Coolier - 新生・東方創想話

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2006/06/16 04:23:20
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 ある朝のこと。
 博麗神社の目覚めは早い。広く不精で知られる巫女も日が昇る頃には床を抜け出し、朝ごと井戸水で顔を洗いつつ天を拝むものである。
 その日も青空にぐずついたところはなく、よく澄み渡って晴れ晴れとした陽気だった。活動的な小鳥達が甲高いさえずりと共に上空を飛び回っている。静かな林間に佇む神社にあっても気配とは妙なもので、そこかしこから生き物の息吹というものをなんとなく感じてしまうものだ。
「いい天気だわ」
 不吉さの欠片も無い朝、やはりいいものである。霊夢は満足して台所へと戻った。
 その後、軽く朝食を取り、社の周囲を適当に掃き清める。小食な彼女はご飯一膳と味噌汁、漬物程度で十分だったが、その一膳を最後にとうとう米俵が尽きてしまった。明日からはさもしい食卓が続くことだろう。南無三。
 いつも通り目に付く範囲だけ箒をかけ終え、霊夢はふと神社の裏手にある蔵に目をやった。物置として放置されているその蔵は、普段全く手入れもしないで厚い埃をかぶっている。物心ついたときはすでにそこに建っていて、正体も分からない代物がいくつも保管されている古い建物だ。
 今日はいい風も吹いているし、取り立てて用事もない。霊夢は箒と塵取りを抱えたまま一人うなずくと、納戸からさらに雑巾やらハタキやらを持ち出して、重装備で裏の蔵へと回った。
 錠前など気の利いたものはついていない……彼女はバシバシと扉についた埃を叩き落してから、さび付いた蝶番に苦戦しつつ扉を開け放った。すえたかび臭い空気がむっと霊夢の周りに流れてくる。
「うぐっ」
 彼女は顔をしかめるとばさっと袖を一振りし、そそくさと扉の影へ退避した。
 柔らかい朝日が不浄を払ってくれることを祈りつつ、霊夢は鼻と口に布を巻いて再び蔵の中へと向かう。中にはやたら得体の知れないものが、統一感も無くごろごろしていた。張子や木工品が多いのは山車にでも使うからだろうか。よどんだ空気の中でいちいち検分する気にもなれず、霊夢はまっしぐらに窓を開け放って回った。
 あまりの埃と淀みで涙目になりながら中を一周し、入口に戻ったところでようやく一息つく。風通しの良くなった蔵は清涼な風を受け、人の立ち入りを拒む場所ではなくなりつつあった。
 バッサバッサとハタキを振り回しながら、霊夢は入口付近で中の様子を観察した。土壁のおかげで中はひやりと肌寒いが、造りはしっかりしていたらしく木も紙もしけった様子はない。中身の大半は、見た目どおりに祭事に使われるものらしかった。壁の一方が書棚になっていて、無数の巻物が収められている。
 床を見ると、書棚から転げ落ちたのか巻物が一巻ひっそりと横たわっていた。
「ふむぅ」
 掃除の前に、戻しておくか。
 霊夢は分厚い埃に辟易しながら巻物の元まで向かう。近くでよく見ると、巻物も床と同じ程度には埃をかぶっているようだった。また帯には小さな細工物が結び付けられ、傍らには何百枚もありそうな紙束が詰まれていた。ひょっとしたら初めから床に置かれていた巻物だったのかもしれない。
 少なくとも以前来たときはこんなものはなかったが、そんなことをいちいち気にしていられないのが幻想郷だ。
 持ち上げ、雑巾で表面を乾拭きしつつ書棚を見上げる。収められた巻物の数は膨大で、またそれぞれ分類されているようだった。どこに戻せばいいのか――霊夢はしばらく迷ったのち、表に出ていったん巻物の内容を確認することにした。
 薄暗い室内を抜け出し、日の下に帰ってくる。
「ふぅー」
 手近な木の根元に腰掛け、まずは細工物を手に取る。細工といっても大したことはなく、簡素な髪留めであるらしかった。丁寧に拭いてみると特に汚れたところも無いので、なんとなく頭につけてみる。鏡がないので分からないが、見た目はリグルの触角に似たイメージになるだろうか。リボンがあるからきっと蝶に近いだろう。
 続いて巻物の紐を解く。
 絵巻物であるらしかった。著者はずいぶん古い人間――妖怪かもしれないが――だろう、言葉遣いに少々分かりにくいきらいがある。
 霊夢はしばらくそうして巻物を読んでいた。
「…………」
 途中、やおら顔を上げ太陽を仰ぎ見る。数秒睨んだのち、再び巻物に視線を落とす。
「…………」
 またも太陽を見上げる。
 突然、彼女は立ち上がって素っ頓狂な声をあげた。
「今日じゃない!」
 霊夢は急いで巻物を丸め、紙束を小脇に抱えると、慌てふためきながら社へ引き返していった。

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 バーン!
「というわけで、お邪魔するわよ!」
「うおっ、なんだなんだ?」
 そのとき、魔理沙は例によって魔法の研究にいそしんでいる最中だった。突然響き渡った轟音に驚いて扉を見ると、よく見知った人影が室内を見回している。魔理沙の方から彼女を訪ねることは多いが、出迎える経験というのは少ない。
 彼女――霊夢は魔理沙には目もくれず中に踏み込んでくると、積みっぱなしになっているガラクタを掘り返しはじめた。何かを探しているらしい……
 突然の出来事に困惑しつつ、魔理沙は腰を上げて霊夢のいる一角へ向かう。
「いきなりどうしたんだ。挨拶もまだだぜ」
「おはよう、いい朝ね」
 霊夢はやはり振り向きもせずに物色を続けながら返事してきた。
 不審なものを感じながら、魔理沙は霊夢が家捜しをするような理由に考えを巡らす。
「ひょっとして食い物がなくなったのか? いくらなんでもそんな所に食料を保管したりしないぜ、私は」
「急いでるのよ。説明してる暇はないわ……あぁもう、いらないものが多すぎるのよ! この家に整理整頓という言葉はないの?」
「頭の中で整頓できてれば、手の届く範囲に何があるかは問題じゃないさ。で、何を探してるんだ」
「私にもよく分からないんだけど、とにかく巫女センサーの直感に賭けるしか……」
「ちょっと待て、何だその巫女センサーっての」
 呆れながら訊ねると、霊夢はようやく手を止めて魔理沙に向き直り、頭の上を指した。
「これ」
「……触角?」
「名前は私が勝手につけたのだけれど」
「センスないぜ……なにやらまた面倒ごとに首突っ込んでるみたいだな」
 なんとなく合点する。煙に巻かれてかえって納得するというのも変な話だが、霊夢は常日頃からよく分からない事件に関わっていた。おそらく妖怪が絡んでいるのだろう、彼女の仕事は妖怪退治なわけだし。
 考えてみれば霊夢の奇行というのも珍しいものではない。魔理沙はそれ以上口を出さないことにして机に戻った。
「お茶でも淹れるかー?」
「いらない、行く所多いのよ……う? 魔理沙ー、これ以前霖之助さんに売り払った剣じゃないの?」
「あー、それか。よく分からないけど増えてた」
「……まぁいいけど。うん、どうやらこの剣が一番いいみたいだわ」
「いいって、何が」
「巫女センサーが私に囁くのよ」
「意味分からないぜ」
 会話を成立させることはすでにあきらめ、魔理沙は魔道書や魔法薬とにらめっこしながら頭の中で無数の記号を組み替えていた。
 そんな彼女の前に、横手からにゅっと一枚の紙が差し出される。
 反射的に受け取って眺めると、表も裏もまっさらなただの紙だった。まな板と同じくらいの大きさだ。
「あー、私は別にペンと紙がなくても計算できる人間だぜ」
「そうじゃなくて」
 霊夢は剣――確か「草薙の剣」とかなんとか――を抱えながら先を続けた。
「この剣、借りてくわね。代わりにそれをあげるから」
「……もうまともな答えは期待しないが……紙っぺらなんて渡すのは何かの皮肉か」
「ただの紙じゃないわよ、お守りよ。暗くなれば分かるわ」
「護符? それともスペルカードか? ……いよいよ妖怪臭いなぁ。まぁ、私はしばらく研究漬けのつもりだぜ。お前も気をつけてな」
 魔理沙は集めるのが好きなのであって、コレクションに対する執着心はなかった。どうせこういう霊夢には何を言っても無駄だし、力ずくで止めるような気力も今はない。
 霊夢は本当に急いでいるようで、呆れ顔の魔理沙を残してさっさと扉をくぐっていった。視界から消える直前に、
「じゃあね」
「利子つけて返せよー」
 とだけ会話を交わし、彼女は来たときと同じように、風のような唐突さで去っていった。

   ■ ● ■

 ヒュー……ゥゥゥ……
「ん……?」
 ――どーん!
「お次はここね!」
「一体なんだー!」
 賽の河原でのんびり休憩していたところをまともに吹き飛ばされ、小町は罵声を上げつつ身を起こした。飛んできた何者かに目を向けると、砂利の地面に足をめり込ませる格好で着地しているのは霊夢だった。いつになく気合の入った表情できりりと眉を引き締めているが、どこか締まりきっていない顔つきなのは生来のものなのだろうか。
 小町がブツブツと呟きながら体の埃を払って目を上げると、仁王立ちの霊夢が鼻息荒く彼女の正面に立って睨んできていた。
「用事があって訊ねてきたわ」
「用事もなく吹っ飛ばされたんならただじゃすまさないんだけどねぇ……何事なのよ」
「巫女センサーが獲物を欲しがっているわ。このあたりに物置とかそういうのないかしら」
「センサー……?」
 霊夢は無言で頭上の髪飾りを示した。確かにいつもは見かけない触角じみた出っ張りが飛び出している。また変なものを……
 とりあえず機先を制し、巫女の言葉を封じる。
「言っとくけどあたいは真面目に仕事してるし、死者もあふれるほどじゃないよ。難癖つけるならよそを当たっておくれ」
「ちーがーう。……どうやら向こうからターゲットの匂いが漂ってくるようね。急いでるから勝手に通らせてもらうわよ」
「あ、ちょっと待ちなよ……おい、聞いてんのかぁ? あーもーまったく」
 小町を置いてきぼりにしてずんずん奥に進む霊夢を放っておけず、その後姿を追いかけた。わけが分からない。
 十歩も進むと、霊夢が彼女の言葉どおりの場所に向かってまっすぐ進んでいるということに気づく。どういう理屈か分からないが、確かにこの先には映姫が集めた鏡の保管庫が建てられていた。仕事一本道の彼女だが、魔鏡の類を収集しては浄玻璃鏡と比べて、仕事に活かせないかどうかなど考えているらしい。
 常に霧のかかった賽の河原を歩くこと数分、不意にモヤを分けるように白亜の建物が姿を現した。霊夢が許可もなく扉を開けて中に押し入っていく。鍵をかけてないとは、閻魔様ともあろうお方が無用心な。
「おーい、霊夢。さすがにマズイってぇ。映姫様にしめあげられっちまうよ」
「うるさいわね。緊急事態なんだからいちいち気にしちゃいられないのよ」
「さっきからなんなんだよ……また変な妖怪が沸いたのかぁ?」
 それくらいしか思い浮かばない。もっとも、霊夢は彼女の言葉に一瞥をくれただけで黙殺してきたが。
 建物の中には無数の仕切りが立てられ、細い通路だけで構成されていた。壁や仕切りには台が取り付けられ、そこに映姫が集めて回った鏡がピカピカと輝きながら鎮座している。入口に一番近い台は空で、名札には「浄玻璃鏡」と記されていた。
 霊夢は本当に遠慮のかけらもないようで、ずかずかと通路を行き来して鏡を調べている。
 もし一枚でも割ったりしたらつまみ出して二枚に下ろそうと決めながら、小町は彼女の位置が見える場所を維持しつつ呟いた。
「貴重品なんだぞー、分かってるのか?」
「そういえば、あんたのとこの上司は今何してる?」
「映姫様なら裁判中じゃないかね。まぁ、今日は死者の数も大したことないし、もうすましてるかもしれないけど」
「ふーん……あら、これはなかなかいいみたいね」
 判断基準は分からなかったが、確かに霊夢が見つめる鏡は数ある鏡の中でもずば抜けて貴重な一枚だった。万年ぐうたらの霊夢が物の価値を見抜く目を持っていることに多少の驚きを感じつつ、小町はぽりぽりと頭をかいて口を開く。
「それは映姫様も手に入れるのに苦労されたそうだよ。“八咫鏡”ってんだけど、さすがに名前くらいは霊夢でも聞いたことあるだろ。物が物なんでなんで模造品かもしれないって仰られてたけど……で、まさかとは思うが、持ってくとか言い出すんじゃないだろうな」
「借りていくわ」
 本気らしく、霊夢は服の袖を挟んで八咫鏡を持ち上げた。さすがに小町もがばりと木壁から離れて彼女に詰め寄る。
「人の話聞いてんのかぁ! あたいが映姫様に殺されちまうよ」
「はいこれ。借り賃」
 どこから取り出したのか、霊夢が差し出したのは分厚い紙束だった。一抱えもありそうな白紙の山を受け取り、眺めてみる。
「……ただの紙切れじゃないか? 数だけはやたらあるけど、何の価値があるってんだ」
「あんたの上司や、死者にもちゃんと渡しといてね。そのうちちゃんと墨が浮かんでくるはずだから」
「なんだなんだ、呪いかぁ? おっかないもの渡すなよ……って、こら! 持ち逃げすんな!」
「ちゃんと返すわよ?」
「そういう問題じゃねぇー!」
 地団駄を踏んで大声を張り上げるが、霊夢はまったく気にした様子もなくひょこひょこと鏡の重さに揺られながら出て行ってしまった。
 ため息をつき、肩など落としつつ小町も外へでる。そのまま飛び去ってしまっているのではないかと本気で考えたが、霊夢は鏡を両手に抱えたまま小町を待っていたようだ。その顔を見ていると、何を言っても無駄なのかもしれないと思えてきた。なんだかどうでもよくなる。
「もういいや……さっさと返しなよ」
「用事は今日中にすむから、そう長くは待たせないわ。それじゃね」
 霊夢は手でも振ろうとしたのだろうが、ふさがっているため、にこっと笑いだけよこして川原を飛び出していった。なんだかとても複雑な心境でそれを見送る。
 あの巫女にはいつも振り回される。
「……なんだったのかねぇ、ほんと」
 小町はやれやれと肩をすくめてから、とりあえず紙を配るために閻魔の庁へ足を運んでいった。

   ■ ● ■

 ゴゴゴゴゴ……
「むぅっ?」
 昼食の支度をしていたまさに途中、妖夢は何者かが幽門扉を飛び越えたことを察知して顔を上げた。大根を千切りにしていた手を止め、壁に立てかけてあった二刀を引っつかむと即座に外へ飛び出す。
 構えて待ち受けると、なにやら強力な気配をビンビンに撒き散らしながら人影が突進してくるところだった。なんと命知らずな妖怪かと呆れて眺めているうちに、その人影が妖怪でもなんでもなく、知り合いの巫女だったということに気づいた。彼女にしては珍しく余裕のなさそうな勢いで、階段を急上昇してくる。
 とりあえず立ちふさがって霊夢の行く手を阻む――

 がーん!
「げふぅ!」

 ……ガードする間もなく体当たりされた。霊夢の頭突きを胸元に受けて、盛大に数メートルは吹き飛ばされる。上空を見上げながら肺の中の空気が吐き出され、理不尽に青い大空に抱かれてなんだか無性に気分が真っ白になった。
 地面にべちょりと墜落して動きを止める。屈辱を胸にフラフラと膝を立てると、視線を向けた先で霊夢が頭を抑えてうずくまっていた。
「いっ……ったぁぁああ」
「痛いのはこっちだぁぁ!」
 ブンと剣を振って構える。このまま真っ二つにしてやろうかと思っているうちに霊夢は立ち上がり、ズビシと人差し指をこちらに突きつけてきた。まだ頭が痛いのか微妙に方向がずれてはいたが。
「急用よ。具体的には祭具を頂きに来たわ。通しなさい!」
「うるさい! 何か知らないけれど帰れ!」
「急いでるのよ! 残念だけど後には退けないわ。無理にでも頂戴していくわよ」
「ぐぅぅ。いつにも増して意味不明なことを」
 真意は分からないが彼女は物取りに来たらしかった。白玉楼に無断で踏み込む者はすべからく斬るべし。妖夢は両手の刀に決意を込めて霊夢を追い払う覚悟を固める。
 それよりも昼の準備が心配だった。遅れれば幽々子に何を言われるか分からない。彼女なら霊夢の訪問も笑って許すかもしれないが、妖夢はゴメンだ。迅速に片付けねば。
 一方霊夢も気合十分の顔で、懐からお払い棒を取り出して戦闘態勢を取った。
「そうよね、そうよね。あんた相手に平和に事がすむと思っちゃいないわ……」
「幽々子様がお食事を待っておられる。手加減はしないわよ」
 口上もそこそこに、ゆらりと剣を振ってから切り上げるように剣を一閃する。瞬発力なら幻想郷最速を誇る妖夢の剣だったが、その太刀筋はいきなり敵に襲い掛かるものではなかった。避けられたら次手が打てないからだ。
 びしりと空間を走って弾幕の波が生まれる。二重三重に切りかかり弾幕の厚みを増し、妖夢は低く身を沈めて相手の出方を待った。そこらの木っ端妖怪なら問題なく退治できる攻撃だが、霊夢には通じまい……彼女は妖夢へ針を飛ばしながら、巨大陰陽玉を現して包囲をこじ開け、迂回するつもりらしかった。
「逃がすかっ」
 かっと目を見開き渾身の力を込めて霊夢に踊りかかる。切っ先でフェイントも混ぜて退路をふさぎ、霊夢の針弾を弾くと返す刀で一撃の下に叩き伏せる――
 捉えたと確信しながら剣を振りぬいたとき、予想に反して手応えはなかった。直感的に玄関へ首を巡らすと、背を向けて屋敷へ駆け込んでいく霊夢の姿がある。
 してやられたか。
「転移。味な真似を」
「たぁいしたことないわね、妖夢! お宝は頂きだわ」
「させるか!」
 追いながら半身をむんずと掴みあげると、大きく身体をしならせて霊夢へ投げつけた。妖夢自身驚くような速度で空を裂き霊夢へと迫る半身。
 が、霊夢も首をひねってひらりと半身をかわす。
 ……彼女が時折見せる部分的な鋭さには驚きというか不条理なものを感じるが、呆れている暇はない。先行する半身は湯気を立てて怒りを表現しながら、律儀に弾幕を吐き出して霊夢の出足を挫いていた。遅れまじと間合いを詰める妖夢。
「成敗ぃぃ!」
「甘いっ」
 霊夢は三角飛びで半身の背後へ回り込むと、振り向き様の蹴りで半身を妖夢へと突き飛ばしてきた。妖夢は舌打ちしつつ肩口で半身を跳ね飛ばし、低い斬撃で霊夢の足元に打ち込む。だがすでに霊夢の影は数歩離れた場所まで遠ざかり、さらに二、三ステップを踏んでから屋敷の奥へダッシュしていった。
「くうぅ、また逃がしたか」
 ボコボコと背中を殴りつけてくる半身は無視し、再度霊夢の背後を追いかける。「お宝は頂く」とか言っていた通り、彼女には確かな目的地があって屋敷を進んでいるようだった。
 数回角を曲がったところで、妖夢は抜き打ちの姿勢に移行した。次を曲がれば長い直線、そこで確実に仕留める……
 角に差し掛かる直前、妖夢は一際大きく足に力を込めると、飛び上がって正面の柱へ垂直に着地した。勢いが死なないうちに全身の筋肉――半分筋肉――を引き絞り、弓のように前方へ剣を突き出す。
 ……突き出そうとした。
 その一瞬前、狙いすましたように頭上から滝のような陰陽玉が降ってきた。
「ぎゃぁー!」
 なす術もなく陰陽玉の中に消える妖夢。何がなんだか分からないうちに視界が真っ黒に塗りつぶされる。かろうじて、うつぶせに押し潰された身体に大量の陰陽玉が積み上げられているという事実だけは、理解できた。
 一分ほど目がチカチカして身動きが取れなかったものの、頭を落ち着けてから無理やり身体を押し広げて脱出を試みる。玉同士に結合力でもあるのか、やたらに苦戦したが。
「むぅーぐぁー!」
「そこまでよ妖夢。ブツはお借りするわ」
 気合で山を突き破って肩まで外へはい出る。声のしたほうを見ると、霊夢が勝手に幽々子の服飾品の置き部屋に侵入して、一続きの勾玉を握っているようだった。西行寺家の至宝として「死返玉」なるものがあるが、彼女が持っているのはそれに勝るとも劣らない逸品だ。
「八尺瓊勾玉……! それをどうしようっていうのよ霊夢。悪いけどレプリカよ」
「なーに、心配は要らないわ。すぐすむことだから、明日にでも神社に取りに来なさい」
「ただで帰させはしない! 半身、かかれ!」
 頑張って首を回し、半身の姿を探す。すぐに彼(彼?)は見つかったが、どういうわけかやる気なさそうにその辺をふよふよしたあげく、陰陽玉の山の頂上に腰掛けてぺっと明後日の方を向いた。
「半身んん! 裏切ったなぁぁ!」
「代わりといっちゃあなんだけど、これ置いてくわ。幽々子や亡者ども全員に配っといてね。枚数は多分足りるから」
 霊夢はそう言って、どこからか取り出した分厚い紙束を床に置いた。どう見てもただの紙だ。意味は分からないが……
「じゃ」
「このぉー! 覚えてろぉー……」
 部屋を横断し、いずこかへと去っていく霊夢。縁側に当たるまでまっすぐ進むつもりらしい。
 しばらくすると、陰陽玉の連結が解けてばらばらと山が崩れた。追っても捕まえられない場所まで逃げたのだろう。深々と嘆息し、とりあえず半身を引っつかんでめちゃくちゃに伸ばしながら、妖夢は残された紙束へ近づいた。
「……お食事、遅れちゃったなぁ」
 またため息をこぼしつつ、妖夢は紙束を抱えて台所へ引き返していった。とぼとぼと。

   ■ ● ■

 ひょー……るるる……ぼーん!
「この勢いで一気にいくわ!」
「あら、霊夢。ちょうどいいところに」
「霊夢さーん、こっちこっち」
「え、あ、何? 二人して珍しい」
「あなた、よく食べ物に困ってたわよね? というわけでこの鶏を進呈するわ」
「……なんで紅魔館に鶏なんかが」
「実はですね。お肉や卵なんかを調達するために、紅魔館には秘密の養鶏場があるのですよ」
「ところが頭数の管理に失敗しちゃってね。数羽処分することになったのよ。お嬢様は鶏の鳴き声が嫌いだし」
「誰に引き取ってもらおうかって話しているところに、折りよく霊夢さんが来たというわけです」
「そ、それはよかったわね……えーと」
「メスばっかりだから卵も取れるし肉も美味しいわよ」
「ところで斬新な髪飾りしてますね。まるでチョウチョみたいな」
「あー、巫女センサーね……ま、まさか鶏に反応するとは思ってなかったけど」
「何? ……まぁいいけど、餌とかはその辺の雑草でもたくましく生きてくれるから、あなたでも育てられるでしょう」
「なんか、こう……助かるわ。ありがとう」
「いいのよ、気にしないで」
「お礼にこれをあげる」
「……なんですか? この紙束……真っ白ですよ」
「大事なものなのよ。館の全員に配ってくれると嬉しいわ」
「ふぅん……まぁ、分かったわ。配っておく」
「手間かけるわね。それじゃ、また」
「いつでもいらっしゃい」
「遊びに来るときは穏やかにお越し願いたいですけど、いつでも待ってますよー」

   ■ ● ■

 ずばーん!
「なんか調子狂っちゃったけど。まぁいいわ、次!」
「なんなのよ……」
 永琳はノートに書き込んでいた化学式を途中で切り上げ、突然現れた巫女に視線を向けた。派手な音を立てて開かれたふすまの向こうで、腰に両手を当てた霊夢が胸を張って立っている。
 彼女は一度左右を見回すと、迷いもせずにずんずんと永琳のもとまでやってきた。
「巫女センサーは獲物を逃がさない……さぁ、出すもの出してもらいましょうか」
「相変わらず問答無用な人ねぇ……何が欲しいっていうのかしら」
 巫女センサーやらなにやら、思い切り謎な言動が多すぎるとは思ったが、一切突っ込みは入れまいと心に決めて腕を組む。
 淡白な返事にも霊夢はのテンションは変わらず、匂いでもかぐように注意深く永琳を観察し始めた。眉根にしわを寄せ、いかにも真剣そうな表情だ。頭に触角が生えているのに気づいたが、突っ込まない。
「あなた、こう……なんたら頭脳とか、そんな感じのスペル持ってなかったかしら」
「なんたら頭脳って……えぇっと……オモイカネブレイン?」
「そう、それよ! 大至急必要なの、渡してちょうだい」
「オモイカネはずいぶん前に調子が悪くなって、使い物にならないわよ。故障したみたいで」
 元は神の一柱を指す言葉だが、真似て作ったものだから動作不良を起こしてしまって、いうことを聞かなくなってしまっていた。修理する気にもなれず、部屋の片隅に放置してある。
 霊夢は不満そうに表情を曇らせたが、数秒も沈黙すると妥協したように頭に手を当てて口を開いてきた。
「まぁ、仕方ないわ。一つでも多く欲しいところだし、わがまま言っていられないものね」
「別に持っていってもらって構わないけど、何でそんなものを欲しがるのよ」
 手振りで霊夢を招き、スペルを放置しておいた一角へ移動する。そのあたりはいらなくなったものが雑多に積まれていて、適当に整理しては適当に積んでいくという繰り返しで異様な雰囲気をかもし出していた。
 がさごそと余計なものをひっくり返していると、背中から霊夢の声が聞こえた。
「巻物にね、予言されてたの。今日中に異変が起こるらしいわ」
「ふぅん? それで異変を防ぐために、私のスペルが必要ってわけねぇ」
 異変とは穏やかではない。
「何が起こるのかしら」
「……あんたなら、知ってるんじゃないかと思ってたけれど」
「さて、思い当たる節が多すぎて見当もつかないわ」
 実際には予測もついたが、間違っていたら嫌なのでもちろん口にはしない。
 そうしてガラクタをかき分けていると、やがて目当てのものが顔を出した。腕を伸ばして拾い上げ、ざっと確認してから霊夢に渡す。
「そういえば、あなたが屋敷にきたっていうのにウドンゲが姿を見せないわね……何か知らない?」
「私が来る前に、血相変えて高台に走っていったって詐欺ウサギが言ってたわ」
「そう。他に何か、手伝えることがあったら聞くけれど」
 おそらくないだろうが。
 胸中でそう思っていると、意外にも霊夢は紙束を取り出して永琳に差し出してきた。手にとって眺めてみるが、なんのひねりもなくただの紙である。何も書かれていない。
「一体?」
「ここのウサギ達や輝夜に配って欲しいの。明るいうちは真っ白なままなのよ……今見ても、鼻で笑われるだけだから」
「手が込んでるわねぇ。どんな効果か知らないけど、皆に渡しておくわ」
 受け取り、もといた机まで戻る。いったんそこへ紙を乗せると、永琳は振り返って霊夢を見た。用事をすませた彼女はさっさと帰るつもりでいるらしい、出口と永琳の中間あたりで彼女のほうを見ている。
 永琳はクスリと笑って帰路を促した。
「急いでるんでしょう。また今度ね」
「うん、それじゃ、また」
 そう言い残し、霊夢は鴨居をくぐって退出していった。
 永琳はそれを目で追うでもなく椅子に戻り、再びノートの化学式を書き取り始める。
 きりのいいところまで書き終えると、今度は余白部分に猛烈な勢いで数式を乱舞させた。一分とかからずに答えまでたどり着き、しばし解を眺めて黙考する。異変の始まりはあと数時間といったところか。
「ふむ」
 彼女はひとつうなずくと、ウサギ達に紙を配るべく腰を浮かせた。
 長くなったので前後編に分けることにいたしました。梅雨の寒々しいお天気の中、いかがお過ごしでしょうか。腐りジャムです。
 ひょっとしたら題名だけで異変の正体が何か気づかれた方もいるかもしれません……まぁそれはさすがに多くはないでしょうが。マニアックな知識がないと分からない風に書いてしまいましたので、成り行きが謎な方はどうかご辛抱いただいて後編までお付き合いください。
 あ、後編を読む前に、記念に「異変の正体はきっとこれだぁ!」とコメントを残していただけると、嬉しい作者です。
 では、後編にて。
腐りジャム
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