「富士山の名前の由来を知ってるか?」
不意に妹紅が口を開いた。
先程まで両手で弄んでいた湯呑みは既に空になっている。
流石に熱い茶は平気なようだ。
「さぁ、知らないな。名前なんて大昔の人の一方的な独断で付けられたものだろう?」
「独断が一方的なのは当たり前じゃない。慧音は?」
「いや、私も詳しくは知らない。除福が不死の薬を求めて辿り着いた山だとしか聞いてないが」
「そういう話もあるな。だが正解は不死の薬を焼き棄てた山だからだ」
「何だ、焼き棄てたのか。勿体ない」
呆れた、と言わんばかりの魔理沙。彼女に不要なマジックアイテムはない。
「勿体ないとはなんだ。あったらどうするつもりだい?」
「そりゃ貴重な薬だからな、是非とも研究してみたい」
「ふーん。飲むとかぬかしたら即座に焼き棄てるところだったよ」
「笑えないな」
慧音が黙って妹紅の湯呑みに茶を注ぐ。喉だけでなく気持ちも和ませるのか、コポコポと軽い音が場の空気を落ち着かせた。
静寂が辺りを包む。風も虫も、およそ音を立てるものはない。
ただゆっくりと時間が流れていく。いや、時は止まっているのだろうか。最早その区別さえ付かない。
月はなお冴え冴えと光り、狂気の力を振り撒く。
だが半妖怪と、生物から外れた狂った存在にはその力は及ばない。だから狂っているのは竹林を訪れる気になった魔理沙だけだった。
彼女がここを訪れた際に交わされた挨拶は至極当然のものだったのだ。
「珍しいな、お前がここに来るのは」
「あぁ、月の所業 だぜ」
「静かだなぁ」
「お前がいるのにな」
「本来湿っぽいのは苦手なんだが、こういう空気は嫌いじゃないぜ。ただ茶じゃなくて酒なら尚よかったがな」
気にせず魔理沙は続けた。
家の中でも帽子を取らないせいか、彼女の目は幾分冥く見えた。
ブロンドの髪とのコントラストはその冥さを一層際立たせ、まるで彼女は顔がないようだった。
「何かあったか」
妹紅は無遠慮だ。
千年の長き時をほぼ一人で潰してきた彼女は、遠慮することも気遣う事も得意ではない。
だが、時にはそういう直球が効果的な場合もある。
もし、相手が黒い魔法使いなら、それは効果的かもしれない。
「里の子が妖怪に襲われていた」
ダンッ、と重い音。慧音は魔理沙に掴みかかっていた。
「どこだ!?」
「・・・川が二分する所だ。竹の簪を付けた、十くらいのおかっぱの娘だった。・・・死んだよ」
ア、と短い声の後、崩れるように慧音は膝を付いた。
そうして、彼女は静かに手を合わせた。
「やめとけ、慧音。神や仏なぞ居やしない」
「居なくても構わない。ただ安らかに眠ってほしいんだ。真面目な、真面目な子だったんだ」
「・・・で、殺したのか?」
慧音から視線を外すと、妹紅は言葉少なに魔理沙を見た。
「勘違いするな、私は普通の魔法使いだ。妖怪退治は巫女の仕事って昔から決まってるんだよ」
「その割にはあちこち出向いているようだが」
「異変を解決するのは魔法使いの仕事だぜ」
祈りが終わったのだろう、慧音はゆっくり目を開いた。
何の想いを馳せているのか、しばらく月を見上げた後、魔理沙を呼んだ。
「それで、その子の亡骸は」
「あぁ、丁度村でも捜索隊が出ていたようでな。彼らに引き渡した」
フッと一息。
「そうか。面倒を掛けたな」
「なぁに、お前が気に病むことじゃないだろう?」
「私には里の人間を守る役目がある」
無論誰に決められたわけでもないのだけれど。
それでもこれは慧音の役目だった。
人より人を愛する存在。人より人に近い妖怪。
それこそが上白沢慧音なのだ。
「ましてやお前は里を捨てたのだろう?」
「捨てたって訳じゃないが・・・いや、捨てたのかも知れないな。まぁそこら辺は諸般の事情ってヤツだぜ」
香霖が居たら何と言っただろうか、と、ふと魔理沙は思った。
私の弁護に徹するのか、さり気なく話題を変えるのか、ひょっとしたら何も言わないのかもしれない。
尤も居ないのだから考えても詮無きことではあるのだが。
満月は既に西に傾き、東は白み始める。
未だ春に包まれた幻想郷の夜は少し肌寒い。
慧音が奥から半纏を持ってきたが、妹紅は手だけでそれを断った。
この寒さも春ゆえに、という事らしい。
「月、か。まさかこの私が月見酒をするようになるとはね」
「何だよ、月は嫌いか?」
「誰に物言ってる。月は仇敵 の象徴だよ」
慧音は僅かに顔を伏せた。
不死の呪いは決して破れず、妹紅はここで永遠に生き続ける。
だが、体も成長しないという意味では彼女の時間は止まっている。
これは、生きていると言えるのだろうか?
彼女は生きているのではなくて、死なないだけではないのか。
「しかし月ってのは死者の魂でできてるらしいからな、粗末にはできんだろう」
「ふざけるな、月は人間の恨みでできてるんだよ」
「うん?私は知識から成っていると思っていたが」
「もう何でも良さそうだな」
死ねば哀しい。死ねなければ辛い。
人間は何と不便な生き物なのか。
有限の生を持つ人間が不死を求め、無限の生を持つ不死の人間が死を求めるとは皮肉な話だ。
「じゃあ、妹紅。月を壊せば満足か」
魔理沙は勢いよく妹紅の前に顔を突き出した。
あまりの至近距離に思わず妹紅は少し引いた。
「何だ突然。そんな事をして何になる」
「月を見るのは苦痛なんだろう?だったら壊してやろうか?」
「生憎と間に合ってるよ。大体からして月を壊したところで私の呪いが解けるわけでもないでしょ」
「そうか!」
ポン、と膝を叩いて納得する魔理沙。
そんな彼女を残る二人は不安げに見つめた。
また何か厄介事を思いついたのか、と。
「つまりお月様にお願い、って事だな?」
「何を言ってるんだお前は」
「お前の呪いが解けるように、お前の願いを月に届けてやろう!」
目を輝かせて熱弁する魔理沙を止める術は彼女達にはない。
だが、せめて何をしようとしているのかくらいは突き止める必要があった。
「どうするつもりだ。七夕はまだ先だろう?」
「そもそも私は月に願いなどないよ」
「心配するな。私のマスタースパークで直送だぜ!」
「待て待て待て待て。何を物騒なことを言っている」
「ついでにあの娘の魂も一緒に月に送ってやるぜ。そんでもって月も壊せて、えーと、ほら、人の知識も取り戻せて一石何鳥だ?」
「それだと人間の恨みも戻ってくる事にならないか?」
「何だよ、元々人間様の持ち物なんだ、問題ないだろ?今私は無性に撃ちたい。そういう気分なんだ」
・・・何をしようとしているのか突き止めたところで意味などなかった。
結局魔理沙は自分で考えた最善の方法を遂行するのだ。
それが周りにとって最悪な方法であっても。
「って、結局お前が撃ちたいだけか」
「撃てば解決するぜ。なんせ異変の解決は魔法使いの仕事だからな」
この場合、異変は何なのだろうか?
妹紅の憂鬱か、それとも魔理沙の頭か。
そうこうしている内に魔理沙の持つミニ八卦炉はフル稼働していた。
「行くぜ!マスタースパァーーク!」
魔理沙の手から放たれた光の筋は一直線に空へと向かう。
地上から伸びるそれは正に月へと届いていた。
結論から言えば月は壊れなかった。
所詮月の力に惑わされる人間程度が壊せるものではなかったのだ。
尤も、例え壊せていたとしてもその欠片はまた集まって元の月に戻るんだけどね、と妹紅は言った。月こそが不死なのだ、と。
胡散臭い話ではあったが、鬼でもない限り月を壊せないし、月を壊せないならそれ以上確かめる術はなかった。
「・・・フン、あいつ自ら来るなんて久しぶりじゃないか。今日こそは決着を付けてやるよ」
不意にそう言い放つと妹紅は立ち上がった。
慧音も無言でそれに続く。
「やれやれ、律儀な事だな。けど、まぁ今日は私も付き合ってやるぜ。そういう気分なんでな」
「珍しいじゃない、お前がそんな事言うなんて」
「言っただろ?月の所業 だぜ」
相も変わらず空には月が浮かぶ。
満月とは満ちた月。
そこに満ちるは歴史か狂気か。
不死の煙を浴びて、月は今日も輝く。
(了)
不意に妹紅が口を開いた。
先程まで両手で弄んでいた湯呑みは既に空になっている。
流石に熱い茶は平気なようだ。
「さぁ、知らないな。名前なんて大昔の人の一方的な独断で付けられたものだろう?」
「独断が一方的なのは当たり前じゃない。慧音は?」
「いや、私も詳しくは知らない。除福が不死の薬を求めて辿り着いた山だとしか聞いてないが」
「そういう話もあるな。だが正解は不死の薬を焼き棄てた山だからだ」
「何だ、焼き棄てたのか。勿体ない」
呆れた、と言わんばかりの魔理沙。彼女に不要なマジックアイテムはない。
「勿体ないとはなんだ。あったらどうするつもりだい?」
「そりゃ貴重な薬だからな、是非とも研究してみたい」
「ふーん。飲むとかぬかしたら即座に焼き棄てるところだったよ」
「笑えないな」
慧音が黙って妹紅の湯呑みに茶を注ぐ。喉だけでなく気持ちも和ませるのか、コポコポと軽い音が場の空気を落ち着かせた。
静寂が辺りを包む。風も虫も、およそ音を立てるものはない。
ただゆっくりと時間が流れていく。いや、時は止まっているのだろうか。最早その区別さえ付かない。
月はなお冴え冴えと光り、狂気の力を振り撒く。
だが半妖怪と、生物から外れた狂った存在にはその力は及ばない。だから狂っているのは竹林を訪れる気になった魔理沙だけだった。
彼女がここを訪れた際に交わされた挨拶は至極当然のものだったのだ。
「珍しいな、お前がここに来るのは」
「あぁ、月の
「静かだなぁ」
「お前がいるのにな」
「本来湿っぽいのは苦手なんだが、こういう空気は嫌いじゃないぜ。ただ茶じゃなくて酒なら尚よかったがな」
気にせず魔理沙は続けた。
家の中でも帽子を取らないせいか、彼女の目は幾分冥く見えた。
ブロンドの髪とのコントラストはその冥さを一層際立たせ、まるで彼女は顔がないようだった。
「何かあったか」
妹紅は無遠慮だ。
千年の長き時をほぼ一人で潰してきた彼女は、遠慮することも気遣う事も得意ではない。
だが、時にはそういう直球が効果的な場合もある。
もし、相手が黒い魔法使いなら、それは効果的かもしれない。
「里の子が妖怪に襲われていた」
ダンッ、と重い音。慧音は魔理沙に掴みかかっていた。
「どこだ!?」
「・・・川が二分する所だ。竹の簪を付けた、十くらいのおかっぱの娘だった。・・・死んだよ」
ア、と短い声の後、崩れるように慧音は膝を付いた。
そうして、彼女は静かに手を合わせた。
「やめとけ、慧音。神や仏なぞ居やしない」
「居なくても構わない。ただ安らかに眠ってほしいんだ。真面目な、真面目な子だったんだ」
「・・・で、殺したのか?」
慧音から視線を外すと、妹紅は言葉少なに魔理沙を見た。
「勘違いするな、私は普通の魔法使いだ。妖怪退治は巫女の仕事って昔から決まってるんだよ」
「その割にはあちこち出向いているようだが」
「異変を解決するのは魔法使いの仕事だぜ」
祈りが終わったのだろう、慧音はゆっくり目を開いた。
何の想いを馳せているのか、しばらく月を見上げた後、魔理沙を呼んだ。
「それで、その子の亡骸は」
「あぁ、丁度村でも捜索隊が出ていたようでな。彼らに引き渡した」
フッと一息。
「そうか。面倒を掛けたな」
「なぁに、お前が気に病むことじゃないだろう?」
「私には里の人間を守る役目がある」
無論誰に決められたわけでもないのだけれど。
それでもこれは慧音の役目だった。
人より人を愛する存在。人より人に近い妖怪。
それこそが上白沢慧音なのだ。
「ましてやお前は里を捨てたのだろう?」
「捨てたって訳じゃないが・・・いや、捨てたのかも知れないな。まぁそこら辺は諸般の事情ってヤツだぜ」
香霖が居たら何と言っただろうか、と、ふと魔理沙は思った。
私の弁護に徹するのか、さり気なく話題を変えるのか、ひょっとしたら何も言わないのかもしれない。
尤も居ないのだから考えても詮無きことではあるのだが。
満月は既に西に傾き、東は白み始める。
未だ春に包まれた幻想郷の夜は少し肌寒い。
慧音が奥から半纏を持ってきたが、妹紅は手だけでそれを断った。
この寒さも春ゆえに、という事らしい。
「月、か。まさかこの私が月見酒をするようになるとはね」
「何だよ、月は嫌いか?」
「誰に物言ってる。月は
慧音は僅かに顔を伏せた。
不死の呪いは決して破れず、妹紅はここで永遠に生き続ける。
だが、体も成長しないという意味では彼女の時間は止まっている。
これは、生きていると言えるのだろうか?
彼女は生きているのではなくて、死なないだけではないのか。
「しかし月ってのは死者の魂でできてるらしいからな、粗末にはできんだろう」
「ふざけるな、月は人間の恨みでできてるんだよ」
「うん?私は知識から成っていると思っていたが」
「もう何でも良さそうだな」
死ねば哀しい。死ねなければ辛い。
人間は何と不便な生き物なのか。
有限の生を持つ人間が不死を求め、無限の生を持つ不死の人間が死を求めるとは皮肉な話だ。
「じゃあ、妹紅。月を壊せば満足か」
魔理沙は勢いよく妹紅の前に顔を突き出した。
あまりの至近距離に思わず妹紅は少し引いた。
「何だ突然。そんな事をして何になる」
「月を見るのは苦痛なんだろう?だったら壊してやろうか?」
「生憎と間に合ってるよ。大体からして月を壊したところで私の呪いが解けるわけでもないでしょ」
「そうか!」
ポン、と膝を叩いて納得する魔理沙。
そんな彼女を残る二人は不安げに見つめた。
また何か厄介事を思いついたのか、と。
「つまりお月様にお願い、って事だな?」
「何を言ってるんだお前は」
「お前の呪いが解けるように、お前の願いを月に届けてやろう!」
目を輝かせて熱弁する魔理沙を止める術は彼女達にはない。
だが、せめて何をしようとしているのかくらいは突き止める必要があった。
「どうするつもりだ。七夕はまだ先だろう?」
「そもそも私は月に願いなどないよ」
「心配するな。私のマスタースパークで直送だぜ!」
「待て待て待て待て。何を物騒なことを言っている」
「ついでにあの娘の魂も一緒に月に送ってやるぜ。そんでもって月も壊せて、えーと、ほら、人の知識も取り戻せて一石何鳥だ?」
「それだと人間の恨みも戻ってくる事にならないか?」
「何だよ、元々人間様の持ち物なんだ、問題ないだろ?今私は無性に撃ちたい。そういう気分なんだ」
・・・何をしようとしているのか突き止めたところで意味などなかった。
結局魔理沙は自分で考えた最善の方法を遂行するのだ。
それが周りにとって最悪な方法であっても。
「って、結局お前が撃ちたいだけか」
「撃てば解決するぜ。なんせ異変の解決は魔法使いの仕事だからな」
この場合、異変は何なのだろうか?
妹紅の憂鬱か、それとも魔理沙の頭か。
そうこうしている内に魔理沙の持つミニ八卦炉はフル稼働していた。
「行くぜ!マスタースパァーーク!」
魔理沙の手から放たれた光の筋は一直線に空へと向かう。
地上から伸びるそれは正に月へと届いていた。
結論から言えば月は壊れなかった。
所詮月の力に惑わされる人間程度が壊せるものではなかったのだ。
尤も、例え壊せていたとしてもその欠片はまた集まって元の月に戻るんだけどね、と妹紅は言った。月こそが不死なのだ、と。
胡散臭い話ではあったが、鬼でもない限り月を壊せないし、月を壊せないならそれ以上確かめる術はなかった。
「・・・フン、あいつ自ら来るなんて久しぶりじゃないか。今日こそは決着を付けてやるよ」
不意にそう言い放つと妹紅は立ち上がった。
慧音も無言でそれに続く。
「やれやれ、律儀な事だな。けど、まぁ今日は私も付き合ってやるぜ。そういう気分なんでな」
「珍しいじゃない、お前がそんな事言うなんて」
「言っただろ?月の
相も変わらず空には月が浮かぶ。
満月とは満ちた月。
そこに満ちるは歴史か狂気か。
不死の煙を浴びて、月は今日も輝く。
(了)
あと、月にマスタースパークと言うのが魔理沙らしいなと。