そこは小さな部屋であった。
部屋は和風であり、広さは敷かれた畳の枚数で、10を数えることができる。
窓の無い部屋は、しかし闇に閉ざされること無く、天井全体から降る柔らかい光に満ちていた。
室内には、本棚や机といった簡素な調度があり、一方の壁には壁と同じ幅を持った、ガラス戸を持つ棚もある。
棚の中には、大小様々な壜。
ラベルの貼られた物もあれば、何も貼られておらず、中身もほとんど無いような物もある。
形状も揃わず、色とりどりの壜が並んでいる。
永遠亭の中にいくつかある永琳の書斎。 ここは、そのうちの一つである。
その中に今、二つの人影があった。
「としょかん?」
聞き慣れない単語に、メディスン=メランコリーはその手を止め、振り返った。
部屋の中ほどに立ち、服を着替えている最中だったのは、鈴蘭の毒を身に秘め、血脈持たぬ人形少女。
肩口までの金の髪は、大きなリボンを載せ、人工の光を受けて淡く輝いている。
血の通わぬ象牙色の肌は、均一の質感で、どこまでもなめらかだ。
磨きぬかれた空色の瞳は、貴石の輝きをもって相手を捉える。
瞳に映りこんだ影が肯く。
「そう。 近いうちに行く予定があるんだけど、メディもどうかしら?」
答えたのは、北天と南天の星座をあしらった、黒と紅の服の上に白衣を着ている女性。
少女と女性の天秤を、若干後者に傾けた怜悧な美貌は、千年を越える昔から変らない。
この永遠亭の実質的な運営者であり、この屋敷の主、蓬莱山輝夜の腹心。
不死人、八意永琳。
腰よりも下に垂らされた銀の編髪を揺らし、椅子に座ったままメディスンに向き直る。
花と幽霊の騒動から続く、メディスンと永遠亭の関係。
最初こそ毒の供給だけであったが、メディスンが永遠亭に馴染むにつれ、住人との交流が盛んになりつつあった。
定期検査と毒の卸しで、永琳の仕事場に来ることの多い彼女は、毒と薬の関係、妖怪としての人との付き合い方などを雑談交じりに聞くことがある。
今日は、永琳からの贈り物としてドレスを貰い、早速着ているところであった。
毒の供給に対しての代価はきちんとあったが、この月の天才の気まぐれで、こうした贈り物や、同伴外出などが「おまけ」としてついてくることがあった。
着替えている最中であるのは、濃紺のドレス。
メディスンの手持ちの服と大まかな形状は似ているが、袖が手元まで在る事や、丈が若干短い代わりに膝上まである靴下を履いている。
精緻な文様を織り込まれたレェスや、折り重なったフリルは豪奢でありながら清楚で、メディスンの持つ可憐な雰囲気を壊すことなく引き立てている。
華々しくも落ち着いた風合いのそれは、金の髪とよく合い、随所にあしらわれている白のリボンとも調和が取れていた。
そのまま舞踏会に出てもいいくらいの出来である。
丹精込めて縫い上げられたこの極上のドレスが、実は、一人の人間の手縫いである。
にわかには信じられまい。
それが、製作に二日とかかっていないとは。
作者の、ちょっとばかり行き過ぎた情念が奇跡を成し遂げたのである。
その事実を知っているのは、製作者である八意永琳の他には、弟子の宇宙兎ただ一人であった。
「としょかん?」
首を傾げているメディスンに、永琳は机の上にあった本を差し出し見せる。
重厚な装丁の、古い魔術書だ。
「こういうのが沢山ある場所よ」
「そう、なんだ?」
まだよく分かってない様子のメディスンは、背中側のボタンをスーさんに掛けてもらいながら、傾げる角度を深くする。
金の髪と赤のリボンが等しく揺れる。
「そう、様々な知識がある場所よ」
知識、という永琳の言葉にメディが反応する。
人形解放。
他人に明言していないが、鈴蘭畑から出られるようになってからこっち、メディスンは人形の地位向上を目的とした闘争の義務を己に課していた。
しかし、鈴蘭畑から碌に出歩いた事の無い自分は、どうしても知識経験が足りないことを感じていた。
自分ひとりでは闘争を戦い抜くことは難しい。
それには仲間が必要だが、仲間を得るにしても円滑なコミュニケーション能力を培わなければならない。
観察対象としての永遠亭の住人がいるが、主に顔を合わせるのは三人だけ。
4人目であるはずの主、輝夜はいまいち遭遇率がよくなかった。
しかも各人の関係が明確すぎ、それぞれの対応が画一化していて、サンプルとして適切とは言えなかった。
山ほどいる妖兎たちは、鈴仙やてゐほど表情が豊かな感じを受けない。
もっとも、これはメディスンの主観で、実際には化生の類である彼女らも、人間と同等かそれ以上の個体差はあるのだが。
有効サンプルが三人しか居ないのでは、どうにも資料不足が否めない。
遊びに行っても邪険にされることはないし、むしろ暇をもてあましている連中がかまってくれるくらいだったが、
一日遊んで、帰る頃になって、自分の使命を思い出し、次こそは勉強しようと誓うのだ。
今の所、その誓いが果たされたことはないのだが。
永琳が自分をどこかに連れ出そうとするのは、今回が初めてではない。
以前、神社という所で催された宴会にも連れて行かれた事もあったし、他、花が咲き乱れた時に出会った、幾人かの人妖の処にも連れて行ってもらった事もある。
時折、永琳が変にテンションが高くなったりしたが、概ね楽しかった、と言える物ばかりだ。
「何処にあるの?」
これはチャンスだ、とメディスンは思った。
知識が貯め込まれている場所だというなら、人形の地位向上に有益な知識などを得る事も出来るだろか?
「ここからだと少し遠いわ。 しっかり準備していきましょうね」
「え?」
さっき、近いうちに、とは言ったがまさか今から!?
予測外の申し出に、メディスンが目を白黒させていると、永琳が咳払いをひとつした。
視線を部屋の上のほうに向けて、声を上げる。
『ウドンゲ、いるかしら?』
落ち着いた感じのアルトボイスが、不思議な響き方をした。
メディスンは知っている。 この声は部屋の外に居ても届くのだ。
「 はぁい ただいまぁ」
遠くから鈴仙の声がした、ような気がする。
いつもこのタイミングで聞こえるから、そんな気がしているだけかも知れない。
記憶と照らし合わせている間に、柔らかい何かが板の床やら壁を打つ音が聞こえてきた。
音の間隔は広く、ひとつ鳴るごとにこちらに近付いて来る。
ああ、急いでるなぁ、いつも通りに。
そう思い、音に合わせて向けていたメディスンの視線が、部屋の入り口に重なった。
がらり、と音を立てて部屋の引き戸が開いた先には、鈴仙が立っていた。
いつもの萎れた耳、いつものシャツ姿の上に、今日は白衣を着ている。
メディスンの感覚には、白衣が仄かに植物の香りの残滓を纏っているのが視えた。
「師匠、御用は何でしょうか」
「ウドンゲ、急ぐのはいいけど壁ターンはよしなさい」
「大丈夫です。 まだ2秒は縮められます」
得体の知れない自信をのぞかせる鈴仙に、打ち所が悪かったのかしら、と呟く永琳。
「まあいいわ。出かけるわよ、支度なさい」
机の上を軽く整頓し、手荷物をまとめるとそれだけを告げた。
永琳は、鈴仙にはあまり細かい説明をしない。
用件を理解し切れていない鈴仙が、それにより戸惑ったりしているのをメディスンも時折目にしている。
以前、永琳にその理由を尋ねた事があった。
「洞察力や推察力を鍛えているのよ」
その時は、もっともらしい言葉が返ってきて納得したものだが、後でてゐにも訊いたら、
「永琳の話を正面から受け止めようとすると、疲れるだけだから止めといた方がいいよん」
との事だったっけ。
当然、
「え、出かけるって……午前の仕事が……」
何の説明もされていない鈴仙は、やっぱり困った顔になった。
「5分あげるわ。 紅魔館の請求書を纏めておきなさい」
ぴしゃりと言ってのける永琳。
「わかりました」
そう返事をした鈴仙は、一瞬だけ、しかし確実に眉を寄せたのをメディスンは見逃さなかった。
そのまま一礼して、退出するしようとする。
「待ちなさいウドンゲ」
呼び止めた永琳は、鈴仙に歩み寄るとその肩を抱き寄せる。
「そうね、お前にはいつも苦労をかけているわね……」
顔に出やすい鈴仙の言いたい事を、的確に読み取り労う永琳。
背中から両の腕を鈴仙に回し、抱きすくめる。
「し、師匠」
突然の行動に驚いた鈴仙は、腕の中で身をよじり永琳に向き直る。
吐息が触れ合うまでに近付き、鈴仙の顔がたちまち赤くなる。
身長差は、鈴仙がちょうど上目遣いになるだけの差だった。
「そう、お前も大事よ。どちらが一番か、なんて野暮な事は言わないわ」
幼子をあやすように、優しく呟く永琳。
「って、なんでさっきから私の考えてる事に答えるんですか!」
うん。 鈴仙、なんにも喋ってないね。
永琳の不思議スキルを目にするのも、別に初めてではない。
いつもの事にメディスンも、次第に奇異を感じなくなっていた。
「そ、それにメディスンが見てます……!」
今頃になって気がついたのか、もがきだす鈴仙は、しかし蜘蛛の糸に絡めとられた羽虫のごとく無力だった。
「照れなくてもいいのよ」
朝っぱらから妖しく微笑む永琳。
「そういう問題ではありません!」
「あら、じゃあどういう問題?」
揚げ足をとる永琳に、鈴仙が黙り込む。 口では勝てないのは兎でも知っている事だ。
ちなみに技術的にも勝てない事も、周知の事実であるが。
この流れでいくと、5分後には物理的に黙らさせられた月兎が、骨抜きになって横たわっている事がほとんどである。
出かけないのかなー、とメディスンが適当に心配する。
しかし今日の鈴仙は一味違った。 何事かを決意した表情が叫ぶ。
「実力行使!」
直後、柔らかい音が2つ同時に鳴った。
果たして、どういう訓練の賜物か。
萎れた耳が、まるで蛇が獲物に襲い掛かるような動きをもって、狙い正確に永琳の目を突いたのだ。
それも左右同時に。
弟子の苛烈なツッコミに、さしもの永琳も、ぬあー! とらしくない悲鳴をあげてのけぞった。
兎を取り逃がした狩人は、両の手で顔を抑えて呻く。
「……や、やるようになったわねウドンゲ……!」
どうにか立ち直った永琳は、涙を流しながら、弟子の成長を褒めた。
「では支度してまいります」
褒められても喜べる内容でもないらしく、鈴仙は赤い顔を無表情にして、今度こそ一礼し退出した。
鈴仙が永琳に反撃する、という珍しい光景を目にしたメディスンは、見送った背に一つの事実を見出す。
丈の短いスカートを翻し、結構な速さで部屋を出ていったが、足音を立てていなかった。
(鈴仙、浮いていた。歩くより早いから?)
なんでだろう? と、ちょっとした思考のポケットに落ちていたメディスンに、紅い目をした永琳が声を掛ける。
普通の笑顔な分、かえって違和感が強まった気がした。
「じゃあ、メディも支度しましょうか」
「え?」
自分は特に荷物があるわけではない。
その言葉の示す所が理解できずに、思わず永琳の顔を見つめてしまう。
スーさんも首をかしげている。
見上げる永琳は、目を弓のように細めると、
「ちょっと遠出になるしね」
そう言って机の隣、部屋の壁にある薬品棚から青い小壜を取り出す。
「はい」
手渡されたのは、永琳が作ってくれた鈴蘭の毒の精製したものであった。
純度を高められたそれは、いかなる術によるものか、淡く光を放っている。
「これって」
今、手にしているこれは、メディスンが活動する上で必要とされる毒の消費を抑える効果を持っている。
消費を抑えるだけでなく、効率良く循環が出来るようにするなるので、総合的な能力も上昇する。
「今、飲んじゃっていいの?」
顔を上げ、小瓶を片手に永琳に問う。
その効き目は確かのもので、むしろ、日常生活を送る上では殆ど必要無い位に強い物と言えた。
「ええ。帰りの分は私が持っておくわ」
棚からもう一本取り出しながら、永琳は答える。
この言葉に、硝子壜の蓋が立てていた軋むような音が止んだ。
壜を開けようとしていた手を止め、メディスンが疑問を口にする。
「図書館ってそんなに遠いの? それとも本を読むのってそんなに疲れるの?」
一壜でかなりの時間、無補給でも活動出来うるそれの、予備まで用意していくという。
記憶に間違いがなければ、こんな事は初めてである。
「うーん、ちょっとね? 無事に済めばなんでもないんだけど」
人差指をおとがいにあて、可愛らしく小首を傾げる永琳。
この場に永琳を知る者が居れば、気を失いかねない仕草だった。
そんな事は知らないメディスンは、眉の形が困った時の形だという事にしか意識が向かない。
あまり深刻でなさそうだけど。 と、少ない情報なりにメディスンは考える。
過去に、この精製毒を使用した記憶から、状況を予想をしてみる。
毒を大量に消費する理由となれば、まず一つ、簡単なものが思いついた。
「戦うの? 図書館と」
どうやら知識を得る、というのはなかなかに大変らしい。
「あははは、図書館とは戦わない……わよ?」
まだまだ短い付き合いだが、永琳がこういう言い方をした時は、何かある。
というよりは、何か在ると言う事をこちらに気付かせたがっている節がある時だ。
「日の高いうちにいけば大丈夫よ」
にっこりと笑う永琳。
しかしメディスンは知っている。
その笑みの後には、鈴仙の悲鳴が幾度と無く響いてきた事を。
やはり、知識を得るには一筋縄ではいかないようだ。
欺瞞に満ちた笑顔に頷き小さく決意すると、メディスンは毒の壜を開け、中身を一気に呷った。
■
ドレスを着替えようとしたら止められた。
「時間が勿体無いからそのままでいいわよ」
「でも、危ないかもしれないんでしょ?」
貰ったものを粗末に扱ってはいけない、その位の事は教わらなくても判る。
もし戦いになるのならこれは着ていけない、と主張するメディスンに、永琳は構わないと譲らない。
「でも」 「いいのよ」
「やっぱり脱ぐ」 「気にしないで」
「着替えたい」 「私の士気に係わるから駄目」
そうこうしているうちに、5分経ったらしく、鞄を提げた鈴仙がやって来た。
先ほど目にした白衣姿ではなく、胸に月の印章が輝く紺のブレザー姿である。
提げた鞄は二つ。
一つは肩掛けも出来る大きめの鞄、クーラーバッグにも見えなくもないそれは、一抱えはあろうかというサイズである。
もう一つは小脇に抱える程度の鞄。 こちらは程よくくたびれていて、使い込まれているのが伺える。
「師匠、請求書は先月分の物でよろしいですね?」
「そうね、今月のはまだ日が浅いから構わないでしょう」
切り替えの早い永琳は、手早く白衣を脱ぎ椅子に投げ掛けると、先程用意した小荷物を手に取った。
「ウドンゲ、先に玄関で待ってなさい。 私はてゐに指示を出してから行くわ」
「はい」
一礼して退出する鈴仙。
『て~ゐ~?』
「はーい」
館内放送をかけたわりに、てゐは近くにいた。
数秒も無く鈴仙が出て行った戸から、ひょこりと顔を覗かせる。
日焼け知らずの白い肌に、癖っ気のある黒い髪。
ふわふわの白い耳に、智恵を湛えた瞳。
ゆったりめの桜色のワンピースに、人参を模した首飾り。
メディスンと大差ない背丈の姿は、兎の妖怪。
「あ、てゐ」
「やっほ、メディ」
にかっと笑い手を振る。 白い歯は健康の証だそうだ。
メディスンが遊ぶ相手は、もっぱらこの兎の化生である。
永琳や鈴仙は何かと忙しく、そしてこの兎がさぼることにかけて、類まれなる才能を持つ。
「てゐ。私とウドンゲは出かけるから、留守をよろしく」
「ほーい。 どうせ姫様はまだお休みだし、起きて来ても何するわけでもないしね」
頭の後ろに手を組んで、きしし、と笑う。
「もし妹紅が来たら姫を呼んで良いわ。 暴れられても厄介だし」
「帰ってくるのはいつごろ?」
「夕飯には戻るつもりよ」
「りょーかい」
くだけた敬礼をしてみせる。
てゐはここの住人に対し、必要以上にへりくだる事をしない。
曰く「自然体」らしい。
今では誰も咎めないので、てゐも気にしていないそうだ。
「あ、永琳、どこ行くか聞いてないよ」
颯爽と歩き出した永琳を、てゐが呼び止める。
「紅魔館よ。 集金と図書館に用事ね」
半身をひねって振り向いた永琳が答え、
「てゐも行ければよかったのにね」
メディスンが素直な感想を口にする。
「い……いやぁ、私ゃ遠慮しとくよ……」
それを聞いたてゐは、苦笑いを浮かべつつ、半歩下がった。
メディスンは知らない。
かつての月に起きた異変。
満月が隠され、力が静かに吹き荒れた明けぬ夜の出来事。
メディスンも覚えているそれが、ここ永遠亭によって引き起こされた事を。
幻想郷全土に多大な影響を及ぼしたその事件は、周囲の実力者から危険視された。
満月の期間を凌げれば永琳の勝ちで、それ以降は月も戻す予定だったのだが、
その辺の事情など知らない連中は、満月を奪回すべくここ永遠亭に殴り込みをかけて来たのだ。
その中には、これから行く紅魔館の主とその従者の姿もあった。
当時、邸内防衛を請け負っていたてゐも戦闘に参加し、そしてこっぴどくやられた。
妖怪としての格が違いすぎたのだから、仕方がないと言ってしまえばそれまでなのだが、それ以前に相手の勢いが凄まじかった。
口先八丁でどうこう出来る状況でもなく、否応無しに弾幕勝負に雪崩れ込み、
嵐のような攻撃にもみくちゃにされ、同じくもみくちゃにされた鈴仙に看病され、
包帯だらけで目を覚ました頃には、偽の永夜は終わり、日が高く昇っていたのである。
「弾幕ごっこには反則がない、そう考えていた時期が私にもありました」
後にてゐはこう述懐している。
そんな思い出のあるてゐが、私用で紅魔館に行く事はまず無いといっていいだろう。
それに、館の妖兎を統率しているのは実質この詐欺兎であり、永琳と鈴仙が留守にする間は、てゐに任せるのが通例になっている。
「じゃ、いってくるわね」
「ほーい。 お土産よろしくー」
「帰ったら遊ぼうね~」
何も聞かされていないであろう事を、容易く想像できるメディスンの笑顔。
手を振り、二人が廊下の角を曲がるまで笑顔で見送っていたてゐは、
「遊ぶ余裕が残ってるといいけどねぇ」
と小さく嘆息し、友の無事を心から祈った。
■
蒼天。
日はまだ天に昇りきってはおらず、しかし、雲のない空は彼方まで陽光を奔らせる。
風は初夏の息吹を秘め、どこまでも渡っていく。
竹林を抜けた一行は、比較的高めの航路をとり紅魔館へと向かっていた。
幻想郷の空は、鳥以外にも妖精や妖怪など飛ぶ者がある。
だが、日の光が支配するこの時間だは、夜の住人である妖怪達が空にあることは少ない。
「風も穏やか。遠出にはいい日和ね」
「そうですね、日が昇ると少し暑くなるかもしれませんが」
「鈴仙、上着が荷物になるんじゃないの?」
絶賛成長中のメディスンは、感覚系があまり複雑に出来ていない。
まだまだ力を着ける余地のある身体は、微妙な温度などの変化は、毒の状態を意識しなければ気がつけない場合が多い。
「大丈夫、行き先は屋内だし、これはそのへんに対応してくれるから」
腕を軽く張り、身体を傾ける。
見慣れた紺の上着は、メディスンが想像するよりも高性能な代物らしい。
「それも、もう長いわね。 そろそろ新しいの作ろうかしら」
それを見た永琳が、問うでもなく呟く。
「本当ですか! 師匠!」
なんだか無闇に嬉しそうな鈴仙。
「そうねぇ、ここの連中とやりあうなら、もう少し耐弾性能を付与しても良いかも知れないわね」
一行は、永琳を先頭に、右側に鈴仙、左側にメディスンという三角形で紅魔館に向かっていた。
紅魔館の位置を知らないメディスンが前に立てないのは当然だが、後ろに誰かいると、流出する毒に中てられる恐れがあるからだ。
もっとも、永琳には毒は効かないが。
眼下には黒々とした森が広がっている。
新緑の季節から夏に向け、森も活力が満ちている。
陽気にうかれた妖精たちが飛び回っているのを見つつ、メディスンは永琳に質問した。
「紅魔館、ってどんなところなの?」
「師匠、説明してないんですか!?」
「そうよ。 百聞は一見にしかず、ね」
涼しい顔で答える薬師は、ロールを一つうつと、丁寧に編みこまれた髪を風に遊ばせる。
流す気満々の師の姿に、弟子が呻く。
「ですが……」
「いいのよ、じき分かる事だし」
これ以上の問答を無駄と見たのか、鈴仙がため息を吐くのが見える。
この答を貰い、メディスンはいつだったか永琳と、森の人形遣いの処に行った時の事を思い出した。
あの時も説明抜きでの遠出で、着いた先は人形の身としては非常に重要な場所であった。
人形を遣う者。
人形を造る者。
眷属を増やし、しかし、遣うことで人形を道具としての地位に縛り付けている。
その時は敵となりうる人物として、警戒をしていた。
だが、後に魔族という妖怪であると知ると同時、ああいった手合いが居なければ、人形である自分達は仲間を増やす事すら難しいのだと気がついた。
もし将来。
自分に人形を造りだすだけの器用さや知識が身についたとして、人形の身である己が生み出した人形は――
果たして、人形解放の戦いに力を貸してくれるのだろうか?
捨てる者がいるからこその闘争であり、自身のモチベーションでもある。
では、捨てぬ自分が造り出した人形はどうだ?
捨てられる事を知らぬそれら。
闘争の為だけに生まれたそれは、果たして仲間と呼ぶに相応しい人形なのか。
目的の為に道具を生み出す人間と、やっている事が同じではないか?
人形を愛で、しかし捨てる人間と、
愛され、しかし捨てられる人形があってこその闘争なのである。
「メディ?」
鈴仙の声で思考が中断され、高度が少し落ちていた事に気がつく。
慌てて進路を修正し、隊列を整える。
この問題は、きっと解決しない気がする。
メディスンの毒に満ちた思考回路は、この答えを保留にする事を決定した。
慌てて決着をつけなくてもいいだろう。
少なくとも、あの時アリス=マーガトロイドと名乗った魔女が、人形を粗末にする事はなさそうだし。
あの時に会った、上海人形と蓬莱人形。
あの子達の持つ幸せな記憶は、大事にされる者としての証であるのだから。
森が切れ、蒼い湖が見える。
空気が、抱えている湿度を高め始めた。
木々が風に囁く音がしなくなった代わりに、水面が風に撫でられる音が遠く響いている。
まだ遠くだが、湖の向こうに紅い建物を確認することが出来た。
これだけ離れているにも関わらず、そこが発する妖気が、永遠亭のそれを凌駕しているのが判る。
威嚇するように入り乱れた妖気は、メディスンに咲き乱れる花畑を連想させた。
鈴仙が湖岸の館を指差す。
「見えてきたわ。 あれが、紅魔館よ」
■
永琳が若干速度を落としたのに合わせて、一行の進行が緩やかになった。
湖上の風を浴びながらメディスンが様子を見ていると、鈴仙が咳払いをひとつする。
「あー、あー。 こちら永遠亭薬剤部、鈴仙・優曇華院・因幡。 紅魔館門番隊聞こえますか、どうぞ」
耳を、萎れているなりにピンと伸ばすと声を放った。
? という動きで永琳を見ると、
「ウドンゲの方が相手に警戒されないのよ」
と、小声で教えてくれた。
訊きたかった事とは違ったが、今の呼びかけが挨拶のようなものだという事は想像できた。
遠くに居た飛んでいる影のうち、幾つかがこちらに向かってきた。
4,5人の塊から、さらに一人が抜け出し、こちらまで来る。
永琳と同じくらいの長身に、日差しを受けて煌く紅の長髪。
身に纏った緑の服は少しばかりくたびれているが、不思議と目の前の女性には似合っている。
着慣れた感じのする服と、揃いの帽子に龍の文字が見える距離まで接近すると、
「紅魔館門番隊筆頭、紅美鈴。 ご用件は……って訊くまでもないですねぇ」
にへら、と笑い、
「ようこそ、紅魔館へ」
流れるようなな動作で一礼する。
「ええ、お邪魔するわ」
「ご苦労様です」
永琳と鈴仙は、この紅美鈴とやらと面識があるようだ。
「で、こちらさんはお初ですよね?」
飛んでいるにも関わらず、見下ろすことなく、屈みこんで視線を合わせてきた。
目の前に踏み込まれていたが、自然な動作に反応できなかった。
「はじめまして、人形のお嬢さん」
「は、はじめまして」
関節の出ない服を着ているのに、初見で人形と看破してきた。
その事に内心驚きつつ、敵意のない笑顔と共に差し出された右手を慌てて握る。
「彼女はメディスン=メランコリー、うちの大事なお客さんよ」
「そうなんですか」
美鈴は、永琳、鈴仙と視線を向けると、メディスンの顔を覗きこむ。
「でも、ちょっと物騒ですか。 鈴蘭ですよね?」
「う、うん」
毒の種類も特定された。
メディスンは、自身の内側まで覗き込まれている気がしてきて、身を竦ませた。
ま、いいか。 と笑顔に戻る美鈴と名乗った人物を、スーさんも訝しげにしている。
「図書館を利用したいんだけど、大丈夫かしら?」
「あ、あー。 居ますよー、パチュリー様は。 出てくるかは別ですけどねぇ」
歯切れ悪く、あははは、と笑う美鈴。
「具合が良くないようなら出直しましょうか?」
永琳の科白に、美鈴よりも鈴仙が驚いている。 「師匠が気を使っている…!」とか聞こえた。
「あ、別に寝込んでいるわけじゃないですよー、ただ」
「ただ?」
促す永琳に、美鈴は腕組みして、う~ん言っていいのかなぁ、とか悩んでいる。
「言いにくい事なら別にいいわよ?」
「魔理沙が、ですね」
立ち話もなんですし、と、館に移動しながら美鈴が話し始める。
「また図書館で暴れたとか?」
鈴仙と並ぶと、紅と紫銀の髪が長く風になびく様子が見て取れる。
何だか分からないが、綺麗だな、と思った。
「ちょっと違うかな、貸し出し期間の延長の折衝、というか延滞料の支払いというか……」
「へえ~、あいつ、そんな殊勝な真似してるんだ?」
メディスンは、鈴仙の口調から堅苦しさが抜けているのに気がついた。
外にも友達のいる鈴仙が、少し妬ましかった。
周囲に誰が聞いているわけでもないのに、美鈴は小声になる。
「デートだったんですよ、昨日」
うわー! と自分の口をふさぐ鈴仙と、何を考えているか読めない笑顔の永琳。
「でぇと?」
「簡単に説明すると、好きなもの同士で過ごすことよ」
帰ったら復習しましょうね、と永琳が言う。
「戻ってきた時なんか、お姫様だっこですよ? もう見せ付けてくれるわぁ」
「うーわー」
「で、魔理沙がそのままお泊り」
「ひゃー!」
紅い目を丸く見開いて驚く鈴仙と、くすくす笑う美鈴。
「……やっぱり日を改めた方がよくなくって?」
「大丈夫ですよ、貸し出し程度なら図書館内の娘達でも出来ますし」
笑顔のまま永琳に返す美鈴。
メディスンは自分の頭の上を通過する会話のキャッチボールに、若干の疎外感を得る。
うん、友達も増やしたい。
■
紅魔館には花壇がある。
自家製紅茶畑以外にも、主の友人の為に設けられた温室などもあり、毒のある植物もある。
館に近付くにつれ、すれ違う人影が増えてきた。
幾人かは美鈴に声をかけていくが、その様子は永遠亭のてゐや鈴仙と妖兎達のそれに似ていた。
紅い門を超えたところで、庭にある花壇が目に留まった。
「あ」
毒の気配に気がついたメディスンは、美鈴に振り向く。
「あー、うちの花壇にも毒のある植物ありますねぇ」
笑顔で解説する美鈴。
「美鈴が手入れしているの?」
「そうですよ、私だけじゃないですけどね」
目を向けると、濃紺と白の服を着た二人が、如雨露を手に歩いているのが見えた。
「やっぱり薬を作るの?」
会話が続いている。
今の自分は、外から見て、緊張していないだろうか。 だめだ、会話に集中しなきゃ。
「そういう使い方もしてますねぇ。 うちにもそういうのが趣味のが居るんで」
今の情報は貴重だ。 ここにも自分を売り込めるかもしれない。
まだ、人付き合いというものがよく分からない自分としては、取引、という手段は数少ない選択肢なのだ。
需要があるなら、供給しに行くまでだ。
「そうなんだ」
覚えておこう。
「じゃ、私はここで」
館の玄関まで着いたところで、美鈴がそう告げ敬礼した。
「はい、ご苦労様」
「お疲れさま」
門番、というのが館の入り口を守る者らしい事は、先ほど聞いた。
鈴仙の仕事の一つに、そんなのがあった気がする。 仲がいいのもそのせいかも。
そんな事を考えつつ、門に引き返していく美鈴の後姿を見送る。
背後、永遠亭とは形の異なる扉が、重苦しい音をたてて開いてゆく。
徐々に開いてゆく扉。
両開きの扉は、内側に紅い薄闇を覗かせる。
温度が違うのか、足元に涼しい気配が漂い始めた。
三階分の吹き抜けを持つ広間が見え、置物のような人影がある。
「ようこそ、紅魔館へ」
先程、花壇で見かけた人影と同じ服装の女性がお辞儀をする。
「ご用件を承ります」
鋭く永琳を見据える瞳は、瞳孔が縦である。
兎一色の永遠亭とは異なり、ここには様々な種族がいるようだ。
メディスンは、外で感じた妖気の様子を思い出す。
「私とこの娘は図書館に。 この娘は経理の方に」
「かしこまりました、では図書館へ御案内致します」
一礼すると踵を返す。
と、影が取り残されたように、立った姿のまま凝固していた。
「では、管財の方へご案内致します」
影が厚みを得たかと思うと、歩き去ろうとしている案内係と寸分違わぬ姿となる。
メディスンが驚きに目を丸くしていると、永琳が呼ぶ声がした。
「あ、待って」
慌てて追う人形少女は、自分の足音が毛足の長い絨毯に奪われている事に気がついた。
板張りか、永遠亭の畳しか知らないメディスンにとっては、絨毯の沈み込む感触は新鮮である。
それと同時に、鈴蘭畑を歩いているような柔らかさに、なんだか嬉しくもなってくる。
屋内を、靴を履いたままに走るのも初めての経験である。
人形遣いの家は、こうして走れる程に広くはなかったし。
僅かに遅れるスーさんに意識を払いつつ、窓の少ない廊下を小走りに追う。
いよいよ、図書館とやらにお目にかかることが出来るのだ。
鼓動を持たぬ身ではあるが、確かに胸が高鳴るのをメディスンは感じた。
■
案内の人は、足音少なく、また殆ど上下にも揺れずに歩いてゆく。
永琳の説明で、この館特有の「メイド」と呼ばれる役職の人達だと聞いた。
永遠亭の兎達と似たような位置づけらしいが、こちらの方が、堅苦しい感じを受けた。
結構な距離を歩いているが、何がしかの術で屋敷の中を広くしているらしい。
結構な距離を歩いているが、誰かとすれ違う、という事がとても少ない。
永遠亭ならば、1分と待たずに兎と出会うことが出来る。
永遠亭ならば、どこかしらで兎達の話し声や笑い声を聞くことが出来る。
メディスンは、大きいけれど寂しいところ、という印象を受けた。
幾度か角を曲がり、幾度か扉をくぐり、幾度かメイドとすれ違い、そして案内係のメイドの足が止まった。
現れた両開きの扉は、館の入り口ほどではないが、重厚で、彫りこまれた装飾は、何か見た事のない生き物のようだ。
威圧するような、拒むような、そんな印象を受ける。
「こちらでございます」
一礼したメイドは、扉に備え付けられた小さなノッカーを二度鳴らした。
硬く、こもった様な音が2つ、日の差さぬ廊下に響いた。
響きの残滓が廊下に溶け込んだ辺りで、
『はぁい、何でしょう?』
扉から(?)応答があった。
聞こえた声にはっとして永琳を見ると、目だけで笑った永琳が肯く。
今のは、永琳の部屋にある設備と同質のものだ。
気付けた事よりも、永琳にそれが伝わった事の方が嬉しかった。
「お客様です。 永遠亭、八意様と同行者一名様」
『ご苦労様です、どうぞお通ししてください』
図書館の声が応えると同時、鐘を殴るような金属音が立て続けに響いた。
メディスンは音の大きさに身を竦める。
見上げる大きさを持つ扉の上端から下端へと、それは7回響いた。
それの様子に永琳が苦笑を漏らす。
「開錠? 大仰ねぇ」
「畏れ入ります」
案内のメイドが頭を下げた。
その動作は、今までの人形のような(正真正銘の人形である自分がいうのもなんだが)固い動作ではなく、
僅かだが、困った感じの笑みもついていた。
そのやりとりを目だけで見ていたメディスンは、扉の気配が変わった事に気がつき、向き直る。
音もなく開いてゆく扉。
暗く、温度の低い館内よりもなお暗い場所。
僅かに感じる空気の鳴動する音は、この先が広大な空間だという証か。
「メディ。 ここが、図書館よ」
永琳が手を引いてくれるのにも、意識が向かない。
永琳が出掛けに説明してくれた「本がたくさんある場所」というのは、正しく、そしてそれ以外の何物でもない事に気がついた。
「では、ごゆっくりどうぞ」
後ろでメイドの声がするが、意識に入ってこない。
後ろで扉の閉まる音がするが、意識に入ってこない。
メディスンは眼前の光景に心を奪われていた。
ヴワル大魔法図書館。
仄暗い広大な空間には、巨大な壁が並列に浮いていた。
いや、それは壁ではない。
本棚だ。
幅、高さともに10メートルを軽く超えるサイズの本棚。
それが闇の中に列を成して浮いているのだ。
10や20ではない、100や200ですらない。
墓標のように佇む本棚の間には、魔法の照明が等間隔で浮いている。
見える範囲では、とりあえず本棚と明かりしか目に入ってこない。
今、メディスンが永琳と立っている僅かなスペースの先は、もう床が無く、覗き込んだ先は底など見えない。
……これが、図書館……!?
自分が飛べる、という事実があってなお、足がすくむ高さと恐怖を感じる広さだった。
握ったままだった永琳の手を掴み直す。
「あ、来たわね」
図書館の雰囲気に気圧され、言葉なく立ち竦んでいたメディスンは、永琳の暢気さを感じさせる声で正気に戻った。
永琳が目を向ける先に意識を向けると、何かが近づいてくるのが分かった。
徐々に近付いてくるそれは、紅い髪に黒の服。 髪の隙間から突き出した小翼と、背に大翼という姿。
すい、と虚空を泳ぐようにこちらに来たその人影は、滞空すると一礼する。
「ようこそ、知識の墓場たるヴワルへ」
「来たわ、墓荒らしに」
苦笑しつつ、手荷物から本を取り出す永琳。
「なぁに、その口上? この前はそんなのなかったじゃない」
「誰かさんに知識の死蔵だって言われたもんだから、厭味でやってるんです」
受け取りつつ、破顔する相手。
柔らかい印象の笑顔には、口元に牙が見えた。
「はい、前回借りたやつとオマケよ」
「……」
受け取った本を抱きしめると、蝙蝠羽の少女は空いた手でハンカチを目元に当てる。
「……どうかしたの?」
「あ、いえ、すみません、期日通りに返って来る事ってここしばらく無かったので、つい」
目尻に浮かんだ涙を拭いつつ、あはは、と笑う。
「慧音は? あの娘もここを利用してるでしょうに」
書の聖地を脅かす黒い魔砲少女の影に、不憫さと若干の同情を感じつつ、永琳は問う。
「上白沢さんの所へは、使いの者が里への買出しついでに回収にいくんです」
あまり家を空けられない方のようですし。と付け加える。
「それにしても泣かなくても」
「約500」
苦笑する永琳に、妙な数字が返ってきた。
「把握しているだけでも、これだけ返って来てません……」
「……ある意味、それだけ魅力的という事なんでしょうけどねぇ」
主が半ば黙認しているだけに、こればかりはどうしようもないそうだ。
「でも、代償行為があった、と聞いているけど?」
「あ。 美鈴さんですね? もう、部外秘だって言ったのに」
あとで打擲五十回です。 と、なにやら物騒な事を呟いている。
「彼女に口止めしておくのは無理なんじゃないかしら?」
永琳の指摘に、
「それもそうかも知れません……」
頭の羽も萎れている。 その様子はメディスンに鈴仙を思い起こさせる。 ここには苦労人が多そうだ。
「ま、まぁ! それはそれとしてっ 今日も貸し出しですか?」
取り繕う、というよりは自分自身を騙そうという類の笑顔をうかべ、切り出す。
「今日は閲覧もね。 この娘に書に触れてもらうのも目的だから」
ようやく自分に話が向いてきた。
外交的な永琳が見ていて珍しいが、どうにも自分が話に参加できないことが多い。
「ああ、こちらがこの前の話の?」
「そう、メディスン。 メディスン=メランコリー。 鈴蘭の申し子よ」
「永琳、それ少し違う」
あちこちで紹介をされるのだが、どうにも定番の通り名が無かった。
私、キャラが弱いのかなぁ。
「あらそうね。メディスン、この娘はこの図書館の司書さんよ」
「シショさん?」
よろしくお願いします、とお辞儀する姿に、ちょっと呼びにくそうな名前だと思う。
「シショというのは役割の名ですよ、名前は……故あって名乗れませんので、小悪魔とでもお呼び下さい 」
「うん、よろしくね、小悪魔さん」
「はい、こちらこそ」
笑顔で右手を差出すと、小悪魔は握り返してくれた。
「じゃ、閲覧所まで案内してもらえるかしら」
「はい、ではこちらへどうぞ」
移動を開始する小悪魔、後ろについたメディスンは、よくよく案内される場所だなぁと思いつつ後を追った。
■
3分ほど飛ぶと、本棚の森の中に、ソファとテーブルを載せたプレートが浮いているのが見えてきた。
厚さ30センチ程度のプレートの大きさは、50メートル四方程度。
1メートルくらいの黒と白のタイルが交互に並ぶ上には、ゆったりとしたソファに、広いテーブルが乗っている。
ハンガーやらちょっとしたキャビネットなどもあり、一つの部屋として機能している感じを受ける。
ここは他よりも光源がしっかりしているようで、その分、周囲がより暗く感じられた。
「案内図はそこにありますが、あんまり遠出するとやっぱり迷子になりますので注意してくださいね」
テーブルの脇には立体映像の図書館の概略図があり、現在位置や書架の配置などが大雑把に記してある。
それを眺める永琳は、中身の減った鞄をハンガーにかけつつ、質問を投げる。
「でも、どうしてこんなになっているの? 少し前まではこんな愉快な配置ではなかったでしょうに」
「これですか? 掃除と整理の為ですね、あと行方不明のメイドの捜索なんかも」
メディスンが所在なさげに立っていると、物騒な単語が混じった会話が始まった。
「広いのも考え物ねぇ」
「こればかりは仕方ありませんよ、うちの本は住人でも全部を把握している者なんていませんし」
「貴方や貴方のご主人でも?」
「この大図書館の栞である私はともかく、パチュリー様は多分把握していませんよ、きっと」
意外、とも言える答えが返ってきた。
「あの方は本を読む事で、読んでいない場所を減らしていき、それで結果的に把握しているかもしれませんけど」
「いいのかしら、主がそんな事で」
確かに、見渡す限りに浮いている本棚は、それぞれが知識を満載している。
本棚一つでも、永琳の仕事部屋を埋めるには十分な量の書物があるのだ。
さしもの天才も、これだけの量の情報を管理する事の手間は考えたくなかった。 面倒だから。
「把握しているのは私や、私の分身、それにヴワル自身ですよ」
この広大極まりない図書館において、ジャンルと配置を正確に把握している者は誰も居ない。
主であるパチュリーや、司書であるこの小悪魔ですら。
管理しているのは図書館自身であり、棚やら書架に与えられた擬似知性が「自分が何を所持しているか」を記録、更新しているのである。
小悪魔の持つノートはその端末であり、窓口でもある。
もっとも、一定水準以上の危険な書物は、特別の管理保管場所にあり、そういったものは主の目の届く範囲にある。
「使用者は使わない所まで把握しなくてもいいって事かしら」
「そんなところでしょうか。なにせ、勝手に本が増えますし。ここ」
苦笑混じりに答える小悪魔、その手にはいつの間にか茶器がある。
「あら、この広さはここ自身の能力なのかしら」
「そうですよ、咲夜さんが来る前から、こんな調子です」
永琳と小悪魔の会話をなんとなく聞きながら、案内球を眺めている。
現在地らしい表記はすぐにみつかったが、乱雑に入り組んだジャンル配置は複雑怪奇であった。
それだけに留まらず、今もってなお情報が更新されている。おかげでさっぱり分からなかった。
「さて、読書の時間にしましょうか?」
メディスンが焦れている事にとっくに気が付いている永琳は、ようやく腰を上げた。
■
簡易複製された案内図を片手に、メディスンが出かけていく様子を、永琳は見送った。
小悪魔の淹れてくれた紅茶を啜り、香りと風味を愉しむ。
ここまでの道程で、メディスンは随分と退屈をしていたろう、と思う。
訪問先に知人が居る事をわざと見せてきたのだから、それも当然なのだが。
メディスンは、今、どんな本を捜しているだろうか。
「体験しないことには、ねぇ」
永琳は小さく呟くと、永遠亭では味わえない豪華なソファの座り心地を堪能する。
「…ここは貴方のくつろぎスペースではないわ」
細く、そして抑揚のない声がする。
どこから現れたのか。
永琳の背後、光が翳りだす辺りに、この図書館の主であるパチュリー=ノゥレッジの姿があった。
「あら、お邪魔してるわね」
永琳は声のした方に首だけを向ける。
その視線の先には、もう一つの人影があった。
「なんだ、珍しいところで見かけるな」
箒に横座りで浮いているのは、黒尽くめの強奪魔女である。
永琳が見ている間にも、魔理沙とパチュリーはこちらに歩いてくる。
だらけきった永琳の視線を受けても、二人の魔女の間隔は肘が触れ合う程度から変わらなかった。
実に絶妙だと、永琳は自然に頷いた。
「今日は課外授業なのよ」
先ほどの問いともいえぬ質問に、永琳の脳の外交野が勝手に答える。
「あー? あー。 あの人形か、迷子にするつもりか?」
その言葉だけで納得した様子の魔理沙。 この少女の頭の回転の速いところは、永琳も気に入っている。
「……本で読むものじゃないわよ?」
小声だが、上質のシルクのような滑らかさを持ったソプラノが、面白い指摘をしてきた。
なるほど、分かっている様子だ。
眼だけで笑う永琳。
外界の勉強し始めのメディスンは、知識と経験の差がわかっていない。
知れば身に付くと思っている事を、永琳は正そうとはせず、放任しているのである。
失敗したところでやり直せばいいし、それすらも経験になる。
フォローもするし、傷ついたなら、それこそ慰め導くのは自分達の役目だろう。
メディスンを迎えたことで、永遠亭の中にも微妙な変化が起きている。
しかしそれは、土を耕している段階に過ぎない。
実りがあるのはまだまだ先なのだ。
「今はそれでもいいのよ」
八雲もかくや、という真実味のない笑みを浮かべ、永琳は答える。
「…うちのメイドは毒の効くのも居るから、注意するように」
煩わしい、という様子を隠しもせず七曜の魔女は宣告する。
それに、と半眼で睨み付け加えた。
「ここで暴れたらどうなるか…貴方は知らないわけではないでしょう?」
「あら大変。 竹は痛いから嫌ね」
だらしなくソファに伸びたままに応える薬師。
「大丈夫よ、無用な戦闘は極力避けるように言い聞かせてあるわ」
「…そう、ならいいわ」
それだけ聞いたパチュリーは、興味を失ったように閲覧所を立ち去ろうとする。
他人の趣味に口出しするなど面倒な真似はしない。
自分は幼女愛好家でなければ、人形偏執狂でもないのだ。
『…部屋に珈琲。 二人分ね』
パチュリーが空間に告げると、どこともしれない彼方から、はいー、と返事がある。
魔女の行く手には、転移呪文なのかそういう繋がり方をしているのか、浮遊床の先に見覚えのない扉がひとつ佇んでいた。
「さぁて、今日はなにを読むかね」
魔理沙が扉の奥に消えた。 これから読書タイムだろうか。
その後を追い、光の外へと歩き去ろうとしていたパチュリーであったが、
不意に足を停める。
「…そう、この前見つけた本でね……」
影に身体を浸し半分だけ振り向くと、声だけを永琳に向け、こう続けた。
「…本というよりは、何かのメモの連なりね、何かの開発記録のような物を見かけたのよ」
背もたれに伸び、仰向けになったまま。
天地逆の世界で、永琳は魔女の背を見つめる。
「…面白そうだったから、軽く目を通したけど、どうにも決定的な何かが欠けていて」
「完成しそうにない、と?」
「…そうね、そんな感じかしら」
逆さまの視界。
焦点をパチュリーから外し、宙に整列する巨大な本棚の群れを視野に入れる。
「ここにはいろいろな書物が流れ着くのね。 例えば、処分したはずのものまで?」
「…どうかしら、ヴワルの機嫌と運命次第といったところかしらね……失われた知識が漂い辿り着く事もあるのよ」
「図書館は成長する有機体である、といったところかしら?」
そう返した永琳であったが、こう続けた。
「試しに作ってみる?」
「…興味ないわ」
くだらない。言の葉に乗る意思がそう告げている。
「確かに。 一人では寂しいわね」
「…ありえないわ」
「どうかしら? 出来ると判ったら手を出すかもしれないわよ?」
「……仮定だけで話をするほど暇じゃないの」
他人事のように楽しそうに話す永琳を、もはや睨む事も無く。
話すことは無いとばかりに会話を斬り捨てると、日陰の賢人は今度こそ閲覧所を後にした。
蓬莱人は伸びたまま見送る。
静かに、深く息を吸うと、
「……そう、残念ね」
空気を吐き出すがごとく、呟く。
聴く者の無いそれは、堆積する書の狭間に薄れ、消えていった。
■
小悪魔から受け取った案内図を片手に、適当に閲覧所近辺をうろつき出すメディスンは、早速困っていた。
膨大すぎる書架が悩みの種である。
目星をつけて移動しているのだが、一向に目的の書架に辿り着けない。
地区案内と照らし合わせても、さほど遠いわけではない筈なのだが、代わり映えのしない景色が容易く錯覚を起こさせる。
壁や床の代わりになる巨大な本棚。
詰め込まれているのは知識、ではあるが、さまざまな形態をとっている。
自立するくらい分厚い事典辞書、魔導書だけではなく、普通に物語の書かれた物も存在する。
書であればジャンルを問わない無節操さが、そこにはあった。
巻物や石板、木簡といった本以外の形式の記録媒体も、そこここに見かけた。
永遠亭にある竹簡もあれば、鍵のかけられた本も見受けられる。
背表紙に書かれた文字も読めない物が大半だ。
永琳の仕事部屋にある書架しか見た事の無かったメディは、ここにある総てが、文字や絵を媒体とする記録手段であるということを信じられないでいた。
……多すぎる……
どこに行けば、自分の読みたい本があるのか見当もつかない。
自分に関係ある物として、試しに毒薬関係の本を目指したが、第何層のどの区画にあるのか、今、自分がどのくらいの位置に居るのか、
そういった情報を把握するには、手元の案内図はいささか不親切であった。
「うう、わかんない」
見渡す限りの本、本、本。
前後左右だけでなく、薄暗い天井の先に本棚が消えている。
底の見えない空間を宛ても無く彷徨うのは、どうにも気持ちのよいものではなかった。
図書館内は、自分以外にも活動している者の姿があった。
まず目に付くのは、掃除兼救助要員のメイド達と、掃除される対象である毛玉状の妖物である。
二人一組で飛行するメイドは、編隊を組んで飛行する毛玉を丹念につぶしていく。
興味本位で尋ねたところ、妖気に浸された埃が固まると発生しやすくなるとかどうとか。
軽快な破裂音を上げて爆ぜる毛玉は、永琳に見せてもらった花火を連想させる。
他には侵入者対策のトラップや、魔力を帯びた本が棚を抜け出し勝手に出歩いていたりもした。
近付いたら、魔弾を撃たれたのであわてて逃げてきたが。
小一時間程、見るとも無く図書館内を浮遊していたメディスンであったが、ついに規模の大きさに根を上げた。
「だ、駄目だわ。こんな事じゃ人形解放は遥か彼方ね……」
幾度目かの交差点で、足を停める。
すぐ近くには 「ここは東4~6 「シ」ブロック」 という表示が浮いているが、これが何層目なのか分からなくなりつつある。
今日の目的は図書館探検ではなく、知識を得に来たのだ。
目的の為なら手段は選んでいられない。 そして、案内係が居なければ話にならなかった。
それを認めたメディスンは、司書の小悪魔を呼ぼうと口を開いた。
「 」
「ご希望がありましたら、お探しの書物の種別をお申し付けください」
いきなり背後から声をかけられた。
「ぅひぃ!?」
気配など微塵も感じなかったのに、振り向くとそこに小悪魔と名乗った司書がいる。
背中まである紅毛を僅かに揺らし、こちらの反応を待っている。
なんの根拠もないが、てゐが悪戯をした時の「してやったり」という顔をしている気がした。そんな気配を感じた。
「い、いきなり声かけないでよ!」
「失礼いたしました。ですが、お呼びのようでしたので」
平静に応対されて、メディスンは自分だけ怒っているのはおかしいと考えた。
円滑なコミュニケーション能力も、今の自分が身に着けなければならないものである。
気を取り直して、毒の本を、と言いかけて止めた。
薬と毒の知識は優秀な先生が居るのだ。今は今日ここで得られる物の方がいい。
「そうね…抑圧された民衆が決起するようなお話。 ううん、史実でもいい」
「独立、革命物…と、はい、ではこちらへどうぞ」
手元のノートに何やら書き込んだ小悪魔は、移動を開始した。
自分の感覚が間違っていなければ、目的地は、おそらくはさっきの閲覧所だろう。
道すがらメディスンは尋ねた。
「ねえ?」
「はい、なんでしょう?」
若干先行していた小悪魔は、速度は緩めずに振り向き答えた。
「貴方は、何かしら?」
「ふふ、抽象的かつ哲学的な質問ですね」
小悪魔の笑みに、自分の質問に不足している物を付け足す。
「あ、ごめんね、貴方は何の妖怪?」
「私は魔の者。平たく言えば悪魔ですね」
「あくま?」
はい、と頷く小悪魔。 また聞いた事の無い種族が出てきた。
「私は位階が低いので、大した力は持ちませんけどね」
「悪魔っていうのは何をするの?」
「いろいろですよ。人間を堕落させるのが……これは少し違いますか、簡単に説明するのは難しいですね」
苦笑する小悪魔に、メディスンは眉根を寄せ唸る。
「むう?」
「取引ですね、契約し、力を貸して、魂を受け取る。悪魔は人間を堕落させるのが目的としておきましょう」
なるほど、労働と対価。 永琳に教わった事は他でも正しいらしい。
「貴方はしないの?」
「私ですか? そうですねぇ」
指を顎にあてて、うーん、と考え込む素振りを見せる。 永琳の癖に似ていた。
「契約、あ、それが力を貸しているっていう事なんですけど、その最中と申しますか、なんだかどうでもよくなってきてしまいまして……」
あはは、お恥ずかしい、と屈託無く笑う。
『…そんなことだから、いつまでたっても位階が低いままなのよ』
空間に音声が響く。
「ここの居心地がいいんですよーだ、だいたい本棚の整理も満足に出来ない人が、整理要員に悪魔の召喚式なんか書いて。手間をかけるところ間違ってますー」
『…ブラウニーは、ここの環境じゃ出てこないじゃない』
「言い訳は結構です。お説教はぁ、後片付けが出来るようになってからお願いしまぁす」
姿の見えない相手に言い返す小悪魔。 虚空の声が黙る。どうやら図星だったらしい。
近くにいたメイド達もくすくすと笑っている。
『………私には貴方が必要なのよ』
「そこだけ聞けば立派な愛の告白ですよ?」
『…あら、私はこんなに貴方を愛しているのに』
「でしたら、愛する者の為にもご自身を省みてくださいまし」
生活態度とか、生活態度とか、生活態度とか。と、付け加える小悪魔。
メディスンはその様子をただ見ているしかない。
鈴仙が永琳に口答えをする所など、数えるほども見た事が無いし、ましてや言い負かす所など絶無といっていい。
どちらかと言えば、鈴仙がてゐに丸め込まれるのに近いかも、と考え直す。
「あ」
メディスンの視線に気が付いた小悪魔は、赤面する。
「あ、あははは、お恥ずかしいところを……」
■
案内された閲覧所には、永琳の姿は無かった。
さっきとは違うのかも、と、わずかな記憶を頼りに今居る場所と比べてみる。
しかし閲覧所と一口に言っても、置かれているソファは精緻な刺繍の施されたいわゆる高級品。
図書館というより書斎の色が濃いのが窺える。
メディスンには、その辺が良くわかっておらず、せいぜいが洋装の調度品が珍しいなあ、くらいである。
浅く、半分寝そべるような姿勢になった。
張りがあるが、しかし沈み込む椅子の座り心地は、鈴蘭の揺り篭を思わせる。
「うわ、なんかこれいいかも」
膝から下をぶらぶらと揺らしながら、メディスンは出されたお茶に手をつける。
夾竹桃の毒入りの紅茶は、苦味が効いていてなかなか好みの味がした。
最初は、持ち帰り(貸し出しという名の強奪)が主流であり、それ以外の利用者もここでの閲覧は内容の確認に留めるので、閲覧所というよりは品定めエリアであった。
後付で備えられたこれらの調度品は、魔理沙が長時間読んでいく時の為にパチュリーが手を回したものである。
主は、その事を黒い略奪者には告げていないが、忠実なる下僕がそれとなく漏らしている。
「…ここで読んでいけば、持ち去られないじゃない」
いかに尤もらしい事を言う主人に、
「なるほどーさすがはパチュリーさまー」
敬意を表しているのか、微妙な棒読みで答える。
帽子掛けなぞもあるのが、いい証拠だ。
本来図書館であるこの区画は、訪れるものがない事で魔女の書斎と化し、しかし近年僅かにだが、図書館としての機能を取り戻しつつあった。
埃まみれになろうとも、ここに堆積している知識は魅力的なのである。
検索結果が自動で書き込まれたノートを手に、小悪魔が図書館内に吶喊していく。
使い魔を多数展開した小悪魔は、書の海に突入したかと思うと、わりとあっさり戻ってきた。
一仕事終えた顔をしている彼女手には、数冊の本がある。
見た目よりもずっと仕事の出来る人なのかな、と、小悪魔に対する認識を改めるメディスン。
渡された本は、独立戦争の小説、などらしい。
外の世界の戦争の話や、民族紛争などの歴史やあらまし、今の状況などが記されている物もある。
「では、ごゆっくりどうぞ」
一礼した小悪魔は、フロアの端にある机に向かい、何やら書き物をはじめた。
ソファの隣に引いてこられたブックトラックに積まれた本に目を向けたメディスンは、とりあえず手にとって見る。
一番近くにあった本は「太陽の牙」というタイトルの、独立戦記物らしい小説である。
なんとなく強そうなタイトルに惹かれ、目を通してみる事にした。
■
メディスンが書に没頭していると、小さくだが、聞き逃さない音量で鐘が鳴った。
『お客様一名。 ……アリス=マーガトロイド様です』
メディスンと同じ浮遊フロアで帳票整理やらをこなしていた小悪魔は、はじめに頭の羽だけを起こし、
「う……わぁ……」
困惑と期待を苦笑で混ぜたような表情を浮かべて、虚空を見据えている。
?、というメディスンの視線に、思案顔だった小悪魔は何でもないと手を振ると、確かにニヤリと笑った。
「ご苦労様で~す、お通ししてくださ~い」
と、答える。
メディスンには笑みの真意は掴めないが、何かよからぬ楽しい事が起こるようである。
それにしても。
アリス=マーガトロイド……いつぞやの人形遣い。
人形遣いであると同時に、魔法使いでもあるという彼女なら、この図書館に用もあるのだろう。
現状出会っても、何が出来るわけでもないので、メディスンは問題を先送りにし読書に戻った。
主人公達が砂漠で難儀している、先が気になって仕方がないのだ。
七連の殴鐘の音を意識の端で聴き、続けて感じる七色の気配をメディスンは無視した。
■
何の案内も無しにアリスが辿り着いたのは、永琳が寝そべりながら読書をしている方のフロアであった。
「珍しい所で遭うわね」
浮遊床に降り立ったアリスは、崩れた姿勢で本を読んでいる永琳に声を掛ける。
「そうかしら、そうかも知れないわね」
生返事を返す永琳。
アリスはそれだけを挨拶とすると、フロアの端に向かって大股で歩いていく。
ブーツの硬い音は、どこか苛立った気配を持っていた。
足音が止んだ。
そこは、先刻パチュリーと魔理沙が消えた辺りである。
永琳の記憶にある扉の位置の目の前でアリスは立ち止まり、何もないはずの空間をノックした。
木のドアをノックする音が2つ響く。 隠蔽されているだけで、そこには扉があるらしい。
〔防護術式パターン 手縫いで出来るデザイン集〕 と題された本から目を離さずに、永琳は気配だけでアリスの動きを視る。
硬音は消え去ったが、応答がない。
再度ノックするアリス。 音が少し強まっている。
それでも応答はない。
どうやら部屋の主は、居留守を決め込むようであった。
舌打ちしたアリスが半身になり構えた。 右足を後ろに引き重心を下げる。
(蹴りか)
立体構造レースの文様に術式を編みこむ方法、という章を眺めつつ、伝わる気配から推察する永琳。
肩に掴まっていた上海人形が、慌てた様子で離れる。
アリスがわずかに体重を前足に乗せた時。
空間が開いた。
「……貴方、最近、力で解決する癖が付いてきているわ」
虚空に現れた扉の向こうから、呆れた様子の引き篭もり少女の声が漂ってくる。
「ようアリス、本の強奪か。 なら仕方ないここで成敗してやろう」
先に出てきたのは魔理沙だった。
「よう、じゃないでしょう!」
一度は止めた足を、再び構える気配があった。
「なんだ、御機嫌よう、とかの方がよかったのかアリスは」
右足を引いたままにアリスが尋ねる。
「あんた、今日の予定は?」
「見ての通り、優雅な読書の時間だな」
当然、と答える魔理沙にアリスの気配が重くなっていくのを永琳は感じている。
「あんた、今日の予定は?」
繰り返す。
「ああ、すまん…・…採掘だったな」
じり、という靴底が床をこじる音に、魔理沙が怯み、気まずそうな表情を浮かべる。
「…今からでも行けばいいじゃない」
遅れて部屋の主が現れる。 その声は、明らかに苛立ちの気配を纏っていた。
「ちょっと特殊な鉱石でな、月の光を当てると変質するから、日の出ているうちに採取しないと駄目なんだ」
「そうね、その説明はしたわ」
ようやく構えを解いたアリスは、腕組みをして魔理沙を睨む。
身長差的に、見下ろす状態である。
「…で?」
パチュリーは口では問う。 半眼は、だからどうした、と告げているが。
「そこまで行くには約3時間はかかるの、ここからだとね」
その視線を真っ向から受け、アリスは答えた。 先約があるのだ、と、退かぬ姿勢だ。
「掘ってる時間を入れると月が昇るな」
不穏な気配を撒き散らす魔女二人に挟まれ、魔理沙はこの場から逃げ出したくなった。
「…一人で行けばよかったじゃないの」
さっさと帰れ、と言外に語っている。
「依頼主が来ないのに、案内人だけで出発できるわけないじゃない」
告げるアリスは、予定がふいになった事と諸々で疲れた嘆息を一つ吐いた。
魔理沙を挟んで、見えない弾幕戦が開始されている。
永琳はこの間、一切口を開いていないが、それは別に巻き込まれると厄介だ、とかそういう考えではなく、
これも教育の一環として見せておくべきかの判断を、決め兼ねていただけに過ぎなかった。
■
『案内人だけで出発できるわけないじゃない』
図書館内の放送が、別の閲覧所の会話をこちらに届けている。
ありていに言って盗聴であった。
それ自体は珍しいことは無いのだが、内容は少々興味をそそられた。
どうやら、あの人形遣いが約束をすっぽかされて、ここまで押しかけてきたようである。
ここの主であるパチュリーなる人物と、揉めている様子だった。
現場には先程訪れたアリスの他に、魔理沙とまだ姿を見ていないパチュリーの3人が居るようだ。
聞こえてくる魔理沙の声は、どことなく困った感じがする。
アリスの声は前に会った時とは違う、攻撃的なイントネーションである。
初めて聴く細い声は、隠す様子もなく不機嫌そうだ。
どことなく不穏な空気が漂う会話であるが、しかし、隣でこれを聞いている小悪魔はどうしようもなくニヤニヤしている。
ノートに、なにやら猛烈な勢いで書き記しているのが見えた。
瞬く間にノートが黒く染まり、ページが激しくめくられる。次のページも瞬く間に黒に侵食されていく。
「どうしてそんなに楽しそうなの?」
メディスンの素朴な質問を受け、小悪魔が正気に戻る。
「あ、あははは、これはですねぇ……」
困った、と全身で告げている。尻尾や羽がせわしなく動いている。
「なんと申しましょうか……」
少し上を見て、頷きをひとつ。
「【もし近付けんと欲すれば、まずは離すべし】 と言った所でしょうか……」
なんだか難しい感じだが、ニュアンスは分かった。
「要は、恋に障害は付き物って事?」
前に読んだ本の知識を転用してみる。
「そう! それ!それなんですよ!」
我が意を得たりとばかりに、メディスンの手をとりはしゃぐ小悪魔。
両手を激しく上下されながら、メディスンは笑顔で思う。
さっきの薄ら暗い笑みは、絶対それだけじゃないだろう、と。
そうこうしている間にも、修羅場は着々と進行しているようで、通信の向こう側の声がヒートアップしてきていた。
「この泥棒猫!」とか「死に損ないの青びょうたん!」など、聞くに堪えない罵詈雑言、というか口喧嘩が届いてくる。
もうすぐにでも、弾幕戦に突入しそうな勢いである。
「ねえ?」
「はい、なんでしょう」
「魔理沙がここに居る事を、アリスが知ったのは偶然?」
これは質問というよりは確認であった。
「さぁー、どうでしょうねぇ」
答えを渋る様子の小悪魔は、わざとらしく腕組みをして思案してみせる。
「ひょっとしたら、魔理沙さんの家に図書館からの督促状あたりが残っていたのかも知れませんねぇ?」
にこやかに、淀み無く出てきた答えを聞いて、二人の魔女の叫声を聞いて、メディスンは閉口した。
……がんばれ、魔理沙。
格別仲がよいという訳では無かったが、友達になってやると言ってくれた黒衣の魔法使いに、少し同情した。
『メディ、聞こえる? ちょっとこっちは賑やかになりそうだから、もう少ししてから戻ってきなさいね』
突然、永琳の声が届いた。 どうやら現場にいるようだ。
その声の様子から、メディスンは想像してみる。
今の永琳は、絶対にいつもの笑みを浮かべている、と。
隣では小悪魔が驚いていた。
大方盗聴しているのに気が付かれていた事にだろうが、この手のやりとりは、永遠亭では永琳とてゐの間で見られる程度の事であった。
【――!】
【――!】
二つのカード解放の気配が図書館の闇を駆け抜けた。 とうとう始まったらしい。
■
二人の魔女がカードを叫ぶ、その少し前。
案内された管財課で、集金と今月分の支払いの期限などを確認していた鈴仙の元に、一人の人物が訪れた。
「お仕事ご苦労様」
言葉に振り向くと、そこには泣く門番も黙る紅魔館のメイド長、十六夜咲夜の姿があった。
相も変らぬメイド服姿は、隙無く立っている。
鋭さを含んだその笑みは、普段抜けているといわれる鈴仙にとっては目標となるものでもある。
「あ、どーもー」
軽く会釈を返す鈴仙。
仕事で紅魔館に来る機会のある身であるので、さほど珍しい対面でもなかった。
「悪いわねぇ、なんだかお土産貰っちゃったみたいで」
ああ、その事か。 咲夜がくだけた口調で話すので、鈴仙もそれに合わせることにした。
「いいよ、礼なんて。 今、師匠が図書館借りてるし、ここはお得意様だし」
そう笑みで返す鈴仙の口調には、組織の管理運営に関わる者同士の気安さがあった。
自発的な休暇をほとんど取らない咲夜であるが、交流のある白玉楼や永遠亭の苦労人達とは、ごく稀にだが酒を酌み交す事が有るのだ。
「でも、いいの? こんな所で」
油を売ってて、と言いかけて鈴仙は止めた。 このメイドには時間の概念は通用しないのだ。
「まぁ、忙しいには忙しいけどね。 そろそろ夕方だし」
にこりと微笑む咲夜、どこまでも余裕を感じさせる笑みだ。
ここの主は種族的に、これからが目覚めの時間だ。
うちの主は自発的に、これからが目覚めの時間だ。
意識がため息をついた。
いやいや、姫に仕事をさせるような事こそ、従者にはあってはならない事。
いつものように鈴仙は自分に言い聞かせた。 いっそ鏡でも見ながらやろうか。
最近時々そう思うようになった。
「貴方のところの野菜、うちでも評判いいのよ?」
その台詞を足がかりに、鈴仙は立ち直った。
「そりゃあ、うちは健康第一で通してますもん、食にだって気をつかいますともさ」
てゐの徹底した管理の下、永遠亭の農作物は高い栄養価を誇り、味も抜群の主力商品でもある。
「まだかかるのかしら? 図書館の方は」
「どうかなー? 今日は師匠の調べ物って言うよりは、メディの課外授業みたいなものだし」
「あら。 あの人形ってそんな事してたのね」
予想外だったのか、意外だと言わんばかりの咲夜。
「最近は、師匠がいろいろ教えて、あちこち連れ歩いてるわ」
「妹弟子みたいなものかしら?」
「んー、薬学なんかを教えてるって言うよりは、純粋に社会勉強っぽいけどねぇ」
腕組みしつつ答える鈴仙。
「どういう風の吹き回しかしらね」
「いろいろあるのよ、天才の頭の中には」
鈴仙も直接説明を受けた訳ではなかったが、師がメディスンを永遠亭に招き、客人以上の扱いをしている事については、なんとなく想像がついていた。
誰の為、ではなく、永遠亭の為、であろうという事。
「そう、か……八意もいるのね……」
思案顔の咲夜であったが、その思考は館内放送によって遮られた。
『メイド長、図書館内にて弾幕戦発生。 パチュリー様とマーガトロイド様、原因は魔理沙かと』
「推察で状況を述べるのはよしなさい。 おそらく確定だろうけど」
『了解です。 図書館担当からの報告では、初手でロイヤルフレアが飛び出したそうです』
その報せを聞き、瞬く間に咲夜は険しい顔になる。
どうやらあのもやし娘は、今日は絶好調らしい。 細い指でこめかみを揉み解す。
「……ファイト、メイド長」
声をかけにくかったが、それでも鈴仙は控えめに励ました。
このテの騒動は、永遠亭の兎達の間でもお目にかかる類の問題であるが、術者の力量が桁違いである。
兎の喧嘩と、精霊魔法の秘奥炸裂を同列には扱えない。
「ええ、そうね。 でも、修羅場にメイドが割って入るのってアリなのかしら?」
「私に聞かないでよ……あ、師匠が居るはずなんだけど、大丈夫かなぁ」
「殺しても死にはしないでしょうに、貴方の師匠は」
なにを言うか、と表情が言っている。
「そうじゃなくって。 変に話がややこしくなってないといいけど……」
訂正しつつも、苦笑いと伏せきった耳は、鈴仙の心情を明確に表していた。
「貴方も来なさい」
濁る言葉尻を断ち切る言葉は命令であった。
「う、うん。 出来る事、あんまりないとは思うけど」
顔をあげた咲夜には、先程見せた苛立ちの表情はなく、完全瀟洒なメイド長のそれとなっていた。
エプロンの紐をなびかせ、扉に向かい屹然と歩き出す。
■
叫び声とスペルの応酬をBGMに、小悪魔は依然なにやら凄まじい勢いで書き物をしている。
嬉々としているが、どこか鬼気迫るものがあったので、メディスンは声をかけられないでいた。
永琳達がいる閲覧所はさほど遠くないらしく、時折、本棚の影から閃光が見えたりもする。
メディスンは、アリス、パチュリー共に戦っている所を見た事が無いので、そういう意味での興味はあった。
だが、最初に見えた紅い閃光と、体躯を打ち震わせる爆音を思い出すと、どうにも足が進まないでいた。
無差別開花の際に幾人かの人妖と手合わせをしたが、あんな凄まじい光と音は記憶になかった。
遠雷に似た、こもったような轟音が響く。
パチパチと何かが弾けるような音が届く。
チカチカと瞬き、消える光。
束ねられたまま書架の間を走り抜ける強い光。
そこには闘争があった。
小悪魔は動こうとしないが、本棚なんかは大丈夫なんだろうか?
永琳は間近に居るはずだが、大丈夫なんだろうか?
【――!】
新たな声音がカードを叫んだ。 永琳ではない。
「あれれ、魔理沙さんまで」
小悪魔の零した小声を拾ったメディスンは、いよいよ落ち着かなくなってきた。
状況は悪くなりこそすれ、解決に向かっていないのではないか。
そわそわと、閲覧所の床の淵に立っていたメディスンであったが、
「あなた、見ない顔ね」
背後から声を掛けられた。
すぐ近くから聞こえたそれは、小悪魔の声……ではなかった。
え? と振り向くと、そこには先程まで居なかった少女が立っていた。
にっこりと、顔全体で笑う感じの笑顔は人懐っこく、釣られて笑いそうになった。
白の帽子から零れる金砂の髪は、片側だけくくられている。
紅い館にあって、初めて目にする紅い服。
そして何より目を引くのは、薄闇の中でも輝く七色の羽のような――
「あ!」
椅子を蹴倒して立ち上がる小悪魔の驚く声。
『フランドール様! いつの間に!』
館の全域に響く放送の声は、緊急時に用いられる最大範囲での放送である。
これが届かない場所は、館の内部では無いと言っていいレベルの物であった。
それに反応したのか、BGM代わりになっていた戦いの音がぴたりと止んだ。
直後、事態を理解出来ていないメディスンの前に、人影が現れていた。
鈴仙の襟首を掴んで提げているのは、この館で、銀の刃の所持を許された唯一のメイド。
「ありゃ、咲夜だ」
「ありゃ、では御座いません、フランドール様」
咲夜、と呼ばれたメイドが答える。 その姿にはメディスンは見覚えがある、気がした。
「え? なに? ここどこ?」
今ひとつ状況の把握出来ていない鈴仙が、咲夜に提げられたままキョロキョロと見回す。
「図書館よ、ちょっと近道したの」
鈴仙を解放しつつ、咲夜が答える。 美鈴くらい慣れていれば取り乱すこともないのだろうが、と内心で判断する。
「ねえ咲夜、その子だぁれ?」
手に持っている捩れた杖のようなもので指された。 それだけでメディスンは動けなかった。
「こちらは、永遠亭からのお客様でメディスン=メランコリー様で御座います」
気にした様子も見せずに紹介する咲夜は、次いでメディスンに振り向き、
「メディスン様。 こちらが当家ご当主レミリア=スカーレット様の妹君、フランドール=スカーレット様で御座います」
妙な敬語に挟まれた妙な紹介だったが、メディスンにはそんな事を理解している余裕はなかった。
「よろしくね、メディスン」
にっこり。
「よ、よろしく」
おずおず。
挨拶は辛うじて出来た。 が、そこまでだ。
見たことが無い、という点はここの館に来た時から数える程にもある事だが、目の前の紅い少女から発せられる波動。
向日葵の花畑や、紫の桜の光景が、毒で満ちたメディスンの思考中枢を掠める。
それは、数える程にも体験した事の無い規模の物であり、体験した事の無い質の物であった。
隠そうともしない破壊の気配に、妖としての本能が警告を発している。
それに関わってはならない、と。
関われば破滅が訪れる、と。
「ご紹介が済んだばかりでは御座いますが、フランドール様にはお部屋にお戻り下さいますようお願い申し上げます」
「えー。 さっき出てきたばっかりなんだけどなぁ、なんだか魔理沙達も居るみたいじゃない?」
深々とお辞儀をしてみせる咲夜に、不満な様子を隠そうとせず、フランドールと呼ばれた少女は宙に浮いたままで胡坐をかく。
ゆらゆら、ひらひら、と背中の歪んだ宝石の枝が揺れる。
「パチュリー様は現在お取り込み中です。 用件が済み次第、魔理沙をお部屋に手配いたしますので」
「……魔理沙、昨日から居るのに来てくれてない~」
「可及的速やかに対応いたしますので」
「いいよ、そこにいる子と遊ぶから♪」
ギワリ、と禍々しい笑みを浮かべ、メディスンを見るフランドール。
「……!」
話題の矛先が自分に向いた事に恐怖を感じたメディスンは、思わず後ずさる。
頼れる銀髪の薬師は、今ここには居ない。
「おいおいフラン、ちょっと待て」
助けの声は思ったよりも早かった。
望んでいた者とは違う声に振り向けば、そこには少しばかり焦った様子の魔理沙の姿と、
「そうね、メディスンにはちょっと荷が重いと思うわ」
同情を滲ませる口調のアリスも見える。
「…そこの七色泥棒猫なら貸し出すわ」
不機嫌そうな声の主は漂いながらやってくる、あれがパチュリーだろうか。
「なによ! まだやろうっての!?」
「…腕の一本も無くさないと分からないみたいね…!」
額を押し付け合い、まるで山羊の喧嘩のような力比べを始める二人。
前髪が額に跡を残し、首の骨が軋みだしたその瞬間。
お互い手にした極厚の魔道書で、高速の打撃を繰り出した。
風を切る音と共に、図書館の闇に数本の髪が舞う。
双方、オーバースイングで振り回しているにもかかわらず、本の形状が霞む速度である。
それを受け、いなすのは、盾を手にした紅い人形と、
【盾よ】 「え ちょ!?」
左手で襟首を掴まれた小悪魔。
撃音が響き、暴風ような打撃の応酬が始まった。
しかし、
「楽しそうなのはいいが、とりあえず後にしとけ」
魔理沙が、一瞬の動作で二人の魔女の間に割って入る。
手は、それぞれの顔面をホールドしており、一枚の励起状態のカードが、浮いている。
「DOUBLE SPARK……?」
半泣きで回し受けの構えを取っていた小悪魔が、術者のGOサイン待ちで輝いているスペルを読み解く。
「まったく、図書館で暴れるなよ」
当事者以外が全て「お前が言うことか」という目をしていたが、魔理沙は気が付かない振りをした。
ここ紅魔館には、一つのしきたりがある。
訪れたた者は、館の客分として相応しいか試されるのである。
試験官は門番であったり、メイド長であったりとまちまちだが、その者の運で館の主が出てくる事がある。
夜に来れば主であるレミリアの相手になることが多いが、退屈を持て余しているもう一人の魔王が時折機嫌で現れるのだ。
稀な事であるのは事実だが、それは幸運なのか不運なのか。
メディスンの試験、とも言えなくないが、結果は想像するに忍びない。
自分たちの関与している所で、公開処刑などはまっぴら御免だった。
「えぇ~。 せっかく遊べると思ったのにぃ」
ぶー、と頬を膨らませるフランドールに魔理沙はニヤリと笑みを浮かべる。
「なにも遊ばない、とは言ってないぞ。 ただ、遊び相手を少しばかり変えてみないか?」
自分を庇うかのような魔理沙の発言に、メディスン内の魔理沙株が上昇した。
「そうね、団体戦なんかどうかしら?」
魔女達のかしましさに霞んでいた永琳であったが、居合わせた全員の視線を受けると、自分の意見を質問として放った。
提案する、その視線の先、中央の集団を挟んだ反対側に、一人の少女。
「……随分賑やかね……おちおち寝てもいられないじゃない」
この館の主、レミリア=スカーレットの姿があった。
癖の有る青味を帯びた銀の髪、深紅の光を集めて精製したような瞳。
一同を睥睨する幼い顔立ちは、そこにいる金髪の破壊神と良く似ていた。
寝起きであるはずだが、身だしなみには一切の隙が無い。
鈴仙の隣に立っていたはずの咲夜が、レミリアのすぐ脇に影のように控えていた。
気だるい雰囲気を纏ったレミリアは、紅い翼で闇をゆるやかに斬りつつ、輪の中心に進み出る。
「で? これだけ集まって何が始まるというのかしら?」
片目を細め、腕組みをして、ゆっくりと見回す。
パチェ、魔理沙、アリス、少し離れて八意。 兎に、見慣れない奴。 フラン。 ここの司書。 隣に咲夜。
……ここも賑やかになったものだ。 と、内心で苦笑するレミリア。
「お姉さま、弾幕しましょ、弾幕」
フランドールが早速提案する、自分の意見を曲げるつもりはないらしい。
最愛の妹の意見を軽く流しつつ、先程聞こえた気になる単語を拾う。
「八意。 団体戦、と言ったな」
高い位置に居るレミリアは、身長のある永琳を見下ろす。
「これだけ人数が居るんですもの、普段と違う趣向は如何かしら?」
挑戦的な視線のままに、永琳は答える。
一枚の絵のように動かない咲夜とは対照的に、鈴仙は落ち着き無く永琳の様子を伺っていた。
「ふむう」
これだけ実力者が揃っているのに、ここで解散などさせようものなら、妹は絶対に癇癪を起こす。
それに、自身も最近あまり暴れていない。
少し前は花見の宴会でやんちゃもしたが、ここ一月くらいは碌に外出もしていなかった。
いろいろ知っていてなお、決定権をレミリアに委ねる永琳の笑みは気に食わなかったが、それとこれとは話は別だ。
レミリアは唇の端を釣り上げる。
「面白い。 悪くない提案だ」
腕組みを解く事無く、鷹揚に頷く。
それは、変則弾幕ごっこの承認であった。
「やったぁ! 流石お姉さま、話が分かるわ!」
手を叩いてはしゃぐフランドール。
「的が多くても私は構わないぞ」
床に飛び降りた魔理沙は、箒を槍のように回し先端で強く床を打ち、立てる。 乾いた快音が一つあがった。
なあ?、と背後の二人に同意を求める。
その声に、パチュリーは渋い顔をした。
「…埃がたつから止めなさい」
「なんで私も参加する事になってるのかしら?」
アリスも渋い顔をしている。
どんどん話が進んでいくが、メディスンは付いていけていない。
混乱し始めた思考で、決意表明をしていく一同を見る。
紅い矛先から逃れた事だけが、頭の中にある。
「じゃあ、メディは私達とね」
降りてきた永琳が、メディスンの後から抱きつく。 頼もしい暖かさにメディスンは安堵を覚えた。
その様子は仲の良い姉妹の様子それとも取れたが、両者の身長差は著しく、人形少女の頭に柔らかさを伴った重みが乗る。
何気ない仕草であったが、その光景に一同の動きが止まった。
頭上の、ゆっさり、という動きに照れくささを感じて、メディスンは身じろぎする。
傍観者であった小悪魔は、図書館の気温が一気に下がった、ように感じた。
「がんばろうね、メディ」
殺意の篭った視線に気付かないままの鈴仙は、暢気にメディスンの両手を握り激励していた。
「え? え?」
自分の周囲に突如荒れ狂いだした心の毒と、危機感を感じさせない鈴仙の笑みに温度差を感じる。
そんな中メディスンは、未だ自身の置かれた状況を把握できないでいた。
「迷子にすつもりか?」→「迷子にするつもりか?」
×ノゥレッジ
○ノーレッジ
誤字指摘は私的には微妙な領域です。
さて新作は三人娘ではなく小さなお人形さん主体とは驚き。
メディの声を線の細い声優さんに脳内変換して悶えさせていただきました。
妹様登場で肝を冷やしたのは私だけではないはず。このまま一気に後編も読んじゃいます。
ヴワルの意思はホンマ計り知れないわぁww
……と思った俺は結構な年寄りなんだろう。嗚呼
初心者が配置図だけで突入すれば、迷子になるのは自明の理だしな。
がんばれメランコ。
もはや改行位置と文章量について考える事を諦めつつある今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こんにちはこんばんは鼠で御座います。
では、コメント返しなどを。
>>Aliasfill氏 ご指摘ありがとうございます。 追記にもある通り発音を意識しているフリです。 全部やると巻き舌の人みたいになるので止めましたが。
「フグタくぅん」みたいな。
>>てきさすまっく参拾弐型氏 本当は図書館の話を書くはずだったんですけどねぇ…
美鈴、小悪魔、パチェ、咲夜、とステージ順に出しているので、もうここまで来れば、フランが出るのは確定だろう、と。
>>菊氏 もう戻れませんね?
解放物ってので、真っ先に出てきたのがコレだったんですよ。
>>真十郎氏 神秘の大ヴワルが、急に身近な物に感じられますね。 台無しとも言います。
イメージ的には半卓(1サークル)が本棚一つ。万を数える本棚の群れ。 それが回ごとに階層を作っている感じ。
>>名前が無い程度の能力氏 シなので壁っぽいですが。
今度の夏の戦場は、紅魔郷4面を意識してみるといいかもしれません。 かすりまくりです。弾(男)幕に。
>>あがが氏 ああ!そうですね! 確かにそっちの方が幻想になってるっぽい! 不覚!
…でも、あまりの暑さと湿気で雲が出たとか、そんな伝説まで受け継いだ図書館はちょっと嫌です。 そんな私も年寄りの仲間。
>>名前が無い程度の能力氏 まあ、戦場ですし。 配置図片手に不案内で飛び込み、軽く捻られて帰ってきた、そんな夏の記憶。
なんだかイベント関連のレスになってますか。
私も紅魔郷面を初めて見た時は、本棚が浮いているものと錯覚しました…
あと、師匠、人んちでくつろぎすぎw
各人物の動きのある描写がとても(・∀・)イイ!と思います。