第百十八季 文月の一三
【文々。新聞】
[ 空 飛 ぶ 機 械 ネ ズ ミ 現 る ]
“正体は魔女か? メイドか?”
つい先日、博麗神社付近の空で世にも奇妙な空飛ぶ機械ネズミが目撃された。
複数の目撃証言に拠れば、外見はメイド服を着た人間の女性風で箒にまたがっており、何かを探す様子で神社の近くを
飛び回っていたと言う。服装や箒を使用していた点からメイド、或いは魔法使いと思われるそれが、何故機械ネズミなの
か。その理由は、目撃者の一人である人間(魔法使い)の言葉に拠る。彼女は実際にそれと会話までしたという。以下が
その人間の証言だ。
「間違い無い。あれは機械ネズミだった。あ、若しかしたら機械ネコだったかも。いやネコ型ロボッ……」
かなりあやふやで信憑性が薄くも思えるのだが、この人間の言葉を信用するならば、取り敢えず機械である事は間違い
無いようだ。そこで、科学に詳しい朝倉理香子さん(科学者[自称])に話を聞いてみた。
「(機械ネズミと遭遇した)彼女は、この間の遺跡騒ぎの時に別世界の科学魔法と接触する機会があったしね。その彼
女が『機械だ』って言ってるのなら、これはかなり信用出来そうな話よ。少なくとも、その辺の魔法しか信じてない奴等
なんかの言う事よりはよっぽど」
少々感情に流された意見の様に思えなくもないが、どうやら謎の飛行物体は機械ネズミと言う事で決定らしい。だと
すればこれは、外の世界から流入してきたものと言う事になる。この世界には今迄、そんな機械は無かったからだ。
そしてそれはつまり、人型をした空飛ぶ機械ネズミが、外では最早幻想のもになっている、と言う事でもあるのだ。外の
世界にはもっと進んだもの、例えば、一瞬で地上と月を行き来する巨大な海老天の様な船だとか、そうした私達の想像も
つかない奇妙な物体がそこかしこに溢れ返っているのだろう。
お盆の季節である。暑さの厳しい日が続く。送火の際に故人と一緒になって彼岸に逝ってしまわぬよう、体調の管理
には充分気を付けたい。 (射命丸 文)
「あしたせかいがおわるのよ」
あさり位の大きさをした貝の身から四本の、足にも見えるやや長めの突起物が伸びている。それを用いて砂浜の上を
ゆっくりと移動する。
魅魔の言葉を聞いた靈夢の頭の中に最初に浮かんだのは、そんな奇妙な生き物の姿だった。
脚足せ貝。普通の貝に脚が足されているから脚足せ貝。なりは珍妙なれど味は絶妙。お脚は有れども動きは遅し。
「まぁ、仕方無いんじゃない?」
美味しくて獲り易い。そんなもの、乱獲されて絶滅するとしても、それは当たり前であろう。
まるで根拠の無い想像だけを元に、靈夢は「仕方無い」という言葉を返した。
それを聞いて魅魔は、あなたらしいわね、と、小さく笑いながら言った。あなたらしいという言葉は、山深くの神社に
住み舞々以外の生きた貝を見た事の無いが故の、不可思議な靈夢の思考の流れを見抜いての事なのか。はたまた、「仕
方無い」という言葉そのものに当てられたものなのか。
「で、何の用? まさかこの忙しいのに貝の話をしに来ただけ、なんて事は無いでしょうね」
賽銭箱の脇に腰を下ろし、右手に煎餅を、左手に新聞を持った姿勢で靈夢は言った。もう間も無く陽も沈もうという
この時間、東向きの社殿は靈夢の周囲に陰を作り、快適な環境を供していた。
「忙しいって、そんな格好で言われてもねぇ。舟をせっせと造っているとか、そんなだったら説得力もあるんだけど」
「送りの舟だったら、明々後日に造れば良いじゃない。今日はまだ十三日よ?」
やるなら迎火だ、と、そんな事を言いながらも靈夢には、盆の支度をする心算など微塵も無かった。巫女だから、では
ない。ただ面倒だからと、それだけの事であった。先祖を敬う気持ちが無い訳ではないのだが、わざわざ決められた日に
どうのこうの、と、そうした行為に意味を感じないからであった。そんな事をするなら、常日頃から心の底ででも想って
やれば良い。
「あ、若しかして、迎火を期待してうちに来たの? そう言えば一応、霊だもんね、あなた。
でも悪いけど、うちじゃそんなのやってないわよ」
そんな言葉に、いやまぁ、と、曖昧な笑顔で応えながら魅魔は靈夢へと歩み寄り、そして、どっこいしょ、と彼女の
横にゆっくりと腰を下ろす。年寄りくさいと、靈夢は言った。魅魔は何も言わず、また曖昧な笑みを返した。
「で、何だいこれ」
横から覗き込んでくる顔に靈夢は、新聞紙、と、一言だけを返した。
「そんな事は判ってるわよ。そうじゃなくて、その内容」
今度は少し不服そうな表情をして、改めて魅魔は問うた。
「これって、今日の新聞だろう?」
「そう。今さっき、空から落っこちてきたの」
「でもこの記事、随分と昔の話じゃないか。二十年だったか三十年だったか前のだろう、確か」
空飛ぶ機械ネズミの話を、以前に魅魔は魔理沙から聞いた事があった。この記事に載っている人間の魔法使いというの
は、恐らくは魔理沙だ。それなのに、そんな昔の話が何故今頃になって新聞に載るのか。
「昔っていうのは合ってるけど、そこまで昔じゃないわよ。二十年も三十年も前だったら、私も魔理沙もまだ生まれて
ないじゃない」
これだから妖怪は、と、靈夢は息を吐き、そして続けた。
「よく判らないけどあれじゃない? 何も記事になる様な事が無いもんだから、昔の没になったネタを引っ張り出して
きたとか、そういう事でしょ」
靈夢の推理に、なるほど、と得心する魅魔。そう言えば、終わりの方だけ記事本編と全く無関係な、取って付けた様な
盆の話になっている。恐らくはこの部分だけで、今日この日に出す新聞としての体裁を整えようとしたのだろう。
「で」
興味深そうに記事を読んでいた魅魔の顔から新聞を引き離し、今度は靈夢が魅魔に問うた。
「貝の話でもなし、迎火に誘われた訳でもなし。結局何をしに来たのよ」
貝の話も迎火の話も、どちらも靈夢の方から言い出した事なのだが、まぁそんな些事はどうでも良いか、と、何も
言わずに魅魔はゆっくりと腰を上げる。
そうして、高い位置から靈夢の顔を覗き込み、満面の笑顔で一言、こう言った。
「宴会、しましょう」
◆
魔理沙と出会った時の事を、魅魔は覚えていなかった。
覚えていないぐらいなのだから、大した出会い方でもなかったのかも知れない。魔法を教えてくれとやって来た人間を
気紛れに手元に置いてみたか、或いは、人間のくせに魔法を使おうとする奴が面白くてこちらから彼女を弟子にとったの
か。そんな、大して面白味も無い出会いだった様な気もする。
けれども若しかしたら、妖怪に喰われそうになっている所を助けてやって、とか、或いは、自分が危機に陥っていた
所を助けてもらった、とか、そうした少しは劇的な話だったのかも知れない。
いずれにせよ、覚えていない以上はどうしようもない。魔理沙に訊けば判るのだろうが、それはそれで何だか気恥ず
かしい気がして、そうして結局、魅魔は魔理沙との出会いについての色々を頭に残してはいなかった。
尤も、魅魔自身、それで別に構わない、と考えていた。
昔の事は昔の事であり、今に勝るものではない。そう、魅魔は考えていた。出会った時の事は覚えていなくても、魔理
沙と一緒にいる今だけで、魅魔には充分だった。
魅魔は、魔理沙が好きだった。
魔理沙は努力家である。
魔法とは人外の魔が行使する法であり、本来人間が扱いきれるものではない。よほどの才能に恵まれているのなら話は
別だが、残念ながら魔理沙は普通の人間だった。才能が無い訳ではない、むしろ、普通の人間としてはかなりの才能を
持っているのだが、それもあくまで普通の人間としては、である。
だから魔理沙は、必死に努力をする。魅魔から教えを受けるのは勿論、異変があればすぐに駆けつけ、そこで強力な魔
法を使う者と出会えば、独学でその魔法を自分のものにしようと頑張る。
けれども魔理沙は、そうした自分の努力を決して他人に見せようとはしなかった。生来ひねくれた性格なのか、それ
とも、よほどの才能に恵まれた巫女への対抗心か。兎も角、魔理沙を知る者の悉くが、魔理沙の必死の姿を知らな
かった。
知っているのは魔理沙自身と、そして魅魔だけだった。
だから、魅魔は魔理沙が好きだった。魔理沙と一緒に居ると、楽しかった。
自分が何で悪霊になったのか、魅魔は覚えていなかった。
多くの命を救う為の尊い犠牲になったとか、そういった感動的な話なら良いな、と思ったりもする。だが、そう言えば
自分はかつて、全人類に復讐をしようとしていた気もするので、あまり感動的な理由で死んではいないようだ。
博麗神社に恨みが有った気もするので、あまり善人ではなかったのかも知れない。それ以前に、そもそもが人間では
なかった可能性すらある。悪霊とは何も元が人である必要もあるまい。妖怪変化の霊が居ても良い筈だ。それなら、博麗
に恨みが有る理由も判る。
とは言え、そんな事はどうでもいいか、と、魅魔は思っていた。
魅魔は、靈夢が好きだった。
普段は修行も何もせずに呆けているくせに、いざ異変が起きると慌ててあちらこちらと飛び回る。そうしながらも、最
後にはきっちりと全てを丸く治めてしまう。
そんな靈夢を眺めたり、たまにちょっかいを出してからかうのが好きだった。
もうずっと、そうやって楽しんできた。ずっとというのが、どの位ずっとなのかは判らない。若しかしたら靈夢が生ま
れる以前より、代々の博麗の巫女に対して同じ様な事をしていたのかも知れない。たまにそんな事を考えたりもする。
博麗との付き合いが靈夢個人に対してのものだったのか、それとももっと昔からのものだったのか。
まぁ、どちらでも良いか、と、魅魔は思う。
覚えてもいない過去をあれこれ考えたところで、それは全くの詮無い事。判るのは、今自分の周りには魔理沙と靈夢が
居て、彼女等と一緒に在るのが心地良いという事実。それ以外の、今以外の話など、魅魔にとってはどうでも良い話
だった。
魅魔は、今が楽しければそれで良かった。楽しい今が好きだった。だから、何も迷いはしなかった。
◆
たったの二人で宴会も何もないだろう。満面の笑顔を見上げて、靈夢はそう言葉を返した。
実際その後の半刻程は、境内の白砂に敷かれた茣蓙の上で二人、面と面を合わせて胡坐をかき、靈夢が渋々と神棚
から下ろしてきた吟醸酒をただ静かに呑むだけであった。魅魔は自分から宴会をやろうと言い出しておきながら、酒の
一本も肴の一つも持って来てはいなかった。その事に文句をつける靈夢と、それをどうにも呆けた答ではぐらかす魅魔。
場の雰囲気は、紅い太陽と共にゆっくりと落ち込んでいくばかりだった。
そんな空気を、日没と共に神社へ現れた魔理沙が一変させた。
「お待たせしました、魅魔様~~」
彼女の後ろには、靈夢もよく見知った顔が三つ並んでいた。どうやら魔理沙は、この客人達を宴会場まで連れて来る
よう、魅魔に言い付けられていたらしい。よく見れば服のあちらこちらに、目立たない程度の小さな傷や焦げ跡が付いて
いた。恐らくは、普通に話をすれば何の問題も無く通れた所を、わざわざ一悶着を起こしてから通って来たのだろう。靈
夢は呆れ顔で、魅魔は楽しそうに笑って、けれども二人とも一様に、魔理沙らしいな、と心の中で呟いた。
「……これから寝るところだったのに。勘弁してほしいわ」
「あんた、昼に起きて夜寝てるの? 妖怪のくせに変な奴ね」
「昼? 昼も寝てるわよ、ちゃんと」
靈夢の方には顔も向けず、眠たそうに目を擦りながら声だけを返す幽香。彼女の右手には、いつも持ち歩いている薄い
桃色の日傘があった。それが少し可笑しくて、もう陽も沈んだのに、と、靈夢は小さく笑った。
「にしても、あんたらにこうも簡単に人間界へ来られちゃうと、ちょっと立つ瀬が無いなぁ」
言いながら振り返る靈夢の視線の先、丁寧に頭を垂れる魔界の神。
「この度はお招きいただき、感謝しておりますわ」
そう挨拶をしてから神綺は、自身の背後でむくれている娘へと声をかけた。
「ほら、アリスちゃんもちゃんと御挨拶なさい」
「私は別に、来たくて来た訳じゃないのに……」
言いながらも渋々と頭を下げる少女の姿は、靈夢が知っているものよりも少し大人びた空気を纏っていた。
「何だか、ちょっと見ない内に大きくなった?」
「成長期なのよ! 悪い?」
何が気に障ったのか、アリスは靈夢に食って掛かる。そこで靈夢は気付いた。アリスも魔理沙と同じ様に、そこここに
小さな傷を作っている事に。
「ほらほら、落ち着いてアリスちゃん」
困った様に笑いながら、娘をなだめる神綺。
彼女が話すところに拠れば、魔理沙に宴会の誘いを受けた時点で神綺は、初めはメイドの夢子をお供にする事を考えて
いた。だが、魔界の神である神綺とその右腕の夢子、二人が同時に魔界を離れる訳にはいかないという事と、そして、
魔理沙に使いを頼んだ魅魔がアリスを指名していたという事もあって、アリスが一緒に人間界に行くという話になった。
けれども当のアリスはと言えば、以前の事がトラウマになってか、頑として魔界を離れようとはしなかった。そこで一悶
着である。魔理沙はアリスに勝負を挑み、無理矢理神社まで連れて来たという訳であった。アリスの機嫌が良くないのも
当然である。
「さぁさぁ!」
険悪になりかけた空気を、大きな声と手を叩く音が遮った。
皆の視線を一身に浴びながら、魅魔は声を張り上げた。
「これでやっと人も揃った。
色々と思うところも有るだろうけど、今日ばっかりはそれも水に流して、明日になるまでとことん楽しもうじゃあない
か!」
◆
「まったく、何で私がこんな事をしなくちゃならないんだか」
寝所に敷かれた白い布団の上に小さな巫女の身体を下ろしつつ、幽香は誰へとも無く呟いた。
「この季節、外に放って置いたって死にはしないわよ」
「まぁまぁ。死にはしなくても、風邪をひいたりしたら大変でしょう?」
幽香の愚痴に穏やかな言葉を返しながら神綺は、三人並んで安らかな寝息を立てている少女達の上に薄い肌布団を
そっと掛けた。
宴会は、大いに盛り上がった。
神綺は、メイドに作らせた料理と魔界特製のワインを何本も持って来ていた。幽香は手ぶらで現れたものの、いつでも
好きな時に向日葵を呼び出し、その種を酒の肴として提供した。尤も、出された種を台所まで持って行って調理させ
られたのは靈夢であったのだが。魔理沙も、自称そこそこ良い、という焼酎を持参していた。
人が増え、酒が増え、肴が増えれば宴会が盛り上がるのは道理である。
夜天には雲一つ無く、月と星が見守る中、境内は魔理沙の恥ずかしい過去だとか、神綺の娘自慢だとか、肴が足りない
からスッポン鍋を出せだとか、そうした他愛も無い、馬鹿らしい話で大いに盛り上がった。
そんな楽しい時間も、先ずアリスが脱落し、魔理沙が意識を落とし、そうして靈夢が眠りに落ちた時点で、誰が言い
出したと言う訳でもなく、自然とお開きの流れとなった。
「こんな子供達にあんな馬鹿みたいな量を呑ませておきながら、風邪がどうとかって、そんな健康を気にする様な科白を
言われてもねぇ」
内二人なんか人間なのに。そう言って横目で睨んでくる幽香に神綺は、いやまぁ、と、苦笑いを浮かべながら視線を
逸らした。
「いいじゃあないか。そいつらだって、いつかは鬼や天狗と呑み比べをする日が来るかも知れない。その時に備えての訓
練だよ、訓練」
縁側で一人佇む魅魔が、夜空に浮かぶ月を眺めながらそう言った。
「天狗は兎も角、鬼と、ってのは有り得ないでしょう」
「さて、どうだろうねぇ」
部屋から出てきた幽香の言葉に、魅魔は月に視線を固定したままで応える。二人の後ろで、最後に部屋を出た神綺が
静かに寝所の襖を閉じた。
「じゃ、そろそろ行くかね」
そう言って魅魔は歩き出した。幽香と神綺も、何も言わず彼女の後について歩く。
ほんの半刻前の喧騒、あれはただの夢だったのではないか。そう思ってしまう程に静まり返った境内。三人は、一言も
発さずに歩を進める。
やがて三人は鳥居の前へと辿り着き、そこで魅魔は歩みを止めた。そうして先程と同じ様に、夜天に輝く月へと顔を
上げた。
「望月まで、あともうちょっとだねぇ」
寂しそうに魅魔は呟く。そんな彼女に幽香は、ちょっと良いかしら、と、声を掛けた。その声に応えて、魅魔は夜空
から視線を下ろす。そこに映ったのは、正に花が咲いたと形容するのが相応しい、そんな明るい笑顔。そして。
「馬鹿野郎」
声が聞こえたと同時に、視界が揺らいだ。魅魔の思考が一瞬固まる。暫くして、彼女の左頬に鈍い痛みがじわじわと
浮かび上がってきた。左手を頬に当てながら、目の前の幽香を見据える。見えたのは、可愛らしい日傘を右手に、下唇を
噛み締め、強く睨みつけてくる幽香の姿。そうしてやっと魅魔は、何が起こったのかを理解した。
「悪霊になってから初めてだよ、多分」
この為にそれ、持って来たのか。幽香の右手を指して魅魔は言う。その問いには答えず、幽香はくるりと背なを
向けた。
「今のは彼女等の分よ」
顔を見せずに幽香は言った。そんな彼女の背中に向かって魅魔は、すまない、と頭を垂れ、それから有難う、と礼を
述べた。
「礼を言われる義理は無いわよ。私は自分がやりたいと思った時に、やりたいと思った事をやるだけ。
これまでも、これからも」
そうして幽香は魅魔に背中を向けたままふわりと宙に浮き、そのまま夜の闇の中へと消えて行った。
「さてと、あんたはどうするんだい」
幽香の姿が完全に見えなくなって後、魅魔は神綺へと問い掛けた。
「私は、アリスちゃんを連れて帰らなきゃいけないからね。
とは言え、起こしてしまっても可哀想だし、あの子が目を覚ますまで此処で待たせてもらうわ」
そうかい、と、一言だけ魅魔は応えた。ええ、と、神綺も一言だけを返す。
二人の間に暫しの沈黙が流れる。やがて。
「よかったらわたしの住んでいる魔界に来ない?」
ぽつりと神綺は呟いた。一瞬、呆気に取られた表情を見せた魅魔は、すぐに小さな笑いを浮かべて口を動かした。
「あー、こりゃあれかい?
つらいことがたくさんあったけど……でも楽しかった、とか、そういう答を返すべき流れなのかしら」
「真面目な話なんだから、冗談で返さないで欲しいわ」
穏やかな笑顔で、しかし視線は微塵も揺るがせずに神綺は続ける。
「魔界は私の世界。私が生きている限りは、決して失われる事は無い。
この世界の全てを受け入れるのに充分な大きさだってあるし、この世界の環境を、ほぼそのままに再現する事だって
可能よ。魔界の中の事であれば、私にはどんな事だって思いのままなのだから」
神綺は魔界の神である。その力は、魔界に於いては正に全能のものである。だがその全能の力は、魔界の外の世界に
まで及ぶものではない。
「だから、あなたを含め皆が魔界に来れば、何も変わらずに――」
そんな神綺の申し出に、魅魔は無言のままゆっくりと首を横に振った。
再び、場を沈黙が支配する。重苦しい沈黙。そうして。
「ありがとうね」
今度は、魅魔の声がその沈黙を破った。
「最初に会った時は変な奴、とか思ったけど、そんな事は無い。あんたは善い奴だ」
「私だって、あなたの事、最初は生意気な奴って思ったわ。でも、あなたにはアリスちゃんが御世話になったから」
むしろ私の方が御世話になったんだけどね。そう言って魅魔は笑った。それを見て、神綺も笑った。月の光が照らし
出す夜の境内で、二人して笑い合った。
そうして暫くの間笑って後、魅魔は、さてと、と一声を出して、鳥居に向けてゆっくりと歩き出した。
「それじゃあね」
歩きながらくるりと振り返り、神綺に向かって大きく右手を振った。神綺も、無言のまま笑顔で小さく手を振り返す。
それを見て魅魔は再び神綺に背を向け、今度は振り返らずにそのまま鳥居をくぐりぬけて行った。
魅魔の姿が見えなくなって尚、神綺は手を振る事を止めなかった。
◆
こんな遠慮がちな話し方は彼女らしくないな、と、魅魔は思った。
目の前で話をしている少女に、魅魔は以前にも会った事がある様な気がしていた。過去の記憶があやふやなのだから、
無論、ただの思い違いの可能性もある。けれども、魅魔の記憶が正しければ、この少女はもっと物事をはっきりと言う
性格だったはずだ。それこそ、周りから説教くさいと言われて煙たがられる程に。
「つまりですね、その、判り難い例えかも知れませんが、ここに一つの木箱、とても大きい木箱が在るとして、その中に
どんどんと物を入れていくと――」
判り難いと自覚しているのなら、変な例えなんて持ち出さずにさっさと話を進めれば良いのに。そんな魅魔の考えを
よそに少女は、木箱のひび割れがどうだとか、直す為の材料がこうだとか、回りくどい話を続けていた。話が始まって
以降、少女が一度も魅魔の目を見ようとしない事も、彼女には気に食わなかった。
「いい加減にしな!」
我慢出来ずに、魅魔は声を荒げた。
「言いたい事が有るならもっとはっきり言ったらどうだい。そんな奥歯と奥歯の間に鶏肉の切れ端が挟まったみたいな
鬱陶しい物言い、私は嫌いだね」
魅魔の言葉の前に、少女は黙って下を向く。
その様子を見て溜め息を一つ、そして話を続けた。
「やれやれ、今度はだんまりかい。
まぁ、話したくなければ話さないで、それはそれで構わないけどね」
あんたの言いたい事は、大体判ってるから。そう言った魅魔の言葉に、少女は顔を歪めた。
伊達に長い時を在り続けている訳ではない。何かがおかしくなっている事に、魅魔はとっくに気が付いていた。
切っ掛けは、遺跡の事件と、空飛ぶ機械ネズミの話だった。
この世界には、壁によって隔てられた外側で失われたもの、幻想となったものが流れ込んでくる。だが、件の遺跡も機
械ネズミも、外の世界とはまた違う、全く別の世界から流れて来たものだった。こんな事は、魅魔の知る限り今迄には一
度も無い事だった。記憶にあまり自信の無い彼女も、それは断言出来た。そんな異常な出来事が短期間に二度も起きた。
それに、この世界に辿り着く意志を持っていた遺跡の人間達はまだしも、機械ネズミの方は、その意図とは無関係にこの
世界へと入って来てしまっていた。壁に囲まれたこの世界に、本来流れてくる可能性のあるものとは別のものが流れて
来る。何故そんな事が起きるのか。
少女の判り難い例えを聴いて魅魔は、その理由を理解した。
「この世界は全てを受け入れる。だが、この世界は決して無限ではない」
とても簡単な話だった。
大きな箱が在る。箱の口から中へとどんどん物を詰め込んでいけば、やがて箱は満杯になる。それでも物を入れる事を
止めなければ、箱は歪み、幾つもの亀裂が出来る。その亀裂から、本来入れる筈ではない物まで入る事もあるかも知れ
ない。そうして最後には、箱は壊れ、全てがばらばらになってしまうだろう。
「その前に、箱の中身を整理しないといけない。そういう事だろう?」
魅魔の言葉に少女は、それだけではない、と、声を返した。
「傷付いた箱を直し、より頑丈にする為には――」
そこで少女は再び言葉を止めた。手にした笏を強く握り締め、その小さな身体を小刻みに震わせる。
その様子が余りに痛々しく思えて、少しは気を楽にさせようと、魅魔は軽く笑いながら言った。
「私は既に悪霊だよ?
それにあんた、確か、人の生き死にをずぅっと見てきてるんだよね。だったら何もそんなに」
そうして少女の肩に軽く手を乗せる。
「事は!」
その手を、少女は強い勢いで払い除けた。
「事はそれ程、単純ではないのです……」
沈痛な面持ちのまま、少女は話す。
事は、輪廻や成仏といった話とは全く別なのだと。この世界が壁によって隔離されてからまだ僅か百年程、この様な
事態は初めてであり、その先がどうなるのか、彼女にも判らないのだと。
「そっか」
普段は凛とした態度を決して崩さぬ少女が何故ここまで動揺しているのか、魅魔は理解した。
やれやれと、軽く溜め息を一つ吐く。そうして。
「ああ、判ったわ。それで良いわよ」
魅魔は、今が楽しければそれで良かった。楽しい今が好きだった。だから、何も迷いはしなかった。
魔理沙や靈夢が居る、楽しいこの世界の今が護れるなら、あとの事は別にどうでも良かった。
「でも!」
身を乗り出す少女を、魅魔は片手で制する。
「あんただって判ってて、だから私の所に来たんだろう?」
その言葉に、少女は何も返すべき答を持ってはいなかった。
魅魔は判っていた。自分自身が、在るべき時をとうに過ぎ去っている者だという事が。物事を長い間覚えていられない
というのは、自分の頭が本来入れる事の出来る量を超してしまっているからなのだろう。この世界と同じだ。
どの道。遠くない内。
それだったら、有効活用してもらった方が気分が良い。
「それにさ、私に白羽の矢が立ったって事は、それだけこの世界に於ける私の存在が大きい、て事だろう?
光栄な事じゃあないか」
そう言って魅魔は笑う。楽しいからではない。楽しくないから笑うのだ。
目の前の少女が悲しい顔をしている、それが楽しくないから笑うのだ。あんたが気に病む事は無いと、そう言って笑う
のだ。
「御勤め、ご苦労さん」
言いながら、少女の肩に優しく手を置いた。
「ああ、それと。
さっきは大きな声を出して済まなかったわね。あんたはあんたなりに、気を遣ってくれてたってのに」
そんな魅魔の言葉に少女は、いいえ、と、笑顔で返した。魅魔の気持ちが判ったから、少女は一生懸命に笑った。
「ところで、その日ってのは一体いつなんだい」
「ありとあらゆる結界が薄くなり、彼岸の霊達が此岸に戻って来る日の直後。
そして、月の魔力が地上に満ちる日の直前」
「判りやすく言うと?」
「文月の、十四」
◆
「お待ち下され、魅魔殿」
博麗神社を離れ一人夜の山道を歩く魅魔の背後で、聞き覚えのある声がした。
「あれ。あんた確か、さっき鍋にされてなかったっけ」
毒を吐きつつ魅魔は振り返る。
「わしをスッポンか何かと勘違いしとりゃしませんか?」
言いながら、立派な髭を生やした一匹の大きな亀が、のたり、のたりと道を歩いて来ていた。
「何の用だい」
「なに。旅は道連れ世は情け、老い先短いこんな爺ですが、ここはお供させていただきますぞ」
かっかっかっ、と笑う亀に、呆れ顔で魅魔は応えた。
「あんたは博麗の従者だろう。私なんかについてくるんじゃないよ、鬱陶しい」
そんな言葉に、何を言いますか、と、亀は反論する。
「わしは御主人様、靈夢殿に捕まえられただけのそこらの亀。博麗神社そのものとは、そもそもの縁は御座いませぬ」
そう言えばそうだった気もする。あやふやな記憶を辿りながら魅魔は、それでも、と言葉を返した。
「だったら尚更、私なんかと一緒に来るべきじゃない」
あの巫女には、まだこいつが必要な筈だ。だから魅魔は、亀の申し出を受ける事は出来なかった。
「そもそもねぇ、若しついて来るとしても、そんなゆっくりだと、はっきり言って迷惑なのよ」
「何を仰る魅魔殿。亀の歩みは遅いのが当然。
明日になるにはまだ間があります。それほど急ぐ事も無いでしょう」
亀の歩みは遅い。それを聞いて魅魔は、なるほどそうか、と、心の中で手を打った。亀が歩いているのだから、それは
遅くて当然だ。
そうか。そうなのか。それならば。
靈夢には申し訳無いのだが、本音を言えば矢張り、どんなくたびれた年寄であっても、これから先を一人で旅するより
は道連れの居る方が遙かに良かった。
そんな魅魔の心中を察したのか、口の端をにぃっと吊り上げて亀は笑った。魅魔も、同じ様な顔を作って亀に笑い返し
た。
「でもその前に一発、殴らせて」
「な、何故に!?」
「私は幽香の奴にぶん殴られたってのに、あんたは何も無しっていうんじゃ不公平だろう」
慌てて逃げ出そうとする玄爺に魅魔は、冗談よ、と笑い、そして、有難う、と小声で言った。
◆
◆
車内はとても静かだった。
乗客は他に誰も居らず、相棒はさっさと眠ってしまっていた。随分と薄情な奴だ、と、そうも思う魅魔だったが、それ
でも、たった一人で居るよりはずっと良かった。安らかな寝顔に向けて、お疲れさん、と、小さく呟く。
そうして自分も眼を閉じる。永い夢に身を任せよう、と。
だが、中々寝付く事が出来ない。
何とかして眠ろうと閉じられていた目蓋も、暫くして再び開けられた。退屈凌ぎにと車窓に目を遣るが、外は真っ暗で
何も見えはしない。外を見ただけでは、列車が走っているのかそうでないのか、判別が付き難い程だ。僅かに感じられる
振動と時折聞こえるガタンゴトンという音。それが無ければ、列車が止まっていると言われても信じてしまいそうですら
ある。
どうせ終着駅まで行くのだ。何も寝過ごす心配など無いのだから、自分もさっさと眠りたい。目が覚めていると、旅
立つ前の色々な思い出が次々と甦ってきて胸が一杯になってしまう。今迄は散々に呆けていたくせに、今更になって
過去をせっせと引っ張り出してくる自分の頭を、魅魔は呪った。
「こちら、御一緒させていただいて宜しいかしら」
唐突に声が聞こえた。
顔を上げると其処には、小綺麗な洋装に身を包んだ、如何にも良い所の貴婦人、といった風体の女性が立っていた。
座席は四人掛けのボックス席とは言え、他に空いている所は幾らでも在るだろうに、何故わざわざ相席を申し出てくる
のか。何も見えない窓に顔を向け直してから、勝手にしな、と、少し不機嫌そうな声で魅魔は言った。
「では失礼致しますわ」
そう言って席に着いた貴婦人を、魅魔は横目でちらりと見た。
いや、それは貴婦人ではなかった。
小奇麗な洋装に違いは無いのだが、その両の足先は床まで届かず、その頭は背もたれの中程に収まっている。良い
所の、に変わりはないのだが、どうやら貴婦人ではなく御令嬢であったらしい。
その御令嬢が、魅魔に向かって静かに頭を下げた。
「有難う御座います」
相席を許した程度で大袈裟な。そう応える魅魔に向かって、違いますのよ、と優雅に微笑みながら、御令嬢は言葉を
続けた。
「そんな小さな事ではありません。もっと大きな事。私には手の届かない事。
その事で、私は貴方にお礼が言いたいの。本当に、本当に有難う」
そう言って、再び深々とお辞儀をする。初対面の者にそこ迄の事をされるのがどうにも面はゆくて、顔を窓に向けた
まま魅魔は言った。
「お礼だったら、言葉じゃなくて物で御願いしたいね」
冗談混じりのその言葉に、間髪を入れず御令嬢は応えた。
「そう仰ると思っていましたわ」
そう言った彼女の脇には、いつの間に取り出したのやら大きな一升瓶が一本。
「おやおやまぁまぁ。あんた、話が判るねぇ」
先程迄の不機嫌は何処に行ったのか、目を輝かせて御令嬢の小さな両手を握る魅魔。寝付けぬ夜に、これほど有難い
贈り物も無い。
「こんな些細な物でも、喜んでいただけたのでしたら幸いですわ」
そう彼女が言ったのとほぼ同時、大き目の振動が一つと、キキーッという音。どうやら列車が停まった様子だった。
「それでは、私はここで」
そう言って、御令嬢はゆっくりと席を立った。
「そうかい。私は終点迄だから、ここでお別れだね。
ちょっと残念だよ。折角あんたと仲良くなれたってのに」
仲良くなれた。その言葉を聞いた瞬間、御令嬢は魅魔から顔を背けた。そうして背中を向けたまま、デッキへの扉に
向けて歩き出す。
「あ。何だか、失礼な事、言っちゃたかねぇ」
何処か頼り無い足取りの少女に、魅魔は少し心配になって声を掛けた。お礼の言葉と酒を一本貰っただけで、仲良く
なれたと言うのはちょっと図々しかっただろうか。
「そんな事、ありませんわ」
背を見せたまま、御令嬢は扉の前で立ち止まる。
「私も、貴方と仲良くなれて嬉しかったですわ」
それを聞いて魅魔は、それなら良かった、と言った。
「貴方はこれから……?」
「私かい?
どうせ終点へ行くんだし、相棒もこの通りだし、私もちょっと眠る事にするよ。あんたに貰ったこれも有る事だしね」
そう言って一升瓶を片手に笑う魅魔へ、御令嬢はゆっくりと振り返った。
「それではお休みなさい。良い夢を」
たおやかな笑みを浮かべた彼女は、もう一度魅魔に向かって深く頭を垂れ、それからデッキへと出て行った。
暫くして、ガタンという音と、大きめの振動が一つ。列車が再び走り始めた。窓の外に目を遣れば、薄暗い駅舎に
たった一人で佇む少女の姿が見えた。
その彼女の唇が、小さく動いた。
「ごめんなさい」
そう、魅魔には読めた。
やれやれ、何を謝られる事があるって言うのだろう。魅魔は大きく身体を伸ばした。
魅魔には、自分が幸せだという確信が有った。多くの者に出会い、多くの出来事を体験した。
可愛い弟子が出来た。からかいがいのある人間と出会った。メイドだって手に入れた。
乱暴者ではあるけれど、安心して後を任せられる奴が居る。一見頼り無いけれど、どこまでも優しい奴が居る。あれや
これやと五月蝿いけれど、心底から自分を心配してくれる奴が居る。多くの友人達が居る。今さっきだって、新たな友が
出来た。
その上、旅の道連れまで居るのだ。これ以上何かを望むなんて贅沢な事、魅魔には思い付きもしなかった。
一升瓶に口を付け、一気にその中身を飲み下す。
ぷはぁーっと、気持ち良く一息を吐いて魅魔は、今度こそ久遠の夢に運命を任せるべく、ゆっくりと、静かに目を閉じ
た。
第百十八季 文月の一六
【文々。新聞】
[ 川 面 に 浮 か ぶ 炎 の 舟 ]
“お盆のクライマックス、舟っこ流し”
今日は文月の一六、お盆の最終日である。今日の夕方、幻想郷の人里では舟っこ流しと呼ばれるイベントが開催され
る。これは、先祖の霊を送る為、提灯や御供え物によって装飾を施された舟に花火や爆竹を載せ、それに火を放って川に
流すという行事である。これだけを聞けば、如何にも人間らしい野蛮な行為かと思われるかも知れないが、夕闇が迫る
中、水面に焔を映しながらゆっくりと流れ、やがては崩れ落ちて沈んでいくその様は、妖怪である私達にとっても一見の
価値があると断言出来る。
人間の里では今夜は他にも、櫓を組んでの盆踊り大会が開催される予定である。
こうしたお盆に関連した行事は、妖怪には馴染みの薄い、人間独特の風習である。何故なら我々妖怪に於いては、判る
範囲の御先祖様は存命している事が殆どであるし、それ以前に、御先祖様が居るのかどうかすら定かでない者が多いから
である。彼岸の御先祖様を送り迎えしなければならない状況が、そもそも作れないのである。
とは言え、こうした面白い行事を、ただ黙って見過ごすのでは余りに芸が無い。例え祀るべき御先祖様が居なくても、
お盆を口実に祭りを開いてみるのも一興であろう。
幻想郷は平和である。一昨日、昨日と当紙の発行が無かったのも、記事になる様な出来事が何も起きていないからで
ある。
何も起きないのであれば、自分達で起こすのが一番である。若し祭りを開催しようという者があれば、博麗神社が適度
に広く、人間も殆ど居ないのでお奨めだ。 (射命丸 文)
◆
「相変わらず変な新聞。一昨昨日の記事内容と一部矛盾が無くも無い様な気もするし」
そう言って、手にしていた新聞紙を無造作に投げ捨てる。
彼女は、風見幽香は髪を切った。
「別に意味なんて無いわよ。暑いから鬱陶しくない様にした、それだけの事」
他には誰の姿も見えない向日葵畑の真ん中で、幽香は一人呟いた。
風見幽香は誰の言う事にも従わない。風見幽香は誰の願いも聞き届けない。彼女はただ、自分のやりたい時に自分の
やりたい事をするだけだ。
「差し当たってのやりたい事と言えば、そうね」
あの頭の緩い巫女達を、面白可笑しく観察して過ごそう。偶にちょっかいを出して、からかってやるのも良いかも知れ
ない。
「そうだ。そうしよう。うん」
その前に取り敢えずは一眠り。そう言って幽香は、背の高い満開の向日葵達に囲まれて仰向けに寝転んだ。そうして
みると、雲一つ無い空に浮かぶ太陽も、まるで向日葵の花の一つとなった様に見えて、何だかとても可笑しかった。
◆
「本当に行っちゃうの、アリスちゃん?」
涙目で自分の服の裾を掴んで放さない母親を前に、アリス・マーガトロイドは大きく息を吐いた。
「いい加減、子離れしてよ。私、もう決めたんだから」
「でも、でも、アリスちゃん魔法使いなんだし、魔法のお勉強をするんだったら魔界に居た方が……」
神綺の言い分は尤もである。それでも、アリスの決心は揺るがなかった。
アリスは魔界が嫌いな訳では無いし、魔法を修めるには魔界に居るのが一番だという事も理解している。けれども彼女
は、魔界に居るだけでは判らない、もっと多くの事を知りたいと思った。もっと多くのものと出会いたいと思った。だから
アリスは、魔界を離れ幻想郷に行く事を決意した。
「ほらほら神綺様、ここは笑って見送ってあげましょう。そうでないと、アリスが安心して行く事が出来ませんわ」
「笑って見送るなんて出来ないわぁ~~」
とうとう本格的に泣き出した神綺を、メイドは半ば無理矢理にアリスから引き離した。
「一人暮らしは色々と大変だろうけど、貴方ならきっと大丈夫。頑張りなさい、アリス」
「有難う、夢子さん」
「そう言えば、皆への挨拶はこれから?」
「うん。行きしなにする心算。て言うか、こんな時くらい、皆で揃って見送ってくれても良いのに、とかも思うけど」
「まぁ、マイペースな者が多いから。何と言っても」
そう言って夢子とアリスは、わんわん声を出して泣いている創造主に目を向ける。こういうのも、或る意味マイペース
と言えるだろう。大本がこれでは、と、二人は小さく笑った。
「それじゃ私、行くね」
未だ泣き止まない神綺に向かって、アリスは声を掛ける。
「別に、もう二度と会えないって訳じゃないんだから。何も、哀しい事なんてないんだから。
だから、ね? もう泣かないで、お母さん」
娘の声に小さく頷き、神綺は涙を拭う。
「二人とも、元気でね!」
笑顔でそう言い放ち、アリスは回れ右をする。
「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい――」
片や凛とした声、片や鼻水混じりのしわがれた声。二つの声に送られてアリスは、パンデモニウムを後にした。
◆
「よう霊夢、遊びに来てやったぜ」
夕暮れ迫る境内に、箒に乗った魔法使いが下りて来た。
「おーい、霊夢。居ないのか」
声を上げて周囲を見回す魔理沙だったが、お目当ての姿は何処にも見えない。拝殿に入っても、台所に行っても、寝所
を覘いても、矢張り霊夢の姿は見当たらない。
それならそれで、まぁ良いか。居ないなら居ないで、勝手に遊ばせてもらおう。そう考えて魔理沙は、一人神社の散歩
を開始した。
先ずは、普段余り行かない所から行ってみよう。そう思って魔理沙は社殿の裏側に廻った。
其処で。
「あっ」
魔理沙は声を上げた。
目の前に広がるのは小さな池。その中央、大きな蓮の花の真上に霊夢は居た。
「何だか浮いてしまっている奴を発見したぜ」
悪戯っぽい声に反応して霊夢は振り返る。
「変な言い方しないでよ。まぁ、間違ってはいないんだけど」
言いながら霊夢は、水面の上を歩いて魔理沙のもとまで来た。
「魔理沙の方こそ、変な喋り方してるじゃない」
「おう。私は強いからな。こういう格好良い喋りがよく似合う。なんだったらお前も真似するか」
あんたのそれも他人の真似でしょうに。言い掛けた霊夢だったが、その真似のもとが思い出せなかったので、結局何も
言わず、魔理沙を無視して社殿へと歩き出した。そうして本殿へと入り、中から小さな舟を取り出して来た。
「なんだぁこりゃ。今日の新聞に載ってたあれか? それにしては、随分と小さいけど」
霊夢の肩越しに魔理沙が覗き込んでくる。木で造られた、余り見端の良いとは言えない、両手で抱えられる程の小さな
舟。
「まぁ何にせよ、巫女としての仕事を果たすのは良い事だな」
いや、これは巫女の仕事とはまた違うか。そんな事を言いながらわざとらしく腕を組んでうんうん唸る魔理沙に、別に
どうでも良いのよ、と、霊夢は言った。
「こういったものは、宗教がどうとか言うより、結局は心情的なものなんだから」
そうして霊夢は、舟を抱えて神社を離れ、西へと向かって歩き出した。
「おい、何処へ行くんだ。里に下りるならこっちの道じゃぁないだろ」
ついて来いとは一言も言われていないのに、箒を片手にさも当然といったふうで霊夢と一緒になって歩く魔理沙。
「里に用が有る訳じゃないから。盆踊りにも呼ばれてないし」
「呼ばれてないのか。なるほど流石は霊夢。正に巫女の鏡だぜ」
遠回しな嫌味を聞き流し、霊夢は西へ西へと歩を進める。やがて二人の歩く道は、薄暗い森の中へと入っていった。
「あぁ、そう言えば」
この森の中には川が在った。その事を思い出す魔理沙。
森に入ってすぐ、滅多に人の通らない荒れた道を更に外れ、二人は獣道を歩いて行った。
そうして暫くして、太陽が沈み、薄暗い森が完全な闇に閉ざされて、魔理沙が白く光る不思議な透明の球を取り出した
頃になって。
「やれやれ、思ってたより結構遠かったわね」
舟を足元に下ろし、霊夢は両腕をぐるぐると廻した。目の前に在る川は、幅こそあれど水の流れは緩やかだった。
「それじゃ、御願いね」
そう言って、霊夢は魔理沙の方を向いた。突然話を振られた魔理沙は、小さく口を開けた、間の抜けた顔を霊夢に
返した。
「私が舟を川に流すのと同時に、ね。早過ぎたりしたら、ただじゃおかないわよ」
「おいおい、人を火打石か何かと勘違いしてないか?」
霊夢の言いたい所を察して、少し不満気な声を出す。
「あら。でも魔理沙は、この為について来たんでしょう」
その言葉に魔理沙は応えず、帽子の鍔でそっと顔を隠した。
それを同意の合図と受け取り、霊夢は再び舟を抱え上げた。
「あ。ところで若しかして、ここ迄きてあんた、実は火の魔法が使えないとか、そういうオチは無いでしょうね」
「お、いいなそれ」
目元は隠したまま、口の端を吊り上げる。
「だが残念な事に、基本的な魔法は全てしっかりと教わってるんだ。ちょっと火をつける程度なら、問題無く出来て
しまうぜ」
なら良かった。そう言って霊夢は、舟を抱えたまま川に向かって足を出した。
一歩。また一歩。流れる川面の上を、ゆっくりと霊夢は歩いて行く。
「この辺で良いわね」
こちらの岸とあちらの岸、その丁度真ん中で、霊夢は足を止めた。そうして身を屈め、川の流れの上にゆっくりと舟を
置いた。
「じゃ、いくわよ」
「あ、ちょっと待て」
言って魔理沙は箒に跨り、霊夢の真上へと飛び上がった。
「何してるのよ」
「一応出来るとは言え、得意分野じゃぁないからな。確実にやる為に月の魔力を少し借りる。それには、月と舟が両方
見える位置に行かなきゃならん」
「よく判らないけど、魔理沙の持ってる変な道具の類で何とか出来ないの」
「そこまでしなきゃならん程の難易度でもない」
「この体勢、結構辛いんだから早くしてよね」
「ああ。あと丸一日もあれば充分だ」
言いながら頭上を見上げる。木々の間から覗く空には、丸く綺麗な月が遮る物無く輝いていた。
「ああこりゃ、明日も晴れだな。暑くなりそうだ」
次に下を、霊夢のもとに在る舟を覗き込む。
「あ? その舟、何も乗せてないのか」
今更ながらに気付いた事を、思わず口に出した。
「そういうのは趣味じゃないの。良いでしょ、別に」
それだけを言って、霊夢は口をつぐんだ。俯いているのだから、真上に居る魔理沙からはその表情は窺えない。
けれども、そうだな、それで良いか、と、魔理沙もそう思った。だから、魔理沙もそれ以上は訊かなかった。
条件は整った。魔理沙は静かに眼を閉じる。そうして想い出す。初めてこの魔法に成功した日の事を。何も難しい事は
無い。あの日の記憶を引っ張り出して、後はそのイメージをそのままなぞるだけで良いのだから。
「いいぞ霊夢! 手を放せ!」
声が聞こえたのと同時に、霊夢は舟から手を放す。次の瞬間、舟は橙色の炎に包まれた。
「巧くいったわね」
岸へと戻って来た霊夢が、箒から降りてきた魔理沙に声を掛ける。
「私は天才だからな。この程度の事、余裕だぜ」
小さな胸を大きく張って魔理沙は笑う。イメージを引き出した瞬間、少しだけ心が揺らされて危うく失敗しそうに
なっていたなんて事は、霊夢には内緒だった。
暗い水面に、まるで生き物の様に揺れ踊る炎を映しながら、舟はゆっくりと流れて行く。
綺麗ね、と、霊夢は言った。
綺麗だな、と、魔理沙は応えた。
二人は手を繋ぎ、流れて行く舟をじっと見詰めていた。
光は次第に小さく、遠くなっていく。
それでも二人は、光が完全に消える迄は、と、その場を動こうとしなかった。
二人固く手を繋いだまま、流れ消えゆく光の行く末を、ただただ静かに見守っていた。
【文々。新聞】
[ 空 飛 ぶ 機 械 ネ ズ ミ 現 る ]
“正体は魔女か? メイドか?”
つい先日、博麗神社付近の空で世にも奇妙な空飛ぶ機械ネズミが目撃された。
複数の目撃証言に拠れば、外見はメイド服を着た人間の女性風で箒にまたがっており、何かを探す様子で神社の近くを
飛び回っていたと言う。服装や箒を使用していた点からメイド、或いは魔法使いと思われるそれが、何故機械ネズミなの
か。その理由は、目撃者の一人である人間(魔法使い)の言葉に拠る。彼女は実際にそれと会話までしたという。以下が
その人間の証言だ。
「間違い無い。あれは機械ネズミだった。あ、若しかしたら機械ネコだったかも。いやネコ型ロボッ……」
かなりあやふやで信憑性が薄くも思えるのだが、この人間の言葉を信用するならば、取り敢えず機械である事は間違い
無いようだ。そこで、科学に詳しい朝倉理香子さん(科学者[自称])に話を聞いてみた。
「(機械ネズミと遭遇した)彼女は、この間の遺跡騒ぎの時に別世界の科学魔法と接触する機会があったしね。その彼
女が『機械だ』って言ってるのなら、これはかなり信用出来そうな話よ。少なくとも、その辺の魔法しか信じてない奴等
なんかの言う事よりはよっぽど」
少々感情に流された意見の様に思えなくもないが、どうやら謎の飛行物体は機械ネズミと言う事で決定らしい。だと
すればこれは、外の世界から流入してきたものと言う事になる。この世界には今迄、そんな機械は無かったからだ。
そしてそれはつまり、人型をした空飛ぶ機械ネズミが、外では最早幻想のもになっている、と言う事でもあるのだ。外の
世界にはもっと進んだもの、例えば、一瞬で地上と月を行き来する巨大な海老天の様な船だとか、そうした私達の想像も
つかない奇妙な物体がそこかしこに溢れ返っているのだろう。
お盆の季節である。暑さの厳しい日が続く。送火の際に故人と一緒になって彼岸に逝ってしまわぬよう、体調の管理
には充分気を付けたい。 (射命丸 文)
「あしたせかいがおわるのよ」
あさり位の大きさをした貝の身から四本の、足にも見えるやや長めの突起物が伸びている。それを用いて砂浜の上を
ゆっくりと移動する。
魅魔の言葉を聞いた靈夢の頭の中に最初に浮かんだのは、そんな奇妙な生き物の姿だった。
脚足せ貝。普通の貝に脚が足されているから脚足せ貝。なりは珍妙なれど味は絶妙。お脚は有れども動きは遅し。
「まぁ、仕方無いんじゃない?」
美味しくて獲り易い。そんなもの、乱獲されて絶滅するとしても、それは当たり前であろう。
まるで根拠の無い想像だけを元に、靈夢は「仕方無い」という言葉を返した。
それを聞いて魅魔は、あなたらしいわね、と、小さく笑いながら言った。あなたらしいという言葉は、山深くの神社に
住み舞々以外の生きた貝を見た事の無いが故の、不可思議な靈夢の思考の流れを見抜いての事なのか。はたまた、「仕
方無い」という言葉そのものに当てられたものなのか。
「で、何の用? まさかこの忙しいのに貝の話をしに来ただけ、なんて事は無いでしょうね」
賽銭箱の脇に腰を下ろし、右手に煎餅を、左手に新聞を持った姿勢で靈夢は言った。もう間も無く陽も沈もうという
この時間、東向きの社殿は靈夢の周囲に陰を作り、快適な環境を供していた。
「忙しいって、そんな格好で言われてもねぇ。舟をせっせと造っているとか、そんなだったら説得力もあるんだけど」
「送りの舟だったら、明々後日に造れば良いじゃない。今日はまだ十三日よ?」
やるなら迎火だ、と、そんな事を言いながらも靈夢には、盆の支度をする心算など微塵も無かった。巫女だから、では
ない。ただ面倒だからと、それだけの事であった。先祖を敬う気持ちが無い訳ではないのだが、わざわざ決められた日に
どうのこうの、と、そうした行為に意味を感じないからであった。そんな事をするなら、常日頃から心の底ででも想って
やれば良い。
「あ、若しかして、迎火を期待してうちに来たの? そう言えば一応、霊だもんね、あなた。
でも悪いけど、うちじゃそんなのやってないわよ」
そんな言葉に、いやまぁ、と、曖昧な笑顔で応えながら魅魔は靈夢へと歩み寄り、そして、どっこいしょ、と彼女の
横にゆっくりと腰を下ろす。年寄りくさいと、靈夢は言った。魅魔は何も言わず、また曖昧な笑みを返した。
「で、何だいこれ」
横から覗き込んでくる顔に靈夢は、新聞紙、と、一言だけを返した。
「そんな事は判ってるわよ。そうじゃなくて、その内容」
今度は少し不服そうな表情をして、改めて魅魔は問うた。
「これって、今日の新聞だろう?」
「そう。今さっき、空から落っこちてきたの」
「でもこの記事、随分と昔の話じゃないか。二十年だったか三十年だったか前のだろう、確か」
空飛ぶ機械ネズミの話を、以前に魅魔は魔理沙から聞いた事があった。この記事に載っている人間の魔法使いというの
は、恐らくは魔理沙だ。それなのに、そんな昔の話が何故今頃になって新聞に載るのか。
「昔っていうのは合ってるけど、そこまで昔じゃないわよ。二十年も三十年も前だったら、私も魔理沙もまだ生まれて
ないじゃない」
これだから妖怪は、と、靈夢は息を吐き、そして続けた。
「よく判らないけどあれじゃない? 何も記事になる様な事が無いもんだから、昔の没になったネタを引っ張り出して
きたとか、そういう事でしょ」
靈夢の推理に、なるほど、と得心する魅魔。そう言えば、終わりの方だけ記事本編と全く無関係な、取って付けた様な
盆の話になっている。恐らくはこの部分だけで、今日この日に出す新聞としての体裁を整えようとしたのだろう。
「で」
興味深そうに記事を読んでいた魅魔の顔から新聞を引き離し、今度は靈夢が魅魔に問うた。
「貝の話でもなし、迎火に誘われた訳でもなし。結局何をしに来たのよ」
貝の話も迎火の話も、どちらも靈夢の方から言い出した事なのだが、まぁそんな些事はどうでも良いか、と、何も
言わずに魅魔はゆっくりと腰を上げる。
そうして、高い位置から靈夢の顔を覗き込み、満面の笑顔で一言、こう言った。
「宴会、しましょう」
◆
魔理沙と出会った時の事を、魅魔は覚えていなかった。
覚えていないぐらいなのだから、大した出会い方でもなかったのかも知れない。魔法を教えてくれとやって来た人間を
気紛れに手元に置いてみたか、或いは、人間のくせに魔法を使おうとする奴が面白くてこちらから彼女を弟子にとったの
か。そんな、大して面白味も無い出会いだった様な気もする。
けれども若しかしたら、妖怪に喰われそうになっている所を助けてやって、とか、或いは、自分が危機に陥っていた
所を助けてもらった、とか、そうした少しは劇的な話だったのかも知れない。
いずれにせよ、覚えていない以上はどうしようもない。魔理沙に訊けば判るのだろうが、それはそれで何だか気恥ず
かしい気がして、そうして結局、魅魔は魔理沙との出会いについての色々を頭に残してはいなかった。
尤も、魅魔自身、それで別に構わない、と考えていた。
昔の事は昔の事であり、今に勝るものではない。そう、魅魔は考えていた。出会った時の事は覚えていなくても、魔理
沙と一緒にいる今だけで、魅魔には充分だった。
魅魔は、魔理沙が好きだった。
魔理沙は努力家である。
魔法とは人外の魔が行使する法であり、本来人間が扱いきれるものではない。よほどの才能に恵まれているのなら話は
別だが、残念ながら魔理沙は普通の人間だった。才能が無い訳ではない、むしろ、普通の人間としてはかなりの才能を
持っているのだが、それもあくまで普通の人間としては、である。
だから魔理沙は、必死に努力をする。魅魔から教えを受けるのは勿論、異変があればすぐに駆けつけ、そこで強力な魔
法を使う者と出会えば、独学でその魔法を自分のものにしようと頑張る。
けれども魔理沙は、そうした自分の努力を決して他人に見せようとはしなかった。生来ひねくれた性格なのか、それ
とも、よほどの才能に恵まれた巫女への対抗心か。兎も角、魔理沙を知る者の悉くが、魔理沙の必死の姿を知らな
かった。
知っているのは魔理沙自身と、そして魅魔だけだった。
だから、魅魔は魔理沙が好きだった。魔理沙と一緒に居ると、楽しかった。
自分が何で悪霊になったのか、魅魔は覚えていなかった。
多くの命を救う為の尊い犠牲になったとか、そういった感動的な話なら良いな、と思ったりもする。だが、そう言えば
自分はかつて、全人類に復讐をしようとしていた気もするので、あまり感動的な理由で死んではいないようだ。
博麗神社に恨みが有った気もするので、あまり善人ではなかったのかも知れない。それ以前に、そもそもが人間では
なかった可能性すらある。悪霊とは何も元が人である必要もあるまい。妖怪変化の霊が居ても良い筈だ。それなら、博麗
に恨みが有る理由も判る。
とは言え、そんな事はどうでもいいか、と、魅魔は思っていた。
魅魔は、靈夢が好きだった。
普段は修行も何もせずに呆けているくせに、いざ異変が起きると慌ててあちらこちらと飛び回る。そうしながらも、最
後にはきっちりと全てを丸く治めてしまう。
そんな靈夢を眺めたり、たまにちょっかいを出してからかうのが好きだった。
もうずっと、そうやって楽しんできた。ずっとというのが、どの位ずっとなのかは判らない。若しかしたら靈夢が生ま
れる以前より、代々の博麗の巫女に対して同じ様な事をしていたのかも知れない。たまにそんな事を考えたりもする。
博麗との付き合いが靈夢個人に対してのものだったのか、それとももっと昔からのものだったのか。
まぁ、どちらでも良いか、と、魅魔は思う。
覚えてもいない過去をあれこれ考えたところで、それは全くの詮無い事。判るのは、今自分の周りには魔理沙と靈夢が
居て、彼女等と一緒に在るのが心地良いという事実。それ以外の、今以外の話など、魅魔にとってはどうでも良い話
だった。
魅魔は、今が楽しければそれで良かった。楽しい今が好きだった。だから、何も迷いはしなかった。
◆
たったの二人で宴会も何もないだろう。満面の笑顔を見上げて、靈夢はそう言葉を返した。
実際その後の半刻程は、境内の白砂に敷かれた茣蓙の上で二人、面と面を合わせて胡坐をかき、靈夢が渋々と神棚
から下ろしてきた吟醸酒をただ静かに呑むだけであった。魅魔は自分から宴会をやろうと言い出しておきながら、酒の
一本も肴の一つも持って来てはいなかった。その事に文句をつける靈夢と、それをどうにも呆けた答ではぐらかす魅魔。
場の雰囲気は、紅い太陽と共にゆっくりと落ち込んでいくばかりだった。
そんな空気を、日没と共に神社へ現れた魔理沙が一変させた。
「お待たせしました、魅魔様~~」
彼女の後ろには、靈夢もよく見知った顔が三つ並んでいた。どうやら魔理沙は、この客人達を宴会場まで連れて来る
よう、魅魔に言い付けられていたらしい。よく見れば服のあちらこちらに、目立たない程度の小さな傷や焦げ跡が付いて
いた。恐らくは、普通に話をすれば何の問題も無く通れた所を、わざわざ一悶着を起こしてから通って来たのだろう。靈
夢は呆れ顔で、魅魔は楽しそうに笑って、けれども二人とも一様に、魔理沙らしいな、と心の中で呟いた。
「……これから寝るところだったのに。勘弁してほしいわ」
「あんた、昼に起きて夜寝てるの? 妖怪のくせに変な奴ね」
「昼? 昼も寝てるわよ、ちゃんと」
靈夢の方には顔も向けず、眠たそうに目を擦りながら声だけを返す幽香。彼女の右手には、いつも持ち歩いている薄い
桃色の日傘があった。それが少し可笑しくて、もう陽も沈んだのに、と、靈夢は小さく笑った。
「にしても、あんたらにこうも簡単に人間界へ来られちゃうと、ちょっと立つ瀬が無いなぁ」
言いながら振り返る靈夢の視線の先、丁寧に頭を垂れる魔界の神。
「この度はお招きいただき、感謝しておりますわ」
そう挨拶をしてから神綺は、自身の背後でむくれている娘へと声をかけた。
「ほら、アリスちゃんもちゃんと御挨拶なさい」
「私は別に、来たくて来た訳じゃないのに……」
言いながらも渋々と頭を下げる少女の姿は、靈夢が知っているものよりも少し大人びた空気を纏っていた。
「何だか、ちょっと見ない内に大きくなった?」
「成長期なのよ! 悪い?」
何が気に障ったのか、アリスは靈夢に食って掛かる。そこで靈夢は気付いた。アリスも魔理沙と同じ様に、そこここに
小さな傷を作っている事に。
「ほらほら、落ち着いてアリスちゃん」
困った様に笑いながら、娘をなだめる神綺。
彼女が話すところに拠れば、魔理沙に宴会の誘いを受けた時点で神綺は、初めはメイドの夢子をお供にする事を考えて
いた。だが、魔界の神である神綺とその右腕の夢子、二人が同時に魔界を離れる訳にはいかないという事と、そして、
魔理沙に使いを頼んだ魅魔がアリスを指名していたという事もあって、アリスが一緒に人間界に行くという話になった。
けれども当のアリスはと言えば、以前の事がトラウマになってか、頑として魔界を離れようとはしなかった。そこで一悶
着である。魔理沙はアリスに勝負を挑み、無理矢理神社まで連れて来たという訳であった。アリスの機嫌が良くないのも
当然である。
「さぁさぁ!」
険悪になりかけた空気を、大きな声と手を叩く音が遮った。
皆の視線を一身に浴びながら、魅魔は声を張り上げた。
「これでやっと人も揃った。
色々と思うところも有るだろうけど、今日ばっかりはそれも水に流して、明日になるまでとことん楽しもうじゃあない
か!」
◆
「まったく、何で私がこんな事をしなくちゃならないんだか」
寝所に敷かれた白い布団の上に小さな巫女の身体を下ろしつつ、幽香は誰へとも無く呟いた。
「この季節、外に放って置いたって死にはしないわよ」
「まぁまぁ。死にはしなくても、風邪をひいたりしたら大変でしょう?」
幽香の愚痴に穏やかな言葉を返しながら神綺は、三人並んで安らかな寝息を立てている少女達の上に薄い肌布団を
そっと掛けた。
宴会は、大いに盛り上がった。
神綺は、メイドに作らせた料理と魔界特製のワインを何本も持って来ていた。幽香は手ぶらで現れたものの、いつでも
好きな時に向日葵を呼び出し、その種を酒の肴として提供した。尤も、出された種を台所まで持って行って調理させ
られたのは靈夢であったのだが。魔理沙も、自称そこそこ良い、という焼酎を持参していた。
人が増え、酒が増え、肴が増えれば宴会が盛り上がるのは道理である。
夜天には雲一つ無く、月と星が見守る中、境内は魔理沙の恥ずかしい過去だとか、神綺の娘自慢だとか、肴が足りない
からスッポン鍋を出せだとか、そうした他愛も無い、馬鹿らしい話で大いに盛り上がった。
そんな楽しい時間も、先ずアリスが脱落し、魔理沙が意識を落とし、そうして靈夢が眠りに落ちた時点で、誰が言い
出したと言う訳でもなく、自然とお開きの流れとなった。
「こんな子供達にあんな馬鹿みたいな量を呑ませておきながら、風邪がどうとかって、そんな健康を気にする様な科白を
言われてもねぇ」
内二人なんか人間なのに。そう言って横目で睨んでくる幽香に神綺は、いやまぁ、と、苦笑いを浮かべながら視線を
逸らした。
「いいじゃあないか。そいつらだって、いつかは鬼や天狗と呑み比べをする日が来るかも知れない。その時に備えての訓
練だよ、訓練」
縁側で一人佇む魅魔が、夜空に浮かぶ月を眺めながらそう言った。
「天狗は兎も角、鬼と、ってのは有り得ないでしょう」
「さて、どうだろうねぇ」
部屋から出てきた幽香の言葉に、魅魔は月に視線を固定したままで応える。二人の後ろで、最後に部屋を出た神綺が
静かに寝所の襖を閉じた。
「じゃ、そろそろ行くかね」
そう言って魅魔は歩き出した。幽香と神綺も、何も言わず彼女の後について歩く。
ほんの半刻前の喧騒、あれはただの夢だったのではないか。そう思ってしまう程に静まり返った境内。三人は、一言も
発さずに歩を進める。
やがて三人は鳥居の前へと辿り着き、そこで魅魔は歩みを止めた。そうして先程と同じ様に、夜天に輝く月へと顔を
上げた。
「望月まで、あともうちょっとだねぇ」
寂しそうに魅魔は呟く。そんな彼女に幽香は、ちょっと良いかしら、と、声を掛けた。その声に応えて、魅魔は夜空
から視線を下ろす。そこに映ったのは、正に花が咲いたと形容するのが相応しい、そんな明るい笑顔。そして。
「馬鹿野郎」
声が聞こえたと同時に、視界が揺らいだ。魅魔の思考が一瞬固まる。暫くして、彼女の左頬に鈍い痛みがじわじわと
浮かび上がってきた。左手を頬に当てながら、目の前の幽香を見据える。見えたのは、可愛らしい日傘を右手に、下唇を
噛み締め、強く睨みつけてくる幽香の姿。そうしてやっと魅魔は、何が起こったのかを理解した。
「悪霊になってから初めてだよ、多分」
この為にそれ、持って来たのか。幽香の右手を指して魅魔は言う。その問いには答えず、幽香はくるりと背なを
向けた。
「今のは彼女等の分よ」
顔を見せずに幽香は言った。そんな彼女の背中に向かって魅魔は、すまない、と頭を垂れ、それから有難う、と礼を
述べた。
「礼を言われる義理は無いわよ。私は自分がやりたいと思った時に、やりたいと思った事をやるだけ。
これまでも、これからも」
そうして幽香は魅魔に背中を向けたままふわりと宙に浮き、そのまま夜の闇の中へと消えて行った。
「さてと、あんたはどうするんだい」
幽香の姿が完全に見えなくなって後、魅魔は神綺へと問い掛けた。
「私は、アリスちゃんを連れて帰らなきゃいけないからね。
とは言え、起こしてしまっても可哀想だし、あの子が目を覚ますまで此処で待たせてもらうわ」
そうかい、と、一言だけ魅魔は応えた。ええ、と、神綺も一言だけを返す。
二人の間に暫しの沈黙が流れる。やがて。
「よかったらわたしの住んでいる魔界に来ない?」
ぽつりと神綺は呟いた。一瞬、呆気に取られた表情を見せた魅魔は、すぐに小さな笑いを浮かべて口を動かした。
「あー、こりゃあれかい?
つらいことがたくさんあったけど……でも楽しかった、とか、そういう答を返すべき流れなのかしら」
「真面目な話なんだから、冗談で返さないで欲しいわ」
穏やかな笑顔で、しかし視線は微塵も揺るがせずに神綺は続ける。
「魔界は私の世界。私が生きている限りは、決して失われる事は無い。
この世界の全てを受け入れるのに充分な大きさだってあるし、この世界の環境を、ほぼそのままに再現する事だって
可能よ。魔界の中の事であれば、私にはどんな事だって思いのままなのだから」
神綺は魔界の神である。その力は、魔界に於いては正に全能のものである。だがその全能の力は、魔界の外の世界に
まで及ぶものではない。
「だから、あなたを含め皆が魔界に来れば、何も変わらずに――」
そんな神綺の申し出に、魅魔は無言のままゆっくりと首を横に振った。
再び、場を沈黙が支配する。重苦しい沈黙。そうして。
「ありがとうね」
今度は、魅魔の声がその沈黙を破った。
「最初に会った時は変な奴、とか思ったけど、そんな事は無い。あんたは善い奴だ」
「私だって、あなたの事、最初は生意気な奴って思ったわ。でも、あなたにはアリスちゃんが御世話になったから」
むしろ私の方が御世話になったんだけどね。そう言って魅魔は笑った。それを見て、神綺も笑った。月の光が照らし
出す夜の境内で、二人して笑い合った。
そうして暫くの間笑って後、魅魔は、さてと、と一声を出して、鳥居に向けてゆっくりと歩き出した。
「それじゃあね」
歩きながらくるりと振り返り、神綺に向かって大きく右手を振った。神綺も、無言のまま笑顔で小さく手を振り返す。
それを見て魅魔は再び神綺に背を向け、今度は振り返らずにそのまま鳥居をくぐりぬけて行った。
魅魔の姿が見えなくなって尚、神綺は手を振る事を止めなかった。
◆
こんな遠慮がちな話し方は彼女らしくないな、と、魅魔は思った。
目の前で話をしている少女に、魅魔は以前にも会った事がある様な気がしていた。過去の記憶があやふやなのだから、
無論、ただの思い違いの可能性もある。けれども、魅魔の記憶が正しければ、この少女はもっと物事をはっきりと言う
性格だったはずだ。それこそ、周りから説教くさいと言われて煙たがられる程に。
「つまりですね、その、判り難い例えかも知れませんが、ここに一つの木箱、とても大きい木箱が在るとして、その中に
どんどんと物を入れていくと――」
判り難いと自覚しているのなら、変な例えなんて持ち出さずにさっさと話を進めれば良いのに。そんな魅魔の考えを
よそに少女は、木箱のひび割れがどうだとか、直す為の材料がこうだとか、回りくどい話を続けていた。話が始まって
以降、少女が一度も魅魔の目を見ようとしない事も、彼女には気に食わなかった。
「いい加減にしな!」
我慢出来ずに、魅魔は声を荒げた。
「言いたい事が有るならもっとはっきり言ったらどうだい。そんな奥歯と奥歯の間に鶏肉の切れ端が挟まったみたいな
鬱陶しい物言い、私は嫌いだね」
魅魔の言葉の前に、少女は黙って下を向く。
その様子を見て溜め息を一つ、そして話を続けた。
「やれやれ、今度はだんまりかい。
まぁ、話したくなければ話さないで、それはそれで構わないけどね」
あんたの言いたい事は、大体判ってるから。そう言った魅魔の言葉に、少女は顔を歪めた。
伊達に長い時を在り続けている訳ではない。何かがおかしくなっている事に、魅魔はとっくに気が付いていた。
切っ掛けは、遺跡の事件と、空飛ぶ機械ネズミの話だった。
この世界には、壁によって隔てられた外側で失われたもの、幻想となったものが流れ込んでくる。だが、件の遺跡も機
械ネズミも、外の世界とはまた違う、全く別の世界から流れて来たものだった。こんな事は、魅魔の知る限り今迄には一
度も無い事だった。記憶にあまり自信の無い彼女も、それは断言出来た。そんな異常な出来事が短期間に二度も起きた。
それに、この世界に辿り着く意志を持っていた遺跡の人間達はまだしも、機械ネズミの方は、その意図とは無関係にこの
世界へと入って来てしまっていた。壁に囲まれたこの世界に、本来流れてくる可能性のあるものとは別のものが流れて
来る。何故そんな事が起きるのか。
少女の判り難い例えを聴いて魅魔は、その理由を理解した。
「この世界は全てを受け入れる。だが、この世界は決して無限ではない」
とても簡単な話だった。
大きな箱が在る。箱の口から中へとどんどん物を詰め込んでいけば、やがて箱は満杯になる。それでも物を入れる事を
止めなければ、箱は歪み、幾つもの亀裂が出来る。その亀裂から、本来入れる筈ではない物まで入る事もあるかも知れ
ない。そうして最後には、箱は壊れ、全てがばらばらになってしまうだろう。
「その前に、箱の中身を整理しないといけない。そういう事だろう?」
魅魔の言葉に少女は、それだけではない、と、声を返した。
「傷付いた箱を直し、より頑丈にする為には――」
そこで少女は再び言葉を止めた。手にした笏を強く握り締め、その小さな身体を小刻みに震わせる。
その様子が余りに痛々しく思えて、少しは気を楽にさせようと、魅魔は軽く笑いながら言った。
「私は既に悪霊だよ?
それにあんた、確か、人の生き死にをずぅっと見てきてるんだよね。だったら何もそんなに」
そうして少女の肩に軽く手を乗せる。
「事は!」
その手を、少女は強い勢いで払い除けた。
「事はそれ程、単純ではないのです……」
沈痛な面持ちのまま、少女は話す。
事は、輪廻や成仏といった話とは全く別なのだと。この世界が壁によって隔離されてからまだ僅か百年程、この様な
事態は初めてであり、その先がどうなるのか、彼女にも判らないのだと。
「そっか」
普段は凛とした態度を決して崩さぬ少女が何故ここまで動揺しているのか、魅魔は理解した。
やれやれと、軽く溜め息を一つ吐く。そうして。
「ああ、判ったわ。それで良いわよ」
魅魔は、今が楽しければそれで良かった。楽しい今が好きだった。だから、何も迷いはしなかった。
魔理沙や靈夢が居る、楽しいこの世界の今が護れるなら、あとの事は別にどうでも良かった。
「でも!」
身を乗り出す少女を、魅魔は片手で制する。
「あんただって判ってて、だから私の所に来たんだろう?」
その言葉に、少女は何も返すべき答を持ってはいなかった。
魅魔は判っていた。自分自身が、在るべき時をとうに過ぎ去っている者だという事が。物事を長い間覚えていられない
というのは、自分の頭が本来入れる事の出来る量を超してしまっているからなのだろう。この世界と同じだ。
どの道。遠くない内。
それだったら、有効活用してもらった方が気分が良い。
「それにさ、私に白羽の矢が立ったって事は、それだけこの世界に於ける私の存在が大きい、て事だろう?
光栄な事じゃあないか」
そう言って魅魔は笑う。楽しいからではない。楽しくないから笑うのだ。
目の前の少女が悲しい顔をしている、それが楽しくないから笑うのだ。あんたが気に病む事は無いと、そう言って笑う
のだ。
「御勤め、ご苦労さん」
言いながら、少女の肩に優しく手を置いた。
「ああ、それと。
さっきは大きな声を出して済まなかったわね。あんたはあんたなりに、気を遣ってくれてたってのに」
そんな魅魔の言葉に少女は、いいえ、と、笑顔で返した。魅魔の気持ちが判ったから、少女は一生懸命に笑った。
「ところで、その日ってのは一体いつなんだい」
「ありとあらゆる結界が薄くなり、彼岸の霊達が此岸に戻って来る日の直後。
そして、月の魔力が地上に満ちる日の直前」
「判りやすく言うと?」
「文月の、十四」
◆
「お待ち下され、魅魔殿」
博麗神社を離れ一人夜の山道を歩く魅魔の背後で、聞き覚えのある声がした。
「あれ。あんた確か、さっき鍋にされてなかったっけ」
毒を吐きつつ魅魔は振り返る。
「わしをスッポンか何かと勘違いしとりゃしませんか?」
言いながら、立派な髭を生やした一匹の大きな亀が、のたり、のたりと道を歩いて来ていた。
「何の用だい」
「なに。旅は道連れ世は情け、老い先短いこんな爺ですが、ここはお供させていただきますぞ」
かっかっかっ、と笑う亀に、呆れ顔で魅魔は応えた。
「あんたは博麗の従者だろう。私なんかについてくるんじゃないよ、鬱陶しい」
そんな言葉に、何を言いますか、と、亀は反論する。
「わしは御主人様、靈夢殿に捕まえられただけのそこらの亀。博麗神社そのものとは、そもそもの縁は御座いませぬ」
そう言えばそうだった気もする。あやふやな記憶を辿りながら魅魔は、それでも、と言葉を返した。
「だったら尚更、私なんかと一緒に来るべきじゃない」
あの巫女には、まだこいつが必要な筈だ。だから魅魔は、亀の申し出を受ける事は出来なかった。
「そもそもねぇ、若しついて来るとしても、そんなゆっくりだと、はっきり言って迷惑なのよ」
「何を仰る魅魔殿。亀の歩みは遅いのが当然。
明日になるにはまだ間があります。それほど急ぐ事も無いでしょう」
亀の歩みは遅い。それを聞いて魅魔は、なるほどそうか、と、心の中で手を打った。亀が歩いているのだから、それは
遅くて当然だ。
そうか。そうなのか。それならば。
靈夢には申し訳無いのだが、本音を言えば矢張り、どんなくたびれた年寄であっても、これから先を一人で旅するより
は道連れの居る方が遙かに良かった。
そんな魅魔の心中を察したのか、口の端をにぃっと吊り上げて亀は笑った。魅魔も、同じ様な顔を作って亀に笑い返し
た。
「でもその前に一発、殴らせて」
「な、何故に!?」
「私は幽香の奴にぶん殴られたってのに、あんたは何も無しっていうんじゃ不公平だろう」
慌てて逃げ出そうとする玄爺に魅魔は、冗談よ、と笑い、そして、有難う、と小声で言った。
◆
◆
車内はとても静かだった。
乗客は他に誰も居らず、相棒はさっさと眠ってしまっていた。随分と薄情な奴だ、と、そうも思う魅魔だったが、それ
でも、たった一人で居るよりはずっと良かった。安らかな寝顔に向けて、お疲れさん、と、小さく呟く。
そうして自分も眼を閉じる。永い夢に身を任せよう、と。
だが、中々寝付く事が出来ない。
何とかして眠ろうと閉じられていた目蓋も、暫くして再び開けられた。退屈凌ぎにと車窓に目を遣るが、外は真っ暗で
何も見えはしない。外を見ただけでは、列車が走っているのかそうでないのか、判別が付き難い程だ。僅かに感じられる
振動と時折聞こえるガタンゴトンという音。それが無ければ、列車が止まっていると言われても信じてしまいそうですら
ある。
どうせ終着駅まで行くのだ。何も寝過ごす心配など無いのだから、自分もさっさと眠りたい。目が覚めていると、旅
立つ前の色々な思い出が次々と甦ってきて胸が一杯になってしまう。今迄は散々に呆けていたくせに、今更になって
過去をせっせと引っ張り出してくる自分の頭を、魅魔は呪った。
「こちら、御一緒させていただいて宜しいかしら」
唐突に声が聞こえた。
顔を上げると其処には、小綺麗な洋装に身を包んだ、如何にも良い所の貴婦人、といった風体の女性が立っていた。
座席は四人掛けのボックス席とは言え、他に空いている所は幾らでも在るだろうに、何故わざわざ相席を申し出てくる
のか。何も見えない窓に顔を向け直してから、勝手にしな、と、少し不機嫌そうな声で魅魔は言った。
「では失礼致しますわ」
そう言って席に着いた貴婦人を、魅魔は横目でちらりと見た。
いや、それは貴婦人ではなかった。
小奇麗な洋装に違いは無いのだが、その両の足先は床まで届かず、その頭は背もたれの中程に収まっている。良い
所の、に変わりはないのだが、どうやら貴婦人ではなく御令嬢であったらしい。
その御令嬢が、魅魔に向かって静かに頭を下げた。
「有難う御座います」
相席を許した程度で大袈裟な。そう応える魅魔に向かって、違いますのよ、と優雅に微笑みながら、御令嬢は言葉を
続けた。
「そんな小さな事ではありません。もっと大きな事。私には手の届かない事。
その事で、私は貴方にお礼が言いたいの。本当に、本当に有難う」
そう言って、再び深々とお辞儀をする。初対面の者にそこ迄の事をされるのがどうにも面はゆくて、顔を窓に向けた
まま魅魔は言った。
「お礼だったら、言葉じゃなくて物で御願いしたいね」
冗談混じりのその言葉に、間髪を入れず御令嬢は応えた。
「そう仰ると思っていましたわ」
そう言った彼女の脇には、いつの間に取り出したのやら大きな一升瓶が一本。
「おやおやまぁまぁ。あんた、話が判るねぇ」
先程迄の不機嫌は何処に行ったのか、目を輝かせて御令嬢の小さな両手を握る魅魔。寝付けぬ夜に、これほど有難い
贈り物も無い。
「こんな些細な物でも、喜んでいただけたのでしたら幸いですわ」
そう彼女が言ったのとほぼ同時、大き目の振動が一つと、キキーッという音。どうやら列車が停まった様子だった。
「それでは、私はここで」
そう言って、御令嬢はゆっくりと席を立った。
「そうかい。私は終点迄だから、ここでお別れだね。
ちょっと残念だよ。折角あんたと仲良くなれたってのに」
仲良くなれた。その言葉を聞いた瞬間、御令嬢は魅魔から顔を背けた。そうして背中を向けたまま、デッキへの扉に
向けて歩き出す。
「あ。何だか、失礼な事、言っちゃたかねぇ」
何処か頼り無い足取りの少女に、魅魔は少し心配になって声を掛けた。お礼の言葉と酒を一本貰っただけで、仲良く
なれたと言うのはちょっと図々しかっただろうか。
「そんな事、ありませんわ」
背を見せたまま、御令嬢は扉の前で立ち止まる。
「私も、貴方と仲良くなれて嬉しかったですわ」
それを聞いて魅魔は、それなら良かった、と言った。
「貴方はこれから……?」
「私かい?
どうせ終点へ行くんだし、相棒もこの通りだし、私もちょっと眠る事にするよ。あんたに貰ったこれも有る事だしね」
そう言って一升瓶を片手に笑う魅魔へ、御令嬢はゆっくりと振り返った。
「それではお休みなさい。良い夢を」
たおやかな笑みを浮かべた彼女は、もう一度魅魔に向かって深く頭を垂れ、それからデッキへと出て行った。
暫くして、ガタンという音と、大きめの振動が一つ。列車が再び走り始めた。窓の外に目を遣れば、薄暗い駅舎に
たった一人で佇む少女の姿が見えた。
その彼女の唇が、小さく動いた。
「ごめんなさい」
そう、魅魔には読めた。
やれやれ、何を謝られる事があるって言うのだろう。魅魔は大きく身体を伸ばした。
魅魔には、自分が幸せだという確信が有った。多くの者に出会い、多くの出来事を体験した。
可愛い弟子が出来た。からかいがいのある人間と出会った。メイドだって手に入れた。
乱暴者ではあるけれど、安心して後を任せられる奴が居る。一見頼り無いけれど、どこまでも優しい奴が居る。あれや
これやと五月蝿いけれど、心底から自分を心配してくれる奴が居る。多くの友人達が居る。今さっきだって、新たな友が
出来た。
その上、旅の道連れまで居るのだ。これ以上何かを望むなんて贅沢な事、魅魔には思い付きもしなかった。
一升瓶に口を付け、一気にその中身を飲み下す。
ぷはぁーっと、気持ち良く一息を吐いて魅魔は、今度こそ久遠の夢に運命を任せるべく、ゆっくりと、静かに目を閉じ
た。
第百十八季 文月の一六
【文々。新聞】
[ 川 面 に 浮 か ぶ 炎 の 舟 ]
“お盆のクライマックス、舟っこ流し”
今日は文月の一六、お盆の最終日である。今日の夕方、幻想郷の人里では舟っこ流しと呼ばれるイベントが開催され
る。これは、先祖の霊を送る為、提灯や御供え物によって装飾を施された舟に花火や爆竹を載せ、それに火を放って川に
流すという行事である。これだけを聞けば、如何にも人間らしい野蛮な行為かと思われるかも知れないが、夕闇が迫る
中、水面に焔を映しながらゆっくりと流れ、やがては崩れ落ちて沈んでいくその様は、妖怪である私達にとっても一見の
価値があると断言出来る。
人間の里では今夜は他にも、櫓を組んでの盆踊り大会が開催される予定である。
こうしたお盆に関連した行事は、妖怪には馴染みの薄い、人間独特の風習である。何故なら我々妖怪に於いては、判る
範囲の御先祖様は存命している事が殆どであるし、それ以前に、御先祖様が居るのかどうかすら定かでない者が多いから
である。彼岸の御先祖様を送り迎えしなければならない状況が、そもそも作れないのである。
とは言え、こうした面白い行事を、ただ黙って見過ごすのでは余りに芸が無い。例え祀るべき御先祖様が居なくても、
お盆を口実に祭りを開いてみるのも一興であろう。
幻想郷は平和である。一昨日、昨日と当紙の発行が無かったのも、記事になる様な出来事が何も起きていないからで
ある。
何も起きないのであれば、自分達で起こすのが一番である。若し祭りを開催しようという者があれば、博麗神社が適度
に広く、人間も殆ど居ないのでお奨めだ。 (射命丸 文)
◆
「相変わらず変な新聞。一昨昨日の記事内容と一部矛盾が無くも無い様な気もするし」
そう言って、手にしていた新聞紙を無造作に投げ捨てる。
彼女は、風見幽香は髪を切った。
「別に意味なんて無いわよ。暑いから鬱陶しくない様にした、それだけの事」
他には誰の姿も見えない向日葵畑の真ん中で、幽香は一人呟いた。
風見幽香は誰の言う事にも従わない。風見幽香は誰の願いも聞き届けない。彼女はただ、自分のやりたい時に自分の
やりたい事をするだけだ。
「差し当たってのやりたい事と言えば、そうね」
あの頭の緩い巫女達を、面白可笑しく観察して過ごそう。偶にちょっかいを出して、からかってやるのも良いかも知れ
ない。
「そうだ。そうしよう。うん」
その前に取り敢えずは一眠り。そう言って幽香は、背の高い満開の向日葵達に囲まれて仰向けに寝転んだ。そうして
みると、雲一つ無い空に浮かぶ太陽も、まるで向日葵の花の一つとなった様に見えて、何だかとても可笑しかった。
◆
「本当に行っちゃうの、アリスちゃん?」
涙目で自分の服の裾を掴んで放さない母親を前に、アリス・マーガトロイドは大きく息を吐いた。
「いい加減、子離れしてよ。私、もう決めたんだから」
「でも、でも、アリスちゃん魔法使いなんだし、魔法のお勉強をするんだったら魔界に居た方が……」
神綺の言い分は尤もである。それでも、アリスの決心は揺るがなかった。
アリスは魔界が嫌いな訳では無いし、魔法を修めるには魔界に居るのが一番だという事も理解している。けれども彼女
は、魔界に居るだけでは判らない、もっと多くの事を知りたいと思った。もっと多くのものと出会いたいと思った。だから
アリスは、魔界を離れ幻想郷に行く事を決意した。
「ほらほら神綺様、ここは笑って見送ってあげましょう。そうでないと、アリスが安心して行く事が出来ませんわ」
「笑って見送るなんて出来ないわぁ~~」
とうとう本格的に泣き出した神綺を、メイドは半ば無理矢理にアリスから引き離した。
「一人暮らしは色々と大変だろうけど、貴方ならきっと大丈夫。頑張りなさい、アリス」
「有難う、夢子さん」
「そう言えば、皆への挨拶はこれから?」
「うん。行きしなにする心算。て言うか、こんな時くらい、皆で揃って見送ってくれても良いのに、とかも思うけど」
「まぁ、マイペースな者が多いから。何と言っても」
そう言って夢子とアリスは、わんわん声を出して泣いている創造主に目を向ける。こういうのも、或る意味マイペース
と言えるだろう。大本がこれでは、と、二人は小さく笑った。
「それじゃ私、行くね」
未だ泣き止まない神綺に向かって、アリスは声を掛ける。
「別に、もう二度と会えないって訳じゃないんだから。何も、哀しい事なんてないんだから。
だから、ね? もう泣かないで、お母さん」
娘の声に小さく頷き、神綺は涙を拭う。
「二人とも、元気でね!」
笑顔でそう言い放ち、アリスは回れ右をする。
「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい――」
片や凛とした声、片や鼻水混じりのしわがれた声。二つの声に送られてアリスは、パンデモニウムを後にした。
◆
「よう霊夢、遊びに来てやったぜ」
夕暮れ迫る境内に、箒に乗った魔法使いが下りて来た。
「おーい、霊夢。居ないのか」
声を上げて周囲を見回す魔理沙だったが、お目当ての姿は何処にも見えない。拝殿に入っても、台所に行っても、寝所
を覘いても、矢張り霊夢の姿は見当たらない。
それならそれで、まぁ良いか。居ないなら居ないで、勝手に遊ばせてもらおう。そう考えて魔理沙は、一人神社の散歩
を開始した。
先ずは、普段余り行かない所から行ってみよう。そう思って魔理沙は社殿の裏側に廻った。
其処で。
「あっ」
魔理沙は声を上げた。
目の前に広がるのは小さな池。その中央、大きな蓮の花の真上に霊夢は居た。
「何だか浮いてしまっている奴を発見したぜ」
悪戯っぽい声に反応して霊夢は振り返る。
「変な言い方しないでよ。まぁ、間違ってはいないんだけど」
言いながら霊夢は、水面の上を歩いて魔理沙のもとまで来た。
「魔理沙の方こそ、変な喋り方してるじゃない」
「おう。私は強いからな。こういう格好良い喋りがよく似合う。なんだったらお前も真似するか」
あんたのそれも他人の真似でしょうに。言い掛けた霊夢だったが、その真似のもとが思い出せなかったので、結局何も
言わず、魔理沙を無視して社殿へと歩き出した。そうして本殿へと入り、中から小さな舟を取り出して来た。
「なんだぁこりゃ。今日の新聞に載ってたあれか? それにしては、随分と小さいけど」
霊夢の肩越しに魔理沙が覗き込んでくる。木で造られた、余り見端の良いとは言えない、両手で抱えられる程の小さな
舟。
「まぁ何にせよ、巫女としての仕事を果たすのは良い事だな」
いや、これは巫女の仕事とはまた違うか。そんな事を言いながらわざとらしく腕を組んでうんうん唸る魔理沙に、別に
どうでも良いのよ、と、霊夢は言った。
「こういったものは、宗教がどうとか言うより、結局は心情的なものなんだから」
そうして霊夢は、舟を抱えて神社を離れ、西へと向かって歩き出した。
「おい、何処へ行くんだ。里に下りるならこっちの道じゃぁないだろ」
ついて来いとは一言も言われていないのに、箒を片手にさも当然といったふうで霊夢と一緒になって歩く魔理沙。
「里に用が有る訳じゃないから。盆踊りにも呼ばれてないし」
「呼ばれてないのか。なるほど流石は霊夢。正に巫女の鏡だぜ」
遠回しな嫌味を聞き流し、霊夢は西へ西へと歩を進める。やがて二人の歩く道は、薄暗い森の中へと入っていった。
「あぁ、そう言えば」
この森の中には川が在った。その事を思い出す魔理沙。
森に入ってすぐ、滅多に人の通らない荒れた道を更に外れ、二人は獣道を歩いて行った。
そうして暫くして、太陽が沈み、薄暗い森が完全な闇に閉ざされて、魔理沙が白く光る不思議な透明の球を取り出した
頃になって。
「やれやれ、思ってたより結構遠かったわね」
舟を足元に下ろし、霊夢は両腕をぐるぐると廻した。目の前に在る川は、幅こそあれど水の流れは緩やかだった。
「それじゃ、御願いね」
そう言って、霊夢は魔理沙の方を向いた。突然話を振られた魔理沙は、小さく口を開けた、間の抜けた顔を霊夢に
返した。
「私が舟を川に流すのと同時に、ね。早過ぎたりしたら、ただじゃおかないわよ」
「おいおい、人を火打石か何かと勘違いしてないか?」
霊夢の言いたい所を察して、少し不満気な声を出す。
「あら。でも魔理沙は、この為について来たんでしょう」
その言葉に魔理沙は応えず、帽子の鍔でそっと顔を隠した。
それを同意の合図と受け取り、霊夢は再び舟を抱え上げた。
「あ。ところで若しかして、ここ迄きてあんた、実は火の魔法が使えないとか、そういうオチは無いでしょうね」
「お、いいなそれ」
目元は隠したまま、口の端を吊り上げる。
「だが残念な事に、基本的な魔法は全てしっかりと教わってるんだ。ちょっと火をつける程度なら、問題無く出来て
しまうぜ」
なら良かった。そう言って霊夢は、舟を抱えたまま川に向かって足を出した。
一歩。また一歩。流れる川面の上を、ゆっくりと霊夢は歩いて行く。
「この辺で良いわね」
こちらの岸とあちらの岸、その丁度真ん中で、霊夢は足を止めた。そうして身を屈め、川の流れの上にゆっくりと舟を
置いた。
「じゃ、いくわよ」
「あ、ちょっと待て」
言って魔理沙は箒に跨り、霊夢の真上へと飛び上がった。
「何してるのよ」
「一応出来るとは言え、得意分野じゃぁないからな。確実にやる為に月の魔力を少し借りる。それには、月と舟が両方
見える位置に行かなきゃならん」
「よく判らないけど、魔理沙の持ってる変な道具の類で何とか出来ないの」
「そこまでしなきゃならん程の難易度でもない」
「この体勢、結構辛いんだから早くしてよね」
「ああ。あと丸一日もあれば充分だ」
言いながら頭上を見上げる。木々の間から覗く空には、丸く綺麗な月が遮る物無く輝いていた。
「ああこりゃ、明日も晴れだな。暑くなりそうだ」
次に下を、霊夢のもとに在る舟を覗き込む。
「あ? その舟、何も乗せてないのか」
今更ながらに気付いた事を、思わず口に出した。
「そういうのは趣味じゃないの。良いでしょ、別に」
それだけを言って、霊夢は口をつぐんだ。俯いているのだから、真上に居る魔理沙からはその表情は窺えない。
けれども、そうだな、それで良いか、と、魔理沙もそう思った。だから、魔理沙もそれ以上は訊かなかった。
条件は整った。魔理沙は静かに眼を閉じる。そうして想い出す。初めてこの魔法に成功した日の事を。何も難しい事は
無い。あの日の記憶を引っ張り出して、後はそのイメージをそのままなぞるだけで良いのだから。
「いいぞ霊夢! 手を放せ!」
声が聞こえたのと同時に、霊夢は舟から手を放す。次の瞬間、舟は橙色の炎に包まれた。
「巧くいったわね」
岸へと戻って来た霊夢が、箒から降りてきた魔理沙に声を掛ける。
「私は天才だからな。この程度の事、余裕だぜ」
小さな胸を大きく張って魔理沙は笑う。イメージを引き出した瞬間、少しだけ心が揺らされて危うく失敗しそうに
なっていたなんて事は、霊夢には内緒だった。
暗い水面に、まるで生き物の様に揺れ踊る炎を映しながら、舟はゆっくりと流れて行く。
綺麗ね、と、霊夢は言った。
綺麗だな、と、魔理沙は応えた。
二人は手を繋ぎ、流れて行く舟をじっと見詰めていた。
光は次第に小さく、遠くなっていく。
それでも二人は、光が完全に消える迄は、と、その場を動こうとしなかった。
二人固く手を繋いだまま、流れ消えゆく光の行く末を、ただただ静かに見守っていた。
まあ紅魔郷とのつながりが若干アレっぽい気がしないでもないのですけれど、グッときてしまった自分の負け、ということで。この点数を進呈します。
ちょっと泣きそうになりました
良すぎて、です。色々と良すぎて自分の中の何かがホントダメ。
久々の100点、持って行ってください。
そしてご令嬢は八雲?
とにかくいいお話でした
しかし、幻想からも外れたものは果たしてどこへ行くのか…。
果たして今の幻想郷から誰が、いつ、幻想でなくなるのだろうか。
魅魔様と玄爺の去り際に少し涙し、神綺様の親馬鹿っぷりに涙し、
去っていった幻想を思い浮かべ、また涙しました
いえ、旧キャラがたとえ好きでなかったとしても!
これはキます!泣きます!
魅魔さまーッ!!
私の家においで!!
いやいや居て欲しい。そんな気持ちで一杯です。
P.S.
お婆ちゃんは言っていた…料理に隠し味を入れるのは楽しい。
しかしそれを見つけるのはもっと楽しい…何が言いたいかって言うと、
ポ ル ナ レ フ ! !
今回のお話は自分が今迄に書いた物とは余りに毛色が違う為、どこまで受け入れてもらえるか判らず、
正直コメント無しも覚悟していました。ですから、一番最初に入っていた某の中将さまの感想を
見た時は、本当に嬉しかったです。有難う御座いました。
>ちょっと泣きそうになりました
二つ前の作品で「コメディしか書かない」と言っていた自分はどこいっちゃたんでしょう。
済みません、あれ、嘘になってしまったみたいです。
>翔菜さま
投稿する時は戦々恐々だった、そんな作品でも、著者である自分からすれば可愛い子供の様なものです。
なので、「良かった」と言ってもらえればこれほど幸せな事は在りません。
100点、有難く頂戴します。
>SETHさま
東方のお話では男性を書く機会が少ないので、僅かな出番でも玄爺を書く際には気を入れた心算でした。
漢という言葉をいただけて嬉しいです。
そして貴婦人にも御令嬢にも見えるあの方は、自分としては今の幻想郷の代表と思っているので、
同じく自分としては旧作の代表と思っている魅魔様とはどうしても会わせてみたかったのです。
>去っていった幻想を思い浮かべ、また涙しました
この世に、いえ、あの世も含めて、永遠不変なんてものは存在するのでしょうか。そして、若し存在する
として、それは一体どういうものなのか。自分にはそれが判らないから、こうしたお話を書いたのかな、
とも思います。別れは必ず訪れる。それをどう受け入れるか。
娘との別れに際して神綺様は、それが今生の別れではないから、どんな恥ずかしい顔を見せても
それが娘の記憶に残る最後のものにはならないから、だから泣き喚く事が出来たのだと思います。
>一升瓶を片手に、玄爺に乗って何処へともなく旅を続ける魅魔様
実は自分がこの作品を書き終えた時点で、上の様な光景は思い浮かびませんでした。 それをこの感想を
見て、「そうか、このお話からこう読めるのか」と少し驚き、それから、変な話かも知れませんが
「そうだな、きっとこう繋がるのだろう」と自分の持っていたこのお話のイメージが少し変わりました。
作品は書き手のみがつくるにあらず、読み手が在って初めて完成するんだ、と思いました。
>アティラリさま
創想話で「泣ける」という感想をいただける話を書くようになるとは、自分自身ちょっと驚きだったり。
いつもと違ってパロディネタ無し、コメディでなしのお話、ちょっとした冒険でした。
>狩人Aさま
この作品は、いわゆる泣き系のお話かなぁと、自分自身でも思います。
けれどもそんなお話の中で、最後の神綺様を除いて「泣」とか「涙」という語を出さなかった、そして、
「笑」という言葉を沢山書けた、それは良かったかな、と思います。
自己満足という気もしますが、それでもやっぱり良かったと思います。
>akiさま
今更ながら、ですが、この作品集に在るakiさまの作品を読ませていただきました。
この作品を書く前に読んでいたら、もっと違ったお話を書けていたのかな、と、少し残念にも思ったり、
先にakiさまの作品を読まなかったからこそこのお話が書けたのかな、とも思ったり。
いずれにせよ、あの様な作品を書いたakiさまからこうして感想をいただけたのは感慨深い事です。
有難う御座いました。
>ぐい井戸・御簾田さま
アティラリさまにパロディネタ無しとキッパリ言ったばかりなのに……スマン、ありゃウソだった。
俺は、俺にしかなれない……。でも、これが俺なんだ。
その他の読んで下さった方々にも、ここでお礼を言わせてもらいます。本当に、有難う御座いました。
書いて二月も過ぎた作品に、今になってからまた感想を書いてもらえる。とても、とても嬉しい事です。
読んで下さって、本当に有難うございました。
読んだ人の心に届くお話を書く。物書きとしての自分の目標の一つです。
まだまだ未熟者ですが、これからも頑張っていきます。感想、有難うございました。
紅魔郷への繋がりが不自然でも、これもありかな、と思った時点で私の負けです。
所でえーき様って旧作にもでてたのかな。
しかし、アリス(妖)、ゆうかりん(花)、神綺(星で弾幕のみだけども)と来たら・・・・・・次はまさかと思わざるを得ない自分が居る。
見事でした。
他の方にも同じ題材でいろいろと書いてほしいなー。
消滅の描写(電車に乗っていく)がすごく気に入りました