Coolier - 新生・東方創想話

メイド長のいない日

2006/07/26 11:30:59
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メイドという仕事は優雅そうに見えて実のところ下手な肉体労働より大変だ。
提出された書類等にひたすらに目を通し続ける。それは彼女、十六夜咲夜の頭痛の種でもあった。
館の規模が大きければ大きいほど当然のように必要となる人員も多くなるわけで、そうなると不平不満も多くなってくる。
全員が全員彼女のようにこの紅魔館の主人であるレミリア・スカーレットに忠誠を誓っていてどんな困難にも耐えれるという意気込みがあるというわけでもないのだ。
その不満を出来る限り穏便に解決するのも彼女の仕事である。
が、言うほどそれは簡単ではない。その苦労に比べれば毎度白黒魔法使いが堂々と侵入してくるのも些細な問題ですらある。
…まぁ、不平不満の大半はその侵入の巻き添いになる件についてではあるのだが。

「…考えてたらまた頭が痛くなってきたわ」

こめかみを押さえながら彼女は最近の友である薬を水で飲み込む。
この薬はそこそこの馴染みの客である香霖堂から買ったものだ。
店主曰く「優しさで半分が出来ている頭痛などに効く薬」とのことである。
半信半疑ではあったが割と効能はあるようなので今では重宝している。
――してはいるのだが優しさを除いたらその効能も消えるのだろうか、それとも優しさの分を別に回せば効能も上がるのだろうか、と飲む度に思ってしまう。

「咲夜さーん、いらっしゃいますかー?」

とんとん、とノックする音ともに覚えのある声が聞こえてくる。いちいち確認するまでもない。
馴染みある声くらい覚えられなくては何人もの新人の顔やらをすぐ覚えないといけないメイド長なんて務まらない。

「開いてるわよ」

ドアから姿を現したのはやはり門番である紅美鈴の姿である。
片手には紅茶が入ったカップと茶菓子の乗ったお盆を持っている。

「美鈴。門番はどうしたの?あなたのことだからサボりなんてことじゃないでしょうけど」
「え?やだなぁ、もう交代の時間ですよ」

言われて外を確認してみれば確かに既に日も落ちているのが分かった。
交代と言っても実際のところ一日のほとんどは彼女が門番を務めている。
ちなみに交代の時間は夜である。夜に夜の眷族が住む屋敷に攻めてくる馬鹿なんてそうはいない。

「…もうこんな時間なのね。そろそろレミリアお嬢様が起きる頃かしら」

だとすれば着替えやら食事の準備を済まさないといけない。
本当に仕事は探せば無限増殖するのではないかと疑いたくなるほどの忙しさ。

「まぁまぁ。お嬢様が目が覚めるまではまだ暫くありますよ。それより咲夜さんは少し休んだ方がいいですよ。ほら、折角お茶と茶菓子も持ってきたんですし」

確かに昨日のレミリアは寝るのが少し遅かったので起きるまでにはもう少し位の余裕はあるはずだった。
疲れているのなら時でも止めて休めばいいのだが、紅茶のいい匂いと茶菓子の甘い匂いの誘惑には勝てそうにない。
それに美鈴がわざわざ気を使ってくれているのだがら無碍に断るのもどうかという気もした。

「…じゃあ、お言葉に甘えて頂こうかしら」
「はい、そうしてください。そのお菓子作った娘も自信作だって言って―――」

お盆を受け取るために立ち上がろうとしたところで彼女は「おや?」と大きな違和感を覚える。
美鈴の声が変に間延びしていた。そして、視点がぐるんぐるんと大回り。
ついでに視界も意識もどんどん真っ黒になっていくのを感じる。
美鈴が何かを叫んでいるような気もしたがあいにく聞き取れない。自分に何が起きたのかさっぱり分からない。
そして、意識が途切れる瞬間彼女が感じたのは、

(甘いものは暫くお預けっぽいわねぇ…)

などというどうでもいいことだった。






「これは過労だな」
「カロウ?初めて聞く名前ね」
「…私も初めて聞くわ」

現在室内に居るのは気だるそうな表情でベッドに寝かされている咲夜に、彼女が倒れたと聞いて文字通り跳んできたレミリア、その友人であるパチュリー。
そして、人間について詳しいだろうということでわざわざ里まで行って連れてこさせた慧音である。
ちなみに先ほどまで咲夜が倒れたと聞いて続々と駆けつけたメイドが大量に居たのだが美鈴が持ち場に戻らせている。

「私の知識程度では断言は出来ないがな。多分間違いないだろう」
「それでそのカロウってのは何かの病気なの?」
「あまり妖怪には馴染みがないことだからな、知らなくても無理はない。簡単に言えば働きすぎて疲労が限界に達してるだけだ」
「…それで治るのかしら?」
「しっかりと栄養を取ってしっかり休めば問題はない筈だ」

レミリアとパチュリーの間にあからさまに安堵の表情が広がったのを慧音は見逃さなかった。
存外従者思いのところがあったのだなと少し意外である。

「…それくらいだったら、時間でも止めて――」
「止めておけ」

言いかけた咲夜の言葉を止める。
この勤労意欲を少しでもいいからどこぞの巫女に分けてほしいくらいだと思う。

「あなたのその力がどういう作用で起きるのかは知らないが肉体に負担がないわけはないだろう」
「……」

納得しかねるといった表情の咲夜。
とはいえ、このまままた無理をさせてまた倒れられたのでは目覚めが良くない。
慧音としては告げ口をするようであまり使いたい手ではなかったがこの場合はやむ得ないだろう。

「…聞いた話だが、香霖堂という店から頭痛止めの薬を何度も調達しているらしいな。その様子だと疲れが溜まっているというのは気付いていたんだろう?」

体調が良くないせいか、珍しくあからさまにどうしてそれをといった表情になる。
この話は香霖堂の主人から直接聞かせてもらったものだ。
紅魔館の使いの者が呼びに来たときたまたま香霖堂で買い物をしていたので都合よく話を聞けたというわけである。
あの店にはたまにとんでもない掘り出し物があるので油断ならない。

「それは本当なの、咲夜?」
「…はい」

レミリアの詰問するような口調に咲夜は観念したように頷く。
心配をさせたくなかったのだろうが、それで余計に大きな心配を掛けてはまさしく本末転倒だ。

「…まったく、仕事熱心なのは良いけどそれで身体を壊されたらこちらが迷惑なのが分からない貴女じゃないでしょ」
「…面目ないです」
「まぁ良いわ。それに気付かなかった私にも責任があるのだし。…咲夜、休暇をあげるから『普通』に休みなさい。これは命令よ」
「……はい」

しょんぼりなメイド長がそこにいた。威厳の欠片もない。
それは普段の彼女からは想像もできないような様子で、その貴重な光景を見ながら慧音は笑いを必死にかみ殺していた。
仕事が出来ないでそこまで落ち込むなんて本当にどこぞの巫女に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。

「…それで本当に休むだけでいいのね?」

確認するように尋ねてきたのはパチュリーである。
彼女も笑いを堪えているように見えるのははたして気のせいなのだろうか。

「ああ。程度から見て一週間は安静にしておいたほうがいい。それで治らないなら私に言ってくれれば良い医者を紹介するよ」

そして、改めて咲夜のほうを向いて慧音はこう言って締めくくった。

「いい機会だ。あなたは普段働きすぎなくらいなんだからこの機会にゆっくり身体を休めるといい。案外それで得るものがあるかもしれないぞ?」



こうしてメイド長が不在の日々が始まったのである。















~あるメイド達の場合


紅魔館の見所その一として挙げられるのが外見からは考えられないほどの広さの内部である。
それはメイド長たる咲夜の能力によって空間が広げられているからなのだが、

「…うぅ、広い。まだ終わらないの?」
「…まだ半分も終わってないわよ」
「うぇぇ……」

悲しいかな、当然掃除するときにはそれは足枷でしかない。
普段は尊敬しているメイド長でもこういうときばかりは憎い。
というか、広く出来たんなら狭く出来んのかいと突っ込みたいほどである。

「もう駄目……」

紅魔館メイド隊A班の一人のメイドが限界といった感じで座り込んでしまう。
ただし、それを嗜める声はない。皆同じ気持ちなのだ。
いくら掃除をしても終わる気配がない。それどころか掃除をした結果埃が舞ってそれをまた掃除するという繰り返し。
まさにスパイラル。

「私達じゃ無理だよ……」

別のメイドの一人が呟く。
思えば、正直なところ掃除というものを甘く見ていたのだ。
自分達なりにやっていたつもりだが所詮メイド長にフォローされなければたやすく瓦解してしまう程度の努力だったのではないか。
それを否定できるものは誰一人としていない。
全体に諦めムードが流れ始めたその時、

「…何を言っているのあなた達」
「…班長?」

沈黙を破ったのはきっちりした仕事で定評のあるメイド隊A班班長であった。

「あなた達にとってメイドというのはその程度のものだったの!?」

普段あまり感情を表に出さない彼女がここぞとばかりに感情をあらわにしている。
その勢いに飲まれて先ほどまでの空気が完全に吹き飛んでしまっている。

「メイドって言うのはそんなものではないのよ!振り返ればそこにいる。そこにいるけど決して出しゃばらない。でも、いないとどうしようもない。不可能を可能にしちゃう不可能ブレイカー。言ってしまえば我々は選ばれた民なのよ!!」
「……」

何言ってんだこの人、とその場の誰もが思った。
思ったが、誰もそれを口には出来なかった。心の奥底で何かにその言葉が響いてきたのだ。

「今あなた達が感じたもの。それがメイド魂よ。その魂の声に恥じぬ行動が取れぬようになった時、初めて神のメイドになれるのよ」
「は、班長!」

メイドの一人が彼女の手をしっかりと掴んできた。感動で泣いていた。
それを皮切りに次々と他のメイド達が彼女の元に集まってきた。
その一人一人としっかりと握手をして、それから悠然と立ち上がりもはやメイド達の顔は見ずに、それでいて私について来いと言わんばかり宣言した。

「行こうか同士諸君、箒を手に取れ!」
「イエス、マム!!」

紅魔館メイド隊は行く手を遮るすべてを容赦しない。
それを排撃し、そして撃滅する。親兄弟、必要ならば飼い犬まで。

――全てはクリーンな紅魔館のために。














~紅美鈴の場合~



紅魔館全体が殺気立っているのを魔理沙は感じていた。
まず門番がいつもの奴と違う。対応まで全く違った。
彼女の姿を見ただけで特に止めようとは全くしなかったのだ。
ちなみにご丁寧に『館内を荒らしたらどうなっても知りませんからね』との忠告付き。
そんなわけで堂々と正面玄関から入る。
何の抵抗もなく通してくれるのだからそれはそれでいいじゃないかというのが彼女の結論だった。
館内に入ってみればやはりどのメイドも動きが慌しく感じられる。
いつもならもう少し優雅さみたいなものがあったと思うのだが。
なんか私達の邪魔しやがったらただじゃ済まさせねぇ的オーラが滲んでいて何かあったのか聞くのも気が引ける。
普段はそんなものを全く気にしない彼女がそう感じるほどなのだからはそれは相当なものである。
暫く歩いたところで顔見知りの顔を発見したので早速声をかける。
顔見知りなら何の遠慮もいらないという判断である。

「よぅ、中国」
「……あぁ」

いつものような覇気がない。
どうにもやり辛い、と内心ため息をつく。

「で、何かあったのか?どうもいつもと違う雰囲気なんだが」
「ああ、それは――」

美鈴が口を開きかけたところでメイドの一人が小走りに近付いてくる

「メイド長代理!第三区画の清掃終了しました!」
「あ、う、うん。ご苦労様。窓枠に埃が溜まってるなんて失態はないわね?」
「万事抜かりはありません!」
「そ、そう。じゃあ、メイド部隊は各区画へ手伝いに行って――」
「イエス、マム!!」

メイドは最後まで聞かずに敬礼をして再び小走りに去っていった。
なんというか呆気に取られて言葉を失ってしまう。

「…なぁ、ここはいつからこんな殺伐とした場所になったんだ?」
「…私が知りたいわ。急にメイド達の動きが活発になったのよね。まぁ、助かるから良いけど」
「で、何かあったのか?」
「……咲夜さんが倒れたのよ」
「あのメイドがか?そういえばメイド長代理とか呼んでたな」

咲夜が倒れたというのは魔理沙にとっても意外なニュースだった。
あの何でも完璧にこなすメイドなら体調管理も完璧にしていそうだと思ったのだが。
やはり人間全てを完璧にするのは無理ということだろうか。

「悪いのか?」
「暫く休んでれば治るらしいわ。まぁ、その関係で指示系統やら仕事の中身ががらりと変わってね、皆混乱してるの
「へぇ…」

内心密かにほっとしながら生返事で頷く。
しかし、今聞いた説明だけだと解せないことがあった。

「あいつが働き者だってのは認めるが、それでもたった一人いないだけだろ?それだけでここまでなるもんなのか?」

美鈴の表情が何とも言えないものになる。
言い返したいけど言い返せない、そんな表情だ。

「…今回ばっかりはあなたの言うとおり。つけが回ったってとこよ」

自嘲気味な美鈴の姿を見ているともしかすると自分の責任だとかなんだとか思っているのかもしれない。
何かと生真面目な彼女のことだからその可能性は十分にある。

「そうかい」

だとしたところで魔理沙にとってはどうでもいい話だった。
反省するところがあったのなら治せばいい。そんな単純な話じゃないか。余計な事を考える必要などない。
彼女は心底そう思っているし、それを実行しているつもりである。

「話も聞けたしすっきりしたから私はもう行くぜ」

帽子のずれを直しながら美鈴の方は見ずに手だけ上げて別れる。

「あ、見ての通り皆殺気立ってるから気をつけることね。些細なことで大変なことになるかもしれないから」

美鈴の言葉に「了解だぜ」とだけ応えて魔理沙はそのまま去っていく。
その後ろを姿を暫く追い続けていた美鈴だったがすぐに自分の仕事を再開するのだった。














~レミリア・スカーレットの場合~


たかだか一週間程度の休みならなんでもないとレミリアはそう思っていた。
だが、実際には過ごしてみればそうでもないのが現実というものである。
朝起きても当たり前になっていた第一声の「おはようございます、お嬢様」がない。
呼べばすぐに誰かが駆けつけては来るが、呼べば一秒の間もなく返事をするメイドはいない。
当たり前だと思っていたものが突然なくなると少しずつではあるが、イライラは募っていくものである。
とはいえ咲夜ほどのメイドっぷりを要求するのが贅沢だとは分かっているのであまり五月蝿くは言えない。
思えば咲夜は実に良く出来たメイドだった。まだいなくなったわけではないが。
それに、結局のところ使える人材だからといって使いすぎたのが今回の原因なのだし贅沢も言えないだろう。
健康管理が出来なかったのは咲夜の責任だが、部下の不手際は同時に上司の責任なのである。

そんなわけで館にいても仕方ないので彼女はいつものように巫女のいる博麗神社に遊びに来ていた。

「そういうわけで咲夜は今うちでしっかり寝てるわ」
「…あぁ、そう」

霊夢は盛大にため息をつく。
何でこんな真昼間から訪ねてきた吸血鬼と会話をせねばならんのかというオーラがこれでもかというくらいに出ている。
それを理解できない彼女ではないが、わざと無視をして会話を進める。
この巫女はいつだってそういう態度なのだ。
面倒そうにしながらも最後には結局全てを受け入れてしまう。
ある意味この幻想郷を体現している人間とも言える。

「いつもあんたにべったりのあのメイドがいないわけはよく分かったけど、そんな大変なときに主がこんなところで油売ってて良いわけ?」

ほら、こんな風に何だかんだで結局話には付き合ってくれるのだから。

「分かってないわね。主がその場にいない程度で仕事の効率が変わるのならそんな人員要らないわ。いい、霊夢?上に立つものに必要なのは下の者の力を余す所なく利用する手腕なのよ。言わば『有能な怠け者』ね」

有能な怠け者は自分が出来る限り楽をするために部下を働かせようとする。
結果、その部下はその能力を最大限に発揮できるという寸法である。
それは重要な要素であるとは思っているが、それだけでいいとはレミリアは思っていない。
指揮官くらいまでならばそれだけで構わないだろうが彼女ほどの立場の者ならそれだけでは駄目だ。
一般的にはカリスマと呼ばれているものだ。それは恐怖であってもいい、この者なら一生仕えてもいいという気持ちでもいい。
肝心なのはその者にとって彼女が絶対者となることだ。逆らおうとなど微塵も思わせないくらいがちょうどいい。

「ふーん…。そんなものなのかしら」

納得しかねるといった感じの霊夢。
空気のように何者からも束縛を受けない彼女からすれば理解し難い話なのだろう。

「ちなみにその評だと、あんたの専属メイドはどういうことになるの?」
「『有能な働き者』ってところかしら。なんでも自分でやろうとするし、実際できるから他人に頼るのが苦手」
「なるほどね」

今度は納得したように頷いて霊夢は自分で煎れた茶をずずず、と飲む。
レミリアもそれに続くようにして音を立てずに飲む。
紅茶の方が好みではあるのだがたまにはこういうのもいいと思う。
暫く決して不快ではない無言の間が続いて、不意に口を開いたのは霊夢の方であった。

「――あぁ、つまり怠けて楽をするのが上に立つ奴の仕事なのね」
「そういうことね」

否定しないのかよ等と突っ込むものはいない。

「羨ましい身分ね」
「やってみる?」
「嫌よ。面倒そうだし」

間髪入れずに応える霊夢にレミリアは思わず噴出してしまう。
霊夢は霊夢でそれに構うこともなく自分で淹れたお茶をゆっくりと飲んでいる。

今日も今日とて博麗神社は無駄に平和であった。













~パチュリー・ノーレッジの場合~


不便がないかといえば嘘になるが彼女としては特に困った事態になっているこということはなかった。
せいぜい欲しいと思った時に紅茶が出てこないのが少しばかり残念なことくらいだろう。
でもまぁ、メイドの代わりならいなくもないわけだし。

「小悪魔、お茶」
「はい!」

あの半獣は過労が人間特有のものだと言っていた。
その原因が疲労から来るものなら確かにそんなものになるのは変なところで真面目な人間くらいのものだろう。
妖怪が人間より遥かに丈夫という事もあるが、そもそも妖怪はそこまで焦って仕事をする必要自体がほとんどないのだ。
時間などそれこそいくらでもあるのだから。

「小悪魔、今度はそこに書いてるリスト関連の本を探してきて」
「は、はいっ!」

そもそも妖怪は人間のことをあまりに知らない。逆もまた然りではあるけれど。
人間のことを知る妖怪も、妖怪のことを知る人間もあまりに少ないのだ。
彼女の知る限りでは人間の本質まで理解しているのは胡散臭いすきま妖怪くらいのものだろう。
もしかするとあれくらい胡散臭くなければ本質まで理解しきれないのかもしれない。

「…ご注文の品はこれで?」
「ええ。それで、次だけど――」
「パ、パチュリー様。少し休ませてください……」

限界、といった感じで小悪魔はへたり込む。この通り、人間でないからと言って疲れないわけではないのである。
その様子を見ながら妖怪でも過労とやらになるものか試してみるのも良いかもしれない、などと本人が聞けば全力で否定しそうなことを考えてみたりする。
今まで雑事をしていたメイド長が現在役に立たないのだから自然と彼女の仕事も増えてくる。
普通のメイドにあまりこの図書館に入れたくはないというのが本音だ。
本達がどうな扱いを受けるのか考えるとおちおち本も読んでられない。咲夜ならその辺りまで配慮はしてくれるのだが。

「…役に立たないネコイラズもいないならいないで困るものね」

そんな愚痴もこぼれるものだ。
本来ならここでは一番割を食ってる小悪魔の台詞ではある。
が、当の小悪魔は慣れたものなのかそれを特に気にした様子もなくじっと本に読みふけっているパチュリーのことを見つめていた。

「パチュリー様」
「…何?」

目は本の文字を追いかけたままで小悪魔の言葉だけに答える。

「咲夜さん早く良くなると良いですねー」
「…そうね。あなたの紅茶じゃ少し物足りないもの。美味しい紅茶を淹れてさえくれれば誰でも良いけど」

素直じゃないなー、と思ったが思うだけに小悪魔は留めておく。
どうせあの人間のメイドを心配してるなんて認めるような素直な人ではない。
ついでに言えばそんなことを言ったら仕事が二倍増になりそうな予感もする。

「じゃ、続きいってきますねー」
「ええ、お願い」

渡された新たなリストに目を落としてみる。
全部人間についての本なのはわざとなのかそれとも無意識的になのか。
まぁ、どちらにしても。

「素直じゃないなー」
















~フランドール・スカーレットの場合~


「暇~!」

その幼い顔を不満一杯と言った感じで膨らませているのフランドール。
そんなこと言われてもなぁ、といった表情で困惑気味のメイド。
不幸なことに彼女は大変くじ運が悪く、普段は咲夜の仕事であった食事を運ぶ役を任されてしまった次第である。

「ご飯あんまり美味しくない!!」

食事を作ったのは別の人だ。責任を押し付けられても困る。

「あと暇っ!!」

というか単に暇なだけちゃうんかい。
なんてことは恐くて口に出せるわけもない。

「大体なんで咲夜が来ないのよ。あなたと話しててもつまんないっ」
「で、ですからメイド長は今安静の身で来ることはできないと……」
「そんなの知らないっ」

さっきからこんな不毛な会話ばかり繰り返している。
この館の主も悪魔の例にも漏れず結構我侭ではあるが、その主の妹であるこの吸血鬼はそれに輪をかけて我侭だ。
しかも、見た目は華奢な少女でしかないこの娘がとんでもない力を秘めているというのだから手に負えない。
気が付いたらご臨終なんて事が簡単に起こりえそうなのである。
どうやってこの気難しい少女に対応していたのか是非メイド長には教えて欲しいくらいだ。
出来れば活かす機会は二度とこないで欲しいが。

「暇暇暇、暇、ひ・まっ!!」

ぱたぱたと羽を動かしながら器用に部屋の中を飛び回るフランドール。
完全に部屋から出るタイミングは失ってしまっている。
八つ当たりだろうが何だろうがくじを作った人を恨みたい気分だ。

「――あっ!」

何かを思いついたらしく、動きを止める。そして、次の瞬間にはフランドールの身体は目の前にある。
びくり、と身体が恐怖の臨界点を超えて反応してしまうが不幸なことにそれが気付いた様子はない。
いや、気付いていたとしても彼女は変わらずその無垢な瞳を向けているだろう。

「あなたが私と遊んでくれればいいのよ」
「――え、私ですか!?」
「そ。あなた以外に誰がいるのよ。壊れないおもちゃだといいなぁ」
「――っ!」

背筋に冷たいものが走る。子供のように純真で残酷な目だ。だから本気だと理解できる。
次の瞬間、体裁も何もなく彼女は脱兎の如く駆け出していた。
「あっ、どこに行くのよっ」という言葉が聞こえた気がしたがそんなものに構ってなどいられるか。
冗談ではない。自分は普通のメイドだ。
メイド長のように特別な力もなければ図書館の魔女のような知識も何もない。
――こんな化け物の相手などできるものか。

「むぅ……」

フランドールは走り去っていくメイドの後ろ姿を不満そうに見つめる。
でもどうせ大した遊び相手にもならなかっただろうと、すぐに記憶から消去しまう。
当然その逃げ出したメイドがその後メイド隊A班の班長に「敵前逃亡とは恥を知れぃっ!!」と指導を受けたなどと彼女が感知するところではない。
興味がないものにはとことんに関心が薄いのである。

「…どうしよっかなぁ」

目下の悩みは暇な時間をいかにして過ごすかということである。
いつもなら咲夜が話し相手になったりしてくれているのだが、どうも今日は来れないようだ。
無理してでも来てくれればいいのにと無茶なことを思うが、すぐに思い直す。
もしかしたら姉の命令なのかもしれない。だとしたら無理に来させるわけにはいかない。
姉に叱られることは彼女にとって何より恐いことなのだ。

「あ、そうだっ!!」

妙案を思いついた。
何故これを最初から思いつかなかったのだろうか。

向こうが来れないのならこちらから行ってしまえばいいのだ。












~十六夜咲夜の場合~


現在の彼女の心境を一番分かりやすい例で語れば仕事一筋に生きた人がその仕事を止めてしまった時のそれである。
有体に言えば生き甲斐を失ってしまった。
ぶっちゃけて言えば暇である。
あまりに暇すぎて思わず手持ちのナイフの手入れをしてしまうほどだ。
安静と言われてはいるがこれくらいは勘弁して欲しい。でないと発狂する。

「よぅ、見舞いに来てや――」
「あ……」

ノックもせずに入った来た魔理沙がその光景を見てぴたりと動きを止める。
動物を満面の笑みで可愛がってる時を見られたようなそんな気まずさがある。
暫くの沈黙の後、口を開いたのは魔理沙の方だった。

「…食べても美味くないぜ私は」
「食うかっ!」

思わずそう叫んでいた。







「…で、見舞いに来たんだったかしら?」

気を取り直して話を元に戻す。
誰からその話を聞いたというのは聞かない。
今知っているのだからそれを知ったところで大した意味はないだろう。

「ああ、お前が倒れるなんて天変地異並に珍しいからな。ちなみに見舞いの品は何もないぜ」
「最初から期待してないわ」

この際話し相手がいれば何でもいいというのが本音だ。
何もすることがないというのは想像以上に辛い。

「しかし、その様子だと聞いてたほど悪くはなさそうだな」
「…皆大袈裟なのよ。これくらいなら少し休めば十分」
「でも、倒れたってのは事実なんだろ?」

ぐぅの音も出ない。あれに関しては完全に失態だった。
彼女とてあんな失敗を起こすなんて想定もしていなかったのだ。

「…思ったより脆いわよね。人の身体って」
「あ?何言ってるんだ。当たり前だろ?」

そう、魔理沙の言うとおり当たり前の話なのだ。
人の身体は妖怪と比べて遥か脆く、弱い。
力のおかげもあってか普段はそんなことは気にもしないのだが、こういう時には嫌でも思い知らされてしまう。
自分はこの館の中では異質の存在なのだと。

「何だ、センチメンタリズムにでも目覚めたのか?止めておいた方が良いぜ、似合ってない」

魔理沙の歯に衣着せぬ言い様に苦笑しながら「そうね」と応える。
まったくだ。感傷にふけるなんて巫女とこの魔法使いの次くらいに似合わないじゃないか。
案外自分で思っていた以上に疲労が溜まっていたのかもしれない。

「ところで他の皆はちゃんと仕事してた?」
「?そのくらい自分で見れば良いだろ?監禁されてるわけじゃあるまいし」

実は半分それに近い。
部屋の外から出ようとすると必ずと言って良いほどに誰かと出くわして「仕事のことは私達に任せていただいてメイド長はゆっくりと休んでいてください」と部屋に戻されるのである。
この部屋実は監視されていたりするのではないかと本気で疑ってしまう。

「んー、他のメイドは一応ちゃんと働いてたぜ。パチュの奴はいつも通りっぽかったな。レミリアは見てないがどうせ霊夢のとこだろ」
「…そう」

好き勝手やってないだけマシと考えるべきなのだろう。
それでも心配の種は尽きない。
気にしてもどうしようもないことは重々承知の上なのだが。
あからさまに心配な様子の彼女に魔理沙は少し苦笑気味に言う。

「大体お前は何でも自分でやり過ぎなんだ。少しくらい他人にやらせた方が―――」
「さーくーやー!!」

今度もノックはなしに、ただしドアが壊れても不思議ではないほどの勢いで入ってくる影がある。

「フランドールお嬢様」

扱いには慣れたものなのか特に動揺した素振りも見せずに突撃してきたフランドールに対応している。

「…フラン、ドアはゆっくり開けるものだぜ」
「あ、魔理沙もいたんだ」

お前が言うな、と言いたい。
魔理沙によって破壊されているドア及びその他の破壊数を教えてやりたいくらいだ。

「それで、フランドールお嬢様はどうしてこちらまで?」
「咲夜が来てくれないからこっちから来ちゃった。ね、遊ぼ?」

満面の笑みである。
これを断るのはなかなか至難の技だ。
「レミリアお嬢様からの命令ですので」とでも言えばあっさり引いてはくれるだろう。事実だし。
ただ、その際の心底残念そうな表情を想像するとなんとかならないかと思案してしまう。
主従意識が染み込んでるな、と誇らしいやら虚しいやら複雑な気分ではある。

そんな思考のループに陥っている咲夜に助け舟を出したのは意外なことに魔理沙だった。

「あー、フラン。折角だから私と遊ばないか?今猛烈に暇なんだ」
「え、魔理沙と?…んー、いいよ。魔理沙とだったら退屈しないし」

フランドールの笑顔を奪わずに済んでほっとする反面、まさかこいつにフォローされるとはという意外な心境で魔理沙の事を見る。
当の魔理沙は咲夜の方を向くことはなくそのままフランドールと二人で外に出て行ってしまった。

しんと再び静まり返った部屋でボーっとしながら借りが出来てしまったなと思ったりする。
だが、今までの分でまだ借金があるくらいだと気付いて借りはあっさりと消失する。

「…暇ね」

呟いてはみたがそれでどうなるわけでもなく、まだ暫くは暇で辛いという今まで味わったことのないような地獄を体験するのであった。














そんなこんなで長いようで短かった一週間もすぎる。

メイド服に身を包んだ咲夜の姿にはいまだかつてないほどの気合が入っていた。
見るものが見れば後光が射しているようにすら見えただろう。

「すっかり体調は戻ったようね」
「はい」

そんな彼女の様子をじっと見つめていたレミリアは満足げに頷く。
館の看板にいつまでも寝込まれていたのでは色々と不都合だ。

「…それにしてもひどい有様」

館内の惨状を思い出してレミリアは軽くため息をつく。
メイド長不在という期間を乗り越えたメイド達は安心感やらですっかり気が抜けてしまっている。
様子見で見回れば外面上は気合が入るが、ちょっと目を離せばすぐに元通りだ。

「最近腑抜けてるとは思ってたけど、これほどとはね」
「…申し訳ありません」

なんと言っていいものか迷ったがとりあえず謝罪しておくことにした。
部下の失態は上司の責任なのである。

「ええ、これは咲夜の責任ね。あなたが何でも一人でやろうとするからこんなことになるのよ」

言葉こそ責めているようだったが、口調そのものはそのように感じられなかったのは色眼鏡にかけすぎているのだろうか。

「そういうわけだから今度からしっかりと他の連中にも働かせなさい。軟弱なのが多すぎるわ」
「命令ですか?」
「そう、命令よ」
「畏まりました」

そういうことなら仕方ない。
いいメイドとは主が何を言いたいのか深く聞かずとも理解するものなのである。

「咲夜」
「はい」

すかさず紅茶を淹れる。
暫くぶりだったので腕が落ちていないか不安だったが、レミリアは紅茶に口をつけて満足そうに頷く。

「やっぱり紅茶は咲夜が淹れてくれたのが一番」
「ありがとうございます」

表情には出さないが褒められて嬉しくないわけはない。
とはいえ、喜んでばかりもいられない。彼女がいない間に溜まった仕事だけでもかなりの量なのだ。
他のメイド達は頑張っていたようだが、咲夜から見たらまだまだだ。
後片付けことを考えるとため息でもつきたくなる。

(…あぁ、そういえば他のメイド達にもしっかり働かせないといけないんだったわね)

今までは他の人に頼る必要性もなかったから自分で処理できることは自分でしてきたが、命令ということなら仕方ないだろう。
慣れるまでは大変そうだが、慣らせばいいだけのことだ。

「ではお嬢様。少し失礼します」
「ええ」

一礼してレミリアの元を去る。

とりあえず仕事は掃除だろう。クリーンな環境はクリーンな思考を生むのだから。
その後は――まぁ、それは後で考えればいいだろう。
どうせ仕事は山のようにあるのだ。放っておいても舞い込んでくることだろう。
メイド長も楽ではないのだ。
















――楽ではないけどやっぱり自分の適職なのだなぁ、と咲夜はよく思っている。







~番外編~

「よぅ、中国」
「だから私は紅美鈴だってば。何度言えば分かるかな」
「覚える気はない」
「…ああ、そう」
「で、お前がここにいるということはあいつの体調は治ったんだな」
「ええ、なんとかね」
「じゃ、遠慮なく侵入させてもらうぜ」
「…なんで普通に入ろうとしないかな」
「ははは。それじゃつまらん。――行くぜっ!!」
「我らメイドA班は門番の支援に向かう。全メイド突撃!!」
『イエス、マム!!』
「な、何だこいつらー!!」
「ちょっと待って、私ごとーーーっ!?」




ゆな
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コメント



0.4490簡易評価
1.80qaz削除
後書きに笑ったw
2.60翔菜削除
A班はっちゃけ過ぎw
4.80雨虎削除
咲夜さんがいないと紅魔館はかくも大変なことになるんですねw

※誤字見つけてしまったので報告しておきます。
レミリアの場合が始まってすぐの文中
×朔夜→○咲夜 たぶんこの辺りだけだと。
ラストの部分始まった辺り
×これほどとわね→○これほどとはね

紅魔館の特別な日常、堪能させてもらいました。
12.50名前が無い程度の能力削除
多分孤児です。
過労の後で、永遠堂の薬師とありますがどっちを指しているのでしょうか?
13.無評価名前が無い程度の能力削除
×多分孤児です。 ○多分誤字です。 言ってる私が間違えてしまった…。
14.無評価ゆな削除
>雨虎さん
>名前が無い程度の能力さん

誤字修正させていただきました。ありがとうございます

今回こそは誤字はないと…orz
27.80名前が無い程度の能力削除
面白かった。
30.80油揚げ削除
哀れなり、紅美鈴
34.100名前が無い程度の能力削除
面白かったですw 紅魔館は咲夜さんで持ってるんだなぁ、と実感させられる話でした。
哀れ紅美鈴w

後、誤字を一箇所、というか直ってなかった部分があったので指摘を。
思えば朔夜は実に良く出来たメイドだった。

思えば咲夜は実に良く出来たメイドだった。

だと思いますー
36.70名乗らない削除
「朔夜」になってるとこがあったで?
39.無評価ゆな削除
>名乗らないさん
>名前が無い程度の能力

修正しました。ありがとうございます。
本当に誤字は無間地獄だぜorz
40.80hima削除
話は楽しかったです。
正直な話あとがきが一番吹きましたw
46.無評価ドク削除
紅 美鈴よ安らかに眠れ・・・w
47.80ドク削除
あ、いけね。点数忘れたw
48.70名前が無い程度の能力削除
機械っていうのは、重要な歯車が欠けたりするととたんにギクシャクし始めるのですね

>健康管理が出来なかったののは朔夜の責任だが、部下の不手際は同時に上司の責任なのである。
よくありそうな誤字に関しては、[Ctrl]+[F]でページ内検索してみては?
(この場合は「朔」で)
52.無評価ゆな削除
>名前が無い程度の能力
修正しました。ありがとうございます。
我ながら酷いorz

ご教授していただきありがとうごさます。参考にさせてもらいます
53.90煌庫削除
美鈴、ご愁傷様。
あとメイド隊、凄すぎだぜ。
63.100名無し人妖削除
咲夜さん頑張りすぎ。
メイド長の存在が実に伝わる良作でした
70.70読専削除
これは完全に自分の妄想なのですが、しばらく休めば問題ないと言われて
安心した直後に、しかし外の世界では毎年過労で大勢の人間が死んでいる
と言われてとりみだすレミリアが見られれば、ほのぼのこうまかんぶんが
補充できて幸せだなあと思いました。
107.80名前が無い程度の能力削除
ありがちなネタ。
だがそれがいい、それでいい。
108.80名前が無い程度の能力削除
良作
114.100irusu削除
メイドA班は面白いですね。
116.100ssk削除
A班は自重してちょーだいwww