この季節になると、何かを思い出しそうになる。
それがいったいなんだったのか、今はまったく思い出せない。
思い出せないほど、どうでも良いことなのだろう。
でも、どうでも良いことでも気になるのは気になる。
微かに覚えているのは、確か――光の群れ。
幾十、幾百、幾千もの光が列を成してどこかへ向かっていく光景。
どこで見たかはわからない。
それがなんなのかもわからない。
夢か現実かもわからない。
だから、あたいはあてもなく空を飛ぶんだ――。
☆
夏の博麗神社。
この神社は幻想郷一四季の変化が著しい場所である。
故に春は、幻想郷一桜が見事に咲き誇り、宴会が開かれる。
また秋は、幻想郷一月が美しく眺められ、宴会が開かれる。
しかし夏は幻想郷一暑くなるし、冬は幻想郷一寒くなるのだ。
それでも人妖は遊びに来るが。
そんな幻想郷一暑い博麗神社の裏手。
そこには、この神社を管理している――はず――の巫女が住む住居がある。
その縁側で水桶に足を突っこみ、涼を得ている博麗の巫女、博麗霊夢がいた。
ぎらぎらと照りつけてくる陽射しは軒が遮断してくれてはいる。
しかし土も大気もしっかり温められた、現在の気温は「暑い」の前に
「超」や「激」、もしくは「めがっさ」などが付けられる程に酷いものだ。
簡単に言えば、水桶程度で凌ぐことのできる暑さではないということ。
しかし霊夢の顔には苦渋の色は浮かんでおらず、それどころか文字通り涼しげな表情を浮かべている。
「やっぱり幽霊も良いけどコレがあると夏でも快適ね」
余裕の霊夢は近くにある“コレ”をぽんと叩く。
そこには霊夢とは対照的に、暑さでのたれ死に掛かっているチルノの姿があった。
霊夢に冷房代わりとしてこき使われている、というわけではない。
昼寝をする場所を提供するという交換条件で、霊夢の傍で寝ているのだ。
それならばもっと室内にいればよいものだが、霊夢曰く――
「お茶は縁側で飲むものよ」
だそうだ。
お茶に関しては異常なまでの拘りと執着を見せる霊夢のポリシーの一つなのだろうか。
故に霊夢は縁側に座り、熱いお茶を飲みながら、チルノで涼んでいるというわけである。
チルノもそんなことならもっと別の場所で昼寝をすればよいものだが、
このくそ暑い中を移動するのはもっと面倒らしい。
それで暑さで溶けかかっているのだから、目も当てられないのだが。
霊夢は軒先から覗く空へと視線を動かす。
白い雲がゆったりとした速度で動いているのが見えた。
時の流れをゆっくりと感じられるひとときである。
「そこにお茶と茶菓子とくれば、これ以上の幸せはないわよねぇ」
心底嬉しそうに顔を惚けさせながら言う霊夢。
今日の茶菓子は見た目も涼しい水羊羹だ。
さじで切り分け、口へと運ぶ。
あんの上品な甘さが口いっぱいに広がり、羊羹独特の舌触りを楽しんで飲み込む。
そしてお茶を飲むと、口内に残る甘さがお茶の渋みを際立たせ、
なんとも言えないハーモニーを醸し出すのだ。
「これぞ生きてる者の特権だわ。……あー、約一名死んでもこの特権を楽しんでる奴もいるか」
言ってから、ある亡霊嬢のことを思い出し失笑する。
そのとき霊夢はふとあることを思い出し、壁に掛けてある暦表を見た。
「……そういえば、もうすぐ“お祭”ね」
もうそんな時期が来たのかと、別段なんということもない風に呟く。
しかしそれをなんというもある風に、大声をあげる者がいた。
「お祭っ!? いったい?どこで?いつ?」
寝ていたはずのチルノが突然飛び起き反応したのだ。
楽しいことが大好きな妖精らしい反応ではあるが、なによりやかましい。
至福の時間に水を差された霊夢のげんこつが振り下ろされたのは、そのすぐ後のことだった。
「……ぅう~っ」
頭を押さえて痛みを我慢するチルノ。
話しかけたタイミングと声の大きさが不味かった。
「大人しく寝ていなさいよね。せっかく涼しい午前を過ごしていられたのに」
「あたいはあんたの冷房じゃないわよっ」
すっかり眠気も飛んでしまったチルノは、殴られた痛みで霊夢に噛みつく。
これ以上騒がれても暑苦しいだけなので――氷精なのに――霊夢は受け流すことにした。
「それで何か聞きたいんじゃなかったの?」
「そうだお祭っ」
チルノの思考は殴られた怒りを放棄して、お祭のことで支配されたようだ。
その短絡思考こそ、彼女のアイデンティティーである。
「ねぇねぇ、そのお祭はいつなのよ」
「そうね……明日くらいからじゃないかしら。もしかするともう始まっているかも」
待つ時間が短くて良いことを知り、チルノの喜びはさらに増す。
「お祭はどこであるの?」
「わからないわ」
その言葉にチルノの祭りテンションは下降した。
「わからないって、どういうことよ」
「そのままの意味よ」
それに、と霊夢は湯飲みに茶を注ぎながら続ける。
「あんたが楽しめるお祭じゃないわ」
そう言って入れたてのお茶に口をつける。
教えてくれそうもない霊夢に、チルノは頬を脹らせた。
「もーっ、教えってくれたっていいじゃないのよぉっ」
しかし霊夢は何処吹く風と、ずずずと音を立てる。
もう何も答えないという意思表示だ。
チルノもなんとなくそれを察したらしく、無益な噛みつきはやめた。
代わりにすっくと立ち上がると、縁側から庭へと飛び出す。
「もっと頼りになる奴に聞いてくるわ」
暑くて面倒だと言っていた夏の空へと飛び立つチルノ。
その背中の透き通る羽を見つめながら、霊夢は呟いた。
「また暑くなってしまうわね……いや、今夜は涼しく過ごせるか」
☆
魔法の森。
ここは博麗神社とは対照的に夏でも涼しい。
それは鬱蒼と茂る木々が太陽の光を遮断しているためだ。
だから暗いし、いつまで経ってもじとじとした空気が乾かない。
涼しさの代償に明るさとカラッとした空気がないのである。
そんな陰の森に、霧雨魔理沙は居を構えている。
「で、いきなり現れてなんの用だ?」
魔理沙の目の前には自分よりも少し背の低い氷精が立っている。
久しぶりの来客に、誰かと思って扉を開けると、その来客から唐突に尋ねられた。
「お祭はどこでやってるの!?」
魔理沙はハァ? と首を傾げる。
お祭なんて騒げるイベントをこの自分が見逃すはずがないのに。
チルノが魔理沙を尋ねたのも、幻想郷一そういったことに目敏い奴だと思ったからだ。
しかしその魔理沙は知らないと首を傾げている。
「祭り……祭りねぇ」
頭を捻って記憶を絞りだそうとしても、祭りの情報なんてない。
チルノは何か勘違いをしているのだろう、そう結論づけようとした。
そのとき家の奥から漂ってきた香ばしい香りが二人の鼻孔を刺激する。
「あ、なんか良い匂い」
「しまったっ、途中だったの忘れてたぜっ」
慌てて奥へと入っていった魔理沙。
開け放たれたドアと、突然放置プレイ状態にされてしまったチルノ。
とすればやるべきことはただ一つ。
「勝手に入って良いってことね」
魔理沙からすればそんな気毛頭無いのだが、歯止めのいないこの状況では仕方がない。
匂いに釣られて霧雨邸へと足を踏み入れたチルノは、そのまま匂いを辿ってキッチンへと辿り着いた。
そこでチルノが見たものは、綺麗に片付けられただけでなく、飾り付けまでされた部屋。
テーブルクロスはしわ一つなく、花瓶に花まで生けられている。
そしてテーブルの上には、二人分の食事の用意。
その食器の数から考えて、結構多めに作られているようだ。
どこからどう見ても、これが魔理沙の日常であるはずがない。
「どうなってるのさ」
チルノは正直驚いた。
いつもの魔理沙からは考えられない部屋の有り様。
当の本人は何をしているのかというと――。
「あー、何勝手に入ってきてるんだ」
キッチンから顔を出して、勝手に入ってきているチルノに目を留める。
「開けっ放しだったから、入って良いってことなんでしょ?」
「そうだな。まぁ、どうでもいいぜ」
「それより一体どうなってんのよ」
チルノは部屋全体を指して尋ねる。
こんなに綺麗で、しかも飾り付けまでされた部屋が魔理沙の手によるもののはずがない。
そんなチルノに、失礼だぜと魔理沙はむくれる。
「じゃあどうして綺麗にしてるのさ。いっぱい料理まで作って」
すると魔理沙は頬に朱をさしながら、目線を逸らした。
人差し指でその桃色の頬を掻き、なかなか答えを言い出さない。
「……今日は特別だからな」
言ってさらに顔を真っ赤にする魔理沙。
ますます彼女らしくない。
「ふんだ、言いたくないなら聞かないわよーっだ!」
口をイーッとして、チルノは魔理沙の家を後にした。
怒濤の如き来客が去っていた後、魔理沙はまだ顔を紅くしながら窓の外を見る。
「祭り……か。そうかアイツは、あのことを言っていたのか……」
確かにそれは祭りといえるかもしれない。
この自分も楽しみにしているのは間違いないのだ。
あの人と交わした約束。
「覚えているよね……――様」
☆
魔理沙までアテにならなかった。
こうなったらしらみつぶしに当たるしかない。
チルノはいったん自身の縄張りへと戻ってきた。
そこから見える紅い屋敷。
あの紅魔館には沢山の妖怪や人間が住んでいる。
あそこなら知っている者の一人二人はいるかもしれない。
すでに時刻は正午を過ぎた。
祭りが明日にも始まるかも知れないのだ。うかうかしてはいられない。
力をもった妖怪の城には門番がいる。
強い力を持つ妖怪は、自分の手を煩わせずに手下の者にあしらわせるのだ。
それはここ紅魔館においても言えることで……。
「ねー、門番」
「いきなりやってきて、その呼び方は無いんじゃないですか?」
紅魔館の門番、中国こと紅美鈴は珍しい訪問客の相手をしていた。
珍しいと言っても、姿自体はよく見かけている。
湖の上で弾幕ごっこをしている氷精だ。
しかし、紅魔館にやってくることは滅多にないのである。
「だって門番でしょ?」
アイスブルーの大きな瞳で見上げてくるチルノに、くらりとするがそれよりも無視できない事がある。。
「それはそうだけど……ただ私にも紅美鈴というれっきとした名前があって――」
「そんなことはどーでもいいのっ!」
どうでもいい扱いをされてしまい、今更ながらに大きなショックを受ける美鈴。
両手を地につき、分かり易すぎるリアクションでそのショックを表現している。
だが本当にどうでも良いと考えているチルノは、そんなものなど完全に無視して自分の話を進めるのだ。
「あんたは明日あるっていうお祭の場所はどこか知らないの?」
「お祭?」
その単語を聞いた美鈴の目に、名前を呼んでもらえなかった時以上の涙があふれ出した。
「門番の私がお祭なんて行けるはず無いじゃないですかあっ」
なにやら色々溜まっているらしい。
「あ、あー……なんかよく分からないけど、あたいが悪かったわ」
普通なら謝るはずのないチルノだが、何故か今の美鈴を目の前にしていると謝りたくなった。
それがいっそとどめとなり、美鈴の落胆はさらに激しいものとなる。
これでは流石に知っていそうにもないとチルノは思った。
他の奴に聞いた方が良いと考えていたところへ、丁度良いタイミングで館の方から飛んでくる人影が一つ。
「美鈴、そんな氷精相手にいったい何をしているの」
「さ、咲夜さん……」
やってきたのは紅魔館のメイド長十六夜咲夜。
乱れ一つないメイド服に端整な顔立ちが、彼女のメイド長たる威厳を醸している。
「あんたはお祭の事なんか知ってる?」
もはや美鈴は完全に放置決定したチルノは咲夜に尋ねた。
しかし返ってきたのは今までと同じもの。
「存じませんわね」
そういうことなら、と咲夜は館の方を見る。
「うちの知識人なら知ってるかもしれませんけど」
「じゃあ聞きに行く」
ここがどこだということをこの妖精は理解しているのだろうか。
いやわかってはいるはずだが、そもそも妖精はこういう奴らなのだ。
中でもチルノのそれはあまりにも顕著に見える。
「……わかったわ。ただし絶対に暴れない、遊ばないことが条件よ」
最初に逡巡があったのは、チルノを入れるか入れまいか考えていた為である。
しかしその答えはすぐに出た。
その知識人を呼んでくるとするならば、その返事が容易に想像できるからだ。
「会いに行くくらいなら連れてこい」といった具合だろう。
だから咲夜は気乗りしないながらも、チルノの入館を許可したのである。
「――というわけです」
咲夜が事のあらましをあらかた説明すると、知識人と呼ばれた少女はため息をついた。
「どうでも良いことで私の手間を掛けさせないでくれる?」
「申し訳ありません、パチュリー様。ですがあのまま放っておいたらいつ暴れ出すとも限らなかったもので」
「だからあなたの猫度は低いのよ」
「善処しますわ」
大書庫の広さと蔵書量に圧倒されているチルノを横目に、咲夜とパチュリーは二人で会話を成立させていた。
それに気がつき、チルノが少し苛立ち気味に会話の輪に乱入する。
「ちょっと! あたいが聞きに来てるのよっ」
「……そうだったわね。それで何が聞きたいの?」
さっさと出ていってもらいたい意思が見え見えの口調で答えるパチュリー。
そりでもチルノは気にしない。
聞けることが聞ければそれで良いのである。
「お祭よ」
「なんの?」
「明日くらいに開かれるっていうお祭のことよっ」
「……嘘ね」
知識だけなら幻想郷でも一、二を争うパチュリーにも、明日に祭りがあるという知識はない。
自分が知らない、というわけはないはずだ。
ということは、そもそもの情報が嘘だとしか考えられない。
「神社の巫女が言ってたのよ?」
それにあれは嘘を言っているふうではなかった。元々は独り言なのだし。
パチュリーは霊夢が言ったということを聞いて、少し考え始めた。
「あぁ、“そういうこと”ね」
何か分かったらしいパチュリーは、また回りくどい言い方を、とため息をついた。
これでようやく聞きたかった答えが聞けると、チルノは喜ぶ。
しかし返ってきたパチュリーの解答は――
「残念だけど、あなたは楽しめないわ。巫女の言ったことはほぼ正解」
「だからなんでさっ」
「いや、身体と精神が同一している妖精ならあるいは不正解? ……いや、だが生の側にある以上やっぱり……」
パチュリーは完全に自身の世界に入ってしまい、他のことが目に入らなくなってしまった。
完全に無視されてしまい、チルノは隣でぎゃいぎゃいと喚くが効果はまるで無し。
終いにはこれ以上騒がれても、あれだからと咲夜によって強制的に放り出されてしまうのだった。
☆
その後チルノは永遠亭にも行った。
話をすることができた家主の輝夜に他と同じように尋ねると、どういう訳か
「蓬莱人である私にそんな事を尋ねるなんてあんたは喧嘩を売りに来たのかしら?」
なんかもの凄い剣幕で怒られたので、チルノは慌てて逃げ帰った。
あまり触れられたくないものに触ってしまったらしい。
無論チルノがそのことに気がつくわけはなく、彼女は次なる場所を求めて空を飛んでいいる。
もうすぐ日も暮れてしまっている。次が今日最後の機会となるだろう。
そして辿り着いた先は、花の異変の折に来たことがある塚だった。
ここで確かやたらと偉そうな奴に説教されたことがある。
だからあまり来たくはない場所だったのだが、背に腹は代えられない。
それに……
「なんかこの辺に来たら“なんか”思い出しそうなのよね……」
毎年この時期になると、頭の片隅に浮かぶ奇妙な光景。
別にそれが見たいとずっと思っているとか、その正体がなんなのかはどうでもいい。
ただ、見られる、知れる機会があるのならその機会と立ち会ってみたい、その程度でしかない。
もしその機会に立ち会うことができなくても、チルノにとっては何も問題はないのだ。
妖精は滅しない種である。
この先いくらでも機会を待つことはできるのだし、そもそもそれほど気にしていないことなのだから別段焦ることもない。
今焦らなければならないことは、明日の『祭り』のことである。
気にはなるが、今はそれよりも大事なことがあるのだ。
無縁塚と呼ばれるこの一帯は、あの世とこの世の境目である。
この先には三途の川があり、死んだ霊達はここを通り閻魔の裁きを受ける。
幽霊が集まる場所は決まった気温が低く、夏場の隠れスポットだったりするのだが、
今のチルノにとっては涼しむことよりも重大なことがある。
「それにしてもやたらと静かね」
いつもなら幽霊達が順番待ちをして、その辺りをふよふよとしているはずなのだが、
今日に限って人魂の一つも見かけない。
たまにはこんな日もあるのだろうと別段気には留めなかった。
しかしそれはすぐにおかしいことだと気付かされるのである。
三途の川の川岸までやってきたチルノ。
霧に阻まれて向こう岸が見えない。
見えなくて当たり前である。
チルノはまだ生きているのだ。
死者が死神の船で川を渡る時、生前の徳と罪の量によってその川幅は変化する。
だから決して生者が向こう岸を見ようとしても見えないし、ましてや渡ることなど不可能なのである。
その距離を司っている死神がこの辺りにいるはずなのだが……
「なんでいないのかしら」
岸辺周辺には幽霊だけでなく死神の姿もない。
彼女にはサボり癖があるようだから、またどこかでサボっているのかも知れない。
職務怠慢だ。
まあチルノにとっては聞ける人物がいないことへの不満の方が大きい。
行き場のない苛立ちを、大声で喚くことによって消化するチルノ。
子供っぽい解決方法ではあるが、これくらいしか彼女にできることはない。
そんな彼女の騒がしい声を聞きつけて、川の向こうから一人の少女がやってきた。
「誰が騒いでいるのかと思ったら、貴方でしたか」
その姿にはよく見覚えがある。
この無縁塚でチルノに説教をしてきた偉そうな奴だ。
「あんたは、あんた時のえらそーな奴っ」
「口の利き方は弁えなさい」
「ぅ……えっとなんて名前だったっけ」
まつ説教されるのはチルノも嫌なので、素直に応じようとするが名前が出てこない。
あの一件以来顔を合わせていない上、チルノの記憶力はそれほど良いわけではないのだ。
「四季映姫・ヤマザナドゥです。まったく……貴方という妖精はせっかくの私の助言を無為にしているようですね」
「なんだったっけ?」
その内容まで忘れてしまっているらしい。
一度は「死」について考えさせられた相手であるのに、だ。
映姫はチルノの妖精らしさに、怒る気力も失われたらしく肩を落とす。
「まぁいいでしょう。それでまた遊びに来たのですか?」
花の異変の時は、チルノは浮かれて遊んでいたところここに辿り着いた。
そして映姫と出会い、自然にもいつかは死が訪れるのだと教わったのである。
それからしばらくは静かな場所で、自身の死についてよく考えていた。
終いには考えても仕方のないことだから、遊んでいる方が良いという結論に落ち着くので、
チルノが忘れてしまっていても、じっさい無理はない話と思える。
「んー……聞きたいことがあってきたのよね」
「聞きたいこととは?」
「えっとねぇ」
チルノは今日何度目とも知れぬ質問を映姫にぶつけた。
すると映姫は成る程、と頷く。
そして徐に、諭すようにしてチルノに語り始めた。
「以前、貴方には「墓場は生者のためにある」と言いましたね?」
そういえばそんなことを言っていたような気が、とチルノは記憶を遡る。
「貴方が言っている“祭り”も似たようなものなのです。ただし“祭り”と感じるのは生者ではありません」
彼等にとって、その“祭り”とは一年に一度の大切な時期。
それは死者がこの世に里帰りをすることのできる時期である。
それを覚えていることによって、生者はいつまでも死者を忘れることなく過ごせるのだ。
故に生者のためにある、と映姫は称したのである。
しかし墓と違ってこの祭りは死者とも直接関係しているのだ。
死者もあの世から、この世へ戻れる一年一度の機会である。
別にあの世が嫌いなわけでもないかもしれない。
だが、他の魂達も一斉にこの世に戻ってくることができるのだ。
それを祭りと称さずしてなんとする。
「顕界に生きる生者達は、この祭りのことを「盂蘭盆」と呼びます」
「じゃあ、あたいとは関係ないって……」
「元々貴方が思い描いているような祭りではなかったということですよ」
「そ、そんな……」
なんということだ。
霊夢の例え言葉によって自分が勘違いをしていただけとは。
その為に一日中飛び回って、いろんな所を巡って聞いてきたというのに。
ただの盆のことだったとは。
あぁ、馬鹿馬鹿しい。いったい自分は今日一日馬鹿丸出しで過ごしていたのだ。
「そんなに落胆することもないでしょう」
映姫はショックのあまり地に両手を付くチルノに微笑む。
「今日は小町がいないことに気がついてましたか?」
そういえばあの死神の姿はいなかった。
それも盆と何か関係があるのだろうか。
「死んだ魂達はすべからく三途の川を渡ります。盆はその逆なのですよ」
三途の川は本来渡し守である小町に、生前の徳の分だけ持つ渡し賃を渡さなければ向こう岸には行くことはできない。
それはまだ川の向こう岸から、さらにどの世界へ往くかが決まっていないからだ。
だが逆の場合、つまり死後の世界から顕界へ向かう場合。
すでにその魂の帰り先は分かっている。
だから船に乗って川を渡る必要は無いのである。
「だから今日は小町の一年で唯一の休みの日なのです」
一年一度、という言葉が哀れではあるがそれでも公認の休日である。
小町の姿が見えないのはそういった理由だったのだ。
しかしだからといって、何故小町の仕事が休みになるのか。
「それはもうすぐわかります」
映姫は空を見上げた。
すでに日は没し、空には月と無数の星が浮かんでいる。
「もうすぐ良い物が見られますよ。この時間にここに来たのは良い選択と言えるでしょう」
チルノはいったい映姫が何を言いたいのかがわかっていなかった。
しかし、その答えはすぐにわかることとなる。
「ほら、来ましたよ」
映姫に促され、霧に包まれた川の向こう岸へと視線を移す。
夜闇と霧で何も見えない――はずの視界に、突如として光の粒が現れる。
それは次第に数を増し、はっきりと捉えられるようになってきた。
「あれって……」
それらはどんどんこちらへと向かってくる。
その数は尋常ではない。
百や千できくものか。
下手をすると十万、百万……下手をすれば億を超すかも知れない。
そんなおびただしいほどの光の群れ。
「あたい……この光景見たことある……」
それはいつのことだったか。
すっかり記憶の奥底で風化してしまった欠片でしかなかったが、それでも彼女は覚えていた。
そう、あの日も盆の夜だったと思う。
いつもなら眠っているはずの時間だったのだが、その日は何故か起きていた。
奇妙な胸騒ぎを感じていたのか、それとも昼寝のしすぎだったのか――。
とにかく起きていて、そして夜の散歩に出掛けたのだ。
どこに行くわけでもなくただ、ふらふらふわふわふよふよと。
そして気付けばよく分からないところへやってきてしまった。
周りは暗くてよく分からない。
仕方がないし帰ろうと思ったとき、彼女の視界を無数の光の弾が埋め尽くした!
それらは似たような方向へと流れていく。
しかし途中で道を外れるものもある。
いったいこれはなんなのか。
チルノはただ呆然とその神秘的な光の流れを見つめるしかできなかったの。
その時と同じ光景が、今の自分の目に映っている。
あの日と同じ光の群れが川を流れていく光景。
「あれらは全てあの世に行った魂達です。これから彼等は里帰りをするのですよ」
彼等を待ってくれている場所へと。
一年一度、あの世に住む者がこの世へと戻ってこられる盂蘭盆。
確かにそれは死者にとっては祭りなのだろう。
だって、あの魂達はあんなにも楽しそうに見えるのだから。
魂は口を持たないから、どんな気持ちか聞くことはできない。
なんとなくの雰囲気でつかみ取るしかないのだ。
それでもチルノは聞かずにはおられなかった。
「ねー、あんた達ーっ! そんなに楽しそうに流れてどこいくのさーっ」
光の群れは答えない。
ただただ先へと流れていく。
チルノはなんだか満足そうにその後をずっと見送り続けた。
☆
「あの世とこの世の境界が自然と薄くなる日、か」
霊夢は昼間と同じように縁側に座って空を見ていた。
手には茶ではなく、盃に注がれた酒。
そして隣にはチルノではなく、境界妖怪の八雲紫の姿があった。
「あれは自然のシステムなのよ。互いの世界だけで隔離してしまうと、その力はやがて溜まりに溜まっていつかは暴走する」
「だから境界を緩めて、互いの力の緩和をしているの?」
「そういうことね。あの世もこの世も含め一つの世界なのよ。それを境界作って
無理矢理裂いているんだから、たまにはそれを緩めないと」
「ふぅん……そうなのか」
「そうなのよ」
別に難しい話をしているわけではない。
紫が言っているのはどこまでが嘘でどこまでが本当かわからない。
境界をいくらでも弄られる彼女のことだ。
真実と虚偽の境界だって、易々と操ってしまうに違いないのだから。
☆
魔理沙の家にも客が来ていた。
「一年ぶりだねぇ」
「覚えていてくれて嬉しいです、魅魔様」
「あっはっは、そんな行儀良くしなくて良いんだよ。私とお前の仲じゃないか」
「……うん」
魔理沙が照れるようにして振る舞っている相手は、人間ではなく悪霊の魅魔。
悪霊と言っても何か悪影響を及ぼしている訳でもない。
冥界に住んでいる西行寺幽々子と似たようなものだと思ってもらえればよい。
「霊が家族の元に戻ってくる、か。これも盆なのかねぇ」
魅魔が焼酎に舌鼓を打ちながら呟く。
魔理沙と魅魔はかつては共に暮らしていたが、魔理沙が一人立つことになってからは離れている。
だがしかし完全に縁を絶つこともないだろう、と会う機会を設けたのだ。
あまりちょくちょく会っていては一人立った意味がない。
だから一年一度くらいが丁度良いということになり、それを盂蘭盆と合わせることにしたのである。
「とりあえずだ」
魅魔は残っていた焼酎を一気に飲み干すと音を立ててグラスを置いた。
その顔にはかつて博麗の巫女と戦っていた頃の、凛々しい面影が蘇っている。
「一年でどれだけ魔理沙が成長したのか……ちょっくら見てやろうかねぇ」
くっくっく、とさも楽しそうに笑う魅魔。
そんな変わらない魅魔の素振りに魔理沙も笑う。
「そうこなくっちゃ」
二人は料理が冷めるのもお構いなしに、彼方で魂が流れゆく夜空へと飛び上がっていった。
☆
魂の群れは、紅魔館からも永遠亭からも見えた。
しかしすでに帰る方向の異なる魂達は行く先バラバラに流れている。
だからチルノが無縁塚で見た光景は及ばない。
あれは三途の川のほとりである、あの場所だからこそ見られる光景なのだ。
船を渡すことができなくなるほどの魂が顕界へと帰る盂蘭盆。
「ねー、あんた達ーっ! そんなに楽しそうに流れてどこいくのさーっ」
さて何処へ往くのか――――
《終幕》
>不思議な物語ですね。なんかゆったりとした気分になりながら
帰省ラッシュだとかどうとか、幻想郷ではそんなもの無いでしょう。
まぁ、今回の幽霊達はそれに相当するのかも知れませんけどね。
そうでない者達はゆっくりとそれを眺めているんじゃないかなと。
>いかにもチルノらしくていいですね
今やチルノが一番好きになった私にとって
一番の褒め言葉です。ありがとうございました。
そのように感じてもらえればこれ幸い。
綺麗な物を綺麗と感じるのは簡単です。綺麗な物を見れば良いだけです。
ですがそれを言葉で他人に伝えるのは、全く別の話。
少しでも伝わったのなら、やはり嬉しい限りです。