※俺設定満載注意
よく晴れた日、白い雲のふわふわと漂う中で、如雨露の立てる優しい音と鼻歌とが
何とも心地よいハーモニーを奏でていた。
「あら、昨日ちょっとお水が足りなかったかな…ごめんね」
「ふふ、もう蕾が出てるのね。気の早い子」
「こっち、そろそろ植え替えてあげないといけないなあ…」
赤い髪が、色とりどりの花の中でくるくる翻る。歌はどこまでも楽しそうに、お天道様の光を浴びて。
そんな平和と静けさに彩られた場所、ここは紅魔館。
銀と鋼と紅玉で蜘蛛の巣のように繊細に編まれた、なのに破城槌にもびくともしない
美しい門を抜ければ、そこには刈り込み過ぎず適度に整えられた中庭があり、さらに
先には白亜の(と言ってよいものかどうかは知らないが)洋館が威風堂々と聳え立っていた。
また、道を横にそれて薔薇色の大理石組みのアーチを抜け、緑の小道を少し歩けば、幻想の中
でさえこの世のものとは思われぬような美しい真紅の花畑が見渡す限りに広がっていた。
その見渡す限りの花を世話し、館の中を手入れしているのは、たった一人の住人、赤い髪の
紅美鈴だった。
彼女がどこから来た誰なのかを知る者はいない。いや、そもそも館の敷地内にはどういうわけ
か人妖ともにほとんど近づかない。
住処としては涎の出るようなものなのに、まるで、ただの空き地のごとくに素通りして行くのだ。
ごく稀に立ち入る者もあるが、それらは全て…
「…ん」
急に視線を上げたかと思うと、彼女は花壇の石を踏み台に宙を駆け、素晴らしい速度で門へと
飛び出した。
門に辿り着くと、ちょうどそこには、二体の小さな動く人形を従えた少女が入って来ていた。
月の色の髪と品性薫る顔立ち、可愛らしい青のドレス。見た目に実に可憐な少女だったが、美
鈴の眼はその内に隠された恐ろしいほどの魔力の脈動を感じ取っていた。
「こんにちは。あなたはここのご主人かしら?」
鈴の鳴るような声で少女は尋ねた。
「こんにちは。いえ、私はただの番人です。主人の帰りを待っているのです。
失礼ですが、あなたのご用件は?」
笑顔で美鈴が問い返すと、
「そうね」
少女は美鈴をしばらく見つめた。その瞳は人形の硝子玉のそれのように透き通って、蒼い鏡の
ように眼前の相手を正確に映し出していた。
そして、何故か目を丸くすると、
「家が手狭になって来たから、二号工房に適当な場所を探していたの。
でも、どうやら私ではここの主人にはなれないわ。そこまで面倒ならべつに欲しくないもの」
「…」
美鈴は彼女をしばらく見つめ、頷いた。
「そうですか。でも、せっかくいらしたんですから、お茶でもいかがです?」
「あら、嬉しい。頂くわ」
「なかなかよく隠してあるわね、この館」
「ええ。主人が帰るまでは」
少女は話しながら、招かれた庭番小屋の中を無作法にならない程度に静かに観察していた。
よほど手入れがいいのか、床にはチリ一つ落ちていず、テーブルや床は磨き込まれて木目の縞
と飴色の艶を出していて、小物は全てきちんと整理整頓されていた。
テーブルクロスとカーテンは清潔な白のレースで、切子細工の花瓶には野の花が作法に則って
活けてあった。それらはいかにも、この小屋の住人の性質をよく表していた。
「えーと、これが私の故郷風のお茶。これが紅茶ですけど…どっちの葉にします?」
「せっかくだから、その故郷のお茶って言うのを頂こうかしら」
「わかりました。せっかくですから、お菓子もそちらに合わせますね。
ちょうど今朝焼いてたんですよ。あ、でも、こんなことなら二人分焼いておければなあ…」
よく喋る美鈴の嬉しそうな顔を見て、少女も思わず顔をほころばせていた。
「楽しそうね」
「あ、そうですか?ふだん誰も来ませんから、たまにひとと話が出来ると楽しくって。…あっ、
ごめんなさい。もしかしてうるさいですか?」
「ううん、そうじゃないの。ただそう思っただけだから気にしないで。…そう言えば、あなた
はいつからそんな暮らしをしてるのかしら?」
何気ない質問に、美鈴の動きがほんの一瞬ぴたりと止まった。
「…よく覚えていません」
「…そう。…あ、お湯沸きそうよ」
面倒な空気を見てとって、少女はすかさず話題を流す。それに気づいてか、美鈴は軽く頭を下
げて薬缶を取り、多めに沸かした湯で白い陶器のティーカップとポットを温めて、それから丁
寧に茶葉を入れて湯を注いだ。
菓子を取り出して少し待ち、すでに空気を高山の風のごとき爽やかな薫りで満たし始めていた
琥珀色の茶を注ごうとしかけたその時、少女はそれを留める仕草をした。
「あ、あなたのぶん、ちょっと私に注がせてもらえないかしら?」
「?いいですよ」
美鈴はポットを少女に差し出したが、彼女はそれに手を伸ばさず、こう言った。
「上海、蓬莱、お願い」
すると、彼女の従えていた二体の人形がふわふわ舞い上がり、ポットをうんしょ、とばかりに
持ち上げて茶を美鈴のカップに注いだ。肩に乗るほどのサイズの、可憐なドレス姿の人形がそ
れを行う図はとても愛らしく、美鈴は頬を紅潮させて目を輝かせた。
「やだ、可愛いっ!このお人形、ちょっといいですか?」
「ええ、どうぞ。ふふ、やっぱりあなたこう言うの好きなのね」
微笑む少女を横目に、美鈴は二体の人形をぎゅっと抱きしめて頬擦りする。人形達は、そのあ
まりの熱烈さに閉口するように腕の中でじたばたともがいていた。
「あ、ごめんごめん」
少ししてようやく気づき、人形達を離すと美鈴は少女に尋ねた。
「昔から可愛いお人形は大好きなんです。家にもたくさん飾ってましたよ。
あなたは人形師さんなんですか?」
「ええ、そうね。この子たちにはまだ無理だけど、いつか完全に自立した人形を造るつもりよ。
…あら、いけない。お茶冷めちゃうわね」
「あ、そうですね。そちらにはまだ注いでもいませんし」
あらためて茶を注ぎ直し、二人は静かにティータイムを始めた。
ぽつぽつと挟まれる会話は決して不足なく、静かながら賑やかに時間は進み、やがて黄昏が室内を金色に染めた。
「あら、もうこんなに外が真っ赤だわ。そろそろ帰らないとね」
「そうですか…またいつでもいらして下さいね」
「ええ、館の主人が来るまではね」
軽く手を振って飛び立つ少女たちの後姿を見送りながら、ふと人形の片方に視線が留まる。
「上海か…懐かしい名前を聞いたものね」
その眼差しはとても優しげで、その笑顔はどこかが痛いのを無理に堪えているかのような笑顔だった。
夕食を一人とりながら、美鈴は昔のことを何となく思い出していた。
それはもうずっと昔のことで、なのに今も少しも色褪せない。
彼女はかつて、外の世界の大きな大陸で人間として過ごしていたことがある。
女性ながら、生まれた家の複雑な跡継ぎ騒動の関係で、たまたま小さな地方の領主に就任していた。
彼女は民を愛し、民も彼女を愛してくれていた。その為政は丁寧で公平で、思いやりに溢れていると言われた。
今になって思えば、あそこまでうまく行っていたのは、領主自らが民に混じって畑を耕してい
ても目立たないほど小さく質素な地方だったからと言うのもあるのだろう。
「ご領主様、今年の菜種の作付けはどうしましょうか?」
「そうですね…一割増やしなさい。中央で油の使用量が増えているみたいですから」
「弟が大病で、今年の年貢がとても払えそうにありません。おらに肩代わりさせて下さい、ご領主様」
「まあ、帳面を書きかえれば内訳は同じですから別にいいですよ。
あまり無理しないで、きついようなら相談してね。何か考えてみますから」
「美鈴、あなたもそろそろ身を固めて、地方のろくでもない仕事なんかやめたらどうなの?」
「ご心配ありがとう、紅花。でもね、まだ結婚する気はないのよ。
私は楽しくてやってるんですもの」
日々のやりくりと中央への頭下げに終始した日々ではあったが、それでも人同士の支え合いのおかげで幸せでもあった。
他から見て苦しい状況も、生まれた時から当たり前なら苦しいとは感じない。
外来者の美鈴は別だが、彼女はわざわざ苦労を選んだ、いわば馬鹿だ。馬鹿に怖いものなどない。
いつだって幸せだった。
…国への侵略が開始されるまでは。
それは、中央政府の腐敗を隠れ蓑に、以前から、内部からじわじわと始まっていた。
そして、防壁が充分に弱まり、飢饉で大きな打撃を受けたその時に、とうとう侵略者は外から
も牙を剥いたのだ。
中央が入れ替わろうが、農民には大して変わりはない。
ただし、農民のいる場所が侵攻ルートでない限りは。また、侵略者が根深い恨みを抱いていな
い限りは。
国境近くにあり、しかも食糧備蓄を何とか行っていた美鈴の領地は格好の獲物だった。
また、その大陸では体面を非常に重視する文化があり、過去に名将に率いられたこの地の民の
ゲリラ的戦術で大軍を撃退されたことのある敵将は、この地を軒並み焦土にするつもりでいた。
美鈴は交渉をし、相手方の強硬な態度にすぐに諦め、必死に抗戦した。
彼女は妖怪仙人の血を引いていて、生まれながらに強い妖力を持ち、屈強な男の戦士も顔負けの働きを見せた。
自ら陣頭に立ち、赤い髪を野火のごとく地の面に疾らせて彼女が駆け抜けた後は、累々たる屍
が転がった。
けれど、やはり参謀に率いられた大軍に包囲されては勝てない。
過去の名将の時とは違い、飢饉の後で備蓄は少なく、しかも指揮官の美鈴は民を冷徹に駒とし
て扱うことが出来なかった。それでは勝てるわけがない。
やがて、城に追い込まれて篭城戦となり、苦しい戦いの末に彼女の愛した民は一人、また一人
と死んで行った。
そしてついに総攻撃が始まり、燃え盛る炎の中で彼女は血路を切り開こうと奮戦した。
しかし、いつしか周囲に誰もいなくなったのに気づいた彼女は、絶望の涙と共に、
愛したかつての緑の野、今は焼け果てた大地の上を突っ切り、たった一人で敵の本陣に切り込んでいった。
血で余すところなく染まった鎧と服、柄がへし折れて短くなった青龍刀、折れて用をなさない
左腕、矢の突き刺さった肩と背中…満身創痍なのに、どれだけ斬られ、刺され、叩かれようと
も、一言も発せず涙を流しながら戦い続け、その周りには屍の山が築かれた。
やがて、怒りすらも使い果たして仁王立ちのまま動けなくなった彼女に、敵は遠巻きにして無
数の矢を射かけ…
気がつけば、見慣れない館に倒れていた。
美鈴は聞くこともなく知っていた。誰が彼女を呼んだのか。何のためなのか。どこに呼んだのかを。
自分に属するものと自分の属するもの全てを失って、最後に残った自分さえも捨てようとした
その時、彼女の人の世との繋がりはひどく薄まった。
そこに更に何かの要因が後押しをして、彼女はこの幻想郷に呼び込まれたのだ。
今住んでいる、この館によって。
この館は一言も口を利いたことはないけれど、本能的に分かる。それは、主を求めていた。出
来た時から定められている、いつか来るただ一人の絶対の主を。そして、主が現れるまでに、
館はよく手入れされていなければならない。
館はそのための管理人を探し、都合のよいタイミングで人の世との繋がりを失って幻想の境界
に浮いていた美鈴を丁度いいと幻想に呼び込んだのだ。
初め、彼女はぼんやりと、飲み食いすらせずに日々を過ごしていた。
何かをする気力など残っているはずもなかったのだから。
だが、いかなる暗雲もいつかは吹き払われるもの。ある日、花びらと共に吹き込んだ一陣の風
によって彼女の暗雲は吹き払われたのだ。
少しの間は、ぼうっとそれを見ているだけだった。しかし、徐々に、雲の切れ間から陽光が這
い出すように、ゆっくりと彼女の瞳には色が戻り…操り人形のようにふらふらと立ち上がると、
花びらを拾ってまじまじと見つめた。双眸が衝撃に大きく見開かれた。
しばしの絶対的な沈黙の後、弱った身体の許す限り速く、彼女は風の来た戸口に歩き出した。
妖怪の生命力のおかげでいくつかの膿んだ深い傷を除けば身体の傷こそふさがっていたが、飲
まず食わずと希望を失っていたことで何と身体が弱っていたことか。
その遅々とした歩みたるや自身でもじれったくてたまらなかったほどだ。
外にまろび出て、彼女はぴたりと動きを止めた。
すると、手入れもなく荒れた庭の花畑の跡、ちょうど彼女の眼前の場所に咲いていたのは、今
はもう失われた彼女の小さな花畑に植えてあったのと同じ、名もなき小さな紅い花。
無駄にする土地などない村に、それでもせめて人の心の慰みにと、彼女が自分の土地に造った
その花畑で、皆はときどき笑顔を見せていた。
「…あぁ…」
全身の息を吐き出しながら膝を折った。
そして、雷鳴のように突然に激しく、自分はまだ生きるべきだと彼女は悟った。
何故か?理屈などは必要ないのだ。そう求められているのを感じられさえすれば。
それから、彼女はずっと、死んだ人々の供養をしながら、館と庭の手入れをして過ごして来た。
花畑が彼女の世話で広がって色鮮やかになったのと同じように、その生活に安らぎの優しい色
を見出し始めてもいた。
しかし、かすかな不安もある。
彼女はあくまで管理人、まことの主が訪れた時には、彼女はここには…
頭を振ってその考えを振り払いながら、夕食の後片付けをして彼女は早々と眠りについた。
それから数週間が何事もなく過ぎ、そのまた次の数週間の最後の日のこと。
門に近づく気配を感じ取り、美鈴は寝床から跳ね起きて門へと向かった。
今までにないほど強大な侵入者ということは判った。果たしてこれが館の主人なのか。
館の願った通りに試し、主でないならば、今までと同じように帰ってもらわねばならない。
「あら。先客がいたの?」
そこには、少女が立っていた。
その髪は陽の光さえ届かぬ空の高みの昏い蒼、瞳は紅い夜の月。肌は処女雪で、唇は真新しい
鮮血。一目で心を奪われて立ち尽くすほど美しく、足が震えるほど恐ろしい。
背の黒き翼と口元の鋭い牙は、紛れもなく悪魔の、吸血鬼の証…!
「…このような夜更けに何の御用でしょうか。
私はこの館を預かる者。主の帰還まで、ここは固く閉ざされています」
掌に爪を食い込ませて恐怖をぐっと堪え、美鈴ははっきりと告げた。
少女は目を丸くし、次にはさも面白そうに口元をほころばせた。
「それでも入り込もうとしたら?」
「その時は」
美鈴は無造作に足を開いて自然体に構え、
「拳にかけても阻ませていただきます」
後編に期待しまっす。
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はっはっは。ここまで来て何をいまさら。
後編読んできますね。