そういえば最近見かけない。
特にやることもなく、床に大の字になりながらふとそんなことを思った。
何を見かけないかというと、あのワーハクタクの娘だ。
半妖だからなのかどうかはわからないけど、人間が大好きで自主的に人間を守っている。
つまり彼女は私さえもちゃんと人間と認識してるんだろう。
頼んでもないのに勝手に私の家の周りを飛び回っていたりする。
なんだか天井のシミが増えたな……
割と私にしてみればどうでも良い事だった。
天井のシミと同格に扱ってしまっているぐらい。
だって守るとか言いながら私よりも弱いし、そもそも私は守られる必要もないのだから。
満月の時期が彼女の最高潮らしいけど、それでも私や永遠亭の連中にはまだ及ばない。
竹林の深いところにある小さな家。
雨風を凌ぐ程度の本当に簡素な造りの家だ。
何故なら自分で建てた家だし、私は大工じゃない。
でもそろそろ立て直そうか、次はもう1部屋ぐらい作ってみようか。
天井のシミを眺めつつそんなことに思いを巡らせる。
ここに住み始めたのはいつの頃からだっけ。
この辺は妖怪がうようよいるけど、襲われたのは最初だけで、
実力の差を散々知らしめてやったらもう何も襲い掛かってこなくなった。
以前はあいつが送り込んできた刺客が度々訪れてきたけど、それもある時を境に途絶えた。
長い年月の間に徐々に力を付けていく私に対して、通用すると思える奴もいなくなったんだろう。
だからたまに自分の方から遊びに、もとい私を殺しに来たりする。
そういうときは大抵、ボロボロになったあのワーハクタクが道中に転がってる。
えーと、慧音、そうだ慧音とか言った、姓はなんだったっけ。
しょうがないから安全なところまで担いで行ってやったりもするんだけど、
生憎と私は薬やらは持ってないので手当てしてやれない、だってそんなの必要無いし。
お酒って消毒作用があった気がするから一度傷にかけてやったことがあるけど、痛がった慧音が暴れた。
だから最近はそれすらもしなくなった。
大体週に1回ぐらい来てたんだけどなあ。
といっても別段挨拶を交わしたりするわけでもないし、鬱陶しいとは思われたくないのか、
家からは少し離れたところを勝手に巡回しているみたい。
まぁそれでも結構気になるんだけどね。来てたら絶対にわかるぐらい。
慧音を見なくなってから、もうそろそろ3週ぐらいになるだろうか。
居なくても困らないけど、とりあえず天井のシミよりは大分気になり始めた。
暇だし、ちょっと出歩いて探してみよう。
手をつかずに「ん~」と、くの字に身体を起こす。
ちょっと腹筋がつりそうになった、最近輝夜とも戦ってないから身体がなまってる。
このところはどうもやりあう気がしなかったからなあ。
慧音のことが一段落したら今度また遊びに行ってやるか。
まずは近いところで家の近辺。
この辺で果てて、白骨化してたりして、と思うとちょっとゾッとした。
いや、でもこのぐらいの日にちならまだ腐乱死体くらいかな、なんて考えたりもした。
ガサガサと竹薮の中を歩き回るものの、特に慧音の痕跡は見当たらなかった。
そもそもこの竹林には私が張った簡単な結界がある。
それは侵入者を防ぐ等といった目的のものではなく、ある程度大きな霊力を持った奴が入ると、
そのことが私にわかるというもの、でも正確な位置まで計れたりはしない。
結界の勉強もしたけど、難しすぎて途中で放り投げたからだ。
しかし、さっき言った「来てたら絶対にわかる」というのは他ならぬこれのお陰なのだ。
大雑把な結界なものの、効果範囲はかなり広いのでそれなりに役に立ってる。
人物の特定もできないけど、この竹林に入る奴で結界にかかる奴なんてそういないので、
よく来る奴はその霊力の大きさで大体判別できる。これは慣れだ。
弱いとは言ったもののそれは相対的な見解であって、慧音はそんじょそこらの妖怪よりはずっと強いので、
満月の時期じゃなくても入ってくれば確実にわかるのは実証済み。
つまり、一応竹林を探索してみたものの慧音がいないのはわかりきってる。
結界もとくにほころびた場所はなかった、念のため、だったけどやはり実は結ばなかった。
そういや慧音の家ってどこにあるんだろう。
次に目的地としたのは慧音自身の家だったけど、わからない。
でも慧音がどこの里を中心に守ってるかは見当がついてた。
考えられるのはそこの里に住んでるか、もしくはそこの里の近くに住んでるか。
慧音も一応妖怪だ、満月の夜にはあんなに目立つ角も生えるし、前者は考えにくい。
竹薮を歩き回ったせいでモンペがあちこちほつれてしまっている。
いつも暇だしまた気が向いたときに直すか、なんて考えながら、私は空へと飛び上がった。
私の家からそう遠くない場所にその里はある。
慧音は思ったより行動範囲が狭いんじゃなかろうかと思った。
里に着くと、時刻はそろそろ夕時。
無邪気に遊びまわっていた子供達が手を振って自宅へと帰っていく光景が目に付いた。
大人は農具を担いで帰路についている、至って平和な里だ。
ダメもとで里の連中に慧音のことを尋ねてみると、そういえば最近見かけない、
と、私とまるで同じことを言った。
どうもここでも同じような扱いらしい、里の周りを巡回しているのは度々見られているようだけど、
自分から積極的に里の人間と交流を持ったりはしていないみたい。
その他に、それこそ慧音が巡回を始めた頃は皆怖がっていたらしいが、すぐに無害であるとわかり、
それどころか自分たちを守ってるらしいことに気付いてからは、里の者に好かれているという話も聞いた。
大分昔からのことらしいけど、そんな慧音にたまに農作物やらなんやらを捧げにいったりもしてるらしい。
慧音はいつも受け取ろうとしないので、無理矢理押し付けて帰ってくるらしいけど。
ということで慧音の家の場所も里の人間から聞きだすことができた。
何故慧音の家の場所を知りたがるのか、と問いかけられたけど、私も守ってもらっていて、
最近見かけないので気になった、と言うとすんなり話してくれた。
ちょっと大げさに言ったけどね。守ってもらってるつもりは無いし。
里の人間も少し不安なんだろう、慧音がいなくなったことが。
ただ自分達はそれについて調査するのが怖かったんだと思う。
いつも守られてるような立場なんだから、里から遠出するのも怖かっただろうし、
もし慧音に何かあったら、と想像すると悲しいというのもあるんだろう。
臆病ではあるものの、やっぱり気にはなるんだ、だから私が調査するのを甘受したんだ。
少し身勝手だとも思う、何故慧音がそこまでして人間に肩入れするのか、やはり理解に苦しむ。
ものすごく、という程ではないけど私はあまり人間が好きになれない。
あんな薄っ暗い竹林の中で生活してるのだって、人間が臆病すぎるからだ。
私が不老不死だって分かれば、即座に気味悪がって排除しようとする。
臆病だから、ってことは私もわかってるから、徹底して嫌ったりはしないけどね。
それに私も一応人間だし。
そんなことを考えつつも、慧音のものらしき家が見えてきた。
鬱蒼と生い茂った林の中に一箇所だけ切り開かれた場所があり、そこにぽつんと建っている。
里からは結構近かった、普通の人間が歩いて1時間かかるかどうかと言った程度だ。
高速で飛べる者なら数分だろう、多分、慧音はすぐに里に駆けつけられるようにと、こんな側に建てたのだ。
私の家ほど簡素ではないけど、大きさは似たようなものだった。
造りはとてもしっかりしてる、無駄な装飾はないけどきっちりと小綺麗にしてある、掃除も行き届いてる。
なんとなく、慧音という奴の人物像が垣間見えた気がした。
私は臆することなくその家の戸を叩く。
どういう奴なのか、真剣に気になり始めていた。でも応答は無い、不在のようだ。
戸に手を掛けるとそれはあっさりと開く、中を覗いてみても慧音はいない。
声を掛けてもやはりいない、少し悪いことをしてるような気分になったので、私は戸を閉めた。
ちらと見ただけだったけど、家の中も実に整然としていた。
仕方が無いので少し待ってみる。
家の外観を改めて観察してみると、ご丁寧に表札があった。
「上白沢」
ああそうか、そんな姓だった。
手製のそれはやはり自分で作ったものなんだろう、けれどとても立派だった。
名前を聞いたのは、お酒で消毒したあのときだっけ。
そのぐらいしか口を聞いた記憶が無い。
そういえば、と気になってもう一度家の戸を開けた。
申し訳なく思いつつも少しだけ入って、床を手のひらでなぞる。埃っぽくはない。
それを確認すると、すぐにまた外に出て左右の手のひらをこすり合わせてみた。
うん、やはり埃は無い、3週間丸々家を空けてるってわけではないようだ。
どういう奴なんだろうな……
人を避けて生きてきた。
人に避けられて生きてきた。
それでも不老不死になるまでは普通だと思ってた。
自分は望まれて生まれてきたわけじゃなかった、けどそれでも、いくらか人との関わりがあった。
慕ってくれる人間も、わずかながらにいた事はいた。
不老不死になってからは、それすらも無くなった。
人と接するのが怖かった。
そして、怖がられた。
それでも悲しみに明け暮れるわけに行かなかったのは、輝夜が憎かったから。
こうなってしまったのも全ては輝夜のせいだと思い込んで、憎悪を原動力に歩んできた。
それが報われたのは、この幻想郷に辿りついて輝夜と再会を果たしたときだ。
可愛さ余って憎さ百倍、と言うけど、逆もあるんじゃないかと最近思う。
なんとあの憎たらしい輝夜は死なないでいてくれるのだ。
むしろ愛おしいではないか、いつまでもわたしに活力を与えてくれる。
初めの頃は一方的にやられるだけだったものの、独学で修行を積んで、
たくさんの術を身につけてからは対等以上に戦えている。
先天的に大きな力を授かった輝夜とはそこが違う、私は努力をするけど輝夜は大した進歩をしない。
目の前に置かれた大好物の大皿を、飽きることなく貪るように、ひたすらに輝夜との殺し合いに明け暮れた。
最近は落ち着いている。
あまり飛ばしすぎて憎しみが枯れてしまうようなことになったら面白くないから。
そうしたらそれこそ、この無限の時間をどう使えば良いのかわからなくなる。
輝夜は私の全てを受け入れてくれたし、私は輝夜の全てを受け入れた。文字通り、その身体で。
きっと輝夜も同じ気持ちなのだろう。
だからこそ控えた、愛も憎も消耗品だと思ったから。
でもそうなると首をもたげてくるのが人恋しさ。
図らずも、輝夜との殺し合いはそれさえも満たしてくれていたようなのだ。
何故慧音はこんなどうしようもない私を守ろうとするの?
表札とにらめっこしたって、答えてくれるわけなんてなかった。
気付くと寝てしまっていたようだ。
野宿だなんて、と昔を思い出したがそうも言ってられなかった、何かの気配がする。
ぴちゃ、だの、ぐちゃ、だのと、聞き苦しい音が林の中から迫ってくる。
荒い息遣いも聞こえてきた。ずりずりと、何かを引きずるような音も。
「慧音」
声を掛ける。
そこには血まみれで、足を引きずりながらこちらへ向かってくる上白沢慧音の姿があった。
「ハァッ……何の用だ」
「あんたの顔が見たくなったのよ」
こんな状況で冗談を飛ばす私を見て、慧音はキョトンとしていた。
見て分かる、あれは別に致命傷ではない。大怪我には違いないけど。
もっとこっ酷くやられているのを何度も見ているし。
「まぁいい……入れ、話がある」
「へ?」
こっちから用があったはずなのに、向こうも私に用があるらしい。
一応礼儀と思って肩を貸そうとしたら、やんわりと拒否された、ので無理矢理肩を貸してやった。
「いい……いいから、余計な世話だ」
「それはお互い様だろ」
ごちゃごちゃと抜かすもんだから少し乱暴に吐き捨ててやる。
自覚があるんだろう、慧音はそれを聞くと黙ってしまった。
家に入るなり、慧音は乾燥させて瓶詰めにしてあった薬草の類をちゃぶ台に並べ、すり鉢ですり潰し始めた。
見るとそんなに残りが無い、勝手な想像ではあるものの、こういうのはちゃんとマメに補充する奴だと思う。
だから多分、最近は薬草を摘みに行く時間もないのに、それに反して生傷が絶えないんだろう。
「効くの? それ」
「……酒をかけられるよりはいいさ」
皮肉を飛ばす余裕もあるようだ、やっぱり致命傷じゃないらしい。
慧音は、すり潰した上で液状の薬品を混ぜて、ペースト状になった薬草を手際よく傷に塗りこんでいった。
私はしばらくちゃぶ台に頬杖をつきつつ、その光景を眺めていた。
「手馴れてるのね」
「そういう生活だからな」
お互い愛想が無いせいで、実に淡々とした会話しか無かった。
でも逆に、お互い愛想がないので特にそれが嫌な空気とも思わなかった。
慧音は手当てを終えると、包帯だらけの姿で居間から台所へと歩いていく。
もう足はひきずっていない、その辺の回復力は流石半妖だけある。
「何するの?」
「茶でも出そうと思ったんだが、そんな時間ではないな」
そういうと慧音は一升瓶を持って戻ってきた。
里を出る頃既に外は暗くなりかけていたし、そうかもう「そんな時間」なんだ。
「酒の正しい使い方を教えてやらないと、と思ってね」
「はいはい、それじゃご教授受けましょうかね」
なんだ意外と面白い奴だ。真面目くさってるけど。
案外、最初にこっちが冗談を飛ばしてやったから気持ちが緩んだのかもしれない。
受け取った杯に酒を注がれたあとは、今度はこっちからも注いでやる。
「ありがとう」
慧音は軽く会釈する、やっぱり真面目な奴だな。
と思うといきなり1杯目を豪快に空けてしまった。形容するなら「ぐいっ」と言った感じに。
「残念ながらつまみは無い、作ってやりたいが疲れていてその気力も無い」
「いいわよ別に、ほらもう1杯どうぞ」
空になった杯に早速2杯目を注いでやると、今度はそれに少し口をつけてからちゃぶ台に置いた。
「で、話って何?」
「そうだな……順序が狂ってしまったが、お前の方が物分りが良さそうだ」
順序? 疑問は残るものの、とりあえず聞いてみることにした。
大分はっきりした性格のようだから、変なところを隠したりはしないだろう。
慧音は少し顎に手を当てて考え込むと、口を開いた。
「今日私が行ってきたのは永遠亭というところだ、お前……妹紅もお馴染みだろう」
「ん? 永遠亭はともかく、私の名前知ってたの? 輝夜が喋った?」
「私にわからないことは無いんだ、変なところに茶々を入れずに聞いてくれ」
真面目な表情だった。どこか悲しそうにも見えた。
「妹紅と戦うのをやめるよう、説得しに行った、というよりもここしばらく通いつめてる」
「え……」
「迎撃は酷いし、強い従者はいるし、運良く輝夜のところへ辿り着いても全く耳を貸してもらえない」
それはそうだ、と思った。
私も輝夜も、あの殺し合いにかける想いはそう軽くはないのだから。
「だから単刀直入に言う、妹紅も、もうあの無益な戦いはやめてほしい」
「無益?」
カチンと来た。
月並みではあるけど「お前に私の何が分かる」という言葉が頭をよぎる。
そしてそれはすぐ口に出てしまう。
「無益だって? あんたに私の何がわかるっていうんだ?」
「仮に輝夜が殺しきれる存在だとして、殺した後に何が残る? お前の父は帰ってはこない」
父上のことまで知っていたか、確かにわからないことはないらしい。
けどわかってない、私達の心の中は。
「父上のことは今でも恨んでいるよ、でもそれだけじゃない、何もわかってない」
「わかった、無益とは言い過ぎたかもしれない、でも本当にやめてほしいんだ、あの殺し合いを」
慧音が空になった私の杯に酒を注ごうとしたけど、腹が立ったので一升瓶を奪い取って自分で注いだ。
そして一気に飲み干した。
「輝夜は……いつかは説き伏せたいところだが、こんな会話すらも成り立たない」
「そうだろうね」
冷たい言葉を投げかけ、握り締めた一升瓶をまた傾ける。
慧音の杯も空だったから、どんと音を立てて一升瓶を返してやった。
なんだ、こんなつまらないことを言いたかったのかこいつは、そう思うと頭が急速に加熱していった。
「あんたも不老不死になってみたらそんな台詞も吐かなくなるよ」
「かもしれん」
少し退き気味に話していた慧音の態度が急に変わって少し驚いた。
なんでこいつはこんな目をして話すんだろう。
慧音も自分の杯に酒を注ぐと、それをぐいと平らげた。
「だが不老不死ではない、だから言う」
頭の中で何か弾けた、気がつくと慧音の胸倉を乱暴に引っ掴んでる自分がいた。
「何も分からないなら首を突っ込むな、輝夜ほどじゃないけどわたしも結構短気なんだよ」
「いいや、突っ込む」
「突っ込むな」
「そういうわけにはいかない」
怖ろしく頑固だった、この上白沢慧音という女。
満月も出ていない、明らかに実力で劣る私に対して、相変わらず鋭い視線を投げかけている。
胸倉を掴まれていることすら意に介していない。
「とにかく、殺し合いはやめてほしい、言いたいことはそれだけだ」
「やめない」
「ならばやめさせる」
ここは引き下がろう。
このままだと本当に手を出してしまいそうだから。
「なんだ、面白くも何とも無い……このまま永遠亭に通ってたら命の保障はないね」
「そうかもな」
「怖くないのか?」
「怖いさ」
胸倉を掴んでいた手を離すと、少し浮き上がっていた慧音は床に尻餅をついた。
そしてすかさず、ぐちゃぐちゃに握りつぶされた胸元のリボンを整える。
「私の話は以上だよ、さて、そういえば妹紅、貴女は何故ここに来た?」
「ふん、もういいよ……お酒ごちそうさま」
ふっと立ち上がると、背を向けて家の出口へと足早に歩いていった。
背中に視線を感じる。ずっと見つめられている。
良い友達ができるかと思ったのに。
慧音の家に行ってから数日が経った。
相変わらずの退屈な日々。
結局あれ以来慧音のところへは行ってない、慧音も訪ねてはこない。
大方、懲りずに永遠亭に出向いては、こてんぱんにやられて泣き寝入りしてるのだろう。
泣き寝入りはしないだろうけど、想像するとちょっと笑えた。
あの頑固者が泣き寝入りだなんて。
外は満月だった。
満月を見ると輝夜を思い出す、満月を風流だなんて言う奴の心情は永遠に理解できそうにない。
何故なら満月は敵の象徴だから。
そんなとき、結界内に侵入者が入った。この霊力の大きさは輝夜だ。
丁度良い、最近鬱憤が溜まっていたし、ここらで発散するのも悪くない。
今日は負ける気がしない、何度も何度も殺して、殺されよう。
しかしそんな気分の高揚を打ち砕く出来事が起きた。
輝夜の直後に結界内への侵入者、この霊力の大きさは満月のときの慧音。
いつもなら先んじて家の周りを巡回しているのだが、明らかにこれは輝夜を追跡してきたと思われる。
まぁ、ほっとけばいつも通り負けて、どっかに落ちてるだろう。
顔見知りになったし家の場所もわかったことだ、今度は家まで送ってやるとするか。
少し興が削がれた気もしたけど、輝夜と戦えることに変わりはないし。
いくら満月の夜だからって、慧音が輝夜を阻止できるとは思えない。
しかしおかしい、遅すぎる。
いつもなら数分、満月時でも10数分しか慧音はもたない。
しかし既に30分以上が経過している、未だに輝夜は来ない。
少し考えた、もしかすると連日永遠亭にちょっかいを出していた慧音を鬱陶しく思った輝夜が、
今日は止めを刺そうとしてるのかもしれない。
良いじゃない、放っておけばあの鬱陶しいワーハクタクは輝夜が始末してくれる。
なのになんなの、このスッキリしない感じは。
何か嫌だった、よくわからないけど、すごく嫌だった。
「まったく!! お節介ばかりして、世話が焼ける!!」
普段出かけるときのゆったりした飛行ではない、背中から鳳凰の翼が燃え上がる。
少し上空へ上がると、断続的に爆発の起こってる箇所があった、あそこで交戦しているようだ。
全速力でその場へと飛んだ。
慧音と輝夜の戦い。
序盤こそ慧音は優勢であった。満月の夜であれば、術単発の威力は輝夜に引けをとらない。
しかし輝夜は妹紅と同じく不老不死である。あまつさえ、わざと攻撃を食らってるようにさえ見受けられた。
自分は手を抜いて、慧音には全力で戦わせる。
もちろん慧音は手を抜けない、相手が不老不死だとわかっていても。
全力で臨まなければあっという間にやられてしまう。
粘っても、体力切れした瞬間やられてしまう、どうしようもない。
妹紅の予想は当たっていた。
今日の輝夜はいい加減鬱陶しくなった慧音を始末しようとしていた。
実のところ慧音は今日も永遠亭を訪ね、いつも通りボロボロにされて逃げ帰っていた。
ところが満月が出たのですぐに回復し、動けるようになった。
そして既に夜も遅かったが、妹紅のところへ行こうとした。
耳を貸さない輝夜と先日の妹紅との会話が相まって、意気消沈していた。
いくら強気で振舞っても伴わない実力、通じない気持ち。
ただ妹紅に会いたかった。嫌な顔をされても構わない、話を聞いてほしい。
そして途中、妹紅の家へ向かっている輝夜を見つけてしまう。
そのまま、輝夜を止めにかかったのだった。
自分からは仕掛けない、まず説得にかかる。だが輝夜はすぐに攻撃を仕掛けてきた。
それゆえ身を守るために戦わざるを得なくなってしまう。
もちろん戦ってる最中も必死に訴えた。
「もう殺し合うのはやめてくれ!!」
悲痛な叫びは輝夜の耳には届かない。疲れが見えるや、一層激しい攻撃が展開される。
途端に防戦一方になるが、輝夜や妹紅と違うのは、不老不死ではないことだ。
避けきれず、防いだ攻撃のダメージがじわじわ蓄積する、満月の後押しを得ていても傷の修復は間に合わない。
しかし死んではいけない。
そんな思いも虚しく、足、背中、と立て続けに被弾。
空中で姿勢を維持できなくなり、ふらふらと地面へ落下していく。
地面を這いつくばって、竹薮に身を切られながらも、着陸した輝夜の元へにじり寄る。
「もうたくさんだ!! お前達の殺し合いは見たくない!!」
「なら見なければ良いでしょうに、何も知らないくせに首を突っ込むんじゃないわ」
「……」
返ってくるのは冷たい言葉、それも、数日前に妹紅に言われたのと同じ台詞だった。
それまで強く保っていた信念が音を立てて崩れていく。心底打ちひしがれた。
言葉を交わせる相手ならいつか通じる、その想いは2人の蓬莱人の宿命の前には無力なのだと悟った。
逃げる気も失せた、涙も出ない。もう、諦めよう。
「本当鬱陶しかったよあんた、最初はほっとこうとも思ったけど、もう我慢の限界」
「何故そこまでして殺し合うんだ……」
「教えてやらない」
目の前が眩しくなった。
輝夜が止めの攻撃にと放った、人の大きさぐらいの大きな光の弾。
観念してぐったりとうなだれる。
「やめろ輝夜ー!!」
聞き覚えのある声がする。
いや、この場所と状況を考えたら1人しかいないな、妹紅だ。
何のために? あれだけ怒らせてしまったのに。来るはずなんて。
視界が少し暗くなった、目の前の光が少し遮られたから。
見ると、妹紅が盾になっている。
「うぁぁぁぁーっ!!」
光球に身を焼かれながら、妹紅が激痛とその熱に悲鳴を上げる。
それが妹紅だとすぐに気付くことはできなかったが。
やはり、妹紅だ。
「妹紅!? 何故私を……」
受け切ったら後ろの慧音を巻き込むと思ったので、身をよじってその光球の弾道をそらした。
そのまま仰向けに倒れる妹紅を尻目に、光球はその軌道にある竹林を炭に変えながら彼方へと飛んでいく。
「あら妹紅、何してるの? 待っててくれればすぐ行ったのに」
ワンテンポ置いて起き上がり、答える。
「……生憎とこっちは待ちきれなかったんだよ」
服が焼けっぱなしであられもない姿になっていたが、火傷は瞬く間に修復された。
そう、すでに1回死んだから、即座に蘇生したのだ。
「慧音……」
「も、妹紅……」
目の前の輝夜を睨みつけたまま慧音に語りかける。
「確かに、私もあんたと輝夜の殺し合い、見たくないわ。想像もしたくない」
「……」
「詳しくは後で話す、でも今日だけは堪忍してよ。輝夜、もうやる気満々みたいだから」
「……わかった」
慧音は這いつくばったまま、竹薮の奥へと退いていった。
「どういうこと?」
1人蚊帳の外だった輝夜が不思議そうに尋ねてくる。
「あんたの従者……ああ、八意も不老不死だから良いとしてね」
「うん」
「あのウサギ2匹、いっつも私は適当にあしらってるじゃない」
「そうね」
「もし私が、鬱陶しいと言って殺しちゃったらどうする?」
輝夜の表情が少し曇った後、急速に怒りを帯び始めた。
「この竹林ごとあんたを焼き払って、生き返るたびにあらゆる手段で殺して殺して殺して殺して……それでも許せない」
「よくできました、そういうこと」
輝夜は構えを解いて腕組みすると、口を尖らせながら虚空を見つめていた。
どうやら、言いたいことを解したらしい。
「あの角女を殺して悔しがる貴女を見たい気もするわ、良い酒の肴になりそうだもの」
「そしたら永遠亭ごとあんたを焼き払って、生き返るたびにあらゆる手段で殺して殺して殺して殺して……」
「ふふん」
輝夜は愉快そうに鼻を鳴らす。
「ま、慧音とまともに知り合ったのは最近だけど……」
「なるほどね」
「お互い、大事なところに手を出すのはやめよう」
「ごもっともだわ、これ以上あんたに恨まれるのも鬱陶しいし」
「殺し合いの理由は、父上のことだけで十分だよ」
私達はこの絶妙な感覚の「殺し合い」が楽しみたいだけだった。
これ以上の恨みは、バランスを崩してしまう。
この辺をちゃんと説明すれば、慧音もわかってくれるんだろうか。
ともあれ、私達は久しぶりの殺し合いに興じた。
痛いし熱いし、たまったものではなかったけど、終わった後は心が晴れた。
ああ、負けたか。
眼前に広がるのは相変わらずの竹林、あちこち焼け野原になっていたけど。
もはやぼろきれとなった衣服を指に巻きつけていじくったりしながら、よいしょと起き上がる。
輝夜はもういない。
慧音のものらしき血痕を辿っていくと、その先で疲れ果てて気を失っていた。
もう朝日が昇り始めてるのが、まばらになってしまった竹林の隙間から覗ける。
慧音の角も尻尾も引っ込んでしまっていたし。
久しぶりにはしゃぎすぎたせいか、全身が酷い筋肉痛だ。
これならもう起き上がっても腹筋はつらないだろう。
慧音を担ぎ上げると、傷はほとんど治り、寝息を立てているようだった。
たまには我が家にでも招待しよう。
「うわっ!! 痛い痛い痛たたた!!」
慧音が激痛に飛び起きる。
「お、お前また酒を!!」
「お酒の間違った使い方も教えてやらないと、と思って」
慧音はまだあちこち生傷だらけ、お酒をかけられて暴れる余裕ぐらいはあるみたいだけど。
「私の家に薬はないんだよ、わかるだろう?」
「そうか……」
少し申し訳なさそうな顔をしてうつむく、こいつこんな奴だったっけ?
「何よ柄でもない」
「いや……」
仕方ない……
「ほら、飲みなよ」
一升瓶をそのまま渡す。
「なんだ? 杯は無いのか?」
「1人で暮らしてるし、客を招きいれたのも初めてよ。別に良いじゃないの、そのまま飲みな」
「は、はぁ……」
病み上がりに一升瓶ラッパ飲みなんてえげつないとも思ったけど。
これほど元気のない慧音、なんだか嫌だった。酒を飲めば少しは気持ちも高揚するだろう。
そんな気持ちを察してか、慧音は一升瓶を両手で持ち上げて勢い良く酒を呷った。
「っぷぅ~……」
「良い飲みっぷりだよ、ほんと」
少し恥ずかしそうにした後、慧音は私にも酒を勧めてきた。
「飲め、飲んでくれ」
「言われなくても」
私も同じように酒を呷る。
なんだかもう心の中もすっきりしたし、身体には悪そうだけど思い切り酔うのも良いか。
不老不死で、身体に悪いも何も無いけど。
しばらくは沈黙が続いた、一升瓶を渡したり渡されたり。
1人でちまちま飲んでた一升瓶、先日開けたばかりでほとんど中身の残っていたそれは、
あっという間に空になって、既に2本目に突入していた。
「存外汚い家だな」
「ほっといて、あんたがマメすぎなのよ」
久しぶりに口を開いたと思ったら随分と失礼なことを言う。
「……ありがとう」
「……」
また押し黙ってしまう。命を救われたことに対するお礼なんだろう。
なんだって人の家をバカにした後にいきなり言うのだろう。調子が狂う。
「もうダメだと思った」
「そりゃそうでしょう、輝夜を本気にさせると結構酷いわよ」
「お前は、いつもあんなやつと全力でやり合っているんだな」
「楽しいからね」
慧音の表情が変わった。
「楽しい?」
「そう、夕べ言った『詳しいこと』っていうのはそれ」
私は話してやった、不老不死になってから、生を実感できるのは輝夜と殺し合いをしているときだけということ。
そしてもう、お互いに殺しあう理由なんてあまり深く考えてはいないということ。
周りからは凄惨な殺し合いに見えたって、私達にしてみればなんてことないスキンシップなんだ。
死への恐怖も無い。最近じゃ、痛いのだって気持ち良いのと錯覚してしまうぐらいにおかしい。
でもそれは私達には必要不可欠で、不老不死になった利点は、第一にそれなのだ。
「そうか……確かに私は勘違いして暴走していたのかもしれない」
「だから柄にも無いことを言うなっていうの」
うつむこうとする慧音の頭を両手で掴んで、こちらに向けさせる。
「私はあんたの自分勝手な解釈に確かに腹も立てたし、あんたのやってることは私にとったら大きなお世話」
「……」
「でも私はそれを平然と言ってのける、強気なあんたの性格は好きだったんだよ。
好きだったから、あんたを輝夜に殺されたくないと思ったし」
「なら、私はどうすればいい?」
「聞くな、自分で考えろ」
慧音の頭を掴んでいた手を離しても、慧音は真剣に私の目を見つめていた。
どこかで拾ってきた汚らしい畳に、隙間だらけの壁、シミだらけの天井。
そんな汚い部屋の中で、私達はこんなにも真剣に見つめ合っていた。
「そうか……なら私はやはり貴女を守る」
「良いよ、守って頂戴」
「え?」
自分でふっかけておいて、驚いたのは慧音自身だった。
「真っ直ぐなあんたが好きよ、だからそのままでいなさい」
我ながら、良い笑顔ができたんじゃないかと思う。
「思ってくれる人がいた、それが久しぶりのことで本当に嬉しかった」
結局そういうことなんだろうと思う。
方向性が正しいかは置いておいて、慧音は私を本当に思ってくれているんだ。
不老不死の私なのに、その私が死んだり生き返ったりするのを見たくないんだ。
でも私も、私のために慧音が傷つくのはできれば見たくなかった。だから、
「無茶だけはしないで」
と言ったが。
「善処はする」
という返事しか返ってこなかった、これは無茶をするな、きっと。
「なんであんたはそんなに人間が好きなの? なんでそこまでして守ろうとするの?」
とも聞いた。
きっと、慧音からすれば輝夜も人間なんだろう。
だから永遠亭にも直接説得しに行ったんだと思う。そうでなきゃ私のところにしか来ないはずだ。
そう私だけじゃない。輝夜の傷つく姿も、見たくなかったんだろうと思う。
私の側に偏った身の振り方をするのは、わたしが独りぼっちだからだろう。
そんな私の質問に対する慧音の答えはこうだった。
「それは、貴女がこれからどれだけ私の歴史を紐解けるか、ということさ。
いきなり語ってしまったのでは面白くない。歴史も人も、そういうものだ」
少し悲しそうな、儚い笑顔を浮かべて、慧音はそう言った。
なら、時間を掛けて紐解いてやろう。私にも慧音にも、まだまだ長い人生があるんだから。
特にやることもなく、床に大の字になりながらふとそんなことを思った。
何を見かけないかというと、あのワーハクタクの娘だ。
半妖だからなのかどうかはわからないけど、人間が大好きで自主的に人間を守っている。
つまり彼女は私さえもちゃんと人間と認識してるんだろう。
頼んでもないのに勝手に私の家の周りを飛び回っていたりする。
なんだか天井のシミが増えたな……
割と私にしてみればどうでも良い事だった。
天井のシミと同格に扱ってしまっているぐらい。
だって守るとか言いながら私よりも弱いし、そもそも私は守られる必要もないのだから。
満月の時期が彼女の最高潮らしいけど、それでも私や永遠亭の連中にはまだ及ばない。
竹林の深いところにある小さな家。
雨風を凌ぐ程度の本当に簡素な造りの家だ。
何故なら自分で建てた家だし、私は大工じゃない。
でもそろそろ立て直そうか、次はもう1部屋ぐらい作ってみようか。
天井のシミを眺めつつそんなことに思いを巡らせる。
ここに住み始めたのはいつの頃からだっけ。
この辺は妖怪がうようよいるけど、襲われたのは最初だけで、
実力の差を散々知らしめてやったらもう何も襲い掛かってこなくなった。
以前はあいつが送り込んできた刺客が度々訪れてきたけど、それもある時を境に途絶えた。
長い年月の間に徐々に力を付けていく私に対して、通用すると思える奴もいなくなったんだろう。
だからたまに自分の方から遊びに、もとい私を殺しに来たりする。
そういうときは大抵、ボロボロになったあのワーハクタクが道中に転がってる。
えーと、慧音、そうだ慧音とか言った、姓はなんだったっけ。
しょうがないから安全なところまで担いで行ってやったりもするんだけど、
生憎と私は薬やらは持ってないので手当てしてやれない、だってそんなの必要無いし。
お酒って消毒作用があった気がするから一度傷にかけてやったことがあるけど、痛がった慧音が暴れた。
だから最近はそれすらもしなくなった。
大体週に1回ぐらい来てたんだけどなあ。
といっても別段挨拶を交わしたりするわけでもないし、鬱陶しいとは思われたくないのか、
家からは少し離れたところを勝手に巡回しているみたい。
まぁそれでも結構気になるんだけどね。来てたら絶対にわかるぐらい。
慧音を見なくなってから、もうそろそろ3週ぐらいになるだろうか。
居なくても困らないけど、とりあえず天井のシミよりは大分気になり始めた。
暇だし、ちょっと出歩いて探してみよう。
手をつかずに「ん~」と、くの字に身体を起こす。
ちょっと腹筋がつりそうになった、最近輝夜とも戦ってないから身体がなまってる。
このところはどうもやりあう気がしなかったからなあ。
慧音のことが一段落したら今度また遊びに行ってやるか。
まずは近いところで家の近辺。
この辺で果てて、白骨化してたりして、と思うとちょっとゾッとした。
いや、でもこのぐらいの日にちならまだ腐乱死体くらいかな、なんて考えたりもした。
ガサガサと竹薮の中を歩き回るものの、特に慧音の痕跡は見当たらなかった。
そもそもこの竹林には私が張った簡単な結界がある。
それは侵入者を防ぐ等といった目的のものではなく、ある程度大きな霊力を持った奴が入ると、
そのことが私にわかるというもの、でも正確な位置まで計れたりはしない。
結界の勉強もしたけど、難しすぎて途中で放り投げたからだ。
しかし、さっき言った「来てたら絶対にわかる」というのは他ならぬこれのお陰なのだ。
大雑把な結界なものの、効果範囲はかなり広いのでそれなりに役に立ってる。
人物の特定もできないけど、この竹林に入る奴で結界にかかる奴なんてそういないので、
よく来る奴はその霊力の大きさで大体判別できる。これは慣れだ。
弱いとは言ったもののそれは相対的な見解であって、慧音はそんじょそこらの妖怪よりはずっと強いので、
満月の時期じゃなくても入ってくれば確実にわかるのは実証済み。
つまり、一応竹林を探索してみたものの慧音がいないのはわかりきってる。
結界もとくにほころびた場所はなかった、念のため、だったけどやはり実は結ばなかった。
そういや慧音の家ってどこにあるんだろう。
次に目的地としたのは慧音自身の家だったけど、わからない。
でも慧音がどこの里を中心に守ってるかは見当がついてた。
考えられるのはそこの里に住んでるか、もしくはそこの里の近くに住んでるか。
慧音も一応妖怪だ、満月の夜にはあんなに目立つ角も生えるし、前者は考えにくい。
竹薮を歩き回ったせいでモンペがあちこちほつれてしまっている。
いつも暇だしまた気が向いたときに直すか、なんて考えながら、私は空へと飛び上がった。
私の家からそう遠くない場所にその里はある。
慧音は思ったより行動範囲が狭いんじゃなかろうかと思った。
里に着くと、時刻はそろそろ夕時。
無邪気に遊びまわっていた子供達が手を振って自宅へと帰っていく光景が目に付いた。
大人は農具を担いで帰路についている、至って平和な里だ。
ダメもとで里の連中に慧音のことを尋ねてみると、そういえば最近見かけない、
と、私とまるで同じことを言った。
どうもここでも同じような扱いらしい、里の周りを巡回しているのは度々見られているようだけど、
自分から積極的に里の人間と交流を持ったりはしていないみたい。
その他に、それこそ慧音が巡回を始めた頃は皆怖がっていたらしいが、すぐに無害であるとわかり、
それどころか自分たちを守ってるらしいことに気付いてからは、里の者に好かれているという話も聞いた。
大分昔からのことらしいけど、そんな慧音にたまに農作物やらなんやらを捧げにいったりもしてるらしい。
慧音はいつも受け取ろうとしないので、無理矢理押し付けて帰ってくるらしいけど。
ということで慧音の家の場所も里の人間から聞きだすことができた。
何故慧音の家の場所を知りたがるのか、と問いかけられたけど、私も守ってもらっていて、
最近見かけないので気になった、と言うとすんなり話してくれた。
ちょっと大げさに言ったけどね。守ってもらってるつもりは無いし。
里の人間も少し不安なんだろう、慧音がいなくなったことが。
ただ自分達はそれについて調査するのが怖かったんだと思う。
いつも守られてるような立場なんだから、里から遠出するのも怖かっただろうし、
もし慧音に何かあったら、と想像すると悲しいというのもあるんだろう。
臆病ではあるものの、やっぱり気にはなるんだ、だから私が調査するのを甘受したんだ。
少し身勝手だとも思う、何故慧音がそこまでして人間に肩入れするのか、やはり理解に苦しむ。
ものすごく、という程ではないけど私はあまり人間が好きになれない。
あんな薄っ暗い竹林の中で生活してるのだって、人間が臆病すぎるからだ。
私が不老不死だって分かれば、即座に気味悪がって排除しようとする。
臆病だから、ってことは私もわかってるから、徹底して嫌ったりはしないけどね。
それに私も一応人間だし。
そんなことを考えつつも、慧音のものらしき家が見えてきた。
鬱蒼と生い茂った林の中に一箇所だけ切り開かれた場所があり、そこにぽつんと建っている。
里からは結構近かった、普通の人間が歩いて1時間かかるかどうかと言った程度だ。
高速で飛べる者なら数分だろう、多分、慧音はすぐに里に駆けつけられるようにと、こんな側に建てたのだ。
私の家ほど簡素ではないけど、大きさは似たようなものだった。
造りはとてもしっかりしてる、無駄な装飾はないけどきっちりと小綺麗にしてある、掃除も行き届いてる。
なんとなく、慧音という奴の人物像が垣間見えた気がした。
私は臆することなくその家の戸を叩く。
どういう奴なのか、真剣に気になり始めていた。でも応答は無い、不在のようだ。
戸に手を掛けるとそれはあっさりと開く、中を覗いてみても慧音はいない。
声を掛けてもやはりいない、少し悪いことをしてるような気分になったので、私は戸を閉めた。
ちらと見ただけだったけど、家の中も実に整然としていた。
仕方が無いので少し待ってみる。
家の外観を改めて観察してみると、ご丁寧に表札があった。
「上白沢」
ああそうか、そんな姓だった。
手製のそれはやはり自分で作ったものなんだろう、けれどとても立派だった。
名前を聞いたのは、お酒で消毒したあのときだっけ。
そのぐらいしか口を聞いた記憶が無い。
そういえば、と気になってもう一度家の戸を開けた。
申し訳なく思いつつも少しだけ入って、床を手のひらでなぞる。埃っぽくはない。
それを確認すると、すぐにまた外に出て左右の手のひらをこすり合わせてみた。
うん、やはり埃は無い、3週間丸々家を空けてるってわけではないようだ。
どういう奴なんだろうな……
人を避けて生きてきた。
人に避けられて生きてきた。
それでも不老不死になるまでは普通だと思ってた。
自分は望まれて生まれてきたわけじゃなかった、けどそれでも、いくらか人との関わりがあった。
慕ってくれる人間も、わずかながらにいた事はいた。
不老不死になってからは、それすらも無くなった。
人と接するのが怖かった。
そして、怖がられた。
それでも悲しみに明け暮れるわけに行かなかったのは、輝夜が憎かったから。
こうなってしまったのも全ては輝夜のせいだと思い込んで、憎悪を原動力に歩んできた。
それが報われたのは、この幻想郷に辿りついて輝夜と再会を果たしたときだ。
可愛さ余って憎さ百倍、と言うけど、逆もあるんじゃないかと最近思う。
なんとあの憎たらしい輝夜は死なないでいてくれるのだ。
むしろ愛おしいではないか、いつまでもわたしに活力を与えてくれる。
初めの頃は一方的にやられるだけだったものの、独学で修行を積んで、
たくさんの術を身につけてからは対等以上に戦えている。
先天的に大きな力を授かった輝夜とはそこが違う、私は努力をするけど輝夜は大した進歩をしない。
目の前に置かれた大好物の大皿を、飽きることなく貪るように、ひたすらに輝夜との殺し合いに明け暮れた。
最近は落ち着いている。
あまり飛ばしすぎて憎しみが枯れてしまうようなことになったら面白くないから。
そうしたらそれこそ、この無限の時間をどう使えば良いのかわからなくなる。
輝夜は私の全てを受け入れてくれたし、私は輝夜の全てを受け入れた。文字通り、その身体で。
きっと輝夜も同じ気持ちなのだろう。
だからこそ控えた、愛も憎も消耗品だと思ったから。
でもそうなると首をもたげてくるのが人恋しさ。
図らずも、輝夜との殺し合いはそれさえも満たしてくれていたようなのだ。
何故慧音はこんなどうしようもない私を守ろうとするの?
表札とにらめっこしたって、答えてくれるわけなんてなかった。
気付くと寝てしまっていたようだ。
野宿だなんて、と昔を思い出したがそうも言ってられなかった、何かの気配がする。
ぴちゃ、だの、ぐちゃ、だのと、聞き苦しい音が林の中から迫ってくる。
荒い息遣いも聞こえてきた。ずりずりと、何かを引きずるような音も。
「慧音」
声を掛ける。
そこには血まみれで、足を引きずりながらこちらへ向かってくる上白沢慧音の姿があった。
「ハァッ……何の用だ」
「あんたの顔が見たくなったのよ」
こんな状況で冗談を飛ばす私を見て、慧音はキョトンとしていた。
見て分かる、あれは別に致命傷ではない。大怪我には違いないけど。
もっとこっ酷くやられているのを何度も見ているし。
「まぁいい……入れ、話がある」
「へ?」
こっちから用があったはずなのに、向こうも私に用があるらしい。
一応礼儀と思って肩を貸そうとしたら、やんわりと拒否された、ので無理矢理肩を貸してやった。
「いい……いいから、余計な世話だ」
「それはお互い様だろ」
ごちゃごちゃと抜かすもんだから少し乱暴に吐き捨ててやる。
自覚があるんだろう、慧音はそれを聞くと黙ってしまった。
家に入るなり、慧音は乾燥させて瓶詰めにしてあった薬草の類をちゃぶ台に並べ、すり鉢ですり潰し始めた。
見るとそんなに残りが無い、勝手な想像ではあるものの、こういうのはちゃんとマメに補充する奴だと思う。
だから多分、最近は薬草を摘みに行く時間もないのに、それに反して生傷が絶えないんだろう。
「効くの? それ」
「……酒をかけられるよりはいいさ」
皮肉を飛ばす余裕もあるようだ、やっぱり致命傷じゃないらしい。
慧音は、すり潰した上で液状の薬品を混ぜて、ペースト状になった薬草を手際よく傷に塗りこんでいった。
私はしばらくちゃぶ台に頬杖をつきつつ、その光景を眺めていた。
「手馴れてるのね」
「そういう生活だからな」
お互い愛想が無いせいで、実に淡々とした会話しか無かった。
でも逆に、お互い愛想がないので特にそれが嫌な空気とも思わなかった。
慧音は手当てを終えると、包帯だらけの姿で居間から台所へと歩いていく。
もう足はひきずっていない、その辺の回復力は流石半妖だけある。
「何するの?」
「茶でも出そうと思ったんだが、そんな時間ではないな」
そういうと慧音は一升瓶を持って戻ってきた。
里を出る頃既に外は暗くなりかけていたし、そうかもう「そんな時間」なんだ。
「酒の正しい使い方を教えてやらないと、と思ってね」
「はいはい、それじゃご教授受けましょうかね」
なんだ意外と面白い奴だ。真面目くさってるけど。
案外、最初にこっちが冗談を飛ばしてやったから気持ちが緩んだのかもしれない。
受け取った杯に酒を注がれたあとは、今度はこっちからも注いでやる。
「ありがとう」
慧音は軽く会釈する、やっぱり真面目な奴だな。
と思うといきなり1杯目を豪快に空けてしまった。形容するなら「ぐいっ」と言った感じに。
「残念ながらつまみは無い、作ってやりたいが疲れていてその気力も無い」
「いいわよ別に、ほらもう1杯どうぞ」
空になった杯に早速2杯目を注いでやると、今度はそれに少し口をつけてからちゃぶ台に置いた。
「で、話って何?」
「そうだな……順序が狂ってしまったが、お前の方が物分りが良さそうだ」
順序? 疑問は残るものの、とりあえず聞いてみることにした。
大分はっきりした性格のようだから、変なところを隠したりはしないだろう。
慧音は少し顎に手を当てて考え込むと、口を開いた。
「今日私が行ってきたのは永遠亭というところだ、お前……妹紅もお馴染みだろう」
「ん? 永遠亭はともかく、私の名前知ってたの? 輝夜が喋った?」
「私にわからないことは無いんだ、変なところに茶々を入れずに聞いてくれ」
真面目な表情だった。どこか悲しそうにも見えた。
「妹紅と戦うのをやめるよう、説得しに行った、というよりもここしばらく通いつめてる」
「え……」
「迎撃は酷いし、強い従者はいるし、運良く輝夜のところへ辿り着いても全く耳を貸してもらえない」
それはそうだ、と思った。
私も輝夜も、あの殺し合いにかける想いはそう軽くはないのだから。
「だから単刀直入に言う、妹紅も、もうあの無益な戦いはやめてほしい」
「無益?」
カチンと来た。
月並みではあるけど「お前に私の何が分かる」という言葉が頭をよぎる。
そしてそれはすぐ口に出てしまう。
「無益だって? あんたに私の何がわかるっていうんだ?」
「仮に輝夜が殺しきれる存在だとして、殺した後に何が残る? お前の父は帰ってはこない」
父上のことまで知っていたか、確かにわからないことはないらしい。
けどわかってない、私達の心の中は。
「父上のことは今でも恨んでいるよ、でもそれだけじゃない、何もわかってない」
「わかった、無益とは言い過ぎたかもしれない、でも本当にやめてほしいんだ、あの殺し合いを」
慧音が空になった私の杯に酒を注ごうとしたけど、腹が立ったので一升瓶を奪い取って自分で注いだ。
そして一気に飲み干した。
「輝夜は……いつかは説き伏せたいところだが、こんな会話すらも成り立たない」
「そうだろうね」
冷たい言葉を投げかけ、握り締めた一升瓶をまた傾ける。
慧音の杯も空だったから、どんと音を立てて一升瓶を返してやった。
なんだ、こんなつまらないことを言いたかったのかこいつは、そう思うと頭が急速に加熱していった。
「あんたも不老不死になってみたらそんな台詞も吐かなくなるよ」
「かもしれん」
少し退き気味に話していた慧音の態度が急に変わって少し驚いた。
なんでこいつはこんな目をして話すんだろう。
慧音も自分の杯に酒を注ぐと、それをぐいと平らげた。
「だが不老不死ではない、だから言う」
頭の中で何か弾けた、気がつくと慧音の胸倉を乱暴に引っ掴んでる自分がいた。
「何も分からないなら首を突っ込むな、輝夜ほどじゃないけどわたしも結構短気なんだよ」
「いいや、突っ込む」
「突っ込むな」
「そういうわけにはいかない」
怖ろしく頑固だった、この上白沢慧音という女。
満月も出ていない、明らかに実力で劣る私に対して、相変わらず鋭い視線を投げかけている。
胸倉を掴まれていることすら意に介していない。
「とにかく、殺し合いはやめてほしい、言いたいことはそれだけだ」
「やめない」
「ならばやめさせる」
ここは引き下がろう。
このままだと本当に手を出してしまいそうだから。
「なんだ、面白くも何とも無い……このまま永遠亭に通ってたら命の保障はないね」
「そうかもな」
「怖くないのか?」
「怖いさ」
胸倉を掴んでいた手を離すと、少し浮き上がっていた慧音は床に尻餅をついた。
そしてすかさず、ぐちゃぐちゃに握りつぶされた胸元のリボンを整える。
「私の話は以上だよ、さて、そういえば妹紅、貴女は何故ここに来た?」
「ふん、もういいよ……お酒ごちそうさま」
ふっと立ち上がると、背を向けて家の出口へと足早に歩いていった。
背中に視線を感じる。ずっと見つめられている。
良い友達ができるかと思ったのに。
慧音の家に行ってから数日が経った。
相変わらずの退屈な日々。
結局あれ以来慧音のところへは行ってない、慧音も訪ねてはこない。
大方、懲りずに永遠亭に出向いては、こてんぱんにやられて泣き寝入りしてるのだろう。
泣き寝入りはしないだろうけど、想像するとちょっと笑えた。
あの頑固者が泣き寝入りだなんて。
外は満月だった。
満月を見ると輝夜を思い出す、満月を風流だなんて言う奴の心情は永遠に理解できそうにない。
何故なら満月は敵の象徴だから。
そんなとき、結界内に侵入者が入った。この霊力の大きさは輝夜だ。
丁度良い、最近鬱憤が溜まっていたし、ここらで発散するのも悪くない。
今日は負ける気がしない、何度も何度も殺して、殺されよう。
しかしそんな気分の高揚を打ち砕く出来事が起きた。
輝夜の直後に結界内への侵入者、この霊力の大きさは満月のときの慧音。
いつもなら先んじて家の周りを巡回しているのだが、明らかにこれは輝夜を追跡してきたと思われる。
まぁ、ほっとけばいつも通り負けて、どっかに落ちてるだろう。
顔見知りになったし家の場所もわかったことだ、今度は家まで送ってやるとするか。
少し興が削がれた気もしたけど、輝夜と戦えることに変わりはないし。
いくら満月の夜だからって、慧音が輝夜を阻止できるとは思えない。
しかしおかしい、遅すぎる。
いつもなら数分、満月時でも10数分しか慧音はもたない。
しかし既に30分以上が経過している、未だに輝夜は来ない。
少し考えた、もしかすると連日永遠亭にちょっかいを出していた慧音を鬱陶しく思った輝夜が、
今日は止めを刺そうとしてるのかもしれない。
良いじゃない、放っておけばあの鬱陶しいワーハクタクは輝夜が始末してくれる。
なのになんなの、このスッキリしない感じは。
何か嫌だった、よくわからないけど、すごく嫌だった。
「まったく!! お節介ばかりして、世話が焼ける!!」
普段出かけるときのゆったりした飛行ではない、背中から鳳凰の翼が燃え上がる。
少し上空へ上がると、断続的に爆発の起こってる箇所があった、あそこで交戦しているようだ。
全速力でその場へと飛んだ。
慧音と輝夜の戦い。
序盤こそ慧音は優勢であった。満月の夜であれば、術単発の威力は輝夜に引けをとらない。
しかし輝夜は妹紅と同じく不老不死である。あまつさえ、わざと攻撃を食らってるようにさえ見受けられた。
自分は手を抜いて、慧音には全力で戦わせる。
もちろん慧音は手を抜けない、相手が不老不死だとわかっていても。
全力で臨まなければあっという間にやられてしまう。
粘っても、体力切れした瞬間やられてしまう、どうしようもない。
妹紅の予想は当たっていた。
今日の輝夜はいい加減鬱陶しくなった慧音を始末しようとしていた。
実のところ慧音は今日も永遠亭を訪ね、いつも通りボロボロにされて逃げ帰っていた。
ところが満月が出たのですぐに回復し、動けるようになった。
そして既に夜も遅かったが、妹紅のところへ行こうとした。
耳を貸さない輝夜と先日の妹紅との会話が相まって、意気消沈していた。
いくら強気で振舞っても伴わない実力、通じない気持ち。
ただ妹紅に会いたかった。嫌な顔をされても構わない、話を聞いてほしい。
そして途中、妹紅の家へ向かっている輝夜を見つけてしまう。
そのまま、輝夜を止めにかかったのだった。
自分からは仕掛けない、まず説得にかかる。だが輝夜はすぐに攻撃を仕掛けてきた。
それゆえ身を守るために戦わざるを得なくなってしまう。
もちろん戦ってる最中も必死に訴えた。
「もう殺し合うのはやめてくれ!!」
悲痛な叫びは輝夜の耳には届かない。疲れが見えるや、一層激しい攻撃が展開される。
途端に防戦一方になるが、輝夜や妹紅と違うのは、不老不死ではないことだ。
避けきれず、防いだ攻撃のダメージがじわじわ蓄積する、満月の後押しを得ていても傷の修復は間に合わない。
しかし死んではいけない。
そんな思いも虚しく、足、背中、と立て続けに被弾。
空中で姿勢を維持できなくなり、ふらふらと地面へ落下していく。
地面を這いつくばって、竹薮に身を切られながらも、着陸した輝夜の元へにじり寄る。
「もうたくさんだ!! お前達の殺し合いは見たくない!!」
「なら見なければ良いでしょうに、何も知らないくせに首を突っ込むんじゃないわ」
「……」
返ってくるのは冷たい言葉、それも、数日前に妹紅に言われたのと同じ台詞だった。
それまで強く保っていた信念が音を立てて崩れていく。心底打ちひしがれた。
言葉を交わせる相手ならいつか通じる、その想いは2人の蓬莱人の宿命の前には無力なのだと悟った。
逃げる気も失せた、涙も出ない。もう、諦めよう。
「本当鬱陶しかったよあんた、最初はほっとこうとも思ったけど、もう我慢の限界」
「何故そこまでして殺し合うんだ……」
「教えてやらない」
目の前が眩しくなった。
輝夜が止めの攻撃にと放った、人の大きさぐらいの大きな光の弾。
観念してぐったりとうなだれる。
「やめろ輝夜ー!!」
聞き覚えのある声がする。
いや、この場所と状況を考えたら1人しかいないな、妹紅だ。
何のために? あれだけ怒らせてしまったのに。来るはずなんて。
視界が少し暗くなった、目の前の光が少し遮られたから。
見ると、妹紅が盾になっている。
「うぁぁぁぁーっ!!」
光球に身を焼かれながら、妹紅が激痛とその熱に悲鳴を上げる。
それが妹紅だとすぐに気付くことはできなかったが。
やはり、妹紅だ。
「妹紅!? 何故私を……」
受け切ったら後ろの慧音を巻き込むと思ったので、身をよじってその光球の弾道をそらした。
そのまま仰向けに倒れる妹紅を尻目に、光球はその軌道にある竹林を炭に変えながら彼方へと飛んでいく。
「あら妹紅、何してるの? 待っててくれればすぐ行ったのに」
ワンテンポ置いて起き上がり、答える。
「……生憎とこっちは待ちきれなかったんだよ」
服が焼けっぱなしであられもない姿になっていたが、火傷は瞬く間に修復された。
そう、すでに1回死んだから、即座に蘇生したのだ。
「慧音……」
「も、妹紅……」
目の前の輝夜を睨みつけたまま慧音に語りかける。
「確かに、私もあんたと輝夜の殺し合い、見たくないわ。想像もしたくない」
「……」
「詳しくは後で話す、でも今日だけは堪忍してよ。輝夜、もうやる気満々みたいだから」
「……わかった」
慧音は這いつくばったまま、竹薮の奥へと退いていった。
「どういうこと?」
1人蚊帳の外だった輝夜が不思議そうに尋ねてくる。
「あんたの従者……ああ、八意も不老不死だから良いとしてね」
「うん」
「あのウサギ2匹、いっつも私は適当にあしらってるじゃない」
「そうね」
「もし私が、鬱陶しいと言って殺しちゃったらどうする?」
輝夜の表情が少し曇った後、急速に怒りを帯び始めた。
「この竹林ごとあんたを焼き払って、生き返るたびにあらゆる手段で殺して殺して殺して殺して……それでも許せない」
「よくできました、そういうこと」
輝夜は構えを解いて腕組みすると、口を尖らせながら虚空を見つめていた。
どうやら、言いたいことを解したらしい。
「あの角女を殺して悔しがる貴女を見たい気もするわ、良い酒の肴になりそうだもの」
「そしたら永遠亭ごとあんたを焼き払って、生き返るたびにあらゆる手段で殺して殺して殺して殺して……」
「ふふん」
輝夜は愉快そうに鼻を鳴らす。
「ま、慧音とまともに知り合ったのは最近だけど……」
「なるほどね」
「お互い、大事なところに手を出すのはやめよう」
「ごもっともだわ、これ以上あんたに恨まれるのも鬱陶しいし」
「殺し合いの理由は、父上のことだけで十分だよ」
私達はこの絶妙な感覚の「殺し合い」が楽しみたいだけだった。
これ以上の恨みは、バランスを崩してしまう。
この辺をちゃんと説明すれば、慧音もわかってくれるんだろうか。
ともあれ、私達は久しぶりの殺し合いに興じた。
痛いし熱いし、たまったものではなかったけど、終わった後は心が晴れた。
ああ、負けたか。
眼前に広がるのは相変わらずの竹林、あちこち焼け野原になっていたけど。
もはやぼろきれとなった衣服を指に巻きつけていじくったりしながら、よいしょと起き上がる。
輝夜はもういない。
慧音のものらしき血痕を辿っていくと、その先で疲れ果てて気を失っていた。
もう朝日が昇り始めてるのが、まばらになってしまった竹林の隙間から覗ける。
慧音の角も尻尾も引っ込んでしまっていたし。
久しぶりにはしゃぎすぎたせいか、全身が酷い筋肉痛だ。
これならもう起き上がっても腹筋はつらないだろう。
慧音を担ぎ上げると、傷はほとんど治り、寝息を立てているようだった。
たまには我が家にでも招待しよう。
「うわっ!! 痛い痛い痛たたた!!」
慧音が激痛に飛び起きる。
「お、お前また酒を!!」
「お酒の間違った使い方も教えてやらないと、と思って」
慧音はまだあちこち生傷だらけ、お酒をかけられて暴れる余裕ぐらいはあるみたいだけど。
「私の家に薬はないんだよ、わかるだろう?」
「そうか……」
少し申し訳なさそうな顔をしてうつむく、こいつこんな奴だったっけ?
「何よ柄でもない」
「いや……」
仕方ない……
「ほら、飲みなよ」
一升瓶をそのまま渡す。
「なんだ? 杯は無いのか?」
「1人で暮らしてるし、客を招きいれたのも初めてよ。別に良いじゃないの、そのまま飲みな」
「は、はぁ……」
病み上がりに一升瓶ラッパ飲みなんてえげつないとも思ったけど。
これほど元気のない慧音、なんだか嫌だった。酒を飲めば少しは気持ちも高揚するだろう。
そんな気持ちを察してか、慧音は一升瓶を両手で持ち上げて勢い良く酒を呷った。
「っぷぅ~……」
「良い飲みっぷりだよ、ほんと」
少し恥ずかしそうにした後、慧音は私にも酒を勧めてきた。
「飲め、飲んでくれ」
「言われなくても」
私も同じように酒を呷る。
なんだかもう心の中もすっきりしたし、身体には悪そうだけど思い切り酔うのも良いか。
不老不死で、身体に悪いも何も無いけど。
しばらくは沈黙が続いた、一升瓶を渡したり渡されたり。
1人でちまちま飲んでた一升瓶、先日開けたばかりでほとんど中身の残っていたそれは、
あっという間に空になって、既に2本目に突入していた。
「存外汚い家だな」
「ほっといて、あんたがマメすぎなのよ」
久しぶりに口を開いたと思ったら随分と失礼なことを言う。
「……ありがとう」
「……」
また押し黙ってしまう。命を救われたことに対するお礼なんだろう。
なんだって人の家をバカにした後にいきなり言うのだろう。調子が狂う。
「もうダメだと思った」
「そりゃそうでしょう、輝夜を本気にさせると結構酷いわよ」
「お前は、いつもあんなやつと全力でやり合っているんだな」
「楽しいからね」
慧音の表情が変わった。
「楽しい?」
「そう、夕べ言った『詳しいこと』っていうのはそれ」
私は話してやった、不老不死になってから、生を実感できるのは輝夜と殺し合いをしているときだけということ。
そしてもう、お互いに殺しあう理由なんてあまり深く考えてはいないということ。
周りからは凄惨な殺し合いに見えたって、私達にしてみればなんてことないスキンシップなんだ。
死への恐怖も無い。最近じゃ、痛いのだって気持ち良いのと錯覚してしまうぐらいにおかしい。
でもそれは私達には必要不可欠で、不老不死になった利点は、第一にそれなのだ。
「そうか……確かに私は勘違いして暴走していたのかもしれない」
「だから柄にも無いことを言うなっていうの」
うつむこうとする慧音の頭を両手で掴んで、こちらに向けさせる。
「私はあんたの自分勝手な解釈に確かに腹も立てたし、あんたのやってることは私にとったら大きなお世話」
「……」
「でも私はそれを平然と言ってのける、強気なあんたの性格は好きだったんだよ。
好きだったから、あんたを輝夜に殺されたくないと思ったし」
「なら、私はどうすればいい?」
「聞くな、自分で考えろ」
慧音の頭を掴んでいた手を離しても、慧音は真剣に私の目を見つめていた。
どこかで拾ってきた汚らしい畳に、隙間だらけの壁、シミだらけの天井。
そんな汚い部屋の中で、私達はこんなにも真剣に見つめ合っていた。
「そうか……なら私はやはり貴女を守る」
「良いよ、守って頂戴」
「え?」
自分でふっかけておいて、驚いたのは慧音自身だった。
「真っ直ぐなあんたが好きよ、だからそのままでいなさい」
我ながら、良い笑顔ができたんじゃないかと思う。
「思ってくれる人がいた、それが久しぶりのことで本当に嬉しかった」
結局そういうことなんだろうと思う。
方向性が正しいかは置いておいて、慧音は私を本当に思ってくれているんだ。
不老不死の私なのに、その私が死んだり生き返ったりするのを見たくないんだ。
でも私も、私のために慧音が傷つくのはできれば見たくなかった。だから、
「無茶だけはしないで」
と言ったが。
「善処はする」
という返事しか返ってこなかった、これは無茶をするな、きっと。
「なんであんたはそんなに人間が好きなの? なんでそこまでして守ろうとするの?」
とも聞いた。
きっと、慧音からすれば輝夜も人間なんだろう。
だから永遠亭にも直接説得しに行ったんだと思う。そうでなきゃ私のところにしか来ないはずだ。
そう私だけじゃない。輝夜の傷つく姿も、見たくなかったんだろうと思う。
私の側に偏った身の振り方をするのは、わたしが独りぼっちだからだろう。
そんな私の質問に対する慧音の答えはこうだった。
「それは、貴女がこれからどれだけ私の歴史を紐解けるか、ということさ。
いきなり語ってしまったのでは面白くない。歴史も人も、そういうものだ」
少し悲しそうな、儚い笑顔を浮かべて、慧音はそう言った。
なら、時間を掛けて紐解いてやろう。私にも慧音にも、まだまだ長い人生があるんだから。
初投稿ですので不安だらけで、点数が4桁に届くとは思いませんでした。
今思うと後書きで台無しな気がしますorz
へそ曲がりの性分なもので、少し一般的な印象と違う感じにしたいと思いました。
「こんなの違う!」と言われる可能性もあり、冒険だったので
新鮮と受け取っていただけるのはとても嬉しいです。
けしからん!ちゃんと描写なさい ハァハァ
い、いきなり語ってしまっては面白くないんです!(ならいつか書くんか
>妹紅ではないですが、慧音のいい意味での頑固さに惚れました
慧音の物腰って、東方のキャラの中でもかなり独特だと思うんですよ。
二次創作でありながらも、その「らしさ」を出せてたなら良いのですが。
「殺し殺され」の価値観はスペカルール制定後の幻想郷にはちょっと合わないと思います。
個人的な感想ですが。