Coolier - 新生・東方創想話

霊視の日

2006/06/26 10:15:07
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 目覚めは胡乱。定まらない意識と、流転する思考。
 いつもどおりの空の色すらも、まったく違う色彩に見えてしまう。
 徐々に定まっていく、固定していく。


 ――わたしが私に。私がわたしに――。



 腕を上げる。違和感は無い。けれども身体には、昨晩強制的にとらされたアルコールが残留している。でもそれは自業自得。いくら主人とその友の無理難題であろうと、自分に向かないものならば断ってしかるべき。なのにソレが出来ない、まあ、私だから、しょうがない。
 ようやく、上半身が上げられた。首を回してあたりを見渡せば、いるわいるわの死々累々。まったくどうしようもない。こうも予想通りだと、泣けるのを通り越して呆れてくるってなものだ。
 立ち上がって、ぐるんと腕を回してみる。こきこきと、間接が悲鳴を上げた。腰に手をやると、いつも挿しているはずの白楼剣がない。おや、と足元を見ればそこには何者かの手で掴まれた二刀。引っ張ってみれば、白黒がぐう、とカエルがつぶれたような声を出した。まったく、手癖の悪い奴だ。起きないように慎重に指を離させ、腰に挿す。

 庭を一通り回った。酷い有様だった。二百由旬は言いすぎだが、それでも広い庭が、それはもう言葉で表したくないほどのことになっていた。
 珍しく、本当に珍しく、わが屋敷――白玉楼で催した宴会は、環境の変化と、幽霊ですら酔うという銘酒の半端ない出回りによって、朝まで続くという体たらくだったようだ。……ようだ、なんていう不確定な言い回しはというと、私があっという間に潰れてしまったから。全く、我ながら情けない。

 とりあえず、潰れている連中は放置して、空いているところの掃除をするために箒を持ってきた。あとゴミを片付けるために、普段は滅多に使わない背負い籠をかつぐ。酒瓶やツマミで出たゴミを籠に入れていく。散った葉と、容赦なく散らかった土などは、箒で掃いて一箇所に纏めていく。あとで片付けないといけないが、ソレを思うと溜息が出てしまう。全く、片付けや掃除のためにわたしは目覚めたのではないのだろうに。


 ふと。背後に気配を感じた。箒を抱いていた片手を楼観に。いつでも鞘走られるように、いつでも抜刀できるように、だが悟られぬよう。不自然な仕草など無い、不自然だと思わせない。
 振り向く。そこには、浅い笑みを浮かべた少女がいる。わたしはそれを知っていた。そう、射命丸 文。天狗だ。
「朝から精が出ますね。ああいや、朝だから精を出さなきゃ、のほうが適切ですかね」
「精など出したくないのだけどね。この有様、見ただけで頭痛と吐き気がぶり返すよ」
「おやおや、二日酔いですか? 私にはその辛さが判りませんが、大変ですね」
「それは天狗殿にも是非ご教授させていただきたいものなのだけど、生憎今のこれは二日酔いじゃないよ。わが身を儚んでのもの、さ」
「貴女は庭師。仕事が精一杯出来ることは幸せではないですか?」
「仕事の種類によるよ。枝葉を整えるのと、乱痴気騒ぎの後始末では落差が激しい」
「まあ、どちらにせよ私は関係ないのですけどね」
 ふんふん、と鼻歌交じりで飛び立つ文。ふむ、わたしの機嫌とは真逆だな。宴会でいいことでもあったのだろうか。まあ、私が知らないってことは、潰れた後のことか、それとも宴会がいいことだったか、のどっちかだろうけれども。判らないから聞いてみることにする。
「何かいいことでもあったの? 今の貴女、実に機嫌がよさそうだが」
「ああ。宴会で色々いいネタを拾えましてね。今から纏めようと思うのですよ」
「ふうん、なるほどね。でも貴女、宴の席での発言は記事にしないのではなかったの? 真実味がどうとか言っていた気がしたけれど」
「もちろん、鵜呑みにするわけではないですよ。ただ、真実への足がかりになるかも、と。宴の席の酔いの上、足も意識も不確かな、曖昧模糊の妄言を、記事にするほど私は落ちぶれていません。けれどもそれを放り投げれば真実はつかめないのだとしたら、それは実にもったいないことでしょう?」
「だったら、まずは私の武勇伝でも書いてみたらどう? きっと満足できるわよ」
「あら、霊夢さん。お目覚めですか?」
 いつの間にか、気がつけば文の隣には霊夢がいた。気配があったことすら気付かなかった。全く、いつも神出鬼没で実に困る。こんな風にあっさりと現れては、わたしの立つ瀬が無いではないか。まあ、それが霊夢というものなのだと、私はとうに納得しているのだけど、それでも剣士のわたしとしてはこの神出鬼没の気配をきちんと捉えたい。
「でも、ほら。霊夢さんの話ってみんな出鱈目に聞こえるんですよ」
「みーんな真実よ。私は嘘つかないもの」
「いや、それが嘘だと思うが」
「嘘ですよね」
「いやまあ、嘘だけどね。でも武勇伝は本当」
「でも武勇伝の類って、自分から言い出すと価値下がるもんではないのか?」
「ぐ、確かにそうね」
「まあ、調べる気も起きませんけどね」
 彼女の武勇伝の類には、わたしが大いに関わる部分もあるので、そこを追求されると大弱りなのだが、まあそれはどうでもいい。文は全然興味ないみたいだし、記事にされることはないだろう。きっと永遠に。
「ま、それはともかく。また派手に散らかしたもんね。同情するわ」
「同情するくらいなら――」
「手伝わないわよ」
「手伝いませんよね」
「……ま、判ってたけどね」
「神社での宴会で、これから必ず片付けを妖夢が手伝うと言うのならやってあげてもいいわ」
「それなら自分でなんとかする。誇張でもなんでもなく、自分の庭のようなものなのだから」
「そ。頑張りなさい。私は帰るわ」
「あ、私も帰りますね。お酒、今度はもっと用意してくださいね」
 無茶をいう天狗である。これ以上用意しても、貴女と鬼が喜んで飲み乾すだけだろうに。と思ったが口には出さなかった。無駄なことは言わないのだ。



・ ・ ・ ・ ・



 それから、目覚めた人も妖怪も、みんなとりあえずわたしに声をかけて帰っていった。なんで、そんな手間をするのだろうと思ったが、黙って帰られても気分がよくないので誰にもその言葉を言わなかった。まあ、義務感とかではなくて、ただ単に私の困った顔を見たかっただけだろう。自分で言うのも何だが、私は実に感情が顔に出やすい。なので、今日はわたしは頑張って「こんなものなんとも思ってないぞふーん」ってな顔を作っていた。まあ、作っているわけでもないのだけど、皆は作っていたように見えたのだろう。わたしはどっちかっていうと困るより怒っていたのだし。


 さて。後片付けも漸く終わることができた。これからが本来の仕事である。
 腰の白楼剣・楼観剣を引き抜く。庭師としての大事な仕事、木々の枝葉の調整である。だがまあ、厳密には仕事ではない。私は仕事だと考えるだろうけど、でもまあ仕事に偽った修行である。ただの仕事なら、紫さまがいつか拾ってきた[高枝切りバサミ]なるものを使えばいいのだし。まあ、わたしは剣が振るえるのなら体裁はどうでもいいのだ。

 斬る。それは全てだ。剣は教えてくれる。天を、地を、人を、妖を、神を、鬼を、魔を、すべてすべてすべて。ただ、それは上辺だけだ。斬ることによって教わることなど、瑣末なことに過ぎない。斬ったことによって何を自分が汲み取り、理解することが出来るか。それが「斬れば判る」ということなのだと、宴会続きのあの時、わたしはそう考えるに至ったのだ。それ以来、その以前から心が躍る剣を振るう、という行為が楽しくて楽しくてしょうがないのだった。
 私は、元来修行とは厳しいものだと考えてきた。でも、それは違うとわたしは思い始めた。そりゃ、厳しくするのは当たり前。でも、厳しいだけじゃいけないのだ。それに面白さを求めなきゃ、いつまでだって身にならない。そして続かない。何かを追うのも、何かになるのも、そこに面白さがないと、きっとこの身は砕けるだろう。白黒を――霧雨 魔理沙を見てれば誰だって気付く。あいつほど、面白そうに日々を過ごすやつなど、わたしは誰も……まあ、身近に一人いるが、それとはまた別に考えて……知らない。あの強さは、何もかもを、そして自らの魔法を、面白く思っていないと作られないのだろうと思う。それは余裕と置き換えてもいいだろう。それが私には、わたしには無かった。ただ愚直なまでに剣を振るうだけの私に、その強さは身につくことは無い。だからわたしは考えた。楽しむことからはじめようと。



 ――さて。心構えは終わった。さあ、剣士の『わたし』を始めよう。



 ひゅう、風切音。
 血振りの要領で振るった楼観は、今日も正しく機能している。刀は正常、この身は静情-セイジョウ-。そして心は舞い踊る。
 すう、息を吸う。

 跳ねる。飛行の術は敢えて使わず、高く聳える庭木の枝を切り落とす。一の跳ねごとに群がる四の木々を。二の跳ねでは八の木々を。三では十六、四で三十四。
 振るう、振るう、斬り落とす。振るう、振るう、斬り捨てる。
 腕を上げ、腕を下げ。身体を回し、腰を捻る。上と下、右と左。
 斬るだけではなく、舞うように。斬るためでだけでなく、魅せるように。
 舞い斬り、地に伏す。それすらもまた、一つの演舞。瞬の呼気、酸素を肺に循環させ、そしてまた天へと跳ね舞い上がる。調子が上がる。意味も無く回転、その刹那で腰の白楼を口切る。楼観は右の順手、白楼は左の逆手。
 右で落とした枝を、左で細切れにする。
 瞬の呼吸、切れた枝を踏み、さらに上に。地ではなく、枝を支えに空に昇る。ひときわ大きい老木の、まるで爺のような頑固な枝を叩き斬る。斬った枝は天に昇り、大して明るくも無い冥界の太陽を視界から遮る。

 反転。天に足を、地に頭を。跳ね上げた固枝を蹴り、地に向かう重力とともに加速する。
 加速の勢いに流転、奔り逆らう空気に刃を向ける。風圧すらも零、楼観で切り裂いた大気の真空にて枝葉を斬り、斬り、斬り、斬り、斬り――。
 地を寸にして再び回転、正しく人が人たる姿地を足に向け。
 勢いは殺さず。加速は止まらず大地を踏みしめて。
 すたん、と。
 全ての力を、大地に流し、無粋なる音を全て静寂にし地に足を着け……。







 ずだんっ!!





「……っっっう~~。 ……っっはぁ~」
 息を大きく吐く。さすがに、加速に加速を重ねた勢いを流すのはまだわたしには無理なようだった。
 昔に見た、師の芸当が出来る領域にはまだわたしは程遠いらしい。いったい、どんな挙動ならばあの芸当が出来るようになるのか、全くどれくらいの修練が必要なのやら、だ。だけどまあ、その長くなりそうな道程を想像するだけで心が浮き立つ、わたしはまだまだいけるのだ。

 ぺたんと座り込んだ。さすがに、全力でやっただけあって庭木の剪定は終わったけれど、疲労が著しく感じる。このくらいを軽くこなせるようにならなければ、まだまだ一人前とは言わないだろう。体力の少ないわが身が恨めしい。
「そういえば、そんなことを考えて……私は男に生まれたかった、といったことがあったな」
 地に両手をつけ、空を見上げて呟いた。あれはいつのころだったろうか。確か、まだ師が白玉楼に居て、幽々子様もここで私たちを見ていた、そんなときだったような。あの時は、呟いたあと、どうなったんだっけ。

「もう。だめよ、妖夢は女の子なんだから。そんなこと言っちゃダメのダメダメなのよ?」

 ああ。そうそう、そんな言葉を頂戴したのだった。
 わたしは横目で声の方向を見る。そこには、ふわふわと――比喩ではなく本当の意味で――地に足がついていない足取りでこちらに来る、我が主人の姿があった。
「幽々子様。おはようございます、今日はお早いですね?」
「はいおはよう。でもね妖夢、今日は、じゃなくていつも、よ。だって私は早寝早起きですもの。妖夢も知ってるでしょう?」
 ふふ、と扇子を取り出して含み笑い。
 その笑みは、私にとってはとても嫌な予感なものなのだけれど、わたしにとってはさして嫌でもないものだったりする。わたしは怒られることは慣れている。剣士を志したその瞬間から、師に叱咤され過ごしてきたのだ、今更叱責の一つ二つ増えても何のことはないのだ。
「そうですね。確かにいつもはそうですが、今日は遅寝早起きが正しいのでは? 昨日の宴会は凄かった……みたいですからね。私、は覚えてませんけれど」
「あら本当。大変だわ、妖夢に間違いを指摘されちゃった。今日はあの日ね」
「ええまああの日です」
「じゃあ赤飯炊かなきゃね。美味しいごま塩で食べましょう」
 何かの日と勘違いしている……わけではなく、まあいつものお戯れだろう。私ならば、まあ用意してしまうんだろうけれど。
「じゃあ、ごま塩を調達にいきましょう。朝食のあとでよろしいでしょうか」
 なので、敢えて流れに乗ってみることにする。うそだろうが冗談だろうが、どうせこのお方は最後には本気になってしまうのだから、今のうちに覚悟しておいたほうが精神衛生上健康管理が出来るのである。聞いてるか、私。ここテストに出るぞー、多分な。
 そんなわたしの発言を聞いた幽々子様は残念そうにうなだれた……ふりをした。よよよ、なんて泣き真似までつける念入りっぷり。
「あーあ。あの日の妖夢はつまんないわ。まるで……どこかの頑固爺みたい」
「口が悪いですよ幽々子様。爺、なんてはしたない」
「ああもうやっぱり。興が削がれたわー、二度寝します」
「はいはいお休みなさいませ。それで夕飯は赤飯でよろしいので?」
「小豆で炊いたものじゃない赤飯ならね」
「血で炊きましょうか」
「私は亡霊ですわよ。そんな、どこかの吸血鬼ではあるまいし」
 ぷりぷり怒る我が主君。ああ、なんだかこのやりとりが楽しいなあ、と思うのはいけないことなのだろうか。まあそろそろ後の私が可哀想になるだろうから、打ち切ってしまわないといけないだろう。
「では、仕事がありますので。何か御用がありましたら、声をお掛けください」
「はーいはいはい。面白くない妖夢はさっさとお仕事人になりあそばせー」
 言葉がとてつもなく乱れている。けれども指摘はしない。また変な言い合いになっても、変に場が硬直してしまうだけだし。
 ふわふわと戻る幽々子様の背中を見守り、姿が屋敷に消えたのを確認して、残りの仕事を始めよう。まずは、屋敷の掃除からだ。




・ ・ ・ ・ ・




 そして仕事も一段落。さて、と額の汗をぬぐった。
 屋敷は静かだ。幽々子様は本当に寝ているのだろう。幽々子様が起きていれば、屋敷の周りを飛んでいる幽霊たちが自然と騒ぎ出しているからだ。そんな幽霊たちが静かに浮かんでいるだけ、ということだから、幽々子様は今頃安らかな夢でも見ているに違いない。
 空を見ていた。縁側、青……くはないけど、まあ晴れた空。ふと、頭に頭が春の巫女の姿が浮かんだ。今頃彼女はこんな縁側でお茶でもたしなんでいるのだろう。
 私では思わないこと。でも、今はわたしだから、やってみようと思った。

 座布団と急須、湯のみを用意した。正座して、お茶を注ぐ。
 一口啜る。ふわり、と茶葉のうまみが口に広がった気がした。

 ああ、なるほど。これは彼女でなくても、この魅力に取り付かれてしまうかもしれない。安らかに、ただ安らかに、お茶を嗜み空を見る。いや、空ではない、何かを見ているのだ。何かは判らないけど、きっとそれは……。







 にゅっ
「はぁい♪」
「ぶー!」






 きっとそれは空に浮かんだ切れ目からのぞく金髪と美しい顔…………ってそんなわけあるかーっ!
「ごほごほごほっ」
「あらあら素敵なリアクション♪ やれきた素敵なリアクション☆」
「ごほ、……紫様。いきなり現れるな、といつも申しておりましたでしょう?」
 自分でも吃驚なくらいの底冷えした声が出せた。というか出た。こればっかりは私もわたしも変わらない。
「えー。だってそれじゃあ、ゆかりんのアイデンティティが保てないって言うかー」
「よく判らない横文字で誤魔化さないでください。斬りますよ?」
「いやん。斬らないでぇ」
「……ま、斬れないんですがね」
 はあ、と溜息をついた。この身の未熟が忌々しいと思ったことは一度や二度では利かないが、今この瞬間ほど痛感したときは後にも先にもきっとないだろうと思う。いやまあ、こんなくだらないことで思うのもどうかしてるが。
「……ふぅん。そう、貴女、今日はお赤飯の日なのね?」
「ああ、たった今電光石火の速さで貴女様が幽々子様の親友なのだと理解できましたよ紫様。発想レベルまで同じなのですね斬りますよ?」
「冗談よぉん」
 くすくすくす。笑い声がまた腹が立つ。
 別に赤飯とか関係ないけど、その笑い声が。思わず鞘の鯉口に手を寄せてしまったではないか。
「……はあ。それで、何用ですか紫様。生憎、幽々子様ならば只今午睡の真っ最中ですが」
「あらやだあの娘、のんきにお昼寝中なの? やあねえ、そんな寝てばっかだとダメになるわよ」
「アンタが言うな」
 神速の突っ込み。未来永劫斬の踏み込みよりも尚速く、わたしは言葉を紡いでいた。意識すらも置いてきぼりにしたそれは、珍しいことに呆け顔の紫様というレアショットを導くに至ったのだった。……なんか、冷静に分析するの疲れる状況な気がしてきた。
「……くすくす、お赤飯の日の妖夢はいつでも鋭いけど、今日はまた一段と鋭いわねえ。もう、ゆかりん嬉しくて嬉しくて――」
 途端。笑い声は哂い声に急転換。
 緩やかな空気は重苦しい鈍気に変質、光は屈折を変えていくかのよう。

「――思わず、『斬られちゃうような』妖怪を演じたくなっちゃうわ」

「あ」
 背筋が、凍った。否、使い物にならなくなった。
 全身に血液を送るべき器官は衝撃にてショック死。ポンプは用を為さず、全身は硬直する。柔らかいはずの筋肉はすべて硬質化し固いはずの爪や歯は柔らかく果実のように腐り落ちる。そんな絶望と絶対差。象とアリ。ノミと犬。ああ、なんてこと。私では、この妖怪の足元にも及ばない――。

 でも。わたしは、剣を握る。
 何故ならば。わたしの師は、この妖怪相手ですらも身体を動かし剣を握り振って斬ったはずだ。

 さあ、斬れ。斬れ、斬れ、斬れ、斬れ、斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬――――!












「はいそこまで。紫、あまり妖夢を虐めちゃだめよ」
「あらまあ。もう、幽々子の頼みじゃしょうがないわね。やーめたっと」
 ……って。いつの間にか元のとおりに戻っている。さっきまでのやたらと物騒で、空恐ろしかった感情の揺れもなくなっていた。
「紫に感情の境界を揺さぶられたのね。そう大したものじゃないのに、まだ妖夢は半人前ってことかしら。そんな『本気』、紫が貴女相手で出すわけないでしょう?」
 くすくすと。幽々子様は笑っていた。
 全くだ。あの人の性質から考えれば、そんなものを出す機会がそうそうあるとは思えない。ああもう、この身の未熟を晒されたようで、とても恥ずかしい。
「いつもの妖夢も、お赤飯の妖夢も、素直なのは変わらないのね。安心したわ」
「うふふん。私のおかげよね。褒めて頂戴な」
「わーゆかりすごーい」
「えっへん」
 ……でも、それはそれとして、こうやって恥を晒されたと想い、本気で反省している横でこんなやりとりが聞こえたら腹が立つのはわたしだけじゃないと思う。きっと私も腹が立つと思うのだがどうだろうか。つーかぶっちゃけ斬っていいか二人とも。



 それから、幽々子様と紫様の酒の肴にされ(昨日も宴会だったのに)、立つ瀬が無かった。ああもう、お願いだからこんなときくらい一人で静かに考えさせて欲しいのに……。




・ ・ ・ ・ ・




 わたしが自分の部屋にたどり着いたのは、日付が変更されてからしばらくのことだった。
 うう、心構えが出来ていないときに無理やり飲まされるお酒はとてつもなく回りが早くて、なんだかいつもより頭がくらくらするような気がする。ゆらゆらする頭で布団を敷き、寝巻きに着替えた。
 着替えた瞬間、どさりと布団に落下する。
 重くなった身体を、柔らかな感覚が包み込む。ああ、沈み込み、泥のように流れていく感覚がこの上も無く心地よかった。まるで、自分の身体が溶けていくようで。自分が解けていくようで。

 それはつまり、わたしが解けていくようで。
 それはつまり、私に成っていくようで。
















 胡乱。まどろみの中。ゆらゆらとした世界がある。
 <わたし>はここにいる。<私>はここにいる。
 ここはどこ? 
 ここは世界。自分一個世界。

 認識したとたん、朧ながら形作られる世界。ああ、酒と睡魔と疲労で、意識が曖昧で朦朧としているから――自分の作る自分の中が覗けてしまったのか。
 自分を認識する。<わたし>はまだ、人の形を保っていた。
 目の前にふわりと浮かぶ白い霊。ぶるりと震えて、<わたし>に言葉を送った。
『明日は、<私>の日だから』
 そんなこと。言わなくても判ってる。
 普段から、ずっとずっとそうだった。<私>が望んで、<わたし>が応えて――そのときだけ、<わたし>が表に出て、<私>の鍛えた剣を振るったのだ。
 戦うべきは<わたし>で、常日頃を暮らすべきは<私>だった。
 けれどもそれには例外があって、月に一度は、何の前触れもなく<わたし>が表にでるときがあった。でもそれは、今月はもうとうに過ぎたことだったのだから――今日のことは、実はとても驚いていたのだ。なんで、<わたし>が表に出れたのだろう?
『きっと、あれだよ。幽霊も酔う銘酒の――』
 つまり何か、酔っ払っちゃってちょっと周期がズレました、と。
 もう、つい笑ってしまう。けれども、まあよしとしよう。剣を振るうことが出来たのだ、細かいことは言いっこなしってものだ。見れば、目の前の霊が震えていた。きっと笑っているんだろう。だって<わたし>は<私>で、<私>は<わたし>なのだから。
 ふと気付けば、<わたし>の身体は少しずつ解けていって、段々と人の形を崩していった。解けた霊糸は、目の前の霊に繋がっていく。きっとこれから、人の形に成っていくんだろう。
『それじゃ、寝ようか』
 うん、寝よう。おやすみ、<私>。
『おやすみ、<わたし>』



―――明日も、いい日になりますように―――














・ ・ ・ ・ ・














 ざ、ざ、と。箒を動かして、塵を一箇所に集めていく。
 空を見上げて、ふう、と溜息をついた。
 冥界の空の色はそうそう変わらない。けれども、じっと見つめていれば変わることもあるのだろうか。この掃除が一段落したら、縁側でお茶でも飲んで一休みしようかな、と思った。
 ざ、と箒を再び動かそうとしたとき、屋敷から声がした。
「ねえねえ妖夢~」
 はあ、と違う意味の溜息をついて、私は屋敷に向かう。今日は昨日みたいな一休みが出来ないみたいだった。まあ、昨日がちょっと違った一日だったから、ってことなのだろう。きっと。

 屋敷の縁側には、すでに幽々子様がいた。おやつとして置いておいたお団子が、すでに食された後で、ちょっと私はげんなりしたけれど、まあいつものことだと割り切った。
「なんでしょう、幽々子様」
「えっとねえ、今日は磯辺餅が食べたいわあ」
「……ま、まだ食べるんですか……」
「餅だけに、もちろんよ。あ、海苔は本物がいいわね」
「う、そ、それは難しいですよう……」
 難題を出され、困り果てる私。こういうときの対処法は、とにかく紫様を頼るしかないのだけれど、どこにいるのか判らないのが難点だ。ああ、もう一日かける覚悟をしておかないと。
「うんうん、やっぱ、妖夢はいつものがいいわね」
「それも複雑ですけど……」
「だってねえ、お赤飯の妖夢って、妖忌みたいで面白くないんだもの」
「人を面白くないとか面白いとかで判断しないでくださいよ……」
「と、いうわけでお願いね~」
 ひらひら。人の苦労を全く考えていない幽々子様の笑顔を見て、ああもう無理だな、と諦めた。叱られる覚悟だけはしておこう……。


 冥界をはじめとして、幻想郷を駆けずり回る。
 多分最後には、紫様はひょいっと出てきてしまうのだけど、それを待っているのはルール違反らしい。「妖夢が真面目にしてるかどうかのテ・ス・ト♪」って言ってたけど、怪しいものだと思う。面白がっているに一票。幽々子様も結託しているに違いない。わたしだってそう思うのだ。もうばれているのに、続けてしまうわが身が情けない。
 まあ、これも従者の定めである。だから幽々子様には、「お赤飯の日」で馴染んでしまったわたしには、目をつぶっていただこう。
 

 月に一度、霊視の日は必ずやってくるのだから。




―――その日も、いい日になりますように。
(上白沢 慧音の手記・人種帖より抜粋・半人半霊の項よりさらに一部)

 どうも、半人半霊というやつは二重人格と呼ばれる症状と酷似している面があるようだ。
 霊と人、違う存在が半々で一つの存在を成しているためのものだと考えるのが妥当だろう。
 しかし、これは細かくいうと二重人格ではないとのことだ。同じ存在、同じ性格であり、またそれでいて違うものであるという。こればかりは本人でないと判らない感覚で、人格が二つ存在するのではなく、人格の「面」が二つ存在する、というのがかろうじて判りやすい説明らしい。

 いわく、丁寧な面と、大雑把な面。
 いわく、穏やかな面と、攻撃的な面。
 いわく、静かな面と、騒がしい面。

 これら二つの面は、どちらが無くなっても存在できない、互いに依存しあう存在らしい。
 そして、この結果、半人半霊が成長過程にあるとき、情緒不安定に陥ることが少なくないらしく、事実、私が話しを聞いた当人は、幼少のころにそうだったと話している。

                     (抜粋・87ページの記述より。多少口語表現に翻訳)
ABYSS
http://www2.ttn.ne.jp/~type-abyss/
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コメント



0.1400簡易評価
1.60変身D削除
思わず「そう来られましたか!」と唸ってしまいました。
あのコロコロ変わる妖夢の性格に納得できる理由が……途中の心理描写も良かったです~。
5.60翔菜削除
なるほどなぁ、これは実にいいです。
6.80某の中将削除
なるほど、確かに。永夜抄と萃夢想の妖夢の差みたいなもんでしょうかね。
斬れば分かるって言ってるのと、ゆゆ様に割と引きずられてるのと。そんな感じだと思いましたが。
でもそれはひょっとすると、半人半霊に限らないのかもしれません。
誰だって、明確でない「自分」を抱えている時って、ゆらゆら、不安定になりますもの。ええ、ほんとに。
7.70MK削除
なるほどーと、読ませていただきました。
で、小豆で炊いてない赤飯って…大角豆?
12.70名前が無い程度の能力削除
なるほど。これは斬新な発想ですね。興味深い。
18.40名前が程度の程度の能力削除
誤字発見
白楼観→白楼剣

話としては非常に興味深かったです
19.無評価ABYSS削除
誤字を修正。指摘ありがとうございました。