Coolier - 新生・東方創想話

夏猫

2006/08/14 06:20:19
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                              ♪

 涼やかな音色に少女は歩みをとめる。
 振り返った先には今しがた歩いてきたばかりの通りが続いていた。
 

ちりん


 六月の生温い風。
 そこに慎ましく響く、一筋の清涼。
 音の在処を探し、視線を巡らせる。
「どうしたの? 蓮子」
 連れがやってこないことに気づいた少女が、道の先から声をかけてきた。
 朝の太陽が、彼女の透けるような髪を煌かせる。
「今、風鈴の音がしなかった?」
「あら、気づかなかったわ」
 ふたり耳を澄ませて立ち止まる。


ちりぃ、ん


「鳴ったわ」
「鳴ったわね」
 ふたりで視線を泳がせると、いつもは通り過ぎていた路地に、小さな雑貨店を見つけた。
「こんなところにお店があったのね」
「本当、今まで気づかなかったわ」
 どちらともなく、吸い寄せられるように店の前に歩いていく。
 路地の奥に隠れるようにあるおかげで、店内は薄暗く中の様子がわからない。
 ふたりは一瞬顔を見合わせると、そろりと足を踏み入れた。
 急に暗さの増した視界に、ゆらりとした眩暈をおぼえる。
 徐々に眼が慣れてくると、店の中を見渡す余裕ができた。
 そこはとても狭い空間で、入り口以外には窓もなく、風の通り抜ける道さえない。
 壁はすべて商品らしきもので埋まっており、天井まであふれていた。
「いらっしゃいませ」
 店の最奥から声がする。
 古ぼけた店内には不釣合いな、心地よい女性の声。
「ここに風鈴はありますか?」
 店の中にそれらしきものは見当たらなかった。
「風鈴? ちょっとまってね」
 店主はしばらく周囲を見渡したあと、ごそごそと後ろを漁る。
 ほどなく、小さな匣を取り出した。
 蓋を開けると、赤い硝子で作られた可愛らしい風鈴が入っていた。
「ごめんなさいね、ひとつしか見つからなかったの」
 そう言いながら、先に結わえられた紐をつまんでかざしてみせる。
 それはちょうど金魚鉢を逆さにしたような形をしていて、紅色が下へ向かうほどになだらかなグラデーションを描いていた。
 ふちには色とりどりの細かな硝子が廻らされていて、どれからも違った音が聞こえる。
「気に入ってもらえた?」
 彼女の手の中で、紅い硝子が揺れている。
「ひとつじゃ可哀想だから、もう一人の子にはこっちをあげるわ」


ちりん


 涼しげな、金色の音が響く。





 講義を受けながら、蓮子はぼんやり考えていた。
 手には朝方の鈴がころころと響いている。
「ねえメリー、変だと思わない?」
 隣には赤い風鈴を手にした少女が、こちらもぼんやりと講義を受けている。
「変ってなにが?」
「今朝の店」
「ああ、押しの強い人だったわね。思わず買っちゃったわ」
「しかもくれるのかと思ったら鈴のお金も払わされたしね。ってそうじゃなくて」
 蓮子は鈴を置くと、風鈴を小さくつついた。
「最初に聴こえた音は何だったのかってこと」
 風鈴は匣にしまわれた状態ででてきた。
「そんなの、どこかの家にあった物を、私たちが見つけられなかっただけじゃないの?」
「それじゃおかしいのよ」
「どうして」
 訝しげなメリーに、にやりと笑みを見せる。
「あのとき聴こえたのは、この風鈴の音に違いないからよ」
「……鈴の聞き分けなんてできるの?」
 呆れ顔の少女に構わず、彼女は続ける。
「そもそも、風鈴なんてさげてる家があると思う? もしそんな懐古趣味な人がいたとしても、六月じゃまだ早すぎるわ」
「まだ梅雨も明けていないしね」
「それにね、最初に聴こえた音と二番目の音では、微妙に違いがあったの」
「まぁ、これなら色んな音がだせるけど」
「よって、あの風鈴の音は、これ以外に有得ないというわけ」
「無理がある気がするわ」
「まだ納得しないの? それじゃあね……」
「蓮子」
「ん?」
「あなた、暇なだけでしょう」
 彼女は数度まばたきをして
「わかる?」
 と舌をだしてみせた。





                              ♪





 降り立った地は何にもない処だった。
 乗客も駅員もいない、世界に取り残されたかと錯覚するほどの寂しい駅。
「まいったなぁ、うたたねなんかしなきゃよかった」
 時刻表を眺めて、ため息をつく。
 がらんどうの構内に吹き抜けるような風が過ぎ、やわらかなスカートを翻らせる。
 今朝手に入れたばかりの鈴の音が、耳に心地よい。
 帽子をおさえたまま、空をみあげた。
 構内から晴天を拝むことのできる珍しい駅は、今月限りで廃線の決定した古い旧い路線にある。
 今日の午後は休講で、いつもなら一緒に付き合ってくれる友人も、用事があるといって消えてしまった。
 要するに、暇と好奇心を持て余していたのだ。
 そして、聞きなれない路線のお知らせ。
 このたびは当路線は著しい乗客減少と新路線開発の影響で廃線の運びに……
 刺激にすらならないかもしれなかったが、とりあえずは手近な未知に乗り込んだ。
 駅をひとつ、ひとつと過ぎる毎に景色は単調になっていった。
 新しいものも旧いものもないぼんやりとした時間の連続に、いつのまにか思考を奪われていたらしい。
 気づいたときには他の乗客の姿はなく、列車は止まったきり動かなくなってしまっていた。
 車内放送もなにもないので、ここが終点なのかどうかさえわからない。
 時刻表は雨風にさらされ読みづらいことこの上なかったが、復路の時刻を確認する。
 思わず愚痴も口をつくというもの。ここには朝、昼、夕方の三本、往復で一日六本しか運行していないのだ。
「もう、どうしようかしら?」
 空は高く、日差しは夏のそれを思い起こさせるほどにじりじりと肌を灼く。
 戻るための列車は夕方に来る。
「まあ、こんなとき行動すべきはひとつね」
 少女は無人の駅改札をひとりすりぬける。
 鞄の端で、凛とした音色が響く。
 誰もいない。追加料金さえ払う必要もない。
 この世でただ一人という錯覚も、ここでなら本当になってしまいそうなほどに。





 意気揚々と駅をでたものの、あまりの光景に立ち尽くしてしまった。
 申し訳ていどの看板には駅名が書かれているのだろう。木目はぼろぼろに剥離し、そこからはなにも読み取れない。
 町の案内図が描かれたものはいたるところが錆付いて、おどろおどろしいを通り越しもはや滑稽でしかない。
 そして人っ子ひとり見当たらない、くすんだ通り。
 舗装すらされていない道に土埃が舞っている。
 駅を出てすぐにある建物は駐在所のようだったが、機能している様子はない。
「これは……失敗だったかしら?」
 呟きも、陽射しに融かされ風に消える。
「夜ならここがどこだかわかるんだけどなぁ」
 少しばかり不安があるのか、独り言が口をつく。
 それでも、立ち竦んでいるだけではどうにもならないと、未知なる道に足を踏み出す。
 心なしか、いつもより太陽がぎらぎらして見えた。
 行けども行けども、見えてくるのは朽ちかけの建物や鬱蒼とした木々ばかりで、代わり映えのない風景に焦燥感がつのる。
 これはもう、人里とさえ言えないのではないだろうか。
 せめて一人きりでなければ、見知らぬ土地で彷徨うことすら楽しみに変えられたのに。
 メリーだったらどうしたかな。
 歩みはそのままに、蓮子は相方に思いを馳せる。
 彼女は例の特技のおかげか、見知らぬ場所に迷い込むことにすっかり慣れている。
 蓮子はたびたびメリーの冒険譚を聞かされては、臍をかむ思いをしてきた。
 どうしてそんな面白そうな処に自分は一緒じゃなかったのか。
 そのあとは決まってメリーにその場所を案内させようと躍起になるのだが、成功率は推して知るべし。
 ここがあの子の迷い込むような面白い場所なら良かったのに。
 御伽噺にしか聞いたことのない生き物。
 なくなってしまったはずの物。
 この世ならざる場所。
 見たことのない色の月。
 メリーは今頃どうしてるかしら。
 どうして、ここにはなにもないのだろう。
 せっかくの小さな冒険になにも成果を見出せないのは許せない。
 なにかを求めて歩みを進める。
 眼前に続くこの道は、彼女を何処へ誘うのか。
 一歩ごとに濃く、暗く茂る緑に彼女は気づいていない。
 無目的に彷徨い続けてどれくらい経ったのか。
 ぽつりぽつりとしかなかった民家の屋根も、お目にかからなくなって久しい。
 そろそろ潮時。
 ここにはなにもない。
 諦めて駅に戻ろうと、ここにきて初めて蓮子は振り返った。
 違和感。
「あれ……」
 もういちど、振り返る。
 振り返る前も、振り返った後も、まったく同じ道が続いていた。
「ずっと同じような所歩いてたんだから、当然よね」
 言い聞かせるように呟く。
 そうしてもと来た道を戻り始めた。





 おかしい。
 蓮子は相変わらず歩いていた。
 自分がここにきてどのくらい経ったのか、正確にはわからない。
 しかし感覚的には、もう夕暮れ近くになっていてもおかしくはないはず。
 そもそも駅をでて、わき目もふらず真っ直ぐ歩いてきたのだから、迷うはずなどないのだ。
 それなのに、引き返しているはずの道は見たことのない景色に包まれていた。
 慣れた場所でも、視点を変えるだけで知らない所のように見えるときがある。
 見知らぬ場所で緊張しているのならなおのこと。
 はじめはそう思っていた。
 しかしどんなに進んでも見覚えのあるものが見えてこない。
 建物さえ見つからない。
 いつの間にか、彼女は見知らぬ場所を彷徨っていた。
 だがその事実に反して、瞳は煌めきを増している。
 そこには、不安など微塵も感じられなかった。
 歩いてきたのは一本道。迷うことなど考えられない。
 空には相変わらず眩しい太陽。時間の流れは奇妙なほど緩やか。
「ようやく、それらしくなってきたわ」
 陽射しは容赦なく少女を射す。
 植物の緑の匂いが肺に流れ込んでくる。
 額からじわりと汗が染みる。
 彼女はいつのまにか走り出していた。
 なにか、に早く出会うため。
 微かな不安を振り切るため。
 金色の澄んだ音色が、少女の心を優しく弾ませる。





 ゆけどもゆけども景色は変わらない。
 歩みを進めるにつれ、周囲の木々はざわざわと蓮子を包み込むように枝を延ばす。
 同じ場所をぐるぐる廻っているような。
 右と左を狂わされているような。
 大きな何かに空間ごとつまみあげられているような。
 出所不明の感情に押しつぶされそうになる。
 この先にあるものは?
 ひとつの疑問で体中が埋め尽くされ、手足は何の命令で働いているのかわからなくなって、暴力的な緑に正常な思考は隅に追い遣られて……


ちりん


 気づいたとき、視界を遮る枝葉は一点を示すようにひらけていた。
 なにも考えられないまま、そこを目指す。
 昼間だというのに、暗闇で一筋の光を見つけたような錯覚に陥る。
 しかしふと、脳裏をよぎる不安。
 この足は、本当に自分の意思で動いていたのだろうか。
 走り抜けた先には、静かな家があった。
 空き家には違いないのだろうが、先ほどまでの朽ちた民家とは何か違う。
 古めかしいところは変わらない。
 人の気配がしないところも変わらない。
 違うのは、それが纏っている空気。
 空気が、朽ちていないのだ。
 人の気配はまるでないのに、ここからは廃墟特有のあの拒絶するような感じがしない。
 むしろ誰かが訪れるのを待ち侘びているような、そんな雰囲気に包まれていた。
 これが期待していたものなのだろうか。
 蓮子は誘われるように、古びた、立派な、見たこともない屋敷にそっと忍び込んだ。





                              ♪





 眩しさに気づいて、日陰を求めて畳を転がる。
 二回転半。小さな影を見つけて、すっぽり収まるように身体を丸めて小さくなる。
 そこでなんとか落ち着いたらしく、長い尻尾を持ち上げると、やわらかな動きで体に沿わせる。
 まどろみ半分の不安定な意識で、ぼんやり庭の木陰を思っていた。
 広い庭にはたくさん樹木があって、気持ちのいい日陰がいたるところに出来ている。
 本当なら、自分もそこで快適にお昼寝がしたかった。
 こんな明け晒しの部屋では、暑くて熱くてまともに寝られやしない。
 こんなところでお昼寝しているなんて、なんて……なんて頑張っているんだろう。
 庭の涼しい梢は、たくさんの猫たちに明け渡しているのだ。
 あいつらはきっと自分の幸福に気づきもしないで、惰眠を貪っているに違いない。
 そう考えてすこし腹がたったのか、もう一度長い尻尾を大きくしならせた。
 ああ、でもお師匠様は言っていた。
 従えるべきものに自分の優位を伝えるには、そのものと同じ位置にいてはいけないと。
 ここは畳の上、部屋の中。地面である庭よりは高い位置だろう。
 お師匠様、私頑張ってます。
 小さな猫は、少し笑って耳をぴくりと動かした。
 暑さに弛緩しきった体の上を、いたわるような風が通り抜ける。


ちりん


 熱を孕んだ生温い空気に、ほんの欠片ほどだが清涼なものを感じて、猫は微かに目蓋を震わせる。


ちりりん


 ぼんやりした感覚に心地よいなにかが染み渡る。
 それを逃すまいと、眼を閉じたまま首をめぐらせた。


ちりり……ん


 なにか聴こえる。
 どこかで聞いたことのあるような、懐かしい優しい音。
 その音色に乗せるように、ちいさく咽を鳴らす。


ちりり……かちん


「うにゃ?」
 聞きなれない音と僅かな振動で、猫は一気にまどろみから引き戻された。
 目蓋を開くと、自分を覗き込んでいる誰かと視線が合う。
「あー、起きちゃった」
 その少女は猫の耳元にぶら下げた鈴をふるふると揺らしながら、微笑んでみせた。
 猫からは良く見えなかったが、どうやら鈴とピアスのぶつかった拍子に眼を覚ましたらしい。
 それは判る。だからそこはどうでもいい。
 今の猫にとってなにが問題なのかというと……この、にこにこと自分を見つめている……これは……なんだっけ……怪しいもの……じゃなくて、変な、そう変な……人間?
 そうだ、人間だ。
 それならやるべきことは決まっている。
 ばねのように跳ね起き、奥へ飛び退る。
 研ぎ澄まされた爪をあやしい人物に突きつけた。
 相手から目を逸らさず、威圧感を持たせる為に仁王立ちになって、
「こっ、ここいまゆいっんだららいご!」
 ……………………しまったあ――――っ!
 かっこよく決め台詞を言うつもりだった猫は頭を抱えてうずくまる。
 寝起きの猫の舌は回らない。そのうえなにか舌が痛い。
「あら、困ったわね。日本語は通じないのかしら?」
 しかも変なのは屈辱的な勘違いをしている。
「しつれーねっ、今のは日本語よ!」
 がばっと顔をあげて抗議する。
 なんだろう、この人間は何かがへんだ。
「もー、あんたなんなのよ。ひとの家に勝手に入って来ないで」
 猫は半ば自分の役目を忘れている様で、目の前の生き物を追い出そうと躍起になっていた。
「そう言われてもねぇ、ようやく見つけた家だからなあ。ここ以外どこに向かえばいいのかも判らないし」
 少女の一言で、猫は自分の領分を思い出す。
「それは当たり前よ。迷い家に来たってことは、道に迷ってたんでしょう?」
「……マヨイガ?」
「そーよ、あなたはもうここから逃げられない。もう家には帰れない。このふるーい屋敷で永遠にさまようしかないんだわ」
 猫は大きな目をにんまりと歪めて、意地悪くささやく。
「マヨイガ……えーと、聞いたことある気がするんだけど……。うーん、思い出せない。きもちわるいなあ、なんだっけな」
「ちょっと! 聞いてるの?」
 ようやくキメる事が出来たというのに、この緊張感のない人間はなんなんだ。
「ん? 大丈夫、聞いてるわ。ところであなた、その耳、尻尾……。もしかして、ううん。もしかしなくても、化け猫ね。化け猫でしょう!」
 化け猫。ばけねこ。ねこの妖怪。要するにねこ。
 ……にゃー。
「ちがぁうー、 そんなのと一緒にするなぁ!」
「ちがうの?」
 確かに猫で、妖怪化している。それなら化け猫で間違いではないのかもしれない。
 しかしこの猫には、人間などには到底解らないようなこだわりがあった。
「私は確かに妖怪猫だけど、ただ人型になるだけの猫とはちがうのよ。私はね、妖怪である前に式神なの」
 そういって、誇らしげに胸を反らせてみせる。
「ただの人間には解らないかもしれないけど、それはそれは強くて立派な大妖怪様に選ばれた、特別な子なんだから」
「でも猫は猫でしょう?」
 いくら説いたところで、この人間は考えを改めないらしい。
 それどころかちょっと甞められているような気もする。
 猫はしばらく口を尖らせて唸っていたが、急に何かを思いついたように跳ね上がり、くるりと庭に降り立った。
「何々? なにするの?」
 期待に満ちた眼差しに釈然としないものを覚えつつも、不敵に言い放つ。
「言葉で理解できないなら、その身をもって解らせてあげるしかないわよね」
 そして、おもむろに懐に手を差し込む。取り出されたのは、封印の施された小さな包み。
「ねえ、あなた気づいてた? ここにはたーくさん猫が棲んでるの。そいつらは私が命令すればどんなものにだって牙を剥くわ」
「えーと、暴力は反対よー」
 少女の気後れした様子に、眼を細め笑みを浮かべる。
「いまさら遅いわ。百の爪に裂かれて後悔するといい!」
 高らかに叫び、封印の札を勢いよく剥がす。
 なにか粉のようなものがもうもうと立ち昇り、少女を包み込もうと襲い掛かる。

 そのときなんの前触れもなく、少女の背後から大きな風が、

 彼女はちいさく声をあげ、咄嗟に帽子に手を伸ばし目を閉じる。
 風はすぐに収まったが、暫く顔を伏せたままじっとしていた。
 しかし、なにも起こらない。
「えと……、どうなったの?」
 少女は帽子を押さえたまま、伏せていた顔をあげる。
 そこには
「はにゃぁ~」
 スカートを粉塗れにした猫が
「にゃふ……~ぅ」
 地面に体をこすりつけながら、にゃんにゃんしていた。
「今のって、もしかして……マタタビ?」
 呟きに合わせるように、庭の至るところから猫の鳴き声が聞こえてくる。
 彼らは瞬く間にこの妖怪猫を取り囲み、それぞれ喉を鳴らしながら飛び掛っていった。
 猫たちは、本当に猫なのかすら疑わしいような奇声を上げながら、妖怪猫にすりより引っ掻き舐めまわし……
「ギニャー! ギャニャー! ギャワワニャァァァァ……」
 憐れ、悲鳴は猫毛の絨毯と化した庭に、痛ましく響いていた。

「確かにこれは怖い。身をもって示してもらったわ」







ちりん

ちりりん

ちりちりちりちり……

「うーるーさーいー。もう起きてるわ」
 薄く片目を開いて、憮然と抗議する。
「あら、気持ちよさそうにしてたから好きなんだと思ってた」
 すぐそばに少女の顔がある。
 先ほどの焼き直しか、笑顔で猫を覗き込んでいた。
 少女の手には黒い帽子が握られていて、猫にやさしい風を運ぶ。
 そのリズムに合わせ、リボンに括られた小さな鈴が澄んだ音を響かせていた。
 ほんとうは、けして耳障りではない。
 猫はどこか懐かしさを感じさせるこの音を、心地よいと思っていた。
 庭で猫たちに襲われて、気を失って、遠い鈴の音に意識を連れ戻されたとき、自分が誰かのひざで眠っていたことに気づいたのだ。
 暫く考えて、自分を労わるこの手が尊敬する師匠のものではないと思い至る。
 ではこの手は誰のもの?
 凛々と音が響くごとに、糸がほぐれる様に思考が廻り始める。

 そうか、これは。

「あんた、変なやつでしょ」
「ちょっとくらいはそうかもね」
 猫はすっかり毒気を抜かれて、少女に体を預けたまま空を仰ぐ。
「ねー、私ってそんなにだめかなぁ」
「なんのこと?」
「だって、全然怖がってもらえない」
 爪の先でちりちりと鈴を転がしながら、呟いた。
「お師匠様みたいにかっこよくなりたいの。たくさんお願いして、やっとお弟子になれたけど、式もまだ貰えないし」
「さっき自分は式神だって言ってたじゃない」
「……ちょっと嘘。私はまだ、ただの化け猫だもん」
 ころん、と体を回し上目遣いに少女を見つめる。
「ここは妖の里で、私は妖怪で、あなたは逃げられないってのも本当よ。なのにどーして怖くないの?」
 問われて少女は数度瞬きを繰り返し、首を傾げた。
「うん。家に帰れないのは困るわね」
「そーでしょ?」
「でも怖いって気はしないな。どうしてかしら」
 口元に手をやり思案する彼女を、硝子玉のような瞳がじっと見上げている。
 その様子に、ふっと顔をほころばせる。
「そうね、あなたが可愛いからかな」
 そっと白い耳先を撫でる。やわらかくぴるぴるした感触が、たまらなく愛しく感じられた。
「…………」
 猫はそれきり庭に視線を戻して黙り込んでしまった。
 少女も同じようにぼんやり庭を見ている。
 梢のざわめく音だけが、ふたりの間をすりぬけていった。



 暫くして、唐突に猫が立ち上がる。
 これまでになく真剣な面持ちで、少女の手を取った。
「家に帰してあげる」
「え?」
「だから、帰してあげるって言ってるの」
「そりゃありがたいけど、なんでまた」
「私、頑張って修行して立派な式神になるわ。だからあなたもまた道に迷ってちょーだい」
「ああ、リベンジしようってのね」
「そーよ。誰だってひとめ見ただけで逃げ出すような、こわーい猫になってやるんだから」
「怖い猫ねぇ」
「ふーんだ、言ってなさい。この次は泣くまで許したげないからね」
「ええ、楽しみにしてるわ」
 猫と少女は挑むようにお互い薄笑いを浮かべてにらみ合っていたが、そのうちたまらなくなったか、同時に吹き出して空にも届くような大きな声で笑いあった。










                              ♪










「……でね、その猫の姿を見失ったと思ったら、いつのまにか例の駅に着いてたのよ」
 薄暗い喫茶店の人目をはばかるような隅の席で、蓮子は興奮を抑えきれないとばかりに先日の体験を語っていた。
「迷い家ねぇ」
「あ、そうだ。マヨイガ、なんか私知ってる気がするんだけど思い出せなくって。メリーわかる?」
「わかるわよ」
 さらりと返されて、蓮子は一瞬動きを止める。
 すぐさま身を乗り出して相方に詰め寄る。
「なになに、早く教えて」
「迷い家っていうのはね……」
 説明が終わるが早いか、蓮子はけらけらと笑いはじめた。
「なにがそんなにおかしかったの?」
「あはは、だって私、なんて勿体無いことしたのかしら」
 それだけ言うと、また笑いの発作に襲われて、いつまで経っても次の言葉を紡げない。
 涙まで滲ませ笑い転げる友人を眺めながら、メリーはあることに気づく。
「そういえば蓮子、いつものリボンはどうしたの? 帽子につけてた白いやつ」
 蓮子のトレードマークともいえる、帽子についていたはずのリボンがなくなっている。
 聞いてはみたものの、メリーにはなんとなく見当がついていた。
 なくなっているのはリボンだけではない。
 ふと、あの紅い硝子を思い出す。
 昨日の出来事は、夢ではなかったのかもしれない。
 メリーの問いに、息も絶え絶えな蓮子はようやく応えはじめた。


















「お師匠様、私誓いました。ぜーったいに、お師匠様みたいにすっごい妖怪になります!」
「どーしたの? 今日はいつにも増して燃えてるね」
「そうです! もう可愛いだけじゃないです。お師匠様も私のこと可愛いとか言っちゃだめですからね」
「え、ええ?」
「私、強くて怖くてかっこいい猫になるんです。お師匠様みたいに!」
「そんなー、照れるわ。って、なんで可愛がっちゃいけないの」
「可愛いと、あいつに負けちゃうからです!」
「??」
 やる気に満ちているのはいいことだけど、本当に何があったんだろう。
 どうなだめていいか分からなくて、とにかく話を逸らそうとしてみる。
「えっと、ところで言いそびれてたけど、そのリボンかわ……よく似合ってるね。誰かに貰ったの?」
 子猫の首元に鈴の飾りがついた白いリボンが巻かれている。
 白い毛並みとおそろいのリボンは彼女を余計に可愛らしくみせていたが、寸での所で言葉を飲み込んだ。
 すると子猫は大きな瞳をさらに見開いて、言った。
「これは証です。私が約束を果たすための」
 子猫の首元で、金の鈴がちりんと跳ねる。
 その姿は見るからに小さな猫で、怖い妖怪とはかけ離れていたが……突っ込んじゃいけないような気がする。
「だから、今日こそ式を憑けてくださいねっ」
「う、うん。わかったわ」
 勢いに流され、思わず口をついた言葉。
 師匠の言葉に、子猫は分かれ始めたばかりでハートの形にも見える白い尻尾をしならせ、体中で喜んでいる。
「わーい。だから橙様だいすきっ」
 白い猫は跳ね上がり、すこし困った様子の黒猫に飛びついた。


































「おかしなものね、せっかく売れた品物が両方ともこっち側に戻ってくるなんて。
 お店の真似事って難しいわ」
 紅い風鈴も、金色の鈴も奇妙な巡り合わせの末に、幻想郷の少女の手に渡っていた。
 その顛末をずっと眺めていた彼女は、締めくくるようにこう言葉を落とした。

「まあ、ちょっとした暇つぶしにはなったかしらね」

 夏の暑さにやられて、幻をみました。
 ほんの少しのつもりだったのに、ずいぶんまどろんでいたみたいです。
 総本山のことばかり夢みていたせいかな。




 ところで、風鈴の行く先はわかりましたか? 
noco
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コメント



0.1590簡易評価
1.80ABYSS削除
色々よいところがあると思いますが、語ってしまうのは無粋な気がしますので一言だけ。
足りなくなってた幻想分、補給させていただきました。
良き作品をありがとうございます。
4.80名前が無い程度の能力削除
これはいいものだ。間違いない。
10.90名前が無い程度の能力削除
ちぇんの式(候補)かあいいよ!!
11.100名前が無い程度の能力削除
いつもの日常と、見知らぬ土地で体験した非日常。
夏の炎天下に揺れる景色が浮かぶ良い幻想でした。
――どうか、彼女の夢がいつか叶いますように。
20.90春風野郎削除
胸に染みるいい作品でした。
次の作品も期待して待っています。
24.80名前が無い程度の能力削除
俺も風鈴買いに行くしかないようですな
32.70床間たろひ削除
な、なにぃ!
最後のドンデンで思いっきりやられましたw
そっかー橙の式候補かー。てっきり橙だと思ってましたよ。
師匠の口調が藍? って感じだったから違和感感じてたところに、
こう……ストンとw
夏の或る日の物語、涼やかな鈴の音と共に心地よい気分になれました。
ありがとうございますw
34.100SETH削除
うまいっ
35.100削除
いい幻想でした。そして、すっかり気持ちよく騙されました。まさか橙の式だったとは。
38.90名前が無い程度の能力削除
すっかりだまされました。
森博嗣の短編を見ているかのようです。
次作も期待しています。