※幻想郷に海があったら、というIfのSSです。
◆ ◆ ◆
部屋で、いつものように咲夜の紅茶を味わっている時のこと。
私は、パチェに借りた『うみのいきもの』という本を読んでいた。
少しくすんだ写真の中に、『海』に住む多種多様な生物が映っている。
私は興味を覚えたので、横に控える完全で瀟洒な従者に言ってみた。
「咲夜ぁ、海が見たいわ」
「かしこまりました。では、一晩だけ時間を下さい」
……冗談で言ったのに、何でこの子、真顔で返すのかしら?
「咲夜、出来もしないことを言うものじゃないわ」
「いいえ、お嬢様の『海が見たい』というご希望は、確かに一晩で叶えることが可能と存じます」
「完全で瀟洒なあなたが、そんなつまらない冗談を言うとは知らなかったわ」
「お嬢様、私は――」
「もういい」 私は言う。「今日は他の仕事はいいから、海でもなんでも用意なさい。ほら、さっさと行く!」
私は、いらつきを大声に込めて、そしてドアを指差した。
なのに咲夜は、いつも通りの瀟洒な態度で、「かしこまりました、お嬢様」と言って出て行った。
……この場合、どっちが悪いんだろう?
◆ ◆ ◆
「――――様、お嬢様。お起き下さい、お嬢様」
「……んー」
咲夜の声で起こされるというのは、随分久しぶりのことだ。
ぶっちゃけ気分が悪い。
「なぁに咲夜。わざわざ私を起こすようなことがあるの?」
「はい、お嬢様。海が用意できましたので」
「そう。…………はぁ!?」
咲夜の顔を見ると、いたって普通、瀟洒そのものの顔だった。
「本当に一晩で用意したの!?」
「はい」
「本当の本当にっ!?」
「はい」
「どうやって!?」
「それについては、実物をご覧になられながらの方がよろしいかと存じまして」
咲夜は片手を上げる。……日傘が握られていた。
「明るい内の方が、夜にご覧になるより格段に面白いと存じます」
普段と同じようで、その実妙に元気な咲夜。
なんだか不安だけれど、私は紅魔館の当主。この程度ではうろたえられない。
「咲夜、着替えを用意なさい」 言うと、
「既にございます、お嬢様」
咲夜の手には私の服があった。日傘はテーブルに引っ掛けてある。
「…………」
かつてない不安を振り払って、私は服を受け取った。
◆ ◆ ◆
どこに行けば見れるの? と聞いたら、すぐそこです、と咲夜は答えた。
「――って、いつもの湖じゃない!!」
咲夜が案内したのは、紅魔館から徒歩五分の湖岸だった。
「お嬢様、それは誤解です。まずはあちらをご覧下さい」
「あン? 何があるって、…………」
咲夜の指し示す方向には、サメとおぼしき背ビレが見えた。
『うみのいきもの』にあった写真と、まるで同じだ。
「では、次にあちらをご覧下さい」
また指し示す方には、浜に打ち上げられた無数の小さい透明な何か。
「……なに、あれ」
ちょっと見覚えのない何かだった。
「クラゲという軟体生物です。――お嬢様、失礼します」
「へ? あっ、ちょっと何よ!?」
私は、咲夜に抱きかかえられていた。
――と思ったら、紅魔館から大分離れた湖上空に移動していた。
「普通に飛べばいいのに、何で時間止めるのよ」
私は咲夜の手を振りほどいて、自分で飛ぶことにした。
咲夜は浮いたまま頭を下げて、
「失礼いたしました。ですが、タイミングを逃すと難しいのです。――下をご覧下さい」
……いまさら逆らう気は起きない。
言われて下を見ると、私より大きな魚の大群がすごい速さで泳いでいた。
「あれは、……マグロ、だっけ」
「お嬢様、ご名答でございます」
本の受け売りは、どうやら今度も正解らしい。
それにしても、百を軽く越す群隊が風を、もとい水を切って動いている。
「大したものね。これが海……」
「はい。ですがお嬢様、まだ本命が残っております」
「本命?」
私は顔に疑問符を浮かべて、咲夜を見た。
「はい。――あちらをご覧下さい」
咲夜が指し示す方を見る。
……と、湖面、じゃなくて海面が急に盛り上がって、小島のような大きな魚が、
「――咲夜、咲夜! あれはまさかクジラ!?」
「その通りですお嬢様。そして、今まさにあれを捕食せんと触手を絡ませているのが大王イカでございます」
言われてクジラの後方を見ると、確かに長方形っぽいグロテスクな生き物が、うねうねした触手を絡ませていた。
「……なんか、壮絶な光景ね」 私が言うと、
「お嬢様、大洋はまさに弱肉強食の世界でございます」 咲夜が言った。
だからなんだってぇんじゃい。
「それで咲夜、どうやって湖を海にしたの?」
こんなことが出来るのは幻想郷に一人しかいないが、それでも私は聞いてみた。
「はい、お嬢様。
まず、スキマ妖怪の式の式、黒猫の橙に『天然マグロが食べたくない?』と言いました。
『マグロって何?』と聞かれたので、『とっても美味しい海の魚よ』と答え、その味を具体的にでっち上げて吹き込みます。
そして最後にこう言いました。
『スキマ経由で取ってくるような邪道ではなく、海で泳いでるのを捕まえるのが一番良いのよ。
それも、紅魔館がある湖のように、大きく広い海に限るわ』と」
咲夜の話を適当に聞き流していると、上空から急降下する金色の何かが見えた。
「この後のことは推測になります。
マヨヒガに帰宅した橙は、スキマ妖怪の式である八雲藍にマグロをねだるでしょう。
それも、紅魔館がある湖のように、大きく広い海で泳ぐマグロを。
八雲藍にその願いを叶える能力はなく、しかし主人であるスキマ妖怪、八雲紫には備わっています。
つまり、」
「あの親馬鹿キツネがどうにかして、“湖と海の境界”をいじらせたってわけね」
金色の何かは高速で着水し、水柱が上がった。
五秒後。水柱の場所に親馬鹿キツネが浮かんできた。自分の体ほど大きなマグロを抱えて。
「“生態系の境界”もいじったのかしら」
「そのように存じます」
咲夜が馬鹿正直に答えた。
ちなみに、クジラとイカの決戦はなお続行中らしく、どしゃーんだのばじゃーんだのという音が断続的に聞こえる。
「……さくやぁ、つかれた。おうちかえる」
「かしこまりました、お嬢様」
◆ ◆ ◆
館に帰って、多分心因性のストレスで私は寝込んでしまった。
多分、丸三日は寝込んでいたと思う。
その間、外で何が起こっているかなど、私には何一つ伝わってこない――
◆ ◆ ◆
「…………おはよう咲夜」 私が言うと、
「おはようございます、お嬢様」 咲夜が言った。
私は目覚めの一杯を啜って、咲夜に問う。
「何か変わったことはあったかしら」
「ございます。――幻想郷を二分した大戦争が勃発寸前です」
私は紅茶のカップを咲夜に渡して、言った。
「……ずいぶんジョークが好きになったのね? あとおかわり」
「お嬢様、決してジョークではございません。詳細を説明いたしますか?」
「あーもーどんどんやりなさい」
私は咲夜から湯気の立つカップを受け取って、ふうふう吹きながら口に付けた。
「かしこまりました。
まず、『二分』というのは、海の存在に賛成する者と反対する者の二つになります」
私は盛大に紅茶を噴いた。
「……は、はぁっ!?」
「まず、『海大賛成連盟』の人員構成です。
海産物に心を奪われた者に、橙及び西行寺幽々子。それぞれの保護者である八雲藍と魂魄妖夢。
さらにルーミアも食欲を旺盛にしており、また、永遠亭も新たな味を保護したがっている模様です。
そして、霧雨魔理沙も未知の存在である海及び海産物に興味を示しており、
釣られてアリス・マーガトロイドも協力しているとのことです」
開いた口が、ふさがらない……。
「次に、『海をとっとと湖に戻せ連合』の人員構成です。
まず、湖を住処としている妖精の全ては、淡水から海水に変わったことで約七割が体調を崩したとのこと。
この状況を打破すべく団結したのが、連合の始まりと聞いております。
被害規模が甚大なため、周辺地域の妖精も同族意識からか協力者が多数いる模様です。
また、ヤツメウナギが取れなくなったということでミスティア・ローレライ。
蛍の大規模産卵地が無くなったということで、リグル・ナイトバグも連合に所属しています。
そして連合のブレーンである上白沢慧音は、『海は幻想郷に存在してはならない』と声明を発表済。
これに付き従う藤原妹紅、そして『海は幻想郷にとって異物』と称する博麗霊夢が連合の主力です。
今挙げた者以外は、日和見もしくは中立の立場を取っています。
湖を海に変えた実行犯の八雲紫は、雲隠れしたとのことで、連盟、連合とも居場所を掴んでおりません」
紫が行方不明ということは、海が当分海のまま、ということになる。
それは大問題だけれども、今は目の前の問題をどうにかしないといけない。
「それで、紅魔館は今、中立なのね?」
私は、震える声を絞り出した。
「左様でございます。ですが、いつまでも中立ではいられません」
「……どうして?」
どうにか感情を押し殺して、私は言った。
「前提として、地理的な事情があります。
この紅魔館のある地こそが、争乱の原因です。紅魔館に非は無くとも、日和見を認める者は存在しません」
そして、と咲夜は言った。
前提ではなく、本論を語るための前置き。
「なにより、今の幻想郷の情勢が、中立であることを認めないでしょう。
『海大賛成連盟』は、主力の兵隊として永遠亭のイナバ隊がおり、
『海をとっとと湖に戻せ連合』は、妖精達がその役目を担うでしょう。
この二つの戦力比は、イナバ軍がやや上と見られています。
ですが、連合には同族である蟲を自由に操るリグルがおります。
連盟にも人形使いのアリスがおりますが、数的にはリグルが圧倒的に有利。
これで、連盟と連合の通常戦力比はほぼ同等です」
そして、と咲夜は間を置いた。
「我が紅魔館には、お嬢様を筆頭に、妹様、パチュリー様、美鈴、そして僭越ながら私がおります。
そして、計二百を超えるメイド隊と門番隊は、質としてはイナバ隊、妖精隊とほぼ同等です。
ですが、純粋な数量では、連盟及び連合の半分に及びません。
また、指揮官及び将としての私達を含めても、連盟もしくは連合との総力戦となれば敗北するでしょう。
ですが――」
「紅魔館がどちらかに組すれば、その一方が確実に勝つ」
「その通りです、お嬢様」
海が見たい。
私のたわいない一言で、今、幻想郷で大いなる戦乱が起きようとしている。
こんな運命、視ることも、感じることも出来なかった。
しようとしなかったのだから、当然と言えば当然。でも、
「異常すぎるわ……」
私は呟いた。
夢想を口にしたところで、現実は変わりようがない。
それゆえ、人や人外は、気まぐれに夢想を口にする。
その夢想を現実としたのは、決して運命ではなく、意思と、力のある者達。
即ち、湖を実際に海に変えた八雲紫。
そして、私の夢想を現実にしようと取り計らった――
「――十六夜咲夜」
彼女の名を口にすると、彼女は私の顔を見た。
「ご用命でしょうか、お嬢様」
私は、彼女の顔を見ないで言う。
「命令よ。八雲紫と接触し、あの狂った海を元の湖に戻させなさい。
どんな手を使っても構わない。可能な限り早く、――行え」
言い終わる。そして、私は彼女の顔を見る。否、睨みつける。
彼女は瀟洒な笑みをかけらほども崩さず、
「かしこまりました、お嬢様」
と言った。
◆ ◆ ◆
翌日、午前に連盟の、午後に連合の使者がやって来た。
どちらも言うことは同じで、『我らの同志となれ。断るならば敵と見なす』。
私は両方の使者を追い返した。
霊夢や、魔理沙や、それに他の連中と敵対してもいい。
私が守るのは、この紅魔館という存在だ。
フランのことをパチェと小悪魔に頼んで、私と美鈴でメイド達の指揮を取った。
連盟も連合も、明日には攻めると言っていた。一晩で防備を整えなくてはならない。
そして、紅魔館の全員が一睡も出来ぬままに、防衛の準備が整った。
◆ ◆ ◆
翌未明、日が昇る直前。
偵察任務に出ていた美鈴が、海が湖に戻っていることを泣き笑いで報告してきた。
数時間後、烏天狗がやって来た。
話によると、争いの原因が無くなったことで、連盟も連合も解散したらしい。当然と言えば当然だ。
彼女は私に号外を押しつけ、さらにインタビューさせてくれと言った。
断ることも出来たが、私は適当に相手をしてやった。
そして、またしても美鈴と二人徹夜で、後片付けの指揮をした。
◆ ◆ ◆
さらに翌日。
烏天狗の新聞に、今回の騒動の顛末と、幻想郷が以前とほぼ同じ状態に戻ったということが書いてあった。
ほぼ、というのは、まだ海産物の味を諦めきれない者がいるかららしい。
とはいえ、海自体がなくなったのだ。落ち着くのは時間の問題だろう。
また、夕方になって咲夜が帰ってきた。
彼女の服はボロボロになっていて、瀟洒でありながらも疲れが浮いていた。
私は、咲夜に翌朝までの休養を命じた。
◆ ◆ ◆
半ば偶然とはいえ、久しぶりに一人で羽を伸ばせる夜になった。
私は厨房からワインを一本とグラスを一つ拝借して、こっそり館を抜け出した。
徒歩五分。
湖岸の岩に腰を下ろして、グラスに自分でワインをそそぐ。
月と星の明かりに照らされる湖は、以前と何一つ変わらず、ただそこに在った。
あれだけの騒ぎがあったのに、何も変わらず幻想郷は在る。
あれだけの騒ぎがあったのに、何も変わらぬ“今”が在る。
私はワインを一口飲んで、そっと呟いた。
「――十六夜咲夜、恐ろしい子……」
( ゚Д゚)
(*゚Д゚)
素晴らしいなレミ様は。
と思ってたら後書きががが。
らくがん屋さんが一晩でやってくれました!
この話はよォォオ
ああ、ついに庇護関係が逆転してますよゆゆ様。
つかこの作品、三時間ちょいで書かれてるのデスカ(凄
生み導入からの流れ、見事でした
でも、あったらあったで面白そうですね。
海水浴に行って浜辺で萃香割りなんかやっちゃったりして。
わくわくするわあもう。