これは、とてつもない物語だぜ。
(意訳:これはプチで連作してる餓巫女伝の一遍ですがさすがにプチって長さじゃないのでこちらに投下します)
※若干の格闘描写があります。苦手な方はお戻り下さい。
◆ ◆ ◆
人里離れた竹林の奥に、永遠亭という屋敷がある。
その屋敷に住まうのは、蓬莱山輝夜という月の姫と、従者であり薬師である才女、八意永琳。
そして永琳の弟子である月兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。
さらにはイナバと呼ばれる多数の妖怪兎と、それをまとめる因幡てゐ。
この住民構成から、一つの食糧事情が容易に察せられる。
永遠亭には、兎達のための大量の人参がある、ということだ。
人参が納まった食料庫の番人は、兎達が二人一組でローテーションを組み行う。
だが、番人とは言っても仕事は在って無きに等しい。
永遠亭の顔役である四人に限らず、イナバ達も、『永遠亭』を名乗るだけの実力は有している。
竹林に住む数々の妖怪は、永遠亭の恐ろしさを身をもって味わうか、誇張の入り混じったそれを聞いたことのある者ばかりだ。
永遠亭の食料を盗もうとする馬鹿はいない。そういうことである。
だが――
「人参が、盗まれたァ?」
馬鹿が、昨晩現れた。
しかも、番をしていた兎を軽く“のし”てから仕事を行ったという。
「てめぇら、それでも永遠亭のイナバかよ――」
六畳の狭い部屋の真ん中に正座し、顔を伏せ体を震わせる二人の兎。
低く重い声で兎を詰問しているのは、てゐである。
その姿は、普段のぷりちぃな彼女からはかけらも想像出来ぬだろう。
だが、永遠亭のイナバ衆を牛耳るてゐの本性は、むしろこちらである。
てゐは片方の兎の髪を掴み、ぐいと引っ張って頭を上げさせた。
そうしておいて、怒りに満ちた顔を近づける。
「誰とも判らねえお客さんに簡単にやられましたってなァ、永遠亭の看板に泥を塗られたのと同じだぜ――」
二人の兎は、同族に睨まれているにも関わらず、蛇に睨まれた蛙の様であった。
その時、閉じていたふすまが開けられ、誰かが入ってきた。
「もうそのくらいにしといてやりな、てゐ――」
声の主は、もう一人のイナバの頭、鈴仙・優曇華院・イナバであった。
「そいつらだって、わざと盗ませたわけじゃないだろうさ」
てゐは、ちっと舌打ちをして、掴んでいた髪を離した。
「鈴仙に免じて勘弁してやらあ。だが、おめえら今日は飯抜きだ。いいな――」
「ぉ、押忍っ!!」
悲鳴の如き返事をした兎達は、逃げるように部屋から出て行った。
◆ ◆ ◆
「……そういうわけで、連中、自分がどういう風にやられたのかも覚えていないそうです」
永遠亭の最奥の一角、そこに鈴仙とてゐはいた。
てゐが人参強盗の報告を行っている相手は、薬品と機材に向かい、背を向けている八意永琳である。
永遠亭の実質的な頂点である永琳は、なりわいの薬品研究のかたわら、実務的な事柄の一切を処理している。
そのため、鈴仙とてゐは彼女に報告を行っているのである。
「被害にあった人参は、何本だったのかしら」
永琳の質問に、鈴仙が答える。
「百五十本です。昨日帳面に記録した量と照らし合わせたので、まず間違いないでしょう」
「そう。無視できる量じゃないわね」
「ええ。それに、味を占めてまたやってくるとも限りません」
「内部の者の犯行の可能性は?」
「簡単ですがアリバイ調査を行いました。怪しい者はおりません」
永琳は、鮮やかな緑色をしたビーカーの中身をかき混ぜている。
数秒、沈黙の時間が過ぎ、永琳が口を開いた。
「ウドンゲ、てゐ、今日の倉庫番はあなたたちがなさい」
永琳は、今晩また下手人が現れると言ったのだ。
彼女の天才を少なからず理解する二人は、「押忍っ!」と答え、退室する。
「さて、ちゃんと取り押さえられるのかしらね――」
二人が去った後、永琳はぼそりと呟いた。
◆ ◆ ◆
生え茂った竹の葉の隙間から、月光が地上に降り注いでいる。
空に雲はほとんどなく、月はその姿をはっきりと現していた。
地上は、明るい。
永遠亭の周りは無論竹林なのであるが、食料庫の周りは少し違う。
『離れ』的な位置にある食料庫の周りは、竹がある程度抜き取られている。
これは見張り役の者が、仕事をやりやすいようにという配慮であった。
今、鈴仙は食料庫の屋根に上り、耳をすませ周囲を見張っている。
周囲を見張るという場合、鈴仙は目よりも耳に集中する。
彼女には、潜水艦のレーダーのように目で見ずとも音で周囲を把握する技能が備わっているからだ。
永遠亭の妖怪兎の中でも、これが出来るのはほんの一握りである。
「にしても、本当に今日来るんだかねえ――」
声は、下、扉の前にいるであろうてゐのものだった。
鈴仙と同じく耳が利く彼女は、周囲に誰もいないのを承知で声をかけたのだ。
「師匠のことだから、考えがあるんでしょうよ」
答える鈴仙だが、自身に確固たる考えがあるわけではない。
内心、警戒が強まるのを承知で二日連続で来るのか、とも思っている。
「考えはあるだろうさ。ただ、どんな考えなんだかねえ」
てゐの声は、いかにも面倒臭いと言わんばかりであった。
対して、鈴仙が言う。
「もし下手人が、二日連続で来るような豪胆な輩だったら、他の子には荷が重いでしょう?」
「それもまあ、一理あらぁね」
ポリッ、という音がした。
てゐが夜食の人参をかじったのだろう。
鈴仙も、脇に置いた人参に手を伸ばした。
その時である。
『――――ッ!』
鈴仙の耳が、竹の葉がこすれる音を捉えた。当然、てゐも捉えている。
風で葉同士が触れ合った音ではない。ある程度の大きさのものがぶつかり、こちらに近づいてくる音である。
位置は高い。相手は空を飛んでいる。
そして、一人だけだ。
事前の打ち合わせで、相手が一人ならばまずどちらか一方が相手をすると決めてある。
無論、時を見計らってもう片方が攻撃をするのだ。
尋常ならざる勝負では、不意を討つことがもっとも効果的である。
そのための取り決めであった。
下手人は、食料庫の屋根よりも高い所を飛んでいる。
ならばまず自分が相手をしようと、鈴仙は飛び立った。
◆ ◆ ◆
「あなただったの――」
鈴仙は、驚きを身の内に押し留めた。
竹林の影から出てきたのは、薄暗い月明かりでも見まごうことなき巫女服を着た、博麗霊夢だった。
「貧乏なのは聞いていたけど、盗みまでやるようになったのか」
「こちらには、こちらの事情があるのよ」
霊夢がぼそりと言った。
両手には何も持っておらず、だらりと体の横に垂らしている。
「昨日みたいに、いきなり気絶させようとはしないのかい?」
言いながら、鈴仙は重心をわずかにずらした。
「あんたみたいな化け物兎に、不意討ちが効くとは思っていないわ」
霊夢は動かず、ただ浮いている。
「永遠亭の食料に手を出した罪は重いわ。師匠の新薬の被験体、くらいで済めば良い方よ」
鈴仙は、ゆるりと両手を上げて体の前に構えた。
「お喋りな兎ね。早く私を捕まえたらどう?」
「言われなくても、そうさせてもらうさ――」
鈴仙は、霊夢に向かって全力で飛んだ。
鈴仙と霊夢の距離は、鈴仙が全力で飛んでも一秒半はかかるほどに離れている。
そのため鈴仙は、飛び出すと同時に、霊夢の左右に一体ずつ使い魔を放っていた。
左右への動きを使い魔で封じ、前か、後ろかに動きを制限させる。
後ろへ動くならば、使い魔含めた数の優位を利し、弾幕を張り巡らす。
前へ、自分へと突っ込んでくるならば、最大の武器である狂気の瞳の餌食とする。
鈴仙が選んだのは、そういう戦法である。
霊夢は、動かなかった。
動かないことを自らの選択とした。
無手の両手を左右に振ったと思えば、袖から無数の札が飛び出した。
大部分の札は使い魔に突き刺さり、一瞬で破壊を行った。
そして、残った札が鈴仙に向かって飛んだ。
鈴仙は、札を無視した。
かするだけで服を裂き、当たれば皮膚まで焼ける札を無視した。
急所のみを手足で覆い、身を小さくして突撃する。
鈴仙は、相手が霊夢だと判ったときから、弾幕戦の選択肢を捨てていた。
弾幕は、肉体による格闘戦へいざなうための布石に過ぎない。
狂眼を駆使した全力の弾幕戦で、霊夢には既に負けている。
この戦いは、あの時ほど必死にならなくてもいい戦いかもしれない。
だが、永遠亭の面子に関わる事態であり、相手が誰であろうと許すことは出来ない。
ことの大小を比べる必要は無いのだ。
そして、鈴仙は、腕の一本、足の一本くらいは折ってやろうと思っている。
真っ当に頼めば食料など分けてやらんでもないのに、忍び込んで、見張りをのして、盗みを働いた。
外道の所業である。
どうせ骨の一つ、筋の数本痛めたとしても、治癒を促進させる薬を師匠は持っている。
なら、そのくらいの痛みを以って慙愧の念を得るが良かろう。
鈴仙はそう考えている。
そして鈴仙は、弾幕戦以上に格闘戦が得意であった。
永遠亭で過ごした数十年の内、格闘の鍛錬は少なくない量を占める。
これは、姫――輝夜と、師匠――永琳が、趣味と実益を兼ねて鈴仙を相手にしたからである。
弾を介して相手と触れ合う弾幕戦と違い、格闘はじかに体と体を、肉と肉をぶつけ合う。
輝夜は妹紅との殺し合いから両方の違い、そして楽しみを知っており、暇潰しに鈴仙を練習相手にした。
そして永琳は、永遠亭に持ち込まれる荒事に自分が出なくても済むように、鈴仙に弾幕と格闘も教え込んだ。
元々、月でいくさを経験している鈴仙である。数十年の時は、彼女に実力と、自信を与えていた。
永き夜のおりに永琳が『荒事と狂気はお前の仕事』と言ったのは、そういう背景があったからである。
真っ直ぐ突っ込んでくる鈴仙に対し、霊夢はその場を動かなかった。
少し驚いたような顔で、つっ立っている。
構うものか。
鈴仙は、体を弾丸のような勢いでぶつけた。
手ごたえは、想像していたほどではない。
霊夢がとっさに後ろへ飛んだためだ。
だが、動き出しが遅いため、加速し切っていない。
鈴仙は、空中で胴タックルを仕掛けるかたちになった。
霊夢の胴に腕を回し、後ろで服を掴む。
そしてそのまま、竹に突っ込んだ。
ごっ
鈍い音がしたが、竹はよくしなる。
霊夢はむりやり身をよじることで、背骨をぶつけてしまうのは避けた。
決定打にならなかったことを承知した鈴仙は、霊夢を抱えたまま地面に向かって急降下した。
霊夢は、受け身を取らず、また速度を殺そうともしなかった。
膝と肘を、鈴仙に打ち込んだ。
がっ がっ
使えるのは、手、それに足の力だけだ。体重も速度も足りない。
だが、霊夢を抱える鈴仙の手が一瞬緩んだ。
霊夢は、おもいっきり体をぶん回した。
どうっ
という重い音が二つした。
地面に衝突する前、鈴仙と霊夢の体は離れていた。
体勢を崩された鈴仙が、自分が逆に落とされないために手を離したのである。
霊夢が立ち上がろうとする。
鈴仙は逃がさない。
「じゃっ!」
先に立ち上がった鈴仙がローキックを放った。
膝立ちの霊夢は蹴りを顔の横で受け止めた。
鈴仙がもう一発蹴った。
霊夢はこれも受け止めた。
霊夢が後ろへ下がりながら立ち上がった。
鈴仙は追いながら拳を振った。
ガードされる。
構わず打った。
拳。
拳。
拳。
上体を振り回すように拳を打ち込む。
霊夢は、腕を、時には肩を使い、拳を受け、流す。
鈴仙がペースを上げた。
拳。
拳。
拳。
耳。
拳。
拳だけではなく、他の動きも織り交ぜる。
拳。
蹴。
肘。
拳。
蹴。
拳。
拳。
膝。
拳。
耳。
耳。
座薬。
拳。
膝。
肘。
肘打ちの後のアッパーぎみの拳を、霊夢が下がってかわした。
鈴仙に決定機が訪れた。
霊夢が、ガードに上げた腕の間から、鈴仙の顔を睨んでいる。
一方的に殴られる中、鈴仙の“力”を忘れたのだろうか。
「おきゃあああああああああああっっっ!!」
鈴仙は、狂眼の力を叩き込んでやった。
◆ ◆ ◆
どぉん、と何かが地面に落ちる音を聞いて、てゐは腰を上げた。
あの音は鈴仙と霊夢のものであるに違いない。
自分は、適当な気を見計らい、割り込んでやらねばならない。
さて移動するか――
そう思った時、別の、第三の音が耳に入ってきた。
竹の葉が、何か速いものに触れた音だ。
音は真上からした。
てゐは上を見上げた。
箒にまたがった魔理沙が、てゐに向かって声一つ立てずに垂直降下をしていた。
「ぬわわわわっ」
てゐは横っ飛びに転がり、三転して起きた。
魔理沙は、慣性の法則を無視して、まったくの無音で着陸を果たしていた。
「てめぇら、グルだったのかよ……」
てゐが低い声で言った。
「グルじゃないぜ。たまたま一緒になっただけだ」
魔理沙が、睨むてゐを気にもせずに言った。
「で、今日の番人はお前さんか。すぐにオネンネするような兎じゃ、役に立たないもんな?」
魔理沙が箒を投げ捨てて言った。
「けっ、良い度胸だ。……と言いたいが、一つ聞こうか」
てゐが言う。
「てめぇ、箒が無きゃ飛べないんだろ? 得意の弾幕戦はどうすんでェ」
「弾幕ごっこのうるささで屋敷の連中を起こしたくないんでな」
魔理沙は帽子を脱ぎ、それも投げ捨てた。
両の拳を顎の高さまで上げて、笑う。
「な、こいつでいいじゃないか――」
てゐの口が、にやりと笑いを作った。
「弾幕ごっこみたく、楽に勝てると思うなよ――」
二人は、二メートル弱の間隔で向かい合っている。
二人の身長にはあまり差がなく、リーチもほぼ同じ。
あと数十センチで、火蓋が切られるであろう。
その数十センチを詰めないまま、じりじりと、二人はゆっくりと回りながら向き合っていた。
てゐは踵を地面に付けたベタ足で、魔理沙は踵を浮かせ軽くステップを踏んでいる。
てゐの手は指を軽く丸め開いており、魔理沙の手は硬く拳を握っている。
てゐは腰を落として重心を低くしており、魔理沙は膝を軽く曲げているだけでほぼ直立である。
素直に見れば、てゐは関節技を狙っており、魔理沙はボクシング系のパンチを狙っている。
だが、この二人の構えを、素直に受け取っていいのだろうか。
既に、心理戦は始まっているのである。
先に動いたのは魔理沙だった。
「しゃっ」
短く息を吐いて、左ジャブを打ち込む。
左ジャブというのは牽制の一手であり、ワンツーの一打目でもある。
魔理沙は、てゐが左手を掴むならばワンツーのツー、右ストレートを打ち込む算段であった。
が、てゐは左ジャブを掴まず、右手で外に弾いた。パリングである。
開いていた右手は拳を握っている。
魔理沙は左手に痛みを覚えた。
そしててゐは、
「――じゃっ!!」
蛇の声を上げて、前蹴りを放った。
上下左右どこにも避けられない、完璧な一撃である。
だが魔理沙は、踏み込んだ左足を軸に、右足を下げつつ後ろへ倒れた。
魔理沙の服の腹あたりを、てゐの足がかすめていった。
てゐの右横に倒れこむようにして、前蹴りをかわしたのだ。
さらに魔理沙は、実際に倒れるのではなく、左足を軸に旋回する。
バックハンドブロー――
「ちぃっ」
てゐは前蹴りの足を戻さず、前へと跳んだ。
一歩跳んで、魔理沙へ向き直る。魔理沙が詰め寄ってきた。
魔理沙は右足を振っている。
てゐは右拳を振りぬいた。
ごっ
鈍い音が二つ響いた。
てゐの右拳は魔理沙の顎を打ち抜いた。
魔理沙の右足はてゐのこめかみを叩いた。
相打ち。
だがてゐは止まらなかった。
「しゃああっ!!」
てゐは、頭から魔理沙にぶつかった。
タックルではない。頭突きである。
外界のサッカー選手に見劣りせぬ、見事な頭突きであった。
魔理沙の胸が、どんっという音を立てた。
胸骨に額をぶつけられていた。
魔理沙がぐらりと倒れる。
てゐは、朦朧とする意識を叱咤し、とどめを差すべく魔理沙に掴みかかった。
そして気づいた。
魔理沙は失神し倒れているのではない。
自分から倒れたのである。
その証拠に、自分の首に魔理沙の腕が回っている。自分の胴を魔理沙の足が挟んでいる。
魔理沙の背中が地面に着いた。
かっ、と魔理沙が息を吐いた。
てゐの目の前にある魔理沙の顔は、にいっという笑顔だった。
「そんなに焦るなよ。まだ始まったばかりじゃないか――」
てゐは、魔理沙の言葉を最後まで聞けなかった。
魔理沙の肘が、てゐの顎を叩いていた。
◆ ◆ ◆
真紅に染まった狂気の瞳。
見た、と思った瞬間、霊夢は目を閉じた。
構うものか。鈴仙は前に出た。
まともに狂気を覗いてしまえば、視覚だけではなく五感すべてが揺らぐ。
その隙にけりをつける――
鈴仙は、踏み出しつつ体を半回転させて霊夢に背を向けた。そして跳ぶ。
ヒップアタック? 否、鈴仙は足を曲げて“ため”を作っている。
「――ぁぁあああああああっっ!!」
変形の後ろ回し蹴り。ドロップキックのようにも見える。
兎が、肉食獣から逃げる時に蹴る足の動きを模している。
『兎王』。
永遠亭のイナバの中で、鈴仙とてゐだけが使える最強の技である。
今、その蹴り足が目をつぶった霊夢に届こうとしている。
「かぁっ!」
霊夢が吼えた。
吼え、両腕を鈴仙に向けて振った。
五感は揺らぎ、目は閉じている。当たるわけがない。
だが、振った袖から無数の札が飛び出した。
ごっ
という音と、
ぼっ
という音がした。
霊夢が地面に倒れている。
鈴仙も地面に倒れている。
霊夢は、巫女服の胸の部分が破れ、口から血を流している。
鈴仙は、服のほとんどが破け、体中に焦げ跡を作っている。
霊夢の投じた札は鈴仙にぶつかると爆発した。
鈴仙の蹴りは霊夢の胸の中心を捉え、骨を折り砕いた。
二人とも、地面に伏せたまま立ち上がらない。
月が二人を等しく照らしている。
そして、三つ目の人の影が二人の間に形作られた。
◆ ◆ ◆
こいつ、上手いことやりやがって――
てゐは、魔理沙の戦術に素直に感心していた。
弾幕以外に、こういうことも出来やがったのか、と。
仰向けに寝て肘を振ったって、大した勢いはつかない。
それをカバーするために、左手で頭を抱え込んで、動けなくする。
首を振って勢いを逃がすことが出来ない。
だが魔理沙、これで安心してるんじゃねぇだろうな。
思った瞬間、二発目が来た。今度はこめかみだ。
良いねぇ魔理沙。ためらわねぇで一気に押し込もうとする。
だがそれはいけねぇよ。その一発はいけねぇ。
ほら、顔面のガードがあいちまったじゃねえか。
あたしと、お前の顔の間に、何もないんだぜ――
ごつん。鈍い音がした。
てゐがまた頭突きをした音だった。
魔理沙の顔、鼻に額が当たっている。
しかもてゐは引かなかった。
足を踏ん張って、額をぐりぐりと魔理沙の鼻に押し付けた。
間隔が近かったから、骨は折れてないかもしれない。
だが、鼻血くらいは出ているだろう。
こうして鼻を押さえてやれば、さぞかし痛むことだろう。
てゐは、足、腰、首と順番に力を込める。
そして、ぐりぐりと額をねじ込んでやる。
「がぁっ」
魔理沙のうめき声が聞こえる。案の定、鼻で息が出来なくなってやがる。
「ああぁっ!」
魔理沙が叫んで、腕を振った。
てゐの首に手刀が入る。がら空きの脇に拳が入る。頭に肘が入る。
何発も入れられた。
てゐも、足を踏ん張ったまま腕を振った。
魔理沙の肋骨に拳が入る。肩に肘が入る。何発も入る。
どろどろと、蛇と蛇が絡まりあうような戦いであった。
「ずいぶん頑張るじゃねえか、おい――」
てゐの呟きに、魔理沙は何も返さない。無心に拳を振るう。
あぁ、頑張ってるなあ魔理沙。
その頑張りに免じて、もう終わりにしてやるよ――
魔理沙の首と顎の間に、てゐの右手が添えられた。
ぐいぐいと、首と顎の隙間を広げるように押す。
狙っているのはギロチンチョーク。
前腕部で相手の喉――気管を押しつぶす、必殺の技だ。
腕が入れば、てゐが勝ち、魔理沙が負ける。
魔理沙が左手でてゐの右手を掴んだ。
もう遅い。
てゐは無視して、魔理沙の首に右腕をねじ込んだ。
「があああああっ!!」
魔理沙が獣の声を上げた。
てゐの腹と胸がぐいっと押された。
魔理沙が体を左へよじると、てゐの左肩が地面に着いた。
(馬鹿な!)
てゐは驚愕した。
自分の胴を挟んでいたはずの魔理沙の足が、自分と魔理沙の体の間にあった。
ギロチンチョークが入る瞬間。
てゐがわずかに油断するその一瞬に、魔理沙は賭けていた。
足は蹴るというよりも押す動きで、てゐの体を横に崩した。
てゐが右腕に掛けていた体重と力がそれた。
魔理沙はてゐの右腕を掴んだまま、ごろりと反転する。
てゐの下から、てゐの上へと。
魔理沙が、仰向けになったてゐの胸の上にまたがった。
「ちっ――」
舌打ちはてゐのものだ。
「あたしが、マウントを取られちまうたぁ――」
言い終わる前に、魔理沙の拳がてゐの顔に落ちてきた。
魔理沙のマウントポジションは素人のものではなく、実に巧妙だった。
てゐが体を横にうねらせ、ブリッジで浮かせても、魔理沙の体勢は崩れなかった。
暴れ馬を御すように、てゐの上に乗っている。
そして、拳をひたすら振り下ろす。
とうていすべては防ぎきれず、てゐは顔にいいのを何発か貰ってしまった。
ぎりっ、とてゐが歯を食いしばる。
顔を打たれるのを嫌い体を丸めて亀の姿勢になれば、チョークスリーパーで落とされる。
それが、マウントポジションの決め技の一つである。
仰向けのまま、失神するまで殴られるか。
亀になって締め落とされるか。
うまいマウントポジションの結末は、そのどちらかしかない。
上の方の体力が先に尽きれば、脱出の可能性はある。
だが、下にいる者の方が体力の減りは早い。
脱出の可能性は、限りなく低かった。
「詐欺じゃねえか――」
顔をガードしながらてゐが言った。
魔理沙は巧妙にも、殴るだけではなく肘を胸に落とすのを混ぜている。
だが、顔のガードは外せない。
「普通の魔法使いとか言って、こんな技術までもってやがる」
魔理沙の顔が、にいっと笑った。
「以前、これでこてんぱんにやられちまってな。勉強したんだ」
これとは勿論マウントポジションのことだ。
魔理沙が続けた。
「詐欺兎が人間に騙されてたんじゃあ、世話がないな――」
ガードの隙間を縫った拳が、てゐの顔を殴った。
てゐは、プッと血を吐いて言った。
「まったくだ――」
◆ ◆ ◆
どれだけの時間が経ったころか。
てゐと魔理沙の空間に、別の声が割り込んだ。
「はい、もうその辺で終わりにしなさい」
てゐと魔理沙が声の方を見ると、弓を構えた永琳がいた。
その後ろには、永遠亭の主である輝夜。
さらに、ぼろぼろの服を着た鈴仙と、彼女に背負われた霊夢がいる。
「まだ続けるようなら、とっても痛い目を見るわよ。黒白の泥棒ネコさん」
永琳の顔は笑っているが、目が笑っていない。
弓の弦もいっぱいに引かれている。
魔理沙はゆっくりと両手を上げ、てゐの上から退いた。
重石がなくなったてゐも立ち上がると、
「助けに来るなら、もう少し早く来て下さいよ」と言った。
「事情があってね」 永琳が返す。
輝夜はさっきから、ただ微笑をたたえている。
「まずは中に戻って傷の治療をしましょう。そうしたら話してあげるから」
永琳が言って、魔理沙含む全員が永遠亭の中へと入っていった。
「姫様も見てたってことは、最初から見せ物のつもりだったんですか?」
応急処置が終わり、全員が座る座敷で最初に言ったのは鈴仙だった。
「だって、最近ハクタクやブン屋がうるさくて妹紅と遊べないんだもの」
「と言っても、メインはあなたたちを鍛え直すことにあったんだけどね」
永琳が、鈴仙とてゐを見て言った。
「花の事件以来、あまり騒ぎがなくて弾幕ごっこもやってなかったでしょう?
だからどのくらいなまっているのか、霊夢に見てもらおうと思って頼んだのよ」
「師匠がやれば良かったじゃないですか」と鈴仙が言うと、
「私がやったら、ただの訓練にしかならないわ。実戦形式でないとね」と永琳が言った。
鈴仙とてゐは、霊夢の方を見た。
霊夢は溜め息をついて、
「人参五十本が報酬だって言うから、手伝っても良いかなって。
ここまでやるとは思ってなかったけどね……」
霊夢は、骨の折れた胸をそうっとさすった。
「それじゃあ、昨日兎を気絶させたのは師匠ですか?」
「そうよ。でも、彼女達も結構油断してたから良い薬になったんじゃないかしら」
「あーあ、そんなこったろうと思いましたよ」 てゐが言った。
「え、どうして?」
「いくら永琳様が天才だからって、まるで台本が用意されていたように流れが早かったからな。
それに、いくら飢えてたって泥棒を働くほど巫女は堕ちちゃいないよ」
ちょっとくらいは疑いな、とてゐは鈴仙に言った。
「でも、霊夢が前見たときより痩せてたから、本当にヤバいのかなって――」
「鈴仙、それ以上言ったら怒るわよ」 霊夢が言った。
「霊夢のことは判りましたけど、でも――」
鈴仙の視線が動くと、他全員の視線も動いた。ある一人を除いて。
「魔理沙は一体何なんですか? 霊夢と連動している様子ではなかったですけど……」
部屋にいる中でただ一人、縄でぐるぐる巻きにされている魔理沙。
魔理沙は、いやなぁ、と前置きし、
「新作の丹の練成で人参が大量に必要になってな。
探すのも面倒だしここならあるだろうって来たら、番人っぽいのが寝てるじゃないか。
無用心は良くないぜ、ということで五十本ほど拝借した」
私が隠したのは百本だけよ、と永琳が言葉を挟んだ。
「丹の練成に成功したら、それを永琳に売り込んでチャラにしてもらおうと思ってたんだが、これがまた全部失敗だぜ?
仕方ないからもう一度拝借しに来たってワケだ」
明るい声で締めくくった魔理沙だが、鈴仙とてゐの表情は険しかった。
霊夢は呆れ顔で、永琳と輝夜は笑っている。
輝夜は口を開くと、魔理沙に負けずの明るい声で言った。
「まあ、それなりに楽しませてもらったから、永琳の新薬被験体で許してあげるわ」
「はっはっは、それはとってもありがたくないぜ」
魔理沙の笑い声に、どこか乾いたものが混じっていた。
永琳が立ち上がった。
「ウドンゲ、てゐ、魔理沙を第三実験室に運んでおいて。そしたら寝ていいわ。
霊夢も今日は泊まって行きなさい。朝食くらいはサービスで出してあげる」
「それはありがたいわね」
談笑する永琳と霊夢の後ろで、魔理沙が鈴仙とてゐに担がれている。
「おーい霊夢助けてくれー! 今度うちでキノコ料理フルコースやってやるからー!!」
「霊夢、永遠亭の食事は美味しいわよ? 傷の治療もあるし、二、三日泊まっていく?」
「ありがとう永琳。……魔理沙、閻魔によろしく言っといてね」
「へっ、よろしくしたくねぇ相手だぜ……」
そうして魔理沙は連れ去られ、永遠亭に平和が戻ったのである。
(了)
なかなか楽しませて頂きました。確かにウドンゲの能力は格闘戦でもいけるかも。…思わぬ発見です。後戦闘中にどさくさに紛れて不穏な単語が刻まれてるのもなかなか。
微妙に長々と、偉そうに失礼しました。
にしても魔理沙、人参が必要な丹って何なんだ。
多分、側近に姫川チルノがいるんだろうなぁ。
ところで、正味な話、餓狼伝って完結すると思います?
と言うか、ガチも悪くないなぁと再認識させられました。