Coolier - 新生・東方創想話

歳月のみぞ識る 《後編》

2006/06/12 06:46:48
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※この作品は三編構成の第三話にあたります。
 前、中編は作品集30にて公開中です。さきにそちらをお読みください。
 なお全編にわたり私的解釈がふんだんに盛り込まれております。

 ↓これより本編スタートでござい






 冥界白玉楼。
 閻魔の元で裁きを受けた魂のうち、迷いや未練があるものがたどり着く場所。
 入り口たる巨大な結界門をくぐり、長い階段を上った先、
 突如として現れる巨大な庭。
 二百由旬と、主が豪語するが、それもいささか本当に思えるほど広い敷地。
 そこを魂達が漂う光景はまさしく幻想的の一言に尽きる。


 その庭を、腰に刀を携えた初老の男が歩いている。
 整った顔立ちに凛々しく引き締まった表情とが合わさって、威厳を醸し出していた。
 彼の名は魂魄妖忌。
 現世を離れ、死者の住むべきこの冥界に今は身を置いている。
 あの日から、もはやどれだけの月日が流れたかはわからない。
 半人半幽霊という非常識な存在に身を変えてから、随分と延びた寿命を使って、
 彼はこの白玉楼へとやってきたのだ。
 どうやってここまでやってきたかは妖忌自身もよく覚えていない。
 ただある人を探し続ける旅の最中、迷い込んだこの郷で、冥界の亡霊嬢の噂を聞いた。
 噂で聞いたその名は忘れるはずのないもの。
 妖忌はすぐさま冥界へと向かい、長い長い年月を経て、ようやく彼女との再会を果たしたのである。
 そのずっと探し求めていた彼女だが――



「妖忌ー、お腹が空いたわー」
 屋敷の方から届く主の声。
 しかしそのあまりにもな内容に、妖忌は苦笑を漏らすと同時に呆れの息をつく。
「すぐ参ります」
 一瞬のうちに白玉楼へと舞い戻る。
 それくらいの早さがなければ、この白玉楼で従者としては生きられない。
 妖忌は今、この屋敷で庭師として勤めている。
 庭師と言っても、その仕事が主であるだけで雑用全般をこなしていた。
 仕える相手はただ一人。
「ごっはん、ごっはんー♪」
 喜々として食膳の到着を待つ、西行寺幽々子その人である。
 名が生前のままなのは、彼女が「西行寺幽々子」としてここに来たからだ。
 それが何故なのかは彼女自身にもわかっていない。
 ただ自分が西行寺幽々子という亡霊だということだけが、彼女が知る唯一の自身のことである。
 本人はそれだけわかっていればいい、と気にしてない。
 死んだのだから生前のことを忘れてしまうのは、当然至極のことなのだが、
 以前の自分を知らぬということが、ここまで性格を変えてしまうものなのかと、
 そう思わせるくらい幽々子の性格は変わっていた。


 幽々子は生前比べて随分明るくなった。
 よく笑いもするし、怒りもする。
 感情が豊かになったと、そう考えると良いことなのだが、少々我が侭になって
 しまった感じも否めないのが事実である。
 まあそれは然したる問題ではない。
 妖忌が今の幽々子に対して、気にかけていることは二つ。
 うちの一つは……まあこれも考えようによっては然したる問題ではないと考えられる。
 どんな問題かというと、今目前にいる幽々子を見れば一目瞭然。
 ただ普通にご飯を食べる幽々子。
 別に亡霊だから食べなくても良いのだが、食べること自体を楽しんでいるらしい。
 ただそれだけならば、全く問題ではないように思える。
 しかし……
「幽々子様、もう飯櫃三膳目でございます。そろそろ昼食はここらでおやめになったほうが宜しいかと」
「えぇ~っ」
「箸を咥えるのははしたのうございます」
 幽々子が物欲しそうな瞳で懇願するも、妖忌はそれを是としない。
 彼女の大食癖は尋常ではない。
 一回の食事で飯櫃三膳を軽く平らげ、それでも尚足りないという。
 その細い体の何処にそれだけの質量が入るのかが疑問に思われるが、
 本来摂る必要のない食事故に、いくらでも食べられるのだろう。
 そもそも幽霊相手に質量云々の話は無意味である。


 最も厄介なもの、それはもう一つの問題の方だ。


 ★


 午後の勤めも終わり、後は夕餉を運ぶだけとなった妖忌。
 妖忌が来るまでは適当に亡霊を操って身の回りの世話をさせていた幽々子だが、
 より働いてくれる妖忌が来てからは、すべてのことを彼に任せるようになっている。
 それだけ妖忌にかかる負担も大きくはなるのだが、それを苦としないのが
 彼の幽々子に対する忠誠の証と言えよう。
「幽々子様、夕餉をお持ちいたしました。入りますよ?」
 妖忌の言葉をとても楽しみにしていたように、嬉しそうな声が帰ってくる。
「はぁ~い、どうぞー」
 箸を両手に持って今か今かと待ち受けている幽々子。
 目の前に茶碗があれば、両手の箸を使ってチンチンと音を鳴らしているだろう。
「幽々子様、わかりましたから、そう焦ら――」
 困ったように笑う妖忌の顔が、一瞬にして険しくなる。
 そして幽々子に差し出していた茶碗を引っ込めた。
 勿論幽々子は怒って異を唱える。
「何をするのよ」
「幽々子様、“また”お力を使われましたな?」
 妖忌が見つめる先には、幽々子の周りを漂う人魂達。
 冥界の姫として、幽々子を慕う亡霊は多い。
 しかし……。
「だって、冥界も賑やかな方が楽しいでしょう?」
「それでまた一人、死に誘われたのですか……」


 幽々子は主に死を操る程度の能力を持つ。
 生前は“人を死に誘う程度の能力”の持ち主であったが、死んで亡霊になった後
 その力はより操作可能になったらしい。
 問題となっているのは、彼女がその力を不用意に使いすぎているということだった。
 時折外界の人間をその力で死に誘っては冥界へと招き入れている。
 生前の幽々子なら、まず取らない行動だろう。
 この問題に付随するもう一つの問題は、幽々子の手によって殺された魂は、
 自身が死んだことに気づかずに冥界へと迎えられるため、
 成仏ができずに冥界に残り続けるのだ。
 輪廻転生という流れを断ち切ってしまう幽々子の力は、そうそう不用意に
 使って良いものではないのである。


 しかし、今の幽々子に死を説いたところで「のれんに腕押し」でしかなかった。


 ★


 どうにかして幽々子に命の大切さを教えることはできないものか。
 妖忌は庭の手入れを行いながら、そればかりを考えていた。
 今の幽々子は死に誘うことを楽しんですらいる。
 いとも簡単に死を操ることのできる彼女に、どうすれば……
「はろー☆」
 主君のために、あれやこれやと思案しているというのに、
 それを邪魔するかのようなタイミングで現れる。
「いつにも増して眉間にしわが寄っているわよ」
 それはお前のせいだと言いたくなるのをぐっと堪える。
 今はこんな奴の相手をしている場合ではないのだ。
「約束通り再会できたっていうのに、つれないじゃないの」
 頬をつんつんと指差されるが、その程度で精神を乱すようでは修行不足である。
「もぅ……昔っから堅物だったけれど、さらに拍車がかかってるわね。
 そんなだから幽々子の気持ちにも気づいてあげられなかったのよ」
「それは関係ないだろうっ!」
 ついに根負けし、怒号を放ってしまった妖忌。
 根比べに勝った相手はにんまりと勝利の笑みを湛えている。
「ようやく相手をしてくれる気になったかしら」
「今日は何だ。幽々子様に用があるなら直接屋敷に行けばいいだろう」
 嘆息混じりに答える妖忌。
 対する相手はそんな対応にも嫌な顔一つ浮かべない。
「まずはお庭番の許可をもらうのが当然の礼儀でしょう?」
「妖怪風情が礼儀を語るとはな……お前こそ、人間臭さにいっそう拍車がかかっているぞ」
 嫌みで言われたのはわかりきっているのに、それを嬉しそうに受け取る。
 そんな相手を見ると、またため息が漏れた。
「それで、今日はなんの用なのだ……紫」


 八雲紫、彼女もまたこの幻想郷に住み着いていたのだ。
 彼女も彼女なりに幽々子を探していたのだろう。
 あの日に交わした“約束”通り、二人は幽々子の元で再会を果たしたのだ。
 しかし、だからといって以前よりも親しい関係を築くでもなく、
 以前と変わらず、胡散臭い妖怪と堅物の人間という奇妙な間柄のまま
 彼等は互いの生活を営んでいた。
「別に用という用ではないのだけど」
「ならば帰れ」
 どんな言葉も受け付けない響きを伴ってぴしゃりと否定する。
「酷いわね。せっかく悩みがあるようだから聞いてあげようと思ったのに」
「要らぬ世話だ」
「それだから幽々子の……」
 ぐっ、と妖忌は言葉を詰まらせる。
 それを言われると妖忌は弱い。


 西行妖と共に幽々子が消えたあの日、つまり妖忌が旅に出た日。
 彼は幽々子がしたためていた日記を旅の共に持って行ったのだ。
 それを読んで初めて幽々子が自分を恋慕っていたことを知り、
 後悔の念にとらわれていたのである。
 今はそのような間柄を考えることはない。
 幽々子が生前の記憶を失っているのもあるのだが、一番の理由は
 彼自身の決意によるものが大きい。
 妖忌は彼女の従者として生きる道を選んだのだ。
 しかし、だからといって生前の幽々子に対する後悔が消えることはない。


 紫はそれを知っていて、時折そのように意地悪く言うのだ。
「幽々子のことで悩んでいるんでしょ」
 否定してもどうせまたしつこく言ってくるに違いない紫に向かって、
 妖忌は少し怒気を孕ませながら強めの口調で答えた。
「あぁ、そうだ。だがこれは従者たる儂の役目。お前の力添えは必要ない」
 言外にこれ以上相手はしないと妖忌は庭仕事を再開する。
 強情ね、と言い残し、紫は屋敷の方へと歩いていった。
 これ以上茶化しても妖忌は反応しないだろうと分かっているのだ。



 本当に……どうすればいいのだろうか。
 剣を教えたり、日常作法を教えるのとはまるで話が違うこと。
 このまま冥界に不要な霊を増やすわけにもいかない。
 どうにかして打開策を見つけなければ。
 そのように思案するようになってから、随分と時は経ってしまった。


 そして未だ良案は浮かんでいないのである。



 ★


 妖忌がそう悩んでいても、冥界はいつものように日々を送っていた。
 時折幽々子が招く霊に加え、閻魔の元でここに来るように言い渡された霊が集まり
 冥界を賑わせている。
 気まぐれで幽々子はそんな霊達と共に宴会を開いたりして、
 自身も共に楽しんでいた。
 紫もちょくちょくやってきては、幽々子と酒を飲み交わしたりしている。
 ただ一人、妖忌だけが脳天気に日々を楽しんでいなかった。



「ねぇ妖忌、ちょっと来てくれないかしら」
 庭を散歩している幽々子に呼ばれ、妖忌はその元に出向いた。
「何用ですか」
 昼食の準備をしていた妖忌は、火にかけたままの鍋を心配しつつ、
 五秒もしないうちに幽々子の元に参上する。
 妖忌を呼んだ幽々子は、庭の隅でなにやら首を傾げていた。
「妖忌、これはいったい何なの?」
 言いながら、自身の腕の中にいるそれを妖忌に見せる。
 どれどれ、とのぞき込んだ妖忌は目を見開いて驚愕を露わにした。
 幽々子が抱いていたのは、人間――それも年端もいかぬ赤子である。
 妖忌が驚いたのは、その赤子が死者ではなく、歴とした生きた人間であったからだ。
「ねぇ妖忌。なんで生きた人間がここにいるのかしら」
「いや、私にもさっぱり……」
 冥界に来るのは迷える霊魂だけのはずだ。
 妖忌のように半人半幽霊など特別な存在でなければ入ることはできないはずだ。
 何か特別な力を持っているかとも考えたが、そんな様子は全くない。
 しかしその赤ん坊を見ていて、すぐに気づいたことがあった。
「幽々子様、この赤ん坊……」
「どうしたの?」
 幽々子は気づいていないらしい。
 彼女自身は亡霊だから気づかなくて当然かもしれないが。


「この赤ん坊、もうすぐ息絶えます」


 その赤子が命尽きようとしているのはすぐにわかった。
 血色のない顔色。
 不自然なほど動きのない様子。
 寝ているだけとか、お腹が空いている等とはまったく違う。
「死にそう……なの?」
「えぇ……私は医者ではないので詳しいことは言えませぬが、
 この様子だと今日一日保つかどうかも微妙なところと判断します」
 もし医者がいたとしても、どのみちもう手遅れだと言われるだろう。
 医者でない妖忌が見てもそう思えるほど、赤子は死にかけていた。
「どうして……こんなに苦しそうなのかしら」
 幽々子は赤子が死に絶えようとしている様子に困惑の表情を浮かべている。
 これまで死を誘うことを楽しんですらいた彼女にとって、
 死を拒もうと必死にもがく命を見たのは、死んで初めてのことだったのだ。
 彼女が死に誘う命は、死を拒むことすらできずに死を迎えるからである。
 そんな幽々子に対して、妖忌ははっきりと言った。
「それは、死を迎えようとしているからです」
 どんな幼子でさえ、自身の命が絶えようとしていれば本能的に拒む。
 死がどんなものかがわからなくとも、死というものを本能で感じ取っているのだ。
「死ぬ事って……そんなに苦しいことだったの?」
 生きるということ、死ぬということ。
 今、それを彼女に伝えなければ二度と彼女にそれを伝えることはできないだろう。
 妖忌は粛々と、だが簡潔に伝えるべき事を話した。
「はい。命にとって死は一度しか訪れません。だからこそ命は死を拒もうとするのです。
 自身の、そして他の命がどれだけ大切かを生まれたときから知っているからこそ、
 命は死を拒もうともがくのです」
 初めて見た死への苦しみと恐怖。
 それが幽々子にどんな感情をもたらしたかは定かではない。
 しかし、少なくともまったく影響は皆無であったとは思えなかった。
 それは幽々子が次に発した一言で理解できる。
「助けてあげることはできないの……?」
 今まで命を奪うだけだった幽々子が、初めて命を助けたいと言った。
 妖忌はその言葉に答えてあげたかったのだが。
「それは……無理でございます」
 助けられるものなら助けてやりたい。
 幽々子がそう言ってなくても、助けられる望みがあるなら最初からそうしていた。
 しかし、誰が見ても死は免れないと判断されるであろうこの赤子を死の淵より救い出す方法はないのである。


 いや、方法がないわけではない。


 妖忌はたった一つだけ、この赤子を生き存えさせる可能性に気がついた。
 それがこの赤子の為になるかどうかはわからない。
 だが幽々子の願い、何よりこの赤子の未来のために、もはや手段は問うていられない。
「幽々子様、この赤子を助ける方法が一つだけございます」
「本当っ!?」
 妖忌の頷きに、幽々子の顔が綻ぶ。
 だがその方法のためには、ある人物の強力が必要不可欠となる。
 その旨を聞いた幽々子は、すぐに使いの死蝶を呼び出すと、
 目的の人物がいる場所へと、飛び立たせた。


 ★

 それからしばらくして――使いがうまく到着したのだろう――呼ばれた者がやってきた。
「いったいなんの用なのよぉ……気持ちよく寝ていたら藍に叩き起こされたわ」
 スキマから眠たそうに目をこすって顔をのぞかせる紫。
 幽々子が呼んだのは彼女だったのだ。
「ほら、妖忌。紫を呼んだわよ」
「なに? いつも私のことは邪険に扱うくせに、自分からの用事は無理矢理なのね」
 紫はいつもの調子で話すが、いつものように対応している場合ではない。
 妖忌は赤子を幽々子から受け取ると、紫の目の前に差し出した。
「あら、食料?」
「よくもまぁそんな冗談が言えるものだな」
 片手で楼観剣に手をかける。
 妖忌達のただならぬ雰囲気に、紫もそれ以上の巫山戯た振る舞いは見せなかった。
「この赤子を救いたい。それにはどうしてもお前の助けが必要なのだ」
 紫はまじまじと赤子を見ていたが、しばらくして顔を離した。
「そうは言われても私は医者じゃないわよ」
「それは言われなくてもわかってるわ」
 本当に切迫しているこの状況がわかっているのか怪しい発言をする幽々子。
 本人はいたって本気なのだろう。
 このまま話が脱線しても困るので、妖忌は軌道修正のために口を挟む。
「幽々子様、今はそんなやり取りをしている場合ではありません。
 紫、もう分かっているのだろう。儂が何を言っているのか」
「わかってるわよ。まったく妖怪使いが荒いわね」
 ぶつぶつ言いながらも指示に従い、赤子の上に手をかざす紫。
 念じるように瞳を閉じる。
 しばらくすると、赤子の体から人魂が抜け出てきた。
「妖忌、これはどうなったの」
 幽々子の問いかけに妖忌は自分の半身を指差しながら説明する。
「紫殿はあらゆる境界を操作することができます。それは生と死の境界に及ぶまで。
 私と同じように、この赤子の生と死の境界を曖昧にしてもらったのですよ。
 そうすればまだ長い時を過ごしていられます」
「そういうこと。それでこの子はどうするのかしら」
 妖忌の言葉に相づちを入れる紫。
 彼女の問いに対する答えは、とうに決まっていた。
「この子は半分とはいえ死んだもの。ここは死者がいるべき冥界に住まうのが当然。
 そして図らずとも私と同じ体となった。その選択をとった私が責任を持って育てよう」



 ★


 それからまた永い時が経った。
 白玉楼は相変わらず、幽霊達が気ままに漂いゆったりとした時間が流れている。
 死者の世界に時間の概念があるのは不思議に思われるかもしれないが、
 それを感じているのは妖忌と幽々子のように特殊な者だけだ。
 所詮時間というものは感じる者の主観が捉えて初めて意味を成すのだから。

 閑話休題。
 そんないつも通りの白玉楼――
「うわぁぁぁぁぁぁぁん」
 ――のはずだったのだが。
 屋敷に響き渡る幼子の泣き声に、妖忌はやれやれまたか、と肩を落とす。
 がらりと勢いづけて襖を開く。
 居間として利用しているその部屋には、幽々子と若草色のワンピースに身を包んだ
 小さな女の子がいた。
 泣いているのはその少女の方である。
 幽々子は困ったようにおろおろしていた。
「どうされたのですか」
 ため息混じりに尋ねる妖忌。
 あまりこの状況を大変だとは思っていないようだ。
 妖忌の姿を見つけた少女は、その腰にしがみつき泣きながら訳を話す。
「おじいさまぁ、ゆゆ様が、わたしのおやつ食べたぁ」
 やはりそういうことか、と妖忌はこめかみに拳を当てる。
 彼はしがみついて泣く少女の肩を抱いて、その目線に合わせて腰を下ろす。
「妖夢、その程度で泣いてはいかんぞ。幽々子様は儂とお前が仕える主君だ。
 どのような仕打ちを受けてもよほどのことがない限り、それを受け入れる
 強さを身につけなくてはならん」
 妖夢と呼ばれたこの少女。
 彼女こそ、白玉楼で拾われて半人半霊となったあの赤子である。
 見た目は生きた人間で考えれば、四、五歳程度。
 しかし生きた年数は遙かに長い。
 長いことは長いのだが、まだ精神年齢は幼いようだ。
 そんな幼子に主君への忠誠心を説いても、よく分からないとは思うのだが、
 妖忌は自身の跡取りとして育てているため、その辺りにも余念がない。
 しっかりとした妖忌に仕付けられているためか、妖夢は真っ直ぐに育っている。
 難しいことを言われても、頑張って飲み込もうと真剣に聞いている。
 泣くなと言われれば目元を拭い、鼻水を拭いて我慢する。
「よし、良い子だ」
 頭を撫でてやりながら、妖忌は微笑みを妖夢に向ける。
 しかし反面その目の端で、こっそりと部屋を出ていこうとする姿を見逃しはしなかった。
「幽々子様」
 ぎくり、と体を震わせて立ち止まる。
 後一歩の所で逃げ出せたのだが、それを許すほど妖忌は甘くない。
「そこに座っていただけますな?」
 あくまでも従者として口調は丁寧だ。
 しかしそこに含まれる威厳や迫力は逆らえない響きを含んでいた。
 妖夢を隣に座らせて、幽々子と妖忌は向かい合う。
「いくら従者見習いといっても妖夢はまだ幼子です。そんな子供から
 食べ物を奪うなど、主君のやるべき事ではございませぬぞ」
 妖忌の説教に、さすがの幽々子も大人しくなる。
「まったく……少しは冥界の主としての自覚も持って頂きたいですぞ。
 それだけの力があるのですから、もっと勉学にも励み、霊達をまとめられる
 カリスマを磨いてもらわなければ……そもそも幽々子様はですな」
 年を取ったためか、説教くさくなってしまった妖忌。
 幽々子は耳を塞いで、口をとがらせている。
「幽々子様っ」
 そんな幽々子に妖忌は声を大きくして窘める。
 ふと妖忌は足下に違和感を感じて、その方を向いた。
「おじいさま……ゆゆ様いじめちゃ、だめです」
 妖夢がうるうると瞳で、しかしそれでいてしっかりと妖忌を見据えていた。
 こんな幼子、といったのは妖忌。
 その幼子である妖夢に、彼は窘められてしまった。
「わかった……すまないな、妖夢」
 妖忌は再び幽々子の方に向き直ると、頭を深く下げて言った。
「幽々子様、出過ぎた真似ご無礼いたしました。従者たる身分を忘れ、
 不遜な態度を取ってしまったことを、お許しください」
 頭を下げる妖忌に幽々子も拍子抜けしてしまう。
「えっと……私も、ごめんなさい」
 向かい合って互いに頭を下げるという滑稽な二人。
 そんな主と祖父の姿を交互に見て、妖夢も倣うように頭を下げた。


 ★


 盃に映る月影に目を落として、それを一気に流し込む。
 喉が焼けるような感覚の後、体の芯から脳へと突き抜ける心地よさ。
「流石、良い飲みっぷりねぇ」
 妖忌の空いた盃に酌をする紫。
 月に照らされた横顔はほんのり朱がさしている。
 妖忌と紫しかここにはいない。
「それにしても今日はいつになく良い月夜だわ」
 空を見上げると、美しい円を描く純白の月がこちらを見下ろしている。
 その月を愛でながら、二人は盃を口へと運ぶ。
 ゆったりとした時間だけが流れていく。
 言葉少なに、ただ酒が踊るちゃぷちゃぷという音だけを聞きながら、
 二人はもう何時間もこうして縁側に座っていた。
「夜中なのに幽々子はもう寝ているのね」
 ふと紫はいつもならここにいるはずの、もう一人の名を口にした。
 その呟きに妖忌は酒を飲みながら頷く。
「妖夢と一緒にな」
 もはや育ての親としての顔つきが当たり前となった妖忌に紫は微笑んだ。
「すっかりおじいちゃんになって」
 妖忌は照れを隠すように酒をあおった。
 紫も自身の盃の中身を一気に喉へ流し込む。
 二人は揃って口から盃を離し、大きく息をついた。
 場を仕切り直した妖忌。
 今度は自分から話を切り出す。
「紫、お前だな……あの日、妖夢を白玉楼へ招き入れたのは」
 その質問に紫は隠すことなく答える。
「今頃になって言うことかしら」
「今だから聞くのだ。どうして妖夢を」
 紫は徳利から盃へ酒を注ぎながら、その問いに応じる。
「幽々子を好いているのは、貴方だけではないということよ」
「茶化して誤魔化すな」
「あら、私はいつだって本気よ」
 妖忌はそれ以上言及せずに、盃を傾ける。
 しかし先程飲み干したので中身はない。
 そんな妖忌を見て紫の微笑みはさらに輝きを増す。
「はい、どうぞ」
 紫の酌を頂戴しながら、妖忌は再び話を戻した。
「たまには真面目に答えたらどうだ。いつだって真面目、などと言っても
 説得力がないことくらいわかっているだろう」
 先に言われることを言われてしまった紫は、困ったような笑みを浮かべる。
 そして観念したように話を始めた。
「幽々子がどうして魂を招いているか、貴方は知っているのかしら」
「気まぐれだと存じている」
「あの子が気まぐれ程度でそんなことはしないわよ」
「だったらお前は知っているのか」
 勿論、と紫は片目をぱちりとさせる。
「寂しいのよ……あの子はね」
 そう告げたときの紫の表情が、一瞬だがとても寂しそうに見えた。
 しかし本当に一瞬の出来事で、妖忌は自身の目を疑ったくらいである。
「長い間をたった一人で生きることは誰しもが耐えられないこと。
 ましてや幽々子は生前からその孤独と戦い続けていたのよ。
 貴方が側にいることで、幾分かはマシだったようだけれどもね」
 紫はさらに続ける。
 妖忌は盃に映る月を見つめながらそれを聞いていた。
「貴方の思っていたように、少し前の幽々子は死への概念を忘れていたわ。
 生前の記憶の中でもっとも忘れたかった事だからでしょうね。
 それに加えて寂しさに耐えられなかった幽々子は、容易に死へ誘っていた」
 寂しいから人を招く。
 孤独だからその力を使うことを厭わない。
「そう、だったのだな……確かに妖夢と過ごすようになってからは、
 あの力を使ったところは一度も見たことがない」


 幽々子は死の持つ意味を知った。
 寂しかった時を、共に過ごす新しい家族も増えた。

 孤独を埋めるために使っていた力も、もう使わなくても良くなったのだ。
 妄りに使ってよい力でもないと、気づくことができたのだ。


「紫、儂はお前ほど胡散臭い妖怪はいないと思っている」
 唐突にそんなことを言われ、紫は頬を脹らせる。
 妖忌の顔がいたって真面目であることが、よりいっそう彼女を腹立たせていた。
「何よ、冗談で言っているなら笑い飛ばせもしますけれどもね――」
「だが、同時にお前ほど信用できる妖怪もいないと思っている」
 妖忌は盃を脇に置くと、きちんと座り直し、紫に向かって頭を下げた。
「礼を言う」
 勝手に話を進める妖忌に、ただ紫は目を瞬かせるだけだ。
 そして礼を言われたことに、数秒してから気づくというなんとも彼女らしくない反応を見せる。
「まったく……貴方もそうとう変わり者だわ」
 ふい、とそっぽを向く紫。
 妖忌は再び縁側から足をおろすと、自身の盃に酒を注いだ。
 そして庭のある一角に視線を移す。
 そこには巨大な大木が、その巨体を誇示していた。
 その木は妖忌がここに来る前からずっと植わっていると幽々子から聞いている。
 妖忌はその木に見覚えがあった。
 いや、忘れようはずがない。
 花は一つもつけていないものの、それが桜の木であることも妖忌は知っている。

 西行妖。

 幽々子と共に、その姿を消した妖怪桜だ。
 どういう因果か、あの桜もこの白玉楼にやってきている。
 紫と再会したときに、妖忌はまっさきにそのことを聞いた。
 そして紫は教えてくれた。
 西行寺幽々子の魂と、西行妖という桜の関係について。
 それは永遠にこの冥界から逃れられない二者の運命でもあった。


「紫よ」
 紫の盃に酒を注ぎながら、妖忌は彼女を呼ぶ。
 呼ばれた紫はまだ不満げに眉根を寄せてはいるが、その呼びかけに応じた。
「何かしら」
 注がれた酒を揺らめかし、そこに浮かぶ月を弄ぶ。
「これからも妖夢と幽々子様を見守ってくれ」
「久しぶりの約束ね。どういった風の吹き回しかしら。妖夢のことだって
 もう少し早く聞いていても良かったと思うけれど」
 妖忌はふっと笑みを漏らす。
 それが何を意味しているのか、紫はなんとなく察しが付いた。
「妖忌、ここを出ていくの?」
 何も返さないところを見ると、肯定と受け取って良いのだろう。
 紫はそれを言及することはせず、妖忌が口を開くのを待った。
「今すぐというわけではないがな」
 しかしいつかは出ていく、そういうことだ。
「どうして? 幽々子の側に一生仕えると思っていたけれど」
「儂にはできないことを、妖夢ならばやってくれる。
 まだまだ未熟ではあるが、その兆しが見えてきているのでな。
 もう少しあの子が成長すれば、儂はここを離れようと思う」
 妖忌はもはや自分には幽々子に対してできることはない、悟ったらしい。
 本当にそうか、と尋ねることもできるだろうが紫はそうしなかった。
 妖忌はもう何十年以上も幽々子の元に仕えている。
 その彼がそう決意したのなら、何も言うことはあるまい。
「貴方が“約束”を持ち出すなんて、よほどのことですものね。
 わかったわ。約束してあげる」
 妖忌は再び礼を返すと、酒を持ってくると言って立ち上がり台所へ歩いていった。
 残された紫は、盃に残った酒をぐいと飲み干した。
 酒で火照った顔に、夜の涼しい風が心地よい。
 妖忌とこうして二人で飲むのも最後になるかと思うと、どこか感慨深さを覚えつつ、
 次の酒が来るのを待つのであった。



 ☆


 ふわふわとした心地よい感じ。
 温かな感触に体全体が包まれている。
 身も心も安らぐ穏やかな微睡み。
「――……ん」
 ゆっくりと目を開ける。
 辺りは暗い。
 寝起きの頭でぼぅーっと考える。
 考えている内に、みるみる頭が起きてきた。
 それと同時に妖夢の顔がみるみる青ざめる。
「今何時っ」
 がばっと体を起き上がらせる。
 確か自分は衣装箪笥の整理をしていたはずだ。
 そして小さかった頃の服を見つけて、それから……
「それから……どうなったんだっけ」
 すっぽりと抜け落ちた記憶に焦る妖夢。
 まさか仕事の合間に居眠りをしてしまっていたというのだろうか。
「早く幽々子様のご飯を作らないと」
 暗さから考えてとうに夕食の時間は過ぎている。
 幽々子が催促をしているはず――が聞こえない。
 そもそも寝ていようものなら、叩き起こされているはずだ。
「って、幽々子様っ!?」
 自分の隣で寝ているのは、どう見ても幽々子本人だ。
 気持ちよさそうに寝息を立てている。
「なんで幽々子様が私と同じ布団で寝ているのっ」
 まさかよからぬ事態を起こしてしまったのだろうか。
 起きるまでの記憶がないから、絶対にとは言い切れないところが尚恐ろしい。
 焦りまくる妖夢の隣で、その焦りの原因たる幽々子が目を覚ます。
「あらぁ、妖夢。起きたの?」
「は、はい……ってなんで幽々子様はここで寝ているんですか」
 焦る妖夢とは対照的に、幽々子は寝起きのほわほわした雰囲気だ。
 もぞもぞと布団からはい出てくると、背伸びをする。
「あら、せっかく布団まで運んであげたのに、つれない言いぐさね」
「ええっ」
 幽々子が言うには、妖夢は衣装が散乱する中眠っていたらしい。
 しょうがない、と妖夢を部屋まで運び、布団に寝かせるまでしたという。
 その寝顔を見ている内に、自分も眠たくなり布団に潜り込んだのだ。
 妖夢は、運んでくれた優しさを嬉しく思い、また眠ってしまった未熟さを恥じ、
 そして幽々子とは何もなかったことに安堵の息を漏らした。
「妖夢が居眠りなんて珍しいわね。あの小さなワンピースがそうさせたのかしら」
「アレは……その」
 居眠りを咎められたと、妖夢はシュンとする。
 そんな妖夢を自分の胸元に抱き寄せて、幽々子は優しく呟いた。
「たまにはいいわよ。その代わり、夜食は豪華にね」
「はい」
 妖夢はその胸に顔を埋めて頷いた。



 時のみが、歳月のみがすべてを識る。


 もし時に生命があるというのなら、果たしてそれは――――


 ~終幕~
   
自説妖々夢追憶編、完結編です。
当初は《中編》で終わる予定だったのですが、せっかくなので
妖夢がやってくるまでを書くことにしました。

これを書くにあたり、だいぶ原作設定やワールドガイドを読み返しました。
その成果が多少は出ていれば良いかと思います。

三編にわたり長々と、お付き合いくださりありがとうございました。
誤字脱字文法間違い、納得のいかぬ点などありましたらご指摘ください。
では次の作品でお会いしましょう。

2006/06/12誤字訂正しました。
雨虎
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コメント



0.500簡易評価
7.50aki削除
いくつか謎は残っていますが…いや、謎のほうが多いんですよね。東方って。
幽々子にしても後書きとかに詳しいことは載ってないし。
まぁだからこそ創る楽しみが十二分にあるのですが。

…なんだか感想になってなくてすみません。
個人的に妖忌と紫の関係は、かくあるべきだなと。
9.無評価雨虎削除
>いくつか謎は残っていますが…いや、謎のほうが多いんですよね。東方って。
そうですね。東方の世界観は他の作品に比べて、基本材料しか
露呈されていないので、どうしても自分解釈に頼りがちになってしまう所があります。
しかしだからこそ、氏の仰るとおり創る楽しみもあるんですけれどね。

貴重なご意見ありがとうございました。
10.80名前が無い程度の能力削除
誤字
今→居間
自信→自身

内容に関してはグッジョブb
13.無評価名前が無い程度の能力削除
確かに謎はあったがとても高いクォリティだと思う。
おじぃちゃんテラカッコヨス
14.無評価雨虎削除
>内容に関してはグッジョブb
ありがとうございます。
そう言ってもらえると書いた甲斐がありました。

>おじぃちゃんテラカッコヨス
ダンディズム爆発ですね。

ご意見ありがとうございました。
18.100名前が無い程度の能力削除
日記に恋心を綴る乙女なゆゆ様にニヤニヤしてしまった
若妖忌は間違いなく朴念仁