※この話は、『Childhood's end』とリンクしています。
きっと今日も断られるだろう。そう思っても小悪魔は丁寧に紅茶をいれていく。
別段、自分としては彼女にそこまでしたい訳ではないのだが、万が一に彼女が気まぐれを起こしたとき、主人に恥をかかせるようなものは出せなかった。それに起こさなかったとしても主人は確実に飲むわけだから、美味しいにこしたことはない。
この薄くも繊細な技巧を尽くしたティーカップは、主人がある日突然用意させたものだが、可哀相にその役目を果たしたことは一度もない。おそらく今日も使われないだろうたった一人の為のティーカップを見つめて、小悪魔はそっとため息をついた。
埃っぽい匂いに、重々しくも知的な空気に、紅茶の気品ある香りは漂い広がってゆく。
白い陶磁器のティーポットが満たされたなら、主人は本を閉じてあの一角に向かうだろう。
そうして数分後には、一人では多すぎる量の紅茶を、不機嫌を取り繕って消費するのだ。
この一連の動作は、もはや日課になって久しい。
Anywhere but here(魔法使いには魔術書を)
【息抜きの為の断片集Ⅰ】
「その本は私のよ。そしてここは私の図書館」
声色は自然ときつくなった。いったいいつからいたのか、彼女の横に高く積み上げられている本は、どれも貴重なものばかりだった。
「知っているわ。だから侵入したんだもの。正面からだけど」
声をかけるまでこちらを見向きもしなかった彼女だが、その言葉にあっさりと手元の本から顔をあげた。床に直接座っている為、二人の視線は彼女が見上げるという形でぶつかることとなった。透明度がいやに高い瞳だと、どうでもいいことが頭をよぎる。
「その正面には何かいなかったかしら」
「いたけど、私が見えなかったみたいね。まぁ、それを期待して高く飛んだわけだけど」
「通せんぼは入ってくるなの意思表示よ」
「違うわ。扉が有る限り、そこは出ても入ってもいいのよ」
彼女はまるで誰かのようによくわからない屁理屈を述べ、誰かとは違ってそれ以上は続けなかった。
その手には彼女の私物以外は何もなく、恐らく入ってきた時と同様に、人形を一体引き連れて扉の方へ。
「それじゃあ、また」
今までの会話全てを、台無しにするような言葉を残して。
「二度と来ないでちょうだい」
結局その言葉は効果が無く、彼女は暫くたってから再び現れた。
もっとも、その時は本を読みにきたわけではなかったが。
それは、パチュリー・ノーレッジが、アリス・マーガトロイドと初めて言葉を交わした時のこと。
それは、魔女が七色の人形遣いの名前はおろか、彼女が人間でないことも知らなかった頃の話だ。
[暗転]
連日宴会騒ぎという、平和なのか大事なのかよくわからない怪異から数日が経った。
「そういえば、まだ名前も訊いていなかったわ」
「アリスよ。アリス・マーガトロイド。あなたの名前は知っているわ。ナイフを投げるのが趣味なメイドが教えてくれた」
「あの役立たずの猫のことね。おかげでネズミがのさばりすぎる。本棚の隙間がまた増えるわ」
「大丈夫。全部無くなるってことはないわ。魔理沙の家はそんなに大きくないもの」
いつかのように本を積み上げ、彼女は私を見上げて言った。相変わらず透明度が高い瞳だと、どうでもいい感想が浮かんだ。
彼女は、あの日のようにいつの間にか現れた。魔理沙の豪快な登場に慣れたせいか、不覚にも全く気がつかなかった私は、本棚の合間にいる彼女を見たときかなり驚いた。
もっとも、それを表情に出すほど、私は可愛気のある魔女ではなかったが。
「アリス・マーガトロイド。今すぐここから出て行きなさい」
「名乗った相手は丁重に扱わないといけないの。具体的には笑顔で対応」
「館そのものはともかく、ここにお客は必要ない。聞き分けのない部外者には、弾幕でもてなすことにしているの」
スペルカードを握る。脅しではないつもりだった。
「そんな物騒なものは出さないで頂戴。心配しなくても帰るわ。門前と廊下で、今日はもう充分動いたもの。これ以上は、健康に悪い」
この動いたというのは、後にただのおしゃべりだったことが判明するのだが、私はそのとき弾幕のことを言っているのだと思い、猫たちに釘を刺さなかった。そのことが彼女の潜入が黙認される理由となるとは、私はその時思いもしなかった。
ともかく、私が気づいたときは、本の山はあらかた片されていた。彼女が最後の数冊をすぐ傍の棚に戻すのと、ちょろちょろ動く人形が、少し疲れたように戻ってくるのはほとんど同時だった。
「ありがとう上海」
それが人形の名前なのだろうか。どこか誇らしげに胸を反らした人形を、慈しむように指で優しく撫で、彼女はそこで初めて笑顔を見せた。誰かよりは幾分素直そうな笑い方だった。笑顔などというものは久しく浮かべていない私には、それは、春の日差しくらいには眩しいものだった。
「出口はあっち。人形遊びは家でやってちょうだい」
何となく、声がまた尖った。
「あなたはどこかに出かけた方がいいんじゃない。健康的に」
「余計なお世話」
再びスペルカードを出すより速く、彼女はその場から去っていった。
「それじゃあ、また」
今までの会話全てを、台無しにするような言葉を残して。
「二度と来ないでちょうだい」
結局その言葉は効果が無く、彼女は一週間後に、四度目現れた。
[暗転]
アリス・マーガトロイドは、同じく魔法の森に住み、同じように金髪の少女とは違って静かな魔法使いだった。あのモノクロが門前でここまで襲撃を知らせるとしたら、カラフルな七色は、彼女が本を数冊読み終わってからようやっと来訪に気づくというほど存在が希薄だった。類似点は数多いが、受ける印象がまるで違う。聞けば趣味も共通しているというのに。
「何度か獲物を取り合ったことがあるぜ。当然、私の勝ちだったけどな」
今日も今日とてやって来た、モノクロもといネズミ第一号改め黒白こと霧雨魔理沙は、図々しくも三杯目の紅茶を小悪魔に要求すると、礼も言わずに口をつけた。人間というのがみんなこうだとは思わないが、博麗の巫女と言い、どうも不作法なイメージは拭えない。ああそうだ、咲夜も人間だったわ。でもあれはまた別な気がした。
茶菓子を出せとまでは言わないのは、そんな人間じみたものがここには存在しないことをわかっているからだろう。
「それは気が合うってこと?それとも仲が悪いってことかしら」
「ケンカはするが、お互い憎いってことはない、と思う。少なくとも私は違う。ケンカと言ってもじゃれ合いだ。仲良く弾幕ってる。だいたい、週一ペースで」
「それは仲が良いとは呼ばないわ」
「仲が悪いぜ」
笑って、三杯目を飲み干す。
「まあ、そういうお前や門番とは、三日に一度弾幕ってるわけだが」
「あなたが本を盗らなければ、少なくとも私は何もしないわ。門番とメイドはかまうでしょうけど」
「それは無理な話だぜ」
「そうね。言ってみただけ」
その日は、そんな益体もない話で始終した。
帰り際に、さりげなく本をエプロンに入れたネズミは言った。
「私が行くと、あいつはいつも人形に囲まれた部屋でひたすら研究しているんだ。放っておくと話し方を忘れるんじゃないかと思うぜ。だから、ここに来たら」
普通の魔法使いは、珍しく言葉を選ぶようにそこで切り、
「待ちなさい。あなたね、その本は」
「じゃあな、また三日後」
突風を巻き起こし、去っていった。埃が舞う。
「アグニシャっごほっ………に、二度と来なくて、いいわ…」
それじゃあ本が返ってくることもありませんね、とのたまった通りすがりの役立たずな銀猫に、とりあえず八つ当たりしといた。逃げられたけど。
その次の日
「ロイヤルフ」
「せっかちね。それとも、それがあなたの寝起きの運動?」
いつものように床に座った彼女は、いつものように私を見上げる。モノクロの話では行儀正しく神経質だという彼女は、見る度に不作法な格好で本を読んでいる。その行為に込められた意味は、私の知識を持っても解読は不可能だった。まぁ、この近くに椅子なんてないけれども。
「人間でもないくせに早起きね。朝型を通りこして朝方だわ」
「人間はそれを早起きは三文の得と言って尊ぶらしいわ。大変な美徳だと、前に霊夢が言っていたわ。それから、もう朝食にも遅い時間よ」
アリス・マーガトロイドは読んでいた本を棚に戻すと、奥に行っていたらしい人形を呼び寄せた。まだ来たばかりなのだろう。今日は本の山が無かった。
「あら、引き際のいい」
「それが私の強みなの」
そう言えば、彼女は決して本気を出さないとモノクロから聞いたことがある。同じ侵入者だから、彼女の名前は話題によくのぼる。それで私は、昨日の話を思い出した。
「私の朝食はこれからだけれど」
そうそうと帰ろうとした彼女が振り返る。
「たまにはお茶でもどうかしら、アリス・マーガトロイド」
気まぐれがおきたので、誘ってみる。勿論、気まぐれだから断られても気になりはしない。彼女は一瞬その言葉に同意するような表情を見せたが、すぐに何か思い当たったのか、表情をわずかに厳しくして首をふった。もちろん、横に。
「結構よ。基本的に、口に入る物は貰わないことにしているの」
慎重に答える彼女は、やっぱりアレとは似ても似つかなかった。
彼女は門を壊さず、本も持ち出さない。そのせいか、門番やメイドたちは彼女を素通りさせている。断り無く入ってくる点ではアレと変わらないが、私が話しかければすぐに出て行くため、怒るにもタイミングというものも無い。
「別に一服もったりなんてしないけれど」
「気に障ったのなら謝るわ。幻想郷にはいろんな種族がいるから、貴女にとってなんでもないものでも、私には毒かもしれないと思っただけよ」
「ただの紅茶よ。人間用の」
宴会時でもそうだが、基本的に咲夜や巫女や黒白に合わせておけば、みんな食べられることになっている。けれど私はなんとかしてでも彼女を誘いたいわけでもなかったし、彼女もどうしても誘われたいわけれでもない。
そうして今日も人形を肩にのせ、彼女は振り向きもせずに言う。
「それじゃあ、また」
さよならの代わりに、彼女は毎度そう言い残す。
「二度と来ないでちょうだい」
だからさようならの代わりに、私もいつもそう返す。
何故なら言っても無駄だからだ。魔女の言葉も、呪文でなければそんなものだ。
そんな馬鹿みたいなことが、馬鹿みたいに繰り返された。
にも関わらず、私はいつまでたっても彼女が入ってくるその時がわかった試しはなかった。どうも正面扉以外から入ってくるらしいのだが、それは候補がありすぎる。もちろん暇を見つけてそれら全てを封印してしまうことも出来る。けれど私には、そこまでするのはどうしても躊躇われた。彼女はなんの被害ももたらさないし、客人と呼べない理由は本を見せてと言わないことと、来ても挨拶しないというその二点だけだったからだ。それだけのことに全封鎖というのは、私が意地悪をしているようにしか見えない。
けれど時たま、本当に時たまだが、それもいいかもしれないと思う瞬間もある。
例えばそれは、彼女が此処へ通うようになんてから、二ヶ月ほど経った頃のこと。
「こんな時間からいるなんて、あなたよっぽど暇なのね」
その時の彼女は料理について書かれた本の棚の前にいた。私には全く縁もゆかりもない区域。ちなみに、彼女が手に持っているのは『美味しい家庭のお菓子 百選(上級編)』だった。そんな本があったとは知らなかった。どうみても魔術には関係なさそうな本だ。この人形遣いの考えていることはよくわからない。上級編ということは、単に人間の風習を思ってのことではないだろう。私は幾つかの可能性を挙げ、結局は彼女が人形遣いであり、研究のほとんどはそのことに帰せられることをから結論づけた。
「人形に、お菓子でも作らせるの?」
「それは面白そうね。今度考えてみるわ」
魔術は関係なかったらしい。
「お菓子なんてつくるのね」
また人間みたいなことをする。
「半分は趣味みたいなものね」
「もう半分は、実用?」
「そうよ」
彼女は当然のことのように言った。そうして丁寧に本を棚に戻していく。ところでこういったことは、レシピを見ながらやるものだと思っていたのだが、メモを取った形跡が無いのはどういうことだろう。
「もちろん覚えたわ。大まかな量なら、経験に裏打ちされた感覚だけでも充分だしね」
「大雑把なのね」
「そうともいえないわ。そもそも、手に入る材料によって多少の調整が必要になるのが常だもの」
なるほど道理だ。
「あなたは趣味がないの?」
「本を読むのが好きだわ」
「でもそれは、趣味とは違うでしょ?」
確かに、趣味と言うより生き甲斐と言えた。しかしそれでは、私の趣味とはなんだろう。
答えるものが無いことに多少の敗北感を味わいながら私が頷くと、アリス・マーガトロイドは何故か笑んだ。人形を腕に抱き、労を労うように頭を撫でる。
「ならあなたは、他にはどんな趣味があるのかしら」
正体不明の悔しさが沸き起こったので、その衝動に乗ってみた。こういう刹那的な感情は、どこかの黒い何かの影響だとは小悪魔の弁だ。
「そうね、あとは散歩とか」
「散歩?飛べるのに、何故歩くの?」
「移動手段なんて問題じゃないのよ。散歩は歩くことが目的なんだから。歩いて、見たり聞いたりして味わうのよ。それともあなたは」
アリス・マーガトロイドはここで一旦切り、左右に軽く目を走らせた後言った。
「それともあなたは、文字でしか花の美しさがわからないのかしら?」
全く。ここ界隈の連中ときたら、どうしてこうそろいもそろって減らず口をたたくのだろうか。目の前の彼女は知らないのだろか。辞書は、投げて当たるととても痛い。
結局本をそのように扱うのは忍びないので、私はスペルカードを引き抜いたのだが、その頃には彼女はもういない。代わりにひらひらち舞い降りてきたのは一枚の紙だった。
「……まったく。二度と来ないでって言ってるのに」
私はその紙を燃やそうとして、せっかくなので机の引き出しにしまった。とくに深い意味はない。なんとなくだ。
そんな具合に、また幾日が過ぎた。
「ネズミが増えたそうね、パチェ」
「黒いのに比べれば行儀が良いわ。挨拶なんていう、高等な芸はしないけど」
その午後、珍しく図書館にはレミィが来ていた。血の入った紅茶の水面を揺らす主人の斜め後ろに、その完全で瀟洒な従者が静かに控えている。私の言葉に、館の主はあらあらと、意外そうというより面白がるように言った。
「ちょっと見ないうちに、随分と丸くなったものね」
「別に入館を許可した覚えは無いわ。門番もあなたのメイド長も何をしているのかしら」
すでに追い出そうという気は失せているのだが、それを認めるのは癪だった。
「今度来たら美鈴に追い返させます」
「あの子にそれがつとまるかしら」
「返事だけはいいんですけどね」
この紅魔館でも指折りの門番は、あっさりとこき下ろされた。とは言え、それは決して本心ではないことを私は知っていた。何だかんだで最前を任すには、もっとも適した門番だ。弾幕は得意ではないらしいが、打たれ強さがダントツなのだ。弾幕の目的は殺し合いではないし、見目も好い彼女の弾幕は、まぁ日々の華と言えなくもない。なにより彼女はあれで人望もとい妖望が厚い。小悪魔の話では、門番副隊長がとくにご執心だとかなんだとか。
それはさておき、先ほどの咲夜の言葉は恐らく実行されないだろう。完全で瀟洒な従者は無駄なことを好まない。門番も、戦意の無い相手への弾幕を好まない。本人ではなく咲夜に聞いた話だが、最初に七色が来たときも、気づいていながら素通りさせたらしい。気を使う程度の能力を持つあの門番は、殺気や悪意の類に聡いのだ。敵意がないうえに被害のない相手では、形だけでも弾幕を張るのは躊躇うらしい。勿論、とんでもない話である。職務怠慢もいいところだ。よほど自分の眼に自信があるのか、あるいは何も考えていないのか。後者なら、いろいろと考えなければならない。
別に、あの七色を全力で倒せとは言わないが、もう少し私やレミィに対して誠意ある行動を取っても罰は当たらないと思う。同じ事は咲夜にも言えることだ。しかし、この二人ほどレミィに対して忠誠心が高い者が、果たしてこの館には存在するだろうか。となると、これは私自身に対しての挑戦状ということだろうか。野蛮なことは嫌いだが、売られた喧嘩は買うべきだろう。ここは幻想郷なのだし。誠意がないと言えば、あの人形遣いからは、今まで一度も挨拶をされたことがない。向こうがしてこないから私もしないが、これも密かに喧嘩を売っているのだろうか。幻想郷の住人にしては、比較的好戦的ではないように見える彼女だが、平和主義者でないことぐらいは、一度戦ってわかっている。勝つための努力をしているレベルだった。けれどやはりそういうのとは違うのだろう。それに、私は魔理沙に対しても、きちんとした挨拶などはしていないではないか。
と、くすくすと笑う声に意識を戻される。
「何を笑っているの?」
「私がいても考えに浸るのは昔からだけど、それを表に出すのは珍しいわね。貴女、今とても面白い顔していたわよ。見た目が変って言うわけじゃなくてね」
レミィは、何だかひどく楽しげに、浮かれていると言ってもよいぐらい上機嫌に言葉を弾ませた。
「最近楽しそうね、パチェ」
「そうかしら」
貴女は今が楽しそうよ、レミィ。
確かに、以前よりは毎日に変化があり、魔理沙という読んだ本の内容を話し合う相手も得た。そう言った意味では、今の私の生活は、今までの人生の中でも充実した時間と言っていいだろう。
「そうね、そうかもしれない」
なんとなく素直気分で頷くと、レミィは満足げに紅茶を飲んだ。
益体もない話を三つ四つ。それから少しあと、紅き館主は自室へと引き上げていった。
それにしても、レミィはこんな時間にどうしたのだろう。
ちなみにその日の来訪者はそれで終わり。
誰も来ない日は、もう三日と無い最近だが、ネズミはどちらも現れなかった。
そう言えば、二人が同時に来ていることがないのは偶然だろうか。
眠りに落ちる前に、そんなことを考えた。
【息抜きの為の断片集Ⅱ】
今となってはどのような会話の流れだったかは思い出せない。どんな流れでも不自然ではなかった気がする。
その頃私と小悪魔は、どうやら魔理沙の来ない日を狙って訪れるらしい彼女のことを、十回に一回くらい話題にのぼらせていた。というのも、今日こそ二人はかち合うに違いないと、毎日賭をしていたのだ。また、どちらが先にいつの間にかいる彼女を見つけられるかも、お互いの仕事に差し障りの無い程度に競っていた。
「魔界人?」
「だぜ」
「じゃあ人間だったの」
「いいや。というか、あいつは何も言わないのか」
「ええ。声をかけるとすぐに帰るわ。誰かさんと違って」
「相変わらず人見知りする猫みたいな奴だな。確かに、私とはえらい違いだ」
「ええ。弾幕もない、紅茶も要求しない、本も持ち帰らない。誰かさんと違って」
ははんと魔理沙は笑う。
その頃、外は夏の盛りだった。
「ここは涼しいな」
魔理沙は汗を吸ったハンカチをエプロンにしまい込むと、小悪魔に淹れさせたアイスティーを飲みながら、満足そうに椅子に全身を預けた。まるで自室か何かのようなくつろぎようだ。
「博麗の巫女にもそんな調子?」
「は?」
「だから、どこへ行ってもそんなに図々しいのかと訊いているの」
「いや、これでも遠慮しているんだが」
嘘だと思った。私の疑わしげな視線に、彼女は弁解を試みる。
「いやいや本当だ。例えばまだここには、私は泊まったことが無い」
それはスピードに任せて本を強奪していくからだ。そうして魔理沙が神社に泊まっていくのは、単に酔いつぶれた結果であることを私は知っていた。
「そもそも、霊夢のところ以外で、あなた泊まったことあるの?」
「ああ?あるぜ、当然。アリスのところだ」
彼女は何でもなさそうに言った。
「貴女たち、仲が悪いんじゃなかったの?」
「仲が悪くたって、互いの家に泊まったりするさ」
それはどうだろうと私は思った。今まで知らなかっただけで、人間はそれが普通なのだろうか。第一、あの人形遣いは人間ではないのではなかっただろうか。
「じゃあ、貴女も誰か家に泊めたりするのかしら」
「いや、私の家はそういった機能がない」
そう言えば、彼女の家は、足の踏み場もないという。やっぱり、どこに言っても魔理沙は図々しいネズミと言うことだろう。
「人形遣いね。彼女とも、お酒を?」
「おいおい、私たちは魔法使いだぜ?」
何でも、互いに研究の手伝いをしたりするらしい。
「あいつはなんてゆうか、パワーが足らないんだよ。種族魔法使いの割に。で、だ。大がかりな実験の時は私が駆り出される。かわりに時間と正確さと手先の器用さが必要な時なんかはアリスの出番だ」
ギブアンドテイクってやつだなと魔理沙は話をしめる。
「種族魔法使いって、そういえば彼女はなんの妖怪なの?」
「あー妖怪って言うか、魔界人だ」
「魔界人?」
「だぜ」
「じゃあ一応人間みたいなものなの?」
「いいや。というか、あいつは何も言わないのか」
「ええ。声をかけるとすぐに帰るわ。誰かさんと違って」
「相変わらず人見知りする猫みたいな奴だな。確かに、私とはえらい違いだ」
「ええ。弾幕もない、紅茶も要求しない、本も持ち帰らない。誰かさんと違って」
ははんと魔理沙は笑う。
「ま、あいつは箱入り娘なのさ」
温室育ちとも言う、と黒白。
「神綺ってヤツがいてな、魔界を創った神様なんだとさ。アリスはその娘だ。初めて会ったときは、そうだな」
その言葉は、何故か耳によく響いた。
「まるで、あいつこそが人形みたいだった」
そうして、私はこの日の会話を、後に何度も思い返すことになる。
「神は自らに似せ人をお創りになった、ね」
ますます人間みたいじゃない。
「そうだな。寿命以外では、私とこれといった違いはほとんどないな」
「そういえば、彼女は貴女を食べないの?」
「おいおいやめてくれ。さっきも言ったが、私はあいつの家に泊まることもあるんだからな」
想像したのか、ちょっと引き攣った顔で私の肩を叩く。少し痛いが、それは弱々しいと言っていいほどの軽いものだった。今の今まで、その可能性を考慮していなかったのだろうか。
「案外、隙を見て食べるつもりなのかしら」
「いやいや。あいつはあんま肉が好きじゃないみたいだし、そんなことないんじゃないか?」
「あら、そうなの?」
「私が見た限りじゃ、アリスの主食は野菜とお菓子だぜ」
「野菜と、お菓子?」
「なんだ、食べたことないのか?神社に遊びに行くときなんかは、絶対何か焼いてくるんだ。この前は、ココアクッキーだったな」
「…半分実用ってそのことなのね」
「なんか言ったか?」
別に、と私は答えた。
「まぁこれがなかなかの腕なんだ。私は和食派だが、お菓子は洋だろうがなんだろうが特に問わない」
「本当に人間とあまり変わらないのね、彼女」
「あまり妖怪らしくないんで、時々妖怪だって事を忘れるぐらい変わらないな」
「そう、食べられる心配はないのね」
「ちょっとまて、何故そこで残念そうにするんだ」
「そんなことないわ」
「目を見てもう一度同じ事を言ってみろ」
「気にしないで、本を読んでいるだけよ」
「パチュリー、人と会話するとき、本は読まないもんだぜ」
そんな下らない話をしながら、私は本を数冊読み終わり、魔理沙はその間に紅茶を七杯も小悪魔に淹れさせていた。本当に、私たちは何をしているのだろうか。もちろん時々は読んだ本に関する実のある会話もあったが、それは全体の三割程度しか占めておらず、残りの会話のくだらなさと言ったら、私の生涯でも一、二を争うほどだった。
例を挙げればこんなものだ。
「知っているのか?中国がついに新種の薔薇の開発に成功したらしいぜ」
「小悪魔から聞いたわ。つくづく思うのだけれど、あの門番は転職したらいいのよ」
「霊夢がこの前竹箒を壊してな、やる気をなくしてバテていたところを、あの鬼がサボリ魔と囃したものだから、結局仕事が増えたんだ。まぁ。紫がこっそり手伝ったみたいだが」
「あのスキマは巫女を甘やかすのが趣味なのかしら」
「アリスと言えばな、寝てるとき、あいつは全く動かないぜ」
「それをどうしてあなたが知っているのか訊いていい?」
「私のマスタースパークを喰らった後はよく寝てる」
「それは死にかけてると呼ぶ気がするわ」
「竹林の薬師だけどな、今度薬の配達を始めたらしいぜ。パチュリー調合得意じゃないだろ?試しに何か注文してみたらどうだ」
「そういうのは、先に診て貰わなければいけないもの。面倒だわ」
「夜鳥の屋台、夏のこの時期に合わせて、メニューを変えたらしいぜ」
「……」
「って、聞いてるか?」
「普段のメニューを知らないもの」
「たまには外に出たらどうだ」
などなど、全く下らないことだらけだ。
[暗転]
――――――――伏線はいつでもいくらでも張られているが、それがわかるのは思い出になってからだ。
[暗転]
やはりそれは夏のある日だった。
魔理沙の話では、もうツクツクボウシの声が混じり始めたということだった。この図書館にいる限り、蝉の声は聞こえないが。
それを見たとき、思わず目を疑った。そうして次に私がしたことと言ったら、静寂の呪文を唱えることだった。とにかく珍しい光景だという思いがそうさせたのだろう。
私はそっと彼女に近づいた。
古い強力な魔導書が集まったそこに、彼女はいつも通り床に座っていた。ただし、その目蓋はやわらかく閉じられており、あの酷く透明な瞳は見えなかった。壁に背を預け、眠る彼女の呼吸は穏やかだった。一メートルをきり、手を伸ばせば触れられる位置まで来て、立ち止まる。狸寝入りとは思えない。つまり本当に、彼女は寝ているのだ。
思い切って、もう一歩踏み出す。寝息の聞こえるこの距離は、起こすという目的でもない限り許されない領域だろう。起きたら起きたらだと思い、私は気にしないことにした。
「本当、寝てるときは動かないのね」
昨日の会話をはっきりと思い出した。家に泊まったことがあるというなら、当然この顔も見たことがあってもおかしい話ではなかった。
ふと、私はそのやわらかそうな金髪が光を、太陽の光を浴びて輝くだろう光景を想像した。もう久しく見ていない青空は、彼女のそれとよく似合うことだろう。
「あなたを創ったという神綺とやらに会ってみたいわね」
それから私は、彼女を揺り動かした。なかなか目を覚まさない。よほど深い眠りに堕ちているのだろうか。私は彼女の名前を呼んだ。
「起きなさい――」
“アリス・マーガトロイド”
その途端、何度揺すっても起きなかった彼女の目が開いた。
「…ここは?」
不思議そうな顔は幼げで、唇から漏れた言葉はかすれたものだった。
「おはよう…とこの場合も言うべきかしら。ここは吸血鬼の館だものね」
外は黄昏時だろう。
「……油断したわ」
さしもの彼女も動揺したらしく、どことなく気まずそうに、
「昨日は、徹夜明けだったから」
と言い訳がましくいうと、足早に帰って行った。
それでも律儀に、
「それじゃあ、また」
と言い残して。
だから私は、とうとうその日、もう来ないで、と言い忘れたのだった。
その時私は、もっとよく考えておけばよかったのだ。あの彼女が、不用意にお茶を飲みもしない彼女が、果たして疲れたからといってああも無防備に寝るものだろうか。あんなに近づいて、目覚めないことなんてあるのだろうかと。もっとよく、考えればよかったのだ。
[暗転]
夏は本格的に終わりかけていた。
今思えば、それは私の気を逸らす意味も、多分に含んだ警告だったのだろう。
「あの門番だけどね」
「門番?美鈴のことかしら」
「ああ。そんな名前だったのね」
帰り際に彼女が振った会話は、ひどく唐突なものだった。
「正しくは紅美鈴。くれないに、美しい鈴と書いて紅美鈴」
「漢字表記なのね。とても綺麗な名前だわ」
珍しく感心したように頷く。
「もう少し気をつけて見てあげなさい。だいぶ揺らいでいるわよ」
あの門番に何か悩みでもあると言うことだろうか。だとしても、それは私の管轄ではない。
「面倒そうな顔をして、冷たいのね」
「あれはレミィのだもの」
「レミィ?ああ、レミリア・スカーレットのことね。そう呼ぶと、とたん可愛く聞こえるから不思議だわ」
彼女はいつものように、手早く帰り支度を済ませると、人形を引き連れ、扉へ向かった。
ちなみに、今日の私はまだ出て行けとも言っていない。
「それじゃ」
「待って」
なんとなく先ほどの会話も気になった私は、彼女を呼び止めた。
「たまにはお茶でもどうかしら、アリス・マーガトロイド」
言いながら、私は彼女の返事を何となく悟っていた。それでも彼女が首を横に振ったとき、僅かな落胆を抑えずにはいられなかったが。
「『基本的に、口に入る物は貰わないことにしているの』だったかしら?」
「ええそうよ。それに、夕飯の準備もあるし」
考えてみれば、私は魔理沙から彼女の話を何度か聞いたが、彼女は私のことを詳しく知っているわけではないのだ。
「そう」
そうして、彼女はいつものように帰って行った。
今となっては明らかなことだが、ただ彼女は私の注意を、長く美鈴たちに向かせるのが目的であり、その為に誘いを断ったのだろう。けれどその時の私は、予感という熱に浮かされていたのだ。だから自分の不機嫌さの理由をいまいち分析できず、通りがかった小悪魔に夕食の用意をするよう指示すると自室に引き込んだ。当然頭からは、美鈴の話は抜け落ちていた。
そうしてその熱は、それから数日後あっさりと勢いを増し、私から判断力を奪っていった。
おかげで随分と異変への対応が遅れ、結果それは彼女にとって都合よく働いた。もちろん彼女は、私がどんな理由でそうなったのかなんて、想像もつかなかっただろう。いや、普段の彼女ならあるいは気づけたかもしれない。けれどその時全ては動き出していて、彼女は誰よりも早く、その混沌の渦に身を投げていたのだった。
【回顧の最後】
どこへゆこうという
あてもありませんでしたし
どこでなにをしようという
つもりもなく
ただ
どこかへゆけば
なにかがあるだろう とおもって
ぼくはいつも
たびをつづけてきたのです
それは、夏の最後。あるいは秋の始まりだった。
とても慌ただしい秋の、私たちの始まりだった。
その日彼女を見つけたのは小悪魔の方だった。ここのところ私が連勝だったので、面白くなかったのだろう。朝から落ち着きが無かったことを思い出しながら、私はいつものように本を読んでいた。
「それじゃあ、また来るわ」
私の読書を邪魔しない為か、アリス・マーガトロイドは今日は小悪魔に向かってそう言った。別に、帰るときは私に声をかけるとか、そんな決まりは全くない。
「いい加減、普通に入ってきたらいいかがです?」
捜すのをあんなに楽しみにしているくせによく言うものだ。小悪魔の本気ではない提案に、彼女はというと肩をすくめただけだった。小悪魔もそれは予想通りだったらしく、すぐに本の整理に戻っていった。あるいは、返事に満足したのかもしれない。
私はその様子を耳だけで捕らえていた。
そうして、それは本当に偶然のきっかけだったのだ。
「そういえば、今日の明け方に夢をみたのよ」
扉をくぐろうとして、アリス・マーガトロイドはふと思い出したように私を振り返る。彼女にしては珍しい行動で、思わず私は本から顔を上げる。何故って、ここで彼女の言葉に返事を出来るのは、私しかいなかったから。
「夢?」
「ええ。とても美しい夢だったわ。空がどこまでも遠くて、私は長い畔道を歩いてゆくの」
よほど彼女はその夢が気に入ったらしく、目を閉じて感慨深そうに言った。
「暫く歩くとね、遠くに森が見えるの。私はそこを目指しているのよ。道の端には小さな花がずっと咲いていて、それがまた綺麗な色なの」
あれは夏の花ねと彼女は笑った。その両目の目蓋には、まだ夢の名残が鮮やかに焼き付いているのだろう。アリス・マーガトロイドは、本当に幸福そうに夢の話をもう二言三言続け、そうして最後に目を開けた。
私たちの視線はぴたりと合った。今日は見ることがないだろうと思っていた、透き通ったそれ。
おそらく、それがその夢を思い出した理由だったのだろう。何の前触れもなしに、彼女はそれまでの言葉と同様に、とくに気負いのない調子で言った。
だからそれは、どうしようもないほど不意打ちだった。
「夢(そこ)で、あなたに逢ったわ」
どくんと、それが何の音なのか、一瞬わからなかったほどに。
「…え?」
跳ね上がったそれは、どんどんペースを上げてゆく。
背筋を細い指が撫でててゆく。
全てが白く、遠ざかる。
「そっ」
それはどういうことだと訊こうと、やっと頭が動き出した頃には、もう彼女はいなかった。跳ね上がったそれは、どんどんペースを上げてゆく。
「なに、これ?」
その音を意識し出すと、急に身体がふわふわとしてきた。実際今は浮いてはいるのだが、そんなのとは全く違う、内側から来る熱のような。
「…ね、つ?」
両手で顔を触ってみると、妙に熱い。私は慌てて自室に行き、朝に使う鏡を覗き込んだ。
「…うわ」
真っ赤だった。ぱちんと。私はベットに倒れ込む。浮く魔法は今解けた。だけど。顔は未だに熱いし、心臓もどくどくうるさい。発作ではないかと怖くなるほどなのに、気分は確実に高揚していた。なんだ、これは。
「………アリス・マーガトロイド」
私は彼女の名前を改めて舌に乗せ、震えそうな唇で形作った。否、震えている。
跳ね上がったそれは、どんどんペースを上げてゆく。
――――――――とても美しい夢だったわ
鼓動が加速する。
――――――――夢で、あなたに逢ったわ
鼓動が加速する。
「…すごいわ」
鼓動が加速する。
――――――――夢で、あなたに逢ったわ
ねぇ、アリス・マーガトロイド
あなた、どんな魔法をかけたの?
鼓動が、加速する。
始まりだした、瞬間だった。
期待してます。
後『全綺』これは皮肉なのか誤字なのか……
私はのそ様子を → その様子
それはともかく、演出といい伏線といい、上手かったです。
続きを楽しみにしております。
続編を心待ちにしています。
続きが楽しみです
期待してます。
ん~、楽しみにして待てる何かがあるというのは素晴らしい。
これはいいアリパチェだぁ!
踊りまするは一人の人形遣いと一人の魔女。
こんなアリス×パチェを待っていた・・・!
ついでにいまさら誤字の報告。
誘われたいわけ”れ”でもない。
文章も、アリスも、パチュリーも