ちゃ~ららら~
ちゃららら~ら~ら~
調子っぱずれな鼻歌を口ずさみつつ、冬の妖怪レティ・ホワイトロックが天狗から依頼された『幻想雪見百景』の原稿を書いていた時のことである。
彼女のねぐらに、案内も請わずにブラリ入ってきた無礼なやからがいた。
「やぁ白岩の――相変わらず眠そうな顔だぁね」
ほかでもない、彼女とは犬猿の仲であるところの氷精チルノである。
「ぶしつけな奴ね。ひとの顔をアレヤコレヤ論評できるようなご面相かしら?」
「ふ、ん。なにさ、似合わないメガネなんぞかけちゃって? ちょいとはオシャレしたつもりなのかしらん」
あやうく、机代わりのミカン箱を投げつけてやろうかと思ったものの、レティあやうく思いとどまり、
「またぞろ喧嘩を売りにきたってわけ? あいにくだけど、あんたと弾々幕々やらかすほど暇じゃあ、ないの」
メガネの繋ぎ目を持ち上げながら(むろん伊達メガネである。しかも持ち主から放たれる寒気ですっかり曇っていて、いっこうにメガネとしての用を足していなかった)、レティは手厳しくズバリ言い捨てた。
ふだんなら
「ヘン! よく言うよ、年がら年中グースカピースカ寝るほか能のない与太郎のくせに! 暇がないどころか、暇屋を開業できるくらいに有り余らせてるんじゃないのっ」
……と、言い返すのがチルノ式だが、ふしぎこの時は、グムーとうめいて黙り込んだ。
「喧嘩を」売りに来たわけじゃない、と彼女は言いづらそうに口にした。
「じゃあ何だっていうの」
「――――」
なおも口ごもったすえ、チルノは懐から丸めたチラシを取り出し、無造作に突き出した。
「……? なになに?
『きたる次の晴れの日、“妖怪検定”を実施します。
妖怪でないのに妖怪になりたい方々、ふるってお越しください』
……何よ、これ?」
知るもんか、とチルノ。「でも近所の物知り大妖精に聞いたら、試験があって、これに受かったら妖怪になれるんじゃないかって言うのよ」
「はぁ。……まぁどうでもいいけど」
そもそも、いったいどこの誰がそんな試験をして、妖怪だと認めてくれるというのか。
チラシには
“妖怪検定実行委員会”
としか書かれておらず、そのへんの手がかりはない。
「で? これがどうしたって?」
「あんたはいちおう妖怪でしょ」
「そりゃ。いちおうは余計だけど」
「まー何ていうか……あたしもいつまでもただの妖精のままじゃウダツが上がらないし」とチルノ。「せっかくだから、妖怪になろうかってね」
「ふーん……ま、勝手にすればいいじゃないの。で? わざわざそんなことを宣言しに来たと」
そんなに暇じゃないわよ、と氷の精。「曲がりなりにも腐っても、あんたは妖怪のはしっくれでしょ。ちょいと妖怪らしさ、妖怪っぽさのコツってのを盗んでやろうと思ってね」
「なんて」レティ呆れ顔。「猛々しい盗人」
「さ、邪魔はしないから、勝手にやって頂戴」厚かましくもドカリと居座り、積んである冷凍ミカンを剥きはじめるチルノ。
「ちょっと」
「いいからいいから。あんたはふだんどおりにしてればいいのよ。そこからあたしが盗むんだから」
「…………」
バカ負けしてもはや文句を言う気も失せ、レティは原稿に取りかかった。
何しろ、締め切りが迫っていたのだ。
◆
カリカリカリ……
小刻みに氷を削る音が洞窟内に響く。
レティの手にしたアイスピックが、氷板に文字を刻んでいく。
“第十六景 紅魔の湖……”
クゥクゥ……
もっとも当の本人は居眠りしていて、手のみが勝手に動いているのだった。
“……湖いちめんが氷に覆われた様子は見目麗しいが、一見の価値があるのは、紅い魔の館、その北門である……”
降冷術(テーブルターニング)の一種である。
妖怪には脳がない。肉体そのもので思考し、記憶する。
ゆえに眠りながらでも、こうして楽々と筆を走らせられるわけだ。
“……ふだんなら門番が守っているはずのその門は、巨大な氷塊によって閉ざされている……”
その様子をジッと見ている二つの目――
むろん、氷の精チルノにほかならぬ。
“……氷の中央にはくだんの門番が氷漬けになっており、その苦悶にみちた悲痛な表情と、間の抜けたポーズは、見物客の微笑をさそってやまない……”
『あっ!!』
フト悟った。
飛び上がった。
天井にぶつかった。
落ちた。
すべて忘れた。
ト言うのは、ちと大げさで……
チルノ、ガバと跳ね起き、
「白岩の! 世話になったね!」
返事も待たず、洞窟を立ち去ったものである。
◆
曇天ふいに澄んで、久方ぶりに晴れた日――
湖畔に、妖精どもが群れつどっていた。
「おやおや、相も変わらず呑気な連中だけど?」
そうつぶやいたのは新聞商売、天狗の射命丸文である。
ブン屋の嗅覚とでも言うべきか、この奇妙な光景に引き寄せられたと見える。
「それにしても有象無象、ひと風吹かせたらいっぺんに吹き飛びそうな小物ぞろいねぇ……」
指にフーと息を吹きかけ、物騒なひとりごと。
取材対象以外にはそっけなくも冷たい射命丸であった。
「吹き飛ばすのはもう少し待ってもらおうかしら」
ひょいと現れたのは、四季映姫ヤマザナドゥである。
「おやっ? こっちにも呑気な御仁……どういう冥府の沙汰の吹き回しで?」
「なに検定試験のためでね。……ブン屋にしては耳が遅いこと」
「瑣末なネタまでは拾えないのですよ……って、検定? 試験?」
「そう検定試験。……今回は『妖精検定』」
「おおよそ聞きなれない単語ですね。今デッチあげました?」
「どうして私がそんなケチな悪行を積まねばならないの。とうに告知してあったから、ああして妖精の類が集まってきているのよ」
「フーン……それじゃ折角だから取材しますよ」
「べつに無理にしなくてもいいのだけど」
「またまた。意地になっちゃって」
「…………」
四季映姫「白黒つけますか? 白黒つけませんか?」
妖精たち『つけるーーーー!!』
「善哉(よろしい)! では吹けば飛ぶような益体もない木っ端妖精諸君――」
『なにをーーー!!』
「と、このブン屋が言っていたわ」
『この鴉野郎ーーーー!!』
「ううっ? 取材が冤罪に!?」
「というわけで、この鴉天狗に勝った者を妖怪として認め、名簿を書き換えましょう」
閻魔帳ヒラヒラ。
『やってやるよーーーー!!』
「な、なっ!?」
とんだ取材もあったもので……
飛び入り取材のつもりが、飛んで火に入る夏の鴉――という次第とはなった。
一斉に飛びかかってくる妖精たちを避け、包囲を抜けようとするが、目の色を変えた連中、容易に見逃してはくれぬ。
「ちょっと、映姫様! 堪忍して下さいよ――」
「たまには記事の主役になるのも悪くはないでしょう。『泣いた鴉天狗! 妖精たちに襲われ醜態さらした』とかね」
そんな見出しはいやなことだ、と文は思った。
ので、風神がかった天狗ステップで妖精らを蹴散らし、一本下駄で踏みつけ、彼らの顔に『一』の字を刻んでいった。
三桁に近いほどに刻んだころには、すでにあたりは死屍累々――ま、死んではいないが――というありさま。
「まったく、無駄に罪を重ねている」
「あなたがケシかけたんでしょうに! はぁ、ふう」
「股間の天狗面を外すにはチト早いわよ」
「そんなもの最初から着けてな――」
い、と言わばの白兎、飛来した氷つぶてが天狗の鼻先をかすめた。
「好かったわね、股間に着けておいて」
「――」
風神少女を一瞬ヒヤリとさせた、その氷弾の主は――
「――なるほどあなたがいなかった」
氷の小さな妖精、チルノ。
(ふだんなら真っ先に突っ込んできそうなものを)
つねならぬ様子に、文の危険察知アラームがブンブン鳴る。
「解せませんね、あなたは妖怪の肩書きなど欲しがらない御仁だと思っていましたが……」
跳躍。
「妖怪なみの力があっても、妖精は妖精だって言うのなら……」
肉薄。
「正真正銘、妖怪になってみるのもいいかってね」
間合い。
「別に妖怪になったところで、いいことなんて特にありませんよ?」
回避。
「そこのお偉いのじゃないけど、白黒つけたいのよ」
追撃。
「曖昧な状態が耐え難いと?」
反転。
「そう……そういうこと」
疾風と冷気の交錯する真っ只中で、チルノの声がフト途切れ、その体躯が掻き消えた。
「――これは」
愕然とした次のせつな、文はズシリとした重みに襲われ、思わずつんのめった。
「!」
その原因は。
知らずスカートに装着されていた、氷製の――
「天狗の面とはね。……洒落た手を打つもの」
四季映姫ヤマザナドゥは一笑した。
◆
「――それで」
コラムを刻んだ氷板を風呂敷に包みながらレティ。
「そんな辱めを受けたのに、記事にしないのかしら?」
ズッシリと重い包みを受け取り、苦い顔の射命丸。
「しようがありませんよ」
「と、いうと?」
だって、と天狗は肩をすくめた。「けっきょく彼女は、妖怪にはならなかったのですもの」
「へぇ? ……どうして、また」
こっちが聞きたいくらいです、とぼやく文。
あのとき……
チルノはみずから飛散し、冷気そのもの、自然そのものへと融合した。
もしただの妖精がそうすれば(そもそも、できはすまいが)そのまま自然界の一部と化し、二度と自我を取り戻すことはかなうまい。
だが……チルノは蘇った。
しかもご丁寧に文のスカートの上で、天狗の面の格好で。
判定者の笑みを引き出した時点で、元の姿に戻ったが、その表情は嬉しそうとも見えなかった。
「どうやら、ひとつ悟ったようね。……ならば、白黒をつけてあげましょうか」
いや、とチルノは答えた。「……やっぱりいい」
「ほう? わざわざ検定まで受けておいて、やっぱりいい、とはどういう了見かしら」
「あたしは……」
氷精は自分の手を見つめながら「……曖昧なままのほうがいい」
「弱い妖怪であるより、強い妖精の方であったがいい、と?」
「そんなんじゃない。あたしは……」
冷気が急速に高まり、文のまつげを凍らせた。
「――自然のことわりなんか知ったこっちゃない。自分で好きなように冷やしたいのさっ」
ドヒュウンと弾丸さながらに飛び去った妖精を見送り、裁判官は独語して、
「やれやれ。所詮、妖精は悟りに遠いようね」
面白がっているのか、嘆いているのか……いずれでもないのか、文には図りかねた……
天狗が原稿の重みにフラフラとジグザグ飛行で去っていったのち、レティはひとりねぐらで報酬の酒を傾けていた。
「阿呆なやつ」
むろんチルノのことである。
「ちょっとくらい力があったって、しょせん妖精ふぜいが……小憎らしいったら」
そう罵りつつも、自分の顔は不快さや怒りでなく……むしろ微笑させ浮かべているだろうことを、レティは自覚していた。
それは、四季映姫が浮かべた笑みと、同じものであったか、どうか……
フト、気配を感じた。
つねになく、入り口でためらう気配。
フ、とレティは声を出して笑った。
「聞いたわよ。検定に落ちたんですって? 間の抜けたことねぇ」
何をっ、と唇とがらせて飛び込んでくる、氷の妖精。
「落ちたんじゃないっ。自分から落ちてやったのよっ」
へぇどうだか? と鼻で笑いつつ、レティは新たな杯をなみなみと満たした。
「残念会と、洒落込む?」
「~~~~っ」
ものも言わず、チルノは酒盃をひったくり、あおった。
(どだい子供なのよ)
咳き込むチルノを眺めながら、レティ・ホワイトロックはそう思った。
ちゃららら~ら~ら~
調子っぱずれな鼻歌を口ずさみつつ、冬の妖怪レティ・ホワイトロックが天狗から依頼された『幻想雪見百景』の原稿を書いていた時のことである。
彼女のねぐらに、案内も請わずにブラリ入ってきた無礼なやからがいた。
「やぁ白岩の――相変わらず眠そうな顔だぁね」
ほかでもない、彼女とは犬猿の仲であるところの氷精チルノである。
「ぶしつけな奴ね。ひとの顔をアレヤコレヤ論評できるようなご面相かしら?」
「ふ、ん。なにさ、似合わないメガネなんぞかけちゃって? ちょいとはオシャレしたつもりなのかしらん」
あやうく、机代わりのミカン箱を投げつけてやろうかと思ったものの、レティあやうく思いとどまり、
「またぞろ喧嘩を売りにきたってわけ? あいにくだけど、あんたと弾々幕々やらかすほど暇じゃあ、ないの」
メガネの繋ぎ目を持ち上げながら(むろん伊達メガネである。しかも持ち主から放たれる寒気ですっかり曇っていて、いっこうにメガネとしての用を足していなかった)、レティは手厳しくズバリ言い捨てた。
ふだんなら
「ヘン! よく言うよ、年がら年中グースカピースカ寝るほか能のない与太郎のくせに! 暇がないどころか、暇屋を開業できるくらいに有り余らせてるんじゃないのっ」
……と、言い返すのがチルノ式だが、ふしぎこの時は、グムーとうめいて黙り込んだ。
「喧嘩を」売りに来たわけじゃない、と彼女は言いづらそうに口にした。
「じゃあ何だっていうの」
「――――」
なおも口ごもったすえ、チルノは懐から丸めたチラシを取り出し、無造作に突き出した。
「……? なになに?
『きたる次の晴れの日、“妖怪検定”を実施します。
妖怪でないのに妖怪になりたい方々、ふるってお越しください』
……何よ、これ?」
知るもんか、とチルノ。「でも近所の物知り大妖精に聞いたら、試験があって、これに受かったら妖怪になれるんじゃないかって言うのよ」
「はぁ。……まぁどうでもいいけど」
そもそも、いったいどこの誰がそんな試験をして、妖怪だと認めてくれるというのか。
チラシには
“妖怪検定実行委員会”
としか書かれておらず、そのへんの手がかりはない。
「で? これがどうしたって?」
「あんたはいちおう妖怪でしょ」
「そりゃ。いちおうは余計だけど」
「まー何ていうか……あたしもいつまでもただの妖精のままじゃウダツが上がらないし」とチルノ。「せっかくだから、妖怪になろうかってね」
「ふーん……ま、勝手にすればいいじゃないの。で? わざわざそんなことを宣言しに来たと」
そんなに暇じゃないわよ、と氷の精。「曲がりなりにも腐っても、あんたは妖怪のはしっくれでしょ。ちょいと妖怪らしさ、妖怪っぽさのコツってのを盗んでやろうと思ってね」
「なんて」レティ呆れ顔。「猛々しい盗人」
「さ、邪魔はしないから、勝手にやって頂戴」厚かましくもドカリと居座り、積んである冷凍ミカンを剥きはじめるチルノ。
「ちょっと」
「いいからいいから。あんたはふだんどおりにしてればいいのよ。そこからあたしが盗むんだから」
「…………」
バカ負けしてもはや文句を言う気も失せ、レティは原稿に取りかかった。
何しろ、締め切りが迫っていたのだ。
◆
カリカリカリ……
小刻みに氷を削る音が洞窟内に響く。
レティの手にしたアイスピックが、氷板に文字を刻んでいく。
“第十六景 紅魔の湖……”
クゥクゥ……
もっとも当の本人は居眠りしていて、手のみが勝手に動いているのだった。
“……湖いちめんが氷に覆われた様子は見目麗しいが、一見の価値があるのは、紅い魔の館、その北門である……”
降冷術(テーブルターニング)の一種である。
妖怪には脳がない。肉体そのもので思考し、記憶する。
ゆえに眠りながらでも、こうして楽々と筆を走らせられるわけだ。
“……ふだんなら門番が守っているはずのその門は、巨大な氷塊によって閉ざされている……”
その様子をジッと見ている二つの目――
むろん、氷の精チルノにほかならぬ。
“……氷の中央にはくだんの門番が氷漬けになっており、その苦悶にみちた悲痛な表情と、間の抜けたポーズは、見物客の微笑をさそってやまない……”
『あっ!!』
フト悟った。
飛び上がった。
天井にぶつかった。
落ちた。
すべて忘れた。
ト言うのは、ちと大げさで……
チルノ、ガバと跳ね起き、
「白岩の! 世話になったね!」
返事も待たず、洞窟を立ち去ったものである。
◆
曇天ふいに澄んで、久方ぶりに晴れた日――
湖畔に、妖精どもが群れつどっていた。
「おやおや、相も変わらず呑気な連中だけど?」
そうつぶやいたのは新聞商売、天狗の射命丸文である。
ブン屋の嗅覚とでも言うべきか、この奇妙な光景に引き寄せられたと見える。
「それにしても有象無象、ひと風吹かせたらいっぺんに吹き飛びそうな小物ぞろいねぇ……」
指にフーと息を吹きかけ、物騒なひとりごと。
取材対象以外にはそっけなくも冷たい射命丸であった。
「吹き飛ばすのはもう少し待ってもらおうかしら」
ひょいと現れたのは、四季映姫ヤマザナドゥである。
「おやっ? こっちにも呑気な御仁……どういう冥府の沙汰の吹き回しで?」
「なに検定試験のためでね。……ブン屋にしては耳が遅いこと」
「瑣末なネタまでは拾えないのですよ……って、検定? 試験?」
「そう検定試験。……今回は『妖精検定』」
「おおよそ聞きなれない単語ですね。今デッチあげました?」
「どうして私がそんなケチな悪行を積まねばならないの。とうに告知してあったから、ああして妖精の類が集まってきているのよ」
「フーン……それじゃ折角だから取材しますよ」
「べつに無理にしなくてもいいのだけど」
「またまた。意地になっちゃって」
「…………」
四季映姫「白黒つけますか? 白黒つけませんか?」
妖精たち『つけるーーーー!!』
「善哉(よろしい)! では吹けば飛ぶような益体もない木っ端妖精諸君――」
『なにをーーー!!』
「と、このブン屋が言っていたわ」
『この鴉野郎ーーーー!!』
「ううっ? 取材が冤罪に!?」
「というわけで、この鴉天狗に勝った者を妖怪として認め、名簿を書き換えましょう」
閻魔帳ヒラヒラ。
『やってやるよーーーー!!』
「な、なっ!?」
とんだ取材もあったもので……
飛び入り取材のつもりが、飛んで火に入る夏の鴉――という次第とはなった。
一斉に飛びかかってくる妖精たちを避け、包囲を抜けようとするが、目の色を変えた連中、容易に見逃してはくれぬ。
「ちょっと、映姫様! 堪忍して下さいよ――」
「たまには記事の主役になるのも悪くはないでしょう。『泣いた鴉天狗! 妖精たちに襲われ醜態さらした』とかね」
そんな見出しはいやなことだ、と文は思った。
ので、風神がかった天狗ステップで妖精らを蹴散らし、一本下駄で踏みつけ、彼らの顔に『一』の字を刻んでいった。
三桁に近いほどに刻んだころには、すでにあたりは死屍累々――ま、死んではいないが――というありさま。
「まったく、無駄に罪を重ねている」
「あなたがケシかけたんでしょうに! はぁ、ふう」
「股間の天狗面を外すにはチト早いわよ」
「そんなもの最初から着けてな――」
い、と言わばの白兎、飛来した氷つぶてが天狗の鼻先をかすめた。
「好かったわね、股間に着けておいて」
「――」
風神少女を一瞬ヒヤリとさせた、その氷弾の主は――
「――なるほどあなたがいなかった」
氷の小さな妖精、チルノ。
(ふだんなら真っ先に突っ込んできそうなものを)
つねならぬ様子に、文の危険察知アラームがブンブン鳴る。
「解せませんね、あなたは妖怪の肩書きなど欲しがらない御仁だと思っていましたが……」
跳躍。
「妖怪なみの力があっても、妖精は妖精だって言うのなら……」
肉薄。
「正真正銘、妖怪になってみるのもいいかってね」
間合い。
「別に妖怪になったところで、いいことなんて特にありませんよ?」
回避。
「そこのお偉いのじゃないけど、白黒つけたいのよ」
追撃。
「曖昧な状態が耐え難いと?」
反転。
「そう……そういうこと」
疾風と冷気の交錯する真っ只中で、チルノの声がフト途切れ、その体躯が掻き消えた。
「――これは」
愕然とした次のせつな、文はズシリとした重みに襲われ、思わずつんのめった。
「!」
その原因は。
知らずスカートに装着されていた、氷製の――
「天狗の面とはね。……洒落た手を打つもの」
四季映姫ヤマザナドゥは一笑した。
◆
「――それで」
コラムを刻んだ氷板を風呂敷に包みながらレティ。
「そんな辱めを受けたのに、記事にしないのかしら?」
ズッシリと重い包みを受け取り、苦い顔の射命丸。
「しようがありませんよ」
「と、いうと?」
だって、と天狗は肩をすくめた。「けっきょく彼女は、妖怪にはならなかったのですもの」
「へぇ? ……どうして、また」
こっちが聞きたいくらいです、とぼやく文。
あのとき……
チルノはみずから飛散し、冷気そのもの、自然そのものへと融合した。
もしただの妖精がそうすれば(そもそも、できはすまいが)そのまま自然界の一部と化し、二度と自我を取り戻すことはかなうまい。
だが……チルノは蘇った。
しかもご丁寧に文のスカートの上で、天狗の面の格好で。
判定者の笑みを引き出した時点で、元の姿に戻ったが、その表情は嬉しそうとも見えなかった。
「どうやら、ひとつ悟ったようね。……ならば、白黒をつけてあげましょうか」
いや、とチルノは答えた。「……やっぱりいい」
「ほう? わざわざ検定まで受けておいて、やっぱりいい、とはどういう了見かしら」
「あたしは……」
氷精は自分の手を見つめながら「……曖昧なままのほうがいい」
「弱い妖怪であるより、強い妖精の方であったがいい、と?」
「そんなんじゃない。あたしは……」
冷気が急速に高まり、文のまつげを凍らせた。
「――自然のことわりなんか知ったこっちゃない。自分で好きなように冷やしたいのさっ」
ドヒュウンと弾丸さながらに飛び去った妖精を見送り、裁判官は独語して、
「やれやれ。所詮、妖精は悟りに遠いようね」
面白がっているのか、嘆いているのか……いずれでもないのか、文には図りかねた……
天狗が原稿の重みにフラフラとジグザグ飛行で去っていったのち、レティはひとりねぐらで報酬の酒を傾けていた。
「阿呆なやつ」
むろんチルノのことである。
「ちょっとくらい力があったって、しょせん妖精ふぜいが……小憎らしいったら」
そう罵りつつも、自分の顔は不快さや怒りでなく……むしろ微笑させ浮かべているだろうことを、レティは自覚していた。
それは、四季映姫が浮かべた笑みと、同じものであったか、どうか……
フト、気配を感じた。
つねになく、入り口でためらう気配。
フ、とレティは声を出して笑った。
「聞いたわよ。検定に落ちたんですって? 間の抜けたことねぇ」
何をっ、と唇とがらせて飛び込んでくる、氷の妖精。
「落ちたんじゃないっ。自分から落ちてやったのよっ」
へぇどうだか? と鼻で笑いつつ、レティは新たな杯をなみなみと満たした。
「残念会と、洒落込む?」
「~~~~っ」
ものも言わず、チルノは酒盃をひったくり、あおった。
(どだい子供なのよ)
咳き込むチルノを眺めながら、レティ・ホワイトロックはそう思った。
自分もぼんよりしていきます。ぼんより。
テーブルターニングって便利だな。
あぁ、多分今俺の顔に浮かんだ笑みは、きっと閻魔や白岩の浮かべたものと同じに違いない。
ええ、こんな調子で以後もお願い致しますわ。