ここは、無限の竹林の奥にある、ひっそりと静まりかえった空間の体現、永遠亭。
そこに辿り着くにはどこまでも続く竹の中を抜け、永遠に続いている静寂の海を泳がなくてはならない。故に、ありとあらゆる外的な存在を拒否してきた、この世界。
しかし、最近は、何だか少し様子が変わっている。
「どうにも、最近、肌につやがなくなってきてねぇ」
「お言葉としてはあれですけれど、やはり加齢ですね。原因は」
「私も年を取ったもんだねぇ……」
「とりあえず、お肌にいい、私のお手製の漢方薬などを出しておきますね。それから、出口近くの薬局で、ローションなども多数取り扱ってますから」
「いや、ありがたいね。割引は出来るのかい?」
「はい。初診の方は、お薬や診療費などは無料となっていますし、そちらの方も三割引で購入が出来ますよ」
「気前のいい話だねぇ」
「医者もサービス業ですから」
お大事に、と頭を下げる白衣の女性に礼を言って、彼女も立ち上がる。
「いやいや、魔理沙の奴も、いいところ知ってるもんだねぇ」
は~、やれやれ、などと年寄りじみたセリフを口にして、最近ちょっとお疲れ気味の祟り神は診察室を後にする。
「お次の方ー」
この部屋の主であると同時に、ここ、『八意永琳医療相談所』の所長であり主治医でもある八意永琳の言葉に従って障子を開けて現れたのは、髪に白いものが混じった男性であり、まず一言、こう言ったのだった。
「最近、腰がのぅ……」
「こちらが、髪の毛のつやを取り戻すシャンプーでして――」
「こちらはお肌に潤いを与える、特製の石けんです。ご一緒にこちらもいかがでしょうか?」
祟り神相手に商売をしているうさぎ達を横目で見ながら、彼女――この医療相談所で看護士を務める鈴仙・優曇華院・イナバがため息をつく。
「お客さん、最近増えたね……」
「それだけ、私たち、イナバ特戦隊のPR能力のたまもの」
えっへん、と胸を張るロリうさぎ――因幡てゐの言葉に、鈴仙は『そうなのかなぁ』と首をかしげた。
「もうけがあれば、前回みたいによくわからないお祭りしなくていいじゃん」
「ああ……確かに」
つい先日、盛大に打ち出された割りには、それほどもうけのなかったお祭りを思い出して、彼女は小さく首を縦に振る。
「それに、うちは姫が働かないから」
「昔から、権力者って言うのは下の人間に養ってもらうのが常識に近いけれど」
「でも、あそこまで働かないのは問題だと思うんだけど。一週間に二、三回は着物ずたずたにして戻ってくるし。あれを繕う布を買うだけでどれほどのお金がかかるか」
どこかからそろばん取り出し、じゃっ、じゃっ、じゃっ、とあっという間の計算を終えて、ずびしっ、とそれを鈴仙に突き出すてゐ。
そこに示された数字は、ちょっと直視したくない額だった。
「無駄に高いもの使いたがるんだもの。そりゃ、権力者のみならず、上の人間には特別扱いをしないと示しはつかないけれどさぁ」
全く困ったものだ、とてゐ。
こと、金勘定にかけては永遠亭において右に出るものはいないと言われているだけはある。かなりシビアな事をさらりと口に出す辺り、かなりはらはらするものがあるのだが、当人は全くそれを気にしていないようだった。
「第一、永琳様も永琳様よ。少しは姫様にお説教くらい……」
「あらあら?」
「ちょっと、鈴仙さま。あらあら、じゃないよ。あらあら、じゃ。
そんなおっとりしてたら、永琳様みたいに一挙手一投足の速度が低下……」
「あらあら」
「……てゐ、私、こっちだよ」
「………………え?」
恐る恐る、ぎぎぎぎぃっ、という音を立てて後ろを振り向けば。
笑顔で、左手を頬に、右手でその左手を支えている女性が一人。
「え………えーりんさま……」
てゐの額と言わず、全身に、だらだらと嫌な汗が流れ始める。
「いやいや、永琳殿。助かりました。
またお願いしますよ」
以前見た時よりも、ずいぶん年食ったなぁ、という感じの老人が、『はっはっは』と笑いながら永遠亭を去っていく風景が、その傍らで。彼の手には、湿布だの肩こりの薬だのが握られているのを、鈴仙は見逃さなかったという。
「ん~……どれがいいかねぇ。やっぱ高いものの方がいいのかい?」
「いえ。人のお肌は千差万別ですから、最もご自分にあったものをご使用なさるのがいいですね」
「とは言われても、これだけあるとねぇ」
「でしたら、こちらにおためし品がありますので、お使いになられますか? 後日、お気に召したものを、こちらにご連絡頂ければ、因幡薬局の方からお届けに伺います」
などというセールストークも聞こえているのだが。
「……え、えーっと……」
「あらあら」
「そ、その、えっと、はい! 私たち、これからもめいっぱい頑張る所存であります、小隊長どの!」
「あらあら」
「で、ですから、えっとですね、その右手に持った黄色いジャムは勘弁してほしいでありますっ! 永琳師団長!」
「あらあら」
「いやだから勘弁してくださいお願いしますごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
因幡てゐ、ここに眠る――。
「それにしても、今月の収支も黒字ねぇ」
「そ、そうですね……」
その日の晩ご飯の席にて、鈴仙から渡された財務諸表を見て、永琳。ちなみに彼女の後ろでは、白目むいたてゐが「じ、じゃむが……じゃむがおそってくる……たすけてれいせんさまぁ……」と呻いていたりする。どんな悪夢を見ているのかは、今のところ謎だ。と言うか知りたくない。
「だけど、医者として、忙しくなるのは嬉しくもあり困ってしまうことでもありねぇ」
「そうなの? いいじゃない、もうかるのなら」
「姫。私たち、医療に従事するもの達の稼ぎの根本は、人の不幸から発生するものなのですよ」
「それはそうだけど……。でも、そうじゃないと、うちは稼ぎが少ないんだから仕方ないじゃない。
えーりん、おかわり」
「あらあら。では、こちらのジャムを……」
「ごめんなさいわかりました繁盛しすぎるのよくないです」
近頃、なぜか永琳はジャム作成に凝っているらしい。
ただ、普通に作る料理は美味しいのに、なぜかそれだけは一口するだけでグレイズ不可即死確定致死量弾幕すら上回る破壊力を有しているのだが。
ちなみに、普段なら死んでも即座に復活する輝夜でもリザレクションするまでに十日ほどを要したという破壊力を持っており、これを通称、謎符『甘くないのもありますよ?』と言うらしいが、その詳細は未だ持って不明である。
――と、意味のわからない説明はここまでとして。
「それ以外の稼ぎの柱を立てたいところなのですが、正直、それ以外の魅力がうちにはありませんから」
「たくさん因幡がいるんだから、少しくらいいかがわしい店を開いてもよさそうなところだけど」
「やめてくださいよ、姫……それだけは」
「何よ、もったいない。エロ担当のくせに」
「誰がですかっ!?」
鈴仙の抗議の声をさらりと無視して、輝夜は漬け物を口に放り込み、
「まぁ、当面は、今のままでしょうがないのじゃないかしら。他に何か売りになるもの……タケノコ販売?」
「もしくは、蓬莱の薬のお試しセットを販売してみるとか……」
「……師匠、白玉楼と全面戦争するつもりですか?」
普段はおっとりしていても、いざという時には人が変わったように冷酷になる冥界の姫君を思い出し、ぶるっと震え上がる。彼女を相手にして、真っ当に立ち回れるのは、せいぜいが永琳くらいのものだろう。そのおつきの従者の実力も考えると、彼女たちと真っ向から事を構えるのは、極めて問題ありだ。その辺り、きちんと言い含めておかないと、相手は永琳だ。いつ何時、突拍子もないことをやり出すかわかったものじゃない。
昔はこんなんじゃなかったのになぁ、とため息一つ。
「まあ、今のところは、これで幻想郷の皆様のお役に立てているのだからよしとしましょうか?」
「あらあら。そうですね」
「でも、本当に、毎日あっちこっちから病人が来ますよね。最初の頃は一日に十人もいかなかったのに」
「それだけ認知度が上がってきたと同時に、いくら幻想郷と言っても、色々悩んでいる人は多いのよ」
「なるほど……そういうものですか」
「後々、ウドンゲには、私のサポートだけじゃなくて主治医も務めてもらわないとね」
「いえ……私はまだまだ……」
「あらあら。そんなことないわよ」
「むぎゅう……」
かわいいわねぇ、と抱きしめられて、鈴仙の顔が永琳の偉大なる峡谷の間に完全に埋没した。ちなみに、この状態になると完全に呼吸が出来ないため、人、それを『偉大なるおっぱいホールド』と呼ぶらしい。
じたばた暴れる鈴仙に、気づいているのかいないのか、よしよし、などとやっている永琳。もちろん輝夜は口を出さなかった。主従の微笑ましい姿に口を挟むのは野暮だと考えているのだろう。やがて、鈴仙がぐったりとなって動かなくなってから、ようやく永琳が彼女を解放する。ごろんと畳の上に転がった鈴仙の顔は、すっかりと青ざめていたという。
「明日も頑張りましょうか」
「そうですね。ところで、姫。姫も、せっかくですから、少し私たちのお手伝いをしてくださいませんか?」
「手伝い?」
「はい。人里への宣伝や、お薬やお化粧品の名前などを覚えて、お客様にご説明などを……」
「めんどくさいわねぇ。そんなの、他の因幡にやらせておけば……」
「あらあら」
「はいわかりましたやりますやらせていただきます身に余る光栄ですうわぁ嬉しいなぁ」
傍らに置いてある、黄色いジャムの入った瓶に手を伸ばした永琳を見て、顔を青ざめさせ、完璧な棒読みゼリフを述べる輝夜の姿は、実に微笑ましく情けないと、後のワーハクタクが語ったという。
八意永琳医療相談所は、朝の九時から開院、午後の五時に終了である。その間、休み時間が、十二時から午後の一時までという以外に、一切の休み時間がない。なかなかのハードスケジュールであるのだが、それを永琳を始めとした医療担当のうさぎ達がてきぱきとこなしていく様は、さすがと言わざるを得ないだろう。
希に、『うさみみナース萌えー』というよくわからない客が来て追い返されるという微笑ましい光景もあったりするが、おおむね、この医療相談所は好評であると同時に好調だ。
「では、お次の方ー」
さらさらとカルテを書きながら、先日やってきた祟り神に『こちらのお化粧品とお薬がいいですね』とアドバイスを終えて、次の客を呼ぶ。外で、二、三、話し声が聞こえたが、それ以外には特に目立ったものはない。
続けて、障子を開けて現れたのは、何かどこかで見たことのある相手だった。白と赤のチェック柄衣装を身にまとい、片手に日傘持った輩など、この幻想郷においては、今のところ一人しかいないのだが、
「はい、どうなさいましたか?」
永琳は相手の素性を気にせずに訊ねた。
ちなみに、その相手は、現在、なぜかほっかむりなどをかぶっていたりする。
「あ……その……実はお話がありまして……」
「はいはい」
ちなみに、ここは医療『相談所』でもあるため、健康やその他諸々に関しての相談事も受け付けている。要するに、カウンセリングも同時に行うマルチな病院なのである。
「実は……その……私……友達がいないんです……」
「あらあら。それは大変ですね、幽香さん」
「……なっ!?」
がたん、という音を立てて立ち上がる、ほっかむりの怪しい人物。どうやら、顔色を変えているらしい。やたら顔の部分にほっかむりを重装備しているため、目元くらいしか外に出ているところはないのだが。
「ちっ、違いますわ、先生! わ、私は幽香などではありません! そ……そう、ゆうかりんです、ゆうかりんっ!」
「あらあら。でも、そのお洋服は……」
「ほ、ほら、幽香とは赤と白が反対になってるじゃないですか!」
苦しい言い訳なのだが、とりあえず、永琳はそれを流すことにしたらしい。医者として、患者のことを第一に考える素晴らしい精神の持ち主なのだ。彼女は。
単に追求するのがめんどくさいだけかもしれないが。
「はいはい。では、改めまして。
ゆうかりんさん、どうかなさいましたか?」
「そ、その……別に、今の境遇に満足してないわけじゃないのよ? でも……みんなが楽しく宴会してたり、何かお茶してたりするのを見ると……見ると……っ……」
「あ、あらあら?」
「うぅ~……羨ましくてぇ……」
握った拳の上に、ぽたぽたと涙の雫。ほっかむりにも涙の跡。よっぽど、そういうのが羨ましいのだろうか。
「だってだって、だぁぁぁぁぁれも私のこと、誘ってくれなくて……。たまに声をかけてもらっても、『でも、あんたは来ないでしょうねぇ』って。そう言われたら『行くわけないわよ』って答えるしかないじゃない!
私だって、私だって、みんなと一緒にお酒飲んだりお茶したりケーキ食べたりご飯食べたりしたいのよぉぉぉぉっ!」
ついに畳の上に突っ伏して、おいおい泣き始める幽香……ではなく、ゆうかりん。その、あんまりと言えばあんまりなアレっぷりに、さしもの永琳も顔を引きつらせる。
「空気読めない花女とか最強バカとかいじめっ子とか! そんなことばっかり言われて、ゆうかりん、とってもショックっ!」
「……まぁ、わからないでもありませんけれど」
「素直にみんなの前で、『私も仲間に入れて』って言えないこの性格が恨めしいっ! お願いです、先生! 私にお友達を作る秘訣を教えてくださいぃぃぃぃっ!」
ひしぃっ、とすがりつかれて、さすがの永琳も困惑顔。
と言うか、友達が欲しいなら、まずそういうことをみんなの前で言えばいいのに、と思ってしまったのは内緒だ。
「そうですねぇ……。
まぁ、とりあえず、落ち着きましょうね。ゆうかりんさん」
「はい……ひっく……」
「とりあえずですね、ゆうかりんさん。もっと素直になりましょう」
「だって……出来ないんですよ……。どうしても、思っていることと正反対のことが口に出て……」
「俗に言う、ツンデレ属性ですねぇ」
「好きでツンデレじゃないもん……」
「そうですねぇ」
「もっともっと素直になりたいよぅ……めそめそ……」
「そうですねぇ……」
うーん、と永琳は小首をかしげて。
「それでは、このお薬を使ってみましょうか」
「……え?」
「人間に限らず、どんな生き物であれ、自分の思っていることが素直に実行できないもどかしさってありますよね。
ですから、これは、そんな人に少しだけ勇気を与えてくれるお薬なんですよ」
渡されたのは、小さな丸薬。
「……これを飲めば、私も、お友達が出来ますか……?」
「ええ、出来ますよ。さあ、どうぞ」
部屋の片隅にある、小さな竹筒から水をコップへと注ぎ、ゆうかりんの手へ。
彼女は、小さく、喉を鳴らした。そして、じっとそれを見つめた後、ゆっくりと飲み込み――そして――。
「……」
「どうですか?」
「……うん。少しだけ……勇気が湧いてきたような……そんな感じがします」
「あらあら」
「……でも……」
「確か、明日は博麗神社で宴会があるそうですから。お顔を出してはいかがですか?」
「は、はいっ! 頑張ります! 私、頑張りますっ!
ありがとうございました、先生! このご恩、一生忘れません!」
「あらあら。うふふ」
頑張るわよー! と気合いを入れて、彼女は部屋を駆け出していった。その後ろ姿はとても軽やかで、今まで彼女を縛り付けていた束縛から解放されたばかりの、美しい躍動感に満ちあふれていた。いいわねぇ、若いって、と永琳。
――と、鈴仙が顔を覗かせる。
「あの……外にまで声が聞こえていたので、一応、一部始終を聞かせてもらいましたけど」
「あらあら」
ぴこぴこと動いている彼女のうさみみは、実に感度がいいらしい。色んな意味で。
「その……師匠。そんな薬、いつ作ったんですか?」
「ああ、あれ? 嘘よ」
「へっ?」
「偽薬効果って知ってるでしょう?」
ただの小麦粉などを『どんな病気でも治る秘薬だ』と言って飲ませると、病人が瞬く間に回復した――そんな話を生み出す、一種の心理的作用のことだ。要するに、『病は気から』ということなのである。実際、気持ちを常に上向きに持っていれば、病気に限らず、あらゆるマイナスの効果からの回復が早まるというのは事実なのである。
「ああ言っておけばね。それに、ほら。悩みというのは、誰かに打ち明けることで楽になるものだし、少し背中を押してあげるだけで、自分から解決に向かうことだってあるでしょう? それと同じ事なのよ」
「なるほど……さすがは師匠」
「まあ、実際にそう言う薬を作ってみようかと思ったけど、失敗して実験室吹っ飛ばしちゃったしね」
てへ、と永琳。
「……………数日前の爆発事故はそれが原因ですか」
「あらあら」
「いや、あらあら、じゃなくて……」
こめかみ押さえながら、聞かなくてもいいことを聞いてしまった鈴仙が踵を返す。次の患者を連れてきますね、と残して。
相変わらず苦労のたえないうさぎだが、それについてはいまさらコメントすることでもないだろう。
さて、しばしの後。
「では、お次の方」
言葉の後、なぜか周囲をうかがうようにして入ってくる――やっぱり、なぜか顔を布みたいなもので隠している女性が一人。しかし、そうしていても正体がモロバレなのは、もはや狙ってやっているとしか思えないのはなぜだろうか。
「どうなさいましたか、神綺さん」
「は、はぅっ!? なぜ!?」
「なぜ、と言われましても」
困ったように笑いながら、永琳。
まぁ、目の前の相手の場合、いくら顔を隠そうとも、その服装や見た目なんかでいくらでも想像がつくのだが、一番の要因は、顔を隠している布の隙間からぴょこんと飛び出しているアホ毛だろうか。
「うぅ……、私の変装は完璧だと思ったのに……」
「あらあら」
「はぅ……まぁ、正体がばれたら仕方ないですね。はい、何を隠そう、私が魔界の神様、神綺です」
えへん、と胸を張って、神綺。
そして、そそくさと座布団の上に腰を下ろす。
「それで、本日はどのような?」
「はい……実はですね、最近……その……娘のAちゃんに嫌われてしまったようでして……」
「あらあらまあまあ」
「今朝なんですけどね、久しぶりにご飯を作りに行ってあげたら、『お願いだから、しょっちゅう来ないでよお母さん』って怒鳴られてしまった次第で……」
よよよ、と泣き崩れる。
「子供の心配をする母親というのは、もう時期的に古いのでしょうか」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
「それを魔界のみんなに言ったら、全会一致で『私が悪い』と……。
うぅ~……アリスちゃ~ん……」
すでに名前を出してしまっていることに気づいているのか、畳の上に突っ伏した神綺がおいおいと泣き始めた。あらあら、と困ったように声を上げながら、永琳が彼女を慰める。
「……すいません、お見苦しいところを……」
「いいえ、お気になさらずに。
でも、そうですね。確かに大変ですよね。お子さんが親元を離れて自立してしまうと、親御さんとしては、わかっていても心配してしまいますものね」
「そうなんですよ……わかってくださいます?」
「はい。とっても。何せ、うちにもほったらかしにしてはおけない小さな子が一杯いますから」
「あの、師匠。それって、私のことじゃないですよね?」
永琳に呼び出され、お茶を持ってくるように言われていた鈴仙が、お盆の上にお茶の入った湯飲みを二つ持ってやってくる。あらあら、と永琳はそれを笑ってごまかすのだが、鈴仙のほうは『やっぱりそうなんだ』と少しだけ肩を落とすと同時に、抑えきれない嬉しさもあったのか、耳がひょこひょこと動いていた。
「はぁ……私、どうしたらいいんでしょう。夢子ちゃんとかルイズちゃんも『いい加減、親離れしてください』って。
でも、アリスちゃんは、やっぱりまだまだ小さいんだし、お母さんとしては不安になってしまうんです。
だから、最近では、アリスちゃんに迷惑がかからないように木に変装したり郵便配達を装ってみたり、旅の道化師を着飾ってみたりして、それとなく接触するようには心がけているんですけど……」
「それって……」
『もしかしなくても、そのせいでアリスさんが怒ってるんじゃないですか?』と口に出しかけて、慌てて鈴仙は言葉を飲み込んだ。
普通、そんな風に親がちょこまかと自分の周りに現れれば、その根底にあるのが自分に対する心配だとしても恥ずかしさやら情けなさやらで意固地な態度になるのは当たり前である。というか、そんなことを平然とやらかすこの神綺という女性、いろんな意味で侮れない。色んな意味で世間ずれしまくってるといっていいだろう。
さぞかし、アリスさんは大変なんだろうな、と内心でアリスの心労を察して『頑張ってください』とエールを送る鈴仙。
「まあまあ、素晴らしいですね」
「いや、師匠。素晴らしいって……」
「でもですね、神綺さん。やっぱり、アリスさんも親元を離れて巣立っていったのですから、遠くから見守っていてもらいたいと思っているでしょう」
いや、だから違いますって、その辺りが全面的に。
顔を引きつらせ、内心で師匠に間違いを指摘するのだが、もちろん、永琳がそれに気づくはずもなく。
「そうでしょうか……ああ、ママと一緒にお風呂に入ったり、おねんねしてたりした頃が懐かしいわ……」
「子供は、いつか大きくなって親元を離れていくものですよ。その時が来たら、やはり、子供の成長を優しく見守るのが親の務めではないでしょうか」
「そうですね……。でも、不安なんです。アリスちゃんにもしものことがあったらって思うと、ママは、ママは……思わず幻想郷にケンカを売りたくなるほどに」
物騒な母親もいたものである。
「大丈夫ですよ。アリスさんの周りには、素敵なお友達がたくさんいらっしゃいます。今は、そんなお友達に囲まれて楽しくやっているのですから。親御さんとして、少し、距離を置いてみるのがいいでしょうね」
「……はぅ」
だから根本的な部分が間違ってますってば。
何やらかくかくとしたよくわからないジェスチャーを必死に送る鈴仙を尻目に、とっとこと話は進んでいく。正しいように見えて、その実、思いっきり歪曲した結論へ向かって。
「そうですね……少し、私も、アリスちゃんに対して過保護になりすぎましたね」
「あらあら」
「今度からは、木に変装するのはやめて、ねこに変装するようにします」
「素晴らしいですね」
「だからそれが何の解決に……」
と言っても、どうせ人の話なんて聞かないんだろうなこの人たち、と悲しく思いながら精一杯の抵抗を試みる鈴仙。
「それに、今度は美味しいご飯を作っていってあげようと思います」
「お母さんの味は、いつになっても懐かしいものですからね」
「はい。
それでは、私はこれで。ご相談に乗っていただいて、本当に……」
「しーんーきーさーまーっ!」
「は、はぅっ!? この声は!?」
どすどす、と板張りの廊下を踏み抜かんばかりの勢いでやってきたのは、もう色んな意味で顔の引きつった一人のメイド。
「ようやく見つけましたよ! もう、毎日毎日わがままばっかり言って! 少しはご自分の立場とか常識とかそういうものをわきまえてくださいっ!」
「ゆ、夢子ちゃんっ!」
「さあ、帰りますよ!」
「あ、あのね、夢子ちゃん。その前にアリスちゃんに一度……」
「いけません! 神綺さまには、魔界で、たぁぁぁぁぁぁぁっぷり、やらなければならないお仕事が待ってますから!」
「いやぁぁぁぁぁっ! 夢子ちゃん、どうか、どうかお慈悲をぉぉぉぉぉっ!」
「ご迷惑かけました! さあ、神綺さま!」
「痛い痛い痛い~! 髪の毛抜けちゃう~! 夢子ちゃん、ごめんなさ~い!」
まさしく嵐のような一幕であった、と後に鈴仙はその状況を述懐する。
どう考えても立場は逆だろこれ、と言わんばかりの漫才を繰り広げて、鈴仙たちの前から夢子と神綺が去っていく。いつまでも、いつまでも、神綺の「うぇぇぇ~ん」という情けない悲鳴が響いていたと言う。
「あらあら。子供の母親を思う気持ちは、やっぱり強いものなのね」
「……あの、師匠。それってボケですよね?」
「あら? 何か間違ったかしら?」
「……いえ、いいです。もう……」
がっくりと肩を落として、「次の人を連れてきます……」とよろふら立ち去る鈴仙。遠くから、「鈴仙さま、ファイト!」という声が聞こえてきたような気がしたが、とりあえず、永琳の耳にそれは入らなかったらしい。
彼女が、まんぼうクッションに腰を下ろして、竹筒から水を取り出して一口した頃。
「すいません。よろしくお願いします」
と、障子を開けて現れたのは、いつもの衣装が実に見慣れた女性、十六夜咲夜。
「あらあら。咲夜さんじゃないですか」
「はぁ……いつも、お嬢様がお世話になってます」
「いえいえ、こちらこそ。
今日はどうかなさいましたか?」
「はい……実は、最近、ちょっと肩こりを始めとして、体の節々が……」
と、今もそうしたところが痛いのか、手で揉み解す咲夜。
さすがは、紅魔館で一番の苦労人といわれているだけはある仕草だった。見た目にはまだまだ若く美しいのだが、そうしていると、一気に十年単位で老けたようにも見える。
「あらあら。それはいつごろから?」
「そうですね……もう、ずっとです。結構、だましだましやってきたのですが、最近になって特にひどくなりまして。ナイフを投げるのにも難儀するほどに」
「あらあら。深刻ですね」
「はい。
それで、こちらの病院のお話を伺いまして」
「あらあら。
それでは、ちょっと見せてくださいね」
はい、とうなずく咲夜のそばに膝立てで近寄り、体のあちこちに手を触れさせる。
「だいぶ凝ってますね。おまけに、一部、筋肉や筋が炎症を起こしています。さぞお辛かったでしょう?」
「いえ……ははは……。まぁ、職業柄、そういうのは顔に出しづらいものでして」
「幸いにして、何か重度の病気を持っているわけではないようですから。
炎症止めの薬と、あと、筋弛緩剤のほうを出しておきます。痛み止めも、念のために、三日分ほど処方しておきますね」
「はい」
「あとそれから……最近、うちに、いいマッサージ師の方が入られたんです。受けていきますか?」
「マッサージ……ですか?」
はい、とうなずく永琳。
しばし悩んだ咲夜は、そうですね、とつぶやく。
「代金はいかほどに?」
「こちらは初診料として無料にも出来ませんが、保険が利いてますから。お安く出来ますよ」
「では、お願いします」
どうやら、ここ、幻想郷には健康保険をやっている団体などがあるらしかった。もっとも、永琳の周り限定なのかもしれないが、それはともあれ。
では、こちらです、と永琳が立ち上がって咲夜を連れて行く。
彼女の診療室から、ふすま三つ分を隔てたところが、どうやらその『マッサージ室』であるようだった。
「永琳さんではないのですね」
「はい。私は、医学には造詣が深いですけれど、こと、それを技術にしたものになると、やはり、手で触れたものでなくては」
「なるほど」
入りますね、と断ってから、彼女はふすまを開ける。
すると――、
「はーい。任されます……って、あれ? 咲夜さん?」
「んな!? 美鈴!?」
そこで、ちょこんと座していたのは、咲夜と同じく、紅魔館で働く女性、紅美鈴だった。
見事な肢体をナース服に包んだ、まさに、『ぼんっ、きゅっ、ぼん』を超えた『どーん! きゅー! どかーん!』な感じである。
「すいませんけれど、美鈴さん、お願いしますね」
「はい」
「ち、ちょっと! あなた、何でこんなところに……!」
「門番の仕事がオフの時に、こちらのお手伝いをしていただけるよう、レミリアさんに交渉したんですけれど、見事にオーケーがもらえまして」
「私の技術が役に立てばいいかな、って思って。それで、僭越ながらお手伝いさせてもらってるんです」
「そ、そうだったの……」
館主であるレミリアの許可があると言うことで、咲夜の勢いが収まっていく。しかし、一体いつの間にそんな取り決めがなされていたのか。相変わらず、自分の主人のやることは、色んな意味で侮れないと戦慄を覚える咲夜。
「なるほど。わかりました」
咲夜が困惑している間に、永琳から美鈴へ、彼女の病状が伝えられていたらしく、美鈴が大きく首を縦に振る。
「では、咲夜さん。こちらに横になってください。
あ、お洋服は脱いで、あちらにたたんでくださいね」
「い、いいけれど……」
着替え室みたいな役割があるのだろうか。部屋の一角にカーテンが引かれている。そちらに移動して、手早く服を脱いでから、バスタオル一枚で体を覆って出てくる咲夜。そして、美鈴に促されるまま、その前に敷かれた布団の上に横になる。
「では、私のマッサージ術、とくとご覧あれ」
「お、お手柔らかにね?」
バスタオルをはだけて、白い肌をさらす咲夜の上に、よいしょ、とまたがると、親指でぎゅ~っとその肌を押し込んでいく。
「くぅ~……!」
「あ~、かなり凝ってますね~。咲夜さん、毎日毎日無理ばっかりするから」
「だ、だって……きゃっ」
「はい、動かないでくださいね~」
肩から腕、腰、お尻、足。およそ、咲夜が痛みを感じる部分を次々に揉み解していく。それがよっぽど気持ちいいのか、咲夜の顔がとろけていた。普段の、シリアスに鋭さを漂わせる表情はどこにもなく、すっかりリラックスしきっている。
「あらあら、勉強になります」
そんな美鈴のマッサージ方法を、横で眺めながら、永琳。
「私の操気術を一緒に使ったマッサージですから。痛みをほぐしていくと同時に、気を送り込んで細胞を活性化させてるんです」
「はぁ~……そうなのぉ……。気持ちいいわぁ……」
「それはよかった」
やがて、およそ三十分後、完全にとろけきった表情で体を弛緩させた咲夜が布団の上で気持ちよさそうにため息をついていた。美鈴の腕前、恐るべし、といったところか。
「さて、と。
咲夜さん。今、やってみてわかったんですけど、咲夜さんって、結構、体が歪んでますね」
「……ふにゃ?」
「せっかくですから、骨の歪みを直しておきますから」
「……ああ……うん」
よいしょ、と美鈴が咲夜の足を取る。
そして、
「えい」
「いっ……!?」
ぐーっ、と足の裏に拳を当てて内側へと押し込んでいく。
「ていっ」
「あいだだだだだっ!?」
そのまま、足全体にひねりを加え、ぐりぐりと。
「痛い痛い痛い痛いっ!? ち、ちょっと、美鈴っ! 痛い痛いっ!」
「あー、我慢してくださいねー」
「いったぁぁぁぁぁぁっ!」
そして、そのまま、彼女の足を『ごきん!』という音を立てて押し込んでいく。
「足が歪んで、少しO脚気味になってますから。左足も……」
「ち、ちょっと待ってちょっと待って美鈴!」
「じゃ、いきますよー」
「いやぁぁぁぁぁっ!」
ぼきごきべきっ!
何やらすさまじい騒音と共に咲夜の絶叫が響き渡る。
「次は、上半身ですね~」
「ち、ちょっと……お、お願い、許して……」
「体が歪んでいると、筋肉痛や肩こり、腰痛、その他諸々。色んな症状の原因になりますから」
「だから許してぇぇぇぇぇぇ!」
逃げようとする咲夜を捕まえて、そのまま状態をえびぞりにさせ、
「よい……しょ」
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ごきごきんっ! と激しい音を立てながらひねり、さらに逆方向にもう一度。
「次は、肩」
ぼきん!
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ああ、肩こりの原因はここですねー」
ごきん!
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あ、骨盤がかなりずれてますねー」
べきごきばきん!
「ふにゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「腰椎の……どうやったらこんなに屈折するんでしょう」
ごりぼぎっ!
「ぴぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「はいおまけ」
こきゃっ。
「にゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
――そして。
「はい、終わりました。お疲れ様です」
とても完全で瀟洒とはいえない悲鳴を上げまくった咲夜が、まるで水揚げされたマグロのようにぐったりと布団の上に横たわっていた。何事かと見に来たうさぎ達が、障子の向こうでギャラリー状態である。
「これで、大体の歪みは直しました。だけど、咲夜さんの場合、常にこつこつやっておいたほうがいいかもしれませんね。一週間に一度くらい、私がやってあげますからご安心を」
「い、いやぁぁぁぁぁっ! もう整体はいやぁぁぁぁ!」
「ダメですよ。このお仕事、長く続けたいでしょ? ですから、悪いところはしっかり直しておきましょうね」
にっこり笑顔の美鈴。誰かが言った。やばい、こいつぁ無敵だぜ……、と。
「お見事ですねぇ、美鈴さん。お勉強になりました」
「いえいえ、この程度でしたら。
ああ、せっかくですから、あとで鈴仙さんにも整体をしてあげますね。あの方も、背骨の辺りにおかしなところが見受けられますから」
「だって、ウドンゲ」
「お、お断りいたしますっ!」
うさぎ達を散らしていた鈴仙が、顔を真っ青にして見事な返事をしてくる。しかし、永琳はもとより、美鈴もそれを許すつもりはなかったらしい。
「ダメですよ。医療従事者として、その態度は」
「そうよ、ウドンゲ」
「だ、だって……」
いまだ、布団の上から起き上がることすら出来ない咲夜を見て、彼女の顔を恐怖が駆け上がっていく。
「大丈夫です。痛いのは最初だけですよ。段々、気持ちよくなってきますから」
聞く人が聞けば誤解しそうな発言をさらりとやってくれる美鈴に、思わず顔を引きつらせる。
「それに、ほら。咲夜さんだって、もうだいぶ」
「くすん……くすん……美鈴がいじわるするぅ……」
「……いや、泣いてるんですけど」
「大丈夫です」
無根拠に言い放ってくれる美鈴。
そこに至って、ようやく逃げ場がないと言うことを悟ったのか、「お手柔らかにお願いします……」と、鈴仙は泣きながら頭を下げたのだった。
もちろん、その後、永遠亭に鈴仙の絶叫が響き渡ったことは付け加えておこう。
さて、その後のことであるが。
「ねぇ、咲夜」
「はい?」
「何か、あなた、変わったかしら?」
「え?」
「だって、以前よりも背が伸びたような感じがするし、心持ち、姿勢もしゃきっとしてるし。それに何だか、胸も大きくなってない?」
「そう……でしょうか?」
これは、紅魔館の一幕である。
もちろん、その後、門番が「だから言ったじゃないですか。痛いのは最初だけだって」と自慢げにでかい胸を張ったのは言うまでもない。
その後、美鈴の元に、整体を受けさせてほしい、とメイド達が殺到することになる。その中にはレミリアも混じっていて、館中に「にゃぁぁぁぁぁぁぁ!」という絶叫が響いたのだが――それはまた別の話。
「あの……師匠、それ、何ですか?」
「あらあら?」
新しく、自らの医療相談所の紹介文に一文を書き加えている永琳に、やはりこちらも背が伸びたように見える鈴仙が尋ねる。
「うふふ。今度から、マッサージも始めるのよ。私も、美鈴さんにだいぶ仕込まれたから」
「そ、そうですか……」
というわけで、新たな診療科目が、この医療相談所に加えられたのだった。
なお、その後の幽香――でなく、ゆうかりんであるが、その翌日に開かれた神社での宴会に「そ、その……わ、私も参加していい?」と問いかけたところ、もちろん、とみんなに笑顔で返してもらって、思わず嬉し涙を流したと言う。
また、その時を境に、少しだけ、彼女にも友達が増えたと言うが――。
「それも、また別の話。
皆さんも、当方八意永琳医療相談所を、ぜひともご活用くださいね」
~本日の診療は終了いたしました 八意永琳医療相談所所長兼主治医八意永琳~
追記:マッサージ・整体、始めました。
そこに辿り着くにはどこまでも続く竹の中を抜け、永遠に続いている静寂の海を泳がなくてはならない。故に、ありとあらゆる外的な存在を拒否してきた、この世界。
しかし、最近は、何だか少し様子が変わっている。
「どうにも、最近、肌につやがなくなってきてねぇ」
「お言葉としてはあれですけれど、やはり加齢ですね。原因は」
「私も年を取ったもんだねぇ……」
「とりあえず、お肌にいい、私のお手製の漢方薬などを出しておきますね。それから、出口近くの薬局で、ローションなども多数取り扱ってますから」
「いや、ありがたいね。割引は出来るのかい?」
「はい。初診の方は、お薬や診療費などは無料となっていますし、そちらの方も三割引で購入が出来ますよ」
「気前のいい話だねぇ」
「医者もサービス業ですから」
お大事に、と頭を下げる白衣の女性に礼を言って、彼女も立ち上がる。
「いやいや、魔理沙の奴も、いいところ知ってるもんだねぇ」
は~、やれやれ、などと年寄りじみたセリフを口にして、最近ちょっとお疲れ気味の祟り神は診察室を後にする。
「お次の方ー」
この部屋の主であると同時に、ここ、『八意永琳医療相談所』の所長であり主治医でもある八意永琳の言葉に従って障子を開けて現れたのは、髪に白いものが混じった男性であり、まず一言、こう言ったのだった。
「最近、腰がのぅ……」
「こちらが、髪の毛のつやを取り戻すシャンプーでして――」
「こちらはお肌に潤いを与える、特製の石けんです。ご一緒にこちらもいかがでしょうか?」
祟り神相手に商売をしているうさぎ達を横目で見ながら、彼女――この医療相談所で看護士を務める鈴仙・優曇華院・イナバがため息をつく。
「お客さん、最近増えたね……」
「それだけ、私たち、イナバ特戦隊のPR能力のたまもの」
えっへん、と胸を張るロリうさぎ――因幡てゐの言葉に、鈴仙は『そうなのかなぁ』と首をかしげた。
「もうけがあれば、前回みたいによくわからないお祭りしなくていいじゃん」
「ああ……確かに」
つい先日、盛大に打ち出された割りには、それほどもうけのなかったお祭りを思い出して、彼女は小さく首を縦に振る。
「それに、うちは姫が働かないから」
「昔から、権力者って言うのは下の人間に養ってもらうのが常識に近いけれど」
「でも、あそこまで働かないのは問題だと思うんだけど。一週間に二、三回は着物ずたずたにして戻ってくるし。あれを繕う布を買うだけでどれほどのお金がかかるか」
どこかからそろばん取り出し、じゃっ、じゃっ、じゃっ、とあっという間の計算を終えて、ずびしっ、とそれを鈴仙に突き出すてゐ。
そこに示された数字は、ちょっと直視したくない額だった。
「無駄に高いもの使いたがるんだもの。そりゃ、権力者のみならず、上の人間には特別扱いをしないと示しはつかないけれどさぁ」
全く困ったものだ、とてゐ。
こと、金勘定にかけては永遠亭において右に出るものはいないと言われているだけはある。かなりシビアな事をさらりと口に出す辺り、かなりはらはらするものがあるのだが、当人は全くそれを気にしていないようだった。
「第一、永琳様も永琳様よ。少しは姫様にお説教くらい……」
「あらあら?」
「ちょっと、鈴仙さま。あらあら、じゃないよ。あらあら、じゃ。
そんなおっとりしてたら、永琳様みたいに一挙手一投足の速度が低下……」
「あらあら」
「……てゐ、私、こっちだよ」
「………………え?」
恐る恐る、ぎぎぎぎぃっ、という音を立てて後ろを振り向けば。
笑顔で、左手を頬に、右手でその左手を支えている女性が一人。
「え………えーりんさま……」
てゐの額と言わず、全身に、だらだらと嫌な汗が流れ始める。
「いやいや、永琳殿。助かりました。
またお願いしますよ」
以前見た時よりも、ずいぶん年食ったなぁ、という感じの老人が、『はっはっは』と笑いながら永遠亭を去っていく風景が、その傍らで。彼の手には、湿布だの肩こりの薬だのが握られているのを、鈴仙は見逃さなかったという。
「ん~……どれがいいかねぇ。やっぱ高いものの方がいいのかい?」
「いえ。人のお肌は千差万別ですから、最もご自分にあったものをご使用なさるのがいいですね」
「とは言われても、これだけあるとねぇ」
「でしたら、こちらにおためし品がありますので、お使いになられますか? 後日、お気に召したものを、こちらにご連絡頂ければ、因幡薬局の方からお届けに伺います」
などというセールストークも聞こえているのだが。
「……え、えーっと……」
「あらあら」
「そ、その、えっと、はい! 私たち、これからもめいっぱい頑張る所存であります、小隊長どの!」
「あらあら」
「で、ですから、えっとですね、その右手に持った黄色いジャムは勘弁してほしいでありますっ! 永琳師団長!」
「あらあら」
「いやだから勘弁してくださいお願いしますごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
因幡てゐ、ここに眠る――。
「それにしても、今月の収支も黒字ねぇ」
「そ、そうですね……」
その日の晩ご飯の席にて、鈴仙から渡された財務諸表を見て、永琳。ちなみに彼女の後ろでは、白目むいたてゐが「じ、じゃむが……じゃむがおそってくる……たすけてれいせんさまぁ……」と呻いていたりする。どんな悪夢を見ているのかは、今のところ謎だ。と言うか知りたくない。
「だけど、医者として、忙しくなるのは嬉しくもあり困ってしまうことでもありねぇ」
「そうなの? いいじゃない、もうかるのなら」
「姫。私たち、医療に従事するもの達の稼ぎの根本は、人の不幸から発生するものなのですよ」
「それはそうだけど……。でも、そうじゃないと、うちは稼ぎが少ないんだから仕方ないじゃない。
えーりん、おかわり」
「あらあら。では、こちらのジャムを……」
「ごめんなさいわかりました繁盛しすぎるのよくないです」
近頃、なぜか永琳はジャム作成に凝っているらしい。
ただ、普通に作る料理は美味しいのに、なぜかそれだけは一口するだけでグレイズ不可即死確定致死量弾幕すら上回る破壊力を有しているのだが。
ちなみに、普段なら死んでも即座に復活する輝夜でもリザレクションするまでに十日ほどを要したという破壊力を持っており、これを通称、謎符『甘くないのもありますよ?』と言うらしいが、その詳細は未だ持って不明である。
――と、意味のわからない説明はここまでとして。
「それ以外の稼ぎの柱を立てたいところなのですが、正直、それ以外の魅力がうちにはありませんから」
「たくさん因幡がいるんだから、少しくらいいかがわしい店を開いてもよさそうなところだけど」
「やめてくださいよ、姫……それだけは」
「何よ、もったいない。エロ担当のくせに」
「誰がですかっ!?」
鈴仙の抗議の声をさらりと無視して、輝夜は漬け物を口に放り込み、
「まぁ、当面は、今のままでしょうがないのじゃないかしら。他に何か売りになるもの……タケノコ販売?」
「もしくは、蓬莱の薬のお試しセットを販売してみるとか……」
「……師匠、白玉楼と全面戦争するつもりですか?」
普段はおっとりしていても、いざという時には人が変わったように冷酷になる冥界の姫君を思い出し、ぶるっと震え上がる。彼女を相手にして、真っ当に立ち回れるのは、せいぜいが永琳くらいのものだろう。そのおつきの従者の実力も考えると、彼女たちと真っ向から事を構えるのは、極めて問題ありだ。その辺り、きちんと言い含めておかないと、相手は永琳だ。いつ何時、突拍子もないことをやり出すかわかったものじゃない。
昔はこんなんじゃなかったのになぁ、とため息一つ。
「まあ、今のところは、これで幻想郷の皆様のお役に立てているのだからよしとしましょうか?」
「あらあら。そうですね」
「でも、本当に、毎日あっちこっちから病人が来ますよね。最初の頃は一日に十人もいかなかったのに」
「それだけ認知度が上がってきたと同時に、いくら幻想郷と言っても、色々悩んでいる人は多いのよ」
「なるほど……そういうものですか」
「後々、ウドンゲには、私のサポートだけじゃなくて主治医も務めてもらわないとね」
「いえ……私はまだまだ……」
「あらあら。そんなことないわよ」
「むぎゅう……」
かわいいわねぇ、と抱きしめられて、鈴仙の顔が永琳の偉大なる峡谷の間に完全に埋没した。ちなみに、この状態になると完全に呼吸が出来ないため、人、それを『偉大なるおっぱいホールド』と呼ぶらしい。
じたばた暴れる鈴仙に、気づいているのかいないのか、よしよし、などとやっている永琳。もちろん輝夜は口を出さなかった。主従の微笑ましい姿に口を挟むのは野暮だと考えているのだろう。やがて、鈴仙がぐったりとなって動かなくなってから、ようやく永琳が彼女を解放する。ごろんと畳の上に転がった鈴仙の顔は、すっかりと青ざめていたという。
「明日も頑張りましょうか」
「そうですね。ところで、姫。姫も、せっかくですから、少し私たちのお手伝いをしてくださいませんか?」
「手伝い?」
「はい。人里への宣伝や、お薬やお化粧品の名前などを覚えて、お客様にご説明などを……」
「めんどくさいわねぇ。そんなの、他の因幡にやらせておけば……」
「あらあら」
「はいわかりましたやりますやらせていただきます身に余る光栄ですうわぁ嬉しいなぁ」
傍らに置いてある、黄色いジャムの入った瓶に手を伸ばした永琳を見て、顔を青ざめさせ、完璧な棒読みゼリフを述べる輝夜の姿は、実に微笑ましく情けないと、後のワーハクタクが語ったという。
八意永琳医療相談所は、朝の九時から開院、午後の五時に終了である。その間、休み時間が、十二時から午後の一時までという以外に、一切の休み時間がない。なかなかのハードスケジュールであるのだが、それを永琳を始めとした医療担当のうさぎ達がてきぱきとこなしていく様は、さすがと言わざるを得ないだろう。
希に、『うさみみナース萌えー』というよくわからない客が来て追い返されるという微笑ましい光景もあったりするが、おおむね、この医療相談所は好評であると同時に好調だ。
「では、お次の方ー」
さらさらとカルテを書きながら、先日やってきた祟り神に『こちらのお化粧品とお薬がいいですね』とアドバイスを終えて、次の客を呼ぶ。外で、二、三、話し声が聞こえたが、それ以外には特に目立ったものはない。
続けて、障子を開けて現れたのは、何かどこかで見たことのある相手だった。白と赤のチェック柄衣装を身にまとい、片手に日傘持った輩など、この幻想郷においては、今のところ一人しかいないのだが、
「はい、どうなさいましたか?」
永琳は相手の素性を気にせずに訊ねた。
ちなみに、その相手は、現在、なぜかほっかむりなどをかぶっていたりする。
「あ……その……実はお話がありまして……」
「はいはい」
ちなみに、ここは医療『相談所』でもあるため、健康やその他諸々に関しての相談事も受け付けている。要するに、カウンセリングも同時に行うマルチな病院なのである。
「実は……その……私……友達がいないんです……」
「あらあら。それは大変ですね、幽香さん」
「……なっ!?」
がたん、という音を立てて立ち上がる、ほっかむりの怪しい人物。どうやら、顔色を変えているらしい。やたら顔の部分にほっかむりを重装備しているため、目元くらいしか外に出ているところはないのだが。
「ちっ、違いますわ、先生! わ、私は幽香などではありません! そ……そう、ゆうかりんです、ゆうかりんっ!」
「あらあら。でも、そのお洋服は……」
「ほ、ほら、幽香とは赤と白が反対になってるじゃないですか!」
苦しい言い訳なのだが、とりあえず、永琳はそれを流すことにしたらしい。医者として、患者のことを第一に考える素晴らしい精神の持ち主なのだ。彼女は。
単に追求するのがめんどくさいだけかもしれないが。
「はいはい。では、改めまして。
ゆうかりんさん、どうかなさいましたか?」
「そ、その……別に、今の境遇に満足してないわけじゃないのよ? でも……みんなが楽しく宴会してたり、何かお茶してたりするのを見ると……見ると……っ……」
「あ、あらあら?」
「うぅ~……羨ましくてぇ……」
握った拳の上に、ぽたぽたと涙の雫。ほっかむりにも涙の跡。よっぽど、そういうのが羨ましいのだろうか。
「だってだって、だぁぁぁぁぁれも私のこと、誘ってくれなくて……。たまに声をかけてもらっても、『でも、あんたは来ないでしょうねぇ』って。そう言われたら『行くわけないわよ』って答えるしかないじゃない!
私だって、私だって、みんなと一緒にお酒飲んだりお茶したりケーキ食べたりご飯食べたりしたいのよぉぉぉぉっ!」
ついに畳の上に突っ伏して、おいおい泣き始める幽香……ではなく、ゆうかりん。その、あんまりと言えばあんまりなアレっぷりに、さしもの永琳も顔を引きつらせる。
「空気読めない花女とか最強バカとかいじめっ子とか! そんなことばっかり言われて、ゆうかりん、とってもショックっ!」
「……まぁ、わからないでもありませんけれど」
「素直にみんなの前で、『私も仲間に入れて』って言えないこの性格が恨めしいっ! お願いです、先生! 私にお友達を作る秘訣を教えてくださいぃぃぃぃっ!」
ひしぃっ、とすがりつかれて、さすがの永琳も困惑顔。
と言うか、友達が欲しいなら、まずそういうことをみんなの前で言えばいいのに、と思ってしまったのは内緒だ。
「そうですねぇ……。
まぁ、とりあえず、落ち着きましょうね。ゆうかりんさん」
「はい……ひっく……」
「とりあえずですね、ゆうかりんさん。もっと素直になりましょう」
「だって……出来ないんですよ……。どうしても、思っていることと正反対のことが口に出て……」
「俗に言う、ツンデレ属性ですねぇ」
「好きでツンデレじゃないもん……」
「そうですねぇ」
「もっともっと素直になりたいよぅ……めそめそ……」
「そうですねぇ……」
うーん、と永琳は小首をかしげて。
「それでは、このお薬を使ってみましょうか」
「……え?」
「人間に限らず、どんな生き物であれ、自分の思っていることが素直に実行できないもどかしさってありますよね。
ですから、これは、そんな人に少しだけ勇気を与えてくれるお薬なんですよ」
渡されたのは、小さな丸薬。
「……これを飲めば、私も、お友達が出来ますか……?」
「ええ、出来ますよ。さあ、どうぞ」
部屋の片隅にある、小さな竹筒から水をコップへと注ぎ、ゆうかりんの手へ。
彼女は、小さく、喉を鳴らした。そして、じっとそれを見つめた後、ゆっくりと飲み込み――そして――。
「……」
「どうですか?」
「……うん。少しだけ……勇気が湧いてきたような……そんな感じがします」
「あらあら」
「……でも……」
「確か、明日は博麗神社で宴会があるそうですから。お顔を出してはいかがですか?」
「は、はいっ! 頑張ります! 私、頑張りますっ!
ありがとうございました、先生! このご恩、一生忘れません!」
「あらあら。うふふ」
頑張るわよー! と気合いを入れて、彼女は部屋を駆け出していった。その後ろ姿はとても軽やかで、今まで彼女を縛り付けていた束縛から解放されたばかりの、美しい躍動感に満ちあふれていた。いいわねぇ、若いって、と永琳。
――と、鈴仙が顔を覗かせる。
「あの……外にまで声が聞こえていたので、一応、一部始終を聞かせてもらいましたけど」
「あらあら」
ぴこぴこと動いている彼女のうさみみは、実に感度がいいらしい。色んな意味で。
「その……師匠。そんな薬、いつ作ったんですか?」
「ああ、あれ? 嘘よ」
「へっ?」
「偽薬効果って知ってるでしょう?」
ただの小麦粉などを『どんな病気でも治る秘薬だ』と言って飲ませると、病人が瞬く間に回復した――そんな話を生み出す、一種の心理的作用のことだ。要するに、『病は気から』ということなのである。実際、気持ちを常に上向きに持っていれば、病気に限らず、あらゆるマイナスの効果からの回復が早まるというのは事実なのである。
「ああ言っておけばね。それに、ほら。悩みというのは、誰かに打ち明けることで楽になるものだし、少し背中を押してあげるだけで、自分から解決に向かうことだってあるでしょう? それと同じ事なのよ」
「なるほど……さすがは師匠」
「まあ、実際にそう言う薬を作ってみようかと思ったけど、失敗して実験室吹っ飛ばしちゃったしね」
てへ、と永琳。
「……………数日前の爆発事故はそれが原因ですか」
「あらあら」
「いや、あらあら、じゃなくて……」
こめかみ押さえながら、聞かなくてもいいことを聞いてしまった鈴仙が踵を返す。次の患者を連れてきますね、と残して。
相変わらず苦労のたえないうさぎだが、それについてはいまさらコメントすることでもないだろう。
さて、しばしの後。
「では、お次の方」
言葉の後、なぜか周囲をうかがうようにして入ってくる――やっぱり、なぜか顔を布みたいなもので隠している女性が一人。しかし、そうしていても正体がモロバレなのは、もはや狙ってやっているとしか思えないのはなぜだろうか。
「どうなさいましたか、神綺さん」
「は、はぅっ!? なぜ!?」
「なぜ、と言われましても」
困ったように笑いながら、永琳。
まぁ、目の前の相手の場合、いくら顔を隠そうとも、その服装や見た目なんかでいくらでも想像がつくのだが、一番の要因は、顔を隠している布の隙間からぴょこんと飛び出しているアホ毛だろうか。
「うぅ……、私の変装は完璧だと思ったのに……」
「あらあら」
「はぅ……まぁ、正体がばれたら仕方ないですね。はい、何を隠そう、私が魔界の神様、神綺です」
えへん、と胸を張って、神綺。
そして、そそくさと座布団の上に腰を下ろす。
「それで、本日はどのような?」
「はい……実はですね、最近……その……娘のAちゃんに嫌われてしまったようでして……」
「あらあらまあまあ」
「今朝なんですけどね、久しぶりにご飯を作りに行ってあげたら、『お願いだから、しょっちゅう来ないでよお母さん』って怒鳴られてしまった次第で……」
よよよ、と泣き崩れる。
「子供の心配をする母親というのは、もう時期的に古いのでしょうか」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
「それを魔界のみんなに言ったら、全会一致で『私が悪い』と……。
うぅ~……アリスちゃ~ん……」
すでに名前を出してしまっていることに気づいているのか、畳の上に突っ伏した神綺がおいおいと泣き始めた。あらあら、と困ったように声を上げながら、永琳が彼女を慰める。
「……すいません、お見苦しいところを……」
「いいえ、お気になさらずに。
でも、そうですね。確かに大変ですよね。お子さんが親元を離れて自立してしまうと、親御さんとしては、わかっていても心配してしまいますものね」
「そうなんですよ……わかってくださいます?」
「はい。とっても。何せ、うちにもほったらかしにしてはおけない小さな子が一杯いますから」
「あの、師匠。それって、私のことじゃないですよね?」
永琳に呼び出され、お茶を持ってくるように言われていた鈴仙が、お盆の上にお茶の入った湯飲みを二つ持ってやってくる。あらあら、と永琳はそれを笑ってごまかすのだが、鈴仙のほうは『やっぱりそうなんだ』と少しだけ肩を落とすと同時に、抑えきれない嬉しさもあったのか、耳がひょこひょこと動いていた。
「はぁ……私、どうしたらいいんでしょう。夢子ちゃんとかルイズちゃんも『いい加減、親離れしてください』って。
でも、アリスちゃんは、やっぱりまだまだ小さいんだし、お母さんとしては不安になってしまうんです。
だから、最近では、アリスちゃんに迷惑がかからないように木に変装したり郵便配達を装ってみたり、旅の道化師を着飾ってみたりして、それとなく接触するようには心がけているんですけど……」
「それって……」
『もしかしなくても、そのせいでアリスさんが怒ってるんじゃないですか?』と口に出しかけて、慌てて鈴仙は言葉を飲み込んだ。
普通、そんな風に親がちょこまかと自分の周りに現れれば、その根底にあるのが自分に対する心配だとしても恥ずかしさやら情けなさやらで意固地な態度になるのは当たり前である。というか、そんなことを平然とやらかすこの神綺という女性、いろんな意味で侮れない。色んな意味で世間ずれしまくってるといっていいだろう。
さぞかし、アリスさんは大変なんだろうな、と内心でアリスの心労を察して『頑張ってください』とエールを送る鈴仙。
「まあまあ、素晴らしいですね」
「いや、師匠。素晴らしいって……」
「でもですね、神綺さん。やっぱり、アリスさんも親元を離れて巣立っていったのですから、遠くから見守っていてもらいたいと思っているでしょう」
いや、だから違いますって、その辺りが全面的に。
顔を引きつらせ、内心で師匠に間違いを指摘するのだが、もちろん、永琳がそれに気づくはずもなく。
「そうでしょうか……ああ、ママと一緒にお風呂に入ったり、おねんねしてたりした頃が懐かしいわ……」
「子供は、いつか大きくなって親元を離れていくものですよ。その時が来たら、やはり、子供の成長を優しく見守るのが親の務めではないでしょうか」
「そうですね……。でも、不安なんです。アリスちゃんにもしものことがあったらって思うと、ママは、ママは……思わず幻想郷にケンカを売りたくなるほどに」
物騒な母親もいたものである。
「大丈夫ですよ。アリスさんの周りには、素敵なお友達がたくさんいらっしゃいます。今は、そんなお友達に囲まれて楽しくやっているのですから。親御さんとして、少し、距離を置いてみるのがいいでしょうね」
「……はぅ」
だから根本的な部分が間違ってますってば。
何やらかくかくとしたよくわからないジェスチャーを必死に送る鈴仙を尻目に、とっとこと話は進んでいく。正しいように見えて、その実、思いっきり歪曲した結論へ向かって。
「そうですね……少し、私も、アリスちゃんに対して過保護になりすぎましたね」
「あらあら」
「今度からは、木に変装するのはやめて、ねこに変装するようにします」
「素晴らしいですね」
「だからそれが何の解決に……」
と言っても、どうせ人の話なんて聞かないんだろうなこの人たち、と悲しく思いながら精一杯の抵抗を試みる鈴仙。
「それに、今度は美味しいご飯を作っていってあげようと思います」
「お母さんの味は、いつになっても懐かしいものですからね」
「はい。
それでは、私はこれで。ご相談に乗っていただいて、本当に……」
「しーんーきーさーまーっ!」
「は、はぅっ!? この声は!?」
どすどす、と板張りの廊下を踏み抜かんばかりの勢いでやってきたのは、もう色んな意味で顔の引きつった一人のメイド。
「ようやく見つけましたよ! もう、毎日毎日わがままばっかり言って! 少しはご自分の立場とか常識とかそういうものをわきまえてくださいっ!」
「ゆ、夢子ちゃんっ!」
「さあ、帰りますよ!」
「あ、あのね、夢子ちゃん。その前にアリスちゃんに一度……」
「いけません! 神綺さまには、魔界で、たぁぁぁぁぁぁぁっぷり、やらなければならないお仕事が待ってますから!」
「いやぁぁぁぁぁっ! 夢子ちゃん、どうか、どうかお慈悲をぉぉぉぉぉっ!」
「ご迷惑かけました! さあ、神綺さま!」
「痛い痛い痛い~! 髪の毛抜けちゃう~! 夢子ちゃん、ごめんなさ~い!」
まさしく嵐のような一幕であった、と後に鈴仙はその状況を述懐する。
どう考えても立場は逆だろこれ、と言わんばかりの漫才を繰り広げて、鈴仙たちの前から夢子と神綺が去っていく。いつまでも、いつまでも、神綺の「うぇぇぇ~ん」という情けない悲鳴が響いていたと言う。
「あらあら。子供の母親を思う気持ちは、やっぱり強いものなのね」
「……あの、師匠。それってボケですよね?」
「あら? 何か間違ったかしら?」
「……いえ、いいです。もう……」
がっくりと肩を落として、「次の人を連れてきます……」とよろふら立ち去る鈴仙。遠くから、「鈴仙さま、ファイト!」という声が聞こえてきたような気がしたが、とりあえず、永琳の耳にそれは入らなかったらしい。
彼女が、まんぼうクッションに腰を下ろして、竹筒から水を取り出して一口した頃。
「すいません。よろしくお願いします」
と、障子を開けて現れたのは、いつもの衣装が実に見慣れた女性、十六夜咲夜。
「あらあら。咲夜さんじゃないですか」
「はぁ……いつも、お嬢様がお世話になってます」
「いえいえ、こちらこそ。
今日はどうかなさいましたか?」
「はい……実は、最近、ちょっと肩こりを始めとして、体の節々が……」
と、今もそうしたところが痛いのか、手で揉み解す咲夜。
さすがは、紅魔館で一番の苦労人といわれているだけはある仕草だった。見た目にはまだまだ若く美しいのだが、そうしていると、一気に十年単位で老けたようにも見える。
「あらあら。それはいつごろから?」
「そうですね……もう、ずっとです。結構、だましだましやってきたのですが、最近になって特にひどくなりまして。ナイフを投げるのにも難儀するほどに」
「あらあら。深刻ですね」
「はい。
それで、こちらの病院のお話を伺いまして」
「あらあら。
それでは、ちょっと見せてくださいね」
はい、とうなずく咲夜のそばに膝立てで近寄り、体のあちこちに手を触れさせる。
「だいぶ凝ってますね。おまけに、一部、筋肉や筋が炎症を起こしています。さぞお辛かったでしょう?」
「いえ……ははは……。まぁ、職業柄、そういうのは顔に出しづらいものでして」
「幸いにして、何か重度の病気を持っているわけではないようですから。
炎症止めの薬と、あと、筋弛緩剤のほうを出しておきます。痛み止めも、念のために、三日分ほど処方しておきますね」
「はい」
「あとそれから……最近、うちに、いいマッサージ師の方が入られたんです。受けていきますか?」
「マッサージ……ですか?」
はい、とうなずく永琳。
しばし悩んだ咲夜は、そうですね、とつぶやく。
「代金はいかほどに?」
「こちらは初診料として無料にも出来ませんが、保険が利いてますから。お安く出来ますよ」
「では、お願いします」
どうやら、ここ、幻想郷には健康保険をやっている団体などがあるらしかった。もっとも、永琳の周り限定なのかもしれないが、それはともあれ。
では、こちらです、と永琳が立ち上がって咲夜を連れて行く。
彼女の診療室から、ふすま三つ分を隔てたところが、どうやらその『マッサージ室』であるようだった。
「永琳さんではないのですね」
「はい。私は、医学には造詣が深いですけれど、こと、それを技術にしたものになると、やはり、手で触れたものでなくては」
「なるほど」
入りますね、と断ってから、彼女はふすまを開ける。
すると――、
「はーい。任されます……って、あれ? 咲夜さん?」
「んな!? 美鈴!?」
そこで、ちょこんと座していたのは、咲夜と同じく、紅魔館で働く女性、紅美鈴だった。
見事な肢体をナース服に包んだ、まさに、『ぼんっ、きゅっ、ぼん』を超えた『どーん! きゅー! どかーん!』な感じである。
「すいませんけれど、美鈴さん、お願いしますね」
「はい」
「ち、ちょっと! あなた、何でこんなところに……!」
「門番の仕事がオフの時に、こちらのお手伝いをしていただけるよう、レミリアさんに交渉したんですけれど、見事にオーケーがもらえまして」
「私の技術が役に立てばいいかな、って思って。それで、僭越ながらお手伝いさせてもらってるんです」
「そ、そうだったの……」
館主であるレミリアの許可があると言うことで、咲夜の勢いが収まっていく。しかし、一体いつの間にそんな取り決めがなされていたのか。相変わらず、自分の主人のやることは、色んな意味で侮れないと戦慄を覚える咲夜。
「なるほど。わかりました」
咲夜が困惑している間に、永琳から美鈴へ、彼女の病状が伝えられていたらしく、美鈴が大きく首を縦に振る。
「では、咲夜さん。こちらに横になってください。
あ、お洋服は脱いで、あちらにたたんでくださいね」
「い、いいけれど……」
着替え室みたいな役割があるのだろうか。部屋の一角にカーテンが引かれている。そちらに移動して、手早く服を脱いでから、バスタオル一枚で体を覆って出てくる咲夜。そして、美鈴に促されるまま、その前に敷かれた布団の上に横になる。
「では、私のマッサージ術、とくとご覧あれ」
「お、お手柔らかにね?」
バスタオルをはだけて、白い肌をさらす咲夜の上に、よいしょ、とまたがると、親指でぎゅ~っとその肌を押し込んでいく。
「くぅ~……!」
「あ~、かなり凝ってますね~。咲夜さん、毎日毎日無理ばっかりするから」
「だ、だって……きゃっ」
「はい、動かないでくださいね~」
肩から腕、腰、お尻、足。およそ、咲夜が痛みを感じる部分を次々に揉み解していく。それがよっぽど気持ちいいのか、咲夜の顔がとろけていた。普段の、シリアスに鋭さを漂わせる表情はどこにもなく、すっかりリラックスしきっている。
「あらあら、勉強になります」
そんな美鈴のマッサージ方法を、横で眺めながら、永琳。
「私の操気術を一緒に使ったマッサージですから。痛みをほぐしていくと同時に、気を送り込んで細胞を活性化させてるんです」
「はぁ~……そうなのぉ……。気持ちいいわぁ……」
「それはよかった」
やがて、およそ三十分後、完全にとろけきった表情で体を弛緩させた咲夜が布団の上で気持ちよさそうにため息をついていた。美鈴の腕前、恐るべし、といったところか。
「さて、と。
咲夜さん。今、やってみてわかったんですけど、咲夜さんって、結構、体が歪んでますね」
「……ふにゃ?」
「せっかくですから、骨の歪みを直しておきますから」
「……ああ……うん」
よいしょ、と美鈴が咲夜の足を取る。
そして、
「えい」
「いっ……!?」
ぐーっ、と足の裏に拳を当てて内側へと押し込んでいく。
「ていっ」
「あいだだだだだっ!?」
そのまま、足全体にひねりを加え、ぐりぐりと。
「痛い痛い痛い痛いっ!? ち、ちょっと、美鈴っ! 痛い痛いっ!」
「あー、我慢してくださいねー」
「いったぁぁぁぁぁぁっ!」
そして、そのまま、彼女の足を『ごきん!』という音を立てて押し込んでいく。
「足が歪んで、少しO脚気味になってますから。左足も……」
「ち、ちょっと待ってちょっと待って美鈴!」
「じゃ、いきますよー」
「いやぁぁぁぁぁっ!」
ぼきごきべきっ!
何やらすさまじい騒音と共に咲夜の絶叫が響き渡る。
「次は、上半身ですね~」
「ち、ちょっと……お、お願い、許して……」
「体が歪んでいると、筋肉痛や肩こり、腰痛、その他諸々。色んな症状の原因になりますから」
「だから許してぇぇぇぇぇぇ!」
逃げようとする咲夜を捕まえて、そのまま状態をえびぞりにさせ、
「よい……しょ」
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ごきごきんっ! と激しい音を立てながらひねり、さらに逆方向にもう一度。
「次は、肩」
ぼきん!
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ああ、肩こりの原因はここですねー」
ごきん!
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あ、骨盤がかなりずれてますねー」
べきごきばきん!
「ふにゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「腰椎の……どうやったらこんなに屈折するんでしょう」
ごりぼぎっ!
「ぴぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「はいおまけ」
こきゃっ。
「にゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
――そして。
「はい、終わりました。お疲れ様です」
とても完全で瀟洒とはいえない悲鳴を上げまくった咲夜が、まるで水揚げされたマグロのようにぐったりと布団の上に横たわっていた。何事かと見に来たうさぎ達が、障子の向こうでギャラリー状態である。
「これで、大体の歪みは直しました。だけど、咲夜さんの場合、常にこつこつやっておいたほうがいいかもしれませんね。一週間に一度くらい、私がやってあげますからご安心を」
「い、いやぁぁぁぁぁっ! もう整体はいやぁぁぁぁ!」
「ダメですよ。このお仕事、長く続けたいでしょ? ですから、悪いところはしっかり直しておきましょうね」
にっこり笑顔の美鈴。誰かが言った。やばい、こいつぁ無敵だぜ……、と。
「お見事ですねぇ、美鈴さん。お勉強になりました」
「いえいえ、この程度でしたら。
ああ、せっかくですから、あとで鈴仙さんにも整体をしてあげますね。あの方も、背骨の辺りにおかしなところが見受けられますから」
「だって、ウドンゲ」
「お、お断りいたしますっ!」
うさぎ達を散らしていた鈴仙が、顔を真っ青にして見事な返事をしてくる。しかし、永琳はもとより、美鈴もそれを許すつもりはなかったらしい。
「ダメですよ。医療従事者として、その態度は」
「そうよ、ウドンゲ」
「だ、だって……」
いまだ、布団の上から起き上がることすら出来ない咲夜を見て、彼女の顔を恐怖が駆け上がっていく。
「大丈夫です。痛いのは最初だけですよ。段々、気持ちよくなってきますから」
聞く人が聞けば誤解しそうな発言をさらりとやってくれる美鈴に、思わず顔を引きつらせる。
「それに、ほら。咲夜さんだって、もうだいぶ」
「くすん……くすん……美鈴がいじわるするぅ……」
「……いや、泣いてるんですけど」
「大丈夫です」
無根拠に言い放ってくれる美鈴。
そこに至って、ようやく逃げ場がないと言うことを悟ったのか、「お手柔らかにお願いします……」と、鈴仙は泣きながら頭を下げたのだった。
もちろん、その後、永遠亭に鈴仙の絶叫が響き渡ったことは付け加えておこう。
さて、その後のことであるが。
「ねぇ、咲夜」
「はい?」
「何か、あなた、変わったかしら?」
「え?」
「だって、以前よりも背が伸びたような感じがするし、心持ち、姿勢もしゃきっとしてるし。それに何だか、胸も大きくなってない?」
「そう……でしょうか?」
これは、紅魔館の一幕である。
もちろん、その後、門番が「だから言ったじゃないですか。痛いのは最初だけだって」と自慢げにでかい胸を張ったのは言うまでもない。
その後、美鈴の元に、整体を受けさせてほしい、とメイド達が殺到することになる。その中にはレミリアも混じっていて、館中に「にゃぁぁぁぁぁぁぁ!」という絶叫が響いたのだが――それはまた別の話。
「あの……師匠、それ、何ですか?」
「あらあら?」
新しく、自らの医療相談所の紹介文に一文を書き加えている永琳に、やはりこちらも背が伸びたように見える鈴仙が尋ねる。
「うふふ。今度から、マッサージも始めるのよ。私も、美鈴さんにだいぶ仕込まれたから」
「そ、そうですか……」
というわけで、新たな診療科目が、この医療相談所に加えられたのだった。
なお、その後の幽香――でなく、ゆうかりんであるが、その翌日に開かれた神社での宴会に「そ、その……わ、私も参加していい?」と問いかけたところ、もちろん、とみんなに笑顔で返してもらって、思わず嬉し涙を流したと言う。
また、その時を境に、少しだけ、彼女にも友達が増えたと言うが――。
「それも、また別の話。
皆さんも、当方八意永琳医療相談所を、ぜひともご活用くださいね」
~本日の診療は終了いたしました 八意永琳医療相談所所長兼主治医八意永琳~
追記:マッサージ・整体、始めました。
・・・にしても何やってんだかこの魔界神様とゆうかりんは(苦笑) この辺の皆さんもいい味出しててグッドです。ご馳走様でした。
ところで私も最近肩がちと重いんですが、マッサージしてもらったら治りますかね? ・・・あ、整体の方は遠慮しときますが(汗)
・・・しかし永琳師匠・・・確かに同じ「あらあら」属性ですが・・・よりにもよって『謎ジャム』ですかい・・・(汗)
アレは確かにグレイズ出来ませんね・・・てゐ、ご愁傷様・・・
やはり情報は正しかった!
永琳は実は秋k…うわっなんだ!?
大量の黄色いヂャムと三つ編みの女性が…(交信断絶
ほのぼのだとは思いますが何故か畏怖を感じずには居られない…だって…邪夢が…
永琳先生いいなぁ。癒されます。
整体って、怖いくらい身体がばきばきいうんですよね。でも一回くらいは行った方がいいかなぁ……。
ちょっ、えーりん、永遠の17歳なお姉ちゃんかよwwwwww
あれ?下のほうが大きいんだ
盛大に吹いた。
整体行ってみようかなぁ。
つ い に や り お っ た 。 GJ
それは置いといて、えーりんがかの万能奥様似なのは永夜以来私も常々思ってた事でそもそも謎ジャムとは(長いので略
さて、整体の予約入れに逝ってくるか。
まあ幽香が幸せになったのはよかったのでこの点数で。
あと、
>『いい加減、親離れしてください』
神綺様のほうが干渉しに行ってるんで、親離れじゃなくて子離れなんじゃないかなぁ
美鈴仕込の整体をうけついだえーりんのまっさーじはせなかにむねがあたr
ァー!!!
謎ぢゃむなんて何年ぶりに見ただろうかw
が、本当に骨が鳴ったのはすごく衝撃的でした。
くすんなさっきゅんに胸キュン。
ゆうかりん頑張った!GJ
それはさておき、ゆうかりん可愛過ぎw
ゆうかりんに涙した。