Coolier - 新生・東方創想話

純粋無垢の白昼夢

2006/07/28 11:19:08
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 見上げると蒼一色が広がっている。
 雲一つない快晴だ。
 そう表現すればとても良い天気という印象を受けるかもしれないが、
 聞くのと体感するのとでは大違いである。
 今は夏まっただ中。
 太陽から降り注ぐ日差しはぎんぎんに強く、陽炎すら浮かんで見える。
 そこに遮る物一つない晴天とくれば、どれだけ暑いか理解できることだろう。
 そんな茹だるような暑さが、ここ数日幻想郷を襲っていた。


 ☆


「あーづーいー……」
 その灼熱地獄の中、湖の氷精チルノは暑さをしのげる場所を探して飛んでいた。
 氷精という種族上チルノが暑さに弱いというのは周知の事実。
 それにしても今年の夏は異常なまでに暑さが酷い。
 チルノでなくとも参ってしまいそうになる。
「暑いー、暑いー、あーつーいー」
 口を開けば出てくるのは「暑い」の一言だけ。
 別にそれしか言語能力がないわけではない。
 チルノがどれだけバカだと言われていても、そこまでバカではないのだ。
 
 
 閑話休題。
 目的はとにかく暑さが凌げる場所が見つかればそれで良い。
 もう夏が終わるまで、そこで冬眠ならぬ夏眠をしても良いとすら考えている。
 だがそれもその場所が見つかなければ話にならない。
 夜にでもなれば多少は涼しくはなるが、朝が来ればまた暑くなる。
 酷いときは熱帯夜が数日続き、夜も暑さに苦しめられることも少なくない。
 なんにしても適当な場所で野宿というのは勘弁願いたい季節なのである。
 妖精であるチルノにとって定まった家というものはない。
 お気に入りの場所ということでいつも寝床にしている場所はあるが、
 そこではこの暑さを凌ぐことができず、こうして暑さを凌げる場所を探す羽目になっている。


 誰かの家に転がり込む、という手も考えたがそれは却下となっている。
 実は数時間前、チルノは大妖精の元を訪れていた。
 彼女の家は木の根元に空いた穴の中。
 常に木々の葉が日差しを遮ってくれているので、この暑さもだいぶ軽減されている。
 羨ましい限りの環境にたった一人で暮らせるのは、彼女が大妖精という立場にいるからだ。
 大妖精は快く承諾してくれたが、そこへ森の妖精達までやってきた。
 いつもは仲間の妖精にすら悪戯をするチルノは爪弾きにされてしまうのだが、
 この夏――しかもこの酷い暑さ――においてチルノの存在は真逆のものとなる。
 ようするに氷精であるチルノの冷たい体温は、抱き枕にするには丁度良いのだ。
 ここまで説明すればチルノがどのような仕打ちを受けたか予想できるだろう。
 我先にチルノに抱きつかんと近づいてくる妖精達。
 大妖精が制止するも、この暑さにあてられた妖精達は突進をやめない。
 ついには大妖精が弾幕を張って、そのうちにチルノを逃がすという惨事にまで発展した。


 ということがあり、誰かの世話になると自分の身が危険だということを学習した。
 故にチルノは一人で快適に過ごせる場所を探しているのだ。
 しかしそんな都合の良い場所が簡単に見つかるはずは――。
「あれ?」
 チルノの目に山肌にひっそりと佇む廃屋が映った。
 森の木々に阻まれて見落としそうな場所で、見つけられたのは偶然である。
 しかし今はその偶然に感謝しよう。
 あそこならきっと涼しいはずだ。



 チルノはようやく見つけた憩いの場所へと全速力で飛んでいった。



 廃屋の中はまるで天国だった。
 それは暑さを凌げる、という当初の目的が果たせただけの意味ではない。
 お粗末ながら布団らしきものが敷かれており、昼寝がしやすい。
 土間の壺の中には干し柿や芋けんぴなどの乾燥食。
 食料と寝床が完備されたまさに天国。
 それなのに天井も壁も穴だらけで、人が住んでいるという感じはしない。
 食料や布団をそのままにして、この家を捨てでもしたのだろうか。
 いやチルノにとってそんなことはどうでも良いことだ。
「誰も住んでないなら、今日からここはあたいの家で決定ね!」
 異論を唱える者は誰もいない。
 もともと誰もいないのだから当然である。
 無反応にチルノは満足げに頷くと、布団の上に寝転がった。
 葉を重ねて作ったいつもの寝床よりも数段気持ちよい。
 この暑さの中をずっと飛び続けていことも関係して、チルノはすぐに睡魔に襲われた。



 ☆



「……だ?……いつ」
「しら……こだね」
「はねが…………かいかな?」
 耳元で聞こえる話し声。
 夢の中の出来事なのか。
 まだ意識は眠りについたまま、チルノはその声に耳を傾けた。
 しかしなかなかよく聞き取れない。
 でも気になる内容でもなさそうだしこのまま寝ようか、と考えていた矢先のことだった。


「ったあああああいっ!?」


 チルノは後頭部に受けた鈍い痛みに、たまらず飛び起きる。
 思い切り殴られたらしい。
「何すんのさっ」
 チルノは自分を殴った不届き者に反撃しようと後ろを向いた。
 そこに立っていたのは三人の子供。
 全員人間の子供で二人が男の子、一人が女の子。
 男の子の方はチルノくらいの背丈の子と、まだ幼さが残る背の低い子。
 女の子はその背の低い男の子と同じくらいの背丈で、年も近そうに見える。
「あんた等があたいを殴ったのね」
 凄みを効かせて迫るチルノ。
 人間如きが自分を殴ろうなど百億万年早いのだ。
 それを知らしめさせなければなるまい。
 しかし相手の子供も怯んではいるが逃げたりはしない。
 特に一番大きい男の子は二人を守るようにして立ちはだかり、敵意の目を向けてくる。
 そしてチルノに向かって大きな声で反撃した。
「お前が勝手に俺等の秘密基地に入っていたんじゃないかっ」
「秘密基地?」
「そうだっ。せっかく見つけたボロ家にみんなで食料や布団を運び入れて作ったんだ」
 この少年が言うには、ここは彼等三人の秘密基地なのだそうだ。
 人里から離れた位置にあるこの廃屋を偶然見つけ、誰も来ないことを良いことに
 自分たちの遊び場として改造していたのである。
 そしていつものように遊びに来てみれば、見知らぬ妖怪が勝手に昼寝をしていたというわけだ。
 自分たちが作った自分たちだけの遊び場を荒らされれば怒るのも無理はない。
「でもあんた等だけの場所と決まっているわけじゃないじゃない」
 そう誰も住んでいないことは事実なのだ。
 それは子供達の言い分の中でしっかりと言われている。
 つまりこの家の所有者はおらず、それを子供達が勝手に名乗っているだけということだ。
 だからここが彼等の者であると断言できるものではない。
「先に俺たちが見つけた場所なんだ。それにその布団は俺たちが運んだものだ!」
「あんた等の物が置いてあってもあんた等の家じゃないんでしょ!」
「お前の家でもないじゃないかっ」
「ここはあたいの家に決めたのよっ。だからこの家の者はあたいの物っ」
「そんなの許すかぁっ」


 白熱した子供の口喧嘩が行き着く先。
 それは容易に想像がつく単純な結末である。
 とどのつまり、手が出る喧嘩への発展だ。
 先に手を出したのは少年の方だった。
 右手をグーの形にしてチルノの頭を殴る。
 相手が女の子でも妖怪なら話は別だし、何より秘密基地に勝手に入った“悪い奴”なのだ。
 二度も頭を殴られたチルノも平手打ちを返す。
 すると今度は少年が腹に蹴りを食らわせてきた。
 腹部への攻撃はさすがにこたえたのか、チルノは腹を押さえてうずくまる。
 勝利を確信した少年が近づいてくると、チルノは欠かさず頭突きを顎にお見舞いした。


 その後は引っ掻いたり、髪の毛を引っ張ったりの拙い喧嘩が続けられた。
 もはやどちらかが泣き出して逃げ帰るまで続くと思われた喧嘩は、
 まったく別の要因によって終結を向かえることになる。
「ひぐっ、うえええええんっ」
「あーん、あーんっ」
 喧嘩を見守っていた幼い二人が突然泣き出した。
 声を上げて鼻水まで垂らしながら泣いている。
 その様子にチルノも少年も喧嘩の手を止め、何事かと二人を見た。
「沙耶、太彦、どうしたんだ」
 少年に尋ねられた二人は泣きながら、チルノ達に懇願する。
「ケンカなんてしないでよー」
「いたそうなの、やなのー」
 少年とチルノが喧嘩をしているところをこれ以上見たくない。
 どちらが痛い目に遭うのも嫌だと、それで泣いているようだ。
 少年はそんな二人の頭を撫でてやりながら優しく告げた。
 この幼い二人には甘いらしい。
 先程の怒りに満ちた表情がまるで嘘のようだ。
「わかった、もうケンカはやめるから。だからもう泣くなよ、な?」
 そう言ってチルノの方を見る少年。
 目で合図を送ってくる。
 どうやらお前も謝れ、ということらしい。
 チルノは不服ではあったが、そんな小さな子供に庇われたのでは面目がつかないと考え、
 やむかたなくではあるが、少年の意向に従うことにした。
「……ごめん。あたいも悪かった」
 チルノが謝ったのを見て、少年はまた二人を宥めるように話しかける。
「ほら、あいつももうケンカしないって言ってる。だから泣きやむんだぞ」
 少年がわしわしと頭を撫でてやると、二人は揃って泣くのを止めた。
「う、んっ」
「わかっ、た、よ、新太ちゃん、ぐすっ」
 涙を着物の袖で拭う二人。
 二人がようやく泣きやんだことで、チルノと新太と呼ばれた少年はほっと胸をなで下ろした。
 そんな互いの表情を、互いに見てしまって気まずい空気が流れる二人の間。
 しばらくの沈黙の後、どちらが先というわけでもなく二人は笑いを漏らした。
 何が可笑しかったかわからない。
 ただ笑ってしまったことで、二人の緊張は一気に解けた。
 終いには沙耶と太彦の二人も笑い出して、四人はそれからしばらく笑い続けたのだった。



 いったん落ち着いた四人は話を始めた。
 いきなり喧嘩を始めただけだったため、互いの事などまったく知らないのだ。
 自己紹介から始まり、さっきの出来事へと話は移る。
 チルノはここを見つけるまでの経緯を話して聞かせた。
「へー、暑いの嫌で涼しい場所を探してたのか」
「私も暑いのやー」
「僕もー」
 まだ幼い二人の子供は、新太に続くようにして会話に入る。
 それがなんだか微笑ましく見え、チルノは笑った。
「まーそういうこと。それでここを見つけて、誰もいなかったし丁度いいやって」
「こんなボロ家だもんな。誰かが住んでるなんて思わないか」
「ぼろやー」
 沙耶の合いの手にチルノはまた笑う。
「お前妖怪なのに、面白い奴だな」
「あんた等こそ人間のくせに、あたいを殴るなんて度胸があるじゃない」
 言って二人はまた笑った。


 なんてことはない会話。
 しかしチルノにとっては初めての経験だ。
 人間の子供とこんな風に話したことなどない。
 そもそも人間は妖怪に近づくことはしないのだ。
 妖怪は人間に退治され、人間は妖怪に喰われる。
 それが幻想郷での両者の在り方。
 それ以上でも、それ以下でもないのが普通なのだ。
 しかし中には例外だって存在する。
 妖怪の中には人間を喰わない者もいるし、共に暮らす者もいる。
 人間側にもそんな妖怪に対して、理解を持つ者もいるのだ。


 チルノにとってこの出会いは、とても特別なものだった。


 ☆


 翌日。
 天井に空いた穴から差し込む光が顔を照らし、その眩しさに顔を背けるチルノ。
 ここ数日の間、感じたことのない心地よさに身を任せ再び眠りに落ちていく。
 だがそれは突然の衝撃によって、無理矢理に現実世界へと引きずり出されることになる。
「ふぐぅっ!?」
 腹部に乗っかかる質量。
 それに上空からの落下が加わり、数倍の重さとなってチルノを襲った。
 さらにそこへもう一つ同じ衝撃が追い打ちを掛けた。
「あふぁっ!!」
 あまりの衝撃に思わず飛び起きるチルノ。
 その反動で乗っかっていた二つの質量が転がり落ちた。
「ったぁい」
「いたたー」
 頭やお尻を押さえて立ち上がる小さな影。
「沙耶、太彦。あんた達ねぇ」
 チルノは昨日知り合ったばかりの二人が犯人だったと理解した。
 起こそうとして取った方法が、寝ている体に飛び乗ることだったそうだ。
 大人の男性でもなかなかきついこの不意打ちに、彼等とさほど変わらぬ体型のチルノが耐えきれるはずがない。
 しかし二人が自分よりも幼いという事実が、チルノの怒りたい衝動を抑えていた。
「お、起きてたのか」
 そこへ新太もやってくる。
 起きたというか、起こされたというか、ではあるが。
「よく眠れたか?」
「まぁね。それより本当にここを使っても良かったの?」


 あの後、皆が帰るというのでチルノも帰ろうとしたのだ。
 すると新太が、ここで寝泊まりしても良いと言ってくれた。
 チルノが寝床を探しているという話を聞いて、考慮してくれたのだ。
 もともと誰も住んでいない家を勝手に使っているのだから大丈夫だと。
 それにチルノがここで寝ていてくれた方が、次の日来ると涼しいからだ、と言って笑った。
 チルノはその好意に甘えることにしたのである。


「ねーねーチルノー」
 気付くと沙耶が裾を引っ張って催促している。
 何事かと振り向くと、生ぬるい液体を顔面にかけられた。
 ただの水のようだが、外の熱で温められて気持ち悪いぬるま湯になっている。
 犯人は沙耶ではなく――彼女はあくまで気を引いただけだ――太彦の方だ。
 その手に握られた水鉄砲が何よりの証拠である。
 寝起きで顔も洗っていなかったチルノにとっては、まあ別に困ることではないのだが
 それでもいきなりのこの悪戯を笑って許せるほどチルノは大人ではない。
「そっちがその気ならあたいにも考えがあるんだからねっ」
 チルノが指を動かすと、その先には微小な氷粒が精製される。
 それを幾つも作りだし大量の氷の粒子を二人の上へと向かって投げた。
 別段痛い代物ではない。
 ただ冷気の粒を素肌に受ければ、くすぐったさを伴った冷たさに襲われる。
「きゃはははっ、つめたいつめたいー」
「わーわー、つめたいぞー」
 大はしゃぎする二人。
 新太はそんな二人を見ながら笑っていた。


 それから四人は隠れ鬼をしたり、鬼ごっこをしたりして遊んだ。
 おやつ時には、チルノが手製のかき氷を皆に振る舞い好評を得た。
 そして遊び疲れたのか沙耶と太彦は仲良く並んで眠りについている。
 二人のはだけた布団を直してやりながら、新太は優しげに微笑んだ。
「楽しそうね」
 その隣に座ってチルノは新太の横顔に向かって呟いた。
「お前もな」
 チルノは知らずの内に自分も笑っていることに気がついていなかった。
 今までいろんな楽しいことに首を突っ込んできたが、まだこんな楽しい事があったのだ。
 人間と遊ぶことになるなど、考えもしなかったことである。
 だが一度仲良くなってしまえば、そんなこと些末なことでしかない。
「新太」
「なんだよ」
 自分から呼んでおいてチルノは何も言わない。
 新太もそれを訝しみながらも、チルノから続きを言うのを黙って待っていた。
「……あたい達、もう友達だよね」
 それを聞いた新太は満面の笑みで頷いた。
 ニカッと笑って白い歯を見せながら。
「おうっ」


 ☆


 あれから数日が経ち、チルノと三人の子供達は毎日のように遊んでいた。
「早く来ないかなー」
 チルノは布団の上でばたばたと手足を動かし、三人が来るまでの暇を潰していた。
 この家を利用できるようになってからは、殆どこの中で過ごしている。
 この暑さではどこかに出掛けようという気力すら奪われるのだ。
「チルノー」
「チルノちゃーん」
 外から声が聞こえてきて、チルノはすぐに飛び起きる。
 それと同時に扉が開かれ三人が入ってきた。
 手には面々のおもちゃが握られている。
「今日はカルタしようっ」
「かるた?」
 人間のおもちゃはチルノにとって初めて見るものばかりだった。

 昨日はけん玉と毬つき。
 チルノは頭にこぶを作った。
 それを見て太彦が笑った。

 一昨日はおはじきと縄跳び。
 チルノは縄で動けなくなった。
 それを見て沙耶が笑った。

 その前はトランプだったか。
 何をしてもチルノにとっては「神経衰弱」にしかならなかった。
 頭から湯気を出して考え込むチルノを見て沙耶と太彦が笑った。

 そんな3人を見て、新太はいつも笑っていた。

 どれもこれもチルノの知らない遊びばかりだった。
 それは今日のカルタにも言えること。
「どうやんのっ?」
 蛙を凍らせて遊ぶくらいしか、遊びというものを知らなかったチルノは、
 彼等の教えてくれる遊びが楽しみで楽しみでしょうがなかった。
 そんなどんな遊びを教えても楽しそうに遊んでくれる友達に、三人も楽しそうに教えた。


 ときには些細なことで喧嘩するが、次の日にはどちらからともなく仲直り。
 四人は日を重ねる事に、その絆を深めていった。
 もはやその間に妖怪と人間という垣根はないに等しいものになっていた。


 そして、そんな楽しい時間が今日も終わる。


「じゃーな」
「ばいばーい」
「またあしたー」
 三人が夕焼けに向かって歩いていく。
 その影が見えなくなるまでチルノは見送った。
 チルノはここ最近、この秘密基地で寝泊まりしているので帰らなくても良いのだ。
 完全に三人が見えなくなると、チルノは寂しがる様子も見せずくるりと背を向けた。
 明日になればまた遊べるのだ。
 それに今日は寂しがるよりも、しなければならないことがある。
「さてと、かるたの特訓をしようっ」
 今日教えてもらったカルタという遊び。
 不慣れなチルノは負けっ放しだった。
 悔しかったチルノはまた明日も再戦を希望し、特訓のためカルタを借りたのだ。
 床の上に絵札を並べ、手元の文字札と見比べる。
「何々……「犬も歩けば棒に当たる」。ぷぷっ、歩いたら棒に当たるなんてバカな犬だね」
 続いて次の文字札へと目を移す。
「「河童の川流れ」……泳げない河童なんて河童じゃないじゃん」
 書かれた言葉の意味などまったく解さず、そのまま理解して大笑いするチルノ。

 すでに夜も更け、外には月明かりのみ。
 天井の穴から差し込む月光でチルノは特訓を続けていたが、
 次第に襲ってくる睡魔には勝てず、そのまま突っ伏して眠りに落ちた。



 ☆


 翌日。
 カルタの再戦に燃えるチルノは三人の到着を待ちわびていた。
 しかしいつもの時刻になっても三人は現れない。
 大雨が降って出掛けられないということはない。
 今日も憎らしいほどの晴天だ。
 風邪でも引いたか。
 いやそれでも三人同時に、ということは考えにくい。
「今日は来ないのかな……」
 半ば諦め、たまには湖に顔を出そうかと考えていたチルノの耳に、走って近づく足音が聞こえてきた。
 たぶん三人の内一番のんびり屋の太彦が準備に遅れて皆慌てて走ってきているのだろう。
 そんな光景を思い浮かべてチルノは笑った。
 そこへがらりと乱暴に扉が開かれ、案の定新太が入ってきた。
「やっと来たね。今日こそはあたいがさいきょーだと思い知らせてやるわっ」
 言いながらカルタをずびしっと差し出すチルノ。
 だが新太は肩で息をして酷く疲れており、それに反応を返してこなかった。
「どうしたの?」
 チルノは尋ねたところで気がついた。
 いつもなら新太の後ろから顔を出すはずの沙耶と太彦の姿が見えないのだ。
「新太、沙耶と太彦は?」
 二人の姿が見えないことに疑問を抱いたチルノは新太に問いかけた。
 しかし新太は黙ったまま答えない。
 痺れを切らせたチルノは新太の顔を無理矢理自身に向けさせる。
「ねぇ聞いてるの?」
「聞いてるよ」
 新太はようやく言葉を発した。
 しかしその言葉にはいつもの元気がない。
「沙耶と太彦はどうしたのさっ」
 再び同じ問いを尋ねるチルノ。
 もう黙ったままではいられない新太は、ゆっくりと口を開いた。
「……あの二人はもう来ない」

 もう来ない。

 その一言がどういうことか理解できないチルノではない。
「いったいなんでどうしてよっ」
 ありったけの疑問詞をぶつけて、理不尽さを訴える。
 あれだけ楽しそうに笑っていた沙耶と太彦がいきなり来ないなんて事あるはずがない。
「俺には止められなかったんだ……」
 新太は悲しそうに顔を歪める。
 その目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
 出会ってから初めて見た新太の涙を見て、チルノの理不尽に対する怒りが少し収まった。
 混乱しているのは自分だけではないのだ。
「一体何があったのさ」
「……たんだ」
 聞き取れずチルノはもう一度聞く。
 すると新太は叫ぶようにして答えた。



「化け物に喰われたんだっ!」



 ☆


 二人は化け物に喰われた。
 新太はそう言った。
 幻想郷において人間が妖怪に喰われるという事件は、わりとよくあること。
 しかしだからと言って許すことができるのは、当事者と無関係な者達だけだ。

 チルノにとって沙耶と太彦は出会って間もない間柄だったが、それでも友達だった。
 沙耶と太彦はそう思ってくれていたみたいだし、少なくとも自分はそう思っていた。
 泣くも笑うも全力で、そんな二人が微笑ましかった。
 二人がいなければきっとあそこで暮らしてはいないだろう。

 その二人が喰われた。

 それだけでチルノが動くには充分な理由だった。
 友達を失ったことのないチルノにとって、それだけ二人の消失は大きな衝撃だったのだ。
 許せない。
 必ず見つけ出して、それから、それから……。
 それからのことはその時考えればよい。
 今は兎に角犯人の化け物とやらを見つけ出すのが先決だ。

 だが犯人の目星もないのでは探しようがない。
 こういうときはどうすればいい。
 チルノは普段使わない頭をフル回転させて考えた。
 そういえばいつのことだったか橙が「おかしいと思ったら人に聞く」と言っていたっけ。
 そうだ人に聞こう。

 しかしその聞く人は誰にする?

「そうだ、沙耶と太彦の親なら!」
 二人も人里に住んでいるなら両親がいるはずだ。
 そして子供がいなくなれば親は必ず探そうとするだろう。
 情報だって集めているはずだ。


 チルノは全速力で郷へと向かった。


 ☆


 村に着くとすぐに沙耶か太彦の家は見つかった。
 村人が大勢集まっているのですぐにわかる。
「おい、見つかったか!」
「南側にはいなかったぞ」
「西側、東側の奴らはまだ帰ってないのか」
 子供がさらわれたとなると、村人総出で周囲の探索に当たっているらしい。
 妖怪に人間がさらわれたり喰われたりすることは、あってもおかしくない出来事なのだが
 だからといって、やれやれまたかと済ませられる訳がない。
「よし、まだ日は出てる! もう一度北側と南側を探すぞ」
「西と東の連中は何をしてるんだ!」
 切迫した空気がチルノにも伝わってきた。
 そうだ、自分もこんなところでぼーっとしている場合ではない。
「ちょっとあんた達」
 地面に降りて、近くにいた村人に話しかける。
 自分だって沙耶と太彦を心配する一人なのだ。
「ん、なんだ?」
「あたいにも詳しく教えなさいよ」
 村人とチルノの視線がかち合う。
 両者は互いに黙ったまま。
 村人の視線は次第にチルノの背に生える氷の羽へと動かされていく。
 人間にはありえない背格好。


 直後、村人の悲鳴がそこら中に響き渡ったのは言うまでもない。


 ☆


 辛くも村人達の追走から逃げ切ったチルノは、木陰にうずくまってほとぼりが冷めるのを待っていた。
 周囲で喚いていた村人達の喧騒も次第に遠くなっていく。
 完全に人の気配が消えたことを確認すると、チルノは大きく息をついた。
 その安心と共に、溜まっていた感情が涙となってこぼれ落ちた。
「なにさなにさ。あたいが何をしたって言うのよ」
 チルノはくすんと鼻を鳴らして、目尻を拭った。
 自分が人外の類とばれた瞬間、村人達が総出で追いかけてきたのである。
 妖怪によって人さらいが起きたまっただ中に飛び込んだのだから当然の結果なのだが、
 まったくもってチルノには理解できないことだった。
「やっぱり人間とは仲良くできないのか……」
 いや少なくとも新太と沙耶と太彦は違う。
 あの3人は自分を友達だと認めてくれたのだ。
 そんな3人のためにも、今諦めてはいけない。
「よし、もう一度行ってみよう」



 もうすぐ日が暮れてしまうため、村では捜索をいったん打ち切るかどうか話し合っていた。
 中心には沙耶か太彦の親と思われる男女の姿があった。
 女の方は泣き顔を皆に見せまいと、袖で覆い隠しているがその震えが彼女の今の心境を如実に物語っている。
 男の方は村人達と真剣な面持ちでこれからのことについて話していた。

 チルノは今度はそうっと近づき、彼から見えない位置から聞き耳を立てることにした。
 ここで飛び出しては先程の二の舞だということを学習したのである。

「それにしてもいったいどこにいるんだ」
「子供が妖怪にさらわれたのは20年ぶりだ。あの時も散々探して見つからなかった」
「そうだったな。……見つかったのは喰われた後の衣服だけ」
「今回の犯人もやっぱりあの時と同じ、“アイツ”なのかな」
「多分な。夜はアイツの縄張りだ」
「息子には夜道は危険だと、ずっと伝えてきたはずなのに……」
「……そうだな。この村の子供達は小さい時からずっと、『常闇の口』の話を聞かされて育つ。
 好き好んで夜道を出歩くのは命を捨てたい者か、よほど腕に自信がある者か、だ」
「そのどっちも出掛けたきり戻っては来なかったがな……」
「常闇の口……か。夜の闇すら飲み込む闇の口。それに喰われた者は二度とこちらへ
 帰ってくることはない。ここ数年は被害が無かったのに……くそっ、油断ていた!」
「今ここで悔やんでも仕方がない。今日は十六夜だ、明るい割には月が欠けているから
 アヤカシも力を十二分には発揮できまい。数人の団を作って、もう一度手分けして探すんだ」


 そこまで聞いて、チルノはその場を離れた。


 ☆


 村人の話を聞いたチルノの頭にはある妖怪のことしか浮かんでいなかった。
 よくよく見ればこの近所は彼女の縄張りである。
 人をさらうのも彼女ならやりかねない。
 それは彼女が「人を喰らう」妖怪に他ならないからだ。
 別にそれを咎める気はない。
 だが喰おうとしているのが沙耶と太彦なら許さない。


「ルーミアあああぁっ!!」


 森にチルノの絶叫が木霊する。
 とっぷりと日が落ち暗くなった世界を十六夜の光が照らす。
 その光の一角に全てを飲み込むかのような闇が浮かんでいた。
 人々が「常闇の口」と呼ぶ化け物が姿を現した。
 確かに一度吸い込まれたら二度と出てこられなくなりそうな闇がそこにはある。
 しかしチルノはその正体をよく知っていた。
「私の名前を呼ぶのはだぁれ?」
 その闇の球の中から可愛らしい声が聞こえてくる。
「あたいだよ」
 チルノは全く臆すことなく闇の球に話しかけた。
「なぁんだ、チルノか」
 その闇が次第に薄まり、中にいた核たる存在がその姿を現した。
 黒いワンピースに金糸の髪。それを留める紅いリボンが印象的な幼女、もとい少女。
 闇を操る程度の能力を持った闇の妖怪、ルーミア。
 頭の程度がよく似ている為、ミスティアとリグル、そして自分を含めた3人と仲が良い妖怪だ。
 だから勿論彼女が人肉を喰らう妖怪であることもよく知っている。
「どうしたの?」
 ルーミアはいつもの調子で聞いてくる。
 その顔には無邪気な笑みが浮かんでいるほどだ。
「今日はちょっと聞きたいことがあってね」
 チルノはすぐにでも飛びかかりたいのを我慢して尋ねた。
 沙耶と太彦同様、ルーミアもチルノにとっては大切な友達なのだ。
 無闇に傷つけるような真似はしたくない。
「なぁに?」
 にこにこと笑うルーミアに、チルノは本題を切りだした。


「人間の子供をさらったのはあんた?」


「うん、そうよ」
 隠すことなくルーミアは肯定した。
 彼女にとっては、いや妖怪にとって人間をさらったり襲ったりなど当然のことなのだ。
 隠し立てをする必要性がない。
 ルーミアはとても嬉しそうに話してくれた。
「久しぶりの子供の肉が食べられるから楽しみに取っているの」
 ルーミア曰く子供の肉はまだ発展段階にあり、柔らかくて瑞々しいのだそうだ。
 しかし大人の注意が堅く、なかなか手に入れることができない貴重なものであることもルーミアが言ったことだ。
 その貴重な食べ物だから、どうやって食べようか考えていると、そう彼女は付け加えた。
「じゃあまだ食べてないんだね?」
 新太は喰われたと言っていたが、どうやらまだ大丈夫なようだ。
 ルーミアの気まぐれのおかげで希望が生まれた。
「そうよ。あ、チルノも食べる?」
 友達だから特別だよと、にこにこ笑いながら。
 しかしチルノはにこりとも笑わない。
「ルーミア、あたいにその子供ちょうだい」
「それは無理な話だよー。分けてあげるって言ってるじゃない」
「それじゃあ意味がないのよっ」
 チルノの様子にルーミアもようやくいつもとは違うのだということを理解し始めたらしい。
 その顔から笑みが消え、いつも頭が軽いとバカにされている二人の妖怪は真剣な面持ちで向かい合った。
「そんなに人間の子供が欲しいの?」
「その子達はあたいの友達なんだ。だからいくらあんたでも食べることは許さない」
「友達か……それはチルノが困るなー。でも私だって久しぶりのご馳走なの。
 次にいつ食べられるか分からない貴重な食料だもの。そう簡単にはあげたくないなー」
 どちらも話し合い程度で譲るつもりはない。
 ならば取るべき手段は一つ。
「だったら……しょうがないね」
 周囲に冷気の渦を作りながらチルノは言った。
「そうだね。久しぶりに本気でやろうか」
 ルーミアの周りを闇が取り囲む。


 二人は同時に空を蹴った。


 間合いが離れた刹那、チルノの手から生み出される冷気の弾。
 沙耶と太彦に浴びせたものとは比べものにならない威力を持った冷気弾だ。
 ルーミアも負けじと妖力を凝縮した弾を放つ。
 互いの弾幕が眼前に迫ると、その合間をかい潜りながらその向こうの相手の姿を探す。
 弾幕の厚さは似たようなもの。
 避けるスピードもほぼ互角。
 似ているのは頭の程度だけではないようだ。
 埒があかないやり取りの最中、先に仕掛けたのはチルノだった。
「あんたにこれが避けられるっ?」
 冷気弾だけでなく、自身の妖力をも弾幕に換え一気に放つ。
 いきなり厚くなった弾幕に、ルーミアは弾を放つのを止め避けに入った。
 その隙を逃さずチルノはスペルカードを発動させた。
 カードに込められた妖力が、カードの効力を発動させる。
 刹那、辺りがもの凄い寒波に包まれた。
 その寒波にチルノの弾幕までが凍り付く。
 凍符「パーフェクトフリーズ」。
 自身の弾幕すら凍らせる冷気を放つスペカだ。
 いったんその動きを止めた弾幕は、再び溶けて動き出したとき、凍る前とは異なる軌道で襲いかかっていく。
 突然変化した弾幕の軌道にあわてふためくルーミア。
 横から後ろから、避けた弾幕が再び軌道を変えて襲いかかってくる。
「うわわわわっ」
 ランダムの軌道が二段構えで迫ってくる攻撃に防戦一方のルーミア。
 チルノはさらにパーフェクトフリーズ第二波を放った。
 さらに増えるランダム弾幕。
 もはやどこからどのタイミングで弾幕が向かってくるのか分からない。
「むー、だったらこっちも奥の手いくよーっ」
 避けは不可能だと察したルーミアはすぐに反撃の手を打ってきた。
 彼女の手にもスペルカード。
 両手を横に伸ばし、十字架のようなポーズを取るルーミア。
 その両方の手中にこれまでの弾幕ごっこでは感じられなかった凄まじい力が集まっていく。
「ムーンライトレーイッ」
 ルーミアの両手からその溜め込まれた妖力がレーザーとなってほとばしった。
 レーザーを放ち続ける腕をレーザーごと動かして、向かってくる弾幕をことごとく消滅させていく。
「あたいの氷がっ」
「へへー」
 しかしその威力を保ち続けるのは至難の業なのか、しばらくするとレーザーはその勢いを失い、ついには途切れてしまった。
 ルーミアはすぐに距離を取って、チルノの次の手を様子見た。
 その間にも、すぐに両手に第二砲を放つ力が溜め込まれていく。
 チルノにとっては今が絶好のチャンスだ。
「そっちがその気ならあたいだってとっておきを見せてやるわっ」
 もう一枚スペルカードを取り出すと、今度は弾幕を放つ前に発動させる。
 パーフェクトフリーズのときのように、冷気が周囲を包み込むこともなく、
 一見何も起こっていないように見える。
 しかし発動したスペルカードの効果は確実に現れていた。
「今のあたいはさいきょーに冷たいわよっ」
 チルノが放つ弾幕。
 それらは先程までのものに比べるとやや大きく、そしてスピードが遅い。
 しかし異なる点はそれだけではなかった。
 ルーミアはムーンライトレイをいざというときの為に溜め込んでいるらしい。
 この攻撃は避けで乗り切るつもりのようだ。
 チルノの弾幕がルーミアへと向かう。
 だがその直前になってチルノの氷弾はその動きを止めた。
 そしていきなり破裂して幾十もの雹となってルーミアへと襲いかかる。
 その弾はスペカによってさらに冷たい冷気を操れるようになったチルノの特殊弾。
 あまりのもの冷たさで、外気に触れて溶け出した瞬間に破裂するほどだ。
 その名も凍符「マイナスK」。
 絶対零度すら自身の力としてしまう、チルノの最大奥義である。
「いきなり増えたー!?」
 ルーミアは直前になって増えた弾幕に向かってムーンライトレイを放つ。
 威力の大きいレーザーに飲み込まれ消えゆく氷雨。
「だったらこっちはこーだーっ」
 突如ルーミアの姿が視界から消えた。
 まるで溶けるようにして消えたルーミアの体。
 これでは狙いを定めるどころの話ではない。
 闇符「ダークサイドオブムーン」。
 闇の中に自身の姿をとけ込ませ、相手の視界から自身の姿を消し去る技だ。
『あはははっ、こっちこっち』
 ルーミアの声はすれども姿は見えず。
 チルノは辺りをきょろきょろするだけで、反撃の糸口が掴めずにいた。
『来ないならこっちからいくよっ』
 言葉と同時に、紅い弾幕がばらまかれる。
 どうやら弾幕を放ちながら移動しているようだ。
 これでは弾幕に阻まれて、さらに居場所が突き止めにくくなる。
 それにこうも弾幕をばらまかれては、移動できるエリアも限られてしまう。
 今度はチルノの方がピンチに陥ってしまった。
 しかし今ここでこうしている間も、新太は二人が喰われたと思い続けているはずだ。
 早く二人を連れて帰って安心させてやりたい。
 そしてまた四人で笑って遊ぶのだ。
「こんなの……なんでもないわよーっ」
 チルノは再びパーフェクトフリーズを放つ。
 しかし今度は自身の弾幕は放っていない。
 冷気のみが周囲を包み込む。
 意味のない行動かと思われたが、するとどうだ、その冷気で動きを止めたのはルーミアの弾幕ではないか。
 マイナスKの力がまだチルノの中に残っているらしく、
 絶対零度の力を得たチルノの技は通常よりも威力が上がっていたのだ。
 本人すらもそんなことになるとは思ってなかったらしく、チルノは吃驚の表情を浮かべている。
 だがこれで危機は回避できた。
「ささささ、むむむむいいいいい」
 そしてあまりにもの寒さに、思わずルーミアは姿を現す。
 しかもこの寒さで動きが鈍っている。
 チルノはその隙を逃さず弾幕を放った。
「ごめんルーミアっ」


 でも――今は助けなければならない人がいるから。


 ☆


 ルーミアとの弾幕ごっこに勝利したチルノは、子供を閉じこめてある場所へと案内してもらった。
 ルーミアはかなり渋々ではあったが、チルノとの戦いで感じたのが本気であることに承諾したのだ。
「ここよ」
 案内されたのは昼でも光の届かない洞窟の中。
 そこに真闇が広がり、出ることも入ることもできない空間が広がっていた。
 ルーミアの作り出した闇の結界だ。
 これがあったから村人に見つかることもなかったのだろう。
 チルノは頼んでその結界を解いてもらい、中へと入った。
「おーい」
 洞窟に響くチルノの声。
 しばらくすると微かではあるが、少年の声が帰ってきた。
「……誰?」
「迎えに来てあげたの」
「本当っ」
 助かったとわかって、とたんに元気になる声。
 そして足音が近づいてきた。
 これで万事解決である。
 だがやってきた姿を見てチルノは信じられないという表情を浮かべた。


「あんた……誰?」


 チルノの前に現れたのは、沙耶でも太彦でもなかった。
 それはチルノの知らない少年。
 新太と背格好が似ており、何処から見ても二人とは違う子供だ。
「お前こそ誰だよ」
 少年の方も村人の誰かが助けに来てくれたものだとばかり考えていたらしく、
 チルノの姿を見て尋ねてきた。
「あたいはチルノ。妖怪にさらわれた二人の子供を探しに来たんだ……けど」
 二人の姿はどこにもいない。
 少年はその言葉に首をかしげるばかりだ。
「ねぇルーミア。あんたが捕まえた子供ってこの一人だけなの?」
「うん。子供なんて滅多に夜道を出歩かないからね。一人見つけただけでもめっけものだったのよー」
 まだご馳走を棒に振ることに未練が残っているらしいルーミア。
 その気持ちも分からないでもないが、もうその話には決着がついたはずだ。
「あーもー。あたいが勝ったんだから文句言うのはナシよ」
「わかってるよー。でもチルノが探していた子じゃないんでしょ?」
 だったら食べても良いんじゃないか、と言いたいらしい。
 だがあんな戦いまで繰り広げたのだ。
 ここで「じゃあいいわよ」と承諾するのもなんだか勿体ない。
「だーめ。勝負は勝った方が偉いの」
「むー……わかったわよぅ」
 チルノはひとまず少年をつれて外に出ることにした。


 チルノはルーミアに別れを告げると、少年と共に一路村へと向かっていた。
 この子供が沙耶でも太彦でもない以上、また探索は振り出しに戻ってしまったのだ。
 なんとしても情報が欲しいとろこだが、そのアテは今のところまったくない。
 この子供を連れて帰れば、何か教えてもらえるかもしれないという淡い希望しか残ってないのだ。
「そういえばあんたの名前聞いてなかったわね」
 隣を歩く少年にチルノは何気なく尋ねた。
 しかしその質問によって、チルノはまた驚くことになる。
「俺? 俺の名前は――――」



 新太だ。



 ☆


 自分を新太と名乗った少年。
 そしてそのことに動揺を隠しきれないチルノ。
 気まずい空気を漂わせたまま、二人はそうこうしているうちに村へとたどり着いた。
 入り口にいた村人がすぐにその姿を見つけ、“この新太”の両親を呼んでくる。
「あぁ、新太。無事だったのね」
「怪我はないか? 妖怪に酷いことわされなかったか?」
 次々と心配の言葉を掛ける父と母。
 どれだけ彼のことを心配していたかが伺える光景だ。
 しかし二人がチルノの姿を見つけると、その様子は一変する。
「またお前かっ! 性懲りもなくやってきて!」
「あなたが私達の新太を連れ去ったのねっ」
 言われもない罪を咎められ、チルノは数時間前同様涙をこぼしそうになる。
 そして彼女に手が振り上げられた。
 その時、二人の間に割り込む影が。
「新太っ!?」
 チルノを殴ろうとした父親は、息子が妖怪を庇うのを見て驚きを露わにする。
「違うんだっ。チルノは俺を助けてくれて、ここまで連れてきてくれただけだっ」
 新太の言葉に、村の人々も戸惑いを見せる。
 妖怪にさらわれたというのに、妖怪を庇うというのか。
「新太、それは本当のことなのね?」
 新太の目線に遭わせて腰を下ろし、彼の母親が尋ねる。
 すると新太は何も躊躇うことなく、大きく首を縦に振った。
「うんっ」
 その様子に母親は頷くと、父親の方を見る。
 しばらく二人は黙っていたが、父親は突然何かを決意したように頷いた。
 そして再びチルノに向かって手を挙げる。
「ひっ」
 チルノは目をつぶり、次に訪れるであろう衝撃に備えた。

 しかしそんな衝撃はいつまで経っても訪れず、代わりに優しく温かな感触が頭に乗っかっていた。
「ありがとう……さっきは疑ってすまなかった」
「ぇ?」
 チルノはきょろきょろと周囲を見る。
 村人も複雑な面持ちを浮かべてはいたが、先程までのように敵意を見せている者はいなくなっていた。
「え、あたい……」
 チルノは突然の変貌ぶりに、ただただ唖然とするばかりだ。
「良かったな。みんなお前が良い妖怪だって分かってくれたみたいだぞ」
 ひとり元気な新太が笑って喜んでくれる。
 その表情を見てようやくチルノは、誤解が解けたのだと理解した。


「それにしても妖怪にさらわれた新太が、妖怪に助けられるなんてな」
「本当、驚きだわ」
 チルノは新太の家に招待され、話を聞かされていた。
 どうにも大人というものは助けてもらった恩を返さなければ気が済まない生き物らしい。
 話ばかりで眠くなりそうなのを必死で堪えつつ、チルノはいろりの火を見つめていた。
 新太はすでに布団の中で眠りについている。
 本当はチルノもいい加減疲れて眠いのだが、待っているであろう新太の為に起き続けようと奮闘していた。
「そういえばチルノさんは、どうして新太を助けてくれたんだ?」
「別に、その子を助けようとしてたわけじゃないよ……ふわあぁっ」
 欠伸混じりに告げ、チルノは当初の目的を伝えた。
 すると夫婦は互いの顔を見合わせて、とても複雑な表情を浮かべた。
「どうしたのさ……そんな深刻な顔しちゃって」
 眠気の所為で力なく笑うチルノ。
 そんな彼女に、夫婦はとんでもない話を聞かせてくれた。
 それはチルノの眠気を一気に吹き飛ばすほどの話、と言えばどれだけの衝撃を彼女が受けたか理解できるだろう。



 チルノはすぐさま新太に会いに行くべく、村を後にして飛び立った。



 ☆



 ようやく四人の基地へともどってきたチルノ。
 体はすでに疲れと眠気で倒れそうだったが、それよりも今はしなければならないことがある。
 その為にも新太と話さなければ。
「ただいまっ」
 勢いよく扉を開けて中に入るチルノ。
「うわあっ、なんだチルノか。びっくりさせるなよ」
「新太、まだ帰ってなかったんだね」
「……まあな」
 新太はあれから家には戻っていなかったらしい。
 二人が食べられたことへのショックで呆然としていたのか。
 憔悴しきった様子の新太だが、チルノは彼に話さなければならないことがあった。
 だからこそ眠気も振り切ってやってきたのだ。
「新太、大丈夫だよ。二人は生きてる」
「本当かっ」
 チルノの言葉に新太は驚きと喜びが混じった表情を浮かべて立ち上がる。
「ほ、本当に沙耶と太彦は生きてるんだなっ」
 がくがくとチルノの肩を揺さぶる新太。
 それだけ二人のことを心配していたのだろう。
 喜びのあまり涙さえ浮かべている。
 だがチルノは一緒になって喜んだりはしなかった。
「どうしたんだよ。お前は嬉しくないのか?」
「わかんない」
「それってどういう……」
「あたいも何が何だかわかんないんだって!!」
 チルノの激昂に、新太は目を瞬かせる。
 どうしてチルノが喜ばず、こんな風に怒りとも哀しみともつかない感情を露わにしているのか。
 その理由がまったくわからないといった様子だ。
 そんな新太にチルノはその理由を話す。
「沙耶と太彦は生きてたよ……でも、あたい達の知ってる二人じゃなかった」
「……は?」


 チルノは村での出来事をそのまま話すことにした。
 それはまだチルノ自身が事を把握しきれていない程の話だったのだ。



 ★



「どうしたのさ……そんな深刻な顔しちゃって」
 力なく笑うチルノに、父親は深刻な面持ちで口を開いた。
「チルノさん。君が探してる子供の名前は“沙耶”と“太彦”に間違いないんですね?」
「そうよ。もしかしてあんた等知ってるの?」
 その言葉に夫婦はまたもや顔を見合わせる。
 いったいなんだというのか。
 知っているならさっさと教えてくれればよいものを。
 などという思いを視線に込めていると、父親が真実を教えてくれた。
「太彦は……私なんだ」
「……え?」
 さらに今度は母親が続ける。
「沙耶は私よ」
 チルノはしばらく何がなんだか理解できなかった。
 彼女が知っている沙耶と太彦は新太よりも幼い子供だったはずだ。
 こんな子持ちの親であるはずがない。
「あはっ、あははははっ、そんな嘘信じるわけないじゃない」
 二人して自分をからかっているんだろう。
 そんなことをする理由は分からないが、嘘としか思えない。
「いや、太彦という名前も沙耶という名前も、この村には私達しかいないんだ」
「だったら他の村じゃないの?」
「……この近辺に村はないわ」
 そんなことを言われても信じられないものは信じられない。
 すると夫婦はさらに決定的なことを話してくれた。
「君がその新太と沙耶と太彦と遊んでいたという廃屋だが……ここから北の林、
 その外れに建っている。そこには布団があって、食べ物を入れていた壺があったはずだ」
「なんでそのことを……」
 それはあの廃屋に行った者でなければわからないことだ。
 しかし新太は布団を運び入れてから誰も来てないと言っていたし、
 チルノが住むようになってからも誰も来たことはない。
 だからこの夫婦が知っているはずがないのだ。
 しかし二人は知らないはずのことを知っている。
「私達にもチルノさんが言っていることを理解しているわけではありません。
 ですが私達の話が君の為になるのなら、私達が知っていること全てを話します」



 ☆



「……そんな、二人がもう大人になっていたって?」
「あたいも信じられないけどね。でもそうなんだって」
「そ、それじゃあ、あいつ等は何だったんだよっ」
 いきなり子供が大人になったりはしない。
 沙耶も太彦もただの人間だったのだ。
 突然変異を起こす訳はない。
 それならば子供の二人がいた間にも、大人の二人がいたことになる。
「それともう一つ。これもあたいには信じられない事なんだけど……」
 チルノは沙耶と太彦の名を名乗る夫婦から聞いたもう一つの衝撃的な話を話した。
「沙耶と太彦、あ、これは大人の二人ね。その二人なんだけど子供がいてさ。
 その名前が「新太」って言うんだ」
「…………」
「何でその名前にしたのか聞いたらさ……」


 ★


 二人は小さいときからの幼なじみだった。
 遊ぶのはいつも一緒で、出掛けるときは必ず二人一緒だった。
 二人には兄貴分とも言える友人がいた。
 年上の友人は、いつも自分たちを気に掛けてくれて、彼もまたいつも一緒にいた。
 彼等は彼等だけの知る秘密の場所で毎日のように遊んでいた。


 ある日二人はその友人に日頃の感謝の気持ちを込めて何か贈り物をすることにした。
 もうすぐ彼の誕生日がやってくる。
 彼への贈り物を何にするのか考えていた二人は、彼から聞いた月光草の話を思い出した。
 月夜の晩にしか見つけることのできないその草を持っていると、必ず良いことがある。
 そんな伝説を持った草が、この辺りには生えているのだと。
 二人はそれをあげることにした。
 だがその辺りの森には、夜になると「常闇の口」という魔物が現れて
 見つけた人間を喰ってしまうという。
 それでも二人は出掛けてしまった。


 二人は暗闇の中、探し続けた。
 月明かりのおかげでまったく見えなくはなかったが、心細さまで照らしてくれるわけではない。
 魔物がいつ現れるとも限らない。
 そんな中、二人は月光を受けて輝く草を見つけた。
 それが月光草なのだとすぐに気付いて手に入れる。
 後は帰るだけ。
 だがその帰り道が分からない。
 探すのに夢中で迷ってしまったのだ。
 さらに悪いことに、暗がりを歩いているときに沙耶が転んでしまい怪我をした。
 これでは長い間歩くこともできない。
 二人は近くにあった木の穴に隠れることにした。


 次の日になっても助けは来ず、まだ遠くへ行くこともできない。
 そのまま二日目の夜も更けた。
 二人が助けられたのは次の日の朝のこと。
 こっぴどく叱られたが、それよりも皆は助かっていたことを喜んでくれた。
 しかしその顔は晴れていなかった。
「これで新太の奴も助かっていればなぁ……」
 涙を流して悔やむ村人達。
 二人が聞いたのは、彼等の友人であり兄貴分であった新太が妖怪に喰われたという残酷な事実だった。
 二人が行方不明になった次の日から新太の姿も見えず、仲の良かった二人を探しに行ったのだろう、と。
 そしてそのまま「常闇の口」に出くわして、そして……



 時が経ち、二人は添い遂げた。
 二人の心の奥底にはずっとあの日の話が残り続けている。
 何故二日も森の中にいた自分たちが助かって、新太だけがいなくなったのか。
 それはあのとき二人が握りしめていた月光草が守ってくれたのだと、村長は教えてくれた。
 せっかく助かった命を無駄にしないように生きなさい、と付け加えて。
 だから二人は喰われた新太の分まで、自分たちの子供生きてもらおうとその名をつけたのだ。



 ☆



 話を聞き終えた新太はしばらく呆然としていた。
 しかし、しばらくすると全てを悟ったように口を開いた。
「そっか……“そういう”ことか」
 天井に空いた穴から見える星空ょを仰ぎ見る。
 月光を受けて立ちすくむ新太。
「新太……?」
 チルノは思わず新太に呼びかけた。
 放っておいたらそのまま消えてしまいそうな、そんな風に見えたのだ。
 新太はチルノの声に気がつき、彼女の方に向き直る。
「チルノ、たぶんその人達……いや沙耶と太彦の話は本当だ」
 それでは自分が妖怪に喰われてすだに死んでいる身だということも認めるというのか。
 だとすれば今ここにいる新太は一体何だというのだ。
「あんた、幽霊なの?」
 意思と形を持った幽霊は珍しい存在だ。
 特殊な力を持って死んだ人間か、よほどの未練を残した人間か。
 考えられるとすれば後者だが。
 その答えを握る新太本人が口を開く。
「いや、俺は幽霊じゃない……正しく言えば“新太”でもないんだ」

 ナニヲイッテイルノカワカリマセン。

「あはは、頭の弱いお前には難しすぎたか」
「頭が弱いってなにさーっ、まるであたいがバカみたいな言い方してっ」
 その意味が分からないから、そう思われるのだということをチルノはわかっていない。
 そんな彼女だからこそ、そんな風に言われるのが素だったりするのだが。
 閑話休題。確かに新太の話は意味が分からないものだ。
 幽霊説は否定したうえ、自分は新太でもないという。
 ますます混乱する状況に、チルノの頭は体温とは対照的に熱が上がっていく。
「まずは礼を言うよ。お前のおかげで、本当は俺が何なのかを思い出すことができた」
「そんなの訳が分からないのに、言われたって嬉しくないわよっ」
 それもそうだと新太――正体の不明のためひとまずはこの名で呼ぼう――は笑う。
 しかしそれは見目相応の子供らしい笑みではなく、大人が見せるそれだった。
「俺はこの家――ってもボロ家だけど――の付喪神だ」


 ――付喪神。

 作られてから百年経った道具には魂が宿り、人の心を惑わすという。
 その殆どは捨てられた事への恨みが妖怪変化を起こすきっかけとなっている。
 中には善なる心を手に入れ、仏神にすら変化したものもいるそうだ。
 付喪とは九十九とも書け、百から一を引いた程度の数の多さを意味する。
 また九十九は憑く物に転じ、付喪神とは「長き時を生きた古きものに憑くもの」なのである。
 人形や地蔵などが変化しやすいと言われるが、別にそれらに限った話ではない。
 茶碗や下駄、箒、笛など、道具ならばその可能性はあり得るのだ。

 そう、それは家にだって言えること。


「あんたも妖怪だったのね」
 チルノの言葉に頷く付喪神。
「この姿も偽物。生きていた頃の新太の姿を模したものだ」
「どうしてそんなことをしてるのさ」
 付喪神は昔に思いを馳せるように目を閉じた。
「新太も沙耶も太彦も……一度捨てられた俺にとっては凄く嬉しい存在だった」


 三人が遊んでいた秘密の場所。
 それがこの廃屋だった。
 付喪神は楽しそうに遊ぶ三人を、いつも見ていた。
 彼はこの家そのもの。
 かつては他の家と同じように人間が生活を営む場であったが、場所が悪いと捨てられた。
 その恨みが募って付喪神に変化したが、それでもその場を動くことはできなかった。
 だから人を誘い込んで、幻影を作り出す程度の力で惑わせて恨みを晴らしていた。
 三人がやってきたときも、幻で惑い殺してやろうと思っていたのだ。
 だが楽しそうに遊び、ここを秘密基地にしようと瞳を煌めかせる子供達を見ていると
 いつの間にか殺す気が失せていった。
 三人は毎日のように遊びに来てくれて、付喪神は嬉しかった。
 捨てられる前の活気が自分にも戻ってきたのだ。


 しかしある日、いつになっても三人が来ず、ようやくといった時間になって現れたのは新太一人。
 彼は沙耶と弥彦がいなくなった、妖怪に喰われたんだと泣き叫んでいた。
 そしてしばらくして、新太は自分で探しに行くと言って出て行った。


 それきり誰もこなくなった。


「俺は寂しかった……だから自分で自分に幻影を見せ続けていたんだ」
 付喪神は自身に備わった“幻影を作り出す程度の力”を自身に使ったのだ。
 楽しかった日々。
 嬉しかった日々。
 それらを永遠に見続ける夢を。
 三人が来なくなってから、ずっとその夢を見続けてきたのだ。
「もう何度目か分からない。俺は自分を新太だと思い込むに至るまで夢におぼれていた」
 同じ事を繰り返しても、何も疑問に思わない。
 ただ楽しかった、嬉しかった日々の幸せを感じてられればなんでも良かったのだ。
 しかし、今回は違った。
 付喪神の空間にチルノが入ってきたのだ。
 自分が夢を作ったことすら忘れて、自分も夢の一部と化していた。
 それはとても純粋な思い故。
 そんな純粋な夢の中に、突然の来客がやってきた。
「それがお前だよ、チルノ」
 付喪神はまたあの複雑そうな笑みを浮かべた。
「俺は同じ時を巡っていることすら忘れていた。だから突然お前がやってきても、
 びっくりしただけで後は何も感じなかったんだ」
 チルノの存在は、彼の夢にとっては異物だった。
 しかし夢の一部であっても彼の意思はそこに存在する。
 彼の描く三人ならばきっとこうするだろうという意思が夢にも反映されたのだ。
「あれからもう何年経ったんだ?」
「二十年って言ってたよ」
「そっか……二十年か。結構長いな」
 付喪神は年月の流れをしみじみと噛みしめる。
 その間、彼はずっと夢の中に生きてきたのだ。


「でも、それももう終わりだな」
「どうしてよ」
 楽しい夢なら見続ければいい。
 嬉しい夢ならさまさなければいい。
 それをやめる必要なんてどこにもない。
 チルノにはそうする理由がわからなかった。
「新太達の行方が分かってしまった以上、もう同じ夢は見られないさ。
 同じ夢を作り出しても、俺自身がもう夢だと思ってしまうからな」
「そういうもんなの?」
「そういうもんなんだよ」
 付喪神の言葉はチルノにはわからなかった。
 だが付喪神が何か決意したのだということは察することができた。

「なぁ、俺を壊してくれないか」

 付喪神は突然そう切り出した。
「何言ってるのよ」
「このまま過ごすのも面倒なんだ。ここを動くこともできないし、
 もう繰り返す夢も見られない。永い時をこのまま生き続けるのはな」
「それでいいの?」
 付喪神はゆっくりと頷く。
 だがそれで納得するほど聞き分けの良いチルノではなかった。
「なんでそうやって簡単にあきらめんのさっ!
 あんたにとっての友達はもうみんな来なくなったかもしれないわよ!
 でもね、あたいにとってはあんたの作り出した新太や沙耶や太彦は友達だったの。
 幻でもいいじゃん! 夢だって良いじゃん! 楽しいことの何がいけないのさっ」
「チルノ……」
「あんたはあたいのことを友達だって言ってくれたじゃない」
 付喪神の脳裏に数日前にチルノが言った言葉が蘇る。

『……あたい達、もう友達だよね』

 その言葉に頷いたのは新太として生きていた自分ではなかったのか。
「そうだったな……俺には新しい友達ができていたんだったっけ」
「そうよ、忘れたりしたら許さないんだからねっ」
 付喪神は笑顔を浮かべた。
 それはここ数日の間に見てきた“新太の笑顔”だった。
「ありがとうなチルノ。……でも」
 付喪神の笑顔に翳りが差す。
「やっぱり俺を壊してくれ」
 もうこの家は損傷が激しく激しい嵐でも来ればつぶれてしまいそうだった。
 長い時間を、幻影を作り続けることに力を使い、自身の体の保存には力を注いでいなかった代償である。
 それに、と付喪神はまた笑顔に戻って続ける。
「楽しかった。嬉しかった。お前のおかげで三人の来なくなった真相も知れた」
 だからもう満足したと。
 恨みから生まれた自分が、恨みを晴らすのではなく別のことで満足できた。
 だからもういいのだと。
 チルノはもうそれ以上何も言わなかった。
 もうここで必死になって止める義理も理由もない。
「……この家を壊したら良いのよね」
「あぁ。家の姿を失えばそれで良い」
 わかった、と言ってチルノは外に出た。
 見上げる空には少し欠けた十六夜が朝焼けの中に浮かんでいる。
 もう朝が来ようとしているのだ。
 チルノは底尽きそうな体力を振り絞り、スペルカードを発動させた。
 雪符「ダイアモンドブリザード」。
 チルノの周囲に猛吹雪が起き、暴風の中を氷の粒が舞う。
 老朽が激しい廃屋がその風に耐えきれるはずが無く、
 べきべきという軋む音と共に屋根や壁の板が剥がれていく。
 次第にその姿を留められなくなっていく廃屋。
 チルノはそれらが崩れ去るまでそこを動かなかった。
 そして全てを見届けた後、チルノは糸が切れたように眠りに落ちてしまった。



 ☆



「あーづーいー……」
 灼熱にも思える空を二つの影が飛んでいた。
 チルノと大妖精である。
 またもや快適な住処を探す羽目になったチルノは、道連れと共に新しい住処を探していた。
 つきあわされている大妖精は、額に汗を浮かべながらも笑顔を浮かべている。
 彼女も自分の家に押し寄せる妖精達に、多少嫌気がさしていたのもあるのだが。
「あ゛ー」
 もう溶けてしまうのではないかと思えるほどチルノはだれきっていた。
「大丈夫? チルノちゃん」
「もーだめー」
 限界が近づくチルノだったが、突然その様子が変わる。
 動きが止まり、ある一点を凝視している。
「どうしたの?」
 大妖精も同じ場所に視線を向ける。
 しかしそこには何もない。
 何かあったような痕跡はあるが、もう何もない。
「あそこがどうかした?」
「うぅん。なんでもない。なんでもないと思う……さ、早いところあたいの家を探そうっ」
「うんっ」
 再び捜索のため飛び始めるチルノ。
 最後にもう一度だけそこを振り返り、そしてまた元の方向を向く。
 そして二度と振り向くことはなく、大空へと舞っていった。


 果たしてあの白昼夢を彼女は覚えているのか――――


 それは夏の日差しのみが知るのかもしれない。



~終幕~

時にはこういうチルノも良いんじゃないかと。
チルノが愛らしくて仕方がない今日この頃な雨虎でした。
ちなみにタイトルは『チルノのゆめ』と読んだりします(今更)

※7月29日加筆修正加えました。

余談。
大戦争のリメイクはしばらく考えることにします。
あの作品で得たものをもう少し別の形で力にしながら、いつか書き直せるように。
しばらくは当初の予定通り一話完結か、長すぎて二分割のどちらかでいきます。
雨虎
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コメント



0.1880簡易評価
16.無評価名前が無い程度の能力削除
スペルカードは発動させるものではなく、宣言するものだったかと。
これからこういう攻撃しますよーって意味で。でも発動させるほう
演出のほうが燃えるんでこれは良し。
21.無評価名前が無い程度の能力削除
こういうきれいなお話は大好きなのです。悲しい…だけど先に明るさが見えているラストに感動しました。こんなチルノもいいですね。
22.70名前が無い程度の能力削除
バカか私は…点数入れ忘れ、失礼しました。
23.無評価雨虎削除
評価、コメントありがとうございます。

>スペルカードは発動させるものではなく、宣言するものだったかと
今回の戦闘描写は少し実験的な部分がありました。
もう少しその設定を生かした書き方もできたかもしれませんが
とりあえず今回は「発動」側のスタンスで書かせてもらいましたよ。
燃えてもらったのであれば、書いた側としてもホッとしています。

>悲しい…だけど先に明るさが見えているラストに
やはりただのバッドエンドでは書いてる側として鬱になりますからw
今回バッドエンドとして書いたつもりはありませんけどね。

まだまだご指摘ご感想、評価お待ちしております。
25.100紫音削除
夏の日差しに静かに揺れる、儚く悲しき現夢(うつつゆめ)・・・
素直に綺麗だと思えました。素敵なお話、ありがとうございます。
26.無評価名前が無い程度の能力削除
無粋かも知れないが…

「あたいが一緒に居てやるわよ。あたい達はもう友達なんだからねっ!」

みたいに終わると良かった気もする
27.無評価雨虎削除
>夏の日差しに静かに揺れる、儚く悲しき現夢(うつつゆめ)・・・
素敵な褒め言葉ありがとうございます。
しかも100点とは……それだけ気に入っていただけたようで幸いです。

>無粋かも知れないが…~みたいに終わると良かった気もする
元々はラスト辺りにそれに似た展開がありました。
書いている内にどっかへ行ってしまっていたようです(ォィ)
せっかく思い出せたので、加筆しました。
これで付喪神との関係も完全に書き切れたかなと。
ご意見ありがとうございます。おかげで思い出せましたw
33.60aki削除
タイトルの読み方に拍手。上手い当て字だと思いマス。
チルノと子供たちとの交流は自然に受け入れられました。
連続で飛び掛られたチルノが…不憫だ。面白いからいいけど。

説明文が多いと感じたのが残念と言えば残念です。
34.無評価雨虎削除
>上手い当て字だと思いマス
タイトルにはいめんな意味を込めてます。
読み終えた後にそれを考えていただけたら尚幸いです。
>説明文が多いと感じたのが残念と言えば残念です。
うーむ……もう少し軽快に進めても良かったかもしれませんね。
次回に生かさせていただきたいと思いますよ。
47.100名前が無い程度の能力削除
切ない話だなあ。
もっとどたばたしながら、コメディチックに終わるのかと思いきや、まさかの二転三転。どうなるのかと思いながら最後まで見てしまった。
50.100翡翠 λ削除
ほのぼのとして心が暖まり、切ないラストにぐっと来ました。チルノかっこかわいいです