、物理的に体液が沸騰しかねないのから。
「後ろ半分は余計。……というか、あんた、暑いって分かってる癖に何でそんな格好してるのよ」
紫の格好は、いつもと同じ……と言っても、こいつは結構な割合で衣装を変えてくるんだけど、
今日は式の狐とお揃いの導師服のような服装、いわゆる萃夢想スタイルだった。
髪を結い上げているのと、スカートの中の人が頑張っているの二点が、永夜抄スタイルとの違いだ。
……あー、こういう表現をすると、本当に中に誰か潜んでるように聞こえるわね。
訂正、パニエが頑張ってるんです。これでよし。
ともかく、否応無しに紫研究の第一人者となった私が言うんだから間違いない。
「ん? ああ、これは夏仕様なのよ。だから見た目ほど暑くはないわ」
「……夏仕様?」
よく見てみると、布地がいくらか薄手に作られているように感じられる。
でも、それだけだ。
基本的に暑苦しい格好である事に変わりは無い。
にも関わらず紫は汗の一滴すら流していない。血は出てるけど。
もしや、スキマ妖怪とは変温動物の一種なのだろうか。
……ありえない話でも無いわね。冬眠もするし。
もしかして、脱皮とかもするのかしら。
「とても失礼な事を考えてはいない?」
「気のせいよ」
嘘は吐いていない。
たとえ紫が爬虫類だろうと魚類だろうと、決して差別するつもりはないからだ。
事象平均化の能力を甘く見て貰っては困る。
「……ま、良いわ。
それで、私は何をすれば良いのかしら」
「この不快ささえ解消できれば何でもいいわよ」
「ふむん。風鈴でも付けたら良いんじゃないかしら」
「パス。気分的な涼しさなんてどうでもいいの。もっと物理的な涼が欲しいわ」
「んー、なら、夏と冬の境界でも弄ってみましょうか?」
「それもパス。また吹雪に見舞われたんじゃ堪ったもんじゃないわ」
「じゃあ、最新型エアーコンディショナー、くろまくくんでも……」
「あー、パス。冷房は身体に悪いから禁止だって、先祖代々言い伝えられてるのよ」
「……なら、一体どうしろっていうのよ」
「だから何でもいいって言ってるじゃないの」
「……」
何故か紫は、半目になって眉間に皺を作り、果てには下唇をしゃくるという、不信感満点の表情になった。
私はただ、涼しくしてくれと頼んだだけなのに、何をそんなに怪訝に思う必要があるんだろう。
スキマ妖怪の考える事はよく分からない。
「ほら、どうせ何か隠してるんでしょ……っと」
「こ、こら、勝手に手を入れないの」
紫の背後に広がっていたスキマの中を、適当にまさぐってみる。
傍目には、異常な光景なんだろうけど、私としてはもう慣れ切っているので、大して気にもならない。
言うなれば、押入れの中を探ってるようなものだ。
「ん?」
確かな感触。
私は迷うことなく、それを掴み取り、スキマから引っ張り出す。
お目見えしたのは、紺一色で、ざらざらとした質感の布地。
しかも何故か、中央の部分に私の名前が記されていた。
「……何これ」
「あ、うん、霊夢へのお土産よ。その名もスクー……」
言い終わるよりも早く私は、渾身の右ストレートを紫の顔面に向けて打ち放っていた。
何故そんな事をしようと思ったのかは、正直、自分でも分からない。
多分、防衛本能とか、生理的嫌悪感とか、そんなものが働いたんだと思う。
「……ふんっ!」
「!?」
直撃した、と思ったその時。
私の身体は、ふわりと宙を待っていた。
そして、何が起こったのかを理解するよりも早く、背中から畳に叩きつけられる。
「くぁっ……!」
全身に奔る衝撃に、苦悶の声が漏れる。
目を見開くと、手刀を喉元に突きつけている紫の姿が見えた。
私には、大人しく両手を上げて降参の意図を示す以外の道は残されていなかった。
「迷いの無い、良い拳だったわ」
「……でも、当たらなかった」
「それは仕方ないわ。まだまだ霊夢には年季が足りないのよ」
「年季、ねぇ」
紫は苦笑を浮かべつつ、私を引っ張り起こす。
この光景は、もはや私にとっては馴染んだものだった。
というのも、私は紫を相手に、勝負事で勝った記憶が殆ど無い。
多分、初対面の時の弾幕戦が最初で、そして今のところは最後だったと思う。
勝負事と言っても、しゃぶしゃぶの灰汁取り合戦やら、桃鉄三十年一本勝負やら、
深夜の脱衣麻雀やらといった、果てしなくどうでもいいものばかりだけど、
結果として、私が紫に負け続けているというのは事実。
まあ、勝てないと言う事は、勝たなければいけないような事態に陥っていないって証拠だし、それほど気にはしていない。
……。
……ん?
「……ええと、何の話してたんだっけ」
「何って、いきなり私の大事な部分を弄り回した挙句、殴りかかってきたのは霊夢じゃないの」
「誤解を招く言い回し禁止。……じゃなくて、これよ、これ」
床に落ちていた件の布地を取上げる。
私の脳の中の人を総動員した結果、これはスクール水着というブツである。との結論が出た。
主に、外界の学び舎に通う少女が、水泳を行う際に着用するもの……だと霖之助さんから聞いた記憶があったのだ。
『主に』という言い回しがとても気になったけど、妙な悪寒を感じたので、あえて突っ込まなかった。
多分、さっきの衝動的な行動も、この記憶のせいに違いない。
「で、どうしてこれに私の名前が書いてあるわけ?」
「馬鹿ねぇ、名前の書いてないスク水なんてスク水じゃないわ」
また馬鹿って言われましたよ?
というか、何故に略称?
「そうじゃなくて、これをどうするつもりだったのかって聞いてるのよ」
「あー、そうそう、樽攻撃のショックですっかり忘れてたわ」
紫は一人頷きつつ手を上げると、新しくスキマを展開する。
途端、空間から、多種多様の水着の数々が滑り落ちて来た。
「ちょ、ちょっと、一体何のつもり!?」
「スク水はただの選択肢の一つに過ぎないわ……さあ霊夢。貴方自身の手で、可能性を掴み取りなさい!」
「そんな、いきなり最終回っぽい台詞を放たれても訳分からないんだけど」
「んもう、鈍いわねぇ。海に行くから、好きな水着を選びなさいって言ってるのよ」
「……はあ?」
海。
無論、知らないという訳じゃない。
地球の約七割が、例の海で覆われているという事も知っている。
そして、海水浴なるものが、大変に魅力的なイベントであるという事も、何故か知っている。
が、私達の住む幻想郷は、山奥に隔離された秘境である。
海などが存在する筈も無いのだ。
「そうね……インドネシアの近海なんてどうかしら。良い雰囲気の無人島があるわよ」
「って、あっさりと外界の地名を挙げるんじゃない!」
「あら、不満? でも、アカプルコやゴールドコーストだと工作が面倒だし……」
「そういう意味じゃないってば。そもそも、何だって海なのよ」
「暑いから何とかしてって言ったのは霊夢でしょう。
夏と来れば海。これは白楼剣でも断ち切れない強固な関係なのよ。
という訳で、たまには湿気と無縁の夏の一日を過ごしてはみない?」
「……むぅ」
一応幻想郷にだって、川なり湖なりといった泳げる場所は存在するけど、
今日の様子だと、避暑地としての役割が果たせるかは甚だ疑問だ。
そういう意味では、海に行くというのは、それほど悪くない選択肢だとは思う。
無人島なら、外の人間と出会う事も無いだろうし。
……でも、仮にも幻想郷と外界を隔てる博麗大結界を見守る役目の私達が、
率先してその結界を通り超えてしまって良いものなんだろうか。
日頃、やる気が無いと称されている私でも、仕事に関しては手を抜いた記憶は無い。
ここは己の欲望に従うべきか、職務に忠実であるべきか……。
「余り乗り気じゃないみたいね。なら今日は止めておきましょうか?」
「……」
「お返事は?」
「……行く。行きます。是非とも連れて行って下さいませ」
心の葛藤は、およそ五秒で幕を下ろした。
この際、すべての疑問は投げ捨てる。
前々から投げ捨ててばかりな気もするけど、一切合財忘れておく。
何しろ、我が家の不快指数は、150に近いという有り得ない数値を示している。
このまま留まっていたならば、末路は間違いなく即身仏かアジの開きだろう。
そんな素敵な未来予測図は御免こうむるし、何より、私だってたまには弾以外で遊びたい。
南の島での優雅なバカンス……幻想郷っぽさの欠片もなくて、実に素晴らしいわ。
人生に必要なのは、夢と勇気とサムマネー。とチャップリンは言っていた。
最後の一つに自信が持てない私としては、残りの二つを大事にするのは当然なのよ。
「宜しい。じゃ、好きな水着を選んで頂戴」
「はーい」
言われるまでもなく、一つ一つ手にとって品定めを開始する。
そういえば、こういう感覚って忘れてたわね。
「へぇ、水着って、こんなに色々あったのね」
「比較的新しい文化だから、幻想郷では余り普及していないのよ」
「ふうん……って、こ、この、ヒモみたいなのも水着なの?」
「そうよ。まあ、あまり泳ぐのには適してないんだけど」
「は? それじゃ水着の意味が無いじゃないの」
「そういうものなのよ。理屈じゃないわ」
「……変なの」
何となく、これを身に付けた自分の姿を想像してみる。
……。
…………。
………………。
……駄目だ、絶望的に似合う気がしない。
恐らく、これを着用するには、それなりの年季と、ボリューム感溢れるボディ。
そして何よりも、一切の羞恥心を捨てる気概が必要に違いないわ。
「……もしかしてこれ、紫の?」
「違うわよ。でも、確か藍が似たようなタイプを持ってたわね」
「……」
「あの子、尻尾が邪魔で普通の水着だと殆ど合わないのよ、だから滅多に着ないんだけど……」
「あ、ああ、そういう意味なのね」
ごめん、藍。
一瞬、別の意味で、もの凄い説得力を感じてしまったわ。
「で、どう? 気に入ったものはあったかしら?」
次に取り上げてみたのは、フリルやらリボンやらが多く付いたワンピース。
ある意味、幻想郷っぽいとは言えるんだけど、どうにもしっくり来ない。
「うーん……これはイマイチね」
「そうねぇ、霊夢には子供っぽ過ぎるかしら。吸血鬼姉妹辺りなら似合うでしょうけど」
気を取り直して次。
さっきのとは真逆に、余計な装飾を一切省いた機能性重視のタイプ。
「より早く泳ぐ為に……ってとこかしら」
「多分、妖夢ならこれを選びそうね」
「同感。でも、もう少し遊び心が欲しいわ」
「……意外と拘るのねぇ」
「何よ、あんたが選べって言ったんじゃないの」
「別に責めてないわよ」
言葉通り、紫は別段苛立っているようには見えない。
でも、いつまでも水着と格闘していたのでは、肝心の遊ぶ時間が無くなってしまう。
それでは本末転倒だ。
「……よし、決めたわ」
「ん、どれ?」
「ちょっと待ってて、着換えてくるから」
「手伝ってあげましょうか?」
「いらんわっ!」
言葉と合わせて、ローリングソバットで威嚇しておく。
この辺をちゃんとしておかないと、本当に着いて来かねないからだ。
別に見慣れてるとか、そういう問題じゃないのよ。
という訳で、別室に引き篭もること約五分。
着替えを済ませた私は、恐る恐る居間へ繋がる襖を開く。
「……ど、どう?」
私の選んだ水着は、背中の部分を止めている大きなリボンが特徴のワンピース。
前から見ると至ってシンプルなのに、後ろからだと一転して派手に見えるというのが気に入っていた。
色はちょっと悩んだ末に、私のイメージカラーである紅と白を混ぜたピンク。
どこぞの停滞中の長編のタイトルのような理由だけど、そこは気にしないで欲しい。
私達、これっぽっちも出番無いし。
「……」
紫はと言うと、何時ものように隙間に腰掛けて、私を眺めていた。
最初は、上から下までを舐めるように。
次いで、何かを発見したかのような興味深い瞳で一点を。
更に、まるで影から覗き見るかのようにちらちらと。
そして最後に……隙間から落ちた。
「ゆ、紫?」
「……素晴らしいわ。
子供と大人の境界にある、どこか危うさを感じさせる美しさは、まさに少女のあるべき姿よ。
例えるならば、旧ロマネスク調の荘厳さと、ジオンの魂を具現化したような勇壮さを併せ持ち、
更に野に咲く花の如き儚げな可憐さと、冷暗所で三日程寝かせた味わい深さすら兼ね備えた、
乙女にしか到達できぬ幻想の果て……!
霊夢、今の貴方の戦闘力は、軽くフリーザ様を凌駕しているわ!」
「そ、そう、ありがと」
良く分からない例えだったけど、多分褒めているんだとは思う。
饒舌過ぎる輩は、時として意思の疎通が困難になるという典型かしら。
「ねえ、いっそこのまま冷凍保存させてはくれないかしら?」
「……」
「じょ、冗談はこの辺にしておいて、出発しましょうか」
「ん。……って、あんたは着換えないの?」
「いいのよ。着くまでに適当に境界弄っておくから」
簡単に言っているけど、要するに変身するという意味だろう。
相変わらず反則的に便利ね、スキマパワー。
「それと、一応聞くけど……藍や橙は連れて行かなくていいの?」
「あら、私と二人きりは嫌?」
「べ、別に、そんな事無いけど……」
「ま、気にしないでいいわ。実はあの子達、昨日から泊りがけで遊びに行ってるのよ」
「へぇ……そんな許可出すなんて、あんたにしては珍しいわね」
何せ、式虐待の記事が、新聞に載るくらいだし。
「うーん、許可したというか、勝手に行っちゃったけど叱る条件が無かったというか……」
「よく分かんないけど、とりあえず居ないって事ね」
ならばよし。
別に邪魔だと思ってる訳じゃないけど、あの式達がいると、家族旅行に紛れ込んでるみたいで少し気まずいから。
「空気」
「ん?」
「結構読めるようになったのね。お姉さん、少し複雑だわ」
「……普通は喜ぶ場面じゃないの?」
「霊夢にはいつまでも無粋天然マジボケ娘でいて欲しいという、ささやかなる願いが……」
「ええい、勝手に不名誉な称号を送りつけるんじゃないの! さっさと行くわよっ!」
「あん、蹴っちゃいやん」
燦々と照りつける太陽。
雲ひとつない青空。
一面に広がる、真っ白な砂浜。
薄青く透き通った、雄大なる水面。
そう、紛れもなくここは……。
「海だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「海よーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
お約束ということで、二人揃って全力の叫びを上げておく。
これは海を訪れたものが決して欠かしてはならない、言わば最重要事項だとか。
他にも、海の家で不味いラーメンを食べるだの、使い残しのサンオイルを集めるだのといった儀式があるらしいけど、
生憎としてここは日本ではないために却下だそうだ。
もっとも、そんな儀式は御免だけど。
「どう? 良い所でしょう」
満面の笑みで振り返った紫は、宣言通りに変身完了済み。
純白のビキニという、思ったよりシンプルな水着だった。
が、私は知っている。
こういうものはかえって、己の身体に自信が無いと選べないものなのだ。
そして、紫のスタイルはというと……今更言うまでも無いわね。
昔の私なら、羨望すると共に嫉妬心を覚えたんだろうけど、
今となってはむしろ私事のように誇らしいから不思議だ。
他にも、帽子の代わりに黒のサングラスを頭に載せていたり、
貴族然としたデザインだった筈の日傘が、実用性重視のものになってたりといった変化が見られた。
芸が細かいというか、マメというか。
私が気が付かないと、誰も気付かないっていう一人称SSの常識を分かってやってるんだろうか。
しかし、この紫の姿を見て、千年単位で生きている大妖怪です。と言って信じる者がいるのか疑問ね。
「そうね……」
それはともかくとして、確かにお薦めのスポットというだけの事はある。
気温的には余り幻想郷と変わらないようだけど、湿度が低いせいか殆ど不快には感じなかったし、
海も砂浜も、まるで絵に描いたような美しさを見せ付けてくれた。
予備知識の殆ど無い私でも、ここが海水浴の場として優れた場所であると理解出来る。
間違えて常磐ハワイアンセンターに着いちゃいましたー、とかいうオチも予想してただけに、感激もひとしおだ。
……もっとも、そんな感想を抱けたのは、ほんの一瞬だった。
「……紫。外界って、随分と文明が発達してるのね」
「どうしたのよ急に」
「だってほら、あんな巨大な塊が空を飛んでるんだもの」
「へ?」
紫はサングラスを装着すると、私の指差す方向へと視線を移す。
それは例えるなら、天空を駆ける真紅の槍といった所だろうか。
むしろ、そうとしか表現のしようが無い物体が、私たちの上空、遥か彼方を疾走していた。
……そう、過去形だった。
「アレ、何?」
「んー……多分、ロケットの類じゃないかしら」
「突き抜けたの?」
「そっちは忘れなさい。私が言ってるのは、推進装置を搭載した飛翔物体の事よ」
「って言われてもさっぱりなんだけど。
それよりも、私の気のせいじゃなければ、段々大きくなって来てるような……」
「奇遇ね。私にもそう見えるわ」
「というか、こっちに向かってきてない?」
「正しく言うなら、落下してるわね」
「……平然としてるって事は、外界じゃ別段珍しい光景でも無いのよね?」
「生憎だけど、今のところこの世界でもコロニー落としは現実のものと成り得てはいないし、
そもそもあんな物体が空を飛んでいること自体、初めてお目にかかる光景よ。長生きはしてみるものねぇ」
アカンやん。
「ちょ、ちょっと、どうすんのよっ! いくら私でも、あんな大玉避けられないわよ!? 破片耐性も無いのに!」
「安心なさい。私は直撃一秒前でも脱出できる自信があるから」
「あんたにあっても、私には無いのよっ!」
「冗談よ、冗談。見た感じ、あの落下角度なら島への直撃は無いわ。
せいぜいが着水の衝撃でプチ津波が起きる程度でしょう」
「十分悪いじゃないのっ!」
そうこうしている内にロケットとやらは、私たちの居る島を掠めるように通り越し、沖へと豪快に着水した。
下から見たイメージ程に巨大な代物では無かったようだけど、それでもエネルギーとしては十分だったようで、
ずしん、という衝撃が届くと同時にその力が海流へと変換され、私たちに向けて襲い掛かって来た。
「ったく、こんな見知らぬ土地でお陀仏なんて御免だからね」
「大丈夫大丈夫、霊夢の死に場所は私の膝の上だけだもの」
誰もそんな約束なんてしてない。と突っ込もうかと思ったけど、
流石に遊んでる場合じゃ無いとは分かってるので、大人しく紫と手を重ね合わせる。
無論、抱き合って心中って意味じゃなくて、合体結界を発動させる為の前行動だ。
一瞬、西行結界という言葉が頭に浮かんだけど、何となく許せない雰囲気があったので、全力で消し飛ばす。
紫が瞬間的に張り巡らせた多重結界に、更に重ねるようなイメージで結界を展開。
護符もお払い棒も無しだから、今ひとつ不安だったけど、どうにか形には出来た……と思う。
水の壁が迫り来る様というものは、恐ろしい反面、どこか魅入ってしまうような迫力があった。
自然の力恐るべし……と言いたい所だけど、明らかに人的災害っぽいのが難点かしら。
「OH、稲村ジェーン……サーファーが居ないのが残念ね」
「何のことだか分からないけど、それ多分間違ってるから」
もっとも、こんな時でも暢気に会話をしてられるんだから、私も大概、図太いんでしょうね。
「ん、引いたようね」
「やれやれ……ここが無人島で助かったわ」
ほう、と息を吐きつつ、私と紫は結界を解く。
被害は……私達が無事だという事で、恐らくは皆無。
島そのものには多少の影響はあったのかも知れないけど、今来たばかりの私に分かるものじゃないし、
海面も今は平静そのものだった。
でも、今の光景が夢でも何でもなかったという証拠が、しっかりと私の視界へと入っている。
それが、遥か前方に浮かぶ、紫が言うところのロケットだ。
まるで西洋のお屋敷の一部分をそのまま飛ばしたような形状。
カラーリングは、趣味の悪い赤一色。
そして、表面に記された素敵に不遜な蝙蝠マーク。
これらの情報から推測するに……って、こうまで特徴的なら馬鹿でも分かるわね。
分かりたくもなかったけど。
「……まさか、本当に月を目指してたなんてねぇ」
「元々、後先なんて考えずに動く連中だから……最近大人しかったせいで忘れてたわ」
ややあって、紅魔館の尖塔……もとい、ロケットの天辺の部分が、ぱかりと口を開く。
そこから姿を見せたのは、やはりというか、私達が想像した通りの人物だった。
『ふふふ……着陸成功! ついに吸血鬼新時代の幕開けの時が来たわ!
今こそ私は、月面にその歩みを記す最初の悪魔となるのよ!』
『……レミィ、現実を見ましょう。これは世間的には着陸じゃなくて墜落と言うのよ』
『名称はこの際どうでも良いわ。月まで辿り着けたという事実こそが重要なんだから』
『大気圏すら突破出来なかったにも拘らず、ここを月と断言出来るレミィの思考に惚れそうよ』
『えー? だって、息苦しいわよ? 確か宇宙って空気が無いんでしょ?』
『単に直射日光を浴びて物理的に死に掛けてるだけよ』
『そういうパチェこそ、顔色が悪いわよ。酸素欠乏症?』
『うぷっ……乗り物酔いよ』
波間にたゆたうロケットの上で、紅と紫がイメージカラーのくせに、全身ピンクの二人組が、
生命を賭けた熱い漫才を延々と繰り広げている。
名前で呼ばないのは、私の最後のプライドだ。
ともかく、こんな光景は笑えない。
確かに月までは辿り着けなかったのかもしれないけど、連中が博麗大結界を突破したのは事実。
それもこんな、屋敷の一部を切り取ったようにしか見えない即席ロケットで、だ。
別に私が作った結界という訳じゃないけど、管理人としては正直、色々な意味で力が抜ける。
「恐らく、打ち上げに必要な推進力だけは整っていたんでしょう。
でも、博麗大結界の抵抗でその大半を失ってしまい、その結果、大気圏突入を前に墜落……って所かしら。
燃え尽きなかったのは賞賛に値するわね」
それなのに、もう一人の管理人的存在は、何故か感心したように呟いていた。
「寝惚けた事言ってる場合じゃないでしょ。どうすんのよ、アレ」
「どうするもこうするも……」
紫はくすり、と笑みを浮かべつつ、空いていた左手を振ってスキマを解放する。
なら右手はどうしているのかと言われると、結界発動から何故か私と繋ぎっ放しだとしか答えようが無い。
良いでしょ、別に。
「……放っておくの?」
「当然よ。勝手に抜け出したんだから、後始末も自力で付けて貰うわ」
「まあ、考え自体は同感なんだけど……」
本当に帰ってこれるのかしら、あいつら。
開き直った挙句、紅魔館インドネシア支部とか設立しそうな気がしてならないんだけど。
それならいっそのこと、ここで存在を消滅させておく方が世界の為では……。
「随分と物騒ねぇ。借りを返された事の借りでも返すつもり?」
「ええい、人の苦い記憶を掘り返すんじゃないの。というか、当たり前のように心を読まないでよ」
「肉体の一時的接触による相乗効果よ。いい加減慣れなさい」
「慣れろって言われても……」
身体の距離が近づけば、心の距離も近くなる。だったっけ。
普通、こういう台詞って、心情的な意味合いしか持たない筈なんだけど、物言いからして本気っぽいのが困りもの。
第一、本当に紫の心が読めたとしても、それを私が解読出来るかどうかは別問題のようが気がする。
それは例えるなら、グラフ理論における四色問題のような位置付けだ。
「四色問題なんて、こっちではとうに解決されてるわよ」
「え、本当に?」
「ええ、藍なんかは今だに独力で証明しようと頑張ってるけど」
「……知ってるなら教えてやりなさいよ」
「馬鹿ねぇ。そうやって無駄に足掻く様を眺めるのが楽しいんじゃない」
「……」
……そう言えば、こういう奴だったわね。
紫の心が読めないのは、むしろ僥倖としておこう。SUN値、激減しそうだし。
「それはそうと、早く行きましょう。連中が気付いたら面倒よ」
「あ、うん。でも、行くって何処へ?」
「私を侮らないで。お薦めの海水浴スポットは別にここだけじゃないのよ。
次なる目的地は、その名も高きエーゲ海よ!」
「いや、そんな力強く宣言されても困るんだけど……」
一応突っ込んでおいたけど、さっさとこの場を離れるという意見には同意しておく。
私がこうして外界くんだりまでやってきたのは、あくまでもバカンスを楽しむ為であって、
形而上学的問題についての討論をするためじゃないし、ましてや吸血鬼一同の救助活動である筈もない。
という訳で、さよなら、紅魔館の愉快な仲間達。
あんた達の勇姿、今日の晩御飯くらいまでは忘れないわ。
「ま、どうせ連中が望む望まざるに関わらず、戻ってくる事になるんでしょうしね」
「……?」
スキマを潜る直前、紫がどこか達観したような呟きを漏らしていたのが印象的だった。
『水ーっ! 流れる水ーーっ!! そして太陽ーーーっ!
二つの弱点の間に生じる私は、正に絶望的吸血鬼の小宇宙ーーっ!!』
『どうして分かっていながら泳ごうとされるんですかっ! 少しは妹様を見習って下さい!』
『んもー、この塊邪魔だよ。きゅっとして……』
『ノォオオオオオッ! 中央制御ユニットが灰塵にっ! 何考えてやがるこのアマァァッ! ……ケフッ』
『ほらほら、無理して大声なんて出されると身体に悪いです……あれ、手遅れ?』
『な、何でもいいから、どなたか手伝って下さゴベバベブ』
もっとも、遥か遠方で演じられていたコントのほうが、更に印象的だったけど。
というか、全員乗ってたのね。
紅魔館、誰かに占拠されてないと良いけど。
燦々と照りつける太陽。
雲ひとつない青空。
一面に広がる、真っ白な砂浜。
薄青く透き通った、雄大なる水面。
そう、紛れもなくここは……。
「海ね」
「海よ」
二回目なので、感想も落ち着いたものだった。
その名も高いらしいエーゲ海には申し訳ないけど、私には正直、さっきの島との違いが良く分からない。
スペルカードに例えるなら、弾幕結界と掛けて、深弾幕結界の五段目までと解くようなものだろうか。
その心は……色が違う。
……
………
…………
ま、まあ、海があって湿気が無くて、それでいて空いていれば私は十分なんだ……け……ど……。
「……あのね、紫」
「ん、どうしたの?」
「私の記憶が混濁して無いのなら、ここは外界で、なおかつ無人島だった気がするんだけど」
「その通りだけど?」
「……なら、あそこの一団は何なのかしら」
紫の視線が、私の指差す方向を追う。
そこには、盛大に水遊びを繰り広げている少女達の姿があった。
十や二十では効かない、まさに芋洗いの大集団だ。
しかも、一見普通に見える少女達には、一様に変わった特徴が見られる。
皆、頭頂部から白くて長い耳を生やしているのだ。
外界でフォーウッドが大繁殖してるといったメディアワークスな事件でも起きて無い限り、答えは明白だ。
「……」
「……」
紫が固まった。
釣られて、私も言葉を失う。
私の知る限り、外界は幻想郷とは比べ物にならないほど広大だった筈だ。
それなのに、こうもピンポイントで知り合いと遭遇してしまうのは何故なんだろう。
お約束の神様は、いったい何処まで私を苦しめれば気が済むのか。
というか、この展開は、明らかに平仮名七文字シリーズの基本を逸脱してるような気がする。
ネタ切れか? 殺すか?
「あたっ」
と、そんなノイズ混じりの思考を遮るように、私の身体に何かが当たる感触があった。
足元に視線を向けるとそこには、ころころと転がる一つのビーチボール。
いくら呆然としていたからとは言え、これは紛れも無く弾の一種である。
弾と名の付くもの全てを回避する技能を持つ私にこれを当てるとは、まさに天に唾する行為に他ならない。
多少八つ当たりだと自認しつつ、ボールの飛んできた方向へと睨みを効かせる。
「ごめんなさーい、ボール取ってくださ……」
ぱたぱたと走り寄ってきた少女の声が、ぴたりと止まった。
恐らく、向こうも私達が誰であるのか気が付いたんだろう。
いつもの改造巫女服を着ていないと、私が博麗霊夢だと識別されないんじゃないかって、密かに不安だったのは内緒だ。
「……なんで、あんたらがここにいるの?」
「さ、さぁ、人違いじゃないかしら」
「そんな萎れたウサ耳の持ち主が、二人といるとは思えないんだけど」
「そ、そんな事無いわよ。むしろ月じゃデファクトスタンダードだもの」
「生憎だけど、ここは地球なのよね」
「れ、霊夢が知らないだけで、実は地球でも流行ってるのよ」
「そう。で、何であんたは私の名前を知ってるのかしら。鈴仙・優曇華院・イナバさん」
「う、うう……」
私のプレッシャーに圧されたのか、鈴仙は、ビーチボールをかき抱きつつ、身を竦めた。
上下に分かれた、いわゆるビキニの水着を着ていたが、紫のような挑発的なデザインではなく、
タンクトップのウエスト回りを切り取ったような形状。
あえて評するなら、水遊びに適したタイプって所かしら。
でも、それなのに何故、淫靡な印象が拭えないんだろう。
ぶっちゃけて言うと、エロい。
同姓で、なおかつ出来上がっている……その相手も同性だけど、ともかく私ですらそう感じるのだから、
もしここが普通の海水浴場であったなら、それはもう創想話に投稿できないような大変な事態に陥っていたに違いない。
ふ……罪な奴め……。
「負けたわ……これが幻想郷史上稀に見る卑猥さとまで言われた、狂気の兎の力なのね」
「な、何よその不名誉な称号!」
「不名誉って言われても、輝夜が断言してた台詞なんだけど」
「……」
別段、苛める理由は無いんだけど、何故か彼女を見ると、
とことんまで追い詰めてやりたくなってしまうから不思議だ。
しかし、残念ながら、私の鈴仙苛めは、次いでかけられた声の前に中断せざるを得なくなった。
「あら、何処かで見た顔ね」
「あ、師匠っ!」
やはり、いたわね。
兎連中が大挙して群れている中に、こいつが居ない筈がないもの。
「こんにちは、珍しいところで会うものね」
「……ほ、本当に、ね……」
にこやかに挨拶を放ったのは、永遠亭の真の親玉、八意永琳。
返答が詰まりがちになってしまったのは、決して気圧されたからじゃない。
……いや、ある意味それでも正解なんだけど……。
「どうしたの? 変な顔しちゃって」
「あ、あんた、それ、水着なの?」
「海に来ているんだから、当たり前でしょう」
とは言ってはいるけれど、すんなり納得するには問題のありすぎる格好だった。
一応ワンピースタイプに分類されるんだろうけど、私から言わせれば、二枚の布を複雑に交差させて、
何とか水着としての体裁を保ってみました。というものにしか見えない。
しかも、そのカラーリングは、お馴染みの赤と黒。
普段は地味に映りがちな色合いも、この水着に採用してみると、恐ろしいまでの存在感があった。
紫とは別のベクトルで、自信が無ければ着こなせるものではない。
思わず女王様と口走りそうになってしまったのは、多分私だけじゃないだろう。
「毒々しいとしか言い様が無いわね。グレイ……もとい、月人のセンスというのは理解し難いわ」
って、紫!?
「あら、ご挨拶ね。ええと……誰だったかしら」
「健忘症? ま、良いわ。私、幻想郷の片隅で境界操作を生業としている八雲紫と申しますわ」
「ああ、そう言えばそんな名前だったわね。
御免なさい、どうでもいいことは記憶から捨てててしまう性分なの」
「良かったわ。殺しすぎて記憶が飛んだんじゃないかと心配していたのよ」
「安心して良いわよ。式任せで逃げ回ってばかりの貴方にどうこうされるほど落ちぶれてはいないから」
「……ちょっと、うどんげ」
「何よ。うどんげって呼ばないで」
「じゃ鈴仙。あいつら何だってあんなに険悪なの?」
「そんなの私が聞きたいわよ」
私の知る限りでは、紫と永遠亭の面々の接点は、あの月隠しの怪事の一件のみの筈。
それにしては、二人のやりとりは刺々し過ぎる。
確かに紫は、他人にちょっかいを出すのが生き甲斐のような困ったちゃんだけど、
こうも分かりやすく攻撃的なのは、滅多にある事じゃない。
という事は、あの後に隠された因縁のようなものでも生まれたんじゃないかと思ったんだけど……。
「……ったく使えないわね」
「自分だって知らないんじゃないのっ!」
そんな事を考えている間にも、紫と永琳の日常会話を装った言葉による殺し合いは続いていた。
お互いに、終始笑顔なのが、かえって怖い。
「で、これは一体どういう事かしら。
何故貴方達が平気な顔でこっちに出てこれるわけ?」
「ちょっとした家族旅行のようなものよ。兎は暑さに弱いから」
「血の巡りの悪い頭ね。私は『どうやって出てきたのか』と聞いてるんだけど」
「んー、別にあの程度の結界を超えるくらいは訳の無い事よ。
改めて説明するようなものでも無いわ」
あの程度。と言った瞬間に、紫の口の端が僅かに引きつったのが見えた。
勿論、私にとっても見逃せない発言だった。
博麗大結界は、あの程度、等と称せるほど容易い結界ではない。
……まあ、紅魔ロケットに突破された気もするけど、それはそれとして、
私に気取られぬように、なおかつこれだけの大人数を一度に超えさせるというのは尋常じゃない。
そんな事が可能なのは、紫くらいのものだと思っていたから。
……もっとも、実際に簡単に超えてきたのかどうかは別問題だけど。
むしろ、大物感を演出する為に、誇張して言ってる可能性が高いわね。
言うだけならタダだし。
「それと、月の使者の事なら心配ご無用よ、私が密室を作り出す力を持っている事はご存知でしょう?
……って、気付いていなかったのかしら。だとしたら申し訳無かったわね。幻想の境界さん」
「……いえ、気にしないで良いわ」
だというのに、当の紫は、完全に永琳の言葉に乗せられていた。
傍目には軽く聞き流しているように見えるんだろうけど、私には分かる。
紫の、あの色の無い笑顔は、相当に頭に来ている時の顔だ。
多分、それくらい自分の能力に対してプライドを持っていたんだろう。
また新たな一面、発見ね。
……じゃなくって。
「と、ところで、輝夜はどうしたの? やっぱり留守番?」
わざとらしいとは思いつつも、意図的に話を逸らさせる。
二人が何を考えてるのかは知らないけど、これ以上させるがままにしておいては大変な事になりかねない。
国連軍出動なんていうギャグにもならない展開、私は御免だ。
「ん? 姫なら来てるわよ。ほら、そこ」
「え」
なんと、あの引き篭もりが海水浴だなんて、珍しい事もあるものね。
……が、視線を送った瞬間に、その感想は収めざるを得なくなった。
『……デストロォォォイ……』
一際大きいパラソルの下で、ビーチチェアに横たわり奇怪な呻きを上げる物体。
この燦々と照りつける太陽の下で、水着どころか普段と殆ど変わらぬ暑苦しい十二単もどきを着込んでいる。
しかも何のおまじないなのか、暑苦しい耳当てのようなものを装着しており、時折小刻みに震える始末。
紙一重というか、明らかに負の方向に針が振り切れてる気がする。
「……何、アレ」
「日焼けしたく無いんですって。まあ、海水浴を楽しむのも、汗かき休暇を楽しむのも自由だから」
「月人の考える事は良く分からないわ……」
計らずも、紫と同じ感想が漏れた。
まあ、それでも一応出向いてくる辺り、永遠亭の主としての責任感は残っているんだろう。
もはや形骸化している主様だけど。
「ま、そういう訳なんで、私達の事は放っておいて、のんびりと逢い引きでも楽しんで頂戴」
「今更、逢い引きも何も無いじゃないの……」
話はこれで終わり。とばかりに、事実上の主様である永琳が締めに入る。
もっとも、私としては異論は無い。
本来なら結界越えの件に関して糾弾すべきなんだろうけど、こっちも同じ事をしている以上、言える立場じゃないし、
となれば、向こうは向こう、こっちはこっちで好きにするのが、もっとも平和的だろう。
無人島とはいえ、結構な広さを持つ場所みたいだし、お互いに不干渉で行くのはさして難しい話じゃ無い筈だ。
……その筈なんだけど。
「つれないわねぇ。折角の機会だもの、一緒に遊びましょうよ」
あろう事か紫は、花の咲いたような笑顔で、そう言ってのけた。
無論、その種類はラフレシアか食虫花。
早い話、殺る気に満ち溢れていた。
というかこいつ、さっきから私の存在を忘れてるんじゃないだろうか。
(ちょ、ちょっと紫、あんた一体どうしちゃったのよ?)
紫の耳を引っ張り、ストレートに疑問をぶつける。
一応、回りに聞こえないように小声で。
(霊夢。女には決して引いてはならない時というものがあるのよ)
(それが何で今なのよ!)
(分かってくれとは言わないわ。でも、私のギザギザハートは限界なの)
(……そして、私はいつも待たされるのね)
(大丈夫よ。この浜辺なら、洗い髪は決して冷えないわ)
「何だかよく分からないけど、遊びたいって言うんなら別に構わないわよ?」
そこに永琳が、呆れ顔で突っ込んできた。
無粋とは言わない。むしろ、よくぞ現実に引き戻してくれたと感謝したい。
私達は、お互いにボケ始めると、収拾が付かなくなるから。
……って、え? 本気?
「それは良かったわ。楽しい一日になりそうね」
「ええ、どうせ遊ぶならゲストは多いほうが良いものね」
私の疑問を消し飛ばすかのように、紫と永琳は、相変わらずの冷たい笑顔で向かい合う。
そして、何を思ったのか、お互いに少しずつ距離を詰め始めていた。
六歩から五歩、五歩から四歩、と。
仮初めの和解の握手でもするつもりなんだろうか?
四歩から三歩、三歩から二歩、二歩から一歩……。
いやいや、いくらなんでも近付きすぎ。
二人は背丈が殆ど同じだから、このまま接近ゲームを続ければ、自動的にキスシーンが出来上がってしまう。
そんな突飛過ぎる展開は、漫画や総合格闘技だけで十分だし、そもそも私の魂が許さない。
しかし、それは、ただの杞憂に終わった。
「鈴仙、どう見る?」
「うん……物理的なサイズなら、師匠が有利かな」
「確かにね。でも、その意見はアンダーとの差が加味されていないわ」
「あー、言われて見ればそうかも。あのスキマの人、反則的な細さだし。
でも、そうなると勝負の決め手は何? やはり造形美?」
「違うわ……揉み心地よ」
「ほう、そう来たのね」
「まあ、今はそれを確かめる事を許されそうにないのが難点だけど」
「それは仕方がないわ。ここは、奇跡のコラボレーションを満喫するにとどめましょ」
「そうね……」
私と鈴仙は、ゼロに限りなく近い距離で睨み合う二人を眺めつつ、乳談義に花を咲かせる。
それもこれも、お互いの胸がぶつかり合って、それ以上近づけないという、素敵な光景のせいだ。
もっとも、生肉への執着心をとうに捨て去り、心の底から愛でられる領域へと到達した私達だからこそ、
こうして暢気にしていられるのであって、仮にここにいたのが魔理沙と咲夜だったりしたら、
それはもう想像も付かないような陰惨な光景が展開されていたに違いない。
あいつらも、早く気付いてくれれば良いんだけど……。
「「……ふっ……」」
そんな事を考えている間に、紫と永琳のメンチ合戦は終わりを告げていた。
鼻で笑うのも同時なら、踵を返すのもまた同時。
そんな訳で当然、離れざまに互いの胸がぷるんと揺れる。
有り得ないと思われていた光景が、今、確かな現実として目の前に現れたのだ。
「こんな事なら動画撮影の準備をしておくんだったわ……」
「あ、私撮ってるから、後でダビングしてあげよっか?」
「偉い! 初めてあんたの事を尊敬したわ!」
良かった、これで明日はホームランだ。
己の師をストーキングして回るダメ兎の業の深さに、百万の感謝を。
「さあ、霊夢。血が沸き立ち、肉が躍り来る素敵なリゾートライフを満喫しましょうね……フフフ」
「……」
というか、こいつがこんなんだから、私も乳に逃げざるを得ないんだけどね。
本来の目的を忘れ去った馬鹿妖怪に、百万の針の山を。
「でも、遊ぶって言っても、何をするの?」
「そうねぇ……海と来たらやっぱりあの球技かしら」
永琳は答え終わると同時に、すっ、と右手を上げた。
瞬間、それまで我関せずで遊びまわっていた兎連中が、一斉に砂浜に向けてダッシュを開始する。
ある兎はラインを引き、ある兎はネットを張り、ある兎は厳かに落とし穴を掘り始める。
見事なまでに統制の取れた動きに目を奪われているうちに、気が付けば立派なコートが完成していた。
「何というか、見事な統率力ね」
「ふん、どうせ恐怖政治の産物よ」
ただの嫌味なのに、紫が言うと妙に説得力があるような気がするのは何故だろう。
もっとも、気がするというだけで、実際の所は違うと思う。
普通、恐怖政治を引くような輩は、慰安旅行なんて計画しないだろうし。
「という訳で、ビーチバレーで勝負と行きましょう。
どうも、そこのスキマさんは、私と白黒付けたくて仕方が無いようだし」
「……否定はしないわ、受けましょう。霊夢も良いわよね?」
「まあ、良いというか、他に選択肢も無いみたいだし」
全てはあるがままに。
それが私の座右の銘だから。
……こんな時に活用するようなものじゃないんだけどなあ。
「で、そっちは誰が出るのかしら。あのウサギさん達全員並べるつもり?」
「まさか、ビーチバレーは二対二でやるものよ。私とウドンゲでお相手して差し上げるわ」
そう永琳が答えた瞬間、鈴仙の瞳が揺れたのを、私は見逃さない。
多分、人数に加えられて無いんじゃないかと、不安だったんだろう。
普段からラブラブ光線放ちまくってる癖に、妙な所で弱気なのね。
しかし、ビーチバレーか。
砂浜でやる、いくらかルールの緩いバレーボールだとは知ってるけど、逆に言うと詳しくは知らない。
となると、無駄知識とハッタリの女王である紫に期待するしか無いんだけど……。
「紫、やったことある?」
「無いわ」
きっぱりと言い切られた。
実は昨年の金メダリストなのよ。とか、ルールを制定したのは私よ。とか、
いつものような寝言を言ってのけると思っただけに、少し拍子抜け。
当然というか、私も未体験だから、素人二人による即席戦という事になる。
まあ、向こうの二人だって、別にスペシャリストという訳でもないだろうし、
そもそも、ただの遊びなんだから、勝とうが負けようが大した問題じゃないんだけど……。
「……でもね、霊夢。この勝負、必ず勝つわよ。
あの羞恥心ゼロの薬剤師の顔を、ダリの作画へと変えてやるのよ」
「……」
……紫がこの調子じゃ、そうも言ってられなさそうね。
観客という名の化け兎の群れが騒がしく取り囲む中、私たち四人はコートに入った。
無人島だっていうのに、完全にアウェー戦状態なのは如何なものだろう。
……とは言っても、知り合いに見守られてたら別の意味でやりにくいし、これはこれで良いのかも知れないけど。
「てゐ」
「はーい?」
掛け声かと思ったら、名前だった。
一人のちびっ子兎が群れから飛び出すと、永琳の元へとてくてくと歩み寄る。
何処か見覚えがある気がするけど、誰だったかしら……。
「そういう訳なんで、悪いけど審判を引き受けてはくれないかしら」
「えー、あの重い帽子被った奴にでもやらせれば良いじゃないですかー」
一体、誰の事を指しているのか、それを考えると何故か涙が零れるのを押さえ切れなかった。
私の知らない間に、閻魔様はどこまで堕ちてしまったんだろう。
恐るべしは、八意流調伏術……!
……じゃなくて、思い出したわ。こいつ、いつぞやの詐欺師兎じゃないの。
こいつのせいで、ただでさえ少ない博麗神社のお賽銭が、更に減少しちゃったんだっけ。
元々ゼロのものは減りようがない? 余計なお世話よ。
「流石にこの為だけに呼び出すのも面倒なのよ。後でご褒美上げるから、お願い」
「任せて下さいっ! この因幡てゐ、ボブにもイワノフにも負けない公正かつ明大なレフェリングを下してみせます!」
……その二人が誰かは知らないけど、公正じゃないことは間違いなさそうね。
何はともあれ、試合開始だ。
コイントスの結果、先行は私達結界組。
「そーれっ、と」
まずは感触を掴む意味で、軽いサーブを放つ。
思ったよりも、ボールを打った感覚は重い。
これなら、全力でぶっ叩いても問題は無いだろう。
「あっ」
ところが、それを受けた鈴仙は、何故か自陣の後方へとボールを弾いてしまう。
タイミング良く詰めていた永琳が地面に落ちるギリギリでカットしたけど、それが精一杯。
浮いた球を鈴仙が何とかこっちの陣に弾き返して、ターン終了。
……一応、三回までしか触っちゃいけない事くらいは知ってるのよ。
ボールは丁度、私と紫の中間辺りにふらふらと落ちて来る。
紫が一瞬だけこっちに視線を送って来たけど、直ぐにまた前を向いた。
多分、私が受けろという意味だろう。
普通なら、そうした後に紫がトスして、私がスパイクするという流れなんだと思う。
でも、私の中の勝負師の勘が、その選択肢を選ばせようとはしなかった。
今の動きを見るかぎり、永琳も鈴仙もこの競技に熟達しているとは思えなかった。
要するに、コートに立っているのは、全員が素人という事。
それならば、この最初のプレイこそが、ある程度の試合の流れを決める筈だ。
……行ける。
連中は、ここで私が打つ事を予測していない。
私は迷う事無く飛び、力なく飛んできたボールに活力を加えた。
「死ねいっ!!」
返って来たのは、確かな手ごたえ。
直撃すれば、意識を刈り取れるであろう一撃だ。
ビーチバレーで意識を奪ってどうするんだって話だけど、それはそれ。
このスパイクには、至福となるはずだった時間を、大いに邪魔された恨みが込められているんだから。
「へぷっ!」
……はて、そういえば、一番の問題は誰だったっけ。
「えーと……フィフティーンラブ? ワンアップ? 有効?」
「テニスでもゴルフでも柔道でも無いけど、別にどれでも良いわ。ともかく、こっちの先制ね」
永琳が、私呆れましたのポーズで何か言ってるけど、ちょっとそれどころじゃなさそう。
何せ、私が放った必殺のバックアタックは、無防備だった紫の後頭部を直撃してしまったのだから。
「馬鹿野郎ーーっ! 霊夢、貴様誰を撃っている!? ふざけるなーっ!」
「ご、ごめんね、条件反射だったのよ」
幸か不幸か、復活は早かった。
ゆらりと起き上がり、鬼の形相で迫って来る紫に、さしもの私も平謝りするしかない。
別に『テメェが訳の分からん怨恨で勝負なんか挑まなければ丸く収まったんだ』とかは考えてなかった……と思う。
単純に、距離の近いものに狙いをつけてしまうという癖が、ここで出てしまっただけだ。
嗚呼、悲しいかな、ホーミング巫女の性。
「……あんた達、やる気あるの?」
「あるわよ! 満ち溢れてるわよ! 熱い情熱が少しばかり空回りしてるだけよ!」
「回しすぎで焼けてしまわない事を祈ってるわ」
まずい、初っ端から漫才を披露してしまったわ。
これじゃ流れを掴むどころか、向こうに余裕を持たせちゃうじゃないの。
「行くわよーっ」
攻守入れ替わり、鈴仙が綺麗なジャンピングサーブを放った。
今度もレシーブは私に任せるつもりなのか、紫は振り返る事無くネット際で構えている。
……というか、ゲーム開始からずっとネットに張り付いたままな気がするんだけど。
確かにバレーという競技の性質上、背丈の問題は切っても切り離せない。
宙に浮いていれば無意味だろう。と思うかもしれないけど、
ボールが地上に触れる事を防ぐスポーツでの浮遊は、ヤムチャならずとも足元をお留守にする自殺行為でしかない。
即ち、私達とて砂浜を駆け回らざるを得ない訳で、そういう意味では背の高い紫が前に出るのが自然だとは思うけど、
どうも今日の紫には、別の思惑が存在してるような気がしてならない。
そんな事を考えている間にも、ボールはドライブ回転しつつ、コートの隅目掛けて一直線。
元々、普段からやたらと生足を出しているだけはあって、運動神経には自信があるみたいだし、
さっきのアレで緊張も解けたのか、素人目にも良いサーブだと見えた。
でも、その程度の弾じゃ、私を出し抜くには力不足……。
「……」
「……ごめん」
「……」
「……その、本当にごめん」
「……」
「……何か言ってよう」
紫は答えてくれなかった。
結果は、永遠亭の二ポイント先取。
軌道から落下位置、タイミングまで全て読み取れた筈なのに、結果としてボールは砂浜に突き刺さっていた。
別に怪しげな術を使われたとかそんな理由じゃないのは、私自身良く分かってる。
「流石は博麗の巫女ね、『たま』を避ける事に関しては天下一品って事?
ドッジボールなら苦労したのかなー」
「……ぐぅ」
何も言ってくれない紫の代わりに、鈴仙が調子ぶっこいた台詞を放ってくれた。
でも、私にはぐぅの音しか出す事が出来ない。
触れる直前で自分からボールを避けてしまったのだから、それも当然か。
多分、ミリ単位の精度だったとは思うけど、ビーチバレーでグレイズしたって何の意味も無いっての……。
「霊夢」
「な、何?」
「気にしないで良いわ。……今のところは」
ようやく口を開いてくれたと思ったら、これだった。
暗に、これ以上は許さない。と言ってるんだろう。
別に私だって好きでやった訳じゃないけど、流石にこの連続ミスはへっぽこ過ぎるわ。
再び鈴仙のサーブで試合開始。
今度はコートの隅ではなく、ネットを掠めるような低い弾道だった。
となると当然、ボールを受けるのは紫という事になる。
「……」
紫が、いつになく真面目な表情でレシーブ。
勢いを止められたボールは、ふらふらと私の方向へと舞い上がる。
ここでまたやらかしてしまえば、あれほど嫌っていた『二度ある事は三度ある』という言葉を、
自らの手で実証してしまう事になるだろう。
それだけは、絶対に許されない。魂的に。
「ほっ」
単なるトスだというのに、妙に力が入ってしまった。
それでもボムに化けるだのといったお約束は無く、ボールはきっちりとネット際へ上げる事が出来た。
「この一撃は……」
紫が飛び、その豊か過ぎる胸が、ぷるんと揺れた。
同時に、ブロックに飛んだ永琳の胸もまた、ぶるんと揺れる。
その光景は、一瞬とは言え、私から現実を忘れさせた。
1+1は2でも、乳+乳は決して証明の出来ないファンタジーなのだと。
試合の模様も録画してないかどうか、聞いておけば良かったわ。
「新刊の恨みっ!!」
訳の分からない台詞と共に、紫がスパイクを放つ。
でも、その軌道には、永琳の両手がある。
弾かれる。と咄嗟に判断した私は、一息にネット際へと飛び込む。
しかし……。
「えーと……永琳さまー、こういう場合はどうなるんですか?」
「……向こうのポイントで良いわ」
「はーい。じゃ、1対2という事で」
ぴーっ、と響き渡る笛の音。
それは私達が得た、最初の得点の証だった。
「……紫、確かビーチバレーは初めてだって言ってなかったっけ」
「初めてよ。浜辺でやるのはね」
「……」
多分、東洋ならぬ東方の魔女だったとか、そういうオチに違いない。
でなければ、ブロックを貫いた上で地面で破裂するなんて馬鹿げたスパイクは打てないでしょ。
というか、そんなものを受けた永琳の手は大丈夫なんだろうか。
直ぐに復活するとは分かってても、手首から先が無いなんて猟奇的光景は、余り拝みたいものじゃないし。
「仕方ないわね。貴方の馬鹿力に敬意を表して、新しいボールを用意するとしましょう」
全然、健在だった。
永琳が無傷の手をひらひらと振ると、間髪入れず客席から黒いボールが放られ、どすん、と砂浜に突き刺さる。
……って、どすん、って何よ。
「重さは通常の三倍。強度は通常の十倍。回転させれば更に倍。荒波をも容易く貫く、特製ブラックボールよ」
「お気遣い、ありがたく受け取るわ。これなら私も全力を出せそうね」
「「……」」
言うまでもないけど、押し黙ったのは私と鈴仙だ。
何だって、そんな漫画の特訓用みたいな凶器で、ビーチバレーをしなければいけないんだろう。
意外と普通の入りだったから安心してたのに、結局はこういう展開になるのね。
「さあ霊夢、準備運動はここまでよ。幻想の結界組の力を見せ付けてやりましょう」
「私が生身の人間だって事、時々で良いから思い出してね……」
それからの試合展開は、余り思い出したくない。
紫の放つサーブは都合60個に分裂し、永琳のスパイクは隕石を伴って降り注ぎ、
自棄になった鈴仙が銃撃でボールを押し返し、私は新技の十六重排球結界でブロックするという、そんな流れだったから。
ある意味、私達らしいと言えばらしいけど、もはや弾幕戦との差異を見つけるほうが難しかった。
でも、そんな流れでも何故か点数だけはきちんとカウントしていたらしく、
現在のスコアは14対11。
私達が先攻だから、こっちのセットポイントという事になる。
……マッチポイントじゃないから、3セット制なのね。
「ふぅー、いい汗かいて来たわね……よし、ここで決めるわよ、霊夢」
「へいへい」
ちなみに、例のブラックボールとやらは、割と直ぐに慣れた。
というか、もう殆ど身体能力は使ってないから、余り関係が無くなっていたという方が正しいんだろう。
「受けて慄きなさい! 球符、通天閣打法と天井サーブの境界!」
サーブを打つのに、一々カード宣言をする辺り、色々と終わってる気はする。
でも、何故か異常に楽しそうな紫を見ると、私も乗り気になって来るから不思議だ。
まあ、そうでもなければ、途中で帰ってるし。
「ふん……見えるわ! 鈴木、ライジングインパクト!」
紫の放った大気圏外から落下するサーブを、永琳がレシーブという名のスイングで弾き返す。
見慣れたから驚きはしないけど、鈴木って一体どういう符なのよ。
「師匠! 私の愛と魂のトスを受け取って下さい! 溶血、ブラックバレル!」
そして鈴仙は、何となく危険っぽい香りのする宣言と共に、銃から放った光でボールを打ち上げた。
って、この流れだと、私も何か新スペルで対抗しなきゃいけない気がするわね。
「ほいっ、と」
「あ」
そんな私の隙を突くかのように、永琳が極めて普通かつ軽いタッチで、ネット際へとボールを落とした。
「まだよっ!」
間一髪、滑り込んだ紫が、その理不尽に長い脚でボールを蹴り上げた。
大丈夫。ビーチバレーなら足を使うのもセーフ。
というか、もうルールなんて有って無いようなものだし。
「これで決めるっ! 天霊、夢想封印 茂!」
まあ、茂って誰だろう。とか思いながら結界スパイクを放つ私も、十分ノリノリなんでしょうね。
「……くっ!!」
反応した鈴仙が必死に飛びついたけど、それを嘲笑うかのようにボールは軌道を歪めた。
そう、このスパイクは、相手の心理の逆を突くという技なのだ。
多用すると失血死するから、余り使えないんだけど、一回くらいなら平気でしょ。
「はーい。第一セット、15対11で……ええと、こっちの勝ちー」
ボールが砂浜に突き刺さったのを確認すると、やや間を置いててゐが宣言した。
というか、名前くらい覚えなさいよ。
まあ、名詞が適当なのを除けば、意外とまともな審判っぷりだったから許すけど。
「いえーい」
「いえーい」
ぱちん、とハイタッチを交わす。
全国のビーチバレープレイヤーに申し訳ないような試合だけど、それでも勝利を収めるのは良い気分だった。
っと、まだ終わってないんだっけ。
「師匠……済みません」
「後半から動きが単調になっていたわよ。もう少し冷静に動きなさい」
「はい……」
息一つ乱していない永琳に対し、鈴仙にはいくらか疲弊した様子が見えた。
多分……というか間違いなく、スペルカードの乱用が原因だろう。
紫や永琳は基礎能力からして桁違いっぽいから論外だし、私は力の抜きどころを心得てるからまだ平気だけど、
いくらか不器用なところのある鈴仙に、それを求めるのは酷だったという事かしらね。
……そういえば、こいつらの関係者に、スペルカードの塊のような奴がいたような……。
「どうやら、イナバでは役者不足のようね」
……。
「誰?」
「さあ……新キャラかしら」
「えー、50kbも話を続けといて今更?」
「新キャラ違う! いた! 私いたね! 最初からここにいたね! 読み返しプリーズ!」
謎の着膨れ女が突然、似非中国人のような口調で食って掛かって来た。
でもまあ、読み返せというなら、とりあえずは従ってみましょうか。
……。
「あ、本当だ」
「十行未満で処理されてたから、すっかり忘れてたわ」
「……えーりーん……」
「ご安心下さい。私は片時も姫を忘れた事などございま……す」
「す!?」
頼みの綱の従者にも裏切られた輝夜が、べちゃりと砂浜に崩れ落ちた。
我ながら変な擬音だとは思うけど、実際そういう音だったんだから仕方ない。
そりゃ、真夏の陽射しを、あの暑苦しい格好で受け続けてたら、汗の塊にだってなるだろう。
「ほんの景気付けのロシアンジョークですわ。して、如何なされたのですか?」
「夏だというのに、身も心も凍えそうなジョークありがとう。
せっかくの機会だから、私も少し身体を動かそうと思ったの」
「それは良い心がけです……が」
「が?」
「その格好で動かれるのは、私たち全員の精神衛生上、余り好ましい姿とは思えないのですが」
「気を遣わなくても良いわ。直接的に言いなさい」
「とてもウザいです」
「わあ、本当にストレートね。でも、その心配は無用よ」
「流石は姫。この永琳、信じておりましたわ」
「さっきから一度も目を合わせようとしないのは何故なのかしらね……ま、良いわ」
幻想郷の主従は、漫才形式でないと会話が出来ないのだろうか。
そんな私の疑問は、次なる輝夜の行動の前に封印を余儀なくされた。
「めたもるふぉーぜっ!」
どういう構造なのか、輝夜はその暑苦しい服を、僅か一行程で脱ぎ去っていた。
が、この際そこはどうでも良い。
問題は、露となった格好だ。
それは紛れも無く……。
「ここで来たのね、スク水!!」
何故か紫が効果音と背景効果付きで驚いていた。
そんなに重要なポイントだったんだろうか、スク水。
「ふっ……月でも平安京でも、常にスク水コンテストのグランプリに輝いていた私が、他の水着を選ぶ筈もないでしょう」
酷い平安京もあったもんね。
余りの歴史の捏造っぷりに、ワーハクタクが嘆き悲しむ姿が目に見えるわ。
まあ、それはそれとして、確かに輝夜には、スク水がこれ以上無い程にしっくり来ているように映った。
やはり、あの地味な濃紺の水着には、長い黒髪と、いささか凹凸に欠ける体が良く似合う。
……もしかして、紫が私に勧めたのも、それが理由なんだろうか。
「理屈じゃないわ! 感じるのよ!」
「いや、猛られても……」
というか、いい加減ややこしいから、心の声に突っ込まないで欲しい。
「という訳で、選手交代よ。イナバはそこで体育座りしてなさい」
「……分かりました。何で体育座りなのかは聞きません」
「お馬鹿! 聞きなさいよ!」
「え、何で私怒られてるの……?」
鈴仙が世の不条理さを嘆きつつ、コートから退いて行く。
そして、本当に言われた通りに、ビーチチェアの上で体育座りを敢行した。
輝夜のペットという肩書きも、あながち冗談では無いって事かしらね。
「霊夢。兎ちゃんを見ては駄目よ」
「はあ? どうしてよ」
「あの体育座りは間違いなく陽動戦術の一つよ。凝視したら精神がやられるわ」
「……」
お前の精神がやられてるんちゃうんかい。
……と、言いたいところだったけど、厳かに鼻を抑えつつ、首の裏をトントンし始めた永琳の姿を見ると、
その言葉の意味する所が、何となく納得できた。
つーかこいつも医者のくせに、随分と鼻の粘膜弱いわね。
「イナバ。開始の笛を鳴らしなさい」
「……良いんですか? 永琳様」
「ええ、始めましょう」
永琳に確認を取るというのが、永遠亭の真の序列を示しているみたいで、少し物悲しかった。
もっとも、輝夜本人が微塵も気にしてないように見えるのが謎だけど。
「全部イナバなのに、どうして区別が付くのかしら……」
心の底からどうでもいい疑問を口にしつつ、紫が定位置に立つ。
「教えて欲しいなら、私を倒して聞き出すことね」
そして、先制のサーブを放つべく、輝夜がボールを高々と放った。
ともあれ、試合再開だ。
「ふぅ、今日はこのくらいで勘弁してあげるわ」
負け犬全開の台詞を残し、輝夜は去った。
登場から退場までの所要時間は、およそ五分という所だろうか。
その間に輝夜がやった事というと、サーブを二回連続でスカし、レシーブに回ったところを蹴躓き、
ブロックに飛んではネットに引っ掛かり、止めにスパイクを永琳の顔面へと叩きつけるというものだった。
スペルカードの所持数もまるで無意味とする極限の運動音痴っぷりには、呆れを通り越して感動すら覚える。
まあ、弾幕戦の時も固定砲台みたいな奴だったし、ある意味納得ではあるんだけど。
「じゃ、イナバ。後は任せたわよ」
「はあ……」
輝夜は何事も無かったかのように、件の暑苦しい衣装を着込むと、
ビーチチェアに横たわって、再びインナースペースに突入していた。
鈴仙が、表現し難い複雑な表情を浮かべてやってくるのが、とても印象的だった。
「あいつ、何しに来たのかしら」
「さあねぇ。ささやかな自己主張か、それともスク水姿をお披露目したかっただけなのかも……」
「まあ、何にしても、気が抜けたのは確か……」
「……」
「……」
「……」
「それじゃ、再開しましょうか?」
宣言する永琳の笑顔が、全てを物語っていた。
やられた。
確かに、この精神戦術は、タイムアウトなんかよりずっと効果的だ。
くそう、鼻にティッシュ詰め込んでる癖に……!
「……安心なさい、霊夢。私達のコンビプレイは、この程度じゃ崩れないわ」
「だと良いんだけどね……」
私の懸念通り、再開後の試合展開は、明らかに永遠亭側へと傾いていた。
一度途切れたテンションを立て直すのは、かなりの難題だ。
条件的には同じなんだろうけど、どちらかと言えば勘で動くタイプの私達と、
理詰めで攻めてくる向こうとでは、その意味合いは大きく変わる。
結局、輝夜が献上してくれた5点も、あっさりと取り返されてしまった。
「せぇえええいっ! 優曇華院は女の子ーーーっ!」
そしてまた、鈴仙のスパイク……と呼んでいいのかどうか分からない代物が迫る。
普通のレシーブでは受け切れない。
そう判断した私は、行程すべてを省略した結界……封魔陣を展開し、間一髪のところでボールを防ぎ止める。
「……くっ!?」
しかし、光の柱は、理不尽な破壊力を秘めた一発の前に、あっけなく霧散。
紫のフォローも間に合わず、ボールは空しくコートに突き刺さった。
「……ごめん」
「流石にアレは仕方ないわ。……にしても、兎ちゃん絶好調ね」
「そうね……」
一度外に出て眺めたことが気分転換になったのか、鈴仙の動きは、格段に良くなっていた。
それまでは永琳のフォローに回る事が多かったのが、今は積極的に飛び出して攻撃に参加している。
当然、代わりに防御は手薄になっていたけど、そこは月の頭脳の腕の見せ所とばかりに、
永琳が憎らしいほどに的確なポジショニングでカバーしており、結果的に試合の流れは永遠亭へと傾いていた。
もっとも、その理由には、私が疲労してきている事もあるだろう。
例外の二人は置いておくとして、鈴仙も一応は、長い年月を生きた妖怪だ。
でも、私はあくまでも人間に過ぎない。
いくら弾幕理論を応用したところで、基礎体力では勝ち目は無いのだ。
「……」
「また弱気の虫が出掛かってる?」
「……大丈夫よ、このくらい」
また、というのは紫だから言えるんだろう。
私の欠点……それは、マイナス思考がある一定の段階を超えると、歯止めが効かなくなるまで落ち込んでしまう事。
普段、そんな状況に陥る事は滅多に無いから、誰にも知られてないとは思うけど、
一度ならず二度三度とその姿を見せてしまった紫だけは例外だ。
まあ流石に、ビーチバレーで負けたくらいじゃ、そこまで行く事は無いだろうし、
そもそも、まだ私は試合を諦めたわけじゃない。
「……」
……んだけど、なんだか紫の視線が怪しい。
例えるなら、お説教モードのときの表情に近いものを感じる。
それは無いとは思うけど、何となく嫌な予感。
「は、早く戻りましょ。無駄話しててサービスエースとか取られたら笑えないわ」
「……ごめんね、霊夢。無理に付き合わせちゃって」
「へ? な、何よ今更」
「でも、もう良いわ。……やっぱり、ビーチバレーじゃ埒が開かないものね」
「ゆ、紫……?」
紫は私の言葉に答えることなく、定位置へと戻っていく。
その背中からは、ある種の決意のようなものが滲み出ていた。
……あまり良い方向の決意じゃないような気がするんだけど、間違いであってくれないかしら。
「だぁらっしゃああ!!」
そんな私達のやり取りなどまるで知らない鈴仙が、ファンを減らしそうな掛け声でサーブを放った。
「……ん、しょっ!」
唸りを上げて飛び来るボールを、霊力を込めた両の手で掬い上げる。
いちいちサーブにまでスペルカードを使っていては、体力的に持ちそうになかったからだ。
が、それが仇となったのか、私のレシーブは狙いを逸れ、ネットを超えるか超えないかの微妙な所に落ちようとしていた。
「……」
「……っ!」
紫が迷わず飛んだのを見て、永琳もまたブロックに飛ぶ。
当然、二人の胸は大いに揺れたけど、今の私には、そこに視線を送る余裕が無かった。
というのも、紫のジャンプの軌道が、明らかに不自然だったからだ。
「喰らいなさい! タイガァアアア……」
不吉極まりない叫びに、戦慄が走る。
まさか紫は、スパイクじゃなくてシュートを打つつもりなんだろうか。
確かに威力は増しそうだけど、そんな事をしたら身体バランスの悪さを示唆されて泣く羽目になるんじゃ……。
「アパカッ!」
「へぶっ!!」
……紫の行動は、私の想像の更に斜め前を行っていた。
何せ、ボールなど知るか。とばかりに、ネット越しに永琳をブン殴ったのだから。
さしもの天才もこれは予測外だったのか、永琳はものの見事に吹き飛ばされ、砂浜に埋まった。
私はその隙に、零れ落ちかけていたボールを放り込む。
鈴仙も突然の惨劇に呆然としていたのか、ボールは呆気なく敵陣へと転がった。
まあ……一応、ね。
「ナイススパイクよ霊夢。これで流れは頂いたわね」
「……えーと、その、何というか……いいの?」
「いいの。ビーチバレーに、『相手を殴り飛ばしてはいけない』なんてルールは無いわ」
悪びれた様子の欠片も無い、さっぱりとした表情だった。
……やっぱり、こんな決意だったのね。
こうなるとむしろ、直接関与してない私のほうが、何処か罪悪感を受けてしまう。
確かにルールに表記はしてないだろうけど、それ以前の問題だし。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、そこの年増!」
そこで、よせば良いのに、鈴仙が紫に向けて、猛然と喰ってかかって来た。
草食動物が肉食動物に太刀打ち出来る筈も無いのに……。
というか、年齢を示唆するのは、むしろ自爆じゃないのかしら。
「何かしら、兎さん」
「何かしら。じゃないでしょ! 今、あからさまに殴ったじゃないの!」
「心外ね。これはただのプレー中の不幸な事故よ。スポーツに事故は付き物でしょう?」
「嘘よ! 自分で殴り飛ばしたって言ってたじゃない!」
「……止めなさい、ウドンゲ」
更に詰め寄ろうとした鈴仙を、独特のアルトボイスが食い止めた。
砂を払い落としつつ歩み寄る永琳は、少し足元がふらついている程度で、殆ど無傷のように見える。
「あ、師匠! ご無事ですか!?」
「ええ、大した事は無いわ」
「でも、こんなに胸が腫れて……」
「それは元々だってば」
寝言を抜かしつつ、胸をさする……というか揉みしだく鈴仙に、私は求道者の姿を見た。
時も場所も場合も全て無視しての、正に本能による行動。
こやつ、私が考えていた以上に大物やもしれぬ。
「ペッティングは程々にしておきなさい。続き、やるんでしょ?」
「え? でもそれは規程に……」
「……そっちじゃなくて、ビーチバレーよ」
流石にこれには紫も呆れた様子だった。
「……ええ、勿論よ。敵ながら見事なコンビネーションだったわ。褒めてあげる」
「ちょ、し、師匠、良いんですか!? 今のは明らかに反則ですよ!?」
「ただの事故よ。私自身がそう判断したのだから間違い無いわ」
「……」
そう言われると、返す言葉が無かったのか、鈴仙は悔しげに引き下がる。
途中、お約束とばかりに100点を加えていたてゐを小突きつつ。
……でも、私の聴覚は、確かにある言葉を捉えていた。
『事故は、何度でも起こるものよ』と。
攻守入れ替わり、私のサーブで試合再開となった。
出来ることならこれで決まって欲しい。との願いを込めて、相手の背後を狙うホーミングサーブだ。
が、私の平和を愛する心が足りなかったのか、鈴仙が獣のような動きで飛びつくと、見事にボールを拾い上げた。
そして、さっきのリプレイのような軌道で、ふらふらとネット際へと上がる。
「……」
今度は、永琳が先に飛んだ。
と言っても、手の平ではなく、側面を向けている辺り、狙いがスパイクに無いのは明らかだ。
しかし、恐らくはその真意を理解しているであろう紫もまた飛んでいた。
正面から叩き潰す、という算段なんだろうか。
「せいっ!!」
そして、永琳はスパイク……というかチョップでボールを捉ると、
その勢いのままに紫の頭上へと振り下ろした。
「ふん、芸の無い……」
読み通りだったのか、紫は不敵な笑みを浮かべつつ、その一打を結界でしっかと受け止めた。
当然、同時に放たれたボールも弾き返され、敵陣へと高く舞う。
……筈だった。
「貴方がね」
「!?」
その瞬間、永琳の身体が、くるりと回った。
回転によって勢いを付けられた踵は、跳ね返る筈だったボールを巻き込みつつ、紫の結界に直撃。
それは、一発目のスパイクと寸分も変わらぬ位置だった。
「……がっ……」
結果、二度の衝撃によりあっさりと結界は破られ、そのまま踵は紫の脳天へと炸裂した。
私の記憶が確かなら、今朝方、木片が突き刺さってた箇所だ。
最初からそこまで読んで攻撃を仕掛けたのだとすると、敵ながら見事と言わざるを得ない。
しかし、この前転蹴り、どこかで見たような気がするんだけど……。
……じゃなくて。
「ゆ、紫っ!」
紫は、前のめりの体勢で、砂浜へと叩き落される。
そして、ある意味止めとばかりに、その後頭部へとボールが落下。
ごすん。という、とても良い音だった。
「どんな強固な結界であろうと、必ず綻びは存在するわ。
ましてや、そんな急造の代物なんて、私にとっては鍵のかかっていないドアノブのようなものよ。
まあ、鍵がかかっていたところで、開ける方法なんていくらでも存在するんだけどね」
すたり、と着地した永琳が、お馴染みの頬に手を当てるポーズで語ってた。
……多分、立場的に私はここで、鈴仙のように食って掛かるべきなんだろう。
でも、正直言って、今日の紫は擁護する気にはなれない。
そもそも、最初に手を出したのも紫のほうだし……。
「……ご高説、拝聴させて頂いたわ」
何時の間にか、紫は立ち上がっていた。
全身は砂まみれ、髪はボサボサ、おまけに再度の流血と、見るに耐えない姿だった。
……いや、それよりも、何処かで見た記憶のある、鈍く光る瞳が、何か危険な予兆のように映ったのだ。
「そう、お役に立てて何よりよ」
「そこでね、一つ提案があるんだけど、聞いてくれる?」
「あら、何かしら」
「……もう、化かし合いは止めにしない?」
「……そうね」
ぞわ、と全身総毛立つような悪寒が走る。
それが、二人の発した殺気によるものと気付いた時、もう事態は走り出していた。
「この子達の手前、我慢していたけど……いい加減、私も限界なの」
言い終わると同時に、ひゅん、と手を軽く振りかざす。
光が流れたかと思うと、二人の間を隔てていたネットが真っ二つに切り裂かれ、その役目を終える。
それは、ビーチバレー終了の合図とも受け取れた。
「ふふふ……ようやく本性を現したわね」
「何とでも言いなさい。お望みどおり、ブチ殺して差し上げるわ」
「ならば私は貴方に、死ねない体である事の苦しさを、思い出させてあげましょう」
「戯言をっ!」
刹那、紫と永琳の間に、複数の閃光が奔る。
動体視力に自信のある私が、そんな曖昧な表現しか出来ないくらいの速度だったという事だ。
そして、光の流れが止まった時、二人の顔には、僅かな痣のようなものが浮かんでいた。
「……中々やるわね」
「……貴方もね」
「ず、頭脳派の動きじゃない……」
「不覚にもパンチが見えなかったわ……」
何時の間にか、私の隣に来ていた鈴仙が、呆然と言葉を漏らしていた。
……ってことは、パンチであるとは分かったのね。
侮れないわね、エロウサギ。
「誰がエロウサギだってのよ」
「介抱すると見せかけておっぱいと戯れるのは、立派なエロウサギの所業じゃないの」
「う。ま、まぁ、そういう説もあるみたいだけど……」
よし、勝った。
完全なる勝利だ。
別にこいつに勝ったって嬉しくも何ともないけど、それでも私は人生の勝利者だ。
「……ふん。おっぱい愛好家の視点から見れば、私が勝利者よ」
「むう、それは否定できない……え、あんたも私の心が読めるの!?」
「全部口に出てたわよ」
「……左様で」
すっかりギャグ体質に染まってたのね、私。
それだと案外、紫に読まれたと思ってた思考も、単に自分で口走っていただけなのかもしれない。
だとしたら、随分の間抜けな光景だったんでしょうねぇ……。
「って、遊んでる場合じゃないわ。霊夢! 二人を止めないと!」
「……いや、それは止めときなさい」
「どうしてよ! このまま放っておいたら、大変な事になるわよ!?」
「もうなってるわよ。というか、出て行った所で止められる気しないし、そもそも止める理由が無いわ」
「理由が無いって……」
「だって、そうでしょ? あいつら、自ら望んでやりあってるんだもの」
それが、私が傍観を決め込んでいる理由だ。
後先考えずの能力バトルを始めたのならともかくとして、
現実に二人が選んだ清算手段は、何を思ったのか、素手による殴り合い。
となれば、むしろここで発散してもらったほうが良いと思ったのだ。
「……うーん……」
「まあ、絵面的に宜しいとは言えないけどね」
「そうよねぇ。しかも、水着姿だし……」
真夏のビーチで、ベアナックルファイトを展開する妙齢(千歳オーバー)の美女二人というのは、相当にシュールな光景だ。
でも、観客であるウサギ達は、むしろ嬉々として受け入れているように見える。
多分、ルールの良く分からないスポーツより、シンプルな殴り合いのほうが面白いんでしょうね。
戦闘は、有り余るパワーを抑えることなく振り回す紫と、
それを受け流しつつ有効打を狙う永琳という構図で進んでいた。
多分、一打一打に、並の妖怪くらいなら消し飛ばせるくらいの威力が込められてるんだろう。
「せいっ!」
そしてまた、紫の豪腕フックが唸りを上げる。
「……しっ!」
永琳はそれを、華麗なるパーリングで叩き払い、返す刀でジャブを連発する。
が、ウィービングを続けていた紫には、一発として当たらない。
その体重移動で生まれた力を拳に乗せるように、再び紫の左フック。
しかし、それは読んでいたのか、永琳は余裕を持ってスウェーバックで回避していた。
……何だって私は、こいつらのボクシング技術の解説をしてるんだろう。
ここ、真夏の海よ?
間違っても、後楽園ホールじゃないのよ?
だったらもっと、それっぽいイベントが発生してしかるべきじゃないの。
波にさらわれて水着が流されちゃったーとか。サンオイルを塗ってハァハァフゥフゥとか……。
「「ふんっ!」」
だというのにこいつらは、拳をぶつけ合って派手なエフェクトを発生させている。
しかも、妙に楽しそうに見えるから始末に終えない。
ラルルアパルルオーザだか何だか知らないけど、それじゃ私の存在価値は何処にあるんだろう。
「あっ!」
「え?」
またしてもダウナー思考に足を踏み入れそうになったところを、鈴仙の声が救ってくれた。
見れば、それまで拮抗していたように見えた戦闘に、僅かに変化が訪れていた。
「くぅ……」
「まだまだよっ」
体勢を崩していたのは永琳。
そこに、問答無用の紫ストレートがぶち込まれる。
永琳は両手のガードを上げて防ぎにかかるが、吸収しきれずに、再びダメージを貰っていた。
「パワーでは紫が優位のようね」
「……そうみたいね」
おっぱいとは逆ね。と思ったけど、口には出さない。
ともあれ、私としては、この戦いがさっさと終わる事を祈るのみ。
それが、紫の勝利によるものなら、更に良しだ。
「ふっ!」
勝機と見たのか、紫が三度、ストレートを打ち放つ。
それに対し、逆に永琳はガードを下げる。
防いでも無駄なら、かわすしか無い。そう考えたのだと私は思っていた。
しかし、永琳の狙いは、更に上を行っていた。
「ぐ……むっ」
次の瞬間、紫のストレートは空を切り、同時に永琳のカウンターの左ボディが突き刺さっていた。
怯んだように見えたのは、ただの誘いだったという事か。
「そして、テクニックでは師匠が有利ね」
「……ぐぅ」
「ふふっ……」
永琳は、僅かに笑みを浮かべると、自ら距離を取った。
対する紫は、苦悶の表情で片膝を付いている。
「だ、ダウンじゃないわよ、ちょっと閃光魔術対策を考えているだけよ」
「別にどうでも良いわ。カウントや判定がある訳でもないし」
「……くぅ」
立ち上がる紫の足が、ぷるぷると震えている。
言葉はともかくとして、今の一撃は、私の目にもかなり効いているように見えた。
先程まで無意識に行っていた筈の体重移動も、今は途絶えている。
「……良い手ごたえがあったわ。これでもう、足は使えないでしょう」
「ぜ、全然、大した事無いわ。貴方のへっぽこボディブローに負けるような柔な横隔膜だと思って?」
腹筋と言わないのは、自称少女としての意地だろうか。
むしろ、強がり乱発な所のほうが、ずっと少女っぽい気がするけど。
少女というか、子供か。
「ふぅん。なら、次はその五月蝿い口も止めてあげるとしましょうか。
この、拳の中に広がる大銀河でね」
刹那、初めて永琳が自ら攻勢に出た。
ゆっくりと、まるで何かを溜め込むかのように振りかぶられる拳。
どう見ても隙だらけだったけど、何故か紫はその場から動こうとはしなかった。
前に出る足が無い事を自覚しての、カウンター狙いだろうか。
「……終わりね」
「何言ってんのよ。あんな見え見えのパンチが防御できない訳ないでしょ」
「そういう問題じゃないわ。師匠に溜めを作らせた時点で、もう勝負は終わってるのよ」
鈴仙が口の端を歪めたと同時に、永琳の拳が開放された。
素人目にも、蝿が止まりそうと評せるような、鈍重な左フック。
当然、あっさりと見切った紫が、逆にカウンターの右ストレートを繰り出す。
というか、余りにも遅すぎたせいか、先に紫のパンチのほうが当たっていた。
……が。
「ギャラクティカ……」
「!?」
効いていない……いや、パンチを貰ったという自覚があるのかさえ怪しかった。
永琳は、微塵も動じる事なく、当初の予定通りの軌道で、左拳を振るったのだ。
それはまるで、繰り出せば当たると、最初から確信していたかのように。
「ファントムっ!!」
どかん、だとか、メキッ、だとか、擬音で表現出来る音ではなかった。
それでも無理やりに表現するとしたら、グヮラゴァゴキーン、だろうか。
とにかく、何だか良く分からない炸裂音と共に、永琳の拳が閃光を爆発を伴って炸裂。
吹き飛ばされた紫は、美しい放物線を描くと、水飛沫を伴って海へと沈んだ。
「私にこれを出させたのは、永い永い人生を振り返っても、貴方で三人目よ。褒めてあげるわ。
……もっとも、もう聞こえていないでしょうけど」
永琳が軽く笑みを浮かべつつ、乱れた髪を書き上げる。
答えは、無かった。
「……」
「ちょっと、霊夢。何ぼーっとしてるのよ」
「……え? あ、うん」
「状況分かってる? 早く助けてあげないと、あのまま魚の餌になっちゃうわよ。
いくらスキマ妖怪でも、エラ呼吸は出来ないでしょ?」
「助けるって、誰を?」
「……あのね。現実を見たくない気持ちは分かるけど、もう決着はついたのよ」
……決着?
何を言っているんだろう、このエロウサギは。
脳の中が桃色に染まり切っていて、まともな思考が出来なくなっているんじゃないだろうか。
「何か、とことん失礼な事考えてる気がするけど、おかしいのはそっちでしょ」
「私は平静よ。だって、ほら」
指をさして促すと、鈴仙の目が驚きに見開かれた。
そこには、いつの間にか立ち上がっていた紫が、水と血を滴らせつつ戻る姿があったからだ。
もっとも、私にとっては何ら不思議な光景じゃない。
偉そうに言うだけあって、色々と物理法則を無視した凄い一撃ではあったけど、
それも常識外の大御所である紫にとっては、蚊に刺されたようなものだろう。
「ふ、ふ、ふ、そ、そんな、貧弱な、パンチで、私を、倒せると、でも、思った、の?」
……前言撤回。
めっさ効いてるっぽいです。
「……え、ええ。今でも思ってるわ」
別の意味で気圧されたのか、永琳は少し戸惑った様子だった。
それでもしっかりとファイティングポーズに戻る辺りは流石といった所か。
「な、ならば、それが、ただの、思い、上がり、だと、実感、させて、あげ、ましょう」
「ね、ねぇ、やっぱり止めたほうが良いんじゃないの?」
「……少し、そんな気がしてきたかも」
紫を過大評価していたのか、それとも永琳を過小評価していたのかは分からないけど、
ギャラクティカなんたらとかいう必殺技は、私の想像以上に破壊力を秘めていたらしい。
正直、今の紫は、立っているだけでやっとという感じだ。
「あの人本当に殺されちゃうよ……。師匠、そういうところまったく容赦ないから」
でしょうね。
何せ、閻魔様を殴り倒して調服するくらいだし。
「……でも、私は止めないわ」
「……もしかして、まだ勝ち目があると思ってるの?」
「ええ」
そう、私は、思ってる。
経緯はともかくとして、こうして立ち上がった以上、紫には何らかの勝算があるに違いないと。
でなければ、紫の事だ。そのまま、大人しく寝ているに違いない。
滅多に意地なんて見せない奴が、なけなしの底力を振り絞っているのだから、
私に出来るのは、最後まで見届ける事だけだ。
「……八雲紫。貴方に一つ、謝っておきたい事があるの」
「?」
「あの本……実は転売目的だったのよ」
「ファッキン!」
意味不明な会話が交わされたと思うと、死に体となっていた筈の紫が突如として飛び掛った。
テクニックも何もない、ただ勢いに任せただけの大振りのパンチ。
無論、そんなものが永琳に当たるはずもなく、容易に右のカウンターを合わせられてしまう。
既にボロボロの紫に対しても、最後まで策謀を巡らせるその姿勢。
敵ながら天晴れというところかしら。
「……まあ、大嘘なんだけど」
「こ、コンチクショウ……」
一瞬にして動きを止められた紫に向け、永琳が左拳を振りかぶる。
間違いない、さっきのアレだ。
「貴方が意外と激情家で助かったわ。……ま、喜びなさい。
棺桶の中に一緒に入れておいてあげるから」
「……や、焼かないで……アレは……良いものなのよ……」
もう、ガードを上げる力も残っていないのか、紫は両手をだらりと下げたままで懇願する。
……。
……下げたまま?
「へぇ。まだ、何か狙っているだなんて、大した勝負根性ね」
「……化学者が、精神論を展開? 笑わせないで」
「私のこの銀河の拳は、一度繰り出されたら、防ぐ術は無いと、身を持って教えた筈よ。
それでも貴方は無駄な抵抗を試みている。……これを他にどう表現したら良いのかしら」
「簡単な事よ……当てられるよりも先に、当ててしまえば良い。
それは根性でも何でもない、明確な勝利への道筋……!」
刹那、紫の右拳が握り締められる。
ギャラクティカなんたらが極めて遅い技である事を考えると、先に当たるのは紫の攻撃のほうだろう。
でも、どういう原理なのか、あの技を繰り出した時の永琳は、桁外れに堅い。
さっきもそれで、トリプルクロスカウンターを喰らう羽目になったのに、打撃の影響で忘れてしまったのだろうか。
「学習能力に欠ける奴ね……もう良いわ。死になさい」
「……虹を構成する七色を、知ってるかしら?」
「は?」
「そして、私の名前と、私の式の名前……これらから導き出される答えを、
その必殺技を使う貴方が、知らない訳が無いわよね?」
「……まさか!?」
今日、初めて永琳の顔に、動揺の色が現れた。
そして、その理由は、私には分かる。
……というか、先日読んだ漫画のお陰で思い出した。
もっとも、元ネタを熟知している人がどれだけいるのか疑問だけど。
「その名も、ヤクモ・ザ……」
「くっ……ギャラクティカファントムっ!!」
呟きごと消し潰さんとばかりに、永琳の左拳が太陽系を背景にして振るわれる。
でも、全ては無駄だ。
「レインボーーーーーーーーーーーッ!!」
「最高だぜーーーーーーーーーーーッ!!」
銀河は哭いても、虹は砕けない。
紫の右拳が描いた七色の軌跡の前に、剣崎……じゃなくて永琳は、お星様となった。
そう、これは技術論云々じゃない。
お約束パワーの前には、誰もが無力なのだ。
「……ご愛読、ありがとうございましたー……」
「紫っ!」
永琳がエーゲ海の青空に消えると同時に、紫もまた力尽き、崩れ落ちた。
私はそれを瞬時に抱き止める。
顔面ボコボコで、少女臭の欠片もない姿だったけど、自発呼吸はしているので、多分大丈夫だろう。
「……んしょ」
少し考えた末に、私は紫を一息に背負う。
こいつの事だから、少し休めば回復するだろうけど、海の上じゃどうにもならないし。
背中に当たる素敵な生肉の感触よりも、思った以上に軽い身体のほうが印象的だった。
しかし、周囲の状況は、私達に休息を与えてはくれなかった。
「「「「「……」」」」」
「……ちっ」
先程まで、わいのわいのと騒がしく観戦していた兎達が、
打って変わった冷たい表情を浮かべつつ、私達を取り囲んでいたのだ。
……まあ、当然と言えば当然かもしれない。
この連中からして見れば、私達は、ご主人様を倒した憎い敵なのだろうから。
「……悪いけど、このままあんた達を帰す訳にゃいかないよ」
そして、兎達を代表するかのように、一歩前に出たてゐが口を開いた。
……気のせいか、口調も変わってる気がする。
もしかして、こっちが素なんだろうか。
「へぇ。どうするつもりなの?」
「勿論、永琳様の後を追ってもらうのさ。戻って来れるかどうかは責任持てないけどね」
「……」
……拙いわね、どうも、本気っぽい。
普段の私ならどうとでも出来たろうけど、今は別だ。
何せ、戦おうにも武装は無いし、逃げようにもここは外界の孤島。
おまけに、頼みの綱である紫が、逆に私の足枷になってしまっているような状況だ。
……。
癪だけど、一応、言ってみるか。
隙を作れるかも知れないしね。
「ええと、紫は置いていくから、私は見逃して……ってのはどう?」
「あんたにそれが出来るようなら、この状況になるまで付き合ったりしてないよね?」
「……」
むぅ……やっぱり簡単に見抜かれた。
詐欺師だけあって、見た目と中身のギャップが激しいわね、こいつ。
そうこうしている内に、どこから持ち出したのか、
物騒な獲物を手にした兎達が、じりじりと私との距離を詰めて来ていた。
恐らく、号令がかかり次第、一斉に飛び掛ってくるだろう。
こうなったら……駄目元でもやるしかないわね。
「お止めなさい」
交戦の決意を固めかけたところに、凛とした声が響き渡った。
私を含めた、その場の全員が、声の方向へと導かれるように振り向く。
「姫様? なんで止めるんですか!」
「ならば逆に聞くわ。どうしてイナバは、その二人を討とうとしているの?」
「そんなの……永琳様の仇だからに決まってるじゃないですか!」
「仇だなんて大袈裟ねぇ。一時間もしたら帰ってくるわよ」
「そういう問題じゃありません!」
「……ふむ。すると、貴方達は余程、永琳を小馬鹿にしたいのね」
「……え?」
「そうでしょう? 永琳とそいつの間に何があったのかは、私も知らないけれど、
少なくとも、確固たる決意を持って戦いに挑んでいたわ。
まあ、結果は敗北だったようだけど、重要なのは戦ったという事実であって、結果ではないの」
「……」
「でも、貴方達はその結果を引き摺り、果ては独断で事実の清算まで行おうとしている。
その行為は、永琳の思いを踏み躙るに等しいのではなくて?」
「……」
「良かれと思ってやった事……そんなものは、ただの自己満足に過ぎないのよ。
まあ、一概に否定するつもりはないけれど、少し考えてみるのも良いんじゃないかしらね」
輝夜が言葉を切ると、兎達は一人、また一人と手にした武器を下ろしていった。
正直、あの殴り合いにそんな大層な決意なんて無いような気がしたけど、ここは突っ込まない。
何しろ、ここに来て、ようやくラスボスっぽい姿を見せてくれたのだから。
「一本逝っとけ」
「アスパラッ!!」
……。
そして、見せた瞬間に逝った。
驚いたような表情のまま、頭を銃で撃ち抜かれるという、三下丸出しの死に様で……。
謙信公もさぞかし嘆かれる事だろう。
……まあ、直ぐに復活するんだろうし、この際それはどうでもいい。
問題は、手を下したこいつだ。
「……敵前逃亡は銃殺。これ、戦場における基本事項。賢いあんた達は、理解してるわよね」
「「「「「い、イエス、サー」」」」」
「声が小さい! 張り上げろ! 枯らせ! そして死ね! 死ね! セイウチのケツに頭突っ込んでおっ死ね!」
「「「「「イエス、サー!!」」」」」
「分かったなら包囲開始! 志半ばで逝った師匠に報いるべく、この二匹を原子レベルで分解してやるのよ!」
「「「「「イエス、サー!!」」」」」
鈴仙の号令……というか、命令に従い、再び兎達が私を取り囲んだ。
……駄目だこりゃ。完全に切れてるわ。
今ならこいつが狂気の兎と呼ばれた意味も良く分かる。
瞳がどうこうという以前に、普通に色々な部分が壊れてるんだ。
「……さて、霊夢」
「は、はい」
「死ね」
「って、え、ちょい待ちなさいってば! 普通、遺言とか聞いておくんじゃないの!?」
「じゃあ聞くわ。30文字以内ね」
「と、とりあえず話し合いましょう! 私達はおっぱい愛好家の同志として……」
「はい、30文字。じゃ、さよなら」
そう言うと鈴仙は、指先に霊力を集中して行く。
最初は米粒くらい光が徐々に大きくなり、ついには顔ほどもある巨大な座薬……じゃなくて弾丸へと変化していた。
そして、まったく躊躇うことなく、それを私に向けて撃ち放った。
この時、私の取るべき最善の行動は、全力での回避か、防御結界の展開だったのだろう。
しかし、そのいずれの行動も、背中の紫を放り捨てないと実現不能なものだ。
別にそれくらいは大した問題じゃ無い……そう分かっていても、一瞬だけ躊躇ってしまう。
……そして私は、その僅かなタイムロスにより、避けるタイミングも、防ぐタイミングも失った。
巨大な弾丸が向かってくる様子が、まるでスローモーションのように映る。
でも、そう見えるというだけで、身体はピクリとも動かなかった。
嗚呼……私は一人、見知らぬ外界の孤島で、こんな間抜けな死に様を晒すのね。
紫の馬鹿、何が死ぬ時は私の膝の上よ。
これじゃまるっきり逆じゃないの。
「一人じゃないわよーーーーーーーーーーーっ!!」
その瞬間だった。
何処かで聞いたソプラノボイスが響いたかと思うと、私の視線を塞ぐように、一つの影が砂浜に降り立ったのだ。
……いや、正確には、半分と半分の影が。
「弾幕……白刃取りぃいっ!!」
「なにィ!」
「そんな!?」
「馬鹿な!」
「美しい……!」
次の瞬間。眼前の有り得ない光景に、兎達が口々に驚きの声を上げていた。
ちなみに最後の台詞は、鈴仙本人のものだったりする。
私はというと、驚くと言うより、むしろ呆れのほうが先に立っていた。
何しろそいつは、本当に両の掌のみで弾幕を挟み止めていたのだ。
普段のような情けなさは微塵も見られない、自信に満ち溢れた表情で。
「あち、あち、あちっ! そして痛い!」
とか思ってたところを、瞬時に地面をローリングし始めたのを見て、一安心。
良かった。いつものドジっ娘だ。
「はぅ、ふぅー、うー、やっぱりこんな曲芸やるものじゃないなぁ……」
「……よ、妖夢! なんであんたがここに!?」
「や、鈴仙。こんにちは」
「あ、うん、こんにちは」
二人は同時に、ぺこりと頭を下げた。
状況にまったくそぐわない、間抜けな光景だったけど、それがかえって私に安堵感を覚えさせる。
ああ、生きてるって何て素晴らしいんだろう。
「……って、挨拶はどうでもいいの! 何だってここにいるのかって聞いてるのよ!」
「あれ、言わなかったっけ?」
「聞いてない」
「そっか。じゃ、改めて……。
我が名は、冥界は白玉楼が庭師、魂魄妖夢! 故あって博麗霊夢殿の助太刀に参った!」
妖夢は口上を述べると、派手な背景効果を伴ったいつものスローモーションポーズを決めていた。
前に会った時は、もう少し控えめな性格だったような気がするんだけど、
まあ半年毎にキャラが変わるような奴だし、それは別に大した事じゃない。
出発前に私が見立てた水着を着ていることも気になったけど、この際置いておく。
それよりも問題なのは……。
「ええと、とりあえず助かったし、礼は言っておくわ。
……でも、一つだけ聞いて良い?」
「何?」
「……なんであんた、素手なのよ」
「え? だって、潮風に当たったら錆びちゃうし……」
おーのー。
幽霊十匹殺せたり、迷いを断ち切ったりは出来ても、その辺は普通の刀なのね。
……役に立たないわねぇ。
しかもそのポーズ、剣が無いと阿波踊りにしか見えないんだけど、その辺は分かってやってるんだろうか。
「泡踊り……? 妖夢がっ!?」
「ええい、ややこしいから黙らんかい!」
我に返ったかと思った鈴仙が、私の思考という名の独り言一つで、またダメな方向に壊れていた。
このエロウサギ。本当にどこまで行ってしまうつもりなんだろう。
「鈴仙、鈴仙ってば」
「何よ、てゐ。私は今、妄想で忙しいのよ」
「妄想もいいけど、とりあえず現実を見てみるべきじゃないかなぁ」
「? ……あー、そうね。今は師匠の仇を討つ時よね」
「うん。ぶっちゃけ私はもうどうでも良くなってきたんだけどね」
「ふふっ、こんな時だけは正直なのね」
鈴仙は、笑顔でてゐの頭を撫でたかと思うと、瞬時に表情を切り替えて、再び私へと指先を向けた。
正確には、私の前に立っている妖夢へと。
でも、依然として、場の空気は弛緩したままだったから、何の不安も無い。
理由? 言うまでもないでしょ。
「ふん。一人が二人に増えた所で、状況は変わらないわ。
妖夢。悪いけど、貴方の加勢は全くの無駄よ」
「一人が二人……援軍の数はそんなに少ないと思って?」
「……それ……私の……台詞……持っていかないでー……」
「何ですって? ……まさか!」
私の背中の辺りから発された寝言は華麗にスルーされた。
鈴仙は、妖夢の見ている方向……海へとに視線を送り、そして、ものの見事に固まる。
いや、鈴仙のみならず、私を除いた浜辺の全員が、強制的に硬直させられていた。
明らかに一角だけ、ドス黒いオーラに包まれている海面。
そして、ゴジラのテーマと思わしき重低音サウンドを鳴り響かせつつ、ゆっくりと浮上してくる一つの影があった。
……なんて遠回しに表現しなくても、誰だって分かるわね。
妖夢がいて、こいつが来てない筈も無いんだし
「シュコー……ふ~……シュコー……な~……シュコー……ゆ~う~……シュコー」
「鬱陶しいわっ! ネタなら外してからやりなさいっ!」
「シュコー……ああ……シュコー……それも……シュコー……そうね……シュコー」
そいつ……というか幽々子は、強制的に引ん剥いてやりたくなるようなのんびりとした速度で、
身に纏っていたダイビング用品一式を脱ぎ外しして行く。
しかも、肝心のレギュレーターが後回しのせいで、呼吸音がやかましくて仕方が無い。
というか、亡霊の分際で酸素補給が必要なのが謎だ。
「……ふぅ。偶には人間になりきっての海中散歩も乙なものね」
……まあ、露になった水着姿を見ると、案外、酸素とかも必要なのかもと思えたり。
同じ事を考えていたのか、鈴仙もまた、私と同じ部位を凝視している。
狂気の瞳も、凶器のおっぱいの前には無力という事かしら。
「幽々子……やっぱりあんたも来てたのね。でも、どうやってここに?」
「え? 亡霊の私が海から現れるのは当然でしょう?」
「それで船幽霊なのね……じゃなくて、もっと根本的な所を聞いてるんだけど」
何故かは分からないけど、とにかくこいつらは、私を助けに来てくれたらしい。
窮地に追い込まれていたのは確かだし、そこはとりあえず感謝しておく。
……でも、ここは幻想郷ではなく、エーゲ海の孤島。
いくら幽霊は神出鬼没が常と言っても、流石に無理のある場所ではないだろうか。
「ならば教えてあげましょう……じゃーん。スペアスキマーっ」
「……」
ニコニコ笑顔で、リボン付きの紐のようなものを取り出した幽々子の姿に、
私の突っ込みに賭ける気力は、完全に失われた。
その代わりに、背中で呻いている物体に、後頭部ヘッドバットをかましておく。
「……ふごっ……」
一声呻くと、再び紫は沈黙した。
多分、鼻血も出ただろうけど、気にしない。
ただでさえ世界観崩壊が進んでるのに、更に加速させてどうすんのよ、馬鹿。
……嫉妬じゃないわよ、多分。
「あらあら、ただでさえズタボロで見るに耐えない姿なのに、止めも刺しちゃうの?」
「頑丈かつ回復力も高いから、これくらい何とも無いわよ。それはあんたも良く知ってるでしょ」
「まぁね。……でも、流石に暫くは動けなさそうね。
という訳で、ここは私達に任せて、さっさと尻尾を巻いてお逃げなさい」
そう言うと幽々子は、スペアスキマとやらから、お馴染みの二丁扇子を取り出し、構えた。
腐っても大物のオーラか、途端に兎たちに緊張の色が現れ始めた。
そして妖夢もまた、幽々子に倣うように戦闘態勢に入る。
素手でどう戦うつもりなのかは知らないけど、まあ何か考えがあるんだろう……と思いたい。
「聞きたいことは色々あるだろうけど、それはまたの機会にね。
とりあえず、私は貴方達の味方であると思ってくれれば、それで良いわ」
「そして、幽々子様の味方という事は、私の味方であると同義。分かった?」
「……」
何時もなら、間違いなく疑っていただろう。
でも、今だと何となく分かる。
二人の言っている事は、紛れも無い本心だと。
……まあ、そうでも無ければ、わざわざこんな所まで出張しては来ないだろう。
登場のタイミングを計って現れるのはどうかと思うけど。
「分かったわ……でも、あんた達だけで、本当に大丈夫なの?」
「武装も無ければ、地の恩恵も無く、更に大荷物まで背負ったような奴がいても余計に迷惑だ。
下らない事を気にしてないで、早く行くのよ」
「そゆこと。それに、この作者の設定だと、永夜抄は私達がクリアした事になっているから安心して」
「そういう楽屋裏的な台詞は止めなさいって。というか、妖夢だって武装してないじゃないの」
「愛があれば大丈夫!」
力強く宣言すると、ぐっ、と青春の握り拳を作る妖夢。
まさか、逆水平チョップやラリアットで全員薙ぎ倒すつもりなんだろうか。
幽々子と組んでいるときのこいつは、ある意味別人だし、それも在り得るのが怖い所だ。
「うう……脳が……脳が痛いわ……」
「あ、姫、いたんですか」
「自ら撃ち殺しておいて、その冷淡な反応。鈴仙ちゃん、兎だけに一皮剥けたわね」
「誰が上手い事言えといったの。……というか、何で貴方が登場前のシーンまで知ってるの?」
「見てたから」
「え、幽々子様? どうして斧なんて……」
「ま、まさか、その斧は伝説の!?」
「なにーっ! 知っているのか、イナバっ!」
「伝説の木を切り落とした、由緒ある斧ですよ。イーベイで19.95$だったとか何とか」
「問い詰める気すら起きない大嘘ご苦労様。そう言えば貴方もイナバだったわね」
「えへへ、それほどでも」
「褒めてないから」
……この様子なら、別の意味で大丈夫そうね。
私達の存在、もう忘れられてるっぽいし。
というか、私の一人称で進む話なのに、何故にこうも毎回、蚊帳の外に置かれてしまうんだろう。
まあ、今の状況では好都合だけど。
「ほら、紫。今のうちに逃げるわよ」
「ウフフ……ファイト……ダンマクファイト……タノシイネ……」
紫には、典型的なパンチドランカーの症状が現れていた。
気絶したままとどっちがマシなのか、かなり微妙なラインね。
「弾幕してないでしょ。ほら、いい加減目覚めなさいって」
「……鼻からうどん……?」
「……駄目だこりゃ」
紫をここまでアホの子にしてしまうとは……あの殴り合い、本当に紙一重だったのね。
まあ、その永琳は、遥か彼方までふっ飛ばされたんだけど、それでもまだ安心は出来ない。
あいつなら大気圏外からでも射撃を仕掛けて来かねないし。
「うー……これ、本当に大丈夫なんでしょうね……」
私は不安を押し殺しつつ、紫を背負ったままスペアスキマへと足を踏み入れる。
もう、こうなれば、後は野となれ山となれだ。
それにしても……。
『鈴仙ーーーーーーーーーっ!!』
『妖夢ーーーーーーーーーっ!!』
『まさか……そんな!』
『これが、うどみょんの真実……!』
『ラピュタは本当にあったのね!』
『兎は寂しいと死んじゃうんだもの……』
『え、中まで!?』
……どうしてこいつらは、やたらと気にかかる台詞ばっかり、残してくれるんだろう。
「よっ、と」
ざぶん、と勢い良く海面にエントリー。
少し痛いくらいだったけど、それすら心地よく感じられる。
……マゾって言うな。
「元気ねぇ」
「誰かさんみたいに、殴り合いなんてしてないからね」
水面にぷかぷかと浮かんでは、赤く染まり始めた空を眺める紫。
既に完全に回復しているようで、あの戦闘による影響はまったく見て取れなかった。
辺りには、私達以外の人影は無い。
と言っても、ここはインド洋でもなければエーゲ海でもない、名も無き日本の無人島だったりする。
あれだけ世界を行脚しておいて、最終的に辿り着いたのが日本というのが、何となく間抜けだ。
……まあ、らしいとは思うけど。
「もう……悪かったって言ってるじゃないの」
「分かってるわよ。言ってみたかっただけ」
別に怒っている訳じゃない。
とりあえずの目的……避暑は一応果たせた訳だし、変態ビーチバレーも、あれはあれで結構楽しかった。
そして、海水浴のほうも、今こうして満喫出来ている。
確かにもう少しのんびり楽しみたかったというのはあるけど、騒がしくあるのもまた、私の日常。
文句こそ付けても、こういうものなのだから仕方ないと、どこか達観して見ていたのが、本当の所だ。
「でもさ、紫。どうしてあんた、あんなにムキになって突っかかったりしたの?」
ただ、その点だけは疑問だった。
私の自惚れでないのなら、少なからず紫も、私と海に来ることを楽しみにしていたはず。
なのに、その機会を自らの手で打ち壊してしまうというのは、いかにも解せない。
「うーん……話せば長くなるんだけど……」
「……どれくらい?」
「塗仏の宴程度かしら」
「長っ!」
そんなの全部聞いてたら、日が暮れるどころかここに住み込む必要がありそうね。
流石に外界で日を跨ぐ気にはなれないし、そもそも、どこまでが関係のある話なのか疑問だ。
「まあ、簡単に言うなら、矜持って奴かしら」
「矜持……」
境界を操るものとして、己の領分への侵食を許せなかったという意味だろうか。
それとも、密かに幻想郷最強妖怪決定戦でも行われてたのかな。
……まあ、それは無いか。幽香が出張って来てないし。
となると……。
「……おっぱい?」
「は?」
「あ、いや、ノイズ、ただのノイズよ」
「……変な子ねぇ」
「あんたにだけは言われたくないわ」
いけない、またしても思ったとおりに口走ってしまった。
もしかして、巨乳は巨乳同士で確執があるのでは。とか想像した自分が凄く間抜けだ。
……本当にそうだったらどうしよう。
「ともかく、もう決着は付いたから安心していいわよ」
「って言われてもね……あの時、幽々子達が来なかったら、私も危ない所だったのよ?」
「あう……」
言いながら、そのことを思い出した。
あいつらは今もまだ、海の向こうでバトルロイヤルを繰り広げているんだろうか。
もしくは、弛緩した空気そのままに、バーベキュー大会でも開いているのかも。
そもそも、吹っ飛ばされた永琳は、無事帰還出来たのか。
……私が考えても仕方ないことね。
「ま、もうそれは良いわ。過ぎた事に拘るのは無意味だものね」
「そ、そうよ、終わりよければ全て良しよ」
「……で、あのスペアスキマとやらは何のつもり? これは、過ぎた事じゃないわよ?」
「……」
すると、紫は無言で、海中へと沈んでゆく。
無論、それを私が許すはずもなく、沈みきるよりも先に、手を掴んで強引に引っ張り上げる。
「今時タイタニックごっこ?」
「や、やめて、今は顔見られたくないの」
「その台詞を出す場面じゃないでしょ。……つーか、逃げるって事は、あんたも後ろめたく思ってるのね」
「うー……」
こいつが幽々子にとことん甘いのは、今更言われるまでもなく知っている。
そこに、現在進行形じゃない感情が含まれている事も、詳細はともかくとして、何となくは気付いてる。
……でも、そういう問題じゃない。
「封印しなさい。すぐに」
「……一応、理由を聞かせてくれる?」
「これ以上境界をあやふやにされるのは御免だから。幽々子に境界の力を使いこなせると思えないから。
このシリーズからギャグ要素が消えたとき厄介になりそうだから。……いくらでも言えるけど?」
「……」
適当に並べ立ててみたけど、実のところ私が問題視してるのは他の点。
それは……。
「……ともかく、私は気に食わないの。分かった?」
「ほほぅ……」
途端、紫にいつもの怪しげな笑みが戻る。
……拙い、感付かれたかも。
「な、何よその顔」
「別にー。まあ、そう言うのなら、大人しく封印するわ。霊夢の頼みだもの」
「……頼みじゃなくて命令よ」
意図的に口癖を使うところを見ると、やはり気付かれたみたい。
これ以上、私の知らないところで、幽々子と関係を持って欲しく無かったという本音に。
……意外と私って、独占欲が強いのかも。
「あ、そうだ。良ければ新しいものをプレゼントしましょうか。
霊夢ならきっと使いこなせるはずよ」
「あんた、本当に私の話聞いてたの?」
「聞いてるわよー。一言一句漏らさずにね」
「……ともかく、私にはそんなもの必要ないわ」
「どうして?」
「……」
距離が近いせいか、紫の考えている事が、何となく分かった。
多分、私が恥ずかしがって言えない様を眺めたいんだろう。
……でも、お生憎さま。
もう、この程度で口篭るほど、私の抱いている感情はあやふやなものじゃないのよ。
「あんなものがあったら、紫が私と会う理由が無くなっちゃうじゃないの。そんなの御免よ」
「……」
ぽかん、と口を開ける紫の姿に、僅かながらに溜飲が下りる。
でも、この程度では済ませない。
「それとも、もう紫は私と顔を合わせたくもないの?」
「……」
「もし、そうだとしても、絶対に許さないけどね。
……約束、したでしょ」
「……ええ、ごめんなさい。馬鹿な事を言ったわ」
……よし、勝った。
勝ち負けの問題じゃ無いけど、とにかく勝った。
そして勝利者である私は、敗者に対してある権利を試行する。
何の権利かは言わない。
……というか、物理的に喋れないんだけどね。
それから数日後。
やつれ切った幽々子と妖夢が、憤怒の形相で博麗神社に押しかけてきた。
何でも、あの時言った事はすべて撤回させて貰う、だとか。
……そういえばあの二人って、スペアを封印したら、帰る手段がまったく無かったわね。
もっとも、ゆかれいむ。の五文字をインプットして頂くだけで何とかなる気がします。
むしろ、100kbある事のほうが問題です。
ごきげんよう、博麗霊夢です。
本日は、皆さんと一緒に、日本語の勉強をしたいと思います。
唐突な上に敬語だけど、キレてないですよ? 全然キレてないっスよ?
……おほん。
三度目の正直という諺がある。
一回、二回と失敗しても、三回目には上手く行くさ。という意味だ。
また、二度ある事は三度あるという言葉も存在する。
これは読んで字の如く、二度続起きた事は続けてもう一度起きるとの格言。
私としては、前者であって欲しかった。
しかし、それは儚き願望に過ぎないという、ある種の直感のようなものも覚えていた。
良い悪いに関わらず、私の勘は非常に良く当たる。
いや、それはもう勘なんてものじゃない、言わば神託だ。
どんなお告げかと言うと……ええい、まだるっこしいわね。
ぶっちゃけ、今の私の置かれた状況を解説するのに、多くの言葉は必要ない。
ただの一言だけで十分だ。
「熱い!!」
言っておくけど、これは誤字じゃない。
暑いという領域を通り越して、文字通り熱いのだ。
それこそ、昼食に用意した冷やしたぬきそばが、お茶を入れている間に普通のたぬきそばになってしまったくらい……。
あやまれ!
志半ばにして倒れたわさびにあやまれ!
勿体無いから無理やり混ぜたは良いものの、結局は果てしない後悔を覚えた私にもあやまれ!
誰だか知らないけど、とにかくあやまれ!
……ふう。
何だって毎回毎回、私ばかりがこんな悲惨な目に遭わないといけないんだろう。
春先には、季節感をまるで無視した猛吹雪のせいで、危うく餓死と凍死と同時に体験するところだったし、
また、その舌の根も乾かぬ内に、およそ三日間に渡って停滞するという常識を覆した台風によって、
事実上の監禁という憂き目に遭ったりもした。
そして、ようやく過ごしやすい季節になったかと思った途端に、この有様。
冬は外より寒く、夏は外より暑いという、素敵すぎる博麗神社の構造には感嘆を禁じ得ない。
いっそ倒壊してしまえば身も心もさっぱりするような気もするけど、
あれだけ立て続けに自然の猛威を受けてもビクともしなかった耐久力を考えると、それも望み薄だろうか。
……駄目だ、この神社。
早く何とかしないと……。
「……うー……」
益体も無い事を考えている間にも、気温はぐんぐんと上昇の一途。
それに正比例するように、私の苛立ちの度合いもレッドゾーンに突入する。
ああ、この清清しいまでに強烈な夏の陽射しが憎い。
いや、むしろ、寒暖の差が激しすぎる幻想郷の四季が憎い。
四季が憎い………四季が憎い……四季が憎いっ!
『私の方こそ、残り三十秒を切ってからの貴方が憎くて堪らないのですが』
何か悲しげな声が聞こえた気がしたけど、それは間違いなく幻聴。
どうせ平仮名七文字シリーズだから、私と紫しか登場しないんだろうし。
……って、シリーズって何よ。
どうやら私は、暑さの余り本格的にアホの子になって来たらしい。
「……あづー……」
口にするだけ無駄、と分かっていても、もはや止める事が出来ない。
時間を経るにつれて、脳内が『暑い』という二文字のウイルスに侵食されているのだ。
随分と前に入れた癖に一向に冷める気配の無いお茶にも、手を伸ばす気が起きない。暑いから。
掃除も洗濯も何もしてないから、仕事は溜まる一方だけど、実行に移すという結論が出ない。暑いから。
いっそ涼を求めて旅立つという気力すら沸かない。大体にして、外も暑いから。
ああ、暑い。
暑い、暑い、暑い、暑い、暑い。
暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い署い暑い暑い暑い暑い暑い……。
「……!? そうか、見えたわ!」
ぴこーん、と頭の上に豆電球が輝いた……ような気がした。
そう、私は全てを悟ったのだ。
先々日の吹雪も、先日の嵐も、今日の猛暑も、全てはこの神社が穢れているのが原因に違いない。
ウチだけじゃなくて、幻想郷全土が異常気象に見舞われてる気がしたけど、そんな些細な事はどうでも良いのであった。
私は巫女だ。
巫女ならば当然、穢れは払わねばならない。
その儀式に必要なものと言えば当然、水だ。
それも、大量に。
「はぁー……ふぅー……はぁー……ふぅー」
数分後。
私は勢いのみをもって、大量に水の詰まった樽を、居間へと運び込む事に成功していた。
この大仕事のせいで、暑さがより一層増した感もあったけど、
これから始まる一大イベントの前では些細なものだ。
最後の一花。とかいう不吉な一文が浮かんだのも、多分気のせい。
博麗の血族代々に伝えられたような気がする伝説の避暑奥義、『アルティメット打ち水』が全てを救ってくれる筈なのよ。
……にしても、どうしてご先祖様は、奥義の名前に英語なんて混ぜたんだろう。
某吸血鬼みたいな絶望的なネーミングセンスの持ち主でもいたのかしら。
ま、どうでもいいわ。
「悪霊退散っ!!」
桶の縁ぎりぎりまで満たされた水を、柄杓で掬い取っては砲丸投げの要領でぶちまける。
そう、アルティメット打ち水とは即ち、清らかなる水の力によって、熱気という穢れを払うシンプルな技なのだ。
どこら辺がアルティメットなのかと言うと……多分、室内でもお構いなしだから?
……って、自分でやっててどうして疑問系なんだろうか。
まあ、熱気さえ払われれば、こんなアホの子な思考からも脱出でき……。
「……え……」
私の考えを嘲笑うかのように、神の雫は一瞬の内に蒸発してしまった。
勝負にも何もなってない。
むしろ、気化した水が、更なる熱気を帯びた蒸気となり、事態は更に悪化した。
もし、私が眼鏡を着用していたならば、この瞬間に戦いは敗北で終わっていたに違いない。
「……」
しかし、いくらなんでも、これはひどい。
私は今の今まで寝起きしていた場所は、火の入った竈の中のようなものだったのだから。
お約束の神の力というものを改めて思い知らされた瞬間だった。
ウェルダンに焼きあがらなかっただけでも僥倖だろう。
……が、神には謝っておかねばならない。
生憎として私は、この程度で行動をストップするほど、諦めの良い性格ではない。
というか、こうなったらヤケにならざるを得ないわ。
「たいさーーん! たいさーーーん!」
ノンストップで散水を繰り返す。
汲んでは撒いて、撒いては汲んで、汲んではぶちまける。
もはや打ち水というよりは火災現場に近い有様になっているだろうが、気にしない。
無断で住居を竈に改造されたとあっては、博麗の巫女の名折れなのだ。
いや、まあ、巫女は関係無いんだけど。
「たいさーーーーーーん!! タイ産ーーーーーーーー!! うひゃっほーーーーーーーぅ!!」
亜光速で水を撒いている内に、段々気持ち良くなって来た。
もはや、居間の中は完全に蒸気に包まれ、天然蒸し風呂状態。
でも、そんな環境ですら、今の私には心地よく感じられる。
これが俗に言う、ランナーズハイというものだろうか。
違うか。違うわね。
でも、どうでもいいわ。
「えめらるどすぷらぁぁぁぁぁっしゅ!!!」
我ながら意味不明な叫びだと自覚しつつ、私は最後の散水の敢行を決意する。
フィニッシュに相応しく、樽ごとまとめてだ。
自分にそんな力が残っていたのは不思議だったけど、出来てしまったものは仕方が無い。
さあ、標的は我が家の大黒柱……。
「麗しき隙間からこんにちはー」
「のわっ!」
ちょうど樽を頭上まで抱え上げた瞬間、腋の下から見覚えのありすぎる御尊影が、にょっきりと飛び出した。
あらかじめ言っておくけど、私は悪くない。
サッカー選手だって急にボールが来れば驚くご時世、突然ありえない空間から顔を突き出されれば、驚くのは当然。
そして驚けば手の力くらい抜けるし、そうなれば当然、抱え上げていた樽は重力に従って落下する。
その落下先に誰かさんの顔面が存在するかどうかなんて、私が関与できる類のものじゃない。
だから、私は悪くない。
「ポウッ!?」
いい声……まるで心が洗われるようね。
「……」
「……」
数分後。
座布団に正座しては半目で見下ろしてくる紫と、それを項垂れて受け止める私という、
もはや定番となった構図が誕生していた。
言うまでもなく紫は水と出血で全身が大変な事になっており、
おまけに砕け散った樽の木片が身体のあちこちにへばりついていた。
あ、一本刺さってる。
「霊夢、ちょいとそこに座りなさい」
「最初から座ってるわよ」
「この間は突き落とし、その前はとったり、で、今日は叩き込み……毎度趣向を凝らしたお出迎えご苦労様ね。
貴方、相撲でも極めるつもり?」
「……うっさいわね。私だって好きでやってるんじゃないわよ」
「好きでやってたなら、それこそ首を括りたくなるわ……。
ともかく、相撲ならアフガン航空相撲にしておきなさい。あれは間違いなく霊夢向きよ」
「どんな相撲なの……」
幸運にも、現在の室内は、左程暑くはない。
実のところ半信半疑だったアルティメット打ち水だけど、意外にも奥義の名に相応しい効果を挙げたらしい。
もっとも、根本的な解決にはなっていないから、直ぐにまた窯状態に戻る気がするけど。
「……で、何か私に言う事があるんじゃないの?」
紫の表情は真剣そのもの……なんだけど、頭から伸びる木片のせいで台無しだった。
とは言え、ここで指さして嘲笑しようものなら、改行無しの説教地獄が待ち受けているに違いない。
そんなもの受けたって、私も読者も楽しくないから却下。
しかし、私が言うべき事って何だろう。
愛の告白?
違うわね、もうとっくの昔に通過した道だし。
すると……。
「ゆかえもーん、涼しくなる道具を出してよー」
「……霊夢くん。あなたはじつにばかね」
だそうだ。
どうやら私は、またしても空気の読めていない発言をしてしまったらしい。
「むー、馬鹿とは何よ。しかも平仮名で」
「分かるの!? ……じゃなくて、遠路遙々尋ねてきたラヴァーに、殺人兵器を叩きつけておいて、
謝罪の言葉の一つも無いのはどうか。って言ってるのよ」
「ああ、はいはい、ごめんなさい」
「気持ちがこもってないわね」
「……だって、別に悪いだなんて思ってないもん」
「なら、私に問題があるって言うの?」
「そりゃどう考えたって、前触れも何も無しに腋の下から現れるあんたが一番の問題でしょ」
「……む」
およ。
ちょっと苦し紛れっぽい返しだったけど、意外と効果的だったようだ。
これはもしや、反撃の好機?
「言葉に詰まるってことは、あんたにも自覚があるのね」
「まあ、その……」
「そりゃそうよね。普通、遠路遙々尋ねてきたラヴァーだかウボァーだかは、
幾らかの高揚と緊張を抱きつつ、玄関の戸を叩くものだもの。
それが、セクハラ的要素を含んだ不法侵入をした挙句、逆切れして説教を始めるなんて……」
そう、よくよく考えてみれば、私にはまったく……とは言わないけど、説教される程の落ち度はない。
それなのに、当たり前のようにこの構図を受け入れてしまったのは、やはり日頃の積み重ねというものだろうか。
……何て好ましくない積み重ねだろう。
「……うー……」
紫のほうも思い至ったのか、平日比75%ほどに縮こまっては、情けない呻き声を上げている。
比喩じゃなくて、本当に小さくなってるんだけど、こいつの異常さは存分に知ってるから、別に驚かない。
ともかく、これは絶好の機会だ。
一方的に優位に立たれっぱなしのゆかれいむシリーズは本日をもって終了。
新シリーズはれいむゆかりんで決定!
……ちと語呂が悪いわね。
「ええい、さり気なく少女臭を醸し出すんじゃないの。悪い事をしたと思ったなら、すべきことがあるでしょ?」
「……ごめんなさい?」
ミニ紫が恐る恐るといった様子で見上げてくる。
正直、かなりマイハートを刺激する仕草だったけど、ここは心を鬼にして更に追求を重ねる。
今の私に必要なのは、肉体の一時的接触じゃないのよ。
「ノゥ! ふかーく傷つけられた乙女の心は、謝罪の言葉なんかじゃ癒されないわ。
私が求めるものはただ一つ……」
そして、存分に溜めた後に、言い放つ。
「暑い。なんとかして」
切実なる願いの前に、新シリーズは無期限の延期と相成った。
というか、私の日常生活がほぼ紫頼みである以上、しばらく力関係は覆せそうにない気がする。
そりゃ幽々子くらい図太かったら楽なんだろうけど、あいつを見習うのだけは御免だ。
残念だけど、これが現実なのよ。
「……確かにこの暑さは異常ね。余程、日頃の行いが悪いのかしら」
何時の間にか元のサイズに戻っていた紫が、卓袱台の上に置いたままの丼に視線を送りつつ呟く。
多分、それだけで私の置かれた状況を察したんだろう。
むしろ、察してくれないと困る。
このままでは、物理的に体液が沸騰しかねないのから。
「後ろ半分は余計。……というか、あんた、暑いって分かってる癖に何でそんな格好してるのよ」
紫の格好は、いつもと同じ……と言っても、こいつは結構な割合で衣装を変えてくるんだけど、
今日は式の狐とお揃いの導師服のような服装、いわゆる萃夢想スタイルだった。
髪を結い上げているのと、スカートの中の人が頑張っているの二点が、永夜抄スタイルとの違いだ。
……あー、こういう表現をすると、本当に中に誰か潜んでるように聞こえるわね。
訂正、パニエが頑張ってるんです。これでよし。
ともかく、否応無しに紫研究の第一人者となった私が言うんだから間違いない。
「ん? ああ、これは夏仕様なのよ。だから見た目ほど暑くはないわ」
「……夏仕様?」
よく見てみると、布地がいくらか薄手に作られているように感じられる。
でも、それだけだ。
基本的に暑苦しい格好である事に変わりは無い。
にも関わらず紫は汗の一滴すら流していない。血は出てるけど。
もしや、スキマ妖怪とは変温動物の一種なのだろうか。
……ありえない話でも無いわね。冬眠もするし。
もしかして、脱皮とかもするのかしら。
「とても失礼な事を考えてはいない?」
「気のせいよ」
嘘は吐いていない。
たとえ紫が爬虫類だろうと魚類だろうと、決して差別するつもりはないからだ。
事象平均化の能力を甘く見て貰っては困る。
「……ま、良いわ。
それで、私は何をすれば良いのかしら」
「この不快ささえ解消できれば何でもいいわよ」
「ふむん。風鈴でも付けたら良いんじゃないかしら」
「パス。気分的な涼しさなんてどうでもいいの。もっと物理的な涼が欲しいわ」
「んー、なら、夏と冬の境界でも弄ってみましょうか?」
「それもパス。また吹雪に見舞われたんじゃ堪ったもんじゃないわ」
「じゃあ、最新型エアーコンディショナー、くろまくくんでも……」
「あー、パス。冷房は身体に悪いから禁止だって、先祖代々言い伝えられてるのよ」
「……なら、一体どうしろっていうのよ」
「だから何でもいいって言ってるじゃないの」
「……」
何故か紫は、半目になって眉間に皺を作り、果てには下唇をしゃくるという、不信感満点の表情になった。
私はただ、涼しくしてくれと頼んだだけなのに、何をそんなに怪訝に思う必要があるんだろう。
スキマ妖怪の考える事はよく分からない。
「ほら、どうせ何か隠してるんでしょ……っと」
「こ、こら、勝手に手を入れないの」
紫の背後に広がっていたスキマの中を、適当にまさぐってみる。
傍目には、異常な光景なんだろうけど、私としてはもう慣れ切っているので、大して気にもならない。
言うなれば、押入れの中を探ってるようなものだ。
「ん?」
確かな感触。
私は迷うことなく、それを掴み取り、スキマから引っ張り出す。
お目見えしたのは、紺一色で、ざらざらとした質感の布地。
しかも何故か、中央の部分に私の名前が記されていた。
「……何これ」
「あ、うん、霊夢へのお土産よ。その名もスクー……」
言い終わるよりも早く私は、渾身の右ストレートを紫の顔面に向けて打ち放っていた。
何故そんな事をしようと思ったのかは、正直、自分でも分からない。
多分、防衛本能とか、生理的嫌悪感とか、そんなものが働いたんだと思う。
「……ふんっ!」
「!?」
直撃した、と思ったその時。
私の身体は、ふわりと宙を待っていた。
そして、何が起こったのかを理解するよりも早く、背中から畳に叩きつけられる。
「くぁっ……!」
全身に奔る衝撃に、苦悶の声が漏れる。
目を見開くと、手刀を喉元に突きつけている紫の姿が見えた。
私には、大人しく両手を上げて降参の意図を示す以外の道は残されていなかった。
「迷いの無い、良い拳だったわ」
「……でも、当たらなかった」
「それは仕方ないわ。まだまだ霊夢には年季が足りないのよ」
「年季、ねぇ」
紫は苦笑を浮かべつつ、私を引っ張り起こす。
この光景は、もはや私にとっては馴染んだものだった。
というのも、私は紫を相手に、勝負事で勝った記憶が殆ど無い。
多分、初対面の時の弾幕戦が最初で、そして今のところは最後だったと思う。
勝負事と言っても、しゃぶしゃぶの灰汁取り合戦やら、桃鉄三十年一本勝負やら、
深夜の脱衣麻雀やらといった、果てしなくどうでもいいものばかりだけど、
結果として、私が紫に負け続けているというのは事実。
まあ、勝てないと言う事は、勝たなければいけないような事態に陥っていないって証拠だし、それほど気にはしていない。
……。
……ん?
「……ええと、何の話してたんだっけ」
「何って、いきなり私の大事な部分を弄り回した挙句、殴りかかってきたのは霊夢じゃないの」
「誤解を招く言い回し禁止。……じゃなくて、これよ、これ」
床に落ちていた件の布地を取上げる。
私の脳の中の人を総動員した結果、これはスクール水着というブツである。との結論が出た。
主に、外界の学び舎に通う少女が、水泳を行う際に着用するもの……だと霖之助さんから聞いた記憶があったのだ。
『主に』という言い回しがとても気になったけど、妙な悪寒を感じたので、あえて突っ込まなかった。
多分、さっきの衝動的な行動も、この記憶のせいに違いない。
「で、どうしてこれに私の名前が書いてあるわけ?」
「馬鹿ねぇ、名前の書いてないスク水なんてスク水じゃないわ」
また馬鹿って言われましたよ?
というか、何故に略称?
「そうじゃなくて、これをどうするつもりだったのかって聞いてるのよ」
「あー、そうそう、樽攻撃のショックですっかり忘れてたわ」
紫は一人頷きつつ手を上げると、新しくスキマを展開する。
途端、空間から、多種多様の水着の数々が滑り落ちて来た。
「ちょ、ちょっと、一体何のつもり!?」
「スク水はただの選択肢の一つに過ぎないわ……さあ霊夢。貴方自身の手で、可能性を掴み取りなさい!」
「そんな、いきなり最終回っぽい台詞を放たれても訳分からないんだけど」
「んもう、鈍いわねぇ。海に行くから、好きな水着を選びなさいって言ってるのよ」
「……はあ?」
海。
無論、知らないという訳じゃない。
地球の約七割が、例の海で覆われているという事も知っている。
そして、海水浴なるものが、大変に魅力的なイベントであるという事も、何故か知っている。
が、私達の住む幻想郷は、山奥に隔離された秘境である。
海などが存在する筈も無いのだ。
「そうね……インドネシアの近海なんてどうかしら。良い雰囲気の無人島があるわよ」
「って、あっさりと外界の地名を挙げるんじゃない!」
「あら、不満? でも、アカプルコやゴールドコーストだと工作が面倒だし……」
「そういう意味じゃないってば。そもそも、何だって海なのよ」
「暑いから何とかしてって言ったのは霊夢でしょう。
夏と来れば海。これは白楼剣でも断ち切れない強固な関係なのよ。
という訳で、たまには湿気と無縁の夏の一日を過ごしてはみない?」
「……むぅ」
一応幻想郷にだって、川なり湖なりといった泳げる場所は存在するけど、
今日の様子だと、避暑地としての役割が果たせるかは甚だ疑問だ。
そういう意味では、海に行くというのは、それほど悪くない選択肢だとは思う。
無人島なら、外の人間と出会う事も無いだろうし。
……でも、仮にも幻想郷と外界を隔てる博麗大結界を見守る役目の私達が、
率先してその結界を通り超えてしまって良いものなんだろうか。
日頃、やる気が無いと称されている私でも、仕事に関しては手を抜いた記憶は無い。
ここは己の欲望に従うべきか、職務に忠実であるべきか……。
「余り乗り気じゃないみたいね。なら今日は止めておきましょうか?」
「……」
「お返事は?」
「……行く。行きます。是非とも連れて行って下さいませ」
心の葛藤は、およそ五秒で幕を下ろした。
この際、すべての疑問は投げ捨てる。
前々から投げ捨ててばかりな気もするけど、一切合財忘れておく。
何しろ、我が家の不快指数は、150に近いという有り得ない数値を示している。
このまま留まっていたならば、末路は間違いなく即身仏かアジの開きだろう。
そんな素敵な未来予測図は御免こうむるし、何より、私だってたまには弾以外で遊びたい。
南の島での優雅なバカンス……幻想郷っぽさの欠片もなくて、実に素晴らしいわ。
人生に必要なのは、夢と勇気とサムマネー。とチャップリンは言っていた。
最後の一つに自信が持てない私としては、残りの二つを大事にするのは当然なのよ。
「宜しい。じゃ、好きな水着を選んで頂戴」
「はーい」
言われるまでもなく、一つ一つ手にとって品定めを開始する。
そういえば、こういう感覚って忘れてたわね。
「へぇ、水着って、こんなに色々あったのね」
「比較的新しい文化だから、幻想郷では余り普及していないのよ」
「ふうん……って、こ、この、ヒモみたいなのも水着なの?」
「そうよ。まあ、あまり泳ぐのには適してないんだけど」
「は? それじゃ水着の意味が無いじゃないの」
「そういうものなのよ。理屈じゃないわ」
「……変なの」
何となく、これを身に付けた自分の姿を想像してみる。
……。
…………。
………………。
……駄目だ、絶望的に似合う気がしない。
恐らく、これを着用するには、それなりの年季と、ボリューム感溢れるボディ。
そして何よりも、一切の羞恥心を捨てる気概が必要に違いないわ。
「……もしかしてこれ、紫の?」
「違うわよ。でも、確か藍が似たようなタイプを持ってたわね」
「……」
「あの子、尻尾が邪魔で普通の水着だと殆ど合わないのよ、だから滅多に着ないんだけど……」
「あ、ああ、そういう意味なのね」
ごめん、藍。
一瞬、別の意味で、もの凄い説得力を感じてしまったわ。
「で、どう? 気に入ったものはあったかしら?」
次に取り上げてみたのは、フリルやらリボンやらが多く付いたワンピース。
ある意味、幻想郷っぽいとは言えるんだけど、どうにもしっくり来ない。
「うーん……これはイマイチね」
「そうねぇ、霊夢には子供っぽ過ぎるかしら。吸血鬼姉妹辺りなら似合うでしょうけど」
気を取り直して次。
さっきのとは真逆に、余計な装飾を一切省いた機能性重視のタイプ。
「より早く泳ぐ為に……ってとこかしら」
「多分、妖夢ならこれを選びそうね」
「同感。でも、もう少し遊び心が欲しいわ」
「……意外と拘るのねぇ」
「何よ、あんたが選べって言ったんじゃないの」
「別に責めてないわよ」
言葉通り、紫は別段苛立っているようには見えない。
でも、いつまでも水着と格闘していたのでは、肝心の遊ぶ時間が無くなってしまう。
それでは本末転倒だ。
「……よし、決めたわ」
「ん、どれ?」
「ちょっと待ってて、着換えてくるから」
「手伝ってあげましょうか?」
「いらんわっ!」
言葉と合わせて、ローリングソバットで威嚇しておく。
この辺をちゃんとしておかないと、本当に着いて来かねないからだ。
別に見慣れてるとか、そういう問題じゃないのよ。
という訳で、別室に引き篭もること約五分。
着替えを済ませた私は、恐る恐る居間へ繋がる襖を開く。
「……ど、どう?」
私の選んだ水着は、背中の部分を止めている大きなリボンが特徴のワンピース。
前から見ると至ってシンプルなのに、後ろからだと一転して派手に見えるというのが気に入っていた。
色はちょっと悩んだ末に、私のイメージカラーである紅と白を混ぜたピンク。
どこぞの停滞中の長編のタイトルのような理由だけど、そこは気にしないで欲しい。
私達、これっぽっちも出番無いし。
「……」
紫はと言うと、何時ものように隙間に腰掛けて、私を眺めていた。
最初は、上から下までを舐めるように。
次いで、何かを発見したかのような興味深い瞳で一点を。
更に、まるで影から覗き見るかのようにちらちらと。
そして最後に……隙間から落ちた。
「ゆ、紫?」
「……素晴らしいわ。
子供と大人の境界にある、どこか危うさを感じさせる美しさは、まさに少女のあるべき姿よ。
例えるならば、旧ロマネスク調の荘厳さと、ジオンの魂を具現化したような勇壮さを併せ持ち、
更に野に咲く花の如き儚げな可憐さと、冷暗所で三日程寝かせた味わい深さすら兼ね備えた、
乙女にしか到達できぬ幻想の果て……!
霊夢、今の貴方の戦闘力は、軽くフリーザ様を凌駕しているわ!」
「そ、そう、ありがと」
良く分からない例えだったけど、多分褒めているんだとは思う。
饒舌過ぎる輩は、時として意思の疎通が困難になるという典型かしら。
「ねえ、いっそこのまま冷凍保存させてはくれないかしら?」
「……」
「じょ、冗談はこの辺にしておいて、出発しましょうか」
「ん。……って、あんたは着換えないの?」
「いいのよ。着くまでに適当に境界弄っておくから」
簡単に言っているけど、要するに変身するという意味だろう。
相変わらず反則的に便利ね、スキマパワー。
「それと、一応聞くけど……藍や橙は連れて行かなくていいの?」
「あら、私と二人きりは嫌?」
「べ、別に、そんな事無いけど……」
「ま、気にしないでいいわ。実はあの子達、昨日から泊りがけで遊びに行ってるのよ」
「へぇ……そんな許可出すなんて、あんたにしては珍しいわね」
何せ、式虐待の記事が、新聞に載るくらいだし。
「うーん、許可したというか、勝手に行っちゃったけど叱る条件が無かったというか……」
「よく分かんないけど、とりあえず居ないって事ね」
ならばよし。
別に邪魔だと思ってる訳じゃないけど、あの式達がいると、家族旅行に紛れ込んでるみたいで少し気まずいから。
「空気」
「ん?」
「結構読めるようになったのね。お姉さん、少し複雑だわ」
「……普通は喜ぶ場面じゃないの?」
「霊夢にはいつまでも無粋天然マジボケ娘でいて欲しいという、ささやかなる願いが……」
「ええい、勝手に不名誉な称号を送りつけるんじゃないの! さっさと行くわよっ!」
「あん、蹴っちゃいやん」
燦々と照りつける太陽。
雲ひとつない青空。
一面に広がる、真っ白な砂浜。
薄青く透き通った、雄大なる水面。
そう、紛れもなくここは……。
「海だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「海よーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
お約束ということで、二人揃って全力の叫びを上げておく。
これは海を訪れたものが決して欠かしてはならない、言わば最重要事項だとか。
他にも、海の家で不味いラーメンを食べるだの、使い残しのサンオイルを集めるだのといった儀式があるらしいけど、
生憎としてここは日本ではないために却下だそうだ。
もっとも、そんな儀式は御免だけど。
「どう? 良い所でしょう」
満面の笑みで振り返った紫は、宣言通りに変身完了済み。
純白のビキニという、思ったよりシンプルな水着だった。
が、私は知っている。
こういうものはかえって、己の身体に自信が無いと選べないものなのだ。
そして、紫のスタイルはというと……今更言うまでも無いわね。
昔の私なら、羨望すると共に嫉妬心を覚えたんだろうけど、
今となってはむしろ私事のように誇らしいから不思議だ。
他にも、帽子の代わりに黒のサングラスを頭に載せていたり、
貴族然としたデザインだった筈の日傘が、実用性重視のものになってたりといった変化が見られた。
芸が細かいというか、マメというか。
私が気が付かないと、誰も気付かないっていう一人称SSの常識を分かってやってるんだろうか。
しかし、この紫の姿を見て、千年単位で生きている大妖怪です。と言って信じる者がいるのか疑問ね。
「そうね……」
それはともかくとして、確かにお薦めのスポットというだけの事はある。
気温的には余り幻想郷と変わらないようだけど、湿度が低いせいか殆ど不快には感じなかったし、
海も砂浜も、まるで絵に描いたような美しさを見せ付けてくれた。
予備知識の殆ど無い私でも、ここが海水浴の場として優れた場所であると理解出来る。
間違えて常磐ハワイアンセンターに着いちゃいましたー、とかいうオチも予想してただけに、感激もひとしおだ。
……もっとも、そんな感想を抱けたのは、ほんの一瞬だった。
「……紫。外界って、随分と文明が発達してるのね」
「どうしたのよ急に」
「だってほら、あんな巨大な塊が空を飛んでるんだもの」
「へ?」
紫はサングラスを装着すると、私の指差す方向へと視線を移す。
それは例えるなら、天空を駆ける真紅の槍といった所だろうか。
むしろ、そうとしか表現のしようが無い物体が、私たちの上空、遥か彼方を疾走していた。
……そう、過去形だった。
「アレ、何?」
「んー……多分、ロケットの類じゃないかしら」
「突き抜けたの?」
「そっちは忘れなさい。私が言ってるのは、推進装置を搭載した飛翔物体の事よ」
「って言われてもさっぱりなんだけど。
それよりも、私の気のせいじゃなければ、段々大きくなって来てるような……」
「奇遇ね。私にもそう見えるわ」
「というか、こっちに向かってきてない?」
「正しく言うなら、落下してるわね」
「……平然としてるって事は、外界じゃ別段珍しい光景でも無いのよね?」
「生憎だけど、今のところこの世界でもコロニー落としは現実のものと成り得てはいないし、
そもそもあんな物体が空を飛んでいること自体、初めてお目にかかる光景よ。長生きはしてみるものねぇ」
アカンやん。
「ちょ、ちょっと、どうすんのよっ! いくら私でも、あんな大玉避けられないわよ!? 破片耐性も無いのに!」
「安心なさい。私は直撃一秒前でも脱出できる自信があるから」
「あんたにあっても、私には無いのよっ!」
「冗談よ、冗談。見た感じ、あの落下角度なら島への直撃は無いわ。
せいぜいが着水の衝撃でプチ津波が起きる程度でしょう」
「十分悪いじゃないのっ!」
そうこうしている内にロケットとやらは、私たちの居る島を掠めるように通り越し、沖へと豪快に着水した。
下から見たイメージ程に巨大な代物では無かったようだけど、それでもエネルギーとしては十分だったようで、
ずしん、という衝撃が届くと同時にその力が海流へと変換され、私たちに向けて襲い掛かって来た。
「ったく、こんな見知らぬ土地でお陀仏なんて御免だからね」
「大丈夫大丈夫、霊夢の死に場所は私の膝の上だけだもの」
誰もそんな約束なんてしてない。と突っ込もうかと思ったけど、
流石に遊んでる場合じゃ無いとは分かってるので、大人しく紫と手を重ね合わせる。
無論、抱き合って心中って意味じゃなくて、合体結界を発動させる為の前行動だ。
一瞬、西行結界という言葉が頭に浮かんだけど、何となく許せない雰囲気があったので、全力で消し飛ばす。
紫が瞬間的に張り巡らせた多重結界に、更に重ねるようなイメージで結界を展開。
護符もお払い棒も無しだから、今ひとつ不安だったけど、どうにか形には出来た……と思う。
水の壁が迫り来る様というものは、恐ろしい反面、どこか魅入ってしまうような迫力があった。
自然の力恐るべし……と言いたい所だけど、明らかに人的災害っぽいのが難点かしら。
「OH、稲村ジェーン……サーファーが居ないのが残念ね」
「何のことだか分からないけど、それ多分間違ってるから」
もっとも、こんな時でも暢気に会話をしてられるんだから、私も大概、図太いんでしょうね。
「ん、引いたようね」
「やれやれ……ここが無人島で助かったわ」
ほう、と息を吐きつつ、私と紫は結界を解く。
被害は……私達が無事だという事で、恐らくは皆無。
島そのものには多少の影響はあったのかも知れないけど、今来たばかりの私に分かるものじゃないし、
海面も今は平静そのものだった。
でも、今の光景が夢でも何でもなかったという証拠が、しっかりと私の視界へと入っている。
それが、遥か前方に浮かぶ、紫が言うところのロケットだ。
まるで西洋のお屋敷の一部分をそのまま飛ばしたような形状。
カラーリングは、趣味の悪い赤一色。
そして、表面に記された素敵に不遜な蝙蝠マーク。
これらの情報から推測するに……って、こうまで特徴的なら馬鹿でも分かるわね。
分かりたくもなかったけど。
「……まさか、本当に月を目指してたなんてねぇ」
「元々、後先なんて考えずに動く連中だから……最近大人しかったせいで忘れてたわ」
ややあって、紅魔館の尖塔……もとい、ロケットの天辺の部分が、ぱかりと口を開く。
そこから姿を見せたのは、やはりというか、私達が想像した通りの人物だった。
『ふふふ……着陸成功! ついに吸血鬼新時代の幕開けの時が来たわ!
今こそ私は、月面にその歩みを記す最初の悪魔となるのよ!』
『……レミィ、現実を見ましょう。これは世間的には着陸じゃなくて墜落と言うのよ』
『名称はこの際どうでも良いわ。月まで辿り着けたという事実こそが重要なんだから』
『大気圏すら突破出来なかったにも拘らず、ここを月と断言出来るレミィの思考に惚れそうよ』
『えー? だって、息苦しいわよ? 確か宇宙って空気が無いんでしょ?』
『単に直射日光を浴びて物理的に死に掛けてるだけよ』
『そういうパチェこそ、顔色が悪いわよ。酸素欠乏症?』
『うぷっ……乗り物酔いよ』
波間にたゆたうロケットの上で、紅と紫がイメージカラーのくせに、全身ピンクの二人組が、
生命を賭けた熱い漫才を延々と繰り広げている。
名前で呼ばないのは、私の最後のプライドだ。
ともかく、こんな光景は笑えない。
確かに月までは辿り着けなかったのかもしれないけど、連中が博麗大結界を突破したのは事実。
それもこんな、屋敷の一部を切り取ったようにしか見えない即席ロケットで、だ。
別に私が作った結界という訳じゃないけど、管理人としては正直、色々な意味で力が抜ける。
「恐らく、打ち上げに必要な推進力だけは整っていたんでしょう。
でも、博麗大結界の抵抗でその大半を失ってしまい、その結果、大気圏突入を前に墜落……って所かしら。
燃え尽きなかったのは賞賛に値するわね」
それなのに、もう一人の管理人的存在は、何故か感心したように呟いていた。
「寝惚けた事言ってる場合じゃないでしょ。どうすんのよ、アレ」
「どうするもこうするも……」
紫はくすり、と笑みを浮かべつつ、空いていた左手を振ってスキマを解放する。
なら右手はどうしているのかと言われると、結界発動から何故か私と繋ぎっ放しだとしか答えようが無い。
良いでしょ、別に。
「……放っておくの?」
「当然よ。勝手に抜け出したんだから、後始末も自力で付けて貰うわ」
「まあ、考え自体は同感なんだけど……」
本当に帰ってこれるのかしら、あいつら。
開き直った挙句、紅魔館インドネシア支部とか設立しそうな気がしてならないんだけど。
それならいっそのこと、ここで存在を消滅させておく方が世界の為では……。
「随分と物騒ねぇ。借りを返された事の借りでも返すつもり?」
「ええい、人の苦い記憶を掘り返すんじゃないの。というか、当たり前のように心を読まないでよ」
「肉体の一時的接触による相乗効果よ。いい加減慣れなさい」
「慣れろって言われても……」
身体の距離が近づけば、心の距離も近くなる。だったっけ。
普通、こういう台詞って、心情的な意味合いしか持たない筈なんだけど、物言いからして本気っぽいのが困りもの。
第一、本当に紫の心が読めたとしても、それを私が解読出来るかどうかは別問題のようが気がする。
それは例えるなら、グラフ理論における四色問題のような位置付けだ。
「四色問題なんて、こっちではとうに解決されてるわよ」
「え、本当に?」
「ええ、藍なんかは今だに独力で証明しようと頑張ってるけど」
「……知ってるなら教えてやりなさいよ」
「馬鹿ねぇ。そうやって無駄に足掻く様を眺めるのが楽しいんじゃない」
「……」
……そう言えば、こういう奴だったわね。
紫の心が読めないのは、むしろ僥倖としておこう。SUN値、激減しそうだし。
「それはそうと、早く行きましょう。連中が気付いたら面倒よ」
「あ、うん。でも、行くって何処へ?」
「私を侮らないで。お薦めの海水浴スポットは別にここだけじゃないのよ。
次なる目的地は、その名も高きエーゲ海よ!」
「いや、そんな力強く宣言されても困るんだけど……」
一応突っ込んでおいたけど、さっさとこの場を離れるという意見には同意しておく。
私がこうして外界くんだりまでやってきたのは、あくまでもバカンスを楽しむ為であって、
形而上学的問題についての討論をするためじゃないし、ましてや吸血鬼一同の救助活動である筈もない。
という訳で、さよなら、紅魔館の愉快な仲間達。
あんた達の勇姿、今日の晩御飯くらいまでは忘れないわ。
「ま、どうせ連中が望む望まざるに関わらず、戻ってくる事になるんでしょうしね」
「……?」
スキマを潜る直前、紫がどこか達観したような呟きを漏らしていたのが印象的だった。
『水ーっ! 流れる水ーーっ!! そして太陽ーーーっ!
二つの弱点の間に生じる私は、正に絶望的吸血鬼の小宇宙ーーっ!!』
『どうして分かっていながら泳ごうとされるんですかっ! 少しは妹様を見習って下さい!』
『んもー、この塊邪魔だよ。きゅっとして……』
『ノォオオオオオッ! 中央制御ユニットが灰塵にっ! 何考えてやがるこのアマァァッ! ……ケフッ』
『ほらほら、無理して大声なんて出されると身体に悪いです……あれ、手遅れ?』
『な、何でもいいから、どなたか手伝って下さゴベバベブ』
もっとも、遥か遠方で演じられていたコントのほうが、更に印象的だったけど。
というか、全員乗ってたのね。
紅魔館、誰かに占拠されてないと良いけど。
燦々と照りつける太陽。
雲ひとつない青空。
一面に広がる、真っ白な砂浜。
薄青く透き通った、雄大なる水面。
そう、紛れもなくここは……。
「海ね」
「海よ」
二回目なので、感想も落ち着いたものだった。
その名も高いらしいエーゲ海には申し訳ないけど、私には正直、さっきの島との違いが良く分からない。
スペルカードに例えるなら、弾幕結界と掛けて、深弾幕結界の五段目までと解くようなものだろうか。
その心は……色が違う。
……
………
…………
ま、まあ、海があって湿気が無くて、それでいて空いていれば私は十分なんだ……け……ど……。
「……あのね、紫」
「ん、どうしたの?」
「私の記憶が混濁して無いのなら、ここは外界で、なおかつ無人島だった気がするんだけど」
「その通りだけど?」
「……なら、あそこの一団は何なのかしら」
紫の視線が、私の指差す方向を追う。
そこには、盛大に水遊びを繰り広げている少女達の姿があった。
十や二十では効かない、まさに芋洗いの大集団だ。
しかも、一見普通に見える少女達には、一様に変わった特徴が見られる。
皆、頭頂部から白くて長い耳を生やしているのだ。
外界でフォーウッドが大繁殖してるといったメディアワークスな事件でも起きて無い限り、答えは明白だ。
「……」
「……」
紫が固まった。
釣られて、私も言葉を失う。
私の知る限り、外界は幻想郷とは比べ物にならないほど広大だった筈だ。
それなのに、こうもピンポイントで知り合いと遭遇してしまうのは何故なんだろう。
お約束の神様は、いったい何処まで私を苦しめれば気が済むのか。
というか、この展開は、明らかに平仮名七文字シリーズの基本を逸脱してるような気がする。
ネタ切れか? 殺すか?
「あたっ」
と、そんなノイズ混じりの思考を遮るように、私の身体に何かが当たる感触があった。
足元に視線を向けるとそこには、ころころと転がる一つのビーチボール。
いくら呆然としていたからとは言え、これは紛れも無く弾の一種である。
弾と名の付くもの全てを回避する技能を持つ私にこれを当てるとは、まさに天に唾する行為に他ならない。
多少八つ当たりだと自認しつつ、ボールの飛んできた方向へと睨みを効かせる。
「ごめんなさーい、ボール取ってくださ……」
ぱたぱたと走り寄ってきた少女の声が、ぴたりと止まった。
恐らく、向こうも私達が誰であるのか気が付いたんだろう。
いつもの改造巫女服を着ていないと、私が博麗霊夢だと識別されないんじゃないかって、密かに不安だったのは内緒だ。
「……なんで、あんたらがここにいるの?」
「さ、さぁ、人違いじゃないかしら」
「そんな萎れたウサ耳の持ち主が、二人といるとは思えないんだけど」
「そ、そんな事無いわよ。むしろ月じゃデファクトスタンダードだもの」
「生憎だけど、ここは地球なのよね」
「れ、霊夢が知らないだけで、実は地球でも流行ってるのよ」
「そう。で、何であんたは私の名前を知ってるのかしら。鈴仙・優曇華院・イナバさん」
「う、うう……」
私のプレッシャーに圧されたのか、鈴仙は、ビーチボールをかき抱きつつ、身を竦めた。
上下に分かれた、いわゆるビキニの水着を着ていたが、紫のような挑発的なデザインではなく、
タンクトップのウエスト回りを切り取ったような形状。
あえて評するなら、水遊びに適したタイプって所かしら。
でも、それなのに何故、淫靡な印象が拭えないんだろう。
ぶっちゃけて言うと、エロい。
同姓で、なおかつ出来上がっている……その相手も同性だけど、ともかく私ですらそう感じるのだから、
もしここが普通の海水浴場であったなら、それはもう創想話に投稿できないような大変な事態に陥っていたに違いない。
ふ……罪な奴め……。
「負けたわ……これが幻想郷史上稀に見る卑猥さとまで言われた、狂気の兎の力なのね」
「な、何よその不名誉な称号!」
「不名誉って言われても、輝夜が断言してた台詞なんだけど」
「……」
別段、苛める理由は無いんだけど、何故か彼女を見ると、
とことんまで追い詰めてやりたくなってしまうから不思議だ。
しかし、残念ながら、私の鈴仙苛めは、次いでかけられた声の前に中断せざるを得なくなった。
「あら、何処かで見た顔ね」
「あ、師匠っ!」
やはり、いたわね。
兎連中が大挙して群れている中に、こいつが居ない筈がないもの。
「こんにちは、珍しいところで会うものね」
「……ほ、本当に、ね……」
にこやかに挨拶を放ったのは、永遠亭の真の親玉、八意永琳。
返答が詰まりがちになってしまったのは、決して気圧されたからじゃない。
……いや、ある意味それでも正解なんだけど……。
「どうしたの? 変な顔しちゃって」
「あ、あんた、それ、水着なの?」
「海に来ているんだから、当たり前でしょう」
とは言ってはいるけれど、すんなり納得するには問題のありすぎる格好だった。
一応ワンピースタイプに分類されるんだろうけど、私から言わせれば、二枚の布を複雑に交差させて、
何とか水着としての体裁を保ってみました。というものにしか見えない。
しかも、そのカラーリングは、お馴染みの赤と黒。
普段は地味に映りがちな色合いも、この水着に採用してみると、恐ろしいまでの存在感があった。
紫とは別のベクトルで、自信が無ければ着こなせるものではない。
思わず女王様と口走りそうになってしまったのは、多分私だけじゃないだろう。
「毒々しいとしか言い様が無いわね。グレイ……もとい、月人のセンスというのは理解し難いわ」
って、紫!?
「あら、ご挨拶ね。ええと……誰だったかしら」
「健忘症? ま、良いわ。私、幻想郷の片隅で境界操作を生業としている八雲紫と申しますわ」
「ああ、そう言えばそんな名前だったわね。
御免なさい、どうでもいいことは記憶から捨てててしまう性分なの」
「良かったわ。殺しすぎて記憶が飛んだんじゃないかと心配していたのよ」
「安心して良いわよ。式任せで逃げ回ってばかりの貴方にどうこうされるほど落ちぶれてはいないから」
「……ちょっと、うどんげ」
「何よ。うどんげって呼ばないで」
「じゃ鈴仙。あいつら何だってあんなに険悪なの?」
「そんなの私が聞きたいわよ」
私の知る限りでは、紫と永遠亭の面々の接点は、あの月隠しの怪事の一件のみの筈。
それにしては、二人のやりとりは刺々し過ぎる。
確かに紫は、他人にちょっかいを出すのが生き甲斐のような困ったちゃんだけど、
こうも分かりやすく攻撃的なのは、滅多にある事じゃない。
という事は、あの後に隠された因縁のようなものでも生まれたんじゃないかと思ったんだけど……。
「……ったく使えないわね」
「自分だって知らないんじゃないのっ!」
そんな事を考えている間にも、紫と永琳の日常会話を装った言葉による殺し合いは続いていた。
お互いに、終始笑顔なのが、かえって怖い。
「で、これは一体どういう事かしら。
何故貴方達が平気な顔でこっちに出てこれるわけ?」
「ちょっとした家族旅行のようなものよ。兎は暑さに弱いから」
「血の巡りの悪い頭ね。私は『どうやって出てきたのか』と聞いてるんだけど」
「んー、別にあの程度の結界を超えるくらいは訳の無い事よ。
改めて説明するようなものでも無いわ」
あの程度。と言った瞬間に、紫の口の端が僅かに引きつったのが見えた。
勿論、私にとっても見逃せない発言だった。
博麗大結界は、あの程度、等と称せるほど容易い結界ではない。
……まあ、紅魔ロケットに突破された気もするけど、それはそれとして、
私に気取られぬように、なおかつこれだけの大人数を一度に超えさせるというのは尋常じゃない。
そんな事が可能なのは、紫くらいのものだと思っていたから。
……もっとも、実際に簡単に超えてきたのかどうかは別問題だけど。
むしろ、大物感を演出する為に、誇張して言ってる可能性が高いわね。
言うだけならタダだし。
「それと、月の使者の事なら心配ご無用よ、私が密室を作り出す力を持っている事はご存知でしょう?
……って、気付いていなかったのかしら。だとしたら申し訳無かったわね。幻想の境界さん」
「……いえ、気にしないで良いわ」
だというのに、当の紫は、完全に永琳の言葉に乗せられていた。
傍目には軽く聞き流しているように見えるんだろうけど、私には分かる。
紫の、あの色の無い笑顔は、相当に頭に来ている時の顔だ。
多分、それくらい自分の能力に対してプライドを持っていたんだろう。
また新たな一面、発見ね。
……じゃなくって。
「と、ところで、輝夜はどうしたの? やっぱり留守番?」
わざとらしいとは思いつつも、意図的に話を逸らさせる。
二人が何を考えてるのかは知らないけど、これ以上させるがままにしておいては大変な事になりかねない。
国連軍出動なんていうギャグにもならない展開、私は御免だ。
「ん? 姫なら来てるわよ。ほら、そこ」
「え」
なんと、あの引き篭もりが海水浴だなんて、珍しい事もあるものね。
……が、視線を送った瞬間に、その感想は収めざるを得なくなった。
『……デストロォォォイ……』
一際大きいパラソルの下で、ビーチチェアに横たわり奇怪な呻きを上げる物体。
この燦々と照りつける太陽の下で、水着どころか普段と殆ど変わらぬ暑苦しい十二単もどきを着込んでいる。
しかも何のおまじないなのか、暑苦しい耳当てのようなものを装着しており、時折小刻みに震える始末。
紙一重というか、明らかに負の方向に針が振り切れてる気がする。
「……何、アレ」
「日焼けしたく無いんですって。まあ、海水浴を楽しむのも、汗かき休暇を楽しむのも自由だから」
「月人の考える事は良く分からないわ……」
計らずも、紫と同じ感想が漏れた。
まあ、それでも一応出向いてくる辺り、永遠亭の主としての責任感は残っているんだろう。
もはや形骸化している主様だけど。
「ま、そういう訳なんで、私達の事は放っておいて、のんびりと逢い引きでも楽しんで頂戴」
「今更、逢い引きも何も無いじゃないの……」
話はこれで終わり。とばかりに、事実上の主様である永琳が締めに入る。
もっとも、私としては異論は無い。
本来なら結界越えの件に関して糾弾すべきなんだろうけど、こっちも同じ事をしている以上、言える立場じゃないし、
となれば、向こうは向こう、こっちはこっちで好きにするのが、もっとも平和的だろう。
無人島とはいえ、結構な広さを持つ場所みたいだし、お互いに不干渉で行くのはさして難しい話じゃ無い筈だ。
……その筈なんだけど。
「つれないわねぇ。折角の機会だもの、一緒に遊びましょうよ」
あろう事か紫は、花の咲いたような笑顔で、そう言ってのけた。
無論、その種類はラフレシアか食虫花。
早い話、殺る気に満ち溢れていた。
というかこいつ、さっきから私の存在を忘れてるんじゃないだろうか。
(ちょ、ちょっと紫、あんた一体どうしちゃったのよ?)
紫の耳を引っ張り、ストレートに疑問をぶつける。
一応、回りに聞こえないように小声で。
(霊夢。女には決して引いてはならない時というものがあるのよ)
(それが何で今なのよ!)
(分かってくれとは言わないわ。でも、私のギザギザハートは限界なの)
(……そして、私はいつも待たされるのね)
(大丈夫よ。この浜辺なら、洗い髪は決して冷えないわ)
「何だかよく分からないけど、遊びたいって言うんなら別に構わないわよ?」
そこに永琳が、呆れ顔で突っ込んできた。
無粋とは言わない。むしろ、よくぞ現実に引き戻してくれたと感謝したい。
私達は、お互いにボケ始めると、収拾が付かなくなるから。
……って、え? 本気?
「それは良かったわ。楽しい一日になりそうね」
「ええ、どうせ遊ぶならゲストは多いほうが良いものね」
私の疑問を消し飛ばすかのように、紫と永琳は、相変わらずの冷たい笑顔で向かい合う。
そして、何を思ったのか、お互いに少しずつ距離を詰め始めていた。
六歩から五歩、五歩から四歩、と。
仮初めの和解の握手でもするつもりなんだろうか?
四歩から三歩、三歩から二歩、二歩から一歩……。
いやいや、いくらなんでも近付きすぎ。
二人は背丈が殆ど同じだから、このまま接近ゲームを続ければ、自動的にキスシーンが出来上がってしまう。
そんな突飛過ぎる展開は、漫画や総合格闘技だけで十分だし、そもそも私の魂が許さない。
しかし、それは、ただの杞憂に終わった。
「鈴仙、どう見る?」
「うん……物理的なサイズなら、師匠が有利かな」
「確かにね。でも、その意見はアンダーとの差が加味されていないわ」
「あー、言われて見ればそうかも。あのスキマの人、反則的な細さだし。
でも、そうなると勝負の決め手は何? やはり造形美?」
「違うわ……揉み心地よ」
「ほう、そう来たのね」
「まあ、今はそれを確かめる事を許されそうにないのが難点だけど」
「それは仕方がないわ。ここは、奇跡のコラボレーションを満喫するにとどめましょ」
「そうね……」
私と鈴仙は、ゼロに限りなく近い距離で睨み合う二人を眺めつつ、乳談義に花を咲かせる。
それもこれも、お互いの胸がぶつかり合って、それ以上近づけないという、素敵な光景のせいだ。
もっとも、生肉への執着心をとうに捨て去り、心の底から愛でられる領域へと到達した私達だからこそ、
こうして暢気にしていられるのであって、仮にここにいたのが魔理沙と咲夜だったりしたら、
それはもう想像も付かないような陰惨な光景が展開されていたに違いない。
あいつらも、早く気付いてくれれば良いんだけど……。
「「……ふっ……」」
そんな事を考えている間に、紫と永琳のメンチ合戦は終わりを告げていた。
鼻で笑うのも同時なら、踵を返すのもまた同時。
そんな訳で当然、離れざまに互いの胸がぷるんと揺れる。
有り得ないと思われていた光景が、今、確かな現実として目の前に現れたのだ。
「こんな事なら動画撮影の準備をしておくんだったわ……」
「あ、私撮ってるから、後でダビングしてあげよっか?」
「偉い! 初めてあんたの事を尊敬したわ!」
良かった、これで明日はホームランだ。
己の師をストーキングして回るダメ兎の業の深さに、百万の感謝を。
「さあ、霊夢。血が沸き立ち、肉が躍り来る素敵なリゾートライフを満喫しましょうね……フフフ」
「……」
というか、こいつがこんなんだから、私も乳に逃げざるを得ないんだけどね。
本来の目的を忘れ去った馬鹿妖怪に、百万の針の山を。
「でも、遊ぶって言っても、何をするの?」
「そうねぇ……海と来たらやっぱりあの球技かしら」
永琳は答え終わると同時に、すっ、と右手を上げた。
瞬間、それまで我関せずで遊びまわっていた兎連中が、一斉に砂浜に向けてダッシュを開始する。
ある兎はラインを引き、ある兎はネットを張り、ある兎は厳かに落とし穴を掘り始める。
見事なまでに統制の取れた動きに目を奪われているうちに、気が付けば立派なコートが完成していた。
「何というか、見事な統率力ね」
「ふん、どうせ恐怖政治の産物よ」
ただの嫌味なのに、紫が言うと妙に説得力があるような気がするのは何故だろう。
もっとも、気がするというだけで、実際の所は違うと思う。
普通、恐怖政治を引くような輩は、慰安旅行なんて計画しないだろうし。
「という訳で、ビーチバレーで勝負と行きましょう。
どうも、そこのスキマさんは、私と白黒付けたくて仕方が無いようだし」
「……否定はしないわ、受けましょう。霊夢も良いわよね?」
「まあ、良いというか、他に選択肢も無いみたいだし」
全てはあるがままに。
それが私の座右の銘だから。
……こんな時に活用するようなものじゃないんだけどなあ。
「で、そっちは誰が出るのかしら。あのウサギさん達全員並べるつもり?」
「まさか、ビーチバレーは二対二でやるものよ。私とウドンゲでお相手して差し上げるわ」
そう永琳が答えた瞬間、鈴仙の瞳が揺れたのを、私は見逃さない。
多分、人数に加えられて無いんじゃないかと、不安だったんだろう。
普段からラブラブ光線放ちまくってる癖に、妙な所で弱気なのね。
しかし、ビーチバレーか。
砂浜でやる、いくらかルールの緩いバレーボールだとは知ってるけど、逆に言うと詳しくは知らない。
となると、無駄知識とハッタリの女王である紫に期待するしか無いんだけど……。
「紫、やったことある?」
「無いわ」
きっぱりと言い切られた。
実は昨年の金メダリストなのよ。とか、ルールを制定したのは私よ。とか、
いつものような寝言を言ってのけると思っただけに、少し拍子抜け。
当然というか、私も未体験だから、素人二人による即席戦という事になる。
まあ、向こうの二人だって、別にスペシャリストという訳でもないだろうし、
そもそも、ただの遊びなんだから、勝とうが負けようが大した問題じゃないんだけど……。
「……でもね、霊夢。この勝負、必ず勝つわよ。
あの羞恥心ゼロの薬剤師の顔を、ダリの作画へと変えてやるのよ」
「……」
……紫がこの調子じゃ、そうも言ってられなさそうね。
観客という名の化け兎の群れが騒がしく取り囲む中、私たち四人はコートに入った。
無人島だっていうのに、完全にアウェー戦状態なのは如何なものだろう。
……とは言っても、知り合いに見守られてたら別の意味でやりにくいし、これはこれで良いのかも知れないけど。
「てゐ」
「はーい?」
掛け声かと思ったら、名前だった。
一人のちびっ子兎が群れから飛び出すと、永琳の元へとてくてくと歩み寄る。
何処か見覚えがある気がするけど、誰だったかしら……。
「そういう訳なんで、悪いけど審判を引き受けてはくれないかしら」
「えー、あの重い帽子被った奴にでもやらせれば良いじゃないですかー」
一体、誰の事を指しているのか、それを考えると何故か涙が零れるのを押さえ切れなかった。
私の知らない間に、閻魔様はどこまで堕ちてしまったんだろう。
恐るべしは、八意流調伏術……!
……じゃなくて、思い出したわ。こいつ、いつぞやの詐欺師兎じゃないの。
こいつのせいで、ただでさえ少ない博麗神社のお賽銭が、更に減少しちゃったんだっけ。
元々ゼロのものは減りようがない? 余計なお世話よ。
「流石にこの為だけに呼び出すのも面倒なのよ。後でご褒美上げるから、お願い」
「任せて下さいっ! この因幡てゐ、ボブにもイワノフにも負けない公正かつ明大なレフェリングを下してみせます!」
……その二人が誰かは知らないけど、公正じゃないことは間違いなさそうね。
何はともあれ、試合開始だ。
コイントスの結果、先行は私達結界組。
「そーれっ、と」
まずは感触を掴む意味で、軽いサーブを放つ。
思ったよりも、ボールを打った感覚は重い。
これなら、全力でぶっ叩いても問題は無いだろう。
「あっ」
ところが、それを受けた鈴仙は、何故か自陣の後方へとボールを弾いてしまう。
タイミング良く詰めていた永琳が地面に落ちるギリギリでカットしたけど、それが精一杯。
浮いた球を鈴仙が何とかこっちの陣に弾き返して、ターン終了。
……一応、三回までしか触っちゃいけない事くらいは知ってるのよ。
ボールは丁度、私と紫の中間辺りにふらふらと落ちて来る。
紫が一瞬だけこっちに視線を送って来たけど、直ぐにまた前を向いた。
多分、私が受けろという意味だろう。
普通なら、そうした後に紫がトスして、私がスパイクするという流れなんだと思う。
でも、私の中の勝負師の勘が、その選択肢を選ばせようとはしなかった。
今の動きを見るかぎり、永琳も鈴仙もこの競技に熟達しているとは思えなかった。
要するに、コートに立っているのは、全員が素人という事。
それならば、この最初のプレイこそが、ある程度の試合の流れを決める筈だ。
……行ける。
連中は、ここで私が打つ事を予測していない。
私は迷う事無く飛び、力なく飛んできたボールに活力を加えた。
「死ねいっ!!」
返って来たのは、確かな手ごたえ。
直撃すれば、意識を刈り取れるであろう一撃だ。
ビーチバレーで意識を奪ってどうするんだって話だけど、それはそれ。
このスパイクには、至福となるはずだった時間を、大いに邪魔された恨みが込められているんだから。
「へぷっ!」
……はて、そういえば、一番の問題は誰だったっけ。
「えーと……フィフティーンラブ? ワンアップ? 有効?」
「テニスでもゴルフでも柔道でも無いけど、別にどれでも良いわ。ともかく、こっちの先制ね」
永琳が、私呆れましたのポーズで何か言ってるけど、ちょっとそれどころじゃなさそう。
何せ、私が放った必殺のバックアタックは、無防備だった紫の後頭部を直撃してしまったのだから。
「馬鹿野郎ーーっ! 霊夢、貴様誰を撃っている!? ふざけるなーっ!」
「ご、ごめんね、条件反射だったのよ」
幸か不幸か、復活は早かった。
ゆらりと起き上がり、鬼の形相で迫って来る紫に、さしもの私も平謝りするしかない。
別に『テメェが訳の分からん怨恨で勝負なんか挑まなければ丸く収まったんだ』とかは考えてなかった……と思う。
単純に、距離の近いものに狙いをつけてしまうという癖が、ここで出てしまっただけだ。
嗚呼、悲しいかな、ホーミング巫女の性。
「……あんた達、やる気あるの?」
「あるわよ! 満ち溢れてるわよ! 熱い情熱が少しばかり空回りしてるだけよ!」
「回しすぎで焼けてしまわない事を祈ってるわ」
まずい、初っ端から漫才を披露してしまったわ。
これじゃ流れを掴むどころか、向こうに余裕を持たせちゃうじゃないの。
「行くわよーっ」
攻守入れ替わり、鈴仙が綺麗なジャンピングサーブを放った。
今度もレシーブは私に任せるつもりなのか、紫は振り返る事無くネット際で構えている。
……というか、ゲーム開始からずっとネットに張り付いたままな気がするんだけど。
確かにバレーという競技の性質上、背丈の問題は切っても切り離せない。
宙に浮いていれば無意味だろう。と思うかもしれないけど、
ボールが地上に触れる事を防ぐスポーツでの浮遊は、ヤムチャならずとも足元をお留守にする自殺行為でしかない。
即ち、私達とて砂浜を駆け回らざるを得ない訳で、そういう意味では背の高い紫が前に出るのが自然だとは思うけど、
どうも今日の紫には、別の思惑が存在してるような気がしてならない。
そんな事を考えている間にも、ボールはドライブ回転しつつ、コートの隅目掛けて一直線。
元々、普段からやたらと生足を出しているだけはあって、運動神経には自信があるみたいだし、
さっきのアレで緊張も解けたのか、素人目にも良いサーブだと見えた。
でも、その程度の弾じゃ、私を出し抜くには力不足……。
「……」
「……ごめん」
「……」
「……その、本当にごめん」
「……」
「……何か言ってよう」
紫は答えてくれなかった。
結果は、永遠亭の二ポイント先取。
軌道から落下位置、タイミングまで全て読み取れた筈なのに、結果としてボールは砂浜に突き刺さっていた。
別に怪しげな術を使われたとかそんな理由じゃないのは、私自身良く分かってる。
「流石は博麗の巫女ね、『たま』を避ける事に関しては天下一品って事?
ドッジボールなら苦労したのかなー」
「……ぐぅ」
何も言ってくれない紫の代わりに、鈴仙が調子ぶっこいた台詞を放ってくれた。
でも、私にはぐぅの音しか出す事が出来ない。
触れる直前で自分からボールを避けてしまったのだから、それも当然か。
多分、ミリ単位の精度だったとは思うけど、ビーチバレーでグレイズしたって何の意味も無いっての……。
「霊夢」
「な、何?」
「気にしないで良いわ。……今のところは」
ようやく口を開いてくれたと思ったら、これだった。
暗に、これ以上は許さない。と言ってるんだろう。
別に私だって好きでやった訳じゃないけど、流石にこの連続ミスはへっぽこ過ぎるわ。
再び鈴仙のサーブで試合開始。
今度はコートの隅ではなく、ネットを掠めるような低い弾道だった。
となると当然、ボールを受けるのは紫という事になる。
「……」
紫が、いつになく真面目な表情でレシーブ。
勢いを止められたボールは、ふらふらと私の方向へと舞い上がる。
ここでまたやらかしてしまえば、あれほど嫌っていた『二度ある事は三度ある』という言葉を、
自らの手で実証してしまう事になるだろう。
それだけは、絶対に許されない。魂的に。
「ほっ」
単なるトスだというのに、妙に力が入ってしまった。
それでもボムに化けるだのといったお約束は無く、ボールはきっちりとネット際へ上げる事が出来た。
「この一撃は……」
紫が飛び、その豊か過ぎる胸が、ぷるんと揺れた。
同時に、ブロックに飛んだ永琳の胸もまた、ぶるんと揺れる。
その光景は、一瞬とは言え、私から現実を忘れさせた。
1+1は2でも、乳+乳は決して証明の出来ないファンタジーなのだと。
試合の模様も録画してないかどうか、聞いておけば良かったわ。
「新刊の恨みっ!!」
訳の分からない台詞と共に、紫がスパイクを放つ。
でも、その軌道には、永琳の両手がある。
弾かれる。と咄嗟に判断した私は、一息にネット際へと飛び込む。
しかし……。
「えーと……永琳さまー、こういう場合はどうなるんですか?」
「……向こうのポイントで良いわ」
「はーい。じゃ、1対2という事で」
ぴーっ、と響き渡る笛の音。
それは私達が得た、最初の得点の証だった。
「……紫、確かビーチバレーは初めてだって言ってなかったっけ」
「初めてよ。浜辺でやるのはね」
「……」
多分、東洋ならぬ東方の魔女だったとか、そういうオチに違いない。
でなければ、ブロックを貫いた上で地面で破裂するなんて馬鹿げたスパイクは打てないでしょ。
というか、そんなものを受けた永琳の手は大丈夫なんだろうか。
直ぐに復活するとは分かってても、手首から先が無いなんて猟奇的光景は、余り拝みたいものじゃないし。
「仕方ないわね。貴方の馬鹿力に敬意を表して、新しいボールを用意するとしましょう」
全然、健在だった。
永琳が無傷の手をひらひらと振ると、間髪入れず客席から黒いボールが放られ、どすん、と砂浜に突き刺さる。
……って、どすん、って何よ。
「重さは通常の三倍。強度は通常の十倍。回転させれば更に倍。荒波をも容易く貫く、特製ブラックボールよ」
「お気遣い、ありがたく受け取るわ。これなら私も全力を出せそうね」
「「……」」
言うまでもないけど、押し黙ったのは私と鈴仙だ。
何だって、そんな漫画の特訓用みたいな凶器で、ビーチバレーをしなければいけないんだろう。
意外と普通の入りだったから安心してたのに、結局はこういう展開になるのね。
「さあ霊夢、準備運動はここまでよ。幻想の結界組の力を見せ付けてやりましょう」
「私が生身の人間だって事、時々で良いから思い出してね……」
それからの試合展開は、余り思い出したくない。
紫の放つサーブは都合60個に分裂し、永琳のスパイクは隕石を伴って降り注ぎ、
自棄になった鈴仙が銃撃でボールを押し返し、私は新技の十六重排球結界でブロックするという、そんな流れだったから。
ある意味、私達らしいと言えばらしいけど、もはや弾幕戦との差異を見つけるほうが難しかった。
でも、そんな流れでも何故か点数だけはきちんとカウントしていたらしく、
現在のスコアは14対11。
私達が先攻だから、こっちのセットポイントという事になる。
……マッチポイントじゃないから、3セット制なのね。
「ふぅー、いい汗かいて来たわね……よし、ここで決めるわよ、霊夢」
「へいへい」
ちなみに、例のブラックボールとやらは、割と直ぐに慣れた。
というか、もう殆ど身体能力は使ってないから、余り関係が無くなっていたという方が正しいんだろう。
「受けて慄きなさい! 球符、通天閣打法と天井サーブの境界!」
サーブを打つのに、一々カード宣言をする辺り、色々と終わってる気はする。
でも、何故か異常に楽しそうな紫を見ると、私も乗り気になって来るから不思議だ。
まあ、そうでもなければ、途中で帰ってるし。
「ふん……見えるわ! 鈴木、ライジングインパクト!」
紫の放った大気圏外から落下するサーブを、永琳がレシーブという名のスイングで弾き返す。
見慣れたから驚きはしないけど、鈴木って一体どういう符なのよ。
「師匠! 私の愛と魂のトスを受け取って下さい! 溶血、ブラックバレル!」
そして鈴仙は、何となく危険っぽい香りのする宣言と共に、銃から放った光でボールを打ち上げた。
って、この流れだと、私も何か新スペルで対抗しなきゃいけない気がするわね。
「ほいっ、と」
「あ」
そんな私の隙を突くかのように、永琳が極めて普通かつ軽いタッチで、ネット際へとボールを落とした。
「まだよっ!」
間一髪、滑り込んだ紫が、その理不尽に長い脚でボールを蹴り上げた。
大丈夫。ビーチバレーなら足を使うのもセーフ。
というか、もうルールなんて有って無いようなものだし。
「これで決めるっ! 天霊、夢想封印 茂!」
まあ、茂って誰だろう。とか思いながら結界スパイクを放つ私も、十分ノリノリなんでしょうね。
「……くっ!!」
反応した鈴仙が必死に飛びついたけど、それを嘲笑うかのようにボールは軌道を歪めた。
そう、このスパイクは、相手の心理の逆を突くという技なのだ。
多用すると失血死するから、余り使えないんだけど、一回くらいなら平気でしょ。
「はーい。第一セット、15対11で……ええと、こっちの勝ちー」
ボールが砂浜に突き刺さったのを確認すると、やや間を置いててゐが宣言した。
というか、名前くらい覚えなさいよ。
まあ、名詞が適当なのを除けば、意外とまともな審判っぷりだったから許すけど。
「いえーい」
「いえーい」
ぱちん、とハイタッチを交わす。
全国のビーチバレープレイヤーに申し訳ないような試合だけど、それでも勝利を収めるのは良い気分だった。
っと、まだ終わってないんだっけ。
「師匠……済みません」
「後半から動きが単調になっていたわよ。もう少し冷静に動きなさい」
「はい……」
息一つ乱していない永琳に対し、鈴仙にはいくらか疲弊した様子が見えた。
多分……というか間違いなく、スペルカードの乱用が原因だろう。
紫や永琳は基礎能力からして桁違いっぽいから論外だし、私は力の抜きどころを心得てるからまだ平気だけど、
いくらか不器用なところのある鈴仙に、それを求めるのは酷だったという事かしらね。
……そういえば、こいつらの関係者に、スペルカードの塊のような奴がいたような……。
「どうやら、イナバでは役者不足のようね」
……。
「誰?」
「さあ……新キャラかしら」
「えー、50kbも話を続けといて今更?」
「新キャラ違う! いた! 私いたね! 最初からここにいたね! 読み返しプリーズ!」
謎の着膨れ女が突然、似非中国人のような口調で食って掛かって来た。
でもまあ、読み返せというなら、とりあえずは従ってみましょうか。
……。
「あ、本当だ」
「十行未満で処理されてたから、すっかり忘れてたわ」
「……えーりーん……」
「ご安心下さい。私は片時も姫を忘れた事などございま……す」
「す!?」
頼みの綱の従者にも裏切られた輝夜が、べちゃりと砂浜に崩れ落ちた。
我ながら変な擬音だとは思うけど、実際そういう音だったんだから仕方ない。
そりゃ、真夏の陽射しを、あの暑苦しい格好で受け続けてたら、汗の塊にだってなるだろう。
「ほんの景気付けのロシアンジョークですわ。して、如何なされたのですか?」
「夏だというのに、身も心も凍えそうなジョークありがとう。
せっかくの機会だから、私も少し身体を動かそうと思ったの」
「それは良い心がけです……が」
「が?」
「その格好で動かれるのは、私たち全員の精神衛生上、余り好ましい姿とは思えないのですが」
「気を遣わなくても良いわ。直接的に言いなさい」
「とてもウザいです」
「わあ、本当にストレートね。でも、その心配は無用よ」
「流石は姫。この永琳、信じておりましたわ」
「さっきから一度も目を合わせようとしないのは何故なのかしらね……ま、良いわ」
幻想郷の主従は、漫才形式でないと会話が出来ないのだろうか。
そんな私の疑問は、次なる輝夜の行動の前に封印を余儀なくされた。
「めたもるふぉーぜっ!」
どういう構造なのか、輝夜はその暑苦しい服を、僅か一行程で脱ぎ去っていた。
が、この際そこはどうでも良い。
問題は、露となった格好だ。
それは紛れも無く……。
「ここで来たのね、スク水!!」
何故か紫が効果音と背景効果付きで驚いていた。
そんなに重要なポイントだったんだろうか、スク水。
「ふっ……月でも平安京でも、常にスク水コンテストのグランプリに輝いていた私が、他の水着を選ぶ筈もないでしょう」
酷い平安京もあったもんね。
余りの歴史の捏造っぷりに、ワーハクタクが嘆き悲しむ姿が目に見えるわ。
まあ、それはそれとして、確かに輝夜には、スク水がこれ以上無い程にしっくり来ているように映った。
やはり、あの地味な濃紺の水着には、長い黒髪と、いささか凹凸に欠ける体が良く似合う。
……もしかして、紫が私に勧めたのも、それが理由なんだろうか。
「理屈じゃないわ! 感じるのよ!」
「いや、猛られても……」
というか、いい加減ややこしいから、心の声に突っ込まないで欲しい。
「という訳で、選手交代よ。イナバはそこで体育座りしてなさい」
「……分かりました。何で体育座りなのかは聞きません」
「お馬鹿! 聞きなさいよ!」
「え、何で私怒られてるの……?」
鈴仙が世の不条理さを嘆きつつ、コートから退いて行く。
そして、本当に言われた通りに、ビーチチェアの上で体育座りを敢行した。
輝夜のペットという肩書きも、あながち冗談では無いって事かしらね。
「霊夢。兎ちゃんを見ては駄目よ」
「はあ? どうしてよ」
「あの体育座りは間違いなく陽動戦術の一つよ。凝視したら精神がやられるわ」
「……」
お前の精神がやられてるんちゃうんかい。
……と、言いたいところだったけど、厳かに鼻を抑えつつ、首の裏をトントンし始めた永琳の姿を見ると、
その言葉の意味する所が、何となく納得できた。
つーかこいつも医者のくせに、随分と鼻の粘膜弱いわね。
「イナバ。開始の笛を鳴らしなさい」
「……良いんですか? 永琳様」
「ええ、始めましょう」
永琳に確認を取るというのが、永遠亭の真の序列を示しているみたいで、少し物悲しかった。
もっとも、輝夜本人が微塵も気にしてないように見えるのが謎だけど。
「全部イナバなのに、どうして区別が付くのかしら……」
心の底からどうでもいい疑問を口にしつつ、紫が定位置に立つ。
「教えて欲しいなら、私を倒して聞き出すことね」
そして、先制のサーブを放つべく、輝夜がボールを高々と放った。
ともあれ、試合再開だ。
「ふぅ、今日はこのくらいで勘弁してあげるわ」
負け犬全開の台詞を残し、輝夜は去った。
登場から退場までの所要時間は、およそ五分という所だろうか。
その間に輝夜がやった事というと、サーブを二回連続でスカし、レシーブに回ったところを蹴躓き、
ブロックに飛んではネットに引っ掛かり、止めにスパイクを永琳の顔面へと叩きつけるというものだった。
スペルカードの所持数もまるで無意味とする極限の運動音痴っぷりには、呆れを通り越して感動すら覚える。
まあ、弾幕戦の時も固定砲台みたいな奴だったし、ある意味納得ではあるんだけど。
「じゃ、イナバ。後は任せたわよ」
「はあ……」
輝夜は何事も無かったかのように、件の暑苦しい衣装を着込むと、
ビーチチェアに横たわって、再びインナースペースに突入していた。
鈴仙が、表現し難い複雑な表情を浮かべてやってくるのが、とても印象的だった。
「あいつ、何しに来たのかしら」
「さあねぇ。ささやかな自己主張か、それともスク水姿をお披露目したかっただけなのかも……」
「まあ、何にしても、気が抜けたのは確か……」
「……」
「……」
「……」
「それじゃ、再開しましょうか?」
宣言する永琳の笑顔が、全てを物語っていた。
やられた。
確かに、この精神戦術は、タイムアウトなんかよりずっと効果的だ。
くそう、鼻にティッシュ詰め込んでる癖に……!
「……安心なさい、霊夢。私達のコンビプレイは、この程度じゃ崩れないわ」
「だと良いんだけどね……」
私の懸念通り、再開後の試合展開は、明らかに永遠亭側へと傾いていた。
一度途切れたテンションを立て直すのは、かなりの難題だ。
条件的には同じなんだろうけど、どちらかと言えば勘で動くタイプの私達と、
理詰めで攻めてくる向こうとでは、その意味合いは大きく変わる。
結局、輝夜が献上してくれた5点も、あっさりと取り返されてしまった。
「せぇえええいっ! 優曇華院は女の子ーーーっ!」
そしてまた、鈴仙のスパイク……と呼んでいいのかどうか分からない代物が迫る。
普通のレシーブでは受け切れない。
そう判断した私は、行程すべてを省略した結界……封魔陣を展開し、間一髪のところでボールを防ぎ止める。
「……くっ!?」
しかし、光の柱は、理不尽な破壊力を秘めた一発の前に、あっけなく霧散。
紫のフォローも間に合わず、ボールは空しくコートに突き刺さった。
「……ごめん」
「流石にアレは仕方ないわ。……にしても、兎ちゃん絶好調ね」
「そうね……」
一度外に出て眺めたことが気分転換になったのか、鈴仙の動きは、格段に良くなっていた。
それまでは永琳のフォローに回る事が多かったのが、今は積極的に飛び出して攻撃に参加している。
当然、代わりに防御は手薄になっていたけど、そこは月の頭脳の腕の見せ所とばかりに、
永琳が憎らしいほどに的確なポジショニングでカバーしており、結果的に試合の流れは永遠亭へと傾いていた。
もっとも、その理由には、私が疲労してきている事もあるだろう。
例外の二人は置いておくとして、鈴仙も一応は、長い年月を生きた妖怪だ。
でも、私はあくまでも人間に過ぎない。
いくら弾幕理論を応用したところで、基礎体力では勝ち目は無いのだ。
「……」
「また弱気の虫が出掛かってる?」
「……大丈夫よ、このくらい」
また、というのは紫だから言えるんだろう。
私の欠点……それは、マイナス思考がある一定の段階を超えると、歯止めが効かなくなるまで落ち込んでしまう事。
普段、そんな状況に陥る事は滅多に無いから、誰にも知られてないとは思うけど、
一度ならず二度三度とその姿を見せてしまった紫だけは例外だ。
まあ流石に、ビーチバレーで負けたくらいじゃ、そこまで行く事は無いだろうし、
そもそも、まだ私は試合を諦めたわけじゃない。
「……」
……んだけど、なんだか紫の視線が怪しい。
例えるなら、お説教モードのときの表情に近いものを感じる。
それは無いとは思うけど、何となく嫌な予感。
「は、早く戻りましょ。無駄話しててサービスエースとか取られたら笑えないわ」
「……ごめんね、霊夢。無理に付き合わせちゃって」
「へ? な、何よ今更」
「でも、もう良いわ。……やっぱり、ビーチバレーじゃ埒が開かないものね」
「ゆ、紫……?」
紫は私の言葉に答えることなく、定位置へと戻っていく。
その背中からは、ある種の決意のようなものが滲み出ていた。
……あまり良い方向の決意じゃないような気がするんだけど、間違いであってくれないかしら。
「だぁらっしゃああ!!」
そんな私達のやり取りなどまるで知らない鈴仙が、ファンを減らしそうな掛け声でサーブを放った。
「……ん、しょっ!」
唸りを上げて飛び来るボールを、霊力を込めた両の手で掬い上げる。
いちいちサーブにまでスペルカードを使っていては、体力的に持ちそうになかったからだ。
が、それが仇となったのか、私のレシーブは狙いを逸れ、ネットを超えるか超えないかの微妙な所に落ちようとしていた。
「……」
「……っ!」
紫が迷わず飛んだのを見て、永琳もまたブロックに飛ぶ。
当然、二人の胸は大いに揺れたけど、今の私には、そこに視線を送る余裕が無かった。
というのも、紫のジャンプの軌道が、明らかに不自然だったからだ。
「喰らいなさい! タイガァアアア……」
不吉極まりない叫びに、戦慄が走る。
まさか紫は、スパイクじゃなくてシュートを打つつもりなんだろうか。
確かに威力は増しそうだけど、そんな事をしたら身体バランスの悪さを示唆されて泣く羽目になるんじゃ……。
「アパカッ!」
「へぶっ!!」
……紫の行動は、私の想像の更に斜め前を行っていた。
何せ、ボールなど知るか。とばかりに、ネット越しに永琳をブン殴ったのだから。
さしもの天才もこれは予測外だったのか、永琳はものの見事に吹き飛ばされ、砂浜に埋まった。
私はその隙に、零れ落ちかけていたボールを放り込む。
鈴仙も突然の惨劇に呆然としていたのか、ボールは呆気なく敵陣へと転がった。
まあ……一応、ね。
「ナイススパイクよ霊夢。これで流れは頂いたわね」
「……えーと、その、何というか……いいの?」
「いいの。ビーチバレーに、『相手を殴り飛ばしてはいけない』なんてルールは無いわ」
悪びれた様子の欠片も無い、さっぱりとした表情だった。
……やっぱり、こんな決意だったのね。
こうなるとむしろ、直接関与してない私のほうが、何処か罪悪感を受けてしまう。
確かにルールに表記はしてないだろうけど、それ以前の問題だし。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、そこの年増!」
そこで、よせば良いのに、鈴仙が紫に向けて、猛然と喰ってかかって来た。
草食動物が肉食動物に太刀打ち出来る筈も無いのに……。
というか、年齢を示唆するのは、むしろ自爆じゃないのかしら。
「何かしら、兎さん」
「何かしら。じゃないでしょ! 今、あからさまに殴ったじゃないの!」
「心外ね。これはただのプレー中の不幸な事故よ。スポーツに事故は付き物でしょう?」
「嘘よ! 自分で殴り飛ばしたって言ってたじゃない!」
「……止めなさい、ウドンゲ」
更に詰め寄ろうとした鈴仙を、独特のアルトボイスが食い止めた。
砂を払い落としつつ歩み寄る永琳は、少し足元がふらついている程度で、殆ど無傷のように見える。
「あ、師匠! ご無事ですか!?」
「ええ、大した事は無いわ」
「でも、こんなに胸が腫れて……」
「それは元々だってば」
寝言を抜かしつつ、胸をさする……というか揉みしだく鈴仙に、私は求道者の姿を見た。
時も場所も場合も全て無視しての、正に本能による行動。
こやつ、私が考えていた以上に大物やもしれぬ。
「ペッティングは程々にしておきなさい。続き、やるんでしょ?」
「え? でもそれは規程に……」
「……そっちじゃなくて、ビーチバレーよ」
流石にこれには紫も呆れた様子だった。
「……ええ、勿論よ。敵ながら見事なコンビネーションだったわ。褒めてあげる」
「ちょ、し、師匠、良いんですか!? 今のは明らかに反則ですよ!?」
「ただの事故よ。私自身がそう判断したのだから間違い無いわ」
「……」
そう言われると、返す言葉が無かったのか、鈴仙は悔しげに引き下がる。
途中、お約束とばかりに100点を加えていたてゐを小突きつつ。
……でも、私の聴覚は、確かにある言葉を捉えていた。
『事故は、何度でも起こるものよ』と。
攻守入れ替わり、私のサーブで試合再開となった。
出来ることならこれで決まって欲しい。との願いを込めて、相手の背後を狙うホーミングサーブだ。
が、私の平和を愛する心が足りなかったのか、鈴仙が獣のような動きで飛びつくと、見事にボールを拾い上げた。
そして、さっきのリプレイのような軌道で、ふらふらとネット際へと上がる。
「……」
今度は、永琳が先に飛んだ。
と言っても、手の平ではなく、側面を向けている辺り、狙いがスパイクに無いのは明らかだ。
しかし、恐らくはその真意を理解しているであろう紫もまた飛んでいた。
正面から叩き潰す、という算段なんだろうか。
「せいっ!!」
そして、永琳はスパイク……というかチョップでボールを捉ると、
その勢いのままに紫の頭上へと振り下ろした。
「ふん、芸の無い……」
読み通りだったのか、紫は不敵な笑みを浮かべつつ、その一打を結界でしっかと受け止めた。
当然、同時に放たれたボールも弾き返され、敵陣へと高く舞う。
……筈だった。
「貴方がね」
「!?」
その瞬間、永琳の身体が、くるりと回った。
回転によって勢いを付けられた踵は、跳ね返る筈だったボールを巻き込みつつ、紫の結界に直撃。
それは、一発目のスパイクと寸分も変わらぬ位置だった。
「……がっ……」
結果、二度の衝撃によりあっさりと結界は破られ、そのまま踵は紫の脳天へと炸裂した。
私の記憶が確かなら、今朝方、木片が突き刺さってた箇所だ。
最初からそこまで読んで攻撃を仕掛けたのだとすると、敵ながら見事と言わざるを得ない。
しかし、この前転蹴り、どこかで見たような気がするんだけど……。
……じゃなくて。
「ゆ、紫っ!」
紫は、前のめりの体勢で、砂浜へと叩き落される。
そして、ある意味止めとばかりに、その後頭部へとボールが落下。
ごすん。という、とても良い音だった。
「どんな強固な結界であろうと、必ず綻びは存在するわ。
ましてや、そんな急造の代物なんて、私にとっては鍵のかかっていないドアノブのようなものよ。
まあ、鍵がかかっていたところで、開ける方法なんていくらでも存在するんだけどね」
すたり、と着地した永琳が、お馴染みの頬に手を当てるポーズで語ってた。
……多分、立場的に私はここで、鈴仙のように食って掛かるべきなんだろう。
でも、正直言って、今日の紫は擁護する気にはなれない。
そもそも、最初に手を出したのも紫のほうだし……。
「……ご高説、拝聴させて頂いたわ」
何時の間にか、紫は立ち上がっていた。
全身は砂まみれ、髪はボサボサ、おまけに再度の流血と、見るに耐えない姿だった。
……いや、それよりも、何処かで見た記憶のある、鈍く光る瞳が、何か危険な予兆のように映ったのだ。
「そう、お役に立てて何よりよ」
「そこでね、一つ提案があるんだけど、聞いてくれる?」
「あら、何かしら」
「……もう、化かし合いは止めにしない?」
「……そうね」
ぞわ、と全身総毛立つような悪寒が走る。
それが、二人の発した殺気によるものと気付いた時、もう事態は走り出していた。
「この子達の手前、我慢していたけど……いい加減、私も限界なの」
言い終わると同時に、ひゅん、と手を軽く振りかざす。
光が流れたかと思うと、二人の間を隔てていたネットが真っ二つに切り裂かれ、その役目を終える。
それは、ビーチバレー終了の合図とも受け取れた。
「ふふふ……ようやく本性を現したわね」
「何とでも言いなさい。お望みどおり、ブチ殺して差し上げるわ」
「ならば私は貴方に、死ねない体である事の苦しさを、思い出させてあげましょう」
「戯言をっ!」
刹那、紫と永琳の間に、複数の閃光が奔る。
動体視力に自信のある私が、そんな曖昧な表現しか出来ないくらいの速度だったという事だ。
そして、光の流れが止まった時、二人の顔には、僅かな痣のようなものが浮かんでいた。
「……中々やるわね」
「……貴方もね」
「ず、頭脳派の動きじゃない……」
「不覚にもパンチが見えなかったわ……」
何時の間にか、私の隣に来ていた鈴仙が、呆然と言葉を漏らしていた。
……ってことは、パンチであるとは分かったのね。
侮れないわね、エロウサギ。
「誰がエロウサギだってのよ」
「介抱すると見せかけておっぱいと戯れるのは、立派なエロウサギの所業じゃないの」
「う。ま、まぁ、そういう説もあるみたいだけど……」
よし、勝った。
完全なる勝利だ。
別にこいつに勝ったって嬉しくも何ともないけど、それでも私は人生の勝利者だ。
「……ふん。おっぱい愛好家の視点から見れば、私が勝利者よ」
「むう、それは否定できない……え、あんたも私の心が読めるの!?」
「全部口に出てたわよ」
「……左様で」
すっかりギャグ体質に染まってたのね、私。
それだと案外、紫に読まれたと思ってた思考も、単に自分で口走っていただけなのかもしれない。
だとしたら、随分の間抜けな光景だったんでしょうねぇ……。
「って、遊んでる場合じゃないわ。霊夢! 二人を止めないと!」
「……いや、それは止めときなさい」
「どうしてよ! このまま放っておいたら、大変な事になるわよ!?」
「もうなってるわよ。というか、出て行った所で止められる気しないし、そもそも止める理由が無いわ」
「理由が無いって……」
「だって、そうでしょ? あいつら、自ら望んでやりあってるんだもの」
それが、私が傍観を決め込んでいる理由だ。
後先考えずの能力バトルを始めたのならともかくとして、
現実に二人が選んだ清算手段は、何を思ったのか、素手による殴り合い。
となれば、むしろここで発散してもらったほうが良いと思ったのだ。
「……うーん……」
「まあ、絵面的に宜しいとは言えないけどね」
「そうよねぇ。しかも、水着姿だし……」
真夏のビーチで、ベアナックルファイトを展開する妙齢(千歳オーバー)の美女二人というのは、相当にシュールな光景だ。
でも、観客であるウサギ達は、むしろ嬉々として受け入れているように見える。
多分、ルールの良く分からないスポーツより、シンプルな殴り合いのほうが面白いんでしょうね。
戦闘は、有り余るパワーを抑えることなく振り回す紫と、
それを受け流しつつ有効打を狙う永琳という構図で進んでいた。
多分、一打一打に、並の妖怪くらいなら消し飛ばせるくらいの威力が込められてるんだろう。
「せいっ!」
そしてまた、紫の豪腕フックが唸りを上げる。
「……しっ!」
永琳はそれを、華麗なるパーリングで叩き払い、返す刀でジャブを連発する。
が、ウィービングを続けていた紫には、一発として当たらない。
その体重移動で生まれた力を拳に乗せるように、再び紫の左フック。
しかし、それは読んでいたのか、永琳は余裕を持ってスウェーバックで回避していた。
……何だって私は、こいつらのボクシング技術の解説をしてるんだろう。
ここ、真夏の海よ?
間違っても、後楽園ホールじゃないのよ?
だったらもっと、それっぽいイベントが発生してしかるべきじゃないの。
波にさらわれて水着が流されちゃったーとか。サンオイルを塗ってハァハァフゥフゥとか……。
「「ふんっ!」」
だというのにこいつらは、拳をぶつけ合って派手なエフェクトを発生させている。
しかも、妙に楽しそうに見えるから始末に終えない。
ラルルアパルルオーザだか何だか知らないけど、それじゃ私の存在価値は何処にあるんだろう。
「あっ!」
「え?」
またしてもダウナー思考に足を踏み入れそうになったところを、鈴仙の声が救ってくれた。
見れば、それまで拮抗していたように見えた戦闘に、僅かに変化が訪れていた。
「くぅ……」
「まだまだよっ」
体勢を崩していたのは永琳。
そこに、問答無用の紫ストレートがぶち込まれる。
永琳は両手のガードを上げて防ぎにかかるが、吸収しきれずに、再びダメージを貰っていた。
「パワーでは紫が優位のようね」
「……そうみたいね」
おっぱいとは逆ね。と思ったけど、口には出さない。
ともあれ、私としては、この戦いがさっさと終わる事を祈るのみ。
それが、紫の勝利によるものなら、更に良しだ。
「ふっ!」
勝機と見たのか、紫が三度、ストレートを打ち放つ。
それに対し、逆に永琳はガードを下げる。
防いでも無駄なら、かわすしか無い。そう考えたのだと私は思っていた。
しかし、永琳の狙いは、更に上を行っていた。
「ぐ……むっ」
次の瞬間、紫のストレートは空を切り、同時に永琳のカウンターの左ボディが突き刺さっていた。
怯んだように見えたのは、ただの誘いだったという事か。
「そして、テクニックでは師匠が有利ね」
「……ぐぅ」
「ふふっ……」
永琳は、僅かに笑みを浮かべると、自ら距離を取った。
対する紫は、苦悶の表情で片膝を付いている。
「だ、ダウンじゃないわよ、ちょっと閃光魔術対策を考えているだけよ」
「別にどうでも良いわ。カウントや判定がある訳でもないし」
「……くぅ」
立ち上がる紫の足が、ぷるぷると震えている。
言葉はともかくとして、今の一撃は、私の目にもかなり効いているように見えた。
先程まで無意識に行っていた筈の体重移動も、今は途絶えている。
「……良い手ごたえがあったわ。これでもう、足は使えないでしょう」
「ぜ、全然、大した事無いわ。貴方のへっぽこボディブローに負けるような柔な横隔膜だと思って?」
腹筋と言わないのは、自称少女としての意地だろうか。
むしろ、強がり乱発な所のほうが、ずっと少女っぽい気がするけど。
少女というか、子供か。
「ふぅん。なら、次はその五月蝿い口も止めてあげるとしましょうか。
この、拳の中に広がる大銀河でね」
刹那、初めて永琳が自ら攻勢に出た。
ゆっくりと、まるで何かを溜め込むかのように振りかぶられる拳。
どう見ても隙だらけだったけど、何故か紫はその場から動こうとはしなかった。
前に出る足が無い事を自覚しての、カウンター狙いだろうか。
「……終わりね」
「何言ってんのよ。あんな見え見えのパンチが防御できない訳ないでしょ」
「そういう問題じゃないわ。師匠に溜めを作らせた時点で、もう勝負は終わってるのよ」
鈴仙が口の端を歪めたと同時に、永琳の拳が開放された。
素人目にも、蝿が止まりそうと評せるような、鈍重な左フック。
当然、あっさりと見切った紫が、逆にカウンターの右ストレートを繰り出す。
というか、余りにも遅すぎたせいか、先に紫のパンチのほうが当たっていた。
……が。
「ギャラクティカ……」
「!?」
効いていない……いや、パンチを貰ったという自覚があるのかさえ怪しかった。
永琳は、微塵も動じる事なく、当初の予定通りの軌道で、左拳を振るったのだ。
それはまるで、繰り出せば当たると、最初から確信していたかのように。
「ファントムっ!!」
どかん、だとか、メキッ、だとか、擬音で表現出来る音ではなかった。
それでも無理やりに表現するとしたら、グヮラゴァゴキーン、だろうか。
とにかく、何だか良く分からない炸裂音と共に、永琳の拳が閃光を爆発を伴って炸裂。
吹き飛ばされた紫は、美しい放物線を描くと、水飛沫を伴って海へと沈んだ。
「私にこれを出させたのは、永い永い人生を振り返っても、貴方で三人目よ。褒めてあげるわ。
……もっとも、もう聞こえていないでしょうけど」
永琳が軽く笑みを浮かべつつ、乱れた髪を書き上げる。
答えは、無かった。
「……」
「ちょっと、霊夢。何ぼーっとしてるのよ」
「……え? あ、うん」
「状況分かってる? 早く助けてあげないと、あのまま魚の餌になっちゃうわよ。
いくらスキマ妖怪でも、エラ呼吸は出来ないでしょ?」
「助けるって、誰を?」
「……あのね。現実を見たくない気持ちは分かるけど、もう決着はついたのよ」
……決着?
何を言っているんだろう、このエロウサギは。
脳の中が桃色に染まり切っていて、まともな思考が出来なくなっているんじゃないだろうか。
「何か、とことん失礼な事考えてる気がするけど、おかしいのはそっちでしょ」
「私は平静よ。だって、ほら」
指をさして促すと、鈴仙の目が驚きに見開かれた。
そこには、いつの間にか立ち上がっていた紫が、水と血を滴らせつつ戻る姿があったからだ。
もっとも、私にとっては何ら不思議な光景じゃない。
偉そうに言うだけあって、色々と物理法則を無視した凄い一撃ではあったけど、
それも常識外の大御所である紫にとっては、蚊に刺されたようなものだろう。
「ふ、ふ、ふ、そ、そんな、貧弱な、パンチで、私を、倒せると、でも、思った、の?」
……前言撤回。
めっさ効いてるっぽいです。
「……え、ええ。今でも思ってるわ」
別の意味で気圧されたのか、永琳は少し戸惑った様子だった。
それでもしっかりとファイティングポーズに戻る辺りは流石といった所か。
「な、ならば、それが、ただの、思い、上がり、だと、実感、させて、あげ、ましょう」
「ね、ねぇ、やっぱり止めたほうが良いんじゃないの?」
「……少し、そんな気がしてきたかも」
紫を過大評価していたのか、それとも永琳を過小評価していたのかは分からないけど、
ギャラクティカなんたらとかいう必殺技は、私の想像以上に破壊力を秘めていたらしい。
正直、今の紫は、立っているだけでやっとという感じだ。
「あの人本当に殺されちゃうよ……。師匠、そういうところまったく容赦ないから」
でしょうね。
何せ、閻魔様を殴り倒して調服するくらいだし。
「……でも、私は止めないわ」
「……もしかして、まだ勝ち目があると思ってるの?」
「ええ」
そう、私は、思ってる。
経緯はともかくとして、こうして立ち上がった以上、紫には何らかの勝算があるに違いないと。
でなければ、紫の事だ。そのまま、大人しく寝ているに違いない。
滅多に意地なんて見せない奴が、なけなしの底力を振り絞っているのだから、
私に出来るのは、最後まで見届ける事だけだ。
「……八雲紫。貴方に一つ、謝っておきたい事があるの」
「?」
「あの本……実は転売目的だったのよ」
「ファッキン!」
意味不明な会話が交わされたと思うと、死に体となっていた筈の紫が突如として飛び掛った。
テクニックも何もない、ただ勢いに任せただけの大振りのパンチ。
無論、そんなものが永琳に当たるはずもなく、容易に右のカウンターを合わせられてしまう。
既にボロボロの紫に対しても、最後まで策謀を巡らせるその姿勢。
敵ながら天晴れというところかしら。
「……まあ、大嘘なんだけど」
「こ、コンチクショウ……」
一瞬にして動きを止められた紫に向け、永琳が左拳を振りかぶる。
間違いない、さっきのアレだ。
「貴方が意外と激情家で助かったわ。……ま、喜びなさい。
棺桶の中に一緒に入れておいてあげるから」
「……や、焼かないで……アレは……良いものなのよ……」
もう、ガードを上げる力も残っていないのか、紫は両手をだらりと下げたままで懇願する。
……。
……下げたまま?
「へぇ。まだ、何か狙っているだなんて、大した勝負根性ね」
「……化学者が、精神論を展開? 笑わせないで」
「私のこの銀河の拳は、一度繰り出されたら、防ぐ術は無いと、身を持って教えた筈よ。
それでも貴方は無駄な抵抗を試みている。……これを他にどう表現したら良いのかしら」
「簡単な事よ……当てられるよりも先に、当ててしまえば良い。
それは根性でも何でもない、明確な勝利への道筋……!」
刹那、紫の右拳が握り締められる。
ギャラクティカなんたらが極めて遅い技である事を考えると、先に当たるのは紫の攻撃のほうだろう。
でも、どういう原理なのか、あの技を繰り出した時の永琳は、桁外れに堅い。
さっきもそれで、トリプルクロスカウンターを喰らう羽目になったのに、打撃の影響で忘れてしまったのだろうか。
「学習能力に欠ける奴ね……もう良いわ。死になさい」
「……虹を構成する七色を、知ってるかしら?」
「は?」
「そして、私の名前と、私の式の名前……これらから導き出される答えを、
その必殺技を使う貴方が、知らない訳が無いわよね?」
「……まさか!?」
今日、初めて永琳の顔に、動揺の色が現れた。
そして、その理由は、私には分かる。
……というか、先日読んだ漫画のお陰で思い出した。
もっとも、元ネタを熟知している人がどれだけいるのか疑問だけど。
「その名も、ヤクモ・ザ……」
「くっ……ギャラクティカファントムっ!!」
呟きごと消し潰さんとばかりに、永琳の左拳が太陽系を背景にして振るわれる。
でも、全ては無駄だ。
「レインボーーーーーーーーーーーッ!!」
「最高だぜーーーーーーーーーーーッ!!」
銀河は哭いても、虹は砕けない。
紫の右拳が描いた七色の軌跡の前に、剣崎……じゃなくて永琳は、お星様となった。
そう、これは技術論云々じゃない。
お約束パワーの前には、誰もが無力なのだ。
「……ご愛読、ありがとうございましたー……」
「紫っ!」
永琳がエーゲ海の青空に消えると同時に、紫もまた力尽き、崩れ落ちた。
私はそれを瞬時に抱き止める。
顔面ボコボコで、少女臭の欠片もない姿だったけど、自発呼吸はしているので、多分大丈夫だろう。
「……んしょ」
少し考えた末に、私は紫を一息に背負う。
こいつの事だから、少し休めば回復するだろうけど、海の上じゃどうにもならないし。
背中に当たる素敵な生肉の感触よりも、思った以上に軽い身体のほうが印象的だった。
しかし、周囲の状況は、私達に休息を与えてはくれなかった。
「「「「「……」」」」」
「……ちっ」
先程まで、わいのわいのと騒がしく観戦していた兎達が、
打って変わった冷たい表情を浮かべつつ、私達を取り囲んでいたのだ。
……まあ、当然と言えば当然かもしれない。
この連中からして見れば、私達は、ご主人様を倒した憎い敵なのだろうから。
「……悪いけど、このままあんた達を帰す訳にゃいかないよ」
そして、兎達を代表するかのように、一歩前に出たてゐが口を開いた。
……気のせいか、口調も変わってる気がする。
もしかして、こっちが素なんだろうか。
「へぇ。どうするつもりなの?」
「勿論、永琳様の後を追ってもらうのさ。戻って来れるかどうかは責任持てないけどね」
「……」
……拙いわね、どうも、本気っぽい。
普段の私ならどうとでも出来たろうけど、今は別だ。
何せ、戦おうにも武装は無いし、逃げようにもここは外界の孤島。
おまけに、頼みの綱である紫が、逆に私の足枷になってしまっているような状況だ。
……。
癪だけど、一応、言ってみるか。
隙を作れるかも知れないしね。
「ええと、紫は置いていくから、私は見逃して……ってのはどう?」
「あんたにそれが出来るようなら、この状況になるまで付き合ったりしてないよね?」
「……」
むぅ……やっぱり簡単に見抜かれた。
詐欺師だけあって、見た目と中身のギャップが激しいわね、こいつ。
そうこうしている内に、どこから持ち出したのか、
物騒な獲物を手にした兎達が、じりじりと私との距離を詰めて来ていた。
恐らく、号令がかかり次第、一斉に飛び掛ってくるだろう。
こうなったら……駄目元でもやるしかないわね。
「お止めなさい」
交戦の決意を固めかけたところに、凛とした声が響き渡った。
私を含めた、その場の全員が、声の方向へと導かれるように振り向く。
「姫様? なんで止めるんですか!」
「ならば逆に聞くわ。どうしてイナバは、その二人を討とうとしているの?」
「そんなの……永琳様の仇だからに決まってるじゃないですか!」
「仇だなんて大袈裟ねぇ。一時間もしたら帰ってくるわよ」
「そういう問題じゃありません!」
「……ふむ。すると、貴方達は余程、永琳を小馬鹿にしたいのね」
「……え?」
「そうでしょう? 永琳とそいつの間に何があったのかは、私も知らないけれど、
少なくとも、確固たる決意を持って戦いに挑んでいたわ。
まあ、結果は敗北だったようだけど、重要なのは戦ったという事実であって、結果ではないの」
「……」
「でも、貴方達はその結果を引き摺り、果ては独断で事実の清算まで行おうとしている。
その行為は、永琳の思いを踏み躙るに等しいのではなくて?」
「……」
「良かれと思ってやった事……そんなものは、ただの自己満足に過ぎないのよ。
まあ、一概に否定するつもりはないけれど、少し考えてみるのも良いんじゃないかしらね」
輝夜が言葉を切ると、兎達は一人、また一人と手にした武器を下ろしていった。
正直、あの殴り合いにそんな大層な決意なんて無いような気がしたけど、ここは突っ込まない。
何しろ、ここに来て、ようやくラスボスっぽい姿を見せてくれたのだから。
「一本逝っとけ」
「アスパラッ!!」
……。
そして、見せた瞬間に逝った。
驚いたような表情のまま、頭を銃で撃ち抜かれるという、三下丸出しの死に様で……。
謙信公もさぞかし嘆かれる事だろう。
……まあ、直ぐに復活するんだろうし、この際それはどうでもいい。
問題は、手を下したこいつだ。
「……敵前逃亡は銃殺。これ、戦場における基本事項。賢いあんた達は、理解してるわよね」
「「「「「い、イエス、サー」」」」」
「声が小さい! 張り上げろ! 枯らせ! そして死ね! 死ね! セイウチのケツに頭突っ込んでおっ死ね!」
「「「「「イエス、サー!!」」」」」
「分かったなら包囲開始! 志半ばで逝った師匠に報いるべく、この二匹を原子レベルで分解してやるのよ!」
「「「「「イエス、サー!!」」」」」
鈴仙の号令……というか、命令に従い、再び兎達が私を取り囲んだ。
……駄目だこりゃ。完全に切れてるわ。
今ならこいつが狂気の兎と呼ばれた意味も良く分かる。
瞳がどうこうという以前に、普通に色々な部分が壊れてるんだ。
「……さて、霊夢」
「は、はい」
「死ね」
「って、え、ちょい待ちなさいってば! 普通、遺言とか聞いておくんじゃないの!?」
「じゃあ聞くわ。30文字以内ね」
「と、とりあえず話し合いましょう! 私達はおっぱい愛好家の同志として……」
「はい、30文字。じゃ、さよなら」
そう言うと鈴仙は、指先に霊力を集中して行く。
最初は米粒くらい光が徐々に大きくなり、ついには顔ほどもある巨大な座薬……じゃなくて弾丸へと変化していた。
そして、まったく躊躇うことなく、それを私に向けて撃ち放った。
この時、私の取るべき最善の行動は、全力での回避か、防御結界の展開だったのだろう。
しかし、そのいずれの行動も、背中の紫を放り捨てないと実現不能なものだ。
別にそれくらいは大した問題じゃ無い……そう分かっていても、一瞬だけ躊躇ってしまう。
……そして私は、その僅かなタイムロスにより、避けるタイミングも、防ぐタイミングも失った。
巨大な弾丸が向かってくる様子が、まるでスローモーションのように映る。
でも、そう見えるというだけで、身体はピクリとも動かなかった。
嗚呼……私は一人、見知らぬ外界の孤島で、こんな間抜けな死に様を晒すのね。
紫の馬鹿、何が死ぬ時は私の膝の上よ。
これじゃまるっきり逆じゃないの。
「一人じゃないわよーーーーーーーーーーーっ!!」
その瞬間だった。
何処かで聞いたソプラノボイスが響いたかと思うと、私の視線を塞ぐように、一つの影が砂浜に降り立ったのだ。
……いや、正確には、半分と半分の影が。
「弾幕……白刃取りぃいっ!!」
「なにィ!」
「そんな!?」
「馬鹿な!」
「美しい……!」
次の瞬間。眼前の有り得ない光景に、兎達が口々に驚きの声を上げていた。
ちなみに最後の台詞は、鈴仙本人のものだったりする。
私はというと、驚くと言うより、むしろ呆れのほうが先に立っていた。
何しろそいつは、本当に両の掌のみで弾幕を挟み止めていたのだ。
普段のような情けなさは微塵も見られない、自信に満ち溢れた表情で。
「あち、あち、あちっ! そして痛い!」
とか思ってたところを、瞬時に地面をローリングし始めたのを見て、一安心。
良かった。いつものドジっ娘だ。
「はぅ、ふぅー、うー、やっぱりこんな曲芸やるものじゃないなぁ……」
「……よ、妖夢! なんであんたがここに!?」
「や、鈴仙。こんにちは」
「あ、うん、こんにちは」
二人は同時に、ぺこりと頭を下げた。
状況にまったくそぐわない、間抜けな光景だったけど、それがかえって私に安堵感を覚えさせる。
ああ、生きてるって何て素晴らしいんだろう。
「……って、挨拶はどうでもいいの! 何だってここにいるのかって聞いてるのよ!」
「あれ、言わなかったっけ?」
「聞いてない」
「そっか。じゃ、改めて……。
我が名は、冥界は白玉楼が庭師、魂魄妖夢! 故あって博麗霊夢殿の助太刀に参った!」
妖夢は口上を述べると、派手な背景効果を伴ったいつものスローモーションポーズを決めていた。
前に会った時は、もう少し控えめな性格だったような気がするんだけど、
まあ半年毎にキャラが変わるような奴だし、それは別に大した事じゃない。
出発前に私が見立てた水着を着ていることも気になったけど、この際置いておく。
それよりも問題なのは……。
「ええと、とりあえず助かったし、礼は言っておくわ。
……でも、一つだけ聞いて良い?」
「何?」
「……なんであんた、素手なのよ」
「え? だって、潮風に当たったら錆びちゃうし……」
おーのー。
幽霊十匹殺せたり、迷いを断ち切ったりは出来ても、その辺は普通の刀なのね。
……役に立たないわねぇ。
しかもそのポーズ、剣が無いと阿波踊りにしか見えないんだけど、その辺は分かってやってるんだろうか。
「泡踊り……? 妖夢がっ!?」
「ええい、ややこしいから黙らんかい!」
我に返ったかと思った鈴仙が、私の思考という名の独り言一つで、またダメな方向に壊れていた。
このエロウサギ。本当にどこまで行ってしまうつもりなんだろう。
「鈴仙、鈴仙ってば」
「何よ、てゐ。私は今、妄想で忙しいのよ」
「妄想もいいけど、とりあえず現実を見てみるべきじゃないかなぁ」
「? ……あー、そうね。今は師匠の仇を討つ時よね」
「うん。ぶっちゃけ私はもうどうでも良くなってきたんだけどね」
「ふふっ、こんな時だけは正直なのね」
鈴仙は、笑顔でてゐの頭を撫でたかと思うと、瞬時に表情を切り替えて、再び私へと指先を向けた。
正確には、私の前に立っている妖夢へと。
でも、依然として、場の空気は弛緩したままだったから、何の不安も無い。
理由? 言うまでもないでしょ。
「ふん。一人が二人に増えた所で、状況は変わらないわ。
妖夢。悪いけど、貴方の加勢は全くの無駄よ」
「一人が二人……援軍の数はそんなに少ないと思って?」
「……それ……私の……台詞……持っていかないでー……」
「何ですって? ……まさか!」
私の背中の辺りから発された寝言は華麗にスルーされた。
鈴仙は、妖夢の見ている方向……海へとに視線を送り、そして、ものの見事に固まる。
いや、鈴仙のみならず、私を除いた浜辺の全員が、強制的に硬直させられていた。
明らかに一角だけ、ドス黒いオーラに包まれている海面。
そして、ゴジラのテーマと思わしき重低音サウンドを鳴り響かせつつ、ゆっくりと浮上してくる一つの影があった。
……なんて遠回しに表現しなくても、誰だって分かるわね。
妖夢がいて、こいつが来てない筈も無いんだし
「シュコー……ふ~……シュコー……な~……シュコー……ゆ~う~……シュコー」
「鬱陶しいわっ! ネタなら外してからやりなさいっ!」
「シュコー……ああ……シュコー……それも……シュコー……そうね……シュコー」
そいつ……というか幽々子は、強制的に引ん剥いてやりたくなるようなのんびりとした速度で、
身に纏っていたダイビング用品一式を脱ぎ外しして行く。
しかも、肝心のレギュレーターが後回しのせいで、呼吸音がやかましくて仕方が無い。
というか、亡霊の分際で酸素補給が必要なのが謎だ。
「……ふぅ。偶には人間になりきっての海中散歩も乙なものね」
……まあ、露になった水着姿を見ると、案外、酸素とかも必要なのかもと思えたり。
同じ事を考えていたのか、鈴仙もまた、私と同じ部位を凝視している。
狂気の瞳も、凶器のおっぱいの前には無力という事かしら。
「幽々子……やっぱりあんたも来てたのね。でも、どうやってここに?」
「え? 亡霊の私が海から現れるのは当然でしょう?」
「それで船幽霊なのね……じゃなくて、もっと根本的な所を聞いてるんだけど」
何故かは分からないけど、とにかくこいつらは、私を助けに来てくれたらしい。
窮地に追い込まれていたのは確かだし、そこはとりあえず感謝しておく。
……でも、ここは幻想郷ではなく、エーゲ海の孤島。
いくら幽霊は神出鬼没が常と言っても、流石に無理のある場所ではないだろうか。
「ならば教えてあげましょう……じゃーん。スペアスキマーっ」
「……」
ニコニコ笑顔で、リボン付きの紐のようなものを取り出した幽々子の姿に、
私の突っ込みに賭ける気力は、完全に失われた。
その代わりに、背中で呻いている物体に、後頭部ヘッドバットをかましておく。
「……ふごっ……」
一声呻くと、再び紫は沈黙した。
多分、鼻血も出ただろうけど、気にしない。
ただでさえ世界観崩壊が進んでるのに、更に加速させてどうすんのよ、馬鹿。
……嫉妬じゃないわよ、多分。
「あらあら、ただでさえズタボロで見るに耐えない姿なのに、止めも刺しちゃうの?」
「頑丈かつ回復力も高いから、これくらい何とも無いわよ。それはあんたも良く知ってるでしょ」
「まぁね。……でも、流石に暫くは動けなさそうね。
という訳で、ここは私達に任せて、さっさと尻尾を巻いてお逃げなさい」
そう言うと幽々子は、スペアスキマとやらから、お馴染みの二丁扇子を取り出し、構えた。
腐っても大物のオーラか、途端に兎たちに緊張の色が現れ始めた。
そして妖夢もまた、幽々子に倣うように戦闘態勢に入る。
素手でどう戦うつもりなのかは知らないけど、まあ何か考えがあるんだろう……と思いたい。
「聞きたいことは色々あるだろうけど、それはまたの機会にね。
とりあえず、私は貴方達の味方であると思ってくれれば、それで良いわ」
「そして、幽々子様の味方という事は、私の味方であると同義。分かった?」
「……」
何時もなら、間違いなく疑っていただろう。
でも、今だと何となく分かる。
二人の言っている事は、紛れも無い本心だと。
……まあ、そうでも無ければ、わざわざこんな所まで出張しては来ないだろう。
登場のタイミングを計って現れるのはどうかと思うけど。
「分かったわ……でも、あんた達だけで、本当に大丈夫なの?」
「武装も無ければ、地の恩恵も無く、更に大荷物まで背負ったような奴がいても余計に迷惑だ。
下らない事を気にしてないで、早く行くのよ」
「そゆこと。それに、この作者の設定だと、永夜抄は私達がクリアした事になっているから安心して」
「そういう楽屋裏的な台詞は止めなさいって。というか、妖夢だって武装してないじゃないの」
「愛があれば大丈夫!」
力強く宣言すると、ぐっ、と青春の握り拳を作る妖夢。
まさか、逆水平チョップやラリアットで全員薙ぎ倒すつもりなんだろうか。
幽々子と組んでいるときのこいつは、ある意味別人だし、それも在り得るのが怖い所だ。
「うう……脳が……脳が痛いわ……」
「あ、姫、いたんですか」
「自ら撃ち殺しておいて、その冷淡な反応。鈴仙ちゃん、兎だけに一皮剥けたわね」
「誰が上手い事言えといったの。……というか、何で貴方が登場前のシーンまで知ってるの?」
「見てたから」
「え、幽々子様? どうして斧なんて……」
「ま、まさか、その斧は伝説の!?」
「なにーっ! 知っているのか、イナバっ!」
「伝説の木を切り落とした、由緒ある斧ですよ。イーベイで19.95$だったとか何とか」
「問い詰める気すら起きない大嘘ご苦労様。そう言えば貴方もイナバだったわね」
「えへへ、それほどでも」
「褒めてないから」
……この様子なら、別の意味で大丈夫そうね。
私達の存在、もう忘れられてるっぽいし。
というか、私の一人称で進む話なのに、何故にこうも毎回、蚊帳の外に置かれてしまうんだろう。
まあ、今の状況では好都合だけど。
「ほら、紫。今のうちに逃げるわよ」
「ウフフ……ファイト……ダンマクファイト……タノシイネ……」
紫には、典型的なパンチドランカーの症状が現れていた。
気絶したままとどっちがマシなのか、かなり微妙なラインね。
「弾幕してないでしょ。ほら、いい加減目覚めなさいって」
「……鼻からうどん……?」
「……駄目だこりゃ」
紫をここまでアホの子にしてしまうとは……あの殴り合い、本当に紙一重だったのね。
まあ、その永琳は、遥か彼方までふっ飛ばされたんだけど、それでもまだ安心は出来ない。
あいつなら大気圏外からでも射撃を仕掛けて来かねないし。
「うー……これ、本当に大丈夫なんでしょうね……」
私は不安を押し殺しつつ、紫を背負ったままスペアスキマへと足を踏み入れる。
もう、こうなれば、後は野となれ山となれだ。
それにしても……。
『鈴仙ーーーーーーーーーっ!!』
『妖夢ーーーーーーーーーっ!!』
『まさか……そんな!』
『これが、うどみょんの真実……!』
『ラピュタは本当にあったのね!』
『兎は寂しいと死んじゃうんだもの……』
『え、中まで!?』
……どうしてこいつらは、やたらと気にかかる台詞ばっかり、残してくれるんだろう。
「よっ、と」
ざぶん、と勢い良く海面にエントリー。
少し痛いくらいだったけど、それすら心地よく感じられる。
……マゾって言うな。
「元気ねぇ」
「誰かさんみたいに、殴り合いなんてしてないからね」
水面にぷかぷかと浮かんでは、赤く染まり始めた空を眺める紫。
既に完全に回復しているようで、あの戦闘による影響はまったく見て取れなかった。
辺りには、私達以外の人影は無い。
と言っても、ここはインド洋でもなければエーゲ海でもない、名も無き日本の無人島だったりする。
あれだけ世界を行脚しておいて、最終的に辿り着いたのが日本というのが、何となく間抜けだ。
……まあ、らしいとは思うけど。
「もう……悪かったって言ってるじゃないの」
「分かってるわよ。言ってみたかっただけ」
別に怒っている訳じゃない。
とりあえずの目的……避暑は一応果たせた訳だし、変態ビーチバレーも、あれはあれで結構楽しかった。
そして、海水浴のほうも、今こうして満喫出来ている。
確かにもう少しのんびり楽しみたかったというのはあるけど、騒がしくあるのもまた、私の日常。
文句こそ付けても、こういうものなのだから仕方ないと、どこか達観して見ていたのが、本当の所だ。
「でもさ、紫。どうしてあんた、あんなにムキになって突っかかったりしたの?」
ただ、その点だけは疑問だった。
私の自惚れでないのなら、少なからず紫も、私と海に来ることを楽しみにしていたはず。
なのに、その機会を自らの手で打ち壊してしまうというのは、いかにも解せない。
「うーん……話せば長くなるんだけど……」
「……どれくらい?」
「塗仏の宴程度かしら」
「長っ!」
そんなの全部聞いてたら、日が暮れるどころかここに住み込む必要がありそうね。
流石に外界で日を跨ぐ気にはなれないし、そもそも、どこまでが関係のある話なのか疑問だ。
「まあ、簡単に言うなら、矜持って奴かしら」
「矜持……」
境界を操るものとして、己の領分への侵食を許せなかったという意味だろうか。
それとも、密かに幻想郷最強妖怪決定戦でも行われてたのかな。
……まあ、それは無いか。幽香が出張って来てないし。
となると……。
「……おっぱい?」
「は?」
「あ、いや、ノイズ、ただのノイズよ」
「……変な子ねぇ」
「あんたにだけは言われたくないわ」
いけない、またしても思ったとおりに口走ってしまった。
もしかして、巨乳は巨乳同士で確執があるのでは。とか想像した自分が凄く間抜けだ。
……本当にそうだったらどうしよう。
「ともかく、もう決着は付いたから安心していいわよ」
「って言われてもね……あの時、幽々子達が来なかったら、私も危ない所だったのよ?」
「あう……」
言いながら、そのことを思い出した。
あいつらは今もまだ、海の向こうでバトルロイヤルを繰り広げているんだろうか。
もしくは、弛緩した空気そのままに、バーベキュー大会でも開いているのかも。
そもそも、吹っ飛ばされた永琳は、無事帰還出来たのか。
……私が考えても仕方ないことね。
「ま、もうそれは良いわ。過ぎた事に拘るのは無意味だものね」
「そ、そうよ、終わりよければ全て良しよ」
「……で、あのスペアスキマとやらは何のつもり? これは、過ぎた事じゃないわよ?」
「……」
すると、紫は無言で、海中へと沈んでゆく。
無論、それを私が許すはずもなく、沈みきるよりも先に、手を掴んで強引に引っ張り上げる。
「今時タイタニックごっこ?」
「や、やめて、今は顔見られたくないの」
「その台詞を出す場面じゃないでしょ。……つーか、逃げるって事は、あんたも後ろめたく思ってるのね」
「うー……」
こいつが幽々子にとことん甘いのは、今更言われるまでもなく知っている。
そこに、現在進行形じゃない感情が含まれている事も、詳細はともかくとして、何となくは気付いてる。
……でも、そういう問題じゃない。
「封印しなさい。すぐに」
「……一応、理由を聞かせてくれる?」
「これ以上境界をあやふやにされるのは御免だから。幽々子に境界の力を使いこなせると思えないから。
このシリーズからギャグ要素が消えたとき厄介になりそうだから。……いくらでも言えるけど?」
「……」
適当に並べ立ててみたけど、実のところ私が問題視してるのは他の点。
それは……。
「……ともかく、私は気に食わないの。分かった?」
「ほほぅ……」
途端、紫にいつもの怪しげな笑みが戻る。
……拙い、感付かれたかも。
「な、何よその顔」
「別にー。まあ、そう言うのなら、大人しく封印するわ。霊夢の頼みだもの」
「……頼みじゃなくて命令よ」
意図的に口癖を使うところを見ると、やはり気付かれたみたい。
これ以上、私の知らないところで、幽々子と関係を持って欲しく無かったという本音に。
……意外と私って、独占欲が強いのかも。
「あ、そうだ。良ければ新しいものをプレゼントしましょうか。
霊夢ならきっと使いこなせるはずよ」
「あんた、本当に私の話聞いてたの?」
「聞いてるわよー。一言一句漏らさずにね」
「……ともかく、私にはそんなもの必要ないわ」
「どうして?」
「……」
距離が近いせいか、紫の考えている事が、何となく分かった。
多分、私が恥ずかしがって言えない様を眺めたいんだろう。
……でも、お生憎さま。
もう、この程度で口篭るほど、私の抱いている感情はあやふやなものじゃないのよ。
「あんなものがあったら、紫が私と会う理由が無くなっちゃうじゃないの。そんなの御免よ」
「……」
ぽかん、と口を開ける紫の姿に、僅かながらに溜飲が下りる。
でも、この程度では済ませない。
「それとも、もう紫は私と顔を合わせたくもないの?」
「……」
「もし、そうだとしても、絶対に許さないけどね。
……約束、したでしょ」
「……ええ、ごめんなさい。馬鹿な事を言ったわ」
……よし、勝った。
勝ち負けの問題じゃ無いけど、とにかく勝った。
そして勝利者である私は、敗者に対してある権利を試行する。
何の権利かは言わない。
……というか、物理的に喋れないんだけどね。
それから数日後。
やつれ切った幽々子と妖夢が、憤怒の形相で博麗神社に押しかけてきた。
何でも、あの時言った事はすべて撤回させて貰う、だとか。
……そういえばあの二人って、スペアを封印したら、帰る手段がまったく無かったわね。
100kb、お疲れ様でした。
甘ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!
ただちょっと今回はだれ気味だった気がします。
かなりマイナーなネタも入ってますなぁ。まあ腋巫女が800HP程度で死にはしないと思いますけど。
姓←えっと、誤字かなあ? 違ったらごめんなさい。
あと、>>「うう……脳が……脳が痛いわ……」
もしやゴステロ!
リ超ウルトラアルゼンチンバックブリーカーで投げてくれると思ってたのに。
アスパラッ!?
盛大に吹いてしまったwww
だめだッ!!霊夢ぅぅぅぅッ!!!
離脱だよ! 突入前に墜落するのは天体構成上物理的に不可能だよ!
あと1ヶ所「同性」が「同姓」になってました。
当たる前に当てる云々でマクレミッツさんちのアレを思い浮かべたのは持病です。
行動と結果が伴わないけれど。
とりあえず、ゆかれいむ。
妬きもち霊夢がかわいすぎるっ!!!!
ゆかりんとえーりんの因縁が気になるなぁ。