※この話は「紅魔館の人々。 ~胸の話」の続編であり、「猫の足音どんな音」と話が繋がっています。前者は作品集24と27に、後者は作品集30にあります。
※咲夜×中国です。つかラブラブですね。
「あー!何でそこで止めるのよ!やぁ!そこもっと!……あぁっ!いっちゃ、いっちゃだめー!!」
「レミィ、興奮しすぎよ」
二人の少女が暗い室内で体を寄せ合い、ほの明かりを前にして息を荒げる。
誰もいない図書館の暗がりで、興奮にうっすらと汗ばんだまま肩で息をしてしまうレミリアに、パチュリーは静かに手を添えてその肉体を押さえつけようとした。
――等と表現すればなにやら卑猥だが何のことはない、彼女らは水晶玉の前にかぶりつき、色白の顔を揃えてその中身を見つめていた。
しかし吸血鬼は興奮して汗ばんだり出来るのだろうか? まぁそれは良い。
彼女らの前の水晶玉の中では、門前で咲夜が唐突に美鈴の唇を奪い、抱きしめ、しかしそれ以上のことはせず恥ずかしがるようにそそくさと逃げ去り美鈴だけが差し伸べた手が空を掻いて残されると言う情景が繰り広げられていた。
まぁ要するに覗きであるのだから、卑猥だと言えば卑猥な行為なのかも知れない。
それにしても、告白までしておきながら前と特段変わりのない――これで変わりがないというのも少々奇妙な話だが――いつも通りの一方通行、一時だけふれあって咲夜が逃げてしまう。
正直、その光景はレミリアにとって酷く焦れる物だった。
「にしたってあれは焦れったすぎよ。咲夜も咲夜なら美鈴も美鈴。あの子達本気で付き合う気あるのかしら?」
羽をピンと広げて立ち上がり、ソファに体を叩き込んだレミリアは苛立たしげにぼやく。
水晶の中、柱の影でこっそりのつもりで覗いているメイド隊どももその苛立たしさを助長する。
「こんな調子じゃ咲夜が死ぬまであのままじゃない」
肘掛けに頬杖を突いて続けた彼女は、テーブルに放置されていた冷めた紅茶を乱暴に羽で掴んで飲み干し、はぁ、とため息を吐いた。
パチェは涼しい顔ね、と眉を寄せたレミリアがパチュリーの方を向いて言えば、彼女は懐に手を入れて唇を開く。
「顔に出てないだけよ。私もいい加減もう少し進展して欲しいと思ってるわ。だから……」
そう言葉を濁して紫の魔女はすっと手を差し出す。
差し出された華奢な手の平の上には、銀の糸玉。
いつぞやに小悪魔が奔走し、魔理沙が猫にまみれて生まれたそれは、目に見えぬ力を伴って輝く。
糸玉を目にした途端、レミリアは視界に入ったそれの持つ意味にびくりと跳ねて、それは?と漏らした。
「ふふふ……神話の銀糸、グレイプニール。世界の終わりまで縛り続ける力を持つ枷よ。こんな事もあろうかと再現しておいたの」
珍しいほどにうれしそうな魔女の顔をして自慢げに言うパチュリーとは対照的に、レミリアはとりあえず凄い事は理解したが、彼女がそれをどう利用する気なのか読めず少し困った顔をする。
で、それでどうするつもり?と返しては見た物の、その糸玉に縁結び云々の力があるようにも思えない。
「私に良い考えがあるわ。小悪魔!」
少々興奮気味の声が図書館に響くと、いまいきまーすと疲れた遠い返事が響き返る。
「この糸はさっきも言ったように世界の終わりまで拘束力を持つ神器、つまり時空間の操作を持ってしても……!」
胸を張って大仰に演説を打つパチュリーにレミリアは、あ、と呟いて笑みおもむろに立ち上がる。
「今まであの二人が進展しなかったのは咲夜の逃走が最大の原因。ならば彼女を拘束するには?」
パチュリーが構えるように糸玉を差し出して言うのに対し、レミリアもまた一歩足を踏み出して勢いよく口を開く。
「あの子の能力を封じればいい!」
つまり、と続けるレミリアは、揚々と腕を振り上げてパチュリーを指さした。
次いで瞳をきらりと輝かせたパチュリーは、そうよ!と言って人差し指をレミリアに向け返す。
「気持ちが恥ずかしがってひっつかないと言うのなら――」
「近くに来ても逃げられるっていうんなら――」
「「これで二人を物理的にくっつければいい!!」」
目を輝かせた少女達は100年物のコンビネーションで指先を合わせて声を合わせた。
何故彼女たちはここまでも嬉々として他人の恋愛に首を突っ込む気で居られるのだろうか。
それは愚問。なぜなら彼女たちは少女だからだ。他人の恋愛沙汰に首を突っ込まざるして何が少女だ。
「運命だってたぐり寄せてみせるわ。ビッグフィッシングの時間よ、レミィ」
そう言い切った直後、興奮しすぎたパチュリーは喘息を出して大いに咳き込んだ。
「パチェ、興奮しすぎよ」
しかし、パチュリーは止まらない。レミリアにも止める気はない。
遅くなりましたーと羽を広げた小悪魔が降りてきた時、二人の少女は不敵に頬を歪めた。
今日も十六夜咲夜はメイド長の業務をこなす。
現在、咲夜と美鈴の仲は良好である。ぶっちゃけ相思相愛である。
しかし良好なままであり、それ以上には行っていない。
べたべたイチャイチャ絡み合うようなことも無ければ連れだってお買い物なんて事も無い。
前よりも時間の掛かる愛情表現が減った分、ややもすれば表面的には少々疎遠になったイメージさえ与えるかも知れない。
廊下を掃除し、サボるメイドをしばき、美鈴の見える所に来て――咲夜は立ち止まる。
この前やたら堂々と愛の告白をしたはいいが、それ以来今まで以上に長時間一緒にいることが気恥ずかしい、というか好きすぎて沸点を超えて耐えきれなくて逃げ出してしまう。
門の影に佇んでぼんやりと空を見上げている美鈴の横顔を見つめれば、火の入るように頬が熱くなってくる。
ふわりと流れる風に紅の髪が優しく揺れて、磁器、と言うには少し使い荒れ日に焼けた頬に閉じた瞼の睫毛の影が日陰の下で僅かに落ちる。
……閉じた瞼?
「ぐー……」
瞬間、門番の上体が仰け反って額に銀の光が走った。
「寝るな!」
メイド長の顔をしたメイド長は門番の襟首を掴むように、ドキドキして損したと言わんばかりの様子で手にナイフを構える。
と、その時、美鈴の口元が歪んだ。
気付いて身構えたときにはもう遅く、仰け反った体は弾かれる様に両手を広げて襲いかかる。
「咲夜さーん!」
釣られた、と驚いて目を見開く咲夜と対照的に、大型犬がじゃれつくが如く勢いよく抱きつこうとする美鈴はしてやったと言わんばかりの顔で、嬉々として両腕に咲夜を抱こうとして――
『幻符「殺人ドール」!!』
本能的にスペルカードが火を噴いた。
「咲夜の照れ隠しも凄まじいわねぇ。人間なら身が持たないわ」
……妖怪でも持たないかも、と呟きつつ、日傘片手のレミリアはぼろぼろの美鈴を引きずって屋内に放りこむ。
これだけ攻撃されてそれでもなお好きといえる当たり、その姿はどこぞの動物王国の麻雀王にも重なる。
惨状を目の当たりにしていたパチュリーが影から姿を現し、小さくため息を吐いてそのぼろくずに触れて口を開いた。
「まったくね……まぁ、これで取り付けの手間が片方省けるのだけど」
ぽぅ、と手の平に淡い光が灯って美鈴の傷に吸い込まれていく。
小さく呪文を唱えて光を押し込み追えれば美鈴の傷は消えて、次いで懐から取り出したのは淡く輝く銀のスカーフ。
いや、その長さは薄絹の帯とでも言うべきか、紅い館内に透ける銀は暗がりにどこか怪しい光を孕んで揺らめき、パチュリーはそれを緩やかに美鈴の首に巻いて何事かを唱えた。
巻かれたスカーフの一端は地に擦るかどうかと言う程に長く伸び、見下ろすレミリアは美鈴の襟首を整えるパチュリーに同調して唇を歪め、小さく呟く。
「さ、後はあの子がこのスカーフの端を首に巻くだけよ」
彼女の言葉にパチュリーは視線を友人に合わせる。
永年連れ添った信頼の目で微笑むパチュリーは小さく頷いてふわりと浮き上がり、レミリアもまたそれについて行くように羽ばたいた。
見上げるほど高い天井に張り付くように潜んだ二人の眼下には、首からスカーフを垂らしてぐったりとひっくり返っている美鈴。
と、そこに響くのは焦る足音。
次第に強まる小さな音の果てには、紅い薄闇の中を急ぎ来る咲夜。
「すぐに来たわね。邪魔も無し。これも運命?」
こんな事もあろうかと、と取り出した紅い風呂敷の様な物の影でパチュリーは頬を寄せたレミリアに呟く。
すると彼女は少し自慢げに、ただの経験則よ?と囁いた。
「だって、犯人は真っ先に犯行現場に戻るもの。そう言う事よ」
ふふ、と出来る限り小さく笑うレミリアの下、横たわる美鈴に駆け寄った咲夜はと言えば――悩んでいた。
――何で美鈴の傷が治ってるの?何この不確定名称スカーフ?何でこんなに綺麗なのよ胸がドキドキするじゃな――じゃなくてお嬢様達の仕業ね。
これは罠だ。
咲夜はその瀟洒な頭脳で答えを割り出し一歩後じさる。
辺りを見回し、どうした物かと彼女が思い悩んでいたその時、美鈴が、うぅ、と小さく声を上げた。
ぴくりと弾かれるように視線が向かい、良いタイミングよ!と呟く上を知らずに咲夜の瞳は美鈴の唇を走っている。
瑞々しく、桜色より僅かに紅く、呼吸のたびに艶めいて柔らかさを主張するそれに、知らないうちに喉が鳴った。
至極薄い琥珀のように太陽の色を含んだ肌は確実な命をその奥に踊らせて、透ける美鈴の頬が彼女の思考を奪っていく。
どくどく、命の証が脳味噌を蹂躙するかのような大群になって頬を染め上げ、僅かに震えた咲夜は唇を僅かに丸めてからからの舌先で撫で、脚が前に進み出た。
――今なら一方的に抱きしめて吸い付いて舐って舌をねじ込んで這わせて流し込んで挟んで吸い上げて銜えて味わい放題!
不意に唾液がじわりと口中にあふれ出て、唇の端がつり上がる。
一歩踏み出して見下ろした愛おしいその面差しに、彼女の理性は蹴り倒された。
「美鈴」
小さく名前を囁いて、体を屈め静かにその肢体を、寝顔を眺めながら、咲夜はゆっくり廻るように美鈴に相対する位置に廻る。
獲物を狩る獣のように、静かに歩み寄って彼女は膝を突き、覆い被さる形で銀の髪を美鈴の頬に垂らす。
「んぅ……」
少し荒い鼻息に触れた美味しい獲物は小さく鳴いて、無防備に愛しい姿を晒していた。
「……美鈴」
より小さく、甘く名前を囁けば、唇の端から唾液が少しこぼれそうな気がして僅かに笑みが漏れる。
そして咲夜の唇はつぅ……と美鈴の頬をなぞる様に優しく触れて、舌先がつつくように唇をノックする。
濡れたそれが美鈴の口角を撫で、その牙は次いで唇の間に自ら挟まれて行き――獣は美鈴にむしゃぶりついた。
「……濃いわねぇ」
「ケダモノね」
眼下でちゅっちゅく美鈴を貪る咲夜のテンションとは対照的に、上の二人はどこか冷めた感じで感想を呟く。
監視対象にあまりハイテンションになられると逆にテンションが落ちるとでも言うのだろうか、とはいえレミリアはパチュリーにそろそろよ、と合図を送って本題を思い出す。
次いでパチュリーが小さく呪文を呟けば、とろけるように目を閉じて濡れている咲夜の首の下あたりで僅かな光が閃いた。
「ふぇ?」
ぬる、と唾液まみれの唇が糸を引いて離れ、咲夜は何が起こったか判らずにふやけ気味の唇を閉じて辺りを見回して気付く。
――え?スカーフが?
そう、スカーフのもう一端は咲夜の首に緩く巻き付いて美鈴の首と繋がっている。
慌てた咲夜はスカーフを外そうと手を掛け、次いでナイフを当て、そして青ざめる。
「無理よ」
天からの声に慌てて口元をぬぐって見上げれば、主がなんともいい顔をして友人と一緒に舞い降りて来た。
驚いた咲夜が引き上げる美鈴の重量を無視して立ち上がり時間を弄ってでもスカーフを破壊し脱ごうとするが――脱げない。
それどころかスカーフには傷の一つすら入らず、止めた時間の中を取り残して動いたはずなのに気が付けば首にはスカーフ。
「当たり前よ、それは時の終わりまで破滅を繋ぐ糸。時空間を弄った程度じゃ滅ばないわ」
自分の能力が通用していないことに驚愕を隠しきれない咲夜に対し、ばさりと羽を広げて胸を張るレミリアは自慢げに宣言する。
「あなたの操る「時間」は「世界」が存在しなければ存在しない。だから「世界」の終わるときにならなければ砕けないそれは、「時間」の中では破れない」
続いて満足そうな顔で補足するパチュリーは、小悪魔の必死の夜なべの成果、グレイプニールのスカーフよ、と呟いて地面に足をつけた。
――えぇ、大変な作業でした。材料が材料だけに織るのにものすごく気力も必要ですし、何しろ納期が短い上に何度も駄目出しされるんです。今回使われたの5作目なんですよ?気分は女工哀史か野麦峠か新人漫画家ですよもう。ていうかパチュリー様眠くならないようにってまずいゼリーしか食べさせてくれないし後はふんぞり返ってるだけだし寝たら魔法だしだんだん白いワニが見えてくるしああ編んでない糸がワニになって襲ってくるぅぅぅ――
というのは現在ひからびて脱稿後の漫画家のようにベッドで倒れる小悪魔の極秘コメント。
まぁそんな裏方の事情はさておき、咲夜はその首に緩やかに巻き付くそれに戦慄していた。
――繋がれた。
それは彼女の人生に置いてほぼ初めての経験とも言えるだろう。
時空間を操る存在を拘束する術は基本的に存在しない。
どんな扉にも開いている時はあり、どんな壁にも壊れる時は来る。
どんな目でも閉じる時はあって、どんな魔法でも使われる前の時がある。
形ある物は必ず壊れると某脱獄王も言っていた。
だが、それが今彼女の首をしっかりと掴んで銀の光を放っている。
完全に拘束される事は即ち死という人生を送ってきた彼女にとって、それは卒倒しそうなほどの恐怖。
せめてもの救いは繋がれた相手がこの世で一番愛しい存在であったことで――
「って美鈴ーー!!」
まぁ、その愛しい存在は時間を超えた一瞬の移動に引き擦られて頭が向いてはいけない方向を向いていたのだけれど。
「ちょ、パチェ!さすがに不味いわよこれ!早く!」
ぐったりとスカーフにぶら下げられて宙ぶらりんになる美鈴の頬は青ざめて、なんて言うか服が前後逆。
衝撃で白目を剥いて紅い髪が血のように口の端に垂れ、抱き起こす咲夜の腕の中でビクンと痙攣する。
慌てたパチュリーが転けつまろびつ回復呪文を唱え、頭を掴んだレミリアが気合い一発ごきりと首を元の位置に戻すと美鈴はゲフゥと麗しさの欠片もない声を漏らした。
「うう……なんだか大きな川の前で大きな鎌を持った刺し傷だらけの大きな人に「相方にヨロシク言っとけコンチクショー」って蹴り飛ばされたような気が……」
揺れる頭を抱える美鈴が這いずるように身を起こせば、咲夜は目をそらしたままで、そう、とだけ返す。
気恥ずかしそうに咲夜がそっぽを向けば、スカーフに引きずられて美鈴が自然身を寄せるようにそのそばに来る。
「……ところでこれ、何なんですか?」
胴に頬を寄せる美鈴がスカーフを掴んで呟けば、咲夜はもう一度首を振って視界から美鈴を外し、口を開いた。
「お嬢様方の罠よ。向こうが飽きるまで繋がれたままらしいわ」
既にあの二人は後は若いお二人で、と言わんばかりに逃げ出しており、メイドの気配から逃げたこの場所には今は二人っきり。
グレイプニールだかなんだか知らないけれど私の時間操作さえ効かないわ、と咲夜が不満げに漏らせば、その腰に不意にしがみつく感触。
見下ろせば――美鈴が笑っていた。
「つまり、咲夜さんが逃げられないんですね?」
咲夜は思わず真っ赤になって同時にどこかで恐怖する。
見下ろして合った美鈴の瞳は今まで見たことのない程子犬の様に輝いて微笑んだ。
――あーもうこの美鈴すっごいかわいいじゃないのよもう!
爆発するように燃え上がる気持ちはあれど、いや、故にどうして良いのか判らず同時に「捕まっている」という事実が与える恐怖は彼女のトラウマを刺激して咲夜はどうにもパニックに近い状態に陥ってしまう。
「や、あの、いや、あれあのあやぁいやちがその」
呂律も廻らず困惑する咲夜は思わず懐からカードを取り出してその名前を叫ぼうとして――
「あぁもう幻葬んむふぅ!!?」
言葉は胸に塞がれた。
ばたばた両手を振って咲夜が藻掻けば、美鈴はそんな彼女を掬い上げる様に抱き上げてしっかと抱きしめる。
「だめです。咲夜さん」
我が意を得たりと言わんばかりの顔をした美鈴は妖怪の腕力で嬉しそうに咲夜を抱きしめて囁く。
「今までずーっと、咲夜さんをこんな風にしたいって思ってたんですよ?でも咲夜さんってばすぐ逃げちゃって……咲夜さん?」
お姫様だっこに近い形で陶然と美鈴が呟いていると、不意に腕の中で抵抗が止まる。
抱き上げきって顔を見ていれば、彼女は混乱のあまり気を失っていた。
うふふ、と微笑んだ美鈴は、お返しです、と呟いて静かに唇を奪った。
ゆらり、ゆらりと世界が揺れる。
暖かくて、懐かしくて、いつだったろうか、こんな気持ちを味わったのは。
小さく丸くなるように、まどろむ世界でゆっくりと目を開いた咲夜は、視界の先にぼやける、なんだかへその緒を思い出す紅い紐に手を伸ばして、掴んだ。
「あったかい……おかぁさん……」
小さな子供のように、彼女がぽつりと呟けば、三つ編みを引かれた美鈴は微笑んで口を開く。
「あ、咲夜さん、目が覚めたんですか?」
へ?と間抜けな声を上げたのは咲夜で、ぱちりと目を見開いた彼女は慌てて首を振り辺りを見回す。
――状況!美鈴の腕の中!廊下をまさに移動中!っていうかそこのメイドども柱の影から見るなぁあああ!!
そこら中に隠れても居ない隠れ方をしたメイド達が黄色い声を上げて二人の姿を覗けば、咲夜は慌てて美鈴の腕から転げ落ちてナイフをばらまき飛ぼうとする。
だが相も変わらず薄いスカーフは二人を繋いでいるわけで、引いた美鈴の重量にバランスを崩す咲夜のナイフは壁を穿って、そして勢いのまま二人はもつれるようにひとかたまり。
途端草葉の陰にあえて身を隠しているような不埒なメイドどもは悲鳴を上げるようにきゃーきゃー騒ぎ出す。
「咲夜さん、繋がってるんだから暴れちゃ駄目ですよ?」
押し倒すようなポーズで咲夜の脇に手を突いた美鈴はもう片手で咲夜の頭を優しく支えて囁く。
その語調はどこまでも嬉しそうで、なんだか夢の中にいる様な物言い。
少し熱を帯びて輝く瞳に咲夜は思わず惚けたように小さく頷き、次の瞬間凍り付いた。
「今館内全部に私と咲夜さんはこういう関係だって見せつけて歩いてる所なんですから」
目つきが少しおかしかった。
つまり――晒し者!?
恥ずかしさやらトラウマやらイメージ瓦解への恐怖やら、咲夜の背筋にはじゅわりと冷や汗が大盤振る舞い。
対する美鈴は嬉々とした顔でまたもや咲夜を抱き上げると足取りも軽やかに廊下を進み出した。
「ちょっ!美鈴!?」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
既に紅い妖怪は走り出し、その身に言葉は届かない。
困惑する咲夜を手にしたまま、彼女が走ればメイドの群が走る。
「それにしても凄まじいいちゃつきぶりねぇ」
まぁ、咲夜は弱り半分みたいだけど、と言ったのはそんな様子を水晶玉の前で見ていた吸血鬼。
枯れ果てていた小悪魔をたたき起こして淹れさせた紅茶に口を付ける彼女は、カップを机に置いて傍らの友人を見遣る。
「咲夜は一方的に思いを告げることには慣れていても、告げられることには慣れていないのよ」
ずず、と小さく茶を啜り、パチュリーは落ち着いたように息を吐く。
抱きついたことはあっても抱きつかれたことはない、と言うより、殺したことはあっても殺されたことはない。
殺されそうになったら逃げるという理屈を感情の発露の根幹として生まれた、伝えられそうになったら逃げるというロジック。
「「本気で伝えられる事」から逃げてしまう癖、それが彼女の問題ね」
そう言いきった彼女はかちゃんとカップを机に置く。
聞いたレミリアは、そんなものかしらねぇ、とだけ答えを返して水晶玉の方を向き、思わず跳ねるように立ち上がった。
水晶玉の中ではメイド軍団を引き連れたカップル御輿が練り歩き、いつの間にやら地下付近にまで脚を伸ばしている。
あれだけの人数がドカドカ足音をたてて走り回っているのだ、地下室の主が興味を示してしまってもおかしくはない。
「あの子達なんて所で遊んでんのよ!!」
踵を返して飛び上がろうとしたレミリアは、しかし机に引っかかってカップがひっくり返り紅茶を浴びてしまった。
ああもうこんな時に、と彼女が呻けばパチュリーは懐を探るように片手に幾枚かのハンカチのような物を取り出し、急いでポケットの中を探る。
「パチェそれ借りるわ!」
レミリアが勢い任せにそのハンカチのような物をひったくれば、パチュリーはあっと小さく叫ぶがもう遅い。
「レミィ駄目!それは!!」
珍しく慌てるパチュリーの言葉よりも早く、手にしたハンカチは淡い光を帯びてレミリアの両手と首をふわりと縛りあげてしまう。
驚いた彼女がバランスを崩して地に頭を打ち付けると、困った顔のパチュリーはその体を引き起こすように手を掛けて口を開いた。
「それはあのスカーフの試作品の一つよ!解呪が禄に効かない失敗作だから解くのに一日はかかるの!!」
ちなみに今回作戦に使用の物は解呪に1時間となっております。
語気を荒げて彼女が言えばレミリアは心底苛立たしげにああもうと絶叫し、そしてパチュリーにどいてと言うと首に絡まるその頸木をそのままに、彼女は怒りのまま紅い弾丸と化した。
「レミィ!!」
もつれる足取りで飛び上がり、彼女は必死に友を追う。
紅魔館の空に暗雲の気配が立ちこめていた。
「ああもう何でこんなに頑丈なのよ!!」
両手をくくられた彼女はがじがじと噛み付いてその戒めに文字通り牙を剥く。
噛み千切れないするめを必死でかじるような、瀟洒さの欠片もない表情をした彼女は、そのまま行きずりの障害をぶち抜いて目的の場所に突撃する。
「うふふー咲夜さーん♪」
「いい加減下ろしなさっ!下ろしてぇー!!」
3枚目の扉を突き破った彼女は紅い瞳を釣り上げて、視界に入ったバカップルに照準を合わせる。
――目標、浮かれきってる馬鹿と恥ずかしいんだか怖いんだかで半泣きになってる馬鹿!!
悪女が急発進しました。
どんがらがっしゃんだのなんだのと古典的な音がして撥ねられた二人は廊下を遙かに壁を突き抜けて転がり次の部屋の壁にぶつかる。
脆い咲夜の体を美鈴が必死にかばっていたあたりは愛と言う他無いだろう。
「あんたらどこで騒いでんのよ!!」
壁の穴に脚をかけて青筋を立てたレミリアが怒鳴り込めば、集まっていたメイド達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、もみくちゃになった二人は絡み合うように壁際で目を回していた。
瓦礫の転がる室内をレミリアがざくざく進んでいけば、歪んで開いた窓からびゅうと湿り気のある風が吹き込む。
怒気を孕んで歩むその気配にもみ合う二人は気が付いたのかごそごそと動き出す。
「ちょ、お嬢様本気よ!?」
「えぇ!?そんなこと言われても……」
そして歩み寄るレミリアがぎり、と戒めを咬んだとき、不意に窓の方からパシャリと音がした。
驚いた三者が振り向けば、窓の向こうには満面の笑みでカメラを抱えて浮かぶ天狗娘。
手を差し伸べて待てと願えど、風の帯を纏うその姿はゆっくりと遠ざかり出して――
「うふえへあひゃはははは!!スクープですよスクープですよ紅魔館に咲く百合の花!メイド長と門番の真昼の情事!そしてそれにハンカチを噛み締める館主!!これで次の文々。は売れまくりですっ!!!」
奇声を上げつつ暴風に乗って飛び出した。
「待てやコラァァッ!!」
あっけにとられている咲夜と美鈴をほったらかしに、ブチ切れ状態のレミリアは曇った空を良いことに窓から身を乗り出して暴風の尻尾に両手に絡む布を差し出す。
すると布は銀の光を放って風にまでその手を伸ばし、レミリアの体は風に引かれて彼方に飛んで行ってしまった。
「な……なんだったの?……お嬢様大丈夫かしら」
へたり込むように腰を下ろし、咲夜は美鈴の腕を掴み見上げて呟く。
言われた美鈴もへたり込んだまま、よくわかりません、と声を返した。
「レミィ!」
声も荒げたまま肩で息をして、パチュリーが壁の穴から顔を出し辺りを見回す。
レミィはどこ、と訪ねるその顔はわずかに青く、呼吸の音は僅かに濁って喘息が顔を出し始めている様が伺えた。
二人はそんなパチュリーに駆け寄ってふらつく体を支え、レミリアは天狗を追って飛んでいってしまったと告げる。
「ああもうこんな時に!!」
その言葉を聞いた彼女は一層青ざめたように叫び、窓際に駆けだして何事かを呟き始めた。
青みがかった光が魔法陣を描き、何かあったんですかと問いかける美鈴に向かってパチュリーは告げる。
「騒ぎに妹様が興味を持っちゃったのよ!!」
原因の馬鹿の頭にナイフが刺さった。
濃密な曇天の下にふんぞり返るが如く、そこそこに傷だらけの彼女は翼を広げてぼろくずを踏む。
「さすが神話の糸ね。暴風までも絡め取る」
両手と首を縛り付けるそれを苦々しげに認めて、レミリアは地に転がるカメラに伸びようとした傷だらけの手の平を踏みつけ口を開く。
「こんなに時間が早いから、今日は命は助けてあげる。ただし――」
言葉と共に靴は地を踏んで、必死の手の平はこれだけはと言わんばかりに這いずるが如くカメラに伸びて――カメラがグシャッと無惨な音を立てた。
凄絶な笑みを浮かべるレミリアの下、手の平は驚愕のあまりがくりと意識を手放す。
最大の武器である機動力を奪って思う様蹴り倒したそれを彼女は最後に蹴り転がして仰向けにし、さぁ気分良く帰ろう、と翼を広げて、その翼がピンと強張った。
頬に落ちたのは一滴の雨。
それは吸血鬼である彼女にとってはもちろん恐ろしい障害ではあったが、問題はそこではない。
急な曇りの後に通り雨は来るだろうとは思っていたが、いくら何でも彼女が向いている方向にだけ雨が降っている等と言う事はそうそう無いだろう。
「まったく……!」
ぎり、と牙を力任せに噛み合わせた彼女は、雨に向かって飛び出した。
ざあざあと、冷たい雨が館を包む。
壁の一端が火を噴いて砕け、その中を飛び回る影が三、いや四人。
「あははははははは!!何楽しいことしてるの!?私も遊ばせてよぉっっ!!!」
すがすがしい程に声を張り上げ、悪魔の妹はお馴染みの破滅の杖を振り回しては進路上の固まりをその場のノリで粉砕していく。
その矛先を引きつけるのは呼吸に喘鳴音を響かせて方々の体で飛び回るパチュリーと、繋がれたままの咲夜と美鈴。
「大丈夫ですかパチュリー様ぁ!」
砕けた石材の煙を突っ切る彼女は青い顔に小さな咳を押し込み、足下を逃げ回るメイド達を庇うようにスペルを輝かせながら美鈴は声を張り上げた。
「美鈴!前!!」
傍らからの叫びに振り返った彼女は何発ものナイフに斬り削られてなお健在に襲いかかる大玉を認め、裂帛の気合いを込めた拳でそれを叩き落とす。
状況は最悪。
まともにスペルを編む事すら難しいパチュリーは元より、スカーフに繋がれた二人は勿論その持ち味を発揮することなど敵わない。
咲夜の時間操作は美鈴を引きずっているため不可能。
そして美鈴の体術も脆い咲夜を抱えているが故にその動きは鈍る。
「これじゃ囮にもなりませんよぅ」
美鈴が泣きそうな声を上げ、小さく煙って焼けるように痛む拳を振り回して冷ましていると、足下を悲鳴を上げるメイド達が干物のようになった小悪魔を運んで逃げていた。
「ゴチャゴチャ言わない!口より体!」
ナイフを構えた咲夜がそう言い方向転換して飛び跳ねれば、返す弾幕を放った美鈴も又飛来する凶弾から身をかわすように飛び跳ねる。
「ちょ!!咲夜さんそっちに行くと!」
「え!?」
そして両者の間をつなぐスカーフが弾丸を受け止め、二人の体は引きずられるように空中を転げ回った。
ぐえ、と首が引っ張られ、美鈴はとっさに壁に脚を着いて咲夜を受け止める。
大丈夫ですか、と焦る美鈴の腕の中で咲夜が弾幕を見遣れば、笑うフランドールの前に飛び出すパチュリーはスペルも使えず方々の体でその弾幕から逃げ廻っている。
こくりと首を振って肯定を示した彼女は、パチュリーの方に目線をやって放っておけないとばかりに美鈴を促した。
ふざけるように紅い弾のはね回る瓦礫の室内で、ふらふらのパチュリーと繋がれた二人は必死によけては打ち返す。
「っくああっははあぁ!!全然!全っ然駄目ぇっ!!」
すると肩にナイフが刺さったままのフランドールはあざ笑うように二人を指さしてすぅ、と落ち着いた顔に変わり口を開いた。
「そっちのメイドは弾数が足りなくてそっちの中国っぽいのは狙いが全然だめ。そんな弾幕じゃ私は倒せないわよ?それから――」
次いでフランドールはその顔をさらに冷たく、詰まらなそうな物にして指先を滑らせる。
「あんたは駄目。つまんない」
指の先、声を聞くより息をし弾幕をかわす方に全神経を注いでいたパチュリーが、げほ、と咳き込んだ。
言葉と共にフランドールの周囲には紅い光が無数に灯り、その顔はまたニタリとつり上がる。
まさか、と言う顔をする二人の視線の先で折しもパチュリーは込み上げた痛みに咳を繰り返し、雨のように降り注ぐ紅い光から逃れる力もない。
叫びや悲鳴が上がるより早く、紅い雨は壁の亡骸を土埃に変えた。
「ふぅん。庇うんだ。つっまんないの」
壁にへたり込むような形でごほごほと咳き込むパチュリーの前、ぽたりと美鈴の顎から血が床に落ち、その半身後ろで咲夜ががくりと膝を突いた。
仁王のように立ちつくして全身から煙を上げる美鈴の衣服はぼろぼろで、陰に隠れる咲夜の腹部からは鮮血がにじむ。
それは暗黙の了解の内に行われたコンビネーション。
要するに時間を止めて丈夫な美鈴を運び、盾にしただけ。
「っぁ……咲夜さんっ!」
軋む体を無理矢理動かして後ろを振り向けば、これが人間の脆さなのだろう、流れ弾に弾かれた咲夜の腹部はたやすくその内側を覗かせてしまっていた。
「っ……だっ……大丈夫、よ……」
「大丈夫な訳ありませんよ!!内臓出てます!!」
泣き出しそうに縋り付こうとする手を押し止めた咲夜は、唇から鮮血を零し真っ青な顔のままそれでもなお大丈夫と言って美鈴の腕を伝い立ち上がる。
二人を繋ぐスカーフは既に血の赤に染まり、傷だらけの美鈴の顔を見つめる咲夜の瞳は、しかし希望の光を灯していた。
血が抜けて頭が冴えたわ、などと言ってみせる彼女は、不安がる美鈴に抱きつくようにして口を開く。
「このまま、私を抱えて、飛んで」
でも、と言葉を返そうとした美鈴の唇に、咲夜はそっとその唇を重ねる。
息も絶え絶えのまま、しかし自信を持ったその笑顔に美鈴は恐怖から放たれて小さく頷く。
舐めた唇の端の血は、甘くて熱い。
苛立たしげな紅の矢が飛び上がった二人をかすめた。
「お芝居は終わり?それともお祈りだったの?そんなつまんないことしてたら壊しちゃうわよ?」
律儀に会話の終わりを待っていた彼女は痺れを切らした様子で杖を振るい、レーヴァンテイン、と呟いてその杖を投げる。
「作戦会議ですよ!彩符「彩雨」!」
紅い杖が破壊の光を帯びて飛び交う前に、美鈴は取り出したカードを光らせて虹色の雨を降らせた。
その威力は比べるまでもなく乏しく、降り注ぐ弾幕はフランドールに届くこともなく壁に、床にぶつかって消えていく。
「なによそれ!?ふざけてるの!?」
数だけは多い物の舐めたような威力のスペルカードに些か激昂を顔に出すフランドールは、飛び跳ねる杖を掴んで斬りかかる。
すると美鈴の耳元で咲夜が囁いて、その姿は振り下ろした剣先から消え肩のナイフを踏みつけて飛んだ。
「っがぁっ!?」
銀のナイフをより深くねじ込まれてバランスを崩すフランドールを尻目に、飛び上がった美鈴は声を張り上げて懐からカードを取り出す。
「パチュリー様!避難しておいて下さい!!彩符「彩光乱舞」!!」
美鈴の周りに虹色の雨が再び灯り、七色の雨は先ほど以上の数を持って世界を穿ち続けていく。
数故によけることも面倒になったフランドールはそんな自分にまともな傷を付けられもしない光の雨の中を腹立ち紛れに駆け抜け、吠えるように叫びながら紅い弾丸をばらまいた。
「そう……それでいいの……それが、私にはできないこと……」
必死に弾幕をよける美鈴の耳元で咲夜は弱々しくもしっかりと口を開く。
咳き込みつつも逃げ出して姿を消し、動く物の姿の無くなった館内に、咲夜の声は雨と弾幕に消える。
「私には、あなたのように大量の弾幕をばらまき続ける事は出来ない。人間にそんな体力は無いもの……」
無駄弾と呼べるほどに館中を穿ち続ける弾幕を放つ美鈴に向かい、彼女の瞳は確信に満ちる。
狂ったように笑うフランドールに向かって新たなカードを懐から取り出した美鈴は、そんな咲夜を信じてただがむしゃらに虹の雨を降らせ続ける。
「彩符「極彩颱風」!!!」
天井も、床も、壁だった所も、全てが全て虹の弾丸を受け止めて削れていく。
技巧も何もなく押し流すような雨に業を煮やしたフランドールは、叫び声を上げて四体に分裂してその杖を振るった。
「だから、ここからは、私にできること」
咲夜は一枚のカードを取り出して呟く。
虹の雨の全てが出尽くし、四つの魔剣が牙を剥くその時に。
「光も、時間も、還りなさい。戻り、溢れろ!「デフレーションワールド」!」
それはフランドールにとって予想もしない物だった。
何のことはない、ただ後ろから弾幕がやってきて後頭部にぶつかっただけではあった。
しかし弾幕を撃つはずの美鈴は目の前にいる。
そして振り向いた瞬間、彼女は光に言葉を失った。
「咲夜さんっ!これっ!?」
「騒がない、全部巻き戻してるだけよ」
天井から、床から、壁だった物から、轟音を上げて虹色の雨は辿った軌跡を還っていく。
咲夜に足りないのは体力。
同じ弾幕を再利用できるとしても、ここまで大量の弾をばらまくことは出来ない。
「「「「あだだだだだだだだっ!!」」」」
渦巻くとりどりの光のミキサーの中、自分の弾幕なら無視できる美鈴とそれに張り付く咲夜に対し、四体のフランドールは磨り潰されるように小さな弾幕にぶつけられていく。
美鈴に足りないのは技巧。
確実に当てるための組み合わせを作る繊細な技も、ましてや時間操作の能力もない。
「すごい……」
巻戻り、圧縮し、分裂する光弾は加速度的に密度を上げていき、ついには揉まれるフランドールがどこにいるのか判らないほどにその雨は勢いを増していく。
視界を覆う極彩色の密度に思わず感嘆の声をあげた美鈴の肩で、腹部に手を押しつけた咲夜は苦しそうに、しかし誇るように笑う。
「まだよ。まだ最後が残ってる」
次いで小さく耳打ちした咲夜に、美鈴は小さく頷いて光の雨の中を飛んだ。
「ああああああああああああーーーもーーーーーーーーーっっっっ!!!!!」
次第に収まり行く雨の中、一体になったフランドールはついに絶叫してその光に自らの紅を突き立てる。
魔剣の光が極彩色の世界を寸断し、そして自らに掛かる弾幕を振り払った彼女はその瞬間、へ、と情けない声を上げていた。
「妹様、ご存じでした?虹というものは元々は……」
咲夜は片手を上げ、それを捧げ持ちながら微笑んで呟く。
すると傍らで咲夜を抱き寄せるように胴に手を回し、もう片手を掲げていた美鈴が続けて言葉を放つ。
「太陽の白い光なんですよ!!」
二人の手の上には、真っ白い太陽。
それは溢れる虹をただ一つに巻き戻した、光の固まりだった。
「生きてる?」
青い顔をしているものの、何とか持ち直したパチュリーが瓦礫に倒れる二人の顔を覗き込んで呟いた。
天井を穿つ大穴は曇天に繋がり、しとしとと雨に降られる二人はぼやけた声で呻いて返す。
「ずいぶんと無茶をした物ね。出力だけでグレイプニールが引きちぎれてる」
救護にやってきたメイド達が符だの魔法の薬だの使って二人の傷を治していると、パチュリーはもはや血で汚れたぼろの端切れとなったそれをつまんで二人の上でちらつかせる。
「愛の力の前には世界も生まれ変わるのかしら?」
青白かった二人の顔が燃えるように赤く染まった。
濡れ鼠の禄に動かない傷だらけの体を引きずり、囚人のように両手首と首を繋がれたままのレミリアは、もいできたフキの葉っぱを傘のようにさしてとぼとぼと雨の中を歩いていた。
紅い悪魔の威厳など欠片も無いそのなんとも情けない姿を木の陰に隠す彼女の前で、どかん、と古典的な音がして雨空に光の柱が立つ。
白黒の魔法使いにしてはあまりに輝かし過ぎるその光にレミリアは思わず目を覆い、どこかで聞いたような怪しい口調でうお眩しっ、と感想を漏らす。
と、そんな彼女の前にひゅるるーと飛んでぼたっと着地する物体があった。
「……からあげかしら」
いでんしの欠片も残さず焼き尽くされたっぽいすっかり狐色に揚がったその小さな人影は、両肩からひび割れた宝石をぶら下げるヘタみたいになった物をぶら下げている。
ぴくりと蠢いて呻くそれの正体はなにをか言わんや。
「あうええーおええああー(たすけてーおねえさまー)」
どこかで聞いたような声で呻くからあげの傍ら、レミリアははぁ、と小さくため息を吐いて口を開いた。
「……私に妹なんて居ないわ」
そんなことを言った彼女は両手を括る布でからあげの首を括ると、そのままとぼとぼとゆるんできた雨の中を歩きだす。
「私に居るのは……からあげなのね……」
引きずられるフランドールがえぅーと鳴いた。
「美鈴、良い?」
そう訪ねるより先に、咲夜は美鈴の傍らに腰を下ろして小さく息をつく。
近年稀に見るほどに損傷した館の修理に、二人と言わず館中のメイドは青空の下大忙しだった。
休憩中で茶を飲んでいた美鈴が咲夜の分も注ごうとすると、咲夜は何も言わずにその手の中の飲みかけを奪って飲み干し、おかわりと呟く。
「咲夜さん」
受け取ったコップに茶を注ぐ手がまだ少し痛んで、彼女は何気なくその名を呼んで見せる。
そして、咲夜は何も返さずに、ただコップを受け取って一息に飲み干し、傷の名残が痛んで顔をしかめる。
「抱きしめて良いですか」
静かに、美鈴は呟く。
そして、咲夜は答えない。
ただ何も言わず、恥ずかしそうに目をそらす。
そして、美鈴は手を伸ばした。
あぁ、この世に彼女を捕まえる術はあった。超常に寄らずとも、技巧の一つも懲らさずとも。
ただ、彼女が微笑めばいい。
ただ、両手をさしのべればいい。
彼女は静かにその胸に飛び込んだ。
二人は静かに抱き合って、傷の痛みにしかめた顔を見合わせ、笑った。
了
※咲夜×中国です。つかラブラブですね。
「あー!何でそこで止めるのよ!やぁ!そこもっと!……あぁっ!いっちゃ、いっちゃだめー!!」
「レミィ、興奮しすぎよ」
二人の少女が暗い室内で体を寄せ合い、ほの明かりを前にして息を荒げる。
誰もいない図書館の暗がりで、興奮にうっすらと汗ばんだまま肩で息をしてしまうレミリアに、パチュリーは静かに手を添えてその肉体を押さえつけようとした。
――等と表現すればなにやら卑猥だが何のことはない、彼女らは水晶玉の前にかぶりつき、色白の顔を揃えてその中身を見つめていた。
しかし吸血鬼は興奮して汗ばんだり出来るのだろうか? まぁそれは良い。
彼女らの前の水晶玉の中では、門前で咲夜が唐突に美鈴の唇を奪い、抱きしめ、しかしそれ以上のことはせず恥ずかしがるようにそそくさと逃げ去り美鈴だけが差し伸べた手が空を掻いて残されると言う情景が繰り広げられていた。
まぁ要するに覗きであるのだから、卑猥だと言えば卑猥な行為なのかも知れない。
それにしても、告白までしておきながら前と特段変わりのない――これで変わりがないというのも少々奇妙な話だが――いつも通りの一方通行、一時だけふれあって咲夜が逃げてしまう。
正直、その光景はレミリアにとって酷く焦れる物だった。
「にしたってあれは焦れったすぎよ。咲夜も咲夜なら美鈴も美鈴。あの子達本気で付き合う気あるのかしら?」
羽をピンと広げて立ち上がり、ソファに体を叩き込んだレミリアは苛立たしげにぼやく。
水晶の中、柱の影でこっそりのつもりで覗いているメイド隊どももその苛立たしさを助長する。
「こんな調子じゃ咲夜が死ぬまであのままじゃない」
肘掛けに頬杖を突いて続けた彼女は、テーブルに放置されていた冷めた紅茶を乱暴に羽で掴んで飲み干し、はぁ、とため息を吐いた。
パチェは涼しい顔ね、と眉を寄せたレミリアがパチュリーの方を向いて言えば、彼女は懐に手を入れて唇を開く。
「顔に出てないだけよ。私もいい加減もう少し進展して欲しいと思ってるわ。だから……」
そう言葉を濁して紫の魔女はすっと手を差し出す。
差し出された華奢な手の平の上には、銀の糸玉。
いつぞやに小悪魔が奔走し、魔理沙が猫にまみれて生まれたそれは、目に見えぬ力を伴って輝く。
糸玉を目にした途端、レミリアは視界に入ったそれの持つ意味にびくりと跳ねて、それは?と漏らした。
「ふふふ……神話の銀糸、グレイプニール。世界の終わりまで縛り続ける力を持つ枷よ。こんな事もあろうかと再現しておいたの」
珍しいほどにうれしそうな魔女の顔をして自慢げに言うパチュリーとは対照的に、レミリアはとりあえず凄い事は理解したが、彼女がそれをどう利用する気なのか読めず少し困った顔をする。
で、それでどうするつもり?と返しては見た物の、その糸玉に縁結び云々の力があるようにも思えない。
「私に良い考えがあるわ。小悪魔!」
少々興奮気味の声が図書館に響くと、いまいきまーすと疲れた遠い返事が響き返る。
「この糸はさっきも言ったように世界の終わりまで拘束力を持つ神器、つまり時空間の操作を持ってしても……!」
胸を張って大仰に演説を打つパチュリーにレミリアは、あ、と呟いて笑みおもむろに立ち上がる。
「今まであの二人が進展しなかったのは咲夜の逃走が最大の原因。ならば彼女を拘束するには?」
パチュリーが構えるように糸玉を差し出して言うのに対し、レミリアもまた一歩足を踏み出して勢いよく口を開く。
「あの子の能力を封じればいい!」
つまり、と続けるレミリアは、揚々と腕を振り上げてパチュリーを指さした。
次いで瞳をきらりと輝かせたパチュリーは、そうよ!と言って人差し指をレミリアに向け返す。
「気持ちが恥ずかしがってひっつかないと言うのなら――」
「近くに来ても逃げられるっていうんなら――」
「「これで二人を物理的にくっつければいい!!」」
目を輝かせた少女達は100年物のコンビネーションで指先を合わせて声を合わせた。
何故彼女たちはここまでも嬉々として他人の恋愛に首を突っ込む気で居られるのだろうか。
それは愚問。なぜなら彼女たちは少女だからだ。他人の恋愛沙汰に首を突っ込まざるして何が少女だ。
「運命だってたぐり寄せてみせるわ。ビッグフィッシングの時間よ、レミィ」
そう言い切った直後、興奮しすぎたパチュリーは喘息を出して大いに咳き込んだ。
「パチェ、興奮しすぎよ」
しかし、パチュリーは止まらない。レミリアにも止める気はない。
遅くなりましたーと羽を広げた小悪魔が降りてきた時、二人の少女は不敵に頬を歪めた。
今日も十六夜咲夜はメイド長の業務をこなす。
現在、咲夜と美鈴の仲は良好である。ぶっちゃけ相思相愛である。
しかし良好なままであり、それ以上には行っていない。
べたべたイチャイチャ絡み合うようなことも無ければ連れだってお買い物なんて事も無い。
前よりも時間の掛かる愛情表現が減った分、ややもすれば表面的には少々疎遠になったイメージさえ与えるかも知れない。
廊下を掃除し、サボるメイドをしばき、美鈴の見える所に来て――咲夜は立ち止まる。
この前やたら堂々と愛の告白をしたはいいが、それ以来今まで以上に長時間一緒にいることが気恥ずかしい、というか好きすぎて沸点を超えて耐えきれなくて逃げ出してしまう。
門の影に佇んでぼんやりと空を見上げている美鈴の横顔を見つめれば、火の入るように頬が熱くなってくる。
ふわりと流れる風に紅の髪が優しく揺れて、磁器、と言うには少し使い荒れ日に焼けた頬に閉じた瞼の睫毛の影が日陰の下で僅かに落ちる。
……閉じた瞼?
「ぐー……」
瞬間、門番の上体が仰け反って額に銀の光が走った。
「寝るな!」
メイド長の顔をしたメイド長は門番の襟首を掴むように、ドキドキして損したと言わんばかりの様子で手にナイフを構える。
と、その時、美鈴の口元が歪んだ。
気付いて身構えたときにはもう遅く、仰け反った体は弾かれる様に両手を広げて襲いかかる。
「咲夜さーん!」
釣られた、と驚いて目を見開く咲夜と対照的に、大型犬がじゃれつくが如く勢いよく抱きつこうとする美鈴はしてやったと言わんばかりの顔で、嬉々として両腕に咲夜を抱こうとして――
『幻符「殺人ドール」!!』
本能的にスペルカードが火を噴いた。
「咲夜の照れ隠しも凄まじいわねぇ。人間なら身が持たないわ」
……妖怪でも持たないかも、と呟きつつ、日傘片手のレミリアはぼろぼろの美鈴を引きずって屋内に放りこむ。
これだけ攻撃されてそれでもなお好きといえる当たり、その姿はどこぞの動物王国の麻雀王にも重なる。
惨状を目の当たりにしていたパチュリーが影から姿を現し、小さくため息を吐いてそのぼろくずに触れて口を開いた。
「まったくね……まぁ、これで取り付けの手間が片方省けるのだけど」
ぽぅ、と手の平に淡い光が灯って美鈴の傷に吸い込まれていく。
小さく呪文を唱えて光を押し込み追えれば美鈴の傷は消えて、次いで懐から取り出したのは淡く輝く銀のスカーフ。
いや、その長さは薄絹の帯とでも言うべきか、紅い館内に透ける銀は暗がりにどこか怪しい光を孕んで揺らめき、パチュリーはそれを緩やかに美鈴の首に巻いて何事かを唱えた。
巻かれたスカーフの一端は地に擦るかどうかと言う程に長く伸び、見下ろすレミリアは美鈴の襟首を整えるパチュリーに同調して唇を歪め、小さく呟く。
「さ、後はあの子がこのスカーフの端を首に巻くだけよ」
彼女の言葉にパチュリーは視線を友人に合わせる。
永年連れ添った信頼の目で微笑むパチュリーは小さく頷いてふわりと浮き上がり、レミリアもまたそれについて行くように羽ばたいた。
見上げるほど高い天井に張り付くように潜んだ二人の眼下には、首からスカーフを垂らしてぐったりとひっくり返っている美鈴。
と、そこに響くのは焦る足音。
次第に強まる小さな音の果てには、紅い薄闇の中を急ぎ来る咲夜。
「すぐに来たわね。邪魔も無し。これも運命?」
こんな事もあろうかと、と取り出した紅い風呂敷の様な物の影でパチュリーは頬を寄せたレミリアに呟く。
すると彼女は少し自慢げに、ただの経験則よ?と囁いた。
「だって、犯人は真っ先に犯行現場に戻るもの。そう言う事よ」
ふふ、と出来る限り小さく笑うレミリアの下、横たわる美鈴に駆け寄った咲夜はと言えば――悩んでいた。
――何で美鈴の傷が治ってるの?何この不確定名称スカーフ?何でこんなに綺麗なのよ胸がドキドキするじゃな――じゃなくてお嬢様達の仕業ね。
これは罠だ。
咲夜はその瀟洒な頭脳で答えを割り出し一歩後じさる。
辺りを見回し、どうした物かと彼女が思い悩んでいたその時、美鈴が、うぅ、と小さく声を上げた。
ぴくりと弾かれるように視線が向かい、良いタイミングよ!と呟く上を知らずに咲夜の瞳は美鈴の唇を走っている。
瑞々しく、桜色より僅かに紅く、呼吸のたびに艶めいて柔らかさを主張するそれに、知らないうちに喉が鳴った。
至極薄い琥珀のように太陽の色を含んだ肌は確実な命をその奥に踊らせて、透ける美鈴の頬が彼女の思考を奪っていく。
どくどく、命の証が脳味噌を蹂躙するかのような大群になって頬を染め上げ、僅かに震えた咲夜は唇を僅かに丸めてからからの舌先で撫で、脚が前に進み出た。
――今なら一方的に抱きしめて吸い付いて舐って舌をねじ込んで這わせて流し込んで挟んで吸い上げて銜えて味わい放題!
不意に唾液がじわりと口中にあふれ出て、唇の端がつり上がる。
一歩踏み出して見下ろした愛おしいその面差しに、彼女の理性は蹴り倒された。
「美鈴」
小さく名前を囁いて、体を屈め静かにその肢体を、寝顔を眺めながら、咲夜はゆっくり廻るように美鈴に相対する位置に廻る。
獲物を狩る獣のように、静かに歩み寄って彼女は膝を突き、覆い被さる形で銀の髪を美鈴の頬に垂らす。
「んぅ……」
少し荒い鼻息に触れた美味しい獲物は小さく鳴いて、無防備に愛しい姿を晒していた。
「……美鈴」
より小さく、甘く名前を囁けば、唇の端から唾液が少しこぼれそうな気がして僅かに笑みが漏れる。
そして咲夜の唇はつぅ……と美鈴の頬をなぞる様に優しく触れて、舌先がつつくように唇をノックする。
濡れたそれが美鈴の口角を撫で、その牙は次いで唇の間に自ら挟まれて行き――獣は美鈴にむしゃぶりついた。
「……濃いわねぇ」
「ケダモノね」
眼下でちゅっちゅく美鈴を貪る咲夜のテンションとは対照的に、上の二人はどこか冷めた感じで感想を呟く。
監視対象にあまりハイテンションになられると逆にテンションが落ちるとでも言うのだろうか、とはいえレミリアはパチュリーにそろそろよ、と合図を送って本題を思い出す。
次いでパチュリーが小さく呪文を呟けば、とろけるように目を閉じて濡れている咲夜の首の下あたりで僅かな光が閃いた。
「ふぇ?」
ぬる、と唾液まみれの唇が糸を引いて離れ、咲夜は何が起こったか判らずにふやけ気味の唇を閉じて辺りを見回して気付く。
――え?スカーフが?
そう、スカーフのもう一端は咲夜の首に緩く巻き付いて美鈴の首と繋がっている。
慌てた咲夜はスカーフを外そうと手を掛け、次いでナイフを当て、そして青ざめる。
「無理よ」
天からの声に慌てて口元をぬぐって見上げれば、主がなんともいい顔をして友人と一緒に舞い降りて来た。
驚いた咲夜が引き上げる美鈴の重量を無視して立ち上がり時間を弄ってでもスカーフを破壊し脱ごうとするが――脱げない。
それどころかスカーフには傷の一つすら入らず、止めた時間の中を取り残して動いたはずなのに気が付けば首にはスカーフ。
「当たり前よ、それは時の終わりまで破滅を繋ぐ糸。時空間を弄った程度じゃ滅ばないわ」
自分の能力が通用していないことに驚愕を隠しきれない咲夜に対し、ばさりと羽を広げて胸を張るレミリアは自慢げに宣言する。
「あなたの操る「時間」は「世界」が存在しなければ存在しない。だから「世界」の終わるときにならなければ砕けないそれは、「時間」の中では破れない」
続いて満足そうな顔で補足するパチュリーは、小悪魔の必死の夜なべの成果、グレイプニールのスカーフよ、と呟いて地面に足をつけた。
――えぇ、大変な作業でした。材料が材料だけに織るのにものすごく気力も必要ですし、何しろ納期が短い上に何度も駄目出しされるんです。今回使われたの5作目なんですよ?気分は女工哀史か野麦峠か新人漫画家ですよもう。ていうかパチュリー様眠くならないようにってまずいゼリーしか食べさせてくれないし後はふんぞり返ってるだけだし寝たら魔法だしだんだん白いワニが見えてくるしああ編んでない糸がワニになって襲ってくるぅぅぅ――
というのは現在ひからびて脱稿後の漫画家のようにベッドで倒れる小悪魔の極秘コメント。
まぁそんな裏方の事情はさておき、咲夜はその首に緩やかに巻き付くそれに戦慄していた。
――繋がれた。
それは彼女の人生に置いてほぼ初めての経験とも言えるだろう。
時空間を操る存在を拘束する術は基本的に存在しない。
どんな扉にも開いている時はあり、どんな壁にも壊れる時は来る。
どんな目でも閉じる時はあって、どんな魔法でも使われる前の時がある。
形ある物は必ず壊れると某脱獄王も言っていた。
だが、それが今彼女の首をしっかりと掴んで銀の光を放っている。
完全に拘束される事は即ち死という人生を送ってきた彼女にとって、それは卒倒しそうなほどの恐怖。
せめてもの救いは繋がれた相手がこの世で一番愛しい存在であったことで――
「って美鈴ーー!!」
まぁ、その愛しい存在は時間を超えた一瞬の移動に引き擦られて頭が向いてはいけない方向を向いていたのだけれど。
「ちょ、パチェ!さすがに不味いわよこれ!早く!」
ぐったりとスカーフにぶら下げられて宙ぶらりんになる美鈴の頬は青ざめて、なんて言うか服が前後逆。
衝撃で白目を剥いて紅い髪が血のように口の端に垂れ、抱き起こす咲夜の腕の中でビクンと痙攣する。
慌てたパチュリーが転けつまろびつ回復呪文を唱え、頭を掴んだレミリアが気合い一発ごきりと首を元の位置に戻すと美鈴はゲフゥと麗しさの欠片もない声を漏らした。
「うう……なんだか大きな川の前で大きな鎌を持った刺し傷だらけの大きな人に「相方にヨロシク言っとけコンチクショー」って蹴り飛ばされたような気が……」
揺れる頭を抱える美鈴が這いずるように身を起こせば、咲夜は目をそらしたままで、そう、とだけ返す。
気恥ずかしそうに咲夜がそっぽを向けば、スカーフに引きずられて美鈴が自然身を寄せるようにそのそばに来る。
「……ところでこれ、何なんですか?」
胴に頬を寄せる美鈴がスカーフを掴んで呟けば、咲夜はもう一度首を振って視界から美鈴を外し、口を開いた。
「お嬢様方の罠よ。向こうが飽きるまで繋がれたままらしいわ」
既にあの二人は後は若いお二人で、と言わんばかりに逃げ出しており、メイドの気配から逃げたこの場所には今は二人っきり。
グレイプニールだかなんだか知らないけれど私の時間操作さえ効かないわ、と咲夜が不満げに漏らせば、その腰に不意にしがみつく感触。
見下ろせば――美鈴が笑っていた。
「つまり、咲夜さんが逃げられないんですね?」
咲夜は思わず真っ赤になって同時にどこかで恐怖する。
見下ろして合った美鈴の瞳は今まで見たことのない程子犬の様に輝いて微笑んだ。
――あーもうこの美鈴すっごいかわいいじゃないのよもう!
爆発するように燃え上がる気持ちはあれど、いや、故にどうして良いのか判らず同時に「捕まっている」という事実が与える恐怖は彼女のトラウマを刺激して咲夜はどうにもパニックに近い状態に陥ってしまう。
「や、あの、いや、あれあのあやぁいやちがその」
呂律も廻らず困惑する咲夜は思わず懐からカードを取り出してその名前を叫ぼうとして――
「あぁもう幻葬んむふぅ!!?」
言葉は胸に塞がれた。
ばたばた両手を振って咲夜が藻掻けば、美鈴はそんな彼女を掬い上げる様に抱き上げてしっかと抱きしめる。
「だめです。咲夜さん」
我が意を得たりと言わんばかりの顔をした美鈴は妖怪の腕力で嬉しそうに咲夜を抱きしめて囁く。
「今までずーっと、咲夜さんをこんな風にしたいって思ってたんですよ?でも咲夜さんってばすぐ逃げちゃって……咲夜さん?」
お姫様だっこに近い形で陶然と美鈴が呟いていると、不意に腕の中で抵抗が止まる。
抱き上げきって顔を見ていれば、彼女は混乱のあまり気を失っていた。
うふふ、と微笑んだ美鈴は、お返しです、と呟いて静かに唇を奪った。
ゆらり、ゆらりと世界が揺れる。
暖かくて、懐かしくて、いつだったろうか、こんな気持ちを味わったのは。
小さく丸くなるように、まどろむ世界でゆっくりと目を開いた咲夜は、視界の先にぼやける、なんだかへその緒を思い出す紅い紐に手を伸ばして、掴んだ。
「あったかい……おかぁさん……」
小さな子供のように、彼女がぽつりと呟けば、三つ編みを引かれた美鈴は微笑んで口を開く。
「あ、咲夜さん、目が覚めたんですか?」
へ?と間抜けな声を上げたのは咲夜で、ぱちりと目を見開いた彼女は慌てて首を振り辺りを見回す。
――状況!美鈴の腕の中!廊下をまさに移動中!っていうかそこのメイドども柱の影から見るなぁあああ!!
そこら中に隠れても居ない隠れ方をしたメイド達が黄色い声を上げて二人の姿を覗けば、咲夜は慌てて美鈴の腕から転げ落ちてナイフをばらまき飛ぼうとする。
だが相も変わらず薄いスカーフは二人を繋いでいるわけで、引いた美鈴の重量にバランスを崩す咲夜のナイフは壁を穿って、そして勢いのまま二人はもつれるようにひとかたまり。
途端草葉の陰にあえて身を隠しているような不埒なメイドどもは悲鳴を上げるようにきゃーきゃー騒ぎ出す。
「咲夜さん、繋がってるんだから暴れちゃ駄目ですよ?」
押し倒すようなポーズで咲夜の脇に手を突いた美鈴はもう片手で咲夜の頭を優しく支えて囁く。
その語調はどこまでも嬉しそうで、なんだか夢の中にいる様な物言い。
少し熱を帯びて輝く瞳に咲夜は思わず惚けたように小さく頷き、次の瞬間凍り付いた。
「今館内全部に私と咲夜さんはこういう関係だって見せつけて歩いてる所なんですから」
目つきが少しおかしかった。
つまり――晒し者!?
恥ずかしさやらトラウマやらイメージ瓦解への恐怖やら、咲夜の背筋にはじゅわりと冷や汗が大盤振る舞い。
対する美鈴は嬉々とした顔でまたもや咲夜を抱き上げると足取りも軽やかに廊下を進み出した。
「ちょっ!美鈴!?」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
既に紅い妖怪は走り出し、その身に言葉は届かない。
困惑する咲夜を手にしたまま、彼女が走ればメイドの群が走る。
「それにしても凄まじいいちゃつきぶりねぇ」
まぁ、咲夜は弱り半分みたいだけど、と言ったのはそんな様子を水晶玉の前で見ていた吸血鬼。
枯れ果てていた小悪魔をたたき起こして淹れさせた紅茶に口を付ける彼女は、カップを机に置いて傍らの友人を見遣る。
「咲夜は一方的に思いを告げることには慣れていても、告げられることには慣れていないのよ」
ずず、と小さく茶を啜り、パチュリーは落ち着いたように息を吐く。
抱きついたことはあっても抱きつかれたことはない、と言うより、殺したことはあっても殺されたことはない。
殺されそうになったら逃げるという理屈を感情の発露の根幹として生まれた、伝えられそうになったら逃げるというロジック。
「「本気で伝えられる事」から逃げてしまう癖、それが彼女の問題ね」
そう言いきった彼女はかちゃんとカップを机に置く。
聞いたレミリアは、そんなものかしらねぇ、とだけ答えを返して水晶玉の方を向き、思わず跳ねるように立ち上がった。
水晶玉の中ではメイド軍団を引き連れたカップル御輿が練り歩き、いつの間にやら地下付近にまで脚を伸ばしている。
あれだけの人数がドカドカ足音をたてて走り回っているのだ、地下室の主が興味を示してしまってもおかしくはない。
「あの子達なんて所で遊んでんのよ!!」
踵を返して飛び上がろうとしたレミリアは、しかし机に引っかかってカップがひっくり返り紅茶を浴びてしまった。
ああもうこんな時に、と彼女が呻けばパチュリーは懐を探るように片手に幾枚かのハンカチのような物を取り出し、急いでポケットの中を探る。
「パチェそれ借りるわ!」
レミリアが勢い任せにそのハンカチのような物をひったくれば、パチュリーはあっと小さく叫ぶがもう遅い。
「レミィ駄目!それは!!」
珍しく慌てるパチュリーの言葉よりも早く、手にしたハンカチは淡い光を帯びてレミリアの両手と首をふわりと縛りあげてしまう。
驚いた彼女がバランスを崩して地に頭を打ち付けると、困った顔のパチュリーはその体を引き起こすように手を掛けて口を開いた。
「それはあのスカーフの試作品の一つよ!解呪が禄に効かない失敗作だから解くのに一日はかかるの!!」
ちなみに今回作戦に使用の物は解呪に1時間となっております。
語気を荒げて彼女が言えばレミリアは心底苛立たしげにああもうと絶叫し、そしてパチュリーにどいてと言うと首に絡まるその頸木をそのままに、彼女は怒りのまま紅い弾丸と化した。
「レミィ!!」
もつれる足取りで飛び上がり、彼女は必死に友を追う。
紅魔館の空に暗雲の気配が立ちこめていた。
「ああもう何でこんなに頑丈なのよ!!」
両手をくくられた彼女はがじがじと噛み付いてその戒めに文字通り牙を剥く。
噛み千切れないするめを必死でかじるような、瀟洒さの欠片もない表情をした彼女は、そのまま行きずりの障害をぶち抜いて目的の場所に突撃する。
「うふふー咲夜さーん♪」
「いい加減下ろしなさっ!下ろしてぇー!!」
3枚目の扉を突き破った彼女は紅い瞳を釣り上げて、視界に入ったバカップルに照準を合わせる。
――目標、浮かれきってる馬鹿と恥ずかしいんだか怖いんだかで半泣きになってる馬鹿!!
悪女が急発進しました。
どんがらがっしゃんだのなんだのと古典的な音がして撥ねられた二人は廊下を遙かに壁を突き抜けて転がり次の部屋の壁にぶつかる。
脆い咲夜の体を美鈴が必死にかばっていたあたりは愛と言う他無いだろう。
「あんたらどこで騒いでんのよ!!」
壁の穴に脚をかけて青筋を立てたレミリアが怒鳴り込めば、集まっていたメイド達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、もみくちゃになった二人は絡み合うように壁際で目を回していた。
瓦礫の転がる室内をレミリアがざくざく進んでいけば、歪んで開いた窓からびゅうと湿り気のある風が吹き込む。
怒気を孕んで歩むその気配にもみ合う二人は気が付いたのかごそごそと動き出す。
「ちょ、お嬢様本気よ!?」
「えぇ!?そんなこと言われても……」
そして歩み寄るレミリアがぎり、と戒めを咬んだとき、不意に窓の方からパシャリと音がした。
驚いた三者が振り向けば、窓の向こうには満面の笑みでカメラを抱えて浮かぶ天狗娘。
手を差し伸べて待てと願えど、風の帯を纏うその姿はゆっくりと遠ざかり出して――
「うふえへあひゃはははは!!スクープですよスクープですよ紅魔館に咲く百合の花!メイド長と門番の真昼の情事!そしてそれにハンカチを噛み締める館主!!これで次の文々。は売れまくりですっ!!!」
奇声を上げつつ暴風に乗って飛び出した。
「待てやコラァァッ!!」
あっけにとられている咲夜と美鈴をほったらかしに、ブチ切れ状態のレミリアは曇った空を良いことに窓から身を乗り出して暴風の尻尾に両手に絡む布を差し出す。
すると布は銀の光を放って風にまでその手を伸ばし、レミリアの体は風に引かれて彼方に飛んで行ってしまった。
「な……なんだったの?……お嬢様大丈夫かしら」
へたり込むように腰を下ろし、咲夜は美鈴の腕を掴み見上げて呟く。
言われた美鈴もへたり込んだまま、よくわかりません、と声を返した。
「レミィ!」
声も荒げたまま肩で息をして、パチュリーが壁の穴から顔を出し辺りを見回す。
レミィはどこ、と訪ねるその顔はわずかに青く、呼吸の音は僅かに濁って喘息が顔を出し始めている様が伺えた。
二人はそんなパチュリーに駆け寄ってふらつく体を支え、レミリアは天狗を追って飛んでいってしまったと告げる。
「ああもうこんな時に!!」
その言葉を聞いた彼女は一層青ざめたように叫び、窓際に駆けだして何事かを呟き始めた。
青みがかった光が魔法陣を描き、何かあったんですかと問いかける美鈴に向かってパチュリーは告げる。
「騒ぎに妹様が興味を持っちゃったのよ!!」
原因の馬鹿の頭にナイフが刺さった。
濃密な曇天の下にふんぞり返るが如く、そこそこに傷だらけの彼女は翼を広げてぼろくずを踏む。
「さすが神話の糸ね。暴風までも絡め取る」
両手と首を縛り付けるそれを苦々しげに認めて、レミリアは地に転がるカメラに伸びようとした傷だらけの手の平を踏みつけ口を開く。
「こんなに時間が早いから、今日は命は助けてあげる。ただし――」
言葉と共に靴は地を踏んで、必死の手の平はこれだけはと言わんばかりに這いずるが如くカメラに伸びて――カメラがグシャッと無惨な音を立てた。
凄絶な笑みを浮かべるレミリアの下、手の平は驚愕のあまりがくりと意識を手放す。
最大の武器である機動力を奪って思う様蹴り倒したそれを彼女は最後に蹴り転がして仰向けにし、さぁ気分良く帰ろう、と翼を広げて、その翼がピンと強張った。
頬に落ちたのは一滴の雨。
それは吸血鬼である彼女にとってはもちろん恐ろしい障害ではあったが、問題はそこではない。
急な曇りの後に通り雨は来るだろうとは思っていたが、いくら何でも彼女が向いている方向にだけ雨が降っている等と言う事はそうそう無いだろう。
「まったく……!」
ぎり、と牙を力任せに噛み合わせた彼女は、雨に向かって飛び出した。
ざあざあと、冷たい雨が館を包む。
壁の一端が火を噴いて砕け、その中を飛び回る影が三、いや四人。
「あははははははは!!何楽しいことしてるの!?私も遊ばせてよぉっっ!!!」
すがすがしい程に声を張り上げ、悪魔の妹はお馴染みの破滅の杖を振り回しては進路上の固まりをその場のノリで粉砕していく。
その矛先を引きつけるのは呼吸に喘鳴音を響かせて方々の体で飛び回るパチュリーと、繋がれたままの咲夜と美鈴。
「大丈夫ですかパチュリー様ぁ!」
砕けた石材の煙を突っ切る彼女は青い顔に小さな咳を押し込み、足下を逃げ回るメイド達を庇うようにスペルを輝かせながら美鈴は声を張り上げた。
「美鈴!前!!」
傍らからの叫びに振り返った彼女は何発ものナイフに斬り削られてなお健在に襲いかかる大玉を認め、裂帛の気合いを込めた拳でそれを叩き落とす。
状況は最悪。
まともにスペルを編む事すら難しいパチュリーは元より、スカーフに繋がれた二人は勿論その持ち味を発揮することなど敵わない。
咲夜の時間操作は美鈴を引きずっているため不可能。
そして美鈴の体術も脆い咲夜を抱えているが故にその動きは鈍る。
「これじゃ囮にもなりませんよぅ」
美鈴が泣きそうな声を上げ、小さく煙って焼けるように痛む拳を振り回して冷ましていると、足下を悲鳴を上げるメイド達が干物のようになった小悪魔を運んで逃げていた。
「ゴチャゴチャ言わない!口より体!」
ナイフを構えた咲夜がそう言い方向転換して飛び跳ねれば、返す弾幕を放った美鈴も又飛来する凶弾から身をかわすように飛び跳ねる。
「ちょ!!咲夜さんそっちに行くと!」
「え!?」
そして両者の間をつなぐスカーフが弾丸を受け止め、二人の体は引きずられるように空中を転げ回った。
ぐえ、と首が引っ張られ、美鈴はとっさに壁に脚を着いて咲夜を受け止める。
大丈夫ですか、と焦る美鈴の腕の中で咲夜が弾幕を見遣れば、笑うフランドールの前に飛び出すパチュリーはスペルも使えず方々の体でその弾幕から逃げ廻っている。
こくりと首を振って肯定を示した彼女は、パチュリーの方に目線をやって放っておけないとばかりに美鈴を促した。
ふざけるように紅い弾のはね回る瓦礫の室内で、ふらふらのパチュリーと繋がれた二人は必死によけては打ち返す。
「っくああっははあぁ!!全然!全っ然駄目ぇっ!!」
すると肩にナイフが刺さったままのフランドールはあざ笑うように二人を指さしてすぅ、と落ち着いた顔に変わり口を開いた。
「そっちのメイドは弾数が足りなくてそっちの中国っぽいのは狙いが全然だめ。そんな弾幕じゃ私は倒せないわよ?それから――」
次いでフランドールはその顔をさらに冷たく、詰まらなそうな物にして指先を滑らせる。
「あんたは駄目。つまんない」
指の先、声を聞くより息をし弾幕をかわす方に全神経を注いでいたパチュリーが、げほ、と咳き込んだ。
言葉と共にフランドールの周囲には紅い光が無数に灯り、その顔はまたニタリとつり上がる。
まさか、と言う顔をする二人の視線の先で折しもパチュリーは込み上げた痛みに咳を繰り返し、雨のように降り注ぐ紅い光から逃れる力もない。
叫びや悲鳴が上がるより早く、紅い雨は壁の亡骸を土埃に変えた。
「ふぅん。庇うんだ。つっまんないの」
壁にへたり込むような形でごほごほと咳き込むパチュリーの前、ぽたりと美鈴の顎から血が床に落ち、その半身後ろで咲夜ががくりと膝を突いた。
仁王のように立ちつくして全身から煙を上げる美鈴の衣服はぼろぼろで、陰に隠れる咲夜の腹部からは鮮血がにじむ。
それは暗黙の了解の内に行われたコンビネーション。
要するに時間を止めて丈夫な美鈴を運び、盾にしただけ。
「っぁ……咲夜さんっ!」
軋む体を無理矢理動かして後ろを振り向けば、これが人間の脆さなのだろう、流れ弾に弾かれた咲夜の腹部はたやすくその内側を覗かせてしまっていた。
「っ……だっ……大丈夫、よ……」
「大丈夫な訳ありませんよ!!内臓出てます!!」
泣き出しそうに縋り付こうとする手を押し止めた咲夜は、唇から鮮血を零し真っ青な顔のままそれでもなお大丈夫と言って美鈴の腕を伝い立ち上がる。
二人を繋ぐスカーフは既に血の赤に染まり、傷だらけの美鈴の顔を見つめる咲夜の瞳は、しかし希望の光を灯していた。
血が抜けて頭が冴えたわ、などと言ってみせる彼女は、不安がる美鈴に抱きつくようにして口を開く。
「このまま、私を抱えて、飛んで」
でも、と言葉を返そうとした美鈴の唇に、咲夜はそっとその唇を重ねる。
息も絶え絶えのまま、しかし自信を持ったその笑顔に美鈴は恐怖から放たれて小さく頷く。
舐めた唇の端の血は、甘くて熱い。
苛立たしげな紅の矢が飛び上がった二人をかすめた。
「お芝居は終わり?それともお祈りだったの?そんなつまんないことしてたら壊しちゃうわよ?」
律儀に会話の終わりを待っていた彼女は痺れを切らした様子で杖を振るい、レーヴァンテイン、と呟いてその杖を投げる。
「作戦会議ですよ!彩符「彩雨」!」
紅い杖が破壊の光を帯びて飛び交う前に、美鈴は取り出したカードを光らせて虹色の雨を降らせた。
その威力は比べるまでもなく乏しく、降り注ぐ弾幕はフランドールに届くこともなく壁に、床にぶつかって消えていく。
「なによそれ!?ふざけてるの!?」
数だけは多い物の舐めたような威力のスペルカードに些か激昂を顔に出すフランドールは、飛び跳ねる杖を掴んで斬りかかる。
すると美鈴の耳元で咲夜が囁いて、その姿は振り下ろした剣先から消え肩のナイフを踏みつけて飛んだ。
「っがぁっ!?」
銀のナイフをより深くねじ込まれてバランスを崩すフランドールを尻目に、飛び上がった美鈴は声を張り上げて懐からカードを取り出す。
「パチュリー様!避難しておいて下さい!!彩符「彩光乱舞」!!」
美鈴の周りに虹色の雨が再び灯り、七色の雨は先ほど以上の数を持って世界を穿ち続けていく。
数故によけることも面倒になったフランドールはそんな自分にまともな傷を付けられもしない光の雨の中を腹立ち紛れに駆け抜け、吠えるように叫びながら紅い弾丸をばらまいた。
「そう……それでいいの……それが、私にはできないこと……」
必死に弾幕をよける美鈴の耳元で咲夜は弱々しくもしっかりと口を開く。
咳き込みつつも逃げ出して姿を消し、動く物の姿の無くなった館内に、咲夜の声は雨と弾幕に消える。
「私には、あなたのように大量の弾幕をばらまき続ける事は出来ない。人間にそんな体力は無いもの……」
無駄弾と呼べるほどに館中を穿ち続ける弾幕を放つ美鈴に向かい、彼女の瞳は確信に満ちる。
狂ったように笑うフランドールに向かって新たなカードを懐から取り出した美鈴は、そんな咲夜を信じてただがむしゃらに虹の雨を降らせ続ける。
「彩符「極彩颱風」!!!」
天井も、床も、壁だった所も、全てが全て虹の弾丸を受け止めて削れていく。
技巧も何もなく押し流すような雨に業を煮やしたフランドールは、叫び声を上げて四体に分裂してその杖を振るった。
「だから、ここからは、私にできること」
咲夜は一枚のカードを取り出して呟く。
虹の雨の全てが出尽くし、四つの魔剣が牙を剥くその時に。
「光も、時間も、還りなさい。戻り、溢れろ!「デフレーションワールド」!」
それはフランドールにとって予想もしない物だった。
何のことはない、ただ後ろから弾幕がやってきて後頭部にぶつかっただけではあった。
しかし弾幕を撃つはずの美鈴は目の前にいる。
そして振り向いた瞬間、彼女は光に言葉を失った。
「咲夜さんっ!これっ!?」
「騒がない、全部巻き戻してるだけよ」
天井から、床から、壁だった物から、轟音を上げて虹色の雨は辿った軌跡を還っていく。
咲夜に足りないのは体力。
同じ弾幕を再利用できるとしても、ここまで大量の弾をばらまくことは出来ない。
「「「「あだだだだだだだだっ!!」」」」
渦巻くとりどりの光のミキサーの中、自分の弾幕なら無視できる美鈴とそれに張り付く咲夜に対し、四体のフランドールは磨り潰されるように小さな弾幕にぶつけられていく。
美鈴に足りないのは技巧。
確実に当てるための組み合わせを作る繊細な技も、ましてや時間操作の能力もない。
「すごい……」
巻戻り、圧縮し、分裂する光弾は加速度的に密度を上げていき、ついには揉まれるフランドールがどこにいるのか判らないほどにその雨は勢いを増していく。
視界を覆う極彩色の密度に思わず感嘆の声をあげた美鈴の肩で、腹部に手を押しつけた咲夜は苦しそうに、しかし誇るように笑う。
「まだよ。まだ最後が残ってる」
次いで小さく耳打ちした咲夜に、美鈴は小さく頷いて光の雨の中を飛んだ。
「ああああああああああああーーーもーーーーーーーーーっっっっ!!!!!」
次第に収まり行く雨の中、一体になったフランドールはついに絶叫してその光に自らの紅を突き立てる。
魔剣の光が極彩色の世界を寸断し、そして自らに掛かる弾幕を振り払った彼女はその瞬間、へ、と情けない声を上げていた。
「妹様、ご存じでした?虹というものは元々は……」
咲夜は片手を上げ、それを捧げ持ちながら微笑んで呟く。
すると傍らで咲夜を抱き寄せるように胴に手を回し、もう片手を掲げていた美鈴が続けて言葉を放つ。
「太陽の白い光なんですよ!!」
二人の手の上には、真っ白い太陽。
それは溢れる虹をただ一つに巻き戻した、光の固まりだった。
「生きてる?」
青い顔をしているものの、何とか持ち直したパチュリーが瓦礫に倒れる二人の顔を覗き込んで呟いた。
天井を穿つ大穴は曇天に繋がり、しとしとと雨に降られる二人はぼやけた声で呻いて返す。
「ずいぶんと無茶をした物ね。出力だけでグレイプニールが引きちぎれてる」
救護にやってきたメイド達が符だの魔法の薬だの使って二人の傷を治していると、パチュリーはもはや血で汚れたぼろの端切れとなったそれをつまんで二人の上でちらつかせる。
「愛の力の前には世界も生まれ変わるのかしら?」
青白かった二人の顔が燃えるように赤く染まった。
濡れ鼠の禄に動かない傷だらけの体を引きずり、囚人のように両手首と首を繋がれたままのレミリアは、もいできたフキの葉っぱを傘のようにさしてとぼとぼと雨の中を歩いていた。
紅い悪魔の威厳など欠片も無いそのなんとも情けない姿を木の陰に隠す彼女の前で、どかん、と古典的な音がして雨空に光の柱が立つ。
白黒の魔法使いにしてはあまりに輝かし過ぎるその光にレミリアは思わず目を覆い、どこかで聞いたような怪しい口調でうお眩しっ、と感想を漏らす。
と、そんな彼女の前にひゅるるーと飛んでぼたっと着地する物体があった。
「……からあげかしら」
いでんしの欠片も残さず焼き尽くされたっぽいすっかり狐色に揚がったその小さな人影は、両肩からひび割れた宝石をぶら下げるヘタみたいになった物をぶら下げている。
ぴくりと蠢いて呻くそれの正体はなにをか言わんや。
「あうええーおええああー(たすけてーおねえさまー)」
どこかで聞いたような声で呻くからあげの傍ら、レミリアははぁ、と小さくため息を吐いて口を開いた。
「……私に妹なんて居ないわ」
そんなことを言った彼女は両手を括る布でからあげの首を括ると、そのままとぼとぼとゆるんできた雨の中を歩きだす。
「私に居るのは……からあげなのね……」
引きずられるフランドールがえぅーと鳴いた。
「美鈴、良い?」
そう訪ねるより先に、咲夜は美鈴の傍らに腰を下ろして小さく息をつく。
近年稀に見るほどに損傷した館の修理に、二人と言わず館中のメイドは青空の下大忙しだった。
休憩中で茶を飲んでいた美鈴が咲夜の分も注ごうとすると、咲夜は何も言わずにその手の中の飲みかけを奪って飲み干し、おかわりと呟く。
「咲夜さん」
受け取ったコップに茶を注ぐ手がまだ少し痛んで、彼女は何気なくその名を呼んで見せる。
そして、咲夜は何も返さずに、ただコップを受け取って一息に飲み干し、傷の名残が痛んで顔をしかめる。
「抱きしめて良いですか」
静かに、美鈴は呟く。
そして、咲夜は答えない。
ただ何も言わず、恥ずかしそうに目をそらす。
そして、美鈴は手を伸ばした。
あぁ、この世に彼女を捕まえる術はあった。超常に寄らずとも、技巧の一つも懲らさずとも。
ただ、彼女が微笑めばいい。
ただ、両手をさしのべればいい。
彼女は静かにその胸に飛び込んだ。
二人は静かに抱き合って、傷の痛みにしかめた顔を見合わせ、笑った。
了
バトルのコンビネーションとかラストの姉妹オチとか。
フランちゃんあっちでバニラアイス食べよっか
とぼとぼ歩くれみりあ様もかあいいよ!
ふらんちゃんもかあいいよ!
ふらんちゃんかわいいよ
画面が弾で埋まりますね。
というかなんでここだけ美坂姉妹ですか?