どこに向かっているのと彼女が訪ねた。
どこに向かっているのか、メリー自身にもよく分からなかった。
ただ、空に浮かんだ満月が綺麗だったから、月を目指していると答えた。
なぜそう答えたのかは、メリー自身にもよく分からなかった。
ただ――星は無限で、月は独りで。
その姿が、マエリベリー・ハーンにとっては、とても美しいものに感じたのだ。
意味のない、理由のない言葉に、彼女は。
蓮子は、驚くことも嘲ることもなく、「そう」と答えた。
その何気ない答えが嬉しくて。ただ嬉しくて。
メリーは微笑んで、「今日は月見をしましょう」と誘った。
――ベリー・メリー・レプラコーン――
月は墓穴だらけだった。
月面に存在する、無数を越え無限に近付きそうな数のクレーター。
大きさも様々。形も様々。
ただただ、何もない月面に、ぽっかりと穴が開いているだけだ。
その穴の一つ一つが、違う世界に通じているような気がして、メリーは微笑んでしまう。
想像してみると、それは中々に愉快な光景だった。
ウサギが穴に落ちる。
そして、月のウサギとなって、穴から出てくるのだ。
不思議の国のアリスに出てくる時計ウサギも、穴に飛び込んだ。
その穴が――月面に繋がっていたら。
少女アリスは、トランプの兵隊の代わりに、火星人と手を繋いだだろう。
ドジスン先生が、もしもロケット工学を専攻していたら。
黄金色の河でのお話が、もしも月星輝く夜ならば。
アリスはきっと、宇宙にいったに違いない。
月でウサギと餅をついたに違いない。
地球なんて捨てて、月よりもさらに果て、世界の彼方へと行ったことだろう。
メリーは、そんなことを思わずにはいられなかった。
なぜならば――
「メリー! メリー! あれは何よ?」
楽しそうに笑いながら、蓮子が月を指差す。
指が示すのは、二人の先に浮かぶ、丸い月。
「月よ、もちろん」
メリーは自信満々に答えるが、蓮子は「違う違う」と腕を振り、
「私が言ってるのはそういうことじゃないのよ。あれが何に見えるかって、そういう話」
なんだ、そういうことね――メリーは頷いて、
「火炙りになったウサギ」
「……何、その悪趣味な答えは?」
「見えない……かしら?」
「見えないわね、全然」
無惨で無常な蓮子の意見。
なら貴方はどうなのよ、という視線で蓮子を見ると、彼女は空を見上げて、
「懐中時計に見えるわね」
なんて、あっさりと嘯いた。
「蓮子。そう見えるのは、貴方だけだと思うわよ」
「ウサギが餅をついてるように見えるのも、誰か一人だけかもしれないわね。あとの人は、皆信じているだけで」
「それは面白い想像ね」
皮肉ではなく、メリーは素直に頷いた。蓮子の言葉を噛み砕けば、それは確かに『面白い』ことだった。
月にウサギが見えているのではなくて。
誰かがウサギに見えるといったから、皆ウサギが見えると思い込んでいるのだと、蓮子は言うのだ。
それは深く考えるまでもなくある種の皮肉で――だからこそ、蓮子らしかった。
メリーが微笑んだのは、その『らしさ』が、とても蓮子らしいと思ったからだ。
空を見上げれば満月。
遠く離れた月には、不思議な影絵が踊っている。
三十八万の距離を隔てた、不思議な世界。
誰もが見知っているけれど、だれも到達していない、本当の月。
メリーと蓮子は今、手をつないで、そこを目指して歩いている。
否――目指してすら、ないのかもしれない。
二人はただ、手を繋いで歩いているだけで。
二人の視線の先に、ただ月があるだけで。
月に辿り着くことなく、ただ追いかけているだけなのかもしれない。
それでも悪くない――メリーがそう思うのは、月があまりにも綺麗で。
「……。メリー、何、その顔?」
「別に。なんでもないのよ」
隣に、蓮子がいるからなのだろう。
秘封倶楽部。
オカルトサークルというよりは、不思議の世界を覗き見るサークル。
おどろおどろしいものばかりではない――たまにはこんな、静かな夜があっても悪くは無い。
月と蓮子を見比べて、メリーはそう思うのだ。
「ねぇメリー。人間は月にたどり着けると思う?」
「きっともうたどり着いてるわよ」
「…………?」
首を傾げる蓮子に、メリーは笑って、
「猿の惑星、よ」
「……。そういう悪趣味で、意味のない言葉遊びって、メリー好きよね」
「それは褒められてるのかしら? それとも――」
「聞かぬが華、という言葉をあげるわ、メリー」
「聞かぬは一時の恥、じゃ駄目なの?」
「それはまた、まったく意味が違う別の言葉よ」
蓮子はため息を吐いて、仰々しく肩をすくめた。
わざとらしいその仕草が、妙に様になっていて、メリーはまた笑ってしまう。
笑む口元を隠すメリーを見つめ、蓮子も苦笑する。
「なぜ月に行きたがるのかしら?」
「少なくともコンビニに行くよりはロマンがあるからでしょうね」
「なぜロマンを求めるのかしら?」
「ロマンくらいしか、求めるものが残ってないからね」
蓮子の答えに、メリーはくすくすと笑って、
「物が多すぎるのね?」
「いいえ、者が多すぎるのよ、きっと」
「価値観の多様性?」
「地球は狭くなってない。人の心が狭くなったのよ」
「でも蓮子。心の中は、どこまでも広がってるわよ?」
「そこを見るのが怖くて、外ばかり見てるから――窮屈になるのよ」
「でも、見られるのが好きな人が多いのは?」
「それこそ猫よ、箱の中の猫」
「最後に残った一人は、誰が見てくれるの?」
「きっと月が見てくれるわよ」
そこで言葉をきって、蓮子は月へと手を振った。一拍遅れて、メリーも同じように手を振る。
何の意味もない行動。月が手を振り替えしてくることも、挨拶をしてくることもない。
けれども、意味のないことをする意味は、きっとあるのだ。
本人がそう願うかぎり。
「月は遠いわね」
「隣の人の心と、どちらが遠いかしら?」
答えを期待したわけではなかった。
ただの独り言のようなものだった。
けれど――隣を歩く蓮子は、メリーの言葉に応えた。
言葉ではなく、行動で。
まるで距離などないかとでも言うように、より強く握ったのだ。
手から伝わる、蓮子の温もり。
メリーは少しだけ目を丸くして――それから、蓮子と同じように。
手を、強く握り返した。
自分の思いが蓮子に届けばいい、そう願いながら。
メリーは何も言わずに笑う。 蓮子も黙ったまま、笑う。
繋いだ手はわずかに温もりを伝えてきて、それだけで、どんな場所へでもメリーは行けるような気がした。
そう――たとえそこが、月であったとしても。
二人ならば。
秘封倶楽部ならば、軽々行けるのではないか――メリーは、そう思うのだ。
「ねぇ、蓮子」
「なによメリー」
「月。綺麗ね」
それは、何の意味もない、素直な感想で。
嘘偽りのない、メリーの本音だった。
たとえ空に浮かぶあの月が、恐ろしい狂気だとしても――
蓮子と視るのならば、それは楽しい月見でしかない。
そう思うのだ。
そう思える自分が、メリーは少しだけ好きだった。
「そうね。怖いくらいに綺麗な月」
蓮子が、手を繋いだまま空を見上げて答えた。
メリーも、同じように、空を見上げる。
いや――
それは、空ではなかったのかもしれない。
そもそも、メリーには、今、ここがどこなのか――そしてそこがどこなのか、よくわからなかった。
蓮子に聞けばわかったのかもしれないけれど、聞こうとは思わなかった。
今日は月見。
それ以外のことは、全て些事だ。
そう。
たとえ開いた襖の向こうに、大きすぎる月が見えるとしても――それは、些事なのだ。
繋いだ手と、月の美しさが、今は全て。
「本当に――綺麗ね」
独り言のように呟いて、メリーは手を繋いだまま、ゆっくりと歩く。
どこまでも続くかのような、月にまで続くかのような道を。
畳と障子と襖と板床で出来た、月へと続く坂道を。
日本家屋の無限階段を、メリーと蓮子は、どこまでも進む。
襖の向こうには、不思議なほどに近く、宇宙がある。
その向こうには月。
その周りでは――常に動き続ける、無数の星の輝きがある。
まるで、常に星が生まれでているかのように、大小彩様々な星が流れている。
普通の宙ではあり得ない、幻想的な光景。
そんなものが普通の空ではないことを蓮子は気付いているし、
空に浮かぶ月が、『本物』だということをメリーは見えている。
だからこそ――空と月はどこまでも美しく。
秘封倶楽部の月見は、どこまでも幻想的だった。
(了)
どこに向かっているのか、メリー自身にもよく分からなかった。
ただ、空に浮かんだ満月が綺麗だったから、月を目指していると答えた。
なぜそう答えたのかは、メリー自身にもよく分からなかった。
ただ――星は無限で、月は独りで。
その姿が、マエリベリー・ハーンにとっては、とても美しいものに感じたのだ。
意味のない、理由のない言葉に、彼女は。
蓮子は、驚くことも嘲ることもなく、「そう」と答えた。
その何気ない答えが嬉しくて。ただ嬉しくて。
メリーは微笑んで、「今日は月見をしましょう」と誘った。
――ベリー・メリー・レプラコーン――
月は墓穴だらけだった。
月面に存在する、無数を越え無限に近付きそうな数のクレーター。
大きさも様々。形も様々。
ただただ、何もない月面に、ぽっかりと穴が開いているだけだ。
その穴の一つ一つが、違う世界に通じているような気がして、メリーは微笑んでしまう。
想像してみると、それは中々に愉快な光景だった。
ウサギが穴に落ちる。
そして、月のウサギとなって、穴から出てくるのだ。
不思議の国のアリスに出てくる時計ウサギも、穴に飛び込んだ。
その穴が――月面に繋がっていたら。
少女アリスは、トランプの兵隊の代わりに、火星人と手を繋いだだろう。
ドジスン先生が、もしもロケット工学を専攻していたら。
黄金色の河でのお話が、もしも月星輝く夜ならば。
アリスはきっと、宇宙にいったに違いない。
月でウサギと餅をついたに違いない。
地球なんて捨てて、月よりもさらに果て、世界の彼方へと行ったことだろう。
メリーは、そんなことを思わずにはいられなかった。
なぜならば――
「メリー! メリー! あれは何よ?」
楽しそうに笑いながら、蓮子が月を指差す。
指が示すのは、二人の先に浮かぶ、丸い月。
「月よ、もちろん」
メリーは自信満々に答えるが、蓮子は「違う違う」と腕を振り、
「私が言ってるのはそういうことじゃないのよ。あれが何に見えるかって、そういう話」
なんだ、そういうことね――メリーは頷いて、
「火炙りになったウサギ」
「……何、その悪趣味な答えは?」
「見えない……かしら?」
「見えないわね、全然」
無惨で無常な蓮子の意見。
なら貴方はどうなのよ、という視線で蓮子を見ると、彼女は空を見上げて、
「懐中時計に見えるわね」
なんて、あっさりと嘯いた。
「蓮子。そう見えるのは、貴方だけだと思うわよ」
「ウサギが餅をついてるように見えるのも、誰か一人だけかもしれないわね。あとの人は、皆信じているだけで」
「それは面白い想像ね」
皮肉ではなく、メリーは素直に頷いた。蓮子の言葉を噛み砕けば、それは確かに『面白い』ことだった。
月にウサギが見えているのではなくて。
誰かがウサギに見えるといったから、皆ウサギが見えると思い込んでいるのだと、蓮子は言うのだ。
それは深く考えるまでもなくある種の皮肉で――だからこそ、蓮子らしかった。
メリーが微笑んだのは、その『らしさ』が、とても蓮子らしいと思ったからだ。
空を見上げれば満月。
遠く離れた月には、不思議な影絵が踊っている。
三十八万の距離を隔てた、不思議な世界。
誰もが見知っているけれど、だれも到達していない、本当の月。
メリーと蓮子は今、手をつないで、そこを目指して歩いている。
否――目指してすら、ないのかもしれない。
二人はただ、手を繋いで歩いているだけで。
二人の視線の先に、ただ月があるだけで。
月に辿り着くことなく、ただ追いかけているだけなのかもしれない。
それでも悪くない――メリーがそう思うのは、月があまりにも綺麗で。
「……。メリー、何、その顔?」
「別に。なんでもないのよ」
隣に、蓮子がいるからなのだろう。
秘封倶楽部。
オカルトサークルというよりは、不思議の世界を覗き見るサークル。
おどろおどろしいものばかりではない――たまにはこんな、静かな夜があっても悪くは無い。
月と蓮子を見比べて、メリーはそう思うのだ。
「ねぇメリー。人間は月にたどり着けると思う?」
「きっともうたどり着いてるわよ」
「…………?」
首を傾げる蓮子に、メリーは笑って、
「猿の惑星、よ」
「……。そういう悪趣味で、意味のない言葉遊びって、メリー好きよね」
「それは褒められてるのかしら? それとも――」
「聞かぬが華、という言葉をあげるわ、メリー」
「聞かぬは一時の恥、じゃ駄目なの?」
「それはまた、まったく意味が違う別の言葉よ」
蓮子はため息を吐いて、仰々しく肩をすくめた。
わざとらしいその仕草が、妙に様になっていて、メリーはまた笑ってしまう。
笑む口元を隠すメリーを見つめ、蓮子も苦笑する。
「なぜ月に行きたがるのかしら?」
「少なくともコンビニに行くよりはロマンがあるからでしょうね」
「なぜロマンを求めるのかしら?」
「ロマンくらいしか、求めるものが残ってないからね」
蓮子の答えに、メリーはくすくすと笑って、
「物が多すぎるのね?」
「いいえ、者が多すぎるのよ、きっと」
「価値観の多様性?」
「地球は狭くなってない。人の心が狭くなったのよ」
「でも蓮子。心の中は、どこまでも広がってるわよ?」
「そこを見るのが怖くて、外ばかり見てるから――窮屈になるのよ」
「でも、見られるのが好きな人が多いのは?」
「それこそ猫よ、箱の中の猫」
「最後に残った一人は、誰が見てくれるの?」
「きっと月が見てくれるわよ」
そこで言葉をきって、蓮子は月へと手を振った。一拍遅れて、メリーも同じように手を振る。
何の意味もない行動。月が手を振り替えしてくることも、挨拶をしてくることもない。
けれども、意味のないことをする意味は、きっとあるのだ。
本人がそう願うかぎり。
「月は遠いわね」
「隣の人の心と、どちらが遠いかしら?」
答えを期待したわけではなかった。
ただの独り言のようなものだった。
けれど――隣を歩く蓮子は、メリーの言葉に応えた。
言葉ではなく、行動で。
まるで距離などないかとでも言うように、より強く握ったのだ。
手から伝わる、蓮子の温もり。
メリーは少しだけ目を丸くして――それから、蓮子と同じように。
手を、強く握り返した。
自分の思いが蓮子に届けばいい、そう願いながら。
メリーは何も言わずに笑う。 蓮子も黙ったまま、笑う。
繋いだ手はわずかに温もりを伝えてきて、それだけで、どんな場所へでもメリーは行けるような気がした。
そう――たとえそこが、月であったとしても。
二人ならば。
秘封倶楽部ならば、軽々行けるのではないか――メリーは、そう思うのだ。
「ねぇ、蓮子」
「なによメリー」
「月。綺麗ね」
それは、何の意味もない、素直な感想で。
嘘偽りのない、メリーの本音だった。
たとえ空に浮かぶあの月が、恐ろしい狂気だとしても――
蓮子と視るのならば、それは楽しい月見でしかない。
そう思うのだ。
そう思える自分が、メリーは少しだけ好きだった。
「そうね。怖いくらいに綺麗な月」
蓮子が、手を繋いだまま空を見上げて答えた。
メリーも、同じように、空を見上げる。
いや――
それは、空ではなかったのかもしれない。
そもそも、メリーには、今、ここがどこなのか――そしてそこがどこなのか、よくわからなかった。
蓮子に聞けばわかったのかもしれないけれど、聞こうとは思わなかった。
今日は月見。
それ以外のことは、全て些事だ。
そう。
たとえ開いた襖の向こうに、大きすぎる月が見えるとしても――それは、些事なのだ。
繋いだ手と、月の美しさが、今は全て。
「本当に――綺麗ね」
独り言のように呟いて、メリーは手を繋いだまま、ゆっくりと歩く。
どこまでも続くかのような、月にまで続くかのような道を。
畳と障子と襖と板床で出来た、月へと続く坂道を。
日本家屋の無限階段を、メリーと蓮子は、どこまでも進む。
襖の向こうには、不思議なほどに近く、宇宙がある。
その向こうには月。
その周りでは――常に動き続ける、無数の星の輝きがある。
まるで、常に星が生まれでているかのように、大小彩様々な星が流れている。
普通の宙ではあり得ない、幻想的な光景。
そんなものが普通の空ではないことを蓮子は気付いているし、
空に浮かぶ月が、『本物』だということをメリーは見えている。
だからこそ――空と月はどこまでも美しく。
秘封倶楽部の月見は、どこまでも幻想的だった。
(了)
上手いです
なんかいい方法はないんかな
話自体はとてもよかったっです