1:
晴れ渡る青空。雲は少なく、日差しはカンカンに照り付け夏の到来を告げている。
気の早いセミは鳴き出し、草花はその身に少しでも日を受けようと伸びつづける季節、初夏。
「洗濯日和ねー」
昼でもなおいっそう暗い森、通称魔法の森の一箇所。ぽっかりと日の当たる場所に作られた一軒の洋風の建物に住む七色の魔法使いアリス・マーガトロイドは大きく伸びをしながら眩しそうに太陽を眺める。
そのまま魔力の糸を手繰り寄せ、フリルをたくさんつけた紅い服を着た一体の人形を呼びつけ、
「お洗濯するから、準備を手伝ってもらうわよ」
人形は頷く事もせずにアリスに付き従うように建物に入って行った。
しばしの時間をおき、太陽が中天に差し掛かろうか、という時にアリスの家の前には幾つかのロープが張られ、綺麗に洗われた洗濯物がはためく。
「はぁ、ちょっと溜めすぎたかしらね……」
呟いて腰をトントンと叩く。何しろ最近は研究と実験、さらに反省を踏まえた上で再度研究、というサイクルを一週間ばかり繰り返していたのだ。まぁ内容といえば大した事は無く、人形と自分を繋ぐ糸の強化であったり、定期的な人形たちの手入れまで、種々雑多な部分もあった。雨が長々と降っていた所為もあるが、それにしてもよくもまぁ自分でも溜めたものだと思う。別段着替えだけなら一ヶ月洗濯しなくても困らないぐらいあるけれど。
――梅雨時になるとジメジメして嫌ねぇ。特にあの涙を流す人形なんかは特に大変だわ。
他にも髪の毛が勝手に伸びる人形なんかも湿気に反応するのか、いつもより数倍のペースで伸びてくるのだから困る。
「そうか、私の手を借りずに動く人形が湿気に反応して動くのならば……空気中の水分に反応している、という事になるわね。なるほどね……」
ブツブツと呟きながら部屋に戻ろうとした時だった。
ゴウッ!
突然の突風に思わずスカートを手で押さえる。
「きゃっ!?」
誰も見ていない、というのに気がついたのは小さく悲鳴を上げた後だった。
ただ、いつも連れている上海人形だけが無機質な視線でじっとアリスを見つめている。
何となく気まずい気分になって咳払いを一つ。ごほん。ひらり。
――ひらり?
咳払いをしたアリスの視界の白い物が通り過ぎる。
「あー! 私のぱんつー!!」
そう、ひらりと飛んでいったのはあろう事かアリスの下着だった。
突風に煽られ、洗濯バサミから離れた下着はそのまま上空へと舞い上がる。
「くっ!」
舌打ちのような苦鳴を漏らしながらアリスは大地を蹴り上空へと飛ぶ。木に引っかかったり、地面に落ちたりしたら洗濯のしなおしになってしまう。面倒な事はしたくないというのに。
螺旋を描きながら空へと舞い上がる白い下着。森の中に開けた場所というのは風の吹き溜まりになり、突風が吹けば風同士がぶつかり合い、容易につむじ風へと変貌する。
その事はよく解かっていたが、よりにもよってこんな時に吹かなくてもいいじゃない、とは思う。
ようやく追いついた、と手を伸ばせばひらりと木の葉のようにアリスの手を逃れる。
「もう少しっ!」
二度三度とアリスの手を逃れ、すっかり風に乗ってしまった下着は上空へと順調に上っていく。
いつの間にやらアリスと下着は森の木々越えるかどうかの高さまで舞い上がっていた。よほど先ほどの突風は強かったのだろう。
手を伸ばすたびに微妙な風のイタズラで逃げ回る下着を恨めしそうに睨む。こうなったら無闇に手を出すよりも機会を待ったほうが良いだろう。
ヒラヒラと緩やかな螺旋を舞いながら飛んで行く下着の軌道を予測。タイミングを見計らい、スピードをつけて一気に間合いを詰める。
パシィ、とどうにか掴む事が出来た。手の中で布の感触を確かめる。……まだ濡れているが。
ほっと一息を吐いた、アリスに怒鳴り声が聞こえて来た。
「わーバカ! 飛び出すな!!」
「え?」
背後を振り向いたアリスが見たのは、黒白と茶色い丸。
ごつっ!
重く鈍い音ともに額に、目の奥から火花が出るような痛みに思わず額を押さえる。
「~~~~っ!」
痛みのあまりに声も失うアリスに慌てて戻ってきたのは黒白のエプロンドレスに黒い三角帽、正面から見たために茶色い丸かと思えた箒にまたがったごく普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
「すまんすまん。でも飛び出し注意だぜ?」
一応謝ってはいるものの、あまりにも魔理沙らしいこの人を食ったような言葉にカチンと来るのも無理はないだろう。
「このっ……! バカ魔理沙! ちゃんと前見て飛びなさいよ!!」
額を押さえ、涙目になりながら魔理沙に抗議する。
「いきなり私の目の前に飛び出してくる方はどうなんだよ。知ってるか? 早く動く物体ほど止まるのに距離が必要なんだぜ」
「貴女は安全運転って言葉を知ってるかしら?」
「温室魔法使いにはピッタリの言葉だな」
「田舎魔法使いは野蛮だから困るって言ってるのよ」
もうこうなったら止まらない。売り言葉に買い言葉が続けられすでに二人の間には一触即発な空気が漂っていた。
永夜事件で協力したとはいえ、もとより仲が悪い二人である。永夜事件以降も喧嘩しては弾幕ごっこをするのはもはや日常茶飯事となっていた。
「あー? なんだやるのか?」
「やりたがってるのはそっちの方でしょ、直線バカ」
「どうあっても私に黙らされたいらしいな? お人形遊び」
喧々諤々といがみ合う二人。すでにどっちが先手を取るかでお互いの思考はフル回転している。
先手を取るためにアリスの様子を観察していた魔理沙は、その手に握られている物に気がついた。
「なぁ、なんでぱんつなんか握り締めてるんだ?」
「ふへ?」
間抜けな声を出しながらアリスは自分の右手を見る。そこには先ほど突風に煽られて、やっと掴んだ純白でレースのふんだんに付けられたお気に入りのシルク製の下着がしっかりと握られていた。ご丁寧に縁沿いに可愛らしさをアピールする為のフリルまでつけている。いわゆる勝負下着と言えなくも無い物であった。
音速の速さで両手を背後に隠し、傍目からでも「私、動揺してます」と言わんばかりに慌てるアリス。
「えっと、これはその……さっきのつむじ風でせっかく洗濯したのにお気に入りが、それで……」
ボンッ! と音がする勢いで顔を真っ赤に染めたアリスが理由を喋り出すが、気が動転したせいでさっぱり要領を得ない。
「あー、なんだ? ようは風に煽られて飛んでったのか?」
アリスの言葉を要約するとそうなる。
「そうそうそう!」
意を得たり、と言った顔で頷くアリス。ちなみにまだ真っ赤である。
「それで、慌てて飛び出して、やっと掴んだのか?」
「そうそうそう!」
「勝負下着を?」
「そうそうそ……って魔理沙ぁ!」
ついノリで頷いてしまってから何に頷いたのかを理解した瞬間にアリスの怒声が響き渡る。
「おぉ、あれ以上顔って赤くなるものなのか」
感心したように頷く魔理沙を他所に羞恥のあまり茹でたタコのように真っ赤になって黙り込んでしまう。
「う~……」
恨めしげに唸りながら見つめるアリスを魔理沙はニヤニヤと見つめる。
「なんだか興がそがれたぜ、主にお前のぱんつのせいで」
ニヤニヤ笑いを引っ込める事無く魔理沙が追い打ちをかけていく。
いつもならアリスだって黙ってはいないのだが、いかんせんすでに旗色は悪く、言い返せない状況を作り上げられていく。
「まぁ乙女たるものそういう下着だって必要だしな? いやなに、悪いことじゃない。むしろ良い事だぜ? 誇るべきだ」
朗々と語りだす魔理沙を尻目にアリスは真っ赤な顔のまま俯いて口を引き結んでいる。
「それにしても白とはな……てっきり赤とか黒とか、そういうモンだと思ってたぜ。いやははは、うん大丈夫だ。この事は誰にも言わないから安心してくれ」
くくく、と笑いをかみ殺しながら箒の上で身をよじらせる。その姿は悪ふざけでできた黒ネズミのようにアリスは感じた。
「ま……魔理沙」
ようやっと、搾り出すようにアリス声を出す。
「ちなみに私はまだ持ってないぜ。っと、どうした先・輩」
やたらと「先輩」を強調する魔理沙の両肩を掴む。とりあえず下着はスカートのポケットの中へ。
「魔理沙、今私は冬場のストーブのように熱くて、今にも目の前にいる魔理沙というヤカンを茹で上げ、ピーピー鳴かせたくて仕方ないのよ……わかってもらえるかしら?」
ぐぐぐ、と魔理沙の両肩に爪を食い込ませ、一言ずつハッキリとした口調で伝える。
「いたたた、落ち着け、落ち着くんだアリス!」
痛みとともに抗議の声を上げる魔理沙を無視してアリスは語っていく。
「魔理沙、私は落ち着いているわ。えぇ、まるで極北の地の氷のように冷静だけれども、同時にとびっきりのワインを飲んだようにいい気分なの。それが何故か理解できるかしら?」
「それは」
「えぇ、魔理沙の事ですから? きちんと解かってないと思うわ。だって貴女は田舎魔法使いですもの。そんな野良育ちの魔法使いに理解しろなんて言っても無駄な事ぐらい私は判っているつもりよ。そこでね? そんな野蛮な人間に対する一番理解しやすい方法を用いる事にしたわ」
まさしく機関砲のようにまくしたてるアリス。その顔は先ほどまで羞恥に染まっていたとは到底思えない……そう、例えるなら100万ドルの笑顔に輝いていた。ちなみに、魔理沙の肩を掴む力は増すばかりで、そろそろ痕がつきそうな程だ。
「ほう……そいつは親切にどうも、だぜ」
ギリギリとアリスの指が肩に食い込んでなお、魔理沙は不敵に笑ってみせる。
「えぇ、だって私は温厚な都会派ですもの。だから相手に合わせる事ぐらい造作も無い事なのよ。だから……ね?」
二人の中間。僅か50cmも無い空間に小さな可愛らしい人形が現れる。
ギクリと内心で冷や汗をかいた魔理沙は一秒でも早くこの場から立ち去ろうとして、アリスに肩を掴まれている事に必死で抗おうとする。
「あら、魔理沙。そんなに慌ててどうしたのかしら? どこかへお出かけ?」
暴れる魔理沙を逃がさないようにさらに爪を食い込ませる。
「ああ、今日は香霖のヤツの所に寄ってから神社へ行って、さらには本を借りに図書館まで行かなきゃいけないんだ。どうだ、忙しいだろう? だから、な?」
「あぁ、それなら仕方ないわね」
アリスはあっさりと手の力を緩め、魔理沙を開放する。
「なら、私からプレゼントをあげるわ。お土産にどうぞ?」
空中に浮いていた人形を掴むや否や、魔理沙を襟元をぐいっと広げてその中に人形を放り込む。
「な! ちょ、お前!」
慌てて人形を取り出そうと魔理沙がじたばたとするのを尻目にアリスは優雅に後退していく。
「大丈夫よ、死なない程度にしておいてあげるわ」
優しく微笑むアリスの目は決して笑っていない。
――コイツ……本気だ!
アリスの瞳に危険な物を感じた魔理沙は大慌てで服をまさぐる。ところがなかなかサイズが大きいため服のあちこちに引っかかって上手く取り出せない。
「野蛮な野良魔法使いには体罰で教えてあげるわ」
アリスがパチンと指を鳴らし、ようやっと取り出した魔理沙の目の前で人形が爆発した。
どむっ!
彗星、堕つ――
2:
「うぅ……ヒドイ目にあったぜ、主にアリスのせいで」
目立たないながらも洒落たテーブルの上で魔理沙が突っ伏している。
「私はかかなくてもいい恥をかいたわ。主に魔理沙のせいで」
そんな魔理沙に紅茶の入ったティーカップを差し出しながらアリスが突っ込みを入れる。
魔理沙が人形の爆発を顔面で受けたため、休ませろとダダをこねて仕方ないわねとばかりに頷いたアリスより先に家に入った挙句「ここの家はお茶も出ないのか?」とまで抜かしたので仕方なく紅茶を淹れてやった。
――腑に落ちない。
アリスは魔理沙と関わった事に後悔を通り越えて犬に噛まれたとでも思う事にした。
「大体、忙しいんじゃないの? 忙しいんだったらこんな所でくだをまいてないでさっさと行ったらどうなのかしら」
反対側の席に座り、淹れたての紅茶をすすりながらアリスは問い掛ける。
「優しさも方便だぜ」
「はいはい」
適当な魔理沙の返事に適当に頷く。
「だったら……今から私が出かけようかしら。丁度面白い事も思いついたし」
「今日のラッキーカラーは黒と白。黒いヤツを連れて白い物を身につけると幸せになれるぜ。私による私のための占星術だ、効果は保証済みだぜ?」
「ようはついて来るって事? 冗談言わないでよね。誰がアンタなんかと出かけなくちゃいけないのよ。そういう事なら紅白の所にでも行くか今すぐそのへらず口を私に黙らされるか選ばせてあげる程度なら手伝ってあげるけどね」
不機嫌の固まりといったアリスのつっけんどんな口調に魔理沙は苦笑する。
「おいおい、やけにつっかかるな」
「誰のせいだと思ってるのかしら?」
「さてなぁ」
くっくっく、と何が面白いのか魔理沙は笑いながらすっとぼける。
「魔理沙は今すぐ口をふさがれたい、と」
本気の証拠であるかのように数体の人形を呼び出すアリス。
「おーっと、私は平和主義だぜ」
「いつからよ」
「たった今から」
はぁ、と溜息を吐いて紅茶をさらに一口。まったくいつもそうだ、魔理沙がいるとイライラする。その割には終わらない夜を止めようと思った時、たまたま近くに居たからとは言えなんでこんな奴と一緒に出かけてしまったのだろう。自問自答の答えは自分の中にしかなくて――
「で、出かけるんだろう? どこに行くんだ?」
こんな笑顔を時たま見せるのは卑怯だと思う。こっちの気持ちなんて何も知らないくせして、あどけない年相応の眩しい笑顔なんて反則技だ。
「紅魔館の図書館に行こうと思って。手元の魔術書には無い資料が必要なの」
以前に魔理沙の紹介で連れて行ってもらった紅い館のヴワル魔法図書館。そこにはアリスの知らない蔵書も多く、また内容も多岐に渡るためアリスは一時期通いつめる程であった。ひとしきり必要な部分は記憶したり写本させてもらったりもしたのだが、どうやら今の状態では足りないらしい。
「そいつは丁度良い、私も同じ場所に用事があったのを今思い出したぜ」
「また都合の良い事を言って……どうせ今決めたんでしょう」
魔理沙の抜け抜けとした言い草と、その笑顔に騙されるものか、とことさら強い口調で切り返してやる。
「いや、さっき言ったぜ。香霖堂と神社、それから私の図書館に行くってな」
ニヤリ。実に魔理沙はこの表情が似合う、とアリスは遠くで思いながらカップを口に運ぶ。
「方便だって言ったのはどこの誰かしら」
「嘘だとは言ってないぜ」
「じゃあ私は先に行ってるから貴女は香霖堂さんの所と紅白の神社に行ってから来なさい」
「そこらへんは優しい嘘だぜ」
「…………好きにすれば」
どうあってもこの白黒ネズミは一緒に行きたいらしい。ここまで言う以上、魔理沙は引き下がらないだろう。
カップに残った最後の一口を飲み乾し、アリスは席を立つ。
「用意をしてくるから、そこで待ってて」
「大人しく待ってるぜ」
用意を終えたアリスは魔理沙に向かって蹴りを入れる。
「あ」
ドサドサと落ちる自分の魔術書にアリスは溜息を吐いた。
――今日はあと何回溜息を吐けばいいのかしら……
3:
幻想郷の中でも一際異彩を放つ紅い館、紅魔館にも初夏の兆しは訪れる。
見るからに暑そうな外見をしているがその実、館内は薄ら寒いぐらいである。窓が少なく、日差しが差し込まない事もあるが、館中に満ちる主の妖気が寒さを作り出す。少し敏感な人間が迷い込めば気分を害し、本能的な恐怖に囚われ一刻も早く脱出したくなるだろう。
ようは、夏でも涼しい。
そんな紅魔館の中、奥まった部屋はヴワル魔法図書館と呼ばれ、住人でさえもあまり近づく事のない場所である。
妖怪は本なんてあまり読まない。生きて行くのに必要な知識は持ってしまっているし、今さら役に立たない事を憶えてどうするのか。
加えて、いくら主が夜行性だからと言った所で紅魔館の住人全てがそうであるとも限らない。むしろ大半の者は昼に活動する。日中にあらかたの事を済ませ、主の邪魔をしないように息を潜めて静まり返るのだ。
そんなわけで本を日光から守るため窓もなく、最低限の掃除しかしない為に紙の匂いが立ち込める図書館は結構涼しい。
「しかしここに入ると途端にトイレに行きたくなるのは何でだ?」
魔理沙が愚痴をこぼしながらドアを開く。
「来て早々にその言い草ならあらかじめトイレに寄ってから来るか、今すぐ帰りなさい」
入り口付近の大きな机腰掛けた七曜の日陰魔女、パチュリー・ノーレッジは手元の本から一切視線を逸らさずに魔理沙に向かって棘を投げつける。
「よぉパチュリー、相変わらずのビブリオマニアっぷりだな」
投げつけられた棘の生えた言葉を華麗に無視して魔理沙はズカズカと机にやってくる。
「こんにちは」
魔理沙の後ろからはアリスが顔を覗かせる。
「珍しいわね、最近は来なかったのに」
やはり一切視線を本から離さずにパチュリーは答える。
「少し資料が足りなくてね、ホムンクルス関連の書籍はどの辺りなのか教えてもらえるかしら? あと、これどうぞ、作り置きだけど」
手土産のクッキーを机の上に置きながらアリスは目的を告げる。
「小悪魔」
本を向いたままパチュリーが呼びかける。いつもならここでまだあどけなさを残した紅毛の少女が飛んでくるはずなのだが……
しばらく待っても小悪魔は訪れない。元より式でも使い魔でも無い、ただのイタズラ好きの図書館に住み着いているだけの者だ。司書の真似事なんかしてるがそれも気まぐれの産物であり、居ない場合もある。
「ふぅ……それ関係の書物ならH棟の6、7番書架、90列目から後ろはそうよ」
一息ついてパチュリーが教えてやる。居ないのは今に始まった事では無いが、それでも無意識の内に頼ってしまっているのかもしれない……と思う。
「ありがと、それじゃ」
軽く礼を述べて本棚の中へ消えていくアリスを尻目に魔理沙はさっそうとクッキーに手を伸ばしながら口を開いた。
「今さらホムンクルス関連とはな、アリスの事だからとっくに手を染めてると思ったんだが……それにしてもクッキーだけじゃ喉が渇いていけないぜ」
「とっくに手を染めたはずだわ、人形とは人の形の事。自らの思考を持ち、自立行動可能な人形といえば遅かれ早かれ人間の複製に辿り着く。それを理解した上で彼女はホムンクルス関連の資料となると……自ずと答えは見えてくるわ」
パラリとページをめくりながらパチュリーは呟く。まるで当たり前の事を説明するように淡々と説明していく。
「実際、彼女は家でホムンクルス関連の事を調べている事もあったわ。だけど必要な事だけ把握したら写本も取らなかったわよ。それが必要となる、という事は? あと、紅茶が欲しいなら欲しいって素直に言いなさい」
「ここの家は客に茶も出さないのか?」
「……少なくとも、無断でコッソリ侵入して勝手に本を持ち帰る泥棒鼠に振舞うのはネコイラズぐらいしかないわね」
「紅茶が欲しいぜ」
「最初からそう言いなさい」
パチュリーは溜息を吐き、本を膝元に置くと羽ペンを墨壺に入れてから羊皮紙にサラサラと書き込む。
書き上がった羊皮紙に何事かを囁きかけると、まるで風に煽られたかのようにフワリと舞い上がり、部屋の外へと出て行く。
簡単な連絡手段代わりに使うパチュリーの魔法を見るともなしに見送り、魔理沙はパチュリーの傍らから本を取るとタイトルを覗き込む。
「『鉱物と時間の関係における連立方程式とその証明』ね。面白い物読んでるじゃないか」
――目の前の貴女の方がよっぽど見てて飽きないけどね。
内心の声をおくびにも出さずにパチュリーは手元の本へと視線を戻す。
人間より遥かな寿命を誇る妖怪にとって、常に変わり続けていく人間は見ていてとても面白い。まぁ、もっとも家の人間はあまり変化があるとも思えないが。
「それにしても」
パラリとまたページをめくる作業に没頭しながら口を開く。
「今再びホムンクルスの資料が必要なのね」
「そいつはどういう意味だ?」
自らに言い聞かせるように言ったパチュリーに魔理沙が食いついた。
「そうね、人形作りからホムンクルスの生成を経て人形作りへと戻る。この事の意味は解るかしら?」
誰かに教えるという事は一番の学習法である、という記述を思い出しながら逆に魔理沙に問うてみる。
「ふむ、さっきパチュリーも言ったが、人形は人の形だ。ましてや自分で考え、自分で動き、自分で生きていく人形ともなれば器こそ違えどそれは人間や妖怪に近い。自然に人間の生成方法に近づく事になる。となると必要になるのはまずは人間の生成方法だ、そのためのホムンクルスだろう?」
「えぇ、そうね」
「しかしホムンクルスをどんなに作った所でホムンクルスはホムンクルスだ。その体積をどんなに小さくした所で人形には成りえないし、結局面倒を見てやらないとヤツらは生きられない。ここまで合ってるな?」
一つ一つ確認するように呟く魔理沙にパチュリーは無言で頷く。
「ホムンクルスに見切りをつけたアリスが再び手を出す理由がいまいちよく解らないな、ホムンクルスの限界は見えている。ホムンクルスはあらかじめ決められた通りなら自立行動が出来るが、人形サイズにするには無理があるし、人形では小さすぎる。何より、ホムンクルスは定められた行動しか出来ない。アリスが興味本位て手を出す分には解るが、一度見切りをつけた物を再度研究する意味が解らん」
「もしもホムンクルスそのものではなく、ホムンクルスの特性や生成過程に彼女の求める物のヒントがあったとしたら?」
「ふむ、そういう理由ならばありえるか……」
腕を組み考え込みだした魔理沙に満足そうな顔をするパチュリー。
いつも直線で明け透けで、ともすれば傍若無人な所もある魔理沙だが、その実は努力家である。
日夜研究に勤しみ、自分にとって良いものであると判断したら積極的に取り入れ、解らなければ頭を下げて教えを乞う。普段の魔理沙の態度には辟易する所があるものの、彼女の真っ直ぐな視線だけは常に変わらない。
常に全力で直線なのだ、霧雨魔理沙という少女は。
「そうね、パチュリーが正解って所かしら」
本棚の奥から声が届く。見ればそこには本を抱えるだけ抱えたアリスがこちらへと歩いてくる所だった。
気のせいか足がふらついていなくもない。
そのままドサドサと机に倒れこむように本を置く。本の雪崩にパチュリーが怪訝そうに目を細めるが、何も言う事は無い。
その視線を受けてアリスは苦笑いを浮かべる。もっと本を大事に扱え、という事なのだろう。
「はぁ、疲れた……喉が渇いたわね、お茶を貰えるかしら?」
「あぁ、それなら」
魔理沙がそう言ったのを見計らったかのようにドアがノックされる。
「入りなさい」
この部屋の主であるパチュリーが入室を促す。促さなければ入ってこないのがメイドというものだ。
「失礼します」
鈴の転がるような声はどこか冷たく、抜き身の短剣を思わせる。銀の髪をしたメイドは手際良くグラスを並べながら微笑む。
「お、メイド長自らのお出ましとはな」
魔理沙が声をかける。ティーセットの乗ったワゴンを押して現れたのは紅魔館に働く幾多のメイドの中での唯一人の人間であり、完全で瀟洒という二つ名を持つメイド長、十六夜咲夜だった。
いつものメイド服に見えるがワイシャツが半袖に変わっているので夏服なのだろう。
「あら、パチュリー様からの申し付けは二人分の筈でしたが?」
パチュリーの方を向きながら咲夜が訪ねる。
「二人分だぜ、私とパチュリーのな」
ふてぶてしく言う魔理沙に視線を戻し、咲夜はようやく得心を得た顔をする。
「そうね、泥棒鼠にだすお茶は無いって事だもの」
「それはきっと七色に輝く珍しい鼠に違いないぜ」
「いいえ、白黒のすばっしこい鼠よ」
読んでいる本から視線を逸らさずにパチュリーがボソリと呟く。
「まぁ、予備があるから淹れてあげるけど、本は持って帰っちゃダメよ?」
仕方ない、という調子で咲夜が魔理沙の頭をポンポンと叩く。
「失礼な、借りていくだけだぜ」
ポンポンと叩いていた手が握り締められる。ごん。
「っつつ……まったく、いいからお茶をくれよ、喉が渇いたぜ」
「はぁ、アンタってやっぱりアレなのね」
溜息を付きながらアリスは広がった本が邪魔にならないようにてきぱきと片付けていく。
「今日はお天気が良いので、アイスティーですわ」
咲夜が氷の入ったグラスに浮いた水滴を素早く、丁寧にふき取って行きながら説明していく。
「それと、今日は変わった趣向をやってみようかと思いまして」
ティーポットの温度を確かめながら顔を綻ばせる。
「変わった趣向?」
こういう時に魔理沙の食い付きは良い。
「えぇ、今日は今年の旧暦で見ますと七夕です。ですので天の川を皆様にお見せしようかと思いまして」
咲夜は説明しながらティーポットの注ぎ口をトン、とグラスの縁に押し当てる。蓋を人差し指で押さえ、上から掌ではなく指で抱えるように持つ姿はいつもの持ち方とは違う。適温を維持するためにポットに触れるのはあくまでも指のみ。
「では今宵の天の川、一足先にお見せいたしますわ」
音もなくゆっくりと注がれる液体がグラスの底を覆い尽くした時だった。
すぅ、と咲夜の腕が持ち上げられる。
天高く掲げられたティーポットから流れ落ちるのは飴色の液体。
音も立てずにゆらりと流れるその液体は氷に当たっても撥ねる事無く静かにグラスを満たしていく。
「ほぅ……」「へぇ……」「ん……」
それを見た三人から感嘆の声が上がる。
素早く腕を戻した咲夜の手元にはアイスティーが出来上がっている。
「どうぞ」
すっとソーサーの上に置かれた紅茶をパチュリーは満足そうに受け取る。
「ありがとう」
そのまま無言の微笑みで返した咲夜は再びグラスの縁に注ぎ口を付けると腕を高く、高く、まるで空を越えて宇宙(そら) まで伸びるように飴色の川が流れていく。
「お待たせ致しました」
アリスは目の前に置かれたグラスを嬉しそうな顔で見つめている。
「凄い……」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
溜息のような感嘆をするアリスに優雅な一礼を返し、最後のグラスに三度流し込まれる天の川。
まるで幻想のような光景は魔女3人の目を釘付けにする。
「はい」
ソーサーの上に置かれ、テーブルの上を滑るように差し出されたグラスを魔理沙はまじまじと見つめている。
「まさに手品だぜ……」
「種も仕掛けもありませんわ」
それでもポットから注がれる紅茶は確かに天を流れる川のように緩やかに、慎ましく流れた。
「なぁ、それどういう風にやるんだ? コツみたいなのあったら教えてくれよ」
興味深々といった目で咲夜を見る魔理沙の顔はいつもの不敵な笑いではなく、年相応の少女らしいある種の眩しさを持っていた。
そんな魔理沙に向かって咲夜は柔らかく微笑む。
「腕を上げるタイミング、速度、時間、高さ、難しい事を言えばキリが無いけど……そうね、優しく丁寧に持ち上げて、そっと下ろしてやる事かしら」
「凄いわね。どれこれも難しそうには見えないけど、実際にやれと言われたら難しいわ」
実際に頭の中で試してみたのだろう。紅茶の入ったグラスを見つめながらアリスは呟いた。
「ん……でもどうして天の川なんだ? 紅茶は紅いぜ?」
魔理沙の疑問にはパチュリーが答える。
「茶葉の色からして紅よりかは茶、飴色と言ったほうが正しいかしら。天の川の天は『あめ』とも読めるわ。飴色と『あめ』で掛けたのでしょう」
「その通りですわ」
咲夜は満足そうな微笑みを口元に浮かべている。
「上手いもんだぜ。私も今度挑戦してみよう」
「神社の緑茶で?」
「そうだな、まずは神社で練習して、それから家で嗜む事にするぜ」
アリスの冷やかしにも今の魔理沙には無効化されているようだ。
「あらまぁ」
一つ大きく息を吐いて呆れるアリスを尻目に魔理沙はいつまでも紅茶のグラスを眺めていた。
4:
「まぁそれでね、実際にホムンクルスを一体、簡単なやつを作ってみようと思って」
図書館には少女達の声が華やいでいる。
咲夜はすでに退室しており、残るのは3人の少女と3つの天の川の流れ着いた紅茶の入ったグラスのみ。
「なるほどな、自然治癒のメカニズムの解明か。普段気にしてなかったからサッパリ解らないぜ」
「そうね、いくつか推論は思いつくけど……どれも解明とまでは難しいわ」
「私にも今の所それらしい発見があったワケじゃないんだけどね」
苦笑しながらアリスはページを捲る。
恒久的に動きつづける機関を作り出した所で壊れてしまえばどうにもならない。そこでアリスが目を付けたのは生物にはなんでもない、当たり前のように行われる成長。
身体の老廃物を排除し、新鮮な身体に作り変える事である。
もしこの研究が完成すればアリスの本来の研究――自動で動き、自らの意思を持つ人形――の内、自動で動く体に関しての大きな一歩になるだろう。また、それは彼女を作った魔界神に一歩近づく事にもなる。
「でも、なんだか今日は気分が乗らないのよねぇ、こんな……」
アリスは紅茶の入ったグラスを指で軽く弾く。
「ロマンティックな物を見せられた後じゃ、資料と睨めっこなんて興が削がれるという物だわ」
「ははっ! アリスがロマンティックとはな、実に都会派な事だぜ」
「あら、野良育ちの田舎魔法使いには理解できなかったみたいね?」
魔理沙の茶々入れにアリスは皮肉を返す。こいうやりとりですら今のこの状況を楽しむ為に交わされている事は口に出さなくてもこの場に居る3人が3人とも理解していた。
「でも一番興味深々だったのは魔理沙ね」
パチュリーはやはり本から視線を逸らさずポツリと呟いた。
「えぇ、それはもう、見事に」
大げさに頷くアリスを見て頬を膨らませながら魔理沙が抗議する。
「なんだよ、そういうお前らだって一緒になって溜息吐いてたじゃないか。それに――」
ニヤリといつもの不敵な笑顔を浮かべる。
「私が一番少女だからな」
もちろん直後にアリスとパチュリーが揃って笑い出したのは言うまでも無い。
ひとしきり笑いが収まった頃、魔理沙はパチュリーに訪ねた。
「そうそうパチュリー。勝負下着って持ってるんがっ!?」
質問の代価は分厚い本の背表紙と詰めたい視線で支払われた。
はぁ、と溜息をつくアリス。今日の溜息はまだまだ増えそうだ。
紅茶のシーンの綺麗な描写、比喩表現がとても良かったです。
冒頭の掛け合いと合わせた、オチもお見事。
全く持って関係ないがパチュは基本的につけてな(ロイヤルフレア
今回自分でも少し書ききれてないと感じていたため、皆様の評価を大変嬉しく思います。
それでは恒例のコメント返しをば。
>れふぃ軍曹さん
お褒めいただきありがとうございます。
むしろタイトルがあったからこそ辛うじて調和が取れているような気もしますがオチのネタ振りとしては冗長すぎてタイトルを忘れられるという罠が強烈です。気をつけてください、色々な物に。
>名前が無い程度の能力さん
サブタイトルをつけるなら「ホムンクルスと溜息とぱんつの関係、紅魔館に散った白黒! 全ては瀟洒な従者が鍵を握る! グラスに浮いた水滴と勝負ぱんつは星空の夢を見るか!?」ですかね。
どう見ても火サスです、本当にありがとうございました。
全く関係ありませんがパチュリーは黒ガーターのみでs(ピチューン