Childhood's end(全ての言葉はさようなら)
知ってる?
叫ぶには、大きく息を吸わなければならないの。
第七部【絶対に、あなたの為に泣いたりなんてしない】
もう一度、もう一度だけ。今度は上手に、笑ってみせるから。
[それより前は前世と呼ぶの]
ほら、綺麗だろう?死にゆく、なんてとんだ勘違いさ。どんな命も、死ぬまで生きてる。
そう言った彼の最期があんなものだと、誰が想像しただろう。
[ゴーストビートⅡ]
「そんなところで何をしているの?」
声は空から降ってきた。
わたしは夢見心地で答える。
「まっているの」
「何をかしら?」
声は可笑しそうに響く。
わたしは夢見心地で答える。
「むかえがくるのを」
「あらあら、迷子なの?」
それは疑問というよりは、まるで確認するようだった。
記憶の中のわたしはそれをわかっていて、けれどちゃんと答えた。
彼女が彼女だと、わかったから。
小さく呼吸する。
口を開いた。
「――――――――――――――――――――――――」
[従者の不在Ⅱ]
There will be time, there will be time
There will be time to murder and create,
Time for you and time for me,
パチュリーが駆けつけたときは、すでに彼女は返り血で紅く染まっていた。
この館には相応しくも、あまり見ていて気持ちの良い光景ではないそれだが、とりあえず彼女の顔に疲労の色すら見えないことに、パチュリーは密かに安堵した。
「すいません、起こしてしまいましたか?」
いつもの勤務服ではなく、もとは白一色だっただろう寝間着姿の美鈴は、申し訳なさそうに全身で振り返る。その際揺れた長い髪だけは、血に染まる前より紅いことをパチュリーは知っていた。
「ひどい有様ね。雨でも降らしましょうか」
「大丈夫です。後で詰め処で着替えますから」
軽い冗談を流しながら、彼女は襲撃者達に、否、襲撃者だったモノに近づいた。膝を折り、その動かぬ骸の顔に手を伸ばす。
そっと、自然な動きでその目蓋を閉じた。
彼女自身も合わせるように目を閉じる。孔雀石のような目が目蓋に仕舞われる。そのまま数秒間。黙祷を捧げ終え、彼女の目が開かれた。その目には、哀しいとか辛いとか、そういったマイナスな感情は見受けなかった。プラスマイナスゼロ。浮かんだのは、そんな言葉だ。他にも転がる幾体にも、彼女は同じようにそれを繰り返した。中には原型を失ったものもあったが、そういうときは黙祷だけしていた。
その光景があまりにも静かだったから、それら全てが、彼女とその部下によって創り出されたものだということを、忘れてしまいそうになる。
「優しいのね」
弔いを終えた彼女に、何となくずっと見ていたパチュリーは声をかけた。
少し意外な気もしていた。荒事を率先して引き受ける門番のイメージから、今の彼女はかけ離れている気がしたから。
けれど美鈴は、その言葉に首を縦にも横にも振らず言う。
「死んじゃえば、もう敵ではありませんし」
そうして、彼女は館を振り返る。瞬間、その目が何かを捕らえ、その口が、何かの形を取った。
ふつりと、張り巡らされていたソレが切れる。
よほど護れたことが嬉しいのか。館を見上げ、美鈴はようやくそこでいつものように、ふにゃっと幼いような笑いを浮かべた。孔雀石のような虹彩は、館の紅を映しても変わらず深い。
満足そうなその目に、だからパチュリーは気づいてしまった。最初から、彼女は彼らに怒りも憎しみもない。ただ、彼女は館を護った、それだけで。そこには襲撃者に対する、どんな想いも必要ないのだ。
でもそれは、当たり前のことかもしれない。彼女はただの門番で、誰かの不幸を願ったりはしないのだから。
[火曜クラブは開かれない×親の心子知らずⅡ]
「それにしても、反抗期ですかぁ」
「まだ言ってるの?この前一緒に調べてあげたじゃない」
「対処法の効果がいまいちなんですよ。かまい過ぎちゃいけないってゆうから、詰め処に泊まり込んだのに」
「ああそれね。小悪魔から聞いたわ。ナイフの乱舞、血の雨が降ったって。一介のメイドにしておくのが惜しいって館内警備隊長が言ってたわよ」
「もう、何を言ってるんでしょうねえ、あの人は。一度でも攻撃受けたら致命傷なんですよ、人間ってのは」
「あら、咲夜には必殺技があるじゃない」
「それも多勢に無勢では危ういです。もっと殺傷力が高くないと。一撃で、相手を絶命させるような」
「物騒な話ね。血なまぐさいのは嫌いだわ」
「ご心配には及びません。どんな輩も、ここにまでは、館の中までは通しません」
「それは私のため?それともあの子のためかしら」
「お嬢様の為と、館の平和のためです」
「無難な返事に逃げたわね。自分より強い者を護るの?」
「私は門番ですから」
「去年の夜、襲撃者のあった時…」
「あれがどうかしました?」
美鈴が首を傾げると、パチュリーは、珍しいことにクスリと笑った。
「別に、無意識ならそれはそれでと思っただけよ」
「とにかく、何か良さそうな本が見つかったら教えていただけますか」
「気が向いたらね。人間の、それも少女の心理について詳しい本なんてあるとは思えないけど」
「この前は、それでも助かりましたよ。呪いか病気かと思っちゃいましたから。一時的なものなら、そのうち終わりますよね」
「本には、この頃の経験が人生を左右するともあったけど?」
「……なんでもいいので、何かわかったらいつでも教えてください。出来れば、わかったらすぐにでも」
「従者の分際で人使いの荒い」
「ええと、私の主人はほら、お嬢様ですし。パチュリー様、本読むの速いじゃないですか」
「読みたい本はそれでも無限にあるのよ」
「そこを何とかお願いします。いつか絶対このご恩には報いますので」
「期待しないわ。だから、あなたも期待しないこと」
「まぁ、パチュリー様が、知らないで済ますとは思ってませんけど」
「……付き合いが長いというのも、時には問題のようね。門番隊長、紅美鈴」
「ああ!カーサが休憩時間終了の気を送ってますので。それじゃあパチュリー様、お体に気をつけて!」
「……逃げ足の速い」
[それより前は前世と呼ぶのⅡ]
この悪魔め、とその男は言った。
化け物だ、とその男の仲間は言った。
人間じゃない、とその女は言った。
我々の敵、とその女の仲間は言った。
だから、お前は死ななければならない、とその人は言った。
それは、いつの記憶なのだろう。
第八部【雨に歌えば】
目を閉じて、それで全てがなくなればいい
[ゆっくりと、幕が開ける]
アリスと別れた後、美鈴は自室に向かった。扉を開けると、慣れ親しんだ彼女の気配が、さらに濃厚なものになった。数年前までは日常的だった光景に、何かが身体を通り抜けていく。
「突っ立ってないで、部屋に入ったらどう?いい加減、紅茶が冷めるわ」
「あれ?ここで淹れたんじゃないんですね」
「私の部屋からは厨房が近かったから。それ、時間止めてあるしね」
「ああそれでって、なら冷えないじゃないですか」
咲夜は肩をすくめた。要は、さっきのはただの挨拶代わりだったのだろう。いつものことなので、笑って美鈴は座る。
「咲夜さんの部屋では淹れないんですか、お茶」
「昔から、火種があると思うと落ち着かないのよ」
「そう言えば、一緒にいた頃にもそんなこと言ってましたっけ」
「そうよ。大抵のことは何でも折れるあなたが、絶対に譲らなかった一つよ。大立ち回りまでしたのに、忘れてくれてるとはね」
実際には、咲夜が一方的にナイフを振り回していただけなのだが。この頃はまだ、彼女は投げナイフは得意じゃなかったことを思い出す。
「お茶のない生活なんて地獄じゃないですか」
「それに関しては同意するけどね」
咲夜のお薦めの紅茶はおいしかった。
あの紅茶の味ではなかったけれど、それでも美味しかった。
一口飲むごとに香りが高くなっていくような、そんな不思議な葉だった。知らない間に冷えていた身体が熱を取り戻していく。なにかの戒めを、解かれたような気分だった。
「ねえ、咲夜さん」
だからか、ふいに甦った記憶があった。
「なに?」
逡巡は一瞬。その刹那を割って、人形遣いの言葉が頭を過ぎて消えた。
「どうして、あの時泣いたんですか?」
「あの時?」
咲夜が美鈴の前で泣いた回数は、多くも少なくもない。そのどれを指しているのかなんて、この会話でわかるはずもない。記憶を確かめるように目を遠くして、美鈴は、それが彼女の考え込むときの癖なのだが、両手の指を絡め、ぎゅっと鼻先で組んだ。
「ほら、初めて会った日の時ですよ」
「初めて…」
「こんなふうに一緒に紅茶を飲んで、咲夜さん、思いっきり甘くしていましたよね。で、それを飲みながら」
「――――――――ああ」
美鈴がそうしたように、彼女もまた記憶を辿っていたのだろう。そのことに考えが至り、言葉一つで意識の方向が同じになることに、美鈴は少し感動した。その内容自体は、全くわからなかったとしても。
「それで、なんで泣いたんですか?」
「そんな事を知ってどうするの?」
「別にどうもしませんけど。ただ思い出したので」
言いたくないのなら、それでもよかった。人間なんてものは、よくわからない理由で泣く事がしょっちゅうだ。実際、咲夜が泣いたときの大半は、美鈴にその哀しみの理由がわからなかったのだから。
咲夜は何かを言いあぐねるように下唇をかるく噛んだ。これは咲夜の考える時の癖。それぐらいは気づける程度には、二人は傍にいたのだ。
当たり前だけど、と美鈴は思った。変わってないところもあるんだ、と。
「別に、あなたがどうとか、そういうのじゃなかったのよ」
思考を断つようなそれが先ほどの答えだと気づくのに、一瞬だけ遅れた。
「と、言いますと?」
「昔の事じゃない。私だってよく覚えていないわ」
「昔って言ってもですねぇ」
「私たちにとっては大昔よ、八年くらい前なんて」
「たち?」
「人間にとって」
「そうですか」
もっともそうに頷きながら思った。
右手で左腕を押さえるのは、精神的な防御の姿勢。イントネーションが弱まるのに、アクセントが強まるのは動揺した時の傾向。同時に言葉が短めになり、話す速度も心持ち上がる。突き放したような言葉は、話題転換を望んでのものだ。
ああ、嘘なんだなと悟った。そうして、自分が彼女の触れられたくないことに触れたことも。
それは闇だ。
一緒にいた頃も、何度か感じた彼女の闇だ。たぶんそれは、目の前の彼女が、まだ十六夜咲夜という名で呼ばれることも無かった頃のもので。
一度でも、美鈴が、近づくことを許されなかった場所。
ふにゃっと、美鈴は笑った。
「それにしても」
「なによ」
「本当に美味しい葉ですね、あとでちょっと分けてくださいよ」
だから。
「いいけれど、高いわよ」
「へ、お金とるんですか?」
だから、そういう時いつもそうしたように、美鈴はその望みを叶えた。
「当たり前じゃない。私には給金が無いのよ?こういうときに稼がず、いつ稼ぐのよ。というか、なぜ私だけないのかしら。美鈴にすらあるのに」
腕が解かれ、口調が戻る。張り詰めていた気が弛んでいくのを感じて、美鈴は安堵する。
今も昔も思うのは、少女が笑うことだ。
「それはあれですよ。咲夜さん、もともと居候じゃないですか。きっとその流れですね。だいたい、前は私のからお小遣い出してたのに、もう子どもじゃないとか言って止めたのは咲夜さんの方じゃないですか」
「そんな昔のことは忘れたわ」
「うわっずる。大人げないですよぉ、咲夜さん」
今も昔も願うのは、少女が笑い続けることだ。
そのことに、どうして間違いがあるというのだろう。
第九部【夜の王はかく語りき】
「突然の啓示がひとつの運命を変えさせたように思われることがある。だが、啓示とは、ゆっくりと準備された道が、<精神>によって突然見えたことにほかならない」
[そして彼女は私だという]
運命を動かすものだって?
赤い糸 歯車 強い意志?
それとも誰かの気紛れかな?
「最近、面白そうなことになっているじゃない、パチェ?」
「そう思うなら手を貸して、とまでは言わないわ。邪魔はしないでねレミィ」
「パチェの方はそうしてあげるけどね。でも、あの二人は私のよ」
「命と身体と生き方まではね」
「何が残るのよ、そこに」
「心よ。わかっていて訊いてるでしょう。さて、それは何故かしら?」
どこかの誰かが、せっかく遊びに来た親友に顔を向けずに調べごとに夢中なのが気に食わないのよ、と永遠に紅い幼き月は言わなかった。素直に答えてやることにする。
「それだけは、誰かから与えられるモノではなく、しかし関わる全てに影響されるから。それは、本人のもですらないかもしれないって最近思う」
「ずいぶんと哲学的な答えが返ってきたわね。こういうのは嫌いじゃなかったの?」
「そうよ嫌いよ。難しいのはパチェの担当。私は決定し、命令するのが担当。でもね、そもそも従者がいなけば、私はなんの主でもないの」
「レミィが心配してるのは、咲夜?」
「どちらかと言えばね。あれほど私にあった従者はこれまでいなかったし、これからも現れないでしょうね。けれどこれは、そんなに単純じゃないんだよ」
気持ちに合わせて言葉が乱れた。
「この館のことを考えたら、美鈴を蔑ろにするわけにもいかない。古参の連中は、人間である咲夜に不満があるのも多いしね。実際、あの子がメイド長に就いたときはそうとう荒れたよ。逆に、美鈴は一番古くからここにいる。これを機に、館にまた、」
「レミィ」
親友が、本から顔を上げたらしいことに気づく。
「レミィ、あなた噂でこのことを知ったわけじゃないのね。そうね、そもそもこれは、二人に近くないと気づけないことのはず。ねぇレミィ、あなたは何をそんなに焦っているの?何をそんなに心配しているのかしら」
永遠に紅い幼き月は答えない。知識と日陰の少女は問う。
「質問を変えるわ。レミィ、あなたは何を『視』たの?」
その言葉が。
おそらくレミリアの。
「予感がしたの、あの夜も」
「あの夜?」
「あの子を見たときに。ちょうど、パチュリー。あなたに初めて会ったときのように」
それは、吐露だったのかもしれない。
「そうして、この館を見つけたときも。あの頃の館には誰も住んでいなくて、今の門も朽ち果てていた。そうして、館の扉は固く閉ざされていた。人も獣も妖怪の気配もまるでしなかった。なのに、庭だけは手の入った花が咲き乱れていた」
レミリア・スカーレットは、目を閉じてその時を思う。
「花に埋もれるようにそれは居たの。近づいてわかったのは、それが眠っているらしいということ。髪が長く、紅いということ。人なのか妖怪なのかまったくわからないそれは、唐突に目を覚ました。そうして私をみて笑ったの」
『 』
それは、言葉というよりは。
「だから悟ったのよ。ああきっと、これから楽しい暮らしになるって。私が『視』たのは、それが全て。……長く話しすぎたわ。もうすぐ夜が明ける。もう眠ることにするよ。おやすみ、パチェ」
立ち上がる。
「レミィ」
去ろうとする背を、声が止める。
かすかに迷う気配。
「放って、おくの?」
それは、責めるものとは少し違う。たぶん、この親友もあの二人が好きなんだと、それがわかったから、レミリアは笑った。
「最近、少しだけ思うの。信じることでしか、選べない未来があるんじゃないかって」
おやすみ。
二度目は、引き留められなかった。
「その最近は、あの人間と会ってから?」
誰もいなくなったその場所で、パチュリー・ノーレッジは苦笑した。
何時も夢見る時は誰かの夢。
彼女はそこでただ笑みで向かえる。
相も変わらず意味不明な事です。
ちっさい咲夜さんがお小遣い貰って喜んでいる姿を幻視。
この作品の正しい楽しみ方は、とにかく深読みすることです。いや、半分嘘ですけど。
モノローグは、日記などをを含めると何気に多くの人が語っていますが、読み違えると時系列を見失う恐れがあります。ご注意ください。
それでは引き続きお楽しみください。