Coolier - 新生・東方創想話

東方名作劇場 ~ Destiny of Gatekeeper ~

2006/08/02 20:35:28
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どうも、はじめまして。

私の名前は「紅 美鈴」。
ここ、紅魔館にて門番を勤めさせていただいてます。

門番とは言ってもそこまで物騒なお仕事ではありません。

何せこの紅魔館は妖怪の住まう館。
私を含め、使用人の全ては妖怪で構成されており、
その主である吸血鬼、レミリア・スカーレットお嬢様のご威光は幻想郷中に広く知れ渡っています。

そんな恐怖の館に攻め入ろうなんて考える蛮勇の持ち主は、
私の知る限りでは神社の赤貧巫女と森の黒白魔砲使いくらいのものです。
以前に取材という名目で天狗が襲撃してきたこともありますが……

まぁ、それ以外は基本的に概ね平和が保たれていますので、
逆に何か起きないかな、などと退屈を持て余していたりします。

たまに思うんですよね。「私、別に必要ないんじゃないかな」って。

ああそうそう、こんな阿鼻叫喚の人外ハウスな紅魔館に於いて、
たった一人だけ例外がいるんです。それは―――








「ん~~、今日もいい天気」


朝一番の新鮮な空気をたっぷりと肺に取り込みながら、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて大きく伸びをする私。
本日も空は雲ひとつない幻想晴れです。
思わずラジオ体操のひとつでも始めたくなりそうですが、
生憎とラジオはまだ幻想の存在にはなっていませんので諦める事にします。


「これだけ天気がいいのにただ立ってるだけだと……眠くなってきそうですねぇ」


自分の怠慢をとりあえず天気のせいにしつつ盛大な欠伸を一発。
ええ、眠くなるのは決して私のせいではありません。
みんなお日様が悪いんです。


「あら、そのまま二度と目覚めなくてもいいのかしら?」


ぴきっ

突然の背後からの声に、私は開きっぱなしの大口を右手で押さえた格好のまま凍りつきました。
この御方、いつの間に来てたんでしょうか。

自慢ではありませんが、私は「気を使う程度の能力」を有しておりまして、
他のどんな妖怪よりも気配というものには敏感だったりします。
そんな私に気取られることなく背後への接近を容易に成し遂げるとは。

あぁそうか。また「時間を止めた」んですね。
咲夜さん。


「……お、おはようございます。咲夜さん……」


私は錆付いたブリキのおもちゃのようにギギギ、と直立の姿勢を取り、
精一杯の笑顔を顔面に貼り付けて恐る恐る回れ右をするとそこには、
銀色の髪の鬼がいました。
いやいや、よく見たらメイドさんでした。

そのメイドさんの左手にはおそらく私の朝食であろうと思われるパンと紅茶の乗ったトレイが。
そして右手には……髪と同じ色のナイフが。


「おはよう、美鈴」


さくっ

返された挨拶が私の耳に届いたのと、右手から放たれたナイフが私の額に刺さったのはほぼ同時でした。
笑顔のまま大の字になって倒れる私。
これこれ。
この朝一番のナイフが私の脳内に一日の活力源である何かを分泌させるのです。

え?死ぬだろうって?
死にませんよ。妖怪ですから。
え?痛いだろうって?
そりゃあ痛いですよ。ナイフですから。
でも「苦痛」ではないですよ。
何て言うんでしょうね、心地よい痛みというか、蚊に刺された場所を掻いてしまったときの一時の気持ちよさというか。
え?それは変態じゃないのかって?
すみません、私人間の言葉にはあまり詳しくなくて……


「美鈴」


と、そんな自己陶酔から呼び覚まされるとそこには「はぁ」と溜息をつく咲夜さん。
慌てて起き上がって姿勢を正します。


「もっとしっかりなさい。いくら平和だからと言っても、貴方はこの紅魔館の最前線をお嬢様から任せられているのよ」
「はい……すみません」


額にナイフが刺さったまま両手を前に組んで頭を下げる私。
知らない人が見たら何事かと思うでしょう。


「紅魔館を訪れた者が最初に出会う妖怪である貴方がこれでは、お嬢様の沽券に関わるというものだわ」
「はい……すみません」
「紅魔館の門番としての自覚を持つ事。これが貴方にできる善行よ」
「ふぁい……しゅみません」


 ―少女説教中―


ぐぅの音も出ません。
どこぞの閻魔風にお説教をされてしまい、みるみる萎んでいく私。
それを見た咲夜さんは一通り言いたい事は言い終えたのか、「ふぅ」と肩で一息し、


「はい、貴方の分の朝食。次からは頑張りなさい」


そう言って私の前に差し出された銀のトレイ。
その上にはふっくらと焼き上がったクロワッサンと……来た時と同じ湯気の昇る紅茶がありました。
咲夜さん、わざわざ時間を止めて紅茶を淹れ直してくれたみたいです。


「咲夜さん、これ……」
「いいのよ。さっきはああ言ったけど、貴方がよくやってくれてる事はお嬢様も含め、皆が認めているわ」
「いえ、その……ありがとうございます」


ほとんど毎日門前に突っ立ってるだけの私に対する突然の賛辞に、
私はどう反応すればよいのかわからず、しどろもどろな返事をしてしまいました。


「……勿論、私もね」
「え?」
「じゃあね美鈴。しっかりね」


心底意外という表情をしている私を尻目に、咲夜さんはホールの奥へと消えていきました。

残された私の両手には咲夜さんから手渡された朝食の乗ったトレイ。
額には刺さったままのナイフ。
呆然と咲夜さんを見送っていた私は、誰もいなくなったその場所に向けてぺこりと一礼をするのでした。



―――十六夜 咲夜。

「時を操る程度の能力」を持ち、空間さえも操る紅魔館のメイド長。
お嬢様の片腕として、私を含め館にいる皆の憧れの存在であり、
紅魔館に棲む唯一の「人間」です。












この日は気合も通常の3割増しで門前に立っていましたが、
だからといってそうそう何かが起きてくれる筈もなく、結局夜になってしまいました。
強いて言えば、悪戯しに湖からやって来た氷精を撃ち落したくらいでしょうか。


「隊長、交代の時間です」
「うん、じゃあ後はよろしくね」
「はい、お疲れ様です!」


いつもと同じ引継ぎを終えてホールへと足を踏み入れます。
んー、やっぱり館の中は涼しいです。
ここでお酒でも差し出されたらとても誘惑を断ち切れそうにないですよ。


「さて……まずはシャワーでも浴びましょうかね」


誰に言うでもなく呟きながら長い廊下を歩いていると、
前方から見慣れた人影が見えてきました。

それは私の半分程しかない背丈の愛くるしい少女。
病的に白い肌を薄い桃色の衣服で包み、開けられた背中から大きな黒い蝙蝠の羽を広げています。
この方こそ我らが紅魔館当主にして500年以上を生きる吸血鬼の真祖、レミリア・スカーレットお嬢様です。


「お嬢様、おはようございます」
「あら美鈴、ご苦労様。今日はもう交代なのね」
「ええ、これからシャワーをお借りしようと思いまして」
「そうね、最近は暑くなってきてるみたいだし。貴方ちょっと汗臭いわ」


そう言うお嬢様は乳臭いですね。
なんて言ったらその時点で死亡フラグ成立。
画面暗転、直後に血飛沫のエフェクトが挿入されてそのまま全てが紅で埋め尽くされてバッドエンド確定なので勿論言いません。
言いませんよ?


「今日はまた咲夜に絞られたそうね」
「う……ご存知でしたか」
「当然よ。私の力を知らないわけはないでしょう?」
「ええ、それはもう」


お嬢様の力、即ち「運命を操る程度の能力」。
それは他人の運命を視、そして自由自在に捻じ曲げる事ができるという反則級の能力です。
この力があってこそ、お嬢様は500年という歳月を無敗で生きてきたと言えます。

ただ一度、お嬢様が起こした『紅い霧の事件』の時に訪れた巫女との戦いを除いて……


「あ、それでは私はこれで失礼します」


私は一礼してお嬢様の横を通り抜けたその時、


「美鈴」
「は、はいっ」


背後から突然呼び止められたので驚きながら振り返ると、お嬢様はこちらに背を向けたままでした。
私、何か粗相をしでかしたんでしょうか。
もしかして既に死亡フラグ成立済み?


「明日、貴方に重大な出来事が起こるわ」
「じゅ、重大な出来事ですか」


お嬢様は私に背を向けたまま仰いました。
とりあえず怒られてるわけではなかったようなので一安心ですが、
重大な出来事って何でしょうか。


「そしてそれは、咲夜も大きく関わっているわ」
「え……咲夜さんがですか?」


益々わかりません。
確かに私と咲夜さんはそこそこ気軽に話せる間柄ですし、
投げたナイフを額で受け止めるくらいの仲ではありますが、
それでも「友人」と呼べる程の接点がないのを私は自覚しています。


「ふふ、「わからない」って顔してるわね。まぁ、明日の楽しみにしておきなさい」


いつの間にかこちらに振り返っていたお嬢様は私を見てそう仰いました。
その表情はクイズの解答を知っている出題者のような、ちょっぴり優越感に満ちた子供の笑顔そのものです。
これで私500歳よっていうんだから詐欺くさいと思います。


「ただし気を付けることね。この運命には分岐点が存在するわ」
「分岐点……ですか?」
「そうよ。貴方がこの運命に辿り着く為には、その前にある障害を排除しなければならないの」


障害とか排除とか何やら物騒な話になってきましたが、
それが何かを尋ねたところで「明日のお楽しみ」と返されるのは容易に想像できたので、
とりあえずその疑問は胸にしまっておくことにしました。


「言いたいことはそれだけよ。さっさとシャワーで汗を流してらっしゃい」


お嬢様はそれだけ言い残して、くすくすと笑いながら行ってしまいました。
ついでに背中の羽もぱたぱたと動いていた辺り、よほど機嫌が良かったと見えます。

色々と疑問は残りましたが、
いつまでもこの場に居ても仕方ないので、私は当初の予定通り浴室へと向かうのでした。












翌朝。

結局昨晩のお嬢様の言葉が頭から離れずに一睡もできませんでした。
交代を告げた部下にも「だ、大丈夫ですか?」などと心配そうな顔をされてしまいました。
まぁ、妖怪ですから一晩くらい徹夜したところで問題はないんですけど。


「……今日も、いい天気ですねぇ」


門前に立った私はなんとなく空を仰ぐと、そこには昨日と同じく雲ひとつない快晴が。
これがお嬢様なら忌々しそうに「嫌な天気ね」とでも言いそうですが、
かといってこれが雨でも吸血鬼という種族の特性上、「流れ水を渡れない」という弱点がある為に結局外には出る事ができません。
いくら不老不死に近い身体とはいえ、これだけ日常生活に不自由が多いと長く生きるというのも楽しいことばかりではなさそうです。

空を見上げながらそんなことをぼんやりと考えていると、
やはり寝不足による疲れからか、昨日と同じく盛大な欠伸がひとつ。


「こらっ」


ぎくり。

またやってしまいました。
後ろを振り向かなくても誰がいるのかはわかります。
どうしてこの人は毎度毎度こうタイミングの悪い時に……


「……お、おはようございます。咲夜さん……」
「まったく貴方は昨日の今日だというのに……って、ちょっとどうしたの?その顔」
「へ?」


何やら私の顔を見て「ぎょっ」という表情の咲夜さん。
その左手には昨日と同じく朝食の乗ったトレイと、右手にはちゃっかりナイフが。
わけのわからない私はつい、間の抜けた返事を返してしまいました。


「その目の下、すごいクマができてるわよ」
「え?あ、あー……あはは……実は昨晩ちょっと考え事をしてまして……」


生まれてこの方滅多に悩みなんて持ったことのない私は、徹夜との相乗効果で見事なクマをこしらえてしまったようです。
妖怪でもクマってできるもんなんですね。


「考え事ねぇ……転職先の検討でもしてたのかしら?」
「え!?そ、そんなまさか!」
「冗談よ。そうね……ちょっと待ってなさい」
「あ、はい……」


あまり笑えないジョークをさらっと言ってくれた咲夜さんは、
何やら少しの間思案したかと思うとホールへ向かって歩き出して……あ、戻ってきました。
時間を止めてたみたいです。


「はいこれ。今日はナイフは勘弁してあげるから、それ飲んで目を覚ましなさい」


戻ってきた咲夜さんの持ってきたトレイを見ると、そこには紅茶の代わりにコーヒーが乗っていました。
淹れたてのコーヒーから漂う豆の香りが徹夜明けの私の鼻腔を擽ります。


「わざわざすみません……」
「いいのよ。これも仕事のうち。ただし、それ飲んでも寝てるようだったら容赦はしないわよ」
「は、はい!それは勿論!」


咲夜さんがちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべてナイフをちらつかせるので、
私は自分でもびっくりするくらいの大声で返事をしていました。
……その、ナイフよりも笑顔に驚いて。
あんな子供っぽい表情することもあるんですねぇ。

思えば、あの「紅い霧」の事件以来、咲夜さんはだんだんカドが取れていったような気がします。
それまでは館の使用人達は口を揃えて「鬼のメイド長」とか「悪魔の狗」と畏怖していたものですが、
あのときお嬢様が巫女に敗れてからは、度々館の外へも出るようになりましたし、
その後に起きた『終わらない冬の事件』や『永夜の事件』、『咲き乱れる花の事件』の時などは、
巫女に負けじと自ら率先して解決に向かっていたくらいです。

その度に咲夜さんの表情はどこか優しくなっていくような、そんな気がしました。

考えてみれば、いかに咲夜さんが超人的な能力を持っているといっても所詮は人間。
紅魔館内において異質な存在であることに変わりはないのです。

でも、巫女や黒白と交流を持つようになってああいった変化が見られるということは……


「やっぱり、人間は人間同士が一番……ってことなんでしょうか」


既に館に戻って姿の見えない咲夜さんをぼんやりと頭に浮かべながら、
そんな事を考えていました。












それから数時間後。

重い瞼をなんとかカフェインパワーで堪えつつ、来る「運命」の瞬間を待ち続けていました。

「障害」とは一体何か。
未だに皆目検討も付きませんでしたし、そもそも私の鶉並に小さな脳みそではいくら考えたところで無駄です。
やはりここは私らしく、


「ま、出たとこ勝負ですよね」


自分の拳を見つめ、ぎゅっと握り締めます。
そのまま空を仰ぐと、やはり先程と同じ青空がどこまでも広がっていました。

と、その時、
気合を入れ直していつもより敏感になっていた私のセンサーに何かが引っ掛かりました。
あまりにも馴染みの深い、そしてあまりにも私に数多くの敗北の味を覚えさせてくれたこの気は……



「黒白……!?」



黒白の魔砲使いこと霧雨 魔理沙。

『紅い霧の事件』以来、お嬢様の妹君であるフランドール・スカーレット様に大層気に入られたらしく、
このように度々現れては私ごと門を突き破って侵入し、
更にお嬢様のご友人であるパチュリー・ノーレッジ様の図書館から、借用と称して魔導書を失敬していくという傍若無人振り。

無論私も毎回食い止めようとはするのですが、悲しいことに勝率は1割を切る始末でして。
只今のところ目下19連敗中。

当然門を破られた門番に情状酌量の余地などありません。
侵入を許す度に私の額はナイフで彩られ、壊れた外壁の補修も私が行うのです。
おかげで今ではガンプラ1体組み上げるよりも早く直せるようになってしまいました。
因みに全く嬉しくありません。

そんな私にとって天敵とも呼べる存在が今日、この日に現れたのは偶然であるはずがありません。
そう、即ちお嬢様の言う「障害」とはまさにこの黒白魔砲使いの事でしょう。
私と咲夜さんの身に起こる「重大な出来事」とやらの障害がよりにもよってこの黒白とは。
何やら因縁じみたものを感じずにはいられません。


「来た……!」


目標を肉眼で確認。
黒地の服に三角帽子、真っ白なエプロンドレスで箒に跨るその姿は古来より伝わる由緒正しい「魔女」の出で立ち。
魔砲使い、霧雨 魔理沙は遂に私の眼前にまで辿り着きました。


「よう美鈴。今日「も」お邪魔するぜ」


開口一番、挑発されました。
「も」を強調しましたよ、今。しましたよね?


「舐めるな!今日こそここは通さない!」
「その台詞、今ので何度目だ?」
「う、うるさいうるさい!」


口先ではどう足掻いても勝ち目はありません。
いやまぁ、弾幕でも連敗続きですけど。
それでも今日だけは負けるわけにはいきません。

髪に両手を入れ、そこから愛用のクナイ弾を取り出します。その数、50。
どこにそんなに持ってるんだとか、その髪スキマにでも通じてるのか?などという野暮な突っ込みはなしです。
ほら、本物のクナイ投げてるわけじゃないですし。

私はクナイ弾を構えたまま大地を蹴って飛行の体勢へと移行。
そして空中で戦闘態勢を整えるのと同時に一斉投射!


「よっと、温いぜ」
「最初から当たるなんて思ってないわ」


挨拶代わりの先制攻撃を魔理沙は特に苦にするでもなく、
最小限の動きで全てのクナイをかわしていきます。
が、勿論今のはただの牽制。
この程度で落ちるようで何が天敵か。

今度は片手だけ髪に入れ、取り出したのは……スペルカード。


「華符『セラギネラ9』!」


宣言と同時に私の周り一面を二色の弾幕が覆い尽くす。
そしてそれは時間差で徐々に展開していき大輪の花を咲かせる。
あとは、この腕を一振りすればそれこそ雪崩のように目標へ押し寄せる脅威と化す。

魔理沙は……動じない。
そりゃあそうでしょう。
このくらいのスペルは過去の戦いで何度も見せてきました。
今更驚きもしないのは当然です。


「……行け!」


行け。ゴー。GOだ。
私の意志と一体化し、花は豪雨となって魔理沙を襲う。
魔理沙は回避運動の姿勢を取る。
この程度では終わらない。
まだもう一押しが足りない。
私は自分の放った弾幕の影に隠れて機会を窺います。


「割と本気みたいだが、界隈でルナシューターと名高いこの私にはまだまだ及ばない、ぜ!」


余裕の台詞を吐きながらこれでもかという程密度の濃い弾幕の中をグレイズ混じりに回避する魔理沙。
いつ見ても器用なもんです。たまには一発くらい当たってくれてもいいでしょうに。
まぁ、妹様との弾幕ごっこに付き合ってればこれくらいは「まだまだ」か。
でも、こんなのはどうかしら!


「破ッ!!」


回避に専念している魔理沙の死角へ向けてキック一閃。
更に隠し芸だと言わんばかりに爪先から虹色の散弾をお見舞いする二段構え。
天狗が取材に来た折に、やたらローアングルばかり狙ってくる憎いあんちくしょうに向けてやぶれかぶれで完成した名もなき必殺技です。
言ってて恥ずかしくなってきますが……

ですが今のは僅かながら手応えを感じました。
自分で撃っておきながら至近距離で炸裂した弾幕の密度で視界を奪われてしまった為に当の本人の姿は見えませんが。
しかしその時、


「……殺気!?」
「恋符『ノンディレクショナルレーザー』!」


今度は逆に私の死角から襲い掛かる「死角なしのレーザー」。
なんとかいち早く気を感じ取ることができた私は回避運動に転じ、寸でのところで魔理沙から放たれた青い閃光をかわしました。
慌てて目標を再度視界に捉えるとそこには五体満足、ピンピンしながら帽子を被り直す黒白の姿が。
よく見るとその帽子の一部に弾幕が接触したらしく、広いツバがちょっと欠けています。
あれだけの攻撃でツバだけですか……


「むぅ。折角の一張羅が台無しだぜ。お前こんなに足癖悪かったか?」
「手癖の悪い泥棒さんよりはマシよ」
「酷いぜ」


酷いと言いながらも帽子の中に手を突っ込んでスペルカードを取り出す魔理沙。
どうやら攻守交替の模様。
ちょっとピンチです。


「いくぜ。魔符『スターダストレヴァリエ』!」


魔理沙が選んだのは広範囲設置型のスペル。
巨大な箒星がしゅるしゅると音を立てて円を描くように広がっていき、気付けば周りは星屑の弾幕包囲網。
これはちょっと厄介です。
徐々にその網を狭めてくる星弾の渦。
とりあえず、両腕に気を集中。捌けるものだけでも捌きます。

幸いこのスペルは弾幕の密度こそ濃いですが速度は緩慢。
回避が得意でない私でも目で追う事くらいは可能。
避けられそうにないものは多少のダメージ覚悟で弾き落とすという算段です。

しかし、魔理沙の攻撃はこれで終わりではありませんでした。


「続けていくぜ!光符『アースライトレイ』!」


防戦に回った私に更なる追撃の宣言。
同時に私の背後に現れた無数の魔方陣から突如襲い掛かる光の帯。
チュン、という音と共に私の脇を掠めていく熱源。……う、焦げ臭い。

これはまずいです。
常に死角から放たれるレーザーと微速ながらも全方位から迫る星弾の渦の二重奏。
一撃で致命打に成り得るレーザーだけは喰らうまいと意識をすればすかさず星弾の出迎えが待っています。

一発、もう一発と徐々に被弾していく私の身体にはいくつものアザが出来始め、服もところどころ破れています。
碌な回避もままならなくなってきた私は、
せめて被弾のダメージを減らせればと両腕の気を全身へ分散させますがそれも焼け石に水。
半ばサンドバッグと化した私の体力は一撃ごとに確実に削ぎ落とされていくのでした。

ですがここで諦める訳にはいきません。
私は死中に活を見出すべく、今はひたすら耐えて弾幕が止むのを待ち続けます。
そして私の思いは聞き届けられ、辺り一面を覆っていた星弾は四散し、レーザーの発射口であった魔法陣も霧のように消えていきました。


「さすがにしぶといな」
「はぁ……はぁ……紅魔館一頑丈な妖怪を侮らないでよね」


精一杯強がってはみるものの、やはりその身に受けたダメージは深刻です。
死中に活とは言いましたが、正直ここからどうやってこの劣勢を覆せばよいのか私にはわかりません。

いつの間にか飛行の高度も落ちている事に気付き、少しでも体力の回復を図ろうと息を整える私の耳に、
無情にも魔理沙の次なる攻撃の宣告が飛び込んでくるのでした。


「よし、じゃあ一発こいつにも耐えてもらおうか」


嫌な予感がしました。
そして嫌な予感程よく当たるものだとすぐに思い知らされました。
見上げた先にいる魔理沙の手にはミニ八卦炉。
既に充分な魔力を帯びたそれは私に向けてぴたりと照準を合わせ、


「恋符『マスタースパーク』」


放たれる必殺の魔砲。
その光の向こうに見える確実な、そして何度も味わった敗北。

回避は……無理。
万全の状態ならばともかく今の体力ではとても間に合いません。
防御は……考えるだけ無駄です。
それができるような生っちょろい火力なら、私は一度だってこの門を通したりはしていないでしょう。

ならばどうする。万事休すか?
それじゃあいつもの私と同じです。何の進歩もありません。
考えろ私。何の為にお嬢様がわざわざ私にこの「障害」の存在を教えたと思ってる。
考えろ私。防御ができないなら無理矢理にでも回避するのみだ。

右掌を宙にかざし、左の手でそれを支える。
集中しろ美鈴。一発撃てればそれでいい。
この魔砲に比べれば足元にも及ばないけれど、
それでも私の身体ひとつ反動で吹き飛ばすには充分!


「行け!吹っ飛べ私!!!」


渾身の力を以って私の掌から放たれる妖気の波動。
そしてその反動によって後方へと放り出される私。
その直後、私の居たその場所を飲み込んでいく極太の閃光。
辛うじて、ギリギリ紙一重のところで私は魔砲の斜線軸から逃れることができたのです。
そして獲物を見失った力の奔流はそのまま眼下の湖へと突き刺さって巨大な水飛沫を上げていました。


「げ」


まさかかわされることなどある訳がないと確信していた魔理沙に浮かぶ驚嘆の表情。
それもそのはず。
そこに至るまでの過程こそ違えど、とどめの一撃はいつもこのスペル。
来るとわかっていてもどうにもならない理不尽な力。
そんな魔理沙の私に対する「勝利の方程式」がたった今崩れ去ったのです。


「仕方ないな。少々荒っぽいが、こいつで無理矢理通させてもらうぜ」


自慢の魔砲がかわされたショックがあるとはいえ、状況は変わらず。
あとはなんとかして決めの一撃をくれてやるだけだとでも言いたげな魔理沙が放ったスペル。それは、


「彗星『ブレイジングスター』。霧雨 魔理沙、突貫するぜ!」


宣言と同時に青白い光に包まれる魔理沙。
それは魔理沙自身が煌く箒星となって立ち塞がるもの全てを貫く、もはや弾幕でもなんでもない力技です。

しかし、それを見た私の瞳に光が宿ります。
そう、これは私にとって紛れもない「好機」。

確かに私の弾幕は貧弱です。
いつも「見た目だけは綺麗」だの「弾幕は美しさじゃない」だの言われてきました。
目の前の黒白に。

曰く、「弾幕はパワー」だそうです。
私にとって天敵と呼ぶべき存在の魔理沙ですが、その意見には力強く同意します。
私のようにちょっとお味噌の足りない子はやはりパワーで勝負なのです。
ただし、弾幕にそのパワーを乗せる才能すらない私は……自分の身体に乗せるしかないのです。


「私に接近戦を挑むとは……ヤキが回ったわね、魔理沙!」


キッと上空を睨み付けると、そこには唸りを上げる一筋の彗星。
私はそれを正面に見据え、両腕に気を集中し、胸の前で交差させる「完全なる防御」の姿勢を取る。
身体中の気をこの一点に、防御にのみ全てを賭ける。

来る。
たっぷりと加速を付けて重力の塊と化した魔理沙が。
距離70…50…30…10……ここっ!


「紅魔館門番奥義!烈華ブロッキングゥゥゥゥゥゥゥ!!」


その瞬間、眩いばかりの白い光に包まれる私。
同時に、かっつーんという、とても人と人(片方妖怪ですけど)がぶつかり合ったとは思えぬ緊張感の欠片もない謎の衝突音。
私にも何でこんな音がするのかはよくわかりませんが、それはともかく。
うまくいきました。初段の威力は完全に封殺です。
あとはこの慣性にどれだけ耐えられるか……勝負!


「この……っ、往生際が悪いぜ。このまま外壁に叩きつけられて標本になりたいのか?」
「生憎、潔い門番なんてこの館にはいないのよ……!」


憎まれ口を叩く余裕も限界。
必死に堪えながらも押し込まれる私の背後には地面がぐんぐんと近付いてきます。
でもまだ……!まだ耐えられる!


「くうぅ……!ていっ!」


横目でちらりと地面との距離を確認し、なんとか着地の姿勢を確保。
ズシャッという音と共に辛うじて体勢を崩すことなく地に降りることができ、一瞬の安堵を覚えるも束の間。
未だ青白い光を帯びた巨大な弾丸は、そのまま私を背後の外壁目掛けて押し進んできます。
こうなればもう完全に地力の勝負。
私はじりじりと後退させられながらも、必死に勢いを殺す事に集中します。


(うっ……くぅ!そろそろ、限界が近い……まだなの!?まだ止まらないの!?……魔理沙っ!)


もう既に外壁までいくらも距離がありません。
後ろを振り返るのを止め、必死に前を向き、目を瞑って、歯を食いしばる。
嗚呼、神様仏様お嬢様。私に力を!




「……ち、ここまでか……」




ぼそりと。
悔しそうに呟く魔理沙の声。
その声に驚いて顔を上げる私。

そこには、箒に跨ったまま肩で息をしている魔理沙。
その身体から発していた光は既になく、
いつものエプロンドレス姿の黒白魔砲使いが目の前にいました。
ふと後ろを見ると、踏ん張りを効かせる為に突き出していた右脚が、
外壁の半歩手前というところまで来ていました。

そしてそれらを確認し終え、交差していた腕を解き、ゆっくりと姿勢を戻す私。
やや俯いた表情でまだ息を整えている魔理沙の両肩を、がしっと掴む。
その瞬間にビクッと身を竦める魔砲使いの少女。

私の方が見た目は全然ボロボロなのに、目の前の少女から反撃の意思は見られません。
大技の連発による魔力の消費に加えて、
本来なら「轢く」事が目的である筈のブレイジングスターを無理矢理維持し続けたことによる一時的な疲労が色濃く窺えました。


「魔理沙……」
「……はぁ……はぁ……」
「やっと……」
「…………?」

「やっと、私の土俵に上がってくれたわね」


ギュピーンという擬音でも聞こえてきそうな程の妖しい眼光を放った私の台詞に、
ハッと我に返り脱出の為に箒に魔力を送ろうとする魔理沙。
しかし私は肩を掴んでいた両手に力を込めて完全に封じ込めます。
もう逃がしません。
逃がすわけがありません。
ここまで耐えて、耐え抜いて手に入れた千載一遇のこの機会。
これを逃しては紅魔館門番としての名折れ。一生どころか末代までの恥。

私は右手に気を送り込んで更に強く押さえ付け、
左手を髪に入れてゆっくりと、一枚のスペルカードを取り出します。
そしてカードの表を魔理沙に見えるように、目の前に向けて、私は宣言をしました。


「三華『崩山彩極砲』」


それは私の持つスペルの中でも、威力だけを見れば掛け値なしに「最強」のもの。
しかし「弾幕ごっこ」という範疇からすれば恐ろしいまでに暗黙のルールから逸脱している代物でもあります。
何せ弾なんて一発たりとも撃っていませんから。
そのおかげで普段は日の目を見ることもなく、あの夏の宴会騒ぎの時にだけ使用した切り札中の切り札。


「さぁ魔理沙。お空のお星様になる準備はできたかしら?」
「う……あぅあぅ」


最早完全に対面する蛇と蛙の様相を呈する中、
私は門番として最後の台詞を告げました。


「本日は!これにて!お引取りくださあぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」


渾身の、そして最後の力を振り絞った私の三段攻撃。
最後に天高く突き上げた拳は魔理沙を上空遥か彼方まで運んで行き、
そしてそれっきり姿が見えることはありませんでした。

……まぁ、まさか本当に星になったわけはありませんし、
多分空中で受身でも取ってそのまま帰ったんでしょう。
何はともあれ、


「……やりました……連敗、脱出です……!」


心地よい疲労感に襲われながら大の字になって倒れこむ私。
そういえば私、徹夜明けでした。
緊張が解けて今頃猛烈な睡魔が襲ってきましたよ。

勤務中にこんな格好で堂々と寝てたらそれこそ色々と当てられない姿になりそうですが、
今日はあの黒白を追い返すという大金星です。
多少は大目に見てもらえる……と信じましょう。
それでは皆さん、おやすみなさ―――




「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」




がばっ。

眠気が醒めました。
いや、眠いとか思ってた事すら忘れました。
ついでに先程の戦いの疲労感とか諸々もまとめて吹き飛びました。
館の中から聞こえた悲鳴はもしかしなくても……咲夜さん。
遂に来てしまったようです。
「運命」の時が。

こうしてはいられません。
開門の手間すら惜しい私は、飛行という名のベリーロールで豪快に外壁を飛び越えて一目散に館の中へと向かいます。
持ち場を離れる云々とかいう考えは微塵も頭に浮かびませんでした。
今でこそ丸くなったと言われている咲夜さんですが、
それでもあんな悲痛な叫び声を上げるなんて事は私の知る限りでは皆無、ゼロ、ありえません。
一体咲夜さんの身に何が起きたというのでしょうか。


ホールに足を踏み入れた私は一瞬で咲夜さんの気を察知し、
全速力で廊下を走り抜けます。
勿論これもいつもなら咲夜さんに見つかった瞬間に、「廊下は走らない」の一言と共に私の眉間に銀の刃がクリティカルヒットする事が確定なのですが、
そんな事を気にしている場合ではなく、その必要もありません。
何故なら視界の向こう側から私と同じく全速力で、何かに怯えた表情をしながら脇目も振らずに駆け抜けてくる咲夜さんがいたからです。


「咲夜さん!」


私の第一声に気付いてこちらの姿を確認した咲夜さんの表情は、
まるで見知らぬ土地で迷子になった少女が母親を見付けたときのそれでした。
今まで見たこともないその表情と、自ら廊下を猛ダッシュするという咲夜さんのある意味異様な姿に驚嘆を覚えつつも、
とりあえずは無事な事を確認できた私は走る速度を緩めながら事態の説明を問い掛けようとしたその時です。


「咲夜さん、大丈夫ですか!?一体何が―――ごふぅっ!?」


見事な「く」の字に折れ曲がる私の身体。
その瞬間に何が起きたのか私にはわかりませんでした。
私の元へ走ってきた咲夜さんは一向にスピードを落とすことなく、あろうことか私の胸目掛けて華麗にダイヴしてきたのです。
まさかそんな突飛な行動を取るとは夢にも思っていなかった私はその身を受け止めることなどできる筈もなく、
私のどてっ腹に殺人タックルがクロスカウンターで決まるという形となってしまいました。

さ、咲夜さん……いい踏み込みです。世界狙ってみますか……?
その時私の脳裏に楕円形のスタジアムの中央でアーモンドのような形をした奇怪なゴム鞠を小脇に抱えた大男に向かって先程のタックルを決める咲夜さん、
そしてその様子を観客席から何故かサングラスを着けて見ている私が「そうだ、それだよ咲夜!」と叫びながら一筋の涙を流すという意味不明な映像が浮かび上がっていました。




「―――いりん!美鈴!!」


一瞬変な方向へ飛びそうになった私の意識を呼び戻す声に目を開けると、
そこにはいつもの瀟洒な雰囲気など欠片もなく、ひたすら困惑と動揺に満ち溢れた咲夜さんの表情がありました。
ていうか咲夜さん。近い、近いです。顔が。
どうやら後ろに倒れこんだ拍子に頭を打ったらしく、軽い脳震盪を起こしていたようです。
おかげで意識が戻ると同時に少し目眩がしましたが、
起き上がった私を見た咲夜さんが心底ほっとした表情になったのを間近で直視してしまい、別の意味で目眩を覚えました。
まぁそれは置いといて。




「……ごめんなさいね、美鈴。私としたことが、あんなに取り乱しちゃって……」
「いえ、まぁそれはいいんですが。一体何があったんです?」


幾分か落ち着きを取り戻した様子の咲夜さんは、
俯いてどこか視線を泳がせながら私へ謝罪の言葉を述べました。
よく見るとほんのり頬が紅く染まっています。
瀟洒の仮面が剥がれ落ちてくるくると表情の変わる咲夜さんを前に、
内心心臓バクバクな私はそれでもなんとかデッドラインギリギリ一歩手前で踏み止め、平静を装って改めて咲夜さんに問い掛けました。


「ええ、もうお昼時だったから貴方に食事を持って行こうと思って……」
「あ、もうそんな時間でしたか」


黒白との戦いに夢中だった私は自らの空腹に気付くこともなく、
言われて初めて体内時計が「くぅ」、とお昼を告げていることを確認しました。
それにしても、ついさっきあれだけの衝撃を腹部に受けておきながら早くも食料の要求をしてくる辺り、
我ながら呆れる程頑丈な肉体を持ったものです。
産みの親の顔なんて忘れて久しいですが、丈夫に産んでくれてありがとうと思わずにはいられません。


「それで厨房まで行ったんだけど…………」
「?」


咲夜さんはそこまで言うと黙り込んでしまい、カタカタと身体を震わせ始めました。
そこで起きた出来事を鮮明に思い出しているのか、私から背けられた顔は恐怖という名の青色に染まっています。
あの咲夜さんにここまでの恐怖を植え付けることができる存在なんて、私の知る限りではお嬢様くらいのものなのですが。
とにかく今はその正体を突き止めるべく、咲夜さんに続きを教えてもらうよう促します。


「それで、どうしたんですか咲夜さん。厨房で何が起こったんですか?」
「…………」
「…………」


沈黙を保ったまま震えている咲夜さん。
私もそれ以上の追及はせず、咲夜さんの返答を待ちました。
場は重い空気で満たされ、そのまま1分が経過。

私がそろそろその雰囲気に耐えられなくなってきた頃、咲夜さんは意を決したように口を開きました。


「……必要な食器を取り出そうと思って、厨房の奥へ向かって足を踏み入れたの」


私は返答を頷くだけに留め、じっと続きを待ちます。


「……その時、何か違和感を感じてふと床に視線を落としたのよ。……そしたら……」
「……そしたら?」
「…………いたのよ……あの、『黒い悪魔』が!」
「悪魔、ですか……」


咲夜さんは完全に引き攣った顔でその正体を「悪魔」と形容しましたが、ご存知の通りこの紅魔館は「悪魔の棲む館」とも言われています。
確かにお嬢様は実際には悪魔ではなく吸血鬼ですが、図書館にはパチュリー様に仕える本物の悪魔もいます。
なので私は「そりゃあ悪魔はいますよねぇ?」なんて事を思いながら、いまいちピンとこないという感じの返答をしてしまいました。

しかし私はここで気付きました。
いくら咲夜さんが「悪魔」とも呼ばれる御方に仕える身であっても、あくまで咲夜さん自身は人間です。
人間にとって悪魔とは恐怖の対象としてこれ以上ない形容詞でしょう。
つまり今の咲夜さんの状態では「悪魔」という言葉はそのまま「恐れ、忌み嫌うべきモノ」として発言された可能性が高い、と。
うん、私にしてはなかなか機転の利いた思考です。

ここまで考えて私はその「悪魔」の正体について自分の知識と照らし合わせて考えてみました。

まず、「それ」は厨房に現れることがある。
次に、「それ」は黒いらしい。
そして、「それ」は(人間に)悪魔と呼ばれる程忌み嫌われている。

……う~ん、一応私の脳内データベースに1件該当がありましたけど……本当に咲夜さんはこんなもの怖がるんでしょうか?
まぁ、念の為聞いておきましょう。


「咲夜さん、それってもしかしてゴキブ―――もがっ!?」


全部を言い切る前に私の口は光の速さで差し出された咲夜さんの右手で塞がれてしまいました。
左手は人差し指を立てながら自分の口の前に当てて「しーっ」とか言ってます。
あぁ、当たりですか……
どうやら名前を聞くのも嫌な程苦手なようです。

しかし正体は突き止めたものの未だに納得がいきません。
人間という身でありながら紅魔館のメイド長という職務を完璧にこなし、弾幕ごっこに於いてもその実力は超が付く程の一流。
お嬢様の片腕として身の回りのお世話から炊事、洗濯、お掃除、賊の処理までなんでもござれなミス・パーフェクトこと、あの十六夜 咲夜が。
まさかたかだか羽虫の一匹如きにここまで無力なただの少女と化してしまうなんて、誰が納得しますかね?

そりゃ私だってアレは見ててそんなに気持ちのいいものではないですから、取って食べたりはしませんけども。
もしやこれは人間特有の共通する弱点だったりするんでしょうか?
ふと、想像してみました。
もしもあの赤貧巫女がアレと遭遇したらどうなるか?


「…………」


考えるまでもありませんでした。
何の感情も表に出さずに針を一投。それでおしまいです。
どこをどう考えても巫女が羽虫の前で怯える姿は想像できません。

となるとやはりこれは咲夜さんの、所謂「生理的に受け付けない」というやつなのでしょう。
それにしたって意外と言えば意外すぎる弱点ですが。
当の咲夜さんはまだ自分の記憶に苦悩しているのか、目を瞑りながらふるふると左右に首を振っていました。
私以外の知人が見たら「誰てめぇ」とか言われそうな姿だと思いました。












「このままじゃいつまで経っても食事を運べないわ。勿論今後の業務にも差し支えるし」


というわけで、円満な紅魔館の生活を取り戻すべく、私こと紅 美鈴は咲夜さん直々にG討伐を命じられました。
私の後ろには、まるで学校に行くのを嫌がる子供のようにとぼとぼと着いてくる咲夜さんの姿が。
そんなに嫌なら無理して着いて来なくても食事くらい私が運びますよ、と申し出てみたところ、


「ダメよ。こんな事で貴方に仕事なんか押し付けたら他の子達に示しがつかないわ」


きっぱりと断られてしまいました。
さすがはメイド長。どんなに追い詰められても根っこの部分はやっぱり瀟洒です。

でもまぁ、本当のところは自分の弱点をこれ以上誰かに知られたくはないというのが本音だと思います。
基本的にここの使用人達は皆咲夜さんの言う事には従っていますけど、
そこはやはり人間と妖怪。目に見えない隔たりがあるのは否定できません。
中にはメイド長の座を狙う野心家がいてもおかしくはないでしょう。

そんな輩に咲夜さんの乙女ちっくな秘密がバレたとなれば……どうなるかは考えるまでもないですね。
瀟洒であるというのは楽じゃないものです。


そんな事を考えているうちに目的地に到着。紅魔館厨房前です。
やっぱり現場に来ると記憶もより鮮明に蘇るのでしょうか。
咲夜さんは下を向いたままカタカタと震えています。


「じゃあ咲夜さん、後は私に任せてここで待っていてください」
「ええ……お願いね、美鈴」


上目遣いで不安そうな表情を浮かべる咲夜さんに、右腕でむんっと力瘤を作って見せて応える私。
そんな顔でお願いなんて言われたら私じゃなくたって気合も入ります。
それでなくてもここまでの流れの中で咲夜さんが見せてきた初々しい姿の数々を既に脳内マイピクチャ及び動画ファイルに保存済みの私は、
向こう3週間はご飯のおかずに困らない程のエネルギーに満ち溢れています。
満ち溢れすぎて耳から零れ出ないかどうか心配です。

さて、私のやる気がどれ程のものか伝わったところで、いよいよ厨房内部に侵入します。
さすがは紅魔館の大家族を賄えるだけあってかなりの広さです。
例を挙げるならば、宴会で何度か見た巫女の住処よりは確実に広いでしょう。
そんな厨房の中、私はまず目標の前に「ある物」を探します。
それは何かというと、


「お、これは丁度いいですね」


手に取ったのは「文々。新聞」と書かれた、まぁ文字通り新聞紙です。
ちらりと一面の見出しだけ流し見ると、「氷精、またも大蝦蟇に敗れる!」と書いてありました。
今日は偶々勝てたとはいえ、その見出し文には私と黒白の関係を彷彿とさせるものがあり、少し複雑な気分になりました。
まぁそれはいいとして。

私はそれをクルクルと丸めて棒状にするとビュンと一振り。
これぞあなたの家庭の台所を守る伝説の宝剣、『ゴキブレイカー』の完成です。名前は今考えました。
要するにこれで以ってあの黒くてテカテカしたものを引っ叩いてやろうって寸法です。

私としては別にいちいちそんな回りくどい事はしなくても、
床を這っているところを黄震脚で踏み潰すとか、壁を這っているところを螺光歩で叩き潰すとかもやぶさかではありません。
が、そんな事をすればまず間違いなく咲夜さんは私に近付こうとはしなくなってしまうでしょう。
うんうん、人間とはデリケートな生き物です。

そんなわけで私はこの庶民臭溢れる宝剣を片手に目標の探索を開始。
まずは目視できる位置にいるかどうかを一通り見て回ります。
床は勿論壁から天井まで隅々と。

が、生憎その姿は確認できず。
まぁ向こうだって生きる為に必死でしょうから、わざわざ表に出てくることはなかなかないでしょう。
出てきたとしてもそれは一瞬。物陰から次の物陰へと移るその刹那の瞬間を狙う以外に方法はありません。

そうとなれば手段はひとつ。
アレの気を探知してその位置を特定し、いつでも殺れる状態を維持する。しかる後にサーチアンドデストロイ。これしかないでしょう。
羽虫一匹の為に能力を駆使するというのも我ながら情けないですが、これも咲夜さんの為。
目を閉じて神経を集中し、厨房内全域に私のセンサーを張り巡らせます。

しかしこれは口で言う程簡単なものではありません。
何せ羽虫一匹が持つ程度の気の量なんてたかが知れています。
「一寸の虫にも~」なんて例えがあるように、それこそ普通の人間の何十分の一というレベルの微弱さです。
探知する以前に先程からずっと後方でそわそわしている咲夜さんの気の方に意識が向いて仕方ないです。

なのでここは若干作戦を変更。
厨房内全域をカバーするのは無理があると判断し、ある程度的を絞って探知することにしました。
再び神経を集中。探索開始。


まずは冷蔵庫周辺……反応なし。

続いて釜戸周辺……反応なし。

次は調理器具置き場……ここも違う。

水回りはどうか?……いませんねぇ。


あとは、咲夜さんが最初に発見したという食器棚周辺ですか。
確かに、咲夜さんに見つかって最初に隠れそうという意味ではこの場所は適任ですが……


「…………むっ!」


いました。
非常に微弱ですが、確かに生命体を思わせる気の動きが食器棚の下から感じられます。
十中八九これが目標のGに違いありません。

そうとわかればあとは奴が移動する瞬間を狙い撃ちにしてミッションコンプリート。楽な仕事です。
丸められた文々。新聞を振りかぶり、静かにその時を待ちます。

10秒経過……

20秒経過……

30秒経過……

なかなか出てきません。
しかしそれも時間の問題。幕引きの瞬間は目の前です。
食器棚のどこから姿を現そうとも私のテリトリーから逃れることは不可能なのです。

ところが、待てども待てども出てくる気配がありません。
あまりの敵の篭城っぷりに辟易して痺れを切らした私はふと、いらぬ好奇心に駆られてしまいました。


もしも、私が今こいつを仕留め損ねて咲夜さんの目の前に現れたらどうなるんだろう?と。


何せ想像するだけでもあれだけ色々な姿が見られたのです。
実際に実物を目の当たりにした瞬間の反応というものに対して、私が興味を持ってしまうのはある意味至極当然とも言えました。
そして同時に脳内で自動再生される咲夜さんの乙女な姿の数々。
ひとつ、またひとつと思い返す度に私の春度がぐんぐん上昇していくのを確かに感じました。

そんな私の私による私の為のダイジェストムービーが流れ終わるのと同時に、何やら聞き覚えのある声が脳髄に響いてきます。
……ん?って、これ私の声じゃないですか!?


「そうだぜ美鈴。私はお前の中にある『悪』の心」


そう言いながら私の目の前に現れたのは、私と全く同じ格好をしたミニチュアサイズの私の姿。
ミニチュアの私は背中に黒い蝙蝠の羽をはためかせ、先の尖った黒い尻尾に矢印のような黒い槍を片手に持つという、
これでもかと言わんばかりにわかりやすいベタベタの悪魔像でした。
ご丁寧に私のトレードマークである帽子の星マークには「龍」の代わりに「悪」の文字が。


「美鈴、お前このままアレを潰しちまっていいのかい?普段は見られない咲夜のあられもない姿をもっと見たいんだろ?」


私の姿と私の声でとんでもない事を口走る悪・美鈴。
しかし、言い方こそアレですが確かに私が抱いた好奇心はそれに近いものがあるという事を認めざるを得ません。
だってこれは私の心の半分。私の中のどす黒い欲望をそのまま忠実に具現化したものです。
自分の心に嘘をつける筈はありません。


「ダメよ美鈴!しっかりしなさい!」


私の心の天秤が悪に傾きかけたその時、またしても私のミニチュアが姿を現しました。
今度は先程とは対照的に白い鳥の翼をはためかせ、頭上には黄金色に輝くパルック、もとい天使の輪。
予想通りというかこれまた取って付けたような天使像です。


「……えーと、貴方は善・美鈴ってことでいいんでしょうか?」
「そうよ美鈴。私は貴方の『善』なる心」


白い翼のミニチュアな私は両手を胸の前で組むという、所謂「お祈りのポーズ」で私にそう語りかけてきました。
とりあえず私にも良心というものがあって一安心するのも束の間。
善・美鈴の帽子をよく見ると星マークの字が「善」でなく「喜」になっているのを見て全力で泣きたくなりました。

うぅ……なんで私は天使になっても頭が悪いんですか……


「美鈴、お聞きなさい。ここでまたアレを咲夜さんに見せてしまったら、きっと咲夜さんは悲しむわ。それは咲夜さんを傷付けるということよ」
「た、確かに……」


私の心情を察することなく説き伏せてくる善・美鈴。
しかしその言葉は確かに私の胸に突き刺さりました。
そうです、いくら私でも自ら咲夜さんを傷付けてまで好奇心に従う理由はありません。
これもまた私の紛う事なき本心であり、私のもう半分の心の形なのです。
心の天秤が今度は徐々に善の方向へと傾き始めたその時、悪・美鈴の反撃が始まりました。


「馬鹿だなぁ美鈴。なんでお前が責任を感じるんだよ。お前がアレを箸で摘んで咲夜の前に差し出すのか?違うだろ?
 仕留め損ねたアレが自分の足で咲夜の元へ行ってそれを咲夜が勝手に怖がるだけだ。どこにお前の落ち度があるって言うんだ?」
「う……し、しかし……」
「なぁに、要はわざと逃がしたのがバレさえしなけりゃいいんだよ。心配することはねぇ。
 真横で見られてるならまだしも当の咲夜は入り口でビビってる。辺りに他の人影もねぇ。失敗する要素は……『ゼロ』だ」
「そ、そうかもしれませんが……」
「考えてもみろよ。今ここで素直にアレを叩き潰したら確かに咲夜はお前に感謝するだろう。だがそこまで、それでおしまいだ。
 ところがだ、目の前までアレが迫ってきて恐怖のどん底まで突き落とされた状態でお前に助けられたら……どうなると思う?」
「ど、ど、どうなるんでしょうか……?」
「飲み込みの悪い奴だな。『吊り橋効果』ってやつだよ。自分の身が切迫した時の恩人に対して恋に似た感情を抱くっていうアレだ。
 ここまで言えばわかるだろ?今ここで仕留めるのと、逃がしてから颯爽と咲夜の危機を救うのと、どっちがいいかなんてのはよ。
 な?いい加減素直になろうぜ。この機会を逃したら明日からまたナイフ生活に逆戻りだぜ?お前それで満足できるのか?できないだろ?
 だったら今日この場であのメイド長の頭の天辺から足の先まで刻み込んでやろうぜ。『もう美鈴なしでは生きていけない』ってなぁ……!」


さすがは悪魔の棲む館。
その誘惑は半端ではなくどこまでもひたすらに甘美で魅力的です。
雄弁に語られる一言一句は深く私の心を突き刺し、抉り、弄び、その度に私の脳髄は快感に痺れて春で埋め尽くされていきます。

ああ、もう抵抗するのも馬鹿馬鹿しいです。
悪に傾いた天秤は止まりません。
あとはこのまま堕ちるところまで堕ちるだけ。

頭上では悪道へと落下していく私を止めようとする善・美鈴が必死に私の頭を叩いたり髪を引っ張ったりしていますが、私は気にも留めません。
やぶれかぶれになったのか、額に「肉」と書こうとしていたところはさすがに手刀で叩き落としました。


「よしよし、ようやくわかったようだな。ま、人間も妖怪も素直が一番ってことだ。
 さぁ、私の手を取りな。それで今日から咲夜は『オマエのモノ』、だ」


決定的な一打でした。
「咲夜さんがワタシのモノ」……ああ、反復するだけでもなんと心地良い響きでしょう。
悪・美鈴の差し出してきた小さな手に、私は小指の先を静かに、今、合わせました。
悪の勝利が決定付けられた瞬間です。

私のチョップによって地べたを這い蹲っていた善・美鈴がその光景を見て、この世の終わりを迎えたような表情を浮かべていましたが、
そんなことは意にも介さないとばかりに私は善・美鈴の首根っこを摘んで釜戸へと放り投げました。


「ひ、ひどいー!」


それが善・美鈴の最期の言葉でした。












「よぅし相棒、これからお前が踏む手順を説明するからよーく聞けよ」
「わ、わかりました」


得意満面で私の事を「相棒」と呼んでくる悪・美鈴。
微妙に抵抗を感じましたが、とりあえず聞き流しておくことにしました。


「いいか?この後出てきたアレに向けてわざと狙いを外してお前の持ってる獲物を叩きつけるわけだが、ここで重要なのは叩きつける場所だ」
「というと?」
「つまりだな、お前はアレを仕留める振りをしながら咲夜の前までアレを連れて行かなきゃならん。
 下手な場所を叩いて進路を変えられて物陰にでも隠れられたらアウトってことだ。わかるか?」
「な、なるほど」
「なに、そう難しいことじゃない。常に奴さんの後方を叩いていればそうそうおかしな進路は取らないだろう。
 目の前を叩くようなヘマさえしなけりゃ大丈夫だ。虫なんて本能だけで生きてるもんだからな。誘導されてるなんて夢にも思わんさ」


本能だけの生物が果たして夢を見るのかという疑問が湧いてきますが、黙っておくことにします。


「あとは咲夜の視界に辿り着くまで誘導して一通り痴態を堪能してから潰すだけだ。
 どうだ、簡単だろ?たったのこれだけでフラグ成立。お前にメロメロになった咲夜を好きなように料理してハッピーエンドってわけだ」
「そ、そうですか……」


どんどん品性のなくなっていく悪・美鈴の言い回しに些かげんなりしながらも、
これも私の奥底に存在する闇の部分であると考えるとかなり複雑な気持ちになります。
目の前のコレを貶めるということは即ち自分を貶めることと同義な訳ですからね。……はぁ。


「さて、ここからはお前次第だ。私はこれで消えるが、精々上手くやるんだな。じゃ、あばよっ」
「えっ……ちょ、ちょっと!」


言いたいことだけ言い切ると、悪・美鈴は私の返答も待たずに霞のように消えてしまいました。
しばし呆然と佇む私。
辺りの様子を窺うとそこは先程と全く変わらぬ厨房内。
ちらりと入り口に目を向けると、やはりそこでは入って来たときと同じく戸口から身体半分だけ覗かせながらこちらを窺う咲夜さんの姿。
どうやら時間にして数刻も経過していないようでした。
あれだけ自分の心との寸劇を交わしていたというのに……夢でも見ていたんでしょうか。

なんとなく自分の頬を抓ってみる私。
ぎゅう。
うん、痛い。間違いなく今この場所は現実にある紅魔館厨房内ってことでよさそうです。

とりあえず事態の把握ができた私は、念の為もう一度食器棚の下の気を探ります。
これでもし既に移動を済ませた後とかだったら洒落になりません。

ですがその心配は杞憂に終わり、微弱な羽虫の気は未だ食器棚の下から探知することができました。

しかし先程とは違い、何やらもぞもぞと忙しなく這い回っている模様。
そろそろ篭城に疲れたのか、それとも単にこの場所に飽きたのか。
虫の本能が何を考えているのかなど私には到底理解の及ぶところではありませんが、
なんだか妙に長かった我慢比べもやっと終わるという確かな予感を感じさせました。


「来る……もう間もなく……」


頭の中で今一度、私の姿をした悪魔の言葉を浮かべる私。
本当にうまくいくんだろうか?仮にうまくいったとして、本当にそれでいいんだろうか?
もしかして私は取り返しの付かないことをしようとしてるんではないだろうか?

あんなのでも姿が見えなくなると不安になるものです。
独りで思考を巡らせるとその不安は益々肥大化し、焦燥感が全身を包み込みます。
ぎゅう、と右手に持つ新聞紙に力が入り、身体にじっとりと嫌な汗が浮かんできます。

どくん、どくん、と心臓が脈を打つ音が耳に入り、一層焦りを膨らませる私。
どくん、どくん……うるさい。
どくん、どくん……うるさいな。
どくん、どくん……うるさいってば。
どくん、どくん……うるさい!黙れ!


カサッカサササッ


来た!
もう考えている暇はありません。タイムリミット。待ったなし。時間一杯です。
この右腕を振り下ろせばもう後には退けません。
やるしかない……やるしかないんです。
覚悟を決めろ、私!


「ええい、ままよっ!!」


スパァンッ
束ねられた紙面が床と衝突した軽快な打撃音。
そしてそれを後方に受けたGは「予定通り」厨房の入り口へと進路を取って走り出しました。

賽は投げられました。
最後の一線に踏み止まる機会を自ら放棄し、この瞬間、私こと紅 美鈴は「紅魔館の門番」から「ただの悪党」に成り下がりました。
田舎のおっかさんごめんなさい。美鈴は悪い子です。顔は忘れて久しいですが。
そもそも田舎ってどこですか。

入り口ではこれまでずっと様子を窺っていた咲夜さんが、今の音に反応してビクッと身を竦ませつつも、
中で起きた変化が気になるらしく、恐る恐る足を踏み入れようとしているところでした。


「め、美鈴……終わったの?」


不安の中にもやや期待の入り混じった声の咲夜さんに罪悪感を覚えながら、
私はとても残念な報告をしなければいけませんでした。
そう、咲夜さんにとってそれは死刑宣告にも近いものです。


「さ、咲夜さん!すみません、仕留め損ねました!今、そっちに……!」
「え、えっ……!?」


ああ、我ながら白々しいにも程があります。
「そんな、嘘だ」とでも言いたげな咲夜さんを見て私は更に胸の奥が痛むのを感じました。

期待を裏切るという行為の代償。それを今頃になって痛感する私。
しかもそれが全力を出し切った結果というならいざ知らず、己の邪な好奇心によるものとなれば最早救いようがありません。

しかしもう止まれません。
今からでも止めようと思えば止められるのに、半ば麻痺してしまった私の思考回路は崩壊寸前。
仕留めるつもりなど更々ない攻撃はひたすらに床を撃ち続け、
ただでさえ節足動物とは思えぬ程の妖しい移動速度で入り口へと向かうGの加速を促すばかり。
まるで馬の尻に鞭でも打っているような気分になってきました。

そして遂に、その黒光りするボディは咲夜さんに再び発見される位置にまで至ったのです。
本日二度目となる咲夜さんとGの邂逅でした。


「ひっ……」


反射的に一歩後退する咲夜さん。
既に全身の震えは「カタカタ」から「ガクガク」といえる程激しくなっています。
一方のGは前方に障害物ありと認識したのか、その場で動きを止めて二本の細長い触覚をヒクヒクと動かしていました。
その動きが更に咲夜さんの恐怖を煽るらしく、「お願い、来ないで」と懇願しながら目に涙を浮かべ、
右手を盾にするように突き出してGを見据えています。
立っているだけでも精一杯なのでしょう。逃げる素振りすら窺えません。

私はここが潮時と判断し、動きを止めているGの背後から最後の一撃を振り下ろそうとしたその瞬間――――――




 おや? G の ようすが…………!

 ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃー♪
 ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃー♪




ヴ~~~ン



と、飛んだぁーーーーーーーー!!?

って、当たり前じゃないですか!?
あれだけ自分で羽虫羽虫と言っておきながら飛ぶことを失念しているなんてどこまで馬鹿なんですか私!
あの悪魔!全然穴だらけな計画じゃないですか!ってそもそも私の心が立てた計画なんだから当然だー!
いや、だってほらアレって飛ぶ必要あんのかってくらい足速いじゃないですか!?
ていうかなんであんなに足速いんですかアレ!?生物学的に間違ってませんか!?いや生物学の話なんてされてもまったくわかりませんけどもっ!
ってそんな事考えてる場合じゃなーーーい!!


「このっ、このぉ!」


慌てて獲物を振り回すも、平面を這っていた状態から解放されたGは上下左右へふらふらと不規則に飛び回り、
当てるどころか掠らせることすらままなりません。
そしてその様子を凍りついた表情で見ていた咲夜さんはとうとう恐怖が臨界点へと到達してしまったらしく、
直立の姿勢のまま斜め後方へぱたり、と倒れてしまいました。
右手の位置は瞼の辺りで甲を自分へ向けるという、所謂「お日様が眩しいわ」のポーズで。
さすがは咲夜さん、気絶の仕方まで瀟洒です……ってだからそんな場合じゃないんですってば!

うう……ごめんなさい咲夜さん。
こうなったのは全て私のせいです。
あの時私があんな好奇心に駆られなければ……いや、そこで自分の心に負けていなければ……こんな惨事を呼ぶことはありませんでした。

その後も全てのチャンスを棒に振ってきて、挙句の果てには咲夜さんを気絶させるなんて大ポカです。
もう今更手遅れかもしれないけれど、それでもこの決着(けり)だけは……
自分で撒いた種くらいは自分で刈り取ります!




「極光『華厳明星』」




文々。ソードを投げ捨て、髪から取り出したスペルカードを静かに宣言する私。
私の両手の間に白く輝く球体と、それを包み込む虹色の薄い膜が出来上がります。
これで……今度こそ幕引きです。

思えばこの羽虫も可哀想な存在です。
好きでこの姿に生まれてきたわけじゃないでしょうに。
好きでこの場所に生まれてきたわけじゃないでしょうに。

ただ、この場所に、その姿に怯える人間がひとりいただけなんです。

そして、その人間を大好きな妖怪がひとりいただけなんです。

だからせめて私にできることは、
苦しまないように、すぐに来世に生まれ変われるように、一瞬で。
その命を断ち切ること。
だからもう―――


「お休みなさい」




















「……ん……あら、ここは……?」
「あ、咲夜さん!……よかった……」
「美…鈴…………?はっ、そうだわ……私……!」
「大丈夫です咲夜さん。もう……終わりましたから」


程なくして意識を取り戻した咲夜さんは、ついさっき起きた衝撃の出来事を思い出して一瞬青ざめましたが、
私の言葉で全てを理解してくれたようでした。
そしてゆっくりと上半身だけを起こすと、


「……ありがとう、美鈴。貴方のおかげで助かったわ」


と、
花のような笑顔で言いました。

それは私が今まで一度も見たことのない素敵な笑顔で、
それが逆に今の私には辛くて、胸が痛くて、痛くて痛くて我慢できなくて、


「きゃっ」


咲夜さんの肩に、私の顔を見られないように、抱きしめていました。


「ど、どうしたの、美鈴……?」
「すみません……でも、もう少しだけ……このままで……っく」
「!……貴方……泣いてるの?」
「……っく……ひっく……」
「もう、しょうがない子ね。泣きたいのはこっちなのに」


まるで子供をあやす母親のように、
咲夜さんは泣いている私の背中をぽん、ぽん、と叩くのでした。

私は何度も何度も、「ごめんなさい」と声に出さずに謝り続け、
もう、絶対にこの人を裏切るような事はしないと、誓いました。















 ◆◇◆






―――その日の夜。


紅魔館内に於いても一際異彩を放つ一室。
その部屋は一言で言い表すならば、「本でできている部屋」。
部屋の隅から隅に至るまで、果ては壁までもが全て巨大な本棚とそこに収められた本で埋め尽くされていた。

とにかく本を最優先に作られたその部屋に書物の天敵である日光を取り入れる余地はなく、
昼夜問わずして常に暗闇という名の静寂が約束された現世とは切り離された空間。

それがここ、「ヴワル魔法図書館」である。

およそ人が住めるような場所だとは思われないこの部屋で、
ランプの明かりひとつで日夜黙々と読書を続ける少女がひとり。

図書館の主にして「七曜の魔女」の異名を持つ、パチュリー・ノーレッジ。

今日も彼女は、部屋の中央に無造作に置かれた机を前にして読書に耽っている。
その傍らでは、紅いストレートヘアーで背中に大きな蝙蝠の羽を背負った「小悪魔」と呼ばれる少女が熱心に本の整理をしていた。
ヴワル魔法図書館のいつもの光景である。

ただ一点、読書を続けるパチュリーの対面に紅魔館当主、レミリア・スカーレットがいる事を除いて。

とはいえ、別段そこまで珍しい光景というわけでもない。
レミリアとパチュリーは「親友」という間柄で結ばれており、
時々暇を持て余したレミリアが図書館の友人を訪ねてくることがある。
今日が偶々その日であったというだけの話だ。

折角訪ねてきた友人を前にしてもひたすら本を読み続けるパチュリーだが、それに対してレミリアは特に苛立つといったこともなく、
小悪魔が淹れた紅茶に時々口を付けながら友人の様子をじっと眺めていた。
それはどことなく、パチュリーの方から語りかけてくるのを待っているような仕草にも見えた。


「貴方も意地悪なことをするわね」
「何のことかしら?」


やがて観念したのか、パチュリーは本に視線を落としたまま口を開いた。
それを聞いたレミリアの表情は「待ってました」と言わんばかりの笑顔になるのだが、わざとわからない振りをしておどけてみせる。
無論それもこの二人にはいつも通りの会話なので、パチュリーはいちいちそれについて言及などはしない。


「運命の『分岐点』だなんて、最初から何も知らなければ分岐なんてあるわけないじゃない」
「確かにそうね。じゃあ私はあの時何もしない方が良かったかしら?」


パチュリーは視線だけレミリアの方へ移すと、そこには残り少なくなったティーカップの中身をゆらゆらと揺らせている友人の姿があった。
しかしレミリアの視線は横目でしっかりパチュリーのそれと交じり合っている。
僅かな沈黙。
その後にパチュリーは本へと視線を戻し、


「……そうね。今日はとりあえずここの本が減ることがなかったという点については、感謝しておくわ」


そう言ってぺらり、と一枚だけ頁を捲った。
その様子を見てレミリアは満足そうにティーカップの中身を飲み干した。


「ひとつ聞いてもいいかしら」
「何でも聞いてちょうだい」
「何故、あの騒ぎにあの子以外駆けつける者がいなかったのかしら?」
「簡単な事よ。あの二人以外にあの時間帯のあの場所に近付こうとした奴全ての運命を捻じ曲げたの」


再びパチュリーは視線だけレミリアへ向ける。
その先には、「どう?すごいでしょ」とでも言いたげな笑顔が眩しい友人の姿があった。


「……呆れた。貴方、意地だけじゃなく趣味も悪いのね」
「ふふっ、照れるわね」


傍らでは、小悪魔がたった今整理を終えたばかりの本棚を眺めて「うんうん」と腕組みをしながら頷いていた。




< 了 >
初めまして。

今までROM専でしたが、本日人生初のSSを投稿させていただきました「とらんじすた」と申します。

「Gに怯える咲夜さんを書きたい」という一念だけで出来ている馬鹿話ですが、
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

どこら辺が「名作」なのかって?
ほら、ちゃんと『美×咲』だったで(タネなし手品
とらんじすた
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コメント



0.2050簡易評価
5.70名前が無い程度の能力削除
おぉ、ネタは少々ありがちでも文章力が高くとても面白い。素晴らしい事です。
物語を全体で纏められればより素晴らしい作品となるかな、と思います。
今後も超期待させて頂きます。頑張って下さい。
24.80SETH削除
なるほどタイトルはそういうことね!w
26.80名前が無い程度の能力削除
怯える魔理紗に物凄く良い笑みを浮かべる美鈴・・・そんな絵を幻視。
31.80名前が無い程度の能力削除
なるほど、座布団一枚w
「善」が「喜」だとか、穴だらけな悪魔計画だとか、さりげなくSDが似合いまくる美鈴に完敗です。いや、マジかわいいってw
46.80名前が無い程度の能力削除
素晴らしき「名作」でしたw 
そしてナイス「作名」w
47.90名前が無い程度の能力削除
うん、名作だ。