その年の幻想郷の夏は例年以上に暑かった。
幻想郷の気候は温暖湿潤なので、暑いだけでなく蒸す。そのため必然的にまとわりつくような暑さに悩まされることになる。人妖の区別なく暑さと戦っていくのが幻想郷の夏であった。
そして、その問題が人一番深刻なのが紅魔館である。
主である吸血鬼レミリアが日光に弱い為窓が存在しない。窓がないということは換気ができないということ。さらに館の周囲が湖なので湿度も並ではない。
夏の紅魔館というのは近年までは灼熱地獄の代名詞であった。
最近になって、やっとパチュリーが重い腰をあげ、シルフを封じた魔法球を館の各所に配置し、風を起こすことで、湿度の問題は一応の解決を見た。お気に入りの本が湿気でやられた為だというのは小悪魔だけが知っていた。
だが、いかなパチュリーでも暑さだけはどうにもならない。そして今日も今日とてうだるような暑さの中、メイド達は額に汗して仕事に精を出すのであった。
「暑い、暑いわ咲夜。なんとかしてちょうだい」
レミリアが毎日のようにこんなセリフを言うのも仕方ないのかもしれない。当主であるレミリアの部屋は魔法等により、紅魔館で一番快適なのだがそれでもこの少女は満足できないらしい。
「どうぞ。最高級の茶葉を使ったアイスミルクティーでございます」
対応する咲夜も慣れたもので、即座に冷たい飲み物を差し出す。レミリアの我侭に付き合っていたらキリがないとわかっていた。いつもならこれで終了する。だがその日のレミリアは違っていた。
「それもこれもあの太陽がいけないのよ。あれさえなければ昼も夜も私の時間になるというのに! ああ、憎しみで太陽を隠せたら……!!」
忌々しげに天井を見上げる。実際に太陽を見上げれば瞬時に灰になることだろう。
「そうだわ――太陽が邪魔なら隠してしまえばいいのよ!」
「は?」
咲夜も数年来の付き合いではあるが、今だのこの幼い主が何を考えているのかわからない時がある。そして、今がその時だった。
「そうと決まればパチェに相談しないとだめね。咲夜、パチェは図書館?」
「はい。いつも通り図書館におられますが」
というか図書館以外にいる事を見た事が無い。
「わかったわ。じゃちょっと行って来るわね」
言うが早いか、レミリアは扉を開け廊下を高速で飛んでいった。取り残される咲夜。
ため息を一つ付くと、口をつけられていないミルクティーをちうと一口啜るのだった。
「というわけなのよパチェ」
「……何の事かわからないけどわかったわ。まずは最初から説明してくれる?」
本から視線を逸らさず切り返す。このはた迷惑な親友の唐突さにはとっくに慣れていた。
「いい? この暑さは非常に厄介よね。昼は寝苦しいし、シャワーはぬるい! パチェだって湿気は嫌だっていってたわよね」
確かにそんなことを言った覚えはある。湿気は本を保存する上で天敵。その為、図書館内は徹底した湿気対策が施されている。
「けど、そんな対処療法じゃどうしようもないわ。病気は根元から絶たないとだめよ!」
「で、どうするの?」
ため息交じりに聞き返す。どうせろくでもない事なのはわかりきっている。
レミリアの運命操作の能力でなんとかしようにも、暑いのは土地柄と季節のせいである。いくら運命を操ろうともどうしようもない。
「簡単よ。太陽を隠してしまえばいいのよ。というわけでパチェ。どうやったら隠せるか考えて!」
持っていた魔道書の角でニコニコ笑う顔を殴りたくなった。まさか何も考えていないとは。
「……霧でも出せばいいんじゃないの?」
投げやり気味に応える。
自分で考える頭はないのだろうか。そもそも吸血鬼には脳なんてないんだったかしら。
パチュリーは真面目にレミリアの相手する気はゼロだった。幾ら親友といえども許容範囲というものがあるのだ。
だがその親友は、
「それよ! さすがパチェね。天才だわ! ふふふ、霧で覆ってしまえば邪魔な日光も少なくて済むわね。となるとちょっと私一人じゃきついわね。儀式魔術でないと無理そう。パチェ用意お願いね」
と、のたまわれた。
適当に言った発言を真に受けてさらに実行に移すつもりだ。
「――はいはい。準備するから明日まで待って頂戴」
こうなったレミリアには、反抗しても無駄なのはわかっているので素直に従う。
儀式魔術を行うとなれば準備に時間がかかる。だが、その分効果は絶大。それにレミリアの魔力を上乗せさせられるとなれば、魔術師としては好奇心をそそられないわけがない。
魔法研究の観察対象としてもかけがえのない親友であった。
次の日。レミリアの私室にパチュリー、レミリア、咲夜の3人が集まった。
部屋の中央には巨大な魔法陣。
「この中央で霧を放出すればいいのね?」
「ええ、そうすればレミィの魔力を増幅させて幻想郷中に広まるわ。一度出してしまえばレミィの魔力を勝手に消費して維持されるから、常に魔法陣で集中し続けている必要はないわ」
淡々と説明するパチュリー。だがその瞳には期待の色があった。
咲夜の表情はいつもどおりの鉄面皮。レミリアは子供のようにウキウキ上機嫌。
「それじゃ――行くわよ」
レミリアは目を閉じ、広げた両手をそっと胸に当てた。それがどのような意味を持つのかはパチュリーも咲夜も知らない。だが、本人は気に入っているようだ。
レミリアの体が赤く淡く光ったかと思うと、光が粒子となり、すぐにレミリアの体から霧がにじみ出る。それをパチュリーがレミリアの周囲に展開した転移魔法陣で外で放出する。
窓のない紅魔館なのでこうでもしないと外に流れていかないのだ。
紅魔館から立ち上る赤い色の不気味な霧。上空から見るものがいればさぞ奇妙な光景であったろう。
「あれがレミリア様の霧か。すごいなぁ~」
湖の対岸で霧の攪拌を確かめる美鈴。彼女は今回の儀式の結果を確かめるよう命令され、ここに待機していたのだった。
のほほんと霧を見つめる美鈴。暑かろうが寒かろうが常に門番として勤務する彼女とっては、どうでもいいことだった。
「まぁ涼しくなれば過ごし易くなるのはいいか。さて、咲夜さんに報告報告っと」
儀式を開始して三十分。
様子見をさせていた美鈴から、幻想郷のほぼ全ての地域に霧が充満したとの報告を聞いて、儀式は終了となった。
「さて、これで暑さとはおさらばよ! 咲夜、今日の晩御飯はハンバーグよ!」
「かしこまりました」
嬉しそうに跳ね回るレミリアを見ているとこっちまで頬が緩んでくる。
今日の夕食はちょっと豪勢に行こうと咲夜は考えていた。
だが、この霧がレミリアのみならず、咲夜、パチュリー、そして地下のフランドールの今後の運命を変える出来事になろうとはこの時、誰も予想していなかった。
以上が俗に言う紅霧異変の発端である。
朝。
薄暗い部屋の中、布団から起きる。雨戸の隙間から漏れる日の光は今日も弱弱しい。
雨戸を開ければ紅く煙る世界。
「やれやれ。今日もまたこの霧か……」
上白沢慧音は三日前から発生した紅い霧に頭を頭を悩ませていた。
三日前に突如として発生したこの紅霧は瞬く間に幻想郷を覆い尽くした。それは人里も例外ではない。
明らかに自然のものとは違う霧に慧音は早速調査に乗り出した。当初は霧の妖怪かと警戒もしたが、調査を進めるにつれ霧は紅いというだけで基本的に無害と判明した。
ある程度微量な魔力が含まれているようなので、感受性の強い人や抵抗力の低い子供が魔力に当てられて調子を崩した以外は目立った被害はない。
視界が悪いため、馬などの人を轢く可能性のあるものは使用を禁じたので、多少生活が不便になった以外人里に問題はなかった。
その為、慧音も消極的な調査しかできず三日が経過したのだった。
「いくら害がないといってもこのままではなぁ……」
この霧、不思議なことに日中は上空をたゆたい、夜になると地上まで覆いつくしてしまう。まるで生き物のようだ。
慧音は少なくとも何らかの意思が霧にあると思っている。霧の妖怪もいないわけではないが、その割には三日も目立った被害がない。
この三日間は様子見していたが、この調子なら大丈夫だろう。
思い立ったが吉日。里のものに注意を促したあと、慧音は霧の原因を求めて空へ飛んだ。
発生源、というか発生させそうな人物には幾つか心当たりがあった。
まずは永遠亭。
詳しい場所まではわからないがおおよその位置は見当がついている。里から少し離れた深い密林の奥。そこに永遠亭は存在した。
まさか乗り込んで聞くわけにもいかないので、竹林の上空を旋回。見た感じ異常はなさそうである。
念の為、様子見に出てきたブレザーの兎に聞いてみたが、そんなことするわけないじゃないと逆に怒られ、弾を射掛けられたので早々に退散することにした。
次は幽冥結界。
雲の上に存在する巨大な冥界の門。話によれば、白玉楼の主の西行寺はかなり変わった性格らしい。慧音も噂ばかりなのでよくは知らない。だが、冥界をの主なだけに何をしてかしてもおかしくはないと思っていた。しかし、冥界へと繋がる門の前では騒霊姉妹の末っ子が演奏しているだけだった。
「霧? 知らない知らない。あれのおかげでこっちが迷惑してるくらいだし。それより一曲聴いていかない? ですめたとかいう変な音を見つけたのよ」
よくわからない騒音まがいの曲は慧音にはまったく理解できなかった。
「残るはあそこか……」
湖の中心に位置する紅魔館。そしてその主のレミリア。
直接に会ったことはない。せいぜい里の市場に物を買いに来る紅魔館のメイドを見かけるだけだ。
500年生きてきた女吸血鬼。里の人間に被害が無い辺り、案外話は通じるかもしれない。だが、逆に一番の危険人物の可能性もあった。慧音の中ではレミリア・スカーレットというのは妖艶な美女としてイメージされていた。
そろそろ湖が見えてくるかというところで異変に気づく。
昼だというのに湖がすっぽり霧で覆われているのだ。霧の濃度もそこだけ異様なほど濃い。これはただ事ではない。
おおよその紅魔館のある島の位置に見当をつけ、霧の中へ突っ込む。視界の悪い霧の中、迷うことなくまっすぐ飛ぶことで迷う事を防ぐ。
視界を埋め尽くす霧の中では時間間隔すら危うい。おおよそ十分ほど飛んだだろうか。急に視界が開ける。
慧音の視界に飛び込んできたのは全てが紅く塗られた巨大な館。言うまでも無く紅魔館である。
霧から慧音が姿を現すと同時に襲い掛かってくるメイド達。慌てて霧の中へ退避する。
「これは当たりかもしれないな……」
いきなり襲い掛かってくるという事態が異常。霧の事で警戒しているだけの可能性もあるので声をかけてみることにした。
「待ってくれ! 私は敵じゃない! この霧の事で主のレミリアに話があるんだ!」
これが返答とばかりに霧に打ち込まれる弾幕。
なにはともあれ、あのメイド達を倒さなければ話をすることすら無理らしい。
霧に打ち込んだ弾幕に手ごたえはなかった。だが、気配は消えていない。紅魔館周辺の護衛担当のメイド達は警戒して辺りを警戒する。右手の霧に慧音の影。三人で一斉に攻撃。霧から姿を現した慧音はメイド達の弾幕の直撃を食らう。
「やった!」
そうメイド達が思った瞬間。慧音の姿がガラスの如く砕け散る。
メイド達が驚くのと同時に背後から声。
――国符「三種の神器 鏡」
呆気に取られているメイド達に手刀を振るい、振り向く間もなく気絶させる。
「ふう、やれやれ。これじゃ先が思いやられるな」
霧から現れたのは幻影の慧音。実態は霧に紛れて背後に回っていたというわけだ。
メイド達を地面に寝かすと、紅魔館の正門へ向かう。さぁここからが正念場。
並木道を進むと大きな門が見えてきた。大きさに反し、飾り気はあまりない。だがその門の前に立つ人物一人。
腕を組み、足をしっかりと踏みすえて立つ彼女の視線はしっかりとこちらを捉えていた。
「こちらに一体なんの御用でしょうか?」
低くドスの利いた、だが良く通る声が誰何する。
「私は上白沢慧音。この霧の事についてレミリア・スカーレット嬢に聞きたい事があってきた」
喋りながら後ろに一歩下がったのは幸運というべきだったろう。
慧音の言葉が終わると同時に、今まで慧音の頭のあった位置を爪先が通り過ぎていた。一歩下がっていなければ頭を砕かれていたかもしれない。それほどの凄まじい蹴撃。
「私は門番の紅美鈴。誰も通すなと厳命されてまして。すいませんがお引取りいただけないでしょうか」
美鈴が片足を振りぬいた姿勢から即座に構えなおす。
慧音の背中を冷たい汗が流れ落ちる。慧音も格闘の心得がないわけではない。だからこそ相手との実力差がわかる。弾幕戦闘ならともかく、近接戦ではおそらく勝ち目がない。
十メートルはあったであろう距離を一足飛びに、しかも捉えられない速度で踏み込んできたその身体能力は恐るべきものだった。
彼我の距離はおよそ五メートル。すでに間合いの中と言っていい。
どうする? 慧音の思考がまとまる前に美鈴の姿が再びかき消える。
体が動いたのはほぼ反射によるものだったろう。慧音の目に自分の胸部に打ち込まれようとする拳がスローに移る。
「美鈴、やめなさい!!」
透き通るような高い声が響き渡る。その声に反応して慧音も美鈴も動きを止めた。
慧音の鳩尾十センチ手前で拳は止まっていた。
「さ、咲夜さん……!」
慌てて飛びのく美鈴。
「私はここのメイド長をしている十六夜咲夜。この霧の中わざわざ訪ねてきたあなたは誰?」
挑戦するような物言いが鼻につくが、ここは耐える。
「私は人里を守護している上白沢慧音という。この霧を消すようにあなたの主人にお願いできないだろうか」
「それは無理ですわね」
「何故だ!?」
「お嬢様の意思は何者にも勝ります。お嬢様が望まれるままに動くのがメイドの仕事。この霧を発生させたのもお嬢様の意思ならば、それを邪魔させるわけにはいかない」
なんの迷いもない口調。洗脳や催眠術とかそういった類ではない。おそらく彼女は自分の意思でレミリアに忠誠を誓っているのだ。恐怖だけではない。人心を引きつけるカリスマをもった女性像として慧音の中のレミリア像が修正された。
「なら、力づくでも止めさせる!!」
懐からスペルカードを取り出そうとした瞬間、慧音の世界が色を失う。
「なんだ、これ……は……」
次に体の感覚がなくなっていく。体の感覚がなくなり呼吸しているかすら危うくなる。
「あなたの時間はわたしのもの。ここで殺しはしないから安心して。でもこれは警告よ。これ以上お嬢様の邪魔をするなら容赦しない。霧が出ているのはおそらく夏が終わるまでのはず。あと一月ほど我慢すればいいだけよ」
「ふ……ける……な」
ふざけるな、と叫ぼうとしたが口が動いているのか、そもそも声が出ているのかすらわからない。
次第に視界が白くなっていく。目の前の咲夜や美鈴の姿が透明になって消える。
五感の時間を止められた慧音の頭に声が響く。
「もう一度言うわ。これは警告。これ以上邪魔をするようなら……ヘタをすれば死んでもらうことになるかもね。あなたも、あなたの大切な村人にも、ね」
その言葉を最後に咲夜の声が聞こえなくなった。外界からのすべての刺激が失せ、真っ白な世界に放り出されたところで慧音の意識は途絶えた。
美鈴から見れば慧音が急に倒れ付したようにしか見えなかった。おそらく咲夜が何かしたのだろうということまではわかったが、それが何かまでは見当もつかなかった。
「彼女の時間を少し止めただけよ。時間の止まった世界で動けるのは私だけ。――美鈴、悪いけどそこに倒れてるのを湖岸にでも転がしておいて。それから、次からは問答無用で叩き落しなさい。警告はいらないわ」
「あ、は、はいっ! わかりましたぁ!」
首を何度も縦に振り、慌てて慧音を担ぎ上げて飛んでいく美鈴。
それを見上げつつ、何事か思案する咲夜。
慧音に言った事は決して嘘ではない。レミリアの為なら里の人間くらい殺してもいいと咲夜は考えている。
人の身でありながら、妖怪や悪魔と暮らしている咲夜に同属意識は少ない。だが、事は穏便に済ませたかった。レミリアに知れれば、里の人間は皆殺しなどと言い出しかねない。
紅魔館も食器や一部の食料等を人里から仕入れているので、皆殺しなどされては困る。
だが慧音の事は何か対策を立てねばならないだろう。慧音の必死の表情を思い出す。あの調子ならまた紅魔館に乗り込んできかねない。
「毎度の事とはいえ、お嬢様のなさることのフォローは大変だわ……」
あまり大変そうでもない表情でそう呟き、咲夜は館の中へ戻るのだった。
慧音が目覚めるとそこは湖岸だった。あたりに霧が漂い始めているところをみると夕方だろうか。
成す術もなく追い返された自分の無力さに腹が立ち、思わず地面を殴りつける。所詮自分はこの程度だったのか、と。
絶望に打ちひしがれる慧音の脳裏に咲夜の言葉が思い出される。
「いざとなったら村人も手にかけるだと……。くそっふざけるのもいい加減にしろ!」
再度地面を叩く。
霧の犯人が紅魔館だとわかった。同時に紅魔館を敵に回した。だが、慧音はこのまま引き下がる気にもなれなかった。
「――村へ戻ろう」
村を守るのは自分の役目だ。もし紅魔館が本当に村人を殺すというなら、それらから村を護らねばならない。
咲夜の能力の影響でいまだに悲鳴をあげる体に鞭打って慧音は村へ戻っていった。
その夜。紅魔館のメイド長用執務室。そこに咲夜と五人のメイドがいた。
「すまないわね。忙しいところを呼び出して」
「いえ、メイド長のお呼びとあらば」
咲夜は机に腰掛、残りの五人は床に膝を着いていた。
「昼間の騒動は知っているわね? 上白沢慧音の事よ」
「はい、メイド達の間でもしきりに噂になっておりましたから」
あの後、村に出入りしているメイドから慧音の事を調べた咲夜。村を守護しているという半獣半人。実力もそれなりにあるようで、思った以上に厄介な相手だった。
咲夜は机から立ち上がり、彼女らの前に立つ。
「このまま放置すれば彼女はまたやってくるでしょう。今回は昼間でお嬢様には知られなかったものの、また来てそれがお嬢様の耳に入ると非常に厄介なのよ」
「と、いうことは」
「ええ。それがあなた達を呼んだ理由。殺せ、とまでは言わないわ。上白沢慧音が村から動けないように細工してほしいの。せめて夏が終わるこの一月の間はね」
「なるほど。納得がいきました」
彼女達五人は普通のメイドではない。館を護る護衛用のメイドのうちでも、更に特殊な能力をもった五人であった。
昼間、あの後戻ってきた美鈴に人選を任せたのだが、さすがというべきかいい人材を選んでくれた。
「足止めですか。方法はどのように?」
五人のうちの一人、黒髪を肩口で切りそろえたメイドが質問する。
「方法は任せるわ。ただし、出していい犠牲は五人までよ」
咲夜は己の心の中にある迷いを断ち切るように冷たく言い放つ。
「それだけあれば充分です。きっちり一月の間見事足止めしてみせましょう」
「最後に。紅魔館の仕業とバレるのはまずいわ。後々面倒な事にもなりかねない。だから、その着ているメイド服はここに置いていって頂戴」
さすがにその言葉に息を呑む五人。メイドとしての誇りをもっている彼女らにそれを捨てろというのだ。躊躇うのも仕方がなかろう。
「――わかりました。いざとなれば我々の独断という事で構いません」
五人のうち、リーダー格と思わしき女性がエプロンを脱ぎ、丁寧に畳んで咲夜の机の上に置く。
それに続くように残りの四人もエプロンを脱いで机に置く。
「悪いわね。損な役回りを押し付けてしまって……」
「気にしないでください。その代わり帰って来たらメイド長の奢りで食べ放題です」
「あ、私はデザートがいいなー」
「私は配置換えのほうが……」
「私レミリア様付きがいいなー」
おもいおもいに望みを語る彼女らを複雑な表情で見つめる咲夜。
「いいわ。無事帰って来たら何でも言う事聞いてあげるわ」
歓声があがる。
しかし、無事に帰ってこれるという保証は、彼女ら自身にも咲夜にもなかった。人里とて無力ではない。強力な術者は何人もいるし、妖怪として忍び込むからには問答無用で切り捨てられても文句は言えない。だが、彼女らはそんなことはおくびにも出さない。
彼女らはその能力や生い立ちゆえに同じメイドや戦闘部隊からも疎まれる日陰の存在であったのだ。それが日の目を見る事になったのだ。例え命を失ってもレミリア様の為になるなら後悔はない。
「最後に、あなた達の名前をもう一度教えてくれる?」
手元の書類を見ればわかるのだが、あえて本人達の口から聞きたかった。
五人のメイド達は次々にひくい声で名乗った。
「ジェリル」
「ペトルーシュカ」
「ティパール」
「由良」
「エクトリオ」
ふと窓の外を見た咲夜が振り返った時にはもう彼女らの姿は霞の如く消えていた。
残っていたのは机の上に置かれた五人分のエプロンだけであった。
幻想郷の気候は温暖湿潤なので、暑いだけでなく蒸す。そのため必然的にまとわりつくような暑さに悩まされることになる。人妖の区別なく暑さと戦っていくのが幻想郷の夏であった。
そして、その問題が人一番深刻なのが紅魔館である。
主である吸血鬼レミリアが日光に弱い為窓が存在しない。窓がないということは換気ができないということ。さらに館の周囲が湖なので湿度も並ではない。
夏の紅魔館というのは近年までは灼熱地獄の代名詞であった。
最近になって、やっとパチュリーが重い腰をあげ、シルフを封じた魔法球を館の各所に配置し、風を起こすことで、湿度の問題は一応の解決を見た。お気に入りの本が湿気でやられた為だというのは小悪魔だけが知っていた。
だが、いかなパチュリーでも暑さだけはどうにもならない。そして今日も今日とてうだるような暑さの中、メイド達は額に汗して仕事に精を出すのであった。
「暑い、暑いわ咲夜。なんとかしてちょうだい」
レミリアが毎日のようにこんなセリフを言うのも仕方ないのかもしれない。当主であるレミリアの部屋は魔法等により、紅魔館で一番快適なのだがそれでもこの少女は満足できないらしい。
「どうぞ。最高級の茶葉を使ったアイスミルクティーでございます」
対応する咲夜も慣れたもので、即座に冷たい飲み物を差し出す。レミリアの我侭に付き合っていたらキリがないとわかっていた。いつもならこれで終了する。だがその日のレミリアは違っていた。
「それもこれもあの太陽がいけないのよ。あれさえなければ昼も夜も私の時間になるというのに! ああ、憎しみで太陽を隠せたら……!!」
忌々しげに天井を見上げる。実際に太陽を見上げれば瞬時に灰になることだろう。
「そうだわ――太陽が邪魔なら隠してしまえばいいのよ!」
「は?」
咲夜も数年来の付き合いではあるが、今だのこの幼い主が何を考えているのかわからない時がある。そして、今がその時だった。
「そうと決まればパチェに相談しないとだめね。咲夜、パチェは図書館?」
「はい。いつも通り図書館におられますが」
というか図書館以外にいる事を見た事が無い。
「わかったわ。じゃちょっと行って来るわね」
言うが早いか、レミリアは扉を開け廊下を高速で飛んでいった。取り残される咲夜。
ため息を一つ付くと、口をつけられていないミルクティーをちうと一口啜るのだった。
「というわけなのよパチェ」
「……何の事かわからないけどわかったわ。まずは最初から説明してくれる?」
本から視線を逸らさず切り返す。このはた迷惑な親友の唐突さにはとっくに慣れていた。
「いい? この暑さは非常に厄介よね。昼は寝苦しいし、シャワーはぬるい! パチェだって湿気は嫌だっていってたわよね」
確かにそんなことを言った覚えはある。湿気は本を保存する上で天敵。その為、図書館内は徹底した湿気対策が施されている。
「けど、そんな対処療法じゃどうしようもないわ。病気は根元から絶たないとだめよ!」
「で、どうするの?」
ため息交じりに聞き返す。どうせろくでもない事なのはわかりきっている。
レミリアの運命操作の能力でなんとかしようにも、暑いのは土地柄と季節のせいである。いくら運命を操ろうともどうしようもない。
「簡単よ。太陽を隠してしまえばいいのよ。というわけでパチェ。どうやったら隠せるか考えて!」
持っていた魔道書の角でニコニコ笑う顔を殴りたくなった。まさか何も考えていないとは。
「……霧でも出せばいいんじゃないの?」
投げやり気味に応える。
自分で考える頭はないのだろうか。そもそも吸血鬼には脳なんてないんだったかしら。
パチュリーは真面目にレミリアの相手する気はゼロだった。幾ら親友といえども許容範囲というものがあるのだ。
だがその親友は、
「それよ! さすがパチェね。天才だわ! ふふふ、霧で覆ってしまえば邪魔な日光も少なくて済むわね。となるとちょっと私一人じゃきついわね。儀式魔術でないと無理そう。パチェ用意お願いね」
と、のたまわれた。
適当に言った発言を真に受けてさらに実行に移すつもりだ。
「――はいはい。準備するから明日まで待って頂戴」
こうなったレミリアには、反抗しても無駄なのはわかっているので素直に従う。
儀式魔術を行うとなれば準備に時間がかかる。だが、その分効果は絶大。それにレミリアの魔力を上乗せさせられるとなれば、魔術師としては好奇心をそそられないわけがない。
魔法研究の観察対象としてもかけがえのない親友であった。
次の日。レミリアの私室にパチュリー、レミリア、咲夜の3人が集まった。
部屋の中央には巨大な魔法陣。
「この中央で霧を放出すればいいのね?」
「ええ、そうすればレミィの魔力を増幅させて幻想郷中に広まるわ。一度出してしまえばレミィの魔力を勝手に消費して維持されるから、常に魔法陣で集中し続けている必要はないわ」
淡々と説明するパチュリー。だがその瞳には期待の色があった。
咲夜の表情はいつもどおりの鉄面皮。レミリアは子供のようにウキウキ上機嫌。
「それじゃ――行くわよ」
レミリアは目を閉じ、広げた両手をそっと胸に当てた。それがどのような意味を持つのかはパチュリーも咲夜も知らない。だが、本人は気に入っているようだ。
レミリアの体が赤く淡く光ったかと思うと、光が粒子となり、すぐにレミリアの体から霧がにじみ出る。それをパチュリーがレミリアの周囲に展開した転移魔法陣で外で放出する。
窓のない紅魔館なのでこうでもしないと外に流れていかないのだ。
紅魔館から立ち上る赤い色の不気味な霧。上空から見るものがいればさぞ奇妙な光景であったろう。
「あれがレミリア様の霧か。すごいなぁ~」
湖の対岸で霧の攪拌を確かめる美鈴。彼女は今回の儀式の結果を確かめるよう命令され、ここに待機していたのだった。
のほほんと霧を見つめる美鈴。暑かろうが寒かろうが常に門番として勤務する彼女とっては、どうでもいいことだった。
「まぁ涼しくなれば過ごし易くなるのはいいか。さて、咲夜さんに報告報告っと」
儀式を開始して三十分。
様子見をさせていた美鈴から、幻想郷のほぼ全ての地域に霧が充満したとの報告を聞いて、儀式は終了となった。
「さて、これで暑さとはおさらばよ! 咲夜、今日の晩御飯はハンバーグよ!」
「かしこまりました」
嬉しそうに跳ね回るレミリアを見ているとこっちまで頬が緩んでくる。
今日の夕食はちょっと豪勢に行こうと咲夜は考えていた。
だが、この霧がレミリアのみならず、咲夜、パチュリー、そして地下のフランドールの今後の運命を変える出来事になろうとはこの時、誰も予想していなかった。
以上が俗に言う紅霧異変の発端である。
朝。
薄暗い部屋の中、布団から起きる。雨戸の隙間から漏れる日の光は今日も弱弱しい。
雨戸を開ければ紅く煙る世界。
「やれやれ。今日もまたこの霧か……」
上白沢慧音は三日前から発生した紅い霧に頭を頭を悩ませていた。
三日前に突如として発生したこの紅霧は瞬く間に幻想郷を覆い尽くした。それは人里も例外ではない。
明らかに自然のものとは違う霧に慧音は早速調査に乗り出した。当初は霧の妖怪かと警戒もしたが、調査を進めるにつれ霧は紅いというだけで基本的に無害と判明した。
ある程度微量な魔力が含まれているようなので、感受性の強い人や抵抗力の低い子供が魔力に当てられて調子を崩した以外は目立った被害はない。
視界が悪いため、馬などの人を轢く可能性のあるものは使用を禁じたので、多少生活が不便になった以外人里に問題はなかった。
その為、慧音も消極的な調査しかできず三日が経過したのだった。
「いくら害がないといってもこのままではなぁ……」
この霧、不思議なことに日中は上空をたゆたい、夜になると地上まで覆いつくしてしまう。まるで生き物のようだ。
慧音は少なくとも何らかの意思が霧にあると思っている。霧の妖怪もいないわけではないが、その割には三日も目立った被害がない。
この三日間は様子見していたが、この調子なら大丈夫だろう。
思い立ったが吉日。里のものに注意を促したあと、慧音は霧の原因を求めて空へ飛んだ。
発生源、というか発生させそうな人物には幾つか心当たりがあった。
まずは永遠亭。
詳しい場所まではわからないがおおよその位置は見当がついている。里から少し離れた深い密林の奥。そこに永遠亭は存在した。
まさか乗り込んで聞くわけにもいかないので、竹林の上空を旋回。見た感じ異常はなさそうである。
念の為、様子見に出てきたブレザーの兎に聞いてみたが、そんなことするわけないじゃないと逆に怒られ、弾を射掛けられたので早々に退散することにした。
次は幽冥結界。
雲の上に存在する巨大な冥界の門。話によれば、白玉楼の主の西行寺はかなり変わった性格らしい。慧音も噂ばかりなのでよくは知らない。だが、冥界をの主なだけに何をしてかしてもおかしくはないと思っていた。しかし、冥界へと繋がる門の前では騒霊姉妹の末っ子が演奏しているだけだった。
「霧? 知らない知らない。あれのおかげでこっちが迷惑してるくらいだし。それより一曲聴いていかない? ですめたとかいう変な音を見つけたのよ」
よくわからない騒音まがいの曲は慧音にはまったく理解できなかった。
「残るはあそこか……」
湖の中心に位置する紅魔館。そしてその主のレミリア。
直接に会ったことはない。せいぜい里の市場に物を買いに来る紅魔館のメイドを見かけるだけだ。
500年生きてきた女吸血鬼。里の人間に被害が無い辺り、案外話は通じるかもしれない。だが、逆に一番の危険人物の可能性もあった。慧音の中ではレミリア・スカーレットというのは妖艶な美女としてイメージされていた。
そろそろ湖が見えてくるかというところで異変に気づく。
昼だというのに湖がすっぽり霧で覆われているのだ。霧の濃度もそこだけ異様なほど濃い。これはただ事ではない。
おおよその紅魔館のある島の位置に見当をつけ、霧の中へ突っ込む。視界の悪い霧の中、迷うことなくまっすぐ飛ぶことで迷う事を防ぐ。
視界を埋め尽くす霧の中では時間間隔すら危うい。おおよそ十分ほど飛んだだろうか。急に視界が開ける。
慧音の視界に飛び込んできたのは全てが紅く塗られた巨大な館。言うまでも無く紅魔館である。
霧から慧音が姿を現すと同時に襲い掛かってくるメイド達。慌てて霧の中へ退避する。
「これは当たりかもしれないな……」
いきなり襲い掛かってくるという事態が異常。霧の事で警戒しているだけの可能性もあるので声をかけてみることにした。
「待ってくれ! 私は敵じゃない! この霧の事で主のレミリアに話があるんだ!」
これが返答とばかりに霧に打ち込まれる弾幕。
なにはともあれ、あのメイド達を倒さなければ話をすることすら無理らしい。
霧に打ち込んだ弾幕に手ごたえはなかった。だが、気配は消えていない。紅魔館周辺の護衛担当のメイド達は警戒して辺りを警戒する。右手の霧に慧音の影。三人で一斉に攻撃。霧から姿を現した慧音はメイド達の弾幕の直撃を食らう。
「やった!」
そうメイド達が思った瞬間。慧音の姿がガラスの如く砕け散る。
メイド達が驚くのと同時に背後から声。
――国符「三種の神器 鏡」
呆気に取られているメイド達に手刀を振るい、振り向く間もなく気絶させる。
「ふう、やれやれ。これじゃ先が思いやられるな」
霧から現れたのは幻影の慧音。実態は霧に紛れて背後に回っていたというわけだ。
メイド達を地面に寝かすと、紅魔館の正門へ向かう。さぁここからが正念場。
並木道を進むと大きな門が見えてきた。大きさに反し、飾り気はあまりない。だがその門の前に立つ人物一人。
腕を組み、足をしっかりと踏みすえて立つ彼女の視線はしっかりとこちらを捉えていた。
「こちらに一体なんの御用でしょうか?」
低くドスの利いた、だが良く通る声が誰何する。
「私は上白沢慧音。この霧の事についてレミリア・スカーレット嬢に聞きたい事があってきた」
喋りながら後ろに一歩下がったのは幸運というべきだったろう。
慧音の言葉が終わると同時に、今まで慧音の頭のあった位置を爪先が通り過ぎていた。一歩下がっていなければ頭を砕かれていたかもしれない。それほどの凄まじい蹴撃。
「私は門番の紅美鈴。誰も通すなと厳命されてまして。すいませんがお引取りいただけないでしょうか」
美鈴が片足を振りぬいた姿勢から即座に構えなおす。
慧音の背中を冷たい汗が流れ落ちる。慧音も格闘の心得がないわけではない。だからこそ相手との実力差がわかる。弾幕戦闘ならともかく、近接戦ではおそらく勝ち目がない。
十メートルはあったであろう距離を一足飛びに、しかも捉えられない速度で踏み込んできたその身体能力は恐るべきものだった。
彼我の距離はおよそ五メートル。すでに間合いの中と言っていい。
どうする? 慧音の思考がまとまる前に美鈴の姿が再びかき消える。
体が動いたのはほぼ反射によるものだったろう。慧音の目に自分の胸部に打ち込まれようとする拳がスローに移る。
「美鈴、やめなさい!!」
透き通るような高い声が響き渡る。その声に反応して慧音も美鈴も動きを止めた。
慧音の鳩尾十センチ手前で拳は止まっていた。
「さ、咲夜さん……!」
慌てて飛びのく美鈴。
「私はここのメイド長をしている十六夜咲夜。この霧の中わざわざ訪ねてきたあなたは誰?」
挑戦するような物言いが鼻につくが、ここは耐える。
「私は人里を守護している上白沢慧音という。この霧を消すようにあなたの主人にお願いできないだろうか」
「それは無理ですわね」
「何故だ!?」
「お嬢様の意思は何者にも勝ります。お嬢様が望まれるままに動くのがメイドの仕事。この霧を発生させたのもお嬢様の意思ならば、それを邪魔させるわけにはいかない」
なんの迷いもない口調。洗脳や催眠術とかそういった類ではない。おそらく彼女は自分の意思でレミリアに忠誠を誓っているのだ。恐怖だけではない。人心を引きつけるカリスマをもった女性像として慧音の中のレミリア像が修正された。
「なら、力づくでも止めさせる!!」
懐からスペルカードを取り出そうとした瞬間、慧音の世界が色を失う。
「なんだ、これ……は……」
次に体の感覚がなくなっていく。体の感覚がなくなり呼吸しているかすら危うくなる。
「あなたの時間はわたしのもの。ここで殺しはしないから安心して。でもこれは警告よ。これ以上お嬢様の邪魔をするなら容赦しない。霧が出ているのはおそらく夏が終わるまでのはず。あと一月ほど我慢すればいいだけよ」
「ふ……ける……な」
ふざけるな、と叫ぼうとしたが口が動いているのか、そもそも声が出ているのかすらわからない。
次第に視界が白くなっていく。目の前の咲夜や美鈴の姿が透明になって消える。
五感の時間を止められた慧音の頭に声が響く。
「もう一度言うわ。これは警告。これ以上邪魔をするようなら……ヘタをすれば死んでもらうことになるかもね。あなたも、あなたの大切な村人にも、ね」
その言葉を最後に咲夜の声が聞こえなくなった。外界からのすべての刺激が失せ、真っ白な世界に放り出されたところで慧音の意識は途絶えた。
美鈴から見れば慧音が急に倒れ付したようにしか見えなかった。おそらく咲夜が何かしたのだろうということまではわかったが、それが何かまでは見当もつかなかった。
「彼女の時間を少し止めただけよ。時間の止まった世界で動けるのは私だけ。――美鈴、悪いけどそこに倒れてるのを湖岸にでも転がしておいて。それから、次からは問答無用で叩き落しなさい。警告はいらないわ」
「あ、は、はいっ! わかりましたぁ!」
首を何度も縦に振り、慌てて慧音を担ぎ上げて飛んでいく美鈴。
それを見上げつつ、何事か思案する咲夜。
慧音に言った事は決して嘘ではない。レミリアの為なら里の人間くらい殺してもいいと咲夜は考えている。
人の身でありながら、妖怪や悪魔と暮らしている咲夜に同属意識は少ない。だが、事は穏便に済ませたかった。レミリアに知れれば、里の人間は皆殺しなどと言い出しかねない。
紅魔館も食器や一部の食料等を人里から仕入れているので、皆殺しなどされては困る。
だが慧音の事は何か対策を立てねばならないだろう。慧音の必死の表情を思い出す。あの調子ならまた紅魔館に乗り込んできかねない。
「毎度の事とはいえ、お嬢様のなさることのフォローは大変だわ……」
あまり大変そうでもない表情でそう呟き、咲夜は館の中へ戻るのだった。
慧音が目覚めるとそこは湖岸だった。あたりに霧が漂い始めているところをみると夕方だろうか。
成す術もなく追い返された自分の無力さに腹が立ち、思わず地面を殴りつける。所詮自分はこの程度だったのか、と。
絶望に打ちひしがれる慧音の脳裏に咲夜の言葉が思い出される。
「いざとなったら村人も手にかけるだと……。くそっふざけるのもいい加減にしろ!」
再度地面を叩く。
霧の犯人が紅魔館だとわかった。同時に紅魔館を敵に回した。だが、慧音はこのまま引き下がる気にもなれなかった。
「――村へ戻ろう」
村を守るのは自分の役目だ。もし紅魔館が本当に村人を殺すというなら、それらから村を護らねばならない。
咲夜の能力の影響でいまだに悲鳴をあげる体に鞭打って慧音は村へ戻っていった。
その夜。紅魔館のメイド長用執務室。そこに咲夜と五人のメイドがいた。
「すまないわね。忙しいところを呼び出して」
「いえ、メイド長のお呼びとあらば」
咲夜は机に腰掛、残りの五人は床に膝を着いていた。
「昼間の騒動は知っているわね? 上白沢慧音の事よ」
「はい、メイド達の間でもしきりに噂になっておりましたから」
あの後、村に出入りしているメイドから慧音の事を調べた咲夜。村を守護しているという半獣半人。実力もそれなりにあるようで、思った以上に厄介な相手だった。
咲夜は机から立ち上がり、彼女らの前に立つ。
「このまま放置すれば彼女はまたやってくるでしょう。今回は昼間でお嬢様には知られなかったものの、また来てそれがお嬢様の耳に入ると非常に厄介なのよ」
「と、いうことは」
「ええ。それがあなた達を呼んだ理由。殺せ、とまでは言わないわ。上白沢慧音が村から動けないように細工してほしいの。せめて夏が終わるこの一月の間はね」
「なるほど。納得がいきました」
彼女達五人は普通のメイドではない。館を護る護衛用のメイドのうちでも、更に特殊な能力をもった五人であった。
昼間、あの後戻ってきた美鈴に人選を任せたのだが、さすがというべきかいい人材を選んでくれた。
「足止めですか。方法はどのように?」
五人のうちの一人、黒髪を肩口で切りそろえたメイドが質問する。
「方法は任せるわ。ただし、出していい犠牲は五人までよ」
咲夜は己の心の中にある迷いを断ち切るように冷たく言い放つ。
「それだけあれば充分です。きっちり一月の間見事足止めしてみせましょう」
「最後に。紅魔館の仕業とバレるのはまずいわ。後々面倒な事にもなりかねない。だから、その着ているメイド服はここに置いていって頂戴」
さすがにその言葉に息を呑む五人。メイドとしての誇りをもっている彼女らにそれを捨てろというのだ。躊躇うのも仕方がなかろう。
「――わかりました。いざとなれば我々の独断という事で構いません」
五人のうち、リーダー格と思わしき女性がエプロンを脱ぎ、丁寧に畳んで咲夜の机の上に置く。
それに続くように残りの四人もエプロンを脱いで机に置く。
「悪いわね。損な役回りを押し付けてしまって……」
「気にしないでください。その代わり帰って来たらメイド長の奢りで食べ放題です」
「あ、私はデザートがいいなー」
「私は配置換えのほうが……」
「私レミリア様付きがいいなー」
おもいおもいに望みを語る彼女らを複雑な表情で見つめる咲夜。
「いいわ。無事帰って来たら何でも言う事聞いてあげるわ」
歓声があがる。
しかし、無事に帰ってこれるという保証は、彼女ら自身にも咲夜にもなかった。人里とて無力ではない。強力な術者は何人もいるし、妖怪として忍び込むからには問答無用で切り捨てられても文句は言えない。だが、彼女らはそんなことはおくびにも出さない。
彼女らはその能力や生い立ちゆえに同じメイドや戦闘部隊からも疎まれる日陰の存在であったのだ。それが日の目を見る事になったのだ。例え命を失ってもレミリア様の為になるなら後悔はない。
「最後に、あなた達の名前をもう一度教えてくれる?」
手元の書類を見ればわかるのだが、あえて本人達の口から聞きたかった。
五人のメイド達は次々にひくい声で名乗った。
「ジェリル」
「ペトルーシュカ」
「ティパール」
「由良」
「エクトリオ」
ふと窓の外を見た咲夜が振り返った時にはもう彼女らの姿は霞の如く消えていた。
残っていたのは机の上に置かれた五人分のエプロンだけであった。
続編が出るそうなので、とりあえずはフリーで。期待して待ってます。
あと気になった点なのですが。
件の霧、レミリアは指先から普通に放出できるものだったはずなのですが……。
ソレを踏まえた上でのオリ設定だったら失礼致しました。
ただ、どうしても気になったので。
個人的にレミリアが胸に手をあてるのは、カッコイイとかいう問題じゃないかっすかね。
このレミリアはカリスマよりも幼さのほうが出ているからそう思っただけですが。