――この女は悪魔に魅入られている。魔女だ。
法廷で。多くの者が見ている中で、異端審問官は私をそう断じた。
「何かの間違いだ!」
言葉の終りを待たずに叫んだ私を武装した男たちが取り押さえた。
腕を捻り上げられ、地面に組み伏せられ、刃を突き付けられる。
「ぐ……離せぇっ!」
念を込めて叫ぶと私を中心に風の精霊が舞い踊り、刃となって渦を巻いた。
風は突き付けられた刃を弾き――しかし、男たちの鎧を両断することなく勢いを失ってしまう。
「無駄だ。この神聖なる場で、お前の邪な力を揮えると思ったか。おとなしくしろ」
私を取り押さえた男たち。
よく見れば、彼らは皆、見知った顔だった。長い戦を共に戦い抜き、勝利の喜びを分かち合った仲間だったからだ。
「気を緩めるな。また悪魔の術を使うかもしれないぞ」
――祖国解放のため、私に従うと言った者。
「口だ、口を塞げ!」
――奴隷として連れ去られ、殺された親兄弟の仇をとりたいと、私を頼った者。
「それなら舌を噛めんように猿轡を噛ませておけ。いま死なれては困るからな」
――初めて私を将として認めてくれた者。
昨日まで肩を並べていた人間に裏切られたと知った時のこの感情をなんと呼べばいいだろうか?
絶望……そう、絶望だ。
体から抵抗しようという気力が失われていく。されるがまま猿轡を噛ませられた私は、何も言うことが出来ず目を逸らした。
その間にも異端審問官は朗々とでっち上げの罪状を読み上げ、最後に即日、刑を執行すると告げた。
「――以上だ。女を連れて行け」
後頭部に鈍い痛みを感じて、私は意識を失った。
◇
「あ? あー、夢か。……嫌な夢だ」
目を開くと辺りは真っ暗だった。と言っても夜だから、とか野宿をしているからではない。
単にここが閉め切られた蔵の中で、外から光が差し込まないだけの話だ。
簡単な呪文を唱えて光を生み出すと、倒してベッド代わりに使っている本棚がすぐ横にあった。掛け布団として使っている着物は私の体に巻きついていた。
寝ぼけて落っこちたことは間違いなさそうだった。
「……はぁ。体があるってことは不便だねえ」
まだずきずきと痛む後頭部をさすりながら立ち上がる。
体のない生活に慣れてしまうと、今度は体のある生活というものがやたらと不便に感じるものだ。自由に空を飛べない、壁を通り抜けることもできない、元が霊体だったためか飢えと乾きがほとんどないことが唯一の救いか。よくもまあ昔はこんなので暮らしていたものだ。
意識しないと物に触れることができない、意識しないと地に足がつかない、意識しないと食べられない上に美味しいと感じない、などなど。意識しないと何も出来ないなんて……と、体を失くしたばかりの頃は逆のことを考えていた気もするが、まあいいか。
足元を照らし、注意を払いながら入り口の扉へと歩いていく。
さっきも言ったが、体のある生活は今の私にとって不便以外の何物でもない。前は(ガツン)ここらで。
「――っっ!!」
そう、こんな感じに足の小指をぶつけたのだ。
苦労の末ようやく扉に辿りつく。
「おい! 早いとこ開けな!」
外まで届くよう大声を張り上げる。喉がちょっと痛い。
体がなかった頃はこんなこともなかったのに。やっぱり不便だ。
待つことしばし。どたどたと縁側を走る音が聞こえてきた。
音は扉の前で止まる。
それからガチャガチャと鍵をいじる音がして、ゆっくりと扉は開いていった。
「や、久しぶり。朝も早いのにご苦労様」
陽光を背にしてその女は笑顔でそんなことをのたまった。私は無言でそのにやけ面にありったけの魔力を乗せた右ストレートを見舞う。
しかし、私とそいつの中間、蔵の内と外の境に触れるや否や魔力は霧散し、拳は見えない壁に弾かれてしまった。
「それじゃ駄目よ。力任せでこの結界は敗れないわ」
ニヤニヤ笑うのでもう一度殴ってやろうかと思ったけど、手が痛いのでやめておいた。
悔しいがこの結界は今の私に壊せるものではないらしい。
「貴方も三年ぶりだっていうのに進歩がないわねぇ」
「三年? 私はてっきり一日しか経ってないんだと思ってたよ」
軽口を叩きながら観察してみる。
記憶を引っ張り出して比べると、なるほど、背や髪がいくらか伸びているようだ。
ま、これっぽっちも成長してないところもあるようだけど。
「……今、失礼なこと考えわね?」
「あ」
頭から全身にもの凄い衝撃が走って目の前が真っ暗になった。
……自分だけ通り抜け自由なんてずる……ぃ――。
◇
気が付くと私は、両脇から二人の屈強な男に腕を掴まれて、廊下を引きずられていた。
依然として猿轡は噛まされたままで言葉を発することはできない。
別にそれでも構わなかった。
ここはひどく静かで冷たい。誰もいないことは明らかだったし、両脇の男も一言も喋らない。私を物として扱っているのか、それとも自分達が私を運ぶだけの物なのか。私に目を向けることもなく、無機質に、淡々と歩を進めていく。
だから、私には。
むしろこの方がよかった。
声を上げてしまえば、ここには私以外、私を人と見る者がいないのだと、嫌でも知ることになってしまうから。
だから、私は、目を閉じた。
そして意識を捨てた。
この短いようで長い静寂に耐え切れなくて。
早く終わりが来るよう願いながら。
◇
「……また、夢か」
目を開ければベッドの上。呟いてみて、つい笑ってしまった。
あれが夢?
まさかそんなはずがあるものか。
あれは……きっとあれは、私の過去だ。
死んだときにばらばらになって、自分でもどこへ行ったかわからなくなってしまった昔の私だ。
なぜ今になって夢に見る?
どうしてこんなものを私に見せる?
見せているのはあの女。私をここに閉じ込めたあの女に違いない。
でも、不思議と腹は立たなかった。胸がざらつくような嫌な感じもしなかった。
それよりも、知りたいと思った。
私の過去に何があったのか。あの女が私に何を伝えようとしているのか。
私はもう一度目を閉じる。
夢の中にある、答えを探しに行くために。
◇
足下から上ってくる熱気と煙。
何事かと体を動かそうとして、棒に縛り付けられていることに気付いた。見れば下には薪が山と積まれており、すでに火が点けられていた。熱気と煙の正体はこれらしい。
火刑。魔女の最後には相応しい刑罰というわけだ。
試してみたが自由になるのは首から上だけ。猿轡ははめられたままで声を出すことはできなかった。
仕方なしに私は首を巡らせて辺りを見た。
広場を――正しくは私の周りを兵士が取り囲み、さらにその周りを大勢の観衆が埋め尽している。
兵士の数は多く見積もっても五十といったところ。異端審問官の姿もあったが、剣の一つも持っていなかった。戦力にはなるまい。
対して彼らを取り囲む観衆は優にその数倍はいる。
もしも観衆が暴徒となったなら、武装しているとはいえ兵士たちは助からないだろう。
誰よりもそれをわかっているのは彼ら自身だ。その身に、敵の大軍と対峙しているかのような悲壮感を漂わせていることからも、それが伺える。
しかし、私から見ればの考えは的外れと言わざるを得ない。
観衆の目に反抗の意思はなく、怯えるような感情だけが伝わってくる。
彼らはただそこにいて、そして見ているだけ。それ以上でなく、それ以下でもない。
そんな彼らがどうして武器を持った兵士に立ち向かうことが出来ようか。
――裏を返せば、それはつまり私が死ぬということ。
けれど、私は彼らを責める気にはなれなかった。
この国が敵国の支配から脱したことは確かだが、支配を受けていた頃の過酷な生活と今に至るまでの戦いによって、多くの人間が死に、国は荒れた。
誰もが疲れていた。誰が死のうとも、自分にとばっちりが来なければ構わない。誰かを殺せという命令にだって黙って従う。負け犬と笑いたければ笑うがいい。恥知らず、意気地なしと嘲りたければ好きなだけ嘲るといい。それで命がなくなるわけではない。
これが彼らの偽らざる本音だろう。自分の身を守るためだ。無理もないことだと思う。
それに、私は教会によって『魔女』と正式に認定された罪人なのだ。自由を求めての戦とは訳が違う。
ここで事を起こせば、この国は一人の魔女のために教会を敵に回すことになる。
魔女を救うような国に正義も大義も認められるはずがない。諸外国はこぞってこの国に攻め入り、再び以前の暮らしに戻してしまうだろう。
そんなことは誰も望んでいない。もちろん、私も。
――それなら仕方のないことだ。
いつの間にやら理不尽な最後をそうやって認めてしまっている自分に呆れて、溜息が出た。
炎が足を舐める。
いろいろと納得のいかないところはあるけれど――とりあえず生きたまま焼かれるというのは思った以上に痛かった。縛り付けられていなければすぐにでも逃げ出してしまいたいほどだ。
皮膚の下、さらには骨の髄にまで火が通っていくこの痛みは、とてもじゃないが言葉で表せそうにない。
加えて煙に燻されてまともに呼吸も出来なかった。焼かれる痛みで死ぬのが先か、煙で窒息死するのが先か。どちらにしろそう長くは保たないだろう。
だから、意識が遠のいていく中でいろいろなことを想った。
――戦場から戻って来るたびにリンゴをくれた果物屋のおばさん。
彼女は無事だろうか。私との関係を疑われて捕まっていなければいいけど。
――いつも腹を空かせていた孤児たち。
これから先、あの子たちが無事に成長してくれることを願いたい。
何よりも私はそのために剣を取ったのだから。
――自分も早く戦場に立ちたいと息巻いていた血気盛んな少年兵たち。
彼らが戦場に出ることなく戦いを終わらせることが出来てよかった。
彼らの未来を守れたことは、私の誇りだ。
これからは立派な国を作って欲しいと思う。
……なんだ。私は結局、最後まで他人の心配ばかりしている。
死ぬ間際なら恨み言の一つも出てくるかと思っていたのに。
ああ、なんて馬鹿なお人好しだろう。
――その時、もうほとんど見えなくなっていた私の目に、声を殺して泣いている人々の姿がはっきりと見えた。
それはほんの一瞬の出来事。瞬きをすればもう何も見えなくなっていた。
あれは奇跡? それとも私の願望が作り出した幻だろうか?
どちらかはわからない。
でも、できれば幻ではなく現実であって欲しい。
だって、それなら。誰かが泣いてくれるのなら。
――こうやって死ぬのも、悪くはないと思えるからだ。
◇
目が覚める。
暗闇だと思っていた蔵の中は意外なほどはっきり見えた。
別に屋根や壁に穴が開いたわけではないようだ。単に私の目が良くなっただけらしい。
「力が戻った……何で?」
床に下りる。何か不思議な感じ。見れば地に足がついていない、というか足がなかった。
この蔵に閉じ込められて以来実体化していた体が、何故か霊体に戻っているのだ。
「……わからん」
そもそも実体化した原因さえわかっていないのだ。いくら考えても答えが出るはずもなかった。
癪に障るけどあの女に聞くしかない。私は扉へ向かうことにした。
扉は開いていて、月明かりが差し込んでいた。
――遅い。まったく、いつまで待たせるつもりよ。
髪は白くなり、顔には小さな皺が刻まれている。腰は曲がっていないけど、手や足は細くなっているように思う。
でも、記憶と少しも変わらぬ声で、同じ場所に、そいつはいた。
「……ああ、そいつはすまなかったね。で、今度は何年ぶりだい?」
「二十年」
「二十年……?」
正直驚いた。たった二十年で人間とはここまで変わってしまうものなのか。
「こらこら。おかしなこと考えてるなら、また痛い目にあってもらうよ」
懐から札を取り出して睨んでくる。私は無意識に一歩下がっていた。
むぅ。奴め、前より迫力があるのは何故だ。
「って、そういうことじゃなくて」
「じゃあどういうことよ?」
「たった二十年でどうやったら人間が…………ああ、そういうことか」
霊力とはつまるところ生命力だ。限界を超えて使えば反動が自分に返ってくる。一匹の妖怪を退治するために霊力を使い果たした若い退治屋が、突然二十も三十も歳を取ったように老いてしまった、という話を耳にしたことがある。
それと同じことなのだろう。
「何一人で納得してんのよ」
「いや、まだ納得はしてない。だから答えろ。自分の命を削ってまで、どうしてお前さんはこんなことをしたんだ?」
私の問いかけに、女はきょとんとしている。
さっき二十年ぶりだと聞かされたときの私はこんな顔をしていたんだろうか。
ややあって、逆に問い返される。
「ねえ。目の前によ、そうとは知らずに道を踏み外した奴がいたら、貴方ならどうする?」
「質問してるのはこっちだよ」
「だからよ。いいからさっさと答えなさい。貴方ならどうするの?」
私ならどうするかって?
そんなこと考えるまでもない。
「私なら、首に縄つけてでも引き戻す」
「うん、貴方ならそう言うと思った」
女は嬉しそうに笑って。私の手を掴んで引っ張った。
あの、見えない壁が迫るのがわかる。手でさえあれなのだ。全身叩きつけられたら相当痛いはず。
痛みに耐えようと私は強く目を瞑った。
……いや、私はいま霊体だから大丈夫なのかな?
まぁ、結果から言うと確かに痛かった。
地面に顔から落ちたから、だけど。
「痛たた……何するんだよ!」
「ん? ただの確認作業。にしても馬鹿ねえ。ぶつかると強く意識するからそうなるのよ」
悪びれもせずに女は言って、それから腰をとんとんやっている。
私はというと、今更のように自分に起きた出来事に驚いていた。
「あれ……通り抜けてる……?」
振り返って見ると、前に私の拳を弾いた壁は依然としてそこにあった。
が、どういうわけか私もそれを抜けることができるようになっている。
「封魔陣――“解”」
そうこうしている間に女はパンと一つ手を打ち合わせた。すると蔵の隅から小さな煙が上がって、壁の気配が消えてしまった。でもって、やることは全部終わったとばかりに事情の飲み込めていない当事者を置き去りにして帰ろうとしている――否、間違いなく帰るつもりだ。
「……ちょっと待て。幾つか聞きたいことがあるんだけど」
「いいわよ。どうぞ」
と言いながらも歩みを止める気はないようだった。仕方がないのでふよふよ飛んで横に並ぶことにする。
「まず、私のさっきの質問に答えてくれ」
「私がそうしたかったからよ。文句ある?」
じろりと睨まれる。無論、足は止めないままで。
「あー、いや、別に」
声は小さく視線は明後日の方角。我ながら実に情けない返事だと思った。
「…………じゃあ、次。どうして私はあの結界を通り抜けることができたんだ? 私に何をしたんだ?」
「別に何もしてないわ。封魔陣は、読んで字の如く『魔を封じる陣(結界)』。私は貴方をその中に閉じ込めただけ。陣から抜けることが出来たのは貴方自身が変わったから。ま、平たく言えばもう“魔”じゃなくなったってことよ」
「“魔”じゃなくなったって……何言ってるのさ。私は悪霊だよ?」
困惑する私に女は笑いながら言った。
「そんなわけないじゃない。だいたいね、死ぬ間際になっても自分を裏切った連中を憎めないようなお人好しが、悪霊になんてなれるわけないでしょ」
「な、何でそんなことがわかる」
「わかるわよ。貴方の夢、ちょっと覗かせてもらったし、善人が無理して悪人ぶってることがわかるくらいには人付き合いがあるから」
笑ってはいるが彼女の言葉は優しく、真摯だ。そして私は――自分に対して抱いていた『悪霊』という漠然としたイメージに、亀裂が走ったように感じた。
彼女の言葉がそうさせている。彼女の言葉が、心を覆っている靄を払っていく……。
それは恐ろしいことであり、また、私が待ち望んでいたことでもあるように思えた。
――今の私、過去の私、相反する二つの私が「私こそが本物だ」と主張する。
私にはどちらが本物の私なのか決められなかった。だから、何の解決にもならないとわかっていて――。
「は……たかだか百年も生きられない人間が私に意見するのかい?」
「違うわよ」
「何が違うのさ。私はお前さんの何倍も長く生きてきたんだ。そんな小娘に自分のことをどうこう言われたくないね」
「それが違うって言ってるのよ。人生は長さで計るものじゃないわ。例え何百年生きていようがスカスカの人生送ってちゃ意味ないでしょ」
「――ッ、今のはちょいとムカついたねえ。年上に対する礼儀ってものを教えてやろうか」
「へぇ? 図星を指されて腹が立つなんて、悪霊のくせにずいぶんとまあ人間らしいのね」
女が札を取り出すのと私が愛用の戟を呼び出したのはほとんど同時だった。
にも拘らず、振るった戟に手応えはなく、私は無様にも地面に叩き伏せられていた。
「……殺せ」
「嫌よ。わざわざ助けた奴を退治するなんてこと、したくないわ」
「何が助けただ! 誰がそんなことを頼んだ!」
「……うるさいわねぇ。「私がそうしたかったから」って言ったじゃない。それともなに、アンタは頼まれなきゃ何もしないわけ?」
言葉に詰まる。
こいつの言い分は酷く身勝手だ。でも、あの時の私はどうだっただろうか?
誰かに強制されて戦っていたのか? 誰かに頼まれたから戦っていたのか?
違う……と思う。私は確かに、自分の意思で、命を掛けて戦っていた。
こいつもきっと同じなんだろう。誰に言われたわけでもない、自分自身の意思で私を助けたんだ。
――嬉しい。けれど。だからこそ、辛い。
私は一度死んで、力を持っていたせいか死に切れず、断片的な記憶を持ったまま霊体になった。
そして、記憶に色濃く残っていた仲間に裏切られたという絶望が、私に道を踏み外させた。
最初は手当たり次第に人を殺した。大人も、子供も、分け隔てなく殺していった。
一年も経つとそれに飽きて、呪いや疫病によってより長く苦しめてから殺すようになった。
殺した数なんてもう覚えていない。
その彼らの血と怨念を吸って私は生きてきた。
そんな私が“魔”でなくてなんだというのか。
失くしてしまった自分の過去を知ったことで私は苦しんでいる。
むしろ知らなければ良かったとさえ思っている。
だって、私が初めに手に掛けたのは――
「人間、その気があればいつだってやり直せる」
女はポツリと言った。目はじっと私を見ている。
「貴方だってそう。人間よりずっと長く生きられるんでしょう?」
「……」
「ま、いいわ。貴方がもう一度道を踏み外したその時には――私が責任を持って退治してあげる。それじゃ」
何も言わない私に手を振って、女は戻っていった。
しばらくして、ごろんと仰向けに転がる。
「……私がやり直せる?」
あの女が言った言葉。
――人間、その気があればいつだってやり直せる。
私はやり直せるのだろうか? やり直してもいいのだろうか? 私が殺してしまった人たちはそれを赦してくれるのだろうか?
わからない。
それなら私は悪霊だったと納得して、また人をたくさん殺して、あの女に退治されるべきなのだろうか?
わからない。
できることなら私は赦されたい。
でも彼らはきっと赦してはくれない。
何より、私が私を赦せない。
ああ、この気持ちはあまりにも辛すぎる――
ふらふらと、私は立ち上がって歩き出した。
何を決めたわけでもない。ただ楽になりたかった。
退治されるならそれもいい。三途の川もその先も、今よりは居心地の良い場所だろう。
川を渡りながら死神と下らない話をして、閻魔に説教をされて……きっと気持ちも紛れる。
あの女を殺せるならそれもいい。あいつを殺せたなら、私は確かに紛れもなく極上の“魔”だという証明になる。
そして、誰かに退治されるまで延々と人を殺し続けよう。
玄関の戸を開く。
あの女を見つけ出せ。そうすれば私は楽になれる。
霊体になることも忘れて、熱に浮かされたように私は家中を歩き回った。
家の中は不自然なほど片付いていて隠れる場所など数えるほどしかないのに。捜せど捜せど女は見つからない。
襖を片端から開けて、押入れの中のものを全て引きずり出して、狂ったように捜し回ってもやはり女は見つからなかった。
「あ、ぁ……」
胸が苦しい。呼吸をするたび空気と一緒に鉛が流れ込んでくるよう。
眩暈がして世界がぐるぐる回る。
――私は楽になりたいだけなのになぜあの女は出てこない私は楽になりたいだけなのになぜあの女は出てきてくれない私は赦されたいだけなのになぜあの女は出てこない私は赦されたいだけなのになぜあの女は出てきてくれない――
「あああああああああああ――!!」
気づけば夜を震わせるほどの大声で私は叫んでいた。
「隠れてないで出てこい! 出てこないならこの家諸共吹き飛ばすぞ!」
巨大な魔力球を生み出す。
冗談のつもりは毛頭ない。反応がなければこの家を丸ごと吹き飛ばす。
あの女がこんな攻撃で死ぬはずはないから必ず姿を現すだろう。
そうすればきっと――
私の思考を遮るように、遠くでバシャッという水を撒き散らしたような音が聞こえた。
水とくれば井戸。私は部屋を飛び出した。
音の聞こえた方角から推測して飛ぶ。ほどなくして井戸を見つけ、その側に倒れている女を見つけた。
「おい!」
胸倉を掴んで引きずり起こすと女は気だるそうに目を開けた。女は中身が空っぽではないかと思うほど軽かった。
「……何よ。大声で叫ぶから水……こぼれちゃったじゃない」
「嘘を――」
嘘をつくなと、私は怒鳴ることができなかった。
「ちょっと、いい加減に……離しなさいよ」
女の声はあまりに弱々しく、私を押しのけようとする力は輪を掛けて弱い。
足元には転がった桶。これを落としたのは私の声に驚いたからではなく、単純にそれを持つだけの力がなかったからではないか。
「ふざけるなよ。これじゃ……こんなんじゃ……」
私を退治するなんて出来るわけがない。
そう思うと体から力が抜けていった。
せっかく楽になれると思っていたのに。これで私はこんな気持ちのまま永い時間を生きていかなければならなくなったのか。
「おいこら」
「……?」
顔を向けると地面の上に恨みがましい目をした女が横たわっていた。
「まともに動けない人間を投げ捨てるなんて……いい根性してるのね」
ああ、そうか。さっき手を離してしまったのか。
「そいつはすまなかったね。気がつかなかったよ」
「……悪いと思ってるなら手ぇ貸しなさい」
「わかった」
そう言って抵抗なく手を差し出す自分に驚く。放っておいても別に何をされるわけでもないのに。時間の無駄だと頭で理解しているのに。
でも、体は勝手に動いていた。手を貸すだけでなく、服についた砂利を払って抱えあげる。女の体はまた少し軽くなっていた。
「ありがと。じゃ、ついでに寝室まで連れて行ってもらえるかしら。……そこの角にある部屋よ」
震える手で指差した先に、一つだけ開いている障子があった。
部屋に入ると布団が敷かれていた。他には何もない。
さっきも思ったことだが、人が住んでいるのにも関わらず綺麗に片付けられた家とはまたおかしな感じだ。
例えるなら――
「寝かせてちょうだい」
不意に言われて少しだけ驚いた。
「……聞こえなかったの?」
「そういうわけじゃないさ。服が汚れてるし、着替えなくてもいいのかってね」
すらすらと口から嘘が出てくる。私は意外とこういうのが得意かもしれないなと、頭の隅で思った。
「構わないわ。本当のことを言うとね、今更っていう気もするけど……どんどんお婆ちゃんになっていく自分を見るのはあんまり好きじゃないのよ」
こいつも結局女だったわけだ。笑ってやろうかとも思ったが、その原因が私にあると思うと頷くことしか出来なかった。
女の言葉どおりに寝かせてやる。女は安心したように笑って言った。
「あー、助かったわ。これで何とか間に合った」
「間に合ったって、何がさ?」
私の質問に女は困ったように笑った。
「いやまあ、くだらない事なんだけどね。私はね、死ぬ前に家を綺麗に掃除して、それから布団の上で死にたいなって思ってたのよ」
「……そうかい」
なるほど。家の中が妙に片付いていたのは、私がおかしな印象を受けたのはそれが原因だったのか。
そう、それは例えるなら――他の誰かに家を譲り渡すために、自分の住んでいた跡を消して回っていたような、そんな感じ。
――いくら目を背けても。
ここまではっきりと現実を見せ付けられれば嫌でもわかってしまう。
「じゃあ、お前さんはもうじき死ぬんだな?」
答えのわかりきった質問。
なぜそんなことをわざわざ自分から切り出したのか。
そんなわけないじゃない、と昔と変わらぬ笑顔で首を横に振って欲しかったからか。
「うん」
でも。女は諦めたように首を縦に振った。
私たちは、どちらからともなく互いに目を逸らしていた。
「ねえ」
しばしの無言の後、顔を合わせないまま女は言う。
「なんだい?」
返した言葉は震えていたように思えた。
気取られてはいないかと不安になる。
「……私を殺さないの?」
「――」
体の芯が凍りついたように感じた。
私がこの女を、殺す?
そうだ。私はこの女を殺すか、退治されるためにここに来たんじゃなかったのか?
手に力が篭る。
――今なら、この女を殺すことが出来る――
「……ああ、殺さないよ」
けれど、短い逡巡の後に出てきた言葉はそれだった。
女が息をのむのがわかった。
無理もない。言った私だって少なからず驚いたのだから。
「どうして?」
そう聞かれてふと閃いた言葉がある。
ニヤリと笑って言ってやった。
「私がそうしたかったからだ。文句あるか?」
「…………ないわよ」
私たちはまたどちらからともなく笑いあった。
――どんなに拒んでも、その時はやって来る。
ひとしきり笑って、女は目を閉じた。
「じゃあね。私、もう眠ることにするわ」
「そうか……ぁ」
忘れていたことがあったのを今、思い出した。
しかし、女は目を閉じたままニヤリと笑う。
「駄目。教えないわよ」
「まだ何も言ってない」
「名前で呼ばれたら未練が残る。貴方の名前も知りたくない。以下同文」
きっぱりと言い切られた。ちぇ、お見通しというわけですか……いや待てよ、それなら知らなくても同じことじゃないのか?
聞こうとした私に、「だからね」と女は続ける。
「貴方の名前は次の娘に教えてあげて。こんな辺鄙なところだから一人くらい友達がいてもいいと思うの」
この言葉は、自分がそうだったからかもしれないと思った。
このお人好しめと笑ってやる。
「わかったよ。じゃ、おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
満足そうに微笑んで、名前も知らない女は静かに息を引き取った。
途端に感じる幾つもの妖気。こいつが死ぬのを待っていたらしい。
「ははっ。泣く時間もくれないなんて、なんて優しい連中だろうねえ」
戟を片手に私は部屋を後にする。
さて、ゴミ掃除といきますか。
~後日談~
あれから何年経っただろうか。
百年かもしれないし、二百年かもしれない。千年……はさすがにいってないと思う。
「それにしても」
久しぶりに蔵から顔を出してみると、境内のあちこちにお札が貼ってあった。どうやら結界のつもりらしい。
まぁ、魔除けの結界なんて私には意味がないけど。というかこんな滅茶苦茶な構成の結界で何をしようというのやら。穴だらけで雑魚妖怪一匹も防げやしない。そんなものは結界とは言わない……ので、張りなおしてやることにした。やれやれだ。
物陰からこっそりとあいつの様子を伺う。
あ、いた。間抜けた面で縁側に座ってお茶なんか飲んでやがる。
「……また修行さぼって」
今代のは稀に見る怠け者だ。日がな一日お茶を飲んでごろごろしてるか寝ているか。
たまにやる気を出して山に篭ったかと思えば修行よりも山菜取りに夢中になっていたり。
これでは駄目だ。この博麗神社は近いうちに妖怪によって乗っ取られてしまうだろう。
それも戦って敗れるのではなく、昼寝している間に居つかれるという最悪のパターンで……!
「それだけは何としても防がなくちゃいけないねえ……」
よし、決めた。自分で修行しないならこっちからけしかけてやればいい。
まずは境内をのろのろ歩いていた亀をとっ捕まえて霊夢に山篭りをさせるよう伝えておいた。
こちらの狙いをすぐに読み取ってくれたのか、何も言わずに賛成してくれた。持つべきは友だねぇ。
それから最近出来た弟子に「ちょうどいい強さの相手がいるから戦ってみない?」と手紙を出す。
この頃暇を持て余し気味だったから、きっとすぐに駆けつけて来るだろう。ま、来なかったら首根っこ引っ掴んで連れて来るけどね。
締めに雑魚妖怪その他諸々かき集めて準備完了。
さて、後はあいつが戻るのを待つばかり。
――え? どうしてわざわざあんな奴の面倒見てやるのかって? 決まってるじゃないか。
私がそうしたいからさ!
ようするに魅魔様萌え。玄爺も。
そんな訳で魅魔様が格好良いです(ッ礼
魅魔様って、ジャ○ヌ・ダルク?
魅魔様だけでなく、玄爺も黒幕だったのか~(笑
前半の「夢」→「現」→「夢」→……のスパンが短くて一瞬つっかかりを覚えましたが、それ以降はすんなりお話に入り込めました。
カッコイイ魅魔様ありがとうございます。私も書きたくなってきた。
魅魔様最高です。
素晴らしいお話の流れに、思わず引き込まれてしまいました。
「私がそうしたいから」
この言葉が心に残ります。特に最後の場面では、嬉しそうにニカッと笑う魅魔様が想像出来ました。良いお話を、有難う御座いました。
しかし何か感じるものありましたよ~
勘違いにも程があるww