Coolier - 新生・東方創想話

ホワイトノート

2006/07/17 21:14:17
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それは、今は昔の幻想郷のお話。

あなたが眠たくなるまでの、ほんの少しの間…

私がそっと、そのお話を教えてあげましょう――。

 







――ここは人知れずひっそりと佇む、とある祠。

佇んでいた少女は、呆然と、その場にぺたんと座り込んでいました。

悔しげに瞳を歪ませて、少しだけ濡れた土をぎゅっと握りこみます。

その土は、とても詰めたい土でした。

その土には、ほんのりと、ぬくもりが残っていました。

そんな土。

握り締めてみたら、激しい虚脱感が襲ってきました。

少女は気力を振り絞るように、土を強く強く握り締めました。

そうすることによって湧きあがってきた感情に、少女はぎりっと歯軋りをします。

それは、強い強い怒りでした。

怒りは、深い深い悲しみでした。

悲しみは、痛い痛い――憎しみでした。

少女は、呟きます。

少女を支配した負の感情が、漏れ出します。

 

――春が、やってきた。

一面の桜を連れて、春がやってきた。

一面の桜、桜桜桜桜サクラサクラサクラさくらさくらさくらさくら!!!!

悲しい。哀しい。かなしいよ。

どうして私の前からいなくなるの?

悲しいよ。一人は寂しいよ。

憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!

春が憎い。あいつが憎い。レティが憎い。

レティを奪っていく春が憎い、春を伝えるあいつが憎い、全てを諦めているレティが憎い!

 

少女が握り締めた掌から、血が滲み出てきます。

しかしそんな些末なこと、今の少女には興味ありませんでした。

少女の小さな体は、怒りと悲しみと憎しみでいっぱいだったからです。

ずっとずっと呪言のような言葉を呟いて、ぽろぽろと優しい涙を流します。

 

ねぇ、レティ。どうして春になったら消えちゃうの?

ねぇ。どうして、ずっと私の傍にいてくれないの?

ねぇ、レティ。私の傍にいるのが、そんなに嫌なの?

ねぇ。答えてよ…レティ……!

 

少女が何度そう問い掛けても、答えが返ってくることはありません。

でも、それは当然なのです。

だって、レティと呼ばれた冬の妖精は…

少女が見ている目の前で、安らかに消えていったのですから。

消えていってしまったレティが答えを返してくれることは、ないのです。

――ばさり。

少女の背中の方で、誰かが降り立つ気配がしました。

けれど、少女は振り向きません。

気付いていないわけではありません。

少女には、それが誰なのかわかっていたから、振り向かなかったのです。

 

――春を、伝えにやってきました。

 

ほら、やっぱり。

自嘲にも似た笑みを浮かべて、少女は顔を歪ませます。

ゆっくりと、緩慢な動きで振り向きます。

そこにはたおやかに微笑む、白百合の少女がいました。

 

ねぇ、チルノちゃん。今年の冬は、何があったかな?

楽しかった?だから悲しいの?とても嬉しかった?けれど、満たされないの?

ねぇ、チルノちゃん。

今年も、春を伝えに来たよ。

――願わくば、チルノちゃんの心にも、春が訪れるように、と。

 

うるさいうるさいうるさい!

黙れこの偽善者!人殺し!

あんたなんかに何がわかる!わかりっこない!レティを殺しておいて笑っていられるあんたなんかに、何がわかるっていうんだ!

春を伝えることしかできないくせに!本当ならレティの足元にも及ばない程度の妖精のくせに!なんでここにはレティじゃなくてお前がいるんだ!?

ここから立ち去れ!もう二度とここにやってくるな!私の目の前に現れるな!

 

氷符『アイシクルフォース』

 

チルノと呼ばれた少女は、白百合の少女を睨みつけ、スペルカードを宣言します。

それはチルノの外見と同じく、まだまだ未熟なものでしたが…

白百合の少女は悲しい微笑みを浮かべて、その場から立ち去りました。

白百合の少女が春を伝えなければいけないい場所は、ここだけではないのです。きっと、他の場所に春を伝えに行ったのでしょう。

白百合の少女は、冬の少女が消えた場所から春を伝えるのが、慣わしとなっているのです。だから、白百合の少女はいつも、春の始まりとして、チルノに春を伝えるのです。

――そう。つまり今はまだ、春が伝わっていない場所が幻想郷の大半を占めているのです。

 

そうだ。春になるのがいやならば、凍らせてしまえばいい。

春の花を。春の生き物を。春の風を!

私は氷の妖精。それくらい、容易なはずだ…!

 

そうしたら、冬の少女は帰ってきてくれるでしょうか?

そうしたら、今度こそずっと一緒にいてくれるでしょうか?

 

チルノは自分の閃きに、冬の少女が消えてから始めての、嬉しそうな、幸せそうな笑顔を浮かべます。

さぁ、そうと決まればうだうだとはしていられません。

チルノは、自分の持ち前を活かして飛び回ります。

チルノは、氷の妖精ですから、もちろんものを凍らせるのが得意です。

最近では冬眠しているカエルをたたき起こして凍らせたりなんかもしています。

カエルの解凍は時々失敗してしまいますが、凍らせることに失敗したことはありません。

チルノは氷の妖精。凍らせることに関しては、誰にも負けません。

まずは、手始めに近くにあった桜の花を凍らせます。

ぱりん。

力を入れすぎてしまったのでしょうか。花は原形を留めることなく、ばらばらに砕け散ってしまいました。

枝も所々が変になっていました。

どうやら凍らせすぎたせいで、木が死んでしまったようです。

春を冬に戻すためには、木を冬の状態に戻さなければいけません。死んでしまっては意味がないのです。

失敗、失敗。

でも失敗は、次に生かせばいいのです。チルノは、こんなことくらいで挫けたりはしません。

次に目に止まったのは、タンポポの花でした。

たんぽぽの花よ、凍れ!

チルノがそう念じると、今度はきちんと、花だけが凍りました。

やりました。成功です。

チルノがにんまりと笑いました。

ですが、先はまだまだ長いのです。これくらいで満足していたら、あっという間に幻想郷が春に包まれています。

チルノが次に標的にしたのは、名前も知らない毛鞠のような花でした。

何故でしょうか。この花を見ていると、無性にいらいらしてきます。

だから、なのでしょう。

タンポポの時と同じように念じたはずなのに、毛鞠のような花を咲かせる植物は死んでしまいました。

…もしも、チルノがこの花の名前を。そしてその花言葉を知っていたら、何を思ったでしょうか。

――約束と、天国。

それが、死んでしまった植物の、花言葉。

…いえ、考えるのはよしましょう。もしもの話なんて、考えても詮無きことです。

チルノは先ほどまでの感じで、どんどんと春の花を凍らせていきます。

どんどんと春の生き物を凍らせていきます。

どんどんと、春風に波紋広がる池を凍らせていきます。

――しかし、能力の使いすぎでしょうか。

チルノは段々と、段々と。気分が高揚してきて、足元をふらつかせ始めました。

体がなんだか、熱くて、軽いです。

もうとっくに能力の限界を超えているはずなのに、まだまだ頑張れそうな気がします。

チルノはまだ幼くて知りませんでしたが、これはお酒を飲んだときの症状に非常によく似ていました。

さぁ、次はこの花を凍らせよう。

そうすれば、ここら一帯は氷だらけ。春なんて、まだまだ訪れられる状況じゃなくなります。

凍れ、凍れ、凍れ!

何度も念じると、ようやく、最後の花はゆっくりと凍っていきました。

やりました、成功です!

さて、次はどこへ行きましょうか。

チルノがぼぅっとなる頭でそう考えたとき、ばさりと、白い羽をはばたかせた何かが、目の前に降り立ちました。

 

――…ちゃん。…ル……ん!

 

白百合の    何  を 言って

    少女が  か         います。

 

いつの間にか、白百合の少女がたくさん、目の前にいました。

あれ。こいつは、いつの間に4人に増えたんだろう?

 

――チル……チ……!!

 

声が、聞こえます。

どこか遠くから、かすれた声が聞こえます。

チルノの背中に、鈍い衝撃が走ります。

そして、目の前の視界が一転しました。

はらはら…ぱらぱら…と、風に散る氷の結晶たちから、一面の空へと視界が一転しました。

それはまるで、冬が春に移り変わるかのように、あっという間の出来事で…

チルノは何故だかわかりませんが、無性に悲しくなってきてしまいました。

ぽろぽろと、涙が溢れてきます。

けれど、それを拭おうとする腕は、ぴくりとも動いてくれません。

あぁ…なんだか、無性に眠たくなってきました。

体の芯から、心まで。全てがそれを求めています。

まだ、チルノにはやらなければいけないことがあるのに。

まだ、チルノには果たさなければいけないことがあるのに。

チルノは、また涙を流しながら…

ゆっくりと、眠りの世界へと落ちていってしまいました。

 

 

ちゅんちゅんと鳴く小鳥。その小さな歌声が、朝の覚醒を促します。

眠りの世界に落ちていったときと同じく、チルノはゆっくりと目を覚まします。

チルノが真っ先に目にしたのは、洞窟特有の薄嫌い暗闇と、その先に見える天井でした。

 

――あぁ、私は倒れてしまったのか。

 

チルノは起きたばかりのぼんやりとした頭でそれを理解し、手を強く握ります。

…と、チルノが目を覚ましたことに気がついたのでしょう。先ほどから視界の端っこに映っていた妖精が、チルノの手をそっと包み込みます。

妖精は大妖精と呼ばれる、高い潜在能力を持つ少女でした。そして…

チルノにとっては、二人目のお姉さんとも言えるべき少女でした。

大丈夫?

そう言いながらチルノの瞳を覗き込む大妖精の声には、気遣いの色がはっきりと現れていました。

チルノは、お姉さん分である大妖精を安心させようと、いつものように強気な台詞を繰り返します。

そしていつものチルノと同じだ、と安心した大妖精は、やっぱりいつもと同じように、チルノの強気な台詞に苦笑を返します。

そして、自分が倒れたという事以外の事情が飲み込めていないチルノのために、つらつらと事情を説明を始めます。

まず、チルノが力の使いすぎで倒れてしまったこと。

そこを、白百合の少女が助けてくれたこと。

自分に事情を話し、チルノを看病して欲しいと頼まれたこと。

そういえばこのお姉さん分は、レティとも、白百合の少女とも仲がよかったなと思い出します。

思い出してしまって…少しだけ、複雑な気持ちになります。

――もう、あれから二日経っちゃったんだね。レティさんがいなくなってから。

けれどそんな気持ちも、大妖精の呟きによって吹き飛んでしまいます。

二日。レティがいなくなってから、二日だって?

嫌な予感が、します。

あたりをぐるりと、見回します。

しかし白百合の少女は見当たりません。

周囲がぽかぽかとした空気に包まれています。

それは、あたかも――

春の陽気のような、そんな空気。

大妖精は言いました。

自分を看病して欲しいと、白百合の少女に頼まれた…と。

頼むということは、白百合の少女は傍にいることはできないということで、傍にいることができないということは…

まさか――

 

 

その頃、白百合の少女は焦っていました。

疲労困憊した体に鞭を打って、春を伝えわたります。

二日、です。

本当なら一週間かけて伝えわたるはずの春を、ほぼ二日で伝え終えたのです。

あともうちょっと。あともうちょっと伝えれば、春の妖精が目を覚ましてくれます。

そうすれば、あの子もきっと、諦めてくれます。

それまでは、休むことはできません。

今休んでしまえば、またあの子は無理をしてしまうから。

――春を、伝えに来ました。

冬の妖精の終わりの地から始まって、最後は博麗神社、博麗の巫女に春を伝えて、儀式は終わりです。

博麗の巫女は、疲れきった表情の白百合の少女を見つめて、怪訝そうな顔をしました。

――今年はやけに早かったわね。

今年はちょっと、頑張っちゃいました。

白百合の少女はぺたりと、座り込んでしまいます。

――そう。頑張ったのはいいけれど…まだ、冬の気配が残っているわよ?

博麗の巫女の台詞に、白百合の少女は顔色を変えます。

そんなはずは、ありえないからです。

たしかに白百合の少女は、全ての場所に春を届けてきたはずなのです。

――あそこはたしか、祠があった場所かしら?

祠。それは、大妖精にお願いして、チルノを寝かせてある場所です。

嫌な、予感がします。

白百合の少女は、無意識のうちに飛び上がっていました。

早く祠に向かわなければいけない。

何故だかわかりませんが、そう思ったからです。

早く行かなければ、取り返しのつかないことになる。

そう、直感が告げていました。

冬の気配が少しずつ、広がっています。

春がもうすぐそこまで、迫っています。

嫌な予感が、白百合の少女を――急きたてます。

 

 

祠を飛び出したチルノは、外に出た瞬間に、周囲に満ちた春の気配よりも、さらに強い気配を感じとりました。

強い強い春の気配が、幻想郷に現れようとしています。

――そんなこと、させるもんかぁ!

チルノは力の限り叫び、周囲の春の気配を打ち消そうと、氷の結界を張り巡らせます。

――ここにまだ冬は生きている!春はまだお呼びじゃない!

チルノは、可能な限り、氷の結界を広げていきます。

春になってしまった場所から、ありとあらゆる手段を用いて、冷気を持ってきます。

少しずつ、少しずつ。冬の領域が増えていきます。

少しずつ、少しずつ。博麗神社へと向かっていた強い春の気配が、こちらに向かってくるのがわかります。

強い春の気配の持ち主は、きっと春の妖精です。

春の妖精は、冬を広げようとするチルノを排除しようとしているのでしょう。

それまでに、少しでも冬の領域を広げようと、チルノは頑張ります。

少しでも、自分の得意とするフィールドで、戦えるようにと。

もしかしたらレティが現れてくれて、一緒に戦ってくれるんじゃないかと期待して。

どんどんと、どんどんと、春の妖精が近づいてきます。

もう、ここに来るまでにほとんど時間は掛からないでしょう。

あと、3分…。

あと、2分…。

もう、目の前……!

春の妖精が目の前に現れた瞬間。寸分違わず、チルノは氷の矢を放ちます。

それは大きな大きな氷の矢。

チルノの身長と同じくらいあるかもしれません、大きな矢。

先端は鋭く尖っていて、この世に貫けぬものなどあるものか、と主張しているようです。

氷はとても硬くなっていました。まるでチルノの意志の固さを表しているかのように、氷の矢は硬く圧縮されていました。

それは、チルノの渾身の一撃でした。

それは確かな感触を持って――春の妖精を、貫きます。

生まれて初めて成功した、奇襲でした。自信を持って頷ける、渾身の一撃でした。勝てない要素は、何もありませんでした。

けれど春の妖精は、喜ぶチルノの表情を見て――

にたりと、笑いました。

ぞくっとする悪寒を覚え、チルノは力の限り、横に飛びます。

瞬間、チルノの体を通り抜けたのは――ただの変哲もない、風でした。

暑くも冷たくもないはずの、風。

なのにチルノの体はその風を受け、どっと汗を噴き出します。

…そういえば、昔。レティが言っていました。

レティの言っていた言葉が、今になって、鮮明に思い出されます。

 

――いい、チルノ?

決して、春の妖精に逆らってはダメよ。

あなたは絶対に、彼女には勝てないわ。

え、それならもっと強くなるって?

…ふふ、ごめんなさい。言い方がまずかったわね。

それじゃあ、言い直すわ。

彼女は…強いわ。

彼女に比べたら、私なんて全然足元にも及ばないもの。

それどころか…夏、秋、冬。三季の妖精が束になって立ち向かっても、彼女はきっと笑いながら、私たちを倒していくでしょうね。

たしかに夏の妖精は全てを溶かすことができるし、秋の妖精は全てを中和して無効化することができるし、冬の妖精は全てを粉々にすることができるわ。

でもね、それだけでは足りないのよ。

春の妖精に立ち向かうのに、それでは足りないの。

ねぇ、チルノ?

なんで冬と春の間には、春を伝える使者がいるんだと思う?

なんで春と夏の間には、夏を伝える使者がいないんだと思う?

それはね…それだけ、春の妖精が強いってことなのよ。

春は、冬の氷を全て溶かしてしまうわ。

だから春を伝える使者が必要なの。

冬の終わりを告げ、春の準備をさせるために。

春は、夏に移るために、少しずつ環境を整えていくわ。

だから夏を伝える使者は必要ないの。

伝える必要がないほど、それは気がつかないほどゆっくりとしたスピードで、整えられていくから。

彼女は、原子を操る程度の能力を持っているの。

彼女にとって何もない空間というものは存在しない。

彼女にとって全ての空間は原子の集合体でしかないわ。

原子を振るわせれば、全てを溶かすことができるし、原子を停止させれば、全てを粉々にすることもできるし、中和することだってできる。

彼女は間違いなく、私たち四季の妖精の中で…

――最強の妖精よ。

 

思い出した、レティの言葉。

当時は、なんのことだかよくわかりませんでしたが、いざ立ちあってみて、実感します。

彼女は、チルノが本気の一撃を放った今この時でさえ、本気を出していないのだと。

やろうと思えば彼女は、風に乗った原子だけではなく、チルノを構成する原子さえ、操ることができるのです。

知性ではない、本能が――彼女に、原子を操らせる時間を与えてはいけないと訴えかけます。

ですからチルノは、鋭利な氷を両手に張りつけて、接近戦を挑みます。

右から、左から、斜め上から、振り返りつつ。ありとあらゆる角度から、ありとあらゆる手段で斬りつけます。

そんなチルノの攻撃を、春の妖精は薄気味悪い笑みを浮かべたまま、あるときは避け、あるときは弾きます。

 

――激しい運動を繰り返すチルノの体が、火照ってきます。

けれど気にしてはいけません。

 

――少しずつ溶けていく氷を、チルノは補強していきます。

まだまだ戦えます。

 

――時々気紛れのように放たれる春の妖精の攻撃を、紙一重で避けていきます。

負わされた傷口が、じくじくと痛み始めます。

 

――反撃、開始。

春の妖精の透き通った声が、チルノの背筋を凍らせます。

 

春の妖精の両手が、見えない何かを掴んでいました。

春の妖精は、それを、振りかざします。

見えないながらも、なんとかそれを両手の氷でチルノは弾きます。

しかしその攻撃はとても重たくて、春の妖精とチルノの間には、距離が生まれてしまいました。

 

そしてそこからは……春の妖精の、独壇場でした。

春の妖精が腕を振りかざす度に、チルノの体に傷が増えていきます。

近寄ろうとしても、春の妖精が腕を突き出す度に、見えない壁に阻まれて距離を詰めることができません。

大きな氷の矢を放っても、それは少しずつ小さくなっていき、春の妖精にたどり着く前に霧散してしまいます。

春の妖精が、楽しそうに笑っています。

春の妖精が、大きく振りかぶり、力を溜めます。

あぁ。あれを喰らったら、きっと私は消滅するんだな。

ぼうんやりとし始めた脳でも、そのことだけは鮮明に理解できました。

 

悔しいな、と思いました。

レティのために何もできない自分が、とても悔しいのです。

また次の冬で会いましょうね。

そう笑って消えていったレティの信頼を裏切ってしまうのが、とても悔しいのです。

 

それならば、と思います。

それならば、せめて一太刀でも春の妖精に浴びせたい。

自分を侮っていた春の妖精の心に、刻み付けてやりたい。

自分が存在した証を、刻み付けてやりたい。

 

冬の妖精のために戦った、ただ一匹のしがない妖精がいたことを、知らしめてやりたい。

チルノの体に、わずかに力が沸いてきます。

――攻撃の瞬間です。

春の妖精の攻撃の瞬間に、飛び掛ってやろうと思いました。

飛び掛って、ありったけの氷の矢をぶつけてやる。

そう決意して、獣のように身をかがめて、力を溜めます。

時がゆっくりと流れる錯覚。

春の妖精の腕が振り下ろされます。

ゆっくりとした時の中で見ると、春の妖精の腕の直線状にある空間がわずかに歪んでいるのがわかりました。

春の妖精が操る、原子の中心です。

ばっと、チルノが飛び出します。

原子を振動させる中心さえ避ければ、致命傷は避けられると本能が告げていたからです。

歪な空間が、チルノに向かって落ちてきます。

ですが、まだ避けません。

大きく避けてしまえば、相手にそれだけ余裕を与えてしまうからです。

最小限の動きで、最大限の攻撃を防げれば、それでいいのです。体が動くのなら、その余波の攻撃なんて構いはしません。

迫ってくる凶刃。

迫ってくる、凶刃。

目の前まで、振り下ろされる凶刃。

それをぎりぎりの位置で避けようとして――

不意に誰かに呼ばれたような気がしました。

瞬間、周囲に凄まじい影響を与えていた原子の振動が、ぴたりと止みます。

加速していく時間の中で、ちらりと横を見ます。

予感がしたのです。

そこに誰かがいる…と。

そこには案の定、一匹の妖精がいました。白百合の少女です。

白百合の少女の口が、かすかに動いた気がしました。

 

                               『頑張って』…と。

 

――あぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!!!!

力の限り、叫びます。

全ての力を振り絞るために、全力で叫びます。

大きな大きな氷を、描き出します。

春の妖精を貫く光景を、強くイメージします。

全ての力を注いで、氷の矢を放ちます。

白百合の少女の突然の登場に状況が飲み込めていない春の妖精に、それを避けることはできませんでした。

わずかに動いて致命傷は避けたものの、もはや戦える状態ではありません。

けれども、それでもなお春の妖精は歪な笑みを浮かべたまま戦おうとします。

まだやるのかと、チルノは身構えます。

――チルノちゃん!お願い、待って!

しかし白百合の少女の必死の言葉に、体がぴたりと停止します。

何故止めるのか。文句を言ってやろうと振り向いて…チルノは声を失います。

博麗神社から全力でここまで飛んできたのでしょう。息を切らせる白百合の少女はまさに満身創痍といった様子で、けれどもにっこりと笑っていたからです。

――あの子のことは、私に任せて。

その笑顔は、どことなく…本当にちょっとだけ、春の妖精に似ているなと思いました。

――この子はちょっとだけ、寝起きが悪いから…。自分の季節になっていない場所に過敏に反応して、暴走しちゃっただけなの。

あぁ…だから笑顔があんなに歪だったのか、と。妙に変なところで納得してしまいます。

きっと本当の笑顔はもっと素敵で、もっと白百合の少女に似ているのでしょう。

白百合の少女が、ゆらゆらと揺れる春の妖精の元に近づきます。

春の少女が威嚇するように唸り、身構えます。

――大丈夫だよ。

ですが白百合の少女が微笑み、春の妖精の手をそっと握った途端、春の妖精からふっと力が抜けていきます。

――大丈夫だから。

白百合の少女が優しく春の妖精を抱きしめます。

――だからもう少しだけ、おやすみなさい。

白百合の少女に抱きしめられた春の妖精の体が、薄い青色の光に包まれます。

――私の結界の中で。もう少しだけ、おやすみなさい。

そして白百合の少女の言葉とともに光は霧散していって、春の妖精の姿も見えなくなりました。

それと同時に、白百合の少女の体が傾いて、ゆっくりと地上に向かって降下を始めます。

今度はチルノが状況が飲み込めない番です。

何故春の妖精が消えたのか。何故白百合の少女が降下しているのか、全く理解できません。

ですが一つだけわかることがあります。

このまま白百合の少女が降下を続ければ…やがては地面に激突してしまう、ということです。

チルノの体はほぼ無意識のうちに動いていました。白百合の少女を助けようと、動いていました。

飛び出すのが早かったため、小さな体のチルノでも、なんとか白百合の少女を地面に激突させることなく助けてあげることができました。

そっと地面に横たわらせてあげると、ようやく白百合の少女が目を開きます。

 

――あはは、チルノちゃんに助けられちゃったね。

よほど無理をしたのでしょう。白百合の少女の声に、いつもの透明感がありません。

――でも、よかった。ぎりぎりだったけど、なんとか間に合ったね。

白百合の少女は何を言っているのでしょう?

それに、先ほどからの言動。春を伝えることしかできないはずの白百合の少女に、何故あのようなことができたのでしょう。

チルノは小さな頭を必死に回転させます。

――ふふ。実は私にも、春を伝えること以外にもできることがあるんだよ?

少しだけ誇らしげに、白百合の少女が胸を張ります。

 

春という言葉は、張るという行為に繋がっているんだよ。

そして私は冬の境界と春の境界を結ぶために生まれた妖精。

境界を結んで、結界を張ることこそ、私の意義。

春を伝えるという行為は、結界を伝えるという行為。

だから結界に関してだけは、ちょっとだけ自信があるんだよ?

結界を張った場所を隔離してみたり、結界を張って守ってあげたり…ね。

でも、さすがに…今回は疲れちゃったな……。

あはは、ちょっと眠たいや。

 

白百合の少女の瞳が、再び閉じかけます。

――ねぇ。どうして、私を助けてくれたの?

そう問い掛けるチルノに、白百合の少女は優しく微笑みます。

――友達だから、だよ。

白百合の少女の瞳が、ゆっくりと閉じられていきます。

やがて、静かな寝息が聞こえてきました。

どうやら、冬の間に冬眠して蓄えていた力を全て使い果たしてしまって、冬眠モードに入ってしまったみたいです。

…なんで春・夏・秋・冬の妖精は自分の季節でしか生まれてこないのに、白百合の少女だけは、冬の間に冬眠するだけでいいのでしょうか?

それはやっぱり、春を伝える間だけというのは寂しすぎるからでしょうか。

それとも、少しだけとはいえ、境界を操れるからでしょうか?

少しだけ考えてみましたが、チルノには難しすぎて、よくわかりませんでした。きっと白百合の少女自身もわかっていないでしょう。

それでもなんとなくで生きていけるのが幻想郷です。深く考えるのはよしておきましょう。

 

――友達、か。

自分は白百合の少女に対して、一度でもそんな態度を取ったことはないのに。

なのに、白百合の少女は何の躊躇いもなく、友達だと言ってくれました。

白百合の少女はレティを奪っていく憎い奴で、許せない存在のはずなのに…

はっきりと友達だと言ってくれた白百合の少女が、今だけは、愛しく感じられました。

まだ憎いという気持ちはたくさんあって、自分の気持ちを整理しきれてはいませんが…

――喧嘩友達くらいには、なってあげるよ。

それくらいの関係になら、なってもいいかも。なんて思ったりもします。

起きているときと同じくらい、幸せそうな寝顔の白百合の少女を一瞥して、チルノは飛び立ちます。

大妖精を呼びに行くためです。

体の小さなチルノだけでは、白百合の少女を祠まで運ぶことができないため、大妖精に助けを要請しに向かったのです。







 

…それは、今は昔の幻想郷のお話。

チルノがちょっとだけ成長した、とある春の日のお話――。



久しぶりの投稿。今回は童話調で語っていきたいなと考え、終始ですます調に拘ってみました。
少しでも童話のようなやわらかいお話に近づいていたらな、と思います。
今回はチルノとリリーホワイトメインのお話。
話の構成自体は1年ほど前から考えたものだったりするので、色々と設定に不備なところがあったりするかも…。

あ、でもチルノの一人称が「あたい」じゃなくて「私」になっているのは仕様です。
なんとなく、「あたい」じゃ雰囲気がいまいちだったので、ちょっとだけ変えてしまいました。

あと今回、童話調に次いで二つ目に拘ったのが、「」の使用を限りなく抑えることです。
童話の中の「」って、なんだかあまり見ない気がするので、「」が必要な部分はちょっとだけ工夫した…つもりです。

レティがいなくなったあとのチルノとリリーのお話というのは、既に使い古されただろうネタ。
でも書いていて楽しかったので、その楽しさが伝わればいいな、と思います。
つかさ
http://coverwithrain.hp.infoseek.co.jp/
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コメント



0.680簡易評価
15.50反魂削除
童話調にするのであれば、童話っぽい表現・流れに徹するともっと良くなるのではないかと。
例えば原子の振動や凶刃などといった堅苦しい・血腥い言葉を使うのではなく、もっと柔らかい表現をするとこういう物語はより一層生きると思いますよ。
同じ理由で、克明すぎるバトル描写も心なしか話中で浮いてしまっています。


私事ながら、冬と春が流れ変わってゆく様が、東方を始めて以来ちょっと変わった気がする。
四季の変化とか、より色鮮やかに見えてくる一方で、反面凄く儚さを感じるようになった。
この辺も東方の世界観の成せる業なのでしょう。日本の四季は美しい。
そういう東方の世界観、それを綺麗に活かした作者さまの本作品、楽しませて頂きました。
色々五月蠅いことを言いましたが、童話調というのは非常に、このお話に合っていた気がしますです。