Coolier - 新生・東方創想話

Anywhere but here【2】

2006/08/13 07:53:02
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Anywhere but here(魔法使いには魔術書を) 






【普通の魔法使いの不安】




[Side:Marisa]


数メートル下では、蝉が夏を囃している。
アブラゼミ、ニイニイ、コエゾ、ミンミン、それからツクツクボウシ。オーシーツクツクという音を聞くと、こんなに暑くても夏は終わりに向かっているんだなと思う。太陽は一日一日と遠ざかり、このうだるような暑さも、すでに残暑と呼ばれるものになっているんだろう。
そんな中を、魔理沙は疾走する。

どうしても蝉と友達にならなきゃいけないとしたら、ニイニイゼミがいいかもな。あの鳴きだしたら勢いに任せて一息も休まず、限界まで絞るように鳴くところが、もしかしたら気が合うかもしれない。あくまで、蝉の中ではだが。

こんなふうに飛びながら思うのは、大抵が益体のないことばかりだ。自分の他に飛んでくるものにさえ注意を払えばいいとは言え、ややこしいことを考えるのは向いていない。けれど研究に煮詰まったときは、こうやって無茶苦茶に飛び回ったり、弾幕でもして気を晴らした方が、存外ひらめきが生まれるものだ。異国の歌を口ずさみながら、魔理沙は空を仰いだ。自己主張激しく輝くあんちくしょうは吸血鬼の天敵だが、夏では人間も憎らしい。とはいえ、暑くなきゃ夏じゃないとも思うから不思議なものだ。
やがて、目印にしている大きめな三本杉が見えたことに気づき、魔理沙は三十度ほど左折する。そのままの方位でおよそ七十秒。鬱蒼と生える森の木々の合間に、ぽっかりと小さく空いた場所がある。

そこが、七色の人形遣い、アリス・マーガトロイドの家だ。

さすがに紅魔館みたいに門を破壊して突貫、なんてことはしない。
「そもそも門なんてないしな」
急ブレーキに軽やかに地面に降り立つと、硬くなっていた体中の筋を伸ばした。飛ぶのは好きだが、だからこそ時々恨めしくなる。人間の身体は、空を飛ぶようには出来ていない。
「ま、別にかまわないけどな」
頭をかすめた某巫女に斜めな笑みをくれてやり、衣服の乱れがないことを確認してから、魔理沙は扉を叩いた。前にいきなり開けたとき、見張りを任せられていた人形が襲撃してきたことがあった。アリスいわく指示の解除を忘れていたとのことだが、それはわざとではないかと疑っている。
「開いているわ」
返る声は、そう遠くない位置から聞こえた。
「邪魔するぜ」
扉の向こうからもわかる甘い香りに、機嫌良く魔理沙は戸を開けた。



「それで、今日はなんの用かしら」
「ちょっと入り用な薬草が二つ三つあってな。今から採るんだと育ちすぎてて駄目なんだ。アリスなら、伸び始めなやつもとってあるだろ?」
「育ちすぎたのは駄目って事は、成長過程で毒素が入ってくるタイプね。どうかしら。ものによるけど、量はどれくらい?」
「そうだな」
なるだけ多い方がいいが、さすがに全部とは言えない。今言ったとおり、次に手にはいるのは半年以上先のものだ。あまり薬を調合しないアリスでも、切らしたくはないだろう。
「そうだな。七、いや八十グラム貰えるか?」
アリスは少し難しい顔をして、何か、おそらく記憶の中の薬草の量を思い出そうとしているのだろうが、考えたあとに頷いた。
「まぁ、いいか。私はそんなに使わないし」
「助かった。代わりに素敵なキノコをやろう」
「いらないわ。じゃあ、ちょっと持ってくるから」
「あ、それと」
「うん?」
魔理沙は実にいい笑顔を浮かべ、自分の喉を指して言った。
「何か飲み物と、そのお茶請けもくれ」
「……」
アリスは深い溜め息をついて、仕方なさそうに了承した。

「なんだ、これ」
甘い香りがしたはずだが、出てきたのは黒っぽい冷たそうな不思議なものだった。
「珈琲ゼリーよ。パイの方はまだ焼けていないから、代わりにこっちをあげるわ」
「珈琲を、固めたものなのか?」
凍らせたのとは違うように見えるけれど、不思議だ。
「飲むのを固めたわけじゃないけど、そう説明できないわけでもないわね」
「へえ」
あまり美味しそうに見えなかったそれが、いっきに身近なものに思えた。珈琲と言うからには、当然珈琲の味がするはずだ。さっそくいただこうとスプーンを近づけ、
「あ、ちょっと待って。クリームが乗っかって完成なの」
待ったをかけられた。
「最初からかけてろよ」
「忘れていたのよ。これ作ったの初めてだったから」
「ちなみに味見は」
「固まってからはしてない」
「…美味しいんだよな?」
「本にはそう書いてあったわ」
「信じるぜ?」
「何で疑問系なのよ。それから、信じるのは私の腕?それとも本の方?」
両方だ。

「…うまい」
「当然でしょ」
そうは言っても、小さく安堵の溜め息をついたことを、魔理沙は見逃さなかった。
「確かに珈琲の味なんだが、そんなに苦くないな。クリームの所為だけじゃなくて、うん、うまいけど不思議だ」
「夏にちょうどいいのが欲しかったのよ。材料がちょっと手に入りにくいから、そう頻繁には作れないけど」
「どうやって冷やしたんだ、これ」
「んー」
秘密とあしらわれる。
「ま、いいさ」
どうせ自分では作れないしな。おいしければ何でもよいのだ。ゼリーと一緒に出された麦茶を一口でグラスの半分ほどに減らし、魔理沙はさりげなくアリスを盗み見た。斜め右に座った彼女は、こうして見る限りいつも通りだった。皺一つ無い服をきっちりと身につけ、この暑さにも関わらずボタンは第一まで締められている。着ている側からしてみれば、いっそうっとうしい気すらする胸元のリボンも、形よく結ばれて美しい調和を保っていた。
これらが乱されるのは着替えのその時と戦闘時だけだ。
今も波打つ髪も、おそらく櫛を通してあるのだろう。見た目に反して、絡まることなく手櫛で最後まで梳けることは、何度か見たから知っている。こうして近くにいると、彼女からは石けんの香りと、おそらく衣服と一緒に置いてあるのだろう、淡い花の香りがした。
今日はラベンダーなんだと魔理沙は思った。ああ、やっぱりいつものアリス・マーガトロイドだ。ほとんど人に、あるいは妖に会わない彼女は、それでもいつでも他人の目があるかのような生活をする。部屋が散らかっていたことはないし、来客用の茶葉が切れていたこともない。その度に霧雨魔理沙はいつも思う。
まるで、人に不快感を与えないように出来ているみたいだ、と。
今日の彼女もその通りだった。
だから彼女は、いつも通りなのだ。
そのことに安心していいのかは、まだ何とも言えないが。
魔理沙はゆっくりと未知の味をしたそれを堪能しながら、ひとまずそう結論づけた。

実を言えば、確かに薬草は必要だったが、魔理沙は別に急いでいるわけではなかった。他にやってみたいことなんていくらでもあったし、今日も図書館か神社に行くつもりでいた。
昨日の、夕方までは。

「それでね、この本にはあくまで推論までしか書かれていないのだけれど、私が見た限り理論の矛盾は見受けられないし、魔理沙向きなんじゃないかと思って」
「ん、そうだな。確かに、アリスよりは私向きだ」
これだ。胃のあたりが妙に据わりが悪い。反射的に愛想笑いなど浮かべてしまうほどに。これが、最近アリスに感じる違和感だ。もともと意地悪なんてするやつじゃなかったが、最近親切すぎる。これが好意に支えられたものなら別に気にしないのだが、受ける印象からそれは違うと思った。もちろん悪意があるわけじゃない。今日の突然の来訪やお菓子の要求など、進んで要望を叶えてあげたいわけでもないのに、決して拒まないのだ。まるくなったとかではない。争いを、弾幕を避けているのだ。最初は気づかなかったが、もう一月もアリスと弾幕ってなかった。その間、二人は会わなかったわけじゃない。むしろ共同実験を始めてからは、前より頻繁に顔を合わせているにも関わらずだ。
魔理沙はそのことを不審に思っていた。アリスは好戦的ではないが、弾幕るのが嫌いではなかったはずだ。腕が鈍らないようにと手合わせをしたこともあるくらいなのだから。
そして、極めつけは昨日の――――――――
「アリス」
「え、なに?」
思わず硬質になった声に、心の中で舌打ちする。取り繕う意味も込めて、からっとした軽い笑みを浮かべてやる。
「今から、ちょっといいか?」
「外に出るってこと?夕飯の準備に間に合うならいいけど」
窓を見ると、木々の合間を縫って西日が差している。とはいえ夏はこの時間帯こそが長い。
「大丈夫だ。そんなにかからないし」
行こうぜ、と相手の都合など気にしないかのように。その裏で焦りのようなものを感じながら思った。
らしくないのは、自分の方かもしれない。

そうして、アリスは今度も拒まなかった。



森の東のはずれ。崖が続くその場所に、件の洞窟はあった。
「ここに何かあるの?キノコなら私は使わないわよ」
「それぐらい知ってるさ。まぁいいから、ついて来いよ」
薄暗い中を歩いていく。ぴちゃん、ぴちゃんと。水のしたたる音が断続的に響いている。
「涼しいわね」
「だから、氷を探しに来たとき見つけたんだ。よし、ここだな」
特殊な紋で付けた印を灯りで確認すると、魔理沙は手元の火を消した。辺りは一瞬で何も見えなく――――ならなかった。
それは、暗くなって初めて現れる。
「何これ!光る石の道?」
現れたのはあおく淡く発光する通路だった。珍しく目を輝かせてはしゃぐアリスに、魔理沙は満足そうに笑顔を浮かべた。宝物を自慢するように、アリスの腕を引いて先を急かす。
「で、この道をずっと歩いて行くとだな」
先ほどより狭くなった道を、頭上に注意を払いながら進んでいくと、すぐに大きな扉が見えてきた。それは金属のような見るからに重たそうな素材で出来ており、唐草のような文様が緻密に描かれている。そのアールヌーボー調の曲線の合間を縫うように埋め込まれた宝石が、再び点した灯りを受けて、色とりどりに輝いた。
この向こうがただの空間であるとはとうてい思えない。そんな期待感を持たずにはいられない姿をしていた。
「が、開け方がわからないんだよな」
こんこん、と。悔しそうに扉を叩いて魔理沙は言う。ちらりと隣にいる彼女を見ながら。意を得たアリスが不敵に笑った。
「OK、手伝うわ」
にやり、と魔理沙も笑い返す。
「さすがアリスだ。そうこなくっちゃな」
魔法使い魂に、火のついた瞬間だった。
そう、これは間違いなく魔術の領域だ。こんな手の込んだ仕掛けを前にして、熱くならなきゃ魔法使いじゃない。加えて、厳重な封印をする必要があるお宝が、あるかもしれないというこの状況。魔法使いであり蒐集家でもある二人は、最高に良い笑みを浮かべ互いを見た。
「言っておくが、私が七でアリスが三な」
「今回だけは、そういうことにしといたあげる」
握ったこぶし同士を軽くあわせて、契約終了。こう言ったからには魔理沙は約束を破らないし、アリスはもとからそんなことはしない。

終わりかけの夏だというのに二人の周りだけは熱かった。



だから魔理沙はようやっと安心した。
昨日の夕暮れに見たものは、やはりなんてことのないものだったのだと。
虚ろな瞳で空を見上げ続けていたアリスの横顔を、この熱で遠く押しやるように。



その年、夏は早足で立ち去ろうとしていた。秋の足音は、すぐそこまで迫っていたのだ。










【暗雲告げる】


[Side:Patchouli]


日が沈むのが徐々に早くなってきた。
あれ以来アリスが来る度に、私は落ち着きをなくしている。
「パチュリー様、お疲れのようですね」
訂正しよう。彼女がいなくても、私の心に平穏はない。
「最近、あまり眠ってないから」
「調べごとも結構ですが、何事も健康が第一ですよ」
作業が一段落ついたらしい小悪魔は、苦笑して私をたしなめた。
「そうね。今晩はちゃんと寝るわ」
普段ならあまり読まないジャンルばかりに手をつけて、それが余計気疲れを起こしていた。
「で、何かわかりましたか?」
「フロイトの考えは、七割が間違いということかしら」
視点の鋭さは、特に無意識というものをパラダイムにまで引き上げた功績は評価するけど。
「つまり、役に立たなかったのですね」
「そうかもしれない」
だいたい、私は人間ではない。ないはずなのだが。

――――――――夢で、あなたに逢ったわ

酷く透明度の高い誰かの瞳を思い出す。

私はその熱から、どう抜け出せばいいかわからずに、酷く疲弊していた。
白状すれば、このときにはもう半分以上は認めていたのだけれど。


妙な噂が館に流れ出したのは、ちょうどその頃だ。

「家鳴り?紅魔館が?」
「ええ。しかも深夜にだけです」
「図書館の方は何ともないわよ?」
「だから不思議なんじゃないですか」
ということは、目の前の小悪魔がその噂を積極的に広めているということか。どちらかというと私は昼型なので、図書館は夜は閉館している。その二つを比べられる存在がいるとしたら、私か小悪魔だけだ。
「古くなった所為、ではないわね。時間帯が決まっているということは」
「そして聞き間違いもありえません。館の住人は、大半が夜型ですし」
つまり、聞いた者は複数いるのだ。
「あなたは当然確かめたのよね」
「話を聞いたその日のうちに」
野次馬根性、と言えばいいのだろうか。こういう場合も。
「レミィはこのことを知っているのかしら」
私は唯一の親友であり、この館の主である彼女を思った。館そのものの問題である以上、彼女の耳に入って然るべきだし、ましてやレミィは吸血鬼、本来完全な夜型だ。夜な夜な家鳴りがする館なんて彼女の美意識に関わることを、そう長く放っておくとは思えないし、対処がわからないのだとしたら私へ相談に来るはずなのだが。
「どうなのでしょう。その、家鳴りが聞こえるのは一階なんだそうです。レミリア様は大抵上の階にいますし、ひょっとしらまだお聞きになってないのかも」
「一階だけ?」
「正確には、一番大きく聞こえるのは地下ではないか、ということなのですが、あそこは倉庫ばかりですし。でも仮にそうだとしたら、今度は…」
「フランが反応しないはずがない、というわけね」
考えられるのは、咲夜の能力でいじくった影響で、たまたまフランの部屋まで届かなかったということだが。まって、咲夜?
「咲夜にこのことは聞いたの?彼女の能力が関係している可能性は充分あるでしょう?」
「あーそれなんですけどね。メイド長、最近レミリア様の身支度などを一通り済ませた後は、早々部屋に引っ込んでしまうんですよ。もっとも、これはレミリア様きっての指示らしいんですが。それで、メイド長の部屋は二階ですし」
レミィがそんなことをさせていたとは初耳だった。ひょっとして、前に咲夜に依存しすぎだと言ったことを気にしていたのだろうか。
「あの子の部屋に訪れるなんて、それこそレミィやフラン、それから私ぐらいしか出来ないでしょうね」
「開けた途端ナイフが飛んできそうで、どうにも」
情けのないことを言ってくれる。
「そう言えば、もう一人例外がいたわね。咲夜の部屋に入っても大丈夫そうなのが」
私の発言に、小悪魔は何故か具合の悪い笑みを浮かべて、「実は…」ともう一つ話題になっている噂を白状した。むしろ噂の浸透率は、こっちの方が大きかったらしいのだが。

「いえ、隠してたというか、私は直接見ていないんですよ。だからこれは、観察好きで有名なメイドから聞いた話なんですが、最近、美鈴さんがよく倒れるらしいんです。それだけなら体調が悪いのかなで済むんですが、どうも倒れるときにゆらぐらしいんですよ」
「揺らぐって、身体が?」
それは当たり前のことのような気がした。
「違います。ああでも、確かに身体には違いないんですけど、そうじゃなくてなんて言ってましたっけ、ああそうだ、蜃気楼見たく揺れるんです。こう、ゆらぁって一瞬だけ、消えかけるように」
「美鈴が?」
「はい。美鈴さんの姿が」
「……怪談をするには、もう季節が過ぎているわよ。だいだい、妖怪メイドがそんなことをしても」
「それで、心配だから後日美鈴さんに訊いたらしいんです。一体どうしたんですかって」
小悪魔は、珍しく真面目な顔で言った。そう言えば、小悪魔とあの門番は、それなりに仲が良かったはずだ。もっとも美鈴が誰かと仲が悪いという話は、聞いたこと無いが。
「それで?」

その時になってようやっと。

――――――――あの門番だけどね

「『倒れたってなんのこと?』そう、言ったんだそうです。美鈴さん覚えてなかったんですよ、倒れたことそのこと事態を、まるっきり」


――――――――漢字表記なのね。とても綺麗な名前だわ


脳裏に彼女の声が甦った。


それは、あまりに遅かったけれど。


――――――――もう少し気をつけて見てあげなさい。だいぶ揺らいでいるわよ




ああ、彼女のことを考えても、高揚しなかったのは久々だ。



次の満月まで、十日をきった宵だった。










【過去の遺産】


[Side:Marisa]


残暑は未だに厳しかった。他の蝉に取り残されたツクツクボウシが、最後の悪あがきとばかりに盛大に鳴いている。作業の手を止め、魔理沙は汗を拭いた。
「図書館は、涼しいんだろうな」
今頃潜入を果たしているだろう彼女を思い、恨めしいような羨ましいような気分になる。けれど日替わりで役割を分担しようと提案したのは自分の方だ。明日はアリスも現地に来るのだから、出来れば今自分が試せるものは全て試しきっておきたいという気持ちもあることだし。
「よし。休憩終了だ」
魔理沙は地図を取り出し、チェック済みの印をつけた。
「これで七つ目か。本当、一人でやろうとしなくて正解だったな」

あの後から数日、扉の文様と似たものが描かれた小さな石塔が、崖の周辺や近くの森で見つかった。文様が地形を、宝石がどうやらこの石塔の位置を表しているらしいと気づいたのはアリスだった。扉そのものにどうやっても解除の手がかりが見つからず、行き詰まっていた矢先のことだ。
「この石塔が鍵ね」
「あるいは、これをどうにかすると、向こうに開く仕掛けが現れるかだな」
問題は、長い年月の間に地形が変化したことで、正確な石塔位置を掴みづらいことと、宝石がいくつか足らないことが不安の種だった。
「それでも一つ救いがあるわね」
「救い?」
「ここにあるこの字、読めるかしら。大分古いものだけれど、間違いなく人間の文字よ」「それがどうかしたのか?」
「いい?人間の文字ということは、これは当然人間の魔法使いの製作した仕掛け。これだけ大がかりなんだもの。オリジナルがあるはずよ」
今度は魔理沙にもわかった。まったく、この人形遣いは演繹的思考だけは得意だ。何だか悔しいので、普通の魔法使いは嘯いた。
「三段論法ってのは、穴が多いんだぜ?」
それで、日替わりに図書館と現地を調べることになった。

「アリスの推測では、八つ目はちょっと厄介な連中の散歩道近くだな。まぁ、いい気分転換になるか」
スペルカードを握りしめ、魔理沙は気合いを入れ直した。パチュリーが外に出てくれれば、もう少しスムーズに行きそうなんだがなと思いながら。

奇しくもその頃ヴワル図書館にて、知識と日陰の少女ことパチュリー・ノーレッジは、七色の人形遣いことアリス・マーガトロイドがとても深い眠りに堕ちているのを見ていた。




この時、事件はところどころで絡み合っていたのだ。そうしてその事件が始まったのがいつからなのか、それに答えられるものはいなかった。
たった一人、アリス・マーガトロイドであるはずの少女以外は。







【BGN】


――――――――それぞれ別件よ

そう、スキマ妖怪は言ったらしい。それはまったくその通りで、同じくらい大きな間違いだったのだと、後になって魔理沙はよくよく知るのだった。

秋風が吹く頃には、魔理沙は事態がすでに自分の手を離れてしまったことに気がついていた。そうして、酷く苦い何かを口いっぱいに感じながら、それでも大胆不敵に魔女と人形遣いに向かって笑ってやったのだった。
だから、魔理沙は待つことにして、ぎりぎりまで地図を埋めることだけに専念した。ほとんど無茶苦茶に書物を読み漁って、しらみつぶしに洞窟の周辺を飛び回った。もしかしたら自分が生きている内には、二度と戻ってこないかもしれない彼女たちを横目に。何故って?霧雨魔理沙はどこまでも普通の魔法使いで、趣味で異変を解決しても、囚われの少女を救い出すなんていう役回りは、彼女向きじゃなかったからだ。

そう、ひたすらに信じることが、彼女の魔法使いたる所以なのかもしれなかった。


もう事件の終わりの頃は、三人ともそれぞれが、大胆不敵に笑い転げた。

霧雨魔理沙はアリス・マーガトロイドと仲が悪かったし、パチュリー・ノーレッジとは常に窃盗の加害者と被害者という関係だったけれど。三人とも、誰もその日常が、決して嫌いじゃなかったから。


だから笑顔で、己のスタンスを貫くことを決めたんだ。







【アームチェアディテクティブの失脚】

[Side:Patchouli]

満月の晩まで一週間。



「パチュリー様」
「なに?」
「アリスさんが来てますよ?」
「だから何だって言うのよ」
小悪魔はくすくすと、とても楽しそうに笑った。気楽なものだ。こういう事にだけはめざといから腹が立つ。
「別に。ただ、彼女何か知っているんじゃないですか?」
「かもね」

―――――――――幻視力が高いらしいぜ

「そうね、おそらく何か知っているんでしょう」
現在起こっていることは本の中にはないのだから、これは私には分が悪い。まして読む必要があるものは、本ではなく人の機微。正直、それは専門外だ。
「だったら」
「気持ちはわかるけれど、小悪魔。彼女は」
彼女は部外者だ。館の沽券に関わることを、おいそれと相談するわけにはいかないのよ。
そう私が口を開くより前に、奇妙なほど濁りのない声が割って入った。
「手を貸すくらいなら、別にかまわないわ」
誰であろう、彼女以外にあり得ない。
「今日は帰れって言わないのね?」
どこまでもどこまでも澄んでいく瞳が、心なしか楽しげにこちらを見ていた。

「なるほどね」
「わかったの?」
もしそうだとしたら、悔しさのあまり今夜は眠れないかもしれない。
「安心して、まだよ。結論を出す前にいくつか確かめたいのだけれど、ここ最近、館で何か生きているもの以外に奇妙なことが起きてないかしら?」
「奇妙なこと、ですか」
私と小悪魔の思考は、同時に同じ答えを出した。
「真夜中にだけ家鳴りがします」
「真夜中にだけ家鳴りがするわ」
「家鳴り、この館の大きさで?」
確かに、大きな建造物は、あまり家鳴りはしないかもしれない。何故そこに気がつかなかったのか。ああ、そもそも家鳴りを聞くこと自体、今回が初めてだからだ。そうして今思い出したが、家鳴りとは、多くは木造建築に起こる現象ではなかっただろうか。木造建築はその性質上、巨大な建築物を造るのに向いていない。従って、大きな建築物は家鳴りが起きるような木造建築を避けることになる。
「真夜中にだけ鳴るなんて、ただの家鳴りではないわね」
「そんなことはわかっているのよ。私が訊きたいのは、あの門番に何が起こっているのかということ。さあ、あなたが知っていることを洗いざらい話なさい」
「パチュリー様、それでは脅しです」
小悪魔が、まったく何でよりによってそんな話方をするんですか、という目で見てくる。しかし弁解させてもらえれば、私だって余裕がないときぐらいあるのだ。今がその瞬間である。私はここ最近の美鈴をとりまく全てを、紙に書き出し説明していた。それを覗き込む形で、彼女は私の隣に座っている。つまり、彼女と私はとても近くにいるのである。別にそれがどうということはないけれど。ということは、これは何の弁解にもなっていないのだろうか。
「まぁ、それなら館を歩いた方が早いわ。というわけで」
彼女はそこで、何故か私の腕を掴んだ。思わず驚いて固まってしまう。
「あのね、そんな不機嫌そうな顔しないでほしいのだけれど」
彼女にはそう見えるらしかった。
「あなただって、門番がいなくなったら困るでしょう?」
「いてもいなくても、同じような…」
アリス・マーガトロイドの肩越しで、小悪魔がNGサインを送っていた。NG、つまりno goodだ。
「というか、美鈴はいなくなるの?」
人形遣いは、とても不思議そうな顔をした。
「あら。私は初めからそう言ったつもりだけど」
それはそれは、今の今まで全く知らなかった。
私は、こういうとき相手に向かって攻撃してはいけない理由はなんだろうと考えた。


まぁ結局は、素直に館を案内してあげることにしたが。それは仕方がないことだった。というのも、服にしまい込んだスペルカードを出すには、右手か左手がいるのだが、左手は本を持っていなければならなかったし、右手は彼女の右手に拘束されていたのだ。
後ろの方でずっと笑っている小悪魔は、そのまま胃腸が捩れきればいいのにと思った。もちろん、冗談だが。


「ねえ、何故かしら。さっきから会うメイド会うメイド全てが、信じられないものを見たっていう顔をしているんだけれど」
「そうね。あなたと私が一緒にいるから、ついに可哀相な人形遣いの最期が来たのねと、ショックを受けているんでしょう」
「あなた、普段メイド達に何しているの?」
「さあ?」
「さあって」
私は今ならメイド達の気持ちがわかる気がした。その上で主張するが、私が図書館から極力出ないのは出不精なのではなく、出る必要がないからである。そんな目を疑うように何度も見ないで欲しい。


これからの行動はあまり目立つわけにはいかないというのに、早くも怪しい雲行きだった。














たぶん【Anywhere but here】だけでは、扉の謎は解き証せない気がします。謎というほど、謎でもないですが。

こちら、歪な夜の星空観察倶楽部です。


この話は、前作『Childhood's end』
       夏の暑さ
       紅茶、とにかく紅茶
       複数の死語
       数え切れないほどの何か

       忘れちゃいけない東方ワールドと皆さまの励ましで出来ています。





歪な夜の星空観察倶楽部
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コメント



0.3610簡易評価
35.70煌庫削除
誤字と思われる部分を最初に。
「今日は返れって言わないのね?」→「今日は帰れって言わないのね?」
かと。
さてさて館で静かに見え始めたミステリー。
魔理沙が見つけた石塔はなに?
謎が謎を呼ぶ。
38.70名前が無い程度の能力削除
いいなー、この連作の流れいいなー。
わくわくが止まらないでありますよ。

あとパチェがかわいい。
70.100名前が無い程度の能力削除
ここまで読んで何が起こっているのか読み取れない僕が恥ずかしい。
76.無評価名前が無い程度の能力削除
一気に読んでる人です。楽しく読ませてもらってます。
少々疑問が。最後のパチュリーの右手をアリスが右手でっておかしくないでしょうか?