前書き、或いは逃げ口上 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃キャラクター・設定などにオリジナル要素が含まれております。 ┃
┃SSに書かれていることを鵜呑みにしがちな方は眉に唾をつけて、 .┃
┃オリジナル要素アレルギーな方はエチケット袋を片手にお進みください。 ┃
┃また、これは第一回SSコンペにて発表したSSに微々たる修正を加えた物です。 ┃
┃以前読んでくださった方には違いが感じられない程度の変更だと思われます。 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
前略
かつて述べた繰言を、十分な改善もなしに繰り返すなど本来歓迎されざるべきことと思います。しかし、未熟な私は訂正をしたい気持ちを抑えられませんでした。恥知らずな行為ではありますが、再度発表させていただきます。まだ読み苦しい点も多々あるとは思いますが、どうぞご容赦ください。
※
『浮遊式構築幻想介入デバイス』
1
朝の冷茶と煎餅を楽しみながら、博麗霊夢は退屈していた。
神社の縁側から見上げる空は濃く青く。早起きな蝉の鳴き声が、お茶の冷たさを際立たせる。レンズ越しに見ているかのようにくっきりとした、それでいてどこか現実感の薄い、そんな世界だった。
「もう夏ね……暑いのはたまらないわ」
歳月と茶渋の染み付いた湯飲みの中に呟く。だが本当は言うほどに嫌なわけではなかった。どうせ毎日退屈しているのだ。吹き出る汗が退屈まで流し落としてくれるわけではないが、尚更の退屈をもたらすわけでもない。いかにもな愚痴は、季節を確認する手順のようなものだった。
ふと視線を落とすと、赤い袴の上を胡麻粒ほどの黒い点が動いている。いつの間にか蟻が一匹よじ登ってきていた。布のヒダに潜り込んでは這い出てくる。博麗の服に入り込むとは良い度胸ねと、小さな侵入者を軽く指先で弾き飛ばす。
そのまま伸ばした指で煎餅を摘まみ、初夏の空へ目を戻す。と、そこにも黒い点が現れていた。雲一つない夏空の中、黒い点は見る間に大きくなり、見慣れた白黒に変わる。
大きな侵入者は、年季の入った箒にまたがっていた。
「おぉーい」小さな体なのに良く通るのは、きっとやたらと大声で呪文を詠唱するからだ。「霊夢ぅー」
「あら魔理沙。久しぶりね」パリンと煎餅を噛み割りながら返事をした。
箒はスピードを落とさぬまま降下し、地面スレスレで止まった。砂埃が舞い上がる。それが嫌で湯呑みの口を煎餅で塞いだが、魔理沙は気付かない。思い切り顔をしかめてやっても良かったかな、と思う。
「昨日会ったばかりじゃないか。一日千秋か? 今は夏だぜ」おいおい、と箒から降りた魔理沙が言う。
「何か違うんじゃない」あらあら、と湯呑みを横に置きながら返す。
「いいや合っているぜ」言いながら煎餅に手を伸ばしてくる。安い菓子だったので魔理沙の好きにさせた。「ところで霊夢、久しぶりに私の家に来ないか?」
「一昨日行ったばかりじゃない」
「海千山千だ。で、来るのか、来ないのか?」
「何が何やら。嫌よ、どうせまた家を片付ける手伝いをしろって言うんでしょ」
拒絶と指摘に、煎餅を咥えた魔理沙は悪びれることなく頷いた。
「話が早くていいな、その通りだ」
バリバリ、と細くも健康そうな顎が煎餅を噛み砕く。
「だがそれだけじゃないぜ。なんと今日はプレゼントがある」この手品には種がある、と同じトーンだった。
「プレゼント、ねえ……それでも嫌って言ったら?」
「そりゃ悲しいな。折角のプレゼントに申し訳ないから、力尽くでも招待する」
笑って物騒なことを言う魔法使いに、霊夢も笑顔で返す。
「嫌」
戦いは結構長かった。
「あいたたた……」呻き声は、湿気に紛れて消えた。
「毎日ぼうっとしてるから腕が鈍るんだぜ。さあ、約束通りプレゼントを貰いに家に来てもらおうか」嬉しげな声が、蝉の声などものともせずに境内に響く。
結局勝ったのは魔理沙だった。腕を組み、とんがり帽子をあみだにかぶり、薄い胸を誇らしげに張っている。それを少し気だるげに見ながら、霊夢は頷いた。
「約束はしてなかったと思うけど。まあいいわ、どうせ暇だったし」
「さすが霊夢、伊達と酔狂で閑古鳥神社の巫女をしてるだけのことはあるぜ」
言うが早いか、魔理沙は箒に乗って魔法の森へ飛んで行く。
それを見送り、永遠の巫女はため息をついた。
数拍遅れて地を蹴り、浮遊しながらのんびりと箒を追いかける。
退屈が紛れることは期待していなかった。
2
霧雨邸のリビングルームは、屋敷の他の部屋と同様に所狭しと物が並んでいる。しかしそれは機能的な雑然さとでも言うべきもので、使える物も使えない物も一緒くたに積まれている他の部屋とは一線を画している――というのが、屋敷の少女主人の主張だ。
「ああ、疲れた……」草臥れた声と共に、霊夢は超機能的リビングに入った。
ソファにボスンと体を埋める。肩口についた綿埃を吹き飛ばしていると、エプロンをした魔理沙も入ってきた。波打つ金髪を後ろでまとめているのが可愛らしかった。
「いやあ、重労働だったぜ」。
「あれも捨てるなこれも捨てるなって言ってただけでしょ」ジトリとした目で見てやる。「掃除の邪魔よ」
「霊夢は物を粗末に扱いすぎだ」そう言いながら、魔理沙は解いたリボンを無造作に机に投げている。
「あんたは物に執着しすぎ」
「知識と道具の蒐集は、魔法使いに必要な素質なんだ」
「集める素質は、集めた物を生かせなきゃ意味がないわよ」言って霊夢は、その辺りに機能的に散らかっている物たちを指さした。
「パチュリーの本やアリスの人形みたいにか? そいつはごめんだぜ」リボンに続いてエプロンの腰紐を解きはじめる魔理沙。どう考えてもエプロン程度で防げるような埃ではなかったのだが、そこは気分というものだろう。外側が内側に与える影響は、決して無視できない。「私は物を集めるのは好きだが、集めた物に縛られるのは趣味じゃない」
エプロンを外すと、その下からいつものエプロンドレスが出てきた。二重にエプロンをしていたらしい。全体的に埃を防ぐのが目的なら頭巾やマスクの方がずっと効果的だと霊夢は思ったが、何も言わなかった。きっと魔理沙は、エプロンドレスか、エプロンドレスの中にある物か、他の何かを守りたかったのだろう。
「それで……プレゼントっていうのは何かしら? 力尽くで連れてきたんだから、余程の物なんでしょうね」
「あー」魔理沙はすっかり忘れてた、というような表情を見せた。「ほんのつまらない物だぜ」
「謙遜の仕方が間違ってるわよ」
「大事なのは心意気だ」
「じゃあなおさら間違ってるじゃない。魔理沙に謙遜の気持ちがあるなんて思えないもの」
指摘をまたもや聞き流して、魔理沙は部屋を出て行った。
置き去りにされ、手持ち無沙汰に周囲を見回す。これといって興味をそそられる物があるわけではない。いや、機能的だか何だか知らないが正体不明の物が多すぎて、興味の持ちようがないというのが正しい。結局することもなしに、霊夢は目を閉じて、少し離れた部屋からのドタバタした音を聞いていた。
しばらくしてから魔理沙が持ってきたのは、一抱えほどの四角い透明ケースだった。一見水槽のようだが、魔理沙の細腕で簡単に持てるのだからガラスではないのだろう。歪みも曇りもなく、ややもすると見失いそうなほどの透明度。くっきりと見えるその中で、一体の人形がふらふらと踊っていた。
「よっ」
掛け声と共に、ケースが机の上に置かれた。底から伝わった衝撃に、人形が両手を挙げて驚いたような動きをする。
「こいつだ」
言われて、閉じ込められている人形を観察する。体に対して大きめな頭に大きめな目、丸っこい手足。明るい黄色の髪で、ヒラヒラしたフリルドレスを着せられている。美しさよりも可愛さを重視した、ぬいぐるみのような作りだ。人形は外の二人のことが分からないのか、相変わらずふらふらと動いている。
「何これ」
「ケースに入った人形だな」
「見れば分かるわ」
「見てないかと思ったぜ」
「あんたは何を見てるのよ」
霊夢がコンコン、とケースを叩くと、不思議そうにそこに近寄ってくる。やはり、ケース自体への衝撃はある程度分かるようだ。
「アリスにでも貰ったの?」
「いや。こんなの貰うぐらいなら魔導書を奪う。開けてみろよ」
ケースは底面とそれ以外とで分離する構造らしい。大きさのせいで水槽に見えたが、やはり人形ケースが近い。
「飛び出て暴れたりしないでしょうね」
「しないぜ」
「じゃあ暴れさせたりは」
「暴れたいのか?」
「まさか」
ケースを両手で挟むと、ひやりと冷たい感触が腕を駆け上った。思わず手を離してしまう。横で魔理沙がにやにや笑っているのを見ると、予想通りの反応だったらしい。軽く睨んでおく。
気を取り直して手をかける。再び肩口まで冷たさが走るが、直ぐに消えた。手の平に力をこめて、そっと上に持ち上げる――と、
「あ」
底と四方の壁の間に隙間が開いた瞬間、不安げに周りを見回していた人形がパタリと倒れた。そして、それっきり動かない。
ケースを横に置いてつついてみるが、何の反応もなければ変哲もなかった。中の詰め物が柔らかく指を押し返してくるだけだ。
あられを一個食べるくらいの時間考えて、霊夢はケースを元通りにかぶせてみた。
はたして、人形は眠りから覚めたように動き出す。
頷き、相変わらずにやにやしている魔理沙を見やった。
「……人形じゃなくって、こっちのケースが魔導具なのね? それとも二つセットなのか」
「最初の方が当たりだぜ。こんなこともできる」
そう言うと、今度は魔理沙が自分でケースを持ち上げた。人形が再び止まる。その隣に、近くにおいてあった人型の切り抜きを並べ、ケースを戻す。
すぐに、二つの人形がピョコンと立ち上がった。
中の物同士は存在を知ることができるらしい。元の布人形と紙人形は、互いの顔を見つめあう。しばらくすると、連れ立って動き始めた。歩き、走り、踊り、追いかけあい、休む。まるで何かを話し合っているような素振りさえする。随分と人間味溢れる行動をするように作られている。ケースの中で、人の形を模した物が、人の動きを模している。
「いまいち良く分からんが、中に入れた人型の物を、簡易的な式にするみたいだ。式っつっても操ることはできないけどな。ついでにこのケースに記録されてる人格を付与する術式も組まれてるぜ」
魔理沙の説明が頭を通りすぎて行く。
ケースの中の人形。隔離された空間での人型。
操られていない動く人形。操られていないように見える動く人形。
霊夢は、自分が少し動揺していることに気が付いていた。胸が感情に圧迫される。切ないような、悔しいような、腹立たしいような、見たいような、見たくないような、何かを期待するような、何かを心配するような。それは丁度、紅魔館や白玉楼や永遠亭での事件の途中で密かに感じていたものに似て、そしてそれらより強かった。
ざわざわしたものを抱え、霊夢は問いかける。
「これ、どうしろっていうの」
「どうしろって言われると困るな……。見てて飽きないし、インテリアとかにいいだろ。霊夢の神社は物がなくて殺風景だからな」
「大きなお世話よ」
「小さな親切だぜ」
「…………」
「…………」
会話が途切れる。
黙りこくり無表情でケースの中を見つめる霊夢に、魔理沙が少し不安げな顔つきになっている。表に動揺を出しているつもりはなかったが、長い付き合いで分かるのだろう――こういうことだけは。
人形達は取っ組み合いを始めていた。どこか微笑ましいが、喧嘩だ。布人形の方が体が大きい。紙人形の方が動きが早い。なかなか決着が付かない。
「どうかしたのか?」
何も言わない霊夢に焦れて魔理沙が口を開いた。
それに答えず視線も向けず、質問に質問で返す。
「……この人形、外から操ることはできるの?」
「あー? できないんじゃないか? 説明書なんてなかったから絶対じゃないが、私の調べた限りじゃ無理だ」
「そう。まあどっちでも良いけど」
「だったら聞くなよ」
魔理沙は困惑し、仕方なしに苦笑する。
ケースの中では、紙人形が逃げ回るのに飽きて布人形に捕まっていた。足を掴まれ、勢い良くギュンギュンと振り回されている。
「ねえ魔理沙。これを見て何か考えなかった?」
「何かって何だ? 振り回される時は両手で頭を抱えた方がいいとかそういうことか?」
「そんな実用的なんだか滅多に使わないんだか微妙なことじゃなくて」
「私が考えたのは、邪魔だからお前にあげようってことだけだぜ」
「そう。まあ別にいいけど」
意識せず、さっきと同じような言葉が口をついた。
それで訝しさが限界を超えたのか、魔理沙が軽く肩を掴んでくる。
「霊夢、どうしたんだ? さっきから変だぜ。片付けてる間に変な薬でも被ったのか?」
魔理沙の顔が近づく。不審と苛立ちの奥に、心配が垣間見える表情。それを少し鬱陶しく思い、そんな自分を身勝手だと内心で笑う。やはり魔理沙は魔理沙だ。
魔理沙からケースに目を逃がすと、人形達は喧嘩が終わって仲直りをしていた。そんな所まで人間を模す機能があることに、今度は表情に出して小さく笑った。
その笑顔を、間近で見つめてくる少女にも向ける。
「掃除にこき使われて機嫌が悪くなってるっては思わないの?」
「だったら黙りこんだりしないで文句を言うだろ、霊夢は」
「鋭いじゃない、片付けた物に魔法の砥石でもあったかしら」
「私はいつだって新品同然だ……ってそうじゃないだろ」
「どうかしら?」
場の緊張がほぐれた。対話と笑顔の効果は大きい。
肩を掴む魔理沙の手が、静かに離された。
「一体何なんだよ、まったく」
「薬を被ったんじゃないわ。ちょっと考えてただけ」
「答えになってないな。頭が春の巫女は知らないが、ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな何かは考えてるんだぜ?」
霊夢は数秒思案する振りをしてから、笑顔でこう答えた。
「秘密。知りたかったら力尽くでやってみれば?」
戦いは短かった。
「……何でだ?」
帽子を目深に被った魔理沙が呟いた。へたり込むように、地面に腰を下ろしている。
霊夢はその前に立ち、袴の裾を熱気を孕んだ風に揺らしている。
今度の勝者は霊夢だった、
「守る物があるかないかの違いよ。あんた、自分の家を壊さないように手加減したでしょ? そんなの二重結界で何とでも」
「うう……道理で神社じゃ張り方がおかしいと思ったぜ。くそ、暴れる気満々だったんじゃないか」
帽子で表情を隠しているのが、負けず嫌いの魔理沙らしかった。
霊夢は持ったままだった符をしまうと、魔理沙に近づいて行く。
「私が勝ったから秘密は秘密のままね」
「闇から闇に葬ってると、いつか復活合体して襲ってくるぜ」
「あんたのとこのガラクタと古本が合体するのが先よ」
魔理沙に肩を貸そうかと一応申し出たが、当然のように断られた。
座り込んだまま伸ばした魔理沙の手に、吹き飛ばされていた箒が飛んできて収まる。それを杖代わりに立ち上がり、顔を見せないまま屋敷へと戻って行く。霊夢も肩をすくめて、黙って魔理沙を追った。
魔理沙の六歩目、霊夢の四歩目で、振り向くことなく魔理沙が問いかけてきた。
「なあ、ヒントくらいくれてもいいだろ?」
「往生際が悪いわよ」
「潔く白玉楼には行きたくないからな」
ヒントなんて出してどうなる。そう思っていたが、何となく次の言葉が遅れた。
少し先では、とんがり帽子が小刻みにひょこひょこ揺れている。魔理沙は変わらない。
まあいいや、と思ってヒントを口にする。
「そうだなあ。私の二重結界が本当は三重結界だ、ってことかな」
「あー? ……博麗大結界か?」
「そうそう」
「あのケースが結界に似てるってことか?」
「……そうそう」
「そうかそうか、やっぱりな。実は私もそう思ってたんだぜ。で、それがどうしたんだ?」
「そうそう」
「おいこら霊夢」
「そうそう」
ふくれっ面で振り向いた魔理沙に笑いかけた。
「ヒントだけよ。それとももう一回やる?」
「……いや、そいつは遠慮しとくぜ。物ない神社の掃除ならともかく、賽銭のない賽銭箱を一杯にしろと言われたら困る」
笑いながら二人は霧雨邸に入る。
建物に傷はついていなかったが、弾幕ごっこの余波で、折角片付けた本がいくつか床に散らばっていた。
「うーあー」
片づけが無駄になったからか貴重な物が混じってでもいたからか、持ち主がうめき声を上げる。
「片付けても家の九割がごちゃごちゃしてたんだからいいじゃない」
一方、霊夢は素っ気ない。自分が手伝ったことであっても、その成果に未練は少しもなかった。
リビングルームに入ると、そこは出てくる時と変わらない状態だった。
机の上のケースでは、今も人形達が動いている。片方がポーズを取り、もう片方がそれを真似する、という遊びをしているらしかった。もちろん、リビングに巫女と魔法使いが入ってきたことは分かっていない。
箒を壁際に立て掛け、お茶を淹れにキッチンへ向かいながら魔理沙が聞いてくる。
「それで霊夢、これは持って行くんだろ?」
「いらないわ」
きっぱりと即答した。
「なんでだよ、折角……」
魔理沙は心底意外そうな声を出す。
「私はあんたと違って、いらない物を集める趣味はないのよ」
「そうかよ。いらないって言うなら無理に押し付けはしないけどな」
リビングを出て行く魔理沙の残念そうな顔を、霊夢は気に留めなかった。
自分へのプレゼントだった物に静かに近寄り、ケースを上げて人形達を止めた。とても簡単だった。そこが違うと思った。
その後、お茶とお菓子を食べながら談笑し、霊夢は霧雨邸を後にした。
予想通り、暇は潰れたが大して退屈は紛れなかった。
3
博麗神社から空を眺めて冷茶を啜りながら、霊夢は退屈していた。
暇には慣れても、退屈には慣れることはない。慣れるということも退屈の元になるからだ。
代わりに霊夢は諦観を手に入れていた。
そういうものだと受け入れてしまえば、焦がれるような苦悩はない。
「むー……」
魔理沙は『伊達や酔狂で巫女をしている』と言ったが、それは違う。
霊夢が巫女をしているのは、ただそれが彼女の役割だからだ。
彼女の役割は二つある。
一つは誰もが知っている。神社の責任者として、幻想郷と顕界の境を絶つ博麗大結界を守ること。
一つは誰も――彼女自身すらはっきりとは知らない。巫女として幻想郷と現実の境に立ち、両者を繋ぐこと。
相反する二つの使命が、博麗から彼女に与えられた役割。
『そういうものだ』。
それはどうしようもなく、そうと決められたこと。
一度倒れ二度倒れ三度倒れ、容易にやりすごそうと狂気を潜り抜けようと。
楽園の素敵な巫女。博麗神社の永遠の巫女。彼女がその役割から逃れられることはない。
そしてそれ故に、彼女の意識と在り方は、幻想郷の根幹でありながらどこか浮遊するようになってしまった。
「留守の間に何か妖怪が来たわね……構わないけど」
博麗大結界を守る彼女は、幻想郷が閉ざされた空間だということを誰よりも理解している。
外から入ってくることも内から出て行くこともない、箱庭のような世界。
妖霧が幻想郷を包もうと、春が来なかろうと、月が欠けようと、コップの中の嵐でしかない。
全てを破壊する能力も、運命を弄る能力も、永遠と須臾を操る能力も、この幻想の中でしか働かない。たとえ八雲紫の能力だって、幻想郷が消えてしまえば力を失ってしまうだろう……そのことを霊夢は識っていた。
人も妖怪も宇宙人も。友人である霧雨魔理沙でさえ、閉じた箱庭の住人。
幻想郷の全てを俯瞰する視点を持ってしまった彼女は、あらゆる意味で宙に浮くしかなかった。
「最近は面倒すぎる面倒ごともないし。このまま一年が終わればいいんだけど」
495年間幽閉されているフランドール。
桜の木の下で眠り続ける幽々子。
地上を閉ざして隠れた輝夜。
いわば密室の中の密室――二重密室を巡るあれこれの事件。
そのさなかで、誰かが自分と同じ視点を持ってくれないか、という期待と、自分の他にそういう存在が現れたらどうなるのだろう、という不安があった。
しかし、そんな相手は見つからなかった。
今日も。
もうそれを残念とは思わないが。
「さて、今日の夕ご飯は何にしようかな……」
幻想郷で起こるどんな出来事も平等に価値がない。
例えば人形遊びのように。
例えばかび臭い物語のように。
己も含めた全てが他愛ない有象無象である、という認識。
自分と同じ高さの視点を持つ存在がない、という黙識。
彼女のリアルはどこにも存在しない。
区切られた幻想を眺める博麗霊夢は今日も穏やかに平和で退屈で――そして、救いようもなく孤独だった。
終
※
以上が、博麗霊夢が向こう側とこちら側のチャネル、即ち幻想郷での私たちの代理人とされていることが彼女に与える影響の一端です。幻想郷の総責任者である博麗神社神主が、非自覚的なチャネラーである巫女に彼女を選んだ明確な理由は今のところ不明です。しかし、私たちの代理となることで与えられる様々な能力や幸運、トラブル誘引体質などに加え、例示したような乖離感ともうまく付き合っていることから、神主の選択は正しかったと言えるでしょう。最近は他のチャネルも増える傾向にありますが、彼女が幻想の核であることに変わりはありません。幻想郷が博く麗かに開かれた状態を保てるように、おそらく今後もメインチャネルであり続ける博麗霊夢の扱いにはある程度の注意を願うところであります。
―――――博麗神社に集う『神々』へ、一人の若輩より言上
┃キャラクター・設定などにオリジナル要素が含まれております。 ┃
┃SSに書かれていることを鵜呑みにしがちな方は眉に唾をつけて、 .┃
┃オリジナル要素アレルギーな方はエチケット袋を片手にお進みください。 ┃
┃また、これは第一回SSコンペにて発表したSSに微々たる修正を加えた物です。 ┃
┃以前読んでくださった方には違いが感じられない程度の変更だと思われます。 ┃
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前略
かつて述べた繰言を、十分な改善もなしに繰り返すなど本来歓迎されざるべきことと思います。しかし、未熟な私は訂正をしたい気持ちを抑えられませんでした。恥知らずな行為ではありますが、再度発表させていただきます。まだ読み苦しい点も多々あるとは思いますが、どうぞご容赦ください。
※
『浮遊式構築幻想介入デバイス』
1
朝の冷茶と煎餅を楽しみながら、博麗霊夢は退屈していた。
神社の縁側から見上げる空は濃く青く。早起きな蝉の鳴き声が、お茶の冷たさを際立たせる。レンズ越しに見ているかのようにくっきりとした、それでいてどこか現実感の薄い、そんな世界だった。
「もう夏ね……暑いのはたまらないわ」
歳月と茶渋の染み付いた湯飲みの中に呟く。だが本当は言うほどに嫌なわけではなかった。どうせ毎日退屈しているのだ。吹き出る汗が退屈まで流し落としてくれるわけではないが、尚更の退屈をもたらすわけでもない。いかにもな愚痴は、季節を確認する手順のようなものだった。
ふと視線を落とすと、赤い袴の上を胡麻粒ほどの黒い点が動いている。いつの間にか蟻が一匹よじ登ってきていた。布のヒダに潜り込んでは這い出てくる。博麗の服に入り込むとは良い度胸ねと、小さな侵入者を軽く指先で弾き飛ばす。
そのまま伸ばした指で煎餅を摘まみ、初夏の空へ目を戻す。と、そこにも黒い点が現れていた。雲一つない夏空の中、黒い点は見る間に大きくなり、見慣れた白黒に変わる。
大きな侵入者は、年季の入った箒にまたがっていた。
「おぉーい」小さな体なのに良く通るのは、きっとやたらと大声で呪文を詠唱するからだ。「霊夢ぅー」
「あら魔理沙。久しぶりね」パリンと煎餅を噛み割りながら返事をした。
箒はスピードを落とさぬまま降下し、地面スレスレで止まった。砂埃が舞い上がる。それが嫌で湯呑みの口を煎餅で塞いだが、魔理沙は気付かない。思い切り顔をしかめてやっても良かったかな、と思う。
「昨日会ったばかりじゃないか。一日千秋か? 今は夏だぜ」おいおい、と箒から降りた魔理沙が言う。
「何か違うんじゃない」あらあら、と湯呑みを横に置きながら返す。
「いいや合っているぜ」言いながら煎餅に手を伸ばしてくる。安い菓子だったので魔理沙の好きにさせた。「ところで霊夢、久しぶりに私の家に来ないか?」
「一昨日行ったばかりじゃない」
「海千山千だ。で、来るのか、来ないのか?」
「何が何やら。嫌よ、どうせまた家を片付ける手伝いをしろって言うんでしょ」
拒絶と指摘に、煎餅を咥えた魔理沙は悪びれることなく頷いた。
「話が早くていいな、その通りだ」
バリバリ、と細くも健康そうな顎が煎餅を噛み砕く。
「だがそれだけじゃないぜ。なんと今日はプレゼントがある」この手品には種がある、と同じトーンだった。
「プレゼント、ねえ……それでも嫌って言ったら?」
「そりゃ悲しいな。折角のプレゼントに申し訳ないから、力尽くでも招待する」
笑って物騒なことを言う魔法使いに、霊夢も笑顔で返す。
「嫌」
戦いは結構長かった。
「あいたたた……」呻き声は、湿気に紛れて消えた。
「毎日ぼうっとしてるから腕が鈍るんだぜ。さあ、約束通りプレゼントを貰いに家に来てもらおうか」嬉しげな声が、蝉の声などものともせずに境内に響く。
結局勝ったのは魔理沙だった。腕を組み、とんがり帽子をあみだにかぶり、薄い胸を誇らしげに張っている。それを少し気だるげに見ながら、霊夢は頷いた。
「約束はしてなかったと思うけど。まあいいわ、どうせ暇だったし」
「さすが霊夢、伊達と酔狂で閑古鳥神社の巫女をしてるだけのことはあるぜ」
言うが早いか、魔理沙は箒に乗って魔法の森へ飛んで行く。
それを見送り、永遠の巫女はため息をついた。
数拍遅れて地を蹴り、浮遊しながらのんびりと箒を追いかける。
退屈が紛れることは期待していなかった。
2
霧雨邸のリビングルームは、屋敷の他の部屋と同様に所狭しと物が並んでいる。しかしそれは機能的な雑然さとでも言うべきもので、使える物も使えない物も一緒くたに積まれている他の部屋とは一線を画している――というのが、屋敷の少女主人の主張だ。
「ああ、疲れた……」草臥れた声と共に、霊夢は超機能的リビングに入った。
ソファにボスンと体を埋める。肩口についた綿埃を吹き飛ばしていると、エプロンをした魔理沙も入ってきた。波打つ金髪を後ろでまとめているのが可愛らしかった。
「いやあ、重労働だったぜ」。
「あれも捨てるなこれも捨てるなって言ってただけでしょ」ジトリとした目で見てやる。「掃除の邪魔よ」
「霊夢は物を粗末に扱いすぎだ」そう言いながら、魔理沙は解いたリボンを無造作に机に投げている。
「あんたは物に執着しすぎ」
「知識と道具の蒐集は、魔法使いに必要な素質なんだ」
「集める素質は、集めた物を生かせなきゃ意味がないわよ」言って霊夢は、その辺りに機能的に散らかっている物たちを指さした。
「パチュリーの本やアリスの人形みたいにか? そいつはごめんだぜ」リボンに続いてエプロンの腰紐を解きはじめる魔理沙。どう考えてもエプロン程度で防げるような埃ではなかったのだが、そこは気分というものだろう。外側が内側に与える影響は、決して無視できない。「私は物を集めるのは好きだが、集めた物に縛られるのは趣味じゃない」
エプロンを外すと、その下からいつものエプロンドレスが出てきた。二重にエプロンをしていたらしい。全体的に埃を防ぐのが目的なら頭巾やマスクの方がずっと効果的だと霊夢は思ったが、何も言わなかった。きっと魔理沙は、エプロンドレスか、エプロンドレスの中にある物か、他の何かを守りたかったのだろう。
「それで……プレゼントっていうのは何かしら? 力尽くで連れてきたんだから、余程の物なんでしょうね」
「あー」魔理沙はすっかり忘れてた、というような表情を見せた。「ほんのつまらない物だぜ」
「謙遜の仕方が間違ってるわよ」
「大事なのは心意気だ」
「じゃあなおさら間違ってるじゃない。魔理沙に謙遜の気持ちがあるなんて思えないもの」
指摘をまたもや聞き流して、魔理沙は部屋を出て行った。
置き去りにされ、手持ち無沙汰に周囲を見回す。これといって興味をそそられる物があるわけではない。いや、機能的だか何だか知らないが正体不明の物が多すぎて、興味の持ちようがないというのが正しい。結局することもなしに、霊夢は目を閉じて、少し離れた部屋からのドタバタした音を聞いていた。
しばらくしてから魔理沙が持ってきたのは、一抱えほどの四角い透明ケースだった。一見水槽のようだが、魔理沙の細腕で簡単に持てるのだからガラスではないのだろう。歪みも曇りもなく、ややもすると見失いそうなほどの透明度。くっきりと見えるその中で、一体の人形がふらふらと踊っていた。
「よっ」
掛け声と共に、ケースが机の上に置かれた。底から伝わった衝撃に、人形が両手を挙げて驚いたような動きをする。
「こいつだ」
言われて、閉じ込められている人形を観察する。体に対して大きめな頭に大きめな目、丸っこい手足。明るい黄色の髪で、ヒラヒラしたフリルドレスを着せられている。美しさよりも可愛さを重視した、ぬいぐるみのような作りだ。人形は外の二人のことが分からないのか、相変わらずふらふらと動いている。
「何これ」
「ケースに入った人形だな」
「見れば分かるわ」
「見てないかと思ったぜ」
「あんたは何を見てるのよ」
霊夢がコンコン、とケースを叩くと、不思議そうにそこに近寄ってくる。やはり、ケース自体への衝撃はある程度分かるようだ。
「アリスにでも貰ったの?」
「いや。こんなの貰うぐらいなら魔導書を奪う。開けてみろよ」
ケースは底面とそれ以外とで分離する構造らしい。大きさのせいで水槽に見えたが、やはり人形ケースが近い。
「飛び出て暴れたりしないでしょうね」
「しないぜ」
「じゃあ暴れさせたりは」
「暴れたいのか?」
「まさか」
ケースを両手で挟むと、ひやりと冷たい感触が腕を駆け上った。思わず手を離してしまう。横で魔理沙がにやにや笑っているのを見ると、予想通りの反応だったらしい。軽く睨んでおく。
気を取り直して手をかける。再び肩口まで冷たさが走るが、直ぐに消えた。手の平に力をこめて、そっと上に持ち上げる――と、
「あ」
底と四方の壁の間に隙間が開いた瞬間、不安げに周りを見回していた人形がパタリと倒れた。そして、それっきり動かない。
ケースを横に置いてつついてみるが、何の反応もなければ変哲もなかった。中の詰め物が柔らかく指を押し返してくるだけだ。
あられを一個食べるくらいの時間考えて、霊夢はケースを元通りにかぶせてみた。
はたして、人形は眠りから覚めたように動き出す。
頷き、相変わらずにやにやしている魔理沙を見やった。
「……人形じゃなくって、こっちのケースが魔導具なのね? それとも二つセットなのか」
「最初の方が当たりだぜ。こんなこともできる」
そう言うと、今度は魔理沙が自分でケースを持ち上げた。人形が再び止まる。その隣に、近くにおいてあった人型の切り抜きを並べ、ケースを戻す。
すぐに、二つの人形がピョコンと立ち上がった。
中の物同士は存在を知ることができるらしい。元の布人形と紙人形は、互いの顔を見つめあう。しばらくすると、連れ立って動き始めた。歩き、走り、踊り、追いかけあい、休む。まるで何かを話し合っているような素振りさえする。随分と人間味溢れる行動をするように作られている。ケースの中で、人の形を模した物が、人の動きを模している。
「いまいち良く分からんが、中に入れた人型の物を、簡易的な式にするみたいだ。式っつっても操ることはできないけどな。ついでにこのケースに記録されてる人格を付与する術式も組まれてるぜ」
魔理沙の説明が頭を通りすぎて行く。
ケースの中の人形。隔離された空間での人型。
操られていない動く人形。操られていないように見える動く人形。
霊夢は、自分が少し動揺していることに気が付いていた。胸が感情に圧迫される。切ないような、悔しいような、腹立たしいような、見たいような、見たくないような、何かを期待するような、何かを心配するような。それは丁度、紅魔館や白玉楼や永遠亭での事件の途中で密かに感じていたものに似て、そしてそれらより強かった。
ざわざわしたものを抱え、霊夢は問いかける。
「これ、どうしろっていうの」
「どうしろって言われると困るな……。見てて飽きないし、インテリアとかにいいだろ。霊夢の神社は物がなくて殺風景だからな」
「大きなお世話よ」
「小さな親切だぜ」
「…………」
「…………」
会話が途切れる。
黙りこくり無表情でケースの中を見つめる霊夢に、魔理沙が少し不安げな顔つきになっている。表に動揺を出しているつもりはなかったが、長い付き合いで分かるのだろう――こういうことだけは。
人形達は取っ組み合いを始めていた。どこか微笑ましいが、喧嘩だ。布人形の方が体が大きい。紙人形の方が動きが早い。なかなか決着が付かない。
「どうかしたのか?」
何も言わない霊夢に焦れて魔理沙が口を開いた。
それに答えず視線も向けず、質問に質問で返す。
「……この人形、外から操ることはできるの?」
「あー? できないんじゃないか? 説明書なんてなかったから絶対じゃないが、私の調べた限りじゃ無理だ」
「そう。まあどっちでも良いけど」
「だったら聞くなよ」
魔理沙は困惑し、仕方なしに苦笑する。
ケースの中では、紙人形が逃げ回るのに飽きて布人形に捕まっていた。足を掴まれ、勢い良くギュンギュンと振り回されている。
「ねえ魔理沙。これを見て何か考えなかった?」
「何かって何だ? 振り回される時は両手で頭を抱えた方がいいとかそういうことか?」
「そんな実用的なんだか滅多に使わないんだか微妙なことじゃなくて」
「私が考えたのは、邪魔だからお前にあげようってことだけだぜ」
「そう。まあ別にいいけど」
意識せず、さっきと同じような言葉が口をついた。
それで訝しさが限界を超えたのか、魔理沙が軽く肩を掴んでくる。
「霊夢、どうしたんだ? さっきから変だぜ。片付けてる間に変な薬でも被ったのか?」
魔理沙の顔が近づく。不審と苛立ちの奥に、心配が垣間見える表情。それを少し鬱陶しく思い、そんな自分を身勝手だと内心で笑う。やはり魔理沙は魔理沙だ。
魔理沙からケースに目を逃がすと、人形達は喧嘩が終わって仲直りをしていた。そんな所まで人間を模す機能があることに、今度は表情に出して小さく笑った。
その笑顔を、間近で見つめてくる少女にも向ける。
「掃除にこき使われて機嫌が悪くなってるっては思わないの?」
「だったら黙りこんだりしないで文句を言うだろ、霊夢は」
「鋭いじゃない、片付けた物に魔法の砥石でもあったかしら」
「私はいつだって新品同然だ……ってそうじゃないだろ」
「どうかしら?」
場の緊張がほぐれた。対話と笑顔の効果は大きい。
肩を掴む魔理沙の手が、静かに離された。
「一体何なんだよ、まったく」
「薬を被ったんじゃないわ。ちょっと考えてただけ」
「答えになってないな。頭が春の巫女は知らないが、ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな何かは考えてるんだぜ?」
霊夢は数秒思案する振りをしてから、笑顔でこう答えた。
「秘密。知りたかったら力尽くでやってみれば?」
戦いは短かった。
「……何でだ?」
帽子を目深に被った魔理沙が呟いた。へたり込むように、地面に腰を下ろしている。
霊夢はその前に立ち、袴の裾を熱気を孕んだ風に揺らしている。
今度の勝者は霊夢だった、
「守る物があるかないかの違いよ。あんた、自分の家を壊さないように手加減したでしょ? そんなの二重結界で何とでも」
「うう……道理で神社じゃ張り方がおかしいと思ったぜ。くそ、暴れる気満々だったんじゃないか」
帽子で表情を隠しているのが、負けず嫌いの魔理沙らしかった。
霊夢は持ったままだった符をしまうと、魔理沙に近づいて行く。
「私が勝ったから秘密は秘密のままね」
「闇から闇に葬ってると、いつか復活合体して襲ってくるぜ」
「あんたのとこのガラクタと古本が合体するのが先よ」
魔理沙に肩を貸そうかと一応申し出たが、当然のように断られた。
座り込んだまま伸ばした魔理沙の手に、吹き飛ばされていた箒が飛んできて収まる。それを杖代わりに立ち上がり、顔を見せないまま屋敷へと戻って行く。霊夢も肩をすくめて、黙って魔理沙を追った。
魔理沙の六歩目、霊夢の四歩目で、振り向くことなく魔理沙が問いかけてきた。
「なあ、ヒントくらいくれてもいいだろ?」
「往生際が悪いわよ」
「潔く白玉楼には行きたくないからな」
ヒントなんて出してどうなる。そう思っていたが、何となく次の言葉が遅れた。
少し先では、とんがり帽子が小刻みにひょこひょこ揺れている。魔理沙は変わらない。
まあいいや、と思ってヒントを口にする。
「そうだなあ。私の二重結界が本当は三重結界だ、ってことかな」
「あー? ……博麗大結界か?」
「そうそう」
「あのケースが結界に似てるってことか?」
「……そうそう」
「そうかそうか、やっぱりな。実は私もそう思ってたんだぜ。で、それがどうしたんだ?」
「そうそう」
「おいこら霊夢」
「そうそう」
ふくれっ面で振り向いた魔理沙に笑いかけた。
「ヒントだけよ。それとももう一回やる?」
「……いや、そいつは遠慮しとくぜ。物ない神社の掃除ならともかく、賽銭のない賽銭箱を一杯にしろと言われたら困る」
笑いながら二人は霧雨邸に入る。
建物に傷はついていなかったが、弾幕ごっこの余波で、折角片付けた本がいくつか床に散らばっていた。
「うーあー」
片づけが無駄になったからか貴重な物が混じってでもいたからか、持ち主がうめき声を上げる。
「片付けても家の九割がごちゃごちゃしてたんだからいいじゃない」
一方、霊夢は素っ気ない。自分が手伝ったことであっても、その成果に未練は少しもなかった。
リビングルームに入ると、そこは出てくる時と変わらない状態だった。
机の上のケースでは、今も人形達が動いている。片方がポーズを取り、もう片方がそれを真似する、という遊びをしているらしかった。もちろん、リビングに巫女と魔法使いが入ってきたことは分かっていない。
箒を壁際に立て掛け、お茶を淹れにキッチンへ向かいながら魔理沙が聞いてくる。
「それで霊夢、これは持って行くんだろ?」
「いらないわ」
きっぱりと即答した。
「なんでだよ、折角……」
魔理沙は心底意外そうな声を出す。
「私はあんたと違って、いらない物を集める趣味はないのよ」
「そうかよ。いらないって言うなら無理に押し付けはしないけどな」
リビングを出て行く魔理沙の残念そうな顔を、霊夢は気に留めなかった。
自分へのプレゼントだった物に静かに近寄り、ケースを上げて人形達を止めた。とても簡単だった。そこが違うと思った。
その後、お茶とお菓子を食べながら談笑し、霊夢は霧雨邸を後にした。
予想通り、暇は潰れたが大して退屈は紛れなかった。
3
博麗神社から空を眺めて冷茶を啜りながら、霊夢は退屈していた。
暇には慣れても、退屈には慣れることはない。慣れるということも退屈の元になるからだ。
代わりに霊夢は諦観を手に入れていた。
そういうものだと受け入れてしまえば、焦がれるような苦悩はない。
「むー……」
魔理沙は『伊達や酔狂で巫女をしている』と言ったが、それは違う。
霊夢が巫女をしているのは、ただそれが彼女の役割だからだ。
彼女の役割は二つある。
一つは誰もが知っている。神社の責任者として、幻想郷と顕界の境を絶つ博麗大結界を守ること。
一つは誰も――彼女自身すらはっきりとは知らない。巫女として幻想郷と現実の境に立ち、両者を繋ぐこと。
相反する二つの使命が、博麗から彼女に与えられた役割。
『そういうものだ』。
それはどうしようもなく、そうと決められたこと。
一度倒れ二度倒れ三度倒れ、容易にやりすごそうと狂気を潜り抜けようと。
楽園の素敵な巫女。博麗神社の永遠の巫女。彼女がその役割から逃れられることはない。
そしてそれ故に、彼女の意識と在り方は、幻想郷の根幹でありながらどこか浮遊するようになってしまった。
「留守の間に何か妖怪が来たわね……構わないけど」
博麗大結界を守る彼女は、幻想郷が閉ざされた空間だということを誰よりも理解している。
外から入ってくることも内から出て行くこともない、箱庭のような世界。
妖霧が幻想郷を包もうと、春が来なかろうと、月が欠けようと、コップの中の嵐でしかない。
全てを破壊する能力も、運命を弄る能力も、永遠と須臾を操る能力も、この幻想の中でしか働かない。たとえ八雲紫の能力だって、幻想郷が消えてしまえば力を失ってしまうだろう……そのことを霊夢は識っていた。
人も妖怪も宇宙人も。友人である霧雨魔理沙でさえ、閉じた箱庭の住人。
幻想郷の全てを俯瞰する視点を持ってしまった彼女は、あらゆる意味で宙に浮くしかなかった。
「最近は面倒すぎる面倒ごともないし。このまま一年が終わればいいんだけど」
495年間幽閉されているフランドール。
桜の木の下で眠り続ける幽々子。
地上を閉ざして隠れた輝夜。
いわば密室の中の密室――二重密室を巡るあれこれの事件。
そのさなかで、誰かが自分と同じ視点を持ってくれないか、という期待と、自分の他にそういう存在が現れたらどうなるのだろう、という不安があった。
しかし、そんな相手は見つからなかった。
今日も。
もうそれを残念とは思わないが。
「さて、今日の夕ご飯は何にしようかな……」
幻想郷で起こるどんな出来事も平等に価値がない。
例えば人形遊びのように。
例えばかび臭い物語のように。
己も含めた全てが他愛ない有象無象である、という認識。
自分と同じ高さの視点を持つ存在がない、という黙識。
彼女のリアルはどこにも存在しない。
区切られた幻想を眺める博麗霊夢は今日も穏やかに平和で退屈で――そして、救いようもなく孤独だった。
終
※
以上が、博麗霊夢が向こう側とこちら側のチャネル、即ち幻想郷での私たちの代理人とされていることが彼女に与える影響の一端です。幻想郷の総責任者である博麗神社神主が、非自覚的なチャネラーである巫女に彼女を選んだ明確な理由は今のところ不明です。しかし、私たちの代理となることで与えられる様々な能力や幸運、トラブル誘引体質などに加え、例示したような乖離感ともうまく付き合っていることから、神主の選択は正しかったと言えるでしょう。最近は他のチャネルも増える傾向にありますが、彼女が幻想の核であることに変わりはありません。幻想郷が博く麗かに開かれた状態を保てるように、おそらく今後もメインチャネルであり続ける博麗霊夢の扱いにはある程度の注意を願うところであります。
―――――博麗神社に集う『神々』へ、一人の若輩より言上