※ 作品集30にあります「紅魔館の司書さん 午前の部」の続編になります。
未読の方はそちらを先に一読いただくようお願いいたします。
スプーンを咥えた小悪魔の鼻から、はふぅと息が漏れた。
「お疲れですね、小悪魔さん」
そんな小悪魔に、笑みを含んだ声がかけられる。
「門番隊はテンション高い上に体力ありますからねぇ。
一緒にいるとすごく楽しいんですけど、疲れるんですよ」
返事をしながら目を向ければ、咲夜直轄の統括部隊のメイドの一人だった。食事が終わっているらしい彼女が、紅茶とクリームの添えられたシフォンケーキを手に近づいてくる。
「でも、随分と仲がよろしいようで」
もごもごと残りのピラフを頬張る小悪魔に笑いかけてから、門番隊が去って空いていた席に腰を下ろした。
「そうですか?
あー。そうかもしれませんねぇ」
「騒々しいかもしれませんが、楽しい方々です。
美鈴さんはよい仲間に囲まれてらっしゃる」
ふふ、と笑みを浮かべるそのメイドは、紅魔館では非常に数少ない年嵩のメイドだった。妖怪であるため見た目は他のメイドたちと変わらないが、咲夜はおろか小悪魔よりも以前から紅魔館に暮らす一人であり、若いメイドたちがほとんどを占める紅魔館において咲夜とは違った方向から「メイドとは」を示す模範でもある。
「美鈴さんも大変ですよね。
あれだけ毎日騒々しいと」
「でも、きっと喜んでらっしゃると思いますよ。
門番隊は美鈴さんが作り上げたようなものですから」
「あれ? 門番隊って最初からあったわけじゃないんですか?」
「ええ。美鈴さんが最初のひとりですから」
「へ?」
「あら、ご存知なかったかしら。美鈴さんが門番になってから
返り討ちにしたひとをスカウトして作り上げられたのが今の門番隊なんですよ?」
唖然とする小悪魔の頬についていた米粒を指摘しておいて、そのメイドはまた笑う。
「だから、最初の門番隊は随分と荒んでいましたよ。
今でこそじゃれあいのような美鈴さんとのいざこざも、
毎回命のやり取りでしたから」
米粒を取りながら、小悪魔は今朝も見た美鈴と門番隊の大騒ぎを思い出していた。
「想像もつきませんね……」
「きっと、美鈴さんにとってその言葉は何よりも嬉しいものでしょう」
食事を終えた小悪魔の前に、ティーカップが差し出される。
礼を言ってティーカップを受け取り一口。
小悪魔の中で味と香りから導き出されたブレンドレシピは随分と古いもので、現在の紅魔館が仕入れる茶葉で十全な味を表現することはできないはずだったが、目の前のメイドが淹れてくれた紅茶は熟成された技を感じさせる、豊穣な味わいを持ったものだった。
「そういえば……
美鈴さんが門番になったところをご存知なんでしたら、
紅魔館に来たころもご存知だったりするんですか?」
「ええ」
至極あっさりと頷かれて、小悪魔は逆に言葉に詰まる。
「しかしながら、そのあたりのお話は私の口から申し上げる訳にはまいりません」
さりげない、けれど絶対の意志が込められた一言だ。
「ご本人に聞かれてはいかがです。
美鈴さんであれば、きっと訳もなく拒否されることはないと存じますが」
「え……あ……
そうですね。機会があったら、茶飲み話にでも」
小悪魔は続けられた言葉に素直に乗った。確かに、本人がいない間に人様の過去をあれこれと詮索するのはいい趣味と言えない。ブン屋という情報の収集者ならともかく、司書という知識の活用者が他人の過去などという知識を求め、まかり間違ってそれを活用してしまったら、主であるパチュリーにも顔向けできなくなってしまう。
小悪魔は深く反省し、同時に恥じた。
そんな彼女に穏やかに微笑むと、
「小悪魔さんも、シフォンケーキはいかがです?」
「あ、いただきます」
いつの間にか用意されていたもう一皿が、小悪魔の前にそっと置かれた。
小悪魔がフォークを手にケーキを食べ始めたところで、別のメイドが軽く頭を下げて通り過ぎていった。
「もう少し小悪魔さんとお話していたかったのですが、
そろそろ私たちの休憩時間は終わりのようです」
通り過ぎていったメイドも統括部隊のメイドだったのだろう。
「それでは小悪魔さん、ごゆるりと」
首を傾げるように軽く頭を下げられて、小悪魔も慌てて口のものを飲み込んで立ち上がると頭を下げた。
そんな小悪魔に笑みを返してから背を向けると、しずしずと去っていく彼女。
自然と伸びた背筋。
決して急かない歩調。
隙のない、けれども余裕のある物腰。
それを見送った小悪魔は、その背中にもう一度頭を下げた。
小悪魔が腰を下ろしてシフォンケーキを食べていると、しばらくして呼び出しがかかった。
パチュリーが招いた客人が到着したらしい。それを連絡してくれた門番隊の一人に礼を言い、小悪魔は客人に出す紅茶を検討しつつ門前に向かう。
紅茶自体は小悪魔が知る最もよいものをお出ししようと決めてはいたのだが、もう一つ。
「……海ウサギの角の粉でも添えればいいのかしら」
紅茶にあう味なのか自信はない。
小悪魔はロビーを通り、正面玄関から正門まですばやく、けれど急いでいるように見えないように歩く。
少々時間をかけてたどり着いた正門では門番長である美鈴が、客人と談笑していた。
「いらっしゃいませ。
主パチュリーの招きに応じていただき、ありがとうございます」
海ウサギの角の粉末。それは幻想になりえた伝統の毒薬。
声に気付いて振り返る客人。
人の間にあろうとする人の形。
メディスン・メランコリー。
「あ、悪魔さん。
こんにちは、お邪魔するわ」
振り返ったメディスンの横で、小さな人形が頭を下げた。
「いらっしゃいませ、メディスンさま。
先日はお騒がせしました」
「まあ、初めてくるんじゃ仕方ないわよね」
パチュリーの招きの知らせを持って、小悪魔が鈴蘭畑を訪ねたときの話だ。
小悪魔も幻想郷の妖怪や妖精の中ではそれなりに実力があるほうに部類されるのだが、メディスンの住む鈴蘭畑の毒気はその彼女をして耐え切れるものではなかった。甘い匂いでありながら息をするだけで胸が痛く、そこにいるだけで肌が痛い。たまたまメディスンが永遠亭に行って不在だったこともあって、鈴蘭畑でメディスンを探し回っていた小悪魔はその場でぶっ倒れてしまった。
そのまま放置されていれば小悪魔の主はパチュリーから部下が働いてくれないと嘆く閻魔あたりに変わっていたのだろうが、タイミングよくメディスンが帰ってきた。
「解毒、ありがとうございました」
「うん」
毒も使いようによっては薬になる。
「で、私を招待してくれたパチュリーってどこにいるの?」
「紅魔館の中にある図書館でお待ちです。
ご案内いたしますので、ついていらしてください」
小悪魔はメディスンがついてくることを確認して、前に立って歩き始めた。
紅魔館の庭は広い。
その庭を覆うように様々な花が咲き乱れている。特に、季節の花の花壇はひときわ賑やかだ。桜が散る頃から開き始め、今最も美しい季節にさしかかっているチューリップが瑞々しい輝きを放っている。華やかさではチューリップに譲るものの、蓮華草や石楠花も負けてはいない。
「たまにはスーさん以外のお花も悪くないわねー」
「あ、そういってもらえると嬉しいです。
このお花さんたちは私が育ててるんですよー」
一緒についてきている美鈴が、メディスンの呟きに嬉しそうに笑う。
小悪魔はこっそりと首をかしげた。
何故美鈴までついてきているのだろう。
「ところで、スーさんとは?」
「あ、私は普段は鈴蘭畑にいるのよ。
風が吹いたときに舞い散るスーさんは綺麗よー」
「鈴蘭ですか。
ああ、それは良さそうですねぇ……」
館主に挨拶させて欲しい、などという理由で突然訪れる客人には必ず美鈴がつく。怪し過ぎるとは言え、挨拶に来たものを門前払いする狭量さは紅魔館にはない。よほどのことがない限りは館主であるレミリアに接見できる。
しかし、中には名高いレミリアを倒して名を上げようと狙ってくる連中もいる。そういった連中はレミリアに挨拶に行く途中の紅魔館内で暴れだすものも少なくない。最近は紅魔館の中にも人間が増えている。人外の見本のような咲夜はともかく、そのほかの人間のメイドたちは極普通に人間だ。齧られでもしたら洒落にならない。
門番長である美鈴が、不意の客人につくのはそういう理由からだ。
「そうよー。
今くらいの季節に日の出と一緒に来ると一番綺麗だと思うわ」
「そうですか。
花壇のお手入れの参考に、一度見せてもらいに行きましょうかねー」
「うーん。でも、スーさんは勝手に生えてるから、お手入れの参考にはならないかも」
小悪魔が不思議に感じたのは、今回の来客は最初から予定されていたものだったからだ。僅かな時間しか言葉を交わしていないが、メディスンが突然暴れだすようにも感じられない。わざわざ美鈴がついてくる意図がよく分からない。
そんな疑問を頭の中で転がしながら歩いて、館の入り口にたどり着く。
メディスンは紅魔館の正式な来客者だ。
「う、うわぁ……」
入り口の大扉を開けると、恐ろしく広い玄関に迎えられる。西洋風の紅魔館であるため、靴を脱ぐようなつくりにはなっていない。そのまま少し踏み込めば、すぐにロビーに繋がっている。身体が沈み込むのが感じられるほどやわらかい真紅の絨毯は廊下と同じだが、玄関の両端にメイドたちが並んでいた。必要以上に感情を出さず、だからといって冷たくもない凛とした空気を纏うメイドたち。
玄関の真ん中に、咲夜が立っていた。
扉を開けた小悪魔もその隣に並ぶ。
「お待ちしておりました。
ご来訪を心より歓迎いたします」
言葉と一緒に深く頭を垂れる。
咲夜の動作にあわせて小悪魔は左右のメイドたちと頭を下げた。
「ちょ……」
こういう扱いになれているはずがないメディスンは思わず隣にいた美鈴に視線を向ける。美鈴はそのひるんだ様子に励ますように笑みを返しておいて、
「もう少し砕けた調子にさせていただいてもよろしいですか?」
メディスンがこくこくと何度も頭を縦に振るのを確認して、
「咲夜さん」
「ありがとうございます。
いらっしゃいませ、ようこそ紅魔館に」
美鈴の声に顔を上げた咲夜がにこりと笑った。
左右に並んでいたメイドたちも顔を上げると普段どおりの表情を見せ始める。
「はー……。
びっくりした」
「あはは、すみませんね。
紅魔館でお客様の対応っていうと、今のが本来の対応なもので」
「ううん。びっくりしたけど、ちょっと嬉しい。
こんな風に扱われるのも初めてだから」
そういってメディスンが足を進めると、左右のメイドたちが口々に歓迎の言葉を投げかける。メディスンはそれに笑顔を返しながら、紅魔館に足を踏み入れた。
玄関ロビーからヴワル魔法図書館は遠い。
古い本は日光に弱いため、という理由でそのようになっているのだが、本よりも図書館の主のほうが日光に弱いから奥まった場所にあるんじゃないのか、というのが紅魔館の住人たちの共通認識だ。
「うわー。ここって本当にお家の中なの?
この廊下って春の一番ふっくらした土の上みたいな感触がするわ」
「あの時期に素足で土の上を歩くと気持ちいいですねー。
なんというか、こう沈み込む感触が」
「うん。感触は違うけど、寒い時期の霜も気持ち良いわ」
「ああ、足の下でぱりぱりいうあれですね。
あれもいいですね」
先導のために少し前を歩く小悪魔は二人の会話を背中で聞きながら、僅かに笑みを浮かべた。
花畑の管理者でもある美鈴と鈴蘭畑に暮らすメディスンの会話は土に季節を感じる牧歌的なもので、不思議と心が和らぐ。
ふと視線を向けると咲夜も表情自体は普段と変わらないものの、目元の辺りがいつになく柔らかい。
「ね、鈴蘭の畑でも
他のお花って育つかな?」
「……どうでしょうね?
それこそパチュリーさまにお会いされることですし、
その席でお話を聞いてみてはいかがですか?」
「パチュリーってそういうのに詳しい人なの?」
「…………たいていのことはなんでもご存知の方ですから、大丈夫だと思いますよ」
にこにこしているメディスンの横で、美鈴が大きく息をつく。
それを耳にした咲夜の表情が微妙に変化した。
お客様がいる前では、ため息を漏らすことなど許されない。お客様に「この人は自分との会話に飽きている」と思わせてしまう可能性があるので禁止事項の上位にある。
「そっかー。じゃあパチュリーに聞いてみるね」
「………………ええ」
「あなたはスーさんの色と並べるなら、
どんな色がいいと思う?」
「……………………えと。
私なら、白……ですかね」
「白かぁ。スーさんの色が映えそうねー。
カスミソウとかかな?」
「…………………………カスミソウなら、
私の育てている中にありますし、少しお持ちになりますか?」
「え、いいの?」
「………………………………ええ」
美鈴がまた大きく息をつく。
小悪魔が視線を横に向けると訝しげな咲夜の視線とぶつかった。
理由はわからないが、美鈴の受け答えが不自然に遅い。それも、突然遅くなった。
軽く小首をかしげて見せた小悪魔に、咲夜は小さく首を横に振ってみせる。
二人はこっそりと肩越しに美鈴を振り返った。そこにいるのはいつも通りの美鈴だ。にこやかな表情や不思議と躍動感のある動きは普段と変わらない。ただ、図書館に近づくにつれて日の光が弱まってくると、その明るさが妙によそよそしい気がした。
ともかくも、歩いていれば目的地は近づいてくる。
小悪魔は図書館の扉の前までくると足を止めた。
木製の大扉だ。廊下の窓のようなレリーフはないが、刻まれた年数が重厚さを醸し出している。小悪魔はメディスンが漏らす感嘆の声を誇らしく思いながら、扉の取っ手に手をかけた。
……と、
「きゃ……」
小さな悲鳴が小悪魔の耳に飛び込んできた。
驚いて振り返ると、咲夜と美鈴がもつれ合って廊下に転んでいた。咲夜が下で、美鈴が上。それもどういうわけだか美鈴が咲夜の胸に顔をうずめてしまっている。
「ちょ、ちょっと美鈴!?」
わたわたと意味なく手を振り回す咲夜。
その頬が真っ赤になっているのに気がついて、小悪魔は状況も忘れて思わずにやついた。
「え、なに? どうしたの?」
メディスンが不思議そうに首を傾げると、小さな人形がふわりと宙を舞う。
どこまで説明したものやら。
小悪魔は考えながらメディスンの近づいたところでその香りに気がついた。
薄いものではあるけれど、鈴蘭畑で散々嗅いだ甘く痛いその香り。
「……っ!
美鈴さん!!」
小悪魔は美鈴に駆け寄ると、肩を掴んで強引に引き起こした。小悪魔がその顔を覗き込むと、美鈴は変わらず張り付けたような笑みを浮かべていた。それが逆に小悪魔の心を凍えさせる。
「美鈴さん!!」
小悪魔が肩を強くゆすると、ようやく気がついたのか美鈴は何度か瞬きをしてから、
「あれ……小悪魔ちゃん?」
「大丈夫ですか!?」
「え……あ……な、何が?」
「何がじゃありませんよ!」
美鈴の口元に鼻を近づけると、鈴蘭の香りが強く漂っていた。
メディスンが無意識に纏っている微弱な毒。それを集気の技で自分に集めて拡散させないようにしていたのだろう。今の美鈴はヘタをするとメディスン自身よりも鈴蘭の香りが強い。
メディスンに声が聞こえないようにと小声になった小悪魔は、
「ずっとメディスンさんの横にいたのはそういうことだったんですか。
でも、どうしてこんなことしてたんです」
「だって……毒に弱い人もいるでしょ?」
「命知らずの底抜けお人よし」
だって私頑丈だし回復早いしなどと言い連ねる美鈴を無視して小悪魔は咲夜に向き直る。
「申し訳ありませんけど、美鈴さんを医務室に……」
「そうね。
彼女はパチュリーさまのお客様なんだから、あなたが残るのが正しいわね」
咲夜はそう言って立ち上がると、美鈴を仰向けにして膝の裏と背中に手を回して抱き上げる。
「ちょ……咲夜さん、恥ずかしいですよ」
美鈴がじたばたと抗議しても咲夜の腕は揺るぎもしない。
無駄な肉はついていないものの、無駄ではない肉はしっかりとついている美鈴を軽々と支えているあたり、咲夜も決して非力ではない。
抗議を無視してそのまま歩き出そうとする咲夜に、慌てた美鈴が更に激しくもがく。
流石に辛くなった咲夜が腕の中の美鈴に目を落とす。
「う……」
小悪魔からは咲夜の背中しか見えなかったが、美鈴の動きを制するのに十分なものが咲夜の視線に含まれていたのだろう。絶句した美鈴は視線を泳がせて「あー」とか「うー」とか言っていたが、しばらくしてあきらめたように体の力を抜いた。照れくさそうな笑みが浮かんでいる。
咲夜は軽く頷くと、改めて足を踏み出す。
「ねぇ」
そんな咲夜に声がかけられた。
「私、毒使いだけど毒も使いようによっては薬になるよ。
診てあげようか?」
咲夜が肩越しに振り返る。
彼女の鋭い美貌が、その鋭さを増していた。氷のような無表情。けれどそれは煮えたぎるようなそれを隠すための仮面に過ぎないことは、瞳を見れば明らかだった。彼女が時を止める能力を全力で使うときのような、血の色には染まっていない。
けれど、それ以上に純粋な怒りに染まっていた。
「え……」
その純化された感情に押されたメディスンが、思わず一歩下がる。それを見た咲夜の瞳が細められた。怒りの表情に、苛立ちが混じる。だが、結局咲夜は何も言わずに背を向けた。美鈴が小さく咳き込んだのが、抱えた手に伝わったからかもしれない。
咲夜が足早に去っていく。
咲夜の視線から開放されたメディスンが大きく息をついた。彼女の横に浮いている小さな人形も同じような動作をしている。
「こ、怖かった……」
位置的にメディスンの後ろにいたため、咲夜の怒りの余波を貰っていた小悪魔はその言葉に心底同情した。
瞳が赤くなっていなかったし、腕に美鈴を抱えていたのでナイフを持ち出してくることはないだろうと小悪魔は踏んでいたが、メディスンにはそんなことはわからない。
瞬きの間に殺されているかもしれない。
咲夜の能力を知るメディスンがそう考えたとしても、無理はない。
「ねえ、どうしてあの人あんなに怒っちゃったのかな」
唇を尖らせてメディスンが不満げに呟く。
毒を空気として呼吸する彼女からしてみれば、美鈴の体調不良と咲夜の激怒の理由が理解できないのだろう。
「メディスンさま。
ご無礼を承知で申し上げます」
だからこそ、小悪魔は事実を教える必要があると感じた。
「美鈴は、あなたの毒に冒されたのです。
咲夜はそれに怒っただけ」
小悪魔の言葉にメディスンは驚いた表情になった。
「私は毒を撒いたりしてないわ」
「ですがあなたの周りにはいつも弱いけれど毒が舞っています。
ほら、今も」
小悪魔はメディスンに近づき、適当に辺りの空気を掴んでメディスンに向かって手を開いて見せる。
白い掌に紫の斑点が一つ、二つ。
「……で、でも、
これは私がやろうとしてやったことじゃないわ!」
「ええ。
それは美鈴も咲夜も承知しています」
「じゃあどうして私に怒るのよ!」
「例えばあなたの大切な鈴蘭が
誰かがうっかりこぼした毒で枯れてしまったら、
あなたはその人に怒らずにいられますか?」
「……っ!」
きっと小悪魔を睨んだメディスンだったが、しばらくして目が力を失って伏せられた。
「どうしろって言うのよ……
私は毒がないとここにいられないのよ」
最初に紅魔館に来たときの快活さはなりを潜め、途方に暮れて呟く。
「はい。あなたはただそこにいただけ。
だから、美鈴も咲夜もあなたを責める言葉は口にしなかったはずです」
力を失った視線は小悪魔には向けられず、二人が立ち去った廊下を彷徨った。
「でも、この出来事を忘れないでいただきたいと思います」
「それって、ずっと私にこんな気分でいろってこと?」
「そんなことはありません。
でも、この出来事を覚えている間は、
あなたのその毒が無自覚に他の人を傷つけてしまうことはないと思いますから」
「そう、そんなことがあったのね」
図書館の片隅にある大テーブルで紅茶を飲みながら、小悪魔の語りにパチュリーはそう返した。
大テーブルを挟んだ反対側には、肩を落として俯いているメディスンが座っている。その前に置かれた紅茶に手はつけられていない。一緒に出された珍しい毒にも興味を見せる様子はなかった。
「それにしてもあなた、お客様に対して随分な差し出口をしたものね。
毒でぐずぐずと溶かされていても文句は言えないところよ」
自分の招いた客人が落ち込んでいるのを不思議に思ったパチュリーが、それを小悪魔に聞いてみたところ図書館前での一幕を話されたのだ。
「……はい。申し訳ございません」
実際のところパチュリーが改めて釘を刺すまでもなく、小悪魔も落ち込んでいた。自分の主観からくる的の外れた説教で客人を落ち込ませてしまったことで、自分の器量のなさにがっくりきているらしい。
「まあいいわ。気のいいお客様に感謝なさい」
小悪魔は黙って腰を折った。
正直なところ、パチュリーは非常に困っていた。空気が重くて気楽に話ができる雰囲気にならないのだ。場の空気を盛り上げる話術など彼女自身にあるわけなどなく、無駄に騒々しいが今はその存在が恋しい盗人魔法使いは今日に限って襲撃してこない。
「とりあえず、約束の品をお渡しするわね。
小悪魔?」
小さな返事と共に、パチュリーの後ろに控えていた小悪魔が進み出ると、テーブルの上に小瓶を置いていく。
「鉱物を原料にする毒よ」
メディスン自身が鈴蘭畑で生まれたからか、あまり鉱物の毒に馴染みがない。パチュリーがメディスンを招くにあたって彼女に提供するものとして示したのが、この毒たちだ。
「取り扱いには注意して。
うっかり鈴蘭畑にぶちまけたら酷いことになるわ」
僅かに顔を上げたメディスンが、小瓶に目をやって軽く頷いた。
「…………」
「…………」
「…………」
パチュリーが紅茶を啜る音だけが響く。
誰か助けて。
重さに耐えかねたパチュリーが切実にそう祈るのも無理はない。
しかし彼女は魔女である。神が彼女を助けることはありえない。
彼女の祈りを聞き届けたのは悪魔だった。
「小悪魔、あそぼー!」
「い、妹様!?」
それも破壊の悪魔のほうだった。
図書館の重いはずの大扉を暖簾か何かのように押し開けて、走る勢いそのままに突っ込んできたフランドールが、小悪魔の手を掴んでその場で踊るように一回転。
「小悪魔、何か面白いこと教えて。
お話でも、本でも、ゲームでも、なんでも!」
フランドールは小悪魔の手を掴んだまま、くるくると回り続ける。地面に足がつかないほどの勢いで振り回されている小悪魔はたまったものではないだろうが、横で見ているパチュリーには微笑ましい。
「妹様、そろそろ手加減してあげて。
目を回してしまっているわ」
「あれ……。
あはは、ごめんねー小悪魔」
ようやく足をつけた小悪魔はへろへろと座り込みながら、苦笑を返す。
そんな様子にくすくすと笑う声が複数あったことに気がついて、フランドールはようやくテーブルに目を向けた。
「あれ? その子だれ?」
「私のお客様よ」
「ふぅん?」
フランドールは小首を傾げると、また笑顔になってメディスンに向かって手を振る。
「初めまして、お客様。
フランドール・スカーレットよ」
「え、あ……
メディスン・メランコリーよ」
驚きつつも自己紹介したメディスンに、にこにこしながら近づこうとしていたフランドールがふと足を止めた。
「ん……何かいい匂い」
メディスンの身を包む鈴蘭の香りに気がついたのだろう。形のよい鼻をひくひくさせて呟く。
「あ……ダメ!
それは毒だから!」
「そうなの? 全然平気よ?」
「でも、あの門番さんは倒れちゃったから」
自分で言って思い出したのか、表情が暗くなる。せっかく上がった目が、また伏せられてしまう。フランドールはそんなメディスンを不思議そうに見ていたが、何かに気がついたのかぱっと明るい顔になった。
「ねえ。
ちゃんとごめんなさいした?」
メディスンの目が弾かれたように上げられる。
「やっぱり。
ちゃんとごめんなさいしないと、気持ち悪いよ?」
胸を張って珍しくお姉さん風を吹かせてみせるフランドールをぽかんと見ていたメディスンは、はっとして小悪魔を振り返る。
「ねえ!
医務室って何処にあるの!?」
「ご案内いたします」
パチュリーの傍らから進み出た小悪魔は主に深く一礼して、メディスンを促すと大扉に向かって歩き出す。慌てたせいか椅子から転がり落ちるようにして立ち上がり小悪魔に続くメディスンの後ろから、「わたしもわたしもー」とフランドールがついて行く。
「ああ、3人とも待ちなさい。
せっかくのお見舞いも、きちんと毒の対処をしてからでないと意味がないんだから」
言いながらパチュリーは懐に手をやると、小さなペンダントを取り出した。
中心につけられた小さな緑色の石を軽く握る。
宝石を握りこんだ手を中心に、宙に小さな紫色の魔方陣が展開された。同時に、初夏の草原を思わせるような爽やかさを孕んだ風が薄暗い図書館を吹きぬける。
驚く3人の前で、魔方陣が宝石を包み込んだ手にしみこむようにして消えていく。
淡い輝きの魔法陣はパチュリーの魔力だ。
柔らかく風を起こし、彼女の菫色の髪を揺らせたそれが、手を開くとうっすらと発光するようになった宝石の中に封じられていた。
「風の浄化魔法が篭ったアクセサリになったわ。
これを身に着けている間はあなたの毒は拡散しない」
パチュリーは手招きして呼び寄せた小悪魔にそれを渡しながら説明を続ける。
「ただ、あなたが毒を使って戦おうとするのも阻害してしまうでしょうから、
何かあったらすぐ外すようになさい」
言い終えたパチュリーは、まだカップに残っていた紅茶を一口啜った。
小悪魔からペンダントを手渡されたメディスンはじっと手の中のそれを見てから、
「ねえ、どうしてこんなに良くしてくれるの?
私はあなたに何もあげてないのに」
「単純なギブアンドテイクよ。
あなたは気がついていないだけで、
私にとってすごく有用なものを提供してくれたのよ。
だから私はあなたにそれに見合う魔法の薬とアイテムを提供しただけ」
パチュリーの言葉を聞いたメディスンはもう一度視線を手の中のそれに落とした。
小悪魔とフランドールが大扉の前で自分を待っていることに気がついたメディスンは、何かがよくわからないもののとりあえずと顔を上げると図書館に入ってきて初めての笑顔で笑った。
「ありがとう!」
その後も小悪魔は多忙だった。
医務室でメディスンが美鈴に謝り、なぜか咲夜が美鈴にかわり了承した後、気がついたら仲良くなっていたメディスンとフランドールの弾幕ごっこが始まった。
飛び交う魔力弾。ほとばしる毒。そしてぶっ壊れる屋敷と吹っ飛ばされるメイドたち。
轟音に寝ていられなくなったレミリアが起き出してくるまで騒動は続き、メイドたちは無傷だったが紅魔館の三割ほどが瓦解した。
「こんなに景気良く壊れたのも久しぶりね。
……腕が鳴るわ」
「魔理沙さんも妹様もあんまり物理的に暴れてくれなくなっちゃいましたからねー。
私たち無駄飯ぐらいのような気がして肩身狭かったですもんね」
「どうせなら壊れた部分の図面を引きなおして拡張工事やっちゃいます?
予算も資材も十分に余ってますよ」
ねじり鉢巻の工事担当メイドたちが張り切って足場を組み始める。それを受けて小悪魔は屋敷の図面とにらめっこしながら、工事担当長と一緒に工事方法の検討を始めた。ある程度方針が固まったら未だにレミリアに説教を食らっていたフランドールとメディスンをフォローして救い出し、怪力フランドールと毒娘メディスン(弾幕ごっこの後だったのでペンダントは外れていた)から感謝の抱擁を受けて悶絶させられた。
顔で笑って心で泣きながら二人をフランドールの居室に案内する。一緒に遊ぼう、というお誘いは謹んで辞退させていただいて図書館に戻ってみれば、今頃になってメディスンがいたときの毒が効いてきたらしい主が危険な痙攣をしていたので医務室に搬送。
搬送先の医務室では美鈴がぶっ倒れたことを知った門番隊が酒を片手に見舞いに来ていた。問答無用で宴会に巻き込まれ軽く酒が回ったあたりで席を外していた咲夜が戻ってきた。有無を言わさずナイフに医務室を追い出され、一緒に追い出された門番隊に拉致されて飲み直し。
というわけで、ようやく自室に帰ってきた小悪魔はへろへろに疲れていた。
シャワーを浴びてごろりとベッドに横になると、天井を見上げながら少々アルコールの回った頭で今日を振り返ってみてため息をつく。
「まだまだ……かなぁ」
何がというわけではないが、そう感じた。
小悪魔は静かに目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは自分の先を歩いている多くのひとたちの背中。
今日は背中との距離を痛感した一日だったような気がする。
寝返りを打ってシーツを撒きつける。
感じた距離は遠い。そんなことはわかっている。
そう、そんなことはわかっている。
だが、立ち止まっていればますます背中は離れていくだけだ。
紅魔館にいる限り、明日も今日と変わらず忙しい一日だろう。
そして忙しい一日は遠い背中への距離を、きっと縮めてくれるに違いない。
なら明日もがんばってその背中に向かって走っていこう。
小悪魔は明日を思いながら襲いくる睡魔に身を任せた。
未読の方はそちらを先に一読いただくようお願いいたします。
スプーンを咥えた小悪魔の鼻から、はふぅと息が漏れた。
「お疲れですね、小悪魔さん」
そんな小悪魔に、笑みを含んだ声がかけられる。
「門番隊はテンション高い上に体力ありますからねぇ。
一緒にいるとすごく楽しいんですけど、疲れるんですよ」
返事をしながら目を向ければ、咲夜直轄の統括部隊のメイドの一人だった。食事が終わっているらしい彼女が、紅茶とクリームの添えられたシフォンケーキを手に近づいてくる。
「でも、随分と仲がよろしいようで」
もごもごと残りのピラフを頬張る小悪魔に笑いかけてから、門番隊が去って空いていた席に腰を下ろした。
「そうですか?
あー。そうかもしれませんねぇ」
「騒々しいかもしれませんが、楽しい方々です。
美鈴さんはよい仲間に囲まれてらっしゃる」
ふふ、と笑みを浮かべるそのメイドは、紅魔館では非常に数少ない年嵩のメイドだった。妖怪であるため見た目は他のメイドたちと変わらないが、咲夜はおろか小悪魔よりも以前から紅魔館に暮らす一人であり、若いメイドたちがほとんどを占める紅魔館において咲夜とは違った方向から「メイドとは」を示す模範でもある。
「美鈴さんも大変ですよね。
あれだけ毎日騒々しいと」
「でも、きっと喜んでらっしゃると思いますよ。
門番隊は美鈴さんが作り上げたようなものですから」
「あれ? 門番隊って最初からあったわけじゃないんですか?」
「ええ。美鈴さんが最初のひとりですから」
「へ?」
「あら、ご存知なかったかしら。美鈴さんが門番になってから
返り討ちにしたひとをスカウトして作り上げられたのが今の門番隊なんですよ?」
唖然とする小悪魔の頬についていた米粒を指摘しておいて、そのメイドはまた笑う。
「だから、最初の門番隊は随分と荒んでいましたよ。
今でこそじゃれあいのような美鈴さんとのいざこざも、
毎回命のやり取りでしたから」
米粒を取りながら、小悪魔は今朝も見た美鈴と門番隊の大騒ぎを思い出していた。
「想像もつきませんね……」
「きっと、美鈴さんにとってその言葉は何よりも嬉しいものでしょう」
食事を終えた小悪魔の前に、ティーカップが差し出される。
礼を言ってティーカップを受け取り一口。
小悪魔の中で味と香りから導き出されたブレンドレシピは随分と古いもので、現在の紅魔館が仕入れる茶葉で十全な味を表現することはできないはずだったが、目の前のメイドが淹れてくれた紅茶は熟成された技を感じさせる、豊穣な味わいを持ったものだった。
「そういえば……
美鈴さんが門番になったところをご存知なんでしたら、
紅魔館に来たころもご存知だったりするんですか?」
「ええ」
至極あっさりと頷かれて、小悪魔は逆に言葉に詰まる。
「しかしながら、そのあたりのお話は私の口から申し上げる訳にはまいりません」
さりげない、けれど絶対の意志が込められた一言だ。
「ご本人に聞かれてはいかがです。
美鈴さんであれば、きっと訳もなく拒否されることはないと存じますが」
「え……あ……
そうですね。機会があったら、茶飲み話にでも」
小悪魔は続けられた言葉に素直に乗った。確かに、本人がいない間に人様の過去をあれこれと詮索するのはいい趣味と言えない。ブン屋という情報の収集者ならともかく、司書という知識の活用者が他人の過去などという知識を求め、まかり間違ってそれを活用してしまったら、主であるパチュリーにも顔向けできなくなってしまう。
小悪魔は深く反省し、同時に恥じた。
そんな彼女に穏やかに微笑むと、
「小悪魔さんも、シフォンケーキはいかがです?」
「あ、いただきます」
いつの間にか用意されていたもう一皿が、小悪魔の前にそっと置かれた。
小悪魔がフォークを手にケーキを食べ始めたところで、別のメイドが軽く頭を下げて通り過ぎていった。
「もう少し小悪魔さんとお話していたかったのですが、
そろそろ私たちの休憩時間は終わりのようです」
通り過ぎていったメイドも統括部隊のメイドだったのだろう。
「それでは小悪魔さん、ごゆるりと」
首を傾げるように軽く頭を下げられて、小悪魔も慌てて口のものを飲み込んで立ち上がると頭を下げた。
そんな小悪魔に笑みを返してから背を向けると、しずしずと去っていく彼女。
自然と伸びた背筋。
決して急かない歩調。
隙のない、けれども余裕のある物腰。
それを見送った小悪魔は、その背中にもう一度頭を下げた。
小悪魔が腰を下ろしてシフォンケーキを食べていると、しばらくして呼び出しがかかった。
パチュリーが招いた客人が到着したらしい。それを連絡してくれた門番隊の一人に礼を言い、小悪魔は客人に出す紅茶を検討しつつ門前に向かう。
紅茶自体は小悪魔が知る最もよいものをお出ししようと決めてはいたのだが、もう一つ。
「……海ウサギの角の粉でも添えればいいのかしら」
紅茶にあう味なのか自信はない。
小悪魔はロビーを通り、正面玄関から正門まですばやく、けれど急いでいるように見えないように歩く。
少々時間をかけてたどり着いた正門では門番長である美鈴が、客人と談笑していた。
「いらっしゃいませ。
主パチュリーの招きに応じていただき、ありがとうございます」
海ウサギの角の粉末。それは幻想になりえた伝統の毒薬。
声に気付いて振り返る客人。
人の間にあろうとする人の形。
メディスン・メランコリー。
「あ、悪魔さん。
こんにちは、お邪魔するわ」
振り返ったメディスンの横で、小さな人形が頭を下げた。
「いらっしゃいませ、メディスンさま。
先日はお騒がせしました」
「まあ、初めてくるんじゃ仕方ないわよね」
パチュリーの招きの知らせを持って、小悪魔が鈴蘭畑を訪ねたときの話だ。
小悪魔も幻想郷の妖怪や妖精の中ではそれなりに実力があるほうに部類されるのだが、メディスンの住む鈴蘭畑の毒気はその彼女をして耐え切れるものではなかった。甘い匂いでありながら息をするだけで胸が痛く、そこにいるだけで肌が痛い。たまたまメディスンが永遠亭に行って不在だったこともあって、鈴蘭畑でメディスンを探し回っていた小悪魔はその場でぶっ倒れてしまった。
そのまま放置されていれば小悪魔の主はパチュリーから部下が働いてくれないと嘆く閻魔あたりに変わっていたのだろうが、タイミングよくメディスンが帰ってきた。
「解毒、ありがとうございました」
「うん」
毒も使いようによっては薬になる。
「で、私を招待してくれたパチュリーってどこにいるの?」
「紅魔館の中にある図書館でお待ちです。
ご案内いたしますので、ついていらしてください」
小悪魔はメディスンがついてくることを確認して、前に立って歩き始めた。
紅魔館の庭は広い。
その庭を覆うように様々な花が咲き乱れている。特に、季節の花の花壇はひときわ賑やかだ。桜が散る頃から開き始め、今最も美しい季節にさしかかっているチューリップが瑞々しい輝きを放っている。華やかさではチューリップに譲るものの、蓮華草や石楠花も負けてはいない。
「たまにはスーさん以外のお花も悪くないわねー」
「あ、そういってもらえると嬉しいです。
このお花さんたちは私が育ててるんですよー」
一緒についてきている美鈴が、メディスンの呟きに嬉しそうに笑う。
小悪魔はこっそりと首をかしげた。
何故美鈴までついてきているのだろう。
「ところで、スーさんとは?」
「あ、私は普段は鈴蘭畑にいるのよ。
風が吹いたときに舞い散るスーさんは綺麗よー」
「鈴蘭ですか。
ああ、それは良さそうですねぇ……」
館主に挨拶させて欲しい、などという理由で突然訪れる客人には必ず美鈴がつく。怪し過ぎるとは言え、挨拶に来たものを門前払いする狭量さは紅魔館にはない。よほどのことがない限りは館主であるレミリアに接見できる。
しかし、中には名高いレミリアを倒して名を上げようと狙ってくる連中もいる。そういった連中はレミリアに挨拶に行く途中の紅魔館内で暴れだすものも少なくない。最近は紅魔館の中にも人間が増えている。人外の見本のような咲夜はともかく、そのほかの人間のメイドたちは極普通に人間だ。齧られでもしたら洒落にならない。
門番長である美鈴が、不意の客人につくのはそういう理由からだ。
「そうよー。
今くらいの季節に日の出と一緒に来ると一番綺麗だと思うわ」
「そうですか。
花壇のお手入れの参考に、一度見せてもらいに行きましょうかねー」
「うーん。でも、スーさんは勝手に生えてるから、お手入れの参考にはならないかも」
小悪魔が不思議に感じたのは、今回の来客は最初から予定されていたものだったからだ。僅かな時間しか言葉を交わしていないが、メディスンが突然暴れだすようにも感じられない。わざわざ美鈴がついてくる意図がよく分からない。
そんな疑問を頭の中で転がしながら歩いて、館の入り口にたどり着く。
メディスンは紅魔館の正式な来客者だ。
「う、うわぁ……」
入り口の大扉を開けると、恐ろしく広い玄関に迎えられる。西洋風の紅魔館であるため、靴を脱ぐようなつくりにはなっていない。そのまま少し踏み込めば、すぐにロビーに繋がっている。身体が沈み込むのが感じられるほどやわらかい真紅の絨毯は廊下と同じだが、玄関の両端にメイドたちが並んでいた。必要以上に感情を出さず、だからといって冷たくもない凛とした空気を纏うメイドたち。
玄関の真ん中に、咲夜が立っていた。
扉を開けた小悪魔もその隣に並ぶ。
「お待ちしておりました。
ご来訪を心より歓迎いたします」
言葉と一緒に深く頭を垂れる。
咲夜の動作にあわせて小悪魔は左右のメイドたちと頭を下げた。
「ちょ……」
こういう扱いになれているはずがないメディスンは思わず隣にいた美鈴に視線を向ける。美鈴はそのひるんだ様子に励ますように笑みを返しておいて、
「もう少し砕けた調子にさせていただいてもよろしいですか?」
メディスンがこくこくと何度も頭を縦に振るのを確認して、
「咲夜さん」
「ありがとうございます。
いらっしゃいませ、ようこそ紅魔館に」
美鈴の声に顔を上げた咲夜がにこりと笑った。
左右に並んでいたメイドたちも顔を上げると普段どおりの表情を見せ始める。
「はー……。
びっくりした」
「あはは、すみませんね。
紅魔館でお客様の対応っていうと、今のが本来の対応なもので」
「ううん。びっくりしたけど、ちょっと嬉しい。
こんな風に扱われるのも初めてだから」
そういってメディスンが足を進めると、左右のメイドたちが口々に歓迎の言葉を投げかける。メディスンはそれに笑顔を返しながら、紅魔館に足を踏み入れた。
玄関ロビーからヴワル魔法図書館は遠い。
古い本は日光に弱いため、という理由でそのようになっているのだが、本よりも図書館の主のほうが日光に弱いから奥まった場所にあるんじゃないのか、というのが紅魔館の住人たちの共通認識だ。
「うわー。ここって本当にお家の中なの?
この廊下って春の一番ふっくらした土の上みたいな感触がするわ」
「あの時期に素足で土の上を歩くと気持ちいいですねー。
なんというか、こう沈み込む感触が」
「うん。感触は違うけど、寒い時期の霜も気持ち良いわ」
「ああ、足の下でぱりぱりいうあれですね。
あれもいいですね」
先導のために少し前を歩く小悪魔は二人の会話を背中で聞きながら、僅かに笑みを浮かべた。
花畑の管理者でもある美鈴と鈴蘭畑に暮らすメディスンの会話は土に季節を感じる牧歌的なもので、不思議と心が和らぐ。
ふと視線を向けると咲夜も表情自体は普段と変わらないものの、目元の辺りがいつになく柔らかい。
「ね、鈴蘭の畑でも
他のお花って育つかな?」
「……どうでしょうね?
それこそパチュリーさまにお会いされることですし、
その席でお話を聞いてみてはいかがですか?」
「パチュリーってそういうのに詳しい人なの?」
「…………たいていのことはなんでもご存知の方ですから、大丈夫だと思いますよ」
にこにこしているメディスンの横で、美鈴が大きく息をつく。
それを耳にした咲夜の表情が微妙に変化した。
お客様がいる前では、ため息を漏らすことなど許されない。お客様に「この人は自分との会話に飽きている」と思わせてしまう可能性があるので禁止事項の上位にある。
「そっかー。じゃあパチュリーに聞いてみるね」
「………………ええ」
「あなたはスーさんの色と並べるなら、
どんな色がいいと思う?」
「……………………えと。
私なら、白……ですかね」
「白かぁ。スーさんの色が映えそうねー。
カスミソウとかかな?」
「…………………………カスミソウなら、
私の育てている中にありますし、少しお持ちになりますか?」
「え、いいの?」
「………………………………ええ」
美鈴がまた大きく息をつく。
小悪魔が視線を横に向けると訝しげな咲夜の視線とぶつかった。
理由はわからないが、美鈴の受け答えが不自然に遅い。それも、突然遅くなった。
軽く小首をかしげて見せた小悪魔に、咲夜は小さく首を横に振ってみせる。
二人はこっそりと肩越しに美鈴を振り返った。そこにいるのはいつも通りの美鈴だ。にこやかな表情や不思議と躍動感のある動きは普段と変わらない。ただ、図書館に近づくにつれて日の光が弱まってくると、その明るさが妙によそよそしい気がした。
ともかくも、歩いていれば目的地は近づいてくる。
小悪魔は図書館の扉の前までくると足を止めた。
木製の大扉だ。廊下の窓のようなレリーフはないが、刻まれた年数が重厚さを醸し出している。小悪魔はメディスンが漏らす感嘆の声を誇らしく思いながら、扉の取っ手に手をかけた。
……と、
「きゃ……」
小さな悲鳴が小悪魔の耳に飛び込んできた。
驚いて振り返ると、咲夜と美鈴がもつれ合って廊下に転んでいた。咲夜が下で、美鈴が上。それもどういうわけだか美鈴が咲夜の胸に顔をうずめてしまっている。
「ちょ、ちょっと美鈴!?」
わたわたと意味なく手を振り回す咲夜。
その頬が真っ赤になっているのに気がついて、小悪魔は状況も忘れて思わずにやついた。
「え、なに? どうしたの?」
メディスンが不思議そうに首を傾げると、小さな人形がふわりと宙を舞う。
どこまで説明したものやら。
小悪魔は考えながらメディスンの近づいたところでその香りに気がついた。
薄いものではあるけれど、鈴蘭畑で散々嗅いだ甘く痛いその香り。
「……っ!
美鈴さん!!」
小悪魔は美鈴に駆け寄ると、肩を掴んで強引に引き起こした。小悪魔がその顔を覗き込むと、美鈴は変わらず張り付けたような笑みを浮かべていた。それが逆に小悪魔の心を凍えさせる。
「美鈴さん!!」
小悪魔が肩を強くゆすると、ようやく気がついたのか美鈴は何度か瞬きをしてから、
「あれ……小悪魔ちゃん?」
「大丈夫ですか!?」
「え……あ……な、何が?」
「何がじゃありませんよ!」
美鈴の口元に鼻を近づけると、鈴蘭の香りが強く漂っていた。
メディスンが無意識に纏っている微弱な毒。それを集気の技で自分に集めて拡散させないようにしていたのだろう。今の美鈴はヘタをするとメディスン自身よりも鈴蘭の香りが強い。
メディスンに声が聞こえないようにと小声になった小悪魔は、
「ずっとメディスンさんの横にいたのはそういうことだったんですか。
でも、どうしてこんなことしてたんです」
「だって……毒に弱い人もいるでしょ?」
「命知らずの底抜けお人よし」
だって私頑丈だし回復早いしなどと言い連ねる美鈴を無視して小悪魔は咲夜に向き直る。
「申し訳ありませんけど、美鈴さんを医務室に……」
「そうね。
彼女はパチュリーさまのお客様なんだから、あなたが残るのが正しいわね」
咲夜はそう言って立ち上がると、美鈴を仰向けにして膝の裏と背中に手を回して抱き上げる。
「ちょ……咲夜さん、恥ずかしいですよ」
美鈴がじたばたと抗議しても咲夜の腕は揺るぎもしない。
無駄な肉はついていないものの、無駄ではない肉はしっかりとついている美鈴を軽々と支えているあたり、咲夜も決して非力ではない。
抗議を無視してそのまま歩き出そうとする咲夜に、慌てた美鈴が更に激しくもがく。
流石に辛くなった咲夜が腕の中の美鈴に目を落とす。
「う……」
小悪魔からは咲夜の背中しか見えなかったが、美鈴の動きを制するのに十分なものが咲夜の視線に含まれていたのだろう。絶句した美鈴は視線を泳がせて「あー」とか「うー」とか言っていたが、しばらくしてあきらめたように体の力を抜いた。照れくさそうな笑みが浮かんでいる。
咲夜は軽く頷くと、改めて足を踏み出す。
「ねぇ」
そんな咲夜に声がかけられた。
「私、毒使いだけど毒も使いようによっては薬になるよ。
診てあげようか?」
咲夜が肩越しに振り返る。
彼女の鋭い美貌が、その鋭さを増していた。氷のような無表情。けれどそれは煮えたぎるようなそれを隠すための仮面に過ぎないことは、瞳を見れば明らかだった。彼女が時を止める能力を全力で使うときのような、血の色には染まっていない。
けれど、それ以上に純粋な怒りに染まっていた。
「え……」
その純化された感情に押されたメディスンが、思わず一歩下がる。それを見た咲夜の瞳が細められた。怒りの表情に、苛立ちが混じる。だが、結局咲夜は何も言わずに背を向けた。美鈴が小さく咳き込んだのが、抱えた手に伝わったからかもしれない。
咲夜が足早に去っていく。
咲夜の視線から開放されたメディスンが大きく息をついた。彼女の横に浮いている小さな人形も同じような動作をしている。
「こ、怖かった……」
位置的にメディスンの後ろにいたため、咲夜の怒りの余波を貰っていた小悪魔はその言葉に心底同情した。
瞳が赤くなっていなかったし、腕に美鈴を抱えていたのでナイフを持ち出してくることはないだろうと小悪魔は踏んでいたが、メディスンにはそんなことはわからない。
瞬きの間に殺されているかもしれない。
咲夜の能力を知るメディスンがそう考えたとしても、無理はない。
「ねえ、どうしてあの人あんなに怒っちゃったのかな」
唇を尖らせてメディスンが不満げに呟く。
毒を空気として呼吸する彼女からしてみれば、美鈴の体調不良と咲夜の激怒の理由が理解できないのだろう。
「メディスンさま。
ご無礼を承知で申し上げます」
だからこそ、小悪魔は事実を教える必要があると感じた。
「美鈴は、あなたの毒に冒されたのです。
咲夜はそれに怒っただけ」
小悪魔の言葉にメディスンは驚いた表情になった。
「私は毒を撒いたりしてないわ」
「ですがあなたの周りにはいつも弱いけれど毒が舞っています。
ほら、今も」
小悪魔はメディスンに近づき、適当に辺りの空気を掴んでメディスンに向かって手を開いて見せる。
白い掌に紫の斑点が一つ、二つ。
「……で、でも、
これは私がやろうとしてやったことじゃないわ!」
「ええ。
それは美鈴も咲夜も承知しています」
「じゃあどうして私に怒るのよ!」
「例えばあなたの大切な鈴蘭が
誰かがうっかりこぼした毒で枯れてしまったら、
あなたはその人に怒らずにいられますか?」
「……っ!」
きっと小悪魔を睨んだメディスンだったが、しばらくして目が力を失って伏せられた。
「どうしろって言うのよ……
私は毒がないとここにいられないのよ」
最初に紅魔館に来たときの快活さはなりを潜め、途方に暮れて呟く。
「はい。あなたはただそこにいただけ。
だから、美鈴も咲夜もあなたを責める言葉は口にしなかったはずです」
力を失った視線は小悪魔には向けられず、二人が立ち去った廊下を彷徨った。
「でも、この出来事を忘れないでいただきたいと思います」
「それって、ずっと私にこんな気分でいろってこと?」
「そんなことはありません。
でも、この出来事を覚えている間は、
あなたのその毒が無自覚に他の人を傷つけてしまうことはないと思いますから」
「そう、そんなことがあったのね」
図書館の片隅にある大テーブルで紅茶を飲みながら、小悪魔の語りにパチュリーはそう返した。
大テーブルを挟んだ反対側には、肩を落として俯いているメディスンが座っている。その前に置かれた紅茶に手はつけられていない。一緒に出された珍しい毒にも興味を見せる様子はなかった。
「それにしてもあなた、お客様に対して随分な差し出口をしたものね。
毒でぐずぐずと溶かされていても文句は言えないところよ」
自分の招いた客人が落ち込んでいるのを不思議に思ったパチュリーが、それを小悪魔に聞いてみたところ図書館前での一幕を話されたのだ。
「……はい。申し訳ございません」
実際のところパチュリーが改めて釘を刺すまでもなく、小悪魔も落ち込んでいた。自分の主観からくる的の外れた説教で客人を落ち込ませてしまったことで、自分の器量のなさにがっくりきているらしい。
「まあいいわ。気のいいお客様に感謝なさい」
小悪魔は黙って腰を折った。
正直なところ、パチュリーは非常に困っていた。空気が重くて気楽に話ができる雰囲気にならないのだ。場の空気を盛り上げる話術など彼女自身にあるわけなどなく、無駄に騒々しいが今はその存在が恋しい盗人魔法使いは今日に限って襲撃してこない。
「とりあえず、約束の品をお渡しするわね。
小悪魔?」
小さな返事と共に、パチュリーの後ろに控えていた小悪魔が進み出ると、テーブルの上に小瓶を置いていく。
「鉱物を原料にする毒よ」
メディスン自身が鈴蘭畑で生まれたからか、あまり鉱物の毒に馴染みがない。パチュリーがメディスンを招くにあたって彼女に提供するものとして示したのが、この毒たちだ。
「取り扱いには注意して。
うっかり鈴蘭畑にぶちまけたら酷いことになるわ」
僅かに顔を上げたメディスンが、小瓶に目をやって軽く頷いた。
「…………」
「…………」
「…………」
パチュリーが紅茶を啜る音だけが響く。
誰か助けて。
重さに耐えかねたパチュリーが切実にそう祈るのも無理はない。
しかし彼女は魔女である。神が彼女を助けることはありえない。
彼女の祈りを聞き届けたのは悪魔だった。
「小悪魔、あそぼー!」
「い、妹様!?」
それも破壊の悪魔のほうだった。
図書館の重いはずの大扉を暖簾か何かのように押し開けて、走る勢いそのままに突っ込んできたフランドールが、小悪魔の手を掴んでその場で踊るように一回転。
「小悪魔、何か面白いこと教えて。
お話でも、本でも、ゲームでも、なんでも!」
フランドールは小悪魔の手を掴んだまま、くるくると回り続ける。地面に足がつかないほどの勢いで振り回されている小悪魔はたまったものではないだろうが、横で見ているパチュリーには微笑ましい。
「妹様、そろそろ手加減してあげて。
目を回してしまっているわ」
「あれ……。
あはは、ごめんねー小悪魔」
ようやく足をつけた小悪魔はへろへろと座り込みながら、苦笑を返す。
そんな様子にくすくすと笑う声が複数あったことに気がついて、フランドールはようやくテーブルに目を向けた。
「あれ? その子だれ?」
「私のお客様よ」
「ふぅん?」
フランドールは小首を傾げると、また笑顔になってメディスンに向かって手を振る。
「初めまして、お客様。
フランドール・スカーレットよ」
「え、あ……
メディスン・メランコリーよ」
驚きつつも自己紹介したメディスンに、にこにこしながら近づこうとしていたフランドールがふと足を止めた。
「ん……何かいい匂い」
メディスンの身を包む鈴蘭の香りに気がついたのだろう。形のよい鼻をひくひくさせて呟く。
「あ……ダメ!
それは毒だから!」
「そうなの? 全然平気よ?」
「でも、あの門番さんは倒れちゃったから」
自分で言って思い出したのか、表情が暗くなる。せっかく上がった目が、また伏せられてしまう。フランドールはそんなメディスンを不思議そうに見ていたが、何かに気がついたのかぱっと明るい顔になった。
「ねえ。
ちゃんとごめんなさいした?」
メディスンの目が弾かれたように上げられる。
「やっぱり。
ちゃんとごめんなさいしないと、気持ち悪いよ?」
胸を張って珍しくお姉さん風を吹かせてみせるフランドールをぽかんと見ていたメディスンは、はっとして小悪魔を振り返る。
「ねえ!
医務室って何処にあるの!?」
「ご案内いたします」
パチュリーの傍らから進み出た小悪魔は主に深く一礼して、メディスンを促すと大扉に向かって歩き出す。慌てたせいか椅子から転がり落ちるようにして立ち上がり小悪魔に続くメディスンの後ろから、「わたしもわたしもー」とフランドールがついて行く。
「ああ、3人とも待ちなさい。
せっかくのお見舞いも、きちんと毒の対処をしてからでないと意味がないんだから」
言いながらパチュリーは懐に手をやると、小さなペンダントを取り出した。
中心につけられた小さな緑色の石を軽く握る。
宝石を握りこんだ手を中心に、宙に小さな紫色の魔方陣が展開された。同時に、初夏の草原を思わせるような爽やかさを孕んだ風が薄暗い図書館を吹きぬける。
驚く3人の前で、魔方陣が宝石を包み込んだ手にしみこむようにして消えていく。
淡い輝きの魔法陣はパチュリーの魔力だ。
柔らかく風を起こし、彼女の菫色の髪を揺らせたそれが、手を開くとうっすらと発光するようになった宝石の中に封じられていた。
「風の浄化魔法が篭ったアクセサリになったわ。
これを身に着けている間はあなたの毒は拡散しない」
パチュリーは手招きして呼び寄せた小悪魔にそれを渡しながら説明を続ける。
「ただ、あなたが毒を使って戦おうとするのも阻害してしまうでしょうから、
何かあったらすぐ外すようになさい」
言い終えたパチュリーは、まだカップに残っていた紅茶を一口啜った。
小悪魔からペンダントを手渡されたメディスンはじっと手の中のそれを見てから、
「ねえ、どうしてこんなに良くしてくれるの?
私はあなたに何もあげてないのに」
「単純なギブアンドテイクよ。
あなたは気がついていないだけで、
私にとってすごく有用なものを提供してくれたのよ。
だから私はあなたにそれに見合う魔法の薬とアイテムを提供しただけ」
パチュリーの言葉を聞いたメディスンはもう一度視線を手の中のそれに落とした。
小悪魔とフランドールが大扉の前で自分を待っていることに気がついたメディスンは、何かがよくわからないもののとりあえずと顔を上げると図書館に入ってきて初めての笑顔で笑った。
「ありがとう!」
その後も小悪魔は多忙だった。
医務室でメディスンが美鈴に謝り、なぜか咲夜が美鈴にかわり了承した後、気がついたら仲良くなっていたメディスンとフランドールの弾幕ごっこが始まった。
飛び交う魔力弾。ほとばしる毒。そしてぶっ壊れる屋敷と吹っ飛ばされるメイドたち。
轟音に寝ていられなくなったレミリアが起き出してくるまで騒動は続き、メイドたちは無傷だったが紅魔館の三割ほどが瓦解した。
「こんなに景気良く壊れたのも久しぶりね。
……腕が鳴るわ」
「魔理沙さんも妹様もあんまり物理的に暴れてくれなくなっちゃいましたからねー。
私たち無駄飯ぐらいのような気がして肩身狭かったですもんね」
「どうせなら壊れた部分の図面を引きなおして拡張工事やっちゃいます?
予算も資材も十分に余ってますよ」
ねじり鉢巻の工事担当メイドたちが張り切って足場を組み始める。それを受けて小悪魔は屋敷の図面とにらめっこしながら、工事担当長と一緒に工事方法の検討を始めた。ある程度方針が固まったら未だにレミリアに説教を食らっていたフランドールとメディスンをフォローして救い出し、怪力フランドールと毒娘メディスン(弾幕ごっこの後だったのでペンダントは外れていた)から感謝の抱擁を受けて悶絶させられた。
顔で笑って心で泣きながら二人をフランドールの居室に案内する。一緒に遊ぼう、というお誘いは謹んで辞退させていただいて図書館に戻ってみれば、今頃になってメディスンがいたときの毒が効いてきたらしい主が危険な痙攣をしていたので医務室に搬送。
搬送先の医務室では美鈴がぶっ倒れたことを知った門番隊が酒を片手に見舞いに来ていた。問答無用で宴会に巻き込まれ軽く酒が回ったあたりで席を外していた咲夜が戻ってきた。有無を言わさずナイフに医務室を追い出され、一緒に追い出された門番隊に拉致されて飲み直し。
というわけで、ようやく自室に帰ってきた小悪魔はへろへろに疲れていた。
シャワーを浴びてごろりとベッドに横になると、天井を見上げながら少々アルコールの回った頭で今日を振り返ってみてため息をつく。
「まだまだ……かなぁ」
何がというわけではないが、そう感じた。
小悪魔は静かに目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは自分の先を歩いている多くのひとたちの背中。
今日は背中との距離を痛感した一日だったような気がする。
寝返りを打ってシーツを撒きつける。
感じた距離は遠い。そんなことはわかっている。
そう、そんなことはわかっている。
だが、立ち止まっていればますます背中は離れていくだけだ。
紅魔館にいる限り、明日も今日と変わらず忙しい一日だろう。
そして忙しい一日は遠い背中への距離を、きっと縮めてくれるに違いない。
なら明日もがんばってその背中に向かって走っていこう。
小悪魔は明日を思いながら襲いくる睡魔に身を任せた。
小悪魔可愛いよ。ちょっとお姉さんぶる妹様最高です。
他の方のSSでもメディがようやく使われだしているので嬉しさ倍増。
さて、なにやらトップ二人が次のわるだくみをしているようですが・・・。
「生まれてきてごめんなさい、生きていてごめんなさい」
させられるとは、メディスンも可哀そうに・・・
それだけ紅魔館は美鈴&咲夜に肩入れしてるということでしょうか(笑)
騒動の本番はこれからのようで、続きが楽しみです。
コメントありがとうございました。
今回のメディスンには「力の責任」を学習してもらうというコンセプトで出したつもりでした。
(同じく力の使い方を知らないタイプであろうフランが諭しているのはそのせいです)
「生まれてきて~」という受け取り方をされる方がいるのであれば、
おそらく私の話の展開と舞台設定に拙いところがあったのだと思います。
ご指摘ありがとうございます。
精進します!
私の暴言に近いコメントに、作者さんから丁寧なお返事が…
となれば、なぜそう思ったのか説明するのが私の責任ですね。
メディを糾弾したのが咲夜と子悪魔でなければ、そんなふうには思わなかったでしょう。
小悪魔は招待主・パチェの代理人であり、咲夜は紅魔館を取り仕切る責任者。
そして二人とも、メディがいわば「人形にして毒そのものの生命」であることを知っているはず。
(咲夜は直接弾幕りあってますし、パチェはそれ故メディを招いたのでしょうし)
しかし彼女らは、メディを招くにあたり(十分な知識と能力を持ちながら)何の対策もとらなかった。
言うなれば、使うべき「力」を使わなかったという責任。
みんなして美鈴に謝るべきなのに、メディ一人が・・・というわけです。
後から言うと限りなく恰好悪いですが、「力の責任」を教えたいのだということはわかってました。
半分ブラックジョークのつもりだったので、申し訳なく思ってます。
あなたの作品は、以前から楽しく読ませていただいてます。
勝手な言い分ではありますが、これに懲りずに今後も頑張ってください。
長文失礼しました。
この、おおよそ悪魔の館らしくない紅魔館が大好きです。
フランちゃんは元気いっぱいで可愛いし、小悪魔も良い味だしてますね。
このシリーズの続編を願うばかりです。
ねじり鉢巻は予想外でした。
活き活きとしている住人達に乾杯。
江戸っ子職人を想像した私って・・・
色んなメイドさんが居るのですね~。
雰囲気の良い紅魔館、テンポの良い話で一気に引き込まれて、あっとゆうまに読みすすんでしまいました。
ですが、ここのメディスンの扱いだけはちょっと納得が行きかねます。
メディ悪くないですし、咲夜さん逆恨みに小悪魔はもてなす側だし、これは八つ当たりに過ぎる気がしますね。メディスンが良い子だから良いものの、普通の客なら切れて帰りますね。
メディはこういう経験を得て成長していくんだろうな。