Coolier - 新生・東方創想話

天狗と野火と白澤と

2006/08/02 05:16:45
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 初夏を迎える竹林は、吹き抜ける風のさざなみに揺れていた。
 少しずつ強さを増す陽光を受け流す竹の群れは、自らの足元にまばらな光の模様を作り、
そこを歩くものを出迎える。一瞬、かさりと音を立てて模様の中に影が差すのは、小動物
が駆け抜けていくからだろう。本来は多様な植物相に動物達は居を構えるものだが、意外
なことに竹林以外はほとんど存在していないこの場所でも動物達は数多く暮らしている。
珍しいことに虎を見た、という者までいるとのことだ。さすがに熊猫はいないらしいが。
 この節くれだった森は、里の外れから近くの山の裾野まで、大きくその緑色を広げてい
る。元々狩るような動物もいないので普通の者はあまり奥まで立ち入らず、ある一定の場
所までしかその足を伸ばさない。言うなれば人跡未到。そのせいか、不思議な伝承には事
欠かない場所でもある。
 曰く、巨大な屋敷がある、火の鳥が出る、迷ったら兎が道案内してくれる、など。
 ―――実を言えば、そのどれもが真実なのだが。
 瓢箪から駒が出る日常。それがここ、幻想郷であった。

 音を立てて伸びているような錯覚を覚える、背の高い竹の群れ。
 その奥に、ひっそりとその一軒家はあった。
 人が住んでいるのか、と疑ってしまうほどに古い佇まいの小さな庵。しかし漆喰の壁が
新しく塗りなおされていることと、茅葺の屋根が綺麗に整っているところからして、今も
なお誰かが住んでいる―――この家が生きているというのは確かに見て取れる。
 よく見れば、そばには小さな窯があり、その横には竹が山と積んである。おそらくは炭
焼きに使う窯なのだろう、土製と石製が一つずつ、あわせて二つ横に並べてある。
 静かな竹林に小さな庵と窯二つ。その絵は、水墨画にでも書けば似つかわしいほど、様
になっている―――

 その庵が突然火を吹いた。
 もちろん情緒など原型を留めず全て台無しである。

 続いてその炎から逃れるように、布一枚で外と内を隔てた入り口から、白いブラウスに
黒いスカート姿の少女が飛び出してくる。片手にはメモ帳と万年筆、もう片方にはうちわ
を持っている。
「妹紅さんちょっと怒りっぽすぎませんかー!?」
 その顔には慌てたような驚いたような表情。ただし口元は笑っているので余裕は多分に
あるらしく、自信家か、何か動物をからかって遊んでいる子供のような印象があった。
「やかましい、いい加減に周りをちょろちょろしてからに、挙句に妙な勘繰りしてくる方
が悪い!! いっぺん焼き鳥にして虎の餌にしてやる!!」
 その後ろから燃え盛る羽を広げて飛び出す姿は、この庵の住人、藤原妹紅である。赤と
白でまとめた、ブラウスとモンペの和洋折衷が不思議と似合っている。ただしその顔は普
段の絹のような白ではなく、鮮やかな薄紅色に染まっていて、自慢の長い銀髪ははしたな
く振り乱されている。ある意味妖艶ともいえなくはない。が、この状況においてはどちら
かというと子供っぽいという形容が良く合う。
「えー、でも慧音さん、三日にあげず通ってきてるじゃないですか。つまりそれって」
「だから止めろって言うのよ馬鹿天狗ー!!」
 悲鳴のようないっぱいいっぱいの罵声。続いて飛んでくるあてずっぽうの炎塊。
 ―――やばい、これは面白い。
 馬鹿と呼ばれた鴉天狗、射命丸文は心の底からそう思った。
 元々妖怪なので人間は襲うもの、からかうものとの認識は強くあったが、なによりこの
人間は打てば響く大鐘のごとく真っ直ぐに感情をぶつけてくるから楽しい。
 語弊を恐れずに言えば、可愛いのだ。
 仲のいい友人との間柄を勘ぐられては真っ赤になって怒り出し、都合の悪い所を差され
れば目が泳ぎだす。そのころころ変わる表情が、言うなれば可愛いのである。
 からかう側にしてみればこれほど素晴らしい逸材はない。文自身、取材を忘れていろい
ろと突いてしまった。その結果がこの熱い追いかけっこである。
「あちち……さて、こうしているのも楽しいですけど、そろそろ他の記事について裏を取
ってこないと。そういうわけで、ちょっと名残惜しいのですが」
 すでに舞台は竹林の真っ只中へと移っている。少しでも身の振りを間違えれば激突しか
ねない速度で、しかし文は全くその速度を緩めることもなく後ろを向いた。その先には、
竹を豪快になぎ倒し焼き払いつつ突き進む不死鳥一匹。
「妹紅さんすいませーん!! 今日はこの辺で失礼させていただきますねー!!」
「……あ?」
 いぶかしむ妹紅。
 しかし文は気にもかけず、左手に握った団扇を大きく振り下ろす。

 轟!

 風神一扇。
 唐突に、殴りつけるような勢いで竹林を駆け抜けた。
 妹紅が慌てて制動をかけ、いきなり吹きつけた暴風を受け止める。
 構えを解いた時には、すでに文は消えていた。
「ぐぐぐ、このやろー覚えてろー!!」



 §


「……それで、妙に髪が乱れているわけか」
「あはは、見苦しい姿で失礼します」
 文は照れつつ、あちこちに跳ねている黒髪を撫でつけた。風で乱れたのだ。
 まさに風来の如く竹林を辞した文は、近くの人間の里へ来ていた。
 彼女が一本足の高い歯をつけた妙な靴を脱いで正座し相対しているのは、この里を護っ
ているという珍しい妖怪―――半分だけだが、上白沢慧音だ。妖怪の間では色々と有名な
もので、文の新聞でもたびたび取り上げていることからして彼らの関心は高いようだ。
「あまりからかうと後が怖いぞ」
 苦笑しながら、慧音がそっと足を組替える。正座してのんびりと湯飲みを抱える様は妙
に似合っている。清楚、と言い切ってもいい。この庵にしても整然と片付いているのでそ
の雰囲気をより強調している。
 先ほど訪れた妹紅のとは大違いだ、と文は思った。何しろ竹細工に使っているらしき小
刀が転がっていたり、竹の削り屑が畳の目に挟まっていたりなど、女の子の部屋にしては
散らかっていた。来客があるときはきちんとしている、とのことだが、急な訪問だったの
で対処しきれなかったらしい。
 ……結局のところ、そこからは四半刻もたたずに追い出されてしまったのだが。
「まあ確かに怖いですけど、逃げ切る自信もありますので」
「噛まれないようにな。痛いから」
 にっこり笑って文が答える姿を見て、冗談めいた警句を言いながら慧音も笑った。
「それはそうと、用件はいいのか?」
「ああっと。忙しいようですし、手短に済ませますね」
 訪れた用件は、以前も新聞に載せた秘密結社の件と、歴史の学校についての続報だった。
忙しい大人はともかくとして、暇を持て余している子供はそこそこ訪れてきているようで、
今ではなんと隣の里からも来ている。出来るものを選ぶ弾幕ごっこ以外の娯楽に乏しい昨
今、どうやら子供たちは学ぶということを楽しんでくれるようだ。
「農閑期であれば子供以外も来てくれるのだけどなぁ」
 まあそれは仕方ないだろう。慧音はそんなことを言うと、風にあおられて踊っている、
蒼の混じった銀色の髪を撫で付けて笑った。その姿に、どこか先生らしい風格が出てきて
いるのも気のせいではないかも知れない。
「それで秘密結社のことについてですけど」
「……そうだな、歴史を探ってみたり、里からも何人か眼として出してみたんだが、今の
ところは息を潜めている。私がこういうことを始めたから無用に警戒をしている、とも取
れるが……まあこの間、妖怪の巣に手を出して痛い目にあったようだし、しばらくは動か
ないだろうな」
「妖怪の巣?」
 かの秘密結社も、実行部隊のようなものを抱えている、とのことだ。腕が立つ人間を集
め、妖怪討伐を行うために準備させているらしい。その話も文は聞き及んでいる。情報源
は他の天狗仲間。彼女は別の里を縄張りにしていて、そこから入ってきた話だ。
 ―――でも、痛い目にあったということは?
 首を傾げる文に、慧音はにやりと笑った。
「夜雀だ。取って食われるのは免れたそうだが、そいつら、鳥が食えなくなったらしい」
「それは素晴らしい」
 それで、互いに爆笑した。
「あー、お腹痛いです……にしても間抜けな話ですねぇ」
「全くだ。里にも腕の立つ者はいるし、元々そういう家系の連中ばかりが残っているとは
いえ、妖怪にはやはり手を出すべきじゃないさ。元来から種としての格が違う。腕が立つ
のならばそのくらいは自明だろう。……例の結社の連中は違うらしいが」
「でも最近は人を襲って食べない妖怪も増えているようですが」
「だったら仕事が減っていいのだけど。……恐ろしいものの定義、知っているか?」
 ふと慧音が急に表情を戻した。
 その様子に、文は少しいぶかしんだ。
「ええっと、怪物ので良ければ。―――人を襲わなければならない。正体不明でなければ
ならない。そして、不死身でなければ意味がない。ですよね?」
 そのとおりだ、と満足したように慧音は頷いた。

 ―――人を襲わなければ恐れられることはない。正体不明でなければその恐怖を続けさ
せることが出来ない。そして、不死身でなければ、その恐怖を断ち切られる。
 明快な論理である。そして妖怪が人を襲わなくなってきたからこそ、先の秘密結社のよ
うな者たちが出てきている。外界にしても、科学の光によって妖怪たちを解明し、結果と
して克服してきた。妖怪たちを迷信や幻想の類として封殺してしまったのである。恐怖の
正体さえ分かれば、それを克服してしまえる。無知への探求―――それが人間の強さなの
だと、慧音は知っている。良くも、悪くも。

「博麗の巫女でさえ、妖怪は封印するのが関の山。完全に殺しきることは出来ない。いわ
んや普通の人間や、だ。つまるところ、人を襲わなくなろうとも、妖怪は恐れるべき対象
だよ。彼らがいるからこそ、人の思い上がりもまたなくなる」
「人を護る側の方が随分といいますね」
「襲って来たら護るさ。私は人間が好きだからな。けれど、危害を加えないならわざわざ
手を出すこともないだろう。現在、人妖の力関係は均衡している。これが少しでも崩れれ
ば、外と同じく、妖怪を完全に排除するか、動き出した大妖怪が人間を滅ぼし尽くして、
多大な犠牲と引き換えに均衡を保つように計らうだろう。となれば、敵を倒すことより、
敵を作らない振る舞いの方が大切なんだよ。……第一、自ら危険に突っ込むような向こう
見ずは相手にしきれないし、罪人をかばうつもりもない。そこまでしてはさすがに、里の
人間にも地獄の閻魔様にも示しがつかないさ」
 子供ならともかくな、と慧音は苦笑気味に呟く。
 その様子を見て、文はふとある人物のことを思い出した。ついさっき、炎を撒き散らし
ながら追いかけっこをしていた、あの銀髪の人間である。
「その割には、妹紅さんの世話をよく焼いているようですが」
「むぐ」
 奇妙な声を出して、慧音がいきなり咳き込みだした。茶をすすり損ねたのか、妙なとこ
ろへと入ってしまったらしい。ずいぶんとわかりやすい反応をする、と文は笑い出しそう
な気持ちをかみ殺しながら思った。
「い、いやあれはだな」
「好きなんですよね?」
「……まあ、はっきりいってしまえば、そうなんだが」
 ふだんはあまり表情を崩すことのない慧音が、顔を赤らめて落ち着きを無くしている。
里の人間が見たら何事かと思うだろうか。こんな姿、年頃の少女と全く変わらない。見か
けの年が同じだけに、なおさらそう見える。
「とはいえ、妙な勘繰りを受ける間柄ではないよ。大事な友人、だ」
「ふふ、妹紅さんもそう言ってましたよ」
「……そうか」
 その言葉に、慧音はどこかくすぐったそうにため息をついた。柔らかな微笑。
 どういういきさつか、までは文も知らない。そも、彼女ら二人がいつ出会ったかも定か
ではない。それでも、どこか言い知れぬ絆を持っている、というのは何となく日頃の振る
舞いから悟れた。互いが互いに信頼を寄せているというのが、例えば勝手に家に上がって
いたり、気が付くと隣にいたり、などという振る舞いからも見て取れるのだ。
「でも、さすがに三日と空けずに通っていくのはどうかと。まるで恋人同士ですよ?」
「う。いやしかし、放っておくのが心配だから……って、取材は終わったはずだろう」
「あら、ここからは私の純粋な興味ですよ。まあ、そういう恋愛事情を記事にしてみるの
も面白いかも知れませんけどね。幻想郷中公認の仲とかにしてみたり」
「ちょ、ちょっと待てそれはよくない!!」
 慧音の声が裏返るのを聞きながら、文は内心大当たりだ、と確信して笑みを洩らしてい
た。英語で言えばジャックポットとかその辺である。
 実を言えば、すでにそういう記事はいくつか発行している。紅魔館の主が神社の巫女に
懸想してるだの、とある人形遣いの片想いしている相手、などなど。物理的・心理的圧力
などで発行中止にせざるを得なかったことも多いが。ちなみに裏づけらしきものは取って
いるようだが、プライバシー云々という観点により公開はしていない。まさにそういう意
味ではゴシップ。存在そのものが文の趣味の一端とも言える。ただ、そういった理由から
文の主観が多分に含まれていることも多く、信憑性は出がらしの茶よりも薄いが。
「……まあ、なんだ。あいつは目立つのをあまり好まないからな。記事にするのは遠慮し
てもらいたい。そっちは知らないだろうが、込み入った事情もある」
「んー、でも最近は目立つような事柄もありませんし……」
「いや、頼む」
「ですけど……やっぱり真実を伝えるのも新聞の―――あれ?」
 ふと文は、そんな問答をしているうち、違和感に気付いた。慧音の手元に目を通して、
ぎょっとなる。違和感の正体は、湯飲みの代わりに右手へ握られていたもの。
 草薙の剣。金色の刃を持つ、竜の胎内より出でた風雷を呼び雲を生む、炎と魔を払う両
刃の直剣。それが手品のように収まっていたのである。さらに、慧音の用いていた握りは
猫科の肉食動物の如き異様な掴み。超高速の斬撃を可能とする古流剣術の奥義、その骨子
となる技術である。
 ―――脅し方は、蓬莱人より巧いかも知れない。
 文は息を呑んだ。取り繕おうと出した声が少し震えている。
「……え、ええとまあ、とりあえず、プライバシーとかそういうものに配慮して先ほどの
話はオフレコということに。秘密結社と歴史学校の話で紙面も充分ですし」
「すまんな、助かる」
 そういって、にこやかに一礼する慧音。いつの間にか剣が消えている。文はその早業に
少し背筋を寒くした。この半獣の評価をもう少し上へ修正したほうがいいかも知れない。
気がつくと顎を削ぎ飛ばされていた、などというのは避けたかった。かかる天狗の伊達姿
は『ワーハクタク強し』の名を世に知らしむるものなり、とか。
「はい、どうもありがとうございました。それではこれで―――」
「あ、ちょっと待った」
「あ、はい何でしょう?」
 そそくさと立ち上がり、玄関で靴を履いたところで呼び止められる。
「もうそろそろ日も落ちるが、この後はどこに行くつもりだ?」
「ええっと……そうですね。妹紅さんに話を聞いておきたい記事もありますから、改めて
伺おうかと。なにしろ四半刻もいられませんでしたし」
「それは自業自得だと思うがな」
「そうですねぇ」
 文は苦笑して、靴を整えた。歩きにくそうな意匠ではあるが、彼女はまるで裸足のまま
みたいに立ち上がった。揺れもしない。平衡感覚が優れているのか、単純に慣れなのか。
「だが、この時間から竹林に行くのは止めておいた方がいい」
「どうしてです?」
「……まあ、なんだ。恐ろしいものが出るからな。最近も向こう見ずな人間が入っていっ
て、返り討ちにあっている。妖怪すらも倒しているようだから、相当強いのだろう」
「あはは、大丈夫ですよ。私も強いですから。でもご忠告ありがとうございます。一応は
注意しておきますね」
 にっこり笑って飛んでいった文を見送りながら、
「……まあ、仕方あるまい」

 どこか複雑な表情で、慧音は庵へと戻っていった。
 空は鮮やかな橙色に染まり、大きな影を地上に落としていた。


 §


「……そう、そういうこと。貴方に殺して欲しいモノがいるのよ。上手く行ったなら約束
通りに帰り道を教えてあげるし、なんならここに住んでもいいわ。どっちにしても、損は
ないわね。腕は立つんでしょう。なら大丈夫よね?」
「―――」
「ふふ、ありがとう。それじゃ、いってらっしゃい。案内は……鈴仙がやってくれるわ」
「――――――ふう、やれやれ。久しぶりに色々でっち上げたから、疲れたわ」
「お疲れ様です、姫。……しかし、あんな人間を刺客にするだなんて」
「だから、恨み半分興味半分よ。それにあの男が持っていた筒にも興味があったし。ひょ
っとしたら殺しきれるかも知れないわよ?」
「本気で言っているとは思えませんわねぇ……ふふふ」
「……うふふ」


 §


 ある程度まで進んだところで、文は竹林の中へと降り立った。
 日も大分落ちた竹林は、昼間とは随分違った印象を与えてきている。あれだけ明るかっ
た足元はもつれそうなほど暗く、まるで鬱蒼と茂る深い森の中だ。確かに先刻慧音が言っ
たように、何か恐ろしいものが出ても不思議ではないかも知れない。
「でもまあ、大丈夫ですね」
 だが文は気楽だった。風を操る天狗―――指先一つでかまいたちすら巻き起こし、扇を
振るえば妖嵐暴風をたちまち撒き散らす存在に、並の人間妖怪が敵うはずない。そう確信
していた。もちろん、自惚れではなく事実である。
 ただ、一つ忘れていることがある。幻想郷の中では、天狗の力など霞んでしまうほどに、
強い力を奮える存在が生きていることだ。このときばかりは、取材のことに気を取られて
思い当たることを忘れてしまっていた。

 だから、文は出会ってしまった。
 竹林をすり抜けて煌々と光る、赤く紅い妖しき火に。

「―――あれは?」
 思わず足を止めて、その光を凝視する。目に痛い色彩が、竹林の奥で揺らめいている。
そこだけが妙に開けていて、一つの広場となっていた。まるで竹が避けているように。
 もしかして、と文は一つの確信に思い当たる。
 竹林の怪火、そして延焼。以前記事にしたものの、詳細のほとんどが不明であまり良い
記事にはならなかった事件である。もしかしたら、その正体をその目で、写真で捉えるこ
とができるかも知れない。実を言うと文には何となく見当がついていた。が、証拠がない
のとちょっとした圧力とで記事には書けずじまいだったのである。
「ふふ、運がいいですね」
 思わず笑みが零れる。そして先ほどよりも足音を押さえて怪火へと歩き始めた。その手
はすでに写真機へとかけられ、いつでも撮影できるように待機している。
 だが、近づくにつれて文の顔色が悪くなっていった。
 漂う紅い光以外に、風景に別段異常はない。だが彼女の顔色があまりよろしくないのは、
そこに漂っている嫌な雰囲気のせいだろう。
 この竹林に満ちている静寂のことである。
 本来、森や林というものは、羽虫の音やふくろうの囁き、するすると這い寄る蛇の足音
に満ちていて、閑静という言葉には程遠い、調子外れの合奏会のような姿をしている。そ
れは木々とは少々毛色の違った竹においても例外ではない。妖怪のように五感の冴えてい
る者が聞けば、竹が音を立てて伸びる音まで聞き取れるだろう。
 だが今は違う。満ちるのは風の囁き、あるいは竹の身じろぎする音くらいで、全ての命
が何かを恐れて息を潜めているか、あるいは全て死んでいるかのどちらかとしか思えない。
 その異常さは、並みの妖怪よりはるかに力を持つ文にとっても不吉としか思えなかった。
「……油断してると危ないですね、気を引き締めないと、って?」
 ふと、視界の端に白いものが揺れた気がする。視界の端で油断なく光源を捉えつつ、ゆ
っくりと首をめぐらせて闇の奥を見透かしていく。すでに空は紫から深い青、やがて闇色
へと染まっていっている。妖怪の視力でなければ一寸先も見えない刻限。足元は笹の葉に
覆われ始め、未開の密林と錯覚させるような暗さである。文であっても気を抜けば見落と
しかねない。
 この時点で、慧音の警句が正しいことを悟った。どれだけ強かろうと、こんな視界の利
かない場所で闇討ちにでも遭えば無事には済むまい。
「……ふむ」
 文は改めて周囲を警戒しつつ、再び注意を白い何かへ向けた。
 どうやら白い物体は近くの笹の中に潜っているらしい。位置的には炎を放っている物体
の斜め前。もしや、あの怪火を観察しているのだろうか。もしくは、関係者か。
 風を操って音を消しつつ、文はゆっくりと近づいていった。一応、こういう器用な芸当
もできる。他にもスカートがめくれないように整流したり、突風を生んで部屋の中のゴミ
やホコリを吹き飛ばすことも日常的にやっていたりするのだ。
 歩を進めて白い何かへ迫るにつれて、その正体が少しずつ分かってきた。ときどき揺れ
動いていて、柔らかそうな、くしゃくしゃとした、長く伸びたもの。それはつまるところ、
とある動物の耳に似ている形状。そういう耳を持った手合いを、文は知っていた。
 つまるところ、白いひらひらしたものはウサミミである。
「あのー」
「うひゃあっ!?」
 後ろまで迫った文がのんびりと声をかけると、ウサミミの持ち主が派手に飛び上がった。
いきなり後ろから声をかけられるとは思っていなかったのだろう、そのまま慌てて笹の茂
みから飛び出して、石にけつまづいて転んでしまう。土でブレザーが汚れてしまった。
「な、ななな、な、な?」
「落ち着いてくださいよ、鈴仙さん。それと、この辺りの音は私が風を操って消してます
から、少しくらい騒がしくしても気付かれませんよ」
「あ、ああそうなの。それで気配も感じられなかったのね……ああ、死ぬかと思った」
 ウサミミブレザーという色々と特化した出で立ちの少女、鈴仙はその言葉を聞いて大き
く安堵のため息をついた。理由はわからないが、怪火を追っていると見て間違いない。少
なくとも、こうして息を殺していた以上、身を隠す相応の理由があるはずだった。
「それで、何をやってたんですか?」
 文が好奇心を隠さずに聞く。その様子に何故か鈴仙は狼狽している。ひょっとしたら聞
かれたくないような事情でもあるのだろうか。例えば、何か永遠亭の秘密とかそういうの
に関係する。
「え、ええっと……」
「言いたくないならそれでもいいですよ。ただ記事の真実味が薄れちゃいますが」
 言外に「素直に話さないとあることないこと書くぞー」と含めつつ、文はにこやかに言
った。無論、本気でそんなことをするつもりなどない。むしろ真実を一〇〇%含まない記
事など大嫌いなのであるが、こういった方法で話を聞き出すのはたまにやる。
「……しょうがないわね。ま、隠し通せるなんて思ってなかったしね。特にこないだの竹
林延焼騒ぎがあなたに取り上げられちゃったわけだし」
「わぁ、ありがとうございます」
 意外とあっさり、鈴仙は口を割ることに決めたようだ。ひょっとしたら、そこまで大事
でもないのかも知れない。
「それでは、」
 文が質問をぶつけようとした瞬間。

 ドン!

 風の結界が揺れた。耳を叩く轟音が、竹林の最中で突然に響く。続いてひどくきな臭い
香りが結界にとらわれ、文と鈴仙の方へと流れ込んでくる。
 火薬の香り。硝煙の薫り。つまりは、何者かが銃を用いた、ということである。
 銃は幻想郷においてあまりメジャーな武器ではない。多量の火薬を必要とする、複雑な
構造をしていて故障しやすい、作るには高度な技術が必要、そもそも材料となる良質な金
属が希少、などの理由も大きいが、何よりも妖怪相手にはあまり通じない、ということが
上げられる。時折外から流れ着くこともあるが、大体は好事家の収集品のような扱いだ。
 だがその殺傷力は、人間においては脅威となる。
「これは……!?」
「ちょ、ちょっと待って危ないわよ!?」
 鈴仙の制止も効かず、文は竹林の広場へと飛び込もうとし―――
 その後を追うように、第二の銃声が響いた。
「あ……」
 文が言葉を詰まらせる。
 一際強く、消え去る前の蝋燭のように燃え上がった炎が、人間の姿を影として映し出す。
 怪火の真相は、最悪にも文の考えた通りだった。




「―――妹紅さん!!」


 §


 文が飛び出していくのを見送ると、鈴仙はため息をつきながら踵を返した。
 ―――どのみち、あの人間の帰り道を案内する必要はなくなる。魔術や仙術の心得もな
さそうな人間がいったいどうやって戦うのか気になったのだが、まさかあんな馬鹿なこと
をしでかすとは思わなかった。
 弾幕ごっこは決闘であり、一つの遊びでもある。誰がどう思おうと殺し合いではない。
ただ勝ち負けが純粋に存在し、それによって裁定が下る。どんな細事でも、またどんな大
事でも、ただ華やかに撃ち合って終えられる、今の幻想郷を動かす上で欠かせない手段だ。
もちろん怪我や死ぬこともあるが、それはあくまで事故としてであって、故意ではないし、
またよほど力の差があるか迂闊でもない限りは発生しない偶然である。
 それを無視して、あの男は最初から殺しに行った。ただ自らの目的を果たすために、決
まり事も何もかも無視して。
 そんなことなど、妖怪相手には通じない。そして、あの人間にも。
 彼女と真っ向から殺し合える者は―――鈴仙の師と、その主しかいない。
「……そういえば、あのブン屋さん、知らなかったわよね。驚かなきゃいいけど」
 家路を歩きながら、鈴仙はのんびりと呟いた。
 そのはるか後ろで、大気が少しずつ歪みを増していった。


 §


 倒れ付した人影―――妹紅に、文は駆け寄った。
 色濃く漂う硝煙の香りが胸を悪くするが、それを意識から蹴りだして傷を診る。
「―――う……っ」
 言うなれば、無惨の一言に尽きた。妖怪の文でなければ吐いていたかも知れない。
 心の臓に当たる部分が、ぽっかりと赤く空洞をあけている。血を送り出すモノが無くな
った分、流れ出している紅色は静かなものだったが、普通の人間では間違いなく致死。
 それに比して、妹紅の顔は目を閉じて眠っているようにも見えて、なんだか可笑しく思
える。ひょっとしたらこれは冗談か何かで、次の瞬間には悪戯を仕掛けた子供のような笑
顔で起き上がってくるんじゃないのか、と。
 だが。
「……妹紅、さん」
 そっと、彼女の細い腕に触れる。すでに脈は途絶えていた。肌の色も青みを帯び始めて
いる。息遣いも、ほんのわずかな指先の動きも、ない。
 ―――死と言うのは常に身近にある。だから理不尽で、いつも唐突に訪れる。予期して
迎え入れられることは稀だ。こと、寿命の短い人間においては。
 それは文も知っていた。かつての知り合いで、天寿を迎えた者たちも知っている。長く
生きている分、見届けてきた数も多い。だから、こんな唐突な別れなどには慣れていたし、
同情や感傷を抱くこともない。そういうのは、人間たちに任せておけばいい。
 だが、悲しかった。
 ほんの少し前まで馬鹿なことをして騒いでいた、楽しかった相手が、こうして死んでし
まうことが、空しく、悲しかった。人間は妖怪にとっては襲う対象でしかないのも分かっ
ているが、それでも胸の奥で何かが締め付けられるのを止め得られない。
「……せめて、怪火の正体くらい教えて欲しかったです」
 名残惜しそうに、当人にはもう届かないであろう言葉を呟く。
 その後ろで、がさり、と異質な草擦れが聞こえた。
「……」
 文の内側から、切なく感傷が霧散する。
 意識はすでに音の方角へ。ゆっくりと妹紅のそばから離れ、文はその目と耳と肌とで対
象を感覚の射程に捉える。
 ややあって、一人の男がのそりと姿を現した。警戒のためか、ぎらりと眼が殺気に濡れ
ている。乱暴に刈り込んだ髪と、ごつい風貌から受ける印象は山師か野伏。ただ、歳はそ
れなりに若く、二十は後半くらいだろうか。
「……妖怪、だと?」
 文の姿を見咎めると、男はなにやら大きな杖のようなものを構えた。まだかすかに白煙
を伸ばしている。銃か。だが、あんな大きなものを文は見たことが無かった。そういえば、
以前また秘密結社の取材をした際、強力な実行部隊の一人にインタビューしたことが会っ
たが、あの時こんな筒を持っていた人間がいた気がする。外の世界で、頑丈なものを壊し
たりするときに使う銃らしいのだが、文は妖怪相手に通じるとは全く思っていなかった。
ただ、面白いものを持っているな、という印象しか覚えていない。
 文は思い出した。そうだ、この人間は秘密結社の一員だ。
「撃ったのは、貴方ですか」
 あえて投げかけられた疑いには答えず、文は静かに問うた。身の危険が迫っているなら
まだしも、意味も無く同族を殺すことが文には理解できなかった。人間が如何に矛盾した
存在かは、長い妖怪の生の中でよく知っている。それでも納得のいかないことが、この同
族殺しという、閻魔の言を借りれば「罪」であった。
 人間の方は文の顔を覚えていないのか、虚を突かれたような顔をしている。
「あ、ああ、そうだ。そういうお前はなんだ。死体でも漁りに来たか、妖怪」
「いいえ。既知の人、でしたから。もう故人になってしまいましたけど」

 ―――殺すか。

 息を吸うように、文は自然とそう思った。
 誇り高き鴉天狗に対して、死体漁りなどとの無礼な言動。それだけですでに充分殺す理
由にはなるが、何よりも同朋を殺しておいて平然としているのが気に食わない。喰うには
不味そうだが、まあちょうど良い。妖怪の本懐を久々にまっとうしようか―――
 その気配を察してか、男の顔色が蒼ざめた色に変わる。さらに強く、銃らしき鉄棒を握
り締めて構えた。それでも、かすかに銃口の先が震えている。黒々とした大きな中空が文
に狙いを定めているが、
「……それで私が殺せると?」
 文には動揺などなかった。在り得るはずもない。
 風を繰り、風よりも速く翔ぶ天狗。例え人間がどのような道具を用いようと、追いつけ
るものなど存在し得ない。静かな声音の中に、強烈なまでの自負があった。その圧力に、
ますます男の顔が色を失い、死人のような土色へと変わっていく。
 その様子を見ながら、文はつまらなそうに思案した。どう殺すか。嬲るのはどうにも泥
臭い。かといってあっさり狩るのも気が晴れない。そうだ、血の脈を切って、どこかの木
にでも縛り付けてやろうか。それならきっと楽だし、死ぬまでの間、ずっと苦しめてやれ
るだろう―――
 ふとそこで、背筋からかすかに何かを感じた。
「……?」
 ちりちりと焦げるような熱。それがいつの間にか、首筋の辺りに張り付いている。心な
しか空気の温度も上昇しているような気がした。だが、何も変わったことなどない。男は
変わらず震えて銃を構え、文自身もただ冷たい目で男を見ていて―――
 背後だ。気付いたとき、錯覚だったはずの熱い空気が背筋を掠めていった。同時に、男
が声にならない悲鳴を上げた。よく見れば、その視線が文からその背後へと移っている。
「……えっ?」
 矛盾したことに、熱いはずの空気から寒気を感じる。それが何か恐ろしいものだと直感
し、とっさに横へ飛び退く。月に伸びる竹を背にして、自分が先ほど背を向けていた地点
―――妹紅が居た場所を視界へと納め、
 息が詰まった。目にした世界が、異なる色彩に染まっていた。赤く、紅い。立ち昇る陽
炎が大気を揺るがし、大地を、緑の色彩を黒く焼き焦がしている。
 炎だ。血よりも紅く、太陽よりも輝き、原始的な生命力と破壊力に満ちた、咲き誇る猛
烈な熱量が、月を穿つように顕現していた。そしてその奥、歪められた夜気の紗幕の裏側
で、ゆらりと何かが立ち上がっていた。
「あ、あああ、ああああああっ!!」
 男が耐え切れず、再び銃を撃った。
 乾いた雷撃の音。だがそれは目の前に迫る炎の魔性には通じない。銃弾は当てている。
急所へ何度も直撃させている。それでも、その悪鬼の足取りを乱すことすら出来ないのだ。
 文は、奇妙に冷えた意識の奥で、銃弾が到達する前に溶けているのだ、と気付いた。こ
の場にいるだけで火傷を負いそうな熱気が、そのことを周囲へ伝えている。文とて無意識
のうちに風を操り、熱を振り払っていた。近づいただけで死を呼ぶ、鬼気迫る熱量。
「……はっ」
 知らず、足が一歩あとずさっていた。
 非常識だった。異常だった。理不尽だった。
 少なくとも文の知る限り―――心臓を撃たれても死なず、これほどの熱量を制約や代償
無しに繰れる人間など存在し得ない。
 ではあれは何なのか。
 ―――……恐ろしいものの定義、知っているか?
 ふと、先ほど会っていた慧音の言葉が、脳裏をよぎった。
 その問いに対し、文はなんと答えたのだったか。
 正体不明。人に害成す。そして、“不死”。
 満ちる熱量のためか、それとも肝を冷やす殺意のためか、汗が全身から噴き出している。
唾を飲み込もうとして、渇いた喉が痛みを訴える。覚えることがないはずの感情を、文は
自分の内側に認めていた。
 そうだ。あれは恐るべき、不死の怪物だ。
 炎に包まれ、その肢体を艶やかに浮かび上がらせる、雪のような姿をした少女。
 ゆえに、なお恐ろしかった。
 その姿が、凄絶に声無く笑う。
 亀裂のように、赤と白の色彩の中に三日月を象る黒が浮かび上がった。
「あ……あああ……」
 震えるような、断末魔に吐く吐息のような声。
 気がつけば、遠雷のような音は聞こえなくなっていた。空しく、金属がかちりかちりと
絶望的な音を立てている。男の指によって繰り返される規則正しいリズムは、まるで寿命
を刻む時計のようで、滑稽だった。
 ゆらりと、人影が歩みを止める。すでにその手を伸ばせば届く間合い。それがそのまま
彼岸の距離だと、男は恐らく悟り得た。呆然と、眼前に突きつけられた死に恐怖に怯え、
絶望に虚ろとなった目で見て―――
「……あ」
 やがて、その目がぐるりと白目を剥き、がちゃりと音を立てて、手から銃がこぼれ落ち
る。先に心の方が死んでしまったのだろうか。そのまま仰向けに倒れ、動かなくなってし
まった―――
 ふと文は、空気が変わったことに気がついた。
 張り詰めた殺気も、熱気も、ただ夜の空の中に溶けて消えていく。
「……怯えて気絶するぐらいだったら、殺しなんざハナからすんな、ばぁか」
 憮然とした表情で、呆れたようにため息をついて、人影が文の方を振り返った。
 流れる銀髪。血で汚れ、赤が七部に白が三部となった服。その紅い瞳と唇は、苦笑の形
を描いている。胸元は、何事もなかったように白い肌と豊かなふくらみを晒し、ただ無惨
に穴を空けた服が、かつて彼女に起きた惨劇の痕跡を残しているだけである。不思議なこ
とに、あの熱量の中心にいたはずの服は全く燃えていなかった。
「よう、新聞屋。まだ生きてるかい?」
 文の蒼ざめた顔色を見て、死んでいたはずの藤原妹紅は冗談めかして口を開いた。
 眼は、どこか悲しそうな色をしていた。


 §


「―――私にはね、死がないんだ。比喩や形而上でなく、物理的にね」
 囲炉裏に火をつけながら、妹紅はそんなことを呟いた。
 橙色の光が庵全体に行き渡り、かすかに闇を浮き彫りとしながら照らしている。外から
差し込む月光と混ざり合って、庵の中がかすかに紫を含んでいるように見えた。
 気絶した男は永遠亭へとすでに放り込んでいた。「次はもう少しマシな奴をよこせ」と
は妹紅の言だ。戻ってきた珍客を迎えた鈴仙は何か信じられないものを見たかのような反
応をしていた。そのことから察するに、送られてきた「刺客」が生きて戻ってくるなど稀
なことらしい。この際に、文は刺客を送る理由を聞こうとしたのだが、妹紅に止められて
しまっている。後で話すから、とだけ妹紅は告げて、その足で庵まで帰った。文は仕方な
く、その言葉を信じて再び彼女の家へと足を踏み入れたのだ。
「……それって」
「お前より長く生きてる、っていったろ? もうかれこれ千年は軽く超えてるんだ」
 苦笑交じりの言葉に、文は以前に追跡取材したときのことを思い出していた。あの時は
脅し混じりの説得で引き下がる羽目になってしまったために、大したことは聞けていない。
竹林の火事についても、確信はあっても証拠がない。だからそのことはほとんど忘れてし
まっていたのだが―――
「いいことなんてないんだけどね。普通は怪物だよ、心臓吹き飛ばされて平然と生き返る
なんてさ。バレると面倒だから内緒にしてたんだけど。……まあもう十人くらいには知ら
れてるし、今さら一人増えたって構わないわね。知ってる連中なんて、みんなお前みたい
な人間と妖怪ばっかりだし」
「慧音さんもですか?」
「そりゃね。知って、その上で『構わない。お前は間違いなく人間だ』なんて言ってくれ
たんだ。頭なんか何年経っても上がりやしない。むしろ恩返しの一つくらい、そろそろし
ないと罰が当たりそうだよ。死んでもないのに、閻魔様に怒られるわね」
 照れ笑いで語る妹紅。
 その姿が、ふと思い出した慧音と被った。彼女と全く同じ反応をしていたからだろうか。
 なんとなく、そんな二人を文は羨ましく思った。別に馴れ合う趣味はないが、こんな関
係が誰かと作れれば楽しいだろうな、という想いを少しだけ覚えたのだ。
「さて。どこから話したものかね。正直、千年も生きてると、話の種が売っても腐るほど
あるんだけど」
「いえ、そこまでには及びませんよ。……ただ、一つだけ」
 そういうと、文は真っ直ぐに視線を向けた。妹紅の紅い瞳が、一際印象深い。そういえ
ば、こうして視線を合わせるのは初めてだったろうか。
 奥底の色に、再び何か悲しいものが見えた。
 文はかすかに躊躇を覚えた。何か、良くないものに触れてしまわないだろうか。
 時間の空白を感じる。数秒だろうか、それとも数分だろうか。
 その時間を使って、文は覚悟を決めた。

「……竹林の怪火とは、あなたのことですね?」

 沈黙。
 かすかに、文が息を呑んだ。
「……ああ、そうだよ。ありゃ私さ」
 意外なことに、妹紅はあっさりと認めた。
 誤魔化しきれないと覚悟していたのか、ずいぶんとゆったりとした声だった。
「まあ色々と因縁が―――ってどうしたブンヤ」
「ああ、いえ、ちょっと安心したもので腰が……」
 何か一悶着あるに違いないと身構えていたのがいきなり無駄になったのである。緊張の
糸をいきなり切ってしまったせいで、文はぐったりと後ろへ倒れこんでしまっていた。先
ほどの体験がまだ意識には濃い。
「情けないところ見られちゃいましたね」
「……まあ、あんなの見た後じゃね」
「ああいや、誤解しないでください。力の差による怖さと未知の怖さとは違いますから。
次は大丈夫です。間違いなく」
 自嘲気味に呟く妹紅。
 だが、回復したのだろうかぱたぱたと起き上がった文は、笑って断言し、さっくりと風
に流してしまった。
 ―――あの時、文自身は確かに恐怖を感じた。
 だがそれは人間にあらざる力と正体不明の不死という二つの要素が偶然絡み合って生み
出したものであり、今もう一度体験したなら何も恐れず冷静に対処できているだろう。実
際、幻想郷にはあのくらい、もしくはあれ以上の実力者など星の数ほどいる。相手が理性
を持ち対話できるのなら恐れることなどない。
「……なんだ。どうしようもない噂好きだと思ったら、機微も分かるんじゃない」
「これでも女の子ですから。……怖がられたくなかったんですよね、知られて」
「……うん。ついでに、不老不死なんてものをまだ狙おうなんて連中もいるから、正体や
身元が割れたら大変だしさ。また根無し草になっちまう」
 溜息が、一つ。
「慣れてるけどさ」
 その言葉は、聞いていて泣き出したくなるような痛みがあった。
 それなのに、妹紅自身は笑っていて、ただ軽く話すだけで、それがより文には辛い。
 これだけ重い言葉が、人間に言えるのだろうか。そう思った。
「おいおい、妖怪だろ? そんな顔するなよ」
「……いいじゃないですか。私にだってそういう感情はあります」
 どうやら泣きそうだったらしい。
 どうもずっと人と触れているせいか、感情の昂ぶりが大きくなっている。みっともない
とは思うが、悪い気はしなかった。
 文は大きく息をついて胸元までこみ上げていた熱を下げると、
「すいません話を戻しますね。ということは、やっぱりあの怪火は貴方と輝夜さんが?」
「そうだね。最近は刺客送っても返り討ちにしてるから、向こうから出張ることが多いよ。
勝ち負けは……トントンくらいかね。どっちも死なないからほとんど消耗戦だし、飽きて
止めることの方が多い。最近は回数も減ってるし……どっちも倦んでるんだろうね、私も
あいつも。もうずいぶん長いから」
「ということは結構前からやってたんですね。その割には竹林の面積変わってませんが」
「あ、それは慧音が直してくれるから。この間は、直す前に天狗が来ちゃっただけ」
 どうやら、あの半獣が後始末をしていたらしい。
 文は納得して頷いた。歴史を隠す、あるいは食べるだったろうか。あの力なら、竹林が
消えたという歴史をも隠して上書き出来てしまうのだろう。だから今まで露見することは
無かった。
 そう考えれば、この事件は他の天狗にすら知られていないトクダネであろう―――
「で、記事にするのか?」
「え?」
 まるで思考を透かされたような問いに、文は飛び上がりそうになった。
「そ、それは……」
「いや、いいんだけどね。どっかに引っ越せばいいだけだし」
「でも、ここ以外となると、本当に山奥とかになりますよ?」
「そうだね。でも、慧音や里の連中にも迷惑かけられないし。山奥がダメなら、またふら
ふらしてるだろうさ」
 さっぱりとした物言い。だが、
「……気に入ってるんですよね、今の生活」
「……まあ、ね。私にゃ勿体無いくらい。でも、いつかは消えてなくなるものだから」
 それが速いか遅いかの違いだ、と呟いて、妹紅は深く溜息をついて、笑った。
 その笑顔が、また痛かった。
 この人は、こんなに儚いものだったろうか―――
「……」
 少しの空白。
 文は―――
「いえ、記事になんかしませんよこんなの」
「え?」
 目を丸くする妹紅に文は悪戯っぽく笑うと、
「だって、言うなれば貴方と輝夜さんの“ただの喧嘩”でしょう。そんなの取り上げるほ
ど、文々。新聞は暇じゃありませんから」
 そう言ってのけた。
 また時が止まる。文は思わず俯いていた。なにか、ものすごいことを言ってしまったと
自覚したのだ。
 ―――あー、怒られるかなー千年くらい殺しあってるのをただの喧嘩だなんて。
 色々と覚悟をしていた文だったが、声も拳も飛んでこない。気になって顔を上げると、
何故か妹紅は腹を押さえて震えていた。
「も、妹紅さん?」
 ぽかんとした言葉で、不審な様子の蓬莱人へと声をかける。
 それはまるで風船を針でつつくように、
「ははっ、確かに他の人から見ればただの喧嘩だもんなぁ、こりゃ一本取られた!!」
 笑いがはじけた。聞いていて胸の空くような声だった。


 §


『秘密結社の関係者、竹林で妖怪に襲われ重傷』
『博麗神社の賽銭、五年連続ゼロ記録更新』
『歴史の学校についてのお誘い』
『―――』

「……ふむ。まあなんというか、意外と丸く収まったのだな」
 ぱらぱらと新しく届いた文々。新聞に目を通しつつ、慧音は安堵の溜息をついた。
「まあ、ね。正直色々覚悟してたんだけど」
 横から新聞を覗きつつ、妹紅。今日は珍しく慧音の庵まで降りてきていた。里で、祭り
の手伝いがあるからといって引っ張り出されたのである。
「でもまあ、良かったじゃないか」
「そうだね。……感謝した方がいいのかしら」
 記事の内容を眺めて、かすかに笑う。何時の間に取ったのか、浮かび上がる不死鳥のよ
うなシルエットと男のシルエットが写っている写真がある。ただ、光が強すぎたせいか、
細かい部分までは見えない。『火を使う妖怪は数多いが、これは中でも高位の存在だろう。
人間の思い上がりに重い腰を上げたに違いない』という解説がなんとなく面白い。でも誰
が妖怪だコラ。
「いえ、感謝には及びませんよ。私は私のやるべきことをやっているだけですし」
 新聞を届けにきていた文も、まだ滞在している。というより、配り終わって暇になった
から祭りの取材に来た、という方が正しいかも知れない。
「やるべきこと?」
「ほら、情報を伝える者としては、自分の伝える真実で新しい事件が起きることを覚悟し
なくちゃいけないんですよ。だから、私がやるべきは―――」
 誰かが不幸になるような事件を、記事によって起させないことだ、と照れくさそうに言
う。文がそう考えるようになったきっかけは、花の異変にまで溯る。珍しく出て来ていた
かの閻魔に痛烈な言葉と弾幕をぶつけられなければ、こんな風に考えることも無かった。
「……そっか」
「まあずいぶんと殊勝になったものだな、傲慢が服を着て歩いているような天狗が」
「私は鳥頭じゃありませんからね。それに、真実ばかり追い求めてそこから生まれる事件
に目を向けなくなったら、誰からも信頼されないじゃないですか。信頼されなかったら、
記事に出来るような真実は誰も教えてくれなくなりますから」
 ちゃんと計算もしてますよー、と無い胸を張る鴉天狗。
 その様子に、誰ともなく笑い出した。
 遠くでは祭りの準備で賑やかな喧騒が聞こえる。
 世はなべてこともなし。
 幻想郷は今日も平和であった。








「あ、ところで」
「ん?」
「なんだ?」
「お二人ってどこまで進んでるんですか? ABCもしくは明日結納とかそれだけでもい
いんで教えていただければ」

 前言撤回。
 鬼を二人に増やした鬼ごっこの中、文は女心って複雑ですねぇ、私も女ですけどなどと
考えながら幻想郷中を逃げ回ることとなった。








 お久しぶりです。初めましての方は初めまして。裸子植物の世界爺です。
 実に半年くらいぶりの投稿でどきどきしております。

 文花帖記念に妹紅と文を絡めて書くつもりだったのに気がつけば夏。
 初めてザ・ワールドを体験したポルナレフのような気分に。
 い、今起こったことをありのままに(ry

 せっかくだからもののついでに私なりの幻想郷観も混ぜたら愉快な量に。
 楽しんでいただけた方ありがとうございます。ダメだった方ごめんなさい。

 ちなみに妖怪が人間から影響受けて云々は、妖怪が精神に重きを置くものだと解釈してのこと。
 いわゆる人間味のある妖怪とかそういう感じ。
 文がいつから新聞作ってるかはわかりませんけど、取材する上で色々と人間や妖怪と接していると思うんです。
 だから、その分メンタリティが人間よりになっている感じに描いてみました。根元は妖怪ですけど。
 読んでいる方へ魅力的に映ってくれれば幸い。

 ではまた次に。




 ちょっと行間の空け方を修正。
世界爺
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コメント



0.3790簡易評価
9.70翔菜削除
蓬莱人ほどではなくとも、長く生きている妖怪。
鴉天狗が一匹――射命丸 文。
それでも、今までと違う事や人に触れれば変わる……そんな感じでしょうか。
まぁ、何が言いたいかと言うと。

……文かわいいよかわいいよ文。もちょー。
あと胸ちっちゃくないですよ? 大きくもないですけど。
18.80油揚げ削除
文がいいですね。
恐怖の定義。害であり、未知であり、不死であること。
妹紅には妹紅を知ってくれる人が居るから、心がそこに在るから、恐怖ではなく「人」なのですね。なんとなく、そう思いました。
22.70床間たろひ削除
文のブン屋としての誇り。
妹紅の人の輪に交じりきれない哀しみ。
どちらも見事に書ききれていて、良かったですw

閻魔がもし妹紅に会ったら、どんな事を言うんでしょうねぇ。
33.80名前が無い程度の能力削除
ホラーを忘れつつある妖怪、ホラーを体現する人間(一応)。
望んだ物ではなく悲哀もありますがなかなか皮肉な話です。
 
でも一番ホラーなのはその内曖昧になりそうな星○れを使うけーねだったり(w
36.80名前が無い程度の能力削除
新聞記者として活動しながらも妖怪の本文は忘れていない文。
人間を護りながらもニュートラルの立場を貫く慧音。
人に苛まれつつも人で在り続ける妹紅。

三者の描写がとても細やかでした。ごちそうさまm(_ _)m
41.80名も無き猫削除
前言撤回吹いたw
50.90imuzeN削除
里を襲う妖怪は殺されず、しかし伊達にして帰されるわけですね。

昔からのあり方を保とうとするが、その場所は昔と同じではない。
箱庭の中で日々変化を追い求め飛び回る文は、やはり変化を強いられるのだろうか。
風は循環するものですし。
78.100名前が無い程度の能力削除
これは良作。
81.80名前が無い程度の能力削除
内容もいいしオチもいい
94.100日神 明削除
文が妹紅に追いかけられているときに『妹紅怖ぇぇ』と思ったら慧音の方が怖かった。
<妹紅の時の反応>
『ひぇぇぇ。妹紅怖ぇぇ』
<慧音の時の反応>
ガタッ!(立ち上がる音)ドサッ!(倒れる音)ゴスッ!(机の角に頭をぶつける音) 『………慧音怖ぇぇ!?』
«うるさい!!» 親が叱る声