「なんだって! アリスが孤独死!?」
朝の霧雨亭に魔理沙の悲鳴が響いた。
「なんてこった! まさかそこまで追い詰められていたなんて! けれど安心しろ、お前のコレクションは私が活用して--」
「チガウチガウ。アリスシンデナイ!」
芝居がかった大げさなアクションで嘆く魔理沙に金髪の小さな人形、上海人形が突っ込みをいれた。
人形だけあって無表情だが、手をばたばた振っていささかご立腹のようだ。
「ソレニコドクチガウ。ムシノドク」
「なんだ。紛らわしいぜ」
「シャンハイチャントイッタヨ」
「発音が平坦すぎるぜ」
「シャンハーイ……」
がっくりうなだれる上海人形。
これだけ動くとまるで生き物だが、あくまで彼女(?)は作成者であるアリスに付与された魔力によって動いているに過ぎない。
アリスはまだ完全に自律稼動できる人形を作る程の技術を持ち合わせてはいなかった。
魔力が切れれば、とたんにただの人形に成り下がる。
それを防ぐため定期的に魔力を補填してやる必要があった。
そんな上海人形がまだまどろみの中にいた魔理沙をたたき起こして開口一番、
「アリスガコドクニヤラレタ!」
……そりゃ、勘違いもする。
「ふーん。しかし蟲、ね。あいつも間抜けだなあ」
自分ほどではないが、それでもアリスもそこそこの魔法使いだ。
それがたかが蟲ごときに不覚をとるとは。
「一体なににやられたんだ」
「アカイアリ」
「あり? 蟻?」
「ソレ。コーンナオオキイノガオソッテキタ」
と精一杯手を広げて大きさを強調するが、上海人形が小さいせいで実際はどれほどのものか検討がつかない。
上海人形より大きい程度なのか、もっと大きいのか。
どっちにしろ、そんなでかい蟻が幻想郷にいるとは知らなかった。
「そもそも何で朝っぱらから森なんてうろついてんだか。あいつは”いんどあ派”って奴だろ」
「キノウ、タイジュウケイノウエデアオクナッテタ」
「……なんだかなあ。」
本当に間抜けな奴だ。
「それで私にどうしろと」
「アリスタスケテ」
「まあそうなるか。しかたないな。とりあえず行くだけ行くぜ」
「シャンハーイ」
そういうことになった。
問題の少女は自宅のベッドで息も絶え絶えの体で寝込んでいた。
戸の開く音に首を傾ければ、その先にいたのは白黒の魔法使い。
「魔理沙……、なん、であん……たが……」
「おいおいご挨拶だな。寝る時間を削ってまでお前の様子を見に来てやったていうのに」
「く……! よけい、なお世話……よ」
はぁ……はぁ……。
強がるが、明らかに呼吸が弱々しい。
道すがら上海人形から聞いた話では、紅い蟻の毒を浴びたアリスは、どうにか追い払うことには成功し方々の体で家へ戻ってきたが、そこで力尽きたらしい。
人形達で手当をし、服を着替えさせたまでは出来たが、一向に良くなる様子は見られない。
だから上海人形が魔理沙を呼びに来たのだ。
「まあそう言うなって。どれ、ちょっと見せてみな」
「え、ちょ……なにするつもり!?」
「なにって、検査だぜ」
「検査!?」
「触診とかだな」
「触診!?」
「おう。動くなよ」
「動くなよ!?」
「アリスオチツク」
魔理沙の左手がアリスのあごに這わされる。
その暖かな感触に、鈍っていた心臓の鼓動が一気に跳ね上がった。
「ま、魔理沙……」
「力を抜きな。力むと痛いぜ」
ドキドキドキドキ……
(私が抵抗できない事をいいことに……! そんな、心の準備が……いやでも魔理沙になら……ええーい!)
どうにでもなれ!
ギュっと目を閉じるアリス。
魔理沙の右手が頬に伸びる。
二人の後ろでは上海人形が「キャー」と手で顔を隠し、それでも指の隙間からのぞき見ていた。
そして魔理沙の手がアリスの……
ムガ。
「……まぎあ?」
「喋んな。」
顎から噛み合わせにねじ込まれた指が強引に隙間を開いた。
僅かに開いた口に右手を、さらに左手も突っ込み両手を歯にかけこじ開けた。
「むがが!? むがー!?」
「だから喋んなって。見えないだろう、が!」
ごぎ。
「むぎゃーー!!」
「アリスーー!!」
なにか鳴ってはいけない鈍い音と共にアリスの口が完全にこじ開けられた。
「ほほう。ははーん。なるほど。これはこれは」
「あうあう……」
涙を流すアリスの口を隅々まで余すことなくねぶり見た魔理沙は、持てる知識を総動員して結論を下した。
「ようわからん。」
「むがーーーーーーー!!!!」
「怒るなよぅ」
「怒るわよ!」
上海人形に顎をはめてもらったアリスが叫ぶ。が、すぐにへなへなベッドにしなだれた。
「あうぅ……」
「騒ぐからだぜ」
「誰の、所為、よ……。大体、毒、食らったのは……手、よ……」
ほら、と包帯の巻かれた左手を見せた。人形達が巻いたというそれはあまり上手ではない。
制御者がこのざまなのだから仕方ない。
人形とて直接アリスの支配下に無い限りはそこまで細かい作業は出来ないのだから、頑張ったとは言える。
「なら最初からそう言えっての」
「いや、まあ、ねえ……」
「なに考えてんだかな」
火傷のようにただれた手の甲は見ていて痛々しい。
しかしその程度ならあとで魔法薬と治療魔法でなんとでもなるだろう。
問題は既にアリスの体内に進入してしまった毒だ。
あいにく、毒は専門外だ。
「うーん。私じゃ手に負えん。よし。あいつを呼ぶか」
「あいつ……?」
「あいつだ。例のあれやるぜ」
「まさか」
魔理沙の言葉にアリスの顔が曇る。
まさか前に「香霖がやってた」という『アレ』なのか。
「いいか? こう右腕をん! て上げて」
「い・や・よ」
「おいおい。我侭言ってられる状況か? はやく手を打たないとどうなる事やら」
「それは……そうだけど……」
「じゃあいいな? いくぞ!? せーの!」
--ああもう判ったわよ!
「えーりんえーりん助けてえーりん!」
えー、で腕を振り上げ、りん、で振り下げるアリス。
そう、アリス一人だけ。
魔理沙は赤くなりながら一生懸命腕を振るアリスをニヤニヤ見ていた。
「うっわホントにやりやがった。恥ずかしい奴」
「殺す!」
殺意に満ちた目で掴みかかろうとするが、今のアリスは病弱少女。
結局ベッドから転げ落ちただけだった。
「はぁ……はぁ……頭、痛い……」
「アリスシッカリ!」
「なにやってんだか。あんなので来るわけ--」
「人の名前で遊ばない」
「おおう。本当に来ちゃったよ」
唐突に魔理沙の後ろに立っていたのは、幻想郷一の薬師こと八意 永琳だった。
今まさにアリスが恥をかいてまで呼ぼうとした人物だ。
ぐったりと力ないアリスをベッドに戻しながら永琳は魔理沙をたしなめた。
「駄目じゃないの、病人に無理させちゃ」
「そうは言うがな、永琳。つうかなんでここにいるんだ? 電波届いた?」
「そんなわけ無いでしょ。この子が呼びに来たのよ」
「ホウラーイ」
永琳の影からしずしず歩み出たのは黒髪で和装という出立ちの蓬莱人形。
彼女(?)もまた上海人形同様アリスに魔力を付与された内の一体だ。
「なるほど。ま、普通はそっちに行くよな」
ガガーン。
感心した魔理沙の一言が上海人形に突き刺さった。
「シャンハイダメナコ……シャンハイダメナコ……」
「シャンハイイイコ。シャンハイイイコ」
地面にのの字を描き始めた上海人形と、頭をなでなでして慰める蓬莱人形。
姉と妹のような姿が妙に人間くさい。
「……なんというか、凄くよく出来てるわね」
「まあ、それは良いからさっさとアリス見てやってくれよ」
魔理沙に促され、永琳は鞄から診察用の道具を取り出し、症状の検分をはじめた。
アリスも永琳の腕は知っているので、おとなしく診るに任せていた。
もっとも、さっきので本格的に動く気力すらなくなってきていたのだが。
「ふむ、これは手持ちの薬じゃ無理ね。こうなるといっそ」
「いっそ安楽死させた方が良いってか--あた!」
「アリスコロスナ!」
ぽかぽか。
「いた! 嘘、冗談だって! いたた」
「マジメニヤル!」
「わかったわかった。それでいっそ、なんだって?」
「ナンダッテ?」
「いっそアリスを襲った蟲から毒を採取して血清を作った方が確実ね」
「解毒薬ぐらいちょちょいと作れないのかよ。天才なんだろ?」
「ナンダロ?」
「天才だけど、蟲の毒はあんまり手元に無いから研究不足なのよね。花の毒は最近充実してきたんだけど」
「やれやれ。天才ってのは肝心な時には凡人だな」
「ダナ」
「天才だから肝心な時でも凡人に踏み止まれるのよ」
「自分で言うかね。自惚れめ」
「ウヌボレメ」
「帰るわよ?」
「ゴメンナサイ」
「だが私は謝らない」
「ウェッ!?」
「あーはいはい。どうでもいいわ」
いちいち魔理沙の言うことにマジになっていたら、話がいつまでたっても進みやしない。
「そうすると、まずはその蟲を探さないとな」
「そうね。アリスが襲われた場所、覚えてる?」
アリスがとても喋れそうな状態ではないので、頼みの綱は二体の人形。
今度こそ役に立とうと上海人形は張り切ってそれに応えた。
「シャンハイオボエテルヨ。バッチリ!」
「ケレド、アノアトドコカヘイッテシマイマシタ。タブンモウイナイデス」
「シャンハーイ……」
「シャンハイハワルクナイヨ」
どうもさっきから上手くいかない。まるで役立たずだ。
またしょんぼりする上海人形。その背をぽんぽん叩いて慰める蓬莱人形。
アリスがあんなに苦しんでいるのに。
どうしたら役に立てる?
「そう。困ったわね。家の姫様に頼んで因幡達を使わせてもらおうかしら」
そんな危険な蟲がうろついてるとなれば、永遠亭といえどもまったくの無関係とは言えない。
永遠亭のある場所は竹林の奥深く。魔法の森ほどではないが、蟲にとって居心地は悪くないだろう。
さすがの姫とてそれを断ることはしない。……と思う。たぶん。きっと。おそらく。
いまいち自信の持てない永琳だった。
しかしそんな永琳を他所に、魔理沙は自信たっぷりと、
「それには及ばないぜ」
「あら。何か当てがあるの?」
「ああ。蛇の道は蛇。餅は米屋。蟲は蟲師だぜ」
「微妙に違う気もするわね。まあ、どうするかは解ったけど」
「そうと決まれば善は急げ。ひとっ飛び行って来るぜ」
「頼むわね。私は出来るだけ毒の進行を遅らせてみるわ」
「おう、頼んだぜ」
永琳に応え、部屋の窓を開け放って飛び立とうとした魔理沙の肩に何かが飛び乗ってきた。
「シャンハイモイク!」
「あーん? 行くって言ってもなあ」
「シャンハイモ、アリスタスケル!」
危ないから大人しくしてな。
そう言おうとした魔理沙だったが、上海人形の無表情ながらも真剣な気迫に止められた。
必死に自分の目を見て訴えかけてくる上海人形。
なぜそんなにまでしてついてきたいのか。
……ふっ。
そんなこと、考えるまでも無い。
魔理沙は口の端を歪ませた。
「しっかり掴まってな。落ちても知らないぜ?」
「シャンハーイ!」
「んじゃ、しゅっぱーつ!」
勢いよく一人と一体は空へと飛び立った。
それを見送る蓬莱人形と永琳は無事と早い帰還を願う。
「シャンハイ、ガンバッテ!」
「急いでね。正直、あんまり芳しくないわ」
さて、と永琳は治療に取り掛かった。
「……て、勢いよく出てきたは良いけど、あいつって何処にいるんだ?」
「シャンハイシラナイヨ」
アリスの為に旅立った魔理沙と上海人形はいきなり道に迷っていた。
「ま、あいつの方はそうウロチョロしないだろ。前に会った所に行ってみるかな……ん?」
「アレアレ」
襟をクイクイ引っ張られた魔理沙が、上海人形の指す方を見やると、そこにはとことこ歩く影。
ほう、とニヤリ。
「丁度良いところに丁度いいのがいたぜ」
言うなり急降下をかける魔理沙。
必死にしがみ付いてる上海人形にとっては堪ったもんではない。
「シャンハーーーーーーーイィィ!!」
「ちゃんと掴まってろよ!」
全力で突っ込む魔理沙の先にいるのは。
「え。なにちょ、こっち来る!?」
「彗星「ブレイジングスター」!」
ごおおおおおお!
「うきゃああああああああ!!」
いきなり黒い彗星になって突っ込んできた魔理沙に吹っ飛ばされたのは、青い妖精。
たまたま森を散歩していた氷の妖精チルノだった。
「い、いきなりなにすんの……」
「おおっと悪い悪い。つい勢いで。てへ☆」
「ふざけんな!」
「そんなことより、聞きたい事があるんだ」
「……なにさ」
「リグルが何処にいるか知らないか?」
「リグル? そういえばここ二三日見てないな」
ふむ。と記憶をたどるチルノ。
真面目そうな顔しているのがかえって可笑しい。
「うーん。なにかあったのかな。ちょっと様子見にいってやるか」
「家知ってるのか?」
「もちろん。あんたも行く?」
「もちろん。そのために来たんだからな」
「モチロン。シャンハイモ」
「あっそ。んじゃついて来なよ」
「へえ。アリスが最初に作ったのが上海人形なんだ」
「ソウダヨ。シャンハイミンナノオネエサン!」
「の割には蓬莱人形の方がしっかりしてるな」
「シャンハーイ……」
道すがらの雑談は上海人形のことが中心になった。
なにしろ今まで上海人形と話す機会なんて無かったのだから、自然な流れだった。
自分のこと、『妹』達のこと。そして、アリスのこと。
楽しげに語るその姿は、人間の少女そのものだった。
「あ、見えた。アレだよ」
件のリグル・ナイトバグ宅はやはり森の中にあった。
適度に湿った空気と土壌が心地よいらしい。
肝心の家はといえば、森の中でも特に大型の樹をくりぬいて作られていた。
一見しただけでは見つからなかっただろう。
「なかなか趣のある家だな。蟲の癖に」
「まあ蟲だからねえ」
言いつつ戸をノックするチルノ。
「リグルー? いないのー?」
こんこんこん。
……返事は無い。
「あれー?」
「イナイノカナ」
「なにやってるんだ。こうするんだよ」
首をかしげるチルノに替わり戸の前に立った魔理沙は激しく戸を叩いた!
「おい私だ入るぞいいかいいなじゃあ入るぞ」
ごんごんごんごんごんごんごんごんガッ!
「ちょっと、ドア壊すなよ」
「イーケナインダイケナインダ」
「気にすんな。出てこないのが悪い」
「本当に留守だったらどうすんの」
「留守なのが悪い」
無茶苦茶な理屈を吐いてずけずけと他人の家に上がりこみ奥の一室を目指す魔理沙。
初めてでも勝手知ったる他人の家。
伊達に紅魔館に侵入を繰り返してはいない。
樹をくりぬいてるだけあって全体がそう広くも無いせいもあるが。
「入るぞ!」
「オジャマシマス!」
言って魔理沙が扉を開け放つ。
その部屋は真っ暗だった。
小さな窓しかない上、それもカーテンで覆われていた。
果たして、目当ての妖怪はそこにいた。
蟲を操る程度の妖怪、リグル・ナイトバグは部屋の隅でがたがた震えて布団をかぶっていた。
「リグル……?」
「ひえええぇぇぇ」
異様な光景に声をかけたチルノにすら情けない悲鳴をあげるリグル。
なにかに異常におびえているようだ。
「ちょっと、どうしたのリグル。あたいだよ、チルノだって」
「……チルノ? 本当に? 嘘つかない?」
「嘘だぜ」
「ひえええぇぇぇ」
「こら魔理沙!」
「イジメチャダメ!」
「わかったわかった。なんだよ二人して」
ちぇ。ちょっとからかっただけだろ。
拗ねる魔理沙を他所に、チルノと上海人形はまたがたがた震えだしたリグルをなだめすかしていた。
「どうしたのさリグル」
「コワイメニデモアッタノ?」
「蟻が……紅い蟻が……言うこと聞かずに……」
「お、それだ。それについて知ってること洗いざらい話してもらおうか」
「ひええぇぇぇぇ」
「魔理沙は黙っててくれ」
「ダマッテテクレ」
「へえへえ。黙ってますよーだ」
お口にチャック。
まったく、と魔理沙を黙らせてから、チルノはふと気になった。
「なに、あんたら紅い蟻を探してるの?」
「ソウダヨ」
「……」
「それならあたいも見たよ」
「ホントウ!?」
「……」
「うん。あんたらに会うちょっと前。でっかいし危なさそうだし、無視したけど」
「ムシダケニ?」
「お、上手い事いうじゃん。あははは」
「アハハハ」
「……」
「……」
「……」
「……なんか言えば?」
「え~。だってぇ~。黙ってろって言われたしぃ~」
「うわムカツク」
「アテツケヨクナイ」
ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー
「……私、忘れられてる?」
隅っこで震えていたリグルは、その光景を見て、急にバカらしくなった。
考えてみれば、あの蟻がここまで来るわけ無いじゃない。
何を怯えてたんだか。
立ち上がり、部屋を閉ざしていたカーテンを開け放つ。
久しぶりの太陽が目に染みる。
う~~んと伸びをしつつ、「うお、まぶし!」とか言ってる魔理沙に問う。
「んで、私になんの用なのよ」
「あーん? なんだっけ」
すっ呆けたその台詞に、背景にゴゴゴゴゴゴ……と浮かびそうな気配で魔理沙に迫る上海人形。
無表情なだけに、妙に迫力がある。
「サスガノシャンハイモ、ソロソロキレルヨ?」
「紅い蟻の居場所知らないか?」
「……まあ良いけど。」
変わり身の早さにジト目になるリグルだった。
「その赤い蟻だけど、正直よくわからないんだよね」
「わからないのか」
「ガッカリ」
「しょせん蟲よね」
「いやいやいやいや。居場所はわかるよ。あれも一応蟲だから。ただ」
リグルの口がわずかに淀む。
「ただあれ、どうも幻想郷の蟲じゃ無さそうなんだよね」
「へえー。そんなの居るんだ」
「うん。外来種、てやつ? 最近少しずつ増えてきたみたい。困るんだよねえ、あれ。生態系が崩れちゃう。言うことも聞かないし。」
「私には関係無い話だな」
「そうでもないよ。蟲も人間も同じ幻想郷に生きる生物だからね。いつか影響が出てくるよ」
「いや、もう出てるな」
「どっちよ」
「アリスがその蟻にやられたんだよ。襲われて毒を貰ったらしい」
「そーなのかー」
「? いま誰か居たか?」
「シャンハイ?」
気のせいか。
「ともかく、治療するのにその毒が必要なんだよ」
「なるほどね。わかった。探すの手伝ってあげるよ」
「シャンハーイ!」
「助かるぜ」
「私も舐められっぱなしって訳には行かないからねえ」
くっくっく。陰鬱な笑い声を上げるリグル。
蟲を操る程度の妖怪としてのプライドがあるらしい。
「さあって、覚悟してもらいましょうか! 蟻の身でこのリグル・ナイトバグ様に逆らった罪、たっぷり味あわせてやる!」
あーっはっはっはッ!
高らかな笑い声が森に響き渡った。
「……あいつってあんなキャラだったか?」
「知らないわよ」
「シャンハーイ」
「この辺に居るのか?」
「そのはずよ」
「あたいが見たのもこの辺りだったしね」
「じゃあ間違い無さそうだな」
「ハヤクサガシテ、アリスタスケル!」
はやる上海人形だったが、それを嘲うかのようにお目当ての蟻はなかなか姿を現さない。
リグルが言うには、ずいぶん近くまで来てる、との事なのだが。
日が頂点を過ぎる頃になると、 さすがに魔理沙も焦りを感じ始めた。
「まずいな。あんまり時間無いぜ」
「おかしいなあ。さっきからずっと近くに気配を感じるんだけど」
「……ちなみに、どれくらい近いんだ?」
「ほとんど密着するくらい。」
「ちょっと、それってまさか……」
ず・ず・ず……
チルノの言葉に反応するかのように地面が揺れた。
「これってやっぱり」
「あれだな」
「ジメンノシタ……!」
魔理沙たちが飛びのいた瞬間、腐葉土を巻き上げ紅い影が飛び出した!
「出たな!」
着地した魔理沙の目の前に、血のように赤黒い蟻。
右目周りがつぶれているのは、アリスが抵抗した跡か。
蟻の大きさは半端ではなかった。
魔理沙の身長がやや低いとは言え、それでも見上げる程となれば並みの大人程はあるだろう。
正直ここまでデカイとは。
「聞いてない、ぜ!」
愚痴とともにマジックナパームを蟻へと打ち込む。
凝縮された魔力の砲弾が蟻へと吸い込まれた!
「ヤッタ!」
魔理沙の肩に乗る上海人形が歓声をあげた。
弾ける青白い爆風が蟻の横っ腹をえぐ……れない。
「無傷!?」
多少の衝撃はあったようだが、蟻は全くダメージを受けては居ないようだった。
四方に散る獲物の中から襲い掛かる相手を選んでいた蟻は、その一撃で標的を白黒の魔法使いに定めた。
「コッチキタ!」
「嘘だろう! なんて硬さなんだ!」
外見からは想像もつかない速さで迫る蟻から逃げ回りながら再度マジックナパームやミサイルを打ち込むが、まるで効いた様子も無い。
「あそこまでデカイと外皮も鋼鉄並だからねえ。」
「暢気に言ってないで手伝ってくれよ!」
「魔理沙の攻撃が効かないのに私の攻撃が通用するわけないじゃん」
「使えねー!」
森に魔理沙の嘆きが響いたが、どうしようもない。
と、そこにでしゃばって来る身の程知らず。
「氷符「アイシクルフォール」!」
無数のツララが蟻へと降り注ぐ!
しかし紅い装甲の前にあっさりと砕け散り、蟻は意にも介さず魔理沙を追い詰めようとする。
「くっそー、無視するな!」
「蟲だけにな」
「ソレサッキイッタヨ」
「……余裕あるねえ」
完全に傍観者を決め込むリグルの突っ込みに取り合わず、魔理沙はさらに逃げる。
とは言え、いつまでも逃げ回っても埒があかない。というか飽きた。
「ああもう! こいつで消し飛べ!」
取り出したのは魔理沙必殺のスペル!
「恋符! マスタぁ」
「ちょっと待ったー!!」
げし。
スペルカードに意識を集中していた魔理沙の後頭部へ、リグルキックが炸裂した。
「痛! なにする!?」
「なにってそりゃ……げげ!」
蟻に追われていた魔理沙を蹴飛ばしたリグルは当然、蟻の前に踊り出てしまった格好だ。
今度は逃げ回るのが二人になった。
「うわーん! しまった~!」
「なにやってんだ?」
「ヤレヤレダゼ」
「ちくしょ~人形にまで!」
リグル、一生の不覚。
「んで、結局さっきのはなんだったんだよ!?」
「マスタースパークなんて使ったら跡形も残らないでしょうが!」
「問題ない」
「あるって! あいつの毒回収できないでしょそれじゃ!」
「おおう。そりゃそうだ。駄目じゃないか上海人形」
「シャンハイナノ!?」
ちなみにこの間、チルノはずっとツララを打ち込んでいるのだが、全く効いていない。
装甲が厚すぎてどうしようもなかった。
「ならどうしろってんだ!」
「頭! 頭部だけをつぶして!」
「ピンポイントは苦手なんだけどな」
「そうも言ってられないでしょってきゃあ!」
とうとうリグルの足がもつれた。
倒れこんだのは、もろに蟻の進路の上。
「リグル!」
「リグル!」
「ひええぇぇぇぇ」
頭を抱えて縮こまるリグル。
蟻は無情にその脚を踏み下ろし--
バシュ
~~~~ッ!!
蟻が無言の悲鳴をあげた。予期せぬ痛みに前半身をのけぞらせて脚を震わせ、激しく打ち合わされる顎が不快な音を立てた。
その隙にリグルはひえひえ言いながら蟻の足元から這い出てこれた。
ついでに魔理沙も木の陰に隠れ、蟻の視界から逃れた。
先ほどまで欠片も怯みもしなかった蟻に一矢報いたもの。
それは。
「シャンハイ、ガンバッタヨ」
「上海人形!?」
ずっと魔理沙の肩にしがみ付いていた上海人形だった。
そうか。魔理沙は納得した。
アリスは蟻に傷を負わせることが出来た。それは人形を通して魔力をレーザーに変換・増幅して反撃したからだろう。
そして貫通力の高いレーザーならば装甲を抜けてダメージを与えられる。
問題は、魔理沙がレーザーを得意としてない事だ。
ノンディクショナルレーザーでは広範囲すぎるし、イリュージョンレーザーは不安定すぎる。
となると上海人形があとどれだけ撃てるかになるが……。
「まだ撃てるか?」
「モウダメ。マリョクナイヨ」
く。どうにかなると思ったが。
魔理沙は内心舌打った。
その間に蟻は自分を撃った人形を見失い暴れまわっていた。
木々をなぎ倒し腐葉土を巻き上げ逃げ遅れたチルノを踏みつけ。
その巨体は徐々にリグルが隠れている方に向かっていた。
どうする!?
このままじゃ手詰まりだ。
アリスには酷だが、いっそ本当にマスタースパークで消し飛ばしてしまうか……?
いや、まてよ……。
魔理沙はふと一つの可能性に思い至った。
(アリスは上海人形に魔力を注いでレーザーを放つ……。私はミニ八卦炉に魔力を注いでマスタースパークを放てる……)
ならば。
魔理沙は賭けに出る事にした。
「上海人形」
「ナニ?」
「お前がマスタースパークを撃つんだ」
「シャンハイ!?」
何を言っているんだろうこの人間は。追い詰められて頭が狂ったか?
人形の自分にそんな大掛かりな魔法が使えるものか!
「ムリ!」
「できる。私の魔力を貸してやる」
「マリサノ……?」
「私はミニ八卦炉の代わりにお前に魔力を注ぐ。あとはお前がマスタースパークを絞り込んで、奴の頭だけを狙うんだ」
「……」
出来るのだろうか。
魔理沙は簡単に言うがあれほどの魔力の奔流、そう簡単に制御なんて。
それにしくじれば蟻を消滅させてしまう。そうなればアリスが助かる見込みは……。
「大丈夫。お前はいつもアリスの魔力をちゃんと捌ききってるだろ? あいつだって結構なもんだ。自信をもちな」
人形の無表情に、確かな決意が浮かぶ。
アリスを、助ける。
「……シャンハイ、ヤル!」
「よっし! それでこそだ!」
取り出したスペルカードを上海人形に預ける。
たった一枚のカードが、今はとても重い。
「ひえええぇぇぇ」
リグルの悲鳴が聞こえた。
とうとう蟻に見つかったらしい。
「行くぞ!」
「オウ!」
頷きあい、二人は木陰から飛び出した!
「やい蟻! お前が探してるのはここだぜ!」
「ココダゼ!」
ピク。二人の挑発に、今まさにリグルを顎で挟みこもうとしていた蟻が反応した。
六本の脚を器用に使い高速で旋回すると、魔理沙たちめがけて突っ込んできた。
しまった。予想より速い。
怒り狂った蟻が高速で突っ込んでくる。
このままでは上海人形の準備が整う前にこちらがやられてしまう。
ッ!!
不意に足元に伸びた霜が蟻を絡めとった。
「霜符「フロストコラムス」……あたいを忘れんな! ガク」
蟻に踏まれてへばっていたチルノが今わの際に放った最後のスペル(「いや、死んでないってば!」)。
完全に動きを止めるほどではないが、それでも霜を振り払う分侵攻が遅れた。
そして、その僅かな間は二人にとって十分な時間だった。
「いまだぜ上海人形!」
ミニ八卦炉の代わりに魔理沙の手のひらに収まる上海人形がスペルを発動する!
「コイフ……!!」
瞬間、魔理沙から途方も無い魔力が流れ込んできた。
体がミシミシ悲鳴をあげている。
魔力によって与えられた小さな意思は、さらに強大な魔力に押しつぶされそうになる。
しかしここで失敗するわけにはいかない。
初めてアリスに出会った日のことは、今でもよく覚えている。
--コンニチワ、アリス!
少女は術が成功したかどうか不安そうな顔だったけど、術式どおりに自分が喋りだすと満面の喜びを浮かべた。
--アリス、ワタシノオナマエハ?
--あなたは……上海。そう、上海人形よ。よろしくね!
--シャンハイ、アリスノトモダチ!
妹達も少しずつ増えていった。
蓬莱人形は自分よりしっかりしている。
仏蘭西人形は博愛に満ちている。
西蔵人形はとても神秘的。
みんな自分よりもアリスの役に立つ娘達。
けれど自分は常にアリスと共に居た。
楽しい時も辛い時も。
アリスとは本当の姉妹のようだった。
全ては少女の術に定められた意思。
けれど、それは確かに自分の記憶。
そして、あの笑顔も。
いまここで失敗したらそれは永遠に失われてしまう。
そんなこと、許せる訳が無い。
--アリス!
「マスタァスパァァァァァァァァァァァァク!!!!」
そして、虹色の槍が蟻の眉間を貫いた。
「う……ん……」
「お。気が付いたか」
「魔理沙……? 私は……」
「もう大丈夫よ。血清が間に合ってよかったわ。もう少し遅かったら危ないところだったけど」
「そうなの……。その、あ、ありがとぅ……」
「礼ならこいつに言ってやりな」
そう言って魔理沙がそっと手渡したのは、マスタースパークの制御に魔力を使い果たした上海人形だった。
「上海人形……」
「大活躍だったぜ。たいした人形だ」
「そう……」
やさしく頭をなでる。
お疲れ様、上海人形。私のために頑張ってくれたのね。
「早く直してやれよ」
「え、ええ。そうね」
魔理沙の言葉にアリスは複雑な顔をした。
それを見た永琳は魔理沙を咎めるように耳打ちする。
「ちょっと魔理沙」
「なんだよ」
「完全に魔力が切れたんでしょ、あの人形」
「おう。さすがにマスタースパークを押さえ込むのは骨が折れたみたいだな」
「ならもう記憶もなにも消えちゃってるんじゃない。また術を仕込んだって別の上海人形になるだけよ」
「それはどうだろうな」
「え?」
「神様って奴もそんなに意地悪じゃないだろうさ。巫女はあんなだけどな」
「なにを暢気な……」
「ま、見てなって」
疑わしそうに睨むが、魔理沙は妙に自信ありげだ。
--……。……。
アリスが呪を唱える。
上海人形を組み上げた術式はいまでも鮮明に覚えている。
普通、人形に限らず使い魔は使い捨てだ。
役目を終えたらそれまで。必要になったらまた呼び出せばいい。
けれどアリスは人形を、こと上海人形に関してはそうは扱わなかった。
他の魔法使いからしてみれば馬鹿みたいだろう。
しかしそれでいいのだ。
何しろ、上海人形は研究の末に作り上げた初めての『妹』なのだから。
--……。……!
呪が締めくくられた。
数秒の間。
そして人形の目に僅かな光が篭った。
「コンニチワ、アリス!」
術式どおりの第一声。
わかってはいたが、何か大切なものを失ってしまったのを思い知らされた。
--いままでありがとう、上海人形。そして、これからよろしくね、新しい上海人形……。
「アリス--」
--ええ、わかってる。あなたのお名前は……。
「--モウ、カラダイタクナイ?」
「……! ……ああ! あなたなのね、上海人形!」
アリスは涙を流しながら上海人形を抱きしめた。
「アハ、アリス、ゲンキニナッタ」
「うそ……どういう事なの……?」
「九十九神、って知ってるか」
「長い時間をかけて妖力を蓄えた器物が精霊に化けること……まさか。だって長くてもまだ数年しか!」
「時間は短いかもしれないけどな。けれど、あの時あいつの中にあったアリスへの想いにはそれだけの価値は十分あったさ。自分で自分を保てるほどの力は無くても、「思い出」を器に留めておく分にはな」
「けれど、そんな事って」
「あるんだろうよ。目の前の光景が全てだ。本当、たいした人形だぜ」
「当たり前じゃない」
賞賛の苦笑いを浮かべる魔理沙に、嬉し涙をぬぐい、アリスは笑顔を浮かべた。
「私の、自慢の『妹』なんだから!」
その笑顔は、初めて上海人形と出会った時と同じ満面の喜びに満ちていた。
了
追記。或いは関係無い事。
かんかんかん。
森に甲高い音が響く。
音の主は僕こと森近 霖之助が振り下ろす金槌と釘の二重奏だ。
気を抜くと僕の悲鳴で三重奏になるので油断ならない。
とは言えこの体勢での釘打ちは辛いものがある。
なにしろ僕は寝そべったり腰を深くおろしたりしてほとんど地面ギリギリのところに板を打ち付けていたのである。
いまいち上手い体勢が見つからない。
せめて先に板を仮止めできればいいのだが……。
「こーりん? いないのー?」
お。丁度いいときに丁度いいのが来たな。
こっちだ、と呼んでやると間を置かずに声の主がやってきた。
店の角から姿を現したのは、氷の妖精チルノ。最近妙に店にやってくる暇人だ。
「なんだここに居たんだ。なにしてんの?」
「ちょっとこの板押さえててくれ」
「? まあいいけど」
かんかんかん。
うむ。やはり直ぐ済んだ。
「助かったよ。って、なんだ泥だらけだなチルノ」
「へへ、ちょっとねー。こーりんはなにしてたの?」
「店の補修さ。最近妙にスキマ風が入ってくると思ったら、いつのまにか壁に穴があいてたんだよ」
「へえ。そんなボロそうには見えないけどね」
「一応犯人の目星はついてはいるんだ」
「誰さ?」
「この間、馬鹿にでかい昆虫の卵を拾ってきてね」
僕は不機嫌に答えてやった。
「忘れて放って置いたらいつのまにか孵ってたらしくて姿が見えなくなってたんだ。何処へいったのやら」
上海可愛いよ上海。でももっと蓬莱見たいよ蓬莱。
>とうとう蟻に見見つかったらしい。
『見』が多いげであります。
ご指摘ありがとうございます。誤字脱字には十分気をつけてるつもりですが、駄目駄目ですねorz
ってお前かこーりん
あと、冒頭の「アリスの孤独死」……すいません、死ぬほど納得してしまいましt(誰が巧い事言えと)
…で、タイトルの元ネタがビートたけしの『たけしくん、ハイ!』だという事に気付いているのは私…だ…け…? …って、マテ。
まりさしゃん、ハイ!
↓
魔理沙 上海
そーーなのーーーかーーーーっ!!!!
シャンハイ可愛いねぇ、ていうか九十九神ってそりゃもうほとんど自立してるのでは?
そして原因は貴様ですかこーりんこの眼鏡野郎。落ちてるモノをなんでも拾ってくるんじゃありません。
あと、おしとやかな蓬莱ってのもそれはそれで。
で。赤い蟻と聞いて、ウルティマオンラインの「レッドソレンウォリアー」を連想した俺は負け組でしょうかorz
魔理沙と上海で、まりはいほー?
人形のしゃべりはもっと舌足らずにしても良いと思います。
というのも、半角カナで長い文章を喋られると、ちと読みづらいのです。